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2012年12月

2012年12月31日 (月)

199.今年1年ありがとうございました 2012/12/31

 早いもので、あと半日で2012年も終わろうとしています。自分的には大きな病気・怪我がなく、鉄活動もそこそこにやって、何とか無事に過ごすことができました。HANABUSAに関しては諸先輩方に比べるとレアさは少ないかもしれませんが、新旧とも適度なペースでアップをしていきたいと思いますので、引き続きお付き合いいただければ幸いです。来る2013年が皆様方にとりまして、いい思い出がたくさん残せるような年になりますようお祈りいたします。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 アップした画像は1981年の冬、生まれて初めて渡道した際の自分的なベストショットです。「利尻」を南稚内で降り、利尻富士を期待して撮影ポイントを目指しました。実際の状況は晴れてはいたものの利尻富士のところだけは雲がかかり秀麗な姿は拝むことはできませんでした。夕方近くになっても状況は変わらず、今日はダメかと諦めかけていたところ、夕方になって急速に雲が切れ始め、夕焼けに浮かぶ利尻富士を目の当たりにすることができました。諦めずに待ったことへのご褒美と思い、緊張してシャッターを押した覚えがあります。列車通過直後から周囲には夜の帳が訪れ、原野の中を気持ちが折れそうになるのに耐えて南稚内までたどり着きました。

 スキャンのペースがやっとカラーポジの段階まで来ましたので、来年からは過去ネタもカラーでご紹介できるものが出てきそうです。

 それでは、皆様、よいお年をお迎えください。

【1981.2.20 抜海~南稚内】(電車運転士)

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2012年12月30日 (日)

198.1980年冬 東北周遊の旅 10号車(津軽鉄道)1980/3/10

 1980年冬の東北周遊の旅、まだまだ続きます。今回は津軽鉄道を2回にわたってご紹介します。花輪線の後は青森ステーションホテルを起点に2日連続で津軽鉄道を訪れました。青森ステーションホテルといえば青函連絡船の待合室ですが、クッション付きの長椅子が広いスペースに並んでおり、真冬でも程よく暖房が利いて、駅寝の条件としては最高の部類に入っていました(夜中に鉄道公安官の職務質問はありましたが…)。チェックアウト後は奥羽本線上りのの1番列車に乗り込み、青森→川部→五所川原経由で津軽鉄道入りしました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 青森からの1番列車に乗り継ぐと五所川原からの津軽鉄道の接続はダルマストーブが有名な客車列車でした。今でこそ、ストーブ列車は観光の目玉のひとつとなっていますが、この頃は客車の暖房手段として必要不可欠なもので、観光要素はまったくありませんでした。車掌が火加減を確認しながら石炭をくべる姿が見られたので、思わずシャッターを押していました。

【1980.3.10 オハ31車内】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 ストーブ列車には五所川原から大勢の高校生が乗車し、かなり混雑していましたが、2つ目の五農校前でほぼ全員が下車し、一転して車内は閑散ムードに変わりました。ひと仕事終えた車掌がダルマストーブのそばで地元乗客のオバサンと談笑していました。何とも長閑な光景です。

【1980.3.10 オハ31車内】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 乗車した客車列車は津軽中里から折り返してきますので、走りを撮ろうと嘉瀬で下車し、金木方向の田んぼが開けた地点でスタンバイしました。機関車の次位の客車は電車改造のナハフ1200で、その後にオハ31が続いています。写真ではわかりにくいですが、ダブルルーフの屋根上にダルマストーブの煙突が出ています。オハ31は廃車後1両が芦野公園で保存されていましたが、大規模な修復が行われ、2007(平成19)年から大宮の鉄道博物館入りしています。

【1980.3.10 嘉瀬~金木】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 嘉瀬~金木間は田んぼが広がり、晴れれば岩木山が望めるポイントですが、この日はドン曇りで岩木山はどこにあるのかもわからず、仕方なく広がりを意識したアングルで来る列車を撮っていました。寒々とした風景の中をキハ24000型が走って行きます。このところ新たな積雪がなかったのか中途半端な雪原風景となっており、ロケーション的にはイマイチでした。

【1980.3.10 嘉瀬~金木】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 天気も悪く、雪の状態もよくなかったので、走りの写真は早々に撤収し、嘉瀬に戻りました。乗り潰しも兼ねて津軽中里行の列車の到着を待ちました。昼間帯の中間駅にもかかわらず結構な数の乗降があり、活気に満ちた光景が見られました。冬場は道路事情が悪くなるため、津軽鉄道が住民の足として重宝されていたことを物語っています。

【1980.3.10 嘉瀬】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 終点の津軽中里に向かう前に金木で途中下車しました。金木は太宰治の斜陽館で有名で、沿線では最大の街で乗降も多く、ほぼ終日列車交換が行われ、タブレット交換もあったため、駅員が常駐していました。列車が到着すると待合室から一斉に乗客がホームに上がり、列車に乗り込んで行きます。ダイヤはほぼ終日40分ヘッドとなっており、この手のローカル私鉄としては破格のフリークェンシーが確保されていました。

【1980.3.10 金木】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 津軽といえば秋田と並んで美人の産地として有名?でしたが、待合室で寒さをしのいでいると年齢はおそらく30代後半から40代前半とお見受けしましたがが、自分の好みのタイプの女性が改札口を通って行きました。美人の産地と聴いていたものの、なかなか津軽美人にはお目にかかれないでいましたが、この女性を見て、やっぱり津軽は美人の産地だとひとり実感しました。

【1980.3.10 金木】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 天気が芳しくなかったのと寒さのため、スナップ的な写真ばかりではいけないと思い、気合を入れて外に出てみました。そんなタイミングを見計らったように急に雪が降り始め、体感温度も下がるばかりの状況になって来ました。国鉄から譲り受けたキハ11が金木駅に到着しました。よく見ると最後部にワムがくっついた混合列車でした。こんな編成なら走りを撮ればよかったと後悔しましたが、後の祭りでした。

【1980.3.10 金木】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 金木の駅撮りも程々に切り上げ、終点の津軽中里まで来ました。津軽中里を発車した列車を狙いましたが、この時だけは薄日が差してくれました。キハ24000型は当時の津軽鉄道の主力車両で、国鉄のキハ20に準じたものでしたが、こちらは1段窓となっており、オリジナリティーを主張していました。

【1980.3.10 深郷田~津軽中里】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 五所川原からの列車が到着しました。盲腸線の終点にもかかわらず結構な数の降車客がありました。ちょうど下校時間に差し掛かったため、防寒対策を固めたオバサンに混じって高校生が降りてきました。たまたま左の彼女と偶然目が合ってしまい、冷たい笑いと視線を投げ掛けられてしまいました。

【1980.3.10 津軽中里】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 ひととおり撮影を終え、五所川原に戻って来た時には夕方になっていました。折り返し津軽中里行となる列車に次々と乗客が乗り込んで行きます。頬かむりをした先頭のオバサンが北国の女性らしいいい味を出してくれました。翌日も津軽鉄道を撮るスケジュールとしていましたので、この後、今宵の宿となる青森ステーションホテルに戻りました。

【1980.3.10 津軽五所川原】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 青森まで戻って来たら強風とともに横殴りの雪が舞い、かなりの悪天候となっていました。奥羽本線からの普通客車列車が青森に到着したので、強風に震えながらもバルブで押さえておきました。外は悪天候でしたが、程よく暖房が利いたステーションホテルの中は別世界、翌日の天候に不安を抱きながらも速攻で爆睡状態になったのは言うまでもありません。

【1980.3.10 青森】(電車運転士)


●次の目的地 2日連続の津軽鉄道

●移動行程   青森ステーションホテル連泊→津軽鉄道


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良いお年を!

 今年1年、大変お世話になりました。ありがとうございました。

 さて、来年はどんな年になるでしょうか。


 鉄的には、紀勢貨物の終焉と117系、京阪3000系の引退あたりが当面の注目を集めるのでしょうか。セントラルライナーの運転終了(まだ写真を撮っていない!)などもありますね。


 来年もなにとぞ宜しくお願いします。


 画像は説明不要の夕景写真。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 さすがにこうした特徴ある車体はシルエット向きです。富士松~一ツ木間で撮影。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 西尾線の矢作川鉄橋は、冬には鉄橋の反対に日が落ちるので、何度か狙いに行っています。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 揖斐線の3連といえば、朝の列車、というイメージがありますが、昭和55年頃は夕方にも3連があったのですね。でも、豊年祭りとか、イベントの時には3連が走ったので、狙いに行くと言うほどの珍しさはありませんでした。今となってみれば、なんとも贅沢な話です。(駅長)

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2012年12月28日 (金)

年末パノラマフィーバー

12月の最終週にもなれば、仕事も一段落し、気分は早くも正月モードとなって浮かれ気分、となるはずなのに、そう簡単にはリラックスさせてくれないこの数年間。いやいや、大過なく1年終われるだけでもありがたいと感謝しなければいけませんね。


毎年末、1年最後の金曜日を迎えると、なぜか思い出すのが4年前の2008年12月26日(金)にあった出来事、名鉄パノラマカーの定期運行最終日です。

丸一日有給を取得するには仕事の都合でさすがに困難なので、出社前と退社後に当日のパノラマカーを追い求めました。ブログメンバーの皆様も思い思いに参戦されたことと思います。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

かつてはパノラマ重連運用列車で注目された平日の下り急行新鵜沼行771レ。パノラマカー運用が縮小されてからは豊橋方が5300/5700系に変更されました。犬山線で通勤している自分は、会社へ向かうときはこの列車と必ず何処かですれ違っていたので、いつでもシャッターチャンスがあったのに日常の風景と化していたせいか、たいしてカメラを向けていませんでした。そんなもんですね・・・。

この日は出勤前に少し寄り道して、7043Fを先頭にパノラマカー最後の771レを江南駅進入手前で撮影しました。【AM7:41】



「はなぶさ」に集まる仲間たち


仕事も終わり、さっそく上り最終運用の東岡崎行普通2090レを撮影するべく、まずは上小田井駅へ向かいました。充当車両は白帯の7011F。ストロボを使うつもりだったので後部車を撮影しましたが、展望席は大半が一般の方のようでした。撮影するにはそのほうが好都合ですが。【PM7:57】



「はなぶさ」に集まる仲間たち

通過待ちのため数分間停車する鳴海へ先回りするため、後続列車を乗り継いで追っかけ移動。そういえばその車中では折しも駅長様とお会いしたような・・・。

現地に先行し、やがて大勢のカメラマンが待つなか2090レが到着しました。反対側の線に列車が進入せずに被らないことは事前に確認済み。手ぶれ補正とミニ脚立に助けられて、どうにか撮影することが出来ましたが、なにしろ脚立の天板に立っているので足元がふらつく上に妙に興奮してカメラをきちんとホールドできず、同業者にも阻まれてこのカットが精一杯でした。

実は前日からこの構図を考えていたため、家を出るときからミニ脚立を小脇に抱えて通勤電車に乗り込みました。おかげで周りの目線がたいそう痛いこと・・・。【PM8:40】



「はなぶさ」に集まる仲間たち

最終定期列車の岩倉行2197レは名古屋駅で迎えることにしました。既に激パの先頭部は避けてここでも後部から撮影することを決めて立ち位置を確保しました。

いよいよフィナーレ。パノラマ最終列車に充てられた編成は7041F。左右のホームから大勢の人たちに見送られて、最終列車は満員の乗客を乗せて名古屋を後にしました。後続の犬山線急行列車で岩倉まで追いかけます。【PM9:52】



「はなぶさ」に集まる仲間たち


岩倉駅のホームは超激パ状態で撮影どころではありませんでした。岩倉止まりのパノラマカーは、もしかしたら車両留置のためこのまま布袋まで回送されるのではと思い、いったん降りた急行列車に再び飛び乗り布袋駅まで乗車することに。どうせ帰宅方向なのでちょうどいいです。待つこと10分、予想的中でした。【PM10:33】



「はなぶさ」に集まる仲間たち

先頭部ではちょっとした撮影会状態。ふだんは鉄道に興味のない人も、この日ばかりは記念的被写体にカメラを向けていました。【PM10:38】



「はなぶさ」に集まる仲間たち

やがて転線して留置線に置かれ、パノラマカー7041Fは最終日の全行程を無事成し遂げました。下りホーム周辺では相変わらず多くのファンがいつまでも見届けていました。そういえばこの構内風景も過去のものになってしまいましたね。【PM10:48】


自分のなかでは、かなりインパクトの強い年末の金曜日の夜でした。思い出は永遠に。(出札掛)



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【アーカイブス】1980年の甲種回送

 5月に名市交のN3000系の甲種回送の写真を載せたら、ある方から「え!甲種を撮るの?」というコメントが寄せられた。「甲種があるから、撮りに行こう」とまでは積極的ではないけれど、実は機会があればコソーリ甲種を撮影している。あまり撮っているように見えないのは、平日に運転する場合が多いので、かつてのように休んでまで撮りに行かないからなのだろう。


 前回は昭和51年12月の6000系の甲種をご紹介したが、今回は昭和55年5月の6000系5次車の甲種の様子をご紹介したい。

 この時は、東海道線から撮影に行くのではなく、名古屋臨海鉄道から撮影を始めたようだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 一見、どこかと思わせるような光景。当時は、大江川の堤防から、東レの工場をバックに撮影できた。現在は、手前に大江破砕工場ができたので、こうしたアングルでは撮影できなくなっている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 東港駅に着いた6000系。ここで機関車が付け替えられる。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 東港で折り返して、大江川を渡る。この時は、名電築港の踏切では撮影をしていないようだ。この場所は当時と変わっていないかな。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 名電築港で機関車を名鉄の電気機関車に取り替え、東名古屋港で折り返して、大江に到着する。この時は、デキ400+デキ600+6000系+デキ370の豪華な編成である。しかし、不思議なことに折り返しの東名古屋港では撮影していない。なぜかな?


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 その編成の後部に連結されたデキ370形。この後、大江の構内でも撮っていないのは不思議である。当時は、走りが中心だったためだろうか?


 今なら甲種にカメラの放列ができる時代であるが、当時は同業者が居たかどうか・・・いずれにしろ、のんびり撮影できたことは間違いない。(駅長)


 


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2012年12月25日 (火)

【アーカイブス】煙と何とかは・・・・

 昔の写真をスキャンしていると、当然のことながら、まったく撮影した記憶のない写真が次々と出てくる。ちょうど、今、1980年頃のポジをスキャンしているが、それらを見ていると、俯瞰写真が極めて多いことに気がついた。その頃、線路脇で編成写真はほとんど撮っていないのである。


 蒸機時代より、俯瞰写真は大好きなので、そうした写真が多くなることは間違いないが、それにしても多い。「煙と何とかは高いところに上りたがる」のたとえどおり、おそらく、沿線で上れそうなビルには、ほとんど上っているのだろう。そして、それらの写真のいくつかは、どこから撮影したのか、記憶がない。中には今は建物が無くなって、撮影できないところもありそうだ。

 さて、これら写真はどこで撮影しているのだろうか。


 まずは金山の中央線。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 このアングルは、あまり見た記憶がない。次のコマに現在の金山総合駅の堀割が写っているので、両側が撮影できたビルなのだろう。現在、飲み屋や下に眼鏡屋があるビルとは違うようだ。


 高架前の瀬戸線も色々な角度で撮影している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは高架化工事中の大曽根駅。今はオズモールとなっている大曽根商店街も見える。せっかくなら建物が解体する時ではなく、工事前に撮影すれば良かったのであるが・・・・。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは高架線の反対側。旧線がどのように走っていたか、これを見るとわかるだろう。現在は建物が建って、廃線跡を偲ぶことはできない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 名古屋本線に移り、これは中京競馬場をバックにしているので、前後の手前であろう。電柱も多く、何の目的でこのカットを撮ったのか、よくわからない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 こちらは秋の広見線。新広見と学校前の間である。ちょうど、稲刈りの季節で、良い雰囲気であることから、このシーズンだけでも2度、ここに撮影に訪れている。この写真を撮影した建物は今でもあるが、あえて場所は書かないでおこう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最後に名古屋本線の国府宮。はだか祭りの日に撮影をしているようだ。

 その時はさほど印象には残らず、ワンカット撮影しただけだが、今見ると、結構良いアングルで、もっと撮影しておけば良かったと反省する。


 しかし、ここまでいってしまうと、ちょっと行き過ぎである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 どこに電車が写っているのか、探して頂きたい。(^_^;)(駅長)



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2012年12月23日 (日)

大森・金城学院前駅界隈プチ通信

このたびJRグループから平成25年3月ダイヤ改正の概要が発表されました。

地元では117系が定期列車から引退することが明らかとなりましたが、それよりもこの記事に目を通すと(→ http://www.jrfu.net/index.php?id=24  )、ついに紀勢貨物の廃止が濃厚になってきたようですが、さて?


一方、これも数年後には姿を消す運命にある名鉄瀬戸線の赤い電車群。現在、瀬戸線に在籍する18編成のうち銀電が12編成を占めるまでになりました。それほど写欲はそそられないかもしれませんが、あまり騒がれない今のうちに瀬戸線を走る赤い電車の記録を書き留めておきたく思います。

と言っても、何かのきっかけがないと足を運ぶ気が起こらないのが本音ですが。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

12月某日、瀬戸線情報に詳しい某サイトを見ていたら、何やら数種類のPRマークが6000系に掲出されているよう。「なんだい、またかよ」・・・文句を言いつつも物見遊山で出かけてしまう懲りない私。

日曜日の朝なら交通量が少なく容易に車移動できるので(←電車使えよ!)、天気も良さそうだし適当にやっつけましょう、と16日の朝、光線状態も気にせずに大森・金城学院前駅の周辺でうろうろいたしました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

大森ー印場間にあるカーブは奇麗に4両編成を収められる、ということに今頃気付いた私。背景はちょいとうるさいですが、アウトから架線柱にかからずに編成と系統板を強調する撮影ができるのですね。勾配がゆるくかかっているのがポイント。

この地点から瀬戸方向を振り向くと↓。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


おぉっ、まだ紅葉が残っていたのかー(笑)。おそらく瀬戸線の線路端で見ることが出来る紅葉の中では随一のもの(なのかな?)。しかし、さすがに12月中旬ではかなり色褪せているので、あえて逆光で狙うことで紅葉色を少しは綺麗に見せられたのではないか、と自画自賛の私。

この日は、残り1編成となった6600系が朝から運行されていたので、運用をチェックして狙いました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


正面ドカンアングルは系統板の掲出を強調するには効果的な撮り方の一つです。カーブの多い瀬戸線ではこんなアングルを随所で狙えるので、特筆するほど珍しくもなく、おまけに半端な光線状態の写真をわざわざお見せするほどでもないと言いつつも、成果報告ということでつい載せてしまう私。お許しください。


ダイヤ改正の発表でJR系が気になる時期ですが、年々「赤電率」が少なくなっていく瀬戸線もどうぞお忘れなく・・・って、はなぶさメンバーの皆様にはやぶへびでしたね。(出札掛)

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2012年12月22日 (土)

【アーカイブス】名鉄の貨物列車(三河線、本線編)

 このところ、名鉄の電気機関車の活躍のシーンがブログを賑わしているが、本来の用途である貨物列車のシーンがない。ということで、貨物列車に活躍する姿をお目にかけたいと思う。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 まずは、山の中を走るシーン。おそらく、名鉄にかなり詳しい方でも、こうしたアングルはご覧になっていないと思う。確かに、このシーンを見ても、名鉄の沿線とは思えないだろう。

 場所を明かせば、枝下と三河御船の間である。枝下の南側では矢作川はあまり見えなかったと記憶するが、俯瞰で撮影したので、如何にも川沿いを走っているような感じになった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは先に100系でお見せした竹村と若林の間のカーブ。やはり貨物の方が絵になる。すべてのポジでこれくらいの色が出てくれるとハッピーなのだが。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 三河線の貨物は知立でスイッチバックとなるため、三河知立で後ろに機関車が付き、刈谷までの間はプッシュプルとなった。このシーンは好きで、何度か撮影に行っている。

 後部に連結した機関車は、三河知立での留置だったのか、名古屋本線の貨物を連結して1本に組成したものなのか、このあたりはもうひとつ記憶にない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これは三河知立と三河八橋の間。この列車も後部に機関車が付いているが、この区間は単機での牽引だったはず。猿投で検査を行うための回送だったのだろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最後に名古屋本線の貨物。パノラマカーが行き交う名古屋本線の知立信号所から美合まで、こんな貨物列車がのんびりと走っていた。今から考えると、ちょっと信じがたいような長閑な光景である。

 なお、タイトルに(三河線、本線編)と書いてあるが、他線区の貨物はストックが少ないので、お見せできるかどうか確約はできないので、あまり期待しないように。(駅長)









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198.1980年冬 東北周遊の旅 10号車(花輪線)1980/3/9

 1980年冬の東北周遊の旅も10号車まで来ました。蒸機時代は8620の活躍する線区として有名で、数々の名作を生んでいます。花輪線は岩手山が見えるかどうかが成否の鍵となりますが、生憎の曇り空の様相、とりあえず盛岡ステーションホテルをチェックアウト後、1番列車で花輪線を目指しました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この日最初の目的地は花輪線のハイライトとなる龍ヶ森(現安比高原)です。龍ヶ森のスキー場のてっぺんからは岩手山をバックに岩手松尾からの急勾配に挑む列車を俯瞰できます。天気はイマイチでしたが、せっかく来たのだからということで、とりあえずゲレンデの端っこをえっちらおっちらと登って行きました。銀箱と三脚を担いだ怪しい格好は、当然、違和感ありありで、スキーヤーの冷たい視線に耐えながらの鉄活動となりました。肝心の岩手山は高曇りだったということもあり、うっすらとその姿を見ることができました。急行「よねしろ」が周囲にエンジン音をこだまさせながらゆっくりとした足取りで眼下を通り過ぎて行きました。

【1980.3.9 岩手松尾~龍ヶ森】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 ゲレンデを引き上げ、龍ヶ森まで戻って来ました。龍ヶ森は営業扱いは行われていませんでしたが、花輪線はまだタブレット閉そくが残っていましたので、運転扱いの係員が常駐していました。列車が到着するとタブレットの交換とともに車掌が集札を行います。冬季は地元のスキー客の利用がそれなりにあり、駅構内で客車の廃車体がヒュッテとして活用されていました。

【1980.3.9 龍ヶ森】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 発車して行く列車を姿が見えなくなるまで律儀に駅員が見送ります。ワンマン化や無人化が進んでしまった今ではほとんど見られなくなってしまった光景です。現代の鉄道は便利になった半面、人と人との触れ合いとか温もりが感じられなくなって寂しい気がします。

【1980.3.9 龍ヶ森】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 地図を見ると場所を移動した湯瀬~八幡平に渓谷沿いの区間があり、それなりに撮影ができそうだったので、国道を歩いて行くと花輪線の鉄橋が見えるポイントがありました。ただ、アングル的にはちょっと苦しくて列車も1両しか見えませんが、ここで妥協してしまいました。花輪線はこの列車で撤収して乗り鉄に変身して大館方面に向かいました。

【1980.3.9 湯瀬~八幡平】(電車運転士)


●次の目的地  津軽鉄道

●移動行程    花輪線→大館→青森(青森ステーションホテル)→津軽鉄道


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2012年12月21日 (金)

名鉄モ3550形

駅長様のご要望に応え、モ3555を探してみました。


1981年の一時期、形式写真にこだわって、堀田に数時間?ステイして停車する車両をパチパチしておりました。その中から、モ3550形をピックアップ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

モ3555  1981年6月14日

この車は山側のカットしかありません。正面窓はサッシ化されていますが、ヘッダー下のRはないようです。サイドの窓配置d2D4D4D2(d)ですが、運転席直後の窓はRなし、その隣はR付、ドアを挟んだ戸袋窓はR付、次の2枚はRなし、その次はR付、中央ドアを挟んで戸袋窓を含む3枚はRなし、その次はR付、再びドアを挟んだ残り2枚はRなし、の様に見えます。なぜこのような不揃いなものになったのでしょうか?

撮ったときは全く意識していませんでしたが、まさにこういう違いを発見するために1両ずつ撮っていたはずですが(^o^;)。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

モ3551 1981年6月27日

トップナンバーです。正面は運転手側のみアルミ化されて不細工ですね。側面の窓は全てR付のようです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

モ3552  1981年7月4日

ほぼ3551と同様ですが、サッシ化されているのもかかわらず、正面非運転手側窓はR付が残ったようです。砲弾型のヘッドライトも3555まででしょうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

モ3557  1981年6月20日

正面はアルミ化されていますが、Rがあるようにも見えますが、判然としません。乗務員扉は未改造でしょうか。側面は全て角窓ですね。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

モ3558  1981年6月14日

正面は高運転台に改造されており、ヘッダー、シルも乗務員扉より前は撤去されています。この車は他の3550形と出自が異なるのか、連結側の扉以降が3連窓になっています。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

モ3559  1981年6月20日

正面窓はアルミ化されていないものの、角窓です。がバランスはとれています。側面はやはりすべて角窓です。しかし、両運時代の扉は残ったままです。


つまらないものを並べてしまい申し訳ありません。しかし、モ3555は発見でした!(検査掛)
















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2012年12月19日 (水)

大江の廃車体と廃車回送

最近1984年のスキャンをしており、駅長様の大江を発車するガチャの右側に写っていた7000系の廃車体を撮影しておりましたので、アップしたいと思います。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

1984年9月12日 大江

手前左がモ7064、右がモ7062、奥左がモ7163、右がモ7161と思われます。台車は廃車になる7000形→モ7100形→モ8800と転用されたはずです。番号も各種銘板もついたままでした。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

1984年9月25日 神宮前

7000系の廃車体を撮った約二週間後、AL4両の廃車回送がありました。編成はデキ602+モ3559+ク2559+モ3555+ク2555+デキ601(K9002レ)です。

細かくは見ておりませんが、台車はHLと振り替えられたのか、ブリルをはいており、パンタは撤去されていました。

ここでこれを撮影していたのは私だけでした。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

↑の列車が大江に向けて発車していきました。
神宮前の方向線別化直後で、旧名古屋本線の線路をめくった跡が生々しく残っています。


ガチャの太田川回送もそうですが、この頃このようなものに目を向けていた人は少なかったですねぇ。(検査掛)

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2012年12月17日 (月)

【アーカイブス】築港支線のガチャ

 名鉄の数ある路線の中で、もっとも異色な路線といえるのが大江から東名古屋港を結ぶ築港支線であろう。工場地帯にあり、通勤輸送を目的としていることから運行時間が限られていることが特徴で、朝夕しか列車が運転されない。


 この路線は、東名古屋港一帯の工業化にあわせて大正時代に路線が建設されたのが始まりで、名古屋臨海鉄道に路線を譲る前は六号地などの埋め立て地に路線を延ばしていた。(但し、路線の所有は愛知県)これら工場からの貨物は、名電築港、大江、神宮前経由で国鉄に継走された。それらの牽引には、電気機関車だけでなく、ディーゼル機関車やさらには蒸機まで使用されたようで、是非その頃に一度見てみたかったものである。


 こうした工場群の通勤客の輸送を担ったのが、この築港支線の旅客列車である。しかし、ラッシュしか走らないので、まともな車両が使われるわけではない。昭和30年代は、怪しげな客車を電気機関車がプッシュプルで牽引して運行していた、という。これら客車が運行する時に、連結器がガチャガチャいうことから、乗務員の間で築港支線の列車は「ガチャ」という愛称がつけられていたと聞く。


 最初にガチャを撮影した昭和50年代初は、3800形が2815をはさんだ3連で運行されていた。後に3800形は本線に転出してしまい、水害で廃止となった東濃鉄道から譲受した3790形が専用で使用された。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 もちろん、HSSTの試験線が建設される前なので、架線柱も切られていない。


 3790形の写真もさることながら、大江駅を発車する写真を見ると、留置線ができて構内が大改良される前だけに、なんとなく長閑な雰囲気が漂っている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 気になるのは、右側に留置されている7000系の廃車体である。撮影は昭和60年2月なので、8800系に機器を譲って廃車となった中間車であろうか。クーラーにカバーが付いているのは、この機器を瀬戸線に転用したためかもしれない。この頃は、こんな所で車体を解体したのだろうか。なぜか、この廃車体の写真は撮っていない。


 さて、お見せしたいのは、3790形ではなく、ましてや大江の写真ではなく、この写真。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 デキが3790形を牽引している写真である。もちろん、イベントや事故ではなく、通常の運行である。デキが電車を牽くのは新製車輌の回送を除けば名鉄では極めて珍しい。

 

 この写真のタネをばらすと、大江で留置されている3790形の回送風景である。3790形は月に1度、検査を行う時に検査場所の太田川まで回送されたが、その折りにデキも一緒に検査を行うためか、連結して一緒に回送されたのである。回送は、多分平日に行われていたので、通常勤務の会社員では撮影が難しい。さて、この時は、どうやって撮ったのだろうか、ちょっと記憶がない。


 こんな列車が走れば、今なら大パニックになるのは必定であるが、当時は撮る人すらいなかったのである。(駅長)


 






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2012年12月15日 (土)

“東海ライナー”時代

このタイトルを見てピンときた方、はい、今回のネタはそのとおりです。来春引退が公になったことですし。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

東海ライナーとは、国鉄名古屋鉄道管理局に117系がデビューした際、当時の東海道線名古屋口の快速列車に付けられた愛称ですね。その頃の117系の画像がないものかと振り返ってみたものの、常日頃から「いつでも撮れる」という思いがあったので、ついその油断から、お察しのとおりほとんど撮影しておりません。117系が東海ライナーに運用中のまともな画像は、辛うじてこの1カットのみでした。イラスト付き快速マークが懐かしいです。【1986.2.24】



「はなぶさ」に集まる仲間たち

117系を使用した団臨はあまり見かけません。これは「稲沢市民号」ですが、種別表示だけを見れば何かの多客臨かと思えるほど何の変哲もない列車。それでも今に思えばシャッターを切っておいてよかった、のかな~?【1986.8.3 9320M】



「はなぶさ」に集まる仲間たち

名古屋工場から出場した117系試運転を捉えました。当時は6両編成を3両ずつに分けて検査を受けていたのでしょうか。詳しくご存知の方に解説をいただけると幸甚です。この日はクモヤを挟んで165と113がお供するオモシロい編成でした。【1984.3.28 試8511M】

「はなぶさ」に集まる仲間たち

フリークエントサービスの向上を目的とした国鉄最後の86.11ダイヤ改正を前に、快速列車大増発に伴い短編成化を図るため先頭車を増備した際の新製回送列車です。4M6TCとは、なんとも珍しや。東海ライナーの愛称も、改正後はシティライナーに改められ、同時に6両から4両編成と身軽になり今日に至ります。【1986.10.27 回9103M】


ラストランまで3か月となりました。まだ撮り足りていない方、悔いのないようにがんばりましょう。(出札掛)

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2012年12月13日 (木)

【アーカイブス】瀬戸線栄町乗り入れの頃

 先に出札掛さんから、「祝ってくれない記念日」として、羽島新線が新線として意識されていない、という記事が載せられた。確かに、羽島新線は「新線」という意識がなく、竹鼻線の末端区間として認識されているためか、今年が開業30年という記念日がまったく忘れ去れてしまっている。


 今では信じがたい話であるが、この頃、名鉄は新線ラッシュであった。昭和53年8月の瀬戸線栄町乗り入れ、翌54年7月の豊田新線、さらに翌55年6月の知多新線内海開業と、矢継ぎ早に新線を開業していった。もちろん、この当時は鉄道の新線を建設すれば需要が付いてくる、との見通しの元に計画を進めたわけで、今から評価すれば、瀬戸線は◎、豊田線は○、知多新線は?、羽島新線は????ということで、功罪相半ばになってしまうだろう。しかし、それは結果から見ての評価であって、評論家としての視点であることは間違いない。


 その中で、これは誰が見ても◎の大成功、といえるのが瀬戸線の栄乗り入れだろう。それまで名古屋の都心部に到達せず、ローカル線の位置づけに甘んじていた瀬戸線が、一気に都市近郊路線として再生されたのである。期待の6両編成が具体化するまでには至らなかったが、4両編成の列車がこれだけ頻発運転される路線になるとは、当時は想像すらできなかった。

 

 なんせ、栄乗り入れの半年前には、こんな列車が堂々と急行で走っていたのである。(^_^;)


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 いまからみれば、「うっそぉー」という言葉が出てしまうかもしれない。しかし、これが昭和53年3月の瀬戸線の姿であった。ちなみに、この撮影場所は現在、印場駅になっている。


 瀬戸線は、この撮影の少し後に1500Vに昇圧され、近代的な車両が入線している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 同じ場所でも、車両が変わると、随分受けるイメージも変わる。しかし、この車両の廃車が噂されるということは、時間の流れを感ぜずにはいられない。(^_^;)


 同じ、現印場駅の写真をもう少し。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 600V車のさよなら列車である。大森から旭前までの区間、駅間が長いことは確かだが、ここに駅ができるとは夢にも思わなかった。


 その600V車さよなら列車のヘッドマーク大写し写真。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 同じ場所で、栄町乗り入れの記念列車の写真も撮影している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 当然ながら、この場所も現在は宅地化されている。 


 今ではこれも信じがたいが、栄町乗り入れではこんなバブリーな装飾車も運転された。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 花電車、のイメージである。

 この時には、3780形の記念電車も運転されている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 こういう記念電車を撮影するのは、ミーハー鉄ちゃんというご批判もあろうが、今となっては良い記録となっている。今後、こんな列車にフィーバー(言葉が古いか)する時代が来るのだろうか。(遠い目)


 ところで、これら写真は、すべてエクタクロームで撮影している。スキャン後にフォトショップでレベル調整するだけで、色の補正はほとんどしていない。それでこれだけの色が出るということは、極めて良い状態でポジが残っているわけだ。


 今にして思えば、エクタクロームは素晴らしいフィルムであったと思う。発色が良い上、退色もほとんどない。(エマルジョンの違いで、退色がないというわけではない)ちなみにこれら写真は、6000pix×4000pixの大きさで、画素数からいえばデジカメのフルサイズと同じ大きさ。しかも、すべて、とはいわないけれど(^_^;)、良い写真は等倍に拡大してもビクともしない。これは嬉しい。(^^)

 こうした場合、デジカメのフルサイズとスキャンしたデータと、実際にはどちらが絵としては綺麗なのだろう。ご存じの方があれば、お教え頂きたい。(駅長)


 

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2012年12月 9日 (日)

【アーカイブス】100系登場の頃

 この所、名鉄の古い写真をお見せしていないので、最近スキャンした中から、豊田線の100系が登場した頃の様子をご覧にいれよう。


 ご高承のように、100系は豊田線と地下鉄鶴舞線の直通運転を目的に製造されたが、その試運転は名古屋本線の国府宮と新木曽川の間で行われると共に、1978年末から慣らし運転を兼ねて、三河線の知立と猿投の間で運行を開始している。今にして思えば、三河線の知立方で運転されたのは、わずか半年ほどなので、レアものといえるかもしれない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これは名古屋本線での試運転。場所はお馴染みの国府宮と島氏永の間である。この頃は、田圃の真ん中に土建の置き場がなかったので、編成写真を撮るのに絶好の場所であった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは新木曽川と石刀の間。県道がオーバークロスする地点である。

 ここは現在も撮影できるだろうが、後ろに東海北陸道が入ってしまうはずだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 営業運転後で、当時、1時間に1本あった急行に使用されている。場所は、三河八橋と三河知立の間で、三河線の編成を撮るのに絶好の場所であった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち



 同じ場所の南側。この場所が現在、撮影できるかどうかは不詳であるが、バックには第2東名が入ってしまうはずである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 三河線の編成写真を撮るのに、もっとも気に入っていたのが若林と竹村の間の緩やかなカーブである。現在は、このあたりは宅地化しているはずである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これは竹村と土橋の間だろうか。高圧線が少々うるさい。


 100系の登場直後の写真というより、三河線の撮影地の思い出になってしまった。さて、これら撮影地は、現在、どうなっているのか。もう20年以上、しっかりと撮影に行っていないので、状況がよくわからないのが残念である。(駅長)


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2012年12月 8日 (土)

196.1980年冬 東北周遊の旅(越河越え) 1980/3/8

 五能線以来、一休みしていた東北周遊の旅を再開したいと思います。今回は東北本線の福島と宮城県境を越える峠、通称越河越えと呼ばれる区間です。ここは東北本線の交流電気機関車のパイオニアだったED71のおもな活躍舞台で、貨物列車は原則として重連で峠を越えていました。この頃になるとED71もそろそろ引退かという声も聴こえ始めていたため、手遅れにならないうちにと訪れたものだと記憶しています。ED71以外には「はつかり」・「やまびこ」・「ひばり」といった特急列車群のほか、455系の急行やED75も顔を見せ車両のバラエティーは豊富でした。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 福島からの下り始発列車を峠の入口にあたる藤田で降り、貝田方向に徒歩鉄を開始しました。途中でED75の客車列車がやって来ました。朝の通勤通学列車だったため、10両の長大編成で見応えがありました。写真の1000番代は本来はブルトレ用の機関車ですが、ローカル運用に就くこともあったようです。

【1980.3.8 藤田~貝田】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 とりあえず、線路端でお目当てのED71をゲットしました。ED71同士の重連かと思ったら後ろはED75でした。ED71は直流機のED60・61と同時期の車両ということもあり、色・搭載機器は別として外観・走り装置・台車などに多くの共通点があります。

【1980.3.8 藤田~貝田】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 貝田方向へ進むにつれ徐々に高度が上がって行きます。ちょっとした高台があったので、登ってみると安達太良山をバックに俯瞰することができました。ボンネットの「ひばり」が駆け抜けて行きました。奥に見える高架橋は工事中の東北新幹線です。

【1980.3.8 藤田~貝田】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 同じポジションから右にカメラを振ると峠を登って来る列車を撮ることができました。ED75の重連貨物列車が周囲にモーター音を響かせながら足元を通過して行きました。

【1980.3.8 藤田~貝田】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 高台を降りて再び線路端で列車を迎え討ちました。583系の「はつかり」です。腕が未熟で編成後部が切れてしまいましたが、サロ・サハシ込み13両の堂々とした編成です。

【1980.3.8 藤田~貝田】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 485系の「ひばり」です。ほぼ1時間ヘッドで運転されており、東北特急の中では一番ポピュラーな存在でした。ボンネットの比率も高かったのですが、自分が撮ろうとするとなかなか顔を見せてくれませんでした。待っている時に限って来るのは貫通タイプばかりで、この日もまともに撮れたのはこの1本だけでした。

【1980.3.8 藤田~貝田】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 455系の「まつしま」です。仙台発車時点では6両の身軽な編成ですが、郡山で喜多方からの「ばんだい」を併結して、堂々の12両編成で上野を目指します。急行は特急に比べて本数も少なく、脇役的で地味な存在でしたが、周遊券利用者にとっては貴重な移動手段でした。

【1980.3.8 藤田~貝田】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 「やまびこ」は所属区が仙台ではなかったため、「ひばり」とは逆に貫通タイプのみで、ボンネットが入ることはありませんでした。東北新幹線の愛称に昇格しましたが、最近では「はやて」が主流となり、だんだん存在感が薄れているのは少し寂しい気がします。

【1980.3.8 藤田~貝田】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

ED71は少ないながらも客車列車の運用もありました。当時でもさすがにこれはピンポイントで列車を狙わないとなかなか撮ることができませんでした。こうして見ると客車の先頭に立つ姿も結構様になっているなと感じました。

【1980.3.8 藤田~貝田】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 夕方近くになって、この日お目当てのED71同士の重連をまともに撮れていないことに気がつきました。次の貨物列車は運用どおりならED71の重連のはずだったので、変更がないことを祈りつつ列車を待ちました。思惑どおりの組み合わせで来てくれてホッとしました。荷が重たかったのか砂を撒きながらゆっくりと勾配を登って来ました。よく見ると前機は後期タイプの車両で、ED71といえば田の字に並んだエアフィルターが最大の特徴ですが、後期タイプはEF60のようにエアフィルターと明かり窓が1列に並んでいるので、ひと目で区別がつきました。

【1980.3.8 藤田~貝田】(電車運転士)


●次の目的地 花輪線

●移動行程   藤田→盛岡(盛岡ステーションホテル)→花輪線

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祝ってくれない記念日

あまりインパクトが強くないのか、増収対策にもならないのか、もしくは不都合な事情でもあるのか、ひょっとして誰も気づいていないのか、ともあれ、今年の12月11日は名鉄羽島新線が開通して30周年を迎える日です。


手元にある書物「鉄路風雪の百年(中部経済新聞社、刊)」によると、羽島新線の建設に至るまでには、モノレールで岐阜市内と岐阜羽島駅を結ぶ案や、近鉄養老線が大垣から羽島を経て岐阜市内に入り込もうという計画まで練られていたり、なかなか思いもよらぬ構想が持ち上がっていたようです。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

新羽島駅近くで撮った建設中の高架線。過去のフィルムに、なぜかこんなカットがありました。1979年夏のこと。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

記念列車の発車式を新岐阜駅で撮ろうとしたら、所々の判断を誤って、こんなカットが精一杯でした。<1982年12月11日、942レ>


開通当初は新岐阜から直通急行が運転されるなど、新線を優遇したダイヤが組まれていましたが、JR在来線がこれほどの勢いをつけてきた今日、岐阜市周辺から鉄道を乗り継いで新幹線を利用するなら、う~ん、やっぱり岐阜羽島より名古屋へ向かったほうが便利ですね。今となっては、羽島新線の延長元となっている竹鼻線を活性化させないと、せっかく建設した新幹線アクセス鉄道もやがては姿を消してしまわないかと心配です。


【2013年の主な記念日 名鉄関連 ざっくりと】

●小牧線ー地下鉄上飯田線相互直通10周年 3月27日

●犬山線ー地下鉄鶴舞線相互直通20周年 8月12日


しかし、記念イベントを催せば、いろんな輩が出没するんだろうな~(出札掛)

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2012年12月 7日 (金)

【アーカイブス】近江鉄道のED31

 近江鉄道には、ED14とともに5両のED31が活躍していた。装甲車のような外観の凸形電機で、大正12年に製造された元伊那電気鉄道のED31である。ED14が多賀からの原石列車を牽引したのに対して、ED31は軽量貨物が中心で、もっぱら鳥居本にある石油基地への原油輸送と、八日市線の貨物を担当していた。まれには、多賀線のビール列車を牽引することもあったが、2度しか見ていない。

 このように運行区間が限られていることから、ED31を撮影した回数は、ED14と比べると随分少ない。撮影したのは、もっぱら彦根と鳥居本の間で、八日市線は1回行っただけである。


 ED31の撮影地として、もっとも気に入っていたのは国道8号の脇から彦根を出た築堤を見下ろすアングルで、彦根城と琵琶湖がバックに入るという近江鉄道らしい写真が撮れた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 鳥居本からは、緩急車を1両だけ連結して米原まで運行した。編成が短くて絵にならないので、流し撮りで誤魔化している。貨物の最末期には、この運用はED14に代わっている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 彦根に戻ってきた原油列車。駅裏は、現在と違って長閑な雰囲気である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 八日市線には1度しか撮影に行かなかった。平坦線だったので、絵になりにくかったためだろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最後にED31のシルエット。どこの場所か、最初思い出せなかったが、どうやら夕方の多賀へのビール列車のようだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 独特の外観のED31が夕日にうまく浮き上がったので、印象的な写真になったと思う。先に書いたように、ED31がビール列車にはいるのはごく珍しいが、それを知っていてこう狙ったのか、あるいは偶然か、そのあたりはまったく記憶にない。(駅長)


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2012年12月 4日 (火)

鳩の特急-3(久々の玉砕編)

 いやー、やってしまったのである。(>_<)


 最近、撮影回数が少ないので、油断した、というべきなのだろう。考えが甘かった、というべきか。いずれにしろ、久々の玉砕である。ここで書くのはお恥ずかしい次第だが、これから撮影に行く方の参考になるかと思い、恥をしのんで記すことにしたい。


 以前、書いたように、12月2日には関西方面に行くことになっていた。所用があるのは午後から大津なので、午前中は時間がとれる。ここで京阪の旧3000系を狙おうと以前から考えていた。


 しかし、ここに思わぬ伏兵があった。何とこの日、旧3000系は京橋~七条間ノンストップの特急「洛楽」に使われることが予告されたのである。これは、一見、千載一遇のチャンスであるが、なまじ予告されたことから、沿線に多くの同業者が出没することが想定された。こちらは、そんな貴重な写真ではなく、単に綺麗な鳩の特急の姿が撮れればいい。逆にこんな列車として走ると多くの同業者が集結することで、撮影場所に制約が生じることが懸念された。


 事前にネットで撮影地を検討するが、なかなかこれは、と言った場所がない。後の用事を考えると、撮影はできれば京都方で行いたいので、出札掛さんが撮影された橋本の西側が候補となった。しかし、確認すると数人しか入れない、という。これでは場所の確保が難しい。

 さんざん悩んだ末、ホームなら三脚や脚立は制限を受ける筈だし、こちらは手持ちなので後ろから抜けばよい。名所の大和田はホームの反対側から撮るのでポジションは限られるが、もうひとつの名所である西三荘はカーブした京都行きのホームから撮影するのでポジションが多いとみて、西三荘に行くことにした。カメラもフルサイズではなく、普段は予備機ながら、望遠効果の高いAPS-Cの機材とする。これが如何に甘い考えであったか、現場に行って知ることになるが・・。


 京都から奈良線東福寺で京阪に乗換え、西三荘を目指す。必ずしも西三荘でとる必要はなく、どこか良いところがあれば、そこで撮ればいい。しかし、さすがに京阪カーブ式鉄道と呼ばれるだけあって、沿線はカーブだらけ。数少ない編成が抜ける踏切やホームの端にはすでに同業者が陣取っている。結局、どこも降りることができず、守口市まで乗ってしまう。途中、枚方では旧3000系が待機していたので、すぐ回送でやってくると予想された。そこで、後打ちとなるが、駅の京橋側で撮影することにした。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ここまでは良かった。うん、この角度なら何とかなりそうだ、と思ったのが運のつき。


 次の普通列車で西三荘へ戻るが、すでにホームには三脚が数段に並び、さらにその奥には脚立・・・・。撮影地ではなく、10分おきに電車が止まるホームである。京阪さんの懐の深さには驚く他はない。それがホームのほぼ半分の長さにわたり続いている。


 無理をすれば何とかなるかもしれなかったが、守口市の進入の方が、人も1人しか居なくて撮りやすそうだと判断した。そこで、次の普通で守口市に戻る。まずは、直前の特急を撮影。

 


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ここで天候がやや回復。先頭車に影がかかることに気がついた。しかし、いまさら場所を変えることはできない。まあ、手前に引けば、何とかなりそうだ。


 続いて中之島行きの急行が撮影しているホームから発車するはず・・・あれ、なかなか来ないな。お、やっときた。早く扉を閉めて・・・・その時、反対ホームで列車通過のアナウンスが(>_<)


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 いつまで経っても読みが甘い。やはり、計画の建て方が大甘だったのか。猛省である。


 京都方面へ戻りながら、帰りの列車の撮影地を探す。中書島で撮ることにして、ホームのうどん屋で腹ごしらえ。これも判断ミスであった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 その間に、同業者がやってきて、ベストポジションが撮られてしまったのである。さらに、直前になって撮影者が反対側ホームの先端に・・・・。そんなところではまともに撮れないのに・・・・またも涙、涙である。


 失意の中、三条で乗り換えて、浜大津に向かう。次の狙いは、京阪特急色に塗り替えられた600形。さて、運行しているかどうか・・・。


 待っている内に、地下鉄直通の800形がやってくる。折角、APS-Cのカメラを持ってきているので、300mmの構図で狙ってみる。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 あとで、モニターを見て気がついた。液晶が切れている・・・・(>_<)

 この角度なら、もっとシャッター速度を落として、全部を表示しなくてはいけないのに・・・・これは、不運というより、単なる未熟というべきなのだろうが。


 では、大津線の特急色は・・・・


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 待つことのできる最後の列車でやっと来てくれました。(^^)v

 しかも、普通色の600形とのすれ違い。まったくツキに見放された今回の撮影だったけれど、ようやく最後に溜飲を下げることができました。

 まあ、これが撮れたので、今回の目的は最低限、達することができた、としまましょう。


 それにしても、悔いが残るのは旧3000形。これは何としても、再履修をするしかありません。今度は万全の備えをして、撮影に行くしかない、のかな(^_^;) (駅長)





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2012年12月 2日 (日)

DD重連

 今年も早12月、寒くて日の短いこの季節は活動が鈍りがちになります。こんな中、愛知機関区DD51の国鉄色重連が動いているということで出動しました。はじめは近場でお手軽撮影だけで済ますつもりでしたが、周囲の同業者の会話を聞いているうちに欲が出てきてちょっとだけ遠征しましたので簡単にご報告いたします。

 先ず塩浜へ行きましたが、近くの橋には20~30人ぐらい集まっていました。自分もその一人ですが、こんなものにも人出があるのはネットの影響なのでしょうか。この後とりあえずここまで戻ってきて太陽と雲の位置を気にしながら待ちました。思いのほか反射がきつく、色がよくわからない状態になってしまいました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち




 駅停車時間中に先回りしてもう一発。時間切れで太陽は雲(山?)の中に消えましたが何とか撮影できました。今頃が一年で最も日没の早い時期です。いつまでこのコンビが続いてくれることやら・・・・


 


「はなぶさ」に集まる仲間たち

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2012年12月 1日 (土)

195.銀杏鉄2012(尾西線) 2012.12.1

 季節はもう師走、早いのもで今年もあと1ヶ月を残しだけとなりました。年をとるごとに本当に1年が過ぎるのが早く感じられます。この頃になるとこの時毎年中日新聞の1面に祖父江町の銀杏が見頃になっという記事が掲載されるのですが、今年はちっとも掲載がありませんでしたので、どうしたものかと様子を伺いに行ってみました。例年12月には銀杏の黄色い葉っぱは散ってしまって、残っているのは枝だけということが多いのですが、今年は黄葉が遅れていたようで、ギリギリ間に合ったっていう感じでした。活動を終え、家に帰ると夕刊の1面に黄金色に輝く銀杏の記事がちゃっかり載っていました。新聞の写真はヘリからの空撮ですが、これがまたカメラマンは鉄分が相当濃いのではないかと勘ぐってしまうほどのベストショット、この時期になると毎回自家用ヘリがほしいと思ってしまいます。いつもなら日の出とともに活動開始となりますが、朝起きたら空はしっかりと雲に覆われ、速攻で2度寝となりました。9時頃に目が覚めると平野部はバリ晴れの様相、当然のことながらスクランブル発進となりました。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

 まずは玉野~萩原の築堤へ向かいました。ここは午前中の順光ポイントです。銀杏の木がもう少し大きい木だとバランスがよくなりますが、こればっかりはどうしようもないですね。去年の3月のダイヤ改正で尾西線の森上~一宮~玉ノ井間がワンマン化された際に車両は金魚鉢タイプの6800系ばかりになってしまい、面白味はありません。

【2012.12.1 玉野~萩原】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 右側にもっと大きな銀杏の木があったので、サイドに回り込んでみました。本当はもっとカメラを右に振りたかったのですが、大きな御屋敷があってこれ以上は無理でした。

【2012.12.1 玉野~萩原】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 場所を移動し森上方面へ向かいました。たまには違ったアングルで撮ってみたいと思い試してみましたが、左の銀杏は葉っぱが散ってしまって骨だけになってしまっていたのが残念です。

【2012.12.1 山崎~玉野】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 森上の少し山崎寄りに来たらしっかりと葉っぱが残っている銀杏かあったので下から見上げてみました。この木は以前は枝がもっと線路寄りに張り出していましたが、枝が伸びすぎて台風の時に危険だということで数年前に伐採されてしまいました。一見変化がないように見える風景も毎年少しずつ変わっているのが実情です。

【2012.12.1 森上~山崎】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 前のポイントから山崎寄りに少し行ったところに大きな銀杏の木があったので、どう料理しようか試行錯誤しましたが、無理を承知で広角で思い切って銀杏を取り込んでみました。

【2012.12.1 森上~山崎】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 尾西線での撮影をひと通り終えて、帰路につきましたが、ダイヤを確認すると5885列車に間に合いそうだということがわかったため、急遽、予定を変更して高蔵寺のカーブに足を運んでみました。逆光で列車はつぶれ気味になってしまいましたが、背景の紅葉が逆光に光って思ったよりいい感じになりました。機関車も運よく国鉄色が先頭でした。

【2012.12.1 高蔵寺~定光寺】(電車運転士)

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