さて、熊本から広島に移動し、連夜の宴会の最終日である。
この日は、撮影旅行としては極めて珍しく、夜明けより後に起きて、朝食を摂るべく、朝8時にホテルの最上階にあるレストランに向かった。今日は9時半に千田車庫に集合なので、9時過ぎにホテルを出発すればいい。ゆっくり朝食を食べる予定である。
普段、撮影旅行中の陽のある内は忙しく動き回っている人間が、どうしたのかといぶかしく思われる方もあるだろうが、当然、こうした行動をとるには目的がある。それは、この写真をホテルのレストランから撮ることが目的だったからだ。
手前に原爆ドーム、そして太田川に架かる相生橋を渡る広電のシンボル、5000形コンビーノ!まさに、これぞ広電、という写真が撮れるのが平和大橋の横にある某ホテル最上階のレストランなのである。それが狙いで、広島に行く時はこのホテルを常宿にしており、今回はたぶん3回目の宿泊である。何時も泊まるチェーン店のホテルから見れば若干割高ではあるものの、このシーンが撮れるなら、なんら文句はない。
1時間にわたり、朝食を兼ねた撮影を楽しんだ後、ホテルをチェックアウトして、集合場所の千田車庫に向かう。ここから、もう1両の被爆電車、652で西広島(己斐)に移動する。ここで本日、最初のサプライズがある。ここから、日本の路面電車史に残る画期的な車両、軽快電車3500形に乗車するのである。
軽快電車とは、欧米で進められていた路面電車の近代化を日本でも具現化すべく、高性能の路面電車車両、すわなちLRVをつくろう、というプロジェクトで1980年に登場した次世代型路面電車である。広島電鉄向け3500形1編成と長崎電軌向け2000形2両が製造され、試験ののち、営業運転に供された。
この車両が日本の路面電車に与えた功績を書き始めると長文になってしまうので割愛するが、軽快電車の大きな問題は試作車故、営業運転に供される機会が少なかったことである。特に広電の3500形はそれが顕著であった。こうしたことから、3500形に乗るまでに数年、かかってしまった記憶がある。
さらに最近では、高性能車や低床車が増備されたことで出番がますます無くなり、数年前に故障になったことをきっかけとして運行を停止していた。それを今回はこの貸し切り運行のため?に修理し、運転をしてくれたのである。
動く機会が少ない車両故、走行シーンも撮影したいが、乗車してクロスシートや1モーター2軸駆動の乗り心地も楽しみたい。ということで、撮影を犠牲にして乗り鉄を楽しむことにした。そこで、走行シーンを撮影したのは回送でやってくる時の西広島到着シーンだけである。
類型的な走行写真ではなく、西広島への到着の後追いシーンであるが、この駅のシンボルである大屋根と一緒に撮れ、雰囲気も良いのでまずは満足である。
ここから3500形の乗り心地を楽しみ、広電宮島で折り返して商工センターにある荒手車庫に到着する。ここで次のサプライズが用意されていた。
それは2000形に始まる広電の宮島線直通車の勢揃いである。これも昨日の江波車庫に続いて、幹事の方々の準備の成果である。まさに、感謝、感謝である。
この中でも珍しいのは、車籍こそ残っているものの、運行から外れて久しい2000形連結車で、すでに自力走行ができなくなっているものをわざわざ並べてくれたらしい。このように広電を特徴づける連接車、連結車がずらりと並ぶのは壮観である。
5001コンビーノを後ろに下げて、3500形の形式を撮影する。同一行動はここまでで、解散となる。
夕方に数人の仲間で再度、お好み焼きを食べに行くことを約束して、宮島口に戻る。目的は、鉄ではなく、宮島に渡って名物のあなご丼を食べることにあった。しかし、宮島までわざわざ船で渡ったものの、3連休に加え、大河ドラマ放映の影響か、すさまじい数の観光客で、どこの食堂も長蛇の列である。あまり列のない店に入ったものの、味はもうひとつで、満足度は低かった。天気が良いのに鉄ちゃんをしなかったので、その報いかもしれない。(^^;)
コンビーノ5000形に続いて、日本で低床台車を開発して製造された5100形は、補助金などの関係で宮島線では1本だけの運行である。宮島に渡る前に宮島口の駅で確認しているので、まもなく戻るだろうと到着時間を確認すると、40分ほど後でやってくることがわかる。そこで、海をバックに撮影できる阿品東の定番の場所で撮影することにする。
この場所を訪れるのは数年ぶりであるが、思いの外、国道脇の街路樹が伸びて、撮りづらくなってしまっていた。もう少し線路寄りに近づいて、広角気味で撮ったほうが良かったかもしれない。
続いて、広電廿日市で降りて、まもなく消えるという木造駅舎を撮影する。
宮島線が鉄道線であった頃の名残であるが、いまだ駅舎が残っているのには気が付かなかった。模型にでもしたくなるような良い雰囲気である。
ここを最後に撮影を終了し、ホテルで荷物をピックアップして友人の行きつけのお好み焼き屋のある土橋に向かう。新幹線の時間まで仲間内で後夜祭である。しっかり飲んで語らい、広電で駅に向かい、万一寝過ごしても良いよう、広島始発名古屋行きの新幹線で名古屋に帰ってきた。もちろん、広島を出発後は爆睡したので、名古屋まであっと言うまである。
飛行機と新幹線を使った久々の国内鉄の遠出であったが、全国の多くの仲間と久々に会えて楽しかった。今年中に、もう一度こうした仲間の集まる機会があるし、それ以外にも東京や大阪に行く機会がある。天候次第であるが、可能ならその機会に、千葉県のローカル線や近鉄の工場公開、京阪3000系の撮影などに行ければと考えている。久々に国内の鉄に励む秋になりそうだ。(駅長)
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