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2018年12月

2018年12月31日 (月)

568.過ぎ行く平成と2018年…

 2018年も皆様方には変わらぬお付き合いをいただきまして誠にありがとうございました。自分的にはホッとしたこと、悲しかったこと、嬉しかったこと、いろいろなことがありましたが、何とか平成最後となる大晦日を迎えることができました。2018年の漢字「災」に象徴されるように、豪雨・地震・台風といった大きな災害が日本列島を襲い、改めて自然の猛威を痛感させられた年でもありました。2019年は災害をはじめ悲しいできごとがない穏やかな年になってほしいと思います。それでは、皆様、よいお年をお迎えください。(電車運転士)

 

 

 

 

 

833162

 

 

 

 

 写真は廃止が間近となった頃の鹿児島交通です。撮影した1983(昭和58)年当時でも昭和30年代の香りが色濃く残り、古き良きローカル私鉄の雰囲気を味わうことができました。濃いオレンジに濃紺の帯といった塗色、初めて見た時は強烈な印象を受けましたが、慣れてくるにつれ、南国の地にマッチした色かなと思えるようになりました。遠方ということもあり、結果的には2回の訪問で終わってしまいましたが、足繁く通いたかった鉄道のひとつです。

【1983.3.16 加世田】

 

 

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2018年 年末ご挨拶

今年も今日一日を残すのみとなりました。

Dsc_7813左 6号御料車(明治43年製造)  右 5号御料車(明治35年製造)

Dsc_74016号御料車 明治天皇御座所

Dsc_73805号御料車 昭憲皇太后御座所

今年、明治150年を迎えるにあたり、明治村でも保存している2両の御料車の特別公開が春と秋に行われました。なかなか見る機会のない御料車内をじっくりとみることができました。アップする機会がなかったので、年が変わる前にご披露しておきたいと思います。

例年年末に清水寺で発表される今年の漢字に「災」が選ばれました。
2度の大型台風による中国地方をはじめとする水害、また北海道の地震による広範囲の地滑り等々災害の多い年でした。
その災害に伴って運転された山陰迂回貨物列車を撮りに行った私自身、後ろめたい気持ちは引きずっていますが、平成という元号が来年改変されるにあたり、東日本大震災以来、数多くの災害が発生し、元の生活に戻れない人々を忘れないようにしたいと思います。

メンバーの皆様、またブログをご覧頂いている皆様、一年間ありがとうございました。どうぞよいお年をお迎え下さい。(検査掛)







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年末ご挨拶

_5d49700_2
 来年も、素晴らしい鉄道情景にめぐりあえることを期待しています。(駅長)

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2018年12月30日 (日)

P6編成3本勝負

間もなく平成最後の年末を迎えます。だからといって、感慨深い何かを想うわけではありませんが、年末が近くなるといつも思い出されるのが、わが地元はおろか多くの鉄道ファンを魅了した名鉄パノラマカーの、定期運行からの引退です。早いもので、運行最終日を迎えた2008年12月26日からすでに10年が経ちました。今回はそれを記念して、まだP6編成が元気に走っていた頃にタイムスリップして、パノラマカー見たさに時折り出撃した「各務原線にんじんカーブP6編成3本勝負」をご覧いただきます。
 

今回掲載する写真は2008年2月の某日曜日に撮影したものです。前日から降り続いた雪は周辺を完全に真白く染めて、ようやく天気は回復傾向に。雪晴れの光景を期待して向かった先は通称にんじんカーブ。
ところで、何故か手元にある当時の『折れ線グラフ』によると、土・休日運行ではP6運用の各務原線新岐阜行が新鵜沼基準で3本連続で運転されています。
  ◆新鵜沼発時刻 7:06 7:26 7:43
これらの列車が折り返して来る時間帯が狙い目で、ベストの光線状態で現場を通過します。万が一失敗してもすぐに撮り直しできるので(笑)好都合です。
  

0311 小手調べとして、まず新岐阜行を逆光で狙いました。実はこれ、3本目の岐阜行です。もっと早く家を出ていれば1本目に間に合ったかもしれませんが、なにしろノーマルタイヤなもので・・・。でも、幸い太陽は薄雲に覆われたおかげで良い結果を得られました。写真は、犬山城をバックに勾配を登る7003F。
 

07 ここからが本番です。上の列車から30分ほど後にやって来る1本目のP6は8:10頃通過する急行河和行。編成は7007Fです。
 

03 その35分後に来る急行犬山行は、初めに撮った岐阜行(7003F)が戻ってくる運用です。少しずつ立ち位置を変えてみます。
 

451 最後の3本目はその17分ほど後に続行する普通(鵜沼から準)中部空港行です。そういえば時々運用の差し替えが生じて、3本目の岐阜行がこのスジで折り返して来るときもあったように記憶しています(注:どちらが基本運用なのかは知りません)。しかし撮影に際しては特に損するようなことではないので問題ありません。写真は、けっこうハンサム?に見える最終増備編成群の7045F。個人的にお気に入りの編成です。
これほどのゴールデンタイムにも関わらず、カメラマンの姿はせいぜい数名程度だったか?激パなんてありえませんでした。また、当時のP6運用の一部には5700系6両2編成も含まれるため、都合よく3本すべてP6とは限らないときもあり、事前のチェックを怠ると「えっ?」となる始末でした。
 

09 ここからはオマケ画像です。P6編成3本勝負に続き、次のP6は2時間後の新岐阜行です。朝の新鵜沼を出発した河和行が折り返してくる列車で、この日4本目のP6編成のお出ましです。ちなみに7009F。
 

452 にんじんカーブで3本目に撮影した空港行(7045F)が、今度は新可児行として折り返してくるので舞台を広見線に移しましょう。12時を過ぎた頃、雪晴れの善師野にP6が現れました。青い空、白い雪に映えるスカーレット塗装。あぁ美しい~。狙いを定めた位置でシャッターを切ったら、ちょうど最後部がホームを離れたタイミングで、6両がフレーム内にピッタリと収まりました。
  
以上、小生・出札掛の今年最後の投稿です。1年間お付き合いいただき、ありがとうごいざいました。来年が皆様にとって良い年となりますことを祈念いたします。
 

56 最後に、東海地方がうっすらと白くなった12月29日の撮れたてシーンをどうぞ。資材担当様、ご一緒いただきお疲れ様でした。(出札掛)

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2018年12月27日 (木)

青春18きっぷ 1daytrip for 和歌山線

12月に入ってどこへも出かけていない、と言いましたが、青春18きっぷを買ってしまいました。年明けに予定があるので購入したのですが、ハナから全て使い切れるか見通しのないままという状況です。

12月25日、天気も良さそうなので、とりあえず1枚消費しようと考えた行先が和歌山線です。

Dsc_3613今回は関西線経由を選びました。亀山からのローカル、2両でしたが、2両ともキハ120 0番台のロングシート。座席にはかなり余裕があるので、列車交換で撮影に降りても席がなくなることはありません。まず、加太で。

Dsc_3617キハ120は片隅運転台で、貫通扉ガラス1枚なので、車内からしか撮れないカットも狙ってみました。かつてSL時代、有名だった中在家信号所。まだ廃止されていないようでした。

Dsc_3619さらに乗務員を苦しめた加太トンネルの入口。遮蔽幕の収納庫もそのままに。

Dsc_3621伊賀上野ではわずかな停車時間でしたが、伊賀鉄道の元東急1000系も撮ることができました。窓には「オリジナルカラー1周年」のステッカーが貼られていました。

Dsc_3622もう1回の上りローカルとの離合は島ヶ原。対向列車が先に駅に入っていたので、これも走行中の車内から撮りました。跨線橋に人が欲しかったですが、場所的にも時間的にも難しいですね。

Dsc_3624そんなこんなで加茂で大和路快速に乗り換え、王寺で再び乗り換えのため下車。和歌山線の列車まで20分程待ちます。その間に関西線が数本来ましたが、221系の先頭車にも全て転落防止が取り付けられたと思い込んでいたら6両、8両の貫通編成では併結がないので、取り付けられていませんでした。思い込みというのは恐ろしいものです。

Dsc_3641105系の車内にはこんな中吊りが。105系の総数より多いので、新在家派出所のすべての車両(117系も含む)が置き換えられるようです。

Dsc_3638一旦高田まで南下しましたが、ここでも乗り換えです。待ち時間に一旦桜井線に入り金橋で下車。畝傍で交換して来る下りローカルを撮ります。金橋の東側は高架になっていてオドロキ。この列車に乗って高田に戻りました。

Dsc_3660さて、和歌山線ですが、約4時間半かかってようやくたどり着いたので、あまり深入りはできません。お立ち台通信でチェックしていた場所は草ぼうぼうで諦め、玉手で下車。線路はほぼ東西方向で、下り列車は葛城山バックになります。北側は御所市の市街地が広がっているのですが、南側はまぁまぁ開けています。

Dsc_3692上り列車は掖上側で吉野山系がバックに入ります。この編成のクモハはWパンタでした。

Dsc_3672↑からさらに数十メートル東に行くと線路は山へと入って行きます。全く雰囲気の異なったシーンが撮れます。

Dsc_3674↑の編成のクモハもWパンタだったので、後追いも撮りました。この顔でも前にパンタがあるとカッコいいです。

Dsc_3702冬至間もない日でもあり、この列車を最後に帰途に就きました。

新在家派出所の105系にはオリジナルの3扉車も配属されているのですが、この日は残念ながら見ることはできませんでした。紀勢線と運用が分かれているのでしょうか。
227系への置換えはまだ1年余り先ですが、まぁ記録できてよかったです。
年も押し迫っての連続アップ失礼しました。(検査掛)











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2018年12月26日 (水)

ステンレスカー誕生60年

12月に入って一度も撮影する機会に恵まれていません。

というわけではないのですが、雑誌のとある記事に目が留まりました。日本で旅客用ステンレス車両が走り出したのが、1958年12月1日、今から60年前のことになるそうです。(機関車としては既に一部のEF10に1951年に登場しています。)
その車は東急5200系。その記事によれば国鉄サロ153形900番台より20日早かったそうです。5200系もサロ153形900番台も骨組は普通鋼製のセミステンレスカーと言われるものでした。

19856171985年6月17日 沼部・多摩川園
5200系は4両のみで、物心ついたときは大井町線で運用されていました。この電車についたアダナが「湯たんぽ」。思わず、ナットク!ってカンジですかね。その後大井町線(→田園都市線)が長津田方面に延伸されると、輸送力増強にともない、5000系1両を中間に挟んだり、基本4連に5000系McMcを連結して6連になりました。後年目蒲線に移動し3連化、1986年上田交通の1500V昇圧の折、同社に先頭車2両(部品取りとして中間車1両も)が譲渡されました。未だに2両とも現存するのは皆さんご存知の通りです。

Img255撮影日不明 多摩川園前・新丸子
2年後の1960年に同じくセミステンレスカーとして登場したのが6000系です。5200系共々側窓下部で「く」の字に折れ曲がった車体が特徴でした。まだアメリカのバッド社と溶接技術の提携前の事です。前面もこの頃の流行で、京王5000系や伊豆急100系によく似たタイプでテールライトが角型になっています。

19792241979年2月24日 田園調布
そして、さらに2年後ついにオールステンレスカー7000系が運転を始めました。初めて見たときは、トボけた顔だなぁという印象でした。
もともとは営団地下鉄日比谷線乗入れ用としての登場でしたが、その後増備され、東横線急行用、さらには大井町線用に数年に渡り製造されました。大井町線用に1965年に増備された先行車両が一時、当時東横線の都立大学・学芸大学間にあった碑文谷工場に留置されていたことがあり、小学生の私は、同工場の近くの友人宅に遊びに行ったときに見に行ったことを今でも覚えています。

これらの車両はあまりにも身近すぎて、ほとんど撮影していないのが悔やまれます。
今ではすっかり主流となっており、撮る対象ではないなぁ、なんてボヤいているステンレス車両ですが、自分とほぼ同じ歴史を辿っていることを考えれば、そんなに毛嫌いするのも・・・。
東急7000系は北陸鉄道をはじめ、全国の中小私鉄に譲渡され、現在もあちらこちらで現役で活躍しています。東急に最後まで残った15両が、近々最寄の養老鉄道に譲渡されるようなので、楽しみです。(検査掛)

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2018年12月24日 (月)

Christmas presents from EF64

全国のロクヨンファンの皆様、待望の原色重連がついに復活いたしました。

大宮工場から出場したばかりの1024号機が1022とペアを組み、21日(金)の8885レから原色重連の運用が始まりました。ところでこの週末からは石油輸送体制がピークを迎え、例年なら休日にもかかわらず年末まで連日フル稼働で運転されています。よって、機関車運用も差し替えられない限りは毎日同じパターンでローテすることが考えられます。原色重連の運用を追うと、順当に回れば23日(日)の6883レに充当されるよう。これを見逃すわけにはいきません(笑)。しかし突然の事態も予測されるため、はたして原色重連は来てくれるでしょうか、いざ、ぶっつけ本番!
 

831 武並にて迎えた6883、予想的中でした。パンタも屋根上機器もピカピカの1024号が先頭を務め、しかもエンド揃いで嬉しい限りです。意外なことに同業者は5名程度でした。もっとも、今の時期では晴れても陽が当たらない場所であることと、東濃東部には濃霧注意報が発令中だったので多くの同業者は武並を避けたのかも?それとも天候不順で出撃を見送ったのか、いや、ただの情弱なのか、実際はわかりません。どうにか霧模様は避けられた反面、通過直前まで雨が降っており、露出は上がらず暗い暗い・・・。画像処理ソフトのお出ましです。
 

832 武並から追いかけましたが空模様は芳しくないので、あまり深追いはせず美乃坂本俯瞰で手軽に済ませました。相変わらず暗いです。が、武並の比ではありません。家の予定もあったので、この日は以上で帰宅しました。
 

84 6883レを牽引した機関車は翌日の8084レを受け持つ運用に流れます。24日(月)の振休は天気が見事に回復して、まさに撮影日和。そりゃあ、行きたくなりますよね(笑)。外出許可を得て、目指した先は毎度お馴染み釜戸ー瑞浪の定番撮影エリアです。遠くには冠雪した中央アルプスも良く見えていたので、迷わず背景に選びました。編成は切れますが、少しでも山を大きく取り込もうとこのアングルでシャッターオン。
 

751 1時間後に来る5875レは、目撃情報によると、これまた原色機が先頭に就いているようです。原色塗装を表現したかったので、できるだけ光線状態を考慮して撮影地を考えた結果、前日に続き再び武並カーブに来てしまいました。でもこの角度では車体が光ってしまい、思惑は大きく外れました。
 

752 5875を追いかけ、中津川インター裏での「ロクヨンギラリ」で締めくくることにしました。澄み切った空のせいで夕焼けにはなりませんでしたが、曇られるよりはマシ。ギラリシーンも難なく得られました。ただしこの時季は、ご覧のように車両まで影が迫ってくるのでシャッターチャンス、アングル等かなり制約があります。約60mmで、この角度、この立ち位置。好みは人それぞれですが、ご参考になれば幸いです。
  
 

原色重連とピーカン天気は、愛知機関区からの素晴らしい“クリスマスプレゼント”ということにしておきましょう。(出札掛

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2018年12月22日 (土)

飯田線のクモハ52と仲間たち 1978年夏

中央西線の70系からすこし間が空きましたが、1978年の短い夏休みの続きです。
飯田線を撮影したのは8月17日~19日です。


8月16日はどこに泊まったかは全く覚えがありません。その頃仲間たちが飯田線詣での折に定宿にしていた新城の商人宿に投宿したのではないかと思いますが・・・。

817k東上・野田城
東上で降りたのですが、インカーブは草が高く、仕方なくポールのあるアウトカーブ側で撮っています。雨が激しく降る中撮った、広窓、張上げ屋根のクモハ52004が最後部の豊橋行のこの1カット以外、ロクなデキではありません。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

817a大海・鳥居
東上・野田城間で本数を稼ぐつもりが、雨でめげて次に降りたのがここです。先ほどの52004先頭の貫通編成(トヨ30番台運用)が雨を弾きながらやって来ました。

817b鳥居・長篠城
↑の編成がおそらく本長篠折返しだったようで、当時有名だった豊川の橋梁上で撮っています。

817g三河槇原・柿平
ここも駅そばで宇連川を入れて撮れる場所で有名でした。ようやく前後クモハ52の編成が撮れました。52005はなぜか偶数向きでした。

817c東栄・出馬
徐々に北上し県境に。両数から言えば流電よりも貴重なAの子クモハ53008と32系の貴重な生き残りのクハ47009が橋を渡って行きます。

817i以前はこのように離れた場所からでも川の流れを入れて撮れました。なんとか4両いけましたね。119系の最後の頃に再度訪れてみましたが、木々の成長で、今では1両も抜けませんでした。

817j再び52004が戻ってきました。が、カラーも撮っていないし、メインの中央に架線柱を挟んでしまいました。

817h東栄
駅に戻ってさらに北上します。来たのはトヨ41運用、40番台の基本編成はクハユニ56+クモハ50+クモハ50なのですが、先頭はクモハ54が充当されることが多く、基本通りの編成は初めて見ました。この編成、東急(目蒲線)っぽくて好きでした。この列車でおそらく中部天竜へ向かって泊まったものと思います。

817d城西・向市場
翌18日朝一、飯田線の迷所?に向かいます。クモハ43先頭のママ70番台運用重連の編成が霧に煙る「渡らずの橋」を豊橋に向かいます。

817e_2河原に降りて荷電2両を連結した245Mを撮りました。この列車は豊橋を4時台発の荷2041Mとして中部天竜まで運転され、そこから旅客営業されます。通常はクモニ83100番台とクモニ13各1両ずつですが、この日は珍しくクモニ13 2両でした。

817f_2飯田発の上り一番電車はトヨ34運用の638M。前日からの繋がりで52004の編成が来るので、後追いで狙いました。ようやく日も差してきましたが、鉄橋はまだ山影の中。

818c_2早瀬・下川合
一旦中部天竜を挟んで豊橋方に戻りました。ここは撮影場所として見たことがありませんが、恐らく当時の仲間から天竜川を手軽に入れられると聞いて行った場所と思います。50番台はトヨの2連運用です。両運転台のクモハ42は便利な車両のため、窮屈な片隅運転台ながらいろいろな運用に入っていました。

818d_2下川合・中部天竜
狙いどころは下川合駅への橋を渡った中部天竜側です。残念なことに52001の乗務員扉が開きっぱなしでした。きれいに狭窓で揃えられていますが、実はこんな編成はほとんど見たことがありません。廃止間近になって組まれたもので、トヨの検修担当の粋な計らいでした。もっとも出自はクモハ52が関西、サハ48は横須賀線と相異なるものでしたが。

818a平岡・為栗
昼頃にはここ平岡ダム湖畔に移動したようですが、肝心の流電編成はほとんど失敗しています。ということでトンネル直前の開けた場所でのものはアップできません。

818bこれを最後に移動したようです。
この後、金野、千代あたりをうろついていますが、あまりいいところでは撮れていません。
この日も寝屋はわかりません。

819a千代・天竜峡
19日はここから撮り始めています。最初はわざわざ逆光となる河原で撮っていますが、いうまでもなくどうしようもない出来です。
このショットは私としては貴重な1カット。先頭のクハ47011、スタイルは32系の同形に似ていますが、元は17m車の災害復旧車の改造名義です。台枠も含めて車体はほぼ新製、平妻ながら窓もHゴム化されず、前照灯も埋め込まれなかった変わり種です。台車も他のクハ47とは異なり、発生品のTR11を履いています。
この場所は以前の電車運転士様の記事通り、今となっては三遠南信道の橋の下となり、撮影できなくなってしまいました。

819d恐らく千代・天竜峡間だと思いますが、どうやって辿り着いたのか思い出せません。

819e↑の次のコマがこれですが、どうやって天竜川を渡ったのか?この場所も他で見たことがないのですが、恐らく今では天竜川も見えなくなっているのでしょう。

819b伊那本郷・飯島?
場所が正しいかどうか怪しいのですが、53008を撮りたくて来たのだと思います。

819c天竜峡
めったに撮らない夜景ですが、流電ゆえに撮りました。この後は中央線落合川へと続きますので、この日の宿は間違いなく「アルプス」→夜行「きそ」でしょう。

 

この後、流電の魅力にハマって11月まで幾度となく飯田線を訪れることとなりました。(検査掛)

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2018年12月19日 (水)

567.ある夏の日の美濃町線ミニトリップ 1981/7

 早いもので、今年も残すところ10日余りとなりました。秋の頃は暖かい日が続いておりましたが、ここにきて朝夕の冷え込みも見られるようになり、少しは冬らしくなってきたかなという感じがします。今回ご紹介する過去ネタは寒い今の季節に反して、1981年の真夏の美濃町線です。当時も暑いには暑かったですが、災害レベルといわれるほど苛酷なものではなかったように思います。この時は岐阜市内在住という利点を生かして、自転車を駆使した日帰りミニトリップに臨んだようです。

 

※撮影は19817月の名鉄美濃町線(電車運転士)

12817 

 順を追って写真を見てみると、競輪場前からスタートして順番に新関方面に向かっていったようです。この日は最も美濃町線らしいシーンのひとつとして、各駅での通票の受け渡しシーンを中心に撮っていました。競輪場前は新岐阜方面のほかに徹明町方面の線路にも行き違い設備があり、競輪場前~日野橋間で続行運転もパターンで設定されていたため、通票の取扱いが複雑になり、受け渡しを運転士同士だけで行うことが困難だったので、専属の運転係員が行っていました。写真は新岐阜系統ののりばでの風景です。
【1891.7 競輪場前】

22817 

 日野橋は徹明町系統の電車の折り返し駅となっており、30分に1回、3本の列車が顔を合わせます。写真の時は日野橋折り返しの電車がないタイミングだったので、単純な上下電車の行き違い風景となりました。先着した新関行の運転士が線路を渡って新岐阜行の運転士と通票の授受を行っています。600型・880型ともワンマン改造前なので、バックミラーや乗降中表示がなく、顔立ちがスッキリしています。
【1981.7 日野橋】

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 下芥見ではホームに炎天下で電車を待つ乗客の姿があり、程なくして新岐阜行の電車が来ました。当時の美濃町線のダイヤは15分間隔のパターンダイヤだったので、撮影効率はとてもよかったです。
【1981.7 下芥見】

42817 

 美濃町線の超定番ポイントだった上芥見です。狭いホームが右側の土手にへばりつくように設置されており、見方によっては土手に同化してしまっているようにも見え、初めて訪れた方は「えっ、これがホーム…」といった感覚を持ったかもしれません。この界隈は割と住宅が密集しており、夕方近くの下り電車になるとそれなりの降車がありました。生活感あふれる風景が好きで、ここはその後もかなりの頻度で通いました。
【1981.7 上芥見】

52817 

 津保川の鉄橋も美濃町線の定番ポイントです。春は堤防に咲く桜が美しく、夏は鮎釣り人がいいアクセントになってくれました。
【1981.7 上芥見~白金】

62817 

 白金はホームに面した玄関がある商店でその筋では有名な駅でした。「たばこ」の看板の家がそれです。この駅は相対式ホームのため、電車を千鳥に停車させ、窓越しに運転士が通票の受け渡しを行います。この方法だと電車から降りる必要もなく、雨の日でも濡れることがないので、非常に理にかなった取扱いでした。
【1981.7 白金】


7281
 島式ホームの赤土坂は軌道線の行き違い駅といった雰囲気がタップリな好ましい駅です。ちょうどいいタイミングで母と娘とその子供と思われる家族が降りてきました。子供の服装が今どきの子供と違っていかにも昭和といった感じがします。
【1981.7 赤土坂】


82817
 後着の新関行が到着しました。赤土坂は右側通行の駅です。新岐阜行の運転士が降りてきて新関行の運転士と通票の受け渡しを行います。後年、美濃町線は保安方式の自動化が競輪場前・梅林から順次実施されましたが、下芥見が境界駅となったところで廃止の方向性が打ち出され、その先の進展は見られませんでした。

【1981.7 赤土坂】

 



 

 

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2018年12月16日 (日)

愛知DC終幕の頃

10月から始まった愛知DC。3か月間繰り広げられたキャンペーンも間もなく終わりを告げます。厳密には今月末まで行われるので313系のラッピング黒電はもうしばらく運行されるようですが、DC関連の企画列車は15日の運転がラスト。当日は次期開催の静岡DCのPRも兼ねて、名古屋ー静岡間に373系・キハ75それぞれによる臨時急行が運転されました。
  

373 時々雲に遮られる空模様にハラハラしながら、まず373系にカメラを向けました。通過時は太陽が味方をしてくれましたが、なにしろHMのデザインも先頭の塗装もご覧のとおりなので、思い切って絞らないと白飛びしてしまうのが悩ましいところです。せめてHMには色を塗ってほしかったのに。
  

56 福山貨物56レは新塗装のEF210-7が牽引して名古屋に向かっているらしく、373系撮影後は笹島まで移動しました。いずれ新塗装機は増えてくるのでわざわざ撮る必要もありませんが、現段階わずか2両の希少価値であることと、まだ撮影したことのない被写体だったので、ちょっと興味本位で狙うことにしました。雲は多めながらも運よく雲間から覗いた太陽が味方をしてくれました。バックの高層ビル群もマンダーラを回避できましたが、惜しいのは架線柱の影。目障りですね、まぁわかっていましたけど。
ところでこの新塗装、福山コンテナと相まって写り栄えがなかなか良さそうです。
  

75 早朝の美濃太田から静岡まで回送されて、臨急で名古屋まで戻ってきたキハ75の帰区回送を稲沢付近で狙いました。よって方向幕は当然「回送」ですが、とりあえずHMが剥がされずにやって来たので気にしません。運よくここでも晴れてくれたおかげで痛しかゆしの光線状態でした。
 
この後、名鉄1131Fが岐阜に向けて間もなく近付いてくるようなので、それならばと移動して待つこと15分。残念な事に、今度はついに太陽が雲に隠れてしまいました。しかし晴れても半逆光となり、背景もすっきりと抜けないので撮影条件は最適とは言えません。このときふと、1131Fに関する前回の自分の記事を思い出しました。どうせ撮るなら「ネタ」を盛り込んだシーンを創造したい、というわけでダメもとで流し撮りを思いつきました。感度を落とし、シャッター速度1/45に設定、手ぶれ補正ON、そして数分後1131F接近、さて結果や如何に。

1131 何をためらったのか、シャッター数は僅か2コマでした。そのうち2コマ目をモニタで確認したところ、手応えあり!ブレていないかと恐る恐る先頭部を拡大したところ、
 「よっしゃあぁ」
勝利を確信しました。偶然の産物ですが、HM周囲だけにシンクロして30周年マークを強調することができました。ノートリミングでどうぞ。
家の用事もあるので、以上で帰宅の途に就きました。
 
 
愛知DCは、ヘッドマークのデザインにも表れているとおり(?)奇をてらわず無難に終わりそうな予感です(県民性が関係しているのかどうかはわかりません)。願わくば最後に、台風でウヤとなった長野の189系によるオープニング臨時列車を、「アフターDC」と銘打ったリベンジ運転で締めくくってほしいです。来春には189系の定期運転が消滅してしまうことからも、もし実現すれば確実に注目を集めてインパクトも残るので、ぜひ企画の復活を望みます。(出札掛)

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2018年12月13日 (木)

中央西線の70系 1978年

本年2月に愛知環状鉄道開業30年関連で、1978年当時の岡多線の70系をご覧頂きましたが、まもなく2018年が暮れることに寄せて、40年前に一緒に撮影した中央西線の70系をアップします。
1978年の夏は学外の研究所に通っていて、夏休みは一週間ほどしかもらえませんでした。そのうち8月15日から20日まで、まもなく置き換えられることになっていた中央西線の70系と、飯田線の流電他旧型国電を撮影に出かけました。
15日の大垣夜行で出発したのは間違いないのですが、以後どのような行程だったのかハッキリ覚えていません。が・・・。

Img4591978年8月16日 神領・高蔵寺
当時は全く撮影地がわからず、とりあえず多治見方へ向かって、初めて開けた場所だったのがここだったように思います。国鉄時代でもニュータウン(死語?)のあった高蔵寺までは本数が多く、稼げたこともあったと思います。当時この区間の沿線にはほとんど住宅がありませんでした。
まだ前面窓が鋼板押さえのクハ76も存在しました。

Img6561978年8月16日 神領・高蔵寺
こちらは全金300番台のクハ76を先頭に名古屋に向かう10連。地元の方ならお分かりと思いますが、奥の鉄塔が上の写真左のものです。

Img4621978年8月16日 神領電車区
研究所から紹介状をもらってここを訪問しましたが、あまり大した写真は撮れませんでした。本線側に近い線に、予備車が数珠繋ぎになっていました。
(80系4両+70系2両+80系1両+101系2両+165系4両)

この後、岡多線で70系を撮って、翌日以降飯田線に向かいました。

Img4331978年7月20日 落合川・坂下
再び中央西線に戻ってきたのは20日です。70系は南木曽?まで乗り入れていました。ここは今、立てますでしょうか?

Img4371978年7月20日 恵那・美濃坂本
その後こちらに移動してますが、理由はわかりません。

Img4401978年7月20日 多治見・土岐市
さらに移動してこちらに。

Img7431978年7月20日 古虎渓・多治見
土岐川を入れようと古虎渓で降りました。線路脇の側道でここまで来られたように思いますが、今はダメでしょうね。

Img742_2上の70系の前に突然貨物が来たので慌てて撮ったら、EF64 1号機でした。

Img765

1978年7月20日 勝川・春日井
夕方になって春日井に来ました。今は高いフェンスが立っていて全く撮影できませんが、40年前は線路と隔てる物は全くありませんでした。これを撮って帰京したようです。(逆光だったためか、先頭からは撮っていません。)

途中の飯田線の記録は別途ご覧頂きたいと思います。(検査掛)

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2018年12月 9日 (日)

逆方向に非ず

記事を書くネタがないときは、大したことのない素朴な内容を放り込みますことを何卒ご容赦ください。

74 名鉄では、休日ダイヤ、しかも早朝の1往復のみですがパノラマスーパー(以下B2編成)の広見線運用が存在しています。そこに運よく残り1編成となった原色編成1131Fが充当されたら注目ネタの出来上がり。10月からはパノラマスーパー30周年記念マークを掲出して運行しているので、より注目度が増します。
しかし今の時季では、広見線内で撮影しようにも新可児への往路(→回送)は日の出前の走行となるため、無難に撮影するには復路便である豊橋行74レが対象となります。今回、同列車を撮影する時になってふと気が付いた事は、「1200系側が先頭となる『豊橋行』が見られるのはこの列車だけ」というネタです(苦笑)。事情を知らない同業者がこのシーンを見たら、「逆方向行き?それとも誤表示?」と思うのか、思わないのか、定かではありません。・・・ただそれだけのことです、申し訳ありません。しかし徐々に日の出の時刻が遅くなっていくので、74レの広見線内での撮影も難しくなります。上のカットは露出不足気味でも行先とマークの電光表示が浮き出てくれたら目的達成としたのですが、今一歩の感です。やがて2200系の今年度増備車がデビューするとB2の広見線運用に変化が生じるかもしれないことを考えると、今のうちがシャッターチャンスです。ご興味のある方、お早目にどうぞ。


 
逆方向ネタをもう一つ。それはセントレア開業に伴うダイヤ改正で誕生した豊橋~中部空港の直通特急です。この列車は金山駅でスイッチバックをするので、神宮前駅にて金山方向へ走り去る中部空港行きを利用者が見たら、「なんで逆方向に空港行きが走って行くの?」と不思議に思われたかどうかは定かではありません。
この系統列車は金山構内で下り線から3番ホームに進入するので、運用上の特徴を表すにはこの転線シーンを狙うのが面白そうです。特に豊橋発中部空港行きは本線下り線から亘り線をクネクネしながら進入してくるので撮り甲斐があります。

08072011 C2編成では行先表示がわかり難いのでB2編成に狙いを定めました。もう少し引き寄せてシャッターを切りたいのですが、道路橋の下に入ってしまうので仕方ありません。


 

081124 8両編成なら見栄えが良いのではと、今度はC2+3100系にカメラを向けました。これなら行先表示もはっきりとわかります。たしか、2008年12月のダイヤ改正で豊橋~空港系統が姿を消すことを知って撮りに出かけたように記憶しています。この頃は休日ダイヤでも8両の空港一特があったのですね。10年も前のことです。(2018.12.11補足 もしかしたら3100系は金山止まりで、当駅で切り離されていたかも)      
名鉄の逆方向行きネタをほかにご存じの方がいらっしゃいましたら、フォローくださいませ。


   
【雑感】
1131Fについては「今さらねぇ」と思うものの、記念マーク掲出となれば「少しは記録をしておこうかな」、と一定の条件さえ整えばヒマに任せてぶらりスナップに出かけています。ただ、単なる編成写真ばかりでは類似画像の量産となりかねません。そうならないように知恵を働かせて、何らかのネタを盛り込んだシーンとなるように創作するのも一興ではないかな?などと74レを撮影するときに感じた次第です。(出札掛)

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2018年12月 6日 (木)

566.愛知県内で凸と赤熊のお手軽撮影(おまけ付き) 2018/12/1・2

 関西本線の石油とコンテナ貨物列車、DF200の進出が目立つようになりましたが、現時点ではすべての運用は賄うことはできず、かろうじてDD51の運用も残されています。関西本線はしばらくごぶさたでしたが、愛知県内なら電車利用の徒歩鉄ができる機会を得ましたので、肩の凝らないお手軽撮影感覚で久しぶりに足を運んでみました。それ以外にこっそりと撮影した対象もありましたので、おまけとしてアップさせていただきたいと思います。

 

※撮影は121日の関西本線、2日の愛知環状鉄道・中央本線(電車運転士)


12_dsc943018121_2
 12月に入り、8271列車の日光川シルエットがどんな具合か様子を伺ってきました。この日の朝は空が霞みがちで雲の表情にメリハリがなかったので、眠たい感じになってしまいました。冷え込みが厳しくなってクリアな空気感の時に再訪してみたいと思います。

【2018.12.1 関西本線】


22_dsc955518121
 午前中は所用があったため、一旦、関西本線を離れ、5282列車に間に合うように戻ってきました。午前中は晴れ基調だったのが昼前後から上空は雲に覆われてしまいました。

【2018.12.1 関西本線】


32_dsc956018121

 

 8079列車は単機牽引になりましたが、DD51の運用が継続されています。晴れていれば理想的な光線になりますが、こんな天気では魅力半減です。

【2018.12.1 関西本線】


42_dsc957718121_2
 2080列車が通過する頃には日差しが戻ってきました。コンテナ貨物列車はDD51の牽引で残っている列車が多いです。

【2018.12.1 関西本線】


52_dsc960518121


 せっかく日差しが戻ってきたので、8380列車はススキのポイントに行ってみました。今年は築堤下の一部のススキが刈られてしまい、昨年までのポジションでは絵にならなかったものの、もう少し永和寄りに何とかまとめられるポイントがあったので助かりました。
【2018.12.1 関西本線】

 

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 冬場の夕陽ギラリが定番の8072列車は今シーズンから役者がDF200に変わりました。DF200になってどんな雰囲気になるのか確認がてら行ってみたところ、夕陽は低層の分厚い雲の向こうに隠れてしまいました。DF200ギラリの確認は先送りになってしまいました。この後8075列車まで粘りましたが、ほとんど真っ暗に近い状況での撮影になり、皆様にお見せできるような代物ではなかったので、割愛しました。
【2018.12.2 関西本線】

72_dsc965418122


 ここからはおまけ写真です。2日に出札掛様も撮影された「未来クリエーター家康号」、自分は北岡崎で参戦していました。岡崎で先行する新快速の遅れを引きずった関係で発車が遅れたため、あわや上りの普通電車と被りそうな際どいタイミングでした。

【2018.12.2 愛知環状鉄道】

 

 

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 北野桝塚停車中に後続の普通電車で先行できるダイヤでしたが、北へ行けば行くほど青空が期待できそうな雰囲気だったので、2回目は貝津に向かいました。思惑どおり晴天下で撮影できましたが、ベースの色が真っ黒だけにせっかくの好条件にもかかわらず、電車の存在感が今ひとつでした。

【2018.12.2 愛知環状鉄道】

102_dsc974418122

 引き続き愛環線内で撮影を続け81列車の時間に合わせて紅葉ポイントに向かいました。さっきまで晴れていたのに81列車の通過前に西から押し寄せた雲が広がり、ドン曇りの中での撮影になってしまいました。せっかく紅葉が見頃だっただけに残念な気持ちを引きずったまま撤収しました。

【2018.12.2 中央本線】

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2018年12月 5日 (水)

蒸機運転開始の頃の山口線-2

 続いて、翌昭和55年の撮影である。C581が牽引しているので、おそらくC58が運転している、ということで訪問したのだろう。ちなみにC581は、昭和55年から59年までの5シーズンだけ使用されたらしい。C56が山口線にやってくるのは、昭和62年からである。

 この時の撮影は、確か主席助役さんと一緒で名古屋から583系の寝台特急「金星」で小郡まで行っている。ただ、山口線は1日だけで、その後は鹿児島本線の寝台特急や西鉄北九州線などを撮影している。帰りは飛行機だったかもしれない。

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 この時のファーストカットは、宮野~仁保間の線路脇である。大山路の定番踏切は、前年に撮っているので、避けたのだろうか。ただ、この場所、ほとんど写真を見たことがなく、どのあたりなのか、まったく記憶が無い。おそらく、現在は木が伸びて撮影はできなくなっているだろう。

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 次のカットは、定番の長門峡である。

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 さらに追いかけて、これも定番の徳佐。この追いかけパターンは、現在も同じである。

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 津和野からの戻りは、旧国道の下のトンネルの上から俯瞰をしている。この場所の写真も最近見ないが、やはり立ち入りが制限されているのだろうか。

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 この時も、なぜかカラーは少なく、トンネルの上のカットでカラーは撮影していないようだ。その代わりとして、トンネルの下で撮った普通列車の写真をご覧に入れよう。キハ40系の荷物車にキハ40が3両、最後尾はキハ58か?当時、キハ40系は新鋭車だったと思われるが、今見れば新鮮で、やはり蒸機列車よりも貴重な写真に思えてくる。

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 津和野の後は、篠目で藁葺きの農家を入れて撮影している。このアングルも、あまり見かけない。

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 もう1枚、場所不明であるが、こんな写真もあった。山口と小郡の間であると思われるが・・。

 前回も記したが、この後、山口線に撮影に行くのは、実に37年後の2017年である。(その間に、一回あったようにも思うが、写真が見つからない)この2回の撮影である程度、満足したのと、撮影ポイントが限られるのも理由のようだが、いろいろ聞いてみると、保存蒸機路線のうち、煙の出が最も良いのが山口線、特にC57で運転するときという。久しぶりに訪れて土地勘もできたので、また、機会を見て、撮影に行っても良いかな、とも思っている。(駅長)

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2018年12月 3日 (月)

蒸機運転開始の頃の山口線-その1

 電車運転士さんから、ご一緒させていただいた山口線の蒸機列車の写真と記事が載せられた。山口線の蒸機列車には、運転開始直後の昭和54年12月と昭和55年9月に訪れている。現在と同じ場所で撮影もしているので、約40年の時を隔てた今むかし写真として、当時の写真をご覧に入れたいと思う。

 なお、小生の趣向から山口線の蒸機列車に通い詰めていると思われるかもしれないが、実はこの写真以降に山口線を訪れたのは、昨年11月の重連運転時で、実に30年以上、ブランクが空いている。もっと行っても良いように思うのだが、意外に山口は行きづらいことに加え、他に行きたい優先順位があったのが、訪れていない理由のようだ。ちなみに、磐越西線の蒸機も、まだ、現時点で未訪である。

 まずは昭和54年の撮影である。この時は、友人と訪れているのは間違いないが、どのような列車で訪れたかが記憶が無い。この時は2日間、レンタカーで撮影している。

Photo
 今も昔も、最初の撮影地は宮野~仁保間の大山路踏切である。現状は順光側に発光信号やリレーボックスがあって、こうしたスッキリした写真は撮れなくなっている。聞くところによると、この踏切で横断者の事故があり、安全設備を整備したためのようだ。

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 続いて、定番撮影地の長門峡では撮らず、渡川~三谷間のカーブに行っている。最近、このあたりの写真を見ることはないが、今は撮れないのだろうか?

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 その後は、定番の徳佐に行かず、地福と鍋倉の間(たぶん)で横位置で狙っている。国道からの撮影だろうか?

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 津和野からの戻りは、天気が良かったので、旧国道から俯瞰をしたようだ。本命の蒸機列車を待っている間に、キハ181系の特急「おき」が通過していく。今にして思えば、蒸機列車よりもこちらの方が貴重かもしれない。

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 続いて蒸機列車。現在のお立ち台のある本門前踏切のあたりには、ほとんど同業者は見られない。

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 この後、三谷で絶気で降りてくる写真を撮影の後、篠目の発車を狙っている。12月でも陽があたっているのは、現在よりも発車時間が早かったためだろうか。

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 その後、仁保で発車を撮影して、1日目は終了である。

 2日目は、やはり大山路の踏切から撮影を開始している。

1979121_c571
 もう少し、横位置から撮れば良いのに、正面ドッカンの写真。

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 短い望遠レンズをつけたもう1台のカメラでは煙が流れているので、正面ドッカンは結果的に正解だったかもしれないが・・。なぜか、不思議なことに、この時の撮影ではカラーが限られたカットしかない。このアングルで撮っているのは、モノクロだけである。どうしてかな?

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 この日も長門峡では撮らず、三谷に行っている。当時、長門峡はあまり煙は期待できない、というような記憶がかすかにあるのだが、さて、どうだったのか。

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 その次は、地福の発車か。大部、天気が悪くなっているようだ。

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 津和野からの戻りは、トンネルの手前のカーブで狙っている。どうやら雨が降りだしたらしく、レールや道床が光っている。旧国道から近いこの場所の写真は、今はまったく見ることがないが、線路脇で立ち入りが制限されるからだろうか?

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 追いかけて、徳佐の発車。

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 最後の撮影は、前日同様、仁保の発車である。冬型の気圧配置のためか、津和野は雨が降っても、峠を越えると晴れていたようだ。

 こうやって改めて見てみると、何度も追いかけて撮影している。片道3回、往復で6回撮影しているようだ。当時は、今よりも同業者が少なく、追いかけも楽だったのだろうか?(駅長)

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2018年12月 2日 (日)

565.およそ20年ぶりの山口線 2018/11/24・25

 去る1124日と25日の両日、駅長様・検査掛様と山口線を訪れてきました。25日にC57D51の重連運転がリリースされており、それに合わせて山口線詣でを計画していました。ところが、C57の不調により重連運転は中止になってしまい、D51単機運転となりましたが、元々スケジュールを組んでいたのと自分的には山口線のD5120035系客車は初体験だったこともあって、予定どおり催行しました。自分にとって、山口線はかなり間が空いており、およそ20年ぶりの訪問となりました。なお、先週は個人的にスケジュールがバタバタでブログアップする時間がとれなかったため、鮮度落ちになってしまったことをお許しください。

 

※撮影は1124日・25日の山口線(電車運転士)

 

 

 

12_dsc8798181124
 名古屋から深夜の高速道路をひた走り、最初の撮影ポイントに到着したのが800分頃でした。この日の朝は冷え込みが厳しかったようで、日陰には霜が残っていました。お目当ての列車までにはたっぷりと時間があったので、それまでの間、行き交う列車を撮影しました。写真は「スーパーおき2号」です。

【2018.11.24 山口線】

 

 

22_dsc8826181124
 待つことおよそ3時間30分、D51200が勾配を登って来ました。煙はそこそこ吐いてくれましたが、思いのほか速度が速く、煙が高く上がりませんでした。

【2018.11.24 山口線】

 

 

32_dsc8836181124

 

 その後はお決まりの追撃態勢に入ります。2回目は爆煙が期待できる長門峡の発車です。期待を裏切らない煙で発車しましたが、鉄橋上に差し掛かったところ、やはり煙が暴れてしまいました。鉄橋を渡り切ってからは安定した煙だったため、無風状態でも鉄橋の上だけは微妙な川風が吹いていると推測されます。

【2018.11.24 山口線】

 

 

42_dsc8849181124

 

 3回目は徳佐の発車です。ここも運がいいと爆煙になるようですが、この日は昼過ぎから風が吹き始め、煙が流されるのではないかと懸念していたところ、悪い予想はしっかりと当たるようで、どんどん列車の反対側へ流れていきます。手前まで引っ張ると煙がさらに流れてしまうと思い、とりあえず保険的な感じで奥の方でもシャッターを押しました。

【2018.11.24 山口線】

 

52_dsc8889181124

 

 陽の短いこの時季、復路は定番の踏切一発勝負にしました。夕方の斜光線に照らされた紅葉が綺麗で、否が応でも期待が膨らみます。左奥に列車が見えVカットを確信したところ、シャッター切り位置のところだけゲリラ雲が襲来、目の前が真っ暗になりましたが、間一髪でクリアできて事なきを得ました。一瞬だけでしたが、肝を冷やしました。
【2018.11.24 山口線】

 

 

62_dsc8894181124

 

 

 ズームを引いてさらに列車を追います。煙自体はいい感じでしたが、やはり後方が暴れてしまい、客車にかかってしまいました。煙がどのようになるのか予測がつかないため、蒸機の撮影はハードルが高いです。

【2018.11.24 山口線】

 

72_dsc8925181125
 現地1泊後、2日目となる25日の撮り始めは田代トンネル上に向かいました。ここでも蒸機までにはかなりの時間があったので、気動車列車を撮りながら時が来るのを待ちました。天気は時折陽が差すものの、全体的には曇り基調でした。キハ187系の「スーパーおき2号」が軽々と峠を登って行きます。

【2018.11.25 山口線】

 

82_dsc8961181125
 さらに上から撮れるポイントもありました。てっきりタラコ色のキハ47が来るかと思っていたらラッピング車両が先頭で来てしまいました。「よりによってこのタイミングかい」と思いましたが、撮り直しがきかないので、諦めるしかありませんでした。

【2018.11.25 山口線】

 

92_dsc8975181125
 本命列車も前の写真の俯瞰ポイントで撮る選択肢もありましたが、次のスケジュールが非常にタイトだったので、少しでも下山時間を短縮できる田代トンネル直上で待ちました。ここは25‰の勾配が連続するので、さすがのD51でもゆっくりとした足取りでこちらに向かってきます。その関係で煙は高く上がりますが、微妙な風の影響で垂直とはならずにわずかに右に倒れてしまいました。100%の満足を得るためには何回ものチャレンジが必要で、これが蒸機撮影の醍醐味であり難しさでしょうか。

【2018.11.25 山口線】

 

102_dsc2987181125

 

もう1台のカメラは煙が左右に流れても対応できるようにと横構図にしました。この直線区間を進む間に煙は均等に吐くわけではなく、薄くなったり濃くなったりを繰り返し、さらにそのタイミングは読めないことが多く、シャッターを押すポイントに悩みました。
【2018.11.25 山口線】

 

 

112_dsc8996181125

 その後は速攻で下山し、徳佐に向かいました。間に合うかどうかかなり厳しい条件でしたが、一生懸命走った結果、何とか間に合いました。煙が流れないことを期待して前日と同じポジションを選択しましたが、結果はご覧のとおりです。案の定、煙は見事に列車の向こう側に流れてしまい、前日のコピーのような結果に終わってしまいました。
【2018.11.25 山口線】

 

 

 25日の撮影は帰りのスケジュールの都合で、復路は撮らずにこれを撮影後、帰路につきました。相変わらずの弾丸鉄にお付き合いいただいた駅長様・検査掛様、ありがとうございました。今回の撮影行で感じたことは、蒸機の撮影は1回や2回の訪問では100%の満足を得ることは難しいということでしょうか。究極の1枚は苦労を重ねながら何回も通い続けなければ得ることはできないということを感じました。

 

 

 

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曇 曇 曇

愛知DCも、いよいよたけなわです。12月1、2日の両日は、豊橋から愛知環状鉄道線を経由して名古屋~武豊線へと走る団臨がラッピング313系“黒電”で運行されました。愛知県内を軽く周る面白いルートなので、被写体の評価はさておき、もう二度と設定されないであろう団臨列車を記録しておこうと、第二日目にぶらりと出かけてきました。
 

3131 “黒電”の愛環線内での撮影は外せません、というわけで六名ー中岡崎に来ました。この場所を選んだもう一つの目的は背景に写る紅葉です。とっくに見頃は過ぎて、辛うじて残っていたのはラッキーでしたが逆光は避けられません。ただ、紅葉なら逆光歓迎なのでためらわずにカメラを向けましたが、幸か不幸か太陽は雲に隠れたままでした(涙)。
  

5571 一足先に武豊線まで移動して、まず白ホキ5571レを撮影しました。紅葉がきれいだったので逆光承知でこの場所に立ちましたが、ここでも曇り空。陽が射せば紅葉が映えたかもしれず、残念でした(涙)。
  

3132 そして約30分後、武豊線に入った“黒電”を定番ポイントで待ち構えました。僅かな差で太陽は雲の中(涙)。晴れればほぼ順光ですが、被写体がこれでは、あまり変わらない??
 

3133 折り返し、ひと仕事を終えて神領に回送される“黒電”を東海道線クロス付近で狙いました。武豊線らしさをかもし出すポイントは幾つかあるかもしれませんが、あまりピンとこないので手軽な場所でお茶を濁した次第です。案の定、太陽は顔を出してくれません(涙)。
  

Dy 機材をそそくさと撤収して反射神経を養う撮影ポイントに急ぎました。やがて本番、やっぱり太陽は雲の中。他の場所では如何だったのだろうかとSNSに寄せられた画像を検索すると、大半が晴れている!この周辺だけ曇天かい(涙)。もう、なんだか・・・以上で撤収。
  
ことごとく太陽に嫌われての撮影でした。このところ愛知DCネタにも誘惑されて、ほとんど毎週出かけっぱなし。「少しは大人しくしていなさい」との戒めかもしれません。(出札掛)

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