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2020年5月

2020年5月31日 (日)

上下の記録 (祝:名鉄布袋駅ほぼ完全高架化)

名鉄犬山線布袋駅付近鉄道高架化事業のうち、未完成だった下り線高架化工事がこのたび完了し、念願の完全立体交差がついに実現となりました。なにしろ我が地元のエリアでこれほどの大規模鉄道事業が行われることは後にも先にもない事なので、気が向くたびに現場に足を運んでは工事の進捗状況を記録してきました。そこで刻々と変化していくシーンをいざ記事にしようと思ったものの収拾がつかなくなりそうなので、一足先に上り線が高架化された2017年6月以降に写した「高架化による上下分離」に絡む画像を主に、高架化事業の記録の一つとしてここに載せたく思います。  
 

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高架化された上りホームと仮本屋改札口を結ぶコンコースが仮設されましたが、その途中に、今どき珍しい?ことに下り線を横切るための踏切が設けられました。背後には上下線ホームを結ぶ仮設跨線橋が見えます。分かり辛いですが、この跨線橋と上り旧(仮設)ホームを活用して高架ホームへ向かうルート(高架部に続く壁が見えます)も同時に設けられました。
  

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その跨線橋からのシーンです。ご覧のとおり、高架ホームへと導く必要箇所(左下は上り仮ホーム上屋)以外は撤去され、新たに下り線高架化工事が始まります。これを撮影した場所は上り仮ホームへの通路部ですが、やがて工事が進むにつれて下り仮ホームへの通路部を残して取り壊されました。したがってその後は、高架ホームへのコンコースは踏切ルートのみとなります。  
  

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下り線の工事が未着手のうちに撮っておこうと上り特急の通過シーンにカメラを構えたら、下り特急もほぼ同時に進入してきたので「えいやっ」とシャッターを押したらグッドタイミングでファインダー内に納まりました。上下線の分離具合を把握するにはもってこいのカットです(自画自賛)。  
 

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下り線の工事が着々と進行中です。地上ホームから上り列車が見られるのも今のうちと、今度は下からカメラを向けました。  
  

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下り回送列車が1番線で退避中、高架線に上り列車が到着。さながら2層建ての駅、という表現はオーバーか?よく見ると、上り1番線にも銀電が退避中です。 
  

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名古屋方向からの行き止まり線として敷設されていた下り留置線から上り本線への渡り線として上り仮線が活用されていました。国道155号踏切のすぐ南で下り本線と分岐します。この線路も役目を終えるので、できることならここを走るシーン(どうやら100系折り返し回送が設けられていたらしい)を撮りたかったのですが断念。せめて配線の様子だけでもとカメラを向けました。昼頃に来れば陽が渡り線を照らすのですが、手を抜きました。ご容赦下さい。 
  

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では、下り高架線初日のシーンです。まず岩倉方向から1番列車となる試運転1レが接近。この列車はホーム手前のシーサスを渡り、上り1番に進入します。分岐信号動作確認が目的でしょうか、よく見ると上り線進入用場内信号が注意点灯しています。 
  

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やはり分岐信号動作確認の目的で、江南方向から渡り線で下り1番に入線後、岩倉に向けて発車した上り試運転2レが来ました。作業員の方々が見守る中、砂埃を巻き上げながら無事通り過ぎました。撮影場所は高架線の南端切替え地点。 
 

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その数分後には下り2番手の試運転3レが通過、構内では下り本線を走行して“仕上げ”を行います。新線区間の走行もそうですが、100系の「試運転」幕にも興味がそそられます(個人的意見)。 
今後は留置線の高架化工事と駅構内の整備が始まります。現代風に生まれ変わる布袋駅周辺にカメラを向ける機会はまだまだ続きそうです。 
  
こうした景色の変化を記録するにあたり、できるだけ多くの“情報”をファインダーの中に収めることで後々の感動も大きくなることを感じました。きっと数十年後には、これらの画像を振り返りながら懐古趣味に興じていることでしょう。老後の楽しみですね(おぃ)・・・。(変なウィルスに負けず永遠に健康で・出札掛)

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2020年5月25日 (月)

DF50 1980年の紀勢線(最初で最後の記録)

本日、ムリムリ全国の緊急事態宣言解除が宣言されました。国民の缶詰め状態も限界近くに及んでの措置ともいえますが、未だにアベノマスクも来ず、10万円配布の通知もなく、このスピードの遅さ!、そうかと思えば、某検事長の賭博では法務省の判断を覆して、訓告のみでサッサと幕引き。国民をバカにしているとしか思えないのですが、それでも内閣支持率が27%とのこと。一体どこを評価すれば支持なんていえるのか、不思議で仕方ありません。
コロナ禍に関しては、17,000人余りの方が罹患し、850人以上の方が命を落とされました。緊急事態宣言は解除されましたが、皆様もくれぐれも罹患しないよう、ご注意下さい。


さて話は変わりまして、EH10の次は、DF50です。
まともに鉄道を撮るようになったのが大学卒業間近だった私にとって、DF50も遠い存在でした。このブログでも、駅長様が日豊本線の特急「富士」の先頭に立つ姿を、また、電車運転士様が紀勢線の客レや、四国の重連貨物をアップされていますが、私はというと、高校の修学旅行で見た宮崎のDF50以来、ほとんど機会がなく、1980年に紀勢線亀山口で撮ったのが最初で最後となりました。


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2月13日 亀山
1回目はこの日。理由はわかりません。かつて1972年3月に一度だけ「大和」に乗ってきたところですが、到着は深夜で、真っ暗な中、この庫のD51をバルブした覚えがあります。


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乗った列車の窓を開けて、広大な亀山区の様子を撮りました。かつて「鉄道の街」と言われたのも納得の広さでした。

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亀山・下庄 125レ
撮影地も皆目わからず、ともかく撮れそうな場所を、とロケハンするつもりでしたが、一駅目で良さげなカーブがあったので、ここで下りを待つことにしました。
やってきたのは嬉しいことに初期型(1~7号機)の1両、4号機でした。


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亀山・下庄 122レ
125レと津で交換して上りがやって来ます。亀山寄りに歩いて撮りました。
この日はこれで撤収しました。


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3月1日 津 122レ
次に訪れたのは、「さよなら」運転となったこの日です。皆さんご存知のように57号機と26号機の重連でした。
なぜ、駅撮りにしたのか、理由はよくわかりません。


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左に見える125レと交換するので、撮影チャンスが複数アリ、と思ったのかもしれません。125レは既にDD51牽引に代わっていて、見向きもしませんでした。
出札掛様もここで撮られているので、ニアミスしているはずですが、まだお互い知り合う前のことです。


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26号機はかつてのお召機ということで、一般車の白線帯のところにステンレスが巻かれていました。
この列車を見送ってDF50とはお別れです。


毎日走っていたDF50、好ましいスタイルだったので、もう少し熱心に撮りたかった車両です。(検査掛)

 

 

 

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布袋疎開

以前、名鉄犬山線布袋駅に敷かれていた2本の留置線。貨物駅の名残でもありましたが、駅高架化工事が始まるとともにこれらの線路も撤去され、今や跡形もなくなってしまいました。この留置線は、新車投入により現役を退いた車両たちが廃車回送されるまでの間の疎開場所として主に活用されていました。形式消滅して二度と見られなくなる前に留置車の様子を記録しておこうと思うようになったのは、7300系終焉の頃からです。 
  

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7300系は、1997年4月のさよなら運転を最後に一部の編成が布袋の留置線に疎開されていました。同月27日、その編成が廃車(豊橋へ転属?)回送されることを某所で耳にして布袋に駆けつけました。すでに留置線から下り1番に転線されて、K5282レとして出発するところをカメラに収めることが出来ました。 
 

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役目を終えた5500系が3色団子で布袋にやって来ました。インパクトが強いだけあって、撮影に訪れる同業者や一般の方をよく目にしました。撮影は2005年1月30日。空港線開業に伴うダイヤ改正の翌日です。 
 

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その後、5500系と入れ代わりで今度は7500系(7513F)が留置されていました。休日ダイヤ限定の布袋下り1番から出る同駅7:23始発の鶴舞線列車と肩を並べるシーンを狙いましたが、冬の7時台は影が伸びて辛いです。2005年2月12日撮影。 
  

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留置線に置かれているところをもっともよく見かけた車両は、なんといってもパノラマカーでしょう。まずこちらは2008年6月28日に撮影した7033F(左)と7019F。この数日後、逆富士型方向板は盗難防止を図り取り外されました。 
  

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一部特別車編成への改造を施されてブラックフェイスとなった1702Fも、デビューするまでの間は新造された一般車と組成されて布袋に留置されていました。2008年11月30日撮影。 
  

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パノラマカーの定期運行が終了した翌日、どこからともなく7043Fが上小田井駅を下っていくところを偶然目撃し、急きょ後続の列車で追いかけたら次の西春駅で追い越しました。そのまま先へ向かったら布袋駅に数名の同業者の姿を目にしたので、列車を降りてしばらくすると7043Fが下り1番に到着。入れ換え作業が始まり、留置線に納まるまでホームで見届けました。ちなみに、左に写っている編成はパノラマカー定期運行の最終運用・普通岩倉行2197レを担った7041Fで、岩倉到着後、そのまま布袋まで回送して留置されました。 
  

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2008年の大晦日、家の用事も一段落しそうだったので、少し時間を割いて布袋駅で3本並びを撮りました。うち1本は先述同様の鶴舞線直通列車。実は休日ダイヤ限定で布袋始発の鶴舞線列車が当時は2本あり、先回の教訓を生かして今度は2本目の9:24発を狙いました。 
  

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このシーンが記憶に残っていらっしゃる方も多いのではないかと思います。パノラマカー誕生48周年を記念して運転された団体列車が、もともと留置されていた7043Fと肩を並べる位置で停車、撮影大会となりました。この粋な演出に感謝です。2009年6月6日撮影。この数か月後に駅周辺では高架化工事が始まり、留置線は趣のある駅舎と共に姿を消すことになります。


5月30日に一部を残して全面高架化が完成する布袋駅。今後は駅東西の整備とともにますます近代化が進められます。しかし、かつてはデキやワムの姿をよく目にした貨物駅としての役割や古風な駅舎などはすでに面影もなく、やがて記憶の彼方に消え去ってしまうのかと思うと、一抹の寂しさを拭いきれません。時代の流れですね。(出札掛)

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2020年5月16日 (土)

639.雪景色になった岐阜界隈 1982/1

 1982年の正月明けは日本列島に寒波が襲来したようで、岐阜界隈も雪景色になりました。今ほどの暖冬傾向ではなかったと思いますが、それでも岐阜の平野部がある程度の積雪になることは頻繁にあるわけではなく、このチャンスを逃すのはもったいないということで、早朝のスクランブル発進となりました。

 

※撮影は1982年(昭和57)年1月上旬の名鉄名古屋本線・東海道本線(電車運転士)

 

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  前夜から降り続いた雪も夜明け前には止み、雪晴れの天気となりました。理由は忘れましたが、なぜか朝焼けの木曽川鉄橋がイメージに浮かび、東笠松に向かいました。ホームに立つとイメージどおり鉄橋のトラスの背景は赤く染まっていました。ちょうどいいタイミングで3880系が鉄橋を渡ってきました。東笠松は利用客減から2005(平成17)年128日限りで廃止となりました。
【1982.1 東笠松】

 

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 地平時代の岐阜は名古屋寄りに踏切があり、岐阜を発車した上り列車を撮影することができました。165系の12両編成が来ましたが、後ろにサロ2両が連なっているので、大垣夜行の間合い運用と思われます。
【1982.1 岐阜】

 

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 153系も最後の活躍を続けていました。てっきり大目玉が来ると思っていたら、せっかくの低運車なのに運悪く数少ないシールドビーム改造車に当たってしまいました。
【1982.1 岐阜】

 

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 ここでの本命は荷36列車でした。米原機関区の担当だったため、側窓変形機の36以外は全車原型小窓で、Hゴム車の心配がほとんどいらない精神衛生上はありがたい列車でした。SGの蒸気を勢いよく噴き上げる光景は冬のEF58の風物詩でしたが、駅を発車しても蒸気の勢いはそのままで、まさに自分が思い描いていたとおりのシーンに出会うことができました。
【1982.1 岐阜】

 

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 雪はまだ解けずに残っていたので、名鉄沿線に戻りました。いいタイミングで7000系と3550系が並んでくれました。この頃、各種のAL車はまだバリバリの現役でした。
【1982.1 加納】

 

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 岐阜の下町的な雰囲気が漂うこの区間は高架化の計画が発表されており、まだかなりの時間を要するとは思いますが、計画が具体化されて工事が始まるとこのような風景大きく様変わりするものと予想されます。7500系が来ましたが、スカーレット色が雪晴れの景色によく映えます。
【1982.1 加納】

 

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 木曽川鉄橋を渡る5000系です。時間が経って雪もかなり解けてきました。5000系はオリジナル装着の前面曲面ガラスが破損した際には平面ガラスの組み合わせで修理したため、縦桟が入り、顔つきが不細工になってしまいました。
【1982.1 木曽川堤】

 

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 7000系の影に隠れてどちらかというと地味な存在だった7700系も本線特急で活躍していました。白帯車登場前だったので、白地に赤文字の特急種別板・特急用の黄色に黒文字の系統板が懐かしいです。
【1982.1 木曽川堤】

 

 

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2020年5月14日 (木)

8月10日

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毎年8月10日は日本ライン夏祭り納涼花火大会の開催日。犬山城をバックに木曽川河畔で大花火が打ち上げられますが、同時に、名鉄小牧線専属車300系が最も注目を浴びる日でもあります。名鉄では観客輸送のため犬山ー新鵜沼間を中心に夕方から臨時ダイヤが組まれますが、最近の傾向としては、主に小牧線の列車を新鵜沼まで延長運転して犬山以北の輸送力を増強する策が講じられています。すなわち小牧線限定の300系が普段の定期走行区間をはみ出して木曽川を渡る年に一度の越県運転が行われます(臨回や試運転では実績があるかもしれませんが)。このシーンをカメラに収めようと、もの好きな方々(←他人のことは言えない)が犬山橋周辺に集まって来ます。特に施行日が週末と重なれば尚いっそうの事。 
  
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所定は犬山で折り返すところを新鵜沼まで延長運転して折り返す“一段落とし”運用とするだけなので、臨運用とは言っても割とシンプルです。そのため必然的に300系同士が犬山遊園駅近辺で離合するダイヤとなるらしく、このように犬山橋上で離合するタイミングもあり、運よく見られたら儲けもの。日本ライン夏祭り臨時ダイヤを印象付ける1シーンです。 
 
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延長運転の新鵜沼行と犬山への返却回送はホーム上でも離合しました。これが定刻通りなのかどうかは知りません。 
  
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少し懐かしい画像も載せておきましょう。こちらは12年前。300系が定期区間外で運用中であることを証明するためにモノレールが一役買ってくれました。 
  
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やはり12年前の画像です。現在とは違い、当時は犬山発着の鶴舞線直通が終日運転されていましたが、その一部が新鵜沼まで延長運転されたことでこのような並びが実現しました。両方とも定期走行区間外となる駅で顔を合わせるという、珍しいシーンです。 
 
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8月10日は1年で最も混雑する様相の犬山遊園駅。かつて各地から臨時特急が大増発されて賑わっていた頃が懐かしいです。 
 
そういえば、今年の大会は東京オリンピック開催のため警備員の確保ができず中止、と決まっていたのですが、オリンピックが来年に延期されたからと言ってもやはり再開は困難でしょうね。その代わりに時間帯や打上数など規模をギュッと縮小して、8月1日から10日間連続の「ロングラン花火大会」と姿を変えて催されるそうですが、新型コロナウイルスの影響が長引いて花火大会そのものが中止とならないよう祈りたく思います。ようやくわが地元東海地方は緊急事態解除!でもテツ活動はもう少しだけ我慢~。(出札掛)

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2020年5月13日 (水)

EH10 マンモス貨物機関車の数少ない記録

皆さん如何お過ごしですか?
STAY HOMEからそろそろ1ヶ月が経ちます。34府県の緊急事態宣言が明日14日にも解除されるとの報道の中、特定に指定された我が愛知県も、などと報じられています。確かに一日の陽性反応数は減衰しているものの、そもそもの検査数の少なさから考えると発表の数字をそのまま信じることに疑問を感じます。このまま解除されると、いままで抑えられていた人々の欲求が一気に噴出し、感染爆発が起こって、怖ろしい第二波が訪れるのではないかと危惧されます。

それはさておき、自身体力の衰えを感じつつ、少しずつ今までの整理をしております。
しばらく前にアップした1980年の記録を見て行くうちに、改めて目についたのがマンモス電機 EH10でした。調べてみると、翌81年4月1日に全ての運用から外れ、同年度中に、保存された61号機を除き廃車解体されたとのことでした。
登場したのは1954年、1957年までに64両が製造されたそうです。私事でなんですが、生まれ育ちが品鶴貨物線沿線で、毎日のようにこの黒い機関車を見ていたせいか、走っているのが当たり前でした。そもそも鉄道を撮影するようになったのは、大学卒業間近のことで、SLや珍しい車両ばかりに目がいっていたので、当初はこの機関車をほとんど撮影していません。
というわけで、記録も1980年以降、最晩年のものしかありません。


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1980年1月23日 新所原・二川 3864レ EH10 23
新所原から徒歩圏だったここにはこの頃よく行きましたが、今は雑草が伸びきっており、ま撮影しているあたりはソーラー畑になっています。


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1980年4月22日 近江長岡・醒ヶ井 852レ  EH10 24
日車で製造した宮原電車区の117系回送を撮りに来ました。グリーン一色のコキ編成も懐かしいですが、列車自体も短いですね。



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1980年4月28日 名古屋・枇杷島 1772レ EH10 31
名鉄6000系第5次車の試運転があり、西枇杷島電留線に来たついでの撮影と思います。


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1980年6月18日 稲沢 
横浜で運転されたC58 1の返却回送163レのEF66 47と並ぶEH10 42(3171レ)。この頃ならこれで「新旧交替」なんて言われたかも。

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1980年6月27日 大垣 
セメント貨車を連ねた編成を牽くEH10 35。メモには「5877レ」とありますが、どう見ても上り列車です。近江長岡発か、本巣発かわかりません。この日は4番線から出ていった155系の廃車回送を豊川まで追っかけていったのですが、この列車を木曽川で撮るべきでしたね。
ほぼ同世代の機関車ですが、私の誕生日にもっとも近く誕生したのが、この35号機。1956年8月15日製造。しかし、24歳にしてはかなりボコボコですね。翌年8月に廃車となってしまいました。


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1980年9月11日 須磨・垂水
これもついでの撮影です。鷹取工場旧型国電最終出場試運転を待っていたら、来た、撮ったという感じです。


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1980年9月30日 名古屋 5981レ EH10 33
単にク5000の連なる列車もほとんど撮っていませんが、この列車を牽いて来ました。おそらく毎日運転していたのでしょうが、沿線で撮ったものはありません。矢作川橋梁で撮りたかったですね。


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1980年10月28日 多治見
何かの時に多治見を通った折に、たまたま80系気動車とEH10群が留置されているのを発見し、知り合いの関係者に許可を貰って、後日機関区跡を訪問しました。


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ひと月ほど前にク5000を牽いていた33号機も既にこちらに来ていました。33、34号機の他にも、庫内に18、19、29、36と、合計6両のEH10が留置されていました。この時点で、既に稲沢第二のEH10は全て運用を外れていたようです。


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1981年1月23日 吹田(操)・梅田
風の噂に吹田のEH10も12、61号機2両を残すのみ、と聞いていました。といっても当日の目的は配給車による軌道検測でしたが、東淀川のホームで待っているとEF65(87)を次位にEH10 12が来ました。(逆で無くて良かった。)
EH10の走行を見たのはこれが最後になりました。



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1981年1月28日 吹田第二機関区
この日は吹田工場で、配給電車を撮らせてもらえる、と友人から誘いがあり、ついでにこの機関区にも入れてもらいました。写っている9号機の他にも16号機がいましたが、いずれも「二休車」の札が入っていました。


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1981年12月9日 大垣 3483レ
最後にEH10の姿を見たのは、この日、廃車のためEH10 42が、EF65 504に牽かれて旅立っていきました。



最近は国鉄色のEF66 27が人気の的のようです。あり得ない話ですが、今EH10がいたら人気が出たでしょうか?(検査掛)


 

 

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2020年5月 7日 (木)

直通急行

『地下鉄鶴舞線発名鉄犬山線直通急行』 
なぁんて表現をするとカッコ良く聞こえますが、ご承知のとおり地下鉄線内はもちろん普通で「上小田井から急行に変わります」が実態です。この優等運用は上小田井基準で平日朝のラッシュ時のみ下り5本が設定されています。使用車両はすべて名市交車で、犬山線内では急行表示を掲げて豊田線同様にかっ飛ばしていく3000形等を見ることが出来ます。定期列車とはいえレア度が高いせいなのか、沿線ではこれを撮りに訪れる同業者の姿をたまに見かけます。時間的に融通が利く学生に混じり、社会人と思われる方も稀にカメラを構えています。なぜ知っているのかと言うと、実は小生の通勤路線でもあるのでイヤでも目に付いてしまうのです(笑)。自分も出勤前の朝練と称して出撃することはいつでも可能なのですが、仕事前の朝練はどうも落ち着きません。できれば心穏やかな時に撮りたいので、出撃する際は平日の公休日(ex.休日出勤の振替日や、盆休みと平日ダイヤが重なった日など)と決めています。 
  

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5本ある急行のうち2本は岩倉、3本は犬山行です。走行写真を撮るにはこれからの時季が適していますが、このうち「急行 岩倉」を順光で撮るには、夏至の頃の西春ー大山寺間でギリギリ正面に陽が当たる程度でしょうか。しかしせっかく天気が良くても、たま~に表示窓が汚れていたり、上り列車に被られたり、LEDで文字が切れるN3000はお呼びでないし、なかなか思い通りにいきません。写真は急行岩倉行の1本目623レですが直前に曇られて残念。 
  

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大山寺駅は先端がカーブしているので、北側から狙うと首カックンの面白い構図で撮れます。某日、その地点で急行犬山行725レを待つことしばし、遠くから姿を現したのは残り少ない3000形です。ところがタイミングの悪いことに後方から上り列車も接近中、うゎ、被られる!ようやく最後部が抜けたその瞬間に725レが駆け抜けて行きました。間一髪で抜けた上り列車はN3000のトップナンバー。先述のとおりLED表示のN3000は撮影対象から外したいですが、試作モデル的要素の強いトップナンバー編成なら大歓迎です。新旧交代劇のようなシーンを目の前で見られました。 
 

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行先表示をはっきり写したいのなら表示窓の大きい3050形がベストです。N3000でもシャッター速度を落とせば文字ははっきり写るものの、やはり「幕」仕様のほうが好まれますね。ただ、これからは引退迫る3000形を優先的に撮っておきたいところです。 
 

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急行運用ではありませんが、平日1本しか運転されない行先の「扶桑」713レも貴重な存在です。こちらも名市交車運用ですが、なぜ柏森行きではないのか、大人の事情が見え隠れしていそうです。これを3000形で撮れたなら、もう不満はありません(笑)。 
  

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江南以北で狙えばほぼ順光で撮ることができるかわり、急行運用のシャッターチャンスは3本に限られます。でもせっかくなので、朝ラッシュが一段落する頃に現れる扶桑行きまで粘るのもアリです。 
  
鶴舞線~犬山線相直運転が開始されて間もなく27年が経ちます。そして名市交車の犬山線急行運用が登場してからは15年を迎えました。今や特筆するほどのネタではなくなりましたが、3000形の完全引退前に如何でしょう? 
  
PS:新型コロナウイルス感染防止策に伴う勤務調整のおかげで件の列車を撮る機会が増えたかどうかは、知る由もありません。(出札掛)

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2020年5月 2日 (土)

638.初冬の高山本線で便乗車鉄 1981/12

 これまで、高山本線は景色のいい飛騨川の渓谷沿いの区間でじっくり撮ったことがなかったので、いつか行ってみたいと思っていました。ただ、当時は運転免許を所持していなかったため、実行するとなると徒歩鉄になってしまいますが、駅間が長い上に列車本数も少なくて効率がよくないため、躊躇する日々が続いていました。そんな中、学生ながら車を持っていた後輩の友人が高山本線で車鉄を計画しているという話をいただき、またとないチャンスと思い、便乗させていただきました。12月上旬ということで、紅葉シーズンも終わってしまい、ちょうど彩がない季節でしたが、キハ82系の「ひだ」・キハ80008200系の「北アルプス」・DD51の貨物列車のなど、丸1日かけて魅力ある列車の撮影を楽しむことができました。

 

 

※撮影は198112月の名鉄犬山線・高山本線(電車運転士)

 

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 高山本線に向かう前に犬山橋でウォーミンウアップです。早朝なので車が少なく、被るリスクは小さかったです。各種車両を撮影しましたが、ここではHL車の写真をアップします。
【1981.12 犬山遊園~新鵜沼】

 

 

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 振り向くと新鵜沼を発車する電車を撮ることができました。当時はAL車も第一線で活躍中でした。この時は3900系と800系の組み合わせになりました。「高速」の種別板が懐かしいです。
【1981.12 新鵜沼】

 

 

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 犬山橋で小1時間ほど撮影した後、国道41号線を飛彈川沿いに北上します。最初の撮影ポイントは白川ダムとしました。まずは「ひだ」です。水量が少なく川の流れに迫力がありませんが、渇水期なので仕方がないです。
【1981.12 上麻生~白川口】

 

 

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 続いてDD51の貨物列車です。確か高山?か上枝?までの運転だったと記憶していますが、間違っていたらゴメンナサイです。
【1981.12 上麻生~白川口】

 

 

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 最後はメインターゲットとしていた「北アルプス」です。閑散期でも6両編成でした。塗分けが特急仕様となっても魅力はまったく衰えていませんでした。朝の白川ダムは美味しい列車が立て続けに来るので、その後のお気に入りのポイントとなりました。
【1981.12 上麻生~白川口】

 

 

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 次は第1飛彈川橋梁に立ち寄りました。ここでは「のりくら」を撮りましたが、時間が早すぎて側面に陽が回っていませんでした。光線がよくなるまで粘るという選択肢もありましたが、先の予定もあった関係で次の機会に譲ることにして北上を続けました。
【1981.12 白川口~下油井】

 

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 続いて中山七里と呼ばれるエリアへ移動しました。第2益田川橋梁付近は川幅が一層狭まり奇岩が屏風のように切り立つ風光明媚なポイントです。渓谷の流れと切り立った岩を強調したくて川面ギリギリにポジション取りをしてみました。
【1981.12 飛彈金山~焼石】

 

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 この日の最終目的地としていた第5益田川橋梁まで来ました。この鉄橋を渡る「ひだ」の映像がNHKの朝の連ドラのタイトルバックに使われ、一躍有名になりました。とういことで、自分的にはNHK鉄橋と呼んでいました。雑多な貨車を連ねたDD51の貨物列車が鉄橋を渡って行きます。
【1981.12 焼石~下呂】

 

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 午前中まではバリ晴れだった天気が午後からは曇り基調になってしまい、露出が厳しくなってきました。普通列車といえども6両で運転されており、3両目にキユニ28を挟んだ変則編成でした。一般型気動車のタラコ化が進む中、先頭のキハ55は急行色を維持していました。
【1981.12 焼石~下呂】

 

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 「北アルプス」通過の頃にはさらに明るさがなくなり、モノクロで何とか対応しました。当時のダイヤは朝に名古屋を出て夕方に戻るというダイヤだったので、高山本線内で上下とも撮影が可能でした。
【1981.12 焼石~下呂】

 

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 この日は明るいうちの走行写真だけでは飽き足らず、美濃太田機関区での夜間撮影で締めくくりました。構内は広く、留置中のキハ28・ラッセルヘッド付きのDE15D51などが撮影できました。
【3枚とも 1981.12 美濃太田機関区】

 

 

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結びついた臨回電

ここ数日間報道されているパチンコ店の休業要請に関する話題について、いやもう、笑わせていただきました。
行政からの“お願い”にもかかわらず店を開けて営業を続ける経営(責任)者。
「従業員の給与生活を守るため。莫大な維持費を払い続けないといけないため。」
その傍らで従業員は、
「いつ、誰からコロナウイルスに侵されやしないかと毎日怯えながら働いている。家族にうつさないかと心配。」
一方、来店客の言い分。
「家に居てもすることがなくヒマだから。新型ウイルス?まぁ、かかってもいいや。」
来る客がいるから店を開ける。開いているから遠方だろうと来店する。どっちもどっち。各々の意見、行動全てを否定するつもりはありませんが、この業界、こんな考え方の輩ばかりなんだろうか?民度が問われます。パチンコ依存症のアンタら、そのうちウイルスに侵されて苦しむがいい(個人的意見)。
  
撮り鉄、乗り鉄などアウトドア的要素の強い活動は自粛の日々。こんなときはインドア派に転じて模型遊び、本の読破、資料・写真・収蔵品の整理、シミュレーションゲームetc. . . 。この趣味、インでもアウトでも多様に楽しめることをあらためて感じた次第です。家に居るとヒマだって?とんでもねぇ!・・・さて本題です。
  

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久しぶりにタンスの“蔵”から引っ張り出してきた国鉄時代の運転時刻表のひとつです。何処でいつごろ購入したのかは記憶にありませんが、合法的に入手したことは確かです(笑)。これによると昭和60年6月5日、北陸線米原口から臨回電9235Mが運転されたようで、右下には「475系2M2T」と記されています。475系の4両とは珍しいネ?そこで、もしやと思い過去の写真を振り返ったら、ビンゴでした。
  

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どのように運転情報を知り得たのかは、やはり記憶にありませんが、撮影メモには「回9111M クハ455-302」とあります。推測するに、新塗装化(改造?)されたクハ455-302を伴車とともに予定臨7111レ(8111かも)のスジで帰区する臨回電のようです。撮影場所は木曽川付近。交直流急行形車が東海地方を西下する珍しさもさることながら、見たことのない塗装にも衝撃を受けました(検査掛様も撮られたでしょうか?)。分割民営化を控え、金沢鉄道管理局の地域色として採用された塗装ですが短期間で変えられてしまったのは意外でした。
  

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運転時刻表には「米原19:07(着)」と前継走の記載がありますが、時間的にも編成としても、この臨回電を示しているものと思われます。まさか、過去の写真が何気なく購入した運転時刻表と結び付いていようとは、思わぬ偶然にニンマリしてしまいましたとさ。ほぼ自己満足、多謝。 
  
ネット等で調べてみると、「クハ455-302」は大宮工場にてクハ165から改造された車両のようです。(出札掛)

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2020年5月 1日 (金)

1980年に見た いろいろな回送・試運転(4)

コロナウィルスについてはもう何も述べることがなくなりました。



見出しの最終回は、(1)~(3)以外で撮影した「いろいろな回送・試運転」を見て頂きます。

【転配】
国鉄時代、電車、気動車、客車は寒地向け等一部仕様を変更しているものはあるものの、基本的にはどこへでも行けるような汎用車が多く、集中的に新形式の投入があると、トコロテン式に転配が発生するのが当たり前でした。


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宮原電車区→大垣電車区
6月26日 醒ヶ井・近江長岡 回9104M
クハ153-527+モハ153-69+モハ152-69+モハ153-89+モハ152-89+クハ165-164+クハ165-163+クハ165-169+モハ153-118+モハ152-118+サハ153-8+クハ153-78(アンダーラインは伴車)
(1)、(2)に関連して、京阪神で「新快速」に使用されていた153(一部クハ165)系が、宮原区から大垣区に42両転属しました。残念ながらほとんど撮影できませんでしたが、この日、唯一撮ることができました。4M2Tで2M4Tを牽引する形です。
しかし、最悪の天気で、土砂降りの中どうにか撮っただけ、といった結果に終わってしまいました。


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宮原電車区→田町電車区
7月17日 新所原 回9104M
クハ153-527+モハ153-95+モハ152-95+モハ153-96+モハ152-96+クハ153-510+クハ153-523+クハ153-536(後追い)
6月26日の大垣区への回送同様、宮原区から田町区へも12両の転配もありました。品川区の153系は1~2年後には185系に置換えられたので、わずかの期間のショートリリーフでした。

 

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高槻電車区→静岡運転所
9月30日 名古屋 回9102M
クハ111-174+モハ113-195+モハ112-195+クハ111-489+サロ111-3+サロ111-7+サロ111-6+モハ113-22+モハ112-22+クハ111-500(アンダーラインは伴車)
首都圏同様、京阪神間のローカルにもグリーン車1両が組込まれていましたが、10月の改正でその措置が解かれ、余剰となったグリーン車が転配となりました。この日3両のサロ111が高槻区から静岡所に転配となりました。

※出札掛様から多くの転配画像を、とのご要望がありましたが、諸般の事情により、1980年でアップできるのは3本に留まりました。


【入出場】
入出場は数多く撮影しましたので、ちょっと面白いものをアップします。


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沼津電車区大船工場入場回送
4月21日 保土ヶ谷・戸塚 回8392M
クモヤ22202+クモハ12001+クハ47100+クハ47061+クモハ60810(アンダーラインは伴車)
まだ、旧型国電の定期検査も実施されていました。御殿場線が新性能化されたため、身延線用の戦前型のみとなりました。
別の項でも述べましたが、東海道下り方から大船工場に入場するときは、配線の関係から一旦横浜まで行って折り返す方法が採られていました。大船工場は2009年3月31日で業務を終えました。

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伊那松島電車区浜松工場出場試運転
8月15日 弁天島・新居町 試8587M
クモハ53007+クハ68042+クモヤ22112
流電クモハ52が廃車された後、飯田線の愁眉となった半流張上げ屋根のクモハ53007の最終出場です。

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神領電車区浜松工場出場試運転
5月19日 三河大塚・三河三谷 試8515M
クモヤ90804+クハ111-109+クハ111-405+クモハ40800
この頃の名鉄局の電車の定期検査は、神領区の381系、165系、80系を除いて、浜松工場で施工されていました。(名古屋工場でも一部担当していました。)
この試8515Mのスジは名古屋が19時台となるもので、ここで順光で撮れるのはごくわずかの期間でした。


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府中電車区鷹取工場出場試運転
9月11日 大久保(山陽本線) 試6772M
クモヤ22001+モハ70316+クモヤ22152
関西へも行っています。以前にもアップしていますが、府中電車区70系の最終出場車です。福塩線の70系は翌81年3月には105系に置換えられました。
鷹取工場は関西では全車種の定期点検を実施する100年以上続いた名門でしたが、1995年の阪神淡路大震災により大きな被害を受け、2000年3月末をもってその歴史に幕を閉じました。


【試運転】
「試」というのは、いろいろな意味があります。ここでいうところは、試験の「試」それと、ためしの「試」ですね。


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関西地区軌道検測
12月6日 山崎・高槻 回9672M
クモル23010+マヤ34 2005+クモル23060
首都圏ではクモハ73 2両が専用で牽引車に使われていましたが、関西地区電化区間の軌道検測車の牽引には、高槻区(吹田)の配給車がその任に当たっていました。80年に撮影したのはこの編成だけでした。


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豊橋機関区台検試運転
4月5日 江島・東上 試7583M
クモニ13026+クエ28100+クモニ83102
車両の運用を調べる中で、救援車が台検して試運転が行われることを知り、出掛けました。


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4月5日 江島・東上 試7584M
新城ですぐ折り返してきてしまうので、移動が出来ず、撮影場所を探していたのですが、なぜかここを探し当てました。手前の木は桜のようですが、カラーは撮っていません。また、これ以降ここで撮ったものがないのですがどうしてでしょう。後追いも撮っているので、両向きなのですが・・・。


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大垣、神領電車区台検試運転
6月20日 定光寺 試8613M
クハ153-73+モハ153-126+モハ152-126+クハ153-524+クハ111-2031+クモヤ90804
この頃は神領区で集中台検を施行しており、試運転も中央線(神領~瑞浪)で行われていました。大垣車が入ると、よく撮りに行ったのですが、この日は雨にかかわらず、関西新快速色(しかもクハ153低運転台)が入ることが判ったので、行ったものと思います。


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大垣電車区訓練車回送 
5月4日 新守山 回9639M
クヤ165-1+クモニ83020
試運転ではないですが、こんな車両の回送も撮っています。この日の行き先は多治見でした。クヤ165-1は、元はサハシ153-15を浜松工場で訓練車に改造した車両ですが、特に海側には種車の雰囲気が色濃く残っていました。

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11月24日 木曽川・岐阜 回9541M
クモハ40050+クヤ165-1(後追い)
名古屋から大垣に戻るときにはクモハ40050が伴車に付きました。


【配給】
その名の通り、物資を各工場から運転現場に輸送することですが、最近は少し違う使われ方もしているようです。
ここでは、専ら電車によるものの代表をアップしておきます。


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6月13日 渋谷 配6961M
クモル24002+クモル24051
個々の車両については以前のアップ(配「ル」電車編)をご覧下さい。当時関東の編成はMTが多かったですが、勾配区間に行く場合などで、MMとなることもありました。荷の載る部分の側戸も貨車のように開閉できるものと、固定のものとありました。
撮影場所は、現在は埼京線のホームのあたりです。東急東横線のホームからの撮影です。


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11月27日 (大船)南方(信) 配8098S
クモル145-3+クル144-3(+クモハ73505+クモハ73518) (クモハ73 2両は大船工場の伴車)
(1)でご覧頂いたように、この年、101系を改造した新性能系列145系に配給車ができ、まず首都圏のものから順次置換えがはじまりました。


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11月26日 吹田 配7994レ
クモル24010+クモル24005+サハ100-78+サハ101-75+クモヤ90004
関西の配給列車は、新性能車の入出場も併結されているのを多く見ました。ツナギがどうなっていたかはわかりません。


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11月24日 春日井
中京圏の電車区への配給は各地で見られたように貨車によるものでしたが、神領区の受け取りには専ら同区の救援車クモエ21800が使用され、春日井~電車区を基本、水、木、土(日)曜に運転されていました。(再掲)



【職員輸送】
最近の状況はわからないのですが、この頃は各区~最寄駅に職員輸送が行われており、専用車がありました。


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11月27日 大船 クモハ40059+クモヤ22114
大船区には2両のクモハ40が配置されて朝、夕に職員輸送に使われていました。この日はクモハ40071が入場していたため、クモヤ22で代用していました。首都圏ではほかに、津田沼、豊田、国府津の各電車区、鶴見操車場⇔鶴見などで、運転されていました。



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6月23日 高槻
高槻区の職員輸送には元クモハ42を4扉化したクモハ32002が使用されていました。



【その他】


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雪掻き車試運転
12月5日 柏原・近江長岡 試9254レ
キ552+EF65 114
電車ばかりになってしまいましたが、最後に雪掻き車の試運転です。運転報を調べる中で、偶然見つけたものです。翌年にはDE15 1541が新製配置され、実際にキ552が雪掻きをするところを見ることはできませんでした。 

4回に渡り1980年に私が撮影してきたものをご覧頂きましたが、国鉄時代のころはこれらの他にも、様々な列車が走るシーンが見られました。不出来なものも敢えてアップしたことはご容赦ください。

コロナウィルスとの戦いは延長戦の様相を呈しています。しばらくは有無を言わさずカウチポテト(もう死語かと思っていましたが・・・)状態が続く覚悟をしなくてはならないようですね。そろそろきちんと人生の整理に取り掛からなくてはならないのかもしれません。これからもしばらくはアーカイブを見て頂くことになりそうです。(検査掛)




 



 



 





















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