« 2015年9月 | トップページ | 2015年11月 »

2015年10月

2015年10月30日 (金)

鹿児島 補足

 改めて思い出してみると、鹿児島に来るのも久しぶりである。前回に訪れたのは2008年頃だったろうか。さすがに鹿児島は遠い、というより、積極的に来たくなる理由がなかったのが一番の原因だろう。

 とはいえ、7年近く来ていないと、変化の少ない日本の路面電車といえども、さすがに変化している。ということで、その変わったところを中心にフォローすることにした。

 まずは、2012年の開業100周年を記念して運行をはじめた「かごでん」。いわゆるレトロ電車で、600形を車体更新、というか車体を新造した車両である。

Photo
 車内は一部クロスシートで、観光ボランティアが乗って名所を案内してくれるようだ。台車は600形からの転用だが、元々がエアサス台車なので、一見、新造のように見える。

Photo_6
 100周年を記念して、谷山には日本最南端の電停という碑が取り付けられた、というので、それも見に行く。ここでは、バスへの乗り継ぎも行っている。

 芝生軌道も鹿児島の特徴。併用軌道部分の全線、8.9kmを芝生軌道化していて、広さは35,000㎡に及ぶという。

Photo_2
 芝生軌道の所は、すべてセンターポール化されている。あまり知られていないけれど、鹿児島市電は日本の路面電車の中でも、もっとも近代化されたシステムのひとつである。

Photo_3
 芝生軌道のメンテナンスのため、鹿児島市電では専用の散水・芝刈り電車を製造している。普段は工場の中に入って出てこないが、ちょうど年に一回のイベントを開催していて、外に出ていたので撮影ができた。

Photo_4
 今年5月には、車庫も移転・新築した。建物の3階には展示コーナーがあり、そこから車庫の全貌と桜島の景観を望むことができる。

Photo_5
 車庫内には見学コースが設けられていて、中を見ることができる。事業への理解を深めるためには、こうした「見える化」は大切な要素だろう。

 と、ここまでは電車の紹介であるが、鹿児島の街を歩いていると、こんなキャッチを書いたバスを見かけた。

_5d30814
_5d30824
 いろいろ歴史的な背景はあるらしいが、ここまで敵愾心をむき出しにしているのも珍しい。頑張るのは良いけれど、公共交通全体の利用者が減る中で、共倒れにならなければ良いが、と思ってしまう。

 最後に街を歩いていて、見かけた街路名。うーん、何かひっかかるなぁ。

_5d30903
 言いたいことはわかるけれど・・・(駅長)

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2015年10月29日 (木)

鹿児島の夜

 鹿児島で滞在している間、11月2,3日に開催されるおはら祭りのPRとして、花電車が運転されていた。こうしたものは、なかなか狙って撮りにこられるものではないので、喜んで撮影する。しかし、夜は飲んでいるし、昼もそこそこに予定が入っているので、なかなか希望通りの場所で撮影ができない。それでも空いた時間を使って追っかけたが、後から見返すと、逆に花電車の写真ばかりになって、肝心な場所で撮影していないことに気づく。ネタものを追っかけていると、どうしてもこうなってしまう。反省。

Photo_6

 花電車は夕方の撮影が一番綺麗だが、車庫を出る18時ではすでに周囲は暗く、ちょっと周囲が落ち込みすぎた。もう、15分くらい早く車庫を出てくれると、ベストなんだけれどなぁ。

Photo_7

 少しでも周囲が明るい場所を狙って、繁華街のいずろ通りに。華やかな雰囲気がでて、ここはまずまずかな。

 鹿児島の花電車は、福岡のどんたくの車両を使っているので綺麗であるが、1両だけの運転であるのがやや寂しい。一方、同じ花電車でも函館は3両運転は良いが、個々の車両で見ると、やや華やかさには欠ける。豊橋は、ちょっと・・・で、やはり昔の名古屋市電の花電車は随分綺麗だったと思う。

Photo_8

 いずろ通りには、老舗の百貨店、山形屋があり、綺麗にライトアップされている。この外観は昔からのものではなく、昭和40年代にはなんの特徴もない建物だったらしいが、近年になってドーム部分も含めて修復したらしい。地方文化を大切にする地元の老舗らしい意気込みで、好感が持てる。

Photo_9
 しかし、昨今は新幹線の駅のある鹿児島中央駅前の方が賑やかになってきているのかもしれない。観覧車のある建物は、大規模な商業ビルで、左側が中央駅。ISO感度をあげて走りを撮影したが、さすがに粒子が荒れ荒れとなってしまった。

Photo_10
 折角なので、昼間の花電車の写真を。神田のあたりは元専売公社の工場があったところで、再開発で市民病院と交通局の車庫が移転してきている。後ろは市民病院で、撮影している間にもドクターヘリが発着していた。右に少しだけ、桜島が見えているが・・・。

Photo_11

 もう1枚は、鹿児島駅前。路面電車にしては珍しい3線のターミナルになっている。ここでも右に桜島が見えるが、建物などに邪魔されて、綺麗に撮れないのが残念である。(駅長)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年10月27日 (火)

大阪、見納め鉄

 所用で鹿児島まで行ってきました。用といっても、単に人と会って飲むだけに近いことですが・・・(^_^;)

 さて、鹿児島に行くのにどうしたら安いか、を探していると、どうやら宿泊費を払ってもLCCに乗るのが一番のよう。なんせ、鹿児島まで普通運賃だけでも13600円なのに、LCCの代金が5000円。(タイミングがあえば、もっと安く行ける!)座席の心配も、1時間のフライトなら問題なし。LCCよ、早く、名古屋に来て欲しい。

 もっとも近鉄に宿泊費、鹿児島空港からのバス代まで払うと、流石に普通運賃よりは高くなってしまうけれど、大阪で遊ぶ時間ができます。と、いうことで、ついでにいろいろ動きがある大阪の鉄道を見てきました。

_5d30079
 まずは、南海10000系のリバイバル塗色。残念ながら、この日はお昼で運用がお終い。出札掛さんのように早く行けば営業運転中のカットが撮れたのだけれど、そこまでの気力はありません。よって、ここで妥協です。ま、営業運転の様子は後追いでは撮れましたが・・。

_5d30096
 続いて、環状線の大正で381系の「くろしお」を撮影。平日にもかかわらず、列車の通過時間になると、何人かの同業者が集まってきます。そういえば、この色の「くろしお」って撮ったことがあったかなぁ?

_5d30121
 場所を変えて、今度は塚本で国鉄色381系の「こうのとり」を撮影。天気はもうひとつだったけれど、まずは綺麗な編成写真が撮れました。

_5d30137
 続いて、出札掛さんが撮影にいかれた東西線の加島で降りて、高層ビルをバックに「こうのとり」を撮影。今回、一番撮りたかった構図で、天候も回復し、まずは狙いとしたカットが撮れました。

 車両置き換え直前なので、この場所には多くの同業者が集まるのでは、と予想したとおり、何人もの同業者がやってきました。ところが、みんな、この快速線ではなく、貨物線の方に三脚を立てている。え、何が来るの?これは、絶対にロクロク・ニーナかな?

 ところが、ぜーんぜん、列車がやってこない。太陽が傾き、線路に陽が当たらなくなった16時半過ぎ、やっと列車がやってきました。

_5d30206
 あれ、ロクロクではなく、PFじゃないの。こんなのを狙うのに、1時間半も前から三脚を立ててまってるわけ????まあ、2119なので、それなりに国鉄色で綺麗なカマだとは思うけれど・・・・ねぇ。

_5d30257
 この日は、夜に福島の近くで用があったため、梅田から環状線の西九条を結ぶ路線の踏切でちょっとだけ撮影。ここは何度も列車で通ったことはあったけれど、撮影するのは初めて。なるほど、こういう感じの所を走っているわけね。381系ではなかったけれど、まずは良い雰囲気の写真が撮れて、それなりに満足です。大阪での撮影のガイドになった出札掛さんの記事に感謝です。(駅長)

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2015年10月26日 (月)

明治村に行ってきました

明治村の開村50周年の記念イベントの一環として、10月11日と25日の2日、保存している蒸機2両で重連&プッシュプル運転を実施するという情報が入りましたので、25日行ってみました。

Dsc_0979品川燈台前・札幌電話交換局前
蒸機が2両運転になるのは、昼過ぎからということで、現地到着はゆっくりと開園1時間後。京都市電を撮ったりして時間を潰しました。実に天気の良い日で、暑からず寒からず気持ちよく撮影が始まりました。

Dsc_0985(明治村)東京・名古屋
蒸機2両運転は東京発の下りPPから始まりましたが、1本目はイマイチ。折返し上り列車を月乃世酒造蔵横でサイドを狙いました。このときは幸い手前の梅林に同業者も一般のお客さんも入らず、苦労せず撮ることができました。

Dsc_1078(明治村)東京・名古屋
お立ち台で下りのPP運転を何度か狙いましたが、位置的に逆光側でしかも木々に囲まれていて、かなり露出が厳しい状況でした。しかも、ちょうどカーブを曲がったあたりで絶気になってしまいます。さらにプッシュしている9号機の横に見える木の枝が両側に延びていて鬱陶しいです。
Dsc_1086(明治村)東京・名古屋
その後、下り列車は名古屋到着直前、再び煙を吐くことが判ったので、思いっきりズーミングして撮りました。角度の関係もあるのでしょうが、名古屋を発車するように見えないこともないかも・・・・(*´ェ`*)。

Dsc_1004_2(明治村)東京・名古屋
永年撮りたかった絵です。煙はこれが精いっぱいかな?

Dsc_1040(明治村)東京・名古屋
ともかくスピードが遅いので、手持ちで縦横狙うことができました。行ったことがある方はお判りと思いますが、お立ち台のキャパは数名で、脚立を持ち込んだのが正解でした。(持ち込みOKは事前にHPで確認しました。)

Dsc_1121(明治村)東京
名古屋での顔並びはハードルが高そうだったので、最後の重連を東京で待ち構えこの状態で良しとし、明治村を後にしました。

気持ちのいい休日で、来村者はかなりの数でしたが、蒸機列車、京都市電の乗車率は今一つだったような気がします。11日は天気が悪かったので、同業者も多いのでは、と思いましたがこちらも拍子抜けで、ゆったりした撮影が楽しめました。(・・・・毎日になった 検査掛)






















| | コメント (3) | トラックバック (0)

2015年10月25日 (日)

一喜一憂 南紀編

10月24日は伊勢のキハ48ツートン色車2両編成が紀勢線南部の運用に入る日。これに合わせて2か月ぶりに三重県南部まで遠征することにしました。行程に支障をきたさないよう、天気、ネタ列車の運転計画など事前チェックを怠らなかったつもりなのに、当日、まさかまさかの連発にテンション急降下です。

●三重南部は「晴れ」予報だったのに、直前になって「曇のち晴れ」に変わっている・・・
●JR東日本の583系が当日の午前中堂々と東海道を西下。知っていたら行程を再考したのに・・・
●遠征先の紀勢線でキヤ95検測あり。事前情報なく偶然現地で目撃、撮り逃し・・・


気分は一憂どころか“十憂”ですわ(笑)。とはいえ、前日に便乗希望のご連絡をいただきました電車運転士様のリードで、未開拓だった撮影地へも足を運ぶことが出来たのは大きな成果。この場を借りて御礼申し上げます。


では、ツートンユニットの様子からご報告。時系列ではありませんがご了承ください。

01 初めに向かった新鹿町はドンヨリした曇り空で朝を迎えました。露出も上がらず霞み気味の空模様では海バックや俯瞰撮影に適さないので、朝のツートン車運用324Cの撮影はあまり天候に左右されないシーンを撮ろうと、漁港を望む二木島駅俯瞰に決めました。

Ngs1 午後のツートン車運用331Cは紀伊長島以南でバカ停を繰り返すスジです。なので、撮影は紀伊長島から追いかけようと一旦国道42号を北上し、辿り着いたのは名倉川鉄橋を見下ろすポイント。天気はこれまた予報どおりで、午後になって陽射しも現れ、徐々に空の雲が取れてきました。荷坂峠からツートン編成が下りてくるシーンをここで撮るのがかねてからの目標だったので、ベストな光線状態で現れたターゲットに感謝です。

Ngs2 後追い承知で、名倉川を渡るカットも収めました。やがて木の成長によりシャッターポイントが徐々に限られてくるのではないかと気になります。

Ngs3 急いで機材をたたんで追いかけ開始。次の目的地は三野瀬駅手前の海バック地点です。できるだけ熊野灘の特徴をファインダーに入れたかったのでインカーブ側からカメラを向けました。夏季なら辛うじて側面に陽が当たるかもしれないですが、そんなチャンスはもう訪れません・・・。

Aig

Aig2 さて、いよいよ今回のメインイベント相賀俯瞰に挑戦です。少し霞みがちの空気でしたが、ほぼ文句なしの檜舞台に斜光を浴びながら主役が登場。このシーンもかねてからの目標でしたので、朝から下がり気味のテンションもこれで報われました。念願が叶い、機材を片付けて満足げになりながら下山中、キヤ95が現れて紀伊長島方向に走り去っていきました。おいおい・・・。

Kiya 通過時間から推測すると、キヤは紀伊長島駅で下り列車と交換のため多少停車時間があるようです。どうせ帰り道のルートに入るので、ダメもとでキヤを追いかけてみようと紀伊長島を目指しました。日も暮れ始めて露出も下がり、同駅でバカ停をされたら撃沈でしたが、スタンバイしてしばらくしたら姿を現してくれました。撮影場所は道の駅付近。“天空を仰ぐ”シーンでお馴染みのカットを国道沿いからお手軽に狙えます。

Atsk 電車運転士様が当ブログで何度か載せられている新鹿海岸大俯瞰ポイントにも向かいました。天候が良好なら遠く熊野灘を背景に収められますが、とても望めない空模様で遠景ははっきりしないため、ここでは列車ができるだけ手前に来たところで撮影したシーンを載せます。この地点は晴れると終日逆光になるので、基本的には曇天限定。

Ngi1 二木島の漁港風景は模索しながらの撮影でした。このシーンは時々ブログ等で目にする場所ですが、曇り空のせいで碧くない海にはちょっとガッカリ。光線状態を気にしなくても良いので贅沢は言いませんが・・・。

Ngi2_2 漁場に出向いているのか、港に係留中の漁船は思ったよりも少なめ。釣り人はぼちぼちと見受けられるので欲張ったアングルの結果、「列車は何処でしょう?」。
そして、アングルを探してうろうろしている最中にキヤ95が新宮方面に向けて走ってゆくではありませんか。ただでさえシャッターチャンスの少ない線区なのに逃した魚は大きいです。キヤの折り返しについては前述のエピソードのとおりです。

朝から時折小雨も降る空模様もピーカンの相賀俯瞰で帳尻合わせができたものの、やや消化不良の一日でした。「再履修しなさい」とは天の声。しょーがないねぇ。(出札掛)

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2015年10月19日 (月)

376.秋色通信2015 【三岐鉄道】 2015/10/18

 このところ晴天の日が多く、鉄日和な日が続いております。そんな時に限って休日出勤やら家族運用が入ってなかなか遠征のチャンスがありません。ということで、秋の穏やかな1日を近場の三岐鉄道で過ごしてきました。彼岸花に続いてまた三岐鉄道かと思われるかもしれませんが、懲りずにお付き合いいただけると幸いです。

12_dsc0280151018_2

 初っ端から三岐鉄道でなくて申し訳ありません。陽が短くなったこの時季、早朝の3710列車と901列車は三岐鉄道線では条件が厳しいので、3710列車から継走の1便を撮れないかと思い、四日市臨港線に寄り道しました。3710列車は不定期なので1便も運休だったとしてもそのまま三岐鉄道に向かえば15033712列車には十分間に合うので、ダメージは小さいとの判断からです。ダメ元でスタンバイしていたところ、サイレンが鳴り始めたため、1便の運転が確実になりました。凸は更新色でしたが、運休のことを思えば贅沢は言ってられません。現在の国鉄色の稼働機は85285318053両まで減ってしまったようです。
【2015.10.18 四日市~四日市港】(電車運転士)

22_dsc0297151018

 四日市港での入換が終わると2便としてすぐに四日市に折り返していきます。ここは3便以降になると逆光になってしまい、いい条件で撮れるのは早朝の12便となりますが、さすがに陽が短い時季になるとすでに側面には陽が当らなくなっていました。来年の夏の宿題がまたひとつ増えてしまいました。
【2015.10.18 四日市~四日市港】(電車運転士)

32_dsc038515108

 今年は三岐線の山城~保々にコスモス畑が出現しているとのことだったので、四日市臨港線の後は三岐鉄道に転戦しました。光線は昼頃からよくなるため、それまでは定番ポイントで貨物列車などを撮影しました。写真は3714列車です。好天の中、藤原岳がくっきりと見えていました。
【2015.10.18 三里~丹生川】(電車運転士)

42_dsc0397151018

 コスモス畑は線路から少し離れた位置にありましたので、下り列車をサイド気味にしか撮れませんでしたが、なかなかいい感じにまとめることができました。似たような構図で貨物列車を何本か撮影しましたが、ここでは3713列車をアップします。
【2015.10.18 山城~保々】(電車運転士)

52_dsc0403151018

 北勢線はどんな感じか様子伺いに行ったところ、東員の近くにコスモスが咲いていました。ただ、畑というのには程遠い状況で、ローアングルで花に近づくことで少しでも花のボリュームを出そうとしましたが、限界がありました。
【2015.10.18 穴太~東員】(電車運転士)

62_dsc044215108

 三岐線のコスモスは上り列車に対しては構図的に苦しかったので、3716列車は線路端で正面ドッカン狙いとしました。運よく新顔のED5080型のペアが来ました。ED5080型は初撮影です。
【2015.10.18 山城~保々】(電車運転士)

72_dsc8648151018

 3715列車は流し撮りに挑戦してみました。望遠でかなり引っ張ったのと列車の速度が思ったより遅かったため、微妙に同調しませんでした。まだまだ修行が足りません。
【2015.10.18 山城~保々】(電車運転士)

82_dsc0467151018

 北勢線の眼鏡橋の反対側にはススキがあったのを思い出し、シルエット狙いができないか様子を見に行ったところ、いい感じでススキの穂が逆光に輝いていました。ただ、築堤の草が放置プレイ状態だったので、足回りが抜けなかったのが残念です。
【2015.10.18 楚原~麻生田】(電車運転士)

92_dsc0524151018

 この時季の青川の鉄橋は夕陽が下り列車のいい位置に沈むので、3717列車はシルエットを狙ってみました。この日は空気がクリアな日だったので、夕焼けが思ったより赤くなりませんでしたが、ほぼ狙いどおりの成果を得ることができました。
【2015.10.18 丹生川~伊勢治田
】(電車運転士)

102_dsc0547151018

 3717列車で撤収しようかと思いましたが、せっかくなので後の電車までもう少し粘りました。条件的にはかなり厳しい状況でしたが、左上に三日月が顔を出し、車内灯の光が浮き上がったため、いい意味で貨物列車とは違った雰囲気となりました。
【2015.10.18 丹生川~伊勢治田】(電車運転士)

 

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2015年10月17日 (土)

丹波と丹後でサンパーイチを

葬○鉄の典型的行動パターンですが、お許し下さい。

国鉄特急色を纏った381系の最期の勇姿をカメラに収めようと、山陰線、福知山線、京都丹後鉄道宮福線の有名撮影ポイントには大勢の同業者が押し寄せています。個人的には、三脚がひしめき合って並ぶような所で撮るのはシンドいので、人混みを避けるために密かな場所からカメラを構えることにしましょう。

ネットで見つけた密かな撮影地のひとつは、福知山線丹波竹田駅~市島駅周辺を見渡せる高谷山(横峰山)頂上付近からの大俯瞰ポイントです。現地には朝7時過ぎに到着。澄んだ青空で、目指す先も麓からくっきりと確認できます。福知山周辺は午前中まで晴れ予報だし、よし、登山決行!と言っても目的地の傍までは車で山道を走るだけ。ラクです。

01 NHK電波塔の横に設けられた展望台からの雄大な眺めを独り占めしながら7:45福知山始発「こうのとり6号」を待ちます。定刻、まずは丹波竹田駅手前の大カーブを駆け下りてくる地点でシャッターオン。

02このような標高からの撮影です。山の向こうは福知山市。このタイミングでシャッターを切ると、線路沿いに生えた小さな木々が編成の一部を隠してしまうのが少し残念です。しかし、ほんの少し立ち位置を変えたら編成全体を奇麗に抜ける地点を見つけたものの、後の祭り。後続の普通電車で撮影をし直しました。

03福知山の方角に向けていた雲台をそのままくるりと回転して南西方向にカメラを振ると、市島駅とその周辺の集落を眺めることが出来ます。被写体がファインダーに入って来るまで数分かかるので、予めアングル、露出等の確認ができます。

04 さらにズームインして、被写体を追いかけます。市島駅を通過して黒井駅に向かうシーンをしばらく追い続けられるので動画撮影にも適しています。所定の4両編成では物足りず、風景に負けてしまいそうですが国鉄色がその存在感を救ってくれました。この1時間30分後に来る「こうのとり1号」は6両の増結編成のはずですが、次の目的を優先したいので泣く泣くあきらめました。

05 次の目的である、「381系の京都丹後鉄道乗り入れシーン」を撮るために選択した場所は、宮津市の滝上公園展望台からの俯瞰です。京都丹後鉄道の沿線風景であることを余す所なく表しています。撮影に適している「はしだて1号」は、後追いですが光線状態を考えるとこの列車しかありません。現地通過は11:22頃、そして宮津市の予報は昼頃から曇とあり、結果はご覧のとおり予報的中で大撃沈・・・。が、素直に受け入れることにしました。なぜなら・・・。

06 現地には本番の1時間以上前に着きましたが、このときはエメラルドブルーの海と白い砂浜、まさに風光明媚な観光地です。天候が良好なうちにこの絶景を収めておこうと、急いで機材をセット。しばらくして現れた「はしだて2号」通過時は画像の通り、背景の山が雲の影に覆われたものの、ほぼ満足感を得られました。風景重視のポイントなので、このようなシーンを撮れたなら本番を待たずとも目的を果たせたようなものです。なので、本番の「はしだて1号」では、悔しさが残りましたが負け惜しみは言いません。写っているKTR8000も芳しくなさそうなので、記録するなら今のうち?

07 福知山方面に戻り、「こうのとり14号」を狙います。空はすっかり雲に覆われてしまったので線路端で接近戦に転じます。183系が現役の頃に訪れたときの記憶を呼び戻して、山陰線に併行する国道9号線が上川口駅の西方で線路に接近する辺りを目指し、それらしく撮れる地点に着いたのは通過の約10分前。この角度で撮ると、6両に増結されたほうが絵になることが明らかですね。ただし曇天限定ポイント。同業者もごく少なめで、狙いどおり密やかな撮影タイムを過ごせました。

08 急いで機材を撤収して、再び京都丹後鉄道にとんぼ返り。事前に目星をつけておいた公庄駅付近で再び「381系の京都丹後鉄道乗り入れシーン」のテーマに挑みます。狙う列車は、同鉄道線まで繁忙期のみ延長運転される「こうのとり7号」ですが、朝イチで撮影した「こうのとり6号」の折り返し運用なので寂しい4両編成。しかも分厚い雲のせいで露出が上がらず、面白みに欠ける画になってしまいました。築堤インカーブだけでは京都丹後鉄道と気付かないかも。因みに、381系が「こうのとり」として同鉄道線に乗り入れるのはこの日がラストです。

09 続いて、「きのさき16号」が近付いて来るので、慌てて山陰線まで逆戻り。今度は綾部以南で狙おうと先を急ぎます。しかし若干時間の読みが甘く、撮影ポイントが点在する山家駅付近にやっとの思いで辿り着いたのは通過時刻直前。しかし実際には5分ほど遅延しており、こんなことなら場所選びにもう少し時間を費やせばよかったなと後悔です。

10 駅の近くに秋の風物詩を見つけました。ここで381系を狙えたらよかったのに、時すでに遅し。次の381系までは2時間も後なので、それまで適当にカメラを向けてお茶を濁しました。空もかなり暗くなり天候が危ぶまれます。

11 雲の塊が通り過ぎて西の空に明るさが戻って来ました。コスモスの立ち位置はモロ逆光になるので、駅の傍で見つけたもう一つの風物詩にカメラを向けることにします。ここなら太陽が背になるので、晴れてくれればなおラッキー。

12 381系運用の「はしだて」6号と7号が近接して通過するので、立ち位置、アングルを変えてみたものの似たような出来具合。編成が綺麗に収まらず6両増結が裏目に出てしまいましたが、それ故に同業者も他に1名様のみで、まーったり。

13 日が暮れて、そろそろ帰り支度の時間ですが、その前に、せっかく来たのだからと福知山駅に入場して駅撮りに転じます。同駅終着の「こうのとり17号」と豊岡行「きのさき13号」の381系2本並びシーンにカメラを向けますが、シチュエーションの見当もつかないので、自由が利くように手持ち撮影でスナップ感覚。もっとホームの光が欲しかったのですが、停止位置が上屋の先端なのでなんともできません。

14 駅構内にはこんなブースが設けられていました。飾られている写真のほとんどは定番のお立ち台画像です。それに反して自分は雑踏を避けた場所から密かに撮影を試みましたが、大した発見もなく、やはりお立ち台には敵いません。毎度の如く天の邪鬼な我が行動、どうか目をつぶってくださいませ。以上、10月12日撮影でした。

振り返れば、国鉄塗装の381系なんて地元での撮影チャンスが数十年前は幾らでもあったのに、例によってまともに撮っていませんね、たぶん。(出札掛)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

375.1981年冬 北の大地で撮り鉄行脚 3号車 【北浜の流氷】 1981/2/17

 夜も明けやらぬうちに斜里YHを出て向かった先は北浜で、オホーツクの流氷が目当てでした。流氷を絡めたC58時代の写真を見て、自分もこんな写真を撮ってみたいという思いから訪れたものです。話は変わりますが、当時、鉄がYHを利用すると一番遅く到着して一番早く出発、その上、食事もとらない、ミーティングにも出席しないということで、YH関係者からは歓迎されない存在でした。

1281217_2

 北浜で下車しオホーツク海が見渡せる高台に直行しました。流氷はうまい具合に接岸していましたが、この日も小雪が降り続くといった芳しくない天候で、せっかくの流氷もかすんでしまってメリハリのない写真になってしまいました。列車は札幌行の「大雪6号」です。
【1981.2.17 北浜~藻琴】(電車運転士)

2281217_2

 高台で同じ写真ばかり量産しても仕方がないので、昼過ぎの釧路行の客車列車はポイントを変えようと浜小清水方面に歩きました。雪は相変わらず降り続き、納得のいくポイントが見つからないまま線路端をウロウロしているとお目当ての列車が来てしまってので、慌ててカメラを取り出し、とりあえずシャッターだけは押しましたが、結果は燦々たるものでした。せっかくの重連、しかも混合列車、何とももったいないことをしてしまいました。
【1981.2.17 浜小清水~北浜】(電車運転士)

3281217_5
 雪が小康状態になったこともあり、気を取り直して海岸に出て、網走行の客車列車を待ちました。接岸した流氷を大きく取り入れようと思いましたが、氷の上に新雪が積もってしまって流氷の質感が薄れてしまいました。おまけに歩く場所をミスって自分の足跡が自爆状態となってしまいました。
【1981.2.17 北浜】(電車運転士)

4281217

 この日は判断ミスの連発でテンション大幅ダウンとなったこともあり、「しれとこ2号」は線路際でのお手軽鉄になってしまいました。急行を名乗っていますが、キハ4022の一般気動車の編成でした。北海道ではよくあることですが、コイルばね台車のキハ5627に比べて空気バネ台車のキハ40は乗り心地もよく暖房もよく効いたので、急行でもキハ40が編成に入っていた場合は自分は好んでキハ40を選択しました。
【1981.2.17 北浜~藻琴】(電車運転士)

5281217_2
 北浜の浜小清水寄りには涛沸湖という小さな湖があり白鳥の飛来地となっていました。白鳥の群れを期待して行ってみたところ、結果はご覧のようにトホホな状況でした。せっかくの混合列車だったのにむなしい気持ちだけが残りました。
【1981.2.17 浜小清水~北浜】(電車運転士)

6281217 
  夕方になって周囲も暗くなってきたので、駅に戻って暖をとっていたところ、網走方面行の貨物列車が到着しました。北浜で入換をするようなので、あわてて待合室を飛び出し、撮影に向かいました。入換合図者・誘導掛が揃ったところで、入換が始まりました。
【1981.2.17 北浜】(電車運転士)

7281217  
 貨車を押しこんだ側線は大きな吹き溜まりになっていましたが、そんなことはお構いなしに貨車を突っ込んでいました。北海道のパウダースノーのなせる技だと思いますが、それにしても野性味あふれる入換でした。それでも、さすがに心配になったのか、駅の助役がスコップで車輪付近の雪を掻き分け、脱線していないか状態を確認していました。
【1981.2.17 北浜】(電車運転士)

8281217_2
 この日の宿となるるべしべYHに向かうため、1729分発の網走行キハ22の単行列車で北浜を後にしました。次の藻琴で札幌からの「大雪1号」と行き違いがあり、10分近い停車時間があったためホームでバルブしてみました。明るさが足りない感がありましたが、ちょうど反対列車の前照灯にキハ22の姿が浮かび上がり、怪我の巧妙的な効果を得ることができました。
【1981.2.17 藻琴】(電車運転士)

9281217_2
 網走で遠軽行に乗り換えですが、1時間ほど時間があったため、ここでもバルブで時間をつぶしました。この頃は全国でタラコ化が進行中で、北海道も例外ではなく、オレンジツートンのキハ22は希少価値となりつつありました。18時58分発のこの列車で留辺蘂に向かいましたが、到着は2039分、例のごとく一番の遅い到着だろうなと思っていたら、2日前の厚岸YHに続いて自分1人だけの貸切でした。冬の北海道では札幌や旭川などの大きな町や運営に特徴のあるYHはそれなりに混んでいましたが、マイナーなYHは貸切となることが多かったです。ここまでYH3連泊と自分の旅のスタイルとしてはすごい贅沢をしてしまいましたが、その後は経費節約のため、夜行列車の連泊が続くことになります。
【1981.2.17 網走】(電車運転士)

●次の目的地 常紋信号場

●移動行程 網走→留辺蘂→るべしべYH→留辺蘂→常紋信号場

 

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2015年10月16日 (金)

帰りは新潟経由

 黒田原でカシオペアを撮影した後は、東京に出てゆっくり帰ろうか、と思ったが、いろいろ考えている内に、マイルを使い、新潟経由で飛行機で帰るのが最も費用が安いことに気がついた。(^_^;) これなら、景色が良く、蒸機を運転している磐越西線のロケハンができる。実は、磐越西線の「SLばんえつ物語」はこれまで未撮影で、これだけ鉄道の被写体が不足すると、そのうち撮影に来る可能性もあると思われ、沿線の雰囲気を確認しておきたかったからである。

 新潟まで行ったら、ついでに9月5日から運行を始めたBRTを見ておきたい。なぜか、今回は三陸のBRT、新潟のBRTと続けてみて、バス○○となってしまったかのようである。

 新潟のBRTは、市役所前から青山の手前まで、かつての新潟交通鉄道線が走っていた道路上を走る。かつての終点であった白山前(県庁前)のあたりはバスの乗り継ぎ設備が設けられて、随分、様子が変わったようだ。それらも見てみたい。

Photo_10
 これが市役所前に設けられたBRTの結節点。ここでフィーダーバスからBRTに乗り継ぎできるようになっている。この屋根付きの回廊にはなんとなく、記憶があるが、さて、かつての県庁前駅はどこだったのか?現地に立ってみても、まったく思い出せない。

 思い出せない理由は、鉄道の廃線後、駅舎のあった建物が壊されて、道路が付け替えられ、様子が一変したためのようだ。自宅に帰って、かつての写真を見たら、ようやく位置関係が判明した。

19800211
 奥に見られる県庁の回廊が現在も市役所?の施設として使用され、その奥にBRTの結節点が新たに設けられている。

Photo_11
 上の写真の回廊のあたりから撮ったのが、この写真。BRTになっても、青山(関屋)方面への道路はそのままで、この写真に写っている建物の中で今も残っているものがある。

Photo_16
 これは、同じ場所から県庁前駅方面を見たところ。電車の後ろに駅舎の建物が見える。

Photo_15
 ほぼ、同じ場所から撮ったBRT。この写真ではわかりづらいが、道路の様子が随分変わっているので、現地に行っても元の駅の位置を偲ぶのは難しい。

 さて、肝心のBRTであるが・・・

Photo_17
 市役所前でのBRTからの乗り換え設備などは随分立派に造ってあるが、ぜんぜん「RAPID」ではなく、そのほか案内など不十分な点も目立ち、期待外れ(あまり期待もしていなかったが・・・)であった、と言っておこう。(駅長)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年10月15日 (木)

三陸沿岸縦断

 せっかく八戸まで行く機会があるのなら、ぜひとも三陸沿岸をたどってみたいと思っていた。津波被害から全線が復旧した三陸鉄道、BRTに代替された大船渡線と気仙沼線の乗車、そして物見遊山といわれると辛いがやはり津波のその後の状況は見ておきたい。しかし、三陸鉄道の本数自体が少ない上、山田線の宮古~釜石間は代替バスも運行されず、路線バスの乗り継ぎとなっている。これら全部を一日で見ようと思うと、久慈5時13分発の三陸鉄道の乗る必要がある。

 八戸の用が終わったら、久慈に宿泊して、これらルートをたどることにした。そのようなわけで、今回は乗り鉄レポートとなるがご了解のほどを。

 さて、八戸の用が終わって最寄りの鮫の駅に行くと、時刻表に載っていない列車がやってくるという。なにかと思えば、こんな列車である。

Photo

 東北エモーションと名付けられたこの列車、いまはやりのレストラン列車らしい。こうした列車がいろいろあることは知っているが、この列車についてはまったく知識がなかった。皆さん、ご存じでした?

 宿泊の久慈には、夕方到着。駅前のビルには、テレビで見慣れた北三陸鉄道の看板が見られる。なぜか、ちょっと懐かしい気持ちになってくる。あまちゃん、面白かったなぁ。

Photo_2

 翌日は、4時半に起床。そういえば、今回、4泊の内、4時半起床が3回もあった。夜行列車を撮影するのでやむを得ないとはいえ、我ながら旅に出ると元気である。日頃とはえらい違いだ。(^_^;)

Photo_3
 当然、まわりはまだ真っ暗。一番列車の乗客は、同業者が二人だけ。まあ、普段は回送みたいなものかな。

Photo_4
 乗客は少なくても、名所の鉄橋では義理堅く、ちゃんとテープで案内を流して徐行してくれる。海から昇る朝日は、いつ見ても幻想的である。今回は、函館と2度も見てしまった。

Photo_5
 宮古から釜石間の山田線は不通なので、路線バスを乗り継ぐしかない。幸いにもエリアの境である道の駅やまだで乗り継ぎができるようになっている。宮古からの岩手県北バスが右、釜石に行く岩手県交通が左である。この間の所要時間は約2時間である。

 釜石で三陸鉄道南リアス線に乗り継ぎ。ちょうど、SL銀河の運転日であった。ただ、発車の撮影は三陸鉄道の時刻と接近していたためできず、残念ながらホームから見送りしただけ。停まっていると、客車のディーゼル音が随分うるさい。走行中はどうなのだろうか?

Sl
 三陸鉄道南リアス線で盛へ。こちらは北リアス線以上にトンネルが多い。盛では岩手開発鉄道のDLが見られないかと期待したが、この日はお休みの気配。大船渡線の線路は撤去され、BRTの乗り場となっていた。跨線橋は、三陸鉄道の乗車のためのもののようだけれど、皆、横断歩道(写真には写っていない)をわたり地上を歩いていた。

Photo_6
 津波の被害は、ここまででも随所で見られたけれど、釜石以南の被害がひどかったようで、いまも随所に残る被害の跡には心が痛む。このあたりで特に被害の大きいのは陸前高田で、嵩上げ工事がおこなわれていることもあって、平坦な部分には見渡すかぎり家はまったくない。

 これは車窓から見た奇跡の一本松。嵩上げ工事のためのベルトコンベアーの中にひっそりと立っている。ベルトコンベアは3kmあって、地盤の嵩上げに使用し、役目が終わったので撤去されるという。トラックでは9年かかる工事が、2年ですんだとか。

Photo_7
 気仙沼でBRTを大船渡線から気仙沼線に乗り換え。車両は別々に運用されているようだ。

Photo_8
 この沿線の被害も大きく、特に南三陸町の志津川あたりは陸前高田と同じような状況である。写真には撮らなかったが、多くの犠牲者を出した防災庁舎が、地盤が嵩上げされる中で、ひっそりと残されていた。

 こちらのBRTは、いまも駅のホームが残っている所を何カ所か通る。本吉など、朽ち果てたホームが痛々しい。

Photo_9
 夕方5時半近くになって、ようやく石巻線に乗り換えできる終点の前谷地到着。BRTの乗車時間は、両線で約4時間。宮古~釜石間を含めると、6時間も路線バスに乗っていたことになる。さすがに疲れた・・・。

 さて、目的のBRTの視察。ところどころ線路跡の専用道を走るが、全線単線で、行き違い場所には車両を感知するセンサーと信号が付いていて、それを確認して進んでいく。(気仙沼のあたりには、目視と思われる所もあった)

 BRTは速度的には道路を走るのと変わらず、渋滞の心配がない、というだけのメリットだろうか。専用道を走り、高田や志津川などには専用の駅舎もあるので、通常のバスと違っているという交通機関としての存在感はあるかもしれない。連休中とあって、乗客は同業者が多く、地元の方が少なくて、中には空車で走っているバスも見られたが、通常はどうなのだろう。

 しかし、津波災害の跡は本当に残酷な眺めである。車窓に映る三陸の海の眺めはは綺麗だし、ちょっと離れるだけで、そこには美しい日本の山村の姿がある。それに比べてこの惨状は・・・・いろいろ考えさせられる、あっという間の6時間であった。(駅長)

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2015年10月14日 (水)

間合い運用  信州の秋通信

三連休、皆さんそれぞれ鉄活動に勤しまれたことと思います。
かく言う私は、というとまるまる家族運用となり、間合い利用のみ可、という状況でした。
幸い?行先は恒例の信州だったので、ご報告したいと思います。「可」となったのは10月10日の午前中(1時間ほど延長)のみです。

Dsc_0357蓮・飯山 8141D「快速 おいこっと」
まず、飯山線に向かいました。コスモスが咲いていないか、と主に集落があるような場所を探し回りましたが見当たらず、この列車が来るタイムリミットで何の変哲もない、稲刈りも終わった田圃で撮らざるを得ませんでした。
これなら無理して飯山まで来ず、信濃浅野付近でりんごと絡めたほうがマシでした。飯山の長時間停車を利用して信濃平まで行ってみましたが、サッパリでした。

Dsc_0373信濃竹原・夜間瀬 8A
定期では一日3往復しか湯田中まで入らなくなった1000系「ゆけむり」を撮るため、湯田中11:17着の7Aに間に合うように取って返してきたのですが、あたりをつけた夜間瀬付近ではりんごも思ったように絡めることができず撃沈、折返しの8Aをやむなく夜間瀬川鉄橋で。花曇りでモヤっているし、木々も紅葉までは行ってません。

Dsc_0395夜間瀬・上条 1101S
上条手前の直線でようやくコスモス一株を見つけました。幸い「ゆけむり のんびり号」なる不定期列車が運転されており、撮影機会が増えたおかげで、やっと花とロマンスカーを絡めることができました。
Dsc_0400夜間瀬・上条 1102S
同じ直線でたわわなりんごがあり、「ゆけむり のんびり号」の復路はこれを絡めました。
Dsc_0403夜間瀬・上条 9A
1102Sと信濃竹原交換で2100系「スノーモンキー」が来るので、同じ構図で撮りました。
これにて私の三連休中の鉄ちゃんは終了です。(検査掛)











| | コメント (3) | トラックバック (0)

いまさらの「カシオペア」

 北海道新幹線の運行概要の発表と共に、青函トンネル経由で最後まで残った寝台列車カシオペアの廃止が正式に発表された。まあ、前から予想されたことであるし、乗ってもいない列車なので思い入れもないが、ちょっと残念なことは、これで北海道の台地を走るDD51重連牽引の客車列車の姿が見られなくなることである。

 北斗星をはじめとするDD51牽引の寝台列車群については、昨年以来、機会がある毎に撮影していて、絵になる非電化区間の撮影地はある程度、フォローしていたが、一箇所、天候が悪くて撮影できていないところがあった。それは噴火湾沿いに走る落部と野田生の間で、かつて蒸機が残っていた頃、ここでD52などを撮影していた。それだけに、ここで1枚、なんとか押さえておきたかった。

 本来は、北斗星も走っていた6月頃に撮影に行きたかったが、その時期は朝霧の心配があることや、多くの同業者が繰り出し、沿線がかなりの混雑のようでちょっと躊躇していた。また、朝は函館付近、夕方は室蘭付近と函館・室蘭本線の非電化区間を走り回らなければならず、さすがにそこまでは体力的に心配であった。そんなことから6月には渡道の機会を失してしまい、その後はなかなかチャンスがなく、撮影の機会は訪れなかった。

 この3連休に八戸に行く予定があり、日照時間的にもこれが最後の時期、ということで、宿題となっていた野田生の俯瞰に向かうことにした。というか、この時期に八戸に行くことは半年くらい前から予定していたので、その機会に撮影にいこうと考えていた、という方が正解かもしれない。

 ところが問題は、天気である。ちょうど渡道を予定している日に超大型の台風23号が北海道に接近するという。しかし、今回は予定を変えるわけにはいかない。まさしく運を天に任せて函館行きの飛行機に搭乗した。

 台風は、前日に温帯低気圧に変わっており、風は強いものの、予報では午後に天気が回復するというということで期待していた。事実、函館に着いたときには、すこし青空も見え始めていた。今日は、明日の本番に備えて、というより江差線の789系白鳥やEH500も撮影したことがないので、レンタカーを借りてロケハンがてら江差線に向かう。行き先は、釜谷と渡島当別の間の海が見える区間である。

 知人から、撮影場所を聞いていたので、目的地は直ぐにわかった。まずはやってきた789系スーパー白鳥を撮影。天気はもうひとつだが、函館山もバックにはいってなかなか良い構図である。

789_1
 北海道と本州を結ぶ幹線なだけに、昼間でも貨物が1時間に1本くらいやってくる。さすがに編成が長く、コンテナも満載で迫力がある。

Df200
 しかし、3時半を過ぎると天気が悪化し、雨も降り出してきてしまった。一応は撮影できたので、翌日のカシオペアに期待して、この日は退散である。

 翌日、目を覚ますと、天気は回復して星が出ている。夜明け前にホテルを出発、クルマを走らせ5時過ぎに撮影地に到着。列車がやってくるのは、6時少し過ぎ、ということで明るくなってから撮影地に向かう。こんな早朝であるが、すでに10人ほどが来ている。

 この場所は、正面からSカーブを走ってくる列車を撮るのが定番の構図だが、個人的にはあまり好きな角度ではない。折角、海が入るのだから、前日に貨物を撮った構図の方が望ましい。この少し手前に編成が直線で抜ける場所もあり、前日に下見していてどちらにしようか迷ったが、サイドが陰って光線的には厳しいものの、やはり海を入れて撮りたい、ということで、この構図となった。

Photo
 天気が良すぎてサイドが陰っているが、まあ、やむをえないか。6月に撮影していたら、もう少し、頭に光が当たったかもしれない。ただ、日の出が5時半くらなので、この場所で撮影できるのもそろそろタイムリミットである。なんとか、撮影できる内に来られて良かった。

 この列車は函館駅で機関車の付け替えをおこなうため、高速を走れば楽に追い抜きができる。撮影地点が高速のインターに近いので、大沼で撮影し、野田生で間に合う、との話もあるが、それはさすがに厳しいので、直接、野田生に行くことにした。

 ある程度、予想はしていたが、以前のカシオペアの時刻から2時間ほど、繰り下がっているので、光線状態はあまり良くない。少し、ギラリにならないか、と期待したが、単に編成に光が当たっていないだけの状態となってしまった。

Photo_2

 折角なので、次にやってくるDF200の牽く貨物も狙う。光線が悪い反面、海がギラギラ光って印象的だったので、それを入れて狙ったが、さて、結果はどうだろう。

Df200_3
 北海道の撮影は、これにて終了。この日は、白鳥で青函トンネルの乗り納め方々、八戸に向かう。隔日運行のカシオペアの撮影日の調整・・・ではなく、所用があるためである。

 さて、八戸の用をすませ、東北地方を南下して、今度はEF510の牽くカシオペアを狙うことにした。これも、前から気になっていた黒田原の俯瞰である。ただ、ここも夏の場所で、日の出の遅いこの時期、編成が陰る可能性があった。さて、どこまで陽が当たるか・・・・。

Photo_3
 うーん、残念。もう2両くらい、陽が当たってくれれば満足できたのだが・・・。この場所も6月頃に来たかった。

 ここは昔から知られるお立ち台であるが、同じ場所から反対側の列車も狙えるとは知らなかった。しかも、こちらの方が光線が良い。

Photo_4
 長い貨物は編成が切れてしまうが、珍しく短編成の貨物がやってきた。この時間帯は、北に向かう貨物のラッシュで、1時間ほどいる内に4本近くやってきた。ただ、3連休明けとあって、荷が少ないのが残念であった。(駅長)

| | コメント (3) | トラックバック (0)

首都圏を走った蒸気機関車二題 1970年と1980年

今年も10月14日がやって来ました。今は「鉄道の日」となっていますが、35年前は鉄道記念日と言っていましたね。以前アップした高島(品鶴)貨物線の無煙化を記念し、鉄道記念日のイベントとして、1970年10月10、11、18日の三日間、東京~(東海道経由)~東高島~(高島、品鶴貨物経由)~品川でD51 791牽引の「さようなら蒸気機関車」と銘打った列車が運転されました。事前に運転を知りながら10,11日は飯山線に行っていた私も、中学生とはいえ、当時は地元でのイベントであり、最終日の18日に撮影に出かけました。
度々申し上げておりますが、1970年はハーフサイズカメラでの撮影なので、少々粗いのはご勘弁ください。

Img6761970年10月18日 品川・川崎?
場所は記録がないのでハッキリとはわかりませんが、恐らくは京浜東北線でいう蒲田・川崎間(多摩川橋梁への取り付き?)と思います。しかし、ブームとはいえ、ネコも杓子もカメラを持ってにわかファンとなり、沿線はこんな状況でした。よくけが人が出なかったものと感心してしまいます。リスクがあっても手前に線路があるところで狙うべきでしたね。

Img6771970年10月18日 蛇窪(信)・新鶴見(信)
復路は最初からここに決めていました。多摩川橋梁を渡って東京に入ったところです。高圧鉄塔の下が東急目蒲線で、右の低い鉄塔の下に沼部駅があります。当時の我が家から徒歩6~7分といった場所です。今は横須賀線や湘南新宿ラインの電車がひっきりなしに走っています。

ついでながらその約10年後、1980年6月13日~15日、高島貨物線 東高島~山下埠頭間に横浜港開港120年を記念して、当時山口線で使用されていたC58 1牽引のイベント列車が運転されました。

Img7091980年6月13日 東高島
乗車は東高島のみだったように思いますが、いずれにしろホームはないので、各扉にステップをかけての乗降だったと思います。
停車中は自由に撮影できたようです。車体自体はきれいに磨かれていますが、ブサイクな集煙装置はどうにもなりません。
Img6911980年6月13日 東高島・山下埠頭
走行を撮ろうと、当時の横浜港のランドマーク マリンタワーをバックに入れるところで構えましたが、あまりにも重なってバランスの悪いものになってしまいました。煙もまったくスカですね。
Img7141980年6月13日 山下埠頭
山下埠頭には転車台がないので、復路はC58 1のバック牽引となります。
Img6941980年6月13日 山下埠頭
客車には専用のサボが作られました。乗客の多くは家族連れでした。

Img9271980年6月13日 東高島・山下埠頭
何往復したのか覚えがないのですが、2本目は短いトラス橋を渡る運河越しに撮りました。今線路跡は遊歩道になりましたが、かつて列車が走っていたことを示す軌条が埋まっています。
Img9301980年6月13日 山下埠頭
折返しは、編成が切れるのはわかっていましたが、横浜港らしさを求めてレンガ倉庫を入れる構図で構えました。当時のレンガ倉庫はただの古い建物でしたが・・・。

7年後JRに移管され、首都圏で蒸機が走ることはなくなりました。当時でも十分激パでしたから、今はとても無理でしょうね。(検査掛)




 







| | コメント (3) | トラックバック (0)

2015年10月11日 (日)

手強いネタ!

毎年9月になると、JR貨物の特定の機関車に掲出される「JR貨物広島運転所公開」告知ヘッドマーク。皆様ご存じのサイトのおかげで、その機関車の運用状況はリアルタイムに把握できるので計画的に狙えそうとは思っていても、肝心な時に運用変更などが生じてそう簡単には撮らせてくれません。

33地元で見られる機関車については、今年はEF66-27と33号機にマークが掲出されています。ただし双方ともマークの掲出は片エンドのみ。よって機関車の「向き」もチェックしなければならず、意外と手強い被写体です。
33号機は9月27日(日)に東海道を下る5091レに充当されました。晴れるとほぼ逆光なので、曇天模様の空で助かりました。

27 27号機(“ニーナ”なんて絶対に呼びません)は、なかなか休日に捕まりません。このまま空振りで終わってしまうのかとヤキモキしていたところ、6日(火)には仕事の都合と機関車運用がうまい具合に重なり(謎)、1550レに入った同機を捉えることが出来ました。真正面の光線状態ですが、ヘッドマーク重視ということで望遠ドカンのアングルで収めることにしました。

夜間の駅通過シーンを流し撮りなどで狙ったり、機関車運用に合わせて遠征したりすれば撮影チャンスは当然増えますが、そこまでしてまで撮る気は起こらず、やはり地元で手堅く休日の日中帯の撮影を心がけたく思います。基本的には、ネ(笑)。(出札掛)

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2015年10月10日 (土)

374.1981年冬 北の大地で撮り鉄行脚 2号車 【釧路湿原】 1981/2/16


 北海道入りして2日目から本格的な撮り鉄をスタートさせました。早朝、YHを出て国鉄バスで厚岸に出て、列車に乗り換えて釧路に向かいました。目的地は釧路湿原を一望できる塘路の俯瞰ポイントです。今でも当時とほとんど変わらない状態で撮影できる釧網本線のメジャーな撮影ポイントです。

1281216

  釧路から902分発の「大雪6号」に乗車しました。釧路から釧網本線に乗車するのに「大雪」とは違和感がありますが、釧路から網走→石北本線を経由して札幌に向かうダイヤ設定となっており、さらに後部には標茶で切り離す根室標津行を併結していました。最初の停車駅の塘路で下車し、目的の俯瞰ポイントに向かいます。駅の助役が「大雪6号」を見送ります。札幌着は1829分、ここから約9時間の長い道のりです。
【1981.2.16 塘路】(電車運転士)

2281216_2

 駅からしばらく歩き、斜面をよじ登って撮影ポイントにたどり着きました。この日は小雪がちらつく生憎の天気で視界が悪く、バックの塘路湖も霞んでしまっています。DE10の貨物列車が眼下を走り過ぎて行きます。
【1981.2.16 塘路~茅沼】(電車運転士)

3281216_2

 雪は止む気配はなく、条件は改善されませんでしたが、しばらくここで撮影を続けました。網走行の客車列車でしたが、よく見ると後部にトラとワムが連結されています。この列車で釧網本線にも混合列車が残っていることを知りました。
【1981.2.16 塘路~茅沼】(電車運転士)

4281216

 茅沼方向を見ると湿原の真っ只中を行く列車を望むことができました。同じ列車を2回まったく違った雰囲気で撮れるおいしいポイントでした。
【1981.2.16 塘路~茅沼】(電車運転士)

5281216

 適当なところで撮影を切り上げ、塘路まで戻ってきました。冬の北国の夕暮れは早く、17時前というのに夜の帳の雰囲気が押し寄せてきました。網走方面への貨物列車が到着しました。釧網本線は貨物列車の設定が思ったよりも多く、少ない旅客列車を補ってくれました。
【1981.2.16 塘路】(電車運転士)

6281216

 1720分発の釧路行列車も混合列車でした。ブルーモーメントの雰囲気がなかなかよかったです。強いて言えばDE10の前照灯が下向きだったらよかったのですが、それを言うのは贅沢でしょうか。この後、1744分発の「しれとこ4号」で斜里に向かい、斜里YHに投宿しました。
【1981.2.16 塘路】(電車運転士)

●次の目的地 釧網本線 北浜

●移動行程 塘路→斜里→斜里YH→斜里→北浜

 

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2015年10月 5日 (月)

373.秋色通信2015 【木曽の保存森林鉄道+α】 2015/10/4

 10月に入り、めっきりと秋らしくなり、鉄活動しやすい季節になってきました。103日・4日の東海地方は移動性高気圧に覆われ、バリ晴れ予報でしたが、3日は家族運用のために身動きがとれず、自宅で悶々としていました。そんな中、4日は前日の家族運用のご褒美ということで、鉄活動の許可が出ましたので、木曽の保存森林鉄道の様子伺いをしてきました。


12_dsc972015104 

 現地に早く到着しても列車が動きだすのは900分過ぎということで、その前に明知鉄道に寄り道してみました。この日は気温が下がって冷たい朝となったため、猫じゃらしに朝露が付いて逆光に輝いていました。何とも不思議な光景だったので、シャッターを押してみました。
【2015.10.4 阿木~飯羽間】(電車運転士)


22_dsc973215104 

 王滝森林鉄道保存線の運転日という情報があったため、まずは確認の意味も含めて松原スポーツ公園に行ってみました。この日はスポーツ公園をスタート・ゴールとしたウォーキング大会が行われており、運転開始はゴール後の1200分~14時00分ということだったので、予定を変更して赤沢自然休養林に向かいました。時季的に紅葉にはまだ早い感じでしたが、部分的には紅葉の雰囲気が感じられるポイントもありました。
【2015.10.4 赤沢自然休養林】(電車運転士)

32_dsc975215104 

 定番の呑曇渕でしばらく撮影を楽しみました。紅葉はちょうど始まったばかりといった感じで、10月末頃だったら紅葉がピークを迎えているものと思われます。赤沢森林鉄道は呑曇渕のほかは線路端にいくつかポイントがあるだけでアングルが限られてしまうのが難点です。
【2015.10.4 赤沢自然休養林】(電車運転士)

42_dsc979415104 

 終点の丸山渡に向かう列車はバック運転となり、正面がちに狙うと機関車の顔が間抜けた感じになってしまうため、どうしてもサイド気味のアングルになってしまいます。サイド気味に撮れるのは呑曇渕周辺しかありませんので、遊歩道の橋の上から撮ったり川原での立ち位置を変えたりと悩む時間が多かったです。この時季になると太陽高度が低くなるため、川原は木漏れ日状態となり、全体に陽が当たるのは期待できそうもありませんでした。
【2015.10.4 赤沢自然休養林】(電車運転士)

52_dsc981615104 

 赤沢に長居しすぎたため、王滝に戻ったのは1300分過ぎになってしまい、体験乗車はすでに中盤戦に差しかかっていました。周囲の紅葉はまだまだという感じでしたが、園内の桜は葉っぱが赤く染まっているものもあり、定番アングルは捨てて、管理棟周辺を中心に撮影しました。
【2015.10.4 松原スポーツ公園】(電車運転士)

62_dsc9878115104 

 管理棟周辺は駐車中の車があったり建物が入り込んでしまったりと、これらをうまく処理するためにポジション取りには工夫が必要でした。ここは逆光になりますが、桜の赤い葉っぱがいい感じで目立ってくれました。
【2015.10.4 松原スポーツ公園】(電車運転士)

72_dsc988915104 

 終点の御岳展望台の機回し線付近にも赤くなった桜があり、いいアクセントとなりました。小さな機関車と木造客車だとこんな何でもない機回し風景でも絵になります。
【2015.10.4 松原スポーツ公園】(電車運転士)

82_dsc989815104 

 管理棟近くの桜の木は、手を代え品を代えみたいな感覚で、ポジションを代えながら撮影を続けました。バック運転時の機関車はどうしても表情が乏しくなってしまいますが仕方がありません。この列車がこの日最後の体験乗車列車になりました。
【2015.10.4 松原スポーツ公園】(電車運転士)

92_dsc991815104 

 管理棟横の機回し線にはススキがありました。体験乗車終了後に車庫に撤収する列車の機回しです。本当は手前のススキを構図の中に大きく入れたかったのですが、風にあおられてフレームアウトしてしまいました。王滝森林鉄道は短時間の滞在でしたが、秋の雰囲気をそれなりに楽しむことができました。
【2015.10.4 松原スポーツ公園】(電車運転士)

102_dsc994715104 

 王滝森林鉄道の後は81列車の夕日ギラリとススキ狙いで伊奈川鉄橋に移動しました。思惑どおり線路端のススキが逆光に輝いていい感じになっていました。前走りの「しなの17号」です。
【2015.10.4 大桑~須原】(電車運転士)

112_dsc858815104 

 本命の81列車は満を持してスタンバイしましたが、直前にゲリラ雲にやられてご覧のとおり消化不良に終わってしまいました。ゲリラ雲は太陽の周辺だけに鎮座し、周囲の空は雲ひとつない状況だっただけに納得のいかない結果になりました。次の列車は大桑17時09分通過の「しなの19号」、太陽が山影に隠れてしまうことは確実な状況だったため、泣く泣く撤収して帰途につきました。
【2015.10.4 大桑~須原】(電車運転士)

 

| | コメント (3) | トラックバック (0)

信州詣のルーツ 1970年秋

早くも10月になりました。そこここで秋の便りが聞かれますが、1970年、中学生の私は、夏休みだけでは飽き足らず、体育の日と日曜日の連休を利用し、飯山線に蒸機を撮影に出かけました。
当時、飯山線には早朝の長野・飯山間の客車列車1往復(下りは回送)、貨物は定期1往復、不定期1往復(津島軽便堂写真館
http://tsushima-keibendo.a.la9.jp/JNR-iiyama-ooito/iiyama2.html 参照)が設定されていたのですが、夏休みに訪れたときに、現場で秋には臨時貨物列車が走る、と教えてもらって、絶対再訪しようと決めたようです。その時は貨物は休日には運休するのではないか、などとは露ほども思っていませんでした。これも時代なのでしょうか?
Img5081970年10月10日 上今井・替佐
モノクロの最初のコマです。記録がなく予測ですが、旅客222レより前に写しているので、不定期6293レだと思います。煙室戸に形式入りナンバープレートを付けたC56 111号機でした。
Img511_21970年10月10日 替佐・蓮?
1コマ目のあと、上今井・替佐間で222レ、替佐・蓮間で下り貨物(おそらく定期の295レ)を撮っていますが、デキが悪いのでパス。これは場所が今一つなのですが、下り臨時貨物と思います。

Img5121970年10月10日 替佐
島式ホームなので、替佐だと思いますが、上り臨時貨物の発車です。

Img513_21970年10月10日 替佐・蓮
粗い画像ですみません。通常は朝1往復の客レでしか飯山線に入らないハチロクですが、このときは臨時貨物1往復で運転されていました。88623は後に福井に転属して越美南線の最後の蒸機となったのは当ブログで駅長様がアップされていますが、きれいなカマでした。
天気も悪かったのか、この折返しの上り臨時貨物を撮って祖父の家に泊まりました。
Img3521970年10月11日 替佐・蓮?
翌日も天気は悪かったようですが、何故かネガカラーに変えたようです。↑と同じ下り臨時貨物と思われます。
Img3541970年10月11日 替佐・蓮
なかなか千曲川を背景にした場所が分からず、唯一チラリと見えたのがここです。ここで2本下りのC56の貨物を撮っています。これは2本目ですので、定期の295レと思います。
Img3551970年10月11日 替佐・蓮
一旦、ここを離れ上今井あたりで、C56の上り貨物を撮っていますが、陽が出てきたのでまたここへ戻って来たようです。下り貨物はないので、このハチロクの帰りを待ったようですが、美しい88623のサイドビューが撮れてよかったです。
Img3581970年10月11日 北飯山・信濃平
中坊でお金がありませんから、移動はほとんど徒歩または祖父の家から借りた自転車でしたが、最後にちょっとだけ列車でここまで来たようです。定期の296レは各駅で入換を繰り返すので、飯山以西では撮れません。それでここまできたものと思われます。
秋の夕陽を浴びて長野を目指して軽快に走り去りました。

走っていた本数の割にはまともなデキのものがありません(気動車列車を1本も撮っていません!)が、それでも45年前のものがナントカ甦って見られて自己満足しています。(検査掛)



























| | コメント (3) | トラックバック (0)

2015年10月 4日 (日)

イエロー×イエロー

東京に向かう上りドクターイエローは、普段は夕方5時過ぎに東海地方を通過します。しかしこの季節になると、露出が落ちて高速シャッターでは撮影し辛くなるため、あえてカメラを向けるまでもないだろうという気持ちになります。
ところが10月3日(土)は、普段よりも約3時間30分繰り上がり真昼間に東海地方を通過するスジが引かれました。せっかく“時変”して撮影しやすい時間帯に運転されるので、これを見逃すわけにはいきません。
  「目撃すると幸せになれるヨ~」
と同居人を誘って(→本人も、まんざらでもない)、収穫間近の田圃が広がる稲沢付近へ車を走らせました。太陽は線路の向こう側に回り、編成側面に光が当たらないのは承知。黄色く実った稲穂をフレームに取り入れたくても順光側ではこのような風景が展開されないので止むをえません。綿密にロケハンすれば順光の撮影地も何処かにあるはずですが、調べるのが面倒だし、近場で済ませようと思っていたのでその点はお察しください(笑)。

D_y 通過数分前から薄雲が広がって満足な露出が得られませんでしたが、遠く伊吹山も見え、澄んだ空気に写真撮影の季節到来を感じました。下りのドクターイエローならほぼ同じ時間帯に通過するので、後追い承知なら同じような写真が撮れるのですが、運転日が休日と重ならないので仕方ありません。

撮影ついでに、当地点から車で10分で到着できる同居人の実家に立ち寄ってささやかな“親孝行”。夫婦ともに本日の目的達成、か?(出札掛)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年10月 3日 (土)

372.1981年冬 北の大地で撮り鉄行脚 1号車 【プロローグ】 1981/2/14~15

 今回は久しぶりに過去ネタをアップします。時は1981(昭和56)年2月、生まれて初めての北海道上陸です。蒸機の廃止から約6年後のことになります。もう少し早く生まれていれば現役蒸機に間に合ったのに…という思いはありますが、機関車はDLに代わっていたものの、そちらこちらに蒸機時代の雰囲気が残っていました。当然、北海道ワイド周遊券を携えての渡道となりましたが、当時は冬季割引で2割引き、さらに学割で2割引きと定価26,000円のところ16,640円、今では新幹線利用だと東京1往復もできません。この値段で急行の自由席に乗れて20日間有効、まさに暇はあっても金がない学生の貧乏旅行にうってつけのきっぷでした。シリーズものでしばらく北海道ものが続くと思いますが、気長にお付き合いいただければ幸いです。

1281214 

 満を持して準備を進めていた北海道行ですが、直前にちょっとしたアクシデントがあって出発が2日遅れてしまいました。予定では南部縦貫鉄道と津軽鉄道に寄ってから北海道入りするつもりでしたが、少しでも早く当初の行程にのせるため、南部縦貫鉄道と津軽鉄道は割愛して一路北海道を目指しました。13日に名古屋から大垣夜行の340M14日の早朝に東京着、そこから「はつかり1号」→青函連絡船25便→札幌行の夜行普通41列車→「狩勝1号」→「ノサップ3号」で15日の夕方に根室にたどり着き、「ノサップ4号」で厚岸に戻り、その日の宿となる厚岸YHに投宿しました。2夜行の足かけ3日間乗りっぱなしの強行軍でしたが、ここで当初の予定に合流することができました。東京440分着から上野733分発の「はつかり1号」までには時間があったので、上野でスナップをしながら時間をつぶしました。「はつかり1号」は周遊券で乗車するには特急券が必要で、痛い出費でしたが、行程を戻すためにはやむを得ませんでした。青森からの「あけぼの4号」が17番線に到着しました。
【1981.2.14 上野】(電車運転士)

 

2281214 

 この頃の上野は東北・常磐・信越・上越の各線から次々と夜行列車が到着し、朝のラッシュ前でも活気にあふれていました。写真は13番線に到着した「能登」です。当時の最新鋭だったEF641000番代が新鮮に見えました。
【1981.2.14 上野】(電車運転士)

 

3281214_2 

 青函連絡船25便は2050分に函館に到着しました。41列車の発車は2351分、それまで時間があったので、函館市電のバルブ撮影に出かけました。この遠征で初めてカラーポジ(KR64)を持参し、このカットが記念すべきカラーポジ最初の1枚となりました。
【1981.2.14 松風町】(電車運転士)

4281215 

 15日の早朝652分、札幌に到着、スナップをする間もなく704分発の「狩勝1号」で釧路に向かいました。釧路到着は昼過ぎの1349分、天気はどんよりとした曇り空、寒々とした印象が残っています。釧網本線用の客車だと思いますが、小窓が3枚ずつ1組になったオハフ60が留置されていました。
【1981.2.15 釧路】(電車運転士)

5281215 

 乗り継ぎ列車の「ノサップ3号」の1530分の発車までには時間があったので、駅撮りを続けました。根室からの442列車が入線してきました。後方にはコキが連結されており、一応混合列車となっていました。郵便車・荷物車・座席車は早朝の「狩勝7号」からの継走で根室を往復して戻ってきたところです。このままこの日の夜の「狩勝8号」の一部に組成されて札幌に戻る運用となっています。
【1981.2.15 釧路】(電車運転士)

 

6281215 

 札幌から自分が乗ってきた「狩勝1号」の編成です。折り返し1528分発の「狩勝6号」までこのまま待機です。
【1981.2.15 釧路】(電車運転士)

7281215 

 長駆、函館からの「おおぞら1号」が1513分、定時で到着しました。青函連絡船の深夜便を受けて函館を445分に発車し、約10時間30分の道のりです。厳冬期の厳しい道のりが続く中、定時到着というのは鉄道の信頼性が高いということの証でしょうか。この後、1530分発の「ノサップ3号」で根室に向かいました。
【1981.2.15 釧路】(電車運転士)

●次の目的地 釧網本線 塘路

●移動行程 厚岸YH→厚岸→釧路→塘路

 

 

| | コメント (3) | トラックバック (0)

« 2015年9月 | トップページ | 2015年11月 »