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2014年1月

2014年1月31日 (金)

長~いP.E.A

間もなく富士急で終焉を迎える元「パノラマエクスプレスアルプス」編成に感謝の意を表して、今回は最近スキャンしたフィルムの中に見つけた、こんなP.E.Aの画像を披露します。

 

93511_2 堂々10両編成のP.E.Aです。ご記憶にある方もいらっしゃると思いますが、1993年春臨として中央東線で運転された臨時急行「しんせんやまなし」号です。なかなか見応えのある編成ですが、当然10両固定であるはずもなく、3+3で組成される所定編成の真ん中に、P.E.Aと同じ塗装を施した167系4両のアコモ改造車(メルヘン車)を挿入して、はい、10両編成の出来上がり。愛称表示枠には特製マークも掲出されて、特別な列車であることを主張しております。
  

9352 こちらは往路の下り列車です。八ヶ岳が見えていたので、後追い撮りになることを承知でこの場所で狙いました。
ところで、この前後のコマを見ていたらこんな列車の画像が現れました。
  

93513

93514_2 P.E.Aが折り返し上り列車として出発するまでの間、野辺山まで足を伸ばしてDD16牽引のトロッコを撮影しています。
  

 

93515 こんなシーンを撮っていたことなど、フィルムを覗いても記憶がよみがえりません。上りか下りか、撮影場所すら忘れましたが、それなりの記録として画像だけはしっかりと残っていました。
  

93516 やがて新型車の投入により姿を消すであろう183系「あずさ」の撮影も兼ねての遠征でした。当時は「あずさ」なんて、いつ出かけても次から次へとやって来るのに、この日はP.E.A、DD16のほかにも甲府止まりの「かいじ」の松本延長運転など特徴あるネタ列車が何本か運転されたのに誘惑されて「行くなら今でしょ!」と遠征する決断をしたのかもしれません。
撮っておいてよかった?と自己満足のライブラリーでした。(撮影日:1993/05/01 出札掛)

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2014年1月27日 (月)

ようやく今年の初鉄ちゃん

 年が明けてはやくもひと月が過ぎようとしているが、ようやく今年の初撮りに行った。それなりにバタバタしているのは確かだけれど、けして鉄ちゃんに行く時間がないというわけではない。要するに撮りに行きたい対象がなく、気力がわかないので、出動しなかっただけである。

 さて、初撮りの行き先はココである。

_mg_9971
 また、富士急か!と、思われるかもしれないが、今年になってココが一番のネタなのでやむをえない。それもさることながら、検査掛さんや電車運転士さんの素晴らしい写真を見せて貰ったら、行きたいという気持ちにならない方がおかしい。そのようなわけで、撮影報告としてご覧いただければ、と思う。

 たまたま、1月26日の日曜に東京に行く用があった。東京には昼までに着けば良い。そこで、富士急ハイランド行きの夜行バスの運行日を調べると、ちょうど土曜に運転することがわかった。これは、もう富士急に行ってくれ、と言っているようなものである。しかし、問題は天候である。こればかりは自分の力ではいかんともしがたい。10日前から気になって天気予報を確認しても、26日の前後は晴マークが続いているくせに、なぜか26日だけは曇り/雨の予報。バスのキャンセルは2時間前まで出来るため、最終の判断は当日夕方の天気予報を見てからにすることにした。それくらい、どうしようか迷っていたのである。

 25日の土曜日は、朝は晴れていたが、次第に雲が広がり、天気予報通り雨の近いことを伺わせた。しかし天気予報では、雨は夜間だけで、翌日は昼頃から天候が回復するという。予報を信じてダメ元で行くことにした。バスの名古屋出発時には雨が降り出したが、長時間停車する清水のパーキングではすでに雨があがっている。ようやくあたりが明るくなってきたが、空は曇っているようだ。半ばあきらめて、ウトウトしていた。

 カーテンの隙間から漏れてくる光で目が覚めた。慌ててカーテンをあけると、なんと空は快晴。残念ながら、富士山には雲がかかっているが、これは天候が安定すれば、次第に雲が取れていくと期待できる。河口湖でバスを降りて、検査掛さんの乗られた7時48分の電車で三つ峠に。車窓から見たお立ち台の道路は、天気予報が悪いことから、10人ほどがいるだけである。

 しかし、期待に反して、なかなか富士山の雲はとれない。そこで河口湖行きのパノラマ・アルプスはお立ち台手前のカーブで後追いで狙う。

_mg_9960
 さて、問題の富士山バックの構図である。

 まず、心配だったのは場所の確保である。これは、たまたま大阪の友人が撮影に来ていたのにバッタリ会って、その横で撮らして貰った。もっとも、この日は同業者の数が少なくてまだまだ余裕があったが、前日の土曜日はかなりの数が出ていて、パトカーも巡回に来たという。

 しかし、しかし、期待に反して富士山がもうひとつである。

 河口湖行きのパノラマ・アルプスが通過した後、富士山は頂上まで見えるようになった。しかし、今度は背後に薄い雲が広がり出し、コントラストが弱くなってしまった。上の元京王5000系の1000系が通過した頃がまだ条件は良かったが、肝心のパノラマ・アルプスが通過する頃には、さらにコントラストが低くなってしまった。

Photo
 なんとか、目一杯に補正をして、この程度まで見られるようになった。電車運転士さんや検査掛さんが撮られた青空に抜けた富士山をバックにした写真と比較すると、やや残念ではある。

 でも、これ以上、望むのは贅沢だろうなぁ。晴れて、なんとか富士山バックで撮れただけでも、良しとすべきなんだろうな。ちょっと、残念ではあるけれど・・・。

 ちなみに、土曜日は、富士は見えたけれど天気は曇り。日曜の方が、遙かに条件は良かったという。この日も、パノラマ・アルプスが行った後は、頂上に雲がかかり、山はくっきりと見えなくなった。ちょうど、富士山バックの位置にいたときだけ、富士がその姿を現していたことになる。

 まあ、パノラマ・アルプスは無くなっても、今度は小田急の御殿場特急車が短縮されて運転されるわけだし、ミトーカー電車がやや多いのは気になるけれど、許容範囲ではある。嬉しいのは、富士急ハイランド行きの夜行バスに乗れば、運が良ければ片道3000円ちょっとでこの場所まで行けることだ。また、冬に東京に行く機会があれば、同じルートで撮影に行っても良いかな、と思う。

 しかし、これまで富士急の魅力や、こうした行き方にどうして気がつかなかったのだろう。富士急を本格的に撮影するのは、今回がはじめて。名古屋から行きづらい場所であるのは確かなんだけれど・・・やはり、不勉強というべきなんだろうな。(駅長)

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2014年1月25日 (土)

ナガラ1型を撮りに

昨年末から運転を始めて好評を博している長良川鉄道の企画団体列車「ごっつお~コタツ列車」。ユニーク度もさることながら、趣味的には3月で引退の「ナガラ1型」が限定使用されるので、集客不足でウヤさえなければ最後の活躍をカメラに収めるには絶好の機会です。因みに1月13日はウヤでした(←わざわざ撮影に出かけてハマった人達のうちの一人)。
 
1月25日、天候もそれほど安定しないなか、郡上方面の地域別天気予報には晴れマークが比較的多く表示されていたので、1か月前に撮影したのにも飽きたらずに(→ 
http://b1hanabusa.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-bce1.html )、13日に実現しなかったナガラ1型の撮影をリベンジするべく再び出撃しました。

 

01まず1発目、前回は立ち寄らなかった長良川第二橋梁から撮影を始めます。曇り天気限定のポイントにて、ちょっとひねくれて縦構図にトライしました(もう1台のカメラで無難な横構図も撮りましたが)。橋上では減速するので何度でもシャッターが切れます。この場所はほぼサイドからの構図が定番ですが、ヘッドマークを写し込みたかったので、あえて斜め位置から狙いました。

  

02続いて、第四橋梁を仰ぎ見る位置にやって来ました。天候は薄曇り。辛うじて側面に弱いながらも光が当たるので、手すりが目障りですが背景も気に入ったのでこの位置から狙いました。ここでも列車は徐行してくれるので、落ち着いて撮影できます。

 

03次は郡上八幡からの折り返しを第三橋梁で待ちますが、ちょっとまとめ難い構図になるようですね。徐々に晴れ間も見えてきて撮影には好条件となり、これで雪景色なら文句ないのですが、この辺りはもともと積雪の少ない地域なので仕方ありません。上りの列車は、下り列車とは違って結構なスピードを出して通過します。

 

04撮影後、急いで車に乗り国道を南下、大矢で列車を追い越して、もし間に合えば撮影しようと想定していた第二橋梁まで先回り。1発目の撮影時と違って天候には恵まれましたが、やはり徐行せずに走り去ります。

 
05関市内まで戻ってきて、とんがり山(地図によると“松鞍山”とある)バックに再びトライ。前回の撮影時は、山の中腹に高圧線が横切ってうっとおしい画像だったので、もっと南下してカメラを構えたら、どうにかスッキリできる画像を得られました。

  
大寒を過ぎたばかりというのに、風も吹かず春の陽気を感じさせる穏やかな一日でした。(出札掛)

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2014年1月24日 (金)

【アーカイブス】1984年の鉄道イベント

 現在、1984年に撮影した写真をデジタル化していて、そろそろこの年の分が終了する。今から30年前に撮影したフィルムである。

 ようやく15年分くらいの写真をデジタル化したわけであるが、さらに30年分、単純にこれまでスキャンした倍のフィルムが残っているわけである。これまでが65,000コマなので、さらに10万コマくらい、スキャンする必要があるわけだ。まだまだ先が長く、それを考えると暗鬱たる思いであるけれど、やらないよりはやっておいた方が良いのではないのかなぁ、と漠然と考えている。まあ、デジタル化しておいても、どう使えるか、ということはわからないのだけれど・・・。

 閑話休題、1984年のフィルムをスキャンしていると、この年、撮影会などのイベントが多かったことに気がつく。夏休みには、毎週のように行われている。おそらく、国鉄解体の話が出てきて現場の志気が問われ、その対策のひとつとして撮影会が企画されたのだろう。昨今、機関区への立ち入りは極めて制約があり、なかなかそうした機会は無いが、当時のこうした撮影会には今から見れば垂涎の的の車両が陳列されており、非常に魅力的である。しかも、無料である。まあ、30年も前のことなので、時代が違う、といってしまえばそれまでであるけれど・・・。

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 まずは7月29日に行われた敦賀機関区の撮影会である。写真には4両しか写っていないけれど、お召し装備のEF7036を真ん中に5両が並んでいる。「つるぎ」や「日本海」のヘッドマークをつけた機関車も、なかなか決まっている。

 この日は、近鉄養老線でも養老線の電気機関車のサヨナラ運転が行われている。1日にふたつのイベントを掛け持ちしているわけだ。

Maibara
 続いて、その翌週の8月4日に開催された米原機関区の撮影会である。お召し装備のEF58を中心に4両が並んでいる。この頃、東海道の荷物がEF62牽引に変わり、EF58が大量に落ちるときだっただけに人気を集めたことを思い出す。米原機関区の撮影会はこの後も開催され、お召し機のEF5861が来たときもあったように記憶する。

 この日は他にはイベントは無かったが、秋に3セク化される樽見線を乗車の後に米原まで行っている。

Photo

 続いては、8月19日に開催された浜松機関区の撮影会である。この時には、遙か広島からEF59を持ってきている。EF58は、もう大量に落ち始めているのだろうか、さよならのマークが付いている。

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 この翌週には、三岐鉄道でED22のさよなら運転が行われている。私鉄の特徴ある電気機関車もこの頃が最後だったのだろう。

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 さて、9月にはイベントが少なくなるが、10月にはまた、各地で行われている。 

 これは10月10日に行われた美濃太田機関区の撮影会。お召し仕様のDD51や
ラッセル車が目玉のようだ。それなりの数のファンが来ているが、いまから思えばなんとなくマッタリしているように見える。
 

 本来、こうした撮影会はあまり好きな方では無いが、なぜかこの年にはイベントに踊らされて毎週のように撮影会に行っている。今にして思えば、こうしたイベントで撮影するよりも、もっと撮っておかなければいけなかったものもあるように思うが、まあ、30年前のことでもあるし、やむをえない部分もあるのだろう。当時の状況には複雑な背景がある事は事実であるけれど、この一面だけ見れば、鉄道ファンには良かった時代、なのかなぁ?(駅長)

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2014年1月23日 (木)

267.1980年夏 九州撮り鉄行脚 8号車【高森線】1980/8/12

 九州撮り鉄行脚は前回の鹿児島市電から約1ヶ月ほど間が空いてしまいましたが、久しぶりに再開したいと思います。このところ、北九州・長崎・鹿児島と路面電車が続いていましたが、今回は国鉄路線の高森線をご紹介します。高森線はスイッチバックで有名な豊肥本線の立野から分岐し、阿蘇外輪山のわずかな切れ目の険しい地形を抜け、その後は阿蘇山を望みながら南郷谷の長閑な風景の中を行く17.7㌔のローカル線です。計画では延岡から伸びてきた高千穂線と結ばれる予定でしたが、結局、工事は凍結されて初志貫徹はならずに未成線で終わってしまいました。相方の高千穂線は第三セクターの高千穂鉄道に路線が引き継がれましたが、水害で致命的なダメージを受け、廃止となってしまいました。高森線は同じく第三セクターの南阿蘇鉄道に引き継がれましたが、こちらは厳しい状況は続いているものの現在でも存続しています。

1280812 まずは阿蘇山を望む広々とした雄大な風景を撮りたいと思い、南郷谷へ向かいました。一面夏の緑の田んぼが広がる向こうに阿蘇の山並みがありますが、生憎の天気でクリアな状態ではありませんでした。中央付近にキハ55の2両編成が写っていますが、欲張って風景を取り入れすぎたため、列車はどこでしょう…?状態になってしまいました。
【1980.8.12 阿蘇下田~中松】(電車運転士)

2280812 高森線には大好きなDD16の貨物列車が1往復設定されており、これが高森線を訪れた最大の目的でした。この写真も真ん中あたりにワフ1両を従えたDD16が写っていますが、これも列車がどこにあるのか探すのに苦労するような構図にしてしまいました。せっかくのDD16なのに何とももったいないことをやらかしてしまいました。
【1980.8.12 阿蘇下田~中松】(電車運転士)

3280812 貨物列車は午前中の旅客列車がない時間帯に1往復していたので、旅客列車が1日6往復しかないダイヤでは下りの貨物列車を撮ると列車移動ができません。同じような写真を撮っても仕方がないので、何とか移動できないか調べたところいい時間に高森から熊本行のバスがあることがわかり、阿蘇下田から乗車しました。これがまた都合のいいことに長陽→立野は旧道経由で白川に架かるアーチ橋の定番ポイントを通ってくれるルートでした。ポイントを決めてしばらく待っているとDD16の貨物列車がゆっくりとアーチ橋を渡って行きました。今回の九州行で一番撮りたかった場所と列車のひとつが撮れて大満足でした。ここは現在はバイパスの立派な道路となって状況は大きく変わっていますが、この当時とほぼ変わらないアングルで南阿蘇鉄道の列車を撮ることができます。
【1980.8.12 立野~長陽】(電車運転士)

4280812 貨物列車を撮影後はもうひとつの定番ポイントに向かうため、九十九折の坂道を下りました。当時は坂を下り切ったところに一軒家の温泉旅館があり、その裏手の河原からアーチ橋を見上げることができました。渓谷と両岸の断崖を入れたくて横構図にしましたが、今思うとアーチ橋の高さが強調できる縦構図の方がよかったかなと後悔です。
【1980.8.12 立野~長陽】(電車運転士)

6280812 立野に向かうため、一旦下った峠道を再び登って行くとアーチ橋を正面から見渡せるポイントがありました。原生林の中からキハ55の列車が飛び出してきました。当時は珍しくも何ともない急行色のキハ55でしたが、この後、九州ではキハ40系列の台頭と一般型気動車のタラコ化が急速に進み、急行色のキハ26・55は貴重なものとなってしまいました。列車本数が少なく撮影効率のよくない高森線でしたが、アーチ橋を行くDD16が撮れたということで、成果としては大きいものがありました。
【1980.8.12 立野~長陽】(電車運転士)

●次の目的地 鹿児島交通

●移動行程 立野→熊本→「阿蘇」→小倉→「かいもん5号」→伊集院→鹿児島交通

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2014年1月19日 (日)

30年前の富士山  御殿場線+清水港線

寒さに凍えて今年に入ってからはただの1度、しかも午前中のみしか撮影に出かけていないので、新作がありません。電車運転士様が行動力を発揮され、今年の富士山を撮影されていますので、これを受けて30年前の富士山をご紹介したいと思います。
と言っても、今振り返るとなんとも消化不良な結果で、後悔しきりです。
 

この頃(1984年)の国鉄はというと、ようやく合理化に目覚め?設備投資をせずにフリークエンシーを高めるため、電車では中間車への運転台取り付けが始まったころで、普通車用としては地方線区で多く使用されていた115系は、全国規模で改造、転配が行われつつありました。 

御殿場線も御多分にもれず、訪れた1984年1月、身延線の列車の一部を123系に置換えることにより、それまでは身延線専用車だった115系2600番台が投入されるとともに、従来TcMM’TcをMcM’Tcに短縮化される過渡期でした。

Img336山北・東山北  631M  1984年1月17日
所詮編成主体で撮影しているので、富士山は遠慮がちに頭を覗かせているだけです。既に後ろの115系は3連での運用になっています。

Img339

東山北・山北  632M  1984年1月17日
ここでは6本の列車を撮っていますが、望遠で富士山を引いているのはわずかこの1カットのみです。なんというもったいないことをしているのでしょう。6本のなかにはSSEも167系も含まれるのですが、この2本は富士山をバックにしていません!
2両目がモハ→クモハの改造車で、この車だけ塗り変えられているのがわかります。
 

これだけの富士山なら御殿場へ行ってもよさそうですが、なぜここで撮ったか、というと、この日伊豆箱根鉄道大雄山線で事業用車となったモハ66が走るということで、これを撮らなければ、ということでこの後、一旦小田原へ出る必要があったためです。そちらを今見るとつまらないカットなので、御殿場に行くべきでした。

ちなみにおそらく今後陽の目を見ることはないでしょうからモハ66は↓です。

Img753_2 小田原  1984年1月17日
旧国鉄クモハ12000で大垣区で廃車になったのち伊豆箱根鉄道に譲渡されたものですが、なぜかパンタ側の乗務員扉がありません。元形式はモハ34なので、両運のはずですが、改造したにしてはシルヘッダーが不自然でないので不思議です。-閑話休題ー

この年、もう1か所富士山を望む場所で撮影しました。3月31日で廃線となった清水港線です。
この線の存在を知ったのは大学生のときで、すでに旅客列車は朝の三保行、午後の清水行の1往復になっており、それ以外に貨物列車があったかどうかは知りません。
廃止となる3月の週末(毎週かどうかは覚えていません)に43系客車5連による臨時列車が数往復したと思うのですが、富士山を入れて撮影できたのは3月11日の最後の1往復だったと思います。
Img419

折戸・三保  9623レ  1984年3月11日
どこに登って撮ったか全く覚えていませんが、直線の突き当りが三保駅だと思います。

Img421 三保  1984年3月11日

9623レを撮った後、三保駅まで歩いたのでしょう。このときはヨを従えていますが、この後の列車は↓のようでした。
Img422

折戸・三保  622レ  1984年3月11日
9623レを撮った同じ場所です。この日はまだお客も少なく、寒いのか窓もあまり開いていませんでした。
最終日の3月31日も再び訪れましたが、当然ながら廃線ということもあり、沿線住民、鉄チャン入り乱れての狂想曲を奏でました。富士山も当日はお隠れだったようで、11日に行って正解でした。

以上、1984年の富士山をご覧頂きました。(検査掛)

 

 

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大 寒

寒さのピークとなる時期を迎えましたが、今冬の東海地方は少雪のよう?地元では今まで小雪が舞った程度で薄らとも積もりません。そろそろ「目覚めたら一面の白銀世界」という朝が訪れてもおかしくないのに、残念なことに気配すら感じられません。しかし、通勤、通学、仕事時のトラブルや、降雪の多い地方で生活されている方々のことを考えると、雪が積もらないのに越したことはないので、「雪よ降れ!」などと身勝手なことばかり言っていると罰が当たります。反面、東北や日本海側の地方では例年にない積雪量で苦労が絶えないことと存じます。被害に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。

 

1ちょうど30年前の冬、59-2ダイヤ改正を目前にした1月31日、名古屋では早朝からず~っと雪が降り続いていました。この日を最後に姿を消す急行「比叡」とEF61の荷物列車を記録に残しておきたいと思い、雪景色にも魅せられて、ふとカメラを持って外に繰り出しました。
ただ、雪まみれになりながらカメラを構えて列車を待つほど根性のなかった軟弱な自分は、傘をさす必要のない屋根の下でお気楽撮影を楽しもうと、目的地を名古屋駅のホームに定めました。当時は国鉄線で大学に通っていたので、定期券を有効的に活用できるというのもその理由の一つです。

 

2EF61牽引の上り荷物列車38レが到着しました。EF58と違い、パッと見たときの外観上のインパクトがあまり強くなかったため、ほとんどカメラを向けませんでした。きょうばかりは雪中、しかもお別れ撮影ということで特別なカットです。

 

3この日は8104レのスジでサロン東京が東上します。雪も小康状態になったので、駅を出て雪景色の走行風景を撮りに行きました。

 

4上り急行「比叡」の到着時刻が迫ってきたので、再び名古屋駅に戻りました。「比叡」の最終列車が終着駅に到着です。画像は後部を撮影したものですが、律儀に「402M」の列車番号を表示して、乗務員窓には何やら惜別メッセージらしきものが並べられていました。国鉄主催のお名残演出としては、さよなら記念切符が発売された程度でしょうか。

  
5EF61牽引の下り荷物31レがSGを吹き上げながら到着しました。最後のEF61荷物列車です。運よくトップナンバー車でした。

  
年に数日は名古屋の都心部でもこれだけ降り積もる日があったのに、近年では小雪が舞うだけでも貴重な気象現象(オーバーかな?)となりつつあります。地球温暖化が少なからず影響しているでしょうが、上の写真を撮った30年前は想像すらできなかった事態です。ガソリン代も高騰しているし、これ以上温暖化を進ませないように、大いに鉄道を利用しましょう。
あれ、何の話題が中心だったのでしょうか? (出札掛)

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2014年1月13日 (月)

266.山梨県で富士山鉄 【富士急行+α】 2014/1/12

 この3連休、寒さは厳しかったものの太平洋側を中心に穏やかな天候が続きました。昨年は雪を求めて日本海側に遠征しましたが、今年は日本海側は荒れ模様の天候だったのとネタ列車の話題に乏しいのが現状でした。そんな中、検査掛様が年末に行かれた素晴らしい富士山と富士急の画像に触発され、自分も行きたい気持ちが湧き上がっていました。11日は家族運用で身動きがとれませんでしたが、条件がよければこの3連休中に決行しようと秘かに考えていました。天気予報と睨めっこしていると12日は条件がよさそうだったので、多少のリスクは覚悟しながらもスクランブル発進となりました。往路はまだ通ったことのない第2東名を走ってみたい気持ちもあったので、太平洋側のルートで現地入りしました。

_dsc32292 検査掛様も行かれた定番の富士山ビューポイント到着は6時30分、まだこの頃は先着の同業者は2名、とりあえず場所を確保してやって来る列車を待ちました。7時を過ぎると富士山がいい感じで赤富士状態になってきましたが、怪しげに中腹に漂っていた雲に加えて、煙幕のように現れた雲が富士山を隠そうとしています。リスクを冒してせっかくここまで来たのにこのまま富士山が見えなくなってしまうのではと大きな不安が心をよぎります。今後の主力車両になるであろう元205系の6000系が通り過ぎて行きました。
【2014.1.12 三つ峠~寿】(電車運転士)

_dsc33062 その後は、当初の不安をよそに富士山にまとわりついていた雲は急速になくなり、本命のPEAが通過する前には雲ひとつない絶好の条件になりました。検査掛様もアップされたものと重複しますが、今回のメインディッシュということでお許しください。この時ここに集結した同業者はざっと見ても50名程で激パの状況になっていました。2月上旬の引退まで毎週末は葬式鉄の皆様で大賑わいになることが容易に予想されました。
【2014.1.12 三つ峠~寿】(電車運転士)

_dsc33432_2 富士急には元京王の5000系が主力車両として活躍中です。富士急のオフィシャルサイトをチェックしたらリバイバル塗色車が朝から昼過ぎにかけて線内を2往復するということで、絶好の条件でものにすることができました。結果的にこの日は在籍5本中4本を撮影することができました。青と水色ベースの旧標準色が来ればコンプリートということになりましたが、やっぱり1日の訪問では無理がありました。
【2014.1.12 三つ峠~寿】(電車運転士)

_dsc33542_2 この日は3連休ということもあって、ホリデー快速「富士山号」は2本運転で、2本目は183系国鉄色車での運転でした。正面の特急シンボルマークがないので、顔に締りがありませんが、贅沢は言えません。
【2014.1.12 三つ峠~寿】(電車運転士)

_dsc33622_2 午前中に富士急線内を1往復する高尾直通列車には絶滅危惧種となった伝統のスカ色115系が運用されています。ここを通過する高尾行は11時過ぎ、光線的にはこの列車が限界でした。
【2014.1.12 三つ峠~寿】(電車運転士)

_dsc28532 この後、検査掛様も行かれた下吉田の富士山バックのカーブに向かいました。途中、山の中腹に公園的に整備されたような斜面が見えたので、ひょっとしたら富士山の俯瞰ができるのではないかと思い、予定を変更して登ってみました。眼下には富士吉田の街並みと富士山の絶景が広がっていました。光線的には終日逆光で条件はよくありませんが、時間的に下に降りる余裕はなく、PEAの「フジサン特急6号」はここで待ちました。
【2014.1.12 下吉田~月江寺】(電車運転士)

_dsc33842_2 横構図だと列車はさらに小さくなりますが、このポイントのパノラマ具合がおわかりいただけると思います。
【2014.1.12 下吉田~月江寺】(電車運転士)

_dsc28772 下に降りて線路端で正面から富士山ドッカンを狙ってみました。アングル的に厳しかったのと完全逆光の中やってきたのが黒っぽい富士登山電車で車両がつぶれてしまったため、ちょっと苦しい出来栄えになってしまいました。
【2014.1.12 下吉田~月江寺】(電車運転士)

_dsc34152_2 富士急は昼過ぎで撤収し、帰りは中央道経由としました。というのはせっかく富士山が見えているのであれば、このポイントに寄り道したかったからです。中央東線の富士山ビューポイントとしては超有名な場所ですが、訪れたのは初めてでした。長野色の115系が勾配を登ってきました。中央東線のヌシ的な存在だった115系も3月のダイヤ改正で運用が大幅減となるようで、先行きが心配されます。
【2014.1.12 長坂~小淵沢】(電車運転士)

_dsc28952_4 E351系の「スーパーあずさ」は富士山を強調するため、縦構図にしてみました。振り子車両の本領発揮といった感じで車体を大きく傾斜させて高速でカーブを曲がって行きました。
【2014.1.12 長坂~小淵沢】(電車運転士)

_dsc34522_2 陽も落ちてきたので、撤収して帰路に着こうかと思いながらも念のため小海線の時刻表を確認してみました。すると、ちょうどいいタイミングで下り列車があったので、これもせっかくだからということで、小淵沢の大カーブにも立ち寄ってみました。陽は完全の山の影に落ちてしまいましたが、空が赤く染まり、残照で甲斐駒ヶ岳が思ったよりも見えていました。露出的には厳しい条件でしたが、何とか撮ることができました。
【2014.1.12 小淵沢~甲斐小泉】(電車運転士)

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2014年1月12日 (日)

【アーカイブス】下手物、ゲテモノ、珍風景

 折角なので、1984年にオーストラリアを訪れたときの写真をもう少しご覧に入れたい。この時は同行者があったし、行程の制約もあったので、思う存分鉄道を撮ることは出来なかったが、それでもそれなりに撮影はしている。

 当時(今もそれほど変わってはいないが)、欧米とは異なり、オーストラリアの鉄道に関する情報はほとんどなく、見るものすべてが新鮮であった。ちょうどこの頃、設備の近代化が進みつつあったが、戦前や戦後につくられたクラシックな車両がまだまだ現役であった。それらの多くはアメリカの鉄道の影響を受けており、小さな頃から絵や写真などで見てきた特徴ある姿はなじみ深かった。また、その一部はオーストラリア流にカスタマイズされていて、一度見たら忘れられない特徴ある外観をしていた。

 それらの中でも、一番インパクトがあったのがこの車両である。

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 いかにも無骨な外観のこの電車、由来をきけばビックリしてしまうだろう。なんと客車改造の電車で、しかもその客車たるやモニタ屋根で、客室毎に乗降扉がついているボギー車最初期の車両なのである。

 この角度ではもうひとつわかりづらいので、オーストラリアの友人から貰った横位置の写真を載せてみたい。

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 これで見ると、どのような車両か、おわかりいただけよう。

 タイトカーと呼ばれたこの車両は、現在はLRT路線にコンバートされたセントキルダへの路線に使用されていた。時間があれば追っかけたかったが、残念ながら駅で見ただけである。この車両の走りが撮れなかったのは、いまでも悔いが残っている。

 この時のメルボルンでは、現地のオーストラリア人に案内して貰い、自宅まで訪れている。それゆえ、ただでさえ乏しい撮影時間が、ますますなくなっってしまったが、逆にこんな所にも案内して貰った。

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 機関区である。こうやってドッグノーズの機関車が並ぶ様は、アメリカの機関区のようだ。

 こうしたドックノーズの機関車は、アメリカの場合は片運であったように記憶するが、オーストラリアには両運の機関車があった。

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 それだけではない。なんと、このタイプの電気機関車すら、あったのである。

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 ドッグノーズの電気機関車が、モニタ屋根の客車を牽引している。外観から見ると、一番最初の荷物車は、上のタイトカーに改造される前のオリジナルの客車かもしれない。この機関車も、駅で見ただけで走りは撮れなかった。そこで、友人の写真をお目にかけよう。

Photo_15
 これも撮りたかったなぁ。

 さて、次なるは車両ではなく、設備について。これは何のシーンかおわかりかな?なにやらゲートを閉めているが・・・。

Photo_16
 では、次のシーンを・・・。

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 そう、踏切である。しかし、これでは鉄道側を遮断しているように見えるが・・・。

Photo_18
 ここを走るのはこんな車両。この踏切があるのはメルボルンの近郊電車区間である。では、この踏切の仕組みはどうなっているのか、というと、電車が来ると当然、道路側を遮断するが、それ以外の時間はゲートをあけて、今度は線路を遮断するのである。電車の運転間隔はわからないが、近郊区間だからそれなりの本数があると想像される。それをいちいち、こんな風に開け閉めしていたら、かなり大変な作業である。仮に、電車が来たときに開け忘れていたら、どうなるのであろうか。ちょっと心配してしまう。

 おそらく、こうした踏切は宗主国のイギリスの伝統を受け継いでいるのだろうけれど、日本的に見れば珍風景である。こうした踏切がどれくらいあったのか、まったく記憶はないが、もっとしっかり見ておけば良かったと今更ながら思ってしまう。(駅長)

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2014年1月11日 (土)

出張手当

え~、・・・出張の利点といいますか、たまたま空き時間があったといいますか、ついでといいますか、「狙ったな!」といいますか・・・。
  

  
1月某日、三重県熊野市“方面”に仕事の都合で出かけることになりました。それほど時間のかかる業務ではないので宿泊するまでもなく、昼過ぎに現地入りして日帰り出張。
ただ単に仕事の為だけに南紀地方まで足を運ぶのはもったいない。せっかくなのでそれならばと、ちょいと早めに名古屋を発ち、行きがけの駄賃と洒落てみましょう。

 

Dsc_3954この日は、運用順に流れれば326Dの先頭に国鉄ツートン色車が立つはずです。車でルート42を南下しながら326Dの運転時刻を睨んでいると、あの「イセカシ」カーブ付近で迎えることができそう。現地は晴れたり曇ったりの落ち着かない空模様ですが、通過数分前にタイミングよく雲の大きな隙間が現れて、同列車は冬の日差しを浴びながらカーブした鉄橋を渡っていきました。

 
Dsc_3961紀伊長島で一休憩するため道の駅に立ち寄ろうと思ったのに、標識を見誤って全く違う道に進入してしまいました。折り返さねば、とUターンしようとしたら、木が伐採されて眼下を見渡せそうな高台が目につきました。近寄ってみると、そこは昨年12月に当ブログにて電車運転士様が投稿された名倉川俯瞰のポイント。見事なまでに紀勢線の線路が見渡せます。ちょうど下りローカルが荷坂峠を越えて来るのでカメラを向けました。シャッターを押したときは数秒差で自然のイタズラにやられましたが、きょうは贅沢言えません。
 

  

Dsc_3970左奥の山々には薄らと雪化粧。温暖なイメージのある紀州でも標高のあるところは冬景色の表情です。
  


Dsc_3973道路の整備がかなり進んでおり、紀伊長島から1時間で熊野市まで到達します。新道開通のおかげで意外と早く目的地に近付いたので、つい気が緩み、ぼーっとハンドルを握っていたら交差点で進路方向を間違えてしまいました。気が付いたら熊野灘をはるか見渡せる地点にたどり着き、その景観につい魅せられて、せっかくなのでたまたま来た普通列車をパチリ。光線状態は良くありませんが、きょうは贅沢言えません。
  

  

Dsc_3979業務も無事完了し、さーて、会社へトンボ返り。どうせ急いで戻っても勤務時間が終わる頃になるので、ならば帰りがけの駄賃と洒落てみましょう。と言っても特にターゲットもなく、時間が経つにつれて日の当たる場所も狭まっていくばかり。ダメもとで再び名倉川俯瞰の場所まで立ち寄りましたが、撮影ポイントでの太陽はやっぱり山の陰でした。時刻は16:30、今度はキハ40系による下りローカルが下って来ます。せっかく晴れているのに光線状態はNGですが、きょうは贅沢言えません。
  

  

Dsc_3984新車への置き換え計画が浮上しているので、選り好みせずにシャッターを切りました。いちおう記録として。
  

  
出張手当と称して久々の紀勢線訪問でした。本文中、一部わざとらしい表現がありましたことをお詫びします。(出札掛)

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2014年1月 8日 (水)

265.2014年新春 鉄事始め 2号車 【阪堺電車】 2014/1/4

 姫路に1泊後、翌4日は最近人気急上昇中の阪堺電車を訪ねました。姫路を6時25分の新快速で現地を目指しましたが、天王寺到着は8時ちょっと過ぎ、ここでも新快速の威力を見せつけられました。正月の阪堺は住吉大社の初詣で輸送で在籍車両が総動員となるため、御年80歳を超える古豪のモ161型に出会えるチャンスが確実に増えることから、注目度が格段にアップしています。阪堺は今回で2度目の訪問となりますが、前回は平時の訪問だったため、モ161型を撮ることができなかったので、そのリベンジが最大の目的でした。

121414 天王寺駅前で1日乗車券を購入して撮影に向かいました。まずはミナミの新たなランドマークとなる「あべのハルカス」をバックに撮影したいと思い、松虫で下車しました。「あべのハルカス」は地上300mの日本一の高層ビルというのが売りのようで、3月にグランドオープン予定だそうです。
【2014.1.4 阿倍野~松虫】(電車運転士)

221414 反対側を振り向くと松虫の電停が撮れました。早速、お目当てのモ161型(170)がやってきました。170は天王寺駅前系統(天王寺駅前~住吉公園・浜寺駅前)の運用でした。この日は営業運転が可能な9両のうちの4両(緑に黄帯の164・緑雲の166・青雲の168・青に金帯の鉄道カフェ広告車170)が運用に就いていました。
【2014.1.4 松虫】(電車運転士)

321414 松虫から次の目的地の住吉へ電車で移動しました。移動中の車内で何と出札掛とバッタリと遭遇、こんな偶然ってあるんですねといった感じでした。それにしてもビックリでした。この後、昼過ぎまで出札掛様と一緒に撮影を楽しまさせていただきました。住吉は恵美須町からの阪堺線と天王寺駅前からの上町線が交差するジャンクションで、ここでしばらく粘っていればその日の運用車両のすべてを見ることができるおいしいポイントです。青雲塗色の168は天王寺駅前系統に入っていました。係員の方が赤旗を持って交差点の交通整理を行っていました。
【2014.1.4 住吉】(電車運転士)

521414 10時を過ぎた頃から住吉大社の参拝客の姿が目立つようになってきました。緑雲塗色の166は恵美須町系統(恵美須町~我孫子道)の運用に就いていました。3が日は本当の意味での車両総動員での輸送対応だったようですが、今年は曜日の並びがよく、4日の昼間帯も増発運転が行われていました。住吉は各方面から次から次へと電車がやってきて、運行パターンの状況把握にしばらく時間を要しました。
【2014.1.4 住吉】(電車運転士)

621414 住吉大社の門前まで来たからにはお参りしないと罰が当たると思い、出札掛様と参拝した後、境内の太鼓橋からの定番アングルも押さえておきました。参道は多くの参拝客で賑わい、正月ならではの風景が展開されていました。参道の賑わいをメインにしたくて、電車は小さくなりますが、敢えて縦構図で切り取ってみました。
【2014.1.4 住吉鳥居前】(電車運転士)

821414 しばし住吉大社の喧騒から離れるため、堺市内に場所を移しました。モ161型のノーマルな走行写真を撮るべく緑に黄帯の164を待ちました。堺市内はメインストリートの真ん中を走る区間が多く、植栽で軌道と道路が区別され、電車は車に邪魔されることなく生き生きとした走りを見せてくれます。この植栽は季節ごとにいろいろな花が咲くようで、冬のこの時期は黄色い花が所々に咲いていました。
【2014.1.4 綾ノ町】(電車運転士)

921414 綾ノ町の浜寺駅前方面の電停は木造上屋が残っており、なかなかいい雰囲気でした。職場の初詣での帰りでしょうか、同じ作業服のグループが電車から降りてきました。
【2014.1.4 綾ノ町】(電車運転士)

1021414 綾ノ町で近鉄南大阪線に向かわれた出札掛様と別れた後、自分はそのまま阪堺沿線に居座り、今度は恵美須町方面に移動しました。北天下茶屋が下町的な匂いが漂っていたため、途中下車しました。家族連れが電車から降りてきましたが、正月のお出掛けで子供たちは大人に抱かれたまま爆睡状態、とくに真ん中の祖父と思われる方は両肩に2人の子供を抱え、結構大変そうでした。
【2014.1.4 北天下茶屋】(電車運転士)

1121414 伝統的なミナミのランドマークとなっている通天閣が入るポイントはどこかにないかと探してみました。肝心の通天閣は遠景になってしまい、存在感が薄れてしまいますが、結局このポイントしか見つけることができませんでした。
【2014.1.4 塚西~東粉浜】(電車運転士)

1221414 東粉浜付近は人通りがそれなりにあるのにもかかわらず歩道がなく、電車と歩行者の距離感が近く感じられ、路面電車が走る町といった雰囲気が漂っていました。今風のお姉様が闊歩する後ろでにわか鉄子と思われる女性が後ろから来る我孫子道行の電車の写真を撮ろうとしています。
【2014.1.4 東粉浜】(電車運転士)

1321414 再び住吉に戻りました。午後も遅い時間になってきましたが、まだまだ多くの初詣で客が降りてきます。係員の方がホームで臨時精算業務を行っていました。
【2014.1.4 住吉】(電車運転士)
1421414 夕方近くになると初詣で輸送のピークを迎えるため、我孫子道の車庫から続々と増発運用の電車が出区してきましたが、残念ながらモ161型の追加投入はありませんでした。施設区長様がおっしゃられていたとおり、この日も晴れ着姿の女性はほとんど見ることができませんでした。あれだけたくさんの人出があったのに写真のお姉様がこの日見かけた唯一の晴れ着の女性でした。時代の流れと言ってしまえばそれまででしょうが、オヤジの立場からすると華やかさがなくなって寂しい感じは拭えません。

 この日は終日阪堺沿線に身を置いていましたが、正月の多客時ということもあり、久しぶりに活気にあふれた路面電車の姿に触れることができました。3が日はさらに活気が増していることと思いますので、来年こそはぜひ3が日に訪れてみたいと思います。

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2014年1月 7日 (火)

インターアーバンの残影-2

 魅力的なアデレードのインターアーバンの続きである。

 グレネルグの街を出た路線は、専用軌道になり、一直線にアデレードの街に向かう。ここがこのインターアーバンのハイライト。モーター音を響かせて、快走する。乗客のいない停留場は、どんどん通過して走って行くので、なんとも気持ちが良い。

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 1984年の時には、ポールをふりあげて快走する姿が見られた。線路の両側は緑地になっているので、撮影しても絵になる。

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 ポールがZパンタになっても、それほど魅力は落ちていない。2010年の再々訪問時もこのあたりで撮影したが、この車両と比べてしまうと、相当魅力は落ちる。

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 アデレードの街には、市街地を取り巻くようにグリーンベルトが環状に設けられている。ここを過ぎると、併用軌道になる。このあたりも好きで、続けて通った。右側の車両は、何かの記念塗装のようだ。

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 こちらは13年後。集電装置が変わった以外は、ほとんど変化がない。

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 1984年のアデレードの終点は、街の中心にあったヴィクトリアスクエア。大きな緑地帯の真ん中に、乗り場があった。

Photo
 2007年秋に都心部へ路線を延長することになり、ヴィクトリアスクエアの緑地ををぐるりとまわるように路線が敷かれた。上の写真の左に見られる塔が写っている。都心部にも高層ビルが増えている。

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 重厚なたたずまいのアデレード駅。この頃は、メルボルン行きのオーバーランドなどの長距離列車も発着していたが、後に大陸横断などの長距離列車は別の場所に設けられた専用のターミナルに移り、近郊列車の駅となった。

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 2007年に延長された路線は、このターミナル駅の前を通って建設された。

 最後にH形の形式写真。

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 アデレード郊外のセント・キルダには路面電車の大規模な博物館があり、銀色に塗られたH形も保存されている。運転台の下にLast Tramと書かれた看板が下げられているので、なにか由緒ある車両かもしれない。

 このセント・キルダの博物館には、この段階で10数両の動態保存車と数キロの保存線があり、あまりの規模の大きさに驚いたものだった。その後、こうした博物館をいくつも訪れたが、規模、ロケーションの良さからみても、ここは筆頭格である。

Photo_2
 遠来のファンのために、代表車両を並べてくれた。こういう心配りが嬉しい。この博物館は、その後30年も訪れていないが、さらに規模は大きくなっていることだろう。機会をみて、再訪したいものである。(駅長)

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264.2014新春 鉄事始め 1号車 【神戸電鉄粟生線・北条鉄道】 2014/1/3

 改めまして新年明けましておめでとうございます。今年もこれまでと変わらぬご厚情を賜ることができれば幸いです。自分的には鉄活動については引き続きバリバリ現役を続行したいと思っております。
 今年の正月は3日の夜、5年ごとに開催される高校の同窓会の当たり年で、出席のために姫路に出向く機会がありました。せっかく姫路まで出向くのであれば当然考えることはその前後での鉄活動、当日の3日は神戸電鉄の粟生線と北条鉄道、翌4日は阪堺電車を訪ねてきました。内容をご覧いただければわかると思いますが、本来の目的である同窓会よりも鉄活動が本命と言われても仕方がないと誤解?される行動だったかもしれません。今回は交通費を節約するため、往復とも青春18きっぷ利用としました。少しでも時間を有効活用するため、5時22分発の「ムーンライトながら」で名古屋を出発し、米原からは新快速で一気に入口となる加古川を目指しました。加古川到着は約3時間半後の9時ちょっと前、新快速のスピードの威力を改めて実感しました。

121413  粟生線は利用客減から昼間帯の志染以遠は1本/hの減量ダイヤとなっていますが、11時までは2本/hの運転なので、効率を優先してまずは粟生線を訪れました。撮影ポイントに移動中に近くを走る加古川線の警報機の音が聞こえたので、とりあえず加古川線バージョンの103系にシャッターを押しました。
【2014.1.3 小野町~粟生】(電車運転士)

221413 粟生と1駅手前の葉多の間には加古川を渡る鉄橋がありますが、これが予想以上にいいポイントでした。河原に降りて少し鉄橋から離れてみたら水しぶきが入るポイントがありました。5000系が鉄橋を渡って行きます。
【2014.1.3 葉多~粟生】(電車運転士)

321413 今度は鉄橋に近づいて編成写真風なアングルで列車を待ちました。自分たち世代にとっての神戸電鉄の車両のイメージは1000番代系列のこのスタイルが真っ先に思い浮かびます。
【2014.1.3 葉多~粟生】(電車運転士)

411413 先程の列車の折り返しは時間が10分しかないこともあって鉄橋近くのサイドから広角気味に狙ってみました。水鏡を期待しましたが、ちょっと厳しかったようです。
【2014.1.3 葉多~粟生】(電車運転士)

521413 終点の粟生の風景です。中途半端に新しい感じで終着駅の風情はあまり感じられませんでした。真昼間の閑散時間帯とはいえ4両編成の列車から降り立った乗客はわずか6人、粟生線の乗客減は深刻なようです。最近、粟生線についてはネガティブな話題が飛び交っていますが、本当に最悪の事態を迎えてしまうのでしょうか。
【2014.1.3 粟生】(電車運転士)

621413 粟生線の列車が到着後、しばらくすると加古川線の列車が進入してきました。加古川線の103系は中間電動車の運転台取り付け改造車なので、変顔になっています。粟生は加古川線・神戸電鉄粟生線・北条鉄道のジャンクションとなっており、それぞれが相互に接続するため、昼間帯は1時間に1回、加古川線の上下・神戸電鉄・北条鉄道の4本並びを見ることができます。
【2014.1.3 粟生】(電車運転士)

721413 午後からは北条鉄道に転戦しました。列車内からロケハンしていたところ、俯瞰ができそうな斜面があったので、とりあえず登ってみました。逆光で列車は真正面というあまりよくない条件でしたが、数少ない俯瞰ポイントです。
【2014.1.3 長~播磨横田】(電車運転士)

821413 同じポイントでカメラを左に振ると長閑な播州平野を遠目に見ることができるアングルで撮ることができました。こちらは側面に陽が当たってくれたので、助かりました。
【2014.1.3 長~播磨横田】(電車運転士)

921413 小さな祠と列車を絡めることができる北条鉄道の最もメジャーなポイントです。今は冬枯れの季節で色がありませんが、境内には桜の木が植えられており、春は華やかな雰囲気に包まれることと思います。
【2014.1.3 播磨下里~長】(電車運転士)

1021413_2 次の列車は境内の鳥居と石灯籠を青空に抜いたアングルに挑んでみました。ベストな立ち位置に杉の木があったので、アングルが制約され、列車と鳥居と石灯籠のバランスをとるのにが思ったより難儀しました。
【2014.1.3 播磨下里~長】(電車運転士)

1121413_3 北条鉄道は平野部を直線で貫くような線型の部分がほとんどのため、変化に乏しい平凡な構図になりがちです。そんな中、線路を見下ろせる位置にある田んぼがありました。播磨平野の長閑な雰囲気を感じ取っていただければ幸いです。
【2014.1.3 法華口~播磨下里】(電車運転士)

1221413 陽も大分傾き、そろそろ本来の目的である同窓会に向かうため、北条鉄道を後にしました。写真の列車は自分が乗車する列車ですが、法華口のホームからの上り列車はとてもホーム端から撮ったとは思えない絵になりました。何だか1本得したような気分になりました。
【2014.1.3 法華口】(電車運転士)

1321413_2 北条鉄道の粟生の風景です。元々は国鉄線だったため、加古川線の下りホームに隣接しています。ご多分にもれず北条鉄道も状況は厳しいようで、生き残りをかけてあれこれ話題づくりに努力していますが、近隣の三木鉄道の例もあり、先行きが心配されます。最悪の事態にならないように祈るばかりです。
【2014.1.3 粟生】(電車運転士)

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2014年1月 5日 (日)

新春列車 @大阪民鉄

あらためまして、本年も宜しくお願い申し上げます。


勤務先の今回の年末年始休暇は6日間。公的には盆休暇を含めても今までに経験したことのない特大連休となりました。こんなときこそ、せめて1泊しながら正月ネタを探しに行きたいなと企てて、思いついたのは念願の阪堺電車。ターゲットはもちろん旧型車161形です。


ところで近鉄では3日間乗り放題の新春全線フリーパスが売られていました。これを利用すれば大阪への往復乗車券分だけでも採算が合うのですが、ついでに近鉄の正月三が日限定ネタのひとつである南大阪線「開運号」の撮影にも有効的であることに気が付き、今回の移動手段は近鉄ということで決まりです。
ただ、家の都合で名古屋を発つのは3日(金)の昼間になるので、阪堺電車訪問は4日の昼間増発運行に合わせることにして、まずは行きがけの駄賃に、橿原神宮前を15時過ぎに来る「開運号」のラビットカー塗装編成にカメラを向けるべく行動開始しました。
  

31_2名古屋からは12:30発の名阪特急を事前に予約しておきました。出かける直前につかんだ情報によると、上本町13:50の鳥羽行き特急が10連に増結されているよう。「ふ~ん」と流し読みしたものの、もしやと思い自分の乗る列車と照らし合わせると、開運号撮影に向かうべく橿原線乗り換えのために下車する大和八木において、なんと数分差で離合ことが判明。時間的に駅撮りになるのは仕方ないですが、せっかくですからとホーム先端で失礼。後追いですが順光に救われました。大阪寄り先端では数名の同業者がカメラを向けていました。ビスタカー先頭の10連・・・わかりますか?
  

33_2開運号は、森で覆われた橿原神宮前駅西方で狙うことにしていました。列車は昨年同様2種のマークを掲出して現れましが、曇りがちとの予報である天気を想定して撮影地を決めていたので、まさかの一転した快晴の空にまともな光線で撮れるはずもなく(嬉しい悲鳴だが)、結果は画像のとおりです。晴れたらどう写るのかは予めわかっていたので時間的余裕があれば光線状態のいい場所に移動できたのに、少し悔いが残りました。普通に撮れただけヨシとしましょう。
ところでこの画像、ちょっとヘンな箇所があります。単なる偶然なのですが。もちろん無修正です。
  

32昨年12月発売のRM誌に掲載されたカラーグラビアと、先日明らかになった特急車200両の置き換え計画が気になって、今回は狭軌線用特急車16000系群にも目を向けました。普段は足を伸ばしにくい南大阪線まで来たことだし、フリーパスも所持しているので、事前にネット等の情報を集積して予測した運行ダイヤをにらみ、移動しながら撮影しようという目論みです。
  

  

35撮影後は阿部野橋まで乗り通し、ここで阪堺電車を覗き見するため天王寺駅前に立ち寄り、そこで初めて目にした阪堺車両がこれでした。これが注目の旧型、しかも南海軌道線時代の塗装車とはなんとタイミングのいいことでしょうか。
  

36_2日は暮れたものの、時計の針はまだ18時前。次は京橋まで移動して京阪の正月ネタ「臨時快特・洛楽初詣号」を撮ることにしました。この列車も三が日限定ネタですが、マークや表示幕等以外は何の変哲もない特急車です。それでもホーム先端には5~6名の同業者。みんな、日中の走行風景だけでは物足りないのでしょうか?
対向列車に被られないことを事前に公式時刻表から判断してこの場所を選びました。列車は8両編成でホーム目一杯に停車するため、停止位置の手前でシャッターを切らないとハミ出てしまいます。よって一応“走行”写真です。
  

  

37_2続いて梅田に移り、ヘッドマーク大量放出中の阪急電車を見物しました。現在は初詣、七福神、西山天王山駅開業、1000系デビュー記念、宝塚歌劇100周年の5種類のマークを目にすることが出来ます。小1時間粘りましたが1000系には巡り合えず、また当日は京都線で起きた人身事故の影響か、なぜか京都線車両にはマークの掲出が全く行われておらず、そのため計3種類しか確認できませんでした。とりあえず7日までの短期間掲出の「初詣」マークは撮影出来たので、それが写っている画像を載せます。どうせ駅撮りなので乗客や乗務員の姿をアングルに入れてシャッターを切るように心がけました。若いころは人の姿を避けて写していたので、いや~、進歩しましたネ(笑)。
  

  

38_3今回は南大阪線と阪堺ネタに重点を置いたので、思いついたらどちらにでも直ちに向かうことができるよう、両線が交わる天王寺駅に至便なホテルに投宿しました。気になっている阪堺の旧型車が来ないかしらとチェックイン後にもう一仕事。天王寺駅前を見下ろすことのできる自由通路でしばし待っていたら真っ青な170号が現れました。
  

  

42翌朝を迎え、南大阪線16000系を朝イチでターゲットとするべく、運用チェックも兼ねて7時過ぎの普通列車に飛び乗りました。編成写真を撮ろうと大和川の鉄橋に向かうため最寄りの矢田駅で下車して歩いている途中、俯瞰できそうな場所を見つけたので上ってみたら、モロ逆光であるものの朝日がいい具合に収まるのでここで妥協しました。幸いにも薄曇りとなり川に朝日も反射して、ターゲットも1発目にやって来たので早々に任務完了。天王寺まで戻り、いよいよ阪堺電車の撮影に挑みます。
  

  

43_2  「・・・たけたけきっぷ??ああ、“テクテク”と呼ぶのね」
一日乗車券「TAKETAKEきっぷ」を購入して天王子駅前から住吉に向かう途中、旧型車が2本目にすれ違ったのでさっそく北畠で下車し、旧型車が折り返して来るのを待ち、ようやく日中の走行風景をゲットしました。そしてこの後、住吉へ移動するため電車に乗ったらなんという偶然でしょう、電車運転士様と車内でばったり出会いました。
そんなわけで、ここから先の阪堺電車撮影記は電車運転士様の記事に委ねます。ご了承ください。
  

  

44午後、電車運転士様と別れてまたまた近鉄南大阪線で16000系を探しながら再び橿原神宮前方面に移動します。途中で阿部野橋に向かうラビットカー塗装編成とすれ違いましたが、どうやら吉野急行の定期運用に就いているようです。普通列車に乗りロケハンしながら撮影出来そうな適当な駅で下車して、後から追いかけてくる同編成を撮影しましたが、まあ「撮っただけ」です。吉野から再び折り返して来るものと予想できるので撮影チャンスはありそうですが、記録ということでお許し下さい。
  

  

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46そこそこに撮影ポイントがありそうな二上神社口駅で下車して16000系を撮影しようと試みます。今朝の目撃と絡めさせて自分なりの運用予測をしますが、撮影地でのタイミングはあまり良くないようで、後追い画像になったり、ほどよい地点では他形式車が来たり、季節がら周りの風景もアクセントに乏しく、おまけにうす暗い曇り空で、案の定あまり良い画像は得られず消化不良で終わってしまいました。大和八木から乗る帰りの特急列車の発車まで残り時間が少なくなってきたので、そのうち再訪することを誓いながら名古屋への帰路に就きました。ただ、考えてみると、この場所よりも橿原神宮前以南の単線区間なら撮影ポイントはまだまだあるはずなので、次回の南大阪線はそちらの方面にしようかとも思っています。

電車運転士様、短い時間にお付き合いいただきありがとうございました。それにしても目的地、日時までもが全く一緒とは・・・。それだけ以前よりも正月ネタが少なくなってきたことを裏付けているのかもしれません。(出札掛)

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2014年1月 4日 (土)

インターアーバンの残影-1

 さまざまな鉄道車両があるなかで、自分がもっとも好きなタイプを問われると、インターアーバンと答えることになるだろう。インターアーバンとは主に米国に流行った郊外線用車両で、都市内は路面電車のように併用軌道を走り、郊外では鉄道線を高速で走る運転に使用された車両をさす。わが国にも事例は多く、美濃町線から揖斐線に転じたモ510形は典型的なインターアーバンの車両である。昨今ではトラムトレインとして、LRT運行の一形態にもなっている。

 モ510形もそうであるが、インターアーバンには魅力的なスタイルの車両が多い。併用軌道を走ることから車体はそれほど大型ではないが、路面電車よりも鉄道車両に近い外観で、速度が比較的高いためか、スマートなデザインとなっている場合が少なくない。また、その全盛期を伝える古い車両が、比較的最近まで現役で残っていたことも興味を持たせた。

 インターアーバンに関心を持つようになったのは、アメリカのロサンゼルスにあり、世界最大の電気鉄道と呼ばれたパシフィック・エレクトリックに興味を持ったことがきっかけであった。日本にも少なからず影響を与えたこの電気鉄道については、1990年に米国・カリフォルニア州のオレンジ・エンパイア博物館を訪れ、その栄華の片鱗を伺うことができた。そのさらに6年前の1984年に、オーストラリアを訪れ、これぞオリジナルのインターアーバンといえる路線に乗っている。都心部の併用軌道を抜けると、郊外の一直線の専用軌道を快走し、モーターを唸らせたその走りっぷりが素晴らしかったことも、インターアーバンを好きになった理由のひとつである。

 その路線はアデレードにあるグレネルグ線で、1929年製の車両がポール集電で走るという、まさにインターアーバンの全盛時代をそのまま伝える路線である。

 Photo
 これがそのインターアーバン。やや車体の長い車両はH形と呼ばれる。
今年初めての記事として、日本であまり知られていないこの魅力的な路線を紹介することにしよう。

 まず、アデレードがどこあるか、ご存じの方も少ないのではないだろう。

Map

 オーストラリアの南、タスマニア海に面して位置する100万都市で、オーストラリアを代表するワインの産地である。グレネルグ線は、このアデレードの町中から海岸のリゾート地グレネルグを結ぶ15km程の路線である。

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 これがグレネルグの終点。線路の先はもう海である。

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 グレネルグの町中を通って、終点の停留所に向かう。青空に浮き上がるポールがなかなか格好いい。

 1984年の初訪問は、同行者が居たことから、あまり写真を撮ることが出来なかった。そこで、1997年に再訪して、沿線各所で撮影をすることにした。

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 13年の間に集電装置はポールからZパンタに変わり、終点の停留場は島式ホームとなっていた。微妙に線路の位置も変わっているようだ。

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 さらに終点停留場付近はシュロの木が植えられ、全体が歩行者ゾーン化されて、リゾート地らしい雰囲気となっていた。

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 停留場付近だけでなく、レトロな雰囲気が漂う町中を走るところも風情がある。

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 グレネルグ線には、2000年初頭に低床車が入り、インターアーバン車両は引退を余儀なくされた。しかし、数両が保存され、休日にグレネルグの近くで保存運転が行われていると聞いて、2010年に再度グレネルグを訪れた。

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 保存車両はほとんど改造されていないので、オリジナルの良さを残している。このように撮ると、13年の歳月を全く感じさせない。

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 グレネルグの終点は棒線化され、やや周囲にそぐわなかったホームの待合所が撤去され、いっそう雰囲気が良くなっていた。なお、正規の乗り場はもう少し左側にある。

 最後に現在走っているボンバルディア製の新車。

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 2枚目の写真とほぼ同じ位置で、30年近い年月が経過して、よりリゾート地にふさわしく整備されたことがわかる。シュロの木の位置も変わっているので、少しずつ、整備を行っているのだろう。こうした場所には、歩行者や公共交通を重視したまちづくりこそが望ましい。 

 それにしても、電車以上に素晴らしいのは天気である。3度訪れて、いずれも快晴であった。こんな町に住んだら、さぞ、気持ちが良いだろうな、と羨んでしまう。(駅長)

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復活!パノラマエクスプレスin富士急

2013年の年末、30日に有休を強引に取れば4連休になる、というわけで、顰蹙を買いつつ4連休にして、同居人には実家に行ってもらい、29日の夜に東京で落ち合うことにしました。こうして29日一日、自由に動ける日を確保し、31年振りに富士急行線へ撮影に向いました。言うまでもなく2月中旬に廃車になる旧165系パノラマエクスプレス改め、2000系フジサン特急を撮影するのが目的です。(撮影は全て2013年12月29日)

通常は昼行便しかない、富士山駅行の高速バスが多客期には夜行便が運転され、しかも星が丘から乗車できるとあって、おあつらい向きで、これがあったから今回計画したようなものです。

定時なら富士山駅に7:48着ですが、見込み通り10分以上早着し、同駅発7:55の大月行(8レ)に無事乗車しました。

Dsc_0475富士山  検修庫外に留置されている部品供給車(クモハ169-27)

検修庫は河口湖にあると思っていたので、ホームに出て初めてこの車両の存在を知りました。できれば前方から撮りたかったのですが・・・。「パノラマ」が廃車になると、恐らく真っ先に解体されるのではないでしょうか。

Dsc_0481三つ峠・寿  10レ

Dsc_0500三つ峠・寿  1453M

Dsc_0509三つ峠・寿 702レ

沿線随一のロケーションです。雲一つない青空の下、富士山をバックに元京王5000系の1000系、JRの115系スカ色、そして本命の2000系(標記は元の車号となっています。)を1時間余りで撮ることができ、かなり満足しました。ちなみに同業者は30人ほどいたでしょうか。

富士山をバックに撮るにはこの季節、午前中の早い時間が勝負となります。702レ撮影後、ネットで検索したもう一か所、下吉田の南に向かいました。

Dsc_0518下吉田・月江寺  16レ

Dsc_0523下吉田・月江寺  8571M「ホリデー快速富士山1号」

Dsc_0545下吉田・月江寺 705レ

12月23日までに来ることができれば「ホリデー快速」は2本撮ることができたのですが、これは仕方ないことです。でも、ヘッドマークのずれはなんとも情けなかったですね。「ホリデー快速」も「フジサン特急」も後追いですが、富士山をバックにするためにはこれも仕方ないことです。115系の折返し(4542M)もここで撮りました。705レのここの通過時刻は11時半頃で、光線的には限界かと思います。

Dsc_0555下吉田に置かれているスハネフ14 20   「ブルートレインテラス」としてきれいに整備されていました。しかし、なぜここに?

午後は富士山を諦めて再び寿に向かいました。

Dsc_0561三つ峠・寿  706レ

ここもネットで見た「上暮地のお稲荷さん」ですが、紹介記事から7年経って全く風景が変わってしまっていました。手前側には新しい道ができていて、かなり苦しいアングルです。(少々修正してあります。)

ちなみに31年前は

Img096こんな感じでした。(1982年10月24日撮影)この左側が上のカーブに繋がります。

Dsc_0565さらにカーブの先はこんな感じです。バックの道が煩いうえ、カーブの内側に家(工場?)が建っていて、これが精いっぱいです。

しかし、お稲荷さんの祠をさらに登ると、

Dsc_0568別の撮影地が見渡せます。「パノラマ」の時は焦っていて、フル望遠にしたのですが、すこし引くと

Dsc_0569三つ峠・寿  15レ

こんな感じに撮れます。

Dsc_0590三つ峠・寿  709レ

Dsc_0603三つ峠・寿  383レ「富士登山電車3号」

最初に富士山バックに撮った場所から100mほど北に行ったところがこの場所です。この日は6000系が3本(1本はフジサン特急のスジに充当)とも運用されており、元京王5000系の1000系を撮れたのは、朝の2本以外はこの「富士登山電車」のみで、ちょっとガッカリでした。

ここの31年前は

Img091(再掲1982年10月24日撮影)この右手が上の場所です。

もう少し粘って「ホリデー快速」の復路も撮ろうかと思ったのですが、歩き回って疲れたのと、この時期は山の影の中になってしまうので諦め、「ホリデー快速」に乗って実家に向かうことにしました。御殿場線で3回富士山に嫌われたことを考えれば、今回はまぁ目的は果たしたので、満足できた一日でした。(検査掛)






















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あけましておめでとうございます

非常に穏やかな正月三が日でしたが、みなさまはいかがお過ごしでしたか。

 昨年夏以降、家庭の事情で鉄活動ができず、あまりこちらにご報告できていませんでしたが、今年の鉄初めに阪堺電軌に正月風景を撮りに行ってまいりましたのでご報告を。

Dsc_1128
 毎年、正月の阪堺電軌は通常あまり出てこない161形がフル稼働で出てくるのが見どころなのですが、今年はそれに加えて堺トラムの大阪市内初営業がありました。元旦から住吉~浜寺公園の臨時営業に入り、元日は2往復、2日は3往復が運転されました。【住吉鳥居前】

Dsc_0909
 かつてはお正月の初詣には振袖の女性が多くみられ、とても華やかな雰囲気がありましたが、最近は本当に少なくなり、そんな女性が入った正月らしい風景を撮るのは難しくなりました。

 写真は今回唯一撮影できた振袖の女性と阪堺電車のコラボです。

 今年も機会があればどんどんアップしたいと思いますので、よろしくお願いいたします(施設区長)

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2014年1月 3日 (金)

新春のご挨拶

あけましておめでとうございます。
少し出遅れてしまいました。皆さんの作品を見るにつけ絵の出来栄えの差に投稿へのためらいを感じてしまうことしばしばです。
それでも外観より中身で勝負ではないですが、み~は~ネタを追いかけつつ何か自分なりのテーマも見つけ出し、またこの1年鉄活動に励もうと思います。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

D_1401_5282_2


岡見貨物が廃止され、DD51貨物は遠くて行けない北の地と、四日市地区だけになってしまったようです。写真は面白味に欠けますが元日撮影ということで、5282レ(単)。   (資材担当)

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2014年1月 2日 (木)

年頭ご挨拶

Dsc_0613
メンバーの皆様、また当ブログをご覧いただいている皆様、あけましておめでとうございます。

特にメンバーの方々には、旧年中は何かとお世話になりました。心よりお礼申し上げます。今年、私自身は波乱含みが予想されますが、当ブログにアップすること、またメンバーの作品を拝見することを楽しみに、「公」はともかく、「私」は充実した一年にしたいと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。

上記の1枚は、昨年大晦日に撮影した東急東横線の多摩川鉄橋越しに見た世界文化遺産、富士山です。帰省した正月には必ず初詣する浅間神社の展望台?からの撮影です。本来でしたら元日のものをアップしたいところですが、当日はやや霞んでいてクッキリ見えなかったので、大晦日のものをアップさせて頂きます。

目黒線だけでなく、東京メトロ副都心線を介して相互乗り入れがはじまり、ステンレスカーばかりですが、30分もいれば東武や西武、メトロの数系列が見られ、飽きません。難を言えば、ケーブルや「ホッチキス」が煩しく、また、本数が多いので、結構カブリが頻繁にあり、シャッターチャンスが限られることでしょうか。

何はともあれ、今年はチャンスがあれば、なんでも撮っていこうと思います。(検査掛)

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2014年1月 1日 (水)

263.Happy New Year 2014 2014/1/1

 2014年が明けました。今年はどんな年になるのかまだ想像もできませんが、少なくとも無事に鉄活動ができる年になってくれればいいなと思っています。今年も変わらぬお付き合いをしていただけると幸いです。どうかよろしくお願いいたします。

_dsc88502 写真は王滝森林鉄道フェスティバルの帰りに立ち寄った伊奈川定番ポイントです。この時は駅長様と検査掛様とご一緒させていただきました。ポイント到着が列車通過30秒前と超ギリギリのタイミングでしたが、この時期限定の夕陽ギラリが撮れてよかったです。中央西線のロクヨンも今後どうなって行くのかわかりませんが、後で慌てることのないよう地道に撮って行きたいと思います。
【2013.10.6 大桑~須原】(電車運転士)

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2014年 年頭ご挨拶

あけましておめでとうございます。


「アベノミクス効果で景気が良くなるでしょう」なんて、どこ吹く風。はたして我が勤務先も恩恵を受けるときが来るのだろうか・・・。業績は良くならず下降気味状態ですが、せめて趣味を楽しむときくらいはケチケチせずにリッチな気分で贅沢をしてみたい、と叶わぬ願いを抱きます。が、
  「おカネよりも、撮影に出かけられる自由な時間が欲しいネ」
とは某先輩談。同感です。案外、これが一番の贅沢だったりして。
  

 
  
当ブログが開設されてから、いつの間にか週末になると記事を載せるのが休日のライフワークと化しています。文才があるわけでもなく乏しい内容ばかりで恐縮ではありますが、これからも健康体でいられる限り、撮りたて画像や過去の撮影記録などの情報を発信していきたく思います。
  

本年も懲りずにお付き合いいただければ幸甚です。

 
Furano画像は、年末年始休暇をフルに活用して渡道した際に撮影した「フラノエクスプレス」。1991年1月3日、正月飾りを掲げて雪晴れの富良野線を疾走します。23年も前のことですみません。
当時の流行りものであったジョイフルトレイン(→死語?)はイベント列車的要素が強いためか、どうしても奇をてらったような意匠になりがちですが、この列車をあたらめてよく見ると
  「あれ、意外とカッコいいんじゃない?」
と思えてしまうのはいささか偏見でしょうか。まぁ、おとそ気分に免じて許して下さい。
  

  
本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。(出札掛)

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あけましておめでとうございます

 今年も大いに鉄活動に励みましょう。本年も宜しくお願いします。

20142

 今を去る40年前の熱田神宮前。今年は名古屋市電がなくなってから40年の節目の年です。そうした年に、路面電車の復活が議論されようとしています。自動車中心のまちづくりから、人中心のまちづくりへ。名古屋にとって、今年は大きな転機の年になるかもしれません。(駅長)

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