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2020年7月19日 (日)

644.1982年冬 北の大地で撮り鉄行脚 3号車 津軽鉄道 1982/2/12

 青森STHを早朝にチェックアウトし、奥羽本線→五能線と乗り継いで津軽鉄道に向かいました。前日の大雪は小康状態となり、予定どおり乗換駅の五所川原に到着しました。雪は止んでいたものの上空は雲に覆われ、岩木山の姿を望むのは厳しい状況でしたが、冬場に見えること自体が奇跡に近い状況なので、想定内のこととして撮影を開始しました。

 

※撮影は1982(昭和57)年212日の津軽鉄道(電車運転士)

 

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 五所川原からの乗り継ぎ列車はストーブ列車でした。五農高前で高校生が下車した後の車内は地元客の社交場みたいな雰囲気になっていました。ダルマストーブの温もりが車内を包んでいました。
【1982.2.12 オハ31車内】

 

 

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 ストーブ列車は嘉瀬で下車しました。軒先の大きなつららが冬の寒さの厳しさを物語っています。
【1982.2.12 嘉瀬】

 

 

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 雪の壁の上でスタンバイしていると下りの混合列車が到着しました。客車よりも貨車の方が長い本格的な?混合列車です。
【1982.2.12 嘉瀬】

 

 

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 列車が到着すると乗客が駅舎からホームに出てきました。女性陣は頬かむりで完全防備している人が多く見受けられました。
【1982.2.12 嘉瀬】

 

 

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 走り写真を撮るため、金木方向の築堤で列車を待ちました。来たのは国鉄のキハ11を譲受したキハ24025と24026です。この頃は10系気動車の置き換え時期に当たっており、各地の非電化ローカル私鉄では国鉄から譲り受けた10系気動車が活躍する姿を見ることができました。
【1982.2.12 嘉瀬~金木】

 

 

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 津軽中里からストーブ列車が戻ってきました。後ろ3両がダルマストーブを積んだオハ31で、1両目は元西武鉄道の電車から改造されたナハフ1200です。ナハフ1200は灯油を使用する独立した暖房装置を積んでいたので、機関車からの暖房供給は不要でした。3両あったオハ31の1両(オハ31 1)は国鉄時代の姿に復元され、大宮の鉄道博物館で大切に保存されています。
【1982.2.12 嘉瀬~金木】

 

 

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 金木に上りの混合列車が到着しました。構内踏切を塞いだかたちで停車したので、乗客が足止め状態となっています。機関車は貨車を連結したまま左の側線にいる貨車を迎えに行くため、大入換が始まります。
【1982.2.12 金木】

 

 

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 入換が始まって構内踏切が通れるようになると乗車客が一斉にホームに移動します。列車は入換が終わるまで発車を待たなければならず、何とものんびりしたダイヤです。混合列車ならではの光景です。
【1982.2.12 金木】

 

 

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 入換が終わって再び客車の前に貨車と機関車が連結されました。間もなく五所川原に向かって発車となります。
【1982.2.12 金木】

 

 

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 津軽鉄道は各主要駅での人の動きが活発で、活気が感じられました。とくに冬場はその傾向が強かったようです。道路の除雪体制が今ほど整っていなかったこと、地吹雪でホワイトアウトした時の危険性に加え、この手のローカル私鉄としては概ね40分間隔という破格のフリークェンシーを提供していたこと、冬季でもダイヤどおりの運転が確保されていたこともあって、沿線住民の信頼度が高かったことによるものと思われます。
【2枚とも 1982.2.12 金木】

 

 

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 金木は腕木信号機とタブレット閉そくが現役でした。これは今でも継続されているようで、貴重な鉄道風景です。
【1982.2.12 金木】

 

 

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 桜の季節は大賑わいの芦野公園も冬の時季は訪れる観光客は皆無で、静かなたたずまいが周囲に漂っていました。オフシーズンは時折、地元利用客が乗り降りするだけで、桜の時季の喧騒が嘘のようです。
【1982.2.12 芦野公園】

 

 

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 この日の津軽鉄道最後の目的地は津軽飯詰としました。今は行き違い設備が撤去されてしまいましたが、当時は金木と並んで定期的に行き違いが行われていました。ここも沿線の主要駅のひとつで、列車到着のたびに人の動きがありました。この時の津軽鉄道訪問は、生活感を題材にしたいと思い、走り写真よりも人の動きを入れたシーンにたくさんカメラを向けてしまいました。
【3枚とも 1982.2.12 津軽飯詰】

 

 渡道前に蒲原鉄道・南部縦貫鉄道・津軽鉄道と3日間の寄り道をしてしまいましたが、これでやっと津軽海峡を渡り、本来の目的地である北の大地に上陸することになりました。

 

 

●次の目的地 函館(山)本線

 

●移動行程 五所川原→青森→青函連絡船27便→函館→41列車→ニセコ

 

 

 

 

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コメント

悪天候の多い厳冬の地では地元の人々の大切な足として鉄道の存在が大きかったことと思います。決してイベントではなく、ありのままのシーンをとらえた混合列車やストーブ列車。そして乗降客の賑わいからも津軽鉄道が重要な位置づけにあったことがうかがえます。利用者の服装なども当時を表しており、印象深く感じました。今ではNGかもしれませんが、このような人物写真にも手掛けることが大事ですね。(出札掛)

投稿: 出札掛 | 2020年7月20日 (月) 22時32分

 冬の津軽鉄道、地吹雪もあって撮影は楽では無いですが、それだけに狙い方次第で良い写真が撮れますね。この時には、走りよりも駅で地元の方を入れての撮影が中心のようで、利用者も多く、冬の津軽鉄道らしい雰囲気がよく出ています。オハ31やキハ11改造のキハ24000の時代は1~2度訪れる機会があっただけですが、もっと訪れて撮っておけば良かったと思う次第です。(駅長)

投稿: 駅長 | 2020年7月31日 (金) 23時50分

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