« 2020年2月 | トップページ | 2020年4月 »

2020年3月

2020年3月31日 (火)

1980年に捉えた甲種車両輸送等(後篇) 

これを書いている今日(3月29日)、32年ぶりに東京に雪が降りました。首都圏は既に桜が見頃となっていて、雪と桜のコラボとなれば、行きたい衝動にかられます。
といっても、さすがに控えなければどこかの国のファーストレディ?並みに叩かれてしまうので、表題に戻ることにしましょう。
引き続き8月以降を見て頂きたいと思います。


Img834_20200329190301
8月26日 大府・共和 9761レ
EF65 65+ヨ+デハ3715+デハ3712+デハ3714+クハ3671+ヨ
東急3700系の名鉄への譲渡の回送です。何回かあったと思いますが、捉えたのはこの最終便のみです。一応大手と言われる名鉄が、中古の吊り掛け車を譲り受けるという、最近にはあまりなかった事象で、ファンの間でも話題となりました。
個人的には、乗り慣れた車がまた身近に来るということで、楽しみでした。

Img837
名古屋臨海鉄道から名鉄東名古屋港へ追い掛けました。


Img842
名鉄 名電築港からはデキ603が牽引、東名古屋港(本駅)で付替えて大江へ向かいました。
 

Img879
9月3日 弁天島・新居町 9772レ
ED62 18+ワフ+シム+16-1141+25-1218+37-1521+26-1307+シム+ヨ
日本車両豊川蕨製作所で新造された0系(2000番台)新幹線車両を、浜松工場まで輸送するにも、甲種車両輸送で行われていました。
新幹線車両は当然車両限界が在来線とは異なるため、ホーム通過時は車体を偏位させる台車を履いていました。また、工場引渡し線からはED18 2が牽引していました。
新幹線車両の輸送は、2階建て車両が編成に入る100系からは道路輸送に切り替えられました。



Img881
9月3日 名古屋 9197レ
DD51 816+ND552 12+ヨ
同じ日に名古屋臨海鉄道の機関車の輸送がありました。ND552 12は、国鉄DD13 12を譲受した車両で、前照灯がボンネットの中央に1灯のタイプです。Wikによると、同車は当月に同社に入籍しており、譲渡のための回送だったようです。この10月から名古屋貨物ターミナルの入換業務を同社が受託し、そのため増備されたものです。



Img142
10月26日 木曽川 3985レ
EF65 17+ワフ+キハ55 19+キロ28 53+キロ28 37+ワフ
天鉄局(和歌山区)所属だった気動車が、関西線経由で廃車回送されました。木曽川でマルヨするダイヤだったので、停まりを撮りに行ったようです。



Img367
11月9日 下地・平井(信) 9772レ
EF58 91+ワフ+京王帝都電鉄6000系 6両+ヨ
今までも何度か日車からの出場をアップしてきましたが、当時は豊川から浜松区のEF58が牽引するのが通常でした。
首都圏の大手私鉄では、京王の他、小田急、京成が日車で製造されることが多いようです。
 

Img124
11月9日 名古屋 791レ
EF60 20+ワフ+ヨ+クモヤ145-2+ワフ
国鉄時代、電車は走れるところは自力回送されるのが普通でしたので、森ノ宮区所属となるこの車両がこのような形で回送された理由は不明です。


Img196_20200330081101
11月16日 新守山・勝川 9662レ
EF64 66+ヨ+キハ80 3両+ワフ

Img355_20200330081101
12月7日 春日井・神領 9662レ
EF64 28+ヨ+キハ82 5+キハ80 19+キハ80 69+ヨ
年末になって多治見に疎開留置されていた名古屋区の80系DCの廃車回送が行われました。
新守山・勝川間のカーブは、当時名古屋近郊にしてはとてものどかな雰囲気で、住宅地になった今からは想像もできません。



Img356_20200330084101
12月10日 名古屋・枇杷島 回7112レ
EF58 148+マニ60 2453+キハ80 99+キハ80 126+キハ80 125+キハ82 40
名古屋区の年式の高い80系を廃車した代わりに、181系化によって余剰となった向日町所の80系4両が名古屋区に転属してきました。
 

Img431_20200330081201
12月20日 名古屋 回8101レ
EF58 61+オユ11 2104+キハ47 143+キハ47 142+キハ47 1096
東海道線を走る新製DC、PCの配属回送の牽引には東京機関区のEF58がよく使われ、ロイヤルエンジンも結構充当されました。


Img448_20200330081301
12月21日 名古屋 8150レ
EF65 71+ヨ+東武鉄道5050系(旧7800系部品利用車) 6両+ヨ
この年、最後に見た甲種車両輸送はアルナ工機で製造された東武車の回送でした。
関西圏のメーカー製造の甲種車両輸送は、当地は夜間通過がほとんどで、アルナ工機のこの回送は極めて珍しいものでした。


当時は社会人2年目で、現業勤務で宿直もあり、それなりに時間に自由の利く仕事をしていたので、記録できたものがほとんどです。当時はこのような列車にカメラを向ける人は殆ど見られず、好き勝手?に撮れたものですが、最近は雑誌のみでなく、SNS等で情報が拡散され、どんな回送、甲種輸送にも多くの同業者が来て、驚くばかりです。と言っても辞められませんが・・・。また、気が向いたら他の年のものもアップしていきたいと思います。(検査掛)
 

 
 





 

| | コメント (3)

2020年3月29日 (日)

632.1981年夏 山陰・中国地方撮り鉄行脚 8号車 【魅力たっぷりの電化ナロー路線】 1981/8/26


2_20200329164301

  

 新型コロナウィルスの感染拡大はなかなか改善の兆しが見えません。あちこちから桜の便りが聞こえており、本来なら鉄活動が最も活発になる時季ですが、今週末も鉄活動は自粛です。あちこちで不要不急の外出や移動の自粛が叫ばれており、自分自身に降りかかるリスクを考えると仕方なく思います。
 1981年夏の撮り鉄行脚のラストは電化ナローだった下津井電鉄です。1981年当時、旅客営業を行っていた電化ナローは下津井電鉄と近鉄の北勢線・内部線・八王子線、黒部峡谷鉄道でしたが、この中では下津井電鉄が最も電化ナローの魅力を味わえる路線だったと思います。もともとは宇野線の茶屋町から児島を経由して下津井を結ぶ路線でしたが、利用客の減少により1972(昭和47)年331日限りで全線の約70%に当たる茶屋町~児島間14.5㌔が廃止され、残った児島~下津井間6.3㌔は他の鉄道線と接続を持たない離れ小島的な路線となってしまいました。1988(昭和63)年4月に瀬戸大橋が開通したのを機に観光路線への転身をはかり、新車(メリーベル号)を導入や増発に備えた琴海の交換設備復活など、積極的な施策を展開しましたが、想定していた効果は上がらず、命脈尽きて1990(平成2)年1231限りで全線廃止となってしまいました。全線廃線時に残っていた車両たちは関係者のご努力により旧下津井駅跡・下電ホテル・おさふねサービスエリアで保存され、今でもその姿を見ることができるようです。

 

※撮影は1981(昭和56)年826日の下津井電鉄(電車運転士)

 

12image2081826

 鉄道研究会の合宿を無事に(激しい二日酔いを引きずりながら)終え、児島に向かいました。児島は鉄道で直接アプローチできなかったため、バスでの移動となりました。児島から沿線のロケハンを兼ねて終点の下津井まで乗車しました。最初に目に入ったのがモハ1001でした。バッファ付きのネジ式連結器が残っており、当時でも珍しい存在でした。この約2年後には落書き電車となって悲惨な状態になってしまったので、そうなる前の姿を撮ることができてよかったです。
【1981.8.26 下津井】

 

22image2181826

 奥にはモハ102=サハ2=クハ223両編成が休んでいました。多客輸送用の予備車的な存在だったため、本線運用は少なかったようです。構内は木造の各種建屋や土に埋もれそうな線路などいかにもナローの車両基地といった雰囲気がありありでした。さらに奥の方や建屋の中には貴重な車両が眠っていましたが、それらをまともに撮らずに下津井を後にしてしまったのは今となっては大きな後悔です。もったいないことをしてしまいました。
【1981.8.26 下津井】

 

32image10381826

 下津井を後に本格的な撮影をスタートしました。下津井の港を後にモハ103=クハ24の編成が来ました。地図上で目星をつけていたポイントですが、逆光の時間帯だったので、条件のよくなる時間帯に再訪することとしました。
【1981.8.26 東下津井~下津井】

 

42image10581826

 ここのカーブは下津井電鉄の定番ポイントのひとつです。下津井電鉄の紹介写真には必ずといっていいほど登場するアングルです。モハ103=クハ24は製造年が1961(昭和36)年と比較的新しかったため、ナローの車両にしては近代的な外観でした。当時の主力車両で、最も目にする機会の多かった車両です。
【1981.8.26 東下津井~下津井】

 

52image10481826

 琴海~鷲羽山のSカーブは瀬戸内海バックのポイントですが、ご覧のとおり草が伸び放題で、車体が見えない状況だったので、鷲羽山展望台へのアプローチ道路からの俯瞰は諦めざるを得なく、線路端からの撮影を余儀なくされました。
【1981.8.26 琴海~鷲羽山】

 

62image10818

1981.8.26 阿津】

 

72image10881826

1981.8.26 阿津~琴海】

 街中を走る阿津付近は下町的なシチュエーションで、生活に密着したナロー路線の雰囲気が漂っていました。風光明媚な景色も悪くはありませんが、こういった風景もナロー路線の魅力のひとつです。簡素な駅で電車を待つ乗客とか自転車の女子中学生などがいい感じで構図の中に入ってくれました。昼中の乗客の少ない時間帯になって、車両がこの日は撮れないかもしれないと思っていたモハ1001に差し替わってくれたのでよかったです。

 

82image11481826

 光線がよくなる時間を見計らって下津井港バックの俯瞰ポイントを再訪しました。四国側の丸亀港を結ぶフェリーのほか瀬戸内海を行き交う船がうまい具合に写ってくれました。下津井電鉄を象徴するような風景で、この日の一番お気に入りの1枚となりました。
【1981.8.26 東下津井~下津井】

 

92image11581826

 東下津井~下津井間には小さな峠越えがありました。瀬戸内海とのコラボというのが下津井電鉄のイメージでしたが、山深い雰囲気が味わえる区間があるとは意外でした。
【1981.8.26 東下津井~下津井】

 

102image11681826

 夕方近くになって再びモハ103=クハ24が出てきました。東下津井のホームからの撮影ですが、線路端の夏草が凄まじいことになっていました。草が豪雪地帯の雪の壁のようになっており、当時でもこれだけの状況は初めて見ました。経営が厳しい中、除草費節約の結果だったのでしょうか。
【1981.8.26 東下津井】

 撮影後、この列車に乗って下津井電鉄を後にし、その後は在来線を乗り継いで名古屋方面に戻りました。この時の訪問から廃線までおよそ10年あり、その気になれば再訪のチャンスはありましたが、結局、下津井電鉄はこの時が最初で最後の訪問になってしまいました。以上で8日間にわたる山陰・中国地方の撮り鉄行脚が終わりました。お付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。

 

 

| | コメント (3)

密閉・密集・密接を避けて

仕事面、生活面、健康面で新型肺炎の影響を受けられた方々には、お見舞い申し上げます。  
  
新型肺炎の影響を受けて、すでに発表・発売されていた新幹線、在来線の各種多客臨の一部列車がウヤとなったことに加え、遂にSLやまぐち、北びわこまでもが一部運行中止となり、いよいよテツ的趣味にも大きな打撃を受ける事態が訪れています。幸い、定期列車の運行自粛までには至っていないので被写体には事欠きませんが、テツ活動に対して冷たい視線が向けられやしないかと世間の空気感に怯えるこの頃です。しかし、いつまでも自宅待機で我慢するのは体によくありません。どうしても求めたいものがあるならば、移動はマイカー等を使い(→不本意)、三ミツ(密閉・密集・密接)の何れにも当てはまらない環境の下で楽しむように心がけたく思います。   
   

62_20200329095901

28日早朝に発生した京都駅の信号故障により、吹田発シキ801返却回送8862レはモロに影響を受けて95分遅れで発車。その後、草津バカ停を詰めて30分戻し、近江長岡のバカ停を醒ヶ井10分停車に変更して約40分遅れまで回復、そして大垣からは特快5108Fの直後にスジを入れて稲沢以東は定時運行。見事に遅延回復を成し遂げました(目撃情報からの推測を一部含む)。
指令屋サンが何処にスジを入れるかを、自宅に居ながらSNSを頼りに推測するのもオツなものです。探っているうちに大まかな時変後の見通しがついたので、三ミツ回避可能な場所にスクランブル発進。15分の待機後、薄日の射す中をやって来ました。以上で用事は済んだのでそそくさと撤収し、おとなしく自宅待機モードとなりました。  
  
このような事態のなか、大井川鐡道ではコロナウイルス感染対策を施した恒例「長距離鈍行列車ツアー」が企画されました。特に今季は数少ないイベント列車の一つなので同業者が大勢押し寄せて来るかもしれませんが、三ミツを回避して独自のアングルを探し出せるよう創意工夫を凝らしながら撮影を楽しみたいものです。(出札掛)

| | コメント (3)

2020年3月28日 (土)

1980年に捉えた甲種車両輸送等(前篇)

収まるどころか、「感染爆発」が懸念されてきた新型コロナウィルス。横文字を多用するどこかの知事ですら言葉を選んだ、「首都封鎖」という言葉が現実味を帯びてきました。
かく言う私はというと、18きっぷを買ってしまい、残り3日分をどう使おうか考えあぐねていたのですが、たまたま23日の上り「ながら」に空席があったので、思わず日帰りで東京に行ってきてしまいました。さらには、26日には陽気がイイ(翌27日からしばらくは下り坂)ので、家族運用で京都に花見に行く(これはマイカーですが・・・)など、能天気な行動をしてしまいましたが、いよいよそんな行動は慎まなくてはならない状況になって来ましたね。いろいろな情報が飛び交っていますが、極力冷静に振る舞いたいと思っています。
そんなわけで、とりあえずアーカイブネタで、社会人になってまもなくハマり始めた甲種車両輸送等(1980年分)です。なぜハマることになったのか、というと、当時の国鉄は今の時代と違って、割とユルく情報についても、部外者でも結構知ることができることを教えてもらったことが最初です。

 

Img360
4月11日 名古屋 回9104レ
EF58 94+スロフ62 2020+キハ30 8+キハ30 9+キハ30 100
これは甲種車両輸送ではなく、今なら配給列車というべきものでしょうか。伊勢区に配属されていた車を、八王子区へ回送したものです。当時は頻繁に運転される臨時団体列車のために、東海道線には「予定臨」と呼ばれるスジが予め設定されており、この類の列車もこのスジを使っていました。

Img363
先回りして名鉄神宮前のホームで撮影しています。名鉄パノラマカーもフレームインしました。最後尾のキハ30 100は生き延びて、現在は水島臨海鉄道で現役です。バックの鉄骨は建築中だった名古屋市教育センターですね。


Img385
4月21日 八王子 891レ
DE10 556+ヨ+クハ3674+クハ3675+クハ3774+クハ3773+ワフ
この日は帰省しており、たまたま東急から弘南鉄道への輸送があると友人から聞いていたので、時間を割きました。長津田から到着したところです。


Img388
逆側にEF15 79を付け替え、9894レとして弘南に旅立ちます。同じ形式のはずですが、微妙に車高が違うのは出自が戦時復旧車のためでしょうか。

 

Img290
5月4日 三河大塚・三河三谷 9761レ
EF60 111+ヨ+キハ11 3+キハ11 60+キハ11 59+ワフ
ここは、東海道線と海を絡められる場所として、この後しばらくお気に入りの場所となったところです。
当時の二俣線用キハ11 3両の廃車回送で、行き先はうろ覚えながら新湊だったと思います。置換え用のキハ20がこの前に来たはずですが、記録していません。

Img293
あちらこちらに長時間停車していったようで、3か所で撮影していますが、当時の東海道線の普通列車本数から考えると、どれだけのんびり走っていたのでしょうか。

Img329_20200328163101
5月11日 名古屋 8863レ
EF60 116+ヨ+クモハ526+サハ1527+クモハ525+ヨ
たぶん仕事の休憩時間で撮ったものと思います。西武501系を三岐鉄道へ譲渡するための回送ですが、既に所沢工場で三岐仕様にななっていました。稲沢から折り返して富田まで回送されたものと思いますが、そちらは撮っていません。また、この車両を三岐線内で撮ることもなく廃車になってしまいました。



Img527-2
5月18日 近江長岡・醒ヶ井 回8103レ
EF58 148+マニ36 82+キハ47 127~131
この頃、各地のローカル列車の近代化が推進されており、気動車、客車のメーカーだった富士重工、新潟鉄工から回送されていました。


Img613
6月18日 穂積 163レ
6月13日に横浜港で運転されたC58 1を梅小路に返却するための回送です。スジとしては定期貨物のものを利用したため、あちこちで停まっていきました。C58にはシートが掛けられており、あまり写真にはならない対象ですが、なぜか名古屋、稲沢、穂積、関ヶ原と4回も撮っています。


Img615
いかにものんびりした輸送風景。

Img628_20200328122501
6月21日 東港 
ND552 5+ヨ+シム+CW9462~9467+シム+ワフ
日車で製造されたインドネシア向けの輸出客車が、豊川~豊橋~笠寺~東港~名電築港~東名古屋港という経路で運ばれました。


Img630_20200328192301
この頃はまだND35 2も本線牽引機に使われていました。最近は大勢の人間が踏切に立っていますが、当時は殆どいませんでした。


Img631
名電築港から東名古屋港までは名鉄のELが牽いていき、付替えて埠頭入口まではELで押して行きます。



Img636
現在は臨海鉄道のDLが埠頭まで推進していきますが、当時は自動車(この日はタンクローリー)で牽いて行きました。


Img718
7月6日 名古屋 9761 レ
EF58 ?+ワフ+モハ14769+モハ14770+モハ14767+モハ14768+ヨ
日車で製造された富山地鉄14760系の甲種車両輸送です。富山地鉄生え抜きの新造車は現在まではこの形式が最後となっています。
下の道路を走る名古屋市営バスが時代を感じさせます。



Img780
7月20日 名古屋 9761レ
EF60 21+ヨ+キハ17 22+キハ17 62+ヨ
再び遠江二俣区からの廃車回送がありました。今回はキハ17 2両でした。

下半期は別途後日立てたいと思います。(検査掛)

| | コメント (1)

2020年3月22日 (日)

富士山と駿豆線特別急行

徐々に活躍の場が狭められつつあるJR-Eの185系「踊り子」号。今春の改正において修善寺乗り入れについては現状維持でしたが、来年の改正ではいよいよ大きな動きがあるかもしれません。そこで今回は185系の修善寺運用に的を絞り、伊豆箱根鉄道駿豆線まで撮影に出かけました。
   

M1_20200322202601

駿豆線は初参戦なので、当ブログに載せられた幾つかの電車運転士様の記事を参考に、ちょいとマネしてみました(いつもすみません)。大場の有名撮影地には日の出と共に到着。雲一つない空模様に富士山も全容を現してはいるものの、空気が霞んでいるせいで朝のわりにはクッキリとしません。赤富士など問題外、やはり冬季に限りますね。
    

M2_20200322202701

幸い、西武カラー編成と軌道線カラー編成とも終日の運用に入っていたのが救いです。
  

T2_20200322202801

早朝に現地入りしたので、185系までの時間つぶしに東海道線の有名お立ち台に立ち寄ってみました。ここではトヨタ便、西濃便、福山便などの貨物が短時間に次々と現れるので効率よく撮影出来ます。画像は定時に現れた54レ福山便。治水対策なのか、以前は画面右側にあった雑木林(左岸堤防)がキレイに伐採されて、より自由にアングルを選びやすくなりました。
   

T1_20200322202901

前日の東北地方における風量規制で下り貨物は大幅に乱れている中、トヨタ便は定時より早めにやって来たようです。ただし本来の2053レではなく前夜に通過するはずの2051レとの話もありますが、撮れたのでヨシとしましょう。少し川下から狙うと堰がアングルに入るので、山が見えなかった時のアクセントに使えそうです。西濃便2059レは大幅な遅延で撮影は叶いませんでしたが、代りに列番不明のコンテナが2059レのスジで来たのでヨシとしましょう。では次にメインメニュー185系の撮影結果を順にどうぞ。
   

O3_20200322203101

1本目「踊り子3号」は、午前中が順光となる俯瞰ポイントから狙いました。少しわかり難いですが、背景の川の堤防には菜の花が咲いて彩りを添えてくれます。
  

O9

下り2本目の「9号」は定番ポイントで迎えました。山が見えていることもあり、そこそこの賑わいです。通過30分前に着くも、ベスポジは10名前後の先客で既に埋まっていました。
   

O8_20200322203401

続いて上り「「8号」は東海道線の俯瞰ポイントからです。大場のお立ち台で撮影後、急行すれば間に合いそうですが大事を取って早めに現地入りしたものの、案の定、ベスポジは満員御礼でした。ここで撮る「踊り子」は8号が最も良い光線状態となるので無理もありません。
  

O13

ロケハン途中に見つけたのは菜の花で埋め尽くされた大場川の堤防です。同業者がカメラを構えていたので自分も便乗し、「13号」を一発勝負。
  

O12

ふと富士山ポイントを思い出して、この場所に来たときは順光時間を既に過ぎていました。しまった、訪れる順序を間違えました。線路端には慰め程度に菜の花が咲いているので、せっかくだからと次に来る185系「12号」を撮りました。後追いとなりますが、テールランプと運転士の姿がないことさえ気にしなければ及第点です。
  

O17

移動が面倒になったので、40分待って「17号」を撮りました。日中はヘッドライトを点灯しないのですね。上述の件も含めると、写真的に良いのか悪いのか、微妙です。逆光気味となる富士山は霞の空に消えてしまいそうです。それより、急に鳥・・・。
   

O16

山の姿も霞みに覆われてはっきりしなくなったので、この日の185系最終便「16号」は大場インカーブからマジメに?編成写真を撮りました。
順光となるには夏場が適しているようです。
  

12_20200322204101

富士山が夕日で染まらないかと日没まで粘りましたが、残念な結果でした。そこで夕日ギラリを狙おうと再びこの場所を訪れましたが、急に思いついたものだから時すでに遅し。日没間際にやって来た下り列車が辛うじて夕日を拾ってくれました。

春分の日の翌日に日の出から日没までの12時間労働。雲一つない上天気に富士山は丸一日眺められ、撮影条件は申し分ありませんでした。久しぶりに聞いたMT54Dのモーター音に感動です。(出札掛)


撮影にあたり、検査掛様、電車運転士様の記事が大いに参考となりました。この場を借りて御礼申し上げます。

| | コメント (2)

2020年3月21日 (土)

631.1981年夏 山陰・中国地方撮り鉄行脚 7号車 【ちょっと派手な装いの旧型国電】 1981/8/25

 新型コロナウィルスの感染拡大止まりません。いろいろなところによくない影響が出ており、繰り返しになりますが、1日も早い終息と日常が戻ることを祈るばかりです。3連休初日の20日は仕事での大きなトラブルが発生、その対応でまる1日吹っ飛んで身体はヘロヘロ、残りの2日間も鉄活動の自粛が続きそうなので、引き続き過去ネタで繋ぎたいと思います。1981年夏の山陰・中国地方の撮り鉄行脚も終盤戦を迎えてきました。今回は広島近郊の可部線です。可部線は可部を境に電化区間と非電化区間に分かれており、電化区間の横川~可部は列車本数も多く広島の近郊区間、非電化区間の可部~三段峡は太田川に沿って進む景色のいいローカル線でした。非電化区間は2003(平成15)年に廃止されてしまい、後にも先にも可部線を訪れたのはこの時だけで、非電化区間に足を伸ばさなかったのは悔やまれます。

 

※撮影は1981(昭和56)年825日の可部線(電車運転士)

 

12image281825

 早朝、広島STHチェックアウト前にダブルルーフのオル30の姿が見えたので、とりあえずシャッターを押しました。1981年当時でもダブルルーフの車両は希少な存在でした。
【1981.8.25 広島】

 

22image381825

 横川の可部線ホームに停車中の4両編成の電車です。可部線の72系はすべて2両編成で、ラッシュ時間帯は2編成を併結した4両編成が主体でした。
【1981.8.25 横川】

 

32image10981825

 太田川を渡る鉄橋は電化区間のポピュラーな撮影ポイントでした。可部線のクモハ73は前面窓がHゴム化されていないモハ63の流れをくむ車両が多かったように思います。その中でクモハ73313DT14(スハ43系客車のTR47の動力台車バージョン)を履く珍しい存在でしたが、この日は撮影することができませんでした。塗色はウグイス色でしたが、前面にオレンジ色の警戒色が入ったちょっと派手な装いになっていました。この配色、自分的には旧型国電には派手過ぎて似合わないと感じました。
【1981.8.25 上八木~中島】

 

42image11181825

 クモハ73としてはトップナンバーのクモハ73001です。前面窓は3枚ともHゴム化され、前照灯もオデコに埋め込まれるなど、原型が大きく崩れていました。
【1981.8.25 上八木~中島】

 

52image11381825

 全金属化改造のクモハ73も各種車両に交じっていました。真ん中の窓にタブレットキャリアが掛かっているとおり、電化区間もタブレット閉そく式でした。
【1981.8.25 上八木~中島】

 

62image10681825

 反対側を振り向くと築堤を登って来る電車を撮影することができました。こちら側では各種クハ79を撮影しました。
【1981.8.25 上八木~中島】

 

72image10881825

 

82image11081

 側面窓はアルミサッシ2段の車両が多い中、一部のクハ79にはオリジナルの3段窓が残っている車両もいました。
【1981.8.25 上八木~中島】

 

92image11281825

 予想外のホキ800の工臨が来ました。この当時、横川~可部にはDE10の貨物列車が残っていましたが、こちらは撮影することができませんでした。
【1981.8.25 上八木~中島】

 

102image10581825

 

 

ひと通り撮影を終えて横川に戻り、可部方にあった電留線を覗いたところ、朝ラッシュの仕事を終えた電車が休憩中で、長閑な時間が流れていました。この電留線、今は撤去され、マンションの敷地になっているようです。
【1981.8.25 横川】

 この日は倉敷付近で所属していた鉄道研究会の合宿が予定されていたので、山陽本線の普通電車を乗り継ぎ、目的地に向かいました。

●次の目的地 下津井電鉄
●移動行程 横川→岡山→新倉敷→おそらくどこかの国民宿舎→1泊後下津井電鉄

 

 

| | コメント (2)

2020年3月17日 (火)

251系 引退に寄せて

昨年のダイヤ改正時にはE351系が引退したJR東日本ですが、今改正では専ら「スーパービュー踊り子」として、首都圏対東伊豆を走っていた251系が引退しました。
正直な話、住んでいる地方からは行きにくいということもあり、あまり馴染みのある車両ではありませんでしたが、登場時に新製回送を撮影に行ったこともあり、引退を惜しんでアップしたいと思います。

 

Img488
1990年4月6日  
川重から出てきて、DE10の機回しが終わったところです。この頃はこの位置で撮っても何も言われませんでした。もう30年ほど前のことで、まだまだのんびりしていました。

Img499
1990年4月6日
DE10に牽かれ高架へと登っていきます。
既に雑誌等でおおよその外観は知っていましたが、従来の国鉄タイプとは全く異なるスタイルに衝撃に近いものを感じました。


Img498_20200317100401
1990年4月6日
お決まりの鷹取でのお披露目?です。バックに見える50系も懐かしいですね。


Img366
1990年4月6日
現在の川重甲種輸送と違い、鷹取からELの牽引でした。この日はご覧のようにEF66 34が担当しましたが、それほど撮影者もいなかった気がします。この後、吹田でEF66 33に付け替えて東上しています。
しかし、30年前の西宮ホームから見た風景は全く高層の建物がありませんでした。
 

Img313
1991年9月5日
唯一、旧塗装での営業運転を撮影したのがこの日でした。帰省した帰りがけ、伊東線に2本の団臨が入るとの情報により、寄り道した折のものです。この時には実家に向かう往路、新幹線乗継で、熱海→横浜に乗車もしました。乗ったのはこの1回限りです。
251系は当初2本で運用されていましたが、その後1992年に改良型2本増備され4本となりました。


Dsc_2478
2020年1月22日
251系は2002年にリニューアルされ、塗装も一新されました。ほとんど撮影していませんでしたが、最後の石炭輸送を撮影に行ったついでに最後の姿を見ることができました。


Dsc_0190
2017年2月25日
そろそろ引退がささやかれ始めた頃、箱根登山鉄道を撮影するため、思い切って一人でマイカーを使って神奈川へ行ったときに、たまたま撮影したものです。いかにも「湘南」といったところで撮影できたのはこの時だけでした。


Dsc_8661
2019年7月5日
伊豆急クモハ103の引退興行を撮影するため、電車運転士様に連れて行ってもらった時に撮影したのが、伊豆急での貴重な記録となりました。


さて、蛇足にになりますが、1990年に登場して、今改正で消えたものがもう一つあります。



Img251
1990年2月27日
車両自体は異なりますが、JR系では初となる20m6扉車です。20m4扉車を見慣れた目には細い縦窓が並ぶ姿はとても奇異に見えました。当時山手線は205系が使用されていたので、サハ204 900番台となりました。



Img250
1990年2月27日
近畿車両で製造されましたが、同社からの出場車は吹田まで城東貨物線経由だったので、DD51が牽引していました。工場内奥には新幹線100系の2階建て車両も見えます。


Img252
吹田からはEF65牽引で東京に向いました。(日が短い時季で天気が悪く粗い画像で申し訳ありません。)
こちらこそ、営業時は撮影していません。
その後、山手線は231系になったので、20m6扉車も231系で製造され、山手線の235系化に伴い総武線用に。そして最後に残った2両が今改正で編成から外れ消滅しました。

コロナウィルスはパンデミックとなり、全く先が見えない状況ですねぇ。それでなくても重い腰がさらに重くなっています。(検査掛)

 

| | コメント (2)

2020年3月15日 (日)

静かなダイヤ改正日

新型コロナウイルス感染の終息がなかなか見えない中、静かに迎えた今春のダイヤ改正。名古屋界隈に於いて劇的な変化があったといえば、言うまでもなく近鉄「ひのとり」デビューと、強いて取り上げるならば東海道新幹線700系の引退でしょうか。何れもコロナウイルスの影響で大々的な催しが自粛されたのは少し残念でした。一方、愛知区のDD51は注目の異形式重連8075レ運用も含めて現状維持。近鉄スナックカーも4両単独運用含めてまだまだ現役続行ですが、稼働編成が減少したせいでスナック8連のような重連運用は見られなくなるかもしれません。それにしても、DD51もスナックカーもダイヤ改正で引退すると思い込んでいた人々のなんと多いことか。
  

Sl

改正日当日は雨も降って天気も良くないので、不要不急のテツ活動外出は控えて買い出しに出かけたら、ビールメーカーの罠にハマりました。自宅で酒でも飲みながら、SNSで改正後の変化をチェックする大人しい一日。
    

15

テツ活動も世間のひんしゅくを買わない程度にセーブしないといけないような空気感。鉄道関連のイベントの大半は中止となりましたが定期列車は動いているので、イベントは催されずとも日常のシーンにより目を向けて、普段着の姿をカメラに収めたく思います。とは言うものの、旬なネタにはやっぱり我慢できない性分です。改正日の翌朝は天候が回復したこともあり、つい地元で「ネタ列車」を撮りに出かけてしまいました。
       

世間の目が多少気になりますが、“○○踏切で肩を寄せ合いながら8075を撮る”ような行為(→皮肉)でもしない限り、ウイルス感染を恐れることなくテツ活動を続けて、ストレス発散して、免疫力を落とさないよう健康に留意したいものです。皆様もどうぞご自愛ください。(出札掛)

| | コメント (2)

2020年3月10日 (火)

役目を終えたホキ10000形

現在世界中にまん延している新型コロナウィルス、いよいよ予断を許さない状況になって来ました。ダイヤ改正を前にアチコチ行きたいところですが、考え直さなければ行けないのかな?と思う今日この頃です。3月に入って、1日には勤め先の同僚と閉園がアナウンスされている加悦SL広場へ、そして8日には所用で京都へ、18きっぷを使って行ってきましたが、車中、京都市内ともあまりにもすいていて驚きました。

ダイヤ改正にあたっては、常磐線が9年ぶりに全線復旧するほか、山手線に新駅ができるなど明るい話題の一方で、新幹線700系、ビュー踊り子251系の引退と言った世代交代もあり、鉄道ファンには忙しい季節です。
そんな中、貨物輸送でも、日本で最後となる鉄道による石炭輸送がダイヤ改正を待たず、2月25日で運転が終了しました。これにより、ホキ10000形が役目を終えることになりました。特に貨物輸送に詳しいわけでもないのですが、なぜかこの黒い大きな貨車には魅力を感じ、最後バタバタと撮りに行ってしまいました。
ホキ10000形は1980年~81年に272両が製造されたとのことですが、うち250両が秩父セメント用で、22両が電化セメント用だったとのことです。秩父車は秩父鉄道三ヶ尻~鶴見線扇町間で使用されていました。

Dsc_2710
2020年2月24日
最後まで残ったのは、秩父鉄道三ヶ尻~鶴見線扇町間を走る1往復のみでした。


Dsc_2708
扇町~熊谷貨物ターミナル間はホキ20両の堂々たる編成でした。新鶴見操→扇町→浜川崎は新鶴見区のDE10の運用でしたが,末期は専らDE11が使用されたようです。入換機のDE11が本線貨物を牽引するのも珍しい事でした。

Dsc_2762
浜川崎→熊谷タ→新鶴見操は新鶴見区のEF65PFの牽引です。やや俯瞰気味に撮っているので、積荷が覗いています。

Dsc_4007
2019年1月7日
秩父鉄道線内で撮影したのはこの日が唯一でした。三ヶ尻の配線の関係で、往復とも一旦武川まで出して折り返す形で運転されており、ここで撮影すると往復撮れるオイシイ場所でした。

ホキ10000形は東海地方でも使用されました。

Img604
2000年11月3日
2000年、中部国際空港建設に伴い、埋立土運搬列車が三岐鉄道東藤原~JR四日市間に設定され、97両が三岐鉄道東藤原駅常備となりました。同様に大井川鐵道からも旧大阪セメントのEL、いぶき501(借入)、502(譲受)が増備されました。


Img541
2000年10月14日
藤原岳をバックに走るホキ10000形編成。


Img160
2001年5月19日
富田~四日市(港)間は今話題?のDD51が牽引。
中部国際空港の埋立土輸送は2002年で終了し、30両は関東に帰りましたが、残った車両の一部は、その後、積荷を骨材に変更し、2012年2月末まで使用されました。

Dsc_2001
2009年6月27日
骨材輸送中は定期検査も実施されており、笹島~岐阜貨物ターミナル間で試運転も行われてました。


Dsc_0803
2012年10月22日
骨材輸送終了後、伊勢治田に留置されていましたが、数両ずつ山を下りて稲沢経由で廃車回送されました。

新幹線や旅客車に比べるとあまり話題に上らない貨物関係ですが、社会構造の変化と共に数多くの車両たちが姿を消して行きました。最近はモーダルシフトという言葉さえ下火になってきたように感じますが、当地区では石油輸送の他にも赤ホキ、白ホキと頑張っていますので、記録していきたいと思います。(検査掛)
 




 

 

 

 

| | コメント (4)

2020年3月 8日 (日)

ラストチャンス 近鉄編

今春3月改正で姿を消すことが各メディアに報道されて一躍有名になった近鉄の鮮魚列車。専用車両(X82編成)が使われていることは皆様ご存じのとおりですが、半年ほど前に大坂方の表示幕が故障?して以来、系統板が掲出されて表示幕の代用をしています。伊勢方は味気ない「鮮魚」表示幕のままなので、撮影するなら系統板掲出側が先頭になる大阪行のほうが写真映えします。ところでここ数日前から、過去に使われていたと思われる年季の入った旧式板が使用されています。引退前の演出なのでしょうか、この粋な計らいについ誘われてしまいました。7日(土)は自分にとって大阪行鮮魚列車を撮影する最後のチャンスなので即決行。そこで、せっかく足を運ぶのなら「ひのとり」導入で去就が注目されているスナックカーも狙ってみよまい、となりました。 
    

01_20200308212601

できれば青山を越えて明るい天気の下で撮りたかったのですが、今回は欲張って名阪、名伊、阪伊3系統のスナックカーを一気に狙いたかったので、伊勢中川周辺で行動することにしました。現地に着いたのは日の出前。ロケハン中に太陽が昇り始め、直後に大阪線各停が接近、朝日を受けて輝きました。 
   

302

運行時刻は予習済みですが、アプリの走行位置に「貸切」と表示されるので撮影スタンバイの目安になるのはありがたいです。どこで撮っても逆光気味なので止むを得ませんが、まずはメインの目的達成。使い古した系統板はオツなものです。  
    

02_20200308212701

      

07

さてここからは、アプリを片手に12200系を狙います。予備知識とアプリとの合わせ技で、12200系の充当列車、連結位置などがほぼ把握できるようになりました。   
     

06

    

05

12200系の4両単独運用も容易に把握できます。オーソドックスですが、他形式との混結編成よりも絵になります。
    

38_20200308213101

三重交通色のVW38編成が伊勢中川の構内で待機中でした。折しも12400系が横をかすめていきました。この「サニーカー」もボチボチと収めておきたく思います。  
    

03_20200308213201

阪伊特急7004レは、8両編成にもかかわらずアプリには「喫煙室はありません」の表示。これは間違いなくオールスナック8連!と判断しました。編成を順光で撮れないものかと伊勢石橋の鉄橋まで来てみたら、ちょうど良い位置に春の花が咲いていて季節らしいシーンを提供してくれました。ターゲットも予測どおりのスナック重連編成に満足。  
     

85_20200308213301

12200系が来ない時間帯に「南紀」がタイミング良く来るときは紀勢線に足を向けました。おかげで一息つく暇もありません。画像は「南紀5号」ですが、いくら自粛ムードがあるにせよ、乗客の姿が・・・。  
     

04_20200308213401

12200系の運用列車を順調にゲットしておりますが、できることならやはり「前パン」の姿を捉えたいです。アプリによると名伊1113レは8両編成のうち「喫煙室は1号車」との表示。ということは伊勢方4両は12200系ではなかろうかと線路際で構えました。よっしゃ、前パンゲットです。菱形パンを望むのは贅沢?  
     

75_20200308213501

天気予報どおり夕方には曇り空に変わりました。こうなりゃしめたもので、8075レの撮影ポイントは広がります、ということで帰りがけの駄賃はこの場所で収めました。現行ダイヤ最後の土曜日なので、この重連撮影も最後のチャンスです。仮に改正後もこの運用に変更がなかったとしても、シーズンオフを迎えると土曜日の凸熊重連は解消されるので、何れにせよこの日がラストチャンス?平日に撮ろうと思えば不可能ではありませんが・・・。
現地では資材担当様とバッタリ。お疲れ様でした。   

    
12200系が鮮魚列車に続いて見納めとなる時期が訪れるまで、当分の間アプリとにらめっこです。(出札掛)
PS:鮮魚列車の表示幕故障をあえて修理しなかったのは、列車の廃止が既に決定していたことの暗示かもしれないですね。




| | コメント (2)

630.1981年夏 山陰中国地方撮り鉄行脚 6号車 【3段スイッチバックを体感】1981/8/24

 このところ、新型コロナウィルスの感染拡大にともない、不要不急の外出自粛ムードが日本中を駆け巡っています。我が家でも例外ではなく、嫁から鉄活動は不要不急の外出の最たるものと一刀両断され、自分的にも屋外での鉄活動は自粛を余儀なくされています。もしものことがあったら取り返しのつかないことになるリスクを考えると止むを得ません。ということで、しばらくは過去ネタで繋げることが多くなると思います。少しでも早く日常が戻ってほしいです。

 木次線は出雲坂根の3段スイッチバックが有名です。これを体感するのを大きな目的としており、当時の撮り鉄行脚に組み込みました。

 

※撮影は1981(昭和56)年の木次線(電車運転士)

 

12image181824

 早朝、「さんべ6号」を宍道で降り、木次線の列車を待ちました。その間に大阪からの「だいせん5号」が来ました。郵便・荷物車2両を挟んでいるのでわかりにくいですが、20系客車を使用した豪華編成でした。
【1981.8.24 宍道】

 

22image10881824

 木次線には出雲横田までDE10の貨物列車が運転されており、3段スイッチバックに加えてこれを撮影するのも大きな目的でした。スイッチバックの前座としてはなかなか美味しい被写体でした。赤茶色の石州瓦の民家が点在する里山には短編成のローカル貨物列車が似合っていました。
【1981.8.24 日登~下久野】

 

32image10981824

 これといった見どころもない平凡な日本的田園風景ですが、何か心が落ちつきます。先頭は少数派のキハ53でした。
【1981.8.24 日登~下久野】

 

42image11281824

 貨物列車は途中の駅(出雲三成だったと思いますが…)で長時間停車があったため、もう1回撮影することができました。トラ90000を切り離してヨ8000だけの身軽な編成で来ました。この列車を撮影後、この日のメインディッシュ、出雲坂根に向かいました。
【1981.8.24 亀嵩~出雲横田】

 

52image1581824

 出雲坂根で下車し、線路を挟んだ反対側の山道を登って行きました。山道からは3段スイッチバックの全容を見ることができました。列車は八川方面からの1段目を登っています。
【1981.8.24 八川~出雲坂根】

 

62image10281824

 先程の列車が出雲坂根のホームで折り返して2段目を登って行きます。当時はスイッチバック撮影の定番ポイントでしたが、今は成長した木々に阻まれて見通しがきかないようです。
【1981.8.24 出雲坂根】

 

72image10781824

 出雲坂根では「ちどり3号・4号」が行き違いでした。高速道路が未整備だった当時は木次線も陰陽連絡線の一翼を担っており、広島~米子・鳥取間に急行「ちどり」が2往復運転されていました。普通列車の本数が少ない中、「ちどり」の存在はありがたかったです。198010月改正までは定期で夜行の設定もあり、今の寂しいダイヤと比べると隔世の感があります。
【1981.8.24 出雲坂根】

 

82image10981824

 スイッチバックの最上段の折り返し地点です。左下に見えるのが1段目の線路です。3段スイッチバックでこれだけの高低差を稼いでいました。スケールは立野には及びませんが、出雲坂根もそれなりに見応えはありました。
【1981.8.24 出雲坂根】

 

92image11181824

 夕方の斜光線が差し込む出雲坂根です。間もなく夕暮れを迎えようとしています。木次線はタブレット閉そくだったため、運転係員が常駐していました。当時から有名だった駅構内の「延命水」は今でも名水スポットとして健在です。この後、列車に乗車、3段スイッチバックを体感しつつ備後落合乗り換えで広島に向かいました。
【1981.8.24 出雲坂根】

 

●次の目的地 可部線

●移動行程 出雲坂根→備後落合→「たいしゃく3号」→広島(広島STH)→横川→可部線

 

 

| | コメント (3)

2020年3月 1日 (日)

ダブルチャンス

コロナウイルスの影響で鉄道関連の催し物までもが相次いで中止されておりますが、2月29~3月1日の東海道新幹線700系ラストランを記念した団体列車は予定どおり運行されました。29日は天候が芳しくなかったので、自宅にて目撃情報をチェックしながら様子を伺っていましたが、どうやら本務列車の90分後に2本目の700系が続行で走っているらしいです。これは本務列車に異常が生じた場合の予備編成の回送だとか。まるでお召列車如くの対応ですね。2編成とも文字装飾編成なので、万が一本務列車で撮影を失敗してもすぐにリベンジのチャンスが訪れるのは、腕の悪い自分にとってはたいへん好都合です。
さて、天候が回復した3月1日、名古屋界隈では他に当日限りの“濃い”ネタもなさそうなので、この日も2本走るであろう700系を狙いに出かけました。
   

C53

できれば俯瞰気味のポイントからキレイに撮影したいところですが、そのような地点は早朝から場所取り合戦が繰り広げられているようだし、当方そこまでする気もないので、とりあえず無難に記録できればヨシ、と選んだ目的地は岐阜羽島駅。ホーム先端は混み合っているのでしかたなく14号車乗り場付近から。でもいいんです、障害もなくスッキリ撮れたから。しかし光線はほぼ正面がちでした。
    

C54

駅を離れ、しばし某所で時間をつぶしながら目撃情報をチェックしていると、本務列車から93分後、新大阪を「のぞみ320号」のスジで予備編成による回送列車が出発したようです。今度はヘッドの文字とサイドステッカー部を捉えようと、望遠で先頭部を流しました。ファインダーに入って来たターゲットを「えいやっ」と追いかけながら連写。しかし比較的マシに同期してくれたのは僅か1コマでした。シャッター速度をもっと落とせば障害物が消えたかもしれませんが横方向のブレを最小限にとどめたかったので、1/180にしたらこのような結果でした。いやー、際どいタイミング。でもいいんです、意匠が判別できれば。因みにインカーブからの撮影なので、多少車体が傾斜しています。
というわけで、両日とも想定外な700系装飾編成の2本運行でした。
   
このような非常事態のなか、今回の700系は団臨なので直前取り消しも懸念されましたが予定どおり実施されました。関係者の方々には敬意を表します。それにしても長引くウイルス騒動。趣味的にはあまり大きな影響はなさそうですが、一日でも早く終息してテツ活動が安心・安全に行えるよう願っています。(出札掛)

| | コメント (2)

« 2020年2月 | トップページ | 2020年4月 »