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2014年8月

2014年8月31日 (日)

朝練の結末は

8月30日、久しぶりに名鉄デキ400牽引の工臨を撮影する機会が訪れました。この日は知立→豊明→矢作橋と走るコースなので、場所を選べば2カ所で撮れそう、というわけで前夜に機材を準備して午前3時30分に目覚まし時計をセット、いざ朝練!ガンバロー。

当日朝の天気予報は曇りですが、名鉄のデキは間もなく世代交代を迎えることもあり、天候を選んでいる余裕はありません。雨が降らないだけマシだよね、と判断してまだ明けやらぬ空の下、車のエンジンをスタートして豊明付近を目指しました。

現地に着いたらやっぱり曇り空ですが、晴れたら逆光となる地点からでも撮影が可能となるので(→シルエット狙いにあらず)そのアングルで知立からの9005レを待ちました。

9005 線路端の稲穂は黄色く染まりつつあります。そして空を見上げると、あらら、雲の隙間が見えてきました。しかしシルエット撮影にはとても適さないし、稲穂の色も今一歩だし、露出や構図に悩んでいたら列車が来てしまい、なんとも中途半端な結果に終わりました・・・。

9004 豊明から折り返す列車9004レはマジメに狙おうと順光側に移りました。ここでも稲穂が色付く頃を迎えています。空を見上げると、雲が取れて天候が回復しつつあるようですが、まだ太陽は東の雲に遮られて顔を出していないため、撮影は残念な結果でした。リベンジしたいところですが、これから徐々に豊明付近での9005~9004レは撮り辛くなっていくので、この地点での工臨撮影が自分にとって今シーズン最後とならないことを祈るばかりです。

帰り道を走っていたら雲一つない青空になり、前夜の天気予報がうってかわって「晴れ」って、おいおい今さら・・・。こんな好天になることがわかっていたら何処かへ遠征するつもりだったのに、なんだか悔しいので、せめて近所で“お口直し”。

1384

3304 エコムーブトレインだの、毎度の催事PR系統板掲出列車だのと小ネタ列車のほかに、通常5000系の新可児ー中部空港系統準急運用に1384Fが充当されていました(→常滑線新舞子で催される花火大会に伴い輸送力を増強するための運用変更で、午後から1800系2両が増結されました)。

さて、次回の名鉄工臨撮影の機会はいつ訪れるのでしょうか。仕事前の朝練は勘弁してほしいので、公休日と工臨運転日がうまく重なってくれるのを待つばかりです。(出札掛)

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2014年8月25日 (月)

297.1980年夏 信州撮り鉄行脚 3号車 【大糸線電化区間】 1980/8/24

 早いもので、8月も終わりが近づいてきました。今年は梅雨明け後、一時猛暑が襲来しましたが、その後は不順な天候が続いているため、鉄活動も停滞気味になっています。このままの状態が続くとフラストレーションをためたまま夏が終わってしまいそうな気もしますが、今後の天候回復を期待したいと思います。なお、今年の夏は局地的な集中豪雨が各地で頻発、先日、広島では大規模な土砂災害が発生し、多くの方が亡くなられたり行方不明となっております。亡くなられた方のご冥福と行方不明の方の1日も早い救助をお祈りするとともに被災された方々にはお見舞い申し上げます。ということで、このところ新たなネタもないことから引き続き過去ネタをご紹介したいと思います。

 信州撮り鉄行脚の3日目は大糸線の電化区間です。ここも旧型国電の活躍路線で、車両のバラエティーは飯田線には及びませんが、ここでしか出会うことのできない兵もおり、それなりに楽しむことができました。

1280824 辰野ステーションホテルを未明にチェックアウトし、新宿からの臨時夜行急行「アルプス13号」で信濃森上に向かいました。まずは定番の松川鉄橋で各種列車の撮影を行うべく河原に三脚をセットしました。早朝には非電化区間から信濃大町へ直通する気動車列車が設定されていました。
【1980.8.24 白馬~信濃森上】(電車運転士)

2280824 朝のうの列車は165系が主体で、旧型国電はしばらくお預けとなります。肝心の北アルプスの山々は残念ながら夏雲の中に隠れていましたが、今回の撮り鉄行脚では初めての晴れ、久しぶりに気分よく鉄活動ができそうです。
【1980.8.24 白馬~信濃森上】(電車運転士)

3280824_2 川面の白波が清々しく感じられる中、お目当ての旧型国電の列車が来ました。ひょっとしてバックの夏雲が消えないかと期待しましたが、これが精一杯の状況でした。3ドアの車両が主体の中、左から3両目に2ドアのサハ45の姿が見えました。
【1980.8.24 白馬~信濃森上】(電車運転士)

4280824 南小谷で折り返してきた「アルプス6号」が新宿に向けて走り去って行きました。この頃の中央東線の急行編成はサロ2両とサハシが組み込まれており、急行としての威厳が保たれていました。なお、現在は河原の雑木が成長してしまい、写真のような広々としたアングルは望めなくなっています。
【1980.8.24 白馬~信濃森上】(電車運転士)

5280824_2 午後からはもうひとつの定番、安曇沓掛の田園地帯に移動し、陸橋から「あずさ」を撮りました。「あずさ」の大糸線乗り入れは季節臨の1往復だったので、大糸線のクィーン的存在でした。
【1980.8.24 安曇沓掛~信濃常盤】(電車運転士)

6280824 同じポイントで旧型国電も押さえておきました。ここも北アルプスは夏雲の中に隠れてしまい、残念な結果に終わってしまいました。先頭は大糸線では標準的なタイプのクモハ60でした。
【1980.8.24 安曇沓掛~信濃常盤】(電車運転士)

7280824_2 大糸線のヌシ的存在だったクモユニ81です。大糸線の旧型国電はスカイブルー1色の塗色をまとっていたので、「海坊主」のあだ名が付けられ、微妙な雰囲気を醸し出していました。飯田線に移ったクモユニ81はユの設備を撤去してクモニ83 100番代となりましたが、外観にほとんど変化がなかったのとスカ色に塗り替えられたものの塗り分けに変更はなかったため、違和感はありませんでした。
【1980.8.24 安曇沓掛~信濃常盤】(電車運転士)

8280824_2 大糸線の標準的な旧型国電の列車です。当時は6両が主体で、ローカル線にしては長い編成が特徴でした。3両目にクモハ43の低屋根改造車のクモハ43804が入っていますが、運転台が完全に仕切れる構造のため、編成の中間に入ることが多く、この日も先頭に立つ姿を見ることはできませんでした。
【1980.8.24 安曇沓掛~信濃常盤】(電車運転士)

9280824 電車列車の合間にやって来た新性能直流電気機関車のパイオニアであるED60の貨物列車です。当時は大糸線のほか阪和線でも活躍していましたが、大糸線では1~3の3両が余生を送っていました。姉妹機のED61は18両が製造されましたが、ED60の製造総数は8両で、大糸線と阪和線でしか見ることができず、結構レアな存在でした。
【1980.8.24 安曇沓掛~信濃常盤】(電車運転士)

10280824_3 撮影を終え、夜の帳は訪れ始めた北松本まで戻って来ると大糸線の人気者のクモハ43810が1日の疲れを休めていました。クモハ43810はクモハ52の流れを汲む「合の子」の車両で、低屋根化で800番台を名乗りましたが、モーターの出力アップは実施されなかったため、飯田線のクモハ53007・008のように型式変更は行われませんでした。
【1980.8.24 北松本】(電車運転士)

11280824_2 その奥には1日の仕事を終えたED60も眠りにつこうとしていました。こちらの建屋は木造のままで、なかなかいい雰囲気が漂っていました。
【1980.8.24 北松本】(電車運転士)

12280824 この後はこの日の宿となる「妙高8号」に乗車するため、直江津に向かいました。発車までかなり時間がありましたが、客車はすでにホームに据え付けられていました。10系寝台車+旧型客車といった当時の典型的な夜行急行の編成で、貧乏学生には高嶺の花だったオロネ10も入っていたため、これを中心にバルブ撮影に勤しみました。
【1980.8.24 直江津】(電車運転士)

●次の目的地 信越本線(信濃追分界隈・横軽)

●移動行程 直江津→「妙高8号」→軽井沢→信濃追分界隈・横軽

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2014年8月22日 (金)

暑気払い

お盆を終えた途端に東海地方は酷暑の襲来。勘弁してほしいですね。そこで、少しでも涼を感じ取っていただけるよう、真冬の寒さが伝わるような画像を載せてみました(笑)。

では、最近スキャンしたフィルムから、去る1999年1月10日に撮影した画像を。

日曜日の朝、起きたら辺り一面は雪景色。しかしそれほどでもない積雪量なので、この程度ならちょっと車で撮影に出かけられそうだと、朝食もそこそこに名鉄谷汲線を目指して家を飛び出しました。

870 国道21号線から揖斐~根尾川左岸の堤防をひた走り、谷汲線を目指しているうちに雪が降り出しました。道路上が見る見るうちに真白となるにつれて車の運転に不安感が増していきます。かと言って今さら戻るのももったいないので、こうなったら、えーい、“勢い”だっ。なんとかたどり着いたのは北野畑~更地の、軽くサミットを越える地点。
しばらくして、谷汲から列車が若干遅れ気味ながらも現れました。辺りはますます大雪となり、屋根上の積雪や正面の雪化粧が、それを物語っています。
撮影メモを見ると被写体は870レ、ということは時刻8時40分頃の撮影か。

970_2 この天候の中を車で移動するのは危険と感じ、大雪が収まるまで撮影をしながらこの地点に留まることにしました。画像は上の列車から1時間後の970レ。

971 空は徐々に明るさを取り戻してきました。970レが黒野で折り返してきた971レが、装着したスノープロウに雪を乗せたままで谷汲を目指します。

1081 雪が小康状態になったので、線路沿いの道を移動して撮影を続けることにしました。降り止んだばかりで、着雪した木々が綺麗です。画像は正月輸送における臨時列車1081レ。

1071 上の列車から30分後の1071レ撮影時は、再び大雪になってこんな悪条件になってしまいました。撮影はここで中止して、雪が積もった真っ白な道を恐る恐る走りながら、なんとか無事自宅に戻ることが出来ました。

当時所有していたマイカーは、T社のコンパクトステーションワゴン「カリブ」。フルタイム4WDですが、どちらかと言えばタウンユース的な車だし、おまけに雪道を走り抜ける想定などしていませんでしたから、足回りはノーマルタイヤのまま。それなのに、よくぞこんな無謀な行動をとったものだと今に思うとぞっとします。
真冬の撮影どころか、冷や汗を流しながらの撮影でした。

暑さ寒さも彼岸まで。もう少し頑張りましょ!(出札掛)

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2014年8月20日 (水)

久々の朝練

 最近、なかなか運転がなかった名鉄の工臨が動くとの話を聞いて、天気も良さそうだったので、久々の朝練をしてきました。

 今回の運転は神宮前~金山~大江なので、撮る場所がないけれど、いつまで撮れるか分からないので贅沢は言っておられません。

201409201

 まずは、某ショッピングモールの横の定番位置。

 

201408202

 折り返しは、高蔵の歩道橋から。日の出直後で、影が出ないからこうしたアングルも可能です。

 デキ600牽引のチキが撮れるのも、これが最後かなぁ。(駅長)

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2014年8月17日 (日)

盆休み期間中におけるJR東海所有国鉄色風ツートン車の動き

やれやれ、しつこいくらいのツートン記事、申し訳ありません。

勤務先の盆休みである8月13~17日の5日間は、やたらとツートン車ネタに振り回されて、もう腹一杯です(→ほかに撮るもの、ないのかよ?)。

131休暇初日の13日は、高山線の平日ネタ列車キハ40系6連回送781Dにおいて、両端にツートン車が就いて東海色車をサンドイッチする組成となるようなので、それとわかるアングルが得られる坂祝カーブを目指しました。ベスポジはもう少し高い位置ですが、すでに先客が数名おられたため断念。
今春の改正前はキハ47/48一般車が先頭だったため、基本的にツートン車が6連の先頭を担うことはなかったのですが、改正後はキハ40単行が先頭に就く運用に変わったので、キハ406309がこの運用に入れば堂々6連の先頭を務めるツートン車を撮影出来ます。

132 6連回送の先頭を務めたキハ40は同日夕方の太多線にも顔を出す運用です。よって13日の夕方はツートン車が太多線を走るので、平日運用ならではの記録をしておこうと足を運びました。
太多線の定番は美濃川合の鉄橋が有名ですが、可児駅南方に架かる可児川橋梁は緩いカーブを描いてちょっと面白そうだったので、今回はそこへ向かいました。いざ現地に着いてみると、意外にも引きがなく窮屈だったので広角でごまかしました。撮影対象は3両の646D。編成がギリギリ橋の上に収まりました。

14_40 何処からともなく聞こえてきた噂話、「15日はツートン色車キハ486812が名古屋工場から出場か」。もしそうならば前日の14日には伴走車が名古屋まで送り込まれるはずです。そして某サイトで伴走車の運転を知り、とりあえずカメラを手に取って岐南町の東海道線に向かいました。画像のように今回は東海色車でしたが、キハ40が単独で東海道線を走る姿もそうそう見られないので、記録のひとつとして雨天にもかかわらずカメラを向けました。

15_1 15日は、噂どおりキハ486812がお色直しも施されて出場しました。東海道線での走行シーンも押さえたかったので木曽川から長森へと追いかけました。曇り気味の一日でしたが、木曽川では薄日が差してツートン車を照らしてくれました。

162 またまた聞こえてきた噂話、「熊野花火臨運用に向けて、美濃太田からはツートン車3両全車が応援に出向く」!?噂にしてはちょっと大げさではないの?と疑心暗鬼になりながらも16日早朝に設定された応援車両の送り込み回送をチェックしに再び木曽川まで足を運びました。そして、姿を現した当該列車回9650Dは、本当に噂どおりの編成で登場!後部2両は従来通りのユニットが組まれていました。東海道線をツートン車が3連で走行するシーンは初めてです、たぶん。

322 熊野花火臨時ダイヤの17日、またまた密かにささやかれた噂話によると、「亀山から送り込まれる333Cへの継走回送は、伊勢と美濃太田所属のツートン色全車両による5輌編成で運転」。まさかね?なんて耳を疑いながら、まずは紀勢線亀山の鉄橋にて同線名物?キハ40系の5連編成322Dを迎えます。3~4両目に、最近意図的に?ユニットを組んだツートン車両が連結されていました。あえてユニットを組む必要はあるのだろうか?と考えてみると、なんだか上述の噂話が現実性を帯びてきました。

Ksi 次は、名古屋で一泊した美濃太田のツートン3連編成が関西線を西下して亀山へ向かってくるので、井田川ー加佐登にかかる国道との立体交差定番地点にてカメラを構えました。すでに黄色くなった稲穂が目についたので、広角気味にフレームイン。前日同様、後部2両は検査明けのピカピカユニット。キハ40がより色あせて見えます。
これで亀山に全てのツートン車が集結したことになるのですが・・・。

Tk1 まさか、遂に、本当に、来てしまいました。名づけて“ツートンオールスターズ”(?)。亀山付近の悪天よる運転規制の影響(定かではない)で、所定より10分ほど遅れて多気の鉄橋を渡りました。その遅延が幸いして、列車が来るまでは曇り気味でしたが、直前に陽が差しました。先頭を務めるのは、数週間前に出場してピカピカのキハ483812。まさしく文字どおりの晴れ舞台となりました。

Tk2

Tk3 1時間後、多気ー相可の直線コースにて再び“ツートンオールスターズ”を迎えました。列車を待つ間は晴れたり雲ったりの空模様でしたが、通過時は露出オーバーになるほどの超ピーカンとなりました。青空の下、辺り一面黄色く実った稲穂と相まって、まさしくカラー画像向きの綺麗なコントラストとなりました。多気の鉄橋からご一緒した資材担当様、三脚を貸していただき感謝いたします(この理由は別途)。また暑い中、お疲れ様でした。

盆休みの最終日はツートン5連の撮影を無事終えてスッキリしたところで、翌日に備えて仕事モードに切り替わります。あ~あ・・・。

なお今回の撮影にあたり、資材担当様、N様と T様、何かとお世話になりました。この場を借りて御礼申し上げます。(出札掛)

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モノクロのデジタル化がほぼ完了

 写真のデジタル化を進めるにあたり、ひとつの目標であったモノクロネガのデジタル化がほぼ完了した。

 鉄道写真は1968年頃から撮影を始めているが、モノクロ写真を通常的に撮影していたのは1988年頃までで、その後は特に狙ったとき以外はモノクロを撮らなくなった。これは、写真の主体がカラーポジとなり、モノクロを撮影してもほとんど伸ばす機会が無くなったことに加え、自宅で現像や引き伸ばしがしづらくなったことが理由である。それまでの撮影機材は、35mmカラーポジに35mmモノクロの2台使用、時には35mmモノクロの代わりに6×7モノクロという機材であったが、この頃から撮影機材としてモードラをつけ、コダクローム(後にフジのポジに変わる)を入れた35mm1台をメインとして撮影し、補助としてレンズを変えた35mm、そしてエクタクロームを入れた6×7を使用するようになった。いわば、昭和の時代と共にモノクロは去ったことになる。今回、デジタル化が完了したのは、このモノクロを併用して撮影していた昭和時代のモノクロネガである。

 写真のデジタル化は、もちろんモノクロだけで進めているわけではなく、カラーも並行して進めていて、そちらも1987年前後までデジタル化が完了している。これまでデジタル化したコマ数はざっと7万コマで、うち、モノクロはその2/3くらいであろうか。それらを2Tバイトのハードディスク4台(実際にはバックアップをしているので、もっと台数は多い)に保管している。カラー、モノクロ1枚あたりのデータの大きさは平均して90MB(8枚でCD-ROMがいっぱいになる!)で、サンプルでのテストであるが、ほぼどのコマからもB3サイズ程度までは問題なく伸びることを確認している。もちろん、初期にデジタル化したカットと、最近デジタル化したカットでは、写真の平面性や取り入れの設定などで差があるが、とりあえず初期のものでも使えるレベルにあるため、全体のデジタル化を優先している。

 モノクロのデジタル化でありがたいのは、パソコンで簡単に検索できるようになったこと、そして修正が容易である点だ。幸いなことに、現時点で自宅のネガにはビネガーシンドロームは発生しておらず、また、ネガのカビもない。とはいえ、ネガの細かな擦り傷は散見されるし、現像ムラのあるネガも少なくない。これらは、デジタル処理によって、かなりの所まで修正ができるようになった。また、モノクロネガの階調を整えるにあたり、フォトショップではかなり苦労したが、Lightroomを使うことで、かなりの所まで階調を追い込めるようになっている。もっとも、現時点でまともなプリンターは所有しておらず、あくまでモニターでの画像での感想である。実際には、この画像をプリントするにも相当のコツがいるようだが、当面、プリントする機会はほとんどないので、今後の課題と考えても良いだろう。

 とはいえ、デジタル化したデータを最高レベルのプリンターでプリントしても、優れた現像をしたネガから引き伸ばした紙焼きには勝てないことは実感している。最高レベルのモノクロプリントは味わいが深く、安っぽい色使いのカラープリントなど到底足下にも及ばない高度な芸術性を備えている。もちろん、可能なら、そうしたプリントにして保存、鑑賞すべきなのだろうが、引き伸ばしの環境、さらに最近では印画紙、薬品の高騰による費用的な問題を考えると、適当なところで妥協した方が良い(せざるをえない)と考えている。

 いろいろご託を述べたが、写真がないと面白くないのでモノクロのお宝画像を(^_^;)

Ef586110
 1975年5月28日に東海道線を走った滋賀県植樹祭の折のお召し列車である。おそらく、伊吹山の下をゴハチロクイチ牽引のお召し列車が走ったのは、これが最後だろう。

Ef586111
 もう1枚のカット。

 これらはバケペン6×7にTRI-Xを入れて、D76 1:1で現像をしたものである。幸いなことに現像ムラもなく綺麗なネガで、ほとんど修正もせずにすんだ。Lightroomで現像?をしているので、階調も豊かである。一応、1/500で撮影しているので、ゴハチの頭も止まっている。

 おそらく、これがロクイチを写した最初ではなかったか、と思う。この頃はロクイチも一般列車にはほとんど出番がなかったし、また、撮影する側もそれほどまだゴハチに執心ではなかった。ゆえにロクイチをこの場所で次に捉えるには、5年の歳月を要することになる。

Ef58619
 昭和55年6月に撮影したロクイチ牽引の東座。ロクイチが走る情報を聞きつけ、本格的に撮影した最初である。この日は、早朝にブルトレを撮影に関ヶ原に出撃し、クルマをおいて一旦、電車で帰名。そして午後に再出撃というハードスケジュールだった。この頃はまだ高圧鉄塔がないため、背景がすっきりしている。

 すべてが伊吹山バックの構図ではないが、ロクイチを関ヶ原前後でバケペンで写したのは8回くらいではなかったかと思う。それらはデジタル化によっていつでも抽出が可能になったし、また、幸いにしてそれらはネガの状態もベストであり、最良の状態でデジタル化できたのは嬉しい。

Ef58614

 もう1枚、1984年11月に走った12系を牽くロクイチである。あまりに状態が良いので4000dpiでスキャンしたら、モノクロでも1枚197MBになってしまった。それだけの大きさでデータ化する必要があるかどうか、相当疑問であるが、現時点ではこれ以上のデータ化はできないので、自己満足になることは確かである。

 ようやくモノクロのデジタル化は完了したが、まだ、20年分くらいのカラーポジが残っている。さて、それらは何万枚あるのか・・・・まだ、果てしのない写真のデジタル化が続く・・・・(駅長)

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2014年8月14日 (木)

296.1980年夏 信州撮り鉄行脚 2号車 【飯田線北部エリア】 1980/8/23

 信州撮り鉄行脚の2日目は飯田線北部エリアを目的地としました。上松近辺での撮影を終え、その日の夜遅くに辰野ステーションホテルの別館(ホームの待合室)にチェックインし、1番列車で飯田線を南下しました。残念ながら天気は2日連続の雨、時折、土砂降りになることも多くてテンションはまったく上がらず、駅の待合室で雨宿りをする時間の方が多くなってしまい、満足のいく結果を得ることができませんでした。

1280823 雨模様の天気では中央アルプスの山並みを期待することもできず、山の見え方が影響しない伊那本郷~飯島の鉄橋俯瞰を最初の目的地としました。旧型国電の4両編成がゆっくりと鉄橋を渡って行きます。
【1980.8.23 伊那本郷~飯島】(電車運転士)

2280823 ED62のセメント貨物です。ED18・19の代替機として飯田線に入線したED62でしたが、小振りな車体ということもあってそれほどの違和感もなく、すっかり伊那谷の風景に溶け込んでいました。
【1980.8.23 伊那本郷~飯島】(電車運転士)

3280823 ひと通り撮影を終え、伊那本郷に戻りました。しばらくするとクハユニ56先頭の旧型国電の編成が来ました。クハユニ56は正面非貫通の郵便・荷物合造車で、写真はノーシル・ノーヘッダー車体からクハニ67からの改造車です。クハユニ56は長距離運用の豊橋方の先頭に立つことが多かったので、目にする機会も多く、皆様の写真の中にも結構な数が写っているのではないでしょうか。この頃はタブレット閉そく式が健在で、運転取扱い駅であれば伊那本郷のような小さな駅でも駅員が常駐し、タブレットの授受が行われていました。
【1980.8.23 伊那本郷】(電車運転士)

4280823 旧型国電の約半数を置き換えた80系も飯田線の顔として定着していました。飯田線に投入された80系は集大成である全金属車300番台に統一されており、最終的には飯田線が終焉の地となりました。
【1980.8.23 伊那本郷】(電車運転士)

5280823 いつまでも伊那本郷にいても仕方がないので、高遠原に場所を移しました。再び雨脚が強まり、待合室で我慢の状態が続きましたが、小振りになった頃を見計らって駅南側の陸橋から夕方の上り列車を待っていると、下校の高校生たちが電車から降りて来ました。
【1980.8.23 高遠原】(電車運転士)

6280823 夜になって飯田に戻って来るとクモニ13を従えた3両編成の旧型国電が停車中でした。クモニ13は湘南顔のクモニ83100番台とペアを組むことが多く、基本的には列車の先頭に立つことはなかったため、顔を見るチャンスが少ない車両でした。この時はクモニ13単独での運用だったようで、バルブではありましたが、クモニ13の顔を拝むことができました。2両目は飯田線の異端児だったクモハユニ64で、この頃はまだ茶色塗色のままでした。
【1980.8.23 飯田】(電車運転士)

7280823 反対側はこれといった特徴のない普通のクハ68でした。ドア間の窓数が5枚なので、クハ55からの改造車グループということがわかります。できれば2ドア車がよかったのですが、こちらの都合に合わせて来るわけもなく、仕方がありませんでした。
【1980.8.23 飯田】(電車運転士)

 

●次の目的地 大糸線電化区間

 

●移動行程 飯田→辰野ステーションホテル(別館)→「アルプス13号」→信濃森上→大糸線電化区間

 

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2014年8月12日 (火)

【アーカイブス】♪ 夏が来れば思い出す ♪

 と、いっても、爽やかな高原ではなくて、鉄のブログなので、列車の話である。

 いまでは、すっかり無くなってしまったが、夏、特にお盆時期となると、いろいろな臨時列車が走り、撮影に東奔西走したものだった。ユニークな臨時列車が脳裏に浮かぶが、そうした中での筆頭格が自動車を運ぶカートレインだろう。

 カートレインは国鉄の末期に、新規需要の開拓を目的に開始された、と記憶する。それはJRに引き継がれ、名古屋からはユーロライナーの客車を使ってカートレインユーロ名古屋が熱田と東小倉の間に運転された。運転時期がいつまでだったか、調べていないが、それでも10年近くは運転したのではないか。

Photo
 運転を開始した頃のカートレインユーロ名古屋。この頃は65のPFが牽いていたんですねぇ。

2013a68132
 
 その後、だったか、前だったか分からないけれど、65の一般形が牽いた。

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 後に機関車は、ユーロカラーのEF65に変わる。

1992
 当初、電源車としては12系客車が使用されていたが、後にユーロの展望車が使われるようになった。

 それにしても、撮っている場所、今は立ち入りができなくなった場所ばかりだなぁ。(^_^;)まあ、当時はこうした場所での撮影も許された(のかな?)ということで、今では時効としてご覧いただきたい。

 最後に質問デス。これは熱田への回送だけれど、自動車を運ぶマニ44とユーロの客車の順番が名古屋に来るときと逆になっている。と、いうことは運行にあたって、必ず客車は機関車の次、という決まりがあったのだろうか?また、この整備は笹島でやって、熱田へは回送だった?

1986
 もう、すっかり記憶が無いです。ご存じの方、お教えを。m(_ _)m(駅長)

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2014年8月10日 (日)

今回の目的 Part2

 さて、今回の渡道のひとつの目的はSL函館大沼号の撮影であったが、もうひとつはコレである。

Photo
 8月1日から5日にかけて開催される函館みなと祭の花電車である。 

 ン?街並みが古めかしい?おっと、これは昭和47年に撮影したものだった。

 今年の花電車は、こんな感じである。

Photo_12

 3両で運行されている。函館の花電車を見るのは、昭和47年以来!実に42年ぶりである。前々から何度か見ようと計画したが、夏の北海道はなかなかハードルが高く、実現はかなわなかった。今回、えいや!で予定を組んで、ようやく長年の願いが実現した。

Photo_13  

 末広町の花電車。ここはクルマに邪魔される可能性が高く、カケであったが、やはり邪魔されて良いタイミングでは撮ることができなかった。

Photo_14

 花電車がもっとも撮りやすいのは薄暮の時間で、五稜郭公園前まで狙いに行く。しかし、対向の電車に邪魔されて、3両目は隠れてしまった。残念。 

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 しかし、カメラの進歩で夜の走りも撮れるようになった。これは素晴らしいことである。

Jpg

 前の記憶から、花電車は3両が運行すると思い込んでいたが、2両の年もあったという。今年は3両だったので、知らないこととは言え、ラッキーだった。しかし、1両がかなりの頻度で離れてくるので、なかなか3両を1枚に撮ることはできない。

Photo_18

 懐かしかったのは、遠くからぼんやりと周囲を照らしながら明かりが近づいてくることで、まさに名古屋で見た花電車のイメージ、そのものである。花電車の夜の運行は限られているので、まず、その日程を踏まえて行程を組んだが、名古屋の花電車の感動を思い出すことが出来て、実に良かった。

 ついでに昭和47年撮影の花電車のカラー。さすがに全部で3カットしか撮影していない。

Photo_2
 現在は路線が廃止されたガス会社前。ちょっとタイミングが早いのは、クルマにじゃまされそうになったためらしい。

Photo_2
 駒場車庫で停車中。ディスプレイの恐竜がおしりを向けているのがちょっと残念。ところで最初のカットはどこで撮影したのだろうか。十字街かと思っていたら、どうもそうではなさそうだ。ご存じの方があれば、お教えいただきたい。

Photo_19  

 夏の観光シーズンだけに、2軸単車の函館ハイカラ号も走っている。普段はコレをメインにして、しっかり撮るのであるが、今回は花電車がメインなだけに、多少、余裕を持って撮ることができた。

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 函館山をバックに撮影。この角度は晴れたら撮れない。

 これにて、今回の北海道鉄ちゃんの報告はお終いである。ご覧になってわかるように、今回の最大の目的は、42年前に初めて北海道に行ったときの追憶に浸ることであった。「北斗星」も「トワイライト」も当時は走っていなかったので、追憶に浸ることができない、というのが、今回の主目的とはしなかった理由といえる。

  さて、渡道して今回(も)印象に残ったのは、函館のイカのおいしさ。

Photo_3
 駅前で食べたイカの踊り丼。もちろん、生きたイカを調理しており、醤油をかけるとゲソがピクピクと動く。イクラも新鮮でおいしい。こうしたものは、さすがに現地に行かないと食べられない。また、北斗星の撮影をダシにして、食べに行きたいものだ。(駅長)

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2014年8月 9日 (土)

今回の目的 Part1

 さて、もったいぶったが、今回の目的。

 実は鉄道雑誌にはまったく紹介されていないが、再来年の新幹線函館開業時にかつての蒸機全盛時代の北海道を思い出してもらおうとD51の復活運転が計画されており、この夏、コソーリと試運転が行われたのであるそれが一番の目的であった。

D51_2

 大沼の小沼湖畔を走るD51。北海道を代表する光景である。

 と、いうのは、もちろん妄想であって、実際にはまったく逆で、新型ATSの未整備を理由に2両あるC11を1両に減らすことが発表されてしまった。そして何年も運転されているSL函館大沼号の運転も、今年限りと伝えられる。この大沼では、かつて蒸機が運行していた頃、撮影している。贅沢をいえばイベント蒸機で看板もあってもうひとつ、であるが、懐かしいこの風景で蒸機が撮れるなら、ぜひとも撮っておきたい、というのが、今回、渡道した目的のひとつであった。

 そのSL函館大沼号。かつて撮影した丘の上は木が茂って入ることができず、道路上から狙うことになる。

Sl_5

  線路に近く、昔に比べて高さが取れないので、ややスケールが小さくなってしまった。C11207は、日高線で撮って以来の再会ではないか。

Sl_6
 SL函館大沼号は、もう1日撮影している。ホントは別の場所で撮ろうと思ったが、あまり良くなさそうだったため、同じ場所で撮ることになってしまった。少しでもイメージを変えるため、上の写真より10mほど先の場所に構えたが、最初の場所の方が良かったかな。

Sl2_2
 函館行きの列車はテンダファーストで気乗りがしないが、あまりに駒ヶ岳が綺麗なので定番の場所で撮影する。

 さて、先にも書いたように、この大沼には昭和47年夏に訪れている。偶然にも、ちょうど42年前の同じ日だった!この頃はD52も運行していた。

D52_3

 この場所から反対を向くと、駒ヶ岳バックに撮影できた。当時の定番アングルである。

D52_6
 この頃には珍しく、駅舎をカラーで撮影している。

Photo_6
 と、いうのは嘘で、この写真は今回の撮影である。それにしても、当時の様子をそのまま残している。右の車がなければ、昭和40年代はともかく、昭和末期の撮影といっても通るのではないか。駅舎にご執心の方は当然撮影されているだろうが、これだけ昔のままに残っている駅舎も珍しいと思う。
Photo_7
 北海道の清里!である大沼公園も、昔の駅舎である・・・といって、こちらはあまり記憶がない。

 最初に北海道を訪れたときに、この近くのユースホステルに泊まったが、駅からの距離あって参ってしまった。以後、宿泊は夜行派に転じることになる。

 ところで、大沼で撮影し、国道を歩いていると、こんな怪しげな店があった。

Photo_8
 店内はこんな感じ。実際には、この3倍の広さがあって、グッズに埋まっている。

Photo_9
 聞けば、以前は横浜に住んでいて、リタイアした8年前に土地を買って家をたて、ここに住んでおられるという。これまで買い集めたグッズの収容場所がなくなったことと、SLが運行していて、近くで見られることが理由であったという。

 それにしても、凄い。お前もやるか、といわれても、ちょっと考えてしまう。まあ、その前に、これだけ展示するグッズもないのだけれど・・・。(駅長)

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2014年8月 8日 (金)

北海道で海水浴

      上のタイトルに、“臨”の文字を適当な箇所に加えてください(笑)

ここ最近の駅長様が投稿された記事に刺激を受け、青いデーデーの函館山線での活躍ぶりをふと思い出して、季節柄振り返りました。

函館山線に復活シロクニを求めて遠征した8月の北海道。短い夏を体感的に楽しもうと大勢の海水浴客が砂浜に押し寄せます。山線沿線の蘭島海水浴場も例外ではなく、JRの最寄駅である蘭島駅は利用客が1年で一番の大賑わいを見せるときです。
この混雑を緩和するために、当時は札幌(小樽だったか?)発着の臨時列車「らんしま号」が、僅かな海水浴シーズンに、一日1~2往復(年によって異なりましたっけ?記憶が薄・・・)運転されていました。
どうせシロクニを撮りに山線に行くのなら、一日くらいは「らんしま」の運行に合わせて撮影プランを立てようと考えました。しかし本命はあくまでもシロクニなので、「らんしま」は片道分だけでも撮影出来ればいいやと割り切って、復路の列車を下りシロクニ小樽行と掛け持ちで撮ることにしました。1989年8月6日のことです。

C62 塩谷ー蘭島のお立ち台で下りシロクニ9163レを撮影します。このときは周遊券で徒歩鉄でしたが、上りシロクニの撮影時に知り合った方の車に便乗させていただき、この場所にたどり着きました。煙は強風にあおられ、きれいな煙にはなりませんでしたが爆煙の迫力に助けられました。シロクニ撮影後は、車に乗せていただいた方が移動しようとしたので再び便乗させていただき蘭島駅まで送っていただきました(感謝)。しかし今に思えば、件のお立ち台にそのまま陣取っていれば「らんしま」も撮れたはずなのに、なぜ駅まで移動してしまったのだろう?おそらく、車で今のうち移動しておけば後で駅まで歩かずに済むから、と楽な手段を優先したからもしれません。

89861 というわけで、駅近くの踏切から思い切りド逆光で「らんしま」の1本目9155レを狙いました。DE15が重連で14系を牽きます。掲出HM重視とはいえ、もっと工夫した撮り方ができなかったものかと大反省です。たぶん、暑くて場所探しどころではなかったのでしょう(→要は面倒くさい)。

89862 「らんしま」2本目の9157レは、いよいよ歩くのもシンドくなり、それを都合のいい理由にして駅撮りすることにしました(→要は根性なし)。列車を待つ乗客がわんさかとホームにあふれてインパクトが強かったので、「らんしま」進入時からカメラを向けました。青のデーデーが堂々8両もの赤い客車を牽いて登場です。こんな組み合わせが見られるのも臨時列車の醍醐味です。

90804 翌1990年も、似たようなプランを立てて「らんしま」を撮影しました。こちらは青のデーデーが14系客車を牽く優等列車風の編成です。乗車券のみで14系客車に乗れるというお得な列車ですが、乗客にはその贅沢感を味わっていただいているでしょうか。HMには「快速」の文字が付されていました。あまり記憶にないのですが、「らんしま」号にも快速と普通の二種別が存在していたようです。撮影は8月4日。塩谷から小樽へ向かって若干歩いたあたりにて。

車の普及が影響したせいか、いつしか「らんしま」は姿を消してしまいました。臨時列車と言えども運用の都合なのか、利用客が多かったのか、これだけの長編成を客車で仕立てた(一部DCの運行もあったらしい)うえにHMまで掲出した被写体は、シロクニと併せて夏の山線を楽しませてくれました。(出札掛)

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今更の「あけぼの」

 今夏、東京の鉄ちゃんが一番注目しているのは、たぶん、臨時特急としての「あけぼの」の運転ではないだろうか。正直、名古屋のファンとしては縁が無く、特段の思い入れもないが、それでも話題の列車が走っているとなると撮りたくなるのは、悲しい鉄の習性というものだろう。

 函館便の予約が取れたとき、ちょうど「あけぼの」の運行時期なので、ついでなので海峡を渡って「あけぼの」も撮ることにした。さらに前日に青森入りをして、海峡線の「はまなす」も狙ってみた。

Photo
 超有名撮影地、油川を行く「はまなす」。14系10両以上の堂々たる編成である。これくらいの編成だと写真写りが良い。

 列車の通過は5時半くらいで、もうこの時期では撮影は難しいかと思ったが、まだまだ余裕で撮影できた。ただ、残念なことに、ここの名物の朝霧?あるいは雲にやられて光はあたっていない。

 驚くことに、こんなところで知人にバッタりあってしまった。しかも、ここに来るのに、前日の最終で新青森について、夜の道を歩いて(4kmくらい?)、近くで野宿をしていたという。あまりのガッツに、ただただ驚嘆するばかりである。

 続いて、「あけぼの」を狙いに、矢立峠のこれも超有名撮影地に向かう。

Photo_2

 ここには、確か昭和55年頃にM氏と来ている筈だが、まったく場所の記憶がない。このアングルも200mmで狙うとは思わなかった。残念ながら、木が伸びていて、ちょっと足回りが隠れてしまった。

 このあと、夕方までめぼしい列車がないため、私鉄巡りに転じる。

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 まずは弘南鉄道大鰐線。何が来るか、予習をまったくしていなかったため、わからなかったが、東急7000系である。こんな塗色とは思わなかった。大鰐線も何年ぶりだろう。

 続いて、津軽鉄道に転戦する

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 ここも古い気動車はなく、「走れ、メロス」号の単行運転である。やはり、ここは客車を狙いたいところである。数日後には、地元のねぶた関連で運転するはずであったが、どうしても日程があわなかった。ホントはサイド気味に狙いたいところであるが、草が邪魔をするので、どうしても正面勝ちとなる。

Photo_5
 印象的だったのは、起点の五所川原駅の待合室。時間が止まったかのような空間が広がっていた。まさに、昭和30年代そのものである。個別にわかれたプラスチックの椅子など、なんとなく、懐かしさの漂う待合室である。

 せっかく津軽鉄道を訪れても、列車間隔が1~2時間おきでは、1往復を狙うと、もう時間である。「あけぼの」の上りを狙いに、大釈迦に移動することにする。津軽鉄道によると、随分遠回りをするように思えるが、実は3角形の2辺を走る形で、それほど寄り道をしているわけでなない。

583
 まずは、貴重な583系で運行されている臨時特急「ねぶたまつり1号」。この列車と鶴ヶ坂で行き違って「あけぼの」がやってくるはずである。この時は、まだ車体に陽があたっていたが・・・

Photo
  この場所、アングルは良いが、西側に小山があって、陽の回り具合が気になっていた。案の定、10分前の583系の時にはあたっていた陽も、「あけぼの」通過時にはあたらなくなってしまった。ちょっと陽のあたりかたが弱いので、コントラストが低くなったのは幸いだった。

 このあと、青森の町中で「ねぶた」をチラリと見て、「白鳥」で木古内へ移動。木古内に宿泊して、宿で自転車を借りて撮りに行ったのが、先にご紹介した海峡線の「北斗星」のカットである。

 ここまで「今更」と題して3本の列車を紹介したが、なぜ駅長がこれら列車に血道を上げるのか、不思議に思った方もいたのではないだろうか。アタリ!である。このように定番アングル、というか、正面がちのアングルばかりで、撮っている方もちとどうかな、と思う構図が多い。

 実は、これらの列車の撮影は、あくまでついでなのである。まあ、それなりに一生懸命撮っていることは確かなので、ついでといってしまうのは語弊があるかもしれないが、ホントの狙いは別の所にあった。次回はそれをご紹介しよう。(駅長)

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2014年8月 7日 (木)

今更の北斗星

 先に北海道でのトワイライトEXPの写真をご覧に入れたが、当然ながら、同時に北斗星の写真も撮っている。しかし、当初、あまり期待していなかった場所でまずまずの写真が撮れた反面、目的としていた場所での撮影は天候の問題もあり、満足いく成果は得られなかった。トワイライトやカシオペアよりも運行時間が2時間近く遅いことが道南での撮影を可能にしており、たまたま道南滞在中は天候に恵まれたことが理由である。反面、カシオペアは隔日の運行が天気や行程のタイミングと合わず、完全に撃沈であった。 

 まあ、それでもどんな写真を撮ってきたのか、関心を持つ方もあるだろうから、ここに公開するとしよう。

Photo_4

 まずは北舟岡~稀府間の噴火湾バックの構図である。トワイライトと同じ写真であるが、移動する時間が無かったためで、2列車撮るほどの場所ではないことから、いまでも判断を悔やんでいる。この列車の時には晴れていたが、トワイライトでは曇ってしまった。

Photo_2
 5日の帰りがけに、雨に降られながら大沼の小沼畔で撮影した北斗星。この場所は晴れるとこの列車の時刻には陰るので、結果的は悪天候を味方にしたことになった。

Photo_5
 この少し奥では、晴れた日に撮影している。APS-Cサイズによる300mm相当のカット。

Photo_7
 少々、クマザサが手前に入るが、135mmくらいで撮影。どちらもまずまずである。

 最後に海峡線を走るED79牽引の北斗星。

Photo_8

  よくネット等で見る構図であるが、線路に近く、あまり褒められた撮り方とは言えない。しかし、ここしか撮る場所がないのも確かである。いずれ絶対にこの位置からは撮ることが出来なくなるため、どうしても撮りたければ、お早めにとアドバイスをしておこう。(駅長)

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2014年8月 5日 (火)

今更のトワイライトEXP PartⅡ

 来年春で廃止が告知されているトワイライトエクスプレスについて、先にお見せしたように北陸線内では満足とは言えないまでも、ある程度、記録ができた。しかし、北海道内での撮影は、6月に訪れたものの、滞在中におきた海峡線での列車脱線の影響をモロに受け、加えて肝心な朝の天候がこの地方特有の霧の影響もあって、満足な成果が得られず、フラストレーションがたまっていた。

 今年の夏は、岡山に仕事で行く予定があり、そのあと18切符を使って山陰方面を訪れ、昔、仕事で世話になった知人に会ってこようと思っていた。しかし、その知人が急に都合が悪くなり、行く目的がなくなって、スケジュールが空いてしまった。

 さてどうするか。いろいろ調べて見ると、8月上旬の北海道なら撮りたいものがいくつかある。しかし、この時期、シーズンなので航空券は高い。念のため、マイルを調べてみると・・・・「あるじゃありませんか。函館便に座席が!」じゃ、函館に飛んで、6月の再履修を果たそう。マイルなら18切符より安い(^_^)。

 しかし、そうは簡単に再履修を終了させてはくれないのが悩ましい。 

 トワイライトの撮影を予定していた8月4日・・・・

【寝台特急の遅れについて】  平成26年8月4日13時49分現在 
本日(8/4)札幌に到着した寝台特急トワイライトエクスプレスに遅れが発生したため、折り返しとなる札幌発 大阪行き 寝台特急トワイライトエクスプレスに遅れが発生しています。
札幌 14時05分発 大阪行き 寝台特急トワイライトエクスプレス:約1時間10分遅れ

 なんと下りの札幌行きは大阪付近の人身事故の影響で3時間遅れ、そして上りの大阪行きは1時間10分遅れである。撮影を予定していた長万部のあたりは定刻なら17時頃、それがこの遅れだとほぼ日没寸前になってしまう。オマケに天気は悪化して、雨!!!

 かろうじて走りは撮れたが・・・・・

1

 これでは記録写真ではなくて、芸術写真である。写真としての味わいはともかく、渡道して撮影の目的を全く果たしていない。

 しかも、撮影のメインと位置づけていた5日は台風崩れの低気圧の影響で、全道で豪雨の予報。これでは、再履修どころか撮影すら不可能で、ともかく早めに戻ろうと、宿泊していた長万部から函館まで早朝にとって返した。

Photo
 ところ本石倉まで来たら、奇跡的に雲が薄くなっている。なんとか、撮れそうなので、ホームからやってくるトワイライトを狙うことにした。まあ、かろうじて撮れたという程度であるが。

 もっとも、こんな悲惨な状況ばかりでなく、一応、2本は撮ることができた。しかし、出来はもうひとつ。

1_5
 今回の目的地のひとつだった北舟岡と稀府の間の噴火湾バックの写真。しかし、クマザサが伸びて海が見えなくなっている上、海自体もかすんでしまい、満足いく出来映えとは言えない。有名な宇宙軒S字は6月に撮っていると言うことでパスしたが、そちらでアングルを変えて撮った方が良かったかな。大幅な遅れでやってくる時間が読めず、場所を移動することができなかったのも大きな理由である。

 トワイライト撮影初日の3日の上りは見事に晴れた。しかし、国縫での噴火湾バックの大俯瞰の場所がわからず、あえなく撃沈。どうやら、こちらもクマザサが伸びて場所をわかりにくくしていたようだ。

 やむをえず、線路脇に移動して撮影。

1_7
  まあ、斜光線に台車まで浮き上がらせ、蒸機顔負けの排気(少なくとも、ドイツで見た01よりも煙を吐いている)をはきながら、目一杯の速度で駆ける様は迫力があり、それ自体は悪くはない。 

 結局、2日間で4本を狙ったが、天候半分、腕半分の問題で、再履修の目的は全く果たせず、さらに課題を残してしまった。トワイライトの運行中には難しいだろうが、北海道新幹線開業までにはまだ時間があるので、なんとか課題の解消に努めたいものだ。(駅長) 

PS/この話には、まだおまけがある。函館空港に着いたものの、機材故障でフライトはキャンセル。よって、延々4時間あまりもラウンジで過ごすことになってしまった。どうもよほどツキがないか、北海道に嫌われているとしか思えない。

PS2/今回、北海道に来て思ったのは、トワイライトエキスプレスは世界で最も印象的な車窓風景を見ることができる列車のひとつではないか、ということだ。夕暮れの日本海の光景は列車名になっているが、朝、海峡線を通るときには函館山が海越しに浮かび上がり、この時期ならちょうど、日の出と重なるだろう。また、函館を出てからの大沼と駒ヶ岳、さらには噴火湾の眺めも印象的だ。また、海の景色ではないが、青函トンネルを通ると、本州と北海道では景色が一変するのも凄いことである。

 世界の列車と見比べても、これだけ印象的な車窓風景の列車は他に思いつかない。こんな日本の鉄道の財産であり、また列車旅の良さを味わせる=鉄道旅のファンをつくることができるこんな列車を、事業者側の判断だけでなくしてしまうのは、もったいないと言うだけでなく、自分で自分の首を絞めているとしか思えない。いかがだろうか。

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2014年8月 4日 (月)

1988年 信州の夏休み(中央東・小海線編)

8月14日、今度は一人で「ちくま」に乗り、小淵沢を目指しました。

早朝、小淵沢に着き、徒歩で小海線の大カーブを目指します。

Img0471988年8月14日 小淵沢・甲斐小泉 8226D
途中で、小海線の列車が来てしまうので、適当なところで構えました。臨時スジにもかかわらず、4連できました。
この頃の小海線はまだキハ58もしくはキハ52で運転されていましたが、夏場の多客時ということで、同じ長野支社の飯山線からかなりの応援を受けていました。前2両はその応援車で、腰部にはフランス語で何やら書いてありました。
Img0501988年8月14日 小淵沢・信濃境 8M
小海線のカーブの築堤から見下ろすと、中央線が見えます。小海線の列車が来る合間に、1M、9411M「パノラマエキスプレスアルプス」そしてこの8Mを撮りました。

今年に入ってHB300系が小海線に入線するとのことで、ここへ行きましたが、少々撮り辛くなっていました。
Img0511988年8月14日 小淵沢・甲斐小泉 231D
この時期、甲斐駒は雲に隠れてなかなかその頂きを見ることはできません。しかし、緑濃いなか、先ほどの9226Dの後ろ2両、急行色のキハ58がゆっくり大カーブを登ってきました。この色は映えます。
Img0561988年8月14日 小淵沢・甲斐小泉 9421レ
そしてこの日の本命、「葉ッピーきよさと」がDD16のPP、電源車スハフ12の介添いを受けてやってきました。
Img0621988年8月14日 小淵沢・甲斐小泉 9230D
この日は小海線にはあまり長居はしませんでしたので、キハ52はこの1両しか見ませんでした。
Img0651988年8月14日 小淵沢・甲斐小泉 9230レ「パノラマ八ヶ岳高原」
小海線にはもう1本、DD16牽引の多客臨が運転されていました。八ヶ岳もこの日は雲に隠れていました。
この日は小海線はこれで切り上げ、中央線に移動しました。
Img0711988年8月14日 すずらんの里 8404M「アルプス84号」
お盆前ですが、送り込みの関係からか上りの165系臨時急行も運転されていました。
Img0721988年8月14日 すずらんの里 8010M「かいじ10号」
今は「かいじ」といえば山梨県内発の列車にしか使用されませんが、このときはまだ曖昧でした。
このあと前日の「ペンションエクスプレス」のリベンジのために大糸線に向かいます。
Img0741988年8月14日 梓川・一日市場 9224レ
14日はこれにて撤収しました。

8月18日は非番だったようで、信州入りはかなり遅い時間でした。それでも小淵沢の大カーブへ行きました。

Img0771988年8月18日 小淵沢・甲斐小泉 8242D
この日はメチャ天気が悪く、周遊券がなければ行かなかったかもしれません。しかし、小海線で最初に来たのはこんな列車でした。長野支社には115系にコカコーラ電車がありましたが、まさか小海線のようなローカル線にこのような全面広告車を走らせるなんて、ガッカリしました。
この後、下りの「パノラマ八ヶ岳高原」を大カーブで狙いましたが、暗くて撃沈でした。
Img0841988年8月18日 長坂・小淵沢 9406レ 
この日はレインボーが上って来るので中央線に戻り撮影場所を探しましたが、なかなか無くて、時間切れで30分以上歩いてこんな場所でしか撮れませんでした。
Img0851988年8月18日 長坂・小淵沢 28M
続行で来る「あずさ」がグレードアップ車なのでついでに撮りました。

最後は小海線に戻り「葉ッピーきよさと」を撮影して信州の夏休みを終えました。

Img0881988年8月18日 小淵沢・甲斐小泉 9422レ

今年2014年夏に、再び長野支社はいわゆるネタ列車を運転してくれていますが、振り返ってそれがいい時代だったといえるのは、また20年以上を要するのでしょうか?(検査掛)



















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2014年8月 3日 (日)

1988年 信州の夏休み(大糸線編)

暑いですねぇ~。1988年の夏もきっと暑かったと思いますが、まだ独身で体力にも自信があったのでしょう、お盆を中心に数々運転された臨時列車、イベント列車を撮影する計画を立て、信州ワイド周遊券を購入しました。
最初に目指したのは先日スカ色の115系のイベント列車が走った大糸線です。この行程にはナント駅長様、そして日本のJRなんぞとても撮るとは思えなかったYさんに同行頂きました。

信州ワイド周遊券の有効期間は7日間、これを目いっぱい利用しようと、初日の出発は名古屋を夜半に通過する大阪発の「くろよん」に乗り込み、大糸線簗場を目指します。(日付はいずれも1988年8月13日)
最初のターゲットは「くろよん」同様大阪発大糸線(白馬)行ながら、北陸経由で運転されたその名も「リゾート88白馬」です。
Img037海ノ口・簗場 9120レ DE10 1029(富) 本ムコ14系
後に200番台として区分されることになるリゾート用に改造された14系の初使用の列車でした。このときはまだ原番で、SETタイプの展望車もありませんでした。また、かつて国鉄時代、大糸線は丙線区で軸重の関係からDE10は入線できないハズでしたが、いつから可能となったのでしょうか。
実はこのときは海ノ口北の踏切を目指していたのですが、徒歩での行動で、「くろよん」と神城交換で来るこの列車には間に合わず、草ボウボウのなか、なんとか下回りが出る場所を確保して撮った1枚です。(たしか踏切音がなってから構えたと思います。)
Img038海ノ口・簗場 9401レ「アルプス91号」 ED62 16(篠) 北オク14系
この日の本命です。が、なんでここで撮ったのか?曇っているようなので光線は関係ないですが、目立つ看板はあるし、ケーブルはあるし・・・。なんとか草ボウボウを避けようとしたのかもしれません。
Img039海ノ口・簗場  回8330M
定番お立ち台で臨時急行の返しの回送を捉えます。定期の急行列車がなくなり、一部波動用以外はローカルに格下げとなりましたが、165系を見ても特別な感慨はありませんでした。
Img040海ノ口・簗場  1329M
湘南色もさることながら、いまでは「しなの鉄道」に譲渡されてしまった115系のMcM’c編成。
Img041海ノ口・簗場  3552M
定期昼行急行が消滅し、夜行のみ残った急行「アルプス」には183系が使われており、折返しは信濃大町まで快速列車でしたが、なぜか「あずさ」を掲出してきました。この頃はまだこの塗色が当たり前でしたが、グレードアップ車が登場し、そろそろ危機感も出ていました。
Img019海ノ口・簗場 回9402レ
本命の時はようやく晴れてきたのですが、雲の流れが速くゲリラ雲にやられました。まぁ先頭部は抜けているので、良しせざるを得ません。
Img042白馬・信濃森上 9123レ「リゾート88白馬」
9120レの折返しです。昼頃には大阪に向かいました。
この頃の姫川橋梁はまだスッキリしており、6両くらいなら充分抜けました。今では線路両側に木々が育ち、全く撮影には向かなくなってしまいました。
Img043信濃森上・白馬大池 1452M
↑の姫川橋梁からどうやってきたか覚えていないのですが、これが上りなので、下りのこの列車で白馬大池まで来たのだと思います。
この7月にここまで来ましたが、なにやら建造物が建ってしまって見る影もありませんでした。
Img692信濃森上・白馬大池 9123レ
おそらく、信濃森上で抜いてきていると思いますが、「リゾート88白馬」を再びここで撮っています。しかしながら、ここでもゲリラ雲に襲われ、最初にシャッターを押したこのモノクロの1枚だけ、ぎりぎりセーフでした。

この後、お二人とは別れて単独行動になりました。
というのも、イロモノの「ペンションエキスプレス」なるものを撮りたい私と、撮りたくないというお二方となったわけです。
Img021梓橋・一日市場 回9402レ
濃大町でたっぷり停車時間をとった「アルプス91号」の回送がもう一度撮れました。
Img022梓橋・一日市場 9223レ ED62 15(篠)

回9402レと島内交換で「ペンションエキスプレス」がやってきました。スハフ12改+マニ50改×2という編成です。前年に小海線「マザ-グーストレイン」として運転されたイベント列車ですが、中がどのようになっていたかは忘れました。
しかし、1日に大糸線でEL牽引の列車2本走るなんて画期的なことでした。

この後、再び北上しました。
Img024白馬・信濃森上 7022M「しなの22号」
「ペンションエキスプレス」の復路は撮影場所の選択に失敗し、撃沈しました。このあたりが徒歩鉄の難点です。

結構ヘロヘロになりながら一旦名古屋まで帰りました。そして再び翌日の「くろよん」に。さらに18日にも出掛け、周遊券の元を取っています。よろしければ、後程ご覧ください。(検査掛)


























 





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2014年8月 2日 (土)

夏の甲子園の季節です

上の表題に、“臨”の文字を適当な箇所に挿入してください(笑)

8月を迎え、この時期になると夏の風物詩として(とは感じない方もいらっしゃるでしょうが)思い浮かぶのが各地から来阪する甲子園臨です。個性的な編成でまとわれた応援列車が期間中は毎日のように何処かの線区で走っていましたが、そのうち地元東海地方を通る列車はたいていが夜から明け方にかけての時間帯であるため、地元でカメラに収められる被写体は限られていました。当然ですが、大阪近辺に居れば1本でも多くの応援列車に、しかも撮影可能時間帯に出会える確率が高くなります。そんなシーンについ心が揺らぎ、地元での撮影だけでは飽き足らず、大阪近辺に宿をとりながら甲子園臨を(勿論、それ以外にも)ターゲットに2泊3日程度の大阪撮影行を何度となく決行しました。まだ独身でヒマだった頃、盆休みを利用してのことですが、おかげで地元ではお目にかかれない甲子園臨をゲットすることが出来ました。そのときの個性的と感じた列車をいくつかセレクトしてみます。

888101 大阪駅の中線に、普段は留まっていないはずなのになぜか583系が留置されていました。先頭部に目をやると、ヘッドマークの意匠から甲子園臨とわかりました。岩手県から来阪の「浜っ子号」です。同系は、特に最近は秋田県の応援団輸送の登板率が高いですが、今年は如何でしょうか。廃車の噂もあるので1カットくらいは押さえておきたいですが。【1988/08/10】

888102 単なる485系かな、と撮影時は思っていましたが、現像後仕上がって来た写真をよく見たら九州所属の編成でした。HMをみると「宮崎南号」とあり、納得です。【1988/08/10】

908121 滋賀からの八幡商業高校応援列車「ホームラン号」は、このほか113系による編成も走りました。ボールとバットをあしらった、凝った形のマークに注目。【1990/08/12】

908123 ジョイフルトレイン「ふれあいみちのく」の展望車を両端に連結して、12両の長編成が大阪を夕方に発って東海道を上っていきます。大阪駅入線を確認した後、東淀川まで先回りして編成が分かるように撮影しました。ま、こんなもんでしょ。応援団は青森?岩手?ノーチェックでした。【1990/08/12】

918101 かつては長野県のお得意様だった松商学園の甲子園臨です。応援を終え松本に帰る復路の列車を大阪駅で捉えました。ホームベース型HMに信州色を含めた長野車9連は見応えたっぷり。もちろん名古屋経由ですが、地元では駅撮りしたくても時間的に不可能だったかもしれません。【1991/08/10】

918113 485系スーパー雷鳥色+特急色編成の登場です。どこからの応援列車なのかは未確認でした。「臨時」マークは残念ですが、今となってはこの塗装自身が貴重な一コマとなりました。【1991/08/11】

918112 はるばる九州から12系客車のお出ましです。甲子園臨と証明できるものは画面上に見当たりませんが、それ以外に考えられないので勝手にそうしました。夜の撮影であるため復路の列車と思われます。【1991/08/11】

東北、四国、九州など、ほぼ全国から集結するので、大阪に居ながら各地方の編成が見られるのは醍醐味でしたが、特製HMを付けた機関車の編成に巡り合えなかったことが心残りです。もっとも、偶然の産物ですから贅沢を言うのは禁物ですが。

残念なことに、ここ数年の応援団輸送は新幹線、バス、飛行機の利用にシフトしてきており、地元ではおろか大阪でもあまり見られなくなった甲子園臨。イベント列車のつもりではないのに個性的な編成やHMを披露してくれるうえに運転情報もあまり公にならない神出鬼没な列車です。故に撮影できればラッキー、とネタ列車系に熱を入れていた頃の当時を振り返りました。(出札掛)

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2014年8月 1日 (金)

今回の目的

 さて、延々とトワイライト・エキスプレスの写真をご覧いただいたが、実は今回の遠征の主たる目的はこの列車の撮影ではない。まずは、この車輌の走る姿を撮影することにあった。

  高岡で7月21日から走り始めた架線ハイブリッドトラム。車体に蓄電池を積んで、架線レス走行を行うことができる。

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 車輌自体は、2008年に行われた札幌での試験で見ているので、今回が初見というわけではない。よく分からないのが今回の実験目的で、将来的にも具体的な導入計画はないという。まあ、新幹線も来るし、先進性をアピールしたい、とのことらしいが、もうひとつ趣旨が理解できない。

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 パンタを下げて、バッテリーによる運行も行われた。

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 まあ、そんな難しいことを考えず、とりあえずはなかなか見られない、珍しい車輌が走るということでありがたく撮影させてもらった。あまり褒められた話ではないが、クルマなので自由に移動して撮影できる。暑い時期だけに、これは楽だ。このカットを構えているときに、急に雨が降り出したが、クルマなので濡れることがない。

 もちろん、高岡まで行ったので、富山地鉄も撮影している。

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 京阪の3000形である。

 よく考えたら、昨年の夏にもこの場所に来て、西武のレッドアローを撮影していた。2年続けて同じ場所で撮影をしているわけだ。(^_^;)去年は富山に何をしに来たかと確認したら、市内線の100周年記念花電車が目的であった。その時には、まだ京阪3000形は2階建て車を組み込んで運行しておらず、撮れなかった。この2階建て編成をぜひとも有峰口の鉄橋で撮りたかったので、再度、ここまで来ざるを得なかったわけである。

 ここもクルマで来ている利点を活かして、立山の手前の鉄橋でも撮影する。

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 このあと、北越を宮崎と市振の間のお立ち台まで撮影に行き(夏は草が多くて駄目!)、その帰りに宇奈月温泉からの列車を狙おうと黒部のあたりで場所を探したが、思ったような場所がなく、これも昨年撮影した上市の手前まで戻ってきてしまった。

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 富山滞在中に地元の鉄友と話していて、富山地鉄の通受けする見所を聞いたところ、上滝線で朝に見られる3連どうしの行き違いではないか、という。富山地鉄は乗客減に悩んでおり、もはや本線でも朝に増結車の運行はないが、唯一、上滝線だけ、3連が運行されているらしい。そのうち1本は京阪3000形またはレッドアローであるが、もう1本は限定運用の10020形にクハ175を連結した異形式の連結運転である。

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 車体断面の異なるクハ175と10020形の写真の方が良かったかな。(^_^;)

 高岡では、ハイブリッドトラムの試験運転ばかりでは飽きるので、氷見線にも足を伸ばしている。

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 車輌は、つい最近まで地元氷見出身の藤子不二雄のキャラクターのイラストが描かれた車輌ばかりであったが、最近は西日本のDC標準色=タラコの車輌も増えたようだ。ただ、訪れる時間が悪く、側面など、ほとんどの部分が影になってしまっている。もう少し早い時間にいくべきだった。

 名古屋への帰路では、上下トワイライトの間の時間つぶしに福井鉄道にも寄った。ただ、肝心の低床車フクラムはこのところ故障続きとのことで、今日も運行無し。その代わりに・・・

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 200形のみならず、610形の動くところが見られた。200形はともかく、610形が動くのは珍しい。残念ながら、走りは時間がなくて撮ることができなかった。

 今回は、比較的時間に余裕があったうえ、クルマの機動性を発揮して、かなりいろいろなところで撮影ができた。とはいえ、まだ狙いたいところも有り、北陸新幹線開業までに再度、出撃をすることもありそうだ。(駅長)

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295.1980年夏 信州撮り鉄行脚 1号車 【中央西線】 1980/8/21・22

 この年はお盆過ぎに鉄道研究会の夏合宿が上松(何とマイナーな…)で開催されたため、九州の余韻も冷めやらぬまま、続けて信州へ撮り鉄行脚の旅に出掛けました。ちょうど天候不順のサイクルにあたってしまったため、結果は消化不良の感は否めませんでしたが、懲りずにお付き合いいただければ幸いです。

1280821_2 開催地が近場ということもあって、当日の午前中に自宅を出発しました。途中、乗り換え駅の中津川ではDD16が入換作業に勤しんでいたので、その様子をスナップしました。
【1980.8.21 中津川】(電車運転士)

2280821 入換は突放で行われており、操車掛が貨車にぶら下がって足踏みブレーキを操作していました。突放入換は今では見られなくなった光景ですが、最近では岳南鉄道の比奈で行われていたことが記憶に新しいところではないでしょうか。岳南の場合はコキだったので、足踏みではなくデッキの丸いハンドルを操作していました。チップ満載のトラ90000の姿も懐かしいです。
【1980.8.21 中津川】(電車運転士)

3280822 民宿に1泊後の翌日は上松周辺で鉄活動を行いました。この日は朝から雨模様でテンション大幅ダウンでしたが、とりあえず、定番のドライブインの駐車場から寝覚ノ床を俯瞰できるポイントに向かいました。当時はEF64の客車列車が1往復残っており、まずはそれを狙ってみましたが、木が邪魔をして機関車の顔と後部の荷物車しか写っておらず、これだとせっかくの客車列車が何の列車かわかりません。゚゚(´O`)°゚
【1980.8.22 倉本~上松】(電車運転士)

4280822 入場料に大枚をはたいて寝覚ノ床から線路を見上げてみました。湿度が高いせいかタイミングによっては川霧が発生して列車が見えなくなるといった何とも情けない条件が続きましたが、「つがいけ」の時はちょうど霧の合間にあたったため、何とか列車が写っていました。
【1980.8.22 倉本~上松】(電車運転士)

5280822 今度は線路端に寄って「しなの」を待ちました。この頃から雨が土砂降り状態になって上から下までびしょ濡れ、半ばやけくそ状態で撮影を続けました。「しなの」では少数派だった非貫通の100番台が先頭で来ました。
【1980.8.22 倉本~上松】(電車運転士)

6280822 国道上にポイントを変えてしばらくすると上りの貨物列車がやって来ました。雨に煙る木曽の山々をバックにしてみました。この頃の貨物列車は今と違ってEF64の単機牽引が当たり前でした。
【1980.8.22 倉本~上松】(電車運転士)

7280822 下りの客車列車はどこで撮ろうかポイントを探しているうちに時間切れとなってしまいました。仕方なくこのポイントでカメラを構えましたが、機関車の顔しか見えないのに加えて、ちょうどセクションの場所だったため、ビームと架線が鬱陶しく写り込んでしまっています。客車列車に関しては完全に場所選択誤りでした。(´;ω;`)ウウ・・・
【1980.8.22 倉本~上松】(電車運転士)

8280822 最後にもう一度定番ポイントに戻りました。今度は寝覚ノ床は捨てて編成が見渡せるところにポジションを変えました。当時の「しなの」は9両のフル編成だったので、晩年と比べて迫力がありました。
【1980.8.22 倉本~上松】(電車運転士)

●次の目的地 飯田線北部エリア

●移動行程 上松→辰野ステーションホテル(別館)→飯田線

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