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2019年8月16日 (金)

604. 1981年夏 山陰・中国地方撮り鉄行脚 3号車 【DD16の貨物列車が健在だった三江線】 1981/8/21

 下関から乗車した「さんべ6号」を江津で下車、三江線に足を踏み入れました。三江線は江津~三次を結ぶ108.1㌔の割と距離の長いローカル線で、江津~浜原間の三江北線、三次~口羽間の三江南線に分かれていましたが、1975(昭和50)年8月に浜原~口羽間が開通した際に路線名が三江線に改められました。蒸機時代は北線部分でC56による貨物列車が細々と運転されていましたが、蒸機廃止後はDD16がその任を受け継いでいました。山陰・中国地方では唯一のDD16の貨物列車運転線区で、これを撮るのがこの時の撮り鉄行脚の大きな目的のひとつでした。当時も優等列車の運転がない超地味な路線で、何度も災害に見舞われながらも不死鳥のようによみがえっては路線存続をしてきた歴史がありましたが、命運が尽き、2018(平成30)年331日限りで惜しまれながら廃線となったのは記憶に新しいところです。

 

※撮影は1981(昭和56)年821日の三江線(電車運転士)

 

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 江津から2番列車で三江線を南下しました。途中、川平で行き違いのための停車があったので、乗車列車を撮影しました。先頭はズラリと並んだ小窓が特徴のキハ26400番台でした。元2等車のキロ25からの格下げ車で、車内は回転クロスシートが残っており、乗り得な車両でした。
【1981.8.21 川平】

 

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 当時自分が描いていた三江線のイメージは、ゆったりと流れる江の川沿いを行くローカル線だったので、江の川との組み合わせを必須条件にしていました。DD16の貨物列車は江津~浜原間の運転だったため、浜原までにイメージに合ったポイントはないかと車内からロケハンしたところ、因原の手前に江の川を入れて撮ることができる道路橋がありました。
【1981.8.21 鹿賀~因原】

 

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 DD16の貨物列車は11往復、しかも、午前中の浜原行しか撮れないスケジュールを組んでおり、一発勝負となりました。後からできあがりを見たらいつもの悪い癖で風景を欲張ってしまい、肝心の列車が小さくなってしまったのは大反省でした。
【1981.8.21 鹿賀~因原】

 

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 カメラを左に振ると同じ列車をまったく違った風景でサイドから撮ることができました。シャッターを押した時は一粒で2度美味しいと喜んでいたところ、写真を見たら列車が民家に埋もれてしまって存在感がなく、がっかりな結果に終わってしまいました。
【1981.8.21 鹿賀~因原】

 

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 因原では長時間停車があったため、道路橋から因原に戻り、余裕で停車中の姿と発車のシーンを撮ることができました。画面を横切る跨線橋が玉に傷ですが、なかなか雰囲気のよい駅でした。結果はともあれ、同じ列車を3つの異なったシーンで撮れたのはありがたかったです。
【1981.8.21 因原】

 

 

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 貨物列車撮影後は別のポイントを探して撮影を続けました。三江線のイメージとは異なりますが、夏らしい鬱蒼とした雰囲気の中、キハ47が姿を見せました。
【1981.8.21 石見川本~因原】

 

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 さらにポイントを探すと別の構図で三江線のイメージに近い写真が撮れるところがありました。この列車を撮影後、三江線の乗り鉄を兼ねて三次に向かいましたが、この時はDD16の貨物列車を撮ったことで満足してしまい、景色のいい浜原~口羽間の新線部分を素通りしてしまったのは、今から思うともったいないことをしてしまったと思うばかりです。宿題成就のために廃線前に再訪したいという思いはありましたが、願いはかなわず、自分的にはこれが最初で最後の三江線訪問となりました。
【1981.8.21 因原~石見川本】

 

●次の目的地 伯備線(布原界隈)

 

●移動行程 三江線→三次YH→三次→備中神代→布原界隈

 

 

 

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コメント

この線区へは、数十年前にイベントでC56が運転されたときに遠征しました。江の川に割と忠実に沿って走っているので、落ち着いて探せばいくらでも撮影ポイントがあったように感じました。途中の「新線区間」では立派な鉄橋が掛かっていたりして、同一路線なのに新旧の対比を面白く感じたことを覚えています。自然豊かな区間を走るローカル線ほど廃止に追いやられてしまうのは本当に残念です。
例によってDD16なんですね~。因原では貨車の入れ換えでしょうか。ローカル線でも鉄道の貨物輸送がまだまだメインだった頃ですが、こうした写真がほとんどなく、気が付いたら貨物輸送そのものが縮小されていました。これも残念なことです。(出札掛)

投稿: 出札掛 | 2019年8月17日 (土) 17時22分

蒸機が全廃されてからも各ローカル線では沿線への物資輸送のため、貨物列車が運転されていたのですね。DD16もこの頃がピークだったのですかね。SLロスの後、私自身はしばらく非鉄時代があってその後旧型国電へ傾倒していったため、そもそも非電化区間へは行ってないので、後悔しています。今後も電車運転士様の行脚を楽しみにしております。(検査掛)

投稿: 検査掛 | 2019年9月 7日 (土) 20時36分

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