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2013年3月

2013年3月31日 (日)

総天然色の名古屋市電-ネガ編

 昭和40年代末期にポジで撮影した名古屋市電の写真をご覧に入れたが、ポジではなく、ネガで撮影したものが現在、どのような状態になっているのか、ご覧に入れたい。某社製のネガで撮影したものは、黄ばみがして、見られなくなっているものも多いという。小生のネガでも、特に1990年頃に撮影したものの中に、そうしたものが見られる。しかし、意外にこの頃のネガは階調が良い。

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 まずは、昭和45年頃の新栄町。このあたりは、横に広い道路ができたので、往時の面影が残っていた。ポジと比較すれば落ちるが、十分に見られる発色である。

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 続いて、納屋橋付近を走る1629。昭和45年夏の撮影である。これも色は抜けていないので、まずまずの状況である。

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 同じネガに写る伏見の光景。金融機関の名前が懐かしい。高い建物がないのが時代を感じさせる。

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 これは、さらに時代が2年ほど後の昭和47年2月。名古屋駅から市電が消える直前の撮影である。ブローニーということもあってか、より階調が豊かで、これならポジと比較しても遜色ない、と思う。 

 これら一連の写真は、F社ではなく、K社のネガでの撮影である。ポジ同様、K社の方が優秀だったと言うことだろうか?当時の記憶では、プリントしたときの色、特に肌色はF社の方が綺麗だったような覚えがある。

 当時、カラーは年月がたつと退色するといわれていたし、さらに値段も高価であることから、あまり使わなかった。しかし、これくらいの色が残っているのなら、無理をしても、もっとカラーで撮っておいても良かったかな、と思う。しかし、F社のフィルムを使っていたら現在は使えなくなっている可能性が高いので、こればかりは何ともいえない。神の思し召し次第、ということなのだろうか?(駅長)





 

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樽見鉄道の桜(H25.3.30)

メンバーのみなさんのパワーの足下にも及びませんが、桜の季節になるとジッとしておられません。やはり桜の花は特別ですね!

岐阜の桜が3/29に満開になったというニュースを見て、天気に恵まれた3月30日(土)に樽見鉄道へ出掛けましたが・・・(工場長)

Hana0210_3 【樽見鉄道 糸貫~本巣 H25.3.30】

有名な桜の撮影地、木知原・谷汲口を目指して車で北上しましたが、ダイヤを調べると、途中で本巣9:16発の大垣行きが撮れそうでしたので、糸貫~本巣でまず1枚撮りました。桜は五分咲き程度です。

Hana0216_2 【樽見鉄道 谷汲口 H25.3.30】

谷汲口へ着いてガッカリしました。まだ桜が咲いていません! それでも気を取り直して、谷汲口9:51発の樽見行きを待ちました。運良く原色のLEカーが来ました。

Hana0243_3 【樽見鉄道 木知原 H25.3.30】

木知原に到着する大垣行きです(木知原10:59)。

桜「ちらほら」で気落ちしながら撮ったのですが、これが思ったよりも綺麗に写っていて、これはこれで良かったかな?

Hana0254 【樽見鉄道 木知原~谷汲口 H25.3.30】

木知原11:23発の樽見行きは根尾川鉄橋で撮りました。

桜ダイヤが始まる前ですから、列車本数が少なくてあまり撮影効率は良くないですが、待ち時間に名鉄谷汲線の廃線跡巡りが出来ます。

Hana0263 【名鉄谷汲線 更地駅跡 H25.3.30】

谷汲口・木知原の桜がまだまだの状況で、樽見鉄道の撮影に気合いが入らず、名鉄谷汲線の廃線跡巡りをしました。

既に谷汲線廃止から11年半経過しましたが、まだ遺構がかなり残っていて嬉しくなりました。

桜の季節に何度もかよった更地駅跡の桜は満開でした。

なお、桜の季節に更地駅と人気を二分していた揖斐線の清水駅は、ホームも桜の木も全て撤去されて駐車場になっていました。

Hana0282 【樽見鉄道 横屋~十九条 H25.3.30】

午後の列車は、横屋~十九条の犀川鉄橋で撮りました。この辺りまで南下すると、満開近しという開花状況でした。土手を降りて広角で撮りました。

もう1本ここで撮ってから、樽見鉄道の撮影を切り上げました。1週間後くらいが桜は良さそうですが、天気はどうなりますか?   (工場長)

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217.桜鉄2013(1号車)名鉄→三岐とプチ周遊+衣浦 2013/3/30・31

 東京近辺では先週末に桜が満開になり、今年の桜は早いと各メディアで取り上げられていましたが、東海3県の平野部も見頃を迎えました。メンバーの皆様もそれぞれお気に入りポイントの訪問や新規開拓に奔走されたようで、続編を楽しみにしております。

 そういう自分はというと、山間部の見頃はまだ早いという情報から、平野部中心のプランとなりました。直前までどうしようか決めかねていましたが、30日は結局、徳重(犬山線)→笠松(名古屋本線)→大安(三岐線)→大泉(北勢線)という周遊ルートになりました。

_dsc25252 まずは、犬山線の五条川鉄橋付近の桜並木を覗いてみました。並木の下に菜の花が咲いているところがあったので、桜と一緒に取り込んでみました。構図的にはよくあるパターンですが、背後のマンションや手前の退避スペースが目障りで、いい結果を得ることはできませんでした。
【2013.3.30 徳重・名古屋芸大~大山寺】(電車運転士)

_dsc25832 笠松は満開になっており、露店も並び、たくさんの花見客で賑わっていました。このアングルは昨シーズンは訪れた時期が早く、桜のボリュームが足りなかったので、リベンジとなりました。来週末は桜吹雪が微妙に間に合うかどうかといった感じでしょうか…。
【2013.3.30 木曽川堤~笠松】(電車運転士)

_dsc13582_2 枝の間からの流し撮りにも挑戦してみました。抜けるスペースがピンポイントだったため、タイミングを合わせるのに苦労しました。1/60秒で流してみましたが、流れ方がちょっと足りなかったようです。まだまだ腕が未熟だということを痛感しました。カメラ2台体制で上り列車は三脚固定、下り列車は流し撮りを試みましたが、結構忙しかったです。
【2013.3.30 木曽川堤~笠松】(電車運転士)

_dsc26142 駅長様も行かれた大安の鉄橋ですが、5~8分咲きといった感じで、微妙に早い感じでした。来週末まで持ってくれるとありがたいのですが…。現地到着は15:00過ぎでしたので、駅長様とはちょうど入れ替わりのタイミングだったようです。
【2013.3.30 大安~三里】(電車運転士)

_dsc26252 15:00を過ぎたあたりから薄雲が広がり、光が弱くなってしまいました。旅客と同様に貨物も16日からダイヤが変わっており、ダイヤ改正前のデータは使えなくなっています。3718列車は来るには来たものの残念ながら重単でした。運休じゃなかっただけでもよしとするしかないですね。
【2013.3.30 大安~三里】(電車運転士)

_dsc26452 3717列車は上流側の道路橋から狙ってみました。手前の桜がもう少し咲いている時に再挑戦してみたいです。なお、このアングルは手前の桜の枝をクリアするため、要脚立となります。
【2013.3.30 大安~三里】(電車運転士)

_dsc26662 この日は3717列車で撤収する予定で帰路に着きましたが、後々の参考のためにロケハンがてら北勢線を覗いてみました。大泉の少し東員寄りにそれなりの枝垂れ桜がありました。陽は暮れてしまい露出は厳しかったですが、せっかく見つけた枝垂れ桜なので、とりあえず1枚撮っておきました。条件のいい時にもう1回訪れてみたいポイントです。
【2013.3.30 東員~大泉】(電車運転士)

_dsc26782 31日は曇り予報だったこともあり、次回の桜鉄に備えて家でおとなしくしているつもりでしたが、DD51が入線した時に桜の木を見かけたので、ちょっと気になっていた衣浦臨海鉄道に行ってみました。桜はあるにはありましたが、並木になっているというほどでもなく、ちょっとボリューム不足という感じでした。天気予報どおりドン曇りだったため、条件のいい時にもう1回行ってみようかなと思いますが、今シーズンは無理かもしれません。
【2013.3.31 東浦~碧南市】(電車運転士)

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2013 お花見鉄

 桜満開の報道にあわせるかのように天候に恵まれた週末、各地にお花見鉄に出撃された方も多いのではないでしょうか。おお、出札掛さんは高山線から東濃方面に出撃ですか。

 今年の桜は例年より早く開花したため、当初目論んでいたお花見鉄の予定がちょっと狂ってしまいました。結果的に、無難な、というより変わり映えしない地元の桜ポイントを巡ることになりました。

 まず、訪れたのは本星崎の桜です。

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 ここはちょうど満開です。この場所、8連はちょっと長すぎますね。4連がきれいにまとまります。

 ここから高速に乗って、次は三岐鉄道に。

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 山沿いゆえに開花状況がやや心配でしたが、案の定、少し早かったようです。 まあ、手前に人が入ってくれなかったので、これは良かったかも。

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 続いて、大安の宇賀川鉄橋に向かいます。河原でグループが花見をしていたので、断りを入れて貨物と一緒にスナップ。ここも5分咲きくらいの感じです。

 本日は昼の貨物が1往復運休。おかげで鉄橋横の定番のアングルでは撮影できませんでした。

 なお、昨年、工場長さんが撮影された線路脇の土手は立ち入り禁止になっています。撮り逃しました。また、ダイヤ改正で貨物のダイヤも若干変更になっていますし、電車の本数も若干削減されています。ご注意のほどを。 

 さて、ここからどこに行くか、迷って、結局行ったのが長良川鉄道の関下有知。過去2回、タイミングがずれていたので、今日はどうなのか?

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 ここは満開近し、というところでしょうか。開花のタイミングはまずまず。

 ところでやってきた列車を見て愕然。なんかヘッドマークがついている、と思ったら、なんとゲームソフトの広告列車ではないですか。これは相当、興ざめです。一気にテンションが下がりました。長良川鉄道は、これから桜鉄の本番を迎えるだけに、こんなのが来たら泣くに泣けません。

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 関で行き違ってくる列車を駅の北側で撮影。この頃には、太陽も少し雲に隠れ、薄曇り状態になってしまいました。今度は変なマークもないのに、うまくいかないものです。

 天候も悪化したし、本日のお花見鉄はこれにておしまい。実は、どの撮影地も少し離れて撮ると同業者がどこかに入ってしまうので。結構、アングルには苦労しました。変わり映えしない場所であることに加え、そのようなこともあって、満足度は50%以下かな。さて、日曜の天気はもう一つのようだし、今年のお花見鉄のその2はあるのでしょうか?(駅長)

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2013年3月30日 (土)

今年の桜は? “中濃地方ほか開花状況”

さあ、今年も恒例の季節がやってまいりました。

昨年と打って変わって早咲きの桜。これから桜鉄を楽しもうとお考えの方々に、岐阜中濃地方を中心に3月30日現在の開花状況をお伝えします。

Dsc_01171【美濃加茂市 古井神社】
朝の日差しを受けて桜、菜の花、ツートン車(また、これかい)の三拍子。昨年訪れたときは菜の花が見当たりませんでした。摘まれた後だったのかな。

Dsc_01342【上麻生駅】
えーっと、・・・残念な結果でした。1週間ほど早かったでしょうか。飛水峡には見向きもせずにこれを撮って撤収、来た道を戻りました。


 
  

Dsc_01561【中川辺駅】
どんな感じに写るのだろうかと初挑戦。長編成では後部が隠れてしまうので、2~3両編成向きのポイントかも。 
 


 
 

Dsc_01631【川合大橋(可児市側)】
橋の歩道から見下ろしました。満開までもう少しです。


 

Dsc_01791【可児市役所】
雰囲気はいいところですが背景に写り込む建造物が多く、長居は無用。



 
Dsc_02261【多治見市 貴船神社】
81レ・5875レ共にこの日の先頭は注目のカマ。まず一発目の81レを待つもなぜか来ません。某サイトによると名古屋周辺は定時で通過しているよう。旅客もダイヤどおり行き来しているのに?と思ったら30分遅れの5875レに近いスジで姿を見せました。その影響で5875レも約20分の遅延。しかしそのおかげで陽が西側に移り、側面をギリギリ照らしてくれました。しかしなぜ遅れたのだろう?

桜鉄向け撮影地を探しながら一喜一憂するすのも一興ですね。(出札掛)



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2013年3月29日 (金)

総天然色の名古屋市電

 年度末である。今日あたりは、年度の締めで遅くまで残業をされている方も多いだろう。また、年度末の異動で、引き継ぎをされている方もあるかもしれない。いずれにしろ、お疲れ様である。

 さて、鉄道の世界で年度末と言えば、路線の廃止が思い浮かぶ。昨今は、廃止される路線も少なくなったが、今から30年ほど前は、年度末には必ず1~2路線が廃止となって、昨今で言うところの葬式鉄に励んだものである。今から、39年前の1974年には、名古屋市電も廃止となっている。となると、来年は廃止40年という区切りの良い年になるわけだ。もう、そんなに歳月が過ぎているのである。ダカラナニヲイイタイノダ・・・・

 そんなわけで、今回は名古屋市電の写真をご覧に入れる。せっかくなので、在りし日の様子を偲んで、総天然色版でお見せしたい。

1971
 まずは華やかなところで、名古屋駅前の花電車。ここのロータリーに噴水と青年の像があったことを知る人も少なくなっただろうなぁ。そのうち、大名古屋ビルも・・・・おっと、この頃には当然、地球儀がありました。これ、無くなったのはいつ頃だろう。今もあるように思えてならないのだけれど・・・。

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 一転して、やや郊外を走っていた八事線の青柳町。ここは道路が狭いため、最後まで安全地帯はなかった。

 そういえば、電停やバス停の近くには、必ずと言っていいほど、タバコ屋やお菓子屋がありましたねぇ。まさに3丁目の夕日の時代の雰囲気そのままの頃です。

Photo
 夕日関連で、夕方の写真を1枚。場所がどこか、おわかりかな?名古屋市電には、こんな場所もありました。正月の撮影ゆえ、ガラガラの電車がなんとも良い雰囲気です。

1974_4 

 今回の最後は、人に埋まる名古屋市電。これもお正月の熱田神宮前である。前にモノクロでお見せしたかもしれないが、カラーでも撮影している。このアングル、2年続けて通って撮影した。同じようなことを考える人はいるもので、津島軽便堂さんのHPにも、同じところから撮影した写真が載っている。残念ながら、この時はニアミスだけに終わっているようだ。

 名古屋市電のカラーは200点近くあると思う。うれしいのは、そのごく一部を除いて、色がほとんど退色していないことである。これら写真は、多少、フォトショップで色をなぶっているものの、ほぼ、この発色が確保されていると思っていただいて良い。今にして思うと、今は無くなってしまったこの会社のフィルムはいかにも優秀だったのである。(もっとも、この会社のフィルムで撮った写真がすべて色が残っているかというと、必ずしもそうではないようだ。最近、同じ頃に4×5のカメラで撮影した蒸機の写真集が発売されたが、その中でポジの色が退色して、デジタル技術で補正したと書かれている。高名なプロの写真家の写真でもそうなのだから、拙宅のポジの色が残ったのは、よほど運が良かったのかもしれない・・・と、いって、単に紙箱に入れておいただけだけれど)

 改めて写真を眺めてみると、40年以上前の写真故、技術的な未熟さや撮影のタイミングが甘い写真も多い。青柳町の写真など、今ならもう1時間後で、頭に陽が当たる時間帯に撮影するのだろうけれど。シャッター速度も1/250で切っているので、ものの見事に動態ブレしているものもある。

 とはいえ、さすがに総天然色だけあって情報量は多く、眺めているだけで当時の様子が浮かんできて懐かしくなる。惜しむらくは、もう少しカラーで撮影しておけば良かったのだけれど・・・・・当時の値段(1枚100円です。電車の運賃が25円の頃の100円ね)から言って、これはもうこれだけ撮影するのが限界でした。残念。(駅長)

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2013年3月26日 (火)

パソコンに四苦八苦

 しばらく、書き込みが滞ってしまった。また、海外逃亡か!と思われた向きもあるかもしれないが、今のところ、国内に留まっている。

 書き込みが滞った原因は、パソコンの不調である。結果として、パソコンも更新せざるをえなくなり、OSもWINDOWS 8 ならぬ WINDOWS 7 に換えざるを得なかった。いまさらWINDOWS 7 に換えたと言ってもなんの新味もないが、このOS変更で、かなり四苦八苦することになった。この一連の話は、ひょっとしたら参考になる点もあるかもしれないので、ここにその顛末を記してみることにしたい。

 あまり、文字ばかりでは退屈するので、たまに写真を入れる。昭和57年に撮影した、桜の写真である。

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 実は、パソコンについては、可能な限り、WINDOWSのXPを使い続けたい、と思っていた。ひとつにはXPでなんら不満もなかったからだし、もうひとつは、NIKONのスキャナのドライバーがWINDOWS 7 に対応していないからである。

 しかし、1月下旬に、突如、パソコンが不調に陥った。立ち上がりに障害が見られたのである。状況をみると、マザーボードの故障の可能性もある。マザーボードが故障すると、下手をするとデータの取り出しができなくなる。

 そこで、パソコンが動いているうちにデータのバックアップをするとともに、急遽、パソコンの更新をすることにした。(というより、せざるをえなかった)WINDOWSの8は使いづらいことがわかっていたので、導入するとしたらOSはWINDOWS 7にせざるえない。ここで問題は32ビット版か64ビット版か、どちらを導入するかである。

 能力的には64ビット版が高いことはわかっているが、そうすると今、使っているソフトの多くは32ビット版なので、これらが使えなくなってしまう。一番の問題は、スキャナのドライバーが使えなくなることである。WORDなどのソフトは買えばすむことであるが、スキャナのドライバーは64ビット対応版がメーカーから公開されていない。

 これは大変な問題である。ドライバーがなければ、現在のスキャナが使えなくなる。ということは、今進めている、ネガのデジタル化ができなくなる、ということである。そこで、パソコンの更新にあたっては、スキャナドライバーの動作確認のみされているWINDOWS 7の32ビット版とすることにした。

 しかし、パソコンが到着し、使い始めてみると、今度はフォトショップがまともに動かないという問題が生じてきた。すぐにフリーズしてしまうのである。タスクマネージャーで確認すると、WINDOWS7を起動させるだけで、メモリーを1.5GB程度使ってしまっており、ソフトを動かすだけでメモリー不足に陥ることがわかった。ちなみにWINDOWS XPでは700MBほど使うだけなので、この差がフォトショップの動作に影響を与えているようだ。ご存じのように、WINDOWS XPでは、メモリーは最大3GBしか使えない。これではどうやってもメモリー不足になってしまう。

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 そこでやむなくWINDOWS 7を64ビット版にすることにした。問題のスキャナのドライバーについては、ネットでINIファイルを書き換えて64ビット版で動かせるようにする方法が載っているので、ダメ元でそれを試してみることにした。万一、ドライバーを更新できない場合に備え、これも相変わらずWINDOWS XPで動かしているノートパソコンにスキャナのソフトを入れて使えることを確認し、最悪の場合はそれを専用機として使うことにした。

 結論からいえば、WINDOWS 7の32ビットを64ビット化することは、メーカー提供のパソコンソフトのドライバーの不具合もあって相当の手間を要した。なんどもサポートへ電話して64ビット化に実質的に丸1日を要したが、問題のスキャナードライバーの64ビット対応化は極めて簡単にできた。INIファイルを書き換えることで、WINDOWS 7 64ビット版でスキャナを無事に動かすことができたのである。

 INIファイルの書き換えなど、パソコン素人の小生がやると大変なことになって、パソコンそのものも使えなくなってしまうのでは、という心配もあったが、それはまったくの杞憂であった。もちろん、ドライバーのインストールにあたっては、体調が良く、頭の回転も良いときに行わないと危ないが(^_^;)、作業自体は10分もあれば終わってしまう。小生でできた、ということは、ここのメンバーの方なら、だれもがドライバーの64ビット化は可能ということである。

 ついでにメモリーも追加することにして、4GBに16GBを増設して、一気に20GBにしてしまった。こうなると、もう鬼に金棒である。フォトショップはストレスなく動くし、スキャナも気のせいかもしれないが、調子がいい。64ビット化によって換えざるを得なかったWORDやEXCELの最新版は、けして使いやすくなったとはいえないが、まあ、これは我慢をせざるを得ないだろう。

 ということで、NIKONのスキャナは、WINDOWS 7の64ビット版で動作することが確認できた。パソコンの更新にあたって、スキャナドライバーの対応を心配している向きもあるかもしれないが、これに対しては(たぶん)問題なく対応できるであろうことを、自らの実証実験によって確認したことをここにご報告したい。

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2013年3月24日 (日)

216.1980年冬 東北周遊の旅(14号車) 1980/3/14

 東京ではすでに桜が満開、このあたりも来週末には見頃を迎えそうです。朝練を含め今年はどこに行こうか思案していますが、毎年同じポイントを巡るだけではもの足りませんので、どこかお勧めのポイントをご教授いただければ幸いです。冒頭では桜の話題からスタートしましたが、中味はまったく関係のない内容です。長々と続けてきた東北周遊の旅ですが、やっと最終回を迎えることができました。今回は旅の前半で訪れた蒲原鉄道を再度訪問しましたが、滞在時間が短かったため、中途半端な写真ばかりになってしまいました。

1280314_2 「ばんだい11号」から乗り継ぐ新津方面行の客車列車です。SGの蒸機が冬の客車列車らしい雰囲気を演出してくれてました。牽引機はDD51の初期車で、正面ナンバー付近の白帯が一直線となっており、いつも見慣れているDD51とは雰囲気がちょっと異なっていました。
【1980.3.14 会津若松】(電車運転士)

 

2280314 別の線にはED77の重連貨物列車が停車中でした。パンタが上がっていないので、発車までにはかなりの時間がありそうです。ED77は磐越西線電化区間の専用機関車で試作機を含めても全16両の少数派でした。
【1980.3.14 会津若松】(電車運転士)

 

3280314_2 構内の外れから別のED77が操車掛の誘導でホームに進入して来ました。この後郡山行の客車列車の先頭に連結されました。
【1980.3.14 会津若松】(電車運転士)

 

4280314_3 今回の蒲原鉄道訪問で向かった先は大蒲原~寺田の広々とした平野の中を行くロケーションの区間でした。どこか俯瞰できそうな小高い場所はないかと線路端から物色していたところ、小学校の校舎が目に入りました。そこの屋上なら俯瞰ができそうだと思い、職員室を訪ねて事情を説明したところ屋上からの撮影を快くOKしていただきました。今なら不審人物として警察に通報されてもおかしくない行動ですが、当時はまだまだ大らかさが残っていました。
【1980.3.14 大蒲原~寺田】(電車運転士)

 

5280314_2 撮影を終えて帰途に着くため、寺田から五泉方面の電車に乗り、新潟へ向かいました。今日の仕事が終わって帰宅するのでしょうか、真新しい長靴をはいたオヤジたちが電車に乗り込んで行きました。
【1980.3.14 寺田】(電車運転士)

 

6241_2 村松では助役が運転士に五泉方面のタブレットを運転士に渡していました。国鉄・私鉄を問わずローカル線ではごく当たり前に見られた光景でした。今では特殊な条件とか臨海鉄道のなどのごく限られた線区でしか見られなくなってしまったのは残念です。
【1980.3.14 モハ41車内】(電車運転士)

 

7280314_2 新潟からは「とがくし4号」に乗って長野に出る予定をしていました。ホームに最後の活躍を続ける181系の「とき」が停車中だったので、とりあえずバルブしておきました。
【1980.3.14 新潟】(電車運転士)

 

8280314_2 長野からは夜行の「きそ6号」が東北周遊の旅の最後の宿となりました。EF64の次位に荷物車と郵便車が連結されていたため、せっかくの10系寝台車が目立たなくなってしまったのは残念です。
【1980.3.14 長野】(電車運転士)

 

 こうして約20日間に渡った東北周遊の旅が終了しました。これまでは1週間程度の撮影行は何度か経験がありましたが、ワイド周遊券をフル活用した長期のの撮影行は今回が初めてでした。途中に変な乗り鉄の行程を入れたり、中途半端に南部縦貫・津軽・蒲原の各鉄道にこだわってしまったため、行程の中に太平洋側の線区や小坂鉄道が入っていないなど、もう少しいい行程が組めたはずなのにもったいないことをしてしてたんだなぁと改めて感じました。ブログに掲載するにあたって33年前のネガをじっくり見ていると、当時の記憶がまざまざと思い出されるものもあり、自己満足ではありますが、懐かしさにどっぷり浸かってしまいました。飽きずにお付き合いいただいた方々にはお礼を申し上げます。

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2013年3月22日 (金)

黄昏の展望回廊 ~アクトシティ浜松~

3月のとある平日、仕事の都合で浜松へ行く用事ができたので、そのついでに以前から気になっていた駅隣接の高層ビルにある展望台(アクトシティホテル浜松の45階 “展望回廊”  詳しくはwebで)に立ち寄りJR線を眺めてまいりました。この展望台は土・休日が休業日!らしいので、せっかくのチャンスを活かさない手はないですね。
*サイトによると、4月からは一部の土・休日も営業されるようですが、同フロアにはチャペルも併設されていて、挙式のある日は貸切となり展望回廊に入場できないこともあるそうです。『訪れる際は事前に確認してね~』現地係員・談


昨年の今頃は新幹線300系の終焉に注目が集まっていたせいか、件の展望台から撮影した新幹線を載せている同業者のブログを幾つか見かけており、はたして眺め具合はどんなものなんだろうかと思っていたところです。

Dsc_006122この日は夕方に浜松を訪れたので、展望台に上ったのは所用を終えた5時過ぎでした。名古屋方向を眺めると逆光&夕日ギラリ。夕日に染まる遠州灘を遠く望み、新幹線が駆け抜けます。防音壁で車両が隠れるのを回避するため、あえて後追い画像を載せました。
       

Dsc_0068浜松駅に近付いてくる東海道線上りローカルを捉えました。被写体が旅客普通列車では面白みに欠けますが、夕日を受けて輝く姿は銀電ならではの演出。実は一度だけ新幹線とのコラボにも巡り合えましたが、ピンボケぽい画像になってしまい残念ながらお見せすることができません。
    

Dsc_0045そして夕方の静岡方向はベタな光線状態となります。在来線も併せて撮影出来ますね。なお展望台は線路の北側に位置しておりほぼ終日逆光となるため、ベストとなる日中の撮影時間帯は限られそうです。

Dsc_0063下り「のぞみ」の追い抜きシーンです。カメラアングルが窮屈で窓のサンが写りこんでしまいますが、遊び心としてご理解下さい。おや、1スパン分のシャッターチャンスを逃しましたネ?
    

Dsc_00312在来線の画像が少ないですが、次々とやって来る新幹線に気を取られ過ぎてあまり目を向けていませんでした、と言うよりも列車が来ない・・・。

展望台の営業時間は18時まで。そろそろ帰り支度かとカメラを片付けようとしたら、何やら妙に短い新幹線↓がやって来ました。えっ、まさか、ウソ!?

Dsc_0088自宅に戻り、念のためドクターイエロー関連サイトを見たら、たしかに運転予想日に当たっていました。特に意識していたわけでもなく、下調べしたわけでもなかったので、偶然の登場にはまさにサプライズでした。信じて、お願い!


この展望台では上下列車とも窓ガラスに対して平行に近い角度でカメラを向けるため、どうしてもフォーカスの反応が鈍くなったり、写り具合がボヤけたりしてガラス越しのリスクをかなり背負うことになります。比較的写しやすいのは名古屋方向ですが、日中は光線状態がカギとなりそうです。入場料は500円、宜しければお楽しみ下さい。


『速報』

Dsc_009621日、岐阜で昼イチの所用があったので、ついでに寄り道して、事情通の方からいただいた情報を頼りに、最後となる117系一般車の廃車回送を稲沢付近で見届けました。最終運用に相応しく、S11先頭の組成が能郷白山を遠く背にして最終目的地、西浜松へと向かいます。S11編成だけはしばらく残されるのではないかという憶測が飛び交いましたが、あっさりとした幕引きでした。

(すべては仕事本位:出札掛)












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2013年3月20日 (水)

215.今年の菜の花ラインは… 2013/3/16

 3月に入ると急に暖かくなり、東京ではすでに桜が開花、下手をすると3月中に満開になってしまいそうな勢いです。今シーズンの桜鉄は開花状況によく注意していないと気がついた時にはすでに時遅しといったことにもなりかねませんので、いつものシーズンとは違った活動パターンが必要かもしれません。そんな中、いすみ鉄道ではキハ28が復活の復活運転が始まり、話題を集めています。桜と菜の花の時期はいつもにも増して同業者が集まるのではないでしょうか。いすみ鉄道は数年前から沿線を菜の花で一杯にしようとさまざまな取り組みを実施し、これが定着した最近ではたくさんの観光客が沿線を訪れるようになり、鉄道の活性化に一役買っています。

 これに触発されたのかどうかはわかりませんが、3年前に豊橋鉄道渥美線でも同様の取り組みがスタートし、菜の花のラッピング車両とともに話題を振りまいていました。その後、菜の花はどうなったのか確認したい意味もあって渥美線沿線に足を運んでみました。車両も例年どおり1月中旬頃に菜の花号が登場し、いつものパターンかと思っていたら、ホームページに在籍車両全10編成に渥美半島の花をテーマにしたラッピングを施し、「カラフルトレイン」として通年運行するといった内容が記載されていました。ここまでに「菜の花(黄)」・「しでこぶし(黄緑)」・「桜(ピンク)」・「つつじ(赤紫)」の4編成が運用に就いています。季節の花に合わせて今年の秋頃までに10色が揃う予定とのことです。

_dsc23922_2 3年前に訪れた時は沿線各所に菜の花が咲き乱れており、目を楽しませてくれましたが、今年は気合が入ってなかったのか最大の見せ場だったやぐま台付近はまったく咲いておらず、その他の目を付けていた場所もハズレでどうしちゃったの…?って感じでした。神戸まで行ったら線路端にとりあえず咲いていたところがあったので、何とか撮ってみましたが、構図的にはちょっと苦しかったです。なお、「カラフルトレイン」が出揃うと今の標準色は消え去る運命にあり、記録されたい方は早めの訪問をお勧めします。
【2013.3.16 豊島~神戸】(電車運転士)

_dsc24062 予定していたポイントのほとんどが×で心折れそうになりながら沿線を歩いていたところ、花が咲いていた梅の木があったので、苦しいアングルですが、仕方なくそれを入れて撮ることにしました。黄色の「菜の花」が来ました。
【2013.3.16 やぐま台~豊島】(電車運転士)

_dsc24112 豊島から電車に乗って場所移動をしました。黄緑の「しでこぶし」に乗りましたが、車内はとくに変わったところはなく、「カラフルトレイン」は外観だけの変更でした。最近のこの手のラッピングにしてはまあまあのデザインで、これなら利用者にも受け入れてもらえうのではと感じました。
【2013.3.16 豊島】(電車運転士)

_dsc24262 老津の新豊橋寄りには3年前と同じように菜の花が咲いていたので、下車してみました。上り電車で赤紫の「つつじ」が到着しました。この日はピンクの「桜」も運用に入っており、ここまでデビューしている全4編成を見ることができました。
【2013.3.16 老津】(電車運転士)

_dsc24362_3 下り電車はアングルを変えて撮ってみました。もう少し降車客があれば変化が出たのにと思いましたが、自分の意志ではどうしようもありません。
【2013.3.16 老津】(電車運転士)

_dsc24532 結局、一番まともに咲いていたのは柳生橋から東海道本線を跨ぐ地点までのこのポイントでした。電柱や背景の看板がうるさいのに加えて編成後部が切れてしまいますが、とりあえずといった感じで撮ってみました。
【2013.3.16 柳生橋~小池】(電車運転士)

_dsc24852 ちょっと場所を移動したら柳生橋を発着する電車を撮れるポイントがありました。望遠で思い切り引っ張ってみましたが、ここもアングル的にはかなり苦しかったです。柳生橋の駅舎はすでになく、駅前の豊橋鉄道の本社は取り壊され、そのスペースには小じゃれた建物が鎮座していました。なお、新豊橋を出てすぐのところにあった大きな菜の花花壇の場所は大規模な公共の箱モノ建造物が建ってしまい、こちらも3年前とは大きく様変わりしていました。
【2013.3.16 柳生橋】(電車運転士)

 3年前には菜の花が咲いていた場所は毎年継続されているだろうということで訪れてみましたが、考えが甘かったということを痛感しました。菜の花を咲かすためには種まきなどいろいろな苦労があると思いますが、「カラフルトレイン」が出揃った来シーズンは3年前の状況が復活してくれればいいなと願って止みません。

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2013年3月18日 (月)

214.1980年冬 東北周遊の旅 13号車(南部縦貫鉄道) 1980/3/13

 3月16日のダイヤ改正では惜しまれつつ過去帳入りしたもの、期待を背負って新たに生まれたもの、それぞれドラマがあったようです。東横線と副都心線の相直の関係で地上の渋谷駅がその長い歴史に幕を閉じましたが、相当な賑わいだったようで、今回の改正で最も世間の注目を浴びたできごとだったと感じました。 

 東北周遊の旅も前回からかなり時間が開いてしまい、忘れ去られた存在になってしまったようなので、そろそろラストスパートをかけたいと思います。残すところあと2回、どうか見捨てずにお付き合いいただきますようお願いいたします。前夜は大鰐温泉で所属していた鉄道研究会の合宿があり、夜は当然のごとく大宴会となりました。翌日は身体を休めるため(実際は二日酔いで起きれなかった)、ゆっくりとした出発になりました。時間的に中途半端になってしまったため、本格的な鉄活動はできないと思い、南部縦貫鉄道の午後の列車でも撮れればいいやといった感じで、大鰐から野辺地へ向かいました。

1280313 野辺地から七戸行の列車に乗ってしまうと走りが撮れなくなってしまうため、歩き鉄で次の西千曳まで先回りしました。小雪がちらつく中、レールバスがトコトコと坂を登って来ました。野辺地から西千曳の間は西千曳から先に比べて線型が格段によかったので、何か理由があるのかと後で調べたら線路付け替えによって不要となった旧東北本線の路盤を活用しているとわかり、納得がいきました。
【1980.3.13 野辺地~西千曳】(電車運転士)

2280313 七戸からの折り返し列車が戻って来るのは約1時間30分後、この列車に乗らないと翌日の行程に影響するため、駅撮りするしかありませんでした。列車が来るまでは人気がなく寒い待合室で時間が過ぎるのを待ちました。西千曳の駅舎は旧東北本線時代のものをそのまま使用していたようで、ホームも長く、それなりの風情はありましたが、乗降客がない状態では寂しいだけで絵になりませんでした。
【1980.3.13 西千曳】(電車運転士)

3210180313 西千曳から乗車した列車の車内の様子です。正面左側に置いてあるタブレットキャリアがローカル線の列車らしい雰囲気を盛り上げています。
【1980.3.13 キハ101車内】(電車運転士)

4280313 野辺地に到着した列車は10分ほどの停車の後にすぐに折り返して行きます。駅の助役が時計を確認し、車掌が列車に乗り込もうとしています。
【1980.3.13 野辺地】(電車運転士)
5280313 側面中央には社章・会社名・車両型式の標記のほかに小さな車体にしては割と立派なサボがぶら下がっていました。車内を見ると下校の女子高生が数人座席に座っていました。彼女たちにとってはレールバスが唯一の通学手段だったんだろうなと思いながら列車を見送りました。
【1980.3.13 野辺地】(電車運転士)

●次の目的地
   蒲原鉄道

●移動行程 
   野辺地→「十和田2号」→盛岡→「いわて4号」→郡山→「ばんだい11号」→会津若松→五泉→蒲原鉄道

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2013年3月16日 (土)

一日も早い復興を願って(3)

3日目は野蒜から一旦石巻に行ってから松島海岸方面に向かっています。

Img898_21979年3月17日 石巻 812M

仙石線の石巻の駅は頭端式で、駅舎も私鉄時代の名残をとどめるものでした。石巻線の駅は貨物の留置線を挟んで北側にあり、キハユニ26が見えます。

Img8441979年3月17日 陸前山下・石巻 891レ

石巻貨物線は陸前山下から分岐して石巻港への貨物線で、73系を待っているとたまたま貨物がやってきました。後尾にレムが連結されているのが港からの列車らしいです。手前の直線が石巻線で、右手が小牛田方面です。

この後、松島方面に戻ります。

Img7111979年3月17日  陸前浜田・松島海岸 3923M

松島湾をバックに撮ろうと場所を探しますが、4両でさえなかなか抜けません。

Img850_41979年3月17日  陸前浜田・松島海岸 1031M

上の場所からやや北側の小山に登ってみましたが、4両入るものの海が小さくなり、手前の枝がファインダーに入ってしまって、ここもいまいちでした。

Img7211979年3月17日  東塩釜・陸前浜田 1232M

陸前浜田を越えて南に歩きます。松島湾に沿って走るものの、なかなか列車をうまく写し込めません。右側に見える線路は東北本線で、仙石線と東塩釜~高城町間で並走します。しかし、東北線の列車は数えるほどしか撮っていません。

Img8591979年3月17日  陸前浜田 1226M

仙石線は陸前浜田のすぐ北で東北本線をほぼ直角にアンダークロスします。この列車に乗って陸前原ノ町へ戻りました。

Img9021979年3月17日  仙台 3526M

最後は仙台です。今は陸前原ノ町から西は地下に入っていくようですが、当時は東北本線の仙台駅に突き当たるように島式のホームがありました。駅周辺の風景も西側とは全く雰囲気は違っていました。

Img9001979年3月17日  仙台 1627M

そうはいっても朝は多くの通勤通学客で管理の混雑となるのか、かなり広いホームでした。

これにて学生としての最後の3日間の旅を終えました。

本日2013年3月16日、震災で不通だった石巻線の渡波・女川間が運転を再開しました。映像で見る限り、海辺を走っていました。

メディアも11日を過ぎると、ほとんど震災関連の映像は見られなくなりました。電車運転士様も言っておられましたが、私自身、被災された方々に何ができるものでもありません。しかしながら、この震災を忘れることなく、亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、被災地の一日も早い復興を願って止みません。(検査掛)

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さようなら117系

3月14日の新聞に、117系が「16日のダイヤ改定でイベント列車を除いて名古屋地区から姿を消す。 」と書いてありました。

ということで、私が撮った最近の117系の写真を探したら、約1年間の写真がありましたので、それをアップします。 (工場長)

Sh240203dsc_6705

昨年(H24)の2月3日、節分の日です。家の近くの甚目寺観音が恵方だったのでお参りに行きました。折角甚目寺まで行くので、ついでに何処かへ行こうと思い、家を出る前にインターネットで調べたら、JRの貨物列車が柏原の辺で雪で動けなくなって関ヶ原から米原まで不通になっているとでていました。どれだけの雪か興味があったので、近江長岡まで出掛けることにしました。

東海道線は30分くらい遅れていて、昼過ぎに近江長岡に到着しました。

雪の中を歩くつもりは最初からありませんでしたので降りたホームで待ちました。大垣方面に向かう117系の8連がやってきました。撮影データを見ると12:30頃です。こんな時間に8連が来るとは・・・だいぶ長い間不通になっていたのかな?

Sh240203dsc_6710_2

近江長岡を出発した117系の8連です。(H24.2.3)

Sh240203dsc_6721

次は、大垣方面から来る列車を撮ろうと、ホームを移動し待ちましたがなかなか来ませんでした。

米原方面からの貨物列車が雪煙を上げて通過したあと、また117系の8連が米原方面からやってきました。1本前の117系8連が行ってから20分も経っていません。

ダイヤがガタガタで、次の列車がいつ来るか分からないのと、どうせ乗るなら廃車が迫った117系と思い、近江長岡に25分ほど滞在しただけで、この電車に乗り帰りました。

Sh240203dsc_6727

ガラガラの先頭車に乗り、運転室の後ろから柏原→関ヶ原で撮りました。(H24.2.3)

Sh240203dsc_6729

関ヶ原に到着します。EF66の単機が停まっていました。

このEF66は、近江長岡に行くときにも関ヶ原に停まっていましたので、1時間以上足止めを食らっているようでした。 (工場長)

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古井離合

「またツートンネタかぁ?」
      ・・・いや、そうおっしゃらず(汗)

高山線内での国鉄ツートン車同士の離合風景はそれほど珍しいことではありませんが、正面顔が揃ったシーンを狙うにはキハ40の運用がキーとなります。それに加えて構内の配線、停車位置、撮影立ち位置など、離合シーンの撮影に適した諸条件が整っていても、直前の運用変更という厚い壁が立ちはだかり、せっかく来たのにあら残念、という結末にもなりかねません。そんなリスクが嫌で、ツートン車の撮影は大半が走行風景に費やしてきたため、今までツートン離合をカメラに収める機会が何度もあったはずなのに自ら放棄してきました。

さて、3月10日の朝は、運用通りに進めば古井駅でツートン色車のキハ40(4711C列車)と48(4706D列車)が顔を揃えるはず。最近キハ48のツートンユニットも再び解消されて混色編成にはさほど写欲も湧かないので、こんな時こそ離合風景にトライしてみようかと思い立ち、葬式鉄だらけの117系定期運用や紀勢貨物にはあえて見向きもせず、前述のリスクを背負って現地へ向かいました。

 

Dsc_0175通勤通学時間帯にかかる関係からなのか、古井では両列車とも数分間の停車時間が設けられています。そのせいか、日曜日にもかかわらず通学生の姿が少し目立ちました。受験シーズン?クラブの試合?でしょうか。
ホームには同じ目的を持つ同業者様が写ってしまいましたが、三脚を使われていなかったので、まあこれなら許容範囲でしょう。

Dsc_0178
これらの画像は開いている踏切上から手早く撮影したものですが、足元は線路の上。撮影に夢中になっている間に遮断機が閉まったり、踏切を渡る自動車と接触する恐れもあり、決して安全な撮影法ではありませんので、くれぐれも自己責任でお願いします。言うまでもなく三脚なんてもってのほかですね。
天候は曇りでしたが、もし晴れていれば逆光に近い光線状態だったので、これも許容範囲としましょう。

Dsc_0199離合だけを撮って帰るのもどうかと思い、↑へ寄り道をしました。10日朝8時の様子です。メンバーの皆様にはむしろこちらのほうに注目が集まりそうですね。


このほどJR東海から気動車更新計画が発表されました。高山線沿線にも同業者たちが今まで以上に集まってくる可能性があります。想定外の乱入や激パなどで思うように撮影できない状況に陥る前に、各地で様々なシーンを今のうちに少しずつ目に焼き付けておきたく思います。(出札掛)





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2013年3月13日 (水)

一日も早い復興を願って(2)

2日目はいよいよ仙石線随一のロケーションを誇る仙台湾に沿った陸前富山~陸前大塚~東名に向かいます。いうまでもなく、2年前の津波被害により、現在も不通区間であり、今後果たしてこのような場所に線路が敷かれるのか、危惧される区間でもあります。

Img7471979年3月16日 陸前富山・陸前大塚 3922M

湾の中にある小さな岬に登って俯瞰気味に狙います。この辺りは仙石線の山側にも大小の池があり、一見すると海の中を走っているように撮れました。

Img823_21979年3月16日 陸前富山・陸前大塚 3921M

海を大きく入れようと北側から狙ってみましたが、俯瞰するところがなく、広角を使わざるを得ませんでした。この後、陸前大塚を越えて、東名方面へ。

Img826_21979年3月16日 陸前大塚・東名 3021M

入り江に小さな漁船が繋留されていたので、窮屈ですが写し込みました。

Img6951979年3月16日 陸前大塚・東名 3022M

この区間にも小さな岬があり、そこに登って撮影しました。仙台方面を臨みます。

Img696_41979年3月16日 陸前大塚・東名 3122M

上の場所から逆に石巻方面に振るとこのような風景です。先頭はクハ79902で、(1)の79900同様ジュラ電の改造で、全金試験車です。ヘッドライトは屋根上に取り付けられていますが、傾斜した運転台の窓はその後の79920番台から101系へと引き継がれました。妻面の角にRが付いているのが特徴です。

その後、さらに東へ向かいます。

Img877_41979年3月16日 野蒜・陸前小野 1526M

仙石線最長の橋梁、鳴瀬川を渡ります。この後、野蒜に戻って形式写真を駅撮りしてこの日は終わっています。もう少し海辺で狙ってみたかったと思いますが、今となっては後の祭りとしか言いようがありません。

もう1日滞在して松島あたりを撮っていますがまた後日。(検査掛)




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2013年3月12日 (火)

213.今度の海鉄は湘南と伊豆半島 2013/3/9・10

 あの忌まわしい東日本大震災からちょうど2年が経過しました。改めて亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに被災された方々が1日も早く元の生活に戻れるように願って止みません。普段の忙しさに追われて忘れてしまうことのないよう、これからも心に留めて行きたいと思います。現状では自分が直接何かをできるわけではありませんが、これからも毎日無事に暮らせることへの感謝と人の心の痛みをわかってあげようとする気持ちだけは忘れずに持ち続けていきたいと思います。

 さて、最近は種々の事情により、季節に逆行する海鉄を主体とした活動が続いております。3月9日は所用で伊東に出かける機会があり、例のごとくせっかくだからということで隙間時間を捻出して湘南と伊豆半島に足を伸ばしてみました。湘南・伊豆半島といえば明るい海をイメージしますが、今回はそのイメージを写真に収めたいと思い、海鉄を堪能してきました。

_dsc20522 のっけから海とは関係ない写真で申し訳ありません。名古屋からのり1番列車となる「ひかり」に乗車、静岡で「こだま」に乗り換えて伊東線の乗り換え駅の熱海に向かいました。乗り換えの時間つぶしにホームの端から新幹線を狙ってみました。お恥ずかしい話ですが、普段は新幹線はほとんど撮ることがないので、高速で目の前を通過して行く新幹線の速度感覚がわからず、シャッターを押すタイミングに戸惑いを感じてしまいました。
【2013.3.9 静岡】(電車運転士)

_dsc20732 集合時間までにはもう少し余裕があったので、伊豆多賀で途中下車して中学生時代に157系の「あまぎ」を撮ったポイントに行ってみました。あらから30数年が経過しているため、当然といえば当然ですが、みかん畑は宅地に変わるなど風景は大きく様変わりし、撮影ポイントは消滅していました。仕方なく花が咲いていた梅の木を入れて、無理やりのアングルでお茶を濁すしかありませんでした。
【2013.3.9 来宮~伊豆多賀】(電車運転士)

_dsc21532 伊東での用事は昼過ぎに終わり、夕方まで時間があったので、早川の超有名ポイントに足を運んでみました。実はこのポイントは初めての訪問で、列車で通るたびに「あ~ここが有名なポイントか」と車窓から眺めていましたが、やっと念願が叶ったっていう感じです。普通・快速はE231・233系ばかりなので、時折やって来る貨物列車や伊豆方面への特急列車がターゲットとなります。幸い黄砂の影響もそれ程ではなかったので、助かりました。
【2013.3.9 早川~根府川】(電車運転士)

_dsc21652 少し場所を移動するだけで新幹線の掛け持ちもできます。みかん畑と青い海を入れて湘南らしい風景を狙ってみました。あわよくば右上を走る東海道本線の列車とのコラボを期待しましたが、短時間の滞在ではやっぱり無理なものがありました。
【2013.3.9 小田原~熱海】(電車運転士)

_dsc22072_3 反対側にも回って来る列車を適当に撮っていましたが、やけに同業者の姿が目立ち、夕陽が山影に落ちても撤収する気配がないので、何かネタ列車が来るのかなぁと待っていたところ、やって来たのがコレ(シキの回送)でした。
【2013.3.9 早川~根府川】(電車運転士)

_dsc22552_3 伊東に泊った後の翌3月10日は伊豆急の海鉄三昧となりました。光線状態を考えて1番列車で伊豆稲取~今井浜海岸の海沿い区間に向かいました。日の出直後の時間帯は低い位置に雲が垂れこみ、どんよりとした天気でしたが、8時30分を過ぎた頃から日が差し込み回復傾向になってきました。波打ち際で列車を待ちましたが、波の砕けるタイミングも許容の範囲で、ほぼイメージどおりの写真を撮ることができました。
【2013.3.10 伊豆稲取~今井浜海岸】(電車運転士)

_dsc22672_3 国道に上がり、一応定番アングルも押さえておきました。伊豆急の一般車は元東急8000系ばかりになってしまいましたが、割と太めのハワイアンブルーの帯を巻いているため、遠目でも思ったより存在感がありました。
【2013.3.10 伊豆稲取~今井浜海岸】(電車運転士)

_dsc22792_2 今回の訪問でどうしても撮りたかったのがこのポイントを行くアルファ・リゾート21です。4年前に来たときには道を1本間違えて見つけることができずに涙を呑んだ苦い経験がありました。赤と青の大胆なカラーリングと青い海は絶妙のマッチングです。
【2013.3.10 伊豆稲取~今井浜海岸】(電車運転士)

_dsc23292_2 昼からは場所を変えて片瀬白田の海岸沿いに移動しました。昨年12月から成田エクスプレス用のE259系を使用した「マリンエクスプレス踊り子」が週末を中心に臨時運転されており、伊豆急線内でも異彩を放っています。それにしても晴れた時の片瀬白田のこの海の色は息を呑むような美しさです。この日の東京方面は黄砂の影響と煙霧の発生で凄いことになっていたようですが、幸い伊豆地方は遠くの風景が多少霞んでいたものの黄砂の影響は致命傷になるところまで酷い状況にはならずに助かりました。
【2013.3.10 片瀬白田~伊豆稲取】(電車運転士)

_dsc23352 2100系の3次車は伊豆急開業50周年を記念して、リニューアルの際に伊豆急伝統のハワイアンブルーの出で立ちに衣替えし、リゾート ドルフィン号として再デビューしました。これにより2100系のオリジナル塗装は消滅しましたが、これはこれで十分似合っていて、まったく違和感がありません。伊豆急といえばやっぱりこの色です。写真写りのよくない黒船電車もそろそろ何とかならないかと思うのは自分だけでしょうか…。
【2013.3.10 片瀬白田~伊豆稲取】(電車運転士)

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2013年3月11日 (月)

「欲望という名の電車」の舞台

 こうしたタイトルを映画か芝居で聞かれた方もあるのではないか。「欲望という名の電車(A Streetcar Named Desire」はアメリカ南部の都市・ニューオリンズを舞台としたテネシー・ウィリアムズ作の戯曲である。有名なのはヴィヴィアン・リー主演の映画で、古典的な名作となっているし、日本では杉村春子が繰り返し舞台にかけている。

没落した名家の令嬢の生涯を描く物語は、このように始まる。『「欲望Desire」という名の電車に乗って、「墓場cemetery」という電車に乗り換え、6つめの角「極楽Elysian Fields」で降りるの』。星ヶ丘からバスに乗って、「極楽」で降りるのではない。降りるのは、米国・ニューオリンズの「極楽」である。

 ところでこうした地名(停留所名)は、創作上のものかと思っていたら、実際にニューオリンズにある地名という。しかも、「墓場」行の電車は今も走っているのである。

 Photo_2
 電車の方向幕を見てほしい。ちゃんと「CEMETERY(墓場)」と書かれている。実際に後ろには、墓地が広がっている。「墓場」行といっても、ちゃんとした都市の交通機関で、ゲゲゲの鬼太郎の専用車ではなく、もちろん乗客も目玉おやじとかネズミ男ではない。

 ニューオリンズは、米国最大の大河、ミシシッピ川の下流に位置する観光都市で、フランス植民地時代の名残を伝えるフレンチクオーターは観光地として名高いし、また、ジャズのふるさととしても知られる。また、最近ではハリケーン「カトリーナ」で甚大な被害を受けたことで、名前を覚えている方もいるかもしれない。

 このニューオリンズは、路面電車ファンにとってはまさに聖地のような場所である。なんと、1920年代の電車が今も当時のままの姿で走っているのである。

Photo_3 

 セントチャールズ線を走る緑色のこの車両、アメリカのインターアーバン全盛期の1920年代に造られた。美濃町線のモ510形と同じコンセプトにもとずく車両である。座席も板張りで、当時をしのばせる。

 ニューオリンズの路面電車の歴史は古い。馬車鉄道時代を含めると、ニューヨークに次いで、全米2番目の歴史を持つ。しかし、この電車も一時は廃線の危機に瀕し、「欲望」行の電車やメーンストリートであるカナル通りの路線も廃止され、1960年代にはこのセントチャールズ線が残るだけとなっていた。

しかし、全米的な公共交通再評価の流れの中で、観光施設になるとともに、自動車を使わず都市内移動を助ける便利な交通機関として、路面電車を建設することになった。こうして、1988年にミシシッピ川に沿ってフレンチ・マーケットを結ぶリバーフロント線、2004年にカナル通りを走るカナル・ストリート線、そして20131月にはアムトラックの駅や市役所を結ぶロヨラ通り線が開業した。

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 これが最初に開業したリバーフロント線。ミシシッピ川に沿って走り、沿線には観光施設が点在する。

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 路線は貨物線を転用して開業した。現在も、手前の路線には貨物列車が運転されている。

 続いて開業したのは、メーンストリートを走るカナル通り線で、1ブロックの区間はセントチャールズ線と並走する。

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 しょっちゅう、このように並走がみられるわけではない。セントチャールズ線は7~8分間隔、カナルストリート線はほぼ10分間隔だから・・・。

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 これは朝焼けの風景。このカナル通り線の車両は、
外観や内装こそ古く見えるが、冷房も入っていて、実際には新しく製造されたものである。観光都市の路面電車の電車だからこそ、こうしたレトロ電車が似つかわしい。

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 これは開業したばかりのロヨラ通り線。沿線には高層ビルが並び、ビジネス街であることをうかがわせる。

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 これに対して、セントチャールズ線は、1920年代のオリジナルのままである。そのため、この電車は米国の歴史的遺産に指定されている。
この路線の沿線には、映画「風と共に去りぬ」に出てくるような白亜の豪邸が並んでいる。米国南部なので治安が心配な向きもあるかと思うが、この沿線は(たぶん)大丈夫だろう。並木の美しい道路の真ん中に設けられた専用の軌道を走っていて、自動車に邪魔されることもない。

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 板張りの座席の電車に乗って、ゴトゴト揺られ、豪邸が並ぶ風景を見ていると、何十年も前のアメリカの古き良き時代を見ているような感慨にとらわれる。乗って楽しく、写真に写しても風景に映える実に魅力的な電車である。

 ご存知のように、ここニューオリンズは2005年のハリケーン・カトリーナによって甚大な被害を受けた。しかし、今訪れても、当時の惨状を伝えるものはまったくない。2月にはスーパーボールも開催され、全米の目がニューオリンズに集まった。東北地方も、このニューオリンズのようにたくましく復興してくれることを願ってやまない。(駅長)

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2013年3月10日 (日)

朝練復活?

 3月になってようやく暖かい日も現れるようになりましたが、昼間の時間帯の長くなってきたことが何よりもありがたいこの頃です。一方で石油輸送も冬から春へ、増発ペースも落ちてくるはずです。朝6時台発の中央西線6883レ、今シーズンの運転がいつ終了してしまうかわかりませんのでお手軽場所で撮れるのも今のうちかと、思い立った時に出掛けることにしました。

 東の空の様子を気にしながら日の出前に出発、途中では晴れることを祈りながらの現地到着です。太陽に雲がかからなければ赤い光が車体に当たります。

Hb6883_1

運が悪いと光線ではなくしなのの回送に被られるのが難点です。

Hb6883_2_2


撮り終わったら速攻で帰宅です。

なお、異動により担当が変わりましたので合わせてお知らせします。(資材担当)

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2013年3月 9日 (土)

愛環検測

情報通の方から、「愛知環状鉄道にドクター東海入線」の知らせ。
そのこと自体は特に珍しいことではなくとも、今回は日中、しかも3月9日(土)に走るらしく、ちょうど会社も休みで天候も良さそうだし、スジの詳細も得られたので、せっかくだからと出かけてみました。
さ~て、諸事情によりできるだけ高蔵寺寄りのエリアで愛環鉄道らしさを撮影したく、無難に愛環車との離合をホームで撮る手もありますが、ふと8年前の愛知万博臨時ダイヤ施行時に訪れた場所を思い出し、「そうだ、久しぶりにあそこに登ってみよー」と、定光寺野外活動センターを目指しました。
家の用事の都合で、撮影対象は岡崎から高蔵寺着15時過ぎの戻し列車に限られました。ということは、件の場所からの撮影を考えると、時間的に逆光気味となるのに加えて、なんと今年初の黄砂とな!えーい、一か八かだ、写りが悪ければ画像処理で乗り切ってやる、と無謀な行動を選びましたが、結果、やっぱりどう見ても無謀だわ!

65_7
中水野付近を通過するドクター東海・試9101Hです。バックには瀬戸デジタルタワーがそびえていますが黄砂の影響と逆光気味の角度ではっきりと浮かび上がらずに残念。が、これをもって愛環鉄道線であることをご理解いただくしかないので、どうかお許しください。後方の丘に見える住宅街も賑やかになりました。

64お口直しに、野外活動センター行く途中で撮影した3084レを載せておきます。時間的に、ここは3088レ向きですね。

“マヤ検”時代を知るブログメンバーの皆様(自分も含めて)にとっては、キヤではなんだか物足りなく感じることと思います。ということで今回の撮影結果がおそまつでも、それほど悔いは残りませんでした。機会があれば再履修。(無駄な強がり:出札掛)




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2013年3月 8日 (金)

一日も早い復興を願って(1)

今年も3月が来ました。間もなく東日本大震災から2年を迎えます。一日も早い復興が叫ばれながら、遅々として進まず、鉄道も各地で分断されています。

気仙沼線はBRTとなって、鉄道として再生する道が断たれました。仙石線も、かつて海辺を走っていた高城町・矢本間はいまだに休止中であり、平成27年復旧を予定しているものの従来通りの路盤を走ることはおそらくないでしょう。

そんな仙石線を、1979年3月、新性能(103系)化直前に訪れましたので、ご紹介したいと思います。

Img7951979年3月14日 宇都宮 回9131M

仙石線を訪ねる前日、103系を仙石線転属させるための郡山工場への入場回送を追っかけました。まず、牽引車クモヤ441の迎えを岡本・宝積寺間で撮ったのち、連結の模様を撮りに宇都宮に戻りました。

Img8101979年3月14日 東那須野・黒磯 回9131M

クモヤ441-3+クモヤ441-7+クモハ103-45+モハ102-251+サハ103-193+クハ103-42

先回りして黒磯の手前で走行を撮りました。バックは言うまでもなく建設中の東北新幹線です。この日はなぜかモノクロのみで、交直カラーとスカイブルーの組み合わせがわからないのが残念です。クモヤ441は国鉄時代末期にモハ72から改造された牽引車で、車体は新造ですが、ドアはプレスドアが流用され、台車もDT20です。

この日は一旦東京に戻って、夜行で仙台に向かったものと思います。(この辺りの記憶は全く跳んでしまっています。)

翌日は陸前原ノ町の電車区からフィルムは始まっています。

Img7261979年3月15日 陸前原ノ町区 クモハ12040

仙石線に行ったら是非とも撮りたかった1両で、かつては府中区配属で、福塩線で走っていました。クモハ12は種車が多種にわたっていますが、ダブルルーフのモハ30からの改造車はこの時点では唯1両の車両でした。のちにJR東海で「ゲタ電」と称し、クモヤ22112から改造されたクモハ12041はこの車の追番になります。

Img7281979年3月15日 陸前原ノ町区(左から)クハ79943 クモハ73327 クハ79601

庫の前にきれいに並んでいたので撮りました。ある意味、73系のいろいろな顔というべきでしょうか。真ん中のクモハ73327は台検上がりで、この後クモハ73+クハ79と併結して3両で本線試運転をしました。

この日は主に街中?での撮影に費やしたようで、福田町や苦竹で撮りながら、西塩釜に向かいました

Img8121979年3月15日 西塩釜・本塩釜 1525M クモハ73287+サハ78158+モハ72275+クハ79900

おそらく私鉄(宮城電気鉄道)時代の名残が残っているということで、ここへ来たものと思いますが、友人は「オンボロガーター」と言っていました。戦争直後を知っているわけではないのですが、今にも倒れそうな陸橋の下に掘立小屋が並びとても戦後35年とは思えない風景でした。先頭のクハ79900は元「ジュラ電」のサハで、全金試作車となって特異なスタイルをしていました。同じ運命を辿った79902と同時期に仙石線に入線したはずですが、なぜか最後までグローブべンチレータでした。

Img813_31979年3月15日 西塩釜・本塩釜 1531M クモハ73059+クハ79232+クモハ73297+クモハ73022

これは下に降りて、塩釜線(1997年廃止)の路線敷きで見上げて撮影しました。左に少し見えるコンクリートは仙石線の盛り替え用です。

この日はここで撮影を終えています。どこに泊まったか、全く覚えていませんが、あと2日、仙石線を撮影しています。が、それについてはまた後日・・・。(検査掛)

 

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2013年3月 7日 (木)

ニューヨークの鉄道 その2

 あまり関心を持って読んでいる読者は少ないと思うけれど、日本の鉄道の姿を正しく見るためには、日本以外の鉄道がどのように運行しているか、という知識も必要ではないかと思う。そこで、厚かましくもニューヨークの鉄道の続きを紹介したい。

 なお、もし万一、前回のニューヨークの地下鉄の紹介で、関心を持つ方がおられたら、下記の記事をご参照いただきたい。ニューヨークの地下鉄が、どのようにして変わっていったか、参考になる。本来は、こうした記事こそ鉄道雑誌に載せるべきかと思うのだけれど、読者も編集者も感心がないし、書き手もいないので載ることがないのが残念である。

http://www.mintetsu.or.jp/association/mintetsu/pdf/36_p22_25.pdf

また、ニューヨークの鉄道網の路線は、下記の図が参考になる。と、言っても、行ったことのない人にはピンと来ないかもしれないが・・・。 

http://www.urbanrail.net/am/nyrk/nyc-map.htm

 まずは、ニューヨークの東側からマンハッタンへの輸送を担うロング・アイランド鉄道である。東京で言うなら、中央線のような存在か。

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 非電化デーゼル路線としては編成が長いと思われた方もあるかもしれない。実は第三軌条集電の電車である。この列車は10両編成であるが、ラッシュ時にはそれより長い12両の編成が5分おきくらいに運転されている。ニューヨークのターミナルのペン・セントラル駅へはイーストリバーのトンネルをくぐる必要があり、その川底トンネル区間を含めて近郊区間は複々線となっている。自動車の国、アメリカで通勤鉄道はイメージしづらいだろうけれど、日本以上に高密度なニューヨークのマンハッタンを機能させるには、鉄道系の公共交通が不可欠なのである。

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 これはロング・アイランド鉄道でもっとも重要なターミナルであるジャマイカ。ロング・アイランドの各所からの路線がここに集まり、ニューヨークの2つのターミナルに向けて分かれていく。この駅は、日本からの飛行機が着くジョン・F・ケネディ国際空港への連絡駅で、ここから新交通システムのスカイトレインが運行している。マンハッタンからJFK空港へのもっとも便利で時間の短いルートであると思うのだけれど、なぜか地球の歩き方にはこのルートが紹介されていない。

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 そのニューヨーク側のターミナルは、マンハッタンにあるペン・セントラル駅とブルックリンのアトランチック・ターミナルである。このアトランチック・ターミナルはマンハッタンからはやや離れてはいるが、地下鉄の接続が便利で、行く場所によってはペン駅よりも便利かもしれない。大型の電車が次々とやってくるのは、壮観な眺めであるが、地下駅故、全貌が見られないのが残念である。

 ペン駅には、もうひとつ、ハドソン川を渡った対岸から、ニュージャージー・トランジットが乗り入れてきている。全米的に旅客鉄道を運行するアムトラックの路線と共用して運行されており、イメージ的には東海道線か。こちらも本数が多く、朝夕のペン駅は多くの通勤者でごったがえす。ペン駅構内には数多くの売店やファー ストフード店があり、まさに上野か東京駅状態である。

 ニュージャージー・トランジットは、その名の通り、ニューヨークとは別の州、すなわちハドソン川を渡った対岸のニュージャージー州を中心に運行している鉄道で、沿線は高級住宅地が多く、日本人の駐在員も多く住んでいるという。

Photo
 これは少々前(1986年だから、少々ではないかもしれないが)に撮影したニュージャージートランジットの電車。今も、それほど変わっていない外観の電車がペン駅に乗り入れてきている。

 ニュージャージー・トランジットには、もうひとつターミナルがある。マンハッタンの対岸のホーボーケンで、デラウェア・ラッカワナ・アンド・ウェスタン鉄道ゆかりの、鉄道全盛時をしのばせる大きなターミナルが通勤列車の拠点となっている。ここからマンハッタンへは、フェリーとパス(PATH)と呼ばれる通勤鉄道が結んでいる。

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 これがPATH。9.11で崩壊したワールドトレードセンターの下と34丁目からニュージャージーの間を結んでいる。州をまたぐため、経営母体がニューヨークの地下鉄と異なるが、実質的には地下鉄路線である。(この写真も1986年の撮影)

 話は戻ってホーボーケン駅。昼間には10数番線あるホームに列車がずらりと並び、壮観な眺めである。これが夕方4時を過ぎると、5分間隔くらいで次々と列車が出ていくのである。

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 列車はこんな感じ。

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 路線は非電化のため、機関車の牽引である。

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 機関車は片側だけで、反対側の客車に運転台が付いているプッシュプル運転である。

 余談であるが、プッシュプルは片側だけに機関車があって、それが押したり牽いたりするからプッシュプルである。両端に機関車が付いて運転するのは、プッシュプルとはいわない。トップ・アンド・テイル(Top and teil)というはずである。言葉は正しく使いましょう。

 面白い、というか、不思議なのは、こうした通勤列車には、1両に1人、とはいわないけれど、1編成に数人の車掌が乗っていることである。駅には改札が無く、車内で運賃を収受するから車掌が多く必要なのは理解できる。しかし、これら列車は、朝、ニューヨークに来て、夕方、戻っていくだけで、昼間はほとんど運転されないか、運転されても編成が短いのである。となると、車掌の業務は1日1往復の乗務でおしまいで、昼間は仕事が無く、遊んでいることになる。これではなんとも非効率だと思うのだが、実際はどうなっているのだろうか? 

 このホーボーケンからはLRTの路線が出ている。これもニュージャージー・トランジットの路線である。ホーボーケンの北に数年前に開業した区間では、対岸にマンハッタンを望むことが出来る。

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  ニュージャージー・トランジットには3路線でLRTが走っているが、うち1路線はディーゼル車による運行で、電車で運行されているのは2路線である。歴史が古いのはニューアークを起点とするニューアーク・サブウェイで、1986年に訪れたときにはまだ名車PCCが現役であった。

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 はじめて見たときは、ちょうどラッシュ時だったこともあって、2~3分おきに次々と電車がやってきて、アメリカでもこんなに頻発運転がおこなわれているとは知らず、驚いたものだった。

 現在、この路線は路線が延長され、上記路線と同じ、近畿車輛製のLRVが運行されている。(駅長)

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2013年3月 3日 (日)

ひなまつり イベント鉄

 すでに電車運転士さんから紹介されているが、ひなまつりの3月3日は、この地区には珍しく、イベントが重なった。瀬戸線の6600形さよなら運転と、団体貸し切りによる117系の中央線運行である。時刻を見ると、瀬戸線のさよなら運転が午前の早い時間だったため、中央線との掛け持ちができることから、瀬戸線を撮影してから中央線に向かうことにした。

 まずは、瀬戸線の6600形さよなら運転である。これは尾張旭→栄町→尾張瀬戸→尾張旭の行程で行われたが、最初の栄町行きは光線状態も考えると矢田川の鉄橋で狙うしかない。

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 2月中旬からつけられていたシールのままかと思っていたら、ひげの付いた大きなシールに変更されていた。名鉄では、さよなら運転の大きな装飾は、久しぶりではないだろうか・

 あ、これは違うときの撮影か・・・。

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 これも、違うときか。整理が悪くてすみません。

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 と、いうことで、やっと本日のさよなら装飾付きの写真。定番の場所でこの車両を撮るのは何度目だろう。

 しかし、同じ車両の運行初日と最後を同じ場所で撮るというのも・・・・・・トシヲカンジサセルナア(^_^;)

(ちなみに最初の写真は、昭和53年3月の瀬戸線1500V昇圧時、次の写真は同年8月の栄町乗り入れの記念列車です。以前とどこかアングルが違う・・・と思っていたら、架線柱の取り替えの時に位置が変わってるんですね。今、見比べていて初めて気が付いた(^_^;)

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 続いて大森に転戦。木立をバックに出来る場所は、すでに定員いっぱいだったため、大森方のカーブで撮影。

 続いて、117系を追って中央線に向かう。すでに南木曾行きは行った後なので、帰りの列車が目的である。当初、釜戸と武並の間で撮影を予定していたものの、高速に入ると御岳や駒ヶ岳が綺麗に見えている。ということで、出札掛さんの撮影した恵那と美乃坂本の間へ向かうことに変更した。

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 しかし、現地へ行ってみると、出札掛さんの撮影された場所がもうひとつよくわからない。この場所は初めてだけに、土地勘もなく、現地をいろいろ歩き回って探したのがこの場所。4連がフルに入ったので、まずまずというところかな。ちょっと薄雲がでて、山が青空に抜けなかったのが残念である。

 ところで、117系が中央線の快速として運用していたときは国鉄色だったはず。JR東海色になって中央線に入線したことは、何度あったのだろう?珍しいシーンなのか、あるいは結構頻繁にあったのか、どちらなのだろうか。

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 葬式鉄というわけではないけれど、ここまで来たらこの春のダイヤ改正で無くなるセントラル・ライナーも撮っておかねばいけない。そこで、当初予定していた釜戸と瑞浪の間に場所を移し、セントラル・ライナーを狙う。

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 81レが日曜運転であることを思い出して、少し場所を移動して撮影。機関車の順が逆だったらベストだったけれど、ついでの撮影なのでこれ以上望むのは贅沢かな。

 中央線で時間を潰しているうちに、117系の帰りの時間となった。東海道線を走る117系は、情報通さんから今日は稲沢貨物線経由と聞いている。東海道線を走る117系はなんら珍しくはないが、貨物線経由ならこれは撮っておきたい。そこで、稲沢線ということが一目でわかる旧稲沢操車場の北にある陸田踏切に向かった。

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 ここは、かなりの同業者が集まると危惧していたが、わずか4人ほどでまったり撮影できた。通過後、改めて時刻を見ると、一宮から名古屋まで40分もかかっている。これは稲沢停車がある、と読んで、ダメ元で稲沢と清洲の間に向かう。

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 運良く間に合って、ここで最後の撮影。列車のアップでは面白くないので、稲沢の風景を入れて、珍しい路線を走る様子を記録する。ここで施設区長さんとバッタリ。撮影していたのは我々だけでした。

 ということで、初めて訪れた場所もいくつかあったけれど、天候にも恵まれ、いずれもまずまずの出来で、満足のひなまつりのイベント鉄となりました。(駅長)

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212.間もなくお別れの紀勢貨物+なつかしの「くろしお」 2013/3/2

 3月3日はひな祭りプレゼントとうわけではないでしょうが、117系の中央線入線や6600系のさよなら運転などがあり、久々に地元ネタが活気づきました。当初は自分も参戦する予定でしたが、紀勢貨物に国鉄色の凸が入りそうだったので、心を動かされ、当日まで悩んだ結果は紀勢詣でを決断、未明の国道42号線を南下し、熊野路を目指しました。なお、2日(往路)と3日(復路)は国鉄色の381系による「なつかしのくろしお」が運転されるとのことで、往復で約600キロの道のりとなりますが、ちょっと欲張って掛け持ちしてきました。結果、その代替として3日は家族運用となり、117系は断念せざるを得ないこととなりました。

_dsc18242 例のごとく四日市に立ち寄り、2089列車の運転と凸の色を確認したところ、予定どおり国鉄色でした。ここに来て各有名ポイントには葬式鉄が大挙して押し寄せているようだったのと追っ掛けを試みても同じような写真ばかりになってしまうと思い、一気に新鹿まで南下し、ここで一発勝負としました。今回は海岸からのいつものアングルではなくて違ったポイントはないかと海岸を過ぎてさらに二木島方面に行ってみました。列車はかなり小さくなりますが、岩場がバランスよく入りそうなポイントがありました。さすがにここまで来ると葬式鉄の姿は見えず、新鹿湾のエメラルドグリーンの海は独り占めでした。
【2013.3.2 新鹿~波田須】(電車運転士)

_dsc12782 カメラを左に振ってさらに列車を追いました。写真に写っている姿は小さいですが、やっぱり国鉄色は存在感があります。
【2013.3.2 新鹿~波田須】(電車運転士)

_dsc18422 2089列車の後は「くろしお」に転戦するため、国道42号線をさらに南下しました。お目当ての列車までにはかなりの時間があったため、途中、写真のポイントに寄り道しました。紀伊半島の海岸は荒々しい岩場のイメージが強いと思いますが、ここは玉の浦と呼ばれる景勝地で、列車は波も少なく穏やかな入り江沿いを進んで行きます。オーシャンブルーの海にオーシャンブルーの「オーシャンアロー」が絶妙のマッチングを見せてくれました。
【2013.3.2 下里~紀伊浦神】(電車運転士)

_dsc18312_3 「くろしお」は列車を少しでも大きくしたいと思い、望遠で切り取ってみました。光線がいいので、「なつかしのくろしお」もここで撮ろうかと一瞬迷いましたが、後追いになってしまうというこだわりを捨て切れず、予定していたポイントに向かいました。
【2013.3.2 下里~紀伊浦神】(電車運転士)

_dsc18572_3 予定の場所は別荘地からの俯瞰ポイントです。考えることは皆さん同じらしく最終的には30人くらいが集結しました。ここは早朝から午前中にかけてが光線がいいのですが、列車は14時前の通過予定なので、側面に陽が当たるかどうかは微妙な感じでした。写真は1時間ちょっと前の「くろしお」ですが、この時点では側面に何とか陽が当たっていました。
【2013.3.2 紀伊田原~古座】(電車運転士)

_dsc13282_3

_dsc18962_4

_dsc13322_8 本命列車の時は残念ながら陽が反対側に回ってしまい、逆光状態となってしまいました。国鉄色が存在感があると言ってもこの状態ではちょっと厳しかったです。レンズをズーミングして3パターンのアングルで欲張ってみました。
【3枚とも 2013.3.2 紀伊田原~古座】(電車運転士)

_dsc19092 すぐに鵜殿以北に戻れば時間的に2088列車には十分間に合い、とんぼ返りで2088列車に転戦する同業者もいましたが、天気がいいのと紀伊田原まではなかなか来るチャンスがないので、2088列車は諦めて海鉄に徹することにしました。立ち位置を少し変えて逆光に光る海をバックに行く「オーシャンアロー」を縦構図で切り取ってみました。
【2013.3.2 紀伊田原~古座】(電車運転士)

_dsc19472_3 これまではここの海岸の俯瞰は別荘地からの定番アングルしか撮ったことがなかったので、違ったアングルから撮れないものかと国道沿いの切り通し斜面に登ってみました。広角で海原を大きく取り入れてみましたが、これはこれでまぁ納得ができたものの後方の半島から続く橋杭岩みたいな奇岩を入れるのにはちょっと苦しかったです。
【2013.3.2 紀伊田原~古座】(電車運転士)

_dsc19592_2

_dsc13392 先程の斜面は早々に切り上げ、いい加減しんどかったですが、別の斜面に登ってみたところ、背景の奇岩がちょうどいい具合に画面に納まってくれました。こんなことなら最初からここへ登ればよかったのですが、夕方の斜光線を浴びる「オーシャンアロー」で何とかイメージどおりの写真が撮れてよかったです。この後、帰路につきましたが、所要時間は約5時間、時間が遅かったのか幸いにも名物の東名阪夜の20キロ渋滞が解消した後だったのがせめてもの救いでした。
【2枚とも 2013.3.2 紀伊田原~古座】(電車運転士)

_dsc20302_2 オマケというわけではないですが、3日に行われた6600系のさよなら運転の画像をアップします。3日は前日の反動で外出禁止令を出されてしまいましたが、家族運用に影響がない朝の2時間だけということで、自宅から程近い矢田川の鉄橋に向かいました。写真は復路の列車です。往路はお決まりの踏切横の堤防にポジションを撮りましたが、ここに陣取っていた同業者は50人は超えていたと思われます。ここがこんなに激パになったのは初めて見ました。肝心の6600系は前日までのしょぼいシールとは打って変わって、お髭付きの派手な装飾に変わっていました。
【2013.3.3 矢田~守山自衛隊前】(電車運転士)

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2013年3月 2日 (土)

撮れるときに撮る

美濃太田のキハ48国鉄色車両、ユニットを組んだと思ったらまた解消されたりの繰り返し。気動車の性格上、仕方のないこととは分かっていても、なんだかやきもきさせられます。最近再びユニットが復活しましたが、当初の頃と比べて組成される割合が少なくなったように感じるのは気のせいでしょうか。
言うまでもなく、国鉄色車は1両単位で東海色車と組む混色編成に比べて、2両揃ったときの見栄えは断然違います。ようやく元に?戻った現在のユニットもやがてまた解消される時が訪れるでしょうから、今のうちにせめて1カットくらいは撮れるときに撮っておかないと、またまた後悔することになりかねません。

3月2日(土)の朝、坂祝カーブをインから狙うポイントにやって来ました。運用が順当に流れてくれることを願い、坂祝7:24発の下り4711Cを待ちます。通過時刻は日の出から約1時間後。太陽の高度はまだ低く、場所によっては線路が山や建物の影に覆われてしまう時間帯なので当該地点においても懸念されましたが要らぬ心配、東の方角は随分と開けていて、太陽は山や雲に遮られることもなく、しっかりと撮影地点を照らしています。バックに写る山の木々は3月と言えどもまだまだ枯れ枝。暖かくなり芽吹いてきた頃に訪れればいいのでしょうが、国鉄色ユニットがいつでも走っている保証もないので「撮れるときに撮っておく」教訓に従いました。通過時刻が近付くにつれて陽の明るさは徐々に増してきましたが、まだ若干弱そう。果たして国鉄色はどのくらい映えてくれるのでしょうか。

さて本番。予想どおり国鉄色ユニットの編成が朝日を浴びながらほぼ定刻で現れました。さて、気になる車体の映え具合は如何・・・、ほほぉ、太陽の角度も手伝ってなかなか鮮やか。さすが国鉄色ですね、やはりこうでなくては。

撮影を終え、空を見上げると西の方角は雲が多くとも、尾張平野はピーカン。うーん、どこかに出かけたい・・・しかし翌日は地元ネタに合わせて一日家を空けるつもりでいるので、きょうは大人しくじっと我慢していましょう。

Dsc_0013
ところで今回のユニットはいつまで持続されるのでしょうか?なんだかまたまたイヤな気配が・・・あ、独り言です。(出札掛)

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