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2013年12月

2013年12月31日 (火)

262.2013年もいろいろとお世話になりました。

 2013年も間もなく終わろうとしています。ブログメンバーの皆様を始め、お付き合いいただいた皆様には公私を問わず大変お世話になりました。平素のご厚情に対し、厚くお礼申し上げます。おかげさまで大きな病気・怪我・トラブルもなく平穏に過ごすことができました。鉄活動については大幅なペースダウンすることなくそれなりにこなすことができました。体力的にそろそろ年齢的な衰えを感じるようになってきましたので、2014年は無理しない程度に鉄活動に励んで行きたいと思います。引き続き、変わらぬお付き合いをお願い申し上げます。

1982_2_17_2 写真は学生時代に美幸線を訪れた時のものです。当時、日本一の赤字線ということを逆手にとって、地元がいろいろなPR活動を行っていたことが思い出されます。夜行が利用しにくかった立地だったこと、列車は1日4往復と極端に少なかったことなどからなかなか訪れるチャンスがありませんでした。それでも何とか走行写真を撮りたいと思い、未明の美深で「利尻」を降り、撮影ポイントを探しながら東美深まで歩きました。この日はとくに冷え込みが厳しい日で、-20℃は行っていたものと思われます。普段なら何の変哲もない単調な風景でしょうが、朝日が昇るとダイヤモンドダストや樹氷を見ることができ、厳寒の朝といった雰囲気を写し取ることができました。自分の中ではこれが唯一の美幸線の走行写真です。
【1982.2.17 東美深】(電車運転士)


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2013年12月30日 (月)

1年間お世話になりました

 早いもので、もう2013年もおわりです。今年1年、大変お世話になりました。

2013

 明年も、鉄道界に話題が豊富である事と、皆様方の益々のご健勝を祈念したいと思います。

 明年も宜しくお願いいたします。(駅長)

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2013年12月23日 (月)

ラストシーズン

長良川鉄道にて1986年12月の開業時から活躍し続けてきたナガラ1形が、来年3月のいわゆる“車検切れ”を迎えることにより、いよいよ引退することになりました。現在では最後の1両となった「ナガラ10」は、車体側面に描かれたイラスト以外はほぼ原形の姿をとどめており、個人的には非貫通タイプの“鉄道車両らしくない(←偏見)”顔つきには少し抵抗ありますが、当時の3セク車両の規格を今に伝えてくれる存在であるのと、時期を前後して製造された3セク他社の同期生のほとんどが現役を退いているので、そうした点からも貴重な1両ではないかと思います。
 
長良川鉄道の公式HPにもあるように、ナガラ10は今月から3月まで団臨「コタツ列車」として運転されております。最後の季節を迎えてさながら引退興行といったところでしょうか。
 
 
  
12月22日(日)、せっかくの三連休なので一日、いや日中だけでもと外出許可をいただき、さっそくナガラ10を追跡してみました。この日は関から団体客を乗せて郡上八幡まで運行し、団体客の一部を乗せたまますぐ折り返して美濃市まで戻る行程です。 
  


  

1●出番前 11:30 関
関12:25の出発を前にスタンバイしています。隣には後輩の300形306号車が洗顔中。
 
  

2●下り団臨「コタツ列車」 12:59 八坂→みなみ子宝温泉
数日前に雪が降ったようで、沿線にはところどころ白いものが残っています。雪が綺麗に積もっている場所が第二長良川橋梁を渡った先にあったので、逆光承知でナガラ10を待ちました。先頭にはヘッドマークが掲げられています。

 

3●小休止 13:07 大矢駅
上り定期12レを待ち合わせのため大矢では20分近く停車します。トイレ休憩を兼ねているのかもしれません。乗客はホームに出て思い思いに時間をつぶします。そういえば、昔は地方ローカル線でこうした風景を目にしたものです。

 

4●下り団臨「コタツ列車」その2 13:28 赤池→深戸
大矢駅停車中に第四長良川橋梁まで先行してナガラ10を撮影します。ここにも白いものがあったのでフレームに収めましたが、なんだか中途半端だし、側面にはまだ陽が当たらないし、読みを誤りました。また次回。

 

5

6●上り団臨 13:54 相生→深戸
ナガラ10は郡上八幡13:41着、折り返し47発ですぐに戻ってきます。団体客は郡上八幡から自由行動となるので、すぐ帰る(もしくは子宝温泉に寄る)客の便宜を図り、このようなダイヤになったものと思われます。よって上り列車は、車内での食事等おもてなしは催されないのでフツーの団体扱い(コタツは撤去せずにそのままと思われます)として運行されます。
撮影ポイントを探している時間がそれほどないので、国道からの俯瞰場所で妥協しましたが、人工建造物のせいでシャッターポイントが限られ、おまけにごちゃごちゃしていますね。国鉄時代からこんな風景でしたっけ?
撮影する側からすれば短時間で効率良く撮影できるものの、時間的余裕がありませんので事前のロケハンをお勧めします。それを怠ると、こうなる↑。

 

7●行き違い 14:07 大矢
上り団臨も大矢駅で下り定期(2009レ)と離合のため5分前後停車します。上述の場所から普通に車を走らせてどうにか追いつき、駅南方の踏切からその様子を狙いました。行先表示は「団体」ですが上り方にはマークの掲出はありません。撮影後、即カメラを持って少し駆け足で場所を移ると・・・。

 

8●上り団臨その2 14:09 大矢→みなみ子宝温泉
後追いになりますが、道路橋の上から長良川沿いを行く列車を撮影できます。が、もう少し車体側面に明るさが欲しいです。3月ならバッチリかも。また次回。

 

9●上り団臨その3 14:58 関下有知→関市役所前
団臨は美濃市駅に14:28到着し、団体客を降ろして「コタツ列車」行程の一連を終わります。団体客は14:30同駅始発の上り定期118レに乗り換えますが、ナガラ10は関まで回送されるはずです。しかし14:54に下り定期(2011レ)が入線してくるので、これを待っての発車となるだろうと推測し、美濃市駅以南の適当な場所にて列車を待ちました。読みは当たり、ほぼ推測どおりの時刻にナガラ10がやって来ました。平地の平凡な場所ですが、背景のとんがり山がアクセントとなります。山の中腹に雲の影と高圧線がちょっと残念。振り返って後追いを撮影しました。↓
  

  

10「コタツ列車」ヘッドマークは下り方に付けられたままでした。表示幕は回送と思いきや、「団体」のまま。なるほど、車内を覗くと誰かが乗っています。添乗員や催事関係の方でしょうか、たいへんお疲れ様です。こうした方々の協力もあってイベント列車が実現するわけですが、自分たちもたまには催事に参加して3セク活性化に努めないといけませんね。

「コタツ列車」はあくまでも団体列車なので、最小募集人員に満たない場合はウヤとなる可能性がありますのでご注意下さい。
大井川の元京阪3000系、富士急の元165系(フジサン特急)などの引退発表に比べるとあまりささやかれていませんが、悔いのないようにナガラ1形のラストシーズンを乗ったり撮ったりして楽しみましょう。2月度は北濃まで走りますよ!(出札掛)


PS・これから出かける方のために撮影時刻を記しましたのでお役にたてたら幸いです。

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261.1980年夏 九州撮り鉄行脚 7号車 【鹿児島市電】 1980/8/12

Photo

 長崎の翌日は鹿児島市電を訪れていました。連続で路面電車の訪問となりました。1980(昭和55)年当時の路線は黒色の現存路線に加えて緑色の上町線、赤色の伊敷線が健在でした。両線とも1985(昭和60)年の9月30日限りで廃止になっていますが、この頃にも廃止の噂は出ていましたので、それを意識しての訪問になったと思います。車両的には黄色と緑色のカボチャ色が標準色で、中央窓が大きい正面3枚窓の鹿児島市電スタイルに統一されており、どの車両もパッと見は同じに見えましたが、譲渡車や新造車があり、その出生によって型式が分けられていました。

1280811 「かいもん5号」で西鹿児島に降り立った後は、とりあえず伊敷線と上町線に乗車しました。伊敷線はよさそうなポイントがなかったのかなぜか写真が見当たりません。上町線は数か所のポイントで写真を撮っていました。春日町で離合する460型と800型です。460型は元都電の4000・4100・4200型の鋼体化改造時に余剰となった車体を譲り受けた400型のうち、鋼体化が実施されなかった4両のうちの2両に対して車体更新を行った車両です。800型は元大阪市電の2601型を譲り受け、鹿児島市電仕様に改造を加えた車両で、当時の主力となっていました。
【1980.8.12 春日町】(電車運転士)

2280811 上町線は変化に富んだ路線で、写欲をそそられました。岩崎谷~長田町で鹿児島本線の上を越えるためか、その前後は専用軌道となっていました。岩崎谷は木造の小屋があるだけの路面電車の電停らしくない雰囲気でした。写真の809号車は試験塗色車でした。
【1980.8.12 岩崎谷】(電車運転士)

3280811 上町線には鹿児島城のお堀端を行く区間があり、なかなか風情がありました。鹿児島市電の路線の中では最も変化があり、撮影ポイントも多かったのですが、廃止になってしまったのは残念です。
【1980.8.12 私学校跡~岩崎谷】(電車運転士)

4180811 上町線の後は南部の専用軌道区間に移動しました。適当な間隔で歩道橋があり、撮影には重宝しました。500型は2軸単車や木造車体の在来車両の体質改善を目的として新造された車両です。
【1980.8.12 笹貫~上塩屋】(電車運転士)

5280811 現存路線は利用者も多く、市民生活に密着した路線で生活感が溢れていました。母娘だと思いますが、日傘が仲良く相合傘状態になっています。盛夏の時期は今も昔も日傘は必需品です。
【1980.8.12 上塩屋】(電車運転士)

6280811 南部の専用軌道区間は直線が多く、電車は快調な走りで飛ばしてきます。草生した線路が何とも言えないいい雰囲気を醸し出しています。600型は500型に続いて増備された新造車で、800型とともに当時の鹿児島市電の主力車両でした。
【1980.8.12 笹貫~上塩屋】(電車運転士)

7280811 鹿児島といえば桜島、これを何とか入れたいと思い、沿線をロケハンしましたが、なかなかこれといったポイントを見つけることができませんでした。どこかのビルの非常階段か屋上だと思いますが、結局こんなアングルしか見つかりませんでした。おまけに霞がひどくてクリアな桜島は望めませんでした。
【1980.8.12 桜島桟橋通~鹿児島駅前】(電車運転士)

8280811_2 再び専用軌道区間に戻りました。夕方近くになって買い物帰りの女性が家路を急ぎます。この区間は今でも健在ですが、このような雰囲気を感じることはできるのでしょうか。
【1980.8.12 二軒茶屋】(電車運転士)

9280811 南鹿児島駅前電停は指宿枕崎線の南鹿児島と隣接しており、繁華街の天文館から市電を利用してきた乗り換え旅客が結構いました。アップダウン区間があったので、勾配を強調してみました。
【1980.8.12 南鹿児島駅前~二軒茶屋】(電車運転士)

●次の目的地 高森線

●移動行程 西鹿児島→「日南10号」→大分→立野→高森線



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2013年12月18日 (水)

東急 目蒲線の3000系(3)

(2)からだいぶ経ってしまいましたが、東急 目蒲線3000系の(3)、最終回をアップします。もう飽きた、という方もおありでしょうが、きりをつけるためお付き合いください。

(2)でも記載した通り、目蒲線専用車といえる形式はデハ3500形、そして3000系総称のなかで、基幹形式と言えるのが3450形です。この2形式を外してしまうわけにはいかないので、(3)として紹介させて頂きます。

Img510 1980年4月19日  蒲田  デハ3711+デハ3712+デハ3499

帰省のおりに偶然見た3M編成です。本来であれば、3499の代わりにクハが入いるはずですが、3700系はこの数カ月後に名古屋鉄道に譲渡されるためか、このような編成を組んでいました。3450形総勢50両の内、旧デハ510形から更新改番をされたときに両運で残された3両(他の2両は3450号、3498号)の内の1両です。両運車はこのように、便利に使われており、旅客車としての使命が終わった後も、東急車輛製造に行って、牽引車として使用されたようです。Wikによると、その後同車は保存会ができ、前橋に現存するようです。

この後は一気に9年飛びます。

1989年3月、ついに3000系全廃の情報が入り、とりあえず正月の帰省のおり、撮影にしました。

Img042 1989年1月3日  蒲田(池上線)  デハ3655+サハ3363+デハ3656

デハ3500形と同形のクハ3650として誕生した6両を電装したのがデハ3650形で、3500形との違いは、妻面がフラットなのと、貫通路が広幅なので、従って相棒(中間車)がサハ3360形となっていました。奇数車は最後まで非貫通でしたが、偶数車は更新(張上げ屋根化、前照灯・尾灯一体化=「海坊主」)の時に通常幅で貫通路が設けられましたが、使用されることはありませんでした。皆さんご存知のように3655号は十和田観光電鉄へ譲渡され、両運改造して3603号を名乗り、同線廃止まで使用されました。車両はまだ現存するようです。

Img0631989年1月3日  蒲田(池上線)  デハ3452+デハ3451+クハ3861

3000系の全廃が決まってから要部検査に入場した3編成が、黄と紺の旧塗装になりました。T.K.Kの社名も塗装ながら再現され、メッチャメッチャ懐かしくなりました。行先板が車内の差し込み式のままだったのが、画竜点睛を欠きました。暗くてわかり辛いですが、若番はアンチクライマーが車幅いっぱいにあり、510形の頃はダブルパンタだったということで、連結側に痕跡が残っています。3450形はその時々の使い勝手で、貫通、非貫通車が混在しています。

Img053 1989年1月3日  大岡山  デハ3472+サハ3375+デハ3471

同じくリバイバルカラー編成ですが、3472号はかつて二子玉川の併用軌道でダンプと衝突して大破し、車体が載せ替えられています。これは3601、3602号や後に名鉄のク2887となったクハ3671と同じタイプの車体で、ノーシルノーヘッダーのおとなしい車両です。前照灯が非常に小さいのが特徴と言えるかもしれません。

そして、全廃となる、1989年3月18日が来ました。

Img4161989年3月18日  大岡山  デハ3501+サハ3256+デハ3502
目蒲線の代表?形式、3500形の続き番でサハを挟む3両ユニットで11編成ありました。3650形同様、張上げ屋根、ヘッドライト・テールライトのユニット化窓下への移設という更新により「海坊主」スタイルとなり、編成の変化も少ないこともあり、魅力のない車両になってしまいました。車齢にあまり差がないのになぜ3500形、3650形のみが更新されたのか不可解です。

Img418 1989年3月18日  大岡山  デハ3454+?+?

翌日置換えになるわけですが、目蒲線は4連になることもあって、この日までは同じように3000系が走っていました。(それまで目蒲線用だった7200系が池上線に投入されるため、同線用だった3000系が目蒲線に移ってきたようです。)3454号も目蒲線ではよそ者的な車です。3452号に比べると、アンチクライマーが短くなっています。また、連結側の歩み板がずれていて、かつてパンタグラフがあったことがよくわかる車です。

Img445 1989年3月18日  田園調布  デハ3474  デハ3460

表情の違う3450形が並びました。3474号はテールライトも埋め込まれ、貫通路も設けられ、行先表示も電照式です。かたや3460号は少数派となった非貫通車6両の内の1両で、行先表示も差し込み式のままでした。

当日は3連を2本組み、6両編成となって長津田への疎開回送が3本運転されました。

Img4401989年3月18日  大岡山  デハ3519+サハ?+デハ3518+デハ3651+サハ3361+デハ3652

奥沢で組成され、大岡山の目黒寄りで渡り線を使って、田園都市線へ乗入れます。

Img4481989年3月18日  二子玉川  クハ?+デハ?+デハ3493+デハ3518+サハ?+デハ3517

二子玉川のホームから後追いで撮影しました。

まさか3000系が5000系より後まで東急線上で、しかもこれ程の両数が現役で使われるとは思ってもいませんでした。おそらく東急の思惑としては、従来通り3000系を先に譲渡するつもりだったのでしょうが、長野電鉄が長野駅地下化に伴って5000系の大量譲渡が発生し、他の地方鉄道もそれに追随する格好になったため、3000系を延命せざるを得なかったのではないでしょうか。

ついこの間のような気がしていましたが、3000系引退から早四半世紀、大岡山も田園調布も地下駅となり、都内の交通体系もその頃からは想像もつかないくらい変わってしまいました。

ご覧頂きありがとうございました。(検査掛)

 

 

 

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2013年12月16日 (月)

3回乗り換え

 12月の最初の土日に、泊まりがけで大阪に行く用があった。泊まる理由はもちろん、一献傾けるためで、西中島南方の怪しげではないお店で遅くまで飲んでしまった。 

 その翌日は、当初は特に予定がなかったので、切符についていろいろ考えた結果、近鉄のフリー切符を買って、南大阪線でラビットカー塗装(走っていれば、であるが)を撮ろうと考えた。しかし、行く直前になって、日曜日に所用ができて、早めに帰宅する必要が生じた。とはいえ、せっかくフリー切符を買ってある。少しでも余分に乗らないと勿体ない。そこで、もっとも名古屋から遠いと思われる(=少しでも元がとれる)吉野線の吉野まで乗って、その手前の鉄橋で撮影し、名古屋まで戻ることにした。 

 吉野まで行くのは、おそらく30年ぶりくらいである。以前、行ったときは、電気機関車デ51が現役の時で、その折りの写真は昨年9月8日の「はなぶさ」に載せている。  

 http://b1hanabusa.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/index.html 

 それ以来の吉野訪問である。

_mg_9644_3
 大和上市と吉野神宮の間で、吉野川の鉄橋を渡る。吉野線のハイライトである。いつ見ても、この大鉄橋のスケールの大きさには驚嘆する。

_mg_9651
 上流側からサイドも狙ってみた。幸か不幸か、2列車を見て、いずれもさくらライナーであった。

_mg_9684
 折角なので、帰りはさくらライナーに乗ってみた。乗るまで知らなかったのであるが、先頭車には展望席が設けられており、前面展望が楽しめる。結局、帰路は吉野神宮から橿原神宮まで自席にはつかず、ここですごしてしまった。(^_^;)久々に乗って思ったのは、吉野線沿線には吉野川の鉄橋を除いては、撮る場所があまりない、ということ。実は、デ51の写真を見て、あまり良い場所で撮っていないのが不満であったが、改めて沿線を見て、他に選択肢がなかったことを確認した。

 さて、ここまで来て、ようやくタイトルの3回乗り換えの説明をすることにしたい。それは、このチケットである。

001

 帰路に吉野神宮で購入した特急券。なんと、橿原神宮、大和八木、伊勢中川の3回乗り換えである。3回乗り換えの特急券は手書きになると聞いていたが、ちゃんと印字されて発券された。

 近鉄の特急券で、乗り換えの多い特急券は、名古屋-八木-橿原-阿倍野と乗り継ぐ場合の2回乗り換えであるとおもっていた。しかし、これは3回乗り換えである。八木から名古屋へ乙特急(古いかな)に乗ることができず、中川乗り換えになることで、近鉄特急の3回乗り換えとなる。

 ところが、この乗り換え方法には、思わぬ落とし穴がある。なんと、橿原神宮で表示された特急より一本早い普通電車に乗り換えると、大和八木で12時2分発の名古屋行き乙特急に乗りかえができて、名古屋に早く着くのである。しかし、特急料金は通算できないので、500円高くなって2,060円となる。また、ネットで検索すると、途中で普通電車を使う経路は表示されるものの、このような特急乗り継ぎ3回乗り換えの経路は出てこない。

 今回、事前に予定を決めずに電車に乗ったことから、偶然にこの落とし穴を発見した。特急券を購入するにあたり、それより早い乗り継ぎがあるとは思わなかったし、また、ネットで検索できない乗り継ぎが特急乗り継ぎとして発売されたのも、意外だった。

 なぜ、最速ルートが駅で表示されないのだ、とか、ネットの案内がおかしい、とか、目くじらをたてる気はさらさらないのだけれど、ネットとシステムが連動していないのを見て、ちょっぴり面白くも不思議に思ったりもした。あまりガチガチに予定を決めるのではなくて、こうしたハプニングを楽しむのも鉄旅の面白みかもしれない。(駅長)

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2013年12月13日 (金)

つるべ落とし

12月8日、雪をかぶった御岳が、我が家から北東方向にくっきりと姿を現しました。そして北の方角に遠く見えるは真白な白山、西の方角には伊吹山が全容を現して、雲一つない青空どころか、まさに全方角快晴率100%の上天気。前夜は飲み会があり久々の午前様だったので、きょうくらいは自宅でま~ったりと休養して過ごすつもりだったのに、こんな天気を見てしまったら、ハイ、病気が現れました!
昼過ぎまで家庭運用をこなし、午後からのターゲットを物色。美濃太田15:29発高山線岐阜行の先頭に立つツートン車を御岳バックに撮影しようと目論み、機材の準備に取り掛かりました。
山の積雪はまだ少なめですが、よし、イケる!しかし夕方近くにベターな光線状態で高山線を御岳バックに撮影できるところは意外と少なく、そこで思い出したのが正面ドカンの坂祝進入です。
気になるのが「秋の日はつるべ落とし」(あっ、もう冬だ)、時間的に撮影ポイントが山の影に左右されないか、不安がよぎります。ただ線路は南西方向に走っている地点なので、それなら太陽もやや正面がちに撮影地付近を照らしてくれるのではないかと淡い期待を抱きつつ現地に向かいました。

 

406309案の定、山の影がかなり迫ってきていますが、陽が差す隙間は確保されているよう。高山線はどうやら10分前後の遅れが生じており、ターゲットを待つ間、周囲がみるみるうちに影に覆われてきてじれったく感じますが、幸い撮影ポイントへの影響はそれほどなく、むしろコントラストが付いて被写体を強調できるのでは、と都合よく解釈しました。
プレビューしたら、うゎ、後ピンになってしまいました。置きピンの操作ミスでしょうか。個人的にはやや許容範囲と判断しましたが、妥協していただけない方、どうもすみません。(脚立ぜったい必要)

 

Dsc_0219これだけで帰宅するのはもったいないので、夕暮れの景色を撮ってみようと名鉄広見線善師野付近に立ち寄りました。太陽が西の空に傾いてきた頃、バックの山は日陰になり、左手からも民家や山の影が迫り、線路の周りだけがスポットライトを浴びたかのような瞬間を迎えます。列車は1651レですが、今の時期はこの列車が時間の限界。4両編成が希望でしたけど、しょうがないですね。後続の5583F列車が来る頃にはスポットライトは消えてしまいます。

 

227そんなわけで、5583Fは善師野カーブで夕日ギラリに挑戦です。この地点もバックの山は日陰で暗くなるので夕日ギラリをひときわ引き立たせますが、ちょっと狙いがはずれて、効果が現れたのは最後部のみでした。再履修してみましょう。

 

1130で、こちらは上述の1週間前、11月30日に撮影したものです。この日も雲一つない晴天が夕方まで続きそうだったので、富岡前駅東方の直線に出かけて夕焼けシーンを撮りに行きました。日も暮れてそろそろ撤収しようと片付け始めたとき、陽が沈む間際に後方から上り列車が来たので、日没前のラストチャンス!後追い承知でシャッターを切りました。
太陽のやや左上に見える小さな白い傷のようなものは飛行機雲です。

  
「つるべ落とし」の時期は刻一刻と陽が落ちていくので1本の列車も無駄撮りできない緊張感を強いられますが、光と陰が織りなす美しいコントラストを楽しむために、夕焼けが期待できる日は善師野詣でがしばらく続きそうです。(出札掛)

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2013年12月11日 (水)

260.○○で大賑わいの駅+α【天竜浜名湖鉄道】 2013/12/5・6

 先週、天竜浜名湖鉄道を訪問する機会を得ることができました。なぜ天竜浜名湖鉄道かというと、冬季限定である駅がある訪問者で大賑わいとなるため、そこを訪れるのが大きな目的だったからです。メンバーの方の中には答えをご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、懲りずにお付き合いいただければ幸いです。

1213125 目的の駅が大賑わいとなるのは時間が限定されているため、その前に浜名湖沿いを行く区間でウォーミングアップです。この日は穏やかな晴天で浜名湖も静かな佇まいを見せていました。
【2013.12.5 都筑~三ケ日】(電車運転士)

2213125 大賑わいの訪問者の正体はこの子たちです。この子たちはユリカモメで日本に越冬のために渡ってきます。浜名湖界隈も越冬地になっているようで、毎冬にはたくさんのユリカモメを見ることができるようです。

3213125_2 ある時間の列車が来る少し前になるとユリカモメたちがどこからともなく集まって来て、お行儀よく?列車の到着を待っています。

4213125 実はコレ、お行儀よく列車の到着を待っていたのではなくて浜名湖佐久米駅に餌付けに来る方の到着を待っていただけです。午前と午後の決まった時間に餌付けが行われますが、ユリカモメもちゃっかりしていて、餌付けの方の姿が見えないうちはほとんどその姿を見せてくれません。しかし、一旦餌付けが始まると一瞬のうちに狂喜乱舞の世界に様変わりし、目の前でユリカモメの乱舞ショーが繰り広げられます。不思議なのはこれだけ密集して飛んでいてもユリカモメ同士がぶつかるということはなく、お互いの位置をどうやってコントロールしているのか興味深いところです。
【2013.12.5 浜名湖佐久米】(電車運転士)

5213125 少し離れて見た全体像はこんな感じです。これだけユリカモメが集まって来るとスゴイというのを通り越して思わず笑ってしまいました。以前は知られざる光景でしたが、テレビ番組(ナニコレ珍百景)で紹介されてからは一躍有名になり、土日ともなれば観光客でホームが一杯になってしまうほどの人気スポットになってしまいました。餌付けは例年12月上旬から2月上旬くらいまで、列車は下りが10時32分・14時28分、上りが10時52分・14時50分の4本です。駅に併設の喫茶店でユリカモメの餌(食パンの耳)が100円で販売されていますので、これ以外の時間帯に訪れた時はこれを買って自分で餌付けをするのもひとつの方法かと思います。なお、条件によってはユリカモメの数が少ない時もあるそうなので、ある程度運も左右されるようです。興味のある方は一度訪れてみてはいかがでしょうか。
【2013.12.5 浜名湖佐久米】(電車運転士)

6213125 ユリカモメの大群を堪能した後は寸座の浜名湖バックの定番ポイントにも登ってみました。3年ほど前に訪れた時にはもっと線路が見えていたのですが、出札掛様のうぬまの森ではないですが、手前の木が伸びてしまって線路がピンポイントでしか見えなくなり、アングルの自由度がなくなってしまいました。せっかくのポイントですが、近い将来には消滅してしまうのではないかと危惧されます。
【2013.12.5 寸座】(電車運転士)

7213125_2 遠州鉄道のマスコット、ED28 2にも敬意を表したいと思い、西ヶ崎にも立ち寄りました。車体は小さくてもれっきとした英国紳士(大正14年のE・E社製)で、かつては兄弟機が山形交通でも活躍していました。ATSが搭載されていないため、本線走行は営業時間外の深夜帯に限られ、走行写真をモノにすることは困難なのが実情です。光線状態がちょっとよくなかったのが心残りです。
【2013.12.5 西ヶ崎】(電車運転士)

8213126 翌日も遠州鉄道と天竜浜名湖鉄道を訪れました。西鹿島では朝ラッシュの仕事を終えた30型が身体を休めていました。30型は今や貴重な吊り掛け駆動車ですが、スケジュールの関係で乗車・撮影ができなかったのは残念です。
【2013.12.6 西鹿島】(電車運転士)

9213126 今回は天竜二俣の鉄道遺産を見学する機会がありました。天竜浜名湖鉄道の機関区施設・駅舎・ホーム上屋・橋梁・トンネルなどの主要施設は昭和初期の鉄道遺産としての価値が認められ、2011(平成23)年1月に国の登録有形文化財に登録されました。機関区内の転車台は今なお現役です。
【2013.12.6 天竜二俣】(電車運転士)

10213126 転車台と同じく、扇形庫も現役です。この扇形庫は木造で屋根の梁部分の構造などが生きた建築資料として貴重なものだそうです。規模は4線と小じんまりしていますが、昭和の雰囲気は十分感じ取ることができました。
【2013.12.6 天竜二俣】(電車運転士)

11213126 天竜二俣で昭和レトロの雰囲気を堪能した後は、再び沿線での撮影になりました。ユリカモメは前日に何とか撮れたので、パスして三ケ日地区らしい写真を撮りたいと思い、尾奈付近のみかん山に登ってみました。かなり収穫が進んでしまったこともあって、たわわに実がついた木が思いのほか少なく、まとめるのに結構苦労しました。
【2013.12.6 尾奈~知波田】(電車運転士)

12213126 みかんを浜名湖と何とか絡められないかポイントを探したところ、奥浜名湖の近くにそれらしいポイントを見つけることができました。もう少し高さがほしいところでしたが、このポイントが精一杯でした。それでも、みかんと浜名湖、三ケ日地区を象徴するような風景が撮れたので、自分的にはよしとしました。
【2013.12.6 奥浜名湖~尾奈】(電車運転士)

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2013年12月 9日 (月)

いま、もっとも話題の列車といえば・・・(5)

 さて、この連載の最後に、なぜ、三脚を持って行ったのか、説明するとしよう。 

 同行した友人は、近年はシノゴで消えゆく駅舎を撮影することを続けている。今回の九州においても、事前に九州入りして、駅舎を撮影してから合流した。友人曰く、電車の形式写真もシノゴで撮りたい、とのご要望である。もっとも、昨今の情勢では、ゆっくりシノゴを構えての形式写真など、なかなか望むべくもない。その意味では、熊本電鉄の70形がしっかりと撮れたのは、大変ラッキーであった。

 同行者のこうした撮影意図にあわせ、今回の撮影行では、形式写真を撮る機会もあるだろうと考え、それに備えて三脚とバケペン(ペンタックス6×7)を持って行くことにした。バケペンは、オーバーホールをしてから、初の出番である。バケペンを持って行ったのは、もうひとつ、今回の撮影はレンタカーで移動するため、それほど邪魔にならないだろうとの予想もあったからである。

 さて、バケペンを持って行っても、どのフィルムで撮るかは決めていなかった。天候の状態が良ければカラーで撮る、悪ければモノクロで撮ることにした。結果的にはカラーで撮るような状況とはならなかったので、モノクロでの撮影となった。

 モノクロでの撮影となった場合には、もうひとつ、目的があった。ネガをスキャンしてデジタル化したモノクロの階調と、ネガから紙焼きしたモノクロの階調がどれくらい異なるのか、比較したかったからである。同行者は、モノクロ写真に相当入れ込んでおり、プリントされた写真の階調は大変素晴らしく、芸術的な域まで達している。もちろん、ネガの現像から引き伸ばしまで、一貫して処理しないとこのレベルには達しない。そこで、今回の撮影したネガを現像とプリントして貰い、スキャンしてデジタル化したデータと比較したかったのである。

20131117
 まずは、11月17日の爆煙ショーのモノクロ。階調豊かなモノクロの写真は、奥が深くて味わい深い。

20131118

 続いて18日の爆煙ショー。こちらもなかなか味わいが深い。 

 ここで、プリントをお見せしたいところであるが、それは不可能なので、紙焼きしたものをスキャンしてお見せする。

Photo

 あまり比較にならないが、こちらも綺麗である。ただ、紙焼きをデジタル化したら、やや階調が硬くなった気がする。紙焼きをスキャンしたスキャナーが複合機なので、性能自体の問題かもしれない。 

 直接、これとは関係がないかもしれないが、フィルムのデジタル化でマクロレンズを使って接写する方法が紹介されている。高性能のフィルムスキャナがなくなった現在、もっとも高いレベルでデジタル化する方法であるが、知人の編集者に聞くと、スキャナと比べて写真が硬くなる傾向があるという。もっとも、諸河さんの複写したプリントを拝見した限りでは、そのような印象は感じなかったが・・。 

 最後に熊本電鉄70形。

Photo_2

 
 久々に三脚を構え、カメラをセットして、レリーズで撮影した。空までしっかりしたトーンが出ている。

 紙焼きしたプリントとモニターで見るデジタルデータを比較すると・・・もちろん画像の見せ方が根本的に違うので、そもそも比較の対象になりづらいが・・・紙焼きで見た方が落ち着いたように見える。もちろん、紙焼きの方が見慣れている、ということもあるだろうが。 本当は、デジタル化したデータをプリンターでプリントしてこそ、初めての比較なのだろうが、残念ながらプリンターで良いものを持っていないので、これは今後の検証となる。

 昨今は、デジカメで撮ったデータもパソコンでモノクロ化ができる。おそらく、データの粒状性も、フルサイズならバケペンより上だろう。記録性やデータの質という意味では、わざわざバケペンで撮る必要性は、まったく、といって良いほど無いといえる。保存性という意味でも(年齢的にいつまで保存が必要かという問題はさておき)、ネガの保存性に疑問がついている昨今、デジタルの方が優位かもしれない。 

 そこまでわかっていながら、なぜ、今、アナログのフィルムなのか。 

 ひとつには、撮る楽しみ、である。三脚を構え、カメラをセットしてレリーズを押す。もちろん、デジタルでも同じ事をするのであるが、大きなカメラを構えて撮ると、いかにも撮ったという気がする。 

 もうひとつは、再現性である。モノクロはともかく、カラーはデジタルでは色がいかようにも修正できて、どれが本物かわからない。そうしたことから、色見本として、フィルムで残しておくにこしたことはない。 モノクロは、モノトーンならではの奥の深い味わいのある世界も魅力的だ。

 まあ、写真を撮るという行為は、仕事ではなく趣味なので、迷惑をかけなければ、どのように楽しんでも良いわけだ。その意味で、たまにはデジタルではなく、アナログで楽しむのも趣味の多様性を高めるためには良いのかもしれない。 

 もっともカメラは重いし、フィルムもかつてに比べると値段が相当高くなり、さらに現像でも支障がある。また、デジカメになれてしまうと、走りを撮るにはフィルムの感度が低すぎる。そんなわけで、実際にフィルムで撮影するのは、三脚をたてて、しっかりと形式を撮れるときくらいに限られそうだ。(駅長)

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2013年12月 8日 (日)

259.秋色風景2013【紀勢本線】 2013/12/1

 師走を迎え、慌しい雰囲気が感じられる時期となってきました。早いもので、今年も残すところ1ヶ月を切り、あっという間に1年が終わろうとしています。本当に1年が経つのが早く感じられます。そんな中、紅葉シーズンも終わったかと思えた先週末でしたが、南の温暖な地方ならまだいけるのではないかという淡い期待を持ちながら凸の貨物列車が廃止となった後の紀勢本線に出掛けてきました。とくにネタ列車があったわけではありませんでしたが、各撮影ポイントでは同業者に出会うこともなく、のんびりと撮影を楽しむことができました。

1213121 最初に向かったのは相賀の俯瞰ポイントでした。この時期限定のShining Seaが目的でしたが、太陽が昇る前に通過した3002Dの時に見られた光景もなかなかのものでした。気温が低かったせいか、海面に霧のようなものが発生し、幻想的とまではいきませんが、それなりの雰囲気でよかったと思いました。
【2013.12.1 相賀~尾鷲】(電車運転士)

2213121 本命の324Cは計算どおり太陽も理想的な位置で、申し分のない状況でした。前回は風景を広めに入れてみましたが、今回は海の輝きをメインにしたいと思い、望遠で切り取ってみました。ほぼ思惑どおりの成果を上げることができ、まずは幸先よくスタートできました。
【2013.12.1 相賀~尾鷲】(電車運転士)

3213121 次に向かったのが去年の8月にも訪れた新鹿湾の俯瞰ポイントです。その時は崖崩れでアプローチ道路が通行止めとなっていましたが、道路も修復され、車で横付けできる状態になっていました。思ったより霞がひどくクリアな状況ではありませんでしたが、3004Dはステンレスボディが光ってくれたので助かりました。
【2013.12.1 新鹿~波田須】(電車運転士)

4213121 空気がクリアではなかったので、海鉄は早々に諦め、紅葉期待でイセカシカーブの俯瞰ポイントに行ってみました。3003Dを待ちましたが、バックの山は杉の木が多くて紅葉部分が少なく、残念ながら・・・といった感じでした。ここは緑の時期か田んぼが黄金色になる時期の方がいいかもしれません。
【2013.12.1 阿曽~伊勢柏崎】(電車運転士)

5213121 荷坂峠なら紅葉も期待できるだろうということで、名倉川鉄橋俯瞰ポイントに車を戻しました。現地に行くと広範囲に斜面が伐採されており、道路からお手軽に名倉川鉄橋を俯瞰できるポイントが出現していました。バックの紅葉は寒冷地のように鮮やかなものではありませんが、それなりの状態になっていました。3006Dが轟音とともに鉄橋を渡って行きました。
【2013.12.1 梅ヶ谷~紀伊長島】(電車運転士)

6113121 さらにありがたいことに、ほんのちょっと左に移動するだけで荷坂峠に挑む列車を撮ることもできました。331Cが峠を下ってきましたが、オレンジツートンだったらもっと列車に存在感が出たのにというのは贅沢でしょうか…。同じ列車を名倉川鉄橋アングルで撮ることも可能で、紀勢本線を訪れた時には必ず立ち寄りたいポイントになりました。
【2013.12.1 梅ヶ谷~紀伊長島】(電車運転士)

7213121 紅葉の感じがよさそうだったので、定番のマンボウの丘にも立ち寄ってみました。写真は3005Dの後追いですが、太陽が低いこの時期は1両分しか陽が当たらない状況でした。
【2013.12.1 梅ヶ谷~紀伊長島】(電車運転士)

8213121 運用が気になるオレンジツートンですが、前日にキハ40と48のオレンジツートンがユニットを組んで運用に入ったとの情報があり、順番どおりなら335Dの後ろ2両に連結される運用に入る予定でした。後追いにならなくてすむようにサイドから狙えるポイントを考えた結果は、光線との関係もあり、多気の鉄橋となりました。通過時間と日没時間が微妙な感じで、ヤキモキさせられましたが、何とかギリギリで間に合いました。ユニット窓に反射した夕陽が川面に映し出されるという何とも不思議な光景になりました。
【2013.12.1 徳和~多気】(電車運転士)

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2013年12月 5日 (木)

いま、もっとも話題の列車といえば・・・(4)

 夜が明けて、空を見上げれば、曇り空。やはり・・・・普段の心がけの結果なのか。

 さて、九州3日目は月曜日、平日である。平日に休みを取って熊本に行ったのは、もちろん、この日にSL人吉が走ることがあるが、もうひとつは平日しか撮影ができないここに行きたかったためである。

2011b27412
 これは、今から40年近く前の昭和51年に撮影した写真。熊本電鉄の黒髪町と藤崎宮前の間には、路面蒸機時代の面影を留める併用軌道区間があり、朝のラッシュ時にはその西側の必由館高校に通う学生(女子高生が多い!)の通学風景と併せて電車を撮影できる。そのシーンを撮ろうというのである。夢よ!もう一度、というべきか。

 しかし、狙った方は分かると思うが、人と電車のコラボは、なかなかタイミングがあわずに難しい。さらに,学生の数も当時と比べると減っているようで、なかなかタイミングがあわない。

Photo 
 もっともタイミングがあって、これくらい。ちょと残念である。これは、再履修の必要ありかも。 

 北熊本の駅舎を撮りたいという同行者の要望で、北熊本の駅に向かう。すると、もと広浜鉄道のモハ71がこれ以上ない、という位置に停まっていた。

70

 三脚を立てて、じっくり撮影する。今回、一番の形式が撮れた。これだけ綺麗な形式写真が撮れれば、大満足である。

 ここで時間を使いすぎたのと、国道3号の渋滞で思わぬ時間を食って、SL人吉にはぎりぎりの時間となった。

Photo_3

 昨日のリベンジで、まずは同じ坂本で狙う。今日は、力が入っているせいか、おカマさんも頑張って煙を出してきてくれた。

 ところで、この場所、なんか見覚えがある。帰ってから、古い写真を引っ張り出して、昭和47年10月にこの場所に来ていたことを確認した。

1972

 手前に道路が出来て、雰囲気が一変したようだ。この時は川の反対側から撮っているけれど、とても同じ場所とは思えない。それにしても、当時はC57でこんな長い貨物を牽いていたんですねぇ。

 閑話休題、カメラをしまって、追跡開始。

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 今日はダッシュが良かったので、坂本停車中に先行し、瀬戸石~海路間で道路から狙う。ここは、道路側に駐車帯があるので、車を停めて撮りやすい場所である。

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 白石で追いついたので発車を狙う。久々の爆煙発車!!今日は,爆煙機関士さんかもしれない。帰りの鎌瀬に期待しよう。

Photo_6
  この日4回目は、渡の発車。ここは中望遠よりも、友人の撮ったワイド気味のレンズの方が良かったようだ。

  この日の天気は、曇り、まれに薄日。もう少し晴れてほしいけれど、贅沢は敵か。それでも少し、晴れ間が見えだしたので、これも昨日のリベンジとばかりに大畑に向かう。

 スイッチバックを見下ろすお立ち台の場所は、ネットで確認しておいた。やはり、昨日見た石の上がその場所らしい。そこに立つと、確かにスイッチバックの線路が見える。昨日は、低く霧がかかっていたため、全く見えなかったわけだが、そこ以外の視界はそれほど悪くはなかったので、なんとも不思議な感じである。

 その場所で、人吉行き「しんぺい」を待っていると、急に晴れ間が広がってきた。

Photo_7

 こんなことは、滅多にないことだけれど、陽が照ってくれるのはありがたい。ただ、惜しむらくは、ちょっとまだらになってしまったことだ・・・・。

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 そんな贅沢を言っていたら、折り返しの吉松行き「いさぶろう」の時は、完全に曇ってしまった。天気の動きが早い。まだらにならないのはありがたいけれど、今度はちょっとメリハリがない。難しいものである。 

 SL人吉の帰路の最初は、渡発車を狙う。しかし、周りが雑然としているので、あまり良い雰囲気ではない。

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 ここはやっぱり鎌瀬の鉄橋、ということで再度、鎌瀬に向かう。昨日と同じ鉄橋を俯瞰できる道路であるが、少し横から鉄橋を見られるように、20mほど上流の撮影位置に三脚を据える。ここまでは良かったが・・・・ 

 列車が来る時間が近づくと、雲が厚くなって、段々、暗くなってきた。「もっと、明かりを!」と神に念じても、暗くなるばかり・・・・いよいよISOを1600にして・・・ちょっと明るくなったから、800にするか・・・それにしても、なんとツキの無い事よ。もっとも、普段の行いを反省せずにツキばかりを恨んでも、筋違いというものかもしれないが。 

 SL人吉が、トンネルから出てきた。あれ、鉄橋の上でほとんど停まってしまった。これ、噂の爆煙ショー???

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 安全弁を吹き上げ、もうもうと煙を吐いて、再加速していく。まさに、爆煙ショーである。あまりに速度が遅いので、ドレインが前の方に出てしまって、ちょっとバランスが悪いけれど、これは贅沢、というものか。あまりにゆっくりなので、シャッター速度を1/250に落として撮影する。 それでも十分に止まっている。

 周囲はもう真っ暗に近かったが、結果的には意外に良い色が出た。これならば、さほど違和感はなく、前日の撮影よりも良いくらいである。カメラの方が、人間の目よりも正直なのだろうか・・・・。 

 この写真を最後に、高速で熊本空港まで戻り、帰名する。熊本空港で、夕食に馬刺しを食べたけれど、前日に町中で食べたのとは雲泥の味であった。やはり、馬刺しは店を選ばないと、全然駄目、というのが改めて認識できた。 

 さて、今回、なぜ、重い目をして三脚を持って行ったか、まだ、その説明をしていない。それについては、次回のお楽しみと言うことで。(駅長)

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消 滅

  「ヤバイよヤバイよ~(某タレント調)」

8年ほど前からお世話になってきた「うぬまの森」展望台の撮影地が消滅の危機に立たされています。

13112411月24日の朝、高山線のツートンユニットを紅葉風景バックに撮ろうと「うぬまの森」展望台目指して1年ぶりに登ったら、なんと、木の枝がかなり成長して、以前は眺められた木曽川がほとんど見えなくなってしまいました。
今のところ高山線の線路は見通せるので影響はそれほどありませんが、どうしても枝がフレームインしてポジションが制約されます。詰めても定員2~3名でしょうか。脚立で背伸びをしたくても展望台の屋根に頭がぶつかってしまうので、2段脚立が限界。
「お願い、伐採して!」と頼んでもちょっと不可能な位置にあるので、このまま指をくわえて見ているしかないようです。

486812晴れていれば御岳や乗鞍が遠くに望まれるのですが、この日は霞んでほとんど見えないので、望遠にして周囲の風景をカットして木の枝をかわすため縦構図にしてみたら、紅葉と背後の山がいい具合に収まりました。列車は3711D。

406309この日は航空自衛隊岐阜基地の航空祭が催されていたので、所定の運用日なら終日行路がないツートン単行も3709Dの岐阜方に増結されており、思わぬ拾い物にニンマリでした。

 
いずれも後追い撮影ですが、短時間で紅葉バックにツートン車のシャッターチャンスに2度も恵まれたのはラッキーでした。

 

060120これは展望台に通い始めたころ、2006年1月の画像です。穏やかな木曽川が眼下に流れ、雪を抱いて堂々とした容姿を現す秀峰・御岳と、遥か遠く乗鞍から左手に続く北アルプス(かな?)の眺望に感動を覚えました。秋から春にかけての空気の澄んだ雲一つない快晴の朝に出会える絶景です。右下に見える枝が伸びてきているものの、時期的には芽吹く前でそれほど目立たず木曽川もまるまる見通せるので、日本ライン下りとの共演もゲットできたかもしれません。画面ド真ん中の鉄塔はまだシルバー塗装で、やはり目立たない存在でしたので自然的風景を堪能できました。原版はRVP100(+1) PL使用。画質かなり修正しました。

 
キハ40系列の置き換えまで1シーズン以上残されていますが、このお立ち台が消滅する頃には撮りたい被写体も消滅している?という笑えないオチでした。(出札掛)
 

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2013年12月 4日 (水)

いま、もっとも話題の列車といえば・・・(3)

 さて、長崎で「ななつ星」を見た後は、「かもめ」と新幹線を乗り継いで、熊本に向かった。もちろん、阿蘇にある「ななつ星」用のレストランで、朝食を食べようというのではない。今回は、同好者がいたので、二人でレンタカーを借りて、人吉への蒸機列車「SL人吉」を二日間にわたり追っかけるのである。

 しかし、ここで思わぬ誤算が生じた。天気予報が、あまり良くないのである。名古屋では、この週末は晴れの予報なのに・・・・・。この時、冬型の気圧配置が強くなり、日本海側では荒天となっていた。九州でも福岡は雪も多く、日本海側の気候であることは知っていた。しかし、熊本も日本海側気候の影響を受けるとは、迂闊にも知らなかった。確かに、雪雲は東シナ海から流れてくるので、その影響を受けてもおかしくはないのだが・・・。

 レンタカーを借り、高速道路を八代で降り、最初の撮影を予定していた坂本に着くと、なんと雨が降ってきた。おまけに暗い。さすがにやる気がなくなる。とりあえず、車の中で雨宿りで、列車の来る10分前に傘だけ持って、線路を俯瞰する陸橋に向かう。

Photo
 こちらの気が乗らないと、蒸機の方もなんとも気の乗らない走りぷりである。 

 すぐに車に乗って、追っかける。SL人吉は60kmくらいで走っているので、少し前に煙が見えるがなかなか追いつかない。ようやく白石の停車中に追い抜いて、次の撮影地として考えていた渡の球磨川第二鉄橋に向かう。

 しかし、この鉄橋、球磨川の堤防から撮るとなんともバランスが悪い。これは有名な鎌瀬の鉄橋もそうであるが、鉄橋が川の流れと直角にかかっていないことから、トラスの形が歪なのである。そこで、ちょっと電柱が煩いが、望遠で正面がちにねらうことにする。すると、まか不思議なことに、雲が切れて、薄日が差してきた。

Photo
 SL人吉は折り返しまで2時間ほどある。天気が良くなってきたことから、この時間を使って、大畑のスイッチバックまで行ってみることにする。同行者は蒸機の時に来て、さらに最近も駅舎を撮影に来ていると言うが、自分は行くのが初めてである。

 ところが、大畑に着くと、駅のあたりだけが霧におおわれて、見通しがきかない。ちょうど、「しんぺい」がやってきた。観光客が降りて、駅舎に入っていく。どうやら、大畑駅は観光地化しているらしい。

Photo_2

 車両は1両かと思っていたら、なんと3両編成である。乗客もかなり乗っているようだ。駅には名刺がいっぱい貼り付けてある。

Photo_4
 かつて訪れた広尾線の幸福駅を思いだした。(例えが古い??)方法はともかく、こうしてローカル鉄道が活性化していくことは嬉しい。

 せっかくなので、スイッチバックを見下ろすお立ち台の撮影ポイントを探しに行く。同行者は、以前、地元の人に案内して連れていって貰った、というがもうひとつ判然としない。地図で当たりをつけて農場の奥に行くと、いかにもそれらしい場所があり、石の上に登るところにブロックが置いてある。おそらく、ここがお立ち台かと思うのだが、まったく線路が見えない。視界はそれなりに開けているのだが・・・。

 撮影ポイント探しは諦めて、帰りの人吉を狙う。まずは西人吉の鉄橋。

Photo_5
 編成は綺麗に入るのだが、煙が空に溶け込んでしまった。これではペケである。傷心の気持ちで自動車に戻る。

 他に撮影地もなさそうなので、ここから一気に鎌瀬の鉄橋まで行くことにした。順調に走れたので、20分以上先行して、余裕で場所を探すことが出来た。

 この鉄橋、さすがに名所だけあって、正面から、サイドから、さらに俯瞰まで、いろいろなアングルで撮影できる。俯瞰大好き人間としては、やはり高いところに登りたくなる。そこで、鉄橋を見下ろす道路から撮影することにする。

20131117
 少々天気が悪いがーそれでも直前に劇的なほどに回復して、ISO400でf5.6・1/500になった-バックは木で人工的なものは入らず、また、機関車も鉄橋の上で煙を出してくれて、理想的な写真である。

 聞くところによると、機関士によってはこの鉄橋の上で徐行して、煙を出して再加速する「爆煙ショー」をやってくれるらしい。今日は爆煙ショーではなかったが、なかなか良い煙で絵になった。

1972
 ちなみにこの鎌瀬の鉄橋、昭和47年にも撮影に来ている。(らしい。写真があるから撮っているんだろうけれど、実はほとんど駅周辺の記憶はない)当時は、ダムがあって、水が貯まっていたが、現在はダムの解体が行われていて、水が減って橋脚が見えている。

 肥薩線の蒸機はこれでお終い。ホテルのある熊本まで戻る。しかし、撮影はこれでお終いではない。まだ、夜楽(よるたの)が残っているのである。

 今回は、理由は後述するが、荷物になるのは覚悟で三脚を持って行っていた。折角、三脚を持っているのなら、夜景を撮影したい。ということで、夕食を目的に通町筋まで行って、熊本城をバックに市電の撮影である。

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 新型の低床車を撮影する。しかし、ハロゲンランプの前照灯は光が強いので、ハレーション気味になってしまう。通常のライトのほうが写りは良いようだ。

 続いてイルミネーションカーもやってきた。

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 ホテルに帰りがけ、空を見ると月が出ている。夕方には夕焼け空も望めた。しかし、天気予報は曇り時々雨で、降水確率は50%である。さて、翌日の天気はどうなるのだろうか。(駅長)

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258.1980年夏 九州撮り鉄行脚 6号車【長崎電気軌道】1980/8/10

Photo_3

 駅長様が長崎電軌の168号をアップされましたが、たまたまいいタイミングで自分が撮った写真の整理ができましたので、33年前の長崎電軌の様子をアップしたいと思います。路線・運転系統は当時も現在と変わりないと記憶しています。当時から広島電鉄と並んで路面電車業界の優等生でした。ただ残念なのは長崎入りしたのが昼前だったため、時間の関係で駆け足の訪問となってしまい、じっくりと撮れなかったのが今となっては心残りです。車両的には日本で初めて車体広告車両を導入したこともあってか広告電車の比率が高いように感じました。当時の車両の多くが今でも現役で活躍しており、車齢的にはかなり高齢化が進んでいますが、引き続きの活躍に期待したいです。

1280810_7 長崎駅前から電車に乗って一番の繁華街である観光通りに向かいました。長崎電軌は世間的には広島電鉄と並んで路面電車業界の優等生として認識されており、市内の交通機関として欠かせないものとなっていました。運転本数・利用者数も多く、活気が感じられました。写真の370型は1962(昭和37)年製のオリジナル車で、今でも現役です。
【1980.8.10 観光通り】(電車運転士)

2280810 長崎駅前から観光通りに向かう途中に狭い路地を走る雰囲気のよい区間があったので、一旦戻るかたちで現地に向かいました。写真の700型は1955(昭和30)年製の元東京都電の2000型で、都電唯一の狭軌路線だった杉並線用として登場しました。スリムな車体が特徴で、現在は都電カラーに塗り変えられた701号車が健在です。
【1980.8.10 出島~築町】(電車運転士)

3280810_2 長崎は鎖国時代にも出島において西洋諸国との窓口機能を有していたという歴史もあって市内には西洋風の建物が多いという勝手な印象を持っていました。そんなに古いとは感じませんでしたが、たまたま西洋風の外観を持った病院の建物が目に付いたので、取り込んでみました。写真の200型は1950(昭和25)年製の長崎電軌初のボギー車で、製造後60年以上が経過していますが、現在も主力車両として活躍を続けています。
【1980.8.10 出島~築町】(電車運転士)

4280810_3 撮影後、ジャンクションのひとつとなっている築町に戻りました。先程の207号車が戻ってきました。築町は蛍茶屋~石橋の5系統と赤泊~正覚寺下の1系統の乗り継ぎ電停となっており、両系統を乗り継ぐ時は乗換券が発行されました。
【1980.8.10 築町】(電車運転士)

5280810_2 当時、次世代路面電車の試作モデルとして、運輸省の指導のもと、日本船舶振興会の補助金を活用した日本鉄道技術協会のプロジェクトにより「軽快電車」が登場しました。連接タイプは広島電鉄1編成、ボギー車タイプは長崎電気軌道に2両導入され、直角カルダン駆動・電機子チョッパ制御・回生ブレーキ・空気バネ台車・ディスクブレーキ・ワンハンドルマスコンなど様々な新機軸が採用されました。外観もできるだけ窓を大きくとり、これまでの路面電車の鈍重なイメージを払拭しました。運転開始は訪問前日の8月9日ということで、正面に花輪の装飾が残っていました。写真の2002号車はすでに現役を引退しましたが、相方の2001号車は今でも健在です。
【1980.8.10 築町】(電車運転士)

6280810 5系統の末端区間に当たる大浦海岸通り~石橋間は道路の端っこを走る単線区間で、海にも近いことから小型漁船が係留される風景があるなど、長崎電軌の中では最もローカル色の強い区間でした。実は、3年前の修学旅行の時にもこのエリアを訪れており、その時は大浦天主堂とグラバー亭の見学時間をこっそり抜け出して鉄活動をしていましたが、時間があまりなくて満足のいく写真が撮れなかったため、今回はそのリベンジとなりました。
【1980.8.10 大浦海岸通り~大浦天主堂下】(電車運転士)

7280810_2 線路端からも電車を狙ってみました。背後の山のかなり高い位置にも住宅が建っており、坂の街長崎を象徴するような風景でした。
【1980.8.10 大浦天主堂下】(電車運転士)

8280810 1・4・5系統が行き交う西浜町は長崎電軌の最大のジャンクションです。繁華街にもほど近く、ここも活気にあふれていました。写真の300型は1953(昭和28)年に増備された車両で、全車が今でも主力車両として活躍しています。形態的には先輩の200型にそっくりです。
【1980.8.10 西浜町】(電車運転士)

9280810_2 3・4・5系統の終点の蛍茶屋です。ここには小規模な車庫があり、数両の電車が休憩中でした。左の211型は200型の増備車として1951(昭和26)年に導入した車両で、200型とほぼ同じ形態をしています。右の500型は大阪市電1700型の機器流用車で角ばった車体が特徴です。両型式とも全車が健在です。
【1980.8.10 蛍茶屋】(電車運転士)

10280810_2 石造りのアーチ橋が連続するこのエリアは大浦天主堂下とともに訪れたかった場所でした。何とか電車と石橋を絡めたアングルがないかと試行錯誤しましたが、結局、中途半端な結果に終わってしまいました。駅長様が撮られたポイントには気づくことができなかったのは今となっては残念に思います。
【1980.8.10 西浜町~賑橋】(電車運転士)

11280810_3 ひととおり撮影を終え、長崎に戻ってきたらED73+12系の編成が停車中でした。臨時の「出島54号」で、急遽予定を変更してこの列車の機関車次位の客車に乗車、博多までED73のモーター音をしっかりと堪能することができました。
【1980.8.10 長崎】

●次の目的地 鹿児島市電

●移動行程 長崎→「出島54号」→博多→小倉(魚町で北九州線と北方線をバルブ撮影)→門司港→「かいもん5号」→西鹿児島→鹿児島市電

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2013年12月 2日 (月)

クモハ52の奇跡

突然ですが、流電クモハ52の話題です。

公には1978年11月19日のさよなら運転をもって運用を離脱したことになっております。

Img6651978年11月19日 江島・東上 クモハ52001+・・・・+クモハ52003

豊橋区の旧型国電は80系300番台への置き換えを前に4連運用に組替えられていました。そして今となっては理由が定かではありませんが、この日に全ての旧型国電が置き換わることはありませんでした。この運用変更までは豊橋区の4連が北部(たしか天竜峡以北)に入ることはなくなっており、常に4連に組まれていたクモハ52を北部で見ることはできませんでした。

ところが、この組替えで・・・。

Img1831978年11月23日 田切・伊那福岡

なんと田切のカーブで撮れる機会に恵まれたのです。時あたかも紅葉の時期でしたが、中央アルプスはクッキリというわけにはいきませんでした。それでもここでクモハ52を撮ることができ、大満足でした。

Img7111978年11月23日 岡谷・川岸

さらに上諏訪まで入線しました。昨年10月「中央線紀行号」なる列車をこの辺りで撮りましたが、かなり住宅が建っていました。この頃の天竜川の東岸にはほとんど家がありませんでした。

さらに日付がわかりませんが、同じフィルムにありますので、同年11月~1979年1月の撮影と思います。

Img202西富士宮(留置線)

相棒の52001が生き延びたのに比べ、52002は早々と離脱し、ここに疎開しました。残念ながら走行するところは撮影できませんでしたが、日本一の名峰(頂上だけですが)とのコラボが記録できました。

旬な話題とは対極にありますが、35年前の秋の1ページでした。(検査掛)

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