2018年12月31日 (月)

2018年 年末ご挨拶

今年も今日一日を残すのみとなりました。

Dsc_7813左 6号御料車(明治43年製造)  右 5号御料車(明治35年製造)

Dsc_74016号御料車 明治天皇御座所

Dsc_73805号御料車 昭憲皇太后御座所

今年、明治150年を迎えるにあたり、明治村でも保存している2両の御料車の特別公開が春と秋に行われました。なかなか見る機会のない御料車内をじっくりとみることができました。アップする機会がなかったので、年が変わる前にご披露しておきたいと思います。

例年年末に清水寺で発表される今年の漢字に「災」が選ばれました。
2度の大型台風による中国地方をはじめとする水害、また北海道の地震による広範囲の地滑り等々災害の多い年でした。
その災害に伴って運転された山陰迂回貨物列車を撮りに行った私自身、後ろめたい気持ちは引きずっていますが、平成という元号が来年改変されるにあたり、東日本大震災以来、数多くの災害が発生し、元の生活に戻れない人々を忘れないようにしたいと思います。

メンバーの皆様、またブログをご覧頂いている皆様、一年間ありがとうございました。どうぞよいお年をお迎え下さい。(検査掛)







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2018年12月27日 (木)

青春18きっぷ 1daytrip for 和歌山線

12月に入ってどこへも出かけていない、と言いましたが、青春18きっぷを買ってしまいました。年明けに予定があるので購入したのですが、ハナから全て使い切れるか見通しのないままという状況です。

12月25日、天気も良さそうなので、とりあえず1枚消費しようと考えた行先が和歌山線です。

Dsc_3613今回は関西線経由を選びました。亀山からのローカル、2両でしたが、2両ともキハ120 0番台のロングシート。座席にはかなり余裕があるので、列車交換で撮影に降りても席がなくなることはありません。まず、加太で。

Dsc_3617キハ120は片隅運転台で、貫通扉ガラス1枚なので、車内からしか撮れないカットも狙ってみました。かつてSL時代、有名だった中在家信号所。まだ廃止されていないようでした。

Dsc_3619さらに乗務員を苦しめた加太トンネルの入口。遮蔽幕の収納庫もそのままに。

Dsc_3621伊賀上野ではわずかな停車時間でしたが、伊賀鉄道の元東急1000系も撮ることができました。窓には「オリジナルカラー1周年」のステッカーが貼られていました。

Dsc_3622もう1回の上りローカルとの離合は島ヶ原。対向列車が先に駅に入っていたので、これも走行中の車内から撮りました。跨線橋に人が欲しかったですが、場所的にも時間的にも難しいですね。

Dsc_3624そんなこんなで加茂で大和路快速に乗り換え、王寺で再び乗り換えのため下車。和歌山線の列車まで20分程待ちます。その間に関西線が数本来ましたが、221系の先頭車にも全て転落防止が取り付けられたと思い込んでいたら6両、8両の貫通編成では併結がないので、取り付けられていませんでした。思い込みというのは恐ろしいものです。

Dsc_3641105系の車内にはこんな中吊りが。105系の総数より多いので、新在家派出所のすべての車両(117系も含む)が置き換えられるようです。

Dsc_3638一旦高田まで南下しましたが、ここでも乗り換えです。待ち時間に一旦桜井線に入り金橋で下車。畝傍で交換して来る下りローカルを撮ります。金橋の東側は高架になっていてオドロキ。この列車に乗って高田に戻りました。

Dsc_3660さて、和歌山線ですが、約4時間半かかってようやくたどり着いたので、あまり深入りはできません。お立ち台通信でチェックしていた場所は草ぼうぼうで諦め、玉手で下車。線路はほぼ東西方向で、下り列車は葛城山バックになります。北側は御所市の市街地が広がっているのですが、南側はまぁまぁ開けています。

Dsc_3692上り列車は掖上側で吉野山系がバックに入ります。この編成のクモハはWパンタでした。

Dsc_3672↑からさらに数十メートル東に行くと線路は山へと入って行きます。全く雰囲気の異なったシーンが撮れます。

Dsc_3674↑の編成のクモハもWパンタだったので、後追いも撮りました。この顔でも前にパンタがあるとカッコいいです。

Dsc_3702冬至間もない日でもあり、この列車を最後に帰途に就きました。

新在家派出所の105系にはオリジナルの3扉車も配属されているのですが、この日は残念ながら見ることはできませんでした。紀勢線と運用が分かれているのでしょうか。
227系への置換えはまだ1年余り先ですが、まぁ記録できてよかったです。
年も押し迫っての連続アップ失礼しました。(検査掛)











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2018年12月26日 (水)

ステンレスカー誕生60年

12月に入って一度も撮影する機会に恵まれていません。

というわけではないのですが、雑誌のとある記事に目が留まりました。日本で旅客用ステンレス車両が走り出したのが、1958年12月1日、今から60年前のことになるそうです。(機関車としては既に一部のEF10に1951年に登場しています。)
その車は東急5200系。その記事によれば国鉄サロ153形900番台より20日早かったそうです。5200系もサロ153形900番台も骨組は普通鋼製のセミステンレスカーと言われるものでした。

19856171985年6月17日 沼部・多摩川園
5200系は4両のみで、物心ついたときは大井町線で運用されていました。この電車についたアダナが「湯たんぽ」。思わず、ナットク!ってカンジですかね。その後大井町線(→田園都市線)が長津田方面に延伸されると、輸送力増強にともない、5000系1両を中間に挟んだり、基本4連に5000系McMcを連結して6連になりました。後年目蒲線に移動し3連化、1986年上田交通の1500V昇圧の折、同社に先頭車2両(部品取りとして中間車1両も)が譲渡されました。未だに2両とも現存するのは皆さんご存知の通りです。

Img255撮影日不明 多摩川園前・新丸子
2年後の1960年に同じくセミステンレスカーとして登場したのが6000系です。5200系共々側窓下部で「く」の字に折れ曲がった車体が特徴でした。まだアメリカのバッド社と溶接技術の提携前の事です。前面もこの頃の流行で、京王5000系や伊豆急100系によく似たタイプでテールライトが角型になっています。

19792241979年2月24日 田園調布
そして、さらに2年後ついにオールステンレスカー7000系が運転を始めました。初めて見たときは、トボけた顔だなぁという印象でした。
もともとは営団地下鉄日比谷線乗入れ用としての登場でしたが、その後増備され、東横線急行用、さらには大井町線用に数年に渡り製造されました。大井町線用に1965年に増備された先行車両が一時、当時東横線の都立大学・学芸大学間にあった碑文谷工場に留置されていたことがあり、小学生の私は、同工場の近くの友人宅に遊びに行ったときに見に行ったことを今でも覚えています。

これらの車両はあまりにも身近すぎて、ほとんど撮影していないのが悔やまれます。
今ではすっかり主流となっており、撮る対象ではないなぁ、なんてボヤいているステンレス車両ですが、自分とほぼ同じ歴史を辿っていることを考えれば、そんなに毛嫌いするのも・・・。
東急7000系は北陸鉄道をはじめ、全国の中小私鉄に譲渡され、現在もあちらこちらで現役で活躍しています。東急に最後まで残った15両が、近々最寄の養老鉄道に譲渡されるようなので、楽しみです。(検査掛)

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2018年12月22日 (土)

飯田線のクモハ52と仲間たち 1978年夏

中央西線の70系からすこし間が空きましたが、1978年の短い夏休みの続きです。
飯田線を撮影したのは8月17日~19日です。


8月16日はどこに泊まったかは全く覚えがありません。その頃仲間たちが飯田線詣での折に定宿にしていた新城の商人宿に投宿したのではないかと思いますが・・・。

817k東上・野田城
東上で降りたのですが、インカーブは草が高く、仕方なくポールのあるアウトカーブ側で撮っています。雨が激しく降る中撮った、広窓、張上げ屋根のクモハ52004が最後部の豊橋行のこの1カット以外、ロクなデキではありません。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

817a大海・鳥居
東上・野田城間で本数を稼ぐつもりが、雨でめげて次に降りたのがここです。先ほどの52004先頭の貫通編成(トヨ30番台運用)が雨を弾きながらやって来ました。

817b鳥居・長篠城
↑の編成がおそらく本長篠折返しだったようで、当時有名だった豊川の橋梁上で撮っています。

817g三河槇原・柿平
ここも駅そばで宇連川を入れて撮れる場所で有名でした。ようやく前後クモハ52の編成が撮れました。52005はなぜか偶数向きでした。

817c東栄・出馬
徐々に北上し県境に。両数から言えば流電よりも貴重なAの子クモハ53008と32系の貴重な生き残りのクハ47009が橋を渡って行きます。

817i以前はこのように離れた場所からでも川の流れを入れて撮れました。なんとか4両いけましたね。119系の最後の頃に再度訪れてみましたが、木々の成長で、今では1両も抜けませんでした。

817j再び52004が戻ってきました。が、カラーも撮っていないし、メインの中央に架線柱を挟んでしまいました。

817h東栄
駅に戻ってさらに北上します。来たのはトヨ41運用、40番台の基本編成はクハユニ56+クモハ50+クモハ50なのですが、先頭はクモハ54が充当されることが多く、基本通りの編成は初めて見ました。この編成、東急(目蒲線)っぽくて好きでした。この列車でおそらく中部天竜へ向かって泊まったものと思います。

817d城西・向市場
翌18日朝一、飯田線の迷所?に向かいます。クモハ43先頭のママ70番台運用重連の編成が霧に煙る「渡らずの橋」を豊橋に向かいます。

817e_2河原に降りて荷電2両を連結した245Mを撮りました。この列車は豊橋を4時台発の荷2041Mとして中部天竜まで運転され、そこから旅客営業されます。通常はクモニ83100番台とクモニ13各1両ずつですが、この日は珍しくクモニ13 2両でした。

817f_2飯田発の上り一番電車はトヨ34運用の638M。前日からの繋がりで52004の編成が来るので、後追いで狙いました。ようやく日も差してきましたが、鉄橋はまだ山影の中。

818c_2早瀬・下川合
一旦中部天竜を挟んで豊橋方に戻りました。ここは撮影場所として見たことがありませんが、恐らく当時の仲間から天竜川を手軽に入れられると聞いて行った場所と思います。50番台はトヨの2連運用です。両運転台のクモハ42は便利な車両のため、窮屈な片隅運転台ながらいろいろな運用に入っていました。

818d_2下川合・中部天竜
狙いどころは下川合駅への橋を渡った中部天竜側です。残念なことに52001の乗務員扉が開きっぱなしでした。きれいに狭窓で揃えられていますが、実はこんな編成はほとんど見たことがありません。廃止間近になって組まれたもので、トヨの検修担当の粋な計らいでした。もっとも出自はクモハ52が関西、サハ48は横須賀線と相異なるものでしたが。

818a平岡・為栗
昼頃にはここ平岡ダム湖畔に移動したようですが、肝心の流電編成はほとんど失敗しています。ということでトンネル直前の開けた場所でのものはアップできません。

818bこれを最後に移動したようです。
この後、金野、千代あたりをうろついていますが、あまりいいところでは撮れていません。
この日も寝屋はわかりません。

819a千代・天竜峡
19日はここから撮り始めています。最初はわざわざ逆光となる河原で撮っていますが、いうまでもなくどうしようもない出来です。
このショットは私としては貴重な1カット。先頭のクハ47011、スタイルは32系の同形に似ていますが、元は17m車の災害復旧車の改造名義です。台枠も含めて車体はほぼ新製、平妻ながら窓もHゴム化されず、前照灯も埋め込まれなかった変わり種です。台車も他のクハ47とは異なり、発生品のTR11を履いています。
この場所は以前の電車運転士様の記事通り、今となっては三遠南信道の橋の下となり、撮影できなくなってしまいました。

819d恐らく千代・天竜峡間だと思いますが、どうやって辿り着いたのか思い出せません。

819e↑の次のコマがこれですが、どうやって天竜川を渡ったのか?この場所も他で見たことがないのですが、恐らく今では天竜川も見えなくなっているのでしょう。

819b伊那本郷・飯島?
場所が正しいかどうか怪しいのですが、53008を撮りたくて来たのだと思います。

819c天竜峡
めったに撮らない夜景ですが、流電ゆえに撮りました。この後は中央線落合川へと続きますので、この日の宿は間違いなく「アルプス」→夜行「きそ」でしょう。

 

この後、流電の魅力にハマって11月まで幾度となく飯田線を訪れることとなりました。(検査掛)

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2018年12月13日 (木)

中央西線の70系 1978年

本年2月に愛知環状鉄道開業30年関連で、1978年当時の岡多線の70系をご覧頂きましたが、まもなく2018年が暮れることに寄せて、40年前に一緒に撮影した中央西線の70系をアップします。
1978年の夏は学外の研究所に通っていて、夏休みは一週間ほどしかもらえませんでした。そのうち8月15日から20日まで、まもなく置き換えられることになっていた中央西線の70系と、飯田線の流電他旧型国電を撮影に出かけました。
15日の大垣夜行で出発したのは間違いないのですが、以後どのような行程だったのかハッキリ覚えていません。が・・・。

Img4591978年8月16日 神領・高蔵寺
当時は全く撮影地がわからず、とりあえず多治見方へ向かって、初めて開けた場所だったのがここだったように思います。国鉄時代でもニュータウン(死語?)のあった高蔵寺までは本数が多く、稼げたこともあったと思います。当時この区間の沿線にはほとんど住宅がありませんでした。
まだ前面窓が鋼板押さえのクハ76も存在しました。

Img6561978年8月16日 神領・高蔵寺
こちらは全金300番台のクハ76を先頭に名古屋に向かう10連。地元の方ならお分かりと思いますが、奥の鉄塔が上の写真左のものです。

Img4621978年8月16日 神領電車区
研究所から紹介状をもらってここを訪問しましたが、あまり大した写真は撮れませんでした。本線側に近い線に、予備車が数珠繋ぎになっていました。
(80系4両+70系2両+80系1両+101系2両+165系4両)

この後、岡多線で70系を撮って、翌日以降飯田線に向かいました。

Img4331978年7月20日 落合川・坂下
再び中央西線に戻ってきたのは20日です。70系は南木曽?まで乗り入れていました。ここは今、立てますでしょうか?

Img4371978年7月20日 恵那・美濃坂本
その後こちらに移動してますが、理由はわかりません。

Img4401978年7月20日 多治見・土岐市
さらに移動してこちらに。

Img7431978年7月20日 古虎渓・多治見
土岐川を入れようと古虎渓で降りました。線路脇の側道でここまで来られたように思いますが、今はダメでしょうね。

Img742_2上の70系の前に突然貨物が来たので慌てて撮ったら、EF64 1号機でした。

Img765

1978年7月20日 勝川・春日井
夕方になって春日井に来ました。今は高いフェンスが立っていて全く撮影できませんが、40年前は線路と隔てる物は全くありませんでした。これを撮って帰京したようです。(逆光だったためか、先頭からは撮っていません。)

途中の飯田線の記録は別途ご覧頂きたいと思います。(検査掛)

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2018年11月30日 (金)

明治村 京都市電と紅葉2018

11月24~25日、某所に遠出し、11月はこれが最後の鉄活動と思っていたのですが、天気予報が突然☂から☀に変わった28日、紅葉の見頃でもあり、せっかくなのでブラっと明治村に出かけてみました。2年ぶりの訪問です。

Dsc_3523まずは、10:00始発のN電を名古屋駅で迎えます。基本的に順光になる場所はないのですが、ここはクヌギ?の黄葉が半逆光で映えます。

Dsc_3491名古屋まで来たので、SLの駅も覗いて見ました。SLの沿線で紅葉は名古屋駅周辺のみなのですが、アングル的にはこれが精一杯です。村内でも有数のモミジの名所ですが、ちょっと黒ずんだカンジでした。

Dsc_3495N電に戻り、逍遥の小径から先ほどの黄葉を狙いました。

Dsc_3526青空に黄葉が映えてきれいだったので、少し京都七條寄りでもう1本待って撮りました。

Dsc_3506七條坂途中にオレンジの鮮やかなモミジがありましたが、松の枝が邪魔でピンポイントでした。(これでも苦しい(^-^; )

Dsc_3538京都七條のモミジに日が廻るまですこし待って撮りました。2年前に比べると色が今一つで、うわさに聞く台風による塩害が影響しているようです。

Dsc_3600昼を過ぎるとだいぶ雲が広がってきてしまいました。2丁目をバックに勾配を登って行きます。

Dsc_3604_21丁目の山をバックに京都七條に到着するN電。こちらも2年前に比べると曇ってきたことを差し引いても鮮やかさが今一つ。

この後、日本庭園に行ってみましたが、今年は木が切られておらず、電車が抜けるところがありませんでした。雲も厚くなってきましたので、撤収しました。(検査掛)
















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2018年11月16日 (金)

2018年秋 しなの鉄道北しなの線に115系を訪ねて

家族運用で11月10日~13日、長野に行くことになりました。期せずして昨年と同時期となりました。中2日はフリーとなるので、弥彦色の出た越後線の115系への遠征も考えたのですが、天気予報を見ると、新潟地方は☓。ということで、予報では☀の近場でに甘んじることにしました。

Dsc_2878ところが、予報ではいわゆるバリ☀となるハズが、目覚めてみると、宿のある山ノ内町周辺上空は晴れているものの、善光寺平は深い霧の中。そういえば、昨年も2日目は早朝は霧が出ていたな、と思いだし、少し時間が経てば消えるだろうと、高をくくって出かけました。
北しなの線唯一の5連 314Mを個人的お立ち台で待ちましたが、結果はご覧の通り。とても去年のように北アルプスを遠望できるわけもありません。

Dsc_2900信濃町方は霧が晴れつつあったので、向かいました。黒姫すら中腹から雲の中なので、戸草地区に行ってみました。晴れては来ましたが、順光側に広葉樹がなく、どうにかメタセコイア?黄葉でガマン。

Dsc_2905この日、北しなの線では、湘南色のS3編成が午前中1往復と、昼前までの一次信州色のS7編成が狙い目。S3はこの322Mの後は東に行ってしまうので、大事な1本。どうにか晴れ間に行ってくれました。

Dsc_2924紅葉を探しながら北に移動しましたが、どこも今一つで、沿線の草も高く、信越大橋まで来てしまいました。以前見た写真では黄色の木々に囲まれている雰囲気だったのですが、色付いているのはアウトカーブだけ。直線区間は針葉樹で、インカーブ側は気が伐採されて、新たに落石止めが設置されていました。おまけに一次信州色のS7が来る頃には全天雲に覆われ、ご覧のとおり。

Dsc_2931北が曇ってきたので、善光寺平に降りてきました。霧は晴れていましたが、北アルプスまではさすがに見えませんでした。やむなくようやく色付き始めた山をバックにS7編成の328Mを撮って終了です。(豊野の紅葉がこの程度では長野以東の紅葉は期待できないので・・・)

Dsc_2977翌12日も善光寺平は霧の朝を迎えていました。しかし、昼食後には晴れてきたので、まぁ行くだけ行ってみるか、と出かけました。この日、標準色以外で北に入線してくるのは、ナント、クラウドファウンディングで寄付を募ってコカ・コーラ色になったS11編成と二次信州色のS15編成。勢い機先が削がれます。しかし、コカ・コーラ色はまだ見ていないので、1回くらいは撮っておこうか、という気で向かいました。
当初は、前日に328Mを撮ったあたりで、S7の333Mをリンゴとコラボさせようと探したのですが、思うようなアングルが採れず、急ぎこちらに移動。雲が湧いてきて、ご覧のような状態になってしまいました。

Dsc_2991333Mと黒姫交換で、S15編成の332Mがやって来るので、急いでリンゴを探しました。いい色のリンゴを見つけましたが、曇ってきてしまいました。

Dsc_3004もう少しリンゴをアップでS7編成の折返し334Mを狙おうと歩き回りましたが、畑の中では収穫が始まっていて、立ち入るのは気が引けたので、これが精一杯でした。この後さらに暗くなってきて、気力が萎え撤収しました。

しなの鉄道は、先月出場の2連S26編成をスカ色にしたほか、今月15日には台湾鉄路管理局とのタイアップで、3連S9編成を自強号色(どんなセンスしてるンでしょう・・・┐( ̄ヘ ̄)┌ )にしてしまいました。スカ色はいいとしても、しなの鉄道の塗色変更はどこまで行くのでしょうか。な~ンて文句言いながらもまた撮りに行ってしまうのでしょうね。きっと。(検査掛)













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2018年11月 8日 (木)

養老鉄道 コスモス通信

某サイトに出ていたので、本日11月8日、急ぎ行ってみました。

Photoアップから一週間経っていましたが、花はまだまだ十分な咲き具合でした。これは853レですが、ケーブルの影が窓上に掛ってしまっています。また、このスパンは高圧のケーブルも入ってしまいます。

Photo_2同じ列車で、2スパン大垣寄りに振った感じです。高圧のケーブルを避けることができますが、架線柱のケーブルがさらに目立った位置になってしまいました。

Photo_3約20分後の950レです。ケーブルの影は窓の下まで下がりました。これ以上右には振れません。東急7700系の入線により、相当数が淘汰されるであろう3連は今のうちかも。

Photo_4さらに20分後の951レです。時刻はほぼ10時で、そろそろ光線が厳しくなってきたので、ここはこれで撤退しました。

Dsc_2852”センロク”の折返し1050レをこちらで撮って養老鉄道を後にしました。山が色づくのはもう少し先のようです。

コスモスは週末まではもちそうなので、お近くに出掛けられる際には寄ってみてはいかがでしょうか。(検査掛)













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2018年11月 6日 (火)

オリエント急行が来た!~ORIENT EXPRESS'88~

まもなく元号が変わりますが、30年前の「昭和」が終わろうとしていた1988年の今頃、鉄道界に一大イベントがありましたね。フジテレビが開局30周年の記念事業として、あのオリエント急行を日本で走らせる、というビッグイベントです。鉄道ファンならずも、その運行には胸躍らせたものです。
企画がJR東日本ということもあり、当初はあまり私の住む地域を通過することがなく、撮影する機会に恵まれませんでしたが、それでも日本での営業が終わる12月25日までに何回か撮影に出かけました。
メンバーの皆様も幾度となく出かけられたとは思いますが、30年の節目にアップしておきたいと思います。

Img37811月5日 丸岡・芦原温泉
この日は珍しくメンバーの首席助役様からお誘いがあり、これのみを撮りに北陸に出掛けました。太平洋側はそれほど悪い天気ではなかったように思いますが、本命が来る頃には横殴りの激しい雨となってしまいました。幸い風は南からだったので、どうにか撮ることができました。この後、福井?での停車を利用して北陸トンネル出口で撮りました。

Img41211月11日 藤枝・六合
国内ツアーの間に、各主要駅で展示されたのですが、この日は静岡での展示の後、名古屋(熱田)に移動する日でした。牽引が当時のJR東海の珠玉、EF58 122でもあり、また、撮影できるのが、静岡近郊に限られることもあり、数少ない編成が撮れるこの場所にはかなりの数の同業者が集まっていました。駅長様の姿も・・・。
実はこの前日、職場の旅行で鳥羽で一泊していたのですが、解散後、近鉄特急に飛び乗り、新幹線に乗りついで、なんとかここに間に合いました。

Img38711月13日 名古屋
一日置いて、名古屋地区での展示が、熱田で行われました。名古屋車両区で留置された編成は、早朝、EF58 122に引かれ熱田まで回送されました。名古屋10番線からの発車で、14両では広角でどうにか編成を入れることができました。

Img91811月23日 長浜・虎姫
東京発着の関西、山陽方面ツアーは専ら北陸線経由でしたが、湖西線ではなく、米原を回っていました。朝食の用意でしょうか、3両目の1286号からは煙が立ち昇っています。

Img91911月23日 田村・長浜
長浜、米原とこまめに停車していくので、追い抜いて短時間で3回チャンスがありました。

Img44011月30日 木曽川・岐阜
この日は数少ないJR東海管内を走る日、定番でとりました。この頃は側道は畔状態で、また☓☓通信で紹介される前で、線路に張りついて撮るような人間はいませんでした。

Img93312月7日 熊谷・籠原
関東に行く機会があり、ツアーが戻って来る日に高崎線にいきました。私がオリエント急行を撮ったのはこれが最後となりました。

オリエント急行はこの後、12月23日の上野発のD51 498~EF58 61牽引で有終の美を飾り、同25日帰着で約2か月に渡る全行程が終了しました。
今振り返ると、凄いイベントでしたが、今ほど激パになることはなかったように思います。
まだまだヨーロッパにはこのような素晴らしい列車、車両が残っていますが、そう簡単に行けるわけもなく、またこのような企画が(生きているうちに)日本で行われることを期待したいです。(検査掛)













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2018年10月30日 (火)

検査掛 10月のまとめ

9月に2回の山陰への遠出した反動で、10月は遠出を控えた?のですが、振り返ってみるとそれなりに出掛けました。メンバーの方々にいろいろと情報を頂戴したので、そのお礼を込めて?報告させて頂きます。

Dsc_208710月3日
まずは、3日。山陰の迂回貨物の運転が諸事情により延長になった、との情報を得て、10月に入っても6287レがDE10によって代走されているようでした。そうなると
、単8270レが重連単機で運転されることが予想されたので、ここへ行ってみました。久しぶりに資材担当様に会ったのですが、彼が1592号機が入っているといいな、と期待した通り、向きの異なるDE10の重連が実現しました。

Dsc_210910月7日
この日は家族運用。「美濃あかりアート」に行きたい、と前々から言われていたので、早めに出かけて長良川鉄道に寄り道しようと画策していたのですが、出発が遅れて、そちらは断念。唯一寄れたのがここ旧美濃駅。3両と1あたま、相変わらず外観はきれいに保たれていました。

Dsc_213710月13日
山陰の迂回貨物の運転は終了しましたが、まだDD51は帰区していないようなので、6287レはDE10が代走していることを確信し、4時半起きで塩浜地区へ。あろうことか駅長様にお会いしました。

Dsc_217710月14日
この日も家族運用。9月末で終了した某局の朝ドラの舞台へ。行きがけに走行をどこかで撮ろうとしたのですが、間に合わず断念。帰りがけ、どうにか岩村駅に寄ることで妥協し、新旧の交換を撮りました。

Dsc_221910月16日
この日も6287レを撮りに四日市地区を目指したのですが、国道の事故渋滞に巻き込まれ間に合いませんでした。仕方なく関西線の貨物を撮りつつ名古屋方面に戻りながら、DE10繋がりで名古屋港線の運転日ということを思い出し、寄ってみることにしました。
レール輸送がキヤに変わった頃に訪れたのが最後で、10年程は来てません。最初はその時に撮影した九号団地そばのショッピングセンターに行ったのですが、さすがに10年の年月は木を育てるには十分な期間で、アウト。仕方なく順に南に下がって、ようやく引きがとれる場所にたどり着きました。なぜかやたらに1727号機に当たります。

Dsc_222910月20日
リベンジを期して塩浜地区を目指しました。今回は海山道駅横で陣取りました。13日から一週間が経ち、陰もだいぶ長くなってきましたが、今回はタキが10両と短かったので、あまり影響を受けずに助かりました。この日も帰りがけの駄賃で、名古屋港線によって帰りました。

Dsc_227910月25日
情報通の方から、「サロンカーなにわ」が琵琶湖を時計回りするとのメールを頂き、プー太郎の身の気軽さから、湖北地方へ出かけました。平日とあって、こんなオマケも来ました。情報にはありませんでしたが、JRWのキヤ141系は初ゲットです。

Dsc_2320予報ではド晴天のはずでしたが、湖北地方特有の雲が流れる天気で、本命の通過時、危うくマンダーラになりそうでしたが、どうにかズーミングして難を逃れました。

Dsc_2331サロンカーの折返しまでしばらく時間が開くので、一旦敦賀に出ました。敦賀港の旧赤レンガ倉庫群がミュージアムになっていて、アチハが保管していたキハ58を敦賀市が譲受けて展示してあるとのことだったので、覗いてみました。
この後、小浜線の125系を市内で撮影し、南へと下がりました。

Dsc_2344サロンカーの復路は当初木ノ本の北側で撮ろうと思っていたのですが、ナント工事中で断念。仕方なく、北びわこ号回送のポピュラーな撮影地に行くと、各ポールにびっしりと同業者が張りついていて、どうにか8両抜ける場所を確保。ドピーカンのなか通過していきました。

Dsc_2346せっかくなので、直後に来る4076レを撮って撤収しました。

Dsc_254210月26日
翌日も仕事はありません。もう一度サロンカーという選択肢もあったのですが、前日より下り坂ということもあり、そちらはパス。☓☓ダスの○○の一枚で、三岐鉄道北勢線の東員以外でコスモスが咲いている場所に行きました。まず最初に三重交通色が撮れてラッキーでした。

Dsc_2548東員と違うのはバックに建物が入らないということですが、どう考えても私有地なので、☓☓ダスのように撮るのは気が引けたので道からのみにしておきました。ここは10時くらいまでが限度なのでこの後東員に行きました。

Dsc_2573とりあえず駅に行くと、ちょうど到着した阿下喜行からカワイイ団体さんが降りてきて、構内踏切を渡り始めたので、1カット頂きました。この子たちはてっきりコスモス畑に行くと思っていたのですが、車を置きに行ってるうちに見失ってしまいました。東員の様子は出札掛様のアップに譲ります。

Dsc_2500東員で1時間ほど撮影した後、同じ三岐鉄道の三岐線に移動。とりあえず以前コスモスが咲いていた場所に行ってみました。東員のあとでは広さと密度はイマイチですが、他を知らないので、とりあえずここで撮ってみることにしました。が、急に雲が覆ってきて電車数本で撤収しました。

Dsc_260810月28日
10月の日曜日はほとんど家族運用の予定が組まれていたのですが、交渉の末最後の日だけは自由を得ました。そして出かけたのはまたまた滋賀県。本来であれば、D51 200牽引になっていたはずの「北びわこ号」にC57 1が充当されているので、なんとか撮っておきたいと出かけました。
さて、撮影地ですが、一回っきりとなるとどうしても煙は欲しいところ。メンバーの皆さんからことあるたびに聞いていたのですが、結局河毛ダッシュにしました。微妙に手前に風が来ていたので心配しましたが、幸い列車に掛ることはありませんでした。

Dsc_2626折返しの回送は伊吹山バックの編成真横をトライしてみました。

Dsc_2645帰りがけに車両置換えが迫る養老鉄道を久々に訪れてみました。全く下調べをせずに行ったのですが、運よくラピット色が来ました。

Dsc_2649沿線は稲刈りが盛んであまりいい時季ではありませんでしたが、養老の山々が紅葉に変わる頃にまた訪れたい場所でした。

週末しか鉄ちゃんできないカタギの方々には申し訳ないことですが、私にとっては晴天に恵まれたいい10月でした。
情報を頂いたり、現地でお会いしたメンバーの皆様、ありがとうございました。
(検査掛)












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