« 441.1981年冬 北の大地で撮り鉄行脚 増号車 【帰りにちょっと寄り道】 1981/2/27 | トップページ | タブーだった荷物車 マニ30 »

2016年11月30日 (水)

1972年 飯山線蒸機最後の春(その2)+α

もう一回お付き合いください。
(その1)のネガの日付が3月5日で、今回のものが22日~23日となっているのですが、正直この間の行動が思い出せません。

Img446_21972年3月22日 豊野
どのように長野入りしたのか覚えていないのですが、22日はここから始まっています。津島軽便堂写真館さんのHP(
http://tsushima-keibendo.a.la9.jp/JNR-iiyama-ooito/iiyama2.html )のダイヤからすると定期貨物の295レの入換中のようです。

Img4481972年3月22日 替佐・蓮
先行する普通列車に乗り、替佐で降りたようです。 千曲川を入れ込みたかったのだと思われます。煙はスカだし、列車は切れてしまっているし・・・(。>0<。)

Img4491972年3月22日 上今井・替佐
飯山以東で撮影時間帯に撮れるのは不定期6294レだけなので、その列車と思われます。上今井駅に向かって20‰の登りで煙を期待したと思うのですが、荷が軽すぎてこれもスカりました。

Img0921972年3月23日 替佐・蓮 295レ
母の実家に泊まり、翌日はここしか煙を吐いてくれないと認識したのか、替佐・蓮間に来たようです。(その1)の同区間を道から撮るとこのようなアングルとなります。カーブを描いてゆっくり上ってきます。一眼レフ望遠で撮りたかったなぁ。

飯山線のC56は、DD16の導入が間に合わなかったこともあり、3月のダイヤ改正後も残り、5月にはその頃まだ珍しかった和式客車を重連で牽引しています。しかし、10月には消滅しました。

長野県内では飯山線のほかに小海線、大糸線でC56が使用されていました。(その1)と(その2)の間に大糸線にも行っています。まず、再び一旦長野運転所に寄って、糸魚川機関区を訪れています。

Img411_21972年3月13日 長野運転所
すっかりEF62やDD51に占拠されています。

Img4151972年3月13日 長野
運転所にいるうちに、唯一配属されていたDD14 301が出区していきました。この頃はまだ冬期専用ではなく、中間期は入換に使用されていました。

Img4521972年3月13日 長野運転所
DD51が屯する中、ラウンドハウス脇には3両のC56が頭を並べていました。中央線沿線の入換が一部無煙化され、余剰となった検査に余裕のあるC56はここに集められていました。

Img421_2_21972年3月13日 糸魚川機関区
丙線区用に開発されたDD16の1号機。後に小海線に転属することになるのですが(http://b1hanabusa.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/3041980-5-19808.html参照)初投入は糸魚川区でした。
ここで、翌日から大糸線に投入されることを聞いたようです。

Img426_21972年3月14日 海ノ口・簗場
微かな記憶では、一旦南に下り、大町のステーションホテルに泊まったと思います。当日の下りが、大糸線のC56単独牽引の最後だったと思われます。何故電化区間で撮ったのか?

Img428_21972年3月14日 海ノ口・簗場
当時は糸魚川区のC56(115、125号機)の運用だったと思うのですが、当日は上諏訪区のゼブラ塗りC56 101の牽引でした。

ハーフサイズのカメラでの、粗い画像で失礼しました。
44年振りの飯山線でのSLの運転でしたが、訪れた日はいずれも天気が悪く、せっかく延べ10日もの試運転をした(本運転日もメチャ天気が悪かったようです。)のだから、またの運転を期待したいと思います。(検査掛)








|

« 441.1981年冬 北の大地で撮り鉄行脚 増号車 【帰りにちょっと寄り道】 1981/2/27 | トップページ | タブーだった荷物車 マニ30 »

「検査掛」カテゴリの記事

コメント

無煙化への移り変わりという歴史的な時期に立ち会えて、貴重な記録が撮れたことと思います。飯山、大糸とも魅力的な路線なだけにSLときたらたまりません(笑)。そんな路線なのにあまり同業者の競合もなかったのでしょうか、自由なアングルで現役時代のSLをナマで見られたことをうらやましく思います。(出札掛)

投稿: 出札掛 | 2016年12月 1日 (木) 19時31分

蒸機の敵となるDLやELは敬遠しがちですが、しっかりと記録されており、過渡期の状況がよく伝わってきました。今となっては貴重な記録だと思います。DD161の最初の活躍の場が大糸線だったとは知りませんでした。DD14のロータリーヘッドを外した姿も新鮮です。(電車運転士)

投稿: 電車運転士 | 2016年12月 2日 (金) 13時27分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/591904/64564513

この記事へのトラックバック一覧です: 1972年 飯山線蒸機最後の春(その2)+α:

« 441.1981年冬 北の大地で撮り鉄行脚 増号車 【帰りにちょっと寄り道】 1981/2/27 | トップページ | タブーだった荷物車 マニ30 »