« 直通急行 | トップページ | 8月10日 »

2020年5月13日 (水)

EH10 マンモス貨物機関車の数少ない記録

皆さん如何お過ごしですか?
STAY HOMEからそろそろ1ヶ月が経ちます。34府県の緊急事態宣言が明日14日にも解除されるとの報道の中、特定に指定された我が愛知県も、などと報じられています。確かに一日の陽性反応数は減衰しているものの、そもそもの検査数の少なさから考えると発表の数字をそのまま信じることに疑問を感じます。このまま解除されると、いままで抑えられていた人々の欲求が一気に噴出し、感染爆発が起こって、怖ろしい第二波が訪れるのではないかと危惧されます。

それはさておき、自身体力の衰えを感じつつ、少しずつ今までの整理をしております。
しばらく前にアップした1980年の記録を見て行くうちに、改めて目についたのがマンモス電機 EH10でした。調べてみると、翌81年4月1日に全ての運用から外れ、同年度中に、保存された61号機を除き廃車解体されたとのことでした。
登場したのは1954年、1957年までに64両が製造されたそうです。私事でなんですが、生まれ育ちが品鶴貨物線沿線で、毎日のようにこの黒い機関車を見ていたせいか、走っているのが当たり前でした。そもそも鉄道を撮影するようになったのは、大学卒業間近のことで、SLや珍しい車両ばかりに目がいっていたので、当初はこの機関車をほとんど撮影していません。
というわけで、記録も1980年以降、最晩年のものしかありません。


Img055
1980年1月23日 新所原・二川 3864レ EH10 23
新所原から徒歩圏だったここにはこの頃よく行きましたが、今は雑草が伸びきっており、ま撮影しているあたりはソーラー畑になっています。


Img396
1980年4月22日 近江長岡・醒ヶ井 852レ  EH10 24
日車で製造した宮原電車区の117系回送を撮りに来ました。グリーン一色のコキ編成も懐かしいですが、列車自体も短いですね。



Img407
1980年4月28日 名古屋・枇杷島 1772レ EH10 31
名鉄6000系第5次車の試運転があり、西枇杷島電留線に来たついでの撮影と思います。


Img611
1980年6月18日 稲沢 
横浜で運転されたC58 1の返却回送163レのEF66 47と並ぶEH10 42(3171レ)。この頃ならこれで「新旧交替」なんて言われたかも。

Img437
1980年6月27日 大垣 
セメント貨車を連ねた編成を牽くEH10 35。メモには「5877レ」とありますが、どう見ても上り列車です。近江長岡発か、本巣発かわかりません。この日は4番線から出ていった155系の廃車回送を豊川まで追っかけていったのですが、この列車を木曽川で撮るべきでしたね。
ほぼ同世代の機関車ですが、私の誕生日にもっとも近く誕生したのが、この35号機。1956年8月15日製造。しかし、24歳にしてはかなりボコボコですね。翌年8月に廃車となってしまいました。


Img893
1980年9月11日 須磨・垂水
これもついでの撮影です。鷹取工場旧型国電最終出場試運転を待っていたら、来た、撮ったという感じです。


Img051
1980年9月30日 名古屋 5981レ EH10 33
単にク5000の連なる列車もほとんど撮っていませんが、この列車を牽いて来ました。おそらく毎日運転していたのでしょうが、沿線で撮ったものはありません。矢作川橋梁で撮りたかったですね。


Img329_20200513153601
1980年10月28日 多治見
何かの時に多治見を通った折に、たまたま80系気動車とEH10群が留置されているのを発見し、知り合いの関係者に許可を貰って、後日機関区跡を訪問しました。


Img331
ひと月ほど前にク5000を牽いていた33号機も既にこちらに来ていました。33、34号機の他にも、庫内に18、19、29、36と、合計6両のEH10が留置されていました。この時点で、既に稲沢第二のEH10は全て運用を外れていたようです。


Img887
1981年1月23日 吹田(操)・梅田
風の噂に吹田のEH10も12、61号機2両を残すのみ、と聞いていました。といっても当日の目的は配給車による軌道検測でしたが、東淀川のホームで待っているとEF65(87)を次位にEH10 12が来ました。(逆で無くて良かった。)
EH10の走行を見たのはこれが最後になりました。



Img582
1981年1月28日 吹田第二機関区
この日は吹田工場で、配給電車を撮らせてもらえる、と友人から誘いがあり、ついでにこの機関区にも入れてもらいました。写っている9号機の他にも16号機がいましたが、いずれも「二休車」の札が入っていました。


Img159
1981年12月9日 大垣 3483レ
最後にEH10の姿を見たのは、この日、廃車のためEH10 42が、EF65 504に牽かれて旅立っていきました。



最近は国鉄色のEF66 27が人気の的のようです。あり得ない話ですが、今EH10がいたら人気が出たでしょうか?(検査掛)


 

 

|

« 直通急行 | トップページ | 8月10日 »

検査掛」カテゴリの記事

コメント

マンモス電機を意識した頃は既に引退目前となり、手元には数枚の写真しか残っていません。当時は貨物関係にはあまり見向きもしなかったのですが、EHがク5000を牽く姿は記憶に残っています。それより、多治見機関区のシーンに目が釘付けになりました。ここまで疎開されていたのですね、衝撃です。(出札掛)

投稿: 出札掛 | 2020年5月14日 (木) 19時11分

EH10は重厚なスタイルでいかにも重量貨物機といった感じでした。自分も別の目的で撮影を行った際にたまたまやってきたEH10にシャッターを切ったということがほとんどで、EH10を目的に撮影をしたことがないので、見た回数に比べて残っている写真は少ないです。今更どうにもなりませんが、この点は大きな反省材料です。疎開留置で多治見に疎開留置されていた頃は、多治見の実家を訪れるために中央線を利用した際に見かけました。中央線には縁もゆかりもないEH10が多治見に留置されているのは不思議な感じがしました。その後、EH級の電機の血統はEH500・200・800が受け継いでいます。(電車運転士)

投稿: 電車運転士 | 2020年5月15日 (金) 13時12分

懐かしい光景ですね。学生時代を思い出します。
EH10はブルトレや臨時列車を狙っている合間に何度か撮影しましたが、
電車運転士さんのように目的ではなかったので、あまりいいカットはないのではと思っています。
大きな機関車だと思っていましたが、EF66と並ぶとPS18?の折り畳み高さが違い、
EF66の大きさと世代交代を感じさせられます。
やむを得ないのでしょうが、PS22に取り換えられた時はEF58と同様に残念に思い、
「来るものは何でも撮っておく」精神の私でも当該列車が来ても撮影しなかった事もありました。
今ではPS22使用のEF64の1000番台でも国鉄色優先ですが、
有難く撮影している事を考えると隔世の感があります。
(首席助役)

投稿: 首席助役 | 2020年5月15日 (金) 13時43分

 EH10、走ってましたねぇ。はい、なんども見ました。はい、皆さん同様、撮ってません。(笑 たまたま、カメラを構えているときに来たからシャッターを押した、というのはありますが、狙っては撮りに行ってませんからね。あ、もちろん、当時は貨物チャンネルなどないので、運用もわかりませんが。わかっても撮りたい対象ではないので、撮らなかったか。まあ、EH10はそんな存在でしたね。皆さん、その頃、撮りたかったものはいくらでも写真がありますが、撮りたくなかったものは、いまでは貴重です。(駅長)

投稿: 駅長 | 2020年5月15日 (金) 15時24分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 直通急行 | トップページ | 8月10日 »