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2015年7月

2015年7月31日 (金)

帰らぬ旅路~美濃太田区の40系気動車

6月一杯で高山本線から引退した40系気動車ですが、ついに基地の美濃太田区を離れる日が来ました。最後まで残った18両のうち、ツートンのキハ48 6312を含む3両が7月4日~5日にかけて伊勢区に転属、残った15両が異国へ旅立つこととなりました。
Dsc_02342015年7月27日 笠寺
最後の15両は5両ごと3回に分けて、美濃太田を離れました。1回目、自力で木曽川あたりを回送するシーンは出札掛様がアップされました。
これは2回目、朝出勤前に留置中を捉えました。

Dsc_02492015年7月29日 笠寺
これが最後の3回目の笠寺出発直前の様子です。当ブログでもたびたび登場したツートンのキハ40 6309も含まれています。
同業者も回数が多くて飽きたのか、ここで10名ほど、駅を出た先のカーブでも10名ほどでした。

Dsc_02572015年7月29日 名電築港
この日は午後休みをもらっており、東名古屋港まで追っかけてみました。築港の踏切では市バスを待たせて通過していきます。
Dsc_02612015年7月29日 名電築港
築港名物のクロスポイントを通過して奥まで押し込まれて行きます。先日工場長様がアップされた名鉄デキ600の姿は跡形もありませんでした。
Dsc_02662015年7月29日  東名古屋港(東口)
後ろはよく見えませんが、ND552にプッシュプルのまま、同僚の待つ埠頭まで運ばれて行きました。

紀勢線からの撤退についても先ごろプレスリリースされました。秋まであと何度訪れるチャンスがあるかわかりませんが、現役の雄姿を見に行きたいと思います。(検査掛)













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2015年7月26日 (日)

「ムーンライトながら」始動

青春18キッパーの御用達、「ムーンライトながら」の運転が今夏も始まりました。

使用車両は毎度お馴染みJR東日本所属の185系10両編成。今や貴重となりつつある国鉄時代の車両が長編成の出で立ちで、はるばる東京からやって来ます。近頃ネタに乏しい尾張地方の鉄チャンにとっては格好の被写体です。シーズン毎に運転されているとはいえ、地元で走行シーンを撮るにはこの季節しかありません。なので週末の天気予報が朝から『晴』マークを表していると、朝日を目一杯浴びて走る姿をつい狙ってみたくなります。その撮影地と決めている木曽川付近の通過は5:37頃。自宅からは車で20分ほどでアプローチできるので、5時前に起床してもギリギリ間に合うし、目を覚ました時点で予報とは裏腹に空模様が怪しければ撮影計画は即刻トケ、二度寝と決めて床に就いてしまえばいいわけです。せっかく朝練と称して出かけたとしても、露出の上がらない天候のもとでゴミ画像の量産しかできない時はストレスが溜まるばかり。潔くあきらめて、体調管理を優先したいものです。

725 運転初日の24日(金)東京発下り列車は、185系オリジナルのストライプ塗装に戻されたB7編成が先頭を担いました。当時の国鉄としては画期的で衝撃的だったこのデザイン。デビュー当時を知る我々の世代には懐かしく、若い世代には新鮮に映ることと思います。
上空には薄雲が方々に広がっており、物足りない太陽光線。それでも真白な車体に救われるかもしれないと、やや絞り気味に撮影したのが誤りでした。プレビューを見て即、「さぁ、現像ソフトのお出ましだ~」との判断にいたりました。
線路端に続く側道のコンクリートを隠すため腰を落として撮影したら、足回りが微妙に隠れてしまいました。これも誤算。

726 翌日はブロックパターン塗装のみの車両で仕立てられた10両編成(C7+B5編成)です。前日とは違い、理想どおり朝の光を浴びながら現れました。今度は立ったままの姿勢で撮影したので足回りは隠れなかったものの、タイガーロープのポールがスカートのド真ん中にかかってしまいました。おまけに車体が思いのほか明るすぎて、再び「現像ソフトのお出ましだ~」。なかなか決まらないですね、ハハハ・・・。
この塗装も徐々にストライプ化されて少なくなってきましたが、波動輸送用編成すべてにまでストライプ化が及ぶのかは定かではなく、もしかしたらこのまま現状維持かもしれません。まぁ、185系そのものが地元では貴重なので、撮れるときに記録しておきましょう。

今シーズンは(今シーズンも?)以上の2編成が交互に運転されるものと思われます。混色編成が面白そうと見るか、それとも統一された編成美が良いのか、貴方はどちらを好まれますか?(出札掛)

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2015年7月22日 (水)

さようなら デキ600形

はなぶさメンバーのほとんどの方がアップされましたが、私(工場長)もデキ600形の最後の運転を見送りました。

戦時中から名鉄一筋70年以上も頑張ってきたのに、何のイベントも行われずに、こっそりひっそり?消えていったのは残念です。

それでも、最後の廃車回送が行われた7月21日の大江~東名古屋港には、100人近いファン(私の推測)が別れを惜しみました。

デキ600形には、いろんな思い出がありますが、近年は工事列車のみの運行で、走行は深夜と早朝のみでした。メンバーの皆さんは朝練と称して運転日の早朝撮影に出掛けられましたが、私は早起きが苦手で御無礼していました。しかし、7月21日に4両全車一斉に廃車になるということを知り、1週間前から頑張って撮影に出掛けました。(工場長)

Hanah2707150530【2015(H27).7.15 5:30頃 須ヶ口】 工場長

大江常駐のデキ600形を須ヶ口の新川検車で検査するため、大江(5:38)→須ヶ口(6:22)の9007列車と、須ヶ口(5:34)→大江(6:03)の9006列車が、時々運転されていました。この日は、両列車が運転されるということを聞き、早起きをしました。
自宅から須ヶ口まで車で出て、須ヶ口5:29発の本線始発電車(中部国際空港行き)に乗り、運転台後ろから窓越しに、出庫準備中のデキ604号を撮りました。背景は名古屋駅の高層ビル群で、なかなかよい感じでした。

Hanah2707150553【2015(H27).7.15 5:53頃 神宮前】 工場長

始発電車を神宮前で下車しました。ダイヤでは神宮前の少し金山寄りで、9006列車と9007列車がすれ違うことになっています。(ここで電車運転士さんとお会いしました。3日前も早朝に二ツ杁で会いました!)

まず9007列車(大江→須ヶ口)のデキ603号が神宮前に到着しました。

Hanah2707150555【2015(H27).7.15 5:55頃 神宮前】 工場長

須ヶ口→大江の9006列車デキ604号が神宮前に到着します。この付近ですれ違うことを期待していましたが、残念ながら9007列車の603号は、ちょうどこの時に出発ブザーが鳴って神宮前2番ホームを出発するところで、すれ違いはホーム部分した。何度もかよっている電車運転士さんでさえ、よいタイミングのすれ違いシーンは1度しか撮れなかったとのことで、1度しかチャレンジしていない私が望むのは贅沢かもしれません・・・

Hanah2707150616【2015(H27).7.15 6:16頃 二ツ杁】 工場長

9007列車を、すぐあとの急行で追いかけました。二ツ杁駅で追い越しましたので、運転台後ろから撮りました。

Hanah2707150621【2015(H27).7.15 6:21頃 須ヶ口】 工場長

急行で須ヶ口へ先着し、ホーム端で9007列車の到着を待ちました。すぐにデキ603号が到着しました。
この日の撮影はこれで終了しました。この603号は7/19の早朝に大江へ回送されると聞きましたが、それはパスし、7/20早朝の犬山→大江のデキ601・602号の重連回送を次の目標としました。

Hanash270720dsc_0096【2015(H27).7.20 6:29頃 神宮前】 工場長

犬山から大江に回送されるデキ601+デキ602の重連が神宮前に到着します。どこで撮ろうか迷ったあげく神宮前まで来て撮りました。

Hanash270720dsc_0113【2015(H27).7.20 6:30頃 神宮前】 工場長

神宮前を出発し、大江に向かうデキ600形重連です。後追いで撮りました。このあと、次の急行で大江に向かいました。

Hanash270720dsc_0126【2015(H27).7.20 6:47頃 大江】 工場長

大江に到着すると、デキ600形が入換をしていました。先ほど到着した601+602の入換と思っていましたが、番号は603+604でした。

Hanash270720dsc_0141t【2015(H27).7.20 6:50頃 大江】 工場長

デキ600形重連同士を連結し4重連にするようです。4両ともパンタを上げていて嬉しかったです。

Hanash270720dsc_0165【2015(H27).7.20 6:55頃 大江】 工場長

4重連になったデキ600形が少し右へ移動しました。これで翌日の大江→東名古屋港の4重連廃車回送の準備が整ったようです。番号も、左から601・602・603・604とそろいました。

Hanash270721dsc_0216【2015(H27).7.21 8:45頃 大江】 工場長

デキ600形最後の日です。私は大江駅へ8:40頃に到着しました。大江駅の東側から、4両並んだデキ600形を撮りました。
跨線橋を渡ったところで検査掛さんとお会いし、「向こうはすごいことになっているよ」と撮影地の混雑ぶりを教えてもらいましたが、東名港に向かって歩きました。

Hanash270721dsc_0237【2015(H27).7.21 9:07頃 大江~東名古屋港】 工場長

築港線のお立ち台です。ここへ1時間前に到着された駅長さんも満足な場所が確保できなかったということですから、5分前に到着した私はどこで撮れば・・・という感じでしたが、皆の横から控えめに撮りました。ここには80人くらいが撮影していたと思いますが、顔見知りの人も数人いました。

Sh270721dsc_0300t【2015(H27).7.21 9:40頃 東名古屋港】 工場長

東名古屋港に到着したデキ600形4重連は、切り放されたあと604号から順に軌陸車に牽引・推進されてクレーン車が待つ吊り上げ場所へ向かいました。写真は2両目の603号です。なお602・601号は2両一緒に運搬されました。

Hanash270721dsc_0364【2015(H27).7.21 10:04頃 東名古屋港・平面交差部】 工場長

最初のデキ604号を吊り上げました。レールのないところに下ろされ、そのあと解体されます。写真右下が築港線と名古屋臨海の平面交差部です。

Hanash270721dsc_0379【2015(H27).7.21 10:07頃 東名古屋港・平面交差部】 工場長

この日、私が撮った最後の写真です。このあと、暑い中を大江駅まで歩いて帰りました。

これが私が撮った600形最後の写真ということになります。さようなら デキ600形 (工場長)

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2015年7月21日 (火)

名鉄デキ600 自力の廃車回送

既に出札掛様、電車運転士様、駅長様がそれぞれアップされましたが、私検査掛も感謝をこめて!?この形式のお別れ運転に行ってまいりました。
幸い、7月20日の601+602の犬山→大江は休み、同21日の最終日も代休可能な日だったので、1時間出勤をずらすことで撮影が可能となりました。20日は駅長様と脚立を並べて撮りましたので、そちらに譲り、21日の最後の自力回送を見て頂きます。

Dsc_00838時頃現地に着きましたが、既に駅長様の位置は夥しい同業者たちが居り、いずれにしろ晴れればド逆光なので、端からパス。とりあえず大江に行って停車中を撮影。4両ともパンタが上がっておりホッとしました。この角度だと601~604の車号が均等に並んで嬉しくなりました。工場長様もみえました。
Dsc_0105築港線のローカルが運転している間に一緒に撮れないか、と場所を探しました。ビームやら支線やらが少々うるさいですが、まぁ最後は彼らの基地的な駅となった大江の雰囲気も感じられます。
Dsc_0111もう1枚。こちらは支柱が煩いですが、まぁこんなもんでしょ。
Dsc_0120本命はここにしました。同業者は10名程度でしたか。4両でも電車2両分程度の長さなので、十分入ります。晴れればここは順光となるハズでしたが、曇ってしまったのと、3号の扉が開いたままなのがチョット残念。
Dsc_0123最後はここ、東名古屋港まで来ました。この時点では全パンタが上がってましたが、すぐたたまれていきました。これにて機関車の生命は絶たれました。

駅長様のように貨物牽引華やか?なりし頃は全く撮ることがありませんでした。その後の役割となった工臨や甲種輸送車両、廃車のサポートを記録してきましたが、秘密の思い出とともに惜別しました。ありがとうございました。(検査掛)

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デキまつりにようやく参戦

 まあ、現役時代から散々撮ってあるので、今更とは思うけれど、やはり無くなると聞けば撮っておきたくなるのは世の常。最近、各方面から注目を集めていて、お祭りの様相を呈しているのがちょっと気になるけれど、まあ、そこは割り切って御神輿をかつぐとしましょう。

0720
 まずは20日のデキ600形重連回送。どこで撮ろうか、迷ったが、オーソドックスに横位置から狙える徳重の鉄橋に。光線の具合は良かったけれど、ちょっと高圧線がうるさいかなぁ。

 翌21日は、本命のデキ600形4両連ねての廃車回送。距離も短く、満足に撮れる場所はここ一箇所しかない・・・。

0721_6004
 まあ、人のことは言えないものの、それにしても3連休明けの平日で、なぜ、こんなに人が集まるのか・・・・。やはり、と思ったけれど、通過1時間前では脚立をつかってももう満足な場所はない。なんとか、人の間からレンズを抜いてようやくこのアングル。

 と、いろいろ文句を言っては見たけれど、パンタ四丁はなかなか格好良いですね。これはなかなかの見物。これで貨物を牽いてくれたら、と思わずにはいられません。

Photo_2
 前回の1030形同様、軌陸車で1両ずつ、解体現場に運び込みです。暑いし、ここまで見て退散しました。(駅長)

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364.デキ600セミファイナル走行+各種JR機関車 2015/7/20

 5月上旬から本格稼働が開始されたEL120の陰に隠れて去就が注目されていたデキ400600ですが、とうとうデキ600の廃車が現実のものとなってしまいました。4両のうち60415日に、60319日に大江に回送され、残る犬山常駐の601602が今日(20日)に大江に回送されました。予定では明日(21日)に4両まとめて名電築港の解体場所に送り込まれるとのことで、最後の本線走行は21日の大江→東名古屋港となりそうです。従って、20日の犬山→大江の回送はセミファイナル走行となりました。長年にわたり私たちの目を楽しませてくれたデキ600、本当にお疲れさまでした。残るデキ4002両はどうなるのか、その去就が心配ですが、1日でも長い延命を願ってやみません。

12_dsc678615720 

 犬山→大江の回送は早朝の9008列車のスジで運転されました。天気予報を確認すると早朝は曇り予報だったので、出札掛様と同様、石仏~布袋のポイントに向かうつもりで車を走らせました。途中で太陽が雲の上に顔を出しそうな雰囲気になってきたので、逆光下での冒険は自信がないこともあって、急遽、予定を変更して上小田井~西春の直線区間にUターンしました。待つことしばし、朝陽をいっぱいに浴びて601602の重連単機が通り過ぎて行きました。明日(21日)の名電築港への送り込みは参戦できないことから、この回送が自分的にはデキ600との最後のお別れになりそうです。
【2015.7.20 上小田井~西春】(電車運転士)

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 デキ600を撮影後、ダイヤを確認すると、清州付近なら白ホキ編成の5880列車にギリギリ間に合いそうだったので、速攻で撤収して現地に向かいました。この日は所定EF210のところEF64の代走、しかも国鉄色の1019だったので、ちょっとだけ得した気分になりました。
【2015.7.20 清州~稲沢】(電車運転士)

32_dsc680915720 

 その後、どこに行こうか思案しましたが、清州~稲沢界隈でJRの機関車を撮影することにし、しばらく居座ることにしました。DD51EF66の異形式重連の1353列車は国鉄色の1805が先頭でした。このところ、DD51を待っていると測ったように更新色ばかりで、テンションが上がらないことが多い中、久しぶりに国鉄色を撮ることができました。
【2015.7.20 清州~稲沢】(電車運転士)

42_dsc682815720 

 2075列車は休日に運転される数少ないDD51の列車ですが、3連休の最終日ということもあってか積荷はコンテナ1個だけのスカスカ編成、ちょっと情けない姿での運転でした。やっぱりこの手の列車は平日でないとダメみたいです。
【2015.7.20 清州~稲沢】(電車運転士)

52_dsc685615720 

 赤ホキ編成は3月改正から3往復ともEF64の担当となりました。天気も回復したので、ポイントを移動することにしました。赤ホキを連ねた5780列車が夏らしい風景の中を通り過ぎて行きました。
【2015.7.20 木曽川~岐阜】(電車運転士)

62_dsc687815720 

 5087列車は名古屋エリアで唯一撮影可能な時間帯を走るEF65の列車です。情報を確認すると貫通扉がからし色の2127でした。そのまま5780列車を撮ったポイント付近で待とうかとも思いましたが、せっかくなので、揖斐川の堤防に向かうことにしました。直前にゲリラ雲の襲来を受けましたが、何とかかわすことができました。
【2015.7.20 穂積~大垣】(電車運転士)

72_dsc690815720_2 

 個人的な都合でEF66牽引の白ホキ編成の写真が必要だったので、夕方になって5767列車を撮るべく清州界隈に戻りました。現地に到着するとすでに20人くらいの同業者が集結しており、いつもと違う緊迫した雰囲気が漂っていました。5767列車に0番代でも入るのかなと思ったりもしましたが、それにしても人が多いなという感じがしました。原因は写真のとおりです。先日、復活を遂げた275767列車の先頭に立っていました。まったくノーマークだったので、このサプライズにはビックリでした。どちらかというとストレスをためてしまう結果が多い中、たまにはこんなことがあっても罰は当たりませんよね。本当はもう少し手前に引っ張って、機関車が左に首を振ったところ(3枚目のDD51の位置)でシャッターを押したかったのですが、ちょうどビームの影が線路にかかっており、大事をとって奥の直線部分をシャッターの切り位置にしました。
【2015.7.20 清州】(電車運転士)

 

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2015年7月20日 (月)

名鉄デキ600に別れを告げる

名鉄の新型電気機関車EL120の登場で、ついに廃車となるデキ600形。貴重な凸型電機がまたひとつ姿を消します。

603 19日(日)の早朝は、603が大江に回送されました。台風一過の晴天とはいかず、周囲の空は雲に覆われています。でも、これなら影も気にせずに自由にアングルを選ぶことができるので、そこで一案。「どうせ単機なので正面ドカンを狙ってみよう」。向かった先は、新川橋を渡り、カーブしながら勾配を下ってくるところです。
当たり前ですが、これでは600形の特長である凸型が全く分かりませんね。辛うじて言えるのは、乗務員の後方の窓越しに背景を見ることができますが、キャブが小ぶりな凸型機関車であることを証明しています(ん?そうでもないかな)。

6012 続いて20日(月)の早朝、犬山から601と602が重連で大江に向かいました。うまく地元を通るので、撮影場所は自宅からほど近い布袋~石仏間で妥協。現地では低層の雲が太陽を覆っているので、光線状態には関係なく風景重視で立ち位置を決めましたが、通過5分ほど前に雲の陰から太陽が現れて、あららら、結果はモロ逆光になってしまいました。なるほど、これで梅雨明けということですね(笑)。
晴れてしまったので、急な思い付きで稲に光る朝露をファインダーに収めましたが、わかりますか?おまけにゴーストも車両にかかっているし・・・。

6011 デキ600の走行シーンの撮影は自分にとってこれが最後。なので確実にゲットしたく思い、いろいろなリスクを少しでも回避できるようカメラをもう1台スタンバイしておきました。こちらは望遠がちに狙っていましたが逆光気味の光線には敵いません。

Kisei デキ600に別れを告げた後は、ようやく梅雨明けを迎えたことでもあるし、ちょっと↑の周辺まで行ってきました。詳細はまた別の機会に。(出札掛)

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2015年7月19日 (日)

豊橋祇園祭の打ち上げ花火と市電

通常7月の第3土曜日に行われる豊橋祇園祭の打ち上げ花火が、今年は台風の影響で1日順延となり今日行われました。以前こちらにも投稿させていただきましたが、今回は前回の新川交差点と豊橋公園前の電停ではなく、車に邪魔されにくいと思われた東八町の歩道橋と東八町~豊橋公園前間の歩道橋に行って豊鉄市内線との絡みに挑戦してみました。

Dscf1327c
まず東八町の歩道橋で挑戦してみましたが、花火が沢山上がっているときは電車が来ず、電車が来ると花火が上がらないという状況で何とか撮れたのがこの1枚です。

Dscf1339c
 次に豊橋公園前~東八町の歩道橋へ行きましたが、この信号はなかなか電車が止まらない(手前の豊橋公園前の電停で発車の時間調整をするため)ので、せっかく花火が上がっていても電車がぶれてしまい、30分以上ここで撮影しましたが何とかみられる写真はこれだけでした。

 とりあえず、今日の豊橋鉄道市内線と祇園祭打ち上げ花火のコラボのご報告まで。【施設区長】



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2015年7月17日 (金)

名古屋市東山線5000形さよなら運転によせて

先日ネットのニュースで名古屋市交東山線の5000形がいよいよ8月末を持って引退する記事を目にしました。
思えば同形が登場したのが1980年、今から35
年前の出来事だったわけです。5年後の1985年8月、100形(一次車)のさよなら運転がありました。
Img2431985年8月29日 上社
愛知県にはこの6年前に来た(住まいも春日井市)私にとって、名古屋市の地下鉄は縁遠く(1435㎜軌間だし)、あまり興味のない存在でしたが、ボディマウント構造ということもあって、撮影に行ったのだと思います。
100形の引退はこの3年後、その時は特にセレモニーもなかったようで、市としては「名古屋市初の地下鉄車両」としてのさよなら、ということだったようです。
Img7801985年8月29日 一社・上社
駅を出て、駅間を見渡せる集合住宅からしばらく狙いました。引退車両ではありませんが、運よく100形と新鋭5000形が並びました。
Img2341985年8月29日 一社・上社
この時点では16本の5000形が投入されていたはずですが、ここで撮ったのはいわゆる「黄電」ばかり、ほとんどまだ冷房車がなかったのですね。いまから思えば信じられませんが・・・。

Img2181982年7月14日 名古屋
遡ること3年前、西名古屋港行貨物列車の最後部で甲種輸送される5000形です。列車が長すぎて機関車側からは撮っていません。まだ窓下の黄色の帯はありません。
車体断面も一回り小さく短いのでトレーラー輸送と思われがちですが、国鉄時代、このように搬送されていました。

またまた1形式の誕生から終焉までを見ることになりました。(検査掛)









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2015年7月15日 (水)

ポルトガル・リスボンの電車

 暑くなりました。朝練のネタもあるけれど、なにか起きるのが億劫になって出撃できません。

 新規のネタもないので、最近スキャンした古ネタから。ちょうど1995年をスキャンしているけれど、この年には2度目の訪欧をしています。この時は、施設区長さんも一緒でした。(強引に連れて行かれた・・・と、いうわけではないですが、それに近いかも(^_^;))

 この時は、最初に欧州の西の端、リスボンに飛んでます。ここには、2軸単車が現役ということで見に行ったわけです。その後、2軸単車はなくなった・・・わけではなくて、ボギー車が入れないので、今も現役なんですが。

 そこで、リスボンの2軸単車の写真を少し。リスボンには、この後、2回はいってますので、その写真も含めて構成してあります。

Photo_3

 まずは、リスボンの路面電車の最大の見所であるグラサ環状線のハイライト、アルファマの狭い路地を走る所です。このあたり、狭い街路が多いのですが、それもあって、電車が通るといっぱいのこんな路地も走っているのです。

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 先の写真より、15年ほど経って、すこし綺麗になったアルファマの路地。電車が、遠慮がちにのそっと顔を出してます。

 リスボンは坂の町でもあります。そこでこんなシーン。

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 「よっこいしょ」という言葉が聞こえてきそうな急坂。一説には、ここの勾配は145‰とか。碓氷峠の倍ですね。もっとも、距離はほんの少しですが・・・。

120 さすがに145‰の勾配は、距離が短いので未公認ですが、120‰のこの勾配は公認で、粘着運転では世界最急の勾配とか。箱根登山鉄道の5割増しですね。ここで転んだら、坂の下まで転がっていってしまいそう。

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 この勾配をのぼった先には、こんな急カーブも。狭い街路で曲がりきれないので、反対側の路線にはいりこんでます。

Photo_6
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 折角なので、急勾配を強調しようと、サイドから撮って遊んでみました。勾配がいかに急か、おわかりいただけるかな?

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 まだ、写真はかなりの数があるけれど、飽きるので、最後にコメルシオ広場の夜景。ちょっと21世紀とは思えない良い風景です。(駅長)

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2015年7月12日 (日)

363.間もなく梅雨明け??? 2015/7/12

 7月に入り、じめじめ・じとじとと梅雨らしい日々が続き、太陽が恋しくなっていました。この週末は、台風11号の影響もあり、久しぶりに太陽が顔をのぞかせ、梅雨明けを思わせるような天気になりました。そんな中、情報通の方から重単ながらデキ400が本線上を走行するという情報をいただき、参戦してきました。

12_dsc652115712 

 この日は前座で須ヶ口から豊明までEL120の送り込みもあり、せっかくなのでこちらからスタートしました。
【2015.7.12 二ツ杁~新川橋】(電車運転士)

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 本命のデキ400は出札掛様の庄内川の堤防も考えましたが、時刻表を確認すると上り列車と被るリスクが高そうだったので、安全性を優先して二ツ杁の手前で待つことにしました。望遠で思いっきり引っ張ってみましたが、貨車がない分、後部がスカスカになってしまいました。
【2015.7.12 西枇杷島~二ツ杁】(電車運転士)

32_dsc653915712 

 デキ400は二ツ杁で通過列車を2本待避するので、新川橋寄りの踏切までダッシュしました。ここで参戦していた工場長様にお会いしました。急いでいる身とはいえ、ごあいさつもそこそこになってしまい、大変失礼いたしました。
【2015.7.12 二ツ杁】(電車運転士)

42_dsc654615712 

 さらに新川橋方向へダッシュし、二ツ杁発車後の列車を撮影しました。デキ400の朝練はこれまでとしてひとまず撤収し、自宅に戻って2度寝を決め込みました。
【2015.7.12 二ツ杁~新川橋】(電車運転士)

52_dsc654915712 

 2度寝の後の家族運用をこなした後、この日の2回戦目ということで、釜戸界隈に向かいました。入道雲がいい方向に湧きかけていましたが、列車とのタイミングが微妙に合いませんでした。
【2015.7.12 瑞浪~釜戸】(電車運転士)

62_dsc655615712 

 さらに入道雲を期待して後続の「しなの10号」も狙ってみました。5分ほどの遅れで運転されていたため、残念ながら入道雲のかたちが崩れてしまいました。時間どおり来てほしかったです。
【2015.7.12 瑞浪~釜戸】(電車運転士)

72_dsc656815712 

 釜戸界隈へ出向いた目的は、運用が順番どおり回れば81列車が広島更新色と国鉄色の重連になるということからでした。せっかくの広島更新色先頭なので、線路端で撮ることも考えましたが、グリーンの絨毯状態になった田んぼを優先し、いつもの俯瞰ポイントに登ってしまいました。81列車は予想どおり1046(広島更新色)+1006(国鉄色)の重連で来ました。
【2015.7.12 瑞浪~釜戸】(電車運転士)

 

 この週末、いきなり夏日・真夏日となり、暑さに身体が慣れていない身にとっては結構辛いものがありました。台風11号が通り過ぎると梅雨明けということになりそうですが、それまでに大きな被害が出ないことを祈るばかりです。夏は鉄活動にとっては厳しい季節ですが、熱中症にならない程度に夏本番といった写真に挑戦してみたいと思います。

 

 

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苦手な朝練ですが・・・

今日7/12は、名鉄のデキが早朝に2列車走り、神宮前付近ですれ違うらしいという情報を聞きましたので、早起きが苦手な私ですが、今日ばかりは早起きしました。

金山~神宮前は大混雑が予想されましたので、私は西枇杷島・二ツ杁を選択し、家を5時に出発しました。(工場長)

Hanash270712dsc_0498a2015(H27).7.12 5:40頃 西枇杷島 (工場長)

まずは、西枇杷島駅でEL120形の重連を撮りました。須ヶ口を5:39に出発してきた列車です。

Hanash270712dsc_05112015(H27).7.12 5:45頃 西枇杷島 (工場長)
EL120形の数分後に普通電車が来ました。待っていたお客さんは3人です。この列車は津島5:25の津島線始発電車ですから、津島在住の私の場合EL120形を撮るためには車で来る必要があったわけです。

Hanash270712dsc_05322015(H27).7.12 6:10頃 西枇杷島 (工場長)
お待ちかねのデキ400形重連です。急カーブを曲がってやってきました。

Hanash270712dsc_05362015(H27).7.12 6:10頃 西枇杷島 (工場長)

駅全体を入れて撮りました。上の写真の続きです。この写真を撮ったあと、二ツ杁駅までダッシュしました。その途中で電車運転士さんとお会いしました。

Hanash270712dsc_05472015(H27).7.12 6:15頃 二ツ杁 (工場長)
デキ400形重連は、この駅で5分弱停車し、2列車待避します。皆さんそれを承知で、10人弱の人がここで撮りました。

Hanash270712dsc_05532015(H27).7.12 6:18頃 二ツ杁 (工場長)

この6000系急行が通過したあと、デキ400形重連は出発しました。苦手な朝練でしたが、「早起きは三文の徳」を実感した1日になりました。(工場長)

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美濃太田車両区所属車ネタ 二題

【7月7日 海外譲渡】
7日(火)、定期運用を離脱後しばらく美濃太田区の留置線に置かれていたキハ40系群のうち5両が海外譲渡のため早朝に笠寺まで回送されるらしく、通常の出勤前だというのに気合いを入れて(笑)朝練を実施しました。運転時刻はおそらく3月に運転された笠寺回送と同様と読み、自宅からほど近い木曽川駅北方のお立ち台付近は推定5時ちょうどに通過。これなら遠方まで移動する必要はなく(もっとも出勤前に遠方まで行く余裕などありませんが)、たとえ曇天であろうとギリギリ露出を確保できるものと判断し、目的地に定めました。

40k 現地では5,6名の同業者が待機中。読みは当たりかな?とソワソワしながら推定通過時刻を迎えた朝の5時、警報機が鳴り出し、やや霞みがかった曇り空の下、回送列車が現れました。“ISO800、1/500、F2.8”という条件ですが、こんなときの単焦点レンズ、役に立ちます。これだけ撮って即撤収。あ~眠たい。


【7月12日 ロンキヤ故障?】
12日(日)の朝、ふと飛び込んできた緊急情報。前夜から醒ヶ井で作業中の“ロンキヤ”ことキヤ97が故障らしく、本来なら早朝に東海道線を上っていくはずなのに朝8時を過ぎても現地から動いていないよう。しばらくするうちに「美濃太田区に取り込む」ことになったらしく、これは一大事とばかり、急遽高山線へスクランブル発進しました。緊急性を要するため自宅から比較的近く、編成の性格上、できれば俯瞰気味に撮れる場所を選びたかったので、向かった先は長森駅の跨線橋。岐阜駅のランドマークである高層マンション群もバックに入るので、いちおう高山線である証拠にもなりますから。

971 ツイッターの書き込みによると、ロンキヤは関ケ原付近を9:47頃に通過とのこと。このまま岐阜から高山線に入る時刻を推測すると、岐阜10:39発「ひだ81号」8081Dのスジが空いているのでこれを使うのではないかと思い、長森駅にて少し早めの10:20頃から待機しました。そして通過推定時刻の数分前になり、下り出発信号の「青」が点灯。やがて遠くから3灯のライトが見え、長い編成を従えたロンキヤが走り過ぎていきました。この編成が白昼堂々と高山線を走行するシーンは貴重と思われます。

本来ならここで12日早朝の『名鉄デキ400重単撮影レポ』をお届けしたかったのですが、庄内川橋梁左岸で構えていたら目の前で見事に被り、ロクな画像が残せずに大ショックを受けています。せっかくの朝練成果は何もなく・・・。是非、次の機会を与えてください。(立ち直れない?出札掛)

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2015年7月 9日 (木)

【アーカイブス】どれが良いか・・・

 最近、スキャンした揖斐線の夜明けの写真。1997年1月の撮影で、場所はおなじみの尻毛の鉄橋で、シルエットになっている山は岐阜の金華山である。

 何列車か狙っているが、どれも雰囲気が良い。丙丁では無く、まさに甲乙つけがたい。さて、この中から1枚選ぶとしたら、どれを選んだら良いのだろう。もっとも、選んでいただいても、それを使うとか、プリントする、というわけではないが・・。

4
 まずは、水平線が赤くなった頃にやってきたモ750形の単行。前照灯が印象的だ。

5
 次は、モ510形の2連。雰囲気は、前の方が若干良いが、こちらは車両が魅力的。

2

 続いての列車は、サイドに陽が当たり、川霧もでて、冬の朝の雰囲気が良く出ている。

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 同じ列車を望遠で撮ったもの。こちらは川霧が強調されている。これも捨てがたい。

 ごくごくマレだが、1日に何枚も印象に残る写真が撮れる日がある。おそらく、この日はそうした巡り合わせの良かった日なのだろう。

 夕方には、同じ場所でこんな写真も撮れた。

3

 この尻毛の場所では、撮影日が異なるが、朝日を入れてこんな写真も撮っている。

1992514

 これも捨てがたい味がある。この場所でベストの1枚を選ぶとしたら、本当に悩ましい。

 それにしても、こうした印象的な写真の撮れる路線や場所は、今の日本でどこに残っているのかなぁ。あれば通いたいところだけれど・・・。(駅長)

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2015年7月 7日 (火)

南チロルの電車

 ある呑み会で、地図の話から急勾配を登る印象的な鉄道の話になり、オーストリアのインスブルックの南側、ブレンナー峠を越えてイタリアに入ったボルツアーノにあるリットナー鉄道がロープウェイで登った高原の上を走る上部軌道で、ドロミテ・アルプスの景色も素晴らしい、と話をしたところ、ぜひ、写真を見たい、とのご要望があった。せっかく写真をセレクトしたので、このブログでもご覧に入れたいと思う。ここを訪れたのは2009年の7月なので、もう6年も前であるがご了解いただきたい。

 あまり良い地図が見つからなかったのでわかりづらいが、大体、このあたりである。

Italiamap

 上図のドロミテと書いてあるあたり。オーストリアのインスブルックの南、イタリアのベローナの北に位置しており、遙か昔からヨーロッパの南北の交通の要衝である。オーストリアのチロル地方とつながっており、南チロルということもある。スイスアルプスの東の端にあたる。イタリアのアルプスということで、日本人には馴染みが少ないが、ご覧に入れるように景色は素晴らしく、オーストリアやスイスに劣ることは無い。

 さて、こんな景色の良いところでも、電車がなければ行くことはない。ここにはわずか7kmほどのリットナー鉄道(リッテンと言う場合もある)が高原の上を走っている。そこまでは、ボルツアーノの駅からロープウェイで登っていく。

Photo
 これが路線図。なにかそそるような電車の絵が描かれている。ボルツアーノからロープウェイで登ったオーバーボーゼンが電車への乗換駅である。

Photo_2
 これがそのロープウェイ。下に見えるのが、FSのボルツアーノの駅である。これを見るだけでも、どんな電車か、期待感が高まるだろう。

Photo_3
 では、まず1枚。全線にわたってこんな景色が続く。素晴らしい景観である。

 車両が路面電車に似ているな、と感じた方、正解である。この電車、実はドイツのエスリンゲンの路面電車の中古車なのである。

 さらに言うなら、この路線は路面電車の一部である。どこに併用軌道があったか、といえばボルツアーノの町中である。と、書くと????となってしまうだろう。

 実は、1966年までロープウェイはなく、ボルツアーノの町からここまで鉄道が延びていたのである。もちろん急勾配を登るのだから、通常の運行方法ではない。電車の後ろにラックレールを登る機関車を付けて、急勾配をよじ登っていた。また、ボルツアーノの町では道路上を走っていた。そのため、この鉄道を路面電車の仲間とすることもある。

 しかし、1960年代にラックレール区間で事故を起こし、これはまずい、ということで、ロープウェイを造って、併用軌道と急勾配を登る鉄道を廃止した。その結果、上部の軌道だけが残ったわけである。上の路線図で、オーバーボーゼンから左に1駅伸びているのが、その名残である。

_mg_4497
 ラックレールで山を登っていた頃は、こんな電車が使われたいたらしい。もちろん、今も保存車として現役で、たまに動くことがあるようだ。残念ながら、訪問時には車庫で寝ているだけであった。この鉄道について、詳しく知りたければ、このHPをご覧いただきたい。

 http://www.ritten.com/en/discover-renon/railway-renon/

 リットナー鉄道を訪れたのは、2009年の7月である。もちろん、前から一度、訪れてみたい鉄道であったが、この時期に訪れたのは理由があった。

 ひとつは、ロープウェイの更新である。確か、1年半運行を休止して、設備を新しくしている。もうひとつは、新しい電車の導入である。

Photo_6
 スイスのトローゲン鉄道からこの電車を2編成購入し、走らせることにしていた。これが動き始めると、主力車のエスリンゲンの車両が動かなくなる可能性がでてくる。エスリンゲンの車両が動いているのは、もはやここだけである。そこで、ロープウェイが再開業したのを待って、訪れたわけである。

 さて、もったいぶったが、沿線の写真をご覧に入れよう。

Photo_4
 たぶん、こちら側がドロミテ・アルプス。のこぎりの歯のように切り立った山容が、ここの特徴である。

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 このあたりは高原地帯なので、山はちょっと距離が離れている。

Photo_5
 この線路の上には、スイスかと思わせるこんなしゃれたカフェもある。こんな所に泊まったら気持ちが良いだろうな、と思うが、たぶん、機会は無いだろう。

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 距離が短いので、この時には全線の2/3くらい歩いている。これはもう、オーバーボーゼンに近いところ。

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 オーバーボーゼンの構内の保存電車の車庫。次は、ぜひ、この電車が動くときにきたいものだ。

 訪れたとき、リットナー鉄道は1時間毎の運転であったが、現在は中間に行き違い設備を設けて、昼間は30分間隔の運転となっている。また、車両も元トローゲン鉄道の車両が、色を塗り替えて走っているようだ。

 リットナーへは、インスブルックからブレンナー峠を越えてユーロシティが2時間おきに走っている。ボルツアーノの駅には荷物預かりは無いので、インスブルックに宿を取って、日帰りで往復すると良いだろう。今度は、5月頃で山に雪が残っている頃に来たいものだ。もちろん、木造車が走るときである。(駅長)

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2015年7月 6日 (月)

廃車回送

 1133がEL120に牽かれて、東名古屋港の電車終焉の地に向かうと聞いて、ちょっと様子を見てきました。

 人の事はいえないけれど、平日にもかかわらず、多くの同業者。唯一の撮影場所と思われるところには、すでに三脚、脚立が数段に並んでいて、入る余地無しです。ちょっと電柱が入るものの、横位置で撮れる道路上から狙うことにしました。

1030
 まあ、廃車回送の雰囲気がつかめるから、これで良いかも。

 そういえば、廃車回送を見るのは初めてです。どのようにして、名電築港の三角線に向かうのか、興味がありました。

1133
 東名古屋港のホームに着いた編成の反対に、軌陸車が付けられます。こんなので、電車が牽けるのかな?

1133_2
 と、思っていたら、2両ずつ、牽きだしていきました。これを見て、退散。

 1130形は3編成あるので、残りも随時廃車になるのでしょうか。7500系の電機品を流用しているので、これでパノラマカーの歴史がすべて終わる、ということになるのかな?(駅長)

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2015年7月 5日 (日)

北の寝台列車と東武特急

今春の改正以降は、北の寝台特急を東京近郊で一日に撮影出来るチャンスは多くても上・下各1本の2回だけとなってしまいました。ところが7月4日(土)は3本、しかもすべて宇都宮線内で撮影できる機会に恵まれるようで、その種明かしは、年に数回催される団臨「カシオペアクルーズ」の運転です(→「特急じゃないでしょ?」というツッコミはご勘弁下さい)。「撮影チャンスは残り○回」と指で数えられるほど寝台特急「北斗星」の終焉が近付いてきましたが、わざわざそれだけの為に遠征するのもシンドイと思っていたところに、そんなチャンスが到来。個人的にはEF510が寝台編成を牽くシーンを是非とも捉えておきたかったので、これを逃さない手はないと、例によって夜行日帰りの弾丸撮影プランを企てました。
今回は夜行高速バス~撮影移動にレンタカー~新幹線 という移動手段で、マイカーより多少出費がかさむ代わりにラクをさせていただきました。

Toyo 日本中央バス「シルクライナー」前橋行108便はさいたま新都心駅に早朝3:40頃到着します。あまりにも早く着きすぎて駅も開いていないし、外は暗いし、間が持てません。しかし心配ご無用。少し歩くと24時間営業の「Dニーズ」、「Mドナルド」が肩を並べて開いているので、外が明るくなるまで一服しながら時間調整できます。
さて自分の場合は5時過ぎに店を出て、6:30のレンタカー予約時間までのヒマつぶしにさいたま新都心駅の北に架かる歩道橋から次々とやって来る貨物列車を撮影しました。画像は5:25頃通過する「トヨタロングパス~」4054レ。見事な編成美の同列車をこの場所で撮れるのも今の時季ならではです(「地元でいつでもキレイに撮れるでしょ?」というツッコミはご遠慮ください)。

8008 先般当ブログで電車運転士様が載せられた通称「ワシクリ」に自分も足を運び、本日1本目の寝台列車「北斗星」8008レを狙うことにしました。前日までの目撃情報によると牽引機は銀釜ことカシオペア塗装510号機です。編成美が損なわれますがイレギュラー好きの自分にとってはラッキーなご褒美と受け止めました。

9011 2本目の寝台列車、団臨「カシオペアクルーズ」9011レは、どうやらEF81が牽引との声が撮影地で聞こえてきました。カシオペア専用機の銀釜・EF510の登板も予想されましたが、復路は日本海側を走行するためこのような充当になったのでしょうか、これも通常運行と比べてイレギュラーな組み合わせです。「カシクル」は、このように運行区間の関係からほぼ毎回が専用機以外の機関車が登板するので注目の的となります。
ここは晴れると時間的に逆光となるポイントですが、この日は曇/雨の予報なので太陽の位置なんて関係ありません。綺麗なグリーンカーペットをアングルに入れたかったので、躊躇なくこの位置を選びました。

2127 「カシクル」を待つ間、ちょうどカラシ扉のEF65-2127号機が配8592レで上って来るのでカメラを向けました。列車の性格上、編成はこんなもんです。関東圏内ではその気になれば何時でも追いかけることが出来るせいか、わざわざ曇りの日に貧弱な編成の同列車にカメラを向ける同業者は少なめでした。

8001f

8621f ワシクリから車で10分ほど走ると、東武鉄道日光線に辿り着けます。せっかくなので寝台列車撮影の合間にちょっと出向いて特急列車を中心にカメラを向けてきました。偶然にも半蔵門線の8000系トップナンバーや東急車にもお目にかかれました。そういえば相互乗り入れが行われていたのですね。

Tob11 実はこの列車もターゲットリストに含めていました。4月から運行開始した特別塗装「日光詣スペーシア」編成です。ゴールド塗装が表現できているでしょうか。「シャッター切り位置がイカン!」という意見はご勘弁下さい。

Tob03
Tob4 筑波山が望めたら関東鉄道への転戦を考えていましたが、とてもこの空模様では無理のよう。そこで、この日は300系(旧1800系)の臨時特急が運転されているのでもう少し東武特急を日光線で狙おうと予定変更です。どこか周囲が開けていそうな場所はないものかとカーナビで目星をつけて車を走らせた先が新古河ー栗橋間の渡良瀬川沿いを走る区間です。堤防から俯瞰気味に、そして遠くには雄大な利根川橋梁も望められ、アクセントになります。

Yunoしばらくして300系臨特「ゆのさと」が走って来るので、愛称名が分かるように踏切からカメラを向けました。幕式ではあるものの、列車名を正面に表示した俗に言う東武版「○称列車」です。デザイン上、こうしたカタチの表示装置を持つ車両が徐々に姿を消しつつありますが時代の流れでしょうか。
この300系についても、2年後には新型の特急車両500系が登場するので置き換えられるかもしれず、去就が気になります。

Tob2 夏を先取りシーンも1カットどうぞ。ところでこの付近に車の駐車スペースはほとんどなく(あるにはあるが、ひんしゅくを買いそうな場所なので・・・)、堤防沿いの道も幅員は狭く、都合よくいきません。注意のほどを。

Tob5 さらに北上して、静和付近で特急列車にしつこくカメラを向けて時間をつぶしました。タイミングよくJR車253系がやって来たので記念撮影。いや~、濃い色だこと(笑)。

Tob6 小雨が降り出し、バックの山並みもはっきりと姿を見せず露出も下がってきました。そろそろ本日3本目となる寝台列車「北斗星」下り8007レの時間が迫って来たので、15時過ぎに通過する会津方面からの6050系ブツ6編成による区間快速を撮って撤収し、宇都宮線まで戻り始めました。

8007 8007レは新白岡ー白岡の跨線橋から狙いました。朝の上り8008レ牽引機がその日の下り8007レに充当される可能性は低いので、今度は青塗装機関車の正調編成に期待したのですが、やってきたのはこれまた銀釜!509号でした。雨のせいで明るさもなく、辛うじて“撮った”程度です。
結局この日はイレギュラーな組み合わせばかりの編成となった3本の寝台列車。これはこれで貴重な記録ですが、願わくば再訪して「正調編成」も撮影したいのですが、これから暑い夏が訪れ、夏休みに入れば同業者でごった返すのが容易に想像できるので二の足を踏んでしまいます(「だーかーら、こんな事にならないように普段から撮影しておくことを心がけておきなさいって言っているでしょ?」というご意見はご遠慮ください)。

とりあえず、EF510の寝台列車牽引シーンと、初撮影の「カシオペア」もゲットできて最低限の目的は達成できました。(出札掛)

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JR東日本のカラフルな気動車たち(1991年夏 小海線)

3回に渡ってJR西日本のカラフル気動車を見て頂きましたが、カラフル気動車は西日本の専売特許ではありません。
今回はJR東日本の小海線の気動車をご覧頂きたいと思います。この夏は信越本線に583系をはじめ、様々な多客臨が運転され、さらに小海線には当時の最新鋭車キハ110が導入されることになった(=置換え間近)ため、同行者を募り4名で8月3日、4日で一泊二日の撮影旅行を計画しました。
3日を信越線、4日を小海線に充てることにしました。

Img136岩村田・中佐都 249D キハ58 466+キハ58 493+キハ58 651+キハ58 677
信越線を撮り終えて中込にとった宿に向かう途中、行きがけの駄賃で撮った1枚です。混色好きのご一行様はチョット拍子抜けのカンジでした。しかし、今ここはほぼ垂直に北陸新幹線が地上を走り、その上を小海線が渡る「佐久平駅」となり、風景が一変しています。
Img113羽黒下・青沼 224D キハ52 123+キハ52 117+キハ58 204+キハ52 54
明けて8月4日、最初の列車は思い通りの見事な混色編成!しかもキハ52 3両組込でラッキー。ということで、この列車を中心に動くことになりました。
Img118高岩・八千穂 123D キハ52 102+キハ52 101+キハ52 122
上記区間でもう1本撮ってから千曲川の段丘のここに移動しました。今度はキハ52 3両でした。
Img119高岩・八千穂 回9224レ DD16 301+キハ110 107+キハ110 108
今回の目的の一つがこの列車です。キハ110系初投入は、小淵沢・野辺山間の臨時列車ですが、乗務員訓練が間に合わなかったのか、毎日中込・小淵沢間DD16で送り迎えをしていました。
Img121_2高岩・八千穂 回9226D キハ58 466+キハ58 493+キハ58 651+キハ58 677+キハ58 643+キハ58 675
前日の249Dにさらにキハ58 2両を連結した小海線には稀な長大編成が来ました。列車があることは知っていましたが、一体何の臨時だったか失念しました。
Img124野辺山・信濃川上 回9224レ
この回送を追いかけ6回撮りました。夏場は総じてですが、野辺山、清里近辺は雲が低く立ち込めます。
Img137小淵沢・甲斐小泉 回9224レ
Img138小淵沢・甲斐小泉  8229D  キハ110 107+キハ110 108
DD16を切離しピッカピカのキハ110が軽やかに小淵沢の大カーブを登ってきました。甲斐駒は雲の中です。
Img142_2
小淵沢・甲斐小泉 231D
8229Dに続いて224Dが折り返して登ってきましたが、8基のエンジンを苦しそうに響かせて行きました。
Img146小淵沢・甲斐小泉 9421レ DD16 301+クハ169-27+モハ168-1+クモハ169-1
おなじみとなった「葉っピーきよさと」も運転されていました。キハ110を牽引してきたDD16が効率よく運用されていました。運転当初は4連で電源車としてスハフ12を連結、プッシュプルだった同列車も、専用編成となり、サハが抜かれてコンパクトな編成になりました。
Img157松原湖・小海 9250D  キロ80 801+キロ80 701+キロ82 801
小海線での最後の目的を果たすべく、北上します。途中、名古屋からのお客さんを撮影しました。
Img158羽黒下・青沼 130D  キハ58 1534+キハ58 1533
この列車で来ないと望みが絶たれる、と期待したもののやってきたのは急行色の1500番台非冷房車の2連。浅間山の頂上の雲も切れ、絶好の条件でしたが、気持ちはブルーに。
手持ちの運用表では、残るはあとキハ52単行運用のみ。万事休すか?
Img160羽黒下・青沼 132D  キハ52 137+キハ58 758+キハ52 122
待つこと約1時間、(v^ー゜)ヤッター!!。ついにこの日の最終目的、盛岡色のキハ58 758がやって来ました。惜しむらくは3両の中間に入ってしまい、お面が撮れなかったことですが、この際贅沢は言えません。
Img162馬流・高岩 139D
132Dの折返しを撮って今回の撮影旅行の〆としました。

いずれ3日に撮影した信越本線の様子もアップしたいと思いますが、ほぼ予定通りのものが撮影でき、大満足の2日間でした。(検査掛)

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2015年7月 4日 (土)

362.谷汲線“大”雪景色 1981/1/13

 先回の過去ネタでは大雪に見舞われた岐阜市内の様子をお伝えしましたが、113日が抜けています。岐阜市内でもあれだけの積雪があったので、山間部はかなりの積雪だろうということで、13日は雪景色期待で谷汲線を訪れていました。

1281113 

 さすがに雪の中では自転車というわけにはいかず、電車でのアプローチとなりました。早朝の忠節ではご覧のとおり、モ522が雪まみれになって出番を待っていました。
【1981.1.13 忠節】(電車運転士)

2281113 

 黒野まで来ましたが、やはり岐阜市内に比べて積雪はかなり多めです。スノウプラウを装着したモ755が始発前の雪かきの仕事を終えて、車庫で休憩中でした。雪まみれになった車体から苦闘の跡が偲ばれます。
【1981.1.13 黒野】(電車運転士)

3281113 

 谷汲から到着したモ752は黒野から折り返し本揖斐行になるようで、係員が系統板を差し替えに来ました。雪の付き具合から谷汲あたりは相当な積雪が予想されました。
【1981.1.13 黒野】(電車運転士)

4281113 

 終点の谷汲は予想を超える大雪でした。積雪は1mはあろうかという感じで、駅は完全に雪に埋もれていました。
【1981.1.13 谷汲】(電車運転士)

5281113 

 谷汲からは写真を撮りながら黒野方面に向かうことにしました。谷汲手前の杉林は完全にクリスマスツリー状態、電車は音もなく静かに通過して行きます。それにしてもこの大雪、予想をはるかに上回るものでした。このまま徒歩鉄を続けることになりますが、先が思いやられます。
【1981.1.13 結城~谷汲】(電車運転士)

6281113 

 見事な雪景色の中、ク2325を先頭にした2両編成が来ました。これだけの積雪なので、スノウプラウ付きのモ755が運用に入るのではないかと期待しましたが、この日は早朝の雪かき運用だけだったようで、残念ながらその姿を見ることはできませんでした。
【1981.1.13 結城~谷汲】(電車運転士)

7281113 

 結城までの林区間を抜けて長瀬の先の開けたところまで来ました。高さはあまりないですが、伐採された斜面が見えたので、登ってみました。510型と520型のペアが雪原を滑るように走り去って行きました。
【1981.1.13 長瀬~結城】(電車運転士)

8281113 

 長瀬ではこんな大雪の日でも乗客の姿がありました。普段は車での移動でしょうが、これだけの大雪では車の運転にも不安があるでしょうから、こういう日には電車は頼もしい存在だろうと思います。
【1981.1.13 長瀬】(電車運転士)

9281113 

 北野畑~赤石の根尾川沿いの区間にも行ってみましたが、相変わらず深々と雪が降り続いています。靴の中は雪でびしょ濡れ、気温も上がらず、寒さがが身にしみます。
【1981.1.13 北野畑~赤石】(電車運転士)

10281113 

 晩年の黒野~谷汲は750型の単行が行き来するのが基本となっていましたが、この頃はまだ揖斐線からの通し運用があり、谷汲線内で510型+520型の編成も普通に見られました。雪は止む気配はなく断続的に降り続いています。
【1981.1.13 北野畑~赤石】(電車運転士)

11281113 

 身体の芯まで冷え切ってしまいましたが、やっとの思いで北野畑までたどり着きました。駅係員の方が電車の合間に雪が降った日は弱点となるポイントの除雪を行っていました。こうした陰の努力のおかげで大雪の日でも電車はほぼ時間どおりの運行が保たれていました。
【1981.1.13 北野畑】(電車運転士)

12281113 

 この日の締めくくりは北野畑での交換と通票の授受風景になりました。夕方になって気温も急激に低下し、足先や手の指先がかじかんで半分感覚がなくなってきました。露出的にも厳しくなったため、このシーンを潮時として帰途につきました。帰りの電車の程よく効いた暖房が冷え切った身体を癒してくれたのが記憶に残っています。
【1981.1.13 北野畑】(電車運転士)

 

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JR西日本のカラフルな気動車たち(1992年初夏 播但線)

前回の富山地区編で次回究極のカラフルを紹介すると申し上げましたが、実際には前2回より前にその地を訪れています。
当ブログでは、駅長様がSLブーム華やかなりし頃のC57三重連を、また電車運転士様が貴重なD
D54の走っていた線として取り上げられた播但線ですが、1992年3月ダイヤ改正で、客車列車が全廃され、定期列車が全てDC化されました。これは前回の富山地区でも述べましたように、前年の1991年9月に七尾線和倉温泉電化により、大量の58系気動車が転用されることになった一環です。
当然七尾線から直接転属したものも多かったのですが、七尾区の車両は急行用に整備されていた車両も多かったことから、北陸各線にバラまかれ、玉突きで播但線に転属になった車両も多く、キハ58 16両、キハ28 15両がオールロングシートの5500番台に改造の上投入されたものの、経費をケチったのか塗装は転属前のまま、ということでとんでもない編成が登場したわけです。(以下 撮影日は全て1992年6月13日)

Img260福崎・甘地 626D  キハ28 5510(七尾 普通色)+キハ28 5509(敦賀色)+キハ58 5515(同)+キハ47 1014+キハ28 5501(七尾 急行色)+キハ58 5510(富山色)  ナント、6両で5色!しかし、相棒は後日再訪してこれに高岡色のキハ45が入った6色編成を撮ったそうです。
Img261_2福崎・甘地 632D  キハ45 73(高岡色)+キハ28 5502(七尾 急行色)+キハ58 5509(七尾 普通色)+キハ58 5504(七尾 急行色)
キハ45は当然ながら非冷房なので、暫定的な転属だったようです。
Img267溝口・福崎 645D  キハ47 25+キハ47 1064+キハ47 27+キハ47 1053
当時キハ47は非冷房だったので、4連でも基本は47同士で編成を組んでいました。
Img278新野・寺前 4D「はまかぜ4号」
この頃の特急と言えば181系。5両と短い編成ですが、国鉄特急色はよく映えます。
Img317福崎・甘地 611D 「但馬1号」 キハ58 1121+キハ28 2410+キハ58 1048
かつてはグリーン車を組み込んでいた急行ですが、モノクラス編成となっていました。この列車の相棒となる612Dは車内を回転リクライニング改造の7200番台が入っていました。
Img288甘地・鶴居 662D
朝の626Dの後ろ3両が相方を変えて姫路を目指します。

相棒のように6色編成も撮りたかったのですが、如何せん播但線は遠く(相棒曰く、中国道福崎ICからすぐだよ)、この年の訪問はこの一回で終わってしまいました。この後も西日本は各地でカラフル気動車を見せてくれており、機会があればまたご披露したいと思います。(検査掛) 


 


 


















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2015年7月 2日 (木)

【アーカイブス】やっぱり駅は変わっていた

 以前、お見せした富山地方鉄道の越中三郷駅。

Photo_5
 自販機がおいてあるだけで、あとは以前のまま、と書いたかと思うけれど、やっぱり甘かった。(^_^;)

 昭和52年に撮影した駅の写真が出てきました。いつも駅を撮っていない、といってぼやくけれど、さすがに当時でもレトロだったこの駅は撮っていた。我ながら、えらい!

201234580
 見ておわかりのように、だいぶ変わってますね。(^_^;)

 やっぱり駅舎はもっと前に撮っておかなければいけなかった。反省。まあ、40年近く経てば、変わらない方がおかしいかも。それにしては・・・・。

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 ま、駅舎だけでは面白くないので、同じ時に撮った富山地鉄の立山駅の写真を。

 右に写ってるのは、名古屋から運転されていた夜行の急行「むろどう」。国鉄からの乗り入れ車で百花繚乱の賑わいを見せていた富山地鉄も、いまはその面影がなくなってしまったのが寂しいところ。

 しかし、この写真を撮りながら、立山砂防は撮ってないんですよねぇ。本質的にナローは駄目なのかなぁ。(駅長)

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【アーカイブス】さよなら運転の年

 今年の梅雨は、比較的天気の良い日が多いように思うが、とはいえ、天気予報ではあまり良いことを言っていないので、なかなか出撃の機会がない。まあ、天気以上に、撮りたいものが無いのが大きな要因なのだが。キハ40も、もうひとつ触手が動かないし、ロクロクの27が復活したといっても、原型のロクロクなど、ストックがいっぱいあるので、そちらを見ていた方が楽しかったりする。

 そんなわけで、相変わらずの過去の写真のデータ化である。今、1995~6年まで来たので、ちょっと先が見えてきた。もっとも、このあたりに来ると、被写体自体の面白みが段々無くなってくるので、どんな写真が出てくるか、というワクワク感は減ってくる。

 この頃、機会は少ないけれど、バケペンでカラーを撮影している。フィルムはプロビアだったりするが、これがいかにも良い。等倍まで拡大しても、粒子が浮きあがってきてビクともしない。バケペンのレンズの良さに、改めて驚いてしまう。(但し、撮影時とスキャン時の平面性が確保されていれば、である。これがかなりの難物だ)解像度や粒状性を見ていると、デジのAPSサイズを凌駕している。色も良く、いまにして思えば、もう少しバケペンで撮っておけば良かったかな、と思う。

 閑話休題、1996年の写真のデータ化を行っていると、名鉄のさよなら運転の写真が多いことに気がついた。3月にHLの3730形、4月に800形、5月に瀬戸線HLの3780形の運転が行われている。この頃、HLが全滅したのかなぁ。AL車も、7300形が豊橋鉄道に譲渡されているし、動態保存的に使われていた3400形を除けば、かなり稼働が減っているのだろう。800形も単行で使えるという使いやすさから、残っていたと記憶する。もちろん、AL車としては瀬戸線の6650形があるし、本線には3300形がいたので、まだ少なからず吊りかけ駆動の車両はいるわけだが、車体更新を受けていない旧形の電車は1996年頃に急速に数を減らしたのだろうか。

 そんなわけで、1996年に撮影した名鉄のさよなら運転である。もう、これら車両が無くなって20年が経つわけだ。ところが、これらをいろいろ見ていると、何時、どうして撮ったのか分からない写真がある。その解明も含めて、ご覧に入れたい。

3730
 まずは、3月20日の本線HLのさよなら。この時は常滑線で運行されたのかな?

 800形の単行車が無くなるということで、団体の貸し切り運転も行われているようだ。これは3月10日の運転。

800
 これはどこの団体だろうか?友の会?

Photo

 4月7日のさよなら運転にあたっては、一部区間で日車の愛好会の看板が取り付けられている。これは、811を日車に譲渡し、現在、整備して工場に飾られていることに関連しているのだろう。

Photo_2
 最後の運行は、名鉄オリジナルの看板に戻ったようだ。それにしても、当時はさよなら運転でも800 1両で運行して、皆さんが乗れたんですね。今なら、どうなることやら・・・。

800_2
 ところで800形のさよなら運転では、こんな写真も手元に残っている。4月7日とはちょっと状況が異なるようだが・・・・おそらく、情報通さんからなんらかの情報を貰って、撮影に行ったのかもしれない。

Photo_3
 5月26日には、瀬戸線の3780形のさよなら運転が行われている。旭前と尾張旭の間のこの場所も、今では宅地化されて、まったく撮影ができなくなっている。

Photo_4
 ところで、この時には守山でこんな写真も撮影している。栄方面からの回送である。この後のカットには、矢田川を渡るシーンがあり、これも回送である。と、いうことは、一旦、栄まで回送で一往復運転しているのかな?何のため?

 さすがに20年前の詳細は覚えていない。できれば、こうしたときのメモも残しておけば良かったのだが・・・。まあ、それ以前に撮影の場所すら記していないポジのホルダーが多いので、もっとも肝心のことができていないわけだから、そんな芸当は不可能だっただろうね。(^_^;)(駅長)

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