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2015年1月

2015年1月30日 (金)

速報!EL120形入線

 一部鉄道雑誌に甲種回送の時間が載っていた次期名鉄の電気機関車が、本日、予定通り回送されましたので、ご報告します。

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 冷たい雨の降る中、笠寺に到着。DLかと思っていたら、ELの牽引。そっか、日車の製造ではなかったのね。

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 サイドからの写真を1枚。窓やサイド、そしてナンバーなど各所がマスキングされている。

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 平面交差のあたりも撮っているけれど、今回はEL120形の紹介が中心なので、東名古屋港から大江へのシーンをご紹介。トップ&テイルでここまで来ているが、ワフとDL1両を解放している。

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 普段見ることのできない屋根の上。

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 東名古屋港から大江への回送。近いうちに舞木あたりへ持っていって、整備を行うのかな?今日、大江に到着と言うことは・・・。しかし、平日でもなぜ、こんなにギャラリーが多いのだろう。(駅長)

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2015年1月28日 (水)

撮影日を教えてください

 今、1993年から95年頃をデータ化しているのですが、整理が悪くて、なにもメモを記していないポジが出てきました。そこに写っているのは、この写真。

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 はい、ゴハチ122の牽く旧客3両ですね。飯田線で使うための豊橋への客車の回送でしょう。この撮影日が分からない。

 もうひとつ、伺いたいのは、飯田線で使用した旧客は2両だったと思うのだけれど、なぜ、この列車は旧客3両なのでしょうか。

 ちなみに、この次のカットは大府で撮影しています。メンバーのどなたかと一緒だったよーな記憶も・・・。(駅長)

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326.冬の北信・中越地方めぐり 1号車 【信越山線】 2015/1/24

 3月14日の北陸新幹線の金沢延伸開業まで残り2か月を切り、カウントダウンも終盤戦を迎えました。在来線ではダイヤ改正前後の概要も出揃い、残された時間をどのように活用するか悩ましいところです。そんな中、北海道新幹線絡みの各種試験・検査の関係で「トワイライト・EXP」が大幅に時刻変更される日が数日あり、これまで撮れなかった区間でも撮影可能な日が出現しました。冬ならではの風景を撮るためには積雪地域へ出向く必要がありますが、気象情報を見ると北陸の日本海縦貫線の海沿い区間にはほとんど積雪がなく、撮るとすれば必然的に塚山峠越え区間となります。時刻変更となる札幌発24日の列車は25日の日曜日に塚山峠を通過しますので、25日はこれをメインに信越本線の海沿い区間と北越急行を掛け持ちし、24日は激変が予定されている信越山線を行程に入れるというスケジュールでメンバーの皆様にお声掛けさせていただいたところ、検査掛様には全行程、資材担当様と出札掛様には前半部分の24日にご参加いただけることになりました。相変わらずちょっとハードな内容になってしまいましたが、ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。

 

12_dsc670815124_2 24日の天気予報は中途半端な感じで、いいのか悪いのかよくわかりませんでしたが、とりあえず、1発目は妙高山バックの定番ポイントにしました。近くの駐車場での仮眠から目を覚ますと、天気はバリ晴れ、妙高山もバッチリ見えており、意気揚々と現地に向かいました。ただ、この辺りは名立たる豪雪地帯、ポイントまでの道路が除雪してあるかどうか不安がありましたが、案の定、除雪は集落のあるところまでで、その先は人力ラッセルを強いられ、スタートから1日分の体力を使い果たしてしまったという感じでした。341Mの通過時は線路にはまだ陽が当たっていませんでしたが、赤妙高を拝むことができました。
【2015.1.24 関山~二本木】(電車運転士)

22_dsc674015124_2 引き続き、妙高山は秀麗な姿を見せてくれていましたが、なぜか「妙高1号」通過直前になって頂上付近に怪しい雲が発生、通過時には何とかならないか祈るような気持ちでしたが、願いは叶わず、雲はそのまま居座り続けてしまいました。国鉄色ではなかったのは仕方がないとして、他の条件はほぼ完璧だっただけに残念な結果に終わってしまいました。
【2015.1.24 関山~二本木】(電車運転士)

32_dsc676115124 「妙高4号」は黒姫方面に移動しました。9:00頃から出現し始めた雲は回復の期待をよそにその後も増殖し、黒姫山はご覧のとおりの状況でした。ここは定番とはいえ、国鉄色でもないのに50人ほどの同業者が集まり、激パに近い状況になっていました。ダイヤ改正が近づくにつれ、沿線はますますのヒートアップが予想されます。
【2015.1.24 古間~黒姫】(電車運転士)

42_dsc676715124_2 347Mは何年か前にD51が走った時に行った古間の築堤に行ってみました。この辺りも雪深く、ポイントにたどり着くまでに予想以上に難儀したため、カメラをセットしている最中に列車が来てしまい、慌ててシャッターを押した関係で、何か中途半端な感じになってしまいました。
【2015.1.24 牟礼~古間】(電車運転士)

52_dsc677415124 黒姫~妙高高原付近は前の夜に降雪があったみたいで、木々に着雪が残っていました。「妙高3号」をここで撮るためにスタンバイしていたところ、時刻表にはない列車が現れました。出札掛様の話ではしなの鉄道移管に先立つ乗務員の訓練列車とのことでした。
【2015.1.24 黒姫~妙高高原】(電車運転士)

62_dsc680515124 午後になると妙高山は逆光、しかも雲がかかったままだったので、目先を変えて349Mは二本木の北のポイントに移動しました。妙高山の隣の火打山(?)はまだ何とかなる条件でした。思ったより雪の壁が高かった関係で、できるだけ線路端に寄ったため、ちょっと窮屈なアングルになってしまいました。
【2015.1.24 二本木~新井】(電車運転士)

72_dsc681915124 午後も遅い時間になって、陽もかなり傾いてきたので、線路の東側で雪原を行く列車を撮ろうということになりました。351Mは後ろに湘南色の115系がぶら下がっていました。雪原の雪がもう少し光ってくれるとよかったのですが、太陽の位置の関係もあって、これが精一杯でした。
【2015.1.24 関山~二本木】(電車運転士)

82_dsc683615124 351Mと二本木で交換する「妙高6号」は絶好の光線を浴びて勾配を登ってきました。手前の雪原に変化がなく、のっぺりとした感じになってしまったので、光線がよかっただけにもっと線路に近づいて列車主体に撮った方がよかったかもしれません。
【2015.1.24 関山~二本木】(電車運転士)

92_dsc685515124 「くびき野」はこのところ2運用とも国鉄色での運用が続いていたので、「くびき野2号」の国鉄色を期待して新井以北に足を運びました。もともと風景は期待できない区間なので、列車中心の構図としました。光線状態は厳しくなりつつありましたが、残照と雪に反射した光で何とか撮ることができました。
【2015.1.24 北新井~脇野田】(電車運転士)

102_dsc686915124 
 折り返しの「くびき野5号」はさらに条件が厳しくなり、撮れるかどうか微妙な感じでしたが、失敗覚悟で列車を待ちました。夕闇が迫る中、「くびき野5号は」1500番台の証である4灯のライトを輝かせて走り去って行きました。
【2015.1.24 北新井~脇野田】(電車運転士)

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2015年1月23日 (金)

定点撮影

家の用事もひと段落した日曜日の午後3時、気温は低いが見事な青空が広がっています。この時季になると、わが地元の尾北地方には雲が伊吹おろしにのっかって次々と流れてくることが多いので、このような晴れ間は大変貴重です。さて、いつも晴天になると悪い病気が再発するのは毎度のこと。カメラ片手にどこかへ行ってみたいです~。
ところが、こんな時間から出かけていては時間的に限られてしまうので、できるだけ近場で手軽に撮れるターゲットを探すべく某貨物関連の運用情報サイトを眺めていたら、EF66-0番台(あえて“ゼロロク”などと言う表現は使いません)が16時過ぎに上って来るのを見つけました。しかし、ただそれだけの為に出かけるのなら、もっと撮る価値のある被写体やテーマがあるはずだと疑問を持たれそうですが、実はEF66-0番台が2本立て続けに上って来ることが分かり、ついでに683系「しらさぎ」も近接した時間にゲット(→なぜターゲットになるのかは前出の拙筆記事を)できそうだったので、標的決定!日没前のギリギリの露出まで粘ってみようと自宅から車で20分強の木曽川駅付近のお立ち台に車を走らせました。

5070 1本目のEF66-0は5070レ。32号機が牽引して木曽川を16:08頃通過します。ところで、木曽川のお立ち台付近で午後の上り列車を体裁よく撮ろうとすると、どうしても線路端の防護柵が障害となるため、脚立を使用したり踏切の傍から構えることを余儀なくされ、ほぼ列車ドカンのアングルを強いられるのであまり芸がありません。そこで線路の先に目を向けると、斜陽を受けて輝く金華山岐阜城がはっきりと見えているので、これを望遠で引きつけて当撮影地のランドマークを強調しようと考えました。金華山が効果的にバックに写る位置に三脚を据えて、シャッターポイントもかなり遠目に置いてスタンバイしましたが、新しい架線支持柱が目立つのは仕方ありません。


次のターゲット、岐阜(タ)発2070レは15分後に続きます。待機していると、定期列車が来るはずない時間なのに踏切が鳴り出したので「何事だ?」と案じていたら、ゆっくりと下り列車が現れました。

213 おや、213系ではありませんか。おそらく豊橋区の車両による大垣区への交検回送列車【回8571F】でしょう。この列車は平、休日かかわらず設定されているので、たまにこうして出会えることがあり、ささやかなサプライズプレゼントです。213系もすっかり豊橋区の主となり、東海道を走る姿も貴重なものになってしまいました。

2070 そしてその数分後、30号機牽引の2070レ登場です。EF66の画像は、財源以外は2コマとも似たようなシーンになりますが、予期せぬ障害などが現れて残念な結果に終わらないように保険をかけたつもり、と割り切ればそれなりの収穫となるでしょう。


とりあえず目的は達成しましたが、夕日はまだまだ撮影地を照らしています。ここで撤収するのはもったいないので、2070レの約8分後に通過する「しらさぎ」を予定どおり撮影し、さらにその15分後に通過する「ひだ」まで粘ることにしました。
個人的には、アングルを固定してシャッターポイントも変えない同一パターンの撮影法は画像の変化を楽しむことが出来ず、あまり好みではないのですが、今回はターゲットが短時間に集中するため移動する余裕がなかったのでやむなく定点撮影となった次第です。ただ、刻一刻と陽が沈むにつれて夕日を受ける列車の表情や背景が徐々に変化していくさまを見ていると、定点撮影もまんざらではないかな、と感じます。

683 「しらさぎ」は北陸線内での雪による遅延が懸念されましたが、ほぼ定刻どおりにやって来ました。露出もかなり落ちて、デジカメの威力発揮となります。あと15分経てば「ひだ」が通過するはずですが、それまで夕日が姿を現しているのか気掛かりです。


じっと待っていたら、またまた列車が来るはずのない時間に踏切が鳴り出しました。ファインダーを覗いたら、遠く木曽川を渡って来る上り列車を確認しました。目を凝らすと、あら?またEF66-0が牽く貨物列車ではありませんか。これ、何?

4084 今度は36号機でした。こんな時間に貨物のスジは存在しないはずですが、とりあえず儲けものでした。サイトで当該列車の正体を確認したら、木曽川を11時間20分遅れで通過した4084レでした。
その後にやって来た「ひだ」では、ついに太陽は雲に隠れてしまいました。しかし夕暮れが迫る中でEF66-0の貨物列車が30分以内に3本も撮れたのは収穫でした。これで当分、貨物列車に関するツキは訪れないでしょうねぇ。


画角は35mm換算で450mm相当です。天候が良いときの超望遠撮影は、場面によっては陽炎の影響を受けてシャープさが損なわれ画像が歪むのが難点です(おまけにズームレンズだし)。いくらデジタル技術が発達したとはいえ、陽炎で曲げられた直線を真っ直ぐに修正することは至難の業、いや、不可能ですよね?幸いこの日はもともと気温も低めで夕方時だったので、陽炎を拾わずに済みました。
PS:定点と言いつつ、実は徐々に西へ(画面上では左手へ)立ち位置が移ってきていますが、わかりますか?(出札掛)

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2015年1月22日 (木)

鉄道写真を撮り始めた頃 -品鶴(高島)貨物線-

最近、ネコの「わが国鉄時代」や、先人のHPに触発されて、鉄道写真を撮り始めた1970年頃のスキャンをボチボチやりだしました。紙ベースでは粒子が粗く、見るに堪えないオリンパスペンの写真も、WEBだとなんとか生き返ることができます。(ちょっと無理があるかナ?)
私が鉄道を撮り始めた頃はちょうどSLブームがMAXに近づいていた頃で、自分も御多聞に漏れませんでした。しかし、家も裕福ではなく、知識もありませんから、そう遠くへは行けません。そこで対象となったのは、首都圏では比較的遅くまでSL(D51)による貨物列車が高頻度で運転されていた通称、品鶴(高島)貨物線でした。
品鶴貨物線は字のごとく、品川と新鶴見操車場経由鶴見を結ぶ1970年当時は貨物専用線(現在は横須賀線、湘南新宿ライナーの一部)で、D51の貨物列車は、新鶴見から鶴見をスルーして高島貨物線東高島まで運転されていました。都内の実家から撮影した鶴見川橋梁最寄駅の鶴見まで30分程で行ける距離でした。

Img992
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Img9801970年5月 新鶴見(操)・鶴見
この場所へは3度ほど訪れていますが、5月31日は記載がありますが、後の2日間はその前後ということしかわかりません。新鶴見(操)に向かう上り列車は鶴見から東海道線を乗り越す鉄橋まで上り勾配となり、長い貨物を引いて結構煙を吐いてくれました。
Img991_2

Img9901970年5月 新鶴見(操)・鶴見
一方、下り貨物は荷が多くてもほとんど絶気でした。
D51は何両いたか記憶に定かではありませんが、標準スタイルがほとんどで、クルクルパーをつけているかいないかくらいでした。
Img0021970年5月 新鶴見(操)・鶴見
下り列車を狙うポイントの一つ、やや橋を見下ろすこの場所は、たしかアパートの屋上で、当時大勢に同業者がここから撮影していましたが、所有者や住民からクレームはありませんでした。
列車の最後尾に見える鉄橋が東海道線の乗り越しです。ここは4複線区間で、東から、高島貨物線に直通する品鶴貨物線、東海道線、京浜東北線、東海道線からの新鶴見操車場への分岐線(こちらが本来の品鶴貨物線)の順に並んでいます。

ですから
Img989
Img994

Img990_2
Img981_2
Img997いずれも1970年5月 川崎・鶴見
様々な列車が走っていたはずなのですが、当然走っていたはずのEF65P+20系の特急やEF58牽引の客車急行等をほとんど撮っていません。まぁ撮った半分以上はどうしようもないコマですので、撮っていても見られるシロモノではなかったかもしれません。

お見苦しい写真ですが、今後ともボチボチアップしていきたいと思いますので、お付き合いください。(検査掛)



























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2015年1月20日 (火)

脱線はしないけれど・・・・

 先月、ご紹介したタイのメークロン線。

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 よくも脱線しない、と感心したけれど・・・。

 脱線よりも、もっと驚く写真がここに載っています。

http://dampflok.cocolog-nifty.com/

 確かに同じ場所ですけれどねぇ。

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 素早い対応というべきか・・・・・それでも運休しないのは、すぐに運休してしまうどこかの国の鉄道よりも偉い!と言うべきなのか??(駅長)

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2015年1月18日 (日)

新参者現る

最近、尾張一宮でJR-Wの681系がホームのない上り2番線で留置されている姿が毎日目撃されていますが、どうやら乗務員訓練を目的としているようです。これは、3月のダイヤ改正で「しらさぎ」が681系に置き換え(もしくは683系と共通運用か?)られることを示唆しているのでしょうか。
681系は、普段はJR東海エリアではお目にかかれないものの特に珍しい車両でもありませんが、今回は3両の付属編成のみでJR東海エリアに姿を現しており、特筆すべき点かと思います。もし改正後「しらさぎ」に充当されることになるのであれば、今からあわてて見物に出かける必要もないのですが、付属編成が単独で走行するシーンは地元では珍事であるので、18日(日)の朝、尾張一宮へ向かう回送シーンをカメラに収めたく木曽川に向かいました。

681 前日(土曜日)の目撃情報では尾張一宮に8時前に到着したようで、撮影当日も土休日ダイヤであることから同じスジで来るだろうとヤマをかけました。予想はほぼ当たりましたが、残念な事に、撮影の前後の時間帯は太陽が雲に遮られてしまいました。車体が白いのがせめてもの救いです。

68315分後、しらさぎ3Mの送り込み回送がやって来ました。今度は太陽もしっかりと周囲を照らしてくれたので、せっかくだからと記念撮影。5+3両で組まれるこの編成も見納めです。
現地でお会いしました資材担当様、早朝からお疲れ様でした。

そういえば683系のデビュー時、訓練用に名古屋口で習熟運転が行われていたときも、この期間ならではのシーンや編成を選んで撮影しました。

3113_9542 やはりこのときも、3両の付属編成を中心に試運転シーンを撮影しました。【2003.1.13 試9542M】

3118_95379539 熱田の電留線では習熟運転中の2本の683系が並ぶこともありました。ちょうど12年前の今頃です。【2003.1.18 試9537M、試9539M】

北陸新幹線の金沢延伸開業により681系は余剰となりますが、その波紋がわが地元まで広がって来るとは予想外でした。(出札掛)

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2015年1月17日 (土)

325.岐阜市内線の花電車 1980/10/4

 この土日は娘のセンター試験の本番。不測の事態への対応のため、先週に引き続き自宅待機命令が発せられており、身動きができない状態です。下手に逆らって今後の鉄活動に悪影響が出てもいけないので、大人しくしていることにしました。ということで、今回もちまちまと過去ネタをアップしたいと思います。

 以前に駅長様や出札掛様が花電車をアップされていましたが、岐阜市内線にも花電車が運行されていました。地の利を生かして自転車で1日追いかけた時の写真が出てきましたので、ご紹介いたします。

 

128014 神田町通りの俯瞰ができないものかと下見を兼ねて岐阜近鉄百貨店の屋上に昇ってみました。一番端っこの金網越しに何とか撮ることができました。4両の電車が同一画面に納まり、徹明町の交差点も人通りが多く、この頃は柳ヶ瀬界隈もまだまだ活気がありました。
【1980.10.4 徹明町】(電車運転士)

 

2280104_2 お目当ての花電車が長良北町方向から来ました。岐阜市内線の花電車は10月上旬に開催される「岐阜信長まつり」の期間中に運行されていました。岐阜市内線には花電車用の車両が用意されていなかったので、営業車に結構立派な装飾が施されていました。
【1980.10.4 金宝町】(電車運転士)

 

3280104_2 合間に撮った揖斐線直通急行です。ちょうど510・520型がスカーレット1色に塗られていた時期でした。徹明町交差点の急カーブを車体を軋ませながらゆっくりと通過して行きます。
【1980.10.4 徹明町】(電車運転士)

 

4280104_2 忠節方向からもう1両の花電車が来ました。長良線と忠節線用に1両ずつ運転されており、長良線用は新岐阜百貨店、忠節線用は名鉄グループがスポンサーとなっており、それぞれデザインも異なっていました。
【1980.10.4 徹明町】(電車運転士)

 

5280104 花電車は定期の営業列車として運転されていたので、一般の乗客も普段どおりに乗車して行きます。
【1980.10.4 新岐阜駅前】(電車運転士)

 

6280104_3 長良橋に向かうと鵜飼の屋形船が橋の袂に係留されていました。ちょうど550型が橋の上を通過して行きましたが、車に被らなくてよかったです。
【1980.10.4 長良橋~鵜飼屋】(電車運転士)

 

7280104 岐阜城バックのポイントにも足を運んでみましたが、相変わらず交通量が多く、どうしても車に邪魔されてしまいます。ここでスッキリとした写真を撮るのはハードルが高かったです。
【1980.10.4 本町~材木町】(電車運転士)

 

8280104_3 花電車は電球のイルミネーションが取り付けられていたようなので、バルブに挑戦してみようと、夕方になってから出直しをしました。再び岐阜近鉄百貨店の屋上から岐阜市内線を俯瞰しました。ちょうどいいタイミングで夕暮れの目抜き通りに花電車が来ました。イルミネーションの電球も点灯しているようです。
【1980.10.4 徹明町】(電車運転士)

 

9280104_2 すっかり日も暮れ、夜の繁華街の雰囲気になってきました。花電車の前にやって来る電車を適当に撮りました。徹明町の交差点はそれなりに明るさもあり、電車は必ずといっていいほど信号で停車するので、バルブは比較的やりやすかったです。
【1980.10.4 徹明町】(電車運転士)

 

10280104_2 花電車はイルミネーションのおかげで夜の方が華やかさがありました。当時は今のようなLEDの立派なものがあるわけではなく、申し訳程度に明りが灯っていましたが、それでも雰囲気を盛り上げるのは十分貢献していたように思います。
【1980.10.4 徹明町】(電車運転士)

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2015年1月14日 (水)

続×2 東京オマケ鉄

 さて、11日の会合が終わった翌日、どこに行こうかいろいろ考える中で、真岡鐵道ではこの時期に蒸機の運転を行っていることから、そこを候補とした。そこで東京の蒸機に詳しい友人に撮影場所を聞くうちに、一緒に撮影に行こう、ということになった。

 効率を考えレンタカーで撮影に行くこととして、便利さともうひとつの理由から、宿泊地を宇都宮にする。地図を見ると分かるが、真岡は宇都宮のすぐ東で、クルマで行くなら小山よりも近いのである。もうひとつの理由とは、11月末に宇都宮に行ったときに、宇都宮餃子で一番おいしいという「みんみん」で餃子を食べられなかったこと。撮影ではないが、そのリベンジもしたい。

 そういえば、11月に宇都宮に来たときには、矢板まで北斗星を撮りに行った。今回は、と時刻表を見ると、12日は北斗星とカシオペアが2本走るようだ。しかも、カシオペアは検査のため、長期間運休をしていて、運転再開の最初の上り列車でもある。これはグッドタイミングである。撮りに行かなければならない。ただ、矢板の通過は推定で7時25分頃。これは前回撮った場所では厳しい。そこで、東側が開けている一駅手前の蒲須坂に行くことにした。

 蒲須坂は、荒川の土手から北側が開けていて、陽が低いこの時期でも撮影ができる。という。宇都宮を夜明け前の列車で行って、撮影地の荒川土手に行くと、もはや三脚が林立している。少なくとも50人は居るのではないか。もはや三脚を立てる場所はほとんどない。列車では東京から間に合わないので、ほとんどがクルマ鉄であろう。人のことは言えないが、早朝からご苦労さまなことである。

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 それでもなんとか場所を探して三脚を置いて、カシオペアを撮影する。北の方は雪が降っているのか、台車にこびりついた雪が、厳しかった夜間走行の様子を伺わせる。まだ陽が低いため、色はちょっと赤みがかるが、まずまずの写真が撮れた。しかし北斗星は、空は快晴ながら、太陽が地平線の雲に隠れてしまい、出来はもうひとつ。

 宇都宮に戻り、東京から来た友人と合流して、レンタカーで真岡に向かう。途中の清原工業団地までは計画中のLRTの予定線を走ったので、現地の視察も兼ねることができた。

 真岡鐵道のファーストショットとして、久下田の発車を跨線橋の上から俯瞰する。

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 このあと、西田井の発車、市塙の発車を撮影して、クルマを走らせると、天矢場の手前で蒸機に追いついた。そこで、天矢場の踏切で撮影。この手前ぐらいがサミットになっているはずのなので、ちょっと下りこんでいると思うが、白煙をはいてきてくれたので助かった。

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 案内してくれた友人によると、真岡鐵道で追っかけて撮影できるのは3回までで、4回は初めてという。ビギナーズラックと言うべきか。ついでに茂木の町まで行って、転車台で機関車の向きを変えるところを撮影する。

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 茂木の駅の2階ベランダからは、転車台で向きを変える機関車が撮影できる。上から機関車を撮れるところは貴重ではないだろうか。

 さて、帰りの列車は、天矢場の手前にある真岡鐵道随一の撮影地へ。

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 行ってみて初めて分かったが、真岡鐵道の沿線はまったくと言って良いほど平坦で、山の中の雰囲気で撮れるのはこの茂木の手前くらいしかない。茂木を発車して勾配をのぼり、ちょっとカーブのあるこのあたりは、真岡鐵道の中でもっとも煙を吐く撮影地である。しかし、撮影ポイントは個人の所有地であり、撮影料として500円払って、と看板が掲げられている。この日も、蒸機運行前に代金を回収に来た。捉え方はいろいろあるだろうが、場所も整地して撮りやすくなっているので、個人的にはお金の支払いもやむをえないのではないか、と思う。かつて布原では、撮影地の有料化に機関士が抗議してドレンをはいて撮影の邪魔をしたが、ここでは真岡鐵道とうまく話ができているのか、煙を吐いてサービスをしてくれるのも良い。

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 この日、最後の撮影を、この時期限定の正面ギラリが撮れるという寺内北の直線で撮影する。C11はカマの調子が良いようで、この日は黒煙がなく、白煙ばかりである。友人によると、同じ石炭でも、C12は黒煙がでるらしい。次回は、C12の時に来るように薦められる。この後、下館からの回送をシルエットで撮りに行ったが、まだ、陽が高くて絵にはならなかった。

 宇都宮でクルマを返し、駅東の「みんみん」で餃子とビールを頼む。ビール3本飲んで、餃子を二人で7皿食べて3000円。安い!しかし、宇都宮の人は、ご飯も食べずに、ひたすら餃子を食べるんですなぁ。よく飽きないものだ。

 この日も、宇都宮に宿泊。翌13日は北斗星1本だけで効率が悪いが、天気も良さそうなので、再度、蒲須坂でリベンジすることにした。

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 この日は、前日よりは少し線路脇で、望遠とすこしワイド気味の2台で構える。同業者は前日とうって変わってわずか一人だけ。場所も選び放題である。天候にも恵まれ、最高の条件で北斗星が通過した。

 EF510の北斗星は、3月までという話もある。とりあえず合格点の写真が撮れたので、まずは一安心である。(駅長)

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2015年1月13日 (火)

続・東京オマケ鉄

 この3連休、会員である団体の総会があることから、東京に行くことになった。ただ、それだけではもったいないので、あわせて1カ所、仕事の関係で寄りたいところがあったので、そこを訪問することにした。

 しかし、総会は11日、訪問先は平日しか開いていないので、13日にいくしかない。あと、どこかないか、と考えを巡らしている中で、昨年、伊香保温泉に保存された元東武伊香保線の27があることに気がついた。この車両の保存には、ちょっとだけだが関係しており、機会を見つけて見に行こうと思っていたのである。

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 これがその伊香保線の27。渋川のお医者さんの待合室として保管されていたという。保存にあたっては台車がなく、どこかに単台車のブリルの21Eがないか、だいぶ探されていたらしい。結果的に、台車は豊橋のある方が保管されていたものの寄贈を受け、修復・展示にこぎつけることができた。その過程で、ほんのちょっとだけであるが、小生が協力をしている。そうした経緯があったので、復元された姿を見に行きたかったのである。

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 この車両は、伊香保温泉の中にある小公園に保存・展示されている。手前の線路は、昔の線路敷きを再現しているそうだ。

 この伊香保線、急勾配が続く路線で、こう配の途中にスイッチバックがあり、下りはポールを下ろして手ブレーキだけで運行していったことで知られる。平均こう配が実に41‰、最大こう配が57‰というすさまじい路線であった。

 伊香保温泉には、今回初めて行ったが、渋川からバスが延々とこう配を登っていくのには驚いた。わずか10kmほどの距離なのに、標高差が500m以上もあるという。現在の道路も連続こう配である。バスに乗っていても凄いと感じるくらいだから、伊香保線の車窓は、まさに高原列車の雰囲気で、実に素晴らしかったであろう。電車時代に乗りたかった、と思わずにはいられない。草軽にしても、この伊香保線にしても、この近辺にずいぶん良い景色の路線があったことを改めて認識した。

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 たまたま、伊香保に着いた日に撮影したら、夕暮れのブルーモーメントの時間で、実に良い雰囲気の写真が撮れた。手前がホームで、奥の車庫に電車が停まっているようにも見える。狙っていたわけではないけれど、こういうこともあるんだなぁ。

 さて、伊香保温泉に泊まって、動かない電車を見ているだけでは、ちょっと欲求不満になる。そこで、上越線で何か走っていないか、と調べると、ちょうどタイミング良くC61が旧客を牽いて走るという。折角なので、それを撮ることにした。

C611
 水上行きは、前に撮影した岩本の直線で狙う。ここは、駅からすぐ近くなので、電車で鉄をするにはベストである。

 今回、C61を撮影するにあたり、危惧していたことがあった。それは、看板の有無である。ネットなどで上越の写真を見ると、機関車の前に看板(あえてヘッドマークとは言わない)をつけたものが多い。今回はレトロ客車なので、ひょっとしたら、という淡い期待を持っていた。せめて、レトロ客車の看板くらいで、間違っても干支とか初詣の看板だけは願い下げ、と思っていた。しかし、直線の先から現れたC61を見て、心底落胆することになる。

 よほど、ここで帰ろうか、と思ったが、まだ昼前であるし、食事を食べがてら水上まで行くことにした。水上に着くと、雪が積もっている。これで看板がなければ、完璧なのだが・・・・。

 そんな状況ではあるけれど、レトロ客車+C61+雪と3点セットが揃ったためか、同業者が異常に多い。水上の発車を狙える線路脇のスペースは三脚が林立していて、入り込む余地が全くない。それでも、なんとか場所を確保して、撮影することにした。

 実は、過去に水上の発車を2度、撮影しているが、2度とも失敗している。それは、蒸機の発車時に北から風が吹き、機関車を隠してしまうからである。さて、今回は・・・・・やはり駄目。煙はなんとか前に巻かずにすんだが、ドレンと蒸機がまとわりついて、結局、機関車を隠してしまった。どうも、ここは鬼門である。

 C612_3
 どうせなら、看板を隠してくれれば良いのに・・・。

 翌日は、昼までに東京に行かなければならないので、撮影できる場所は八木原と渋川の間の定番ポイントしかない。広そうな場所なので、横から撮って看板を隠すことができるかもしれない・・・と淡い期待を持っていったが、横位置には大きな煙突ばバックに入ってあまり好ましくない。で、結局は定番の構図である。

C614

 まあ、結果的には煙が流れたので、サイドから撮っていたら、撃沈だったかもしれない。

 ちなみに、上越線に通っている友人に聞いたところ、試運転を含めてほとんどの蒸機列車に看板が付くという。これは乗客から、いつ乗ったかわからないので看板をつけて欲しい、との要望が寄せられているためらしい。まあ、撮り鉄は地元はともかく、少なくともJRにはあまり金を落とさないので、あまり大きなことは言えないが、たまには看板なしという日を設定してくれても良いのかな、とも思ったりもする。電車運転士さんらと2年前に行った時は、そのごくごく限られた機会だったのに、C61の途中停止でそのチャンスを生かせなかったのがなんとも残念である。

http://b1hanabusa.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/index.html 

 しかし、何時行っても看板が付くなら、あまり上越(信越も)の蒸機を撮りに行きたいと言う気がなくなってしまう。仮に行ったとしても、サイドから撮る場所を探さなければいけない。

Photo_7 

 最後に八木原の駅前で見た側溝のフタ。これは碓氷峠のラックレールの転用かと思うけれど、どうなのだろう。(駅長)

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2015年1月12日 (月)

324.DD16の貨物列車 【初秋の明知線】 1980/9/23

  この3連休は風邪で体調が優れなかったのと娘が来週センター試験を受験することもあって外出禁止令が発せられ、3日間とも家に軟禁状態、半ばヤケクソ状態で昔のポジの整理とスキャンに明け暮れた3日間でした。ということで、今回は地元の過去ネタをアップしたいと思います。この年の6月、初めて明知線のDD16貨物を撮りに行きましたが、その後もチャンスを窺っていながら実行に移せないでいました。たまたま、秋分の日に岩村の祖父の家に親戚が集まる機会があり、事情を話したら車を出してあげるという願ってもない展開となり、早速、行動に移しました。

1280923_2 まずは定番の阿木~飯羽間の陸橋で列車を待ちました。この当時でも線路脇の木が成長して奥の方を見とおすことは厳しくなっていました。休日だったので、運休かもしれないという一抹の不安はありましたが、予定どおり姿を見せてくれました。
【1980.9.23 阿木~飯羽間】(電車運転士)

2280923 車を出してもらったおかげで同じ列車を追っ掛けることができました。モノクロなので色彩がわかりませんが、黄色く色付いた田んぼ・赤い機関車・背景の森の緑・抜けるような青空と見事な色彩のコントラストでした。今から思えばネガでもよかったのでカラーで撮っておくべきシーンでした。
【1980.9.23 山岡~明知】(電車運転士)

3280923 折り返しまでには時間があったので、明知でスナップを楽しみました。ローカル線の終着駅らしいたたずまいで好ましい雰囲気です。適当な位置に建っている腕木信号機が絶好のアクセントとなりました。DD16はすでに入換を終わり、貨物列車の出発線でしばしの休憩です。
【1980.9.23 明知】(電車運転士)

4280923 機関車に近寄っての撮影も可能だったので、DD16をじっくりと観察することができました。貨物側線にワムが停まっているので、貨物列車が現役ということがわかります。編成を見ると機関車の後ろにはワフ1両のみ、ちょっと物足りないですが、帰りの列車はこの編成になります。
【1980.9.23 明知】(電車運転士)

5280923 帰りの列車はタブレットの授受を撮りたくて岩村の構内の外れにポジションを決めました。停車してホームでの授受かと思ったら最徐行での通過中に写真のような格好での授受となりました。助士がデッキまで出てきて助役とタブレットの受け渡しを行っています。明知と同様、岩村もなかなかの雰囲気で、結構お気に入りの1枚となりました。
【1980.9.23 岩村】(電車運転士)

 今回は多少の無理をお願いして車を出してもらった関係で、DD16の追っ掛けだけでキハの列車は撮っていませんが、初秋の穏やかな雰囲気の中、DD16を撮ることができたので、満足な1日となりました。

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キハ486812を ごひいきに

いよいよ高山・太多線のローカル用気動車大幅置き換えが目前に迫って来ました。その関連で、美濃太田区の注目の的である国鉄風塗装(→ツートン)車のうちキハ48の3812がキハ25の一部投入と同時に伊勢区へ転属となり、噂によると、相棒の6812もその後を追うようにやがて美濃太田区を去ることになるとか?
ツートンユニットを形成する相手を失った今、6812は基本的に混色編成が常となるので写欲も半減。もっとも、今日に至るまでツートン塗装のキハ48は混色で組まれることが大半だったので今さらカメラを向けるまでもありませんが、それでもいざ姿を消すとなるとやはり気になるのが本心です。

雪が降る今の季節は、東海色よりツートン塗装のほうが風景に映えるのは明らかなことですが、ツートン車が雪景色の中を走行するシーンにはあまり巡り合えず、はたして今年はチャンスが訪れるだろうかと天気予報とにらめっこ。
    「そんなの簡単!北部まで行けばいいだけのこと」
そう言われても、ノーマルタイヤしか装着していない我がマイカー。過去に起こした苦い経験がトラウマとなり、危険な道路状況下での行動はもう懲り懲りです。というわけで自宅からのアプローチに容易な岐阜~美濃太田周辺での雪景色を待ち続けている次第でありまして、北部の“絶景”には敵いませんが、仕方ありません。

11 新年を迎えた平成27年元日は、昼頃から岐阜市周辺で雪が降る予報が発表されました。当日の6812は、その時間帯にちょうど美濃太田→岐阜、折り返し高山方面へ下る運用に就く予定です。おっ、もしや雪景色の中を走るツートン車を撮れるのでは?ダメでも、前夜(大晦日)から降り続いた雪が残っていれば金華山をバックにしてみよう、と試行錯誤で高山線長森付近へ向かいました。残念なことに長森周辺は前夜の雪がそれほど積もらず中途半端な状態。せめて列車の通過時に天気予報どおりに雪が降ってくれれば少しは絵になるのでしょうが、さて、そんなウマい具合に雪が降るのか、降ったとしても貧弱な“小雪”ではインパクトが弱い、などと案じていました。結果、ご覧の通りの天候となりまして、どうにか目的を達成できました。画像は飛騨古川行き4719Dです。通過10分ほど前から雪が舞い始め、5分経ったらこの様な天候に。
ところで、この列車が岐阜へ向かうときの3724Dの画像につきましては、探索しないで下さい。

1227 もはや混色編成では味気ないですが、長編成の先頭を6812が担うシーンなら少しはツートン車の勇姿を引き立たせられるのでは、と考えました。4両編成になる1706D~711D(土休日4706D~3711D)の富山方2両に混色編成が充当されるときがチャンスです。暮れも押し迫った12月27日は空気が澄んで、こんな日は成田山から望遠で名鉄にんじんカーブ付近を引き付けると奥揖斐地方の雪山が背景に写り、今の時季限定の風景が得られます。過去にも当ブログで載せたことがあるアングルですが、列車は小さめに写るものの、4両編成ならば存在感を表すことができそうです。列車は3711D。

1102 今度は年が明けて1月11日、にんじんカーブ付近の踏切から3711Dを狙いました。見てのとおり、順光側から撮ると柱が障害となるので、これをかわそうとすると正面ドカン気味のアングルになってしまい、しかも同業者様数名がすでに陣取られていたので、あえて北側にポジションを取りました。先頭を務める6812は、線路端に建つ家屋の白い壁の反射を側面に受けて不自然に光っています(笑)。ま、たまにはこんなシーンも。

1101 朝の古井駅で新旧の離合シーンを狙いました。被写体は、最後部に6812が連結された上り4706Dと、12月1日からキハ25に置き換わった下り4711C。通学客を裁くためなのか、共に3分間ほど停車時間が設けられているのでカット数を稼ぐことが出来ます。この日は日曜日で休校日でしたが、それでもクラブ活動や受験生には休日なんて関係ない?ためか、ちらほらと学生の姿を見受けられました。画像はそのシーンの一部です。下り列車が到着してから2名の学生が跨線橋を渡り始めて、その列車に乗り込みました。登校日ならば、もっと多くの通学客で賑わうのでしょう。そんなシーンも撮ってみたいです。

美濃太田区に所属するもう1両のツートン車キハ406309を含む一部のキハ40系はもうしばらくの間存続されるのに対して、キハ11は全車置き換えとなるようです。よって、ひいきするつもりはありませんがどうしても高山線系のツートン車に注目してしまうので、そろそろ太多線にも目を向けようかと思うこのごろです。(出札掛)

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2015年1月 8日 (木)

【アーカイブス】この電車は広島駅に行きません

 広島電鉄の570形は元神戸市電の500形で、神戸時代に大規模に改造されているが、製造されたのは大正末期から昭和初期という歴史をもつ由緒ある車両である。現在は582が1両残るだけであるが、かつては17両が活躍し、大型の車体を活かしてラッシュ時に輸送力を発揮した。

 1989
 この電車は、現在も残る582。但し、撮影は20年以上前である。もっとも現在も大きく変わってはいないはずだ。己斐(こい)行きとなっているが、もちろんこの電車は広島駅へも運行される。

 しかし、この電車は広島駅行きになっているが、広島駅には行かない。

578
 よく見ると、集電装置がポールになっている。そのために、営業線では運転ができないのだろうか?いや、違う。線路がつながっていないのである。

 でも、線路上を動けることは確かなようだ。

5784
 これは広島とちゃうのではないか?そう思われた方、、正解である。

 実はこれはアメリカのサンフランシスコ。そこで、この電車が動いている(正確には動いていた)のである。

 サンフランシスコといえば、鉄ちゃん的に思い出すのは、急勾配を上下するケーブルカーであろう。しかし、長年の酷使がたたり、1980年代前半に2年ほど運休して設備の更新が行われた。しかし、名物であるケーブルカーが運転していないと、観光の町としてはマイナスイメージである。そこで、メインストリートのマーケットストリートに路面電車用の軌道(地下にLRT路線が建設されたが、その補修時に使用する目的で残されていた)が残っていたのを使って、古い路面電車を走らせて観光名物にすることが目論まれた。こうして1983年から始められたのがトロリーフェスティバルである。

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 広島電鉄の570形も、このフェスティバルに使用するため、乞われてサンフランシスコに譲渡された。1985年のことである。たまたま、1986年秋に米国に行くことになり、さっそくサンフランシスコに向かい、マーケットストリートを走る姿をキャッチした。

 なお、このマーケットストリートは、トロリーバスが複々線で運行されている。電車の後ろに写っているが、トロリーバス同士の追い抜きも若干萌えるものがある。(一応、トロリーバスもトラックレス・トロリーといって電車の仲間です)

 トロリーフェスティバルはサンフランシスコの名物として人気となったため、市は恒久的な運行を目的に、マーケットストリートの軌道を更新することとした。こうしてトロリーフェスティバルは1987年から中止となり、578の運行もなくなってしまう。しかし、この車両は海外で日本の姿のままに動く車両であり、もう一度、動くところを見たい。乗ってみたい、と多くの路面電車ファンが思っていた。それなら、チャーターして動かしてしまおう。というわけで、1990年に仲間と訪米して578を動かすことにした。

Photo
 この時は、バルボアパークにある車庫を起点に、サンフランシスコ南部の路線を巡ってもらった。観光の町、サンフランシスコと言っても、このあたりはもうひとつ印象の良くない場所である。チャーター電車だけに、途中で何度も停めて撮影している。蒸機の撮影でいうところのラン・バイである。

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 右に写っているのは、米国路面電車再生の引き金となった飛行機会社のボーイング社が造ったLRV。日本の東急車輌も製造に協力している。ただし、調子はもう一つで、現在は全て引退してしまっている。

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 天気が悪そうに見えるが、これはサンフランシスコ名物の霧である。周囲は晴れていても、肝心の所で霧に覆われると、暗くなって写真写りも悪くなってしまう。

 しかし、このチャーター運行以降、578が動いた、という話は聞こえてこない。どうなってしまったのだろう。 

 サンフランシスコのマーケット通りの改修は1995年に完成し、現在はFラインという系統名も与えられ、路面電車近代化の功績者であるPCC車両や各国から集められた古典車両が、運行された都市の色に塗られて運行している。

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 しかし、この578はその中の稼働車両に入っていない。サンフランシスコにはもう1両、阪堺電軌からも151が譲渡されているが、こちらも動いたという話を聞いていない。その後の情報もない。

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 おそらく予算上やその他の問題で運行できないのだろうけれど、こうした電車がサンフランシスコの町中を走る様子をもう一度見てみたいと思う。(駅長)

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2015年1月 5日 (月)

【続】近鉄の初詣列車2015・・・開運号は運を開く・・・かな?

 先の記事で、今から40年以上前の近鉄初詣列車を紹介した。その続きで、今年、2015年の近鉄の初詣列車である。しかし、出札掛さんのコメントにあるように、近鉄の初詣列車も一頃に比べれば華やかさがなくなり、撮影意欲が沸くような対象はほとんどない。

 そうした中、唯一、撮ってみたい、と思わせるのが、南大阪線の開運号である。なかでもラビットカーゆかりのオレンジに塗装された車両は、昔ながらの開運号の大きな看板を掲げて運転されているようで、これは運行開始以来、是非とも撮影したいと思っていた。

 この開運号の運転、ラビットカーの運用も含めて以前は近鉄からリリースが出されていたが、今年はいくら見ても出されている気配がない。塗装変更から何年も経ったためだろうか。おそらくラビットカー塗装車が開運号に充当されることは間違いないと思われるが、万一、スカになると面白くない。そこで、元旦の運行状況をネットで確かめてから出撃することにした。

 天候と自分の予定とをにらんで、出撃は3日とする。南大阪線だけでは勿体ないので、低床車の堺トラムが運行開始後、住吉大社の初詣輸送を見ていない阪堺電軌を訪れることにした。便利なもので、現在、近鉄の特急券はネットで購入できる。もちろん、金券ショップで買うような割引はないが、南大阪線経由なら割引の乗車券は使えないので問題は無い。元旦の運行状況をネットで確認し、特急券をネットで手配して、今年初の鉄ちゃんに出撃である。わざわざ事前に特急券を買いに駅まで行く必要はなく、全部自宅でできてしまう。便利な時代になったものだ。

 ラビットカー塗装の開運号をどこで狙うか迷ったが、ネットのガイドを参考にして、橿原神宮の手前で狙うことにした。結果論であるけれど、これはミスであった。参考写真として見る場所を間違えたのである。

Photo
 今年最初のカットがこの開運号。駅長の写真にしては珍しく、周辺に余裕のないカツカツのアングルになってしまったが、これは余計なものをカットしたため。少し映り込んでいるが、電車の後ろには道路があり、踏切で停まったクルマが入ってしまうし、場所によっては踏切も映り込んでしまう。架線柱の影も煩いし、正面も満足に光が当たっていない。ガイドでは踏切から写すことを推奨しているが、そこからでは木の影が車両にかかってしまう。

 では、南大阪線でどこが撮影に良いかと言えば、車上から見た範囲では橿原神宮西口と坊城の間、そして二上神社口の前後である。と、ここまで書いて、このブログでも南大阪線の開運号を撮影した記事があったことを思いだした。そう、昨年お正月に泊まりで撮影に行かれた出札掛さんの記事である。この記事には、ちゃんと橿原神宮の写真も二上神社口の写真も載っている。記事があったのを失念していたのは、まさに歳のせいだろう。お恥ずかしい次第である(^_^;)。出札掛さん、ごめんなさい。

 事前に、この記事で確認しておけば、撮影地の選択を誤らなくてもすんだのに・・・・やはり頼りになるのは、誰が書いたか分からないHPよりも、このブログの記事である事を確認することになった。

 
 

http://b1hanabusa.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/index.html

 さて、住吉大社輸送の様子は、2日に出撃された電車運転士さんから報告されているので、こちらでは開運号の撮影(+橿原神宮のお参り)でどのように運が開けたか、をご紹介したい。

 御利益 その1

Photo_3
 最初の写真の戻りの開運号。晴れると側面が陰ってしまうが、運良く曇ってくれた。

 御利益 その2

Photo_4

 開運号に続き、駅の手前で撮った南大阪線の16000系特急。実にタイミングの良い場所で並んでくれた。

 御利益 その3

Photo_5
 阿部野橋について、あべのハルカスをバックに撮影しようと思ったら、ちょうど堺トラムと2両しか動いていない161形が続行でやってきた。

 御利益 その4

 Photo_6
 住吉鳥居前に着いて、住吉交差点を走る電車と停車中の電車をからめて撮ろうと思っていたら、カメラを構えているすぐ前で、晴れ着姿のカップルが電車をバックに記念撮影を始めた。

 御利益 その5

Photo_7
 今回の一番の狙いは、朝だけの運行になった住吉公園へやってくる低床車の堺トラム。その続行で、2両しか動いていない161形の1両、164(マッサン電車)がやってきて、住吉公園のホームで並んだ。この2両の年の差は80年近くある。

 御利益 その6

Photo_9
 住吉公園で並んだ堺トラムとマッサン電車が、今度は住吉鳥居前で続行でやってきた。

 と、ここまで書けば参拝の御利益があって良いことづくめに見られるが、実際にはちょっと違っている。御利益1の開運号は編成の一部が切れているし、御利益2の特急のすれ違いでは、カメラを逆方向に振って撮ったため、ピントがほんの少し、後ピンである。御利益3のあべのハルカスバックのカットでは、太陽が建物に反射して、一部が飛んでしまっている。ハルカスを入れて撮るなら、電車運転士さんが昨年撮影した松虫の方が良さそうだ。御利益6の堺トラムとマッサン電車の続行では、実はこの反対側にもう1両の161形162が迫っていて、目の前で並んでしまい撮れなかった。場所の選択を間違えなければ、堺トラムと161形2両という素晴らしい写真が撮れたのだが・・・・もっとも同業者がたくさんいたので、場所が良くてもうまく撮れたかどうかの保障はない。

 もうひとつ、おまけがある。住吉大社から難波へは南海本線で戻ったが、帰りのアーバンまでは時間があったので、途中でラピートでも撮ろうかと思ったものの、面倒になってやめてしまった。難波について、撮影できたラピートを見ると、なんとピーチカラーの特別塗装車であった。

 要するに、多少はツキがあるにしても、その条件をフルに活かして撮影ができていないのである。(>_<) 腕の問題?あるいは半ツキ? どうなんだろう。

 さて、今年のこれからの撮影はどうなるのか?開運号を今年最初の被写体に選んで、運が開けてツキがあるのだろうか?仮にツキがあるとしたら、それを活かせるのだろうか?その結果は360日後に判明する。(駅長)

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2015年1月 4日 (日)

323.2015年新春 撮り鉄始め 【阪堺電車】 2015/1/2

  2015年を迎えました。今年も変わらぬお付き合いをいただけると幸いです。メンバーの皆様方はどのようなお正月を過ごされたでしょうか? 元日の夜から寒波が襲来し、各地で大雪となったところもあったようですが、大きな被害が出ないことを祈るばかりです。自分的には昨年に続き阪堺電車を撮り鉄してきました。昨年は1月4日の訪問だったので、車両がフル稼働とはいかず、撮りたかった161・162に出会うことができなかったので、1月2日なら確率は高くなるだろうという予測のもと、再挑戦となりました。経費節約のため、18きっぷ利用の日帰り鉄となりましたが、新快速の威力もあって名古屋から大阪までは約2時間40分、大垣・米原ダッシュはあるものの十分日帰り鉄は可能でした。途中、寒波の影響で大垣あたりから積雪状態となり、関ヶ原~彦根あたりは30cmを越える大雪、列車の運行状況が心配されましたが、5分くらいの遅れですみました。雪は京都あたりまで積もっており、一瞬、叡電あたりの雪鉄が頭の隅をよぎりましたが、浮気はせずにそのまま大阪に向かいました。

12_dsc58661512  天王寺到着は9時ちょっと過ぎ、そこから運転状況を把握するために住吉に向かいました。お目当てのモ161型を待っているとマッサン電車の164が来ました。別のモ161型が来るのを期待してしばらく粘りましたが、一向に来る気配がありません。たまたま現地でバッタリお会いした施設区長様にお話を伺ったところ、この日のモ161型の出番は164だけのようだということでしたので、せっかく来たのにハズレ日かとテンションダウンでしたが、稼働ゼロにならなかっただけよかったと気持ちを切り換え、以後は164の動きに合わせた行動パターンとなりました。
【2015.1.2 住吉】(電車運転士)

22_dsc59111512  住吉大社の参拝客に埋もれる電車です。阪堺電車の正月を象徴するような風景で、撮影してみたかったカットです。
【2015.1.2 住吉鳥居前】(電車運転士)

32_dsc59171512  小さい子供連れの参拝客の姿も多く見られました。3が日の住吉鳥居付近の車道はは歩行者専用となるので、このようなカットを撮ることができました。
【2015.1.2 住吉鳥居前】(電車運転士)

42_dsc59541512_2  さっきの164が天王寺駅前から戻ってきました。雲の切れ間から一瞬陽が差し込み、この日の数少ない晴れカットとなりました。
【2015.1.2 住吉鳥居前】(電車運転士)

52_dsc61141512  浜寺駅前に向かった164はしばらく戻ってこないので、時間潰しに住吉界隈をウロウロしました。晴れ着のお姉様を期待しましたが、今年もその姿を見ることはできませんでした。それでも、正月らしい装いの和服姿の女性を見掛けたので、思わずシャッターを押してしまいました。
【2015.1.2 住吉】(電車運転士)

62_dsc61811512_3  昨年同様、綾ノ町にも寄ってみました。ここは振り向くだけで上下列車がそれなりの感じで撮れるので、好きな電停です。参拝を終えた家族連れが電車から降りてきました。
【2015.1.2 綾ノ町】(電車運転士)

72_dsc62191512_2  上りの電停は望遠で引っ張れば走行写真を、広角にすれば乗車客を入れて撮ることができます。男の子は後ろから来ている下り電車に目が釘付けになっているようです。
【2015.1.2 綾ノ町】(電車運転士)

82_dsc62421512_3  午後は昨年行くことができなかった帝塚山界隈の併用区間を訪ねました。母娘だと思いますが、お年賀にでも行くのでしょうか、娘さんが正月らしい装いで線路沿いを歩いて行きます。その傍らを「堺トラム」が通り抜けて行きます。「堺トラム」はこの日は2本とも大車輪の活躍でした。
【2015.1.2 東天下茶屋~北畠】(電車運転士)

92_dsc63351512_2  164を迎え討つため、再び住吉方面に向かおうと電車で移動中に緑一色になった162とすれ違ったため、急遽下車して天王寺駅前からの162を待ちました。午後になって輸送のピークを迎えたためでしょうか、我孫子道から出区してきたようです。
【2015.1.2 姫松】(電車運転士)

102_dsc63441512_2  162の2本後に161がいきなり登場してきました。昨年は見ることもできなかったので、一番撮りたかった車両です。こちらも162と同様、急遽の応援で投入されたものと思われます。長閑な帝塚山界隈の風景にも似合っています。
【2015.1.2 北畠~姫松】(電車運転士)

112_dsc63581512_2  可能な限りオリジナルの姿に修復された161、風格が漂います。当然、我孫子道からの戻りを待ちましたが、再び姿を見ることはできませんでした。どうやら、最ピーク時の我孫子道~天王寺駅前1往復の応援だけで、車庫に引っ込んでしまったみたいです。たとえ1往復でも撮ることができたので、正月早々、大阪まで来たかいがありました。
【2015.1.2 姫松】(電車運転士)

122_dsc64141512  我孫子道に行った162が戻ってくることを期待して、またまた住吉です。母・娘・孫の親子三代での初詣でだと思いますが、晴れ着の姉妹が可愛らしいです。
【2015.1.2 住吉】(電車運転士)

132_dsc65191512  とっぷりと陽が暮れた住吉です。陽の短いこの時期は17時00分を過ぎると夜の様相になります。住吉は交差点照明のナトリウム灯があったので、何とか手持ちで撮ることができました。これを最後に住吉を後にしました。
【2015.1.2 住吉】(電車運転士)

142_dsc66081512_2  天王寺駅前のペデストリアンデッキから阪堺電車を撮ることができました。ちょうどいいタイミングで164が来ました。こうして見ると側面のマッサンがちょっと目立ちすぎのような気がします。
【2015.1.2 天王寺駅前~阿倍野】(電車運転士)

  大阪20時00分発の新快速で帰路に着きましたが、滋賀県内は吹雪の状態、途中で運転見合わせになったらヤバイなと思いつつも米原には5分遅れで到着、快速の豊橋行に乗り継いで、予定どおり22時40過ぎに名古屋に戻ることができました。在来線は滋賀・岐阜県内の大雪の影響がほとんどなかったので助かりました。

 

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年末の引退

2014年の末に現役を退いた車両がありました。  ~個人的に目についたもの2題~

1_14121 長良川鉄道の元祖型「ナガラ1」の引退はご存じの方も多いと思います。最終運行日である12月23日は、有終の美を飾るかのように朝から晩まで丸一日走行する定期運用に充てられました。できることなら、車両運用を追いかけながら雪景色の中を走行するラストシーンをカメラに収めたかったのですが、何しろ体調がすぐれないときだったので、富加周辺で1往復のみ見届けることにしました。

2_14122 1本目は富加駅での離合風景を撮り、2本目は運転台の惜別メッセージが目に入るようにオーソドックスな撮り方をして、ナガラ1を見送りました。この列車が終着駅北濃に到着したとき、ささやかなお別れ式がホームで催されました。

3_1410 知らないうちに最後の1編成となった485系原形上沼垂色編成(編成番号T13)が、年末を前にとうとう運用を離脱して帰らぬ旅に出たようです。これによって、「北越」運用には皮肉なことに国鉄色編成が充当される確率が高くなったということでしょうか。上の画像は昨年10月に撮影した当該編成です。

4_055
42_1212 いかにも「JR」的であまり好めない塗装でしたが、いざ消滅してしまうとなると過去にどの程度撮影していたのかが気になり出して探してみたところ、意外にも何カットか撮っていたことが判明しました。その大半が、運転台上に2灯のライトを施した1500番台車を先頭にした編成でした。むしろ上沼垂色を撮ったことよりも、昔から気に入っている1500番台車がこんなカタチで写っていたことのほうに嬉しさを感じたのですが、なにしろ撮影時期は十数年以上も前の事、まったく記憶にございません(笑)。

5_0552 681系の登場により徐々に姿を消しつつあった北陸線の485系を撮りに出かけていたとき、国鉄色編成に混じって時折り現れる上沼垂色編成はインパクトが強く、気に入らないと言いつつもカメラを向けていたようです。

6_bon ボンネット車もありましたね。側面の塗り分けを単にそのまま正面部まで伸ばしてきただけのデザインは、ボン車体にはお世辞にも“似つかわしい”とは言えませんでしたが、上沼垂色ボン画像はこの1カットしかなく、個人的には貴重なものとなりました。

7_mdr 活躍期間も編成の長さも短めだったこの特急、ご記憶にありますか?このときも1500番台車が先頭の編成でした(もともとそんな組成が多かったのでしょうか?詳しくは知りません)。この写真は、親類から結婚式の招待を受けて柏崎まで出かけたとき、宿泊先からちょっと抜け出して撮影したものです。けっして、わざわざこの列車を撮りに出かけたわけではありません(笑)ので念のため。

新幹線金沢延伸を前にして上沼垂色の485系原形が一足先に消滅してしまうことになるとは、ちょっと予想外でした。

新年早々“消滅”ネタとは、なんと縁起でもないこと。(出札掛)

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【アーカイブス】近鉄の初詣列車

 お正月といえば、初詣。今年一年の幸せを願って、神社に詣でるのは、日本の良き風習である。名古屋の初詣でもっとも人気のあるのは熱田神宮であるが、ちょっと足を伸ばして伊勢神宮まで詣でる方も少なくない。こうした初詣客に対応するため、近鉄では大晦日に特急を運行すると共に、3が日を中心に列車を増発して対応していた。これは、まだまだ旧型車が急行に活躍していた昭和48(1973)年の初詣列車の記録である。

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 まずは近鉄名古屋駅に停車する特急から。12200系の宇治山田行き特急であるけれど、迎春号の看板が取り付けられている。いつ頃まで、こうした看板が取り付けられたのだろうか。羽の付いた特急マークも懐かしい。

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 その横には、鳥羽行きのこんな列車も停まっていた。6400系は、戦後の特急復活に伴い、昭和25年に製造された名古屋線用の特急車であった歴史を持つ。駅の様子は変わっていないけれど、列車は大きく変化した。

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 6400形が名古屋方に2両連結された名古屋線の急行。当時はこうした列車ばかりだったので、あまり深い印象はないが、改めてこうやって見てみると、なかなか格好が良い。撮影場所は町屋川の鉄橋である。

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 木曽川橋梁の名古屋寄りを走る宇治山田行きの臨時急行。6330形は昭和23年に製造された運輸省規格形の流れをくむ車両で、名鉄の3800形の従兄弟にあたる車両である。

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 もう1枚、先頭に6330形を連結した名古屋線の急行。3M2Tの旧型車5連はなかなかの見物である。場所は長島駅の名古屋方。後ろのはえたたきは関西線のものである。

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 ここまで来たら、やはり緑の弾丸こと6300形をお見せしたい。関西急行が名古屋延長に際し、昭和12年に日本車輌で製造したモハ1形で、名鉄モ800形と兄弟と言っても良いほどよく似ている。

 モ6307は名古屋線に最後まで残った車両で、残りの車両が狭軌化されて養老線に転属した5300形になったのに対して、改軌化されることなく、昭和48年に廃車となった。広軌時代にギリギリ最後の様子を撮ることができたのはラッキーだった。

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 昭和45年の撮影だけれど、緑の弾丸の写真をもう1枚。場所は、町屋川の鉄橋である。戦後すぐに製造された、3扉車の6260形と編成を組んでいる。当時、6300形と6260形が編成を組んでいたようだ。それが2編成連結され、準急で運行されている。オール電動車4両の乗り心地はどうだったであろうか。さぞ、加速が良かったと思われる。

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 数は少ないけれど、カラーでも撮影してる。場所は久居のあたり。ただ、レンズシャッターのカメラでは、1/500にしても電車は止まらずに、流れてしまった。残念。

 さて、ここまで名古屋線の狭軌時代からの車両を紹介してきたが、実はこれら車両を狙いとしたわけではなく、たまたま来たから撮っただけなのだ。狙いとしたのは、この車両であった。

2200
 そう、参宮急行の2200形である。特に撮りたかったのが、2226までの張り上げ屋根ではない旧形である。

 2200形は、参宮急行が伊勢まで開業に際し昭和5年に製造した車両で、青山越えの33‰を65km/hの速度で登り、平坦線では楽に110km/hを出すことができたと伝えられる。日本の電車の成功は、戦後のモハ80系、すなわち湘南電車と言われることが多いが、それよりも20年も前にこのような素晴らしい電車が長距離で運行していたのである。

 この頃、近鉄を狙ったのは、ひとつには2200形がそろそろ廃車を迎えるということで(Wikiによれば昭和49年までに急行運用から撤退とある)撮りに行ったようであるし、また、この時紀勢・参宮線に蒸機が残っているものの、数往復で効率が悪いため、その間の時間に近鉄を撮影していたようである。この写真は、宮川鉄橋の手前で、参宮線の鉄橋から歩いて行った記憶がある。

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 これは正月の撮影ではないけれど、江戸橋で撮影した2200形のカラー。レンズシャッターのカメラでも、この速度なら止まる。

 これら写真を撮影した昭和48年のお正月は、おそらく2200形をはじめとする戦前・戦後直後に製造された釣掛けの旧型車が急行で活躍していた最後の時だったのだろう。今なら多くの同業者が集結するであろうけれど、これらの写真を撮影する時に同業者が居た記憶はない。

 今から40年以上前の、近鉄初詣列車の記録である。(駅長)

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2015年1月 1日 (木)

2015年 年頭のご挨拶

あけましておめでとうございます。
2015年が明けました。
昨年同様よろしくお願いいたします。

Dsc_0308今年の年頭にふさわしい写真をいろいろ考えましたが、やはりおめでたい代表としては富士山だろうと思い、この1枚を選びました。
央東線には何度も通いましたが、なかなか」富士山を望むことはできませんでした。しかし、昨年5月23日、長野所の115系3連の中央東線の運用がなくなった直後、同所の115系6連C1編成がスカ色になったということで、それを狙いに出かけた折、本命は来ませんでしたが、初めてくっきりとその姿を見ることができました。
「トワイライトエクスプレス」のような華やかな列車の引退も残念ですが、あまり大きな話題にもならず徐々に姿を消して行く一般の車両、特に国鉄形といわれるものにも注目していきたいと思います。(検査掛)


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322.2015年 新年ごあいさつ 2015/1/1

12_dsc2810141019  2015年が明けました。新しい年が皆様にとりましても笑顔の絶えない幸せな年であることをお祈りいたします。引き続き、これまでと変わらぬお付き合いをいただけると幸いです。本年もよろしくお願いいたします。
【富士松~豊明】(電車運転士)

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2015年 あけましておめでとうございます

 新しい年、2015年を迎えました。本年も弊ブログを宜しくお願いいたします。皆様方のご健勝とご多幸を祈念申し上げます。

Photo
 これまで朝練で楽しませてくれた9004レ。もう、今年はこうした光景を見ることができないかもしれませんね。EH500ショティーも、民鉄には珍しい新しい電気機関車として魅力的ですが、こうした古い機関車の方がなんとなくしっくりきます。

 さて、今年は鉄道界にとっても大きな変化が予想されます。具体的には、こんな動きがありそうです。

 1月30日  新しい電気機関車の入線

 3月1日   武豊線電化開業

 3月13日  トワイライトエキスプレス最終運行

 3月14日  北陸新幹線の開業

 4月1日   四日市あすなろう鉄道の開業

 8月下旬  北斗星廃止

 個人的には、ブルートレインの廃止=機関車牽引客車列車の実質的消滅、が今年一番の大事です。日本の列車輸送体系の大きな転向点であると共に、鉄趣味的にはもっとも写真写りの良い被写体がなくなるわけです。じっと座視はできません。名古屋からでは、簡単に撮影できるわけではありませんが、機会を捉えてしっかり記録できればと思っています。

 今年も、多くの友人や鉄道を通して、鉄道趣味を楽しむことができればと思っています。宜しくお願いいたします。(駅長)

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2015年 Happy New Year

明けましておめでとうございます。新年を迎え、皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈りいたします。

150101 干支つながりということで、羊蹄山の画像をお届けします。復活シロクニを求めて函館山線に遠征した際の1カットです。この日は朝からピーカン天気で、下りシロクニを撮るためにたどり着いた北四線踏切から見る羊蹄山は期待どおり見事な山容を現していましたが、本番のシロクニ通過時は山の頂に雲が少しかかってしまったので、ここでは山がもっともクリアに見えていたときの画像を掲載いたします。キハ40のタラコ塗装も懐かしいですね。
はるか20年以上も過去に遡る1994年5月の撮影ですが、ご了承ください。

本年も、つたない記事の列挙となりそうですが、当ブログを通じてストレス解消知識の向上と見聞を広めて趣味を満喫していきたく思います。どうぞ宜しくお願いいたします。(出札掛)

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