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2017年7月21日 (金)

490.旅客営業廃止8日前の尼崎港線 1981/3/24

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 尼崎港線は福知山線の塚口から尼崎港までの4.6㌔の路線で、正式には福知山線の支線でした。どちらかというと貨物線の性格が強い路線で、末期はDD13が客車1両を牽引するスタイルの旅客列車がわずか2往復、他に数往復の貨物列車が運転されていたようですが、鉄道としての機能はほとんど失われていたような感じです。似たような境遇の路線としては播但線の支線だった姫路~飾磨港の飾磨港線が思い出されます。どういう経緯で尼崎港線を訪れたのか記憶が定かではありませんが、もうすぐ旅客営業が廃止になることを知って、急遽、立ち寄ってみたという感じでしょうか。旅客営業の廃止は1981(昭和56)年の41日、自分が訪れたのは324日でしたので、旅客営業廃止の8日前ということになります。その後も貨物列車は細々と運転されていたようですが、こちらも1984(昭和59)年131日限りで廃止され、そのまま廃線となりました。

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 途中駅の金楽寺に掲示されていた時刻表です。このようなダイヤではほとんどが空気輸送だったのではないかと想像できます。
【1981.3.24 金楽寺】(電車運転士)

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 下りの最終列車となる夕方の823列車が来ました。大阪または梅田から電車で1015分圏内にこのような路地裏的な雰囲気の駅が存在していたことは36年前の当時でも信じられませんでした。1日に4回しか列車が来ないこの駅は完全に近所の子供たちの遊び場と化していました。
【1981.3.24 金楽寺】(電車運転士)

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 823列車撮影後は歩いて尼崎港に向かいました。尼崎港のホームは阪神高速の高架下に潜り込むように設置されていました。全体的に殺風景な雰囲気でしたが、構内は思ったよりも広く感じられました。お名残乗車の同業者が思い思いの立ち位置で写真を撮っていますが、今だったらこのような状況は許されるはずもなく、何ともおおらかな時代でした。
【1981.3.24 尼崎港】(電車運転士)

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 この日の牽引機は一つ目のDD13でした。この頃はまだ各地で見られたDD13でしたが、一つ目は貴重な存在になりつつあり、そういった意味ではラッキーでした。
【1981.3.24 尼崎港】(電車運転士)

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 尼崎港での折り返し時間は1時間24分、発車時間の1816分が近づいた頃には夕闇が迫り、構内照明も点灯されました。停車中の824列車が上下を含めてこの日の最終列車となります。往路は阪神電車を使って尼崎港線入りしましたので、復路はお名残乗車を兼ねてこの列車で塚口に向かいました。
【1981.3.24 尼崎港】(電車運転士)

 

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コメント

 DD13は、先日、RMライブラリーで3分冊が出ましたが、意外に皆さん写真を撮られていないようで、残された写真は少ないようです。尼崎港線も忘れられたローカル線ということで、関西の鉄道ファンの方々にはどのような位置づけだったのでしょうか?かくいう私もこんな路線があったことは記憶に無く、興味深く写真を見ました。大変良い雰囲気ですし、行きづらい場所ではないので、今から思えば行けば良かったと思いますが、当時は関心がなかったんでしょうねぇ。(駅長)

投稿: 駅長 | 2017年7月21日 (金) 19時55分

こんな路線、ありましたねー。その気になれば乗りに行くことはできたはずなのに、本数の少ない旅客レに時間を合わせるのが面倒だったのか、乗らず・撮らずじまいでした(悲)。それにしてもこんなに素晴らしい編成が走っていたのですね。(出札掛)

投稿: 出札掛 | 2017年7月21日 (金) 22時15分

この頃は専ら旧型国電に目がいっていて、廃線になるとわかっていても行きませんでしたね。後年、福知山線を撮影にに行って、尼崎で東海道の跨線橋を見て、「ああ、そういえば・・・」と思ったことを思い出しました。DD13は国鉄に興味をもち始めた頃、一次車の大半が品川機関区に配属されていて、首都圏の各駅で見られましたが、カメラを向けることはありませんでした。DD13の列車をまともに撮ったのは清水港線くらいのものです。(検査掛)

投稿: 検査掛 | 2017年7月23日 (日) 22時26分

懐かしいですね。ドテカン
尼崎はもとは神崎と呼ばれていて、土手の上にある神崎の意です。
坂本衛さんの本に出ていたと思います。尼崎でみな東海道線に乗り換えるので、それまでにいかに車補を売るかが車掌の腕の見せ所。事前に作っておいて金と交換でどんどん手渡す。作りすぎて売れずに自腹を切った話が載っていたかと記憶しています。
塚口ー尼崎の例の大事故のカーヴはこれの北の方ですね。半径600mから300mへの作りかえ(の妥当性無)を皆さん指摘しないのはどうしてだろうと思います。

あまらぼ鍋屋町/山本 高英

投稿: あまらぼ鍋屋町 | 2017年7月28日 (金) 14時38分

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