« 2013年7月 | トップページ | 2013年9月 »

2013年8月

2013年8月30日 (金)

【アーカイブス】線路に入ってはいけません!

 昨今は、ホームで撮っていても、白線より前に出ると規制がかかるこの頃。まあ、安全のためにはやむを得ないですねぇ、とはいうものの、ちょっと厳しすぎるのではないの、という時もないわけではない・・。まあ、最近の撮り鉄の行動には疑問もあるので、自業自得なんでしょうけれどもね。 

 そんな方々にお見せしたいのが、この写真。40年ちょっと前の名古屋駅は、なんとこんな状況でした(T_T)。

C57139
 ちょっと、あんた。線路に入ったら駄目。あぶない! 

 なんて声はまったく聞こえてきません。みんな、堂々、線路に入って撮ってますな。まさに無法地帯???

2010aa4549
 機関車の前は、こんな状態。こんなのアリ? 

D512
 これは笹島のD512。この時も線路の中に入り放題のようです。さすがに、関西線の本線には係員が居ますけど。 

 もちろん、これは決して無法地帯、というわけではなく、当時はこうしたイベントがあると、線路に入っての撮影が許されたのです。天下の名古屋駅でもこんな状態ですから、ほかは推して知るべし。たぶん、この頃には、鉄道ファンと鉄道係員の間に信頼関係があり、本来は立ち入りできない場所でも、大目に見てくれたのではないでしょうか? 

 ところがSLブームが広がり、各地でSL臨時列車が走ると、危険な撮影が増えてきます。その最たるものが、京都から姫路までC57が走ったときでしょう。この時は、線路際(内?)までカメラマンが殺到し、非常汽笛を鳴らしながらの運転だったと言います。そして、大変悲しいことに、事故が起きてしまいました・・・・。 

 たぶん、この頃から、線路内への立ち入りが厳しくなってきました。まあ、事故が起きれば、規制がかかるのはやむをえないし、今、考えてみても、よくもあんなところで撮影させてくれた、と思うことも少なくありません。もっとも当時は、こうした場所で撮影していても、「気をつけて撮れよ・・」という言葉くらいでしたが。 

 この頃、まだまだ、安全への自覚も乏しく、きわめてのんびりしていた時代であることは確かです。これが良いという気はさらさらないけれど、なぜか昨今、懐かしく思ったりもします。(駅長)

 

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2013年8月27日 (火)

名鉄 夏の板(バン)祭り

   ↑某パン会社のキャンペーンタイトルをパクってみました(笑)

皆様すでにお気づきかと思いますが、今夏の名鉄は系統板を使用したイベントが乱発気味です。

111fほぼ全線くまなく何らかの系統板掲出列車が現れるように配慮したのか、一部の線区では特定線内限定掲出のタイトルまで用意され、わざわざそれを撮りに行くために名鉄電車に乗ってくる輩を狙ってか、しっかりと運賃増収対策の一環としても企画されたのでは?と捉えてもおかしくないほど。まんまと「罠」にはまった同業者(→自分もそうだが)多数いらっしゃることでしょう。
 
6009f
近年の系統板のタイトルは催事のPRを目的としたものが大半を占めております。そのため、元来の系統板の役割であった行先表示や、名称列車などに見られる「○○号」などのように、“掲出列車そのものの性格”を示す目的のために作られたものをめっきり見かけなりましたねぇ、と思っていたところ、8月25日(日)西尾線で運転された団体列車にそれを見ることが出来ました。時間的事情により、蒲郡から帰ってきた列車を西尾で出迎えるのが精一杯でしたので、こんなカット↑でお許しください。
 
 


6009f2今回の団体列車を企画したのは、西尾市の県立鶴城丘高校内で活動している模擬会社「カクジョーマーチ」です。地元の西尾・蒲郡線を応援する「にしがま線応援団」を広める活動を行っていますが、今回はその一環で、鶴城丘高校音楽部のJAZZ演奏を車内で聴きながら西尾~蒲郡を乗り換えなしの直通列車で楽しもう、という趣旨だそうです(HP参照)。
運転区間は西尾~蒲郡間です。現在吉良吉田で分断されている運転系統を直通して「かつて走っていた直通運転の復活」をアピールする狙いもあるとか。そして、1枚だけ用意された系統板には、「JAZZ列車で行こう♪」の文字とカクジョーマーチのイメージマークが描かれていました。



Dsc_0002当ブログで苦言を呈したこともありますが、やはり系統板はヘッドマークの一種であり、コンコースや側面ドアの横に張られたポスターではありません。なのに、近頃の描かれたデザインを見る限り、なんだか「ポスター」を作る感覚で描かれたものばかり。イラストや写真?の上に遠慮気味の小さな文字が書かれているような、“そばで見なければわからない”系統板では、もはや本来の役割を果たしていません。

 


939こちらは20年ほど前の頃から掲出を始めた犬山モンキーパーク催事をPRする系統板です。撮影は1993年9月。今と同じように文字やキャラクターが描かれていますが、近年に見る“細すぎる”文字や線で描かれたデザインと違ってわかりやすく感じるのは、ひいき過ぎる意見でしょうか。

PR系統板を企画されるご担当者様には申し訳ないですが、一昔前の名称列車の画像を掘り起こして、列車の顔である大事な先頭部を格好よく飾るためにはどのようなデザインが相応しいのか、ぜひとも御一考いただきたく切に願います。くれぐれも系統板は「ポスター」ではありません。  こだわりすぎですか?  でも・・・ねぇ。(出札掛)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年8月25日 (日)

243.1980年夏 九州撮り鉄行脚 2号車 【大畑ループ】 1980/8/7

 2日目は山岳装備のD51の活躍で有名な大畑ループです。蒸機時代から数々の名作を生み、鉄活動をかじっている者にとっては一度は訪れてみたい聖地のような存在でした。「かいもん5号」未明の八代で降り、肥薩線の1番列車で球磨川沿いを人吉に向かい、人吉で吉松行に乗り換えて大畑入りしました。D51が活躍していた当時は訪れるファンの数も多かったことでしょうが、蒸機廃止から8年以上経ったこの日は大畑に降り立ったのは自分一人、駅は静かなたたずまいを見せていました。

128187 大畑到着後は何はともあれループ線を目指しました。優等列車は気動車化されていましたが、ローカル列車はDD51の混合列車が主体でした。その中に交じってまだ貨物専用列車も設定されており、DD51が大畑からの勾配をフルパワーで登ってきました。九州のDLはナンバー部分の白線が省略されていましたが、何か間の抜けた感じがして本州から来た者にとっては違和感がありました。
【1980.8.7 大畑~矢岳】(電車運転士)

228187 とりあえず「大畑ループ」と書かれた大きな標識がある地点まで登りました。ここから大畑のスイッチバックの引上げ線を見ることができました。大畑から真幸にかけては「矢岳越え」と呼ばれ、日本3大車窓の絶景が広がる区間でしたが、何とかその雰囲気を写真に収めたかったのですが、当時の自分の力量としてはこのポイントを見つけることで精一杯でした。列車が小さくてわかりにくいですが、DD51の次位にオハフ、その後に貨車が連結されており、蒸機時代から続く混合列車のスタイルが健在でした。
【1980.7.8 大畑】(電車運転士)

328187 同じポイントからの「おおよど」です。今はもっと矢岳よりのポイントから大畑を俯瞰するポイントが定番になっていますが、当時はそんなポイントがあることは知る由もなく、そのままここに居座ってしまいました。もう少し場所を移動して別アングルを探せばよかったと後悔です。
【1890.8.7 大畑】(電車運転士)

428187 同じポイントでカメラを左に振るとループ線の築堤を登ってくる列車を撮ることができました。さっきの「おおよど」がエンジンを唸らせながらループ線を登ってきました。この頃でもすでに線路端の草木が成長してしまい、蒸機時代のようにループ線を見渡すことはできなくなっていました。「おおよど」は「にちりん」用のキハ80系を活用して博多~宮崎を鹿児島本線~肥薩線~吉都線経由で結ぶ特急として1974(昭和49)年に誕生しました。当時は小倉・大分経由の「にちりん」よりも博多~宮崎の所要時間は短く、それなりの存在価値がありました。しかし、1979(昭和54)年9月に日豊本線が全線電化され、翌1980(昭和55)年10月のダイヤ改正で「にちりん」がオール電車化されるとキハ80系は不要となり、共通運用だった「おおよど」も使用する車両がないということで、あえなく廃止となってしまいました。運転期間はわずか6年ちょっとという短命の特急でした。写真は廃止2か月前の姿ということになります。
【1980.8.7 大畑~矢岳】(電車運転士)

528187 「おおよど」撮影後は山を下りて大畑の駅に戻りました。人吉からのローカル列車が到着しました。駅周辺には民家は見当たりませんでしたが、それなりの数の降車客がありました。ローカル線といえども、まだまだ鉄道が地域の足として機能していた証と言えるのではないかと思います。
【1980.8.7 大畑】(電車運転士)

628187 乗降が終わると、列車はバック運転でスイッチバックの引上げ線まで進みます。こんな山間の小さな駅にも駅員が配置され、律儀に列車を見送ります。
【1980.8.7 大畑】(電車運転士)
728187 
 この列車、本来は混合列車のスジでしたが、残念ながら貨車の連結がなく、DD51にオハフ1両のみといった模型のような編成でした。
【1980.8.7 大畑】(電車運転士)

 この日の大畑での撮影はこの列車で撤収し、後続の「えびの5号」に乗車して矢岳越えの絶景を楽しんだ後、吉松で「やたけ」に乗換え、宮崎から「日南10号」となる普通列車に乗車するため、西鹿児島に向かいました。

●次の目的地 多々良川鉄橋+西鉄北方線

●移動行程 西鹿児島→宮崎→「日南10号」→小倉→香椎(多々良川鉄橋)→小倉→西鉄北方線

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2013年8月21日 (水)

今年3度目の100周年記念電車

 またも、100周年の記念電車である。100周年と言えば、百年に1回のこと。次は百年後しか機会はないから、これは行かねばならない。と、いいながら、今年は2度も出撃してしまった。 

 2度あることは3度ある。またも100周年の記念電車を運転するとの情報が入ってきた。今回の100周年の記念電車は、初回よりも7千マイル、2回目よりも5百マイルくらい距離が近いのはありがたい。これは、もう行くしか無いか・・・・。(^_^;) 

 さて、今回、100周年を迎えたおめでたい路面電車の走る都市は、富山である。富山にはいろいろと深い縁があるが、不覚にも今年路面電車が百年を迎えるとの意識はまったくなかった。単に不勉強、というべきなのだろう。さらに9月上旬までは、富山城にある郷土資料館で100周年の展示も行われているという。これはぜひ、見たい。ということで、お盆の最後の土日を使って富山まで行くことにした。 

 そういえば、富山にはこのGWにも行っている。最近、富山に行くときは、安いこともあって、いつもバスを使う。かくして乗り慣れた一番のバスに乗って、市役所前で下車。すぐ南の郷土博物館で展示を見て、櫓の上に登り、すぐ南を走る環状線を撮影する。細かい網があって撮りづらいが、レンズを近づけて何とか撮影できた。恥ずかしながら、この櫓(天守閣?)を入れて撮影したことは何度もあるが、ここから撮影したのは初めてである。大手モールがきれいに見える。

_mg_4703

 今回の記念電車は、2種が運行していた。8000形ボギー車と9000形セントラムで、8000形は電飾されて南富山~大学前の間、9000形セントラムは環状線を走る。8000形の運行時間は、HPに掲載されている。 

 まずは、上の写真に写っている国際会議場前で、9000形の記念電車を撮影する。

_mg_4819

 簡単に撮れそうなこのアングル、実は結構、運が左右する。3度狙って、ようやく満足する写真が撮れた。 

 次は丸ノ内に移動して、8000形の記念電車を撮影。

_mg_4813_2
 今度はほぼ理想の角度である。 

 ついでに、新装なった富山大橋で記念電車を撮影する。こちらも運良く、クルマが消えてくれた。

_mg_4911_3
 2両動いているとなると、それらを1枚に納めたいというのが人情というもの。富山駅前でなんとか撮影できたが、出来はもうひとつである。

100
 今回の記念電車は電飾されているので、夜の姿を見てみたい。それが目的で、泊まることにした。(実際には、富山の友人と一杯やるのが目的である)夕方の富山駅前、もう10分早ければベストであるが、なんとか電飾に彩られた記念電車を撮ることが出来た。ただ、残念?なのは同業者が多くて、画面にはいってしまうこと。この日だけでも、10人以上の同業者を見ている。富山が注目を集めているのか、あるいは他に撮るものがないのか・・・。

Photo
 この日はビール電車も走っていたので、撮影する。こちらのビール電車は、貸し切りだけなので、撮影できるチャンスは少ない。10分ほど時間が早いので、こちらは綺麗なブルーモーメントになっている。

Photo_2 

 この日の宿泊は、国際会議場前にあるホテルである。本当は鉄ちゃんで泊まるのは贅沢なのだけれど、なぜか、安い値段で出ていた。また、これまで泊まっていたホテルが身売りしてしまったこともある。 

 せっかくなので、フロントでお願いして西側の部屋にしてもらった。ここからは富山大橋まで見えるはずである。さて、その眺望は・・・

Photo_3
 なかなか良い眺めである。ちょっと遠くて分かりづらいが、記念電車のすれ違いも撮れた。

_mg_5152

 この時期、折角、富山まで来たら、もうひとつ見たいものがある。それは、次回に。(駅長)

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2013年8月17日 (土)

夏休み自由研究

今年の勤務先の盆休みは、夏季公式休暇としては例年にない6日間という長期連休(!)となりまして、うぅっ、どこかに遠征したいけれどもわざわざ暑い時期を選んで「撮りに行かねばならない」ほどのターゲットも思いつかないし、ご先祖様や実家への挨拶などの家庭運用もこなさないといけないので、けっきょく例年どおり近場のネタ列車を狙って手軽に過ごすことにしました。今回は夏季休暇中に撮影した成果の一部?をご覧いただきますが、掲載画像の共通テーマが全くありませんので、ゆえに表題どおりの内容となりました。ふぅ~。

今年は夏の風物詩をまだカメラに収めていなかったので、某ブログをヒントに草津線まで足を伸ばしてひまわり畑の写真を撮ってきました。撮影場所を地図で見ると、順光で撮るには午前中早めが勝負となりそう。家を早朝に出なければならないので、ついでに検討課題としていた揖斐川でのムーンライトながらの“朝日ギラリ”に挑戦しました。休暇初日の13日は朝から天候も良さそうで“ギラリ”も期待できそうだったので、さっそく行動開始!

9391「ながら」の前走り5781レ通過時は太陽の光がまだ弱かったものの数分後には眩しいくらいの明るさになり、露出も思い切り絞ってぶっつけ本番。なお撮影にあたり、立ち位置やシャッターチャンスについては先日の電車運転士様の記事(画像)が大いに参考になりました。この場を借りて御礼申し上げます。

 

Kst113_2名神高速を竜王まで飛ばし草津線三雲ー貴生川の現地に着いてみたら、あら、ちょっと時期的には遅かったようです。もっと早く訪れていれば辺り一面のひまわりを堪能できたのですが仕方ありません。せっかくここまで来たので2時間近く粘り、少しずつアングルを変えながらシャッターを切りました。しかしやって来る列車は、今や地元では見られなくなった113系がメイン、とはいえ淡緑一色の塗装では完璧に風景と同化してしまいます。塗装の合理化は止むを得ないにしても、よくもこんな色を選択したものだと皮肉の拍手を送ると同時に、あらためて国鉄色は秀逸だなーと感じました。湘南色カムバック~。

 

117車両運用を前もって調べてきたわけではないので、117系、しかも原色が現れたときは感動しました。これをもって、味気ない113系の単一塗装と相殺ということにしておきましょう。帰り道にちょうど近江鉄道の電車が来たので、それを撮って昼12時に帰宅して一服。

 

Seto15日は、名鉄瀬戸線で何やら系統板を付けた編成が複数走っているようなので、やがて高架工事が本格化する小幡周辺の様子を見がてら午前中だけの徒歩鉄を決行しましたが、少し歩いただけで汗ダク!でも、学生の頃は徒歩鉄が当たり前だったのですね。列車を待つ間、日陰のなんとありがたいことか。

 

Obt工事が始まれば、この周辺も一変するのでしょうか。撮影するには午後が適した場所ですが、こう暑くてはそれまで粘る気になれません。

 

606d平日ダイヤの朝限定ネタの一つであるキハ48国鉄ツートン色車による太多線運用にも着目しました。現在はユニットがばらされているので、太多線で“国鉄色車が先頭に立つ”姿にこだわるにはキハ48-6812編成の運用の流れがカギとなります。目撃情報から推測して順調に回れば16日が充当日となりそう。それを信じて当日早朝、定番ポイントを目指して車を走らせました。同業者数名と待ち構える中、予定どおり国鉄色車を先頭に606Dが柔らかな日差しを浴びて木曽川鉄橋に現れました。そういえばほぼ1年前にも同じような行動をしていましたが、当時は曇り空のさえない天気だったので、今回でリベンジを果たせた感じでしょうか。折り返しの607Dは後追いになるので、サイドから適当に撮って即行で帰宅し、遅めの朝食。

 

Sakae瀬戸線ではHL用行先板を掲出するイベントが17,18日に催されますが、どうせ毎度のことなので今さら出かけるほどでもないな~、と思っていたらたまたま時間が出来たので、冷やかし半分で矢田付近に足を運んでみました(→やっぱり行くのかい)。現地で待つこと30分強、この列車がファインダー越しに見えたときは、一瞬7700系が現れたのではないかと錯覚してしまいました。駅長様が先日6000系と7700系の顔つきに関する記事でも触れられていましたが、行先板のみならず今回は種別板まで装着されたことで、往年の7700系をかもしだしてくれます(少し無理があるかしら)。
撮影したのは17日の1000レですが、種別板掲出を狙おうとすると次の急行運用1103レまでは1時間半も後になります。ほかの6000系にも何かしらの系統板が掲げられているので時間つぶしにはもってこいですが、この暑さではさすがにシンドいので、これを撮って帰宅しました。よって逆光写真ご容赦ください。

さて、夏休みも終わりです。皆様、暑さに負けずに正月休みを目指して(笑)がんばりましょう。(出札掛)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年8月11日 (日)

242.1980年夏 九州撮り鉄行脚 1号車 【島原鉄道】 1980/8/6

 今年の夏のここまでを振り返ってみると早い梅雨入り→空梅雨→猛暑→早い梅雨明け→ゲリラ豪雨→猛暑といった感じで、気候がおかしくなっちゃったんじゃないかと思えるほど異常な状態で推移しています。とくにアウトドアで活動する撮り鉄では熱中症もさることながら、雷の直撃にも注意したいものです。
 年月は33年ほど遡って、1980年の夏は初めての九州上陸を果たし、約2週間にわたって撮り鉄行脚をしていました。またまた終わりのよくわからないシリーズものかと思われる方もいらっしゃることと思いますが、懲りずにお付き合いいただければ幸いです。

2 初の九州上陸で最初に目指した路線は島原鉄道でした。新大阪までは在来線を乗り継ぎ、そこから「雲仙・西海」で諫早に向かって島原鉄道入りしました。当時の島原鉄道は島原半島を時計回りに3/4周するような路線で、諫早から加津佐までの78.5キロを結ぶ非電化路線でした。車両は国鉄急行色を纏ったキハ20・26・55タイプの車両が主力でしたが、正面窓下に国鉄特急のような3本ヒゲがあり、島原鉄道らしさをアピールしていました。キハ26は冷房を搭載し、諫早から国鉄の急行に併結されて長崎本線へ直通乗り入れを行っており、島原鉄道の元気さの象徴でもありました。1991(平成3)年6月の雲仙普賢岳の火砕流被害で一部区間が不通になったのを最初に以後は復旧と不通を繰り返し、火砕流・土石流被害との闘いが続きました。1994(平成6)年からは新車キハ2500型の導入、抜本的な災害対策が実施されたのを機に1997(平成9)年からは観光トロッコ列車の運転などの経営努力を続けてきましたが、乗客の減少に歯止めがかからず、2008(平成20)年3月31日限りで全線の半分近くに当たる島原外港~加津佐35.3キロが廃止となりました。

728086_2 諫早から乗った島原鉄道の車両は非冷房のキハ55(当時は国鉄・私鉄を問わずローカル列車は非冷房が当たり前でしたが…)。冷房車のキハ26を期待しましたが、国鉄線直通の急行に優先的に使用されていたのか現実はそんなに甘くはありませんでした。途中の愛野で貨物列車と交換しましたが、ダイヤをよく把握していなかったため、気がついた時にはもう手遅れでした。乗車してきた3人のおばさん達、服装からも昭和の雰囲気がプンプンで、いい味出してくれてました。
【1980.8.6 愛野】(電車運転士)

128086_2 諫早から一気に西有家に向かいました。この辺りは有明海沿いに走る区間があり、島原鉄道の定番ポイントのひとつとなっていました。写真はキハ20ですが、急行色+正面の3本ヒゲで随分と雰囲気が変わります。
【1980.8.6 西有家~龍石】(電車運転士)

228086_2 さっきのポイントからもう少し龍石寄りに行ったところに海に突き出た岩鼻に登ると俯瞰気味に撮ることができました。干満の差が激しい有明海、ちょうど干潮の時間に当たってしまい、海面がほとんど写っていません。
【1980.8.6 西有家~龍石】(電車運転士)

328086 乗り鉄を兼ねて終点の加津佐まで移動しました。海が近いので、俯瞰できるところはないものかと駅の北側の高台に登ってみたら何とか海が見えるポイントが見つかりました。
【1980.8.6 白浜海水浴場前~加津佐】(電車運転士)

428086 同じポイントから加津佐の駅も俯瞰できました。駅の海側は海水浴場になっており、海岸には大勢の人の姿が見えました。到着した列車の諫早方には湘南顔のキハ4500型が連結されていました。構内には貨車の姿も見え、加津佐までの貨物輸送が健在だったことが伺い知れます。
【1980.8.6 加津佐】(電車運転士)

528086 加津佐を後に諫早方面に戻るため、キハ55の乗客となりました。往路でよさそうなポイントとして目をつけておいた古部で途中下車しました。ホームの目の前が海というなかなか雰囲気のある駅でした。走行写真のように見えますが、駅のホームに停車中の列車です。夕方の遅い時間だったので露出的には厳しかったですが、何とか写っていました。
【1980.8.6 古部】(電車運転士)

628086 諫早から急行「出島」に乗り継ぎ、博多まで戻って来ました。夜行の「かいもん」までに時間があったため、ホームで適当にバルブしていたら、そろそろ引退の噂がささやかれ始めたED73の貨物列車が到着しました。ワムの後ろにセラが続いており、北九州の貨物列車らしい編成でした。
【1980.8.6 博多】(電車運転士)

●次の目的地 大畑ループ

●移動行程 博多→「かいもん5号」→八代→人吉→大畑

| | コメント (3) | トラックバック (0)

国鉄最後の夏~1986年8月10日~

国鉄最後の夏となった1986年8月10日、東海地区にも数多くの臨時列車が運転され、友人の車に便乗し、一日アチコチ廻りました。

Img838加茂野・関口  329D「サイクリング列車」 キハ28 2164+キハ48 541+キユニ28 16

期間は覚えていませんが、この年役目を終えたキユニを転用し、車体にペインティングして運転されていました。

一旦美濃太田に戻ります。

Img839坂祝・美濃太田  9913レ急行「奥飛騨」

繁忙期に高山線に運転されていた「奥飛騨」ですが、この年電源車となる1、6号車にユーロライナーの展望車を使用していました。

再び越美南線に。

Img840郡上赤池・深戸  9333レ「清流ながら1号」

2シーズン目の「清流ながら」号を、ここから、3回追いかけました。この日は復路は撮らず、木曽川に向かいます。

Img876木曽川・岐阜  9106M 

本日の本命?甲子園臨の前橋工高応援列車、高シマ区185系7連重連の堂々14両編成です。185系が東海道を営業運転されたのはおそらくこれが初めてで、このあともう一度甲子園臨で走ったことがあります。185系が今後首都圏の操配用となれば、見る機会が増えるかもしれませんが、外観も変わり、サロも抜かれた編成となるでしょう。

Img846木曽川・岐阜  回9448レ

9106Mの直後を走ってきたのがこの列車です。パッと見た目ただの12系10連ですが、団臨ではありません。この頃名古屋発で旧盆に運転されていた急行「あおもり」用の送り込み回送です。客車は金サワの所属でした。

Img849木曽川・岐阜  8023レ特急「金星」

数分後、荷31レを追って、この列車がやってきました。JR移管後はモノクラス6連になってしまいましたが、この年はユーロのコンパートメント2両をG車にした12連の豪華編成で運転されました。

27年前の昨日、元気に鉄チャンしてましたねぇ。皆さんはいかがでしたか?(暑さにうだって引きこもり中o(*^▽^*)oの検査掛)








| | コメント (3) | トラックバック (0)

2013年8月10日 (土)

20 th

名鉄犬山線と名古屋市地下鉄鶴舞線が相互直通運転を開始してから8月で20周年を迎えました。各社HPにも公表されているとおり、ちょっとした記念イベントが催されています。

犬山線沿線に住み、鶴舞線沿線の会社に勤める小生は、この相直の恩恵を最大限に受けております。happy01

そこで感謝の念を込めて、アーカイブ的価値はないかもしれませんが犬山/鶴舞相直に関連したネタ列車画像を掘り起こしてみました。ちょっと偏った内容ですがご了承ください。

 

843_6鶴舞線が地上に顔を出して犬山線と接続する上小田井駅が建設される周辺です。1984年3月6日、鶴舞線の地上箇所の工事が一段落したところで、ちょっと上から覗き見してみたいと思ってシャッターを切りました。あれから30年近く。時の流れを感じます。

9110_2相直運転に先駆けて1991年10月に上小田井駅が先行開業しましたが、それと引き換えに、地味に活躍してきた平田橋駅が幕を閉じました。近代化のあおりを受けて趣のある駅が姿を消していくのは仕方のないことでしょうか。
上小田井開業を翌日に控えた10月26日、平田橋駅に“最後に停車する”岩倉行にて、平田橋駅のお別れ式がささやかに催されました。涙雨の中、駅長が発車合図を出します。

 

 

938_2上小田井で線路が繋がり、いよいよ相直運転に備えて犬山線内では名市交車両の習熟運転が始まりました。この近辺で数本撮りましたが、何れも表示は「回送」でした。撮影日は本番4日前の1993年8月8日。

 

 

 

112f5924さてさて待望の相直運転開始初日です。各所で記念式典が催されましたが、これは江南駅にて催された記念祝賀列車の発車式です。特大祝賀マークを掲げた112F編成による団5924レが駅長の発車合図で上小田井に向かいます。

 

 

5022115fこちらは西春駅での発車式テープカットの様子です。仕立てられた祝賀列車は115F編成による5022レです。やはり特大マークが掲げられましたが、よく見ると祝賀板に書かれた文字が異なります。

  
 

3158名市交車3158H編成にも記念マークが掲出されました。こちらは相直運転よりも「上小田井ー庄内緑地公園開通」を強調しているところが面白いですが、そう言えばそうですね。
犬山線布袋駅付近で撮影しましたが、この地点は今では高架工事の真っ最中です。

 

 

2003810周年を迎えた2003年は、懐かしの“パノラマDX”を使用した記念団体列車が8月17日に新鵜沼ー内海間で運転されました。写真は帰路に就く同列車:団11レを布袋で待避中に撮影したものです。
布袋の下り待避線は編成写真にうってつけの場所でしたが、やはり高架工事により過去のものとなってしまいました。

 
 
 

Dsc_0888残念なことに、数年前のダイヤ改正で相直列車の運行体系が見直され、特に岩倉以北は運転本数が大幅に削減されました。その結果、名市交車が犬山まで乗り入れる運用は平、休日とも朝9時過ぎまでしか見られなくなりました。
ということで、ここでは犬山駅手前で撮影した20周年マーク付名市交車の画像を載せておきます。この列車は8月4日の523レですが、けっして狙っていたわけではなく、しかし名市交車の運用であることは把握していたので「運よくN3000が来ればいいな~」と軽い気持ちで待っていたら本当に現れました。 

 

623現在、平日朝の下りでは犬山線内を急行で走る鶴舞線直通列車が何れも名市交車による運用で5本設定されています。犬山線上小田井ー犬山間に限られますが、名市交車の急行表示を目にすることができます。
相直開始当初は平日朝の上りに大山寺、徳重を通過する「なんちゃって通勤準急」的な列車が数本設定されていたことも懐かしい記憶です。(出札掛)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

241.「MLながら」朝練+西濃鉄道 2013/8/10

 今日8月10日はこの夏一番の暑さで、高知県・山梨県では40℃越えのところもあったようです。この異常な暑さ、外へ出ると目眩がしそうな感じで、下手をすると命にかかわるかもしれないと思えるくらいでした。とはいうものの、早朝のなら多少は暑さも和らいでいるだろうと思い、体調は相変わらず本調子ではありませんが、出札掛様を見習って「MLながら」の朝練に行って来ました。その後、もう少し粘って朝の西濃鉄道の貨物列車を撮ってきました。午後から家族運用が控えていたこともあり、今回は酷暑となる前に早々と撤収しました。

12_2 向かった先は定番の揖斐川の堤防ポイントです。前走りの赤ホキ貨物のEF64は国鉄色でした。空はそれなりに赤くなってきましたが、ちょっと光量不足でした。
【2013.8.10 穂積~大垣】(電車運転士)

22_2 「MLながら」は側面ギラリ狙いでしたが、湿度が高く霞が広がっていたため、光が弱くギラリが中途半端になってしまいました。8月24日の運転終了までにリベンジしたいところですが、空気のクリアな日があるかどうかといったところです。スタンバイしていた同業の方は約10名でした。
【2013.8.10 穂積~大垣】(電車運転士)

31 樽見鉄道の時刻表を見ると、横屋6時00分発の上り列車があり、シルエットが撮れそうだったので、急いで場所を移動しました。湿度と霞の関係で太陽がぼんやりしてしまい、何だか夕暮れのような感じになってしまいました。
【2013.8.10 東大垣~横屋】(電車運転士)

42_2 西濃鉄道の貨物列車のダイヤを確認すると下りには間に合わなかったものの8時過ぎに上りがあったので、これを狙うことにしました。それまで少し時間があったので、美濃赤坂あたりをウロウロしていたら大垣からの列車が到着しました。
【2013.8.10 美濃赤坂】(電車運転士)

52 西濃鉄道の現在の営業区間は市橋線の美濃赤坂~乙女坂の1駅1.3キロです。乙女坂に停車中の朝の上り貨物列車です。貨物鉄道専用鉄道の雰囲気が感じられます。この日はDE10が運用に入っていました。土曜日はDE10の運用が多いと聴いていましたが、そのとおりになってしまいました。できればオリジナルのDD40がよかったのですが、次の機会になってしまいました。
【2013.8.10 乙女坂】(電車運転士)

62 わずか1.3キロではポイントは限られてしまいます。あちこち探してみましたが、結局定番の鳥居付近になってしまいました。日曜日は基本的に列車は運転されませんが、8月の日曜日(11・18・25日)は朝と昼の2往復が運転されるようで、踏切には注意喚起の手書きの小さな看板が掲出されていました。
【2013.8.10 美濃赤坂~乙女坂】(電車運転士)

72 もう1台のカメラでは鳥居をカットして列車メインにしてみました。引きのあるところは美濃赤坂の手前くらいで、あとはどこで撮ってもこんな感じになってしまいます。
【2013.8.10 美濃赤坂~乙女坂】(電車運転士)

82 西濃鉄道の貨物列車はそのまま美濃赤坂でJR貨物に継走されます。朝下りの貨物列車を牽引してきた国鉄色のEF64がそのまま折り返しの先頭に立ちます。発車待ちの間は絶好のポジションに停車中でした。
【2013.8.10 美濃赤坂】(電車運転士)

92 西濃鉄道のDE10は貨車をJRに引き渡した後、すぐに自社の庫に引っ込んでしまいました。昼の列車まで暫しの休憩です。草生した線路と木造の建屋がなかなかの雰囲気を醸し出していました。
【2013.8.10 美濃赤坂】(電車運転士)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

デキ401号の試運転

平成25年8月8日にデキ401号の定期検査後の試運転が舞木~伊奈で行われました。

デキ401号が日中に走ることは珍しいため、当日は大勢の人が沿線で撮影されていました。

「はなぶさ」の他メンバーは仕事中で撮影に行けなかったようですが、私は休みで撮りに出掛けました(工場長)。

H2588super
【H25.8.8 名電長沢~名電赤坂】 豊橋行き特急「パノラマスーパー」

東岡崎で普通電車に乗り換えて、名電赤坂へ行きました。私は恥ずかしながら、本宿より東で名鉄を撮るのは今回が初めてでした。何度もこの区間は乗ってますので一度はここで撮ってみたいと思っていました。

露払いのパノラマスーパーが通りました。デキの試運転を本宿で追い越してきた特急です。

H2588dsc_0968
【H25.8.8 名電長沢~名電赤坂】 デキ401号の試運転列車

本命の試運転列車です。もう少し遅い時間だと側面に日が当たるのですが贅沢は言えません。

この場所には8人くらいいました。もう少し赤坂寄りの踏切には10人くらいいました。

H2588dsc_0987
【H25.8.8 伊奈】 デキ401号の試運転列車

試運転列車は、伊奈で折返しのため30分くらい停車しました。
 

名電赤坂で出会った友人の車に乗せてもらい、伊奈で撮りました。乗降台が目障りですが、贅沢は言えません。

 

H2588dsc_0999【H25.8.8 小田渕~国府】 デキ401号の試運転列車

試運転の帰りの列車は、小田渕の近くの鉄橋で横から撮りました。この付近には5人くらいいました。

H2588dsc_1004【H25.8.8 御油~名電赤坂】 デキ401号の試運転列車

試運転列車は、国府で15分程度停車しましたので、その間に車で追い越して「赤坂小学校」の前で撮りました。「OTOWA 赤坂小」の刈り込み文字は、ここを通るたびに眺めていて気になっていました。いつかはここで撮りたいと思っていましたので、撮れてよかったです。
定期検査で綺麗になったデキ401号が、末永く活躍することを期待したいのですが・・・

デキが本線を走るのは夜中か早朝しかなく、朝練が苦手な私には無理と諦めていましたが、今回の試運転が撮れただけでも幸いでした。(工場長)

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2013年8月 9日 (金)

【アーカイブス】続続・煙と何とかは・・・

 暑い日が続きますが、皆さん、如何お過ごしでしょうか?こう暑くっては、外に出る気にならない、ということで、冷房を効かせた室内でスキャンするしかありません。今回、お見せするのは、とにかく登れるところがあれば登った俯瞰シリーズの谷汲線です。

 谷汲線は、廃止が近づくと多くの同業者が訪れて、いろいろ斬新なアングルを見ることができましたが、これら写真を撮影した昭和56年には、訪れても同業者を見ることは「まったく」といってよいほどありませんでした。そうした中、一生懸命、高いところを探しました。これらポジションは、廃止の頃の写真では見ることができなかったので、当時の期間限定だったのかもしれません。

 まずは、季節外れの雪の写真から。

2013a51702
 これは神社があった裏山あたりから、更地方面を見たところ。さらに右側にカメラを振って撮影したカットもありました。

 これと同じ場所かどうか分かりませんが、北野畑方面を見ると、川沿いに走ってくるシーンを撮影できます。

2013a51718

 後ろの採石場が煩いので、雪の時の方が汚いところを隠してくれるので、良かったかもしれません。

 もうひとつのシーンは、あの場所かな!と大体、想像がつく場所です。

2013a52821

 赤石駅と根尾川の大俯瞰!

 この時は同行者と一緒で、頼んで登らせて貰ったような記憶があります。

2013a52815 

 その途中から見た更地側。モノクロだけれど、更地の駅も。

2013a50475
 桜の時期にカラーで撮りたかったですね・・・・といって、この写真を見ると、まだこの頃の桜は小さかったようです。

2013a52829
 ちょっとアングルを変えると、金華山まで遠望できる大パノラマが広がります。

 谷汲線の俯瞰は、その後もさまざまな場所で挑戦しています。それらについては、また、機会を改めてご覧に入れましょう。(駅長)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年8月 4日 (日)

【アーカイブス】どこか、変?-その3

  当たり前の様な光景だけれど、よくよく見るとどこか変?な写真シリーズの続きです。

 まずは、先回、モノクロで紹介した5500と7700の珍編成。今度はカラーで紹介です。

2013a52660

 一見、7700系4連に5500系2連が連結されているように見えるけれど、そうではないところがミソ。

 この編成は7700系グループとして運用されていたので、座席指定特急に入ることもありました。

2013a52429
 知多新線内海開業後のこの時期は、5500系は特急から外れていたので、その意味では貴重なシーン。たしか、座席の背ずりにカバーをつけたりして、一応の体裁を整えていた記憶があります。

 同じ時期に撮影したもうひとつの変な写真は6000系。

6003
 なんと、種別幕、方向幕の両方が故障で、板をいれてます。こうやって見ると、7700系そっくり。

7700
 前面の設計を7700系から流用していることがよくわかります。(^_^;)

 ちなみに6000系同士でも板がつくのとつなかいのでは、随分、イメージが異なります。

2013a52210
 ちょっとしたアクセサリーで、電車のイメージって随分変わるものですね。(駅長)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

やがて絶滅危惧車?

「ムーンライトながら」に運用される183/189系も、いよいよ世代交代の噂が聞こえてきました。堂々10両固定という貴重な組成で東海道線を疾走する「ながら」はかつての幹線系国鉄特急を彷彿とさせ、貫録さえ感じられます。今や地元では滅多に見られなくなった“元祖”国鉄色特急型電車ですが、いよいよJR東海エリアでは団臨運用時以外では見納めとなりそう。ということで、今夏は国鉄特急を懐かしんで「ながら」の走行風景ネタを楽しむことにしました。
 
「ながら」の走行写真の定番?パターンとして、揖斐川の堤防で撮影した朝日ギラリのシーンを見かけます。時間的に逆光気味の光線状態になる場所ですが、終着駅を目前とした夜行列車のイメージ画像を作り上げることができるので、まさに「ながら」にはうってつけのポイントです。まだトライしたことはありませんが・・・。
 
ところでこの列車、まともに日が当たって撮影できるのは木曽川付近から。加えて順光気味で撮影できる地点は、木曽川鉄橋前後のごく僅かな区間しかありません。幸い木曽川駅北方のお立ち台エリアもそれに含まれるので、徐々に日が短くなり太陽が当たらなくなる前にと、この週末は順光写真を狙って木曽川鉄橋付近に車を走らせました。
揖斐川での朝日ギラリ撮影は運転期間が終わりかけになる盆の頃でも十分可能なので、盆休みの楽しみにとっておきましょう。
 
8月3日(土)、日の出前の朝4:30の空は申し分ない晴天。雲もなく澄んでいます。5時、朝日を浴びて築堤を走るシーンをイメージしながら岐南町の踏切に向かいました。さて、太陽の光はうまく当たってくれるでしょうか。

 

83_64_3途中、ちょうど築堤の草が刈られていたので、少し適当なアングルで「ながら」の前走りである赤坂ホキ5781レで試し撮り。EF64が日の出間もないエロエロ光線を浴びながら現れました。
 
車を進めて現地に到着。思いのほか建物の影が迫っています。これをクリアさせるため、450mm相当の望遠で正面がちのポジションを取りました。太陽の方角に目をやるとイヤ~な雲があるものの、これもクリアできそう。上り普通3106Fが目の前を通過して1分後、踏切が鳴ってさあ本番。

83「ながら」であることを表すべく「快速」表示を撮りたかったのでアングル的にはOKでしたが、誤算だったのは、太陽が低いため意外と建物の影を側面に拾ってしまいました。さらに最後部に目を向けると、ん?築堤に人影?そこって・・・。
   


翌4日(日)、昨日と同じ時間に空を見上げると、う~む、ちょっと怪しげ・・・。東の空にも雲がうっすらとかかり、かといってドン曇りでもなく、とりあえず行くだけ行ってみることに。昨日は正面ドカンアングルであったことと想定外に多かった建物の影に懲りて、今回は編成写真を撮るため木曽川駅北方のお立ち台ゾーンに足を運びました。 
 

84_64「ながら」の前に通過する赤坂ホキ5781レは国鉄色のEF64が牽引。しかし太陽は雲の中で、露出は明るいものの平坦な画像。まぁしょうがないか、と割り切ってアングルを考えていたらなんと、陽が差してきた~!

84_4

その数分後、「ながら」は目の前を懐かしいモーター音を響かせて木曽川鉄橋への勾配を力行していきました。懸念していた上り普通3106Fとのカブリも要らぬ心配。国鉄カラーが朝日を浴びてよく映えます。

  
以前は特に感動すらしなかった車両なのに、やがて絶滅危惧の仲間となるのでしょうか。そんな時代なんですね。(出札掛)

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2013年8月 2日 (金)

JR東海発 1987年の夏休み(名古屋駅の朝練?)

駅長様から1980年の名鉄知多新線全線開業の様子が披露されました。この線は当時、まさに海水浴客を当にした路線でもあり、1時間に複数の臨時特急が運転されたものでした。

その頃はリゾート地への道路も整備されておらず、まだまだ鉄道が利用されている時代でした。1987年4月、国鉄は分割民営化されましたが、その夏にも国鉄時代同様、いまではすっかり過去のものとなった海水浴臨が運転されていました。

Img711_2快速「あたしか」紀伊勝浦行

この列車は国鉄時代には設定されていませんでした。国鉄時代は亀山以南は天王寺局だったためでしょうか?熊野市止まりになったりしたようですが、1993年で運転を終了しました。ちなみにHMがついたのは初年だけだったようです。

Img715急行「エメラルド」東舞鶴行

こちらは老舗の列車で1970年から運転されていました。同じ経路を走る定期急行「大社」の補完で、2本設定されていた年もあるほど、利用率が高かった列車だったようです。1987年でも6連ですからね。ヘッドマークもその年々で異なるものをつけていましたが、この年はJR化もあって大変立派なものを付けていました。しかし、こちらもモータリゼーションの波に呑まれ、1995年で運転が打ち切られました。

海水浴臨ではありませんが・・。

Img134快速「赤沢森林号」木曽福島行

国鉄時代は修学旅行色そのままの159系を使ったり、同じような臨時快速列車は運転されていましたが、堂々のヘッドマークを付けたのは、JR移行後と思われます。名称も1987年のこの年から「赤沢森林号」となりました。HMになぜか「号」の字が入っています。こちらは単独の臨時快速列車としては1992年まで運転されたようですが(1990年からは「御岳赤沢」に変更)、1990年から運転が始まったナイスホリデーに吸収された形で幕を閉じました。

オマケでこんなものも

Img107_3JR移行の意気込みが感じられます、行ってませんが(o^-^o)

これらは、遠出の朝に行きがけの駄賃で撮ったもので、沿線に行って真剣?に狙ったものではありません。こういった楽しみも全くなくなってしまいました。(検査掛)

| | コメント (3) | トラックバック (0)

« 2013年7月 | トップページ | 2013年9月 »