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2020年6月14日 (日)

640.1982年冬 北の大地で撮り鉄行脚 1号車 蒲原鉄道 1982/2/10

 

 新型コロナウィルス関係、国の緊急事態宣言は解除されたものの、県をまたがる移動は都道府県によって対応が異なるようなので、もう少し、過去ネタでつなぎたいと思います。1982(昭和57)年の冬は、前年に続きワイド周遊券片手に北海道で撮り鉄行脚を敢行していました。ご紹介が長丁場になりますが、懲りずにお付き合いただけると幸いです。


 

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  この年は北海道には直行せず、道中、ちょっと寄り道してから北海道入りしました。最初の寄り道は新潟県の中部を走っていた蒲原鉄道です。前々年が初めての訪問でしたが、田舎電車そのものといった雰囲気に魅了されてしまい、再訪を誓った上での2回目の訪問となりました。

 

 ※撮影は1982(昭和57)年210日の蒲原鉄道(電車運転士)

 

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 蒲原鉄道へは米原から「きたぐに」に乗車、長岡で普通電車に乗り換え、加茂から蒲原鉄道入りしました。当時の「きたぐに」は10系寝台車と12系座席車の組み合わせでした。長岡はこの年11月開業予定の上越新幹線の工事が最終段階で、「きたぐに」の到着ホームは新幹線駅の高架下になっていました。
【1982.2.10 長岡】

 

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 最初に向かった先は行き違い可能駅の七谷です。前夜に降雪があったようで、ありがたいことに周囲の山々はクリスマスツリー状態になっていました。モハ61(←西武鉄道←武蔵野鉄道)と武骨な前面2枚窓のモハ41が顔を合わせました。
【1982.2.10 七谷】

 

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 あまりにも雰囲気がよかったので、次の列車まで七谷に留まりました。嬉しいことに雲の切れ間から一瞬日が差し、雪晴れの状況となりました。
【1982.2.10 七谷】

 

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 その後、徒歩で村松方面に移動しました。切通区間で電車を待っていたところ、全線開業時からの生え抜きのモハ12が来てくれました。前回は村松で留置中の姿しか撮れなかったので、どうしても走行写真が撮りたかった車両です。どんな構図にしろ、モハ12を撮ることができたのは大満足でした。
【1982.2.10 七谷~冬鳥越】

 

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 場所を少し移動して次の電車を待っていたところ、いきなりED1のラッセルが現れました。てっきり村松でお休み中と思い込んでいたので、想定外のできごとはモハ12と合わせて2重の喜びとなりました。
【1982.2.10 七谷~冬鳥越】

 

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 冬鳥越の目の前はスキー場になっており、最上部からの俯瞰に挑戦しました。さすがにスキー板を履かずにリフトに乗る勇気は持ち合わせていなかったので、奇異の視線を感じながらゲレンデの隅っこをえっちらおっちらと登りました。ゲレンデは地元小学生のスキー教室で賑わっていました。
【1982.2.10 冬鳥越】

 

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 ゲレンデの頂上からは七谷方向を望むことができました。同じポジションでまったく異なるシチュエーションを楽しむことができる美味しいポイントでした。苦労して登った甲斐がありました。
【1982.2.10 七谷~冬鳥越】

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 せっかくモハ12が動いているということで、車両メインのカットも押さえておきました。1930(昭和5)年生まれの当時でもレトロなスタイルは好ましく感じました。
【1982.2.10 冬鳥越~土倉】

 

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 撮影しながら村松方向へ移動を続けました。モハ12は途中で入庫することなく終日運用に入っていたみたいで、繰り返し撮影できたのはありがたかったです。
【1982.2.10 土倉~高松】

 

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 これまで小康状態を保っていた天気も夕方近くになって雪が激しく降り続く状況に変わり、視界がきかないこともありました。幸い電車通過時は小降りになってくれたので、何とか撮影できました。
【1982.2.10 高松~大蒲原】

 

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 降りしきる雪の中、降車客が足早に家路を急ぎます。高松はホーム上に簡素な待合小屋があるだけの簡素な造りで、いかにもローカル線の駅といった雰囲気が田舎電車にベストマッチでした。
【1982.2.10 高松】

 

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 明るいうちに何とか村松にたどり着くことができました。夕方のラッシュに備えてモハ81(←越後交通)=モハ31=モハ71(←西武鉄道←武蔵野鉄道)の3両編成がスタンバイしていました。モハ81は収容力が大きいため、朝夕のラッシュ時がおもな活躍舞台でした。
【1982.2.10 村松】

 

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 蒲原鉄道の撮影終了後は五泉から磐越西線の列車に乗車、郡山に向かいました。途中、野沢で長時間停車があったので、夜間撮影に勤しみました。もう少しSGの蒸気が上がってくれたらもっと夜汽車の雰囲気が出たと想像できますが、贅沢は言えないです。郡山からは「八甲田」の乗客となり、東北本線を北上しました。
【1982.2.10 野沢】

 

●次の目的地 南部縦貫鉄道

●移動行程 郡山→「八甲田」→青森→千曳→(徒歩)→南部縦貫鉄道(西千曳)

 

 

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コメント

当時の自分は、こうしたローカル線に興味を持つことが出来ず、今に思えば見逃していた路線のなんと多いことか。蒲原鉄道も、冬に訪れたにもかかわらず加茂駅近辺でただ「撮った」だけで、こうした風景写真には踏み出せずにいたところ、その良さに気が付いたころには廃止・・・。それにしても、スキー場の目の前を電車が走るとは、なんという贅沢。スキーと鉄チャンがいとも簡単に両立できるとは、まさしくローカル線の良いところを見させていただきました。(自宅PC故障につき更改待ちの出札掛)

投稿: 出札掛 | 2020年6月18日 (木) 18時04分

豪雪地帯を走る蒲原鉄道。景色にも恵まれ、情緒満点のローカル私鉄でしたね。私も2月の連休に撮りに行った記憶があり、ひょっとしてニアミスだったかと調べてみたら1980年でした。さすがに冬鳥越のスキー場までは登っていませんが、同じような場所で撮った写真はあります。ラッセル車や開業時のモハ12まで動いていたということで、羨ましい限りです。もちろん、今の時代にはこんな路線は残っていないですが、もし、残っていたら大変な人気になるでしょうね。(駅長)

投稿: 駅長 | 2020年6月19日 (金) 21時46分

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