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2013年7月

2013年7月30日 (火)

「本気だった」貨物新幹線~中日新聞によせて

暑い日が続きます。なにかきっかけがないとなかなか外に出られません。

そんな中、7月29日付中日新聞日刊の1面に、鉄ちゃんならチョット目を引く記事が載せられていました。それがタイトルの-「本気だった」貨物新幹線-というものです。初代JR九州社長の石井氏が同紙に明らかにした、ということですが、我々世代にはなんで今頃?という気がしますよね。まあ、内容は新聞をご覧頂くとして、せっかくの機会?を頂いたので、その構想の一端を担った貴重?な車両をご紹介したいと思います。

その車両とは、クモヤ22 0番台。クモヤ22はその後17m級旧型国電の改造事業用車としてかなりの数が改造され、出自の系列により番台分けをされておりますが、それはおそらくこの車が、本来の目的を終了した後の扱われ方が故になったものと思われます。

Img510クモヤ22001(配8545M)  1981年1月28日  野洲  

Wikの解説によれば、クモハ11221(相棒の000は11208)を、5tコンテナ3個積みの試験車として改造したもので、1960年4月に豊川分工場で竣工、前面は当時警戒色塗装がなされていたそうです。1961年4月に試験は終了し、その後高槻区(000は大船区)に配属されたとのことです。

改造時に片運から両運になったこともあり、前面は両端とも切妻、非貫通、前照灯埋め込み、窓はHゴム支持となって、クモハ11200番台の面影は全くありません。コンテナ台座の上にあおり戸を取り付け、スタイルは「クモル」ですが、クモヤのまま使用され、1981年に廃車されました。

Img479_2クモヤ22001+マヤ34 2007+クモル23000 試9978M  1981年1月24日  石山・瀬田

関西地区電化区間の高速軌道検測はこのスタイルで行われていました。

Img028クモヤ22001+モハ70316+クモヤ22152  試6771M   1980年9月11日 大久保

これは以前、福塩線の70系をご紹介したときに、福塩線に行くきっかけとなったとした鷹取工場出場試運転で、控車となった時のクモヤ22001です。非パンタ側の顔もそう変わりはありませんが、電線管がない分、チョット横に広がった感じ。

環境問題が叫ばれている今日この頃、リニアが開業した暁には、新幹線を利用した鉄道貨物が再び復権するのでしょうか。(↑とは何の脈絡もない?)(検査掛)

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2013年7月28日 (日)

【アーカイブス】知多新線開業の頃

 夏のレジャーといえば、ひと頃は海水浴が筆頭格であったが、最近、話題に上ることは少なくなった。個人的にも、もう随分長い間、海水浴に行った記憶が無い。内海の海水浴場など、最近はどれくらいの賑わいなのだろうか。

 内海といえば、知多新線である。もっとも、最近は海水浴に行くとしても自動車ばかりにあり、電車で行く人の数も減ってしまったはずだ。名鉄も宣伝をしなくなったし、電車で海水浴というのは、残念だけれど、もう過去の話になったのかもしれない。 

 知多新線については、本ブログで内海延長の試運転の様子を紹介している。 

 http://b1hanabusa.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-ff3d.html 

 今回は、試運転から開業直後の様子を紹介したい。

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 まずは、先回紹介したALの試運転列車のカラー。4月26日の撮影で、デキ400の錆落とし列車に続いて入線した。

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 続いて、開業まで乗務員訓練で行われた試運転列車。特製の板を取り付けている。

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 そして、6月5日の開業式を迎える。全線開通の記念列車が運転された。

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 夏のピークの内海駅。7000系の特急が到着し、入れ替わりに7000系の特急が出発する。知多新線の全盛時である。

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 開業から1年を経た昭和56年の知多新線。ALの試運転列車と同じ場所で撮影している。

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 同時期の小野浦付近。定期の特急の名称は「うつみ」、臨時は「とびうお」と名付けられ、1時間に3本程度が運転されて、7000系が続々とやってきた。まだ、特急に白帯が巻かれる以前の時代である。

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 同じ場所で、もう数年後。軌道敷の雑草が生長して、撮りづらくなっている。特急の方向板が緑の時代になると、イラスト入りの名称板も使われなくなった。 

 よく見ると、ポールが片持ちから両側支持に変わっているところがある。補強をしているのだろうか?

 この頃から思うと、夏の時期に内海まで座席指定の特急の運転がなくなってしまった現在の状態は、想像すらできないのではないか。時代の変遷故、やむをえないとはいえ、わずか30年でここまで変わってしまうのは驚きである。(駅長)

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2013年7月27日 (土)

DD16の晴れ舞台 【越美南線トロッコ列車】

電車運転士様のDD16記事に触発されて、ふと越美南線で走った懐かしい「清流ながら号」を思い出しました。希少価値のDD16が各地で活躍していたときの印象深い場面はいくらでもあるでしょうが、個人的にはこの列車が最も強く印象に残っています。
運転されたのは夏休み期間中だったので、記事にするには時期的にちょうどいいかなと思い、28年前の夏を振り返ってみました。 
  
  

9336_3
  ●初年度1985年の運転日 7月27日~8月31日の毎日
  ●美濃太田発11:02 ー 9333レ ー 美濃白鳥着13:07
  ●美濃白鳥発14:12 ー 9336レ - 美濃太田着16:20
  ●停車(客扱)駅  美濃市・美濃下川・郡上八幡


1985年は国鉄の分割民営化を数年後にひかえ、全国津々浦々でジョイフルトレインやイベント列車が目白押しに運転されて沿線を賑わしていましたが、次なる戦略として貨車を改造したトロッコ列車が、これまた各地で姿を現し始めていました。地元の名古屋鉄道管理局(→懐かしい響き)においても例に漏れず、同年の夏休み期間中には赤字ローカル線第二次廃止対象の越美南線にトロッコ列車が運転されることになりましたが、充当される編成を知ってびっくり!徐々に活躍の場が狭められてきたDD16がトロッコ+旧客編成を牽いて毎日のようにローカル線を走ることになろうとは、まさに垂涎ものでした。

8582579336当時は毎日ヒマな大学生の夏休み。諸条件が整えば(→バイトの予定が入っていない/自家用車が空いている/天候が良い)、ヒマに任せて越美南線に向けて車を走らせていました。そういえばこの年の夏は、まだ自動車免許を取得したばかり。越美南線は自宅から最短でも1時間以内に到達できる距離とはいえ、まだ車の運転に慣れていないのによくも出かけたものだ、と我ながらあきれ返ります。きっと、車を使った撮り鉄に憧れていたのでしょう。


858211


858212列車の速度が遅いので、知らないうちに追いついて何度となく撮影が出来ました。


Tmkたしか、美濃太田ー美濃市の区間はトロッコ車両への乗車は認められていなかったと思います。この画像は富加付近なので、乗客の姿は客車側にしか見えません。


Srtr一度だけ終点・美濃白鳥まで追跡しました。折しも上り美濃太田行普通列車が到着。撮影は8月21日ですが、すでに二学期が始まっていたのか、たまたま出校日だったのか、通学生で駅は賑やかでした。
(あれ、この日って電車運転士様の車に便乗して撮影に出かけていましたっけ?)



  Smkwトロッコ列車を楽しんだ乗客が美濃下川で下車して、駅員と共に列車を見送ります。


  

  
  
 
  
108月22日の一日だけは、DD16の検査都合のためDE10が登板することになっていたので、わざわざこのために出かけました。ところが翌年はDE10が所定牽引となり、残念なことにDD16が活躍するシーンには二度と出会えませんでした。DD16にとっては1シーズン限りの晴れ舞台を、もっと楽しんでおけばよかったなと少し悔んでいます。

 
  
8219336_2飯山線や小海線でも実証されたように、今どきDD16が「清流ながら」のように旧客を牽引して走るともなれば、必ずと言っていいほど沿線は激パ状態となります。DD16の人気の高さがうかがえますが、客寄せパンダと化してしまった感が否めません。

電車運転士様が撮られていたDD16の現役時代に、のんびりと撮りたかったですね。(出札掛)

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2013年7月25日 (木)

スペイン高速鉄道の事故

 スペインの高速鉄道が脱線して、激突、炎上する衝撃のシーンがネット上を賑わしている。よくもあんな絶妙なところに監視カメラがあったものだ、と変な感心をしてしまうが、事故の原因は大幅なスピード超過と言われており、事実、その映像を見ると80kmの制限で200km近い速度が出ていたように見える。スペインの高速列車には、これまで何度も乗っており、こうした大事故は、けして人ごとではない。

 今回の事故の原因、NHKテレビで曽根先生が適切なコメントをされていたのが印象に残る。脱線した車両は、S730形といわれる軌間可変車両で、しかも発電機を載せて、非電化区間でも走れる最新鋭の車両である。しかし、その構造から、高速時に不安定になることが指摘されており、今回の事故もそれが原因の一つと指摘されている。これらスペインの軌間可変車両については、個人的にも興味をもっており、簡単な解説を試みたい。

Renfe_730
 これが事故を起こしたRENFEのS730形である。スペインの伝統的な1軸台車のタルゴ250にボンバルディア製の軌間可変の機関車を組み合わせたもので、電化区間だけのS130形の改良車として誕生した。S130形は、高速新線の1435mm区間と在来線の1668mm区間のふたつの軌間を最高速度250km/hで走れる性能を有している。S730形は、S130形の電動車の2両目に発電機を積んだ車両を加えたもので、非電化区間と電化区間を走れる最新鋭のハイブリッド車両である。

Photo_3

 これはアリカンテで撮影したS130形。見比べると、S730形は2両目を電源車に置き換えていることがわかる。車内はこんな感じである。

Alvia_s130_2

 事故を起こしたサンティアゴ・デ・コンポステラへは、スペインの高速鉄道の中で、もっとも建設が遅れていた地域への路線である。途中には非電化区間もあり、部分的に高速新線を建設したことから1435mmの高速新線区間と1668mmの在来線区間が混在している。このため、この地域へのサービス向上を狙って、ハイブリッド構造のS730形が開発(一部はS130形から改造)されたわけである。開業は2011年の暮れなので、まだ運行し始めたばかりである。

 ところで、NHKのニュースではこの列車の種別をAlvia(アルビア)としていて、S120形を写していた。アルビア自体は軌間可変の高速列車の種別で間違いないが、S120形はもうひとつの車両メーカー、CAF社が開発した電車タイプの軌間可変車である。

Alvia

 公開されている転覆時の映像を見ると、重量の重い発電機のある2両目から脱線しているように見える。素人目に見ても、S730形は前頭部が重く、バランスがわるく見える。客車が小型でしかも低床のため、よけいそのように思うのだろう。

Renfe_730_2_2
 テレビでは紹介されていないが、事故をおこすもうひとつの原因がS730形にはある。それは、軌間を変更できる構造であることから、駆動方式が車軸にモーターを載せる電車のような構造ではなく、デーゼルのような推進軸式であることだ。以前にも、JRの気動車特急の推進軸落下により脱線事故が起こっているが、今回もこうした可能性は否定できない。となると、スペインの進めている軌間を変更できる高速鉄道の本質的な問題となってしまう。もっとも、欧州では推進軸で駆動する方式は、必ずしも珍しいものではなく、他国の高速列車で使われている事例もある。

 このスペインの軌間可変方式は、時速20kmくらいで走行していながら軌間を換えてしまうという優れものである。JRのフリーゲージトレインも、この技術を使えば良いと思っていたが、推進軸式の問題点を重視して違う方式を採用している。

 現時点では、事故の原因は車両の構造的なものではなく、速度超過が原因らしい。事故を起こした場所は、1435mmの高速新線仕様の区間なので、それが錯誤をおこしたとも伝えられる。本来、高速新線区間では速度超過を押さえる保安装置が付いているはずなのだが、ここは低速度で運行することから、そうした保安装置はなかったようだ。

 なお、事故の原因については、下記のブログが詳しい。

 http://www.railplanet.net/archives/2721

 現在、世界最大の高速鉄道ネットを持っているのが中国であり、それ続くのがスペインである。その二つが大きな事故をおこしてしまった。経験不足も指摘されているが、今後、こうした事故がおきないよう、安全輸送に努め、鉄道の信頼を高めて欲しいものである。(駅長)

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2013年7月23日 (火)

花火と市電

先週土曜日(7月20日)豊橋の祇園祭でも打ち上げ花火が打ち上げられ、多くの観客が打ち上げ場所である豊川の吉田大橋付近に観覧に訪れ、市電も観客輸送のため増発を出し大賑わいでした。

ただ、市電と花火をうまく入れられる場所となると新川付近か豊橋公園前付近。今年は行けませんでしたが、2010年に撮影に挑戦した写真がありましたのでちょっとご覧にいれます。

Dsc_5731b
新川交差点からだとこんな感じで花火と一緒にいれられますが、花火が少し小さく、車の状況次第ではうまく入らない可能性のほうが大です。

Dsc_5749b
豊橋公園前では車が切れたり、通過すれば何とかこんな感じで撮れるのですが、天下の国道1号線のため交通量も多い上、交差点の信号で車が止まってしまうことも多く、なかなか花火とのタイミングが合いません。

なかなか電車と花火のコラボは難しいですね。(施設区長)

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夏の風物詩 花火大会

 夏ならではの催しと言えば、夜空を彩る花火大会が思い浮かぶ。今年はすでに名古屋港の花火大会が終わり、今週末には岐阜の中日、津島の天王祭り、豊田のおいでんなどが開催され、ピークを迎える。

 花火大会は、見ている分には良いが、帰りには何万人、何十万人が一気に動くので、道路は渋滞するし、交通機関が混んで大変なことから、近年はなかなか見に行こう、という気がおきない。まあ、仕事でかり出されるともっと大変なので、それがないだけでも良しとすべきかもしれないが・・・(お仕事の方、お疲れ様です)

 とはいえ、元気な頃には花火と電車が撮れないかと思い、頑張って出かけている。花火を写しこむには、長時間露出とは行かないまでも、スローシャッターを切らないといけないし、障害物が多いと綺麗に入らないので、鉄道線での撮影は難しい。軌道線の方が撮りやすい条件がそろっているはずで、おそらく近辺の花火大会における鉄道をあわせての撮影となると、岐阜の長良川で行われる中日、岐阜新聞の花火大会と岐阜市内線のコラボがベストだったのではないだろうか。

 岐阜市内線の終点は長良北町であるが、花火の日は伊奈波通以北が運休となり、そこで折り返しとなった。折り返しがあるなら撮影しやすいだろうと、花火大会にあわせて伊奈波通を最初に訪れたのは、昭和55年であった。

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 どこに三脚をたてて撮影しているんでしょうね。(^_^;)

 さすがにモノクロでは雰囲気がもうひとつなので、翌々年の昭和57年にはカラーで狙っている。

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 伊奈波通での折り返し。まだ、時間が早いせいか、道路は渋滞していない。

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 通常は長良線に入線しないモ590形も応援にやってきた。長良線のモ590形は極めて珍しい。

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 終了時間が近づいてくると、一足早く帰る人で、停留場にも人が集まってくる。しかし、昭和55年の時と花火の大きさが違うのは、なぜなんだろう。 

 花火と電車、あるいは鉄道を入れた写真は、最近はどこで撮れるのだろうか?真岡線あたりが面白そうだが、同業者が集まって撮りづらいだろうと思う。最近、花火と鉄道を撮影したのは、タイのカンチャナブリ(^_^;)のC56であったが、最近はイベントに合わせて運転されていないようだ。機会があれば、再び、花火を見ながら三脚をたててみたいものであるが。(駅長)

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2013年7月21日 (日)

240.DD16行脚のきっかけとなった明知線の貨物列車 1980/6/8

 駅長様と工場長様が常滑線開業70周年の混合列車の貴重な写真をアップされていますが、運転日となった1982年2月28日は北海道に遠征しており、こんな興味深い列車が運転されていたとは知る由もなく、写真を拝見して何とももったいないことをしてしまったかなと当時を思い出しました。
 梅雨も明け、夏本番となって夏の鉄活動に本腰を入れたいところですが、少し前に書き込ませていただいた突発性難聴と50肩の経過が思わしくなく、身体に無理をさせないで家でちゃんとしてなさいという非情な言葉があり、鉄活動が滞ってしまいがちです。こんなことでは別の意味でのストレスがたまってしまい、かえって治療に悪影響が出そうな気もしますが、仕方がないですね。ということで、過去ネタをアップしたいと思います。
 今回は遠征ではなく近場の明知線です。明知線は皆様ご承知のとおり、中央本線の恵那から出ている25.2キロの盲腸線ですが、これといった見どころはないものの日本の田舎の原風景が沿線のあちこちに存在しており、明知鉄道になってからも大きく変わることはなく、今でも暇を見つけては通っています。1980年当時はこんなローカル線にも貨物列車が1往復運転されており、機関車はチビロクことDD16、美濃太田機関区所属の3両(16・23・24)が交代でノンビリと貨物列車を牽いていました。この時は鉄研の先輩が車を出してくれるということで、それに便乗させていただき、1日かけてDD16を堪能することができました。
 DD16はC12やC56が活躍していた極端に線路規格が低い簡易線用の機関車として開発され、小さく愛らしい姿は沿線風景にマッチしていました。とくに第2エンド側の極端に短いノーズが最大の特徴で、サイドから見るとアンバランスの外観が愛嬌たっぷりでした。また、走行路線のほとんどが超ローカル線ばかりで、機関車の魅力に加えて沿線風景も風光明媚なところが多く、撮影意欲を掻き立てられました。総数は65両とそれなりの数が製造されましたが、DD16が走るようなローカル線は貨物輸送の合理化の影響を真っ先に受け、その後は線区そのものが廃止や三セク転換になったりと1980年代に入ると急速に活躍の場を奪われてしまいました。今では本線を走行できるのはJR東日本の11、JR西日本の304、八戸臨海鉄道の303くらいで、完全に絶滅危惧種になってしまいました。11はちょっと前までは飯山線のイベント列車などで活躍する機会が見られましたが、最近では稼働機会が極端に減ってしまっているのが気がかりです。

128068_2 まずは蒸機時代からの屈指のポイント、阿木~飯羽間の陸橋に向かいました。この日は日曜日ということもあって貨物列車の運転があるかどうか不安でしたが、木々の影からDD16が姿を見せてくれました。このポイント、今では木がしっかりと成長し、写真のように奥の方を見通すことはできなくなっています。
【1980.6.8 阿木~飯羽間】(電車運転士)

228068_2 貨物列車と岩村で交換した上り列車が坂を下って行きます。このポイントも木の成長により、今ではもう少し下の方からしか撮れなくなってしまいました。
【1980.6.8 阿木~飯羽間】(電車運転士)

32_5 明知線は随所に33‰の急勾配があり、旅客・貨物を問わず列車は喘ぎ喘ぎ勾配を登って行くため、車なら余裕で追っかけができました。山岡の先の峠越え区間でもう1回撮ることができました。
【1980.6.8 山岡~明知】(電車運転士)

428068_3 明知では折り返し時間がたっぷりとあるため、DD16をじっくりと撮ったり観察したりできました。貨物扱いがあるため、構内は結構広々としていました。DD16の真骨頂である極端なショートノーズがわかるこのアングル、DD16らしさが強調されて最も好きなアングルです。
【1980.6.8 明知】(電車運転士)

528068_3 この頃はまだ腕木信号機が健在で、ローカル線らしい雰囲気がぷんぷんしています。こんな雰囲気の中に佇むDD16は走行写真でなくとも十分絵になります。明知鉄道になった今はバックに検修建屋が建ち、信号機も色灯式に変わってしまいましたが、ありがたいことに全体的な感じは大きく変わっていません。
【1980.6.8 明知】(電車運転士)

628068_3 折り返しの上り貨物列車は田んぼが広がる長閑な風景の中で待ちましたが、残念ながら小雨の中での撮影となりました。積荷の貨車がなかったのか従えていたのはワフ1両、DD16の貨物列車ではよく見られた編成でした。DD51みたいに長い機関車だとバランスが悪くなりますが、短いDD16ならローカルらしくてこれはこれで絵になるから不思議です。サイド気味もショートノーズがよくわかるので好きなアングルです。このあたりの風景も劇的な変化はありませんが、列車の位置付近には農機具小屋ができたり築堤下や田んぼの真ん中に農道ができたりと微妙な変化が見られます。
【1980.6.8 山岡~明知】(電車運転士)

 この日はDD16の本格的な写真を初めて撮った日でしたが、自分的にはこの日を境にDD16が最も気になる機関車になってしまい、完全に心を奪われてしまいました。当時のDD16の活躍範囲は北海道から九州に及んでおり、これ以降、DD16走行線区コンプリートではありませんが、DD16を求めて全国行脚をすることになろうとは…。明知線以外のDD16については順番が回って来た時点でご紹介させていただきたいと思います。

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ラストランは秘境路線で

さあ、楽しい夏休みの始まり始まり~。学生サンはいいですねー、って今さら二十数年前をうらやましがっても仕方ありませんが。

最後まで残ったJR東海の117系「Train117」がついに退くことになりまして、夏休み初めの週末は引退興行としして、飯田線にて「秘境駅の旅」を訪れる団臨が運転されました。
さて、117系最後の花道をどこで見届けようかと悩んだ挙句、今回は素直に考えてラストランとして走る飯田線、しかも今回の行き先となる天竜峡方面でラストランを出迎えようと企み、具体的には、以前ブログで電車運転士様が載せられていた記事の画像がちょうどいい具合に参考にできることから、平岡~温田方面に車を走らせることにしました。

 

1まずたどり着いたのは朝の温田の町。駅前から見える山の中腹に道路のガードレールが見える、ということはそこから見下ろせば駅の周辺が見渡せるし、おまけに車を横付けで撮影できるはず、と見当をつけて上ってみました。


2静寂さの漂う平岡ー為栗では本番(=117系)に備えてロケハンをしながら道路を行ったり来たり。思えば、この辺りに来たのはEF58のトロッコ列車を伊那松島から追い掛てきけた1993年秋以来のこと。順光は午後ですが、まぁいいです。

 

3結局、117系の往路は定番のお立ち台で迎えました。同業者は自分を含めて4名。列車が来るまでまったりと過ごすことができました。日差しにも恵まれましたが、木の成長が気になります。

 

4復路の回送は後追いになりますが温田ー為栗の山の中腹から。今や銀電のみとなってしまった飯田線に、久々の白塗装車登場。緑の風景によく映えます。

5【オマケ】117系を撮って飯田線を後にします。もしかしたら高速を使って中津川に向かえば中央線貨物81レが撮れるかもしれない、とダメもとで車を走らせたら、おぉっ、通過数分前に到着、間に合った!中津川インター至近という好条件にも救われました。逆光は止むを得ないですが、浮かび上がるグリーンカーペットが綺麗です。

ああぁ、日焼けしたーっ!!(出札掛)

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30年前の常滑線開業70周年

駅長様の「常滑線全通100周年、じゃなくて開業70周年」に刺激を受けまして、私も当時の写真を探しました。(工場長)

私は大の混合列車ファンですから、これを見逃すはずがありません。私が見た名鉄の最初で最後の混合列車がカラーポジで残っていましたのでご覧ください。

Hs4822281
「大江駅・1982(S57).2.28」 出発準備中のデキ401号他の混合列車(工場長)

当時のことは全く記憶になく、写真から想像するしかありませんが、まず大江へ行きました。線路内へ一般人が出入り自由の時代でした。

Hs4822282
「大江駅・1982(S57).2.28」 混合列車の撮影会が行われていたようです。

 このホームは神宮前方面行きの待避線も兼ねていましたが、築港線の東名港行きのホームでした。みんな線路内を自由に歩き回ってますね!

 常滑線へ写真を撮りに行ったのは、このときが初めてで、このあとこの列車をどこで撮ったら良いのか分からず、名前につられて「新舞子」へ行って1往復撮りましたが、ご覧いただける写真ではありませんので省略・・・

Hs4822283
「築港線・1982(S57).2.28」 築港線を走る混合列車

 混合列車は大江でしばらく停まっていましたので、常滑線から築港線へ先回りして撮りました。

Hs4822284
「東名古屋港・1982(S57).2.28」 この日の混合列車最後の写真です。

 東名古屋港から更に奥のほうに走ってきました。デキ376号は、このあと長く残りましたので、何が「さようなら」か全く分かりません!

 常滑線全通100周年でも、混合列車を期待したいのですが、120km/hで走る空港アクセス特急ミュースカイの邪魔になってはいけないので、無理でしょうね・・・(工場長)

 

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全米一危険な町の電車

 自動車の町、デトロイト市の破産が新聞紙上を賑わしている。わが国では自治体の破産は夕張市くらいで、あまり例が無いが、米国では国が地方自治にあまり関与していないだけに、都市の破産はかなりの例があるようだ。それにしても、学校がなくなるとか、警察費用が削減されて治安が悪化するとか、都市の破産に伴う行政サービスの削減による生活への影響については、日本にいてはあまりピンとこない点があるのも事実である。

 こうした治安や行政サービスについて、デトロイト市は最悪であるとしても、隣接する郊外の都市については、それほど悪いわけではないし、住宅も綺麗である。また、郊外にあり、旧ノースウエストのハブ空港であるデトロイト空港も賑わっているはずだ。要するに、都市からまともな市民や企業が逃げ出した結果、低所得層とかばかりが残り、税収が減って、破産に追い込まれたわけである。とはいえ、中心部は高層ビルが林立しており、こんな規模の大きな都市が破産に追い込まれるとは容易に考えづらい。

 デトロイト市に限らず、米国の都市の中心市街地の衰退と活性化は喫緊の課題で、それがLRTの整備につながる背景となっている。デトロイトでも、かつて古典的な路面電車を運行したり、1987年にはピープルムーバーも建設されている。このピープルムーバー、今も運転されているかどうか分からないが、LRTの一種に分類されているので、いずれは乗りに行かねばならない、と思っていた。とはいえ、こんな状況では、さすがに訪れる気にはならない。

 実は、デトロイトよりもさらに治安の悪い都市がアメリカにはある。まあ、基準があいまいなので、デトロイトよりもさらに治安が悪いのかどうかはともかくとしても、殺人率や強盗の率は高いので、近づかない方が良いことは間違いない。しかし、困ったことに、こうした都市にLRTや路面電車が運行されているのである。たとえば、フィラデルフィアの隣接地であるカムデンなど、3本の指に入る治安の悪い都市であるし、観光都市のニューオリンズもデータ上は極めて治安が悪い。LRTや路面電車が町の治安の改善と活性化を目的に建設されているので、ある意味ではこうした町にこそ、建設効果が高いと言える。

 それらの中で筆頭格にあるのが東セントルイス市である。ミシシッピ川中流域にある大都市のセントルイスは、かつては西部へのゲートウェイとして賑わいをみせたが、現在は往時の活力は無い。さらに退潮著しいのが対岸の東セントルイスで、町は荒れ放題となって、住宅もなく、殺人率も全米で最高という。

Photo
 これは大陸横断鉄道華やかりし頃をしのばせるセントルイス、ユニオンステーションのラウンジ。駅のあとはショッピングセンターとなり、駅舎は保存され、一部がホテルとなっている。

 さて、こんな凋落の町、セントルイスにも、都市の再生を目的に1993年にLRTが開業した。その後の路線延長で、東セントルイスにも路線が延長されている。ちなみに、東セントルイスだけが特に治安が悪いわけではなく、セントルイスも似たようなものである。そんなわけで、物見遊山でセントルイスにLRTを見に行くのは躊躇していた。

 しかし、LRTが走っているなら、やはり見てきたい。そこで情報を収集し、なんとか安全を確保できる目処がたったことから、本年1月の訪米に合わせてセントルイスを訪問することにした。日本からシカゴ経由でセントルイスに入り、空港近くのホテルに宿泊し、カメラ1台だけ持って都市部を往復してくる計画である。何台もカメラを持って行けば目をつけられるだろうが、1台だけならその可能性も低いし、いざとなれば逃げるのも楽である。

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 これはセントルイスの空港駅に到着するLRT。米国のLRTは空港に乗り入れている路線が少なくない。

 さて、LRTに乗って町中に移動する。利用者はそこそこに多く、バス&ライドでバスから乗り換える人が多い。空港と結んでいるだけに、利用者には白人も多く、雰囲気は悪くない。とりあえず、かつての鉄道駅の跡地であるユニオン・ステーションで下車する。やや人通りは少ないものの、雰囲気自体は悪くない。これなら撮影が出来そう、とばかり、堀割となった都心部の区間で撮影する。

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 これ以外の場所でも撮影し、だんだん町の雰囲気に慣れてくると、治安が悪いと言われている東セントルイスも見てみたくなった。事前の情報によれば、LRTに乗っている限りは安全のようだ。

 都心の地下線を抜け、古めかしい橋を渡ると、対岸の東セントルイスである。
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 まるい建築物は、セントルイスの中心部にあり、シンボルとなっているゲートウェイ・アーチ。中は展望台になっていて、昇ることができる。手前の建物は東セントルイスにあるカジノ。まわりは空地だらけである。

 さらに乗ると、住宅街にはいる。しかし、住宅の姿はない。

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 道路沿いにまばらに家が建つだけで、空き地が広がっている。おそらく、住宅がなくなってしまって、空き地となったのだろう。こんなところを歩いていたら、それこそ強盗にやられそうである。デトロイトの町の中にもこんなところが広がっているのではないか。

 電車に乗っていたら、東セントルイスの中心部にあるエマーソンパークがバスとの結節点で、パトカーが2台停まっていて、写真が撮れそうであることに気がついた。そこで、果敢?あるいは無謀にも、降りて撮影することにする。ちょうど、夕日にゲートウェイアーチが浮かび上がり、なんとも印象的な写真が撮れた。

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 セントルイスのLRT見たさに、危険を顧みず?訪れ、さらに勢いで治安最悪の東セントルイスで降りて撮影してしまった。良い写真を撮れたことは間違いないが、けしてお勧めできる行動ではない。

 セントルイスほどではないとしても、米国のLRT・路面電車の撮影は必ずしも安全が担保されるわけではなく、一定のリスクが伴う。決死の覚悟、とまではいえないにしても、沿線の治安の善し悪しについては、最大限の注意を払っておく必要はありそうだ。それゆえ、この写真を見て、ここに撮りに行こうなどとゆめゆめ思わないように忠告申し上げておく。

 ちなみにセントルイスの名誉のために書き添えれば、LRTの路線の半分を占める西側は治安がよく、なかでもワシントン大学の医学部は世界のトップレベルで、日本人の留学生も多いという。とはいえ、都心部にビルはあるものの、さしたる商業施設やオフィスがあるわけではないので、どんな人がLRTに乗って、どこにいくのか、よくわからない。パーク&ライド自体はそれなりの数があるので、おそらく通勤者がかなりの割合を占めているのではないかと想像するのであるが・・・(駅長)

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2013年7月17日 (水)

【アーカイブス】常滑線全通100周年、じゃなくて開業70周年

 常滑線が全通100周年を迎えるのを記念して、発車式やイベントが行われるらしい。

 http://www.meitetsu.co.jp/osusume/shohin/1228999_1244.html

 またもや100周年、今年3度目である。(^_^;) なぜか、今年は100周年の当たり年である。

 まあ、それに乗っかるかどうかはともかくとして、最近、スキャンしたネガの中に、常滑線の周年イベントがあったことを思い出した。

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 常滑線開業70周年の記念列車である。モウ30ネンモマエノコトナノカ・・・。

 この時は、わが国初といわれる陶器の切符が発売されたほか、記念列車としてデキ376とデキ401がプッシュプルでモ810と貨車を牽引する混合列車が運転された。そういえば、この列車って、乗客を乗せたのか、単なる撮影用だったのか・・・・どっちなんだろう。

 それはともかく、デキ376はこんな看板をつけていた。

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 フムフム、「さようならデキ376」ねぇ。 

 ちょーっと待ったぁ!デキ376って、つい最近まで瀬戸線にいなかったっけ?

 どうして、さようなら?なぜ?わからない。思い出せない。

 それにしても、なぜか、この時はデキ400側で撮らず、撮影はデキ376側ばかり。これもどうしてなんだろう。

Photo_4

 おおらかな時代だったのか、線路脇で賑やかに撮ってますね・・・

 この時は、N3000の甲種回送で同業者が集まった築港支線にも入線しました。

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 今は草ボウボウのところも、この頃はしっかり整備されていたんですね。まあ、貨物があったので、当然なんでしょうけれど・・。

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 ところで、このイベントは1982年2月28日に行われます。今回のイベントは、8月31日?なぜ、周年イベントで違うの?

 調べてみると、2月28日は常滑線の開業日、8月31日はその翌年の神宮前~常滑間の全通日ということらしいです。ちなみに開業日でイベントをしたのは1982年だけで、60周年は1973年の全通日、80周年は1993年の全通日で記念キップが発売されてます。イベントは・・・忘れた。

 開業70周年のイベントであるこの時は、ご覧のようにデキを2両用いたイベント列車が走り、まさにデキのお祭りの様相でした。しかし、30年後の今日、出札掛さんが望まれるようなデキを使ったイベントは計画されてません。今回、行われるイベントは、鉄むすめ関係ばっかり(T_T)。

 まあ、これも時代の流れなんでしょうなぁ。せめて、電車に取り付ける看板くらいは、わかりやすいデザインにしてほしいけれど・・・・アナクロニズムなんでしょうかねぇ。(駅長)

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239.N3000甲種+凸凸凸 2013./7/13・14

 7月12から14日にかけて名市交N3000の甲種輸送が行われましたが、メンバーの皆様方も何らかのかたちで参戦されたようで、酷暑の中お疲れさまでした。自分も13日の築港線と14日の凸凸凸に少しだけ参戦しましたので、鮮度落ちの感は否めませんが、ご報告させていただきます。
 
築港線は閉そく方式が票券閉そく式で自動化されていないのと平面クロスの運転取扱いをはじめ人が係る特殊な取扱いが多く見られます。ということで、最近では見るチャンスが少なくなった古き良き時代の鉄道風景を垣間見ることができるため、今回はこちらをメインに撮影してみました。

_dsc62192_3 東名古屋港から大江までのN3000甲種の走りは検査掛様がベストなポジションのものをアップされていたので、割愛させていただきました。N3000が大江に向かっている最中にはもう1両のDLが東名古屋港の南側で待機していました。草ぼうぼうの線路が滅多に列車が通らない専用線の雰囲気を醸し出しています。工場街のど真ん中とは思えない癒される光景です。
【2013.7.13 東名古屋港】(電車運転士)

_dsc62322_2 N3000を大江までエスコートしたDLが東名古屋港まで戻って来ました。南側に待機していたDLと連結するため、東名古屋校すぐ横の踏切を通過します。この踏切は遮断機がないため、警報機が鳴ると係員の方が人間遮断機として道路上に立ち、安全を確保しています。
【2013.7.13 東名古屋港】(電車運転士)

_dsc62432_3 仕事を終えたDLは連結後、重連単機となって名電築港経由で東港に戻って行きます。再び係員の方が路上に立つ光景が見られますので、返しは踏切の至近に位置する歩道橋の上から狙ってみました。
【2013.7.13 東名古屋港】(電車運転士)

_dsc62572_2 DLの重連単機は名電築港で転線後、東港に向かいます。この日の大役を終えたDLが平面クロスを通過して行きます。名鉄側の仕事はこれで終わりとなりますが、名臨海の機関士の方と名鉄の地上係員の方があいさつを交わします。機械万能のご時世、この日の東名古屋港・名電築港での一連の作業は人で安全を確保しているという鉄道の原点を感じることができました。
【2013.7.13 名電築港】(電車運転士)

_dsc62832_2 未明の赤池でN3000を引き渡した後は、駅長様・出札掛様がご紹介されているとおり、豊明まで凸凸凸が運転されました。朝起きて天気を確認したところ、厚い雲が垂れ込め、早朝の三河線内は露出が厳しいと判断、豊明手前での一発狙いとしました。太陽が顔を出していればシルエット狙いで駅長様・出札掛様のポイントで撮るつもりでしたが、生憎の天気だったため、機関車メインのアングルに変更しました。堤防上は三河線から追っ掛け組を含めて同業者がズラリと並んでいましたが、バックの建物をカットしたいと思い、土手の中腹にスタンバイしました。駅長様・出札掛様、姿お見受けしたのにもかかわらずお声掛けできなくて申し訳ありませんでした。お二人は衣浦臨海・117系の団体などに転戦されたようですが、家族運用と体調が芳しくなかったということもあり、これを撮影後、早々と撤収してしまいました。
【2013.7.14 富士松~豊明】(電車運転士)

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2013年7月15日 (月)

早朝単機

5月下旬に名鉄デキ402の舞木工場への入場による単回が走った時は、AM4時前に目覚まし時計をセットして出撃準備をしていたにも関わらず深い眠りに陥ってしまい、目が覚めたら6時過ぎ。残念ながら悔し涙を流しました。ただ事情通の方の話によると、このたび402が出場したのと交代に、今度は401が入場とのこと。まさかデキ400単回の撮影チャンスが早々に再び訪れるとは夢にも思わなかったので、
「よ~し、前回寝坊したときのリベンジを果たすゾ!」
気合を入れて目覚ましをセットしました。
7月7日、朝5時過ぎに豊明ー富士松の築堤付近に無事到着し、撮影準備。ところがデキ単独の走行シーンを撮影しようにも、普段からそんな機会がないだけに、どのように表現したらよいのか悩んでしまいます。とにかく単機であることを強調したかったので、築堤の上で機関車1両を空に抜こうと考えました。
本番数分前までゲリラ雲に覆われるわ
数十秒前は下り列車に裏被りされそうになるわ
でもなんとか思い描いていたカットを撮ることが出来ました。

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【ついで仕事】撮影後は、衣浦臨海のKE重連に足を運びました。以前から遠巻きに目をつけていた高台があったので、そこへ行ってみると衣浦港橋梁を見渡せるポジションでした。そこは昨日駅長様がブログにアップされた場所ですが、この画像はその1週間前のものです。当たり前ですがほとんど同じ。どーも失礼しました。

Ke
  

続いて14日のターゲットは、名市交N3000形第三編成の搬送に投入されたデキ600の三重連。昨年5月の第二編成の搬入時に組まれた行程とほぼ同様のものが今回も計画されました。三重連が、しかも三河線を走るのは滅多にない貴重なシーン。できればN3000形を牽引して走行するシーンををカメラに収めたいのですが、行程が深夜なので潔くあきらめて、この日は夜明けとともにやって来る豊明行きデキ三重連返却回送に狙いを定めました。
東の空が明るくなった日の出間近のAM4:35、事前に得ていた時刻よりやや早めに姿を現しました。

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土橋で30分近く停車のため、先回りして陸橋からの俯瞰場所に移動し、二発目を撮影。都合よく片ポールで2スパン抜ける箇所があったので、編成にポールが被らずに済みました。

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上の場所でも予定より早く通過したので、これなら豊明まで追いかけて三発目を狙えそうだと車に飛び乗り、豊明ー富士松の築堤を目指しました。いや~、考えていることは皆一緒ですね。次々と同業者が集結してきます。
空は曇っているので、晴れたら逆光となる立ち位置から、現地でたまたまお会いした駅長様と共に築堤を仰ぎました。

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【ついで仕事】三重連追い掛けも無事終わり、陽も出てきたので衣浦臨海と117系を撮るべく駅長様と行動を共にしました。詳しくは駅長様の記事にある通りです。
117系を撮影してから駅長様と別れ、暇つぶしに最近ペアになったEF64の原色重連を稲沢ー清州で狙いました。運用順どおり中央線81レに入りましたが、通過数分前から降ってきた雷雲の雨に祟られました。

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6月に入ってから6週連続で週末朝練が続いております。いい加減にもう辞めたい。(出札掛)

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2013年7月14日 (日)

続・続・名市交N3000形甲種車両輸送(速報版)

 足かけ3日にわたり行われた名市交N3000形甲種車両輸送。本日は、深夜の名市交赤池工場への搬入と、それを輸送した名鉄デキ3重連回送で、ピークを迎えます。昨年は撮影しなかったし、さて、どんな様子か、ちょっと覗いてくることにしましょう。

 ところが、自宅を出るときには、なんと雨模様の天気。一旦、戻って天気予報の雲データを調べます。どうやら雨はたいしたことはなさそうなので出撃することにしましたが、さっそく出鼻をくじかれました。

 もともと、今回は天候もあまりよくなさそうだし、三河線からの追っかけも厳しい、との話を聞いていたので、もっとも露出が稼げる豊明の一本狙いとしました。豊明の富士松側に着くと、もう、そこら中に同業者の姿(T_T)。おお、順光側にクルマを置く場所がない・・・・・これは困った。

 ということで、逆光にならないということで、不本意ながら、いつものシルエットポジションに・・・。すると、目の前に見慣れた姿が。なんと、出札掛さんでした。土橋の前後で2度撮影して、追っかけてきたとのこと。さすが、力の入り方が違います。

_mg_4616

 と、いうことで、まずは定番のポジションで1枚。 

 出札掛さんにこの後の予定を聞くと、117系の団臨まで撮影されるとのこと。それまでの時間つぶしに衣浦臨海鉄道を撮影するとのことで、ご一緒させていただくことにしました。 

 共和駅の南で東海道線のフライアッシュ貨物を撮影し、さらに武豊線でキハ、三河線の電車も撮影して、衣浦臨海鉄道の鉄橋を見下ろす高台に。

_mg_6062_3
 時間があるので、これ以外の場所も探しましたが、昔は撮れたと記憶する神社からの俯瞰は木が伸びてしまったのと、大きな工場が建てられて、駄目になっていました。 

 さて、最後は今月末で廃車という話が伝わっているトレイン117。本日の走行線区である飯田線まで行けば良いのですが、そこまでの気力は無いし・・・・ということで、再び、共和の南側で撮影です。

_mg_4676_2

 名古屋近辺で、順光で編成が撮影できる場所とあって、こんなところでも10人近い同業者が集まっていました。 

 天候は、まだ大丈夫のようですが、だいぶ暑くなってきたので、本日はこれにて退散です。ご案内いただいた出札掛さん、ありがとうございました。前後談を宜しく。(駅長)

 

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2013年7月13日 (土)

続・名市交N3000形甲種車両輸送

潜越ながら施設区長様の続編を。

まず12日、仕事の帰り、東港駅に寄ってみました。

Dsc_1011

昼間の暑さの残るヤードの片隅に夕陽を浴びて佇んでいました。

翌13日、特に急ぐ仕事がなかったので、早退して東名港に向いました。

Dsc_1015東名港に着くと、名電築港に入っていく回送編成が見えたので、急いで跨線橋に登りました。いつものように右側の歩道を大勢の同業者が走ってきましたが、トリミングで除きました。

Dsc_1018

再び車に飛び乗って、中間の踏切に向かいました。編成の切れるあたりに同業者が頭を出していましたが、自主的に消えて頂きました。

その後大江に到着して引込線に押し込まれましたが、なかなかデキとくっ付けてくれません。笠寺に行って赤ホキの発車を撮ってから16:30頃大江に戻りました。

Dsc_1029戻って10分くらいでようやくデキ3両とくっ付いてくれました。これを撮って撤収です。

明日凸凸凸に出動される方、健闘を祈ります。(検査掛)



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2013年7月12日 (金)

名市交N3000形甲種車両輸送

本日蒲郡方面に所用があり、ちょうど良い時刻に名古屋市交通局N3000形第3編成の甲種車両輸送があったので、定番のお立ち台に行ってきました。

N3103h
東海道本線 三河三谷~三河大塚 13:39頃

 平日にもかかわらず現地には20人ほどが集結していました。通過の40分ほど前に現地に行きましたが、ベストのポジションは当然入れず立ち並ぶ三脚の後ろから肩越しに撮影させていただきました。

牽引はJR貨物のDE10でした。(施設区長)

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2013年7月 8日 (月)

久しぶりの朝練といつもの?甲種輸送

そろそろ梅雨も明ける、ということで当初の予報では晴れ間もあるハズだった7月最初の土曜日、比較的土曜日の出場が多い日本車両製造からの東京メトロ銀座線の1000系第4編成の出場がありました。

まずは久々の朝練、名鉄工臨の列検後の返却回送を狙います。

Dsc_0947宇頭・新安城  9004レ

情報通様から、デキ401は翌日入場するため、片割れはデキ600形が務めることは織り込み済みでしたが、通常岐阜方のデキ402をわざわざ豊橋方に繋ぎ直してきました。チョット拍子抜けです。

目的の列車の日車の発車時刻は11時過ぎ、4時間以上あるので、飯田線に行きましたが、あじさいにはとき遅く、江島のゆりと、野田城のかぼちゃでそれぞれ1カット撮って退散しました。

Dsc_0965日車専用線

この専用線、順光側は駐車場や畑になっており、編成を捉えることが難しいのですが、幸い?曇天のため、逆光側から。驚いたことに、通過時刻になると沿線のアチコチの家から住人さんがカメラを持って出てきてました。

Dsc_0994船町・下地  9772レ

豊川で駅への入線を撮って、豊川の河川敷へ。土曜とはいえ、ここのギャラリーは50人は超えていました。

Img794下地・平井(信)  9772レ  1987年10月31日

最近、スキャンした1987年のポジに、今回の置換えの対象となる、帝都高速度交通営団01系の甲種輸送がありました。まだ経年26年なのにもう置換えなのですね。外観だけではどっちが置き換えられる方かわかりません。

ところで、普通に走っている01系は1回も撮ってないのですよね。ヾ(´ε`*)ゝ エヘヘ

早くも梅雨明けして、勝沼では最高気温が38.6℃になったとか。皆様も撮影に出かけられる際はしっかりした暑さ対策を!(何よりも自分への戒めでス( ´,_ゝ`)ハイハイ)(検査掛)




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238.三岐鉄道+四日市臨港線 2013/7/7

 東海地方はまだですが、関東・甲信越地方の梅雨明け宣言が発表された途端にいきなり猛暑に襲われています。身体が慣れる前に35℃を超える日が続くとなると若くはない身体には相当こたえますが、お互い鉄活動中の熱中症には気をつけたいものです。本来なら猛暑の日は家でクーラーを効かせてゆっくりと鋭気を養っていればいいものを結局7日の日曜日は鉄活動に出かけてしまいました。鉄の悲しい性ではありますが、無謀といわれても仕方がないかもしれません。まあ無事に帰って来られたので、とりあえずはよかったかなといった感じです。
 今回の目的は先週条件がよくなかった早朝の三岐鉄道の貨物列車のリベンジと新規に訪れた四日市臨港線の末広可動橋です。末広可動橋は各種メディアで再三紹介されていながら、一度も行ったことがなかったので、後でしまったと思わないよう、行けるチャンスがあるときに行っておこうと思い立ちました。

_dsc59342 先週は雲が多くて撃沈した朝露きらりのリベンジです。時間が6時30分頃なので、朝露がかなり乾いてしまっていますが、早朝の下りの貨物列車はこの時間しか設定がないので、どうしようもありません。自分の中では及第点といったことにしておきました。電車だと四角い箱の連続ですが、貨物列車はシルエットになっても編成に変化が出るので断然こっちの方が面白いです。
【2013.7.7 三里~丹生川】(電車運転士)

_dsc59532 先週行き違いシーンが撮れなかった丹生川です。白の広告ラッピング車両でなくてひと安心でした。隣接する貨物鉄道博物館の関係か側線にタムが留置されており、いいアクセントとなりました。
【2013.7.7 丹生川】(電車運転士)

_dsc60542 四日市臨港線はダイヤ上5往復の列車が設定されています。うち2往復は不定期列車ですが、残りの3往復は定期列車で、三岐鉄道のセメント列車の継走なので、基本的には土曜・休日でも運転があります。午後1番の列車までには時間があったので、それまで近くの関西本線の列車を撮って時間を潰しました。
【2013.7.7 富田浜~四日市】(電車運転士)

_dsc60672 先程のコンテナ貨物列車を撮った後もまだ時間があったので、塩浜を覗いてみました。日曜日ということで石油関連の列車はすべて運休のため、DD51の姿はなく、タキがゴロゴロと留置されていただけでした。午後1番の列車は可動橋メインではなく、臨港線の雰囲気を出すために手前に係留されている船を入れてみました。
【2013.7.7 四日市~四日市港】(電車運転士)

_dsc60752 四日市港でスイッチバックしたその奥には太平洋セメントのサービスステーションがあり、現在はこのセメント輸送のためだけに貨物列車が設定されています。DD51はタキをそのまま残し、機回しのかたちで一旦臨港線に引き上げます。その後、専用線のスイッチャーがDD51に継走するタキを引っ張り出して四日市港まで来ます。到着後、反対側にDD51が連結され、すぐに四日市に引き返して行きます。スイッチャーはDD51が残したタキを連結し、サービスステーションに戻ります。予定では折り返しのDD51を可動橋で違うアングルで撮るつもりでしたが、一連の入換作業中は踏切が降りっ放しというのを把握していなかったため、可動橋方面に戻ることができず、指をくわえて入換作業を見守るしかありませんでした。情けない話ですが、予習不足の典型的大失敗をやらかしてしまいました。
【2013.7.7 四日市港】(電車運転士)

_dsc60902 四日市港を発車したセメント貨物は富田まで運転されますが、四日市で停車時間があるため、関西本線でもう1回撮ることができます。ここは四日市から2つ目の鉄橋の袂です。
【2013.7.7 富田浜~四日市】(電車運転士)

_dsc61172 サービスステーションの全景はこんな感じです。黄色のOD451が主力機で右の白色のDD452は予備機のような感じでした。隣接して幅の広い踏切があり、作業に支障がない時は踏切からいろんなアングルで撮ることができます。
【2013.7.7 太平洋セメント四日市SS】(電車運転士)

_dsc61282 次の列車は可動橋メインの定番アングルで待ちました。臨港線の運転は入換扱いのため、デッキに誘導員が乗車し、機関士と無線で連絡をとりながらゆっくりと進んで行きます。
【2013.7.7 四日市~四日市港】(電車運転士)

_dsc61422 折り返しの列車はさっきの大失敗を繰り返さないようにすぐに対岸に移動しました。青空バックで可動橋の高さを強調したアングルを狙ってみました。幸いにも条件が整い、ほぼ思惑どおりの写真が撮れました。
【2013.7.7 四日市~四日市港】(電車運転士)

_dsc61782 この日は夕方四日市を発車するコンテナ列車で締めくくりました。日曜日のため空コキが目立つ情けない編成ですが仕方がないですね。ここは四日市から至近ですので、四日市港からのセメント列車の追っ掛けにも使えるポイントです。
【2013.7.7 四日市】(電車運転士)

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2013年7月 7日 (日)

【アーカイブス】どこか、変?-その2

 880形の珍編成は、検査か何かに伴う臨時の組成かと思われます。しかし、こんな編成、走っていたのですねぇ。

 これも同じ頃走っていた珍編成。これは狙って撮りました。だから横位置。

1981_3

 でも、相手が7700形ではインパクトが弱いかな。(駅長)

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2013年7月 6日 (土)

第三飛騨川橋梁遠望

最近、撮影地ガイドに紹介されたおかげでお立ち台と化した高山本線白川口ー下油井間の野原城跡。そこから眼下に見える鉄橋が第三飛騨川橋梁です。
去る6月23日、キハ48ツートン国鉄色ユニット編成を撮るべく高山線に向かい、撮影地を思案していたところ、先日たまたま1990年1月のポジをスキャンしていたらこんな画像↓が現れたので、今でも同じポジションから撮れないだろうかと地図をにらみ見当をつけて車を走らせました。もしもダメなら、昨春に履修済みである件の城址俯瞰で済ませばいいことだし、半ば惰性な気分です。

733dそれにしても当時の“撮影した”記憶はあっても、場所の記憶がほとんどないのは情けないこと?いやいや、きっと自分だけではなく皆一緒ですよね?レンズは200mm。時間的に午後の撮影だったのか、側面は陽が当たっていません。ただ“撮った”だけ。

 
  

Tutonnこちらが先日撮影した画像です。23年前の立ち位置は健在でした。もう少しアップにして350mm相当で狙いましたが、今にしてみると特に強いインパクトはなく、それほど大したことないポイントのようです。やっぱり、ただ“撮った”だけ。鉄橋のそばの木が成長して以前のように2両編成をガーターの上で写すことができせません。

 

  
 

Tutonn_tate
縦位置にすれば飛騨川の流れをフレームインできます。こうすれば奥行き感が表現できて少しはマシでしょうか。道路橋がちょっと目障りですが、まあ割り切って大目に見てください。

  
 

 
  

Hida国鉄色ユニット編成を待つ間、もう少し高い位置にある見代集落まで上って高山線を眺めてみました。やはりここでも、ただ“高い場所から撮った”だけの印象です。バックの建物が目立ち過ぎますし・・・。

 

Kiha_hukanで、第三飛騨川橋梁にカメラを向けるとこんな感じ。ただ鉄橋が僅かに見えているだけです。絵的には面白くありません。

   

  

 
 

Photo23年前は道路沿い(切通しに上ったかも)からこんなカットも撮れたのですが、おそらく現在は木々の成長に阻まれてまったく見通しがききません。いや、場所の記憶がないので探し出せなかっただけなのか、でも見渡せる隙間すらないので・・・。
その引き換えに野原城址という立派なお立ち台(史跡ファンの方々、踏み荒らしてごめんなさい)が出現したのがせめてもの救いです。以上、たいして役に立たないお粗末レポートでした。
(定番お立ち台には敵わない:出札掛)

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2013年7月 5日 (金)

ツートンのキハ48ペアを追って

6月30日はヨメが友人と出かけるため、日曜日が終日完全自由日という年数回のチャンスでした。

一方、ダイヤも、車両運用表も、運用順序もお膳立て頂いて、これで行かなければバチが当たると思っていたのが、高山線の国鉄色(こういうのはチョット抵抗があるのですが)のキハ48ペア運用でした。運用順序を教えて頂いた期間の中で、豪雨で数時間抑止という日があり、入る列車が狂ったのではないかと懸念されましたが、掲示板で元に戻ったのを確認、事前の天気予報では晴れ間もある、ということでいざ出発!

下り一番列車1821Dには間に合わず、飛騨細江・角川間の宮川の橋に6:10頃到着。

Dsc_0889飛騨細江・角川  1824D

JR東海色の822Dとツートンの1824Dを狙いましたが、どんよりしていて緑にメリハリがつかず、川も微妙に波打っており、水鏡も今一つとなってしまいました。

Dsc_0897角川・打保  1823D

電車運転士様のお気に入り?の林道からの俯瞰場所に行ってみました。作例では建物が写り込んだものと、写っていないものとありましたが、現地に行って、よくわかりました。

Dsc_0901角川・打保  1026D

上りの特急は同じ橋の上流側から狙いました。角川の集落のあるところです。

Dsc_0912角川・打保  1825D

二折り目のツートンをどこで狙おうか迷いましたが、季節柄アジサイを探していたら、ここに同業者が構えていたので、ここにしました。アジサイが近すぎて、しかもトップライトで飛んでしまいました。

この後、打保までロケハンしたのですが、しっくりいかなかったので、結局角川まで戻りました。角川駅の細江寄りにアジサイを見つけてツートンの折返しを撮ることにしました。

Dsc_0920角川・打保  1828D

本数が稼げないので、角川の停車を利用して前後で撮れないか、と考えチョット冒険してみました。

Dsc_0923角川  1828D

線路から離れて咲いていたので、自分の腕ではこれで精いっぱいでした。

この後は高山にも寄らず、途中ですれ違う列車を撮りつつ、焼石のダム湖をめざしました。

Dsc_0944福来(信)・焼石 1718D

日が長い季節とはいえ16時過ぎには日が沈んでしまい、朝同様メリハリのない絵になってしまいましたが、ここは押さえておきたかった場所です。しかも賛否はあるでしょうが、お伴の片割れがキハ47だったので自分としては合格点です。

天気予報には裏切られましたが、最初のツートン狙いとしてはこんなものでしょうか。お膳立てをしてくださった情報通様、作例を参考にさせて頂いた電車運転士様、ありがとうございました。(検査掛)














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【アーカイブス】どこか、変?

 ネガをスキャンしていると、こんなもの、何時撮った、などと記憶の無い写真がいくつも出てきますが・・・・これもそのひとつ。

 ご存じ、美濃町線のモ880形の車内。わざわざ、こんなのを撮っているから何か理由があるのだろう、と思ったら、やはりありました。

2013a50792
 何か、おかしいのですね。さて、それは、どこ?

 ちなみに外観は、このとおり。

2013a50796

 でも、外観では分からない、だろうなぁ。(駅長)

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2013年7月 3日 (水)

237.三岐鉄道に紫陽花を求めて 2013.6.30

 6月も終わり、早いもので1年の半分が過ぎてしまいました。これから梅雨明けを迎えて夏本番となりますが、今年の夏は猛暑との予想もあり、鉄活動には辛い季節がまもなくやって来ます。年々体力も衰えてきているので、鉄活動中の熱中症には気をつけたいものです。今回は久々に三岐鉄道を訪れてみました。ネタ列車が運転されると必ずと言っていいほど撮影地には同業者の方の姿が見られますが、この時期の三岐鉄道なら誰にも気兼ねすることのないまったり鉄ができるだろうとの思いからです。加えて、この時期が旬の紫陽花とのコラボがものにできればとの浮気心もあり、1日かけて沿線をウロウロしていましたが、おかげさまで同業者の方を見かけることはなく、当初の目論見どおりの1日を過ごすことができました。

_dsc55802_2 稲の葉っぱに付いた朝露が朝日に輝く情景を撮りたいと思い、6時過ぎに現地入りしました。早朝の貨物は厚い雲が垂れこめ撃沈、電車でリベンジを試みましたが、完全な晴天とはならず朝露の光り方がイマイチでした。
【2013.6.30 三里~丹生川】(電車運転士)

_dsc56432_2 昨年訪れた紫陽花ポイントに行ったところ、花がまだ咲いていない状態で、写真が撮れる状況ではありませんでした。一般的にはもう遅い時期だと思っていたら、どうもこの株だけは他の紫陽花に比べて開花が遅いようでした。仕方なく青川の堰堤水飛沫ポイントに向かいました。青空バックで撮りたかったのですが、暑い雲が空を覆っていたため、メリハリのない写真になってしまいました。
【2013.6.30 丹生川~伊勢治田】(電車運転士)

_dsc20632_2 いつもは風景を大きく取り入れてしまうため、たまには機関車ドッカンもいいだろうということで線路端に陣取りました。ED45の初期車は東洋電機製の特徴である丸っこい車体が持ち味です。以前は中小私鉄を中心に結構見られたタイプの電機ですが、ほとんどが姿を消し、今では貴重な存在になってしまいました。
【2013.6.30 三里~丹生川】(電車運転士)

_dsc56932_2 いつもは貨物列車の合間の時間は近くを走る北勢線を掛け持ちしてしまいますが、天気も優れないことと定番の3連アーチ橋周辺が麦が収穫を終えたばかりで冬枯れのような寂しい風景だったため、これまでほとんど撮ったことのなかった駅撮りを試みました。本家の西武鉄道では見られなくなった顔がここではまだまだ現役です。
【2013.6.30 三里】(電車運転士)

_dsc57012_2 今度はED45を真正面ドッカンで狙ってみました。ED45も後期型になると丸っこさが緩和され、正面窓が大きくなったこともあって多少垢抜けたデザインとなりました。
【2013.6.30 丹生川~伊勢治田】(電車運転士)

_dsc57482_2 諦めきれずに再度紫陽花ポイントはないかと探したところ、見つかりました。ピークは過ぎていましたが、ギリギリ見れる状態でした。アングル的にはちょっと窮屈でしたが、何とかまとめることができました。
【2013.6.30 伊勢治田~東藤原】(電車運転士)

_dsc58002_2 反対側を向くとこんな感じです。こっちの紫陽花はさらにピークを過ぎており、枯れた花びらがところどころに見られたので、望遠で紫陽花をボカしてごまかしました。
【2013.6.30 伊勢治田~東藤原】(電車運転士)

_dsc58672_3 オーソドックスなアングルもとりあえず押さえておきました。天気は曇りが回復することなく中途半端な光線状態が続きました。9月下旬の彼岸花の季節に再訪したいです。
【2013.6.30 三里~丹生川】(電車運転士)

_dsc58792 三里に続き伊勢治田でも駅撮りを試してみました。雰囲気はまあまあでしたが、待っていると見慣れない白っぽい電車が来ました。最近登場した広告ラッピング車両のようで、これにはちょっと興醒めでした。
【2013.6.30 伊勢治田】(電車運転士)

_dsc58992 この日最後のカットです。直前まで雲の切れ間から陽が射して側面ギラリが期待できましたが、列車通過時には再び太陽は雲の中に隠れてしまいました。ED458とED459という東武鉄道出身同士のコンビでした。前位のED458は車齢的には三岐鉄道の電機の中では最古参で側面のエアフィルターがないのが特徴です。
【2013.6.30 丹生川~伊勢治田】(電車運転士)

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究極の朝練

 夜明けが早いこの時期は、朝練の季節である。早朝しか走らない工臨とか、この地区はもはや関係ないけれど寝台列車とか、狙えるのはこの時期しかない。しかし朝練をしても、狙いとなる列車は1~2本だけなので、若干、欲求不満に陥ることがないわけではない。

 しかし、今回の朝練は、もう、それだけで満足度100%の大満足になってしまった。すれ違いあり、パレードあり・・・しかも、途中に電車を停めてくれて撮り放題である。まさに、究極の朝練撮影会、究極のランバイである。おそらく、一生のうちで、これだけの朝練はもう二度とないのではないか。それほどの充実感あるひとときであった。

 朝練の舞台は、函館である。そう、先日来、行くかどうか悩んでいた路面電車開業100周年のイベントである。100周年、なんといっても100年に一度の催しである。100年先には生きていない。そういえば、そのような言い訳をして、ベルリンまで行ってしまったっけ。(笑)

 函館は、距離的にはベルリンより近いが、心理的にはベルリンより遠い。ベルリンには昨年訪れているけれど、函館は2年半ぶりである。しかも、当日は所用もあって、ちょっと行きづらい状況であった。行こうか行くまいか、躊躇していたら、たまたまネットで29日(土)函館行き午後便、30日(日)名古屋行き午後便のマイレージの座席が出てきた。前に調べたときには30日の帰りは満席だったので、おそらく先に予約をしていた人が日程を変更したのだろう。土曜日の午前は名古屋に居ることができるので、所用もなんとかなりそうだ。よーし、行っちゃおう。(笑)

 と、いうことで29日の夕方18時20分には函館市電の駒場車庫にいた。100周年を迎えたこの日、朝には百周年記念の花電車や名物のササラ電車、旧型の530、最新の低床車のパレードが行われたが、残念ながらそれを見ることは適わなかった。なんとか撮影できたのは、16時から車庫で行われたトワイライト撮影会である。とはいえ、着いたときにはすでに電車に影が落ちたり、百周年花電車、ササラ、ホンマモンの花電車の並びはすでに終了していて、撮ることができなかった。函館空港からタクシーで来たら間に合ったが、タクシー代をけちって路線バスで来たのが結果的に大失敗であった。何とか撮れたのは、代表的な電車が勢揃いしたシーンである。ブルーモーメントの中、印象的なシーンとなった。ちょっと不完全燃焼であったが、まあ、諸般の事情からやむをえないか。

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 このあと、現地であった友人と居酒屋に繰り出した。函館と言えば、なんといっても「イカ」。活イカに、生きたイカを網の上で焼く踊り焼き。いやー、うまい。切られた足が口の中で動く。これは函館まで来ないと味わえない。2年半前に来たときには、海が荒れて食べることができなかっただけに、そのリベンジである。これだけでも、函館に来た甲斐があったというものだ。(まだ、この後に刺身が山盛りで出てきます。これも旨かった)

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 さて、翌日の朝練である。「モーニング電車大行進」と名付けられたこのイベントは、始発電車の前に函館山の麓の撮影ポイントで、戦後すぐに製造された500形530、オリジナル塗装の700形723、百周年の花電車に装飾された2軸単車の函館ハイカラ号、そしてササラ電車を撮影させてくれるというものである。しかも、その撮影者用に、函館市電を運行する函館市企業局交通部では、湯の川を4時55分に発車する特別電車も運行してくれた。なんともすごいサービスである。

 まずは、明治時代の建物が残る基坂の交差点である。ここでは、すれ違いの妙味を見せてくれた。530形と百周年の花電車のすれ違い、700形とササラ電車のすれ違い、百周年花電車を交差点の真ん中に停車させての撮影(なんとリピートも!)、そしてササラ電車・・・。これだけでももう大満足であるが、これはまだまだ序の口であった。

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 続いて、地域交流まちづくりセンターの前で百周年花電車とササラ電車が停車して撮影タイムが設けらた。これもなかなか良いシーンである。

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 雪のないササラ電車は、何とかを入れないコーヒーのようなもの(古いか)だが、贅沢を言ってはいけない。ササラ電車を路上で撮影したのは、今回が初めてである。ようやく長年の念願がかなった。

 さて、場所を谷地頭手前の青柳町に変えて、いよいよ撮影会は最高潮となる。まずは、530、723と、百周年花電車、そしてササラのすれ違い。

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 つづいて、530を先頭にパレードである。

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 パレードは、少しずつ場所を変えて、青柳町電停まで、何度も撮影チャンスを与えてくれた。

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 いやー、すごいすごい。こんなシーンが思う存分撮れるなんて・・・。後で数えてみたら、ここまでで何百枚も撮ってました。(^_^;) 

 ただ、後から写真を見返してみて、ちょっと気になったのは、道路の両側が歩道だけに、どの写真にも同業者が後ろに入ってしまっていることである。これはやむをえないとはいうものの、他の撮影者の方も悩まれたようで、ネットにアップされている写真を見ると、それら同業者をうまーくカットした写真が載せられている。なかには、この写真と寸分たがわぬ写真もあった。やっぱり、この角度しか、同業者をカットできなかったのね。(笑)

 撮影会が終わったのは、7時10分。そのまま、百周年の花電車に乗って、後ろから追っかけてくるササラ電車を松風町で撮影して、朝練は終了である。もうこれだけで大満足。すでに一日の仕事が終わった感じである。その後、朝市に繰り出して、イクラやウニがたっぷり乗っかった丼をたべて函館の魅力を満喫する。 

 あまりの成果に、この時点で集中力が切れてしまった。あとは惰性である。しかし、そんな力の抜けたときに限って、それなりの写真が撮れてしまうものだ。

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 普段はクルマに邪魔されることが多い八幡坂の俯瞰も見事に決まった。

 ちょっと無理をしたけれど、やっぱり行って良かった。久々に大満足の撮影行になりました。アサ、ハレテイテクレタラモットヨカッタケド・・。

 100周年を機会にこうした鉄ちゃん向けのイベントを早朝出勤もいとわず実施してくれた函館市企業局交通部の方々、そして数々の仕掛けを企画してくれた影のプロデューサの方々に感謝!感謝!です。(駅長)

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2013年7月 1日 (月)

旧線時代の保津峡

福知山線の武田尾の旧線を振り返って、さらにその前に訪れた山陰線の保津峡を思い起こしたので、アップしたいと思います。

訪れたのは29年前、1984年の6月1日です。山陰線の京都口が電化され、ここ保津峡が別線となったのは1990年ですから、この後6年は再訪するチャンスがあったはずですが、なぜかこの一回で終わってしまいました。

なんでここへ行くことになったか、今となっては全く思い出せませんが、京都まで高速バスが格安で利用出来るということで行ったことは間違いありません。したがって、せっかく日照時間が長いこの時期にもかかわらず、到着は昼前くらい、京都を18時ころに戻らなければならず、滞在時間は限られたものでした。

記録によると、一気に保津峡へは行かず、まずは嵯峨で降りて嵐山公園に行っています。

Img331

嵯峨・保津峡 820レ 

ここはおそらく観光に行った折に見て「ここ撮れそうだな」と目をつけていたのかもしれません。しかし、意外と木が邪魔で、うまく撮れませんでした。(しかもピンボケ)ここでこの後ローカルの気動車を撮って、本命の保津峡に向かいます。

Img572保津峡 837レ 

まずは旧客を駅で狙います。遊歩道があり、上っていきましたが木が茂っていてどうしてもファインダーに入ってしまいます。さらに高さもここが限界で、どうしても台車部分がガードにかかってしまいました。

さらに遊歩道を上流に向かうと程なく一気に開けます。

Img334保津峡・馬堀 17D

まずは下りの「はまかぜ」です。日の長い季節とはいえ、深い谷は既に手前側が陰っています。しかも後追いのせいで、紫煙が顔にかかってしまっています。

Img335保津峡・馬堀 5888レ

この頃はまだ車扱い貨物列車も当たり前のように走っており、山陰線は本線であり、それなりの本数もあったようです。

Img336保津峡・馬堀  836レ

最後は50系8両+マニ50のローカル列車です。当時は旧形客車を置き換えたばかりの頃で、「もっと早く訪問していれば」と後悔しながら撮っていたのではないかと思われますが、50系客車が数年で消えてしまうなんて想像もできませんでした。

Img575保津峡  325レ

駅に戻ります。もうすっかり陰の中ですが、さすが50系「レッドトレイン」、しっかり主張しています。

Img338_3保津峡  839レ

最後に乗る列車と交換する50系のローカルを跨線橋の上から撮って上り列車に飛び乗りました。

それにしてもこれだけの列車が頻繁に走っており、京都からほど近く、楽に行けるところだったのに一回きりとは・・・。駅間の走行のカラーは1枚もない始末。トホホです。(検査掛)


 

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