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2013年10月

2013年10月30日 (水)

【アーカイブス】長春54系統の変貌

 現在の中国でどのようなことが行われているか。読者の方も関心がありそうなので、ここまで来たら、一気に紹介するとしよう。最後は中国東北部の都市、長春である。これも鉄道ファンにとっては、特急「あじあ」の終点であった「新京」といったほうがわかりやすいかもしれない。そう、かつての満州国の首都である。

 ここには1941年に路面電車が開業している。実際には当時からの路線ではないようだが、その名残として54系統が残り、工農大路~西安大路間7.6kmが運行されている。また、21世紀になってライトレール(軽軌)の路線が2本、開業している。この路線はほぼ全線が高架であるが、規格やコンセプトは欧米のライトレールの基準に合致している。

 まずはこの写真を見ていただこう。

20131
 何かの工事現場?よく見てほしい。レールが写っているのがわかるのではないか。

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 ちょっと違った角度で見ると、こんな感じである。鉄道の運行を休止して、工事を行っていることが分かる。

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 実は、この場所は2005年にはこんな感じであった。

 この場所とは寬平大橋で、ライトレールの路線や大連への国鉄路線と交差する場所である。この反対側を見ると、立派な新設軌道の路面電車である。

20052_3
 軌道も整備され、日本でもここまで近代化された路線は少ない。

 長春の54系統は、もとは戦前の日本製の車両が中心に、老朽化した設備で走っていた路面電車であったが、2000年頃に徹底的に改良され、LRTと呼ぶに相応しい規格となった。あわせて、近代的な800型車両も導入されている。さらに、2007年頃に大連で低床車導入に伴い休車となっていた8000型を導入して、旧型車を一掃している。この寬平大橋のあたりも、もとは道路真ん中の併用軌道であったものが、改良時に道路端の新設軌道になったようだ。こうすれば、自動車の影響なく走れるわけで、路面電車の敷設方法としては理想的である。

 それが、なぜ、このような状態となってしまったのか。

 要するに、電車の走っている寬平大路に高速道路を建設するにあたり、工事の邪魔になる路面電車を休止してしまったわけである。さらに徹底しているのは、自動車の通行はもちろんのこと、歩行者のスペースすら無くしてしまったのである。まあ、そうすれば確かに工事がはかどるのだけれどもねぇ・・・。

 よって、歩行者は工事の間をぬうか、わずかに残った軌道敷を歩いていかねばならない。とはいえ、こんな状態ではどこを歩いてよいやら・・。なんせ、道路、しかも片側3車線以上もある幹線道路にもかかわらず、工事中はまったく歩くところがないのである。

 もちろん、自動車も走れないので、代替の交通機関もない。どうやら、違ったルートでバスが走っているようではあるが、これまでの利用者は不便きわまりない。また、道路に面した商店は開店休業状態もしくは閉店状態である。営業補償はされているのだろうか?

 ちなみに長春では、ライトレール3号線の南の部分でも、高速道路建設に伴う工事が行われていた。改めて思い出してみると、やはり歩行者のことなど、なんら配慮されていなかったようだ。

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 この後ろが寬平大橋である。

 しかし、不思議なのは、工事区間を除いて、両端の区間は運転を継続しているのである。日本なら、工事で全線運休にしてバス代行にするのだけれど、なぜかこういう点は不思議に義理堅い。残存区間を運転するため、車両も持って行っている。もっとも、こうなると予備車と言うより、単に放置プレイとしか言いようがないが・・・。

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  今回は、車庫のある西安大路の方に行かなかったので、そちらがどんな状況かわからないが、町の中心に近い工農大路はこんな状況である。

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2001年に訪れて時は、こんな感じであった。

2001
 すでに2001年の段階で、右側の欧並商都のデパートはあり、都心部はかなり近代化が進んでいることが分かる。さらに左側には新しい商業ビルもつくられて、商業の集積が進んでいることが伺える。近代化の遅れていた都市が発展することは喜ぶべき事なのだろうが、上のような状況を知ってしまうと、正直、むなしさがつのる。

 正直、2001年や2005年に訪れた時に、中国の軌道系交通の日本を上回る整備状況に驚嘆し、羨望の目で眺めた。北京~天津間の高速鉄道開業にあわせて訪れた2008年には、自動車の増加が目に見えて激しくなっており、やや違和感があるものの、まだ、理解できる範囲内であった。それが、今回は、完全に失望に変わった。自動車に対応したまちづくりが求められているのは理解できるとしても、リーマンショックで資金面を含めた裁量の自由権を得た地方政府が、確たる長期的な計画もなく?、為政者のやりたい放題に場当たり的に進めているのではないだろうか?ここまで言うと、ちょっと言い過ぎかもしれないが・・。

 ある新聞は、中国の現代の問題を次のように表現していた。

 すなわち、現代の中国には、国の東部と西部の間の「東西格差」、都市と農村の「城郷格差」、国営企業と私営企業の「業種間格差」、そして「貧富格差」と4つの格差があり、貧富の格差では電力、電信、金融、保険、水道ガス、たばこなどの国有企業の職員が全国職員の8%にすぎないにもかかわらず、全国職員の給料総額の55%を占めるという。また、1%の家庭が41.4%の資産を保有するともいう。事実、この長春の欧並商都を歩いていた女性は、上から下までシャネルなどのブランド品を身につけていた。このようにブランドを身にまとった女性は、名古屋でも見ることができない。相当な資産家であることを伺わせる。

 また、大都市では、カード、マイホーム、マイカーの「三奴」の奴隷となり、物欲が満たされないと不満を格差問題に置き換え、政府に対する抗議行動を引き起こす背景になっているという。こうして考えると、最近の反日行動は、まさにこうした不満分子の目をそらすためのものではないか、と思えてならない。

 大連にしろ、瀋陽にしろ、この長春にしろ、あくまで路面電車という一面を通して見た現代の中国の姿である。しかし、そうした一面的な見方だけでも、現代の中国の抱える問題が手に取るようにわかるというと、言い過ぎであろうか。(駅長)

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東急 目蒲線3000系の仲間たち(2)

1972年の(1)から、しばらくは目蒲線は乗るだけの鉄道でした。次にカメラを向けたのは1975年、これも記録がないので明確な撮影日時は不明ですが、直前のフィルムに北海道 幌内線の9600が写っているので、3月もしくは4月の撮影と思います。

Img950_2沼部・多摩川園前(現 多摩川) デハ3801+デハ3802+クハ3752

デハ3800は、電動車としては3000系最後の新製車で1953年製です。2年後の1955年にはカルダン駆動、モノコック構造の画期的な5000系が登場するので、わずか2両の新製に留まりました。張上げ屋根、バス窓を持ち、東急車としては独特な形をしていましたが、後年は3500形と同じ更新を施され(3802は運転台撤去、完全中間車化)つまらない車になってしまいました。1981年には2両とも十和田観光電鉄へ譲渡され、両運化されました。

Img958沼部・多摩川園前(現 多摩川) デハ3707+デハ3708+クハ3754

3700系は、デハが15両、クハが5両製造されたいわゆる運輸省規格車で、後年、系列全車が名古屋鉄道に譲渡されました。物心ついた時には4連一本が大井町線で使用されていた以外は目蒲線に集中投入されていました。すでに更新されていて、3000系列の中では比較的スマートな車という印象でした。なぜかクハは非貫通のままでした。

Img972 大岡山

Img962Img963大岡山  デハ3612+デハ3614+クハ3679

3600系はいかにも戦災復旧車然としていますが、その通り。しかしながら、ほとんどが台枠利用の車体新造ということです。車体幅が2800㎜のため、東横線と目蒲線しか入線できませんでした。(デハ3601、デハ3602及び名鉄に譲渡されたクハ3671等、再更新(=車体新造)されて2744㎜となりましたが・・・)7000系が新造されるまでは、ほとんどが東横線で使用されていました。一部はもっと以前に定山渓鉄道(こちらも東急グループ)に行ったり、一次伊豆急に応援に行ったりしたこともありましたが、間もなく、弘南電鉄へ大量譲渡されました。

Img011 元住吉検車区

しばらく後、弘南電鉄に送るため、元住吉に集められました。

Img006 元住吉検車区

同様に余剰となり元住吉に集められた3000系。左3300形4両は発送前に譲渡先の京福色に塗り替えられていました。中央のデハ3405は子供の国線専用色になっていましたが、除籍され、東急車輛製造の構内入換車になりました。その右、クハ3681は弘南行きです。

Img969 雪が谷検車区  デハ3551+デハ3552+?

3550形もわずか2両の形式でした。戦災復旧車で車体は1953年、54年製ながら、足回りはそのまま利用しているせいか、知っている限りでは池上線用でした。同形の車体を持つクハ3850形は17両も製造され、後に更新されているのですが、デハ3550形は廃車までこの形態を保ちました。3551は後に私鉄初の架線検測車デヤ3001となり、3552は日立に引き取られ、電気試験車として利用されたようです。

番外編

Img976 大岡山

1975年当時の5200系です。同系列は4両のためか、田園都市線所属でした。手前側の5202は上田電鉄で保存されていますし、反対側の5201は産業遺産として、メーカーである旧東急車輛で保存されています。

この当時の目蒲線の主力車種であるはずの3500系や3450形の写真が一向に出てきません。困ったものです。(検査掛)

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2013年10月29日 (火)

【アーカイブス】大連の変貌-3

 最近は鉄道趣味のブログから、社会派に宗旨替えをしたような内容の記事が続くが、予想以上に驚きをもってご覧いただいているようである。折角なので、もう2回ほど、こうした記事を続けたい。今回は三部構成となった「大連の変貌」シリーズの最終である。最近は、なぜか三部構成が多い。(^_^;)

 さて、大連と瀋陽については、このブログに素晴らしい写真が載っている。いずれも、沿線をじっくり歩いて撮影されたもので、運行頻度とか自動車とかぶるリスクを考えると、どれだけの時間をかけられたのか、想像を絶する努力の賜といえる。写真の出来とあわせて、とてもではないが、小生では足下にも及ばない素晴らしさである。

 大連 http://www.shugotram.jp/trampage/tpagech/tpagchda01.html

 瀋陽 http://www.shugotram.jp/trampage/tpagech/tpagchsy1.html 

 また、中国東北部のPM2.5の汚染状況をリアルタイムで見せるブログも見つけた。

  http://aqicn.org/city/dalian/jp/

 このサイトによると、PM2.5が50マイクロ・グラムまでが「優」、100マイクロ・グラムまでが「良」で、200までが軽度汚染、300以上が重汚染という。現在の状況を見ると80くらいであるから、現地では汚染がないとの認識の時でも、日本の最大値の2倍強である。少なくとも、このようなところには住みたくない。

 PM2.5の話が出たところで、2010年2月に訪れた北京の様子をご覧にいれたい。

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 北京の郊外を走る13号線である。もちろん、当時はPM2.5などという言葉は報道されおらず、知るすべもない。この日は、日本の天気予報は晴れ。しかし、ぼんやりと太陽が見えるものの、町中は濃い霧に包まれていた。不思議ではあったが、極楽トンボの筆者は、その時は北京の冬は、こんなものかと思っていた。

 昨年あたりからPM2.5をマスコミが報道するようになり、北京の大気汚染が急にひどくなったように思われている。しかし、実際にはその数年前の方が大気汚染がひどかったとのデータもあるらしい。この写真を見ていただけば、状況は一目瞭然であろう。 

 さて、シリーズとなった大連の変貌の3回目である。まずは、地図を添付する。

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 最初にご紹介するのは大連駅前。これは1982年。

1982jpg
 のどかである。これが30年経つと、こうなる。

Photo
 ウォーリーを探せ!ではないが、どこに電車が居るのか探してほしい。ちなみに、どちらも大連駅の車寄せからの撮影である。今年の写真はやや広角気味で、左側が多く入っている。

 続いて、大連駅前と並ぶ大連の繁華街の興工街の変貌。

1982
 1982年に訪れたときには、なんとも怪しげな車両が運行していた。これらの車両の歴史を調べたいと思っているのだけれど、もうひとつ判然としない。

 さて、これが2001年となるとこうなる。

2001
 やや高い位置から撮影しているのは、この場所に歩道橋があったため。しかし、2005年に訪れたときには、歩道橋は無くなっていた。

2005
 続いて2005年。高層ビルがバックに写っている。車両は低床車が主力となった。

Photo_2
 最後に今年である。商業施設が洗練されてきた感じを受ける。 

 さて、ここまでは大連の発展は凄い、と感じる方も多かろう。しかし、次の写真を見ると疑問を感じる方も多いのではないだろうか。

2001_2

 これは、上の興工街から2停留所南に下がったところで、併用軌道から専用軌道に変わる解放広場である。ここには車庫があり、その反対側は市場となっていた。

20081
 上の写真は2001年、下は2008年である。背景に高層ビルが見られる以外は、大きな変化は無い。不思議なのは歩道橋で、2001年に訪れたときには、興工街をはじめ、何カ所か、確認した。それが、2005年には、無くなってしまっていた。この解放広場の歩道橋もやはり無くなっている。

 この庶民の市場といえる解放広場が、2013年になると、なぜかこうなってしまう。

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 なんと、市場が無くなり、工事現場に変わっている。高層住宅を建築するならまだしも、この工事は地下鉄の建設によるもの。もちろん、地下鉄工事とあわせた再開発ということかもしれないが、要するに、お上の意向で庶民の生活など、簡単に犠牲にされてしまうことを示している。この事例は、次回の長春で、より凄いものをご覧にいれるが、おそらく中国のあちこちでこうしたことが行われているのだろう。

 中国では経済の活性化に伴い、富裕層が増えており、事実、大連や長春のデパートを見ると、ブランド品の売り場は名古屋あたりのデパートは問題にならないほど広く、商品も多い。しかし、そうした富裕層も、国や地方政府の動きを見て、自分たちの財産の保全には相当危機感を持っているようで、それが日本を含めた海外への投資につながっていると聞く。この状況を見ると、さもありなん、と思う。

 最後に、モータリゼーションの現状はこの写真を見ればおわかりいただけよう。

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 ま、説明は不要でしょう。

 まあ、日本がすべて良いとは思わないけれど、こうした国に生まれなかったことだけでも感謝すべきかもしれない。あとは、このブログが某テレビのように、黒く塗りつぶされないのを祈るだけである(駅長)

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2013年10月28日 (月)

253.1980年夏 九州撮り鉄行脚 5号車【日南線】1980/8/9

 日南線は南宮崎~志布志、88.6㌔のローカル線で、今では盲腸線となってしまいましたが、1987(昭和62)年3月までは終点の志布志では志布志線・大隅線が接続していました。日南線を訪れた最大の理由は全線にわたって運転されていたDD16の貨物列車で、DD16フリークとしては絶対に外せない路線でした。日南線といえば海沿いを行く明るいローカル線といったイメージを持っていましたが、実際は内陸部を走る区間が多く、車窓から海が見える区間は限られていました。それでも、何とか海とDD16の組み合わせを狙うべく、「日南9号」から乗り換えた日南線の始発列車でロケハンをしながら撮影ポイントを物色しました。

128089 油津を過ぎるとやっとまともに海が見えてきました。油津~大堂津~南郷は穏やかな日向灘を望む区間でしたが、大堂津~南郷の鉄橋に撮影ポイントを定めました。現地の光線は完全な逆光、写真はモノクロメインということもあり、開き直ってシルエットに作戦変更しました。とりあえず、キハ20でウォーミングアップです。
【1980.8.9 大堂津~南郷】(電車運転士)

228089 1本目のDD16は上りの貨物列車です。ローカル線なので、ワム2~3両の単編成で鉄橋上にバランスよく乗ってくれるかなとたかをくくっていたところ、予想以上の長編成で、後ろが切れてしまいました。
【1980.8.9 大堂津~南郷】(電車運転士)

328089 本当なら下りのDD16は場所を油津~大堂津に移したかったのですが、油津で行違いのダイヤだったため、動くに動けず、結局同じポイントで撮らざるを得ませんでした。下りのDD16は望みどおり貨車3両の理想的な編成で、貨車の種類もホキ・タキ・ワフと変化に富んでおり、結果的にはVカットとなりました。
【1980.8.9 大堂津~南郷】(電車運転士)

428089 この日もう1か所撮りたかったポイントが内海~小内海の海沿い区間です。ここの海岸は「鬼の洗濯岩」という景勝地が広がっており、DD16と組み合わせることができないか秘かに作戦を立てていました。ちょうど引き潮の時間帯で、鬼の洗濯岩はバッチリの状態でしたが、線路沿いは夏草が生い茂り、満足いく立ち位置を見つけるのに苦労しました。そうこうしているうちに通過時間が迫ってきたこともあり、このポイントで妥協せざるを得ませんでした。
【1980.8.9 内海~小内海】(電車運転士)

●次の目的地 長崎電気軌道

●移動行程 宮崎→「日南10号」→小倉→「雲仙・西海」→長崎→長崎電気軌道

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2013年10月27日 (日)

What's new?

【10月19日(土)】

1019金山の名古屋都市センターで展示イベント「時を超えて走り続ける中部の鉄道」が催されていたので、仕事のついで(笑)にちょっと覗いてみますか。
おっ、某目撃サイトを見ると、ドクターイエローが東京から西下しているよう。せっかくなので展示会場から見通すことが出来ないかと、名古屋付近の通過時間に合わせて足を運びました。しかしそこから新幹線が見える確証もないし、天候も曇っているし、どうせ見られなくてもいいか、と割り切って11Fの展示フロアから窓越しに新幹線の方角を眺めたら、あ、見えた。と言っても建物の合間から見え隠れする程度。まあ余程の事がない限りここでシャッターを切ることは今後もないだろうと思い、やや速度を落として現れた被写体にカメラを向けました。御在所岳と鈴鹿の山々がちょうど背景に写ったので、少しはアクセントになったでしょうか。

【10月20日(日)】

1020_2太多線にドクター東海が入線するらしいですが、雨模様なのにわざわざ撮りに行くようなターゲットか?と自問自答。しかし次の機会はいつになることかと考えたら、せっかく得た情報なので、たまにはマジメ?にキヤ95をカメラに収めようと雨にも負けずに出かけました。太多線の特徴ある場所ってやはりここしかないのですね。
雨に煙る木曽川橋梁を想像しましたが、それほどインパクトは強くありませんでした。

【10月27日(日)】

102701名鉄犬山線布袋付近の踏切を渡ったらふと目についたプチ花畑。布袋の大仏サマに見守られてかわいく咲き誇ります。花の名前は何でしょうか?疎いのでわかりません。詳しい方にご教示を。
ところで大仏サマ、知らないうちに避雷針らしきものを頭に取り付けられていますが?

102702そして、中央線へ371系を撮りに車を進めました。日曜日なので木曽路の山間部まで遠征しても貨物列車はほぼウヤなのでターゲットも少なめ、というわけで、多治見ー土岐市の山間部でお茶を濁しました。車体が真白なので影が映ると目立ちますが、晴れの日の撮影はどこにいても気持ちいいものです。

 
  
  

102703反射神経を養うにはうってつけの新幹線。10名近くのギャラリーが集まりました。しかしタイミング悪くファインダーに入ってきた鳥の群れには敵いません。修正すればどうにでもなりますが、とりあえず撮ったままの画像で(画質のみ編集)掲載します。
 

  
102704ようやく撮影出来た国鉄ツートン色車&はさ掛けのコラボ。光線状態は終日良くありませんが、撮れるときに撮っておこうと高山線鵜沼付近まで。家からそれほど遠くないのに、実はこの場所ではさ掛けを撮ったのは意外にもこれが初めてでした。

11月も忙しくなりそうですが、外出制限をけかられないよう日々の活動は控えめに??(出札掛)

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【アーカイブス】大連の変貌-2

 先に30年の歳月で都市はここまで変わるのか、と驚きを持って見ていただいた大連の路面電車沿線における新旧対比の続きである。

 まず、先回の記事では地図がないので、場所がわかりづらかったかと思う。そこでまず簡単な地図で、撮影地を紹介しよう。

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 現在、大連には2系統の路面電車が走っている。ひとつは興工街から大連の駅前を通って、海の近くの海之韻公園に向かう201系統、もうひとつは興工街から南下し小平島前までいく202系統である。このうち、202系統は2000年頃に徹底的な改良が行われ、LRTといっても遜色のない路線で、現在はすべての運行が低床車によって行われている。これに対して201系統は、道路上を自動車と一緒に走る古典的な路面電車で、一部低床車も入っているが、主力はレトロ電車と呼ばれる戦前の日本製車両である。

 前回、ご紹介したのは201系統で、場所的には華楽広場と書かれたあたりの少し大連駅寄りで、大連の東といってよかろう。今回ご紹介するのは、星海広場で、興工街から南下した路線が黒石焦に向かってカーブするあたりである。ここには大きな広場と展示場があり、また海も近く、戦前には風光明媚な大連の観光地として賑わった場所という。

 さて、その星海広場の1982年の様子である。

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 いかにものどかな雰囲気で、横の道路は荷馬車が走ってくるのに似つかわしい風景である。とはいえ、これでも旅順への幹線道路だったはずだ。

 それが20年経つとこうなってしまう。

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 荷馬車が相応しかった道路は、片側4車線の道路に変貌していた。軌道はコンクリー道床に改良されている。町の中心部には高層ビルが見えるが、まだこのあたりのビル建設は進んでいない。

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 次は2005年。高層ビルの建設が進み、車両は低床車に変わっている。この風景を見て、正直、中国のすごいパワーを感じ入るとともに、将来が恐ろしくなった。

 2008年にはここで撮影していないので、次は今年2013年である。

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 高層ビルがどんどん増えている。すさまじいパワーである。おまけに1982年からある左のビル(よく見ると小さく写っている)の屋上にも、意味のわからない三角の屋根がついている。(笑)

 注目してほしいのは、道路脇の歩道部分である。幹線道路側は植樹がされて、良い雰囲気に整備されている。これに対して、線路の横の側道は、2001年には完全に歩道の扱いであったのが、現在は車道になっているかのようだ。

 では、星海広場の停留場の反対側を見てみよう。

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 これが、1982年。乗客を含めて、なんとものどかな雰囲気である。

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 2001年には、軌道を含めて近代化が進んでいる。

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 2001年との違いは、車両が低床車に変わったくらいか。ここで右側の歩道を注意してみてほしい。

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 これが今年。右側の歩道が、なんと駐車場に変わってしまっている。(T_T)

 アングルを変えてみてみよう。

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 これが2001年の様子。車両は、ドイツ・シーメンス製のコンビーノのデザインをパクって製造された大連人と呼ばれる中国製低床車の試作車である。この時は、線路の内側は歩道で、人と見事に調和した、まさに理想的とも言えるLRTの雰囲気であった。

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 少々、撮り方は違うが、同じ場所である。歩道は見事なまでに、駐車スペースとなっている。

 21世紀になって大連を4回訪れ、そのうち最初の3回は路面電車のLRT化としての整備の様子に驚嘆し、本心から日本以上に進んでいると思った。事実、軌道の状態にしても(コンクリート道床のみならず、なんと202系統の幹線道路との交差部分では、立体化されている)、低床車の導入にしても、日本以上であった。

 しかし、今回訪れて、その羨望は失望に変わった。爆発的に増加する自動車交通に対して、公共交通や歩行者がその犠牲となっていた。201系統では道路渋滞に巻き込まれ、所要時間が大幅に伸び、その反動でピークは数分おきであった運行間隔が、ひどいときには20分以上、電車が来ない時もあった。都心部の歩道は自動車の駐車場に変わり、歩くにも不自由するほどとなった。せっかく綺麗に整備した歩行者道路を自動車に転用しているのは、ご覧の通りである。

 先日、東北地区のハルビンでPM2.5が1000マイクロ・グラムを超えて、測定限界以上になったとのニュースが報道されたが、某ブログによると当日の大連はPM2.5が300マイクロ・グラム以上。晴れて快晴の時でも、80マイクロ・グラム以上はあるという。(ちなみに日本の基準は上限が35マイクロ・グラム)事実、大連の空港に降りるときには、地表200mくらいの高さまでガスが覆い、大気の悪さを伺わせた。これは瀋陽から出発するときにも同じ状況で、都市部を離れても同じような状況であることから、中国の地表部をびっしり覆っているのであろう。(もちろん、その一部は日本にも流れてきている)

 幸い、訪れたときは条件に恵まれ、遠景が霞むほどの大気状態の悪さではなかったが、それでも喉の調子がもうひとつであった。以前に比べると、明らかに大気状態は悪化しているのを感じる。モータリゼーションは、さらに急速に進むし、多少、自動車を抑制しても効果は限られるだろう。国の発展?を国民の健康より重視していると思われるこの国の将来は、どうなってしまうのだろうか。

 LRT化した大連の202系統は、旅順への延長工事が進んでいる、という。ここまで大連の路面電車を撮りこんでいるので、開業したら当然、行くべきなのであるが、昨今の状況を見ると、その熱意も薄れてしまうことを感じるこの頃である。(駅長)

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2013年10月26日 (土)

東急 目蒲線3000系の仲間たち(1)

年齢のせいで最近は文字を読むのが辛くなってきましたので、趣味誌も1誌だけしか購入しません。車通勤のせいで、殆ど駐車場のある本屋しか行きませんが、数日前、名駅近くに用事があり、H書店に寄りました。

そうしたところ、N社から出版された鉄道車輌ガイドVol.16「東急 目蒲・池上線の旧形車」なる雑誌が置いてあり、懐かしさから思わず手に取って見ました。内容としては3450形以降の1985年頃からの更新車の写真が主体で、ちょっと世代が新しいのと、2,500円という値段から購入はしませんでした。

というわけで、かつて足としていた目蒲線(一部他の線も含みますが)の車両を中心に、ご紹介したいと思います。

初回は1972年です。

Img094_3沼部・多摩川園前(現 多摩川)

この頃はきちんと記録をとっていないので、いつか判然とはしませんが、このネガの最初には飯山線のC56が写っているので、春休み直後だと思われます。自宅から徒歩5分程度のお気に入りの撮影地でした。(その割には写真がありませんが(;ω;))両端がデハ3500の目蒲線では最もポピュラーな編成ですが、この頃は中間がクハ(3850?)のようです。行先版はまだ車外に吊り下げていました。

Img094実は、この日は目蒲線にとって画期的ともいえることを発見した日でした。というのがこの写真です。吊掛け車ばかりだった目蒲線にナント7200系ステンレスカーが新製投入され、その試運転を目撃し、帰宅後あわててカメラを持って現地に行ったものです。この頃は既に東横線には8000系も登場しており、7200系は田園都市線のエースでしたが、そのいずれもがクーラーなるものは搭載されておらず、これを見たときの衝撃は今も忘れられません。今までは、東横線などのお下がりが当たり前の目蒲線だったのですから・・・。余談ですが、トピックとしてJ誌に初めて投稿し載った写真です。

Img096_2田園調布

一番手前の線路は荷物扱い用のもので、入換信号の後ろにホームが覗いています。この頃の東横線の急行は7000系6連が主体でしたが、わずかに7200系も使用されていました。最も新しい8000系は20mのため5両固定編成で、専ら各停用でした。

Img095雪が谷大塚検車区

家業の手伝いで、沼部近くの実家からチャリでよく池上線の雪が谷に通いましたが、あまりこの線も撮っていません。当時の感覚として、東急内での路線の「格付け」としては東横線>田園都市(大井町)線>目蒲線>池上線という順で、池上線は車両の引退所という感じでした。画像左から3200形、3450形(以上検修庫)、3450形、3450形、3300形(洗車機の陰)、3450形、3200形、3450形というように並んでいます。3450形は総勢50両を誇る一大勢力で、当時の池上線の主力でした。実際はメーカーもバラバラで、1両ずつ個性あり、興味深い形式でした。(が、あまり写真はありません)

表題が「目蒲線の3000系の仲間たち」という割には3000系の写真が少ないうえ、まだオリンパスペンしか持っていなかったので、粗くて醜い写真で申し訳ありません。(2)以降はもう少しまともになりますのでご容赦ください。(検査掛)







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2013年10月25日 (金)

「鬼の鉄道」

 このタイトルを見ても、いったい何のことか、わからないだろう。少なくとも、鬼のように鉄道を撮りまくる、というような意味ではない。種明かしは、少し後にとっておくとして、まずはLRTの写真を3枚見ていただくとしよう。

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 まずはこの写真である。管制塔があることから、空港に乗り入れているLRTであることは一見して理解できよう。しかも、よく見てみると、架線がない。最新鋭の架線レスLRTである。世界でも架線レスのLRTを導入した都市は、ごくごく限られている。さて、この近代的なLRTのある都市はどこだろう?

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 同じ都市の2枚目である。上の写真と車両が異なるが、これも架線レスである。空港の写真で、一瞬、欧州かと思われた方もあるかもしれないが、パターン化された、もうひとつデザインが垢抜けない高層住宅が背景に写っていることから、欧州ではなく、アジアの都市であることが伺える。

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 さて、同じ都市の3枚目は夜景である。人を映し出したビル照明が目を奪う。それ以外にも、ライトアップされた周囲の景観が美しい。

 ビルのネオンを見ると、漢字で書かれている。これで、このLRTの走っている都市が中国であることがわかる。

 さて、種明かしをしよう。この都市は、中国・東北部の都市の「瀋陽」である。鉄道ファンには、満州時代の「奉天」と行った方がわかりやすいかもしれない。この8月に瀋陽にLRTが開業。しかも、一挙に40km以上の路線が開業するというスケールの大きさで、架線レスの最新技術も採用されているという。これは、見なければいけない、ということで訪れたのである。

 実は瀋陽には、1982年の初訪中の折に訪問している。本題から外れるが、当時の瀋陽の様子をご覧にいれよう。

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 当時の瀋陽駅。

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 建設型の蒸機が貨物列車を牽いて、構内を通過していく。現在は、新幹線のホームが出来て、様相が一変している。

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 現在の瀋陽駅。外観は、歴史的建築物として、往時の面影を残している。おそらく満鉄時代の遺構であると思うけれど、中国としてはよく残したと思う。

 さて、瀋陽を訪れた主目的ではないが、結果として、ここを訪れている。

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 柳条湖である。え、中国の蒸機の撮影地?という方は、日本史をもう一度、勉強し直してほしい。

 1931(昭和6)年9月18日、この地で鉄道の爆破が起こった。当時、満州の権力を握っていた関東軍のしわざといわれるこの爆破事件は、満州事変の発端となり、満州国の設立につながり、第二次大戦に至る戦禍に日本を巻き込むことになる。その歴史的な地である。

 場所としては、現在の瀋陽と北瀋陽の間で、線路がカーブしているあたりという。もちろん、記念碑など建っているわけではないので、このあたり、ということで線路の踏切を訪れたに過ぎないが。

 瀋陽の歴史を紹介するため、本題から外れてしまったが、日本との関係をご理解いただけたと思う。この瀋陽にLRTが開業したのは、今年8月15日であった。実は、当初、この頃に瀋陽を訪問しようと考えていたが、昨今の情勢を考えると、さすがに時期をずらさざるを得なかった。さらに、9月18日前後も、中国で反日キャンペーンが行われることが多い。こうした反日キャンペーンは、大型連休である国慶節を過ぎると沈静化するのが常である。そこで、10月中旬に訪問に及んだのである。この時期の訪問が、実にタイミング良かったのは、帰国してから分かるのだけれど、それは次回のネタに。

 さて、謎のタイトルに戻る。

 この瀋陽のLRT、実に40kmもの路線があり、都心部から川をわたり、スポーツ施設が並ぶオリンピック・センター(奥体中心)を起点に路線を延ばしている。ここには競技場やプールがあり、中国の国体が8月下旬に開催された。それにあわせてのLRT開業であった。

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 車内に掲げられた路線図。4路線あるように書かれているが、緑の3号線はまだ開業していない。紫の1号線の終点が、上の写真にある空港であり、赤の2号線の終点がコンベンションセンターである。このコンベンションセンターの近くには、新幹線の瀋陽南駅も建設されている。上のネオンが写る高層ビルのあるのが、オリンピックセンターの次の停留所(Xinglong Da'aocal,中国名は漢字で表現できない)である。

 沿線は、いわゆる開発地で、まだまだ空き地が広がり、これから街並み整備が進む、という感じである。そうした所に、まず交通機関としてLRTを整備することは、TOD(交通機関を先行整備し、自動車社会が過度に進展しないようにする都市開発)として、教科書に載るような理想的なまちづくり、なのである。しかし、現地をみるとどうもそうとはいいきれないような感触である。建てられただけで、空き家となっている高層住宅があちこちにあるのだ。

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 かつての公団住宅を思い出させるような画一的な高層住宅が、あちこちにあり、それのすべて(といっていいほど)が空き家で、入居していないのである。これはいったいどうしたことか。 

 ということを疑問に思っていたら、新聞にこうしたゴーストタウンは「鬼の城」と呼ばれているとの記事があった。ようやくここにきて「鬼の鉄道」というタイトルとの関連性がでてきた。 

 この「鬼の城」という言葉は、住宅開発の失敗を指すらしい。本来の「鬼の城」はもっと大規模な開発をさすのだろうけれど、こうした団地開発の失敗?も鬼の城の同類だろう。しかも、こうした高層住宅の団地は、この後訪れた長春にもあったし、大連にもそれらしき住宅がいくつも見られた。

 なぜ各都市でこうした住宅が建設されたかというと、リーマンショック後に中央政府が行った4兆元の財政刺激策によって地方政府の開発プロジェクトが加速し、さらにその資金が地方政府傘下の開発投資会社が発行する高利の「理財商品」を通じて調達することができたことから開発に歯止めがかからなくなってしまったからという。この地方政府が資金調達をするしくみが、中国発の金融危機となるのでは、と怖れられている「シャドーバンキング」問題である。ひと言で言うなら、中国の建設バブルである。建設バブルが、国の財政を悪化させたのは、スペインを思い出す。

 このようにみると、この瀋陽のLRTも「鬼の城」と同じ発想で建設されたのではないかと危惧される。もちろん、先の大連の写真で見たように、中国の大都市の発展は著しいので、将来への布石とみることもできる。しかし、現時点で見る限り、何も需要がないところをを走っているのは、まさしく「鬼の鉄道」である。ちなみに、スペインのLRTも建設バブルに大分加担している。 この瀋陽のLRTが「鬼の鉄道」かどうかは歴史が判断することになるのだろうけれど、いくら人口が多い中国とはいえ、少々、先行きが心配ではある。

 それはさておき、瀋陽で不思議に思ったのが2点。まずは、上の路線図。都市の交通体系の一環と考えるなら、当然、地下鉄との乗り換えを路線図に明示すべきであるが、まったく表示されていない。都市交通で大切なのはネットワークと言うことを理解しているのだろうか。

 もうひとつは、コレ。

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 青い制服の女性は、アテンダント。いや、それを撮影したのではない。見てほしいのは、車両の床面とホームの高さの差。低床車を入れるのは、何が目的か、本当に理解しているのかと疑わしい。 「仏つくって魂入れず」というのは、まさにこのようなことを指すのだろう。

 最後に中国の鉄道に受け継がれる美しき伝統を紹介したい。(^_^;)

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 車内には、アテンダントの席がちゃんと用意されている。食堂車は、乗客ではなく、乗務員のためのもの、というように、乗客よりも乗務員を大切にする伝統は今も健在である。(駅長)

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2013年10月24日 (木)

252.コスモス通信2013【名鉄三河線】 2013/10/21

 検査掛様のコスモスの写真に触発され、毎年線路近くのどこかに咲いている竹村近辺で朝練してきました。今年は一昨年と同じ場所に咲いていましたが、例年に比べて背も低く、花の付きもイマイチのように感じました。原因はわかりませんが、記録的な猛暑の影響がこんなところにも出ているのでしょうか?

_dsc00542 前日の雨が夜には止み、湿度が高いまま晴れモードに変わり、朝方の気温が低くなったせいか、この地域には珍しく霧の朝となっていました。幻想的な写真が撮れるのではないかと期待していたところ、三河知立~三河八橋間で踏切事故が発生、この列車の後、30分程運転見合わせとなり、運転再開後もダイヤは大きく乱れていました。そうこうしているうちに霧も晴れてしまい、何とも消化不良の朝練でした。
【2013.10.21 竹村~土橋】(電車運転士)

_dsc90042 一昨年の同じポイントの写真です。やっぱり花の咲き具合や勢いが全然違います。時期的には1週間ずれているので、再度朝練してみようかなと思っています。
【2011.10.28 竹村~土橋】(電車運転士)

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2013年10月22日 (火)

懐かしの急行「立山」「ゆのくに」

特に意味はありませんが、先日北陸本線100周年記念列車の撮影に行って、つくづく471系からの交直流急行色の良さを思い返して、スキャンしているさなかにピックアップしてみました。

Img097「ゆのくに」1502M 1982年10月28日 新疋田

10両編成はやっぱり見栄えがします。このとき、なぜ新疋田を訪れたのか、記録からはサッパリわかりません。なぜなら、ここで撮影したのは、この1502Mと↓の2列車だけだからです。その後、南に下って客レを撮っているので、そのために行ったとは思うのですが・・・。

Img651「立山1号」501M 1982年10月28日 新疋田

「ゆのくに」の次にこのコマがあるので、短時間で効率よく駅で撮影するためにきたのかなぁ?

この頃すでに殆どの線区で特急の方が本数が多くなっていて、急行は特急の補完にすぎず、そのためかヘッドマークを掲げた急行はこの北陸線の電車急行以外姿を消していました。貫通扉の中に納まってしまう大きさではありますが、被写体として魅力ある存在でした。

Img115「立山1号」501M 1982年10月13日  大阪

このブログでアーカイブを取り上げると、ほとんどのメンバーが「今となっては後悔しきり」と付け加えることになりますが、今回も全くその通りで、まともな場所で撮ったものが1枚もありません。米原経由で運転されていたわけですから、それほど遠い距離ではなかったのに・・・。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。(検査掛)








 

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2013年10月20日 (日)

越前の秋

 夏バテという言葉が季節外れとなったこの頃、そろそろ低調さから抜け出さねばと自分を奮い立たせ(?)秋を求め出かけてみました。とはいうものの、皆さんのように意図して季節ものと絡めようとしても所詮上手くいく筈もなく、偶然の産物に委ねているのが実情です。

 前置きはこれぐらいにして、行ってみたらここは一面白い花で埋め尽くされていました。この辺りは毎年栽培されているのかも知れません。蕎麦の花と合わせるのは、白い車体がよいのかそれとも暗色車体がよいのか、どちらが似合うでしょう。撮りに行きませんでしたが、交直急行色がやっぱり一番のように思えてきました。

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反対方向はこんな様子でした。光線の加減か花の迫力が少し違います。

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 さて、この地を訪れる主目的はEF81です。5月に撮った時の水田風景と同じ場所、皆さんからは飽きられそうですが、実りの9月と稲刈り後10月の様子です。余談ですが、朝は遠くから電車の音が聞こえてきます。もっとも、そちらへ足を向けることはありませんが。

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 東から移籍のEF510が稼働しだすのも時間の問題でしょう。今シーズンはもう光線が厳しくなりました。あと何回来られるか、全機撮影できるのか、ともかく励みにはなります。金沢以東の電車はどうしようか・・・(資材担当)

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【アーカイブス】大連の変貌-1

 友人たちと中国に行ってきた。

 昨今の日中情勢をみると、訪中しても、現地の行動には若干の懸念がある。それだけに、何らかの機会でもないと、なかなか訪中しようという気にはならない。当初は、8月中旬ころの訪中も検討したが、さすがに昨今の情勢では危惧感があることから、最も何もなさそうな国慶節の連休が終わった時に設定した。結果として、危惧するような状況には全くならなかった。現地の我々に対する対応などを見ていると、テレビなどマスコミの報道は、いったい何だろうか、と思ってしまう。

 さて、訪中の目的は、大連で海鮮料理、瀋陽で日本では食べられない朝鮮料理を食べることである。その移動には昨年開業した新幹線の試乗を行い、ついでに大連、瀋陽、長春の路面電車、LRTを見てこようと思う。(ン?順番が違うかな?)

 中国を訪問するのは6度目で、大連には1982年を最初に今回まで5度訪れている。この30年間の変貌は、まさに驚くばかりで、行く度に新たな発見も多く、そのたびに刺激を受ける。あまりに変化が激しいので、1982年に撮影した写真を元に、訪問の度に定点撮影を心がけるようにしている。これら写真を見比べると、中国の交通に対する考えが垣間見られるようで興味深い。

 では、それらを順にご覧入れるとしよう。

 まずは、大連の中心部にある三八広場という場所である。ここは大連の中心である中山広場の南東に位置し、南山と呼ばれた日本人街の近くで、最初の訪問時にここにあるホテルに宿泊をしたことから、早朝に撮影した。

1982
 まずはアカシア並木が美しかった頃の大連である。まだ、モータリゼーションは到来しておらず、自転車が庶民の交通機関で、クルマの姿は見られない。電車は日本車両製の3000型で、一部車両の車体が整備され、現在もレトロ車として現役である。

20011

 次は、一気に2001年に飛ぶ。本当は、この間に1度訪れていると良かったのだが・・・。

 美しかったアカシア並木は切り倒され、自転車は減り、自動車が多くなった。ホテル(北良大厦)が建てられ、中心部には高層ビルも見られる。しかし、まだ古い建物も残っており、ホテル北良大厦の「良」の字の部分にある建物の屋根の一部が上の写真の並木の上に写っているのが確認できるだろう。

 車両は、商業主義の影響を受けてか広告塗装に変わっている。

20051
 次は2005年である。

 建物が増え、上の写真に写っている戦前からと思われる建物も無くなった。

 車両は3000形であるが、すでにこの段階では黒石焦方面への202系統はLRT化されており、路面電車近代化の流れを受けて、車両の整備が進められたことが伺える。

2008
 続いて2008年である。低床車(大連人)の増備が進み、201系統でも運転されるようになった。

 2005年の写真までは、三八広場にあったロータリーの上から撮影しているため、アングルが同一であるが、この時にはロータリーが無くなってしまったため、道路上から撮影をせざるをえなくなった。

20131
 続いて今年の写真である。

 軌道の線路間には、自動車の左折防止か、歩行者の横断を押さえる目的か、柵が巡らされている。建物は高層ビルがまた増えている。車両は、2007年頃に観光用にレトロ車として整備され、形式も7-2200形と変わっている。

 と、記すとあまり変化がないように思えるが、実際には2008年と今年との間には写真には写せなかった大きな変化がある。

 ひとつには、自動車数の絶対的な増加である。もちろん、2008年の段階でも自動車の数は多かったが、今回訪れてみると、市内のあちこちで大渋滞が発生していた。路面電車も一停留所を走るのに10分近く、かかるときもあった。まさに1970年代の日本の路面電車を見ているかのようであった。

 電車が定時運行できないならば、サービスレベルも下がる。時には20分以上、電車が来ないこともあった。以前は、数分おきに電車がやってきて、便利であったが、今回は相当待たないと、電車に乗ることができなかった。

 こんな状態であるから、撮影もしずらくなっている。この写真は、日曜の早朝ということで自動車が少なく、また、電車も続行できているが、これはあくまで特殊な状況であることを明記したい。

 この場所を、道路の反対側からも撮影している。次にそれらを順にご覧にいれたい。

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 まずは1982年。この頃が最も大連らしい雰囲気をかもしだしていた。

20012

 続いて2001年。ショッピングセンターか、建物が工事中である。

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 続いて2005年。ビルは完成し、商業施設が営業している。

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 続いて2013年である。柵が出来たので、写真の撮影も難しくなった。都心部の高層ビルも大分増えていることが分かる。

 ところで、道路に面する建物がすべて建て変わっているわけではなく、まだ、従来の建物を改修して使っているところもある。この三八広場の東側で建物は1982年と全く変わらず、周囲の状況のみが変化している。

19823
 石造りの建物が多い欧州ではよくあるパターンであるが、こうした比較もなかなか面白い。

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 次回はLRT化された202系統の変貌をご紹介したい。

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デーデー再来

電車運転士様が10月12日に中央線矢田川で371系を狙っていた頃、ほぼ時を同じくして小生は衣浦臨海の重連貨物にカメラを向けていました。理由はお分かりですね。

衣浦臨海では、今年2月に続いて10月12~14日の3日間、DD51が乗務員訓練で再び入線しました。ツイッターなどの書き込みによると、DD51衣浦入線の事前情報はすでに広まっており、明石公園の「例の」場所には前夜から置きゲバが出現するほどで、最終的に集まった人数は40名とも50名とも言われています。線路の横を走るドライバーの皆様には、この異様な景色に目を奪われて、どうか交通事故を起こさないよう願うばかりです。
さて自分はというと、どうせ「例の」場所は早朝から激パになって立錐の余地もないだろうと初めから避けて、某ブログに載っていた画像を参考に、衣浦湾の碧南側堤防から鉄橋を見上げたアングルで狙うことにしました。ところが堤防を進んて鉄橋に近付いたら、残念な事に鉄橋と交差する箇所が護岸強化工事のため来年3月頃まで通行止め、進入禁止とあり、線路に近付くことができずに企画倒れ。というわけで去る7月に撮影した鉄橋俯瞰ポイントに車を移動して三脚を立てました。

 

Dsc_0127この場所に数名は集まってくるだろうかと思ったら、案の定、自分以外は誰も現れず終始独占状態でした。まぁ、ここから重連重視の撮影をするにはアングル的にも光線的にも不向きであるようだし、

 

Dsc_0136順光で編成写真を撮ろうにも防音壁が足回りを隠すし、さらに背景にドーンと写りこむ巨大な白い倉庫(工場?)の存在は、湾岸沿いの場所ゆえにこうした建造物を避けるのは難しいかもしれませんが、あまりにもうっとおしく見えます。
カメラマンが集まってこないのもうなづけますね。

 

Dsc_0140後追い撮影をしたら、バックに国道の衣浦大橋が写ることに初めて気がつきました。
定番のお立ち台には所詮敵いませんが、ネタ的列車が走ったにもかかわらず、このように不人気?それともあまり知られていない撮影地のせいか、場所を独り占めしてしばしの優越感を味わうことができました。自己満足、わはは・・・。

 
久しぶりのデーデー再来にせっかく3日間ものチャンスがあったのに、今回は諸事情により12日の5570レしか出動しませんでした。再びチャンスが訪れたらじっくり一日粘ってみたいものですが、さて次回はあるのでしょうか?(出札掛)

 

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2013年10月19日 (土)

251.立山カルデラ砂防体験学習会+α 2013/10/17・18

 はなぶさメンバーの工場長様からお声掛けをいただき、立山カルデラ砂防体験学習会に参加してきました。立山カルデラは火山活動とその後の侵食によって形成されたもので、東西6.5㌔、南北4.5㌔、深さ0.7㌔のカルデラです。この体験学習会は常願寺川上流の山肌の荒廃状況・砂防工事の現場・土砂災害の怖さなどを自分の目で確認してもらうことで、砂防事業への協力と理解を深め、防災意識啓発活動の一環として実施されているのもです。この中に立山砂防工事軌道の体験乗車が含まれていますが、さまざまな状況が厳しくなっている昨今では、一般人が軌道に乗車するチャンスはこの体験学習会への参加が唯一の方法です。ただ、毎年競争倍率が高く、当選するのは簡単ではないようです。今回は、工場長様にご尽力をいただき、参加する機会を得ることができました。工場長様、いろいろとありがとうございました。本命は立山砂防軌道の乗車ですが、体験学習会の内容とその前後の鉄活動についてもご紹介したいと思います。

12 当日は夜行バスで富山入りしました。富山駅前には5時00分頃に着いてしまいましたが、集合時間は7時00分、それまでの間は富山ライトレールと富山地鉄市内線で時間を潰すことにしました。駅から遠くには行けないため、近場でお茶を濁しました。富山ライトレールは初めての撮影です。富山駅は北陸新幹線対応の工事が最盛期を迎えており、現在は仮駅での営業となっています。
【2013.10.17 富山駅北~奥田中学校前】(電車運転士)

22_3 富山ライトレール撮影後は富山地鉄の市内線側に移動しました。朝日が差し込む中、電車が到着、乗客が降りてきました。新たな1日が始まろうとしています。
【1013.10.17 富山駅前】(電車運転士)

32_2 この日は体験学習会用に貸切バスをチャーターしていたため、富山駅前から受付場所の砂防博物館まではバスで移動しました。受付までに少し時間があったため、立山手前の鉄橋で1本稼ぐことができました。
【2013.10.17 本宮~立山】(電車運転士)

42_2 立山砂防工事軌道の起点となる千寿ヶ原の風景です。現代のナローということで、近代的で小ぎれいな雰囲気です。紅葉は色付き始めの感じで、時期的には少し早かったようです。
【2013.10.17 千寿ヶ原】(電車運転士)

52_2 今回の体験学習会はバスで先に見学場所を訪れ、最後に立山砂防軌道に乗車するというコース設定でした。ここは六九谷展望台で、カルデラの全容を眺めることができる場所です。背後の雪山の後ろは室堂平のなだらかな高原となっているとのことで、実は山ではなく土砂が大きく崩れた崖の上部ということになるそうです。
【2013.10.17 六九谷展望台】(電車運転士)

62_3 立山温泉跡地を訪れました。当時は旅館もあり、とくに夏場は大勢の湯治客で賑わったそうですが、集中豪雨で登山道が流され、1973(昭和48)年に閉鎖されてしまいました。写真は跡地の先にある吊り橋からの風景ですが、現地には当時の浴槽跡が残っています。また、最初の砂防事務所はこの場所に設置されたそうで、立山砂防発祥の地の記念碑が建立されていました。
【2013.10.17 立山温泉跡地】(電車運転士)

72_2 白岩砂防堰堤は立山カルデラから流れ出る膨大な土砂を堰き止めるための要となる堰堤です。堰堤の数は全部で7基、108mの落差は日本一とのことです。1913(大正2)年に着工され、現在は国の重要文化財に指定されています。この展望台からはその全容を見ることができます。写真には写っていませんが、右下には現役のインクラインがあります。もし、これら一連の砂防堰堤がなければ大量の土砂が川に流れ込み、下流地域は常に土石流の危険にさらされるわけで、今回の体験学習会では砂防堰堤の存在価値がよく理解できました。
【2013.10.17 白岩下流展望台】(電車運転士)

82_2 場所を移動し、立山砂防工事軌道へ向かいました。現在の終点、水谷の風景です。背後には水谷の滝があり、静かな佇まいを見せてくれていました。
【2013.10.17 水谷】(電車運転士)

92_2 水谷には砂防工事関係者の滞在施設があり、必要な生活物資は千寿ヶ原から立山砂防工事軌道の列車で運んできます。列車到着の少し前になると一輪車を牽いたおばさん達が三々五々集まってきます。列車から降ろされた荷物をそれぞれの一輪車に積んで行きます。何とも生活感溢れる光景です。
【2013.10.17 水谷】(電車運転士)

102_3 おばさん達は伝票を確認し、それぞれ必要な荷物を受け取って戻って行きます。3両編成のうち真ん中の1両は魚などの生物を運ぶ冷凍車とのことでした。
【1013.10.17 水谷】(電車運転士)

112_2 いよいよ待望の立山砂防工事軌道の乗車体験です。体験学習会中にこれを前面に出すとガイドさんの機嫌を損ねるといけないと思い、ここまでじっと我慢してきました。終点の千寿ヶ原までは約1時間45分の道のりです。小さい人車は定員9人で満員状態でした。水谷を出発して程なくするとハイライトの18段スイッチバックに差し掛かります。たまたま先行列車があったため、車内から何とか撮れないものか必死にカメラを構えていました。工場長様のブログを拝見したところ、その昔は18段スイッチバックの全容を見ることができたみたいですが、今では木々が成長しそれは叶わぬ夢となってしまいました。それでも車内から何とか18段スイッチバックの雰囲気がわかる写真を撮ることができました。写真にはスイッチバック6段分が写っていました。木々が色付く中、人車3両を連ねた編成が山を下って行きます。
【1031.10.17 樺平~水谷】(電車運転士)

122_3 千寿ヶ原には立派な車庫がありました。最後の列車が山から下りてくると入換を行い、素早く車庫に入庫します。この日は体験学習会参加メンバーの方々と千寿ヶ原近くのホテルに宿泊しました。
【2013.10.17 千寿ヶ原】(電車運転士)

142_3 前夜はメンバーの方々とひととおりの鉄談議を交わした後、夜行バスの疲れもあり、速攻で爆睡状態に陥ってしまいました。翌朝、立山砂防工事軌道の走行写真を工場長様のご案内で朝練した後、先日から営業を開始したダブルデッカーエクスプレスを撮るため、一旦、千寿ヶ原まで下りてきました。京阪3000系といえばやっぱりこの色以外にありません。この後、再び軌道を撮るため撮影ポイントに戻り、結局、昼過ぎまで粘りました。朝は5本の列車が山に登り、午前中は2本の列車が山から下りてきました。昼休憩後は4本の列車が再び山に登って行きました。とくに昼休憩後の4本は続行で来たため、どのポイントでどの列車を撮ろうか頭の中で整理がつかなくなり、パニック状態になってしまいました。
【2013.10.18 本宮~立山】(電車運転士)

202_2 無事に?立山砂防工事軌道の撮影を終え、富山まで戻る途中、最終の高速バスの時間にはまだ余裕があったので、定番の常願寺川鉄橋に寄り道しました。残念ながら立山連峰は雲の中、それでもこの一瞬だけは剣岳の頂を拝むことができました。
【2013.10.18 越中荏原~越中三郷】(電車運転士)

212 夕焼けがいい感じになってきたので、シルエット狙いで対岸に移動しました。先週の475系追っ掛けでは間一髪撮れなかったシーンのリベンジができました。
【2013.10.18 越中荏原~越中三郷】(電車運転士)

222_2 富山駅に戻ったのは陽もとっぷりと暮れた時間でした。それでも帰りのバスの時間にはまだ多少の余裕があったため、悪い癖が出てしまい、結局ギリギリまで夜間撮影をしてしまいました。ちょうど夕方のラッシュ時間帯だったため、結構な頻度で電車がやってきました。路面電車に関する先進的な取り組みの成果か、市民の足として定着しているようで、活気が感じられました。
【2013.10.18 富山駅前】(電車運転士)

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2013年10月18日 (金)

曼珠沙華のあとは・・・

最近はそれなりにお供させて頂いて遠出?をしておりますが、その様子は駅長様、出札掛様に披露していただいております。

さて、ここ数年、仕事上の関係から水曜日の午前中フリータイムだったのですが、11月からは他の曜日同様に9:00出勤となってしまいます。肉体的には楽になるのですが、貴重な撮影タイムが消滅してしまうことになり残念です。いつも有意義に過ごしていたとは言い難く、後悔しきりですが、年齢的にもきつくなっており、仕方ないことかもしれません。23日はヤボ用があり、出かけられるのもあとわずかということで、10月17日、とりあえず出かけてみました。(第3週は水曜でなく、木曜となりますが、どうでもいいことですね( ^ω^ ))

と言っても、14:00には出勤しなければならないので、そちら方面に足が向きました。少し前に出札掛様、電車運転士様、工場長様が出かけられた東員地方でそろそろ秋桜が見頃かなとも思ったからです。が、結果は・・・。

Dsc_0105三岐鉄道三岐線 三里・丹生川

そもそも家を出発したのが8:00過ぎでしたので、北勢線沿線をロケハンしながら↑の場所に到着したのは3712レの直前でしたが、その間、沿線にはほとんど見られませんでしたし、昨年秋桜畑が見られた楚原・麻生田間にも全く見られませんでした。周辺探してようやく見つけたのがここですが、これが精いっぱいでした。

そうこうしているうちに出勤時間がだんだん迫ってきて、3714レを撮って再び北勢線沿いに勤務地へ向かいます。たまたま、往路にはバイパスした東員駅横を通りがかったところ、一面秋桜畑になっているのを発見しました。

Dsc_0127三岐鉄道北勢線 東員・大泉

線路の北側は人家等人工工作物だらけ、花自体も背が低く花びらもやや小さめであまりきれいに撮れません(腕のせいでしょ)。藤原岳がバックになるのが慰めです。

Dsc_0130振り向き様はこんな感じです。畑自体は線路の南側100m位まで広がっているので、もうすこし時間があればもっと引いて撮ることも可能ですが、平日でもそれなりに人出があり、人物をうまく処理できるかどうかです(センスのない私には・・・)。

というわけで何の参考にもなりませんが、あまり沿線には咲いていないということがお分かり頂ければなによりです。また、見過ごしたところがあればご教授ください。(検査掛)



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2013年10月14日 (月)

250.「中山道トレイン」運転開始 2013/10/12

 10月に入っても真夏日を記録した地域もあるようですが、秋の気配が至る所で垣間見られるようになってきました。これまで、あまり話題がなかったこの地区もこの3連休は衣浦臨海鉄道に凸が入線したり、ちょっと足を伸ばした北陸西部では475系のリバイバル列車が運転されたりと、久しぶりにメニュー選択に迷う状況でした。そんな中、中央西線でも10月12日から名古屋~奈良井に「中山道トレイン」が371系で運転されました。夏前に乗務員の訓練運転を目的とした試運転がありましたが、その時の成果が発揮されることとなりました。運転初日の12日は午後から家族運用があったため、往路の「中山道トレイン」を近場で撮影してきました。11月4日までの土曜・休日運転なので、最後の運転日は紅葉とのコラボが期待できそうです。

_dsc89142 神領車両区から名古屋までの送り込み回送です。定番のポイントですが、10人くらいの同業の方が集まっていました。久しぶりにここを訪れましたが、後ろの市営住宅が老朽化のためか取り壊されており、がれきの山と化していました。過去には撮影のためにお世話になった建物でしたが、結構重宝していたポイントがまたひとつ消滅してしまいました。
【2013.10.12 大曽根~新守山】(電車運転士)

_dsc89322_2 営業列車は高蔵寺の定番へ移動しました。正面のHMは読みにくいですが「NAKASENDO TRAIN 371」と書かれていました。今回のHMは幕ではなくアクリルプレートが入っているようで、回送時もそのまま列車名が掲出されています。371系のデザインには好き嫌いがあるかもしれませんが、何だかんだ言ってもやっぱり塗装車両はいいですね。
【2013.10.12 高蔵寺~定光寺】(電車運転士)

_dsc89442_2 快速1本を間に挟んで多治見貨物がやって来ます。この日の牽引機は普通に牛乳パックでした。今回の371系は手始めといったところでしたが、次はもっとロケーションのいいところで撮ってみたいと思います。
【2013.10.12 高蔵寺~定光寺】(電車運転士)

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2013/10/13 北陸路 追いかけ撮影記

既に皆様ご存じのとおり、10月13~14日は北陸本線全線開通100周年を記念して、敦賀ー糸魚川間に国鉄急行色編成による記念団体列車が1往復運転されました。ここしばらく北陸線で走っていた国鉄急行色編成は475系1編成3両(A19編成)のみでしたが、JRは、この記念列車を6両編成で運転するため9月下旬頃に金沢車の457系1編成3両(A13編成)を国鉄色にわざわざ塗り替えて国鉄色車6両体制を整えました。なかなか気合が入っていますね。

団体列車の募集パンフを見ると、往復とも複数の停車駅にて記念行事が催されるために30分以上の長時間停車が設けられています。ということは、高速道を利用してインターからアクセスの良い撮影地をピックアップして、記念列車のスジとにらめっこしながらスケジュールを立てれば追いかけ撮影が何度か可能と判断し、13日の敦賀発糸魚川行記念列車を車で追跡してみようと企てました。
ただ、一人で行くには心もとないので“はなぶさ”メンバーの方々にご同行を呼びかけたところ、検査掛様と電車運転士様がご参加いただくことになりました。この場を借りて厚くお礼申し上げます。

 

2記念列車は今庄でバカ停するので、まずは同駅の前後で撮影をすることにしました。敦賀発車は10:19なので、せっかく行くのならと行きがけの駄賃として早朝の武生に立ち寄り、福井鉄道とEF81の貨物を写して時間をつぶしました。福鉄の名車200形は3編成とも武生駅内に留置されていましたが、始発から2時間半ほど粘ったものの、やって来るのは懐かしい元名鉄車ばかりで、ついに200形は姿を現しませんでした。

 

1福鉄撮影の合間に撮影した下り貨物列車です。もともとEF81充当列車しかチェックしていなかったので、ほかのJR列車には目もくれず福鉄に専念しましたが、大きな収穫は得られませんでした。まぁ、ついで仕事なので(←負け惜しみ)。

 

 

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記念列車1発目を狙う場所に決めていた南今庄付近の有名撮影地に移動してきたら、うわぁ~、想定以上に物凄い数の車とカメラマン!パトカーが駐禁取締りの警告を発しながら線路沿いの道を行ったり来たりして緊張感が漂います。それだけ大勢の同業者が一カ所に集結したわけですが、この撮影地のキャパは思いのほか大きいですね。
なぜか下り各列車が遅延しており記念列車も影響を受けないか案じられましたが、定刻に現れました。予定どおり国鉄急行色6両編成ですが、惜しいことに色褪せたA19編成が先頭で、塗装変更したばかりのA13編成は後ろ側となり、見事なまでの塗装格差が生じています。先頭を飾るマークは懐かしの大型サイズ「ゆのくに」。後方は同じ名称ながらも小型タイプが取り付けられました。

5次の撮影地は湯尾ー南条のインカーブを考えていましたが、かなり多くの同業者が一斉に同じポイントへ移動するとなると想像以上の激パが予想されるので、ここは大事を取って高速道で一気に北上しました。記念列車の二番目のバカ停は芦原温泉なので、その手前で撮影する選択肢もありましたが光線状態が良くないため割り切って牛ノ谷まで先行して駐車場所と足場を確保しました。結局、追いかけ組も含めて集まったのは10名強ほどで、思ったよりもまったりでした。天気は通過直後に曇りました。 

 

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7さらに高速道を飛ばして呉羽のトンネル上俯瞰ポイントまで移動します(この結果、石川県内では一度もシャッターを切らなかったことになりますが、特筆するほどではないですね?)。記念列車は金沢でバカ停するので、次の撮影地を倶利伽羅や西高岡付近も検討しましたが、インターからのアクセスと、さらなる追いかけ撮影の可能性を優先してこの場所を選びました。既に激パになりかけている現地に着いて時刻表を見ると、記念列車の30分前に通過する北越5号が撮影できそう。前日の目撃情報から推測すれば、当該は485系のT編成で運用されるはず。で結果はビンゴ!雲が時折り太陽をさえぎる天気でしたが、このときは直前に光が差しました。代償に、記念列車通過時の天候はご覧のとおりです。マークの名称は金沢で「立山」に変わりました。

 

8富山への道中、普段の心がけが良いせいか(誰のこと?)初冠雪した立山連峰の全容が見事に見渡せられたので、次の撮影地は電車運転士様の発案で、連峰バックに編成写真を撮ることのできる富山地鉄西魚津駅付近へ向かいました。時々山の頂を雲が覆うようになってきましたが、本番ではどうにかそれっぽい風景に落ち着きました。国鉄色編成が夕方の光線を浴びて、終着駅に向けてラストスパートをかけます。因みにここでも同業者は10名強ほど集まっていました。

 

9JR撮影地点からほんの少し北側へ移ると、地山地鉄の撮影もできます。レッドアロー編成が夕日を受けて輝きました。

 

10せっかくなので、トワイライトエクスプレスもこの場所で狙いました。列車は文字どおり「トワイライト」を受けてとりあえず「ギラリ」効果は現れましたが、再考の余地はありそうですね。機会があれば再履修?
なるほど、記念列車が通過しても撤収する同業者があまりいなかったのは、山をバックに「夕日ギラリ」を狙うためのようです。

 

11帰りがけの駄賃として、富山市内線開業100周年記念の花電車を見届けました。8月から走り始めた花電車もまさかこの日が最終日らしく、実は最近まで全く気が付きませんでした。撮影地は大学前を選びました。終端なら折り返し時間を利用してじっくり撮影出来るだろうと目論みましたが、車の往来と定刻より遅れていたせいで、シャッターチャンスはそれほどありませんでした。でも陽が沈んだおかげで電飾が目立つ姿を撮ることができたのは儲けものです。街路灯を補助光にして軽く流してみました。

 
毎度のことながら、朝から晩まで撮影し続けた一日でした。検査掛様、電車運転士様、走行距離670kmにお付き合いいただきありがとうございました。(出札掛)

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2013年10月12日 (土)

249.1980年夏 九州撮り鉄行脚4号車【西鉄北方線】1980/8/8

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 3号車からかなり間が空いてしまいましたが、九州ネタを続けたいと思います。前回の多々良川鉄橋は午前中で切り上げ、午後は西鉄北方線に向かいました。西鉄の路面電車は福岡と北九州に大規模な路線を持ち、一時は路面電車王国の様相を呈していましたが、福岡市内線は1年半前の1979(昭和54)年2月に廃止されてしまい、1980(昭和55)年の訪問時は北九州地区の路線が残っていました。その中の路線のひとつであった北方線は小倉の繁華街の魚町から南へ進み、終点の北方まで4.6㌔の比較的小じんまりした路線で、全線が併用軌道でした。他の北九州の諸線と生い立ちが異なることもあり、軌間は1067㍉で北九州線とは直通運転ができない独立した路線で、車両も専用のものが運用されていました。しかし、この頃にはすでに北九州モノレールの建設が具体化しており、路線が重複する北方線は訪問の約3か月後の1980(昭和55)年10月31日限りで廃止されてしまいました。

1218088 とりあえずロケハンを兼ねて終点の北方まで乗車し、撮影しながら小倉方向へ戻ることにしました。北方線の車両は折れ妻角の大きい連接車が主体で、ボギー車はラッシュ時のみの運用と一般的な路線とは逆の車両運用でした。終点の北方近くまで来ると昔ながらの街並みが残っていました。
【1980.8.8 北方1丁目~北方】(電車運転士)

2218088_2 各電停ではそれなりの乗降があり、廃止直前の寂しい雰囲気は感じられませんでした。廃止の理由が乗客減ではなく、モノレール建設による発展的解消という一面があったからではないかと思います。
【1980.8.8 北方1丁目】(電車運転士)

328088_3 北方車庫前では乗務員交代が行われます。写真の右奥に車庫がありましたが、立ち寄ることなく素通りしてしまいました。たまご型車体のボギー車の323型などを記録しておかなかったことは大いに悔やまれます。 毎度のことですが、何とももったいないことをしてしまいました。
【1980.8.8 北方車庫前】(電車運転士)428088_2 街の中心部に近づいてくると道幅も広がり、広々とした風景に変わってきました。北九州線の車両は塗色変更が進んでいましたが、北方線は車両は茶色とベージュのツートンという旧塗色を維持していました。
【1980.8.8 市立小倉病院前~香春口】(電車運転士)

528088 ここまで何とか持ちこたえていた天気も、とうとう雨が降り出してしまいました。北方線は廃止までワンマン化されることなく運転士と車掌が乗務していました。また、ドアも自動化されておらず、この頃でも珍しい存在でした。電停に着くたびに運転士と車掌が手でドアを開け閉めし、旅客扱いを行っていました。
【1980.8.8 香春口】(電車運転士)

628088 陽も大分暮れてきたので、北九州線の魚町を覗いてみました。小倉随一の繁華街だけあって乗降も多く、電車もひっきりなしにやって来て、活気がありました。ちょうどこの頃、塗色変更の時期に当たっていたようで、右のオレンジとクリームのツートンの標準色から左の赤茶色にクリーム帯に変わりつつありました。左の新塗色は全然似合ってなく、違和感ありありでした。
【1980.8.8 魚町】(電車運転士)

7280810 2日後には夜行列車に乗るまでの隙間時間を使って、魚町電停でバルブもやっていました。この時は北方線は仕方がないとしても北九州線が廃止になるとは夢にも思いませんでした。魚町を含む北九州線の門司~砂津・戸畑線・枝光線は1985(昭和60)年10月、砂津~黒崎駅前は1992(平成4)年10月、最後まで残った黒崎駅前~折尾も2000(平成12)年11月に廃止され、北九州から路面電車が消えてしまったのは残念でなりません。
【1980.8.10 魚町】(電車運転士)

8280810 当然、北方線の魚町もバルブしていました。北九州線の魚町とは直角方向に位置していましたが、直通運転ができないために行き止まり線となっていました。比較的マイナーな存在だった北方線は廃止直前ということで訪れたのだと思いますが、メイン路線だった北九州・戸畑・枝光線は結局行かずじまいで、今となっては悔いが残ります。
【1980.8.10 魚町】(電車運転士)

●次の目的地 日南線

●移動行程 門司港→「日南9号」→宮崎→日南線 


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2013年10月10日 (木)

【アーカイブス】たまにはクイズでも

 いつも無くなった駅舎をとっていない、とぼやいていますが、なぜか、こんな写真は撮っていたりします。

 さて、これからご覧にいれる3カ所、5枚の写真には共通点があります。さて、それは何でしょうか?

 まずは、難易度が高いこの写真から・・・。

Photo 

 列車は、内海行きの急行ですけどね。

 では、もう1枚、同じ場所の写真を・・・。

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 さて、おわかりかな?

 続いては、この写真。

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 単なる俯瞰写真ではないところがミソ。

 この写真を見れば、場所がわかってしまうでしょう。ホントは工事が始まるより、もう少し前に撮りたかった。

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 最後はこの写真。600V時代の瀬戸線です。

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 これは今更、言うまでも無いかも。
 

 ちなみに、これら写真の撮影は、昭和51年から58年頃。今から30年以上、前になります。あまり、変わっていないように見えても、30年も経てば、随分変わってしまうのですねぇ。(駅長)

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2013年10月 7日 (月)

青空の下、レールは光る

 大滝村、松原スポーツ公園にある木曽森林鉄道の保存線については、昨年、一昨年に現地を訪れた検査掛さん、車掌長さんから、素晴らしい雰囲気の写真が紹介されています。

http://b1hanabusa.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/index.html

http://b1hanabusa.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/index.html

 これは、機会があればぜひ、行きたい、と思っていたところ、今年は3年に一回の大運転会が10月6日に開催されるとのこと。同行者を募ると、電車運転士さん、検査掛さんがご一緒いただけるとのことで、3人で訪ねてきました。

 当初、天気予報は曇り一時雨で、ちょっと諦め気味でしたが、直前になって晴れ予報に変わりました。現地を訪れると、まさにこれ以上、望むべくもない快晴!誰の心がけが良いのか、わかりませんが、まずは好天に感謝、感謝です。

 松原スポーツ公園の保存線については、昨年、延長工事中の様子が検査掛さんによって紹介されていますが、今回はその区間も開業して、約1kmに拡大していました。新しい延長区間では、御岳をバックに撮影も出来ます。

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 この日は、持てる車両をすべて繰り出しての大運転会。10分間隔で列車がやってくるので、食事をする暇もありません。

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 木曽ひのきを積み込んだ、メインの運材列車。このイベントのための、特別仕立てのようです。

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 タンク車もやってきます。

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 モーターカーは4台が運転されました。

 早めに行ったので、客車の乗車整理券を貰うことができ、片道、客車の乗り心地も楽しむことができました。撮って良し、乗って良し、まさに鉄道ファンの桃源郷です。ナロー万歳!と叫びたくなります。

 ちょっとアングルを変えると、現役時代を彷彿とさせるカットも撮影できました。アングルも豊富です。

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 帰路には中央線の貨物も倉本の鉄橋で撮影。夕陽にギラリと光って印象的な撮影ができました。

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 まだ、暑さは残るけれど、秋の一日、青空の下、撮影を楽しむことが出来ました。良かった!十二分に満足できました。ただ、ちょっと残念だったのは、やや時期が早く、検査掛さんが訪れた時のような見事な紅葉ではなかったことです。次回は、紅葉の時期に訪れたいと思わずにはいられません。

 なお、次回の運転会は、3年後に開催されるとのことです。軌道はさらに延長を考えている、とのことですから、その時には現在の終点がつながって、環状運転になっているかもしれませんね。今回の運行に携わった方々、普段の保守をされている方々に厚く敬意を表したいと思います。

 ご一緒した電車運転士さん、検査掛さん、お疲れ様でした。(駅長)

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2013年10月 5日 (土)

四季 更地駅

9月29日、彼岸花を求めて久しぶりに樽見鉄道木知原付近までやって来ました。時間帯によっては運転間隔がかなり空くので待ち時間が退屈です。そこで、今春に工場長様が当ブログにアップされた旧谷汲線更地駅の画像を思い出し、時間つぶしと銘打って車を線路跡沿いに走らせて、むかし撮ったポイントを懐かしみながら更地駅に向かいました。

 

0929当日の更地駅はこんな感じです。季節を感じる工場長様の画像にはかないませんが、いちおう証拠として。

 

Haru更地駅といえば、やはり春。桜の季節の谷汲線撮影ポイントのひとつに数えられる場所でした。この日は多客対応のためか、510形が充てられていました。桜の咲く風景によく似合います。

 

Natu夏真っ盛りの頃。いや~、朝から暑い!

 

Akiやがて秋を迎え紅葉の季節。色付いた木の葉が逆光に映えます。

 

Huyu夜中に雪が降った翌朝、木の枝の着雪シーンは陽が照りだしたら早めに撮らないと雪が落ちてしまいます。
写っている列車は、すべてAM9:50頃に撮影した971レです。春の写真が750形ではなかったのが心残り(ほかの時間帯や、桜がつぼみの時の画像はありますが)ですが、ほかにも
 「立ち位置が違うじゃないか!シャッターチャンスが違うじゃないか!車両がすべて違うじゃないか!」
突っ込みどころ満載の定点撮影ですが撮影当時はそこまで意識しておらず、シャッターを切るだけで必死でした。まぁ許して下さい。

 

09292更地駅への道中、大勢のファンが訪れた旧北野畑駅にも寄りました。彼岸花が2カ所にまとまって咲いていたのが印象的です。

廃止から12年が経ち、たまにはゆっくり時間をかけて廃線跡を歩きながら往時を偲ぶのも一興ですね。(出札掛)

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小雨模様の予報だったが・・・・

 情報通さんから、5日に舞木へのホキ入場があるとの情報をいただきました。前回の入場は都合で撮れず、また、今度、何時あるか分からないため、楽しみにしていましたが、なんと天気予報は雨マーク。さて、どうしたものか。

 早朝に起きて外を見ると雲は厚そうであるものの、雨は降っていません。とりあえず出撃することにして、まずは東岡崎の鉄橋に行くことにします。しかし、現地に着いてみてもあたりは暗く、1/500を切るためにはISOを3200にする必要があります。まあ、10月ともなれば日の出が6時になりますから、曇れば明るさが確保できないのもやむをえないとはいえ、残念です。

20131005

 その後、少し明るくなったのと、場内信号にかかったためか、ゆっくりやってきたため、1/500でもISOを1600に落としてなんとか撮ることができました。

 続いては、今回狙いとした舞木検査場したの直線区間。ここは晴れるとサイドが曇るので、今日のような天気の方がありがたいとは言えます。

201310052
 先ほどより明るくなり、条件的には随分良くなりました。とりあえず狙いとしていたこの場所で撮影が出来たので、今回の目的は達成です。あとは、本宿から舞木への入場を狙うだけ。

_mg_6353
 ちょっとミスがあって、出発が遅れたので、山中の先まで行くことができず、舞木の手前で狙います。ちょっと後ろのビルが煩いけれど、まあ、やむをえないか・・。

 小雨模様の天気予報で、撃沈も覚悟しての出撃でしたが、雨も降らず、なんとか目的の撮影が出来ました。舞木への入場回送は、矢作橋までの工臨と違ってアングルが豊富です。検査入場だけに、なかなかチャンスがないのが残念ですが、次に走る機会があれば、是非とも撮影したいところです。(駅長)

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