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2016年8月 6日 (土)

1986年 30年前の信州撮影行(その1)

調子に乗って30年前の信州撮影行をアップしたいと思います。
この頃は普通自動車免許取得してまもなく、車も持っておりませんでしたし、長野道も未成でした。
まだ日本国有鉄道の時代で、信州ワイド周遊券で7月27日~31日(28日は仕事をしました。)都合4日、夜行を駆使し、信越本線、中央本線(大八廻り)、小海線、上田交通を廻りました。

 まず、27日は信越本線長野以北を目指します。

Img2371986年7月27日  長野  9816レ
夜行「きそ」で未明の長野に到着。7番ホームに大ミハ和式客車「みやび」が停まっていましたが、篠ノ井方面に先行する列車がなく、発車を後ろから撮らざるを得ませんでした。この5か月後、悲劇の結末を迎えることなど、知る由もありませんでした。

Img2381986年7月27日  長野  4801レ
そのしばらく後、大阪から「ちくま」が到着。この当時は12系一般車7両+20系寝台車3両の堂々たる編成でした。

Img2421986年7月27日  長野  791レ
この時期に信州を訪れることにしたのは、信越本線のヌシとも言えるEF62が消えそうだ、との情報を得たためです。この日は休日で、専用貨物が運休で、撮れた貨物列車はこれ1本だけでした。

このあと、何の躊躇もなく、ホームの運転事務室に行き、「今日の臨時列車、教えてください。」ようなお願いをし、迷惑そうな顔をされながらも、キッチリ情報を入手しました。

Img7441986年7月27日  古間・黒姫  9323M
黒姫駅からほど近いこの場所に向かいました。すでに本命を待つ同業者が10名程度居た記憶があります。(僅かなものです。)
まず、来たのは海水浴臨「かもめビーチ」。上信道などものの陰もない時代、長野県内から日本海へは、まだまだ列車需要があったようです。小諸発(6両)+松本発(3両)の169系9両でした。

Img7451986年7月27日  古間・黒姫  3006M
当時長ナノの189系は、サロが1両減車されたものの11両の特急として相応しい編成でした。残念ながら黒姫山は雲の中です。

Img7471986年7月27日  古間・黒姫  9312レ
ジョイフルトレイン華やかりし頃で、なんと岡山のサロンカーがこんなところに入る時代でした。
先ほどの同業者の一人いわく、「もうほとんど牽引機はEF64になってしまって、今日は久々のEF62の登場だ。」とのことでした。当日はこの後数本の臨時客車列車が走りましたが、この言葉通り、他は全てEF64牽引でした。

Img7491986年7月27日   豊野・牟礼  8010M
午後になりこちらに移動しました。信越本線の駅からは遠いこの場所ですが、飯山線信濃浅野からならば、10分程度で到着できます。
当時は、繁忙期に381系も妙高高原まで乗り入れていました。

Img7531986年7月27日   豊野・牟礼  3042M
489系もまだ国鉄特急色でした。柱がこちら側ですが、現在はあるケーブルがなく、スッキリ撮れましたね。よく見ると上信道の工事は始まっているようです。

Img7541986年7月27日   豊野・牟礼  9366M
団体輸送のために急行「天竜」用の編成が妙高高原まで乗り入れており、長野での作業時間が取れないためか、ヘッドマークも掲出されたまま、サボも入ったままでした。長野寄りには新急行「かもしか」塗色の改造車が連結されていました。

Img7561986年7月27日   豊野・牟礼  9315レ
またまたジョイフルトレインの登場です。パッと見た目普通の12系和式ですが、中央にサロンを組み込んだ新ニイの編成です。名古屋から直江津までスルーでユーロ専用機EF64 66が牽引したようです。

Img7571986年7月27日   豊野・牟礼  9334レ
またまたまたジョイフルトレイン、名ナコ和式が来ました。この後、「きそ」が直江津発で運転されていたので、日中に4本もの客車列車が撮れたオイシイ日でした。

Img5711986年7月29日  小野・塩尻  5663レ
この日は夜勤明けで出足が遅かったので、ここ旧東塩尻信号所のみを訪れました。みどり湖駅から距離的には近い場所にありますが、高低差がすごく、一度登ったら降りるのが嫌になりました。
飯田線からの継承タンク車を篠ノ井区のEF64が塩尻まで運んで行きました。
旧東塩尻のホームは画面右手奥にあります。

Img4971986年7月29日  みどり湖・塩尻  434M
この頃はまだ木々が低く、旧東塩尻信号所から新線が見下ろせました。

Img5731986年7月29日  小野・塩尻  154M
辰野・塩尻間のローカルには主に119系が使われていました。

Img5741986年7月29日  小野・塩尻  5377レ
こんどは八王子区のEF64がセメントを運んできました。
比較的短時間に2本の貨物列車が撮れました。

Img5751986年7月29日  小野・塩尻  3526M
ここでの最後は新急行色となる快速「天竜」です。この塗り分けも115系と同一の新信州色に変更になり、短期間に終わりました。

当日の下り「きそ」に乗るべく、この日は早めに帰名しました。(検査掛)















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コメント

信越山線に、多客臨も含めてこれほど豊富な臨時列車が走っているときがあったとは驚きです。まさか381が夏にも妙高まで運転されていたとは、まったく記憶にありません(笑)。でも9両の「かもめビーチ」は川中島付近で撮った記憶があり、巨大なHMに感動でした。辰野線も貨物や「天竜」のおかげでそれなりの運転本数があったようで、飽きることがなかったのではと思われます。国鉄末期の良き時代でした。
PS:飯山線の話題って、もしや黒いおカマでは?(出札掛)

投稿: 出札掛 | 2016年8月 6日 (土) 14時05分

9366Mの写真で、165系なのに湘南色4両のうち集中式AU72搭載が2両! よく見ると通風器が2列の冷房準備車又は新製冷房車。クモハ奇数のクハ化等で相方を失ったモハ164/168を電装解除して付随車化したサハ165-100番台のようです。貴重なものを発見し、感動してしまいました。

投稿: 大阪の愛知県人 | 2016年8月 6日 (土) 22時33分

 30年前ですかぁ。この頃は、こんなにも多彩な列車が運転されていたのですね。今から見ると、なんとも新鮮です。当然のことながら、機関車は国鉄色ばかり・・・って、まだ国鉄の時代か(^_^;)。ユーロガマなんていう、変わった塗色を追いかけた時代ですね。それが、国鉄色を追いかけることになるなんて、この頃、誰が想像したでしょう。まあ、30年経って、同じ塗装が残っている方が不思議かもしれませんが・・・。(駅長)

投稿: 駅長 | 2016年8月 7日 (日) 07時58分

>大阪の愛知県人様
ご覧頂きありがとうございます。国鉄末期直流車→交直流車、サロ→クハ等いろんな改造がされましたね。私もかなりの頻度でその回送を追っかけたものです。モハ168→サハ165 100番台の回送を、当ブログ2014年9月23日「LEカー登場の頃」でアップしています。よろしければこちらもご覧ください。
>出札掛様
ご想像のとおり。もうかなり知れ渡っているのでしょうか?(検査掛)

投稿: 検査掛 | 2016年8月 7日 (日) 19時00分

懐かしい列車・車両が目白押しですね。これだけ集まると壮観です。今だと激パになる車両が日常の風景として淡々と走っていた日々が懐かしいです。信州ワイドの有効期間中に仕事のためにいったん名古屋に戻り、次の休みに再度出掛けて行く方法は自分も試したことがあります。そういった意味では使い勝手のいい切符でした。(電車運転士)

投稿: 電車運転士 | 2016年8月 8日 (月) 16時15分

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