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2016年10月22日 (土)

35年前の謎?

自分の部屋内で断捨離の実行中、ふとした箇所から数本のネガフィルムが発見されました。そのうち最も古いネガカバーに目をやると、“1981年8~9月”と書かれた35年も前のフィルム、しかも銘柄はサクラです(今の若い人には、??でしょうね)。さっそくスキャンしてみたところ、なんとなく撮影当時を思い出せるものもあれば、「おや?」と考えさせられる画像も写っています。当時の自分は高校○年生、詳細な記憶など残っているはずもなく、そこで諸先輩方のお知恵を拝借したく、ここに疑問を抱いた画像を載せる次第です。

81824 ご当地タレント(ミュージシャン?)伊藤秀志がファンと一緒に名鉄特急に乗車して、イベントを楽しみながら犬山へ向かおうという企画列車が同年8月24日に運転されました。当時、本人の作詞作曲した「送り火」という歌がヒットしており、土曜日の午後にCBCラジオで放送されていたべストテン番組では上位にランクインするほどの人気ぶりでした。これに名鉄があやかってこのような催事が企画されました。催行日は平日ですが、高校生である我が身はもちろん夏休みなので撮影に出かけられると思いきや、なんと模擬試験の日程と重なりました。「そんな殺生な、う~ん」、悩んだ末にズル休みをして撮影に出かけてしまいました。
当初は歌のタイトルに合わせて「送り火号」という催事名で会員募集をしていましたが、当の列車には「送り火」ではなく「伊藤秀志」の名称板。あーらら?でも一般的見地から考えると、お盆の多客臨でもないのに「送り火」という名称をイベント用に使用するのは如何なものだろうか、という社会通念を感じずにいられません。さて舞台裏のエピソードは如何に?

819202 この頃の名鉄では俗に言う“名称列車”が花盛り。春・秋の臨時ダイヤに設定された犬山発蒲郡行き臨時急行「みかわビーチ」もその一環です。この画像を眺めて旧5000系を懐かしむのはもちろんですが、ところでこの駅、どこだろう?列車後方に写る建物と、左脇の細い道(たしか駅発着の名鉄バス専用道だったような)を見て思い出すまで、しばしの時間がかかりました。それだけ時が経った証拠ですね。そう、岩倉です。

81920 これこそまったく思い出せないのです。現JR線を跨ぐ常滑線のすぐ横で撮影しておりますが、今では絶対に不可能な撮影ポイントです。当時は神宮前駅の南側で名鉄本線とJR線を跨いで東西を結ぶ人道橋があったようで、おそらくそこで撮影したのでしょう。画像の下部には、橋の一部と思しきものが写り込んでいるので間違いなさそうですが、そんな跨線橋ってありましたっけ?やっぱり思い出せません。

819201 この地点、もしかして庄内川右岸でしょうか?シャッターチャンスが良くないことはさておき、どうやら半年後に電化を控えた関西線を走る客レを撮りに出かけたようです。もしもここが庄内川右岸なら、線路傍の柱は南側に建てられていることになりますが、これは後に現在の北側に移植されたことはなんとなく記憶にあるので、やはりそうなのでしょうか?
諸先輩方の撮影画像には、このように風景が現在とガラリと変わるものを数多く有していることと思いますが、自分の撮影した画像にも、ふと気が付いたらそんなことを思わせるシーンが記されていたとは、まさかの驚きでした。それだけ、知らず知らずのうちに長い時を過ごしてきたようです。もっとも記憶力の低下も否定できませんが・・・。

人生後半、しっかりと記憶に残る印象的な鉄活動に励んでいきたく思います。(出札掛)

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コメント

名鉄はともかく、関西線の客車列車、なんとも時代を感じますね。1981年というと名古屋に来てまだ2年、中心部は結構ビルも立っていて「街だなぁ」でしたが、鉄道で川を越えるとのどかな田園風景が広がっていました。八田の次は蟹江でしたものね。このあたりは春田ができる前に一旦信号場ができてその時に電柱が移植されたのではないでしょうか?(検査掛)

投稿: 検査掛 | 2016年10月22日 (土) 22時44分

 1枚目の写真の背景はよくわかりませんが、3枚目の写真については「汽車・電車・市電-昭和の名古屋 鉄道風景」という本に神宮前上空からの空撮が出ていて、跨線橋がしっかり写っています。現在はこの場所に地下道が出来たので、跨線橋は撤去されたのでしょう。4枚目は庄内川の右岸かと思いますが、八田の高架化?だったかの関係で、この場所に待避線が造られたことから、架線柱の位置が変わったと思います。ちなみにこの場所も上記の本にそれよりさらに10年以上前の現地の写真が出ています。2枚目の岩倉の駅は、駅の地下化の時にホーム位置が変わって上屋も建て替えられているので、思い出しづらいのでしょうね。ところで、この頃のフジのネガは黄変が激しいと思いますが、やはりサクラでも黄変がでているでしょうか?それらしき状況は見られますが。(駅長)

投稿: 駅長 | 2016年10月22日 (土) 23時11分

駅長様
神宮前と八田の件、さっそく本のページをめくってみました。あ、本当ですね。
高校生の頃は、どちらかと言えばネタ列車ばかりを追いかけていたので、ほとんどが編成ドカン写真。当時を振り返ると、どうしてこんな撮り方をしたのだろう、と目を疑うアングルばかりです。所詮、高校生時代のレベル(→今でも変わらない!)ですから後悔しても仕方ありませんが、撮影場所という視点で考えると、現在では同じアングルの撮影は不可能である地点も少なくないはずなので、昔の写真を見ながら、そんな楽しみ方もありかな、とも思います。(出札掛)

投稿: 出札掛 | 2016年10月23日 (日) 00時03分

 件の本の執筆者の方は,昭和末期の名古屋周辺の撮影ポイントは、極力、掲載した、とのことです。昔の様子を知るには、まず、この本を見るのが手っ取り早そうです。(駅長)

投稿: 駅長 | 2016年10月24日 (月) 00時35分

名鉄のイラスト看板全盛期の時代、懐かしいですね。それにしても個人名そのものズバリっていうのには驚きでした。伊藤秀志さんというミュージシャン、自分の中ではあまり記憶がありません。「送り火」ってどんな曲でしたっけ? 非電化の関西線、名古屋を昼過ぎに出る紀勢線まわり天王寺行(はやたま)なんて悠長な列車もあり、のんびりしていた時代でした。(電車運転士)

投稿: 電車運転士 | 2016年10月25日 (火) 13時08分

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