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2012年9月

2012年9月29日 (土)

1978年の吾妻線

2週間前に駅長様、電車運転士様とともに上越線に遠征しましたが、その帰路、やがて湖の底になるであろう吾妻線の川原湯温泉・長野原草津口間を撮影してきました。

私が吾妻線を初めて訪れたのは1978年の早春3月、まさに同線が新性能化される直前のことでした。そもそも私が鉄道趣味の中でも、いわゆる「撮り鉄」に、そして中でも旧型国電に傾倒していくきっかけになったのが、この吾妻線撮影行と言っても過言ではありません。


この頃の記録をどこに仕舞い込んでいるのか、ちょっとわかりませんので、かすかな記憶を辿っていきます。

早朝の高崎線に乗り、上尾に住んでいた1年上の先輩と合流して、渋川を目指します。記憶では、この時点で新前橋区の40系、70系(両毛、吾妻、信越(横川まで)用)がどれだけ残っているのか、全く把握していなかったと思われます。それなら何故、吾妻線を目指したのか、今は記憶の闇の中です。(写真はいずれも同年3月13日撮影)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

渋川に向かう車窓から、群馬総社の側線に疎開しているクモハ60+モハ70+クハ55+クモハ60の姿を見つけ、不時の途中下車をしました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

最初に目指したのは日本一短いトンネルとして有名な樽沢トンネル(岩原・川原湯温泉間)です。編成は渋川よりにサロ75を3扉化したクハ77を連結した70系4両です。この日、走行を撮っているのはこの編成のみのようです。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

長野原(現 長野原草津口)の留置線に停泊中の70系です。この編成は両端がクハ76のきれいな編成ですが、走っている写真はありません。

写真一番手前が、渋川方面へ延びる本線ですが、現在はカーブの延長上に付け替え用のコンクリート橋が架かっています。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

長野原・群馬大津間の白砂川橋梁を渡る70系。並んでいる橋は、1971年4月末に廃止された太子への線路跡で、木々が高くなって見辛くなっているようですが今も残っているようです。


吾妻線へはこれ以降訪れることなく、9月22日が再訪です。

この日は、なぜか当然走っている165系の写真を1枚も撮っていません。これまた後悔しきりです。(検査掛)

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『いもむし』没後10年

名鉄のHPに掲載された「完全引退10周年 なつかしのいもむし3400系乗車券および~」を目にして、へぇっ、もうそんなに年月が経つのかと感じるきょうこのごろ。


遡ること19年前の1993年4月、『いもむし』こと3400系がエバーグリーン賞を受賞したことを記念して、車体塗装が登場時のグリーン系色に戻されました。そのお披露目として4月3日に受賞記念列車の運転が東岡崎を中心に行われましたが、自分も、リニューアルされた『いもむし』の晴れ舞台を一目見ようと、東岡崎駅で催される発車式に向かいました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

発車式を行う記念列車は上り本宿行30レ。下りホームから撮影するには記念列車の姿はロクに見えないし、上りホームでテープカットを真正面から狙おうとしても、どうせ一般客は立ち入りが制限されるだろうと思って選んだのが上↑の場所。車に積んであった脚立を取り出し、最大限に活用して撮ったカットです。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


2002年夏に広見線~各務原線で運行された『いもむし』さよなら運転の最終日の最終下り列車を善師野ー西可児で狙いました。装着された記念マークは運転日ごとに配色が異なるという手の込みよう。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

さよなら運転の全行程を終え、犬山検車区に入庫する『いもむし』。これが自分にとって3400系最後のカットになりました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


おまけ・・・4両編成時代、偶然出会った850系『なまず』との流線形重連のシーンです。1985年の師走、臨急「ユーロ赤倉」を撮りに名古屋へ向かう電車に乗車中この重連編成とすれ違い、おっ、この列車はやがて折り返して名古屋へ戻ってくる運用だ、と先回りして撮影しました。ちなみに「ユーロ~」も同じ場所から撮影して一石二鳥の収穫。1985年12月28日撮影。


さすがに3400系同士の重連は見たことがありません。もともとそんな運用なんて存在しませんでしたっけ?(出札掛)

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2012年9月28日 (金)

【アーカイブス】近江鉄道のDL

 近江鉄道の機関車といえば、古典電機のED14やED31を思い浮かべる方が多いだろう。これに対して、ディーゼル機関車が居たことは、あまり知られていないのではないだろうか。貨車の入れ換え用に使われる小型のDLではない。専用線では貨物列車を牽引できる本格的なDLである。


 電化私鉄でありながらDLを導入したのは、昭和48年に操業を始めた麒麟麦酒滋賀工場への貨物輸送が目的である。この専用線は、多賀駅でスイッチバックするような形で彦根方に伸び、途中から南に曲がっていた。


 ここの貨物輸送用に近江鉄道には3両のDLが在籍した。まず、昭和48年に小名浜臨港鉄道(現在の福島臨海鉄道)からDD451形451を譲受したのが始まりで、昭和53年には新日鐵八幡から製鉄所の入れ換えDLであるDD35形D340を増備している。さらに昭和56年には、国鉄のDD13104が入線した。

 これらDLは、貨物輸送の廃止により昭和63年に休車となるが、車体自体はその後20年あまり後の平成16年まで車庫の片隅に留め置かれていたという。


 筆者が多賀で、これらDLを見たのは、昭和52~53年頃である。どうやらちょうど新日鐵八幡からD340形が入った頃のようだ。

 これらDLは産業機であるので、経歴も外観もさほど面白いわけではない。しかもこれら機関車が動いていたのは、たぶん平日だけで、動いていた場所も多賀線の終点であることから、現役時代の活躍シーンを見た方はあまり多くないのではないか、と思われる。

 ちょっと珍しい近江鉄道のDLをご紹介したい。


 まずは、DL導入のきっかけとなった近江鉄道の麒麟麦酒滋賀工場行き貨物列車。ED14がワム80000を最大20両牽引した。おそらく私鉄の貨物列車の中でも、もっとも長い貨物列車のひとつだろう。この眺めは壮観である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この貨物列車は、多賀駅でDD451に付け替えが行われた。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 麒麟麦酒への専用線を走るDD451。道路が併走しているが、ゆるやかなカーブで撮りやすかった。とはいえ、当時はDLにあまり関心がなかったためか、撮影回数はほとんどない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 DD35形D340も撮影している。撮影時期を見ると、入線直後のようだ。DD451の検査予備として譲受したのかもしれない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 麒麟麦酒専用線から多賀駅に戻ってきたD340。このD340はあまり印象がなく、また写しているのはこの時だけなので、使われたのはごく限られた時だけだったのかもしれない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 個人的には、こうしたDLにあまり興味がないので、スキャンをしていて、撮影以来、30数年ぶりにこうした写真があったことを思い出した。それもスキャンの功績のひとつなのかな。(駅長)
 

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2012年9月27日 (木)

55年前の今日の出来事

新作がないので、今日見た週刊○潮からの話題をひとつ。

それによると、55年前の今日、1957年9月27日ひとつの記録が生まれたそうです。それは小田急3000系SE車が、当時の狭軌最高速度となる145km/hを東海道本線 函南・三島間で記録した日ということでした。

東京に住んでいたとはいえ、子供の頃、箱根に遊びに行くなどというのはお金持ちの話で、たとえ箱根に行くことになってもロマンスカーに乗るなど夢のまた夢で、遠い存在でした。


そんなわけで、私が撮った3000系から2点。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

1983年10月29日  駿河小山・足柄  2713M

115系を撮りに行った御殿場線で間合いに撮ったものです。この季節なら富士山も冠雪しているでしょうに、なぜか富士山とのコラボは撮っていません。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

1984年8月29日  福用・大和田  5003レ
この日は清水港線で使用されていたスハフ42 2両とオハ47 1両が大井川鉄道に譲渡のための甲種車両輸送があり、その間合いに大井川鉄道を撮りにここを訪れ、たまたまSSE車が来たものです。

動態保存的な意味合いで1983年4月に入線したものの、如何せん供給過剰でわずか4年余りで運用から外れ、1992年に廃車になってしまい、この1カットのみに終わってしまいました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

1982年12月13日  根府川・真鶴  試9001M

最後は7000系の東海道本線走行試験です。3000系が東海道本線高速度試験をした25年後、歴史は繰り返す(そんな大袈裟な(^O^))というわけでもないでしょうが、再び小田急車が東海道本線で走行試験に供されました。6日間実施されたので撮影に行かれたメンバーの方も見えたと思います。


狭軌最高速度はその後、1960年にクモヤ93000に書き替えられることになりましたが、2度に渡り小田急車が国鉄線を走ったことは忘れえぬ記録です。(検査掛)



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2012年9月26日 (水)

182.1980年冬 東北周遊の旅 5号車(奥中山+大湊・大畑線)1980/3/2

 盛岡からの1番列車で奥中山に向かいました。御堂~奥中山間の峠越えは蒸機時代は3重連で名を馳せた有名撮影地で数々の名作を生んでおり、一度は訪れてみたいポイントでした。盛岡以北は優等列車の数は少なくなりますが、奥中山越えの貨物列車はED75の重連が基本で、好ましい被写体となっていました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 奥中山で下車、まずは定番カーブに向かいました。「十和田5号」を狙いましたが、編成を読み違えたため、列車の後部が切れてしまいました。

【1980.3.2 御堂~奥中山】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 仙台~青森間の都市間急行だった「くりこま」です。455系6両という身軽な編成でしたが、当時は最も表定速度の高い「急行」としてその韋駄天ぶりは特急にも引けを取らないものでした。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 本命のED75重連貨物列車です。モーターの唸りを山間に響かせながらゆっくりとした足取りで峠に挑みます。蒸機から電機に世代交代が行われたとはいえ、東北本線の難所には変わりありませんでした。

【1980.3.2 御堂~奥中山】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 青森からの「はつかり」が坂を駆け下りてきました。「はつかり」は583系と485系で運転されていましたが、自分としては重厚感のある583系の方が好みでした。

【1980.3.2 御堂~奥中山】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 東北本線は北の物流の大動脈だけあって貨物列車は頻繁にやって来ました。アングルを変えてインカーブで狙ってみました。

【1980.3.2 御堂~奥中山】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 止んでいた雪が再び降ってきました。ED75は長町機関区所属機を中心にヒサシ付きの機関車がおり、1本くらいは撮りたいと思っていましたが、結局この日はモノにすることはできませんでした。

【1980.3.2 御堂~奥中山】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 奥中山の御堂寄りにある跨線橋で客車列車を待ちました。ここも蒸機時代からの有名ポイントです。ED75の後に続く客車は50系で、徐々にではありますが近代化が進んでいることを実感させられました。

【1980.3.2 御堂~奥中山】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 奥中山越えは昼過ぎで切り上げ、大湊・大畑線の乗り潰しに向かいました。野辺地から大湊行きに乗りましたが、窓から首を出すとローカルらしい雰囲気に出会えましたので、思わずシャッターを押してしまいました。

【1980.3.2 北野辺地】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 終点の大湊です。大湊は海上自衛隊の基地がある関係で、寂れた雰囲気はなく予想以上に大きな町でした。恐山をバックにキハ22が停車中です。

【1980.3.2 大湊】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 夕暮れ迫る大畑です。この年の5年後の1985(昭和60)年に下北交通大畑線として再スタートを切りましたが、これも長続きはせず、2001(平成13)年3月31限りで廃止となってしまいました。現在は「大畑線キハ85動態保存会」の手により、大畑駅構内で動態保存活動が続けられています。

【1980.3.2 大畑】


 この日の夜は下北YH泊りで、久しぶりに布団で足を伸ばして寝ることができました。


●次の目的地 南部縦貫鉄道

●移動行程   下北→南部縦貫鉄道→下北(下北YH連泊)

  ※3月3日の南部縦貫鉄道はお見せできるような写真がありませんでしたので、割愛させていただきます。こんなことな    ら無理して南部縦貫鉄道には行かずに大湊線の有戸~吹越あたりで鉄をすればよかったと後悔です。


●その次の目的地 田沢湖線乗り潰し・角館線

●移動行程     下北→野辺地→盛岡→田沢湖線→角館線

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2012年9月25日 (火)

【アーカイブス】さようなら、大名古屋ビルヂング

 名古屋駅前に偉容をもってそびえ立つ「大名古屋ビルヂング」が、今月末にその役目を終えて解体の運びとなる。名古屋駅を降りて、正面に見えるこのビルは名古屋駅前のシンボルであると共に、名古屋における三菱グループの総本山として、個人的にも公私ともにさまざまな思い出がある。それだけに、このビルが無くなることにはちょっとした感慨を覚えざるをえない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 このビルで面白いのは、通常は控えめなビル名が屋上に大きく掲げられており、また、その名称も「「大」名古屋ビル「ヂ」ング」という普段は使われない言葉が使われていることである。こうしたことから、名古屋の田舎性の象徴のように言われることも少なくなかった。筆者も、どこかの週刊誌で、そのように書かれていて、思わず失笑した記憶がある。ここのメンバーの方ならとうにご承知のことと思うが、「ビルヂング」は三菱地所のビルの呼称で、必ずしも名古屋だけのものではない。また、「大」の字は、名古屋地区の発展を願ってつけられたものという。


 さて、この大名古屋ビル、駅前にいるといやがおうでも目に入ってくる。ということは、名古屋駅前で写真を撮るとどうやっても画面に入ってしまうわけで、このため駅前で撮影した名古屋市電の写真には、少なからぬ写真にこのビルが電車の後ろに入ってしまっているのである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは昭和44年に撮影した大名古屋ビルヂングの形式写真。(^^;)

 森永製菓と三菱カラーテレビの大きな広告塔が懐かしい。この写真には写っていないが、この頃、この右手には名古屋城が見られた。 


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、名古屋駅側から駅前のロータリーと大名古屋ビルを眺めたところ。ロータリーには噴水と青年の像があった。これが現在のモニュメントに変わったのは、89年の世界デザイン博の時であったと思う。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 森永製菓の地球儀のような広告塔は、夜には浮かび上がって、印象的な眺めとなった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 名古屋駅前の電停に到着する2000形。駅前で市電を撮影すると、好むと好まざるとに関わらず、どうやってもこのビルが入ってしまう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 名古屋駅前のロータリーを行き交う花電車と2000形。この写真の撮影時には無かった松坂屋名古屋駅前店のビルはすでになく、中央郵便局のビルもない。反対側を見れば、豊田ビルと毎日ビルも無くなってしまっている。大名古屋ビルが無くなると、駅前で残るのは東洋ビルと名鉄百貨店のふたつだけになってしまう。


 いずれ、それらも建て替えられることになるのだろうが、なじみある風景が消えていくのはなんともさびしいものである。(駅長)


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2012年9月23日 (日)

シンドい体にムチ打って

このところ、どうも体のコンディションが不調です。暑さ疲れと仕事上の相次ぐトラブルが重なり、気分的に重たい日々が続いたせいでしょうか。単なるバイオリズムだけの問題と思っておりますが、せっかく電車運転士様が企画された群馬のSL2列車撮影ツアーも、何かがあるといけないので今回は大事を取って遠慮するほどの疲労感。

そんなとき、春と秋の月末にツートン色編成で運転されている快速「熊野古道伊勢路」について良からぬ噂・・・。どうやら今シーズンの9月を最後に、以降は計画されない、とか??

たとえ事実であれ、ツートン色車が消滅するわけではないので無理に出かける必要もないのに、こんな時でもないと紀勢線まで遠征するきっかけが作れません。シンドい体にムチを打ちつつも、事故でも起こすといけないので、午後から下り坂に向かう天気予報に合わせて夕方までには帰宅できるように、9月22日深夜発の伊勢方面撮影行を急遽企てました。(電車運転士様、このネタがあるからSLツアーをお断りしたわけではありません)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

紀勢線を訪れたらまず狙うのは、定番ターゲットの貨物2089レ。たいていなら三瀬谷以南の各有名ポイントを目指すところですが、今回は参宮線の宮川鉄橋で快速「熊野古道伊勢路」の送り込み回送を撮ろうと考えていたので、あまり南下しなくても撮影できる場所はないだろうかとネットで事前に探ってみたら、佐奈ー栃原で撮影された画像を見つけました。前面展望動画サイトで場所を特定し、ともあれ車を進めることに。撮影地近くのコンビニまでたどり着き、駐車場で仮眠して早朝に目覚めると、あまり良くない空模様・・・。天気予報の嘘つきーっ!あまり引きがなく特筆するほどの場所でもないですが、晴れていれば朝日が車体側面に輝き、イイ感じで撮れそうです。今回は雑草のせいで立ち位置が制約されたためこの位置からの撮影になりましたが、ほんの少し移動すれば山間部を表現できるポイントもあり、天気のいい時に再チャレンジしようかな、とこの地を後にしました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


2089レと川添で交換する322Dはキハ40系の5両という長大?編成です。前日までの目撃情報から推測すると、この日は同列車の真ん中にツートン色が入るはず。参宮線に向かう前に多気の鉄橋に寄り道して同列車を迎え撃ちました(脚立使用)。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

続いて、念願?だった宮川鉄橋でのツートン色撮影に挑みます。薄雲が広がる空模様が幸いして、逆光も気にすることもなく薄日を受けながらツートン色が鉄橋を渡るシーンを写すことが出来ました。川下からの撮影は伊勢の山々がバックに写り込むものの、線路のすぐ背後には道路橋が架けられているため、その処理が課題となります。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


快速「熊野古道伊勢路」の本運転を写すべく栃原ー川添の築堤カーブ“馬鹿曲踏切”を目指したら、なんとアプローチの道は通行止め!え~、どうすればいいのだ、と思いついた策が佐奈ー栃原のアウトカーブで再びトライ。今度は光線状態もGOODなので、立ち位置を少し移動して早朝とは異なるアングルで当該列車を待ちます。雲の合間から時々陽が差す程度にまで天候が回復し、その一瞬の晴れ間に合わせたかのようにツートン色が現れました。因みにヘッドマークのデザインは前後とも秋バージョン。昨秋は片面が春バージョンだったのですが、このときはどのような意図があったのでしょうか?(参考 http://ameblo.jp/b1hanabusa/entry-11096476780.html  )



「はなぶさ」に集まる仲間たち

ツートン色の撮影後は伊勢志摩スカイラインからの大俯瞰に挑もうと思っていましたが、青空があまり広がっていないのでいさぎよく断念して、予備プランで考えていた三岐鉄道の貨物に矛先を変えました。そういえば撮影目的で北勢地区を訪れるのは何年ぶりか。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


三岐線の定番撮影地へも寄ってみました。稲穂も色づき、収穫真っ只中の時期を迎えています。撮影した列車はミニ編成の502レ。長閑な風景ですね~。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


丹生川鉄橋の近くに蕎麦の花が咲いているのを某ブログで知り、光線状態は良くないことを承知で足を運びました。そこそこ咲き誇っていましたが、画面上ではキャプションを付けないとわかりづらいかもしれません。


天気も下り坂になるようだし、体調の事も考え、今回はここでお開きとしました。少しは気分転換を図れたかな・・・。

やれやれ、安定した体調を保つには、『鉄分』は大事です。栄養ドリンクやウコンよりもよく効きますね~。(出札掛)


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181.上越線の蒸機2往復運転+吾妻線 2012/9/22

 9月22日は上越線でD51+12系客車とC61+旧客の組み合わせで蒸機列車が2往復運転されました。せっかくのチャンスなので、自分と駅長様・検査掛様の3名で参戦してきました。昨年6月に上越線を訪れた時は「あけぼの」を神保原~新町で撮ろうということと高速1,000円がまだ使えるということがあって、中央道→長野道→上信越道→関越道のルートで現地入りしました。今回は高速1000円サービスは終了し、その恩恵にあずかれないことから、高速は上田・菅平ICで降り、上田から嬬恋に抜けて吾妻線沿いを走って沼田に抜けるというルートを選択しました。

 撮影ポイントはD51は上牧~水上、C61は沼田~後閑を予定していました。上牧のちょっと先のSカーブに場所を確保し、沼田~後閑のポイントを偵察に行ったところ、草が伸び放題の状態となっており、足回りが半分くらい隠れてしまうため、撮影は断念、結局C61も同じポイントで撮ることにしました。場所を確保したのが6時00分、D51の通過が11時45分頃、C61の通過は13時45分頃ということで、延々8時間も同じポイントに居座ることになりました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 蒸機を待っている間はやって来る列車を撮影して時間を潰します。この日は祝日の土曜日でしたが、午前中の下り貨物列車は運転2本とも運転でした。機関車はEH200ばかりになってしまいましたが、2本目の貨物列車は運よく試作機の901号機が先頭でした。EH200は名古屋近辺ではお目にかかることはできないので、新鮮な感じがします。

【2012.9.22 上牧~水上】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 ローカル列車は115系と107系の2種類です。115系もあれよあれよと淘汰が進み、湘南色のオリジナル115系が普通に見られるのは高崎地区だけとなってしまいました。近い将来にはその姿は見られなくなると思われますので、後で後悔しないようにシャッターだけは押しておきました。

【2012.9.22 上牧~水上】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 1本目のD51です。先週、信越本線で運転されたD51+旧客+C61のPP運転はHMが付かなかったので、淡い期待を抱いていたところ、期待どおりHMは装着はなし、煙も上越線にしては予想以上の爆煙で、6時間待った苦労が報われました。ただ、これだけの煙が出るとは予想していなかったため、煙の上の方が画面からはみ出してしまったのがちょっとだけ残念です。

【2012.9.22 上牧~水上】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 一応、カメラ2台体制で縦構図も準備していました。編成後部が切れてしまうのはやむを得ないとしても、こちらの煙は上方が切れることなくバランスよく画面に納まってくれました。

【2012.9.22 上牧~水上】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 このポイントは両面打ちが可能でした。貨物列車はどのみち編成が途中で切れてしまうため、緑をバックに縦構図で狙ってみました。ここで上りのD51も一応撮ってみましたが、予想どおりの完璧なスカだったので、今回は割愛しました。

【2012.9.22 上牧~水上】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 遠くに汽笛の音が聴こえ、D51が予想以上の好結果だったため、否が応でもC61にも期待が高まります。カーブの先から姿を見せるとHMはなし、煙もいい状態だったので、後は置きピンの位置でシャッターを押すだけ、緊張は最高潮に達します。ところが、ボッボッボッボッボッボッボ~~~といきなり危険を知らせる短急汽笛が吹鳴され、何と、シャッター切り位置の直前で非常停止してしまいました。

【2012.9.22 上牧~水上】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 停車後の様子です。乗客が何事かと窓から首を出して様子を窺っています。原因は誰かが走行中に客車のドアを開けたとかいう話が現地で囁かれていましたが、本当のところはよくわかりません。この状態で15分ほど停車しました。

【2012.9.22 上牧~水上】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 安全確認終了後、ブレーキの緩解音が聴こえ、汽笛一声、ドレインを切っていよいよ再スタートです。上り勾配上での引き出しのため、最大限のパワーが必要となり、煙も高くまっすぐに上がるだろうと周囲の同業者の誰もが期待していました。ところが、ブラストの音はするものの煙はまったくの無煙状態、C61が近づくにつれて「煙はまだか!」と気持ちは焦り、必死にズーミングしましたが、結果はこのままの状態で眼前を通過して行きました。通過後、後ろを振り向くといい感じで爆煙が上がっていました。「何のために遠路はるばるここまで来たのやら…」、腹立たしさを通り越して後に残ったのは脱力感・空虚感だけ、あまりのショックにしばらく言葉も出ませんでした。もう少し手前に停まってくれれば発車後の爆煙、シャッター切り位置を過ぎてから停まってくれればD51同様のシーンをゲットできたはずということを考えると悔やんでも悔やみきれません。それにしても、こんなことが現実に起こるとは夢にも思いませんでした。個人的には実は昨年C61を撮った時は致命的な失敗をしてしまい、今回はそのリベンジの意味もあったのですが、リベンジ達成直前でこのような結果になってしまいました。C61はまた来年、大きな宿題として残ってしまいました。


 気を取り直して(しばらくは取り直す気力もなかったのが実情ですが…)帰路につきましたが、吾妻線に沿ったルートを通るため、ちょっとだけ途中下車しました。吾妻線は民主党政権が誕生した直後に工事継続か中止かで注目を浴びた八ッ場ダム建設により一部区間がダム湖に水没するため、線路の付け替えが予定されています。道路も同様に付け替えが行われますが、すでに一部が完成しており、その道路から水没区間を俯瞰できるポイントが新たに出現しています。代表的なのが不動大橋という高い橋からの俯瞰で、両方向の撮影が可能です。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 「リゾートやまどり」を使用した臨時特急です。不動大橋から下流側を俯瞰しました。蒸機との掛け持ちなのでどうしようもありませんが、光線状態は昼頃がいいようです。

【2012.9.22 川原湯温泉~長野原草津口】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

上流側はこんな感じで俯瞰できます。吾妻川の流れも入り、風景的にはこちらの方がよかったです。予想外に突然185系がやって来ました。時刻表には載っていなかった列車でしたが、「草津3号」からの折り返し回送だったみたいです。185系は撮れない予定だったので、ラッキーでした。

【2012.9.22 川原湯温泉~長野原草津口】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 吾妻線は115系の活躍舞台のひとつです。今は当たり前の風景ですが、115系の引退が決まると同業者で賑わうことになるんでしょうね。

【2012.9.22 川原湯温泉~長野原草津口】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 立ち位置を変えて下流側を再度撮ってみました。長閑な田舎の風景が広がっています。この風景は近い将来ダム湖の底に沈んでしまう運命にあり、今だけの限定アングルです。115系かと思ったらやって来たのは107系でした。勉強不足で107系の運用範囲に吾妻線が入っていることは知らなかったので、一瞬アレッて感じでした。

【2012.9.22 川原湯温泉~長野原草津口】(電車運転士)

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2012年9月18日 (火)

180.1980年 東北周遊の旅 4号車(磐越西線非電化区間)1980/3/1

 青森から乗った「津軽2号」を未明の郡山で降り、上野からの夜行「ばんだい11号」を捕まえ、磐越西線の非電化区間に向かいました。今ではC57180の「ばんえつ物語」で常に注目を浴びていますが、当時は客貨ともDD51牽引の列車が中心の地味な路線でした。今でこそ、磐越西線の非電化区間は俯瞰を中心とするさまざまなポイントが開拓されていますが、そんなことは当時は知る由もなく、阿賀野川と磐越西線の組み合わせが手軽に狙える徳沢~豊実をメインの撮影地として訪問しました。




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 会津若松から普通列車に乗り継ぎ、徳沢で下車しました。自分が乗った列車の続行でDD51の貨物列車が来るということで、これを撮ってから撮影ポイントに向かうことにしました。駅長が見送る中、助士がタブレットを投げ込みます。左側の「タシカニ」(列車扱いの際に確認する順番を注意喚起する標記で、タブレット・信号・旅客・荷物の略)の文字はタブレット閉そく区間では一般的に見られた標記でした。


【1980.3.1 徳沢】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 貨物列車を撮影後、撮影ポイントを探しながら豊実方面に徒歩鉄を開始しました。途中で上りの客車列車が来る時間となったので、後追いのトラス橋の中というあまりよくない条件でしたが、とりあえず1枚押さえておきました。


【1980.3.1 徳沢~豊実】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 さらに進むと阿賀野川の川縁に降りることができるポイントがあったので、DD51の貨物列車を待ちました。微妙に風が吹いていましたが、水鏡も何とか見れる状態を維持してくれました。


【1980.3.1 徳沢~豊実】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち


 少し戻って対岸に渡り、線路を見下ろせるポイントに移動しました。メインのアングルは振り返った反対側から撮る上り列車でしたが、下り列車も撮れないことはありませんでした。DD51の客車列車が静かに通り過ぎて行きました。


【1980.3.1 徳沢~豊実】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この区間は豪雪地帯らしくあちこちにスノーシェッドが点在していました。非電化区間の優等列車である「あがの」をスノーシェッド飛び出しで狙ってみました。静寂な風景の中にキハのエンジン音がこだましていました。


【1980.3.1 徳沢~豊実】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 再び来た道に戻り、豊実方面に向かいました。この短い鉄橋は道路から手軽に狙えるこの区間の定番ポイントです。当時でも新緑・紅葉の時期には多くの同業者が集まったようです。静かな山間の雰囲気を期待しましたが、直前になって雪が降り始め、視界が悪くなってしまいました。


【1980.3.1 徳沢~豊実】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 雪は止む気配を見せずに降り続きました。何故かもう一度「あがの」を撮ったポイントに戻り、気動車のローカル列車を撮っています。先頭は少数派のキハ23、しかもオレンジツートンでした。この時期はタラコ色への塗り替えの過渡期で、オレンジツートンが貴重になりつつありました。


【1980.3.1 徳沢~豊実】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 天候は雪から霙に変わり、服はずぶ濡れ、体感温度も寒くなってきたので、早々に撤収して徳沢に戻りました。この日は高校の卒業式だったようで、卒業証書と花束を抱えた高校生が列車に乗り込んできました。春からはそれぞれの新しい生活が待っていることでしょうから、彼女たちにとってはこれが最後の列車通学になったんでしょうね。


【1980.3.1 徳沢】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 郡山まで戻り、下りの「八甲田」を待ちました。その間、磐越西線の客車列車がED77の重連で発車待ちだったので、思わずバルブしてしまいました。


【1980.3.1 郡山】(電車運転士)




●次の目的地  奥中山越え+大湊線・大畑線


●移動行程    郡山→「八甲田」→盛岡→奥中山→野辺地→大湊線・大畑線



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2012年9月17日 (月)

頭を垂れるころ

夏の日差しを存分に浴びて育った稲穂がいよいよ黄色く実り、頭を垂れ始め、やがて刈り入れの季節を迎えます。今回は、そんな実りの秋を撮ってみようと名鉄広見線の末端区間を訪れました。目的地はお決まりの明智ー顔戸間。辺り一面が黄色く染まった秋色の風景を刈り取りに、早朝から車を進めました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

目的地へ向かう前に、稲の実り具合ををうかがうため善師野付近に寄り道しました。移動中ふと目に入ってきたのは、朝日が線路を照らし山中には朝霧が立ち込め、日中とは違った趣きの光景。陽が低いうちは余分なものが写り込まず列車がより引き立つので、どんな雰囲気になるのだろうかとカメラを取り出して列車の通過を待ちます。折しも現れたのは5000系。普段は撮影を拒みたくなる銀電でも、こんなときは強力なギラリ効果を得られるのでありがたいです。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

善師野近辺の稲はまだまだ育ち盛り。穂が朝露に濡れて輝いていました。画面上ではきちんと再現できているでしょうか。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


明智ー顔戸間は昔から変わらない撮影地です。一部に木製架線柱が残り、それほど目障りな障害物もなく、編成写真、風景写真何でもござれ。現地に着いてしばらくすると、2両編成の6000系初期型が朝日を受けてやって来ました。最近の車両と比べて奇をてらうことのない基本的なデザインをした電車が昔ながらの風景の中を走るシーンには、安堵感をおぼえます。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


周辺を見渡すと、すでに稲刈りを終えたところや、まだまだ色付いていないところもあって、区画ごとに状況が異なります。青空の下、黄色と緑に彩られたじゅうたんの上を行く2両の赤い電車。なんてフォトジェニックな風景。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

収穫された後のハザ掛けを一区画にだけ見かけました。この風物詩も徐々に見られなくなってきましたね。


最新鋭の車両や沿線に立ち並ぶ近代的建造物などは、ここでは一切目にせず、昔からの懐かしい「鉄道のある風景」が展開されます。各地でローカル線の廃止や旧型車両の淘汰が相次ぐ中、この区間もやがて貴重な撮影地になっていくのかもしれません。
ところが後ろを振り返ると、バイパスやインターチェンジもあり、コンビニなどの店舗がひしめき合っています。どうか線路近くまでは侵食して来ませんように。(2012/09/16撮影 出札掛)

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2012年9月14日 (金)

【アーカイブス】知られざる明治の客車

 明治村で、運行を休止していた京都市電と蒸機が明日から復活するという。

一昨年、検査という名目で運転を休止した時には、もはや動くことはないのではないか、と危惧したが、運転が再開されるというのはなんとも嬉しい話である。今後、運行を継続するには、さまざまな障害があるかと思われるが、ぜひとも歴史的な資産として、永続的な運行を望みたいと思う。


 ところで明治村には、保存を目的として入手したものの、諸般の事情から保存が見送られた車両が何両か、存在した。それらの1部は、車両そのものの保存は見送られたが、台車が保存されている。


 明治村の京都市電と蒸機復活(蒸機復活の日はまだ未定だが)を記念して、明治村に保存されることなく解体された、幻の車両を紹介しよう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この客車は、手前が留萌鉄道ホハフ2854、後ろが同じ留萌鉄道ホハニ201で、前車は明治42年製、後車は明治35年製である。いずれも日本鉄道が自社工場で製造した客車で、現在の東北本線を走っていた。撮影場所は、大江駅の構内である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 こちらは、明治35年生のホハニ201。但し、車体は相当改造されている。この台車はイギリスのリーズ・フォージュ社製のもので、その後、明治村で保管、展示されている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これが、その車内。明治のままなのか、改造されているのか、そのあたりはよくわからない。


 ところで、車両史に詳しい方ならば、明治村にもう1台の台車が保存されていることをご存じであろう。明治32年に九州鉄道向けに製造された客車で、最後は大分交通耶馬渓線で使用されたホハ1が履いていた九州鉄道型台車である。


 その車両は、こんな外観であった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 こちらは、先の留萌の客車とは異なり、岐阜工場の片隅に置かれていた。岐阜工場にはもう1両、ハフ26もあった。こちらも元九州鉄道の客車である。2軸単車であるが、台車は外されている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 しかし、これらの車両を実際に見た方は少ないはずだ。これら車両はいずれもが、ずーっとシートがかぶせられていて、外からはどんな車両かわからなかっらである。


 この写真が撮影できたのは、車両を解体することになり、シートを外した、という情報を聞いたからである。いずれの写真も、昭和54年8月6日に撮影している。これら車両のこうした写真を見ることがほとんどないところをみると、シートがはずされたのは解体までのごく短期間だったかもしれない。

 その意味では、貴重な記録なのだろうか。(駅長)


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2012年9月12日 (水)

179.1980年冬 東北周遊の旅 3号車(東北本線と南部縦貫鉄道+津軽線) 1980/2/29

 3号車では再び野辺地へ戻って来ました。ワイド周遊券のなせる技で、北と南を1日おきに往復すると宿代のの節約と撮影効率の向上の一石二鳥となります。まあ、若くて体力があった頃のことですが…。


 1号車で野辺地からの移動中の車内で東北本線との並行区間の東側に俯瞰できそうな丘が見えたため、天気がよければトライしてみたいと思っていました。郡山から乗車した「八甲田」を野辺地で降りると、バリ晴れの予感、迷わず目をつけておいた丘に向かいました。




「はなぶさ」に集まる仲間たち




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 予想以上の積雪に苦労しながらも東北本線と南部縦貫鉄道の線路を望むことができるポイントにたどり着くことができました。背後の雪山は八甲田連山でしょうか? 南部縦貫鉄道のレールバスが築堤上をゆっくりと進んで行きました。


【1980.2.29 野辺地~西千曳】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 カメラを右に振ると違った雰囲気でレールバスを捕えることができました。


【1980.2.29 野辺地~西千曳】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ED75の客車列車です。編成が6両と短かったため、画面の中にうまく納まってくれました。


【1980.2.29 千曳~野辺地】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 続いて、ED75の「ゆうづる」がやって来ました。当時の牽引機はED75オンリーでHMの装着もなかったことから注目度は低かったように思います。東北の電化幹線はD75の独壇場で、もういいやって感じでしたが、この時から30年ちょっと、ED75も今では風前の灯になってしまいました。


【1980.2.29 千曳~野辺地】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 このあたりでは東北本線と南部縦貫鉄道は線路が並行しているため、ひょっとしたら出会いがあるのではと淡い期待を持っていました。東北本線はそれなりに本数がありましたが、南部縦貫鉄道の本数は限られており、出会いは無理だろうなと諦めていたところ、レールバスが野辺地を発車した頃に左の方からED75のコンテナ列車の音が聴こえました。祈るような気持ちでその瞬間を待っていたところ、ほぼベストのタイミングで一瞬の邂逅を捕えることができました。


【1980.2.29 千曳~野辺地~西千曳】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この時の東北の旅ではある程度乗り鉄も考慮していたため、野辺地の丘は早々に撤収し、津軽線の三厩を目指しました。三厩に到着すると下校の高校生が降りてきました。


【1980.2.29 三厩】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 高校生の一団が降りた後、行商帰りのオバサンが「よっこいしょっ」と荷物を担いでゆっくりと降りてきました。おそらく青森からの帰りだと思いますが、荷物は魚介類の売上で購入した野菜・果物類だったのではないでしょうか。


【1980.2.29 三厩】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 もともと津軽線は乗り潰しだけの予定でしたので、事前の情報収集はほとんど行っていませんでした。三厩に到着するのと入れ違いに発車するDE10の貨物列車が停車中でした。津軽線の貨物列車はノーマークで、こんなことなら途中下車して走りを撮ればよかったと後悔です。


【1980.2.29 三厩】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 三厩での短い滞在時間の後、折り返しの列車で青森まで戻りました。駅長が律儀に列車を見送ってくれました。


【1980.2.29 三厩】(電車運転士)




●次の目的地  磐越西線非電化区間


●移動行程    青森→「津軽2号」→郡山→「ばんだい11号」→会津若松→磐越西線非電化区間






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2012年9月10日 (月)

【アーカイブス】阪急京都線特急

 京阪、近鉄と在阪私鉄をご紹介してきたので、次は阪急を紹介したい。阪急といえば、中でも最も魅力的なのが、クロスシートの専用車でJRに競争を挑みながらガンガン走る京都線の特急である。


 阪急京都線では、国鉄に対抗するためもあってか、2扉で扉が両端に寄ったクロスシートの特急専用車を新造し、四条大宮から十三までノンストップで高速運行を行い、その洗練されたイメージは数ある私鉄特急の中でも格別の存在であった。この頃、すでに国鉄の新快速は運転していたものの、まだ元急行型車両を使用しており、デラックスさでは阪急に軍配が上がっていた。


 阪急京都線の特急を撮影に行ったのは、昭和52年。ちょうど、2800系で運行してきた特急が6300系に変わる時である・・・・と、ここまで書いて、今の京都線の特急が何型で運行しているのか、まったく知らないことに気がついた。確か、6300系は特急から外れて観光特急の「京トレイン」になったはず。じゃあ、今は何系だったっけ・・・・もう、2扉ではなかったはずだし。お恥ずかしい次第である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 で、目的としていた2800系の特急である。ポジを見てみると、すでに3扉化された車両や6300系の特急も写っているので、ちょうど置き換えの過渡期だったのだろう。この2800系の特急、両側に特急表示をしていて、なかなか格好が良かった記憶がある。これは京都近くの西京極での撮影。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 続いて、梅田間近の3複線区間の中間にある中津での撮影。

 阪急で難しいのは、車体色の再現である。ちょっと色のバランスが悪くなると茶色や紫になってしまって独特の深みが出てこないし、車体色を暗めに出そうと思うと、全体が潰れてしまう。特に暗部が潰れやすいコダクロームでは、色の再現は至難の業である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この3複線区間では、毎時1本(2本だったかもしれない)、3線の同時発車が見られた。京都線の特急、宝塚線の急行、神戸線の特急である。その様子を何とか撮れないかと十三でカメラを構えてみたが、ほとんど逆光になってしまい、うまく撮れなかった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 後追いとなるが、中津でも併走風景を狙っている。とはいえ、こればかりは運次第で、なかなかうまく撮れない。


 最後にこの頃、まだ走っていた阪急最初のカルダン駆動車1100系。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ちょうど、ゾロ目の1111がやってきてくれた。ラッキーである。


 ちなみに現在の京都線の特急は9300系で運行されているそうです。もちろん3扉。

 JR新快速の躍進もあって、阪急特急の役割が大阪~京都間の2地点間輸送から茨木や高槻など中間駅への輸送にシフトしてきているので、3扉車両が特急で運行されるのもやむをえないのだろう。でも、2扉クロスシートの特急が無停車でガンガン走っていたこの頃がちょっと懐かしく思える。(駅長)


 


 


 

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2012年9月 9日 (日)

あくまでも“ついで”ですが何か?

9月の第一週目は、現場に入って機器関係の設置や移設に立ち会う業務が多い一週間でした。←あ、仕事の話です、念のため。


現場へ赴くときは通常の業務エリアから離れた地まで足を運ぶことが多いので、そんなときはせっかくだからとカバンにカメラを忍ばせて、仕事のついでに何かを撮れたらいいかな、と面白そうな被写体が現れるのを密かに期待しながら撮影に仕事に励みました。



【岐阜県大垣市赤坂】

9月某日〈赤口〉 この日の現場は大垣市の赤坂町内で、集合時刻は9:30。美濃赤坂駅からほど近いところなので、仕事前に何か被写体はないだろうかと手元の資料を覗くと、9:14に発車する赤坂石灰貨物5780レが見られそう。少し早めに現地入りして町内を車で走っていると、西濃鉄道線の踏切が鳴り出し、5780レに継承される貨物が工場(乙女坂駅)から引き出されてきました。

急いで車を美濃赤坂駅南端の踏切に移動させると、今まさに西濃鉄道のカマ・DD40が貨車を切り離して入換を行うところ。5780レを担うEF64(この日はEF66の代走運用らしい)との2ショットを辛うじて撮ることができました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち




たまには視点を変えて、車止め側から5780レの後追いを狙いました。時間的には電話での打ち合わせが多くなるころ。このときもケータイで会話しながら片手でシャッターを切っていました。

商談よりも撮影のほうが大事だって??


「はなぶさ」に集まる仲間たち


★成果 西濃鉄道DD40が動いているシーンを初めて見た!



【愛知県新城市】

9月某日〈先勝〉 今回は新城市内で、現場はJR新城駅から5分程度の距離。移動中のリスクや費用対効果を考え、今回はJR線を利用して出かけることにしました。

集合は13時。ところが悲しいかな、ローカル線の性。この時間にちょうど良く到着する列車がないので、遅刻しないように新城駅に着いたら40分もの手持無沙汰。じっとしていても仕方ないので線路に沿って歩き始めると、踏切の向こうに参道、鳥居、そして神社が見えました。ちょうど踏切道の先に参道があたかも一直線でつながっているよう。神社参詣者の便宜を図ってこのようなレイアウトになったのでしょうか。ちなみにここは富永神社です。撮影後は参拝も。


「はなぶさ」に集まる仲間たち




その踏切のそばには、灯篭(常夜灯)と碑が祀られていました。灯には「町内安全」と書かれています。記事にするほどの内容ではありませんが、徒歩鉄徒歩仕事だからこそ発見できたネタですね。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


★成果 車に乗っていたら気付かないようなプチネタ、お粗末様。



【愛知県一宮市木曽川町】

9月某日〈先負〉 久しぶりのすがすがしい青空の朝。この日の現場である岐阜市の忠節橋近辺に向かう前に時間的に余裕があったので、木曽川の撮影地に寄り道しました。定番ポイントとはいえ、架線柱の付け替えがまだ終わっていないためすっきりした写真が撮れないので、それが目立たないように広角気味で澄んだ青空を強調してみました。車体が小さく写ってもわかるように、真白い塗装が存在感を示してくれる117系を待ちました。あとは稲刈りの時期が待ち遠しいです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


★成果 特になし(笑)


いつでもこんな事をしているわけではありませんから・・・くれぐれもsweat01 (出札掛)

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2012年9月 8日 (土)

178.1980年冬 東北周遊の旅 2号車(磐越西線電化区間)1980/2/28

 郡山で「津軽4号」から磐越西線の普通列車に乗り換え、磐梯町に向かいました。磐越西線の電化区間は専用機関車のED77、上野直通の「あいづ」・「ばんだい」、仙台~新潟間の「あがの」などの優等列車のほか、専用機関車のED77牽引の客車列車と貨物列車があり、車両のバラエティが豊富でした。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 磐梯町で降りた理由は、ある鉄道雑誌に載っていた磐梯ゴールドラインという有料道路からの俯瞰に挑戦したかったからです。延々と歩き続けてゴールドラインをひたすら登って行きましたが、冬季閉鎖のため途中から除雪がされておらず、苦しいラッセルを強いられました。俯瞰ポイントにたどり着いてしばらくすると磐梯町方面から延々と続く上り勾配を上野行の「あいづ」が登ってきました。

【1980.2.28 更科信号場~磐梯町】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 同じポジションからカメラを左に振ると更科信号場方面を望むことができます。ED77の貨物列車が会津若松方面に下って行きます。このポイントは今でも健在かどうかはわかりませんが、健在ならば無風の条件でD51を撮ってみたいと思います。

【1980.2.28 更科信号場~磐梯町】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 俯瞰ポイントでは小雪がちらつき視界があまりよくなかったので、山を降りたところ天候は急速に回復し、磐梯山もくっきりと見えてきました。今さら戻るわけにもいかず、仕方なく定番ポイントでED77の客車列車を待ちました。

【1980.2.28 翁島~更科信号場】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 翁島方面に移動し、雪原の中でED77の貨物列車を待ちました。ED77は東北地方の交流電化の進展とともに軸重制限のある亜幹線にも交流電気機関車の入線を可能とするようED75のシステムを踏襲しつつ、軸重軽減のために中間台車を設けて車体を延長した機関車で、磐越西線専用となっていました。磐梯熱海→中山宿→上戸と東長原→広田→磐梯町→翁島には急勾配が存在したため、貨物列車はED77の重連で運転されていました。

【1980.2.28 翁島~更科信号場】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 磐梯山は夕方近くになってもその秀麗な姿を見せてくれていました。川桁に移動し、上野からの「あいづ」は望遠で磐梯山を思いっ切り取り込んでみました。西側から見る磐梯山は女性的で優しい雰囲気ですが、東側から見る磐梯山は大規模爆発で山の多くの部分が吹き飛ばされた名残りがよくわかる男性的な景観で、自分的には東側からの山容が好みでした。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 次にやって来る「ばんだい」は磐梯山の全容を入れたくて、標準系で狙ってみました。右と左の稜線を延長して交わったところが本来の磐梯山の頂上で、えぐれた部分が大爆発で吹き飛ばされたことになります。山の1/3が吹き飛ばされるほどの爆発というのは想像もできません。

【1980.2.28 川桁~猪苗代】(電車運転士)


●次の目的地  野辺地付近+津軽線

●移動行程    磐越西線→郡山→「八甲田」→野辺地→青森→津軽線

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【アーカイブス】吉野のデゴイチ

 筆者が本格的に私鉄撮影にいそしむようになった頃、まだ、輸入電機や日本の電気機関車の黎明期につくられた車両も現役であった。そのいくつかは、現在も残っているが、大手私鉄の支線にはこうした機関車が貨物を牽いて、現役で走っていた。


 社会人になって数年の間は、平日に休みがあり、近場のこうした貨物を撮りに行っている。名鉄や近鉄養老線、豊橋鉄道などの貨物である。また、勤務先が彦根であったことから、近江鉄道の貨物はいやになるほど撮ったし、またそこから足を伸ばして関西私鉄の電機を撮りに行くこともあった。


 そうした中に、この機関車もあった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 車体側面の丸窓と、3つに折れ曲がった妻面が如何にも印象的なこの機関車、どこの機関車か思い浮かぶ方は少ないのではないか。


 吉野鉄道の51,後の近鉄吉野(南大阪線)線のデ51である。


 この機関車は、昭和4年に川崎車両で製造された、国産最初期の電気機関車である。デ51、52の2両があったが、改めてWikiで調べてみるとデ52は昭和50年に廃車されたとあるので、この写真を撮影した昭和52年にはこの1両だけ残っていたようだ。

ちなみにWikiを見ても、この機関車の写真が載っていない。ということは、撮影した人はあまり多くはないのかもしれない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この機関車が運行されていたのは、和歌山線の吉野口と六田の間(大和上市だったかもしれない)で、和歌山線からの貨物を継走していたのだろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この機関車をなぜ、撮りに行ったか記憶はないが、そろそろ無くなる、という情報があったのかもしれない。いずれにしろ、魅力的な外観の電機である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この機関車の牽く貨物を、沿線の2箇所で撮影している。これは薬水の付近、上の写真は六田のあたりか。貨物がなく、緩急車だけなのが残念だが、やむをえない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 貨物のついでに吉野線の16000系特急も撮影している。正面の特急マークを見てみると2種類あり、ちょうど改装が行われている時であったようだ。これは懐かしい特急マークがついた未改装の車両である。

もちろん、この写真は大井川鉄道での撮影ではない。(^^;)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 吉野線といえば、終点吉野山の手前にある大鉄橋が著名で、ここでも撮影している。ただ、光線状態が悪いので、車体が完全に潰れてしまっているのがなんとも残念である。


 吉野線には、今日からかつてのラビットカー塗色の電車が走り始めている。よい子切符が1枚あるので、天気が良ければ撮影に行こうかとも考えていたが、雨の予報ではさすがに行く気力が萎えてしまった。

 いま、沿線ではどのように撮影できるかわからないが、この大鉄橋をはじめ、撮影地には恵まれているようなので、機会があればラビットカーの撮影に行きたいと思っている。(駅長)

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2012年9月 6日 (木)

177.1980年冬 東北周遊の旅 1号車(南部縦貫鉄道) 1980/2/27

 大学生になって初めての春休み、当然、長期の遠征を企てるわけですが、冬はやっぱり北海道というというのが定番で、鉄研のメンバーもほとんどが津軽海峡を渡っていました。そういう自分はどうかというと、ひねくれた性格が原因かどうかは別として、ここで北海道へ行ってしまったらその魅力に取りつかれて東北は毎回素通りとなりそうな感じがしたので、この年は北海道へ行きたい衝動を敢えて我慢して東北を巡ることにしました。東北ワイド周遊券を片手に2月の下旬から3月中旬まで毎日が鉄三昧でした。

 東北エリアで真っ先に行ってみたかったのが南部縦貫鉄道のレールバス、LE-Car登場前のこの頃は唯一現存するレールバスとして注目を浴びていました。起点の野辺地へ向かうべく、上野から急行「八甲田」の乗客となりました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 東海道線の乗り継ぎが面倒くさかったので、名古屋からは周遊券でも乗れる東名ハイウェイバスを利用して東京へ向かいました。「八甲田」の発車までの間、上野で駅撮り鉄をやって時間を潰しました。高架ホームには181系の「とき」が停車中でした。前面を引き締める赤帯が格好よく決まっています。

【1980.2.26 上野】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 地平の常磐線ホームでは481系ボンネットの「ひたち」とキハ58系の急行が並んでいました。キハ58系の方は水郡線直通の「奥久慈」を併結した「ときわ」でしょうか?。「ひたち」はまだ文字マークで車両も少数派のクロ481、やっぱりボンネットには絵入りより文字マークの方が似合っています。

【1980.2.26 上野】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 早朝の野辺地で「八甲田」降り、レールバスとの初対面を果たしました。小雪が舞う中、発車時間までしばらく待機です。

【1980.2.27 野辺地】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 大湊線のホームに目を移すと大湊行きの列車に小荷物が積み込まれていました。宅配便が普及する前のこと、ローカル気動車の多くにはキハユニが連結され、ローカル線では普通に見られる光景でした。

【1980.2.27 野辺地】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 七戸からの上り2番列車が到着しました。小振りな車両からは思ったよりも多くの高校生や地元住民が降りてきました。上りの2番列車は高校生の通学列車になっていたようです。ここに写っている女子高生達も今では50前後のオバサンになってしまっているんでしょうね。50を過ぎた自分もこの時はまだ19歳、あの頃は若かった。

【1980.2.27 野辺地】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 下り列車に乗り込み、ロケハンを兼ねて七戸方面に向かいました。乗客は自分と写真に写っている男性の2人だけでした。こんな状況の列車でも車掌が乗務しており、こまめに乗車券を発売していました。乗り心地はというと板バネの1軸台車ということで、貨車とほぼ変わらないと思われ、相当???って感じでした。

【1980.2.27 キハ101車内】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 向かった先は盛田牧場前、アップダウンが特徴の定番ポイントです。クリスマスツリー状態を期待しましたが、直近での降雪がなかったため、晴れたもののご覧のとおりの状況でした。

【1980.2.27 研修所前~盛田牧場前】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この後は列車間隔が大きく空くので、撮影ポイントを探しながら野辺地方面に歩き始めました。突然、D451の貨物列車が姿を現し、慌ててカメラを取り出しました。1日1往復あった貨物列車のことは認識しておらず、わかっていればもっとサイドからのポイントを探したはずで、痛恨の極みです。

【1980.2.27 研修所前~盛田牧場前】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 天間林まで来るとちょうど小学生の下校時間になりました。雪国らしく体育の授業でスキー教室でもあったのか、スキー板を担いでいます。天間林~坪川では小学生の通学需要があり、隠れた名物となっていました。ホームには小荷物が積まれていますが、これも大事なお客様でした。天間林は唯一の交換可能駅で、駅員が常駐しタブレットの受け渡しが行われていました。

【1980.2.27 天間林】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 南部縦貫鉄道の定番中の定番、坪川の鉄橋です。寒々とした風景の中をレールバスが進んで行きました。遠目ではありますが、車内の様子をうかがうと結構な乗客の姿が見えます。

【1980.2.27 坪川~道の上】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 夕方の下り列車が坪に到着しました。この年は積雪が多かったのか、線路の両側が雪の壁になっています。地元のオバサンが2人列車から降りてきました。こういう光景を見ると細々ながらも地域住民の足として機能していたんだということを感じることができました。

【1980.7.27 坪】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 冬の夕暮れは早く、野辺地に戻って来た頃にはとっぷりと陽が暮れていました。こうなると恒例のバルブ大会となります。これは連絡跨線橋の上からのアングルですが、適当な光源もありいろいろな角度からバルブすることができました。

【1980.2.27 野辺地】(電車運転士)


●次の目的地  磐越西線電化区間

●移動行程    南部縦貫鉄道→青森→「津軽4号」→郡山→磐越西線電化区間

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2012年9月 2日 (日)

【アーカイブス】モ870形登場の頃

 先週、続けて鉄に出た反動もあって、今週は自宅幽閉である。そんな時は、絶好のスキャンタイムである。

 

 この夏、頑張ってスキャンをつづけたおかげで、ようやく学生時代のネガのスキャンがすべて完了し、バックアップも行った。暦年で管理しているので、正確に言えば社会人1年目の分も入っているが、約7年分で2Tのハードディスクがほぼ一杯、ついでにブルーレイにも保存して79枚となった。ハードディスクそのもののバックアップもしているので、たぶん、これでトラブルがあってもなんとかなるであろう。とりあえず一安心である。


 データ化するメリットは、保存に加え、写真の検索が極めて楽になることである。たとえば、こんなテーマで一連の写真を探しだし、フォトショップで加工しても1時間もかからずすんでしまう。デジタル化のメリット、ここにありといえる。


 今回、紹介するのは名鉄の美濃町線のモ870形である。ご存じのように、この車両は札幌市電のA830形として誕生し、路線廃止に伴って、昭和51年に名鉄に譲渡されている。ヨーロッパスタイルの外観は、今見ても格好良く、札幌時代に蒸機撮影の合間に訪れて撮影している。札幌時代から、名鉄に移り、運行開始直後の様子をご覧にいれたい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まずは、札幌時代の映像である。

 今にして思えば、大変残念であるが、現役の時代に写した830形の写真は数カットしかない。また、カラーも撮っていない。

 当時は、まだまだ活躍すると思って、鉄北線で先に廃車になった850形の撮影に行ってしまったためだが、その後、運用が減ったことから、結果的に830形の撮影は、最初に札幌を訪れた時の一回だけになってしまった。この頃、札幌には何度も行っていたのに、返す返すも残念である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 そんなわけで、次のカットは名鉄に譲渡されるシーンとなる。

 札幌から名古屋への輸送にあたっては、苫小牧からフェリーを利用している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 どこで輸送日を聞いたか、記憶がないが、わざわざ金城埠頭のフェリー乗り場まで到着を撮りに行っている。さすがに、こうした写真は珍しいだろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 次は、9月頃の岐阜工場。順番に1両ずつ、工事が行われた。一番大きな改造点は、窓を開閉式にしたことで、最初はすべての窓を開閉式に改造するのではなく、ひとつおきであった。確か、前照灯も、どちらか一灯だけ点灯していたはずである。方向幕は、まだ札幌時代のままである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 こうして10月には改造工事が竣工している。今はなき岐阜工場で、白帯時代の600形と並ぶ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 試運転は10月26日に行われている。営業開始のわずか5日前だけれど、こんなに短くても良かったのかな?乗務員の訓練はどのようにやったのだろう。下芥見でモ580形とすれ違う。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 31日には美濃で発車式が行われた。そういえば、870形はどさん娘電車なんて、呼ばれてましたね。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 営業運転に入って、松森で撮影。いま、このあたりは住宅地になっている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 同じ場所で、違った角度から。

 この年は、モ870形の登場やそれに伴うモ580形の廃車などがあって、何度も美濃町線に通っている。今にして思えば、同じ線区ばかりに行くのではなく、他にも撮るものがいっぱいあったのだから、それらを撮りに行けば良かったのだが・・・。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 閑話休題・・・当時のモ870形には、写真を撮りたくなるような面白い運用があった。

 それはモ870形の続行運転で、タブレット輸送も兼ねて白金と美濃の間で行われていた。一度、そのシーンを撮りたいと思い、小屋名で撮影し、運良く1枚の写真に納めることができた。


 その後、モ870形は路線廃止に伴い、廃車になるまで、それこそ何度かわからないほど撮影している。それらについてはまた機会を改めて紹介することにしよう。(駅長)

 


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2012年9月 1日 (土)

176.名鉄ローカル線の終着駅めぐり 1979/10/10

 今回はちょっと趣向を変えて名鉄のローカル線の終着駅の風情をご紹介したいと思います。この年の鉄道研究会の学際での展示テーマのひとつとして名鉄の終着駅を取り上げることになり、会員が分担して終着駅を回りました。自分は小牧・広見・八百津・美濃町・谷汲・揖斐の各線を担当しましたので、その時の様子をアップしたいと思います。





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 小牧線の終点の上飯田です。今は地下鉄上飯田線の連絡駅になって地下化されたのは記憶に新しいところです。当時は行き止まりの棒線駅で、まだ2線化もされていませんでした。元東急の3880系が間もなく到着するところです。


【1979.10.10 上飯田】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 広見線の終点の御嵩です。駅の雰囲気はそんなに変わっていませんが、新可児~御嵩間はワンマン化され、車両も6000系に統一されてしまいました。当時は広見線のローカル列車はHL車が主力でした。


【1979.10.10 御嵩】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 八百津線の終点の八百津です。晩年はLE化され、架線も撤去されていましたが、駅の雰囲気はあまり変わっていませんでした。ここもローカル列車はHL車が主力でした。系統板を見ると「伏見口」となっており、現在の「明智」に改称する前だったことがわかります。


【1979.10.10 八百津】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 美濃町線の終点の美濃です。静かな佇まいの中、更新前の870型が発車を待っています。この頃は新関で系統分離が行われる前で、美濃から徹明町までの直通運用もありました。


【1979.10.10 美濃】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 谷汲線の終点の谷汲です。ここの駅舎も晩年は昆虫館を併設したものに建て替えられてしまい、往時の風情を偲ぶことはできなくなっていました。夕暮れが近くなったホームにモ700とク2320の2両が待機中です。


【1979.10.10 谷汲】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 最後は夕闇迫る揖斐線の終点の本揖斐です。この駅はホームにかかる大きな屋根が特徴でした。大勢の乗客で賑わった全盛期には重宝されたんだろうなと想像してしまいました。


【1979.10.10 本揖斐】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 鉄関係の画像とはまったく関係ありませんが、デビューしてそろそろ売れ始めた頃の「石野真子」です。今池のユニーの屋上でミニコンサートがあるということで、ファンだった友人に付き合わされた時に撮ったものです。メジャーになる前の当時はこんなドサ周り的なこともこなさなければならなかったみたいですね。フィルムをスキャンしていたらたまたまこのコマが混じっていたので、たまには非鉄ネタもいいかなということでアップしてみました。






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大分でハチロクが走った日

~最近スキャンしたリバーサルから~


JR九州が頑張って復活させたSLハチロク“58654”。当初は豊肥本線「あそBOY」として立野のスイッチバックを、一直線の煙を上げながら勾配をあえぎ上っていく迫力や、阿蘇山をバックに雄大な景色の中を軽やかに進む場面をカメラに収めることが出来たのに、気が付いたら肥薩線に活躍の場を移して「SL人吉」となり、同線専属の観光列車と化してしまいました。

静寂な球磨川沿いを走るシーンも悪くないですが、願わくば再び豊肥線に戻って阿蘇山を取り巻く数々の名シーンを再現してほしいものです。


さて本題、1989年の元旦にはハチロクが珍しく当時のホームグラウンドを離れて、豊肥線の大分側を起点に1往復する「SL初旅号」が運転されました。豊肥本線の大分県側発着でハチロクが運行されたのは過去にほんの数回程度しかなく、今となっては貴重な運転記録かと思われます。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


撮影地情報など何も入手しないままで(する気もなかった)、まったくの行き当たりばったりで大分駅から豊肥線の朝イチに乗り込み、途中、さびれた駅(地元の方、すみません)で下車して発車直後の煙を狙おうと目論みました。カメラマンの姿がほとんどないと思ったら、陽が昇るにつれてその理由がわかりました。「逆光、しかも手前の線路まで陽が当たらない」ことが判明しても、もはや列車で移動するのは不可能。結局ほんの数名の同業者で混み合わずに撮影できましたが、こんな時に限って天気はピーカン、光線状態は最悪。因みに撮影場所は朝地駅です。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


復路の列車撮影は、線路をかなり遠くまで見渡せる緒方駅東方の小高い丘に陣取りました。駅発車直後で煙は出ていましたが、なんだかはっきりしませんね、場所選びをミスった・・・。元画像も露出ミスのせいで補正するものの、結果はご覧のとおり、まあ、しゃあないかぁ←投げやり。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


途中、三重町駅でバカ停するので後続の列車で追いかけます。人ごみの隙間から夕暮れ迫る発車シーンを狙いました。ハチロクにしてはなかなかの迫力を見せてくれました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


これは翌2日に運転された熊本への返却有火回送です。スイッチバックをDE10との重連で下るシーンを狙いましたが、時間がなくてこのカットが精一杯でした。


現在、宮地ー豊後竹田(9月3日現在)は7月の豪雨により未だ復旧していません。被害に遭われた方々にお見舞い申し上げますとともに一日も早く豊肥線が全通することを願っています。



終日同行いただいた大学のサークル後輩のクリ○○君、お付き合いありがとう!(出札掛)


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