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2016年7月29日 (金)

420.1981年冬 北の大地で撮り鉄行脚 8号車 【流氷のオホーツク海】 1981/2/22・23

 先回に引き続き、寒~い写真をお届けいたします。今回はオホーツク海沿岸を走るローカル線、興浜南線と興浜北線です。興浜南線は名寄本線の興部から雄武までの19.9㌔、興浜北線は天北線の浜頓別から北見枝幸までの30.4㌔を結ぶ路線で、雄武~北見枝幸がつながれば興浜線としてオホーツク縦貫線を構成するはずでした。しかし、両線とも第1次特定地方交通線に指定され、興浜南線・興浜北線とも1985(昭和60)年7月に廃止、オホーツク縦貫線の構想は夢で終わってしまいました。両線を訪れた最大の目的は列車と流氷の組み合わせでしたが、当時はインターネットもあるはずはなく、はたして流氷が接岸しているかどうか正確な情報をつかめないまま、若干の不安を抱えつつ、札幌から「大雪7号」の乗客となりました。

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 早朝の遠軽で名寄本線の1番列車に乗り換え、興浜南線の分岐駅となる興部に向かいました。興部から興浜南線の列車に乗ってしまうと撮影効率が悪くなってしまうため、乗車は後回しにして、とりあえず、線路伝いに沢木方向に歩くことにしました。海岸沿いに出ると流氷は理想的なかたちで接岸しており、流氷を見下ろす適当な高台はないかとポイントを探しましたが、なかなか見つかりません。そうこうしているうちに雄武からの列車が来てしまい、中途半端な感じでの結果に終わってしまいました。
【1981.2.22 興部~沢木】(電車運転士)

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 興浜南線は15往復しか運転がなく、11本の列車が貴重になりますが、興部からの2番列車はポイント選択誤りで撃沈、足取りも重く沢木までたどり着きました。ここまで来てこれといったポイントを見つけることができず、途方に暮れていたところ、集落の向こうに丘のようなものが見えたので、ダメ元覚悟で登ってみました。そこは子供たちがスキーやソリ遊びをするための小さなゲレンデで、眼下には流氷に覆われたオホーツクの雄大な景色が広がっていました。ここからの景色はまさに自分がイメージしたとおりのもので、一気にテンションアップでした。
【1981.2.22 興部~沢木】(電車運転士)

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 末端ローカル線の悲しい性で次の列車までは約4時間のインターバルがありました。その間、沢木の小さな待合室の石油ストーブで暖を取りながら時の経つのを待ちました。頃合いを見計らって先ほどのゲレンデに登りました。今度は標準レンズで集落も写し込んでみました。この日はたまたまオレンジツートンのキハ22が興浜南線を往復しており、車両的には当たり日でした。この頃は北海道でもキハ22のタラコ化が進行しており、オレンジツートンのキハ22は貴重な存在になりつつありました。
【1981.2.22 沢木~栄丘】(電車運転士)

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 夕方の興部からの列車は漁港の防波堤の上から流氷を目一杯入れて撮ることにしました。太陽の光がないと流氷はただの雪原になってしまいますが、好天に恵まれたことで流氷にも質感が出て、満足な結果を得ることができました。撮り鉄はこの列車を最後に撤収し、乗りつぶしを兼ねて雄武まで1往復した後、名寄経由で旭川に向かいました。その後は、宿代の節約と撮影効率を考えて、旭川から「利尻」を捕まえて音威子府→浜頓別のルートで興浜北線入りしました。
【1981.2.22 興部~沢木】(電車運転士)

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 「利尻」は深夜の音威子府で23分の停車時間があるため、バルブに挑戦してみました。この夜気温は-20℃以下になっていたらしく、空気中の水分が凍って氷の結晶となり、それが解けることなくそのままのかたちでパラパラと降り続いていました。まさに雪印マークがとめどなく空から落ちて来るといった感じでしょうか? 下手をすると寒さのためにフィルムが折れたり、素手で三脚を触るとそのまま手が凍りついてしまうので、細心の注意を払っての撮影でした。漆黒の空に高く上がるSGの蒸気が印象的でした。これを撮影後、天北線の1番列車で興浜北線の分岐駅の浜頓別に向かいました。
【1981.2.23 音威子府】(電車運転士)

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 音威子府から乗った天北線の1番列車は北見枝幸行を併結していたので、そのまま興浜北線に乗り入れてくれました。目梨泊で下車して斜内山道を目指しました。興浜北線もうまい具合に流氷が接岸しており、流氷に関してはラッキーな巡り合わせでした。神威岬の灯台の上によじ登り北見枝幸からの1番列車を待ちました。ちょうど日の出の時間と重なって流氷の割れ目から見える海面が赤く染まり、感動的な風景でした。
【1981.2.23 斜内~目梨泊】(電車運転士)

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 せっかく苦労して登ったポイントだったので、折り返し浜頓別からの2番列車もここに居座ることにしました。ところが、列車の通過直前になって急に怪しい雪雲が襲来し、流氷が霞んでしまいました。前日の興浜南線から続いていた幸運もここまでかといった感じになってきました。
【1981.2.23 斜内~目梨泊】(電車運転士)

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 その後のスケジュールを照らし合わせると、この日撮影可能な列車は5本でしたが、3本目と4本目は雪雲にやられて撃沈、最後の5本目となる昼過ぎの列車に望みを託しました。奥の方は雪雲で霞んでいますが、手前は薄日が差し、それなりの条件になったまではよかったのですが、もっといいポイントはないかと欲張ってウロウロしすぎた結果、時間切れになってしまい、何とも中途半端なポイントでの撮影になってしまいました。悔むに悔まれない気持ちを引きずったまま北見枝幸まで1往復した後、今宵の宿となる「利尻」に乗車するため、浜頓別から天北線で稚内へと向かいました。
【1981.2.23 斜内~目梨泊】(電車運転士)

●次の目的地 日高本線

●移動行程 稚内→「利尻」→札幌→「えりも2号」→日高本線

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コメント

懐かしい線名と駅名ですね。2路線とも撮影するには手強い相手(→今なら車で効率よく動くのでしょうけども)。例によってシッカリとそれなりの「お立ち台」で流氷シーンをものにされて、たいへん頭が下がります。自分はどうしたかと言えば、北線は1往復の乗り鉄のみ、南線は沢木駅付近でお茶を濁して1本撮ったのみ。軟弱な学生時代を思い出しました。当時は湧網線も含め、流氷と鉄道のコラボを撮れるポイントが幾つか存在していたので、時間を惜しむことなく、もっと北海道ならではの風物詩を楽しんでおけばよかったと後悔です。(出札掛)

投稿: 出札掛 | 2016年7月29日 (金) 18時59分

 懐かしいですね。興浜北線。南線は乗ったことがありませんが、北線はキューロクの撮影に3度くらい訪れています。しかし、こうやってみると撮影場所には苦労されていますね。斜内山道はあまりに雄大な景色なので、どのように纏めるかが頭を悩ましました。鉄道としての存続は難しい路線だったでしょうが、もう一度、カメラを構えてみたい路線ではありますね。(駅長)

投稿: 駅長 | 2016年7月30日 (土) 11時48分

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