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2012年8月

2012年8月27日 (月)

よい子切符強制消化鉄

 先回、チケット屋で1枚使った18切符を購入したことは記したが、残りの3枚をなんとしても期間中に使わねばならない。


 もともと、18切符を購入したきっかけは、ここに行きたいと思ったからである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


  そう、尾小屋鉄道の車両を動態保存している小松(下車駅は粟津)にある石川県児童会館のなかよし鉄道である。8月26日に開催される運転会では、ここで保存しているキハ1、DC121、ホハフ3,8のすべての車両が、30分間隔で運転されるという。場所が小松と言うことで少々距離があるが、時刻表を調べてみると、18切符を使っても名古屋から日帰りできることがわかった。幸い、26日は予定が空いている。ということで、18切符を仕入れて、現地に赴いたのである。


 近年の18切符の難点は、普通列車が削減されたり、あるいは運行が分割されて効率よく使える列車が減り、それに利用者が集中すると座れない可能性があることである。幸いにも、乗車列車は米原~敦賀間が新快速の4連で、心配していた敦賀で接続する金沢行きも520系の4連であることから、なんとか場所を確保することができた。理想から言えば、もう少し早く現地に着きたかったが、他に使える列車がない。それゆえ、結果的に現地で撮影条件がやや悪くなったが、費用対効果を考えればやむを得ない、といえる。


 粟津駅に到着したのは、11時40分過ぎ。歩いて10分弱の児童会館に着くと、ちょうど昼前の運転の列車が駅に戻ってくるところであった。これから13時の列車まで係員の休憩に入るという。ちょっと出鼻をくじかれた感じであるが、やむをえない。とはいえ、駅から離れた線路上に列車を停めてくれ、しかも線路の中への立ち入りもOKということで、ちょっとした撮影会状態である。


 このなかよし鉄道の線路は400mほどで、L字形に路線が敷かれている。線路沿いには里山の雰囲気でびっしりと木が植えられており、日が照るとまだらになってしまうが、反面、雰囲気は非常によい。線路沿いにトラ柵が続いているものの、それをのぞけばまさに尾小屋鉄道の現役時代を彷彿とさせてくれる。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 13時になって、運転が再開された。運行は、車庫と隣接する駅からキハ1あるいはDC121が2両の客車を牽引して終点まで走り、続行でもう1台の動力車を運行。終点にて反対側に動力車を付け替え、駅に戻ってくる、という形である。時速は10km/hほどで、片道2分ほどの運転であるが、雰囲気が実によいことから満足度は高い。これまで乗った海外の保存鉄道線と比べても何ら遜色がない。単行で走るキハ1は、まさに在りし日の姿、そのままである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 とはいえ、この日は大阪からの観光バスの団体もあって、どこで撮ってもカメラマンの姿が入ってしまうのが難点であった。この点からも午前中の方が良かったようだ。光線状態は、終日逆光であるが、午前中の方が光線が綺麗に差し込んで、絵になりそうな感じである。一番上の写真は午後の一番であるが、うまくカメラマンが隠せたうえ、ディーゼルの排気が太陽光に青く浮かび上がり、しかも乗客もカメラを構えていない(これが結構難しい)という条件が揃って、かなり気に入った出来具合となった。


 それにしても、現地3時間ほどのために、往復10時間近くをかけて普通列車を乗り継いでいくのは少々体力的にしんどいのは事実である。


 もう1日は、関西方面に出かけることにした。目的は、これである。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 そう、来年の春に引退が予告され、HP上で運用が公開されている京阪の3000形である。

 車両自体は大井川でSLの間合いで来たり、富山地鉄でも撮影したりしているが、中間に2階建て車をはさんだとはいえ、いまも第一線で長編成で活躍しているのは見応えがある。登場時期は昭和40年代半ばであるが、昭和30年代に登場したさまざまな名車の流れを引いた特急車であることが、魅せられる原因なのだろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 今回は、大阪経由で鶴橋から京阪線に入り、野江と大和田で撮影した。どちらも計画が緻密すぎて(^^;)、駅に到着してから狙う列車まで10分以内という夏の暑さも気にならないくらいの短時間の滞在であったが、京阪最大の撮影地である大和田でベストな写真が撮れたので、まずは満足である。


 このまま、京阪線で終日、撮影をして過ごしても良いのであるが、大和田の撮影がうまくいったことから、もうひとつの目的地へ行くことにした。それは路線廃止の話も出ている神戸電鉄の粟生線の乗車である。これまで粟生線は乗車したことがないが、都市型路線でありながら乗客減から廃止の方針が打ち出されていること、そしてその前段として本年5月から途中の志染から先が昼間帯15分間隔から一気に1時間間隔に減便されており、その状況を見てきたいと思ったからである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 結局、終点の粟生まで乗車し、さらに粟生で接続する北条鉄道に乗って、北条町まで行ってしまった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 北条鉄道の乗務員は、こうした3セク鉄道では珍しい女性の運転士であった。


 ここまで来ると、さすがに遠くまで来たという感慨にとらわれる。帰りは加古川に出て、JRの新快速で一気に米原へ。さすがに新快速は速い。さらに、かつては新快速を受けて2両とか4両の列車を走らせていた米原~大垣間も、どうやら最近は6~8両編成が運行されているようで、よほどタイミングを逃さない限り、立つ心配はなくなった。今回、2日間で1000kmくらい普通列車に乗ったことになるが、いずれも座れたのがありがたい。

 

 まあ、18切符もこれくらい乗れば、なんとか元は取ったであろう。あと、切符は1枚残っているが、さて、どこに行こうか。残念なことに、いま、特に行きたいところがないのが辛いところである。(駅長)
 

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2012年8月26日 (日)

175.紀勢本線 夏のお名残り鉄 2012/8/25

 お盆休み中は不安定な天候が続き、多かれ少なかれ鉄活動に影響があったと思いますが、ここにきて太平洋高気圧が勢いを増して安定した天気が続いております。ただ、天気が安定してもこれだけ猛暑が続いては鉄活動どころではないとおっしゃられる方もあるかと思います。早く暑さが和らいでほしいものです。


 話は変わって、メンバーの皆様も御承知かとは思いますが、7月下旬から長期運休に入っていた紀勢貨物(2089・2088列車)ですが、8月17日から運転を再開しました。今のところ更新機のローテーションで突発的な運休もなく順調に運転されています。本当は運転再開初日の17日(熊野花火大会の関係で2088列車の時刻が大幅に繰り上がり、普段とは違う光線状態で撮れる)に行きたかったのですが、休みがとれず、18・19日の土日も家族運用と仕事でのちょっとしたトラブルがあって出動は断念せざるを得ませんでした。今週末も猛暑はまだまだ納まらないものの安定した天気が続きそうなので、出動を目論み、天気予報を確認したところ三重県南部だけ曇りと雨マーク、これを信じれば出動はためらってしまうところですが、金曜日の現地の天気レポートやアメダスの日照時間では雨マークの予報にもかかわらず、実際には晴天が続いていました。気圧配置や気象衛星を確認すると金曜日とほぼ同じ状態だったので、絶対に晴れるという自分の予想を信じて深夜の国道42号線を南下しました。最近の紀勢本線訪問では俯瞰ポイントが主体となってしまい、線路端の編成写真がないといった状態が続いていますが、結局、今回もその傾向は変わっていませんので、どうかお許しください。因みに26日は紀勢貨物は運休だったようで、25日に出動して結果オーライでした。




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 今回は、途中で寄り道せずに一気に新鹿までクルマを走らせました。新鹿海岸の遥か北側の山腹に林道があり、俯瞰ができるのではないかと以前から気になっていたポイントです。地図上ではクルマで登っていけそうな感じだったのでそのまま進んで行ったところ、土砂崩れでかなり手前から通行止め、仕方なく途中から徒歩でのアプローチとなりました。この想定外の状況のため、予定していた早朝の列車をみすみす見送る結果となってしまいました。次のローカル列車を待ちましたが、オレンジツートンが真ん中に入っていました。ここは側面に陽が当たるのは9時30分くらいまでで、早朝勝負となります。


【2012.8.25 新鹿~波田須】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 縦位置で構えるとこんな感じになります。背後の山の向こうにも熊野灘が広がっています。キハ11の4両編成ですが、側面が朝日に光ってくれたおかげで、ステンレス車にも存在感が出ました。


【2012.8.25 新鹿~波田須】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 本命の2089列車は風景主体にしてみました。若干、後追い気味になりますが、距離があるため、そんなに気にはなりませんでした。


【2012.8.25 新鹿~波田須】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 2089列車撮影後は山を降り、海岸へ移動しました。夏休み最後の土日なので、レジャー客で賑わっているのかと思いきやご覧のとおり人影は疎らな状態でちょっとガッカリです。台風15号の影響なのか、いつもより波が高いと感じました。


【2012.8.25 新鹿~波田須】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 波の砕け方と人・列車の位置は運を天に任せるしかありませんが、この時はほぼベストのタイミングでした。若者が去りゆく夏を楽しんでいました。


【2012.8.25 新鹿~波田須】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 次の目的地は相賀の鉄橋と決めていました。いつもなら国道42号線をそのまま尾鷲方面に戻りますが、この日は撮影ポイントの新規開拓という意図もあって紀勢本線沿いの国道311号線を辿ってみました。新鹿から尾鷲にかけては地形が急峻で、紀勢本線で最後に開通(昭和34年)した三木里~新鹿を含んでいるため、駅以外はほとんどがトンネル区間で撮影できそうなポイントはなかなか見つかりません。そんな中、九鬼から国道42号線へのアプローチ道路から少し山の中に入った道路から九鬼周辺を俯瞰できるポイントがありました。この付近だけ通り雨があったためか雲が多く、列車の部分が陰ってしまいました。なお、手前の木をクリアするために4段脚立を使用しています。


【2012.8.25 大曽根浦~九鬼】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 相賀の鉄橋は、他の方のブログで、いつもの定番ポイントの背後にある高丸山という山からのスーパー俯瞰の写真を見たことがあり、一度はチャレンジしてみたいと思っていました。情報によると林道途中からの登り口から頂上までは約1時間30分の登山とのことで、急な上り坂と暑さに耐えながらひたすら登って行きました。30分くらいの登ったところにピンポイントで鉄橋を望むことができる場所があり、保険の意味合いということもあり、とりあえずここで1本稼ぎました。その後、再び頂上を目指そうかと思いましたが、あまりの暑さと下山時間(17時過ぎに通過する2088列車を撮ってから下山すると陽が短くなりつつあるこの時期は暗くなって道に迷う可能性もある)のことも考え、結局、このポイントに居座ることにしました。夏にしては空気の抜けもよく、条件としてはまあまあだったと思います。オレンジツートンの「熊野古道伊勢路」の運転日に再チャレンジしてみたいです。


【2012.8.25 相賀~尾鷲】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 「南紀」は後ろの海原をカットしてみました。夏休みのため、各列車とも6両に増結されていましたが、絵的には鉄橋上にちょうど乗っかる4両の基本編成の方がよかったかなって思います。


【2012.8.25 相賀~尾鷲】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 場所を少し移動すると馬越トンネルを抜けて坂を駆け下りる列車を見ることができました。夕方の斜光線がDD51を浮き上がらせてくれました。


【2012.8.25 相賀~尾鷲】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 お目当ての2088列車が鉄橋上を進んで行きます。背景の半島と手前の木が影になってしまいましたが、最悪の状況は回避することができました。通過直後に太陽が入道雲の影に隠れてしまい、光線的にはギリギリセーフでした。これからの季節はどんどん陽が短くなるため、相賀鉄橋での2088列車は9月上旬が限度かもしれません。


【2012.8.25 相賀~尾鷲】(電車運転士)

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2012年8月22日 (水)

ひまわりランド

大垣市内で休耕田に咲き誇るひまわり畑の情報をつかんだので、さっそく19日の早朝、足を運んでみました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


「な~んだ、新幹線か」 と好き嫌いがわかれるところですが、とりあえずご紹介いたします。大垣市の夏のイベントの一環で催される「ひまわりランド」は毎年開催場所が変わるらしく、新幹線とのコラボが撮影できるのも数年ぶりだとか。



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太陽の位置と花の向きなどを考慮すると、朝方がベストかと思われます。時間が経つにつれて一般の見物客も増えてきますが、撮影に支障はありません。新幹線と絡めて撮影される方々(たぶん一般の人)がけっこういらっしゃいます。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


電柱などの障害物や花の咲き具合を考慮して、工夫しながらベストポジションを探して下さい。自分は、移動するのが暑くて面倒くさいのでそれほど変化のない画像ばかりになってしまいました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


ひまわり畑近辺の道路沿いに車を停めることも可能ですが、できれば仮設駐車場の利用をお勧めします。撮影ポイントまではそれほど離れていません。


場所は新幹線揖斐川橋梁の西方です。「ひまわりランド」と書かれたのぼりが目安です。

見頃は8月26日ごろまで。詳しくはこちらのサイトをご参照下さい。→ http://www.city.ogaki.lg.jp/0000001283.html    (出札掛)

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2012年8月21日 (火)

【アーカイブス】京阪浜大津の変遷

 現在では京都地下鉄の直通運転により、大型の車両が運行されている京阪の京津線であるが、それ以前は木造車を車体更新したボギー車やヨーロッパスタイルの80形が使用されていた。その大津側の起点である浜大津は、現在は京津線と石山坂本線の共用のターミナルとなっているが、かつては京津線と石山坂本線は別々の駅があり、京津線から石山寺へ直通する準急は浜大津でスイッチバックしていた。

 この駅が統合されたのは1981年である。それ以前の2駅時代の写真が見つかったので、ご覧にいれたい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 まずは現在の浜大津駅。京都へ行く京津線の列車は、ここで折り返す。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これが当時の石山坂本線の浜大津で、東口と呼ばれていた。

 手前の線路は大津線から浜大津への路線で、石山寺への列車はスイッチバックして、左側の路線を走行して石山坂本線に乗り入れた。

 現在の浜大津とこの東口はほぼ同じ場所であるが、Wikiを見ると東口が琵琶湖側の元江若鉄道の駅跡に移転したとある。実際にはどうだったのだろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これが、京津線側の浜大津駅。場所は、現在、OPAと呼ばれるショッピングセンターの場所である。実際には道路が拡幅されているようなので、若干、位置は違っているかもしれない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは現在の浜大津に到着する京津線の800形。まさに隔世の感がある。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、その京津線側の浜大津のホーム。とはいえ、これだけでは部分過ぎてあまりよくわからない。もう少し、周囲の状況を取り込んでおくべきであったが・・・。

 当時、この駅の琵琶湖側には、昭和44年に廃止となった江若鉄道の跡が何らかの形で残っていたはずであるが、まったく記憶がない。この跡地は、現在はバスターミナルと観光船の乗り場になっている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これはその浜大津から三井寺の方にいったあたり。このSカーブは、当時のままに残っている(と、思う)


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、現在は地下線化されて地平部分は廃止された蹴上のあたり。左には琵琶湖疎水のインクラインがある。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 京津線の大津に直通する準急の260形は高床車で、高床ホームから乗降したが、80形は併用軌道区間に停留所があったことから扉部分にステップがついていた。外観から見ると鉄道用の車両のようであるが、こういう部分を見ると路面電車である。

 なお、この写真はあくまでステップの状態をお見せするのが目的であって、乗客を狙って撮ったのではないので念のため。(^^;) (駅長)




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2012年8月19日 (日)

2012 お盆鉄

 お盆も今日でお終いである。もっとも、会社はお盆はカレンダー通りなので、特にまとまった休みがあるわけではない。休み自体は取れるので休めばよいのだが、家族運用はともかく、鉄活動として、休んで撮りに行きたいほどの列車はない。


 とはいえ、この時期限定のちょっとそそられる被写体もある。お盆の帰省臨で、特に今年は臨時列車となった北陸線の「日本海」と「きたぐに」が注目を集めている。いまさら「日本海」なのだが、いつ廃止になるかわからないので、今の内にもう一度、撮っておきたい、と思う。


 しかし、今年のお盆は天気が不安定で、天候リスクを考えると、なかなか遠出をする気にならなかった。そんななか、会社帰りに金券屋をのぞくと、1枚使用した18切符を9000円で発売していた。8月中に1日、18切符で行きたいところもあり、まだ、期間中に休みが8日間あれば、なんとか処理は可能かもしれない。そこで、この切符を購入、日本海を撮影に行くことにした。


 まずは18切符を使う前の鉄報告から・・・。


 情報通さんから、8月10日に9005レ運転の連絡をいただいた。この時期、豊明でちょうど日の出とタイミングがあいそうだし、平日であるが出勤時間に余裕があるので、出撃をすることにする。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 いつもの場所にクルマを停めて、女子サッカーの決勝戦のラジオ中継を聞きながら列車を待つ。ゴーストが出ないようにレンズを単玉につけかえて・・・・何かバランスがおかしい。

 そうか、このアングルは9004レ向きだ、と気がついた時には既に遅し。もう列車の来る時間となっていた。ぎりぎり後ろの機関車は切れなかったが、余裕のない構図となってしまった。せめてレンズをズームにしておけば、よかったのだが・・・。

 秋も深まったら、9004レで再履修をするとしよう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 翌11日は、仲間で豊橋鉄道のビール電車を貸し切り。この日、名古屋は豪雨だったようであるが、豊橋は小雨程度であった。今年の雨は、ゲリラ的である。


 さて、お盆中は天気も不安定なので、家族運用に徹することにして、日本海の撮影は18、19日のどちらかにすることにした。当初、18日を予定していたが、天候が悪そうなので19日に延期。結果的には、18日には関西で雷雨がひどかったので、これは正解であった。


 翌19日、朝起きると、天候はもうひとつであるが、晴れの予報を信じて決行することにする。湖西線で日本海を撮るには、山科を8時25分の列車に乗る必要がある。当初、米原まで新幹線使用を考えていたが、費用対効果を考えると如何にもあほらしいし、中央線の1番に乗れば名古屋5時45分の普通で撮影列車に乗り継げることがわかった。そこで頑張って普通列車の乗り継ぎで現地に向かうことにした。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 大垣からは、JR西日本の221系。関ヶ原をJR西日本の車両で越えるのは、たぶん初めてである。編成は4両で、早朝にもかかわらず、18切符のお客で座れない乗客も多い。枇杷島のあたりでは雨も降っていたが、関ヶ原を越えると天気は急変し、米原では一転青空に。とりあえず天候は一安心である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 目的の「日本海」は、定番の小野と和邇の間で撮影する。比良山系には、盛大に夏雲がかかってしまい、稜線が見えなくなってしまったが、この時期はやむをえないか。


 ここまでは良かったが、後が良くない・・・。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 続いてトワイライトを狙いに近江中庄で降りるも、列車が来ない。後で調べると、秋田県内の踏切事故で大幅に遅れたらしい。結局、1時間半ほど待ったが来ないので、次の目的地へ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 次なる目的は、今夏、2回のみ運行の「奥びわこ」号。これも定番の河毛で狙うことにする。

 夏の蒸機なので、煙を期待することは無理だが、発車でもあるし、すこしくらいは出してくれないか・・・・と淡い期待をするも、むなしく、音ばかりで大スカ。こんなことなら、自宅でスキャンをしていた方が良かったか・・・・。


 久々に18切符を使った撮影行となったが、結果的には満足のいく成果をえることができなかった。やはり、どうしても撮りたい、撮らなければならない・・・というものがないと、力が入らないのだろう。

 18切符の残りは3枚。1枚は使う予定があるとしても、あと2枚をどうするか。今夏、あえて行きたいところも見あたらないし、ちょっと悩ましい。(駅長)


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2012年8月18日 (土)

【アーカイブス】赤い電車が赤くなかった頃の美濃町線

 もう7年以上前の話となるが、岐阜市内など名鉄の岐阜3線が無くなるころ、それら電車の形容詞として「赤い電車」という言葉がよく使われた。もちろん、この言葉は車体色のスカーレットから来ている。名鉄の車体色がスカーレットになったのは昭和50~54年頃にかけてで、今から35年前のことである。故に名鉄電車=赤のイメージが定着していてもおかしくないのだが、それ以前の車体色を知る身にとっては、やや違和感があるのは否めない。また、趣味的であるが、写真を撮影する側からいえばスカーレット以前の方が良かったのは言うまでもない。


 特に旧塗装が似合ったのが、美濃町線や揖斐線など、岐阜のローカル線である。この線を訪れはじめた頃には、すでにスカーレット化は始まっていたが、かろうじて旧塗装の写真を撮ることができた。それらを、カラーでお目にかけよう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まずは、岐阜市内区間の境界である日野橋である。新岐阜あるいは徹明町からの区間運転の折り返し停留所であり、その時間帯には何両もの電車が集まり、壮観な眺めであった。

 また、ここには女子大があり、朝には600形2連の通学列車も運転された。この600形は通学列車ではないが、ちょうど乗客の女子大生がここで降りて大学に向かおうとしている。いまから見れば、服装がやぼったくみえるが、我々の世代にはこのほうが落ち着いて見える。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 続いて、ここのメンバーの方も何度も訪れたであろう上芥見の併用軌道である。まだ、この頃は軌道敷の部分が未舗装で、長閑な雰囲気にあふれていた。

 特に好きだったのが、赤く染まった車体が半逆光に浮かび上がる秋の夕暮れ時であった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 その先の津保川鉄橋も数々の名シーンを提供してくれたが、ここも南側から撮影するのではなく、北側からの角度の方が山が画面に入るので好きだった。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 次は、一気に美濃手前の松森まで飛ぶ。これは美濃から松森への進入するところで、左側に松森のホームがある。現在は、このあたりは宅地化が進んで、当時の面影は見るべくもない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 上記場所から、すこし美濃に向かったあたりである。このあたりも、宅地化に加え、東海北陸自動車道の高架橋ができて、風景が一変している。


 この頃、美濃町線に集中的に訪れている。ひとつは名古屋に戻って、この路線に行きやすくなったことと、もうひとつはこの年の10月に札幌市電を改造した870形が登場することになって、580形や590形の運用が減ることが予想されたためである。

 今回、写真をスキャンするにあたって調べてみたら、10月には何と6回も美濃町線を訪れていたことがわかった。この前後にも美濃町線を集中的に訪れており、この年の訪問回数はかなりの数に上りそうだ。今にして思えば、その時間をもう少し他の路線に振り分けていたらもっと良い記録が残ったのに、と、思わざるを得ないが、特定の路線を集中的に撮影するのもひとつの撮り方であるのは間違いない。どちらが良かったのかは、時間に聞くしかないのであろう。(駅長)


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2012年8月17日 (金)

174.1979年夏 四国鉄道行脚(7号車 多度津定点撮影編)1979.8.30

 1979年夏の四国鉄道行脚もやっと最終日までたどり着きました。最終日は多度津近辺で予讃・土讃本線系統の主要な列車のオーソドックスな走行写真で締めたいと思い、定番の多度津の高松寄りのポイントである程度粘って四国を後にする予定でした。その前に、四国滞在中にちょっと気になっていた阿波川口に浮気をしてからの目的達成となりました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 早朝、DF50の客車列車同士の交換があり、それを俯瞰できるポイントが期待できそうな阿波川口は四国滞在中に訪れてみたいポイントでした。これまであまり紹介されたこともないとあって、新規開拓の絶景をイメージしながら急な坂道を登ってみました。結果は、朝靄がかかって視界は悪く、おまけに横を走る国道が目障りで、苦労の割には期待外れとなってしまいました。

【1979.8.30 阿波川口】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 期待外れのポイントに固執しても仕方がないと思い、早々に下山し、線路端に陣取りました。この頃になると朝靄も消えて陽が差し込み、条件がよくなってしまいました。下山するタイミングが早かったかなとちょっとだけ後悔でした。

【1979.8.30 阿波川口】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 あらかじめ予定していた多度津へ移動し、四国の代表的な列車を狙うべく、まずは跨線橋の上で列車を待ちました。中村からの「南風」がエンジンを思いっきりふかして終着の高松へダッシュして行きました。

【1979.8.30 多度津】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 続いて、松山からの「しおかぜ」です。今回の四国行脚では予讃本線方面が抜けてしまったので、「しおかぜ」の走行写真はこの1枚だけになってしまいました。

【1979.8.30 多度津】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 跨線橋の上から線路端に移動しました。松山系統の「いよ」です。なぜかHMは旧タイプのものが掲出されていました。

【1979.8.30 多度津】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 優等列車の合間を縫うようにやって来たDF50の客車列車です。番号が切りのいい50番だったため、50のダブルナンバーとなりました。

【1979.8.30 多度津】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 高知系統の「土佐」です。増結のない基本5両の編成だったため、好きだったキハ65先頭を撮ることができました。

【1979.8.30 多度津】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 宇和島系統の「うわじま」です。こちらは2両が増結された急行らしい堂々の7両編成でした。

【1979.8.30 多度津】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 もう一度跨線橋上に戻り、DF50の貨物列車を狙いました。運転台の通風をよくするために貫通ドアが微妙に開いています。写真上は好ましくありませんが、機関車に冷房なんて考えられなかった時代のこと、酷暑に耐えなければならない運転士の立場になれば当然のことと理解できました。この列車を最後に四国を後にしましたが、今回の訪問では予讃本線系統と伊予鉄道が抜けるスケジュールになってしまい、今から思うと100%満足な成果を残すことができませんでした。もう少しスケジュールを考えていればと思いましたが、後の祭りですよねぇ。

【1979.8.30 多度津】(電車運転士) 

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盆休み日記 『国鉄ツートン色@太多線』

会社は盆休みでもJRは暦どおりの平日ダイヤ。このときばかりにと普段はお目にかかれない平日限定ネタを撮影してやろうとあれこれ模索して選んだ被写体テーマは、“太多線を走る国鉄ツートン色車”。



キハ48ツートンペアが所属する「キハ48ワンマン対応車」は、太多線では早朝の606D~607D一往復のみで、4両で組成されるうち多治見方2両を担います。ツートン色車が充当される割合は8日に一度。しかし、電車運転士様が先日投稿された記事にもありますように、8月初旬現在ツートンペアは解消されて別々に運用されています。こんなときは1両ずつではあるものの8日に二度の割合でツートン色が現れます。

これに対し、ツートン色キハ40-6309が所属する単車「キハ40」の太多線運用は夕方から646D~655Dの二往復で、キハ47運用車と手を組んで美濃太田方に連結されます。こちらは4日に一度の割合でツートン色車が充当されるので、比較的撮影機会には恵まれます。

難点なのは、これら太多線運用は何れも平日ダイヤに限定されるのと、走行時間帯は早朝か夕方以降に限られるため、沿線に住む、もしくは沿線に通う方を除き、普通の一般的サラリーマンが“太多線の国鉄ツートン色車”の走行写真を撮影するには盆休みか年末年始(もしや5月の連休もアリ?)を利用するしか手段はなさそうです・・・よね?



果たして、盆休み中にツートン色車が太多線運用に就くのだろうかと某サイトを参考に行程をたどってみると、順調にローテされれば、キハ48が15日に、キハ40が16日に太多線運用に入りそうです。このうちキハ48は前述のとおりユニットが解消されているので、撮影するにはツートン色車の連結位置がカギを握ります。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


15日は多治見方にツートン色車が連結されているキハ48-6812の編成が就き、運よく606Dの先頭を飾ることになるので少しはサマになる写真が撮れるだろうと思い、太多線随一の見せ場である今渡ダムの鉄橋に車を進めました。天候は曇でしたが、晴れの撮影は昨年に履修済みなので → http://ameblo.jp/b1hanabusa/entry-10990245922.html 今回は「撮れるうちに撮っておこう」と割り切ってカメラを向けました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


移動が面倒なので、多治見からの折り返し607Dも同じ場所で待ち受けます。後追いになりますが、今度はレンズを引いて水鏡を狙いました。今さら贅沢は言いませんが、やはりツートン“ペア”のほうが映えますね。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


翌16日は、キハ40-6309の646Dを撮りにダム鉄橋の右岸=キハ40連結側に陣取りました。こちらも後追いですが、どうか許容範囲としてご理解ください。現地の天候はここ数日の不安定な天気に反して心配するほど雲もわかず、本番では幸いにも夕日を浴びて鉄橋を渡るツートン色車を撮影できましたが、数分後、太陽は雲に隠れてしまい、間一髪でした。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


多治見からの返し・647Dは、矛先を変えて可児駅南方にある、ゆるくカーブした小鉄橋で狙うことにしました。今度はツートン色車が先頭で来るのでカーブした鉄橋を強調するべく正面がちの撮影も考えましたが、西の空は雲が取れて夕焼け状態だったので、ついこの天気にまやかされて夕日を浴びるシーンを撮ろうとサイド狙いに転じました。しかし結果としては素直に線路端から撮ったほうが良かったなァ。同編成はさらに一往復こなしますが、太陽は山の彼方に沈んでしまったのでここで撮影終了、帰路につきました。



こんな時でもないと太多線の撮影に足が向かないのは、あらためて反省点です。たとえ見飽きた車両しか来なくても、普段の姿を記録するのは大事なことです。盆休みも終わったことだし、涼しくなったら新たな撮影地探しでもしてみましょうか。(出札掛)

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2012年8月13日 (月)

173.真夏の高山本線+明知鉄道 2012/8/12

 今年も相変わらず蒸し暑い日が続いており、鉄活動には辛い日が続いておりますが、メンバーの皆様方の活動の成果はいかかでしょうか? 自分の会社はお盆もカレンダーどおりの勤務で、会社で決められた夏休みというのはとくにありません。この時期、紀勢貨物は16日まで長期運休、中央西線の貨物もほとんど運転されない、「日本海」は多分激パ、最大の難敵である家族運用などの理由からなかなか出掛けるチャンスに恵まれませんでした。禁断症状が出始めた中、オレンジツートンでも撮れればいいやという感じで、あまり深く考えずに高山本線へ行ってきました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まずは定番の下原ダムで高山からの1番列車を待ちました。オレンジツートンは8月の上旬からユニットが解消されて、今は別々の運用に入っています。出札掛様が7月に撮られたような川霧を期待しましたが、気温が高すぎて×、加えて、川面に微妙な風が吹いて水鏡も中途半端、両方の目的に振られてしまったので、テンションは大下がりとなってしまいました。

【2012.8.12 飛騨金山~焼石】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 あまりに条件がよくなかったので、もう帰ろうかという気分になりましたが、さっきの列車と飛騨金山で行違いで美濃太田からの1番列車が来るので、洞門上の定番ポイントへ急ぎました。ここは早朝でもなかなか水鏡にならないことが多いのですが、この日は綺麗な水鏡が実現しました。


【2012.8.12 飛騨金山~焼石】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 天気予報では曇り時々雨という予報だったので、このまま撤収しようか迷っていたところ、予報に反して日差しが差し込み、条件はどんどんよくなってきました。ということで、もう少し高山本線沿線に居座ることにしました。もう1両のオレンジツートンは下呂以北の運用だったため、国道41号線をさらに北上し、下呂行の上り列車が飛騨小坂の俯瞰に間に合うかどうか微妙なタイミングでしたが、何とか間に合いました。


【2012.8.12 飛騨小坂】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 天候もどんどん回復し、快晴状態になってきました。クルマをもう少し北へ走らせ、飛騨小坂~渚の定番ポイントへ向かいました。反逆光の条件でしたが、益田川の流れが強調されていい雰囲気になりました。


【2012.8.12 飛騨小坂~渚】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 下呂からの返しのオレンジツートンは河原に降りてみました。水しぶきを入れたくて結構ウロウロしてみましたが、下り列車に対してはいいポジションがなく、結局この構図に落ち着きました。


【2012.8.12 飛騨小坂~渚】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 山の向こうから夏雲がいい感じで広がってきたので、思い切って川面をカットしてみました。背景の深緑と青空に浮かぶ夏雲のおかげで夏らしい雰囲気を出すことができました。


【2012.8.12 飛騨小坂~渚】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 上り列車に対しては水しぶきがいい感じで入るポジションがありました。天候の回復とともに気温はどんどん上昇し、列車を待つのも辛い状況になりましたが、写真だけを見る限りでは清涼感を感じることができる1枚となりました。


【2012.8.12 飛騨小坂~渚】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 高山からの1番列車で美濃太田方面へ向かった列車の折り返しを狙うべく、クルマを一気に南下させました。時間的にこのポイントが限界で、間に合うかどうか微妙なところでしたが、カメラをセットし終わったところで列車が接近、ギリギリセーフでした。


【2012.8.12 焼石~下呂】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 もう少し南下して久しぶりにこのポイントに足を運んでみました。午後の遅い時間しか側面に陽が回りませんが、午後に恵那市内で葬儀に参列しなければいけない用事があったため、ひとまず鉄活動は中断し、高山本線を後にしました。


【2012.8.12 飛騨金山~焼石】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 葬儀終了後、家族運用までには少し時間があったため、急いで明知鉄道に向かいました。恵那市内の葬儀場を出たときはちょうど恵那の発車時間、間に合うかどうか不安でしたが、恵那から飯羽間までは連続上り勾配が続く関係で列車の速度は遅く、余裕で間に合いました。


【2012.8.12 阿木~飯羽間】(電車運転士) 





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 農村景観日本一に認定された富田地区を行く列車です。いつもは離れたポジションから俯瞰することが多いのですが、下から狙ってみました。稲穂が出始め、田んぼが黄色く色付き始めています。恵那市内は晴れていましたが、この付近は巨大入道雲の下に入りこんでしまったので、曇り空となってしまいました。よく晴れて田んぼが黄色く色付いた条件の時にリベンジしてみたいです。


【2012.8.12 阿木~飯羽間】(電車運転士)


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【アーカイブス】元祖パノラマカー




 こうしたタイトルをつけると、ネタバレになってしまうが、とりあえず珍しいと思われる写真から。





「はなぶさ」に集まる仲間たち




 電車の運転台である。しかも走行中である。さて、何の運転台だろうか。


 運転士から見ると、日本ではないようだ。ちょっと飛行機のコクピットのようにも見える。




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 正面を向けば、こんな感じである。高運転台の車輌のようだ。





「はなぶさ」に集まる仲間たち




 運転台の下には、展望室があった。しかし、せっかくの展望席なのに、誰も前を見ておらず、新聞を一生懸命読んでいる。それに前面ガラスも曇っていて、あまり見晴らしは良く無さそうだ。





 さて、この車輌の正体は・・・





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 これである。





 と、いってもピンとこない人も多いかもしれない。かつては一世を風靡した車輌であるが、ヨーロッパ鉄道のシンボルであるTEEから引退して30年近くたつし、廃車になってからでも15年以上になるはずである。


 ある程度の年代以上の鉄道ファンなら、おそらく知らない人はない超有名列車であるが、もはや過去の列車なので知る人も少なくなったことだろう。





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 


 もったいぶったが、この車両。ETR300というイタリアの特急車で、「セッテベロ」の愛称が付けられていた。驚くべきことに、登場はなんと昭和27年である。


 外観を見ると、前面展望で、まさにパノラマカーや小田急NSEとそっくりである。それもそのはず、当時、欧州に視察に来た鉄道会社の幹部がこの車輌を見て、ウチにも欲しい、といって製造したのが、パノラマカーであり、NSEなのである。


 前面展望ではなくても、高運転台の構造も151系のこだまや東武のDRCに影響を及ぼしたことが想像される。すなわち、日本で昭和30年代に登場した数々の名車に多大な影響を与えたのが、この車両なのである。




「はなぶさ」に集まる仲間たち



 鉄ちゃんとしては、ぜひともこの名車を見たい。


 と、いうことで、すでに社会人となっていたが、無理をして休みを取ってヨーロッパに飛んだ。31年前の昭和56年9月のことである。





 この時は、撮り鉄というより乗り鉄の旅で、いろいろな名車に乗車した。TGVの1番列車やTEEミストラルの最終列車、ドイツのラインゴールド、ワゴンリーの1等寝台、スイスのゴダルド、パリーアムステルダムのTEEなどである。瑞西に行ったら行かなければいけない、ということでユングフラウにも登ったし、LRTという言葉はまだ無い頃のドイツの高速路面電車にも何都市かで乗車している。当然、セッテベロの乗車は、この旅行のハイライトであった。




「はなぶさ」に集まる仲間たち



 では、なぜ運転台の写真があるのか・・・。




 写真を撮っていて運転士に「運転台を見せて」と頼んだら、「どこまで行くの」「ボローニャまで」「じゃ、このまま乗っていきな」ということで、ミラノーボローニャ間を乗せて貰ったのである。これは、ホントの話。こういうことができてしまうのは、さすがにラテンの国ならではである。




 この時、乗務員は二人乗務で、途中まで写真の運転士が運転し、途中からは助手がハンドルを握った。さすがに、運転はさせてもらえなかったが・・・。と、いうことでボローニャの手前まで運転台で過ごしたはずである。


 パノラマカーとは異なり、運転台の下には客室はなく、広々としており、走行中でも出入りは可能であった。




 当時、セッテベロは1往復の運転で、ボローニャとフィレンツェの間ですれ違っていた。そこで、ミラノからボローニャまで乗って、ボローニャで若干写真を撮り、帰りもセッテベロでミラノに戻る予定をたてていた。帰りはさすがに客室であったが、全車1等にもかかわらず、コンパートメントスタイルの座席は満席であったことを覚えている。確か、食堂車でパスタを食べたはずだが、そのあたりの記憶はあまりない。




 この時が初の訪欧であった。欧州に行くのも、この時には一生に一度(あと、新婚旅行か)と思っていたが、高知より、チューリヒやウィーンの訪問回数の方が多くなるとは夢にも思わなかった。それも、この時の訪欧で、欧州の鉄道の魅力にとりつかれてしまったのが一因だろう。




 ちなみに、この時に乗った欧州の代表列車は、TGVなど高速列車の登場で、すべて姿を消して、博物館入りをしている。それどころか、パリパリの新車であったドイツの新型路面電車ですら、廃車の時期になっている。この、セッテベロも、乗車後3年ほどで第一線から退いている。




 さすがに現代では、テロの危険性もあるので、いくらイタリアとはいえ、簡単には運転台に入れてはくれないだろう。まだまだのどかであった30年前の欧州の一コマである。(駅長)











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2012年8月12日 (日)

盆休み日記 『2012/08/11』



「はなぶさ」に集まる仲間たち



     立秋を過ぎまして、「残暑お見舞い申し上げます」





今年の盆休みは例年より少し長めの6日間(有給1日含む)。


せめて丸一日くらいは鉄活動から遠ざかり、「今後も見守っていてください」と亡き父やご先祖様の墓前に手を合わせるお勤め日を設けて、正しいお盆の過ごし方を再履修しましょう。え、それが当たり前?





さて、盆休み期間の週間天気を見るとあまり芳しくなさそうですが、これはひょっとして「体にガタがきているので家でゆっくり休養しなさい」との警告か?それとも普段からご先祖様を大事にしない罰が当たったのかな?


そういうわけで、地元では誰もが注目するほどの大ネタもなく、やっぱり家で大人しくしている以外にないのだろうかと情報誌やネットなどで盆期間のネタを探っているうちに、もしかしたら今シーズンで見納めになるかもしれない(→根拠はありません)「日本海」を今のうちに見ておきたくなり、11日早朝ついにスクランブル発進をかけてしまいました。せっかくプチ遠征するなら「日本海」以外の列車や未到達お立ち台もついでに掛け持ち撮影したいところですが、思いつきで出かけるときは必ずと言っていいほどロクでもないトラブルが勃発するので、今回は「日本海」のみにターゲットを絞り、比較的名古屋から手軽な距離で撮影できる敦賀周辺、しかも“「日本海」を撮影したことのない”場所で、さらに敦賀駅のバカ停を利用して追っかけてしまおう、と企てました。








「はなぶさ」に集まる仲間たち



まず1発目の撮影地は、敦賀駅ー北陸トンネル間に設けられたデッドセクション付近です。ゆる~いS字を描きますが、朝は完全逆光に加え、望遠にすればするほどタイガーロープ、高速道バックなど障害物が目立つため「日本海」撮影においては人気がまったくない場所です。案の定、通過1時間前に現地入りするも、だーれもいません。天気予報どおり曇ってくれたのは皮肉にも幸いでした。


定番撮影お立ち台は、電車運転士様との同行撮影、もしくは単独行動で敦賀周辺はある程度こなしてきたつもりなので、このポイントはある意味新鮮さを感じますが、実は学生時代にもここを訪れています。当時の画像との新旧対比はこちら(画角が異なるのはご勘弁下さい)。 → http://ameblo.jp/b1hanabusa/entry-10856219879.html
 








「はなぶさ」に集まる仲間たち



撮影後、機材を車に放り込み、即行で次の撮影地へ向かいます。国道8号バイパスでは、おそらく今庄方面から追いかけてきたと思われる他府県ナンバーの車数台と遭遇しました。目的地は各自バラバラで、1台だけが自分と同じ新疋田駅を目指していました。本来なら新疋田駅北方の定番アウトカーブに向かうところですが、前述のとおりお立ち台はすでにこなしていたので(どうせ激パだろうし、もう懲り懲り)、まだ撮影したことのない下りホームからのアウトカーブ狙いにトライしました。ホームからの撮影になるのは不本意であるのと鉄道利用の同業者だらけで立ち位置が確保できるのだろうかという不安がよぎりましたが、意外にもまったりでした。


牽引機は敦賀で107号機から108号機に引き継がれました。ローピンカマの連番リレーもオツなものです。








「はなぶさ」に集まる仲間たち



帰り道に立ち寄ったのは、遠くで雷鳴がとどろく天候の城北線。この日は珍しくイベント列車、同線初の試み「ビアトレイン」が運転されました。当初は8月4日のみで設定されていたところ、大好評のためか11日にも運転が追加されたものと思われます。ビール列車の引きつける魅力が赤字ローカル線を少しでも救済してくれることを期待したいものです。


正面には珍しく「団体」方向幕と特製HMが、車内には沿線にある某ビール工場とのコラボで「昔ッから~」の有名キャッチコピーを表した垂れ幕や提灯などが飾られました。





この後、各地で大雨、落雷と天候は大荒れとなりました。夕方まで粘っていたら、それこそロクでもない目に遭っていたわけで・・・。(出札掛)

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2012年8月10日 (金)

【アーカイブス】36年前の土佐電鉄-新旧対比

 出札掛さんが、土佐電鉄の風情たっぷりの併用軌道の写真を見て、食指を動かされているようだ。土佐電の沿線の内、特に後免への路線は、道路のバイパスができたおかげで、今も未舗装の道路脇併用軌道が残り、当時と変わらぬ良い雰囲気を留めている。


 ぜひ、出札掛さんに高知行きの高速バスのチケットを買ってもらえるよう、36年前と比べて現在がどうなっているか、比較してご覧にいれたい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 まずは、現在の一条橋と清和学園前の間のコンクリート橋である。ここは、南側の一条橋の停留所しかなかったが、学校への生徒の利便を図って70mほど北(確か67m?)に清和学園前が開設されている。電車は、仲間同士でチャーターしたオスロの金魚電車である。

 一条橋の36年前はこんな感じだった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この頃は、コンクリート橋ではなく、ガーダーの鉄橋であった。洪水の後に架け替えられたのかもしれない。

 ちなみにこの区間は鉄橋のためか、昔から併用軌道ではなく、新設軌道の扱いである。

ン?昔の写真の方が色が自然ではないかって。もう少し、デジタルの色遣いを覚えないと・・。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 北浦のあたりは、線路が道路の南側を走っているので若干撮りづらいが、雰囲気が良いので昔からこのあたりで撮影している。

 やってきたのは、高知で唯一の低床車両であるハートラムである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 少々、レンズの角度は異なるが、ほぼ同じ場所から。手前の家は立派に建て替えられているが、その後ろの2階建ては同じ建物である。上の写真が俯瞰気味なのは、洪水後に新しくつくられた堤防の上から撮影しているためである。

 これら写真は同じ場所で撮影しようと狙ったわけではなく、たまたま撮影したのが同じ場所だっただけである。すなわち、このあたりが後免線の代表的景観といえるのだろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 同じ場所から、もう少し舟戸に向かったあたり。線路脇の神社の鳥居がなんとも良い雰囲気である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 同じ場所で、こちらはやや望遠で撮影している。しかし、なぜ、この時に鳥居を入れて撮っていないのだろう。よくわからない。

 こうやって見比べてみると、36年前は未舗装の併用軌道という雰囲気があったが、現在は軌道が整備されて道路脇の新設軌道というような感じとなり、当時ほどの田舎の雰囲気はないようだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最後に、山をバックに撮れる長崎のカット。火薬店の建物が立派になってしまい、ここもちょっと雰囲気が現代的になった。

 再掲で恐縮であるが、同じ場所の600形連結運転である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 まだまだ、新旧対比のネタはありそうだが、とりあえず代表的なところを選んでみた。出札掛さん、如何ですか?(駅長)


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2012年8月 8日 (水)

【アーカイブス】36年前の土佐電鉄

 電車運転士さんから土佐電鉄の懐かしいシーンが掲載された。以前にも一部ご覧頂いたように、筆者もこの鉄道が好きで何度も訪れている。その最初の訪問は昭和51年1月であるが、その折りに何カットかカラーを撮影しているので、それらの一部をご覧にいれたい。電車運転士さんの3年半ほど前の撮影である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まずは高知市街の外れにある葛島の国分川の鉄橋。この時、高知には夜行列車で入り、この鉄橋に撮影に向かったと思われる。当時、後免線には、かつての安芸線直通運転の名残で朝に連結運転が残っており、それを狙って撮影に行ったのだろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 一気に場所は鹿児あたりに飛ぶ。このあたりは、山に沿って線路がうねうねと曲がっており、撮影ポイントが随所に点在する。

 しかし、この写真、半逆光で午後に撮影したと思われる。どうして後免行きが順光になる午前中にこのあたりで撮影していないのか。葛島橋で早朝に撮影しているだけに、行動がよくわからない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 鹿児の電停に到着する後免行。このあたりは、平成10年だったかの水害で大きく風景が変わっているが、軌道敷が未舗装の併用軌道は現在もそのままの筈である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは新木のあたりだろうか。上の写真より、少々、高知に寄ったあたりである。土佐電は広告車が増えたものの、標準塗装は当時と変わっておらず、街並みも今でもありそうな風景なので、36年前の写真と言っても、あまりピンと来ない。車両は、山陽電鉄から来た800形である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 後免線で一番風景が好きな長崎のあたりも撮影に来ているが、なぜか後免行の連結運転はモノクロで撮るだけで、カラーではこんなシーンしか撮影していない。当時は、あまりカラーの撮影に熱心ではなかったことは確かであるが、1枚くらい、良い角度で撮っておけばいいのに、と相変わらず今になって悔やんでいる。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 と、いうことで、モノクロであるが、その長崎のシーン。連結運転であることに加え、車両の先頭に急行のマークが付けられているところを見ると、急行のようだ。もちろん、路面線なので追い抜きなどできないが、停車停留所を減らして時間を短縮していたのだろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 高知駅前の夜景。当時の高知駅前の電停は、駅から離れた道路上にあった。この停留所は歩道橋から俯瞰で撮影できたので。夜行列車の待ち時間、ここで夜楽をされた方も多いのではないだろうか。(駅長)


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2012年8月 6日 (月)

【アーカイブス】祝・市営交通90周年-写真再修正

 前回の記事のコメント覧に書いたが、変色したポジをスキャンする中で、スキャナーが持っている画像補整機能を使ってスキャンしたら、どこまで画像が良好な状態に戻せるのか、気になってきた。これまでは、画像補整機能を使わずに、とりあえず細工せずにスキャンして、フォトショップで修正していたが、思いついて気になりだしたら、さっそくやってみないと気が済まない。そこで、帰宅後にさっそくスキャナの画像補整機能を使って、スキャンをしてみた。


 しかし、結果はあまり芳しくなかった。結論から言えば、フォトショップの自動レベル補正や自動カラー補正をやったものと、ほとんど変わらなかった。スキャンしたデータから補正していくのであるから、同じような処理をしているのではないか、とも思える。


 とはいえ、多少は画像補正されたデータが出てきたので、再度、修正を試みることにした。同じような写真が続くが、ご了承のほどを。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この写真、色がよく残っているのでエクタクロームとばかりおもっていたが、実は原板はフジクロームであった。色はある程度、退色はしているが、ここまで戻せれば、エクタクロームと遜色はない。ポジを透過光で見るのとは異なり、フィルム自体がそれだけまともな色を持っている、ということなのだろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 やや緑の色が死んでいた2000形の写真も、補正の仕方を変えて鮮やかさを出してみた。こうやってみると、フィルムの発色もさることながら、良い色を出すのは補正の技術ではないか、と思える。まだ、空の色等、テクニックを磨く必要があり、もう少し技術力を高めれば、さらに良い発色にすることができそうだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 こちらも、やや色がどぎつかった緑を落として、空の青を出してみた。多少は自然になったのではないかと思う。とはいえ、やはり原板の退色が激しく、完璧には直らない。

 ただ、この違い、ノートパソコンでご覧になっている方には、どれくらい違いがわかるのだろうか。ちょっと気になる。逆説的に言えば、色を修正するためには、ある程度のモニターが必要と言うことになるのかもしれない、


 同じ写真ばかりでは面白くないので、違う写真を少々。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まずは同じ一州町の専用軌道。後部の煙突は、中部電力の名古屋火力発電所のものである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これは、同じ専用軌道の夕暮れシーン。多少、原板より赤を強めている。

 この原板はエクタクロームであるが、さすがにフジよりも発色が良いような気もする。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最後に、もう1枚、エクタクロームの画像。もう少し、黄色を強くした方が良いかもしれないが、いずれにしろ、フジよりは色が残っているので、修正は楽である。


 スキャンデータの色補正については、また、機会を見て載せていくことにしたい。(駅長)




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2012年8月 5日 (日)

【アーカイブス】祝・市営交通90周年

 名古屋市が大正10年に名古屋電気鉄道から市内線を買収し、今年で市営交通90周年を迎えることを記念し、名古屋市交通局では記念乗車券を発行したり、駅にポスターを掲出したりしている。それにちなんで、名古屋市電のカラーをご覧にいれたい。


 もっとも、単に名古屋市電をカラーでご紹介するだけではない。今回、掲載する写真は昭和46~47年の撮影であるが、当時、フィルムはほとんどエクタクロームを使っていたものの、一部、フジクロームも使っていた。約40年が経過した現在、エクタクロームは多少、色ヌケしたポジがあるものの、概ね色を残しているのに対して、フジクロームは完全に赤茶けて、色が見えない。こうしたポジが、どこまで修正できるのか、多少、フォトショップの使い方も慣れてきたので、久しぶりに試してみることにした。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 まずは、色がよく残っているエクタクローム。この程度まで発色が再現できれば、合格点であろう。撮影は市大病院。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 相当、変色が進んでいたが、フォトショップで色を補正して、なんとか見られるようになった写真。もう少し、緑を鮮やかにしたいが、これくらい、色が戻れば、なんとか見られそうだ。撮影場所は、上の写真の少し南側である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これはもっと変色が進んでいたポジを修正したもの。大部、色を乗せたので、ちょっと不自然な色合いに感じられる。もっとも、ネガをスキャンすると、このような発色になるような気がしている。比較すれば駄目だが、この1枚だけならなんとか見られないかな?場所は、港の方にあった20系統の専用軌道。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、色が抜けた(撮影時、露出オーバーだったかも)エクタクロームを補正したもの。もう少し、空の青を自然にしなければいけないかと思うが、まずまず復元できた、と思う。場所は、六反のあたりである。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最後に、名古屋駅前の夜景である。昔は、こうした意欲的な写真も撮っていたんだなぁ、と思うと感慨深い。

 すでに右手の豊田ビルはなく、さらにまもなく奥に見られる大名古屋ビルジングも無くなるので、市電当時の面影はますます無くなってしまうことになる。(駅長)

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172.1979年夏 四国鉄道行脚(土佐電鉄編)1979/8/29

 琴電の次の日は土讃本線の夜行普通列車で高知に向かい、土佐電鉄を訪問しました。土佐電鉄の郊外線の末端区間には美濃町線の上芥見付近の風景を彷彿させる未舗装路側軌道が存在していました。今回は伊野方面ではなく、御免方面を中心に撮っています。ロケーションとしては伊野・朝倉あたりの方が優れているのに、なぜそっちに行かずに御免方面に行ってしまったのか記憶が薄れてしまっています。それでも、未舗装路側軌道の雰囲気は感じることができました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 夜行列車を御免で降り、徒歩と電車を組み合わせながら高知市内方面へと向かいました。長崎付近まで来ると撮影におあつらえ向きの歩道橋があったので、とりあえずここで1本稼ぎました。500型は1型式1両のカルダン試作車でしたが、すでに吊りかけ駆動に改造されていました。車体は200型に準じていますが、窓の上下寸法が拡大されているのが特徴でした。このポイントは軌道と道路が分離されており、路側軌道とはいえませんでした。

【1979.8.29 長崎付近】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 歩道橋から少し移動したら待ちに待った未舗装路側軌道が姿を現しました。複線とはいうものの田舎の長閑な雰囲気に包まれていました。200型は600型とともに土佐電鉄の主力車両でした。

【1979.8.29 長崎付近】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 北浦付近まで来ると背景に山があり、一段と雰囲気がよくなってきました。未舗装の草生した軌道、昔ながらの家並み、幅の狭い道路と条件が整っていました。この感じが気にい入り、ついつい長居をしてしまいました。

【1979.8.29 北浦付近】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 高知市内に近づいてもまだまだ未舗装路側軌道は続いていました。700型は下関を走っていた山陽電気軌道の車両です。郊外線に向かう車両は方向幕の他に「ごめん」・「いの」といった菱形の大型看板を掲出しており、いいアクセントとなっています。御免行と伊野行がすれ違うと「ごめん」、「いーの」といったあいさつが交わされているようで、何とも微笑ましい感じがしました。

【1979.8.29 高須付近】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 高知市内に入ると風景は一変します。街中の活気のある雰囲気が伝わってきます。600型は都電の7000系のような骸骨顔が特徴でした。写真の630は連結運転対応の車両で、連結器・ジャンパ・空気ホースを装備しています。

【1979.8.29 知寄町】(電車運転士)

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望遠増備

一眼レフデジカメユーザーの一員となって早や5年が経ちました。フィルムカメラ時代では一度も経験したことのなかったAF、手ぶれ補正、ホワイトバランス等々の機能も購入当初は戸惑いつつもなんとか自在に操ることができるようになり、画像処理ソフトと相まってデジタルワールドの恩恵を十二分に受けております。


さ~て、そろそろオーバーホールをしなければと思ってメーカーに預けたくても、機材は横浜の修理センターまで送られてしまうため7~10日間の日数を要するのがちょっと難点。修理でカメラを手放している間に面白い被写体が現れても「見るだけ」で終わってしまうのはしゃくに障ります。

   「もう1セット買えば?」

イヤです。そんなに予算ありません。だが、レンズをもう1本購入すれば手元のレンズだけでもオーバーホールに出すことが出来るのだ、という単純な発想から、以前から気になっていた70~300mm(新品)をついに増備してしまいました。


現在小生が持つのはAPSサイズカメラに18~200mmを装着していますが、このレンズに交換すればフル望遠側では35mm換算で450mm相当の超望遠効果を得ることができます。しかしフル望遠で撮影すると太陽が照りつける晴天時は陽炎にやられるし、作画的には正面ドカンのワンパターン画像になりがちですが、中望遠としても機能する使い勝手を考慮すれば鉄道写真にはそれなりの威力を発揮できるのではないかと思います(→しかしまだ何も試していない)。


実はフィルムカメラ時代にも超望遠レンズ(=500mmF8レフレックス)を格安で入手していました。その性能上どうしても出番は少なめになりますが、時にはこのレンズにピタリと収まる場面もありました。その一部をアップしますのでご笑覧下さい。トリミング若干してあります。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


懐かしの名鉄揖斐線有名撮影地・伊自良川の右岸から岐阜金華山を狙いました。F8開放固定のためピントはどうしようもできないですが、思い描いていたアングルを得ることができました。




「はなぶさ」に集まる仲間たち


冬の磐西D51「会津路」です。この日はアウトカーブを俯瞰するお立ち台にやって来ました。三脚には2台のカメラをセットし、片方には中望遠を、もう一方には500mmを装着して待機。天気は曇りでほとんど無風状態なので、うまくいけば線路に沿った煙の軌跡が拝められるかもしれないと思い、いざ本番。結果は期待どおりでした。



次のステップはカメラ本体の増備ですが、いや、もしかしたら買い替え?いずれにせよ、いつになることか・・・。(出札掛)

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2012年8月 4日 (土)

【海外鉄】EURO2012記念塗装車

 前回は女子高生と電車のコラボをご覧にいれたが、制服フェチかと思われるといけないので、一転して、少々格調高い?テーマの写真をご覧にいれたい。


 現在、ロンドン・オリンピックが開催中で、サッカーが男女とも順調に勝ち進んで、メダルへの期待が高まっている。それを記念して、サッカーがらみのネタである。

 ご存じのように、欧州では球技といえば野球ではなくサッカーをさし、最も人気のあるスポーツである。その欧州で、オリンピック以上の人気を誇るサッカーのトーナメントがUEFAヨーロッパサッカー選手権である。オリンピックと同じく4年間隔の開催で、本年のEURO2012は6月にポーランドとウクライナで共同開催された。優勝したのはスペインであるが、そのスペインはオリンピックでは予選で日本に負けている。


 この開催に向けて、ホスト国である両国は、多くの観客を無事輸送できるよう、鉄道設備の整備を進めると共に、ポーランドでは参加国の国旗をもとにデザインした記念塗装車を運行した。

 筆者の撮影したそれら記念塗装車をお目にかけよう。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まずは地下にあるワルシャワ中央駅に停車するドイツ塗装車。国内のインターシティを牽引している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 そのワルシャワ中央駅の地下線を出てくる国内急行。塗装はクロアチアカラー。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 同じ場所で、こちらはアイルランドのカラーである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ウクライナカラーの機関車に牽かれてワルシャワに到着する国際寝台列車。モスクワ行きのこの列車は、オランダのアムステルダムとスイスのバーゼルが始発で、さまざまな国の寝台車、座席車、食堂車が連結されている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これはその編成中のロシアの寝台車。ロシアの寝台車は、これ以外にウィーン、ニース、パリへの直通運転がある。ちなみにパリからモスクワまでは、だいたい40時間ほどかかる。ロシアとヨーロッパでは軌間が違うので、ポーランドの国境のブレストで台車を変える。最新の客車は、ヨーロッパ内は200km運転、ロシア内は160km運転が可能という。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これもサッカーデザインであるが、国をイメージした塗装ではない。どうやら試合を開催するグダニスクのPRカラーのようだ。ワルシャワ・ベルリン急行となづけられたこの列車は、ドイツとポーランドを結ぶ最も格の高い列車で、特別料金が必要である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最後にポーランド国鉄の標準塗装をご覧にいれる。世界遺産の古都、クラクフに停車中の国際寝台列車で、牽いている客車の行き先はプラハ、ウィーン、ブダペストと多彩である。


 以上、ポーランド国鉄のEURO2012記念塗装車をご覧にいれた。もちろん、好みはあろうが、なかなか良いセンスであると思うし、撮っていても楽しい。

 これに対して、どこかの国のイベント列車は、ごく一部の事業者を除いてセンスが悪くてなかなか撮る気になれない。もっとも、一部事業者では、なかなか良いデザインも登場しているので、是非ともそれらが刺激となって、センスの悪いデザインの車両を追放してほしいものである。(駅長)





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2012年8月 3日 (金)

【アーカイブス】昭和50年代初の女子高生制服ファッション

 こんなタイトルを付けると、検索でひっかかって、間違って当ブログを見られる方も多いのではないか、と察せられる。そうすれば、アクセス数もあがるわけで・・・。

 ということで、間違ってご覧になった方、ご免なさい。当ブログは、鉄分の濃い、というか鉄分100%の内容です。(^^;)


 さて、当ブログのメンバーである津島軽便堂さんのHPで、先月初めに熊本電鉄が紹介されている。

 http://tsushima-keibendo.a.la9.jp/kumamoto/kumamoto1.html

 さすがに良く、この鉄道の雰囲気を捉えておられる。


 実は、筆者もこの鉄道が気に入って、何度か訪れている。どこが気に入ったかと言えば、蒸機軌道としての歴史を持つことから、鉄道線でありながら、熊本市内の藤崎宮前と黒髪町の間に併用軌道があり、さらにその沿線に高校があることから、通学時間帯には女子高生がいっぱいいる・・・・と書くと、偏執狂になってしまうが・・・その通学風景と電車とのコラボにいたく写欲をそそられたからである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 通学の女子高生、そして併用軌道を近づいてくる鉄道線の大型車両・・・・ちょっと他に見ることができない、ここだけのなかなか良い雰囲気である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、反対側の藤崎宮行き列車。高いところから撮影してるが、どこから撮影したのか、ちょっと記憶がない。


 この撮影は昭和51年の春であるいが、この女子高生に・・・・・もとい、この通学風景に引かれて、九州滞在中に3度もここに訪れてしまった。しかし・・・

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 2度目の訪問は、何と雨。雨もまあ、雰囲気が変わって良いと言えば良いのだが・・・あ、こっち向かないで。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この併用軌道、距離は200mくらいであるが、その藤崎宮寄りには酒屋さんがある。店の前を電車が通っていると営業しにくいのではないか、と心配するのだが、現在も盛業中なのは喜ばしい限り。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 3度目に訪れた時には、なぜか併用軌道区間で撮影せず、黒髪町で乗降風景を撮影している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この列車の後ろには、名物の元電動車の食パン客車が連結されている。なぜか、前の2回にはこの客車の写真がない。どうして撮影していないのか、これも思い出せない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 上熊本と北熊本間を走る小型車70形の牽引する混合列車も、ここならではの良き被写体であり、もちろん撮影している。しかし、津島軽便堂さんの撮影された打越のトンネルの上からの俯瞰は撮影していない。撮影場所に気がつかなかったのか、今になって地団駄踏んで悔しがっている次第である。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは北熊本に到着する混合列車。貨車には自衛隊の作業車だろうか、珍しい車両が載っている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 北熊本では、上熊本行と藤崎宮行が同時発車していた。この光景を撮ろうと2度ほど撮影しているが、なかなかうまく同じ画面には収まってくれなかった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 一度だけであるが、広瀬と富の原の間の河岸段丘が広がる所にも撮影に訪れている。この間で津島軽便堂さんが撮りたかったといわれる混合列車も撮影しているが、残念ながらこのアングルでは混合列車かどうか、よくわからない。

 もう少し、富の原の近くの広い場所で撮っていれば・・・と思うのだけれど、今となっては何ともならない。


 熊本電鉄の路線は、その後、御代志から北の区間を廃止し、都市部のみに短縮して、現在も健在である。しかし、藤崎宮のターミナルの位置がなんとも悪くて、都市鉄道として機能するにはなんとも辛いものがある。九州新幹線の開業時にLRT化して熊本市電に乗り入れる、という構想もあったが、そのままになってしまって具体化していない。近年は沿線に住宅が並び、近代化すれば都市鉄道路線としてうまく活用できるのではないか、と思うのであるが、現在の状況はそうした方向に進んでいないのがなんとも残念である。(駅長)





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「エ」なる電車・絵にならぬ電車(中部編Ⅱ)

もうゲテモノは飽きた、と言われそうですが、もう1回お付き合い願います。

最後を飾る?のは飯田線用に豊橋区と伊那松島区に配属されていた「エ」2両です。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

クエ28100(←サハ17122 1964年浜松工改)+クモル23050 浜松工場 1982年4月19日
唯一中間車サハ17から改造された救援車で、豊橋区所属でした。妻面は両サイドとも観音開き戸になっていました。山間部での救援作業用に各妻面にヘッドライト?が3灯並んでいます。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

クモエ21009(←クモハ11235 1970年長野工改)+クモハ61005  赤木・宮田1981年4月14日
こちらは伊那松島区所属車で、台検試運転で伊那松島・宮田間で運転されたものです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

↑の後、宮田に到着したところです。側面は元の扉が埋め込まれ、かなり原型とは異なりますが、従来の運転台側妻面はほとんど手付かずで、窓枠もHゴム化されていません。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

クモエ21009+クモヤ22112 弁天島・新居町 1981年9月19日

台検の4か月後に浜松工場に全検し、この日出場しました。新設運転台側は21800の様に1枚開き戸になっています。入場前までは、白く三角に塗装されていましたが、この入場でノーマルになりました。


以上3回に分けてご紹介しました不細工な救援車は、JRに引き継がれることなく、1986年までに廃車になりました。(検査掛)




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171.鉄分補給(9005列車の朝練)2012/8/2

 駅長様同様、自分もしばらくアップが滞っていましたので、生存報告を兼ねて最近の鉄分補給をご報告いたします。情報通の方からいただいた情報によると7月中旬から8月上旬にかけて9005・9004列車が活発に運転されていましたが、天気と自分のスケジュールが合わなくて朝練のチャンスを逃してばかりでした。豊明到着が5時40分の9005列車は夏至前後限定の列車なので、1回くらいは朝練に行かねばと思っていましたが、8月2日にやっとチャンスが巡って来ました。朝起きてみると東の空には雲もなく、これならということで自宅を出発しました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 湿度が高いこの時期は風さえ吹かなければ稲の葉っぱに朝露がびっしりついて、朝日が昇る頃にはキラキラ輝き、宝石を散りばめたような状態になります。9005列車でこれを狙ってみたくて、敢えて逆光側にスタンバイしました。条件が揃い、目の前には想定どおりの風景が広がっていましたが、現地到着は通過の5分前、試し撮りをする列車もなくぶっつけ本番となりました。9005列車がファインダーの中に飛び込んできましたが、太陽の位置が低すぎ、予定の切り位置だと田んぼに機関車の影が落ちて真っ暗になってしまうことがシャッターを切る直前に判明しました。こうなっては朝露どころではなくなってしまいますので、急遽の判断でデキとホキの間に太陽を持ってくればその部分だけ光が抜けて、何とかなるだろうと対処したのが上の写真です。光が抜けたところがスポットライトのようになって、何とか見れる状況になりました。

【2012.8.2 富士松~豊明】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 次の列車は電車なので、貨物列車のように連結面の間から太陽を抜くことができません。仕方なく太陽の手前でシャッターを切ってみなした。もう少し時間が経てば太陽が昇り切ってしまうので、こういった悩みは解消されますが、どうしても車を6時20分までに自宅に戻して、その後、会社に出勤というスケジュールになっていたため、この2本を撮って現地を後にせざるを得ませんでした。

【2012.8.2 富士松~豊明】(電車運転士)





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2012年8月 2日 (木)

「エ」なる電車・絵にならない電車(中部編Ⅰ)

中部地区の「エ」は、担当線区の事情から、関西地区に比べて、特に前後面の改造が著しく、旧型電車ファンにもチョット・・・という人も多いと思います。

それはともかく、関西と異なり、情報が容易?に入手できた中部地区では、入出場のみならず、(台検)試運転も行われていて、走行を捉えることができました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

クエ9421(←宇部デハニ350 1959年大井工改) 浜松工場 1981年12月19日

全検出場の構内試運転の様子です。ピッカピカでした。残念ながら前後とも観音開き戸に改造されて元車の面影は殆どありません。

大垣電車区の配置で、通常は東海道線の南側電留線の一番北側の突端に置かれていて、高槻のクエ9400同様、架線柱が邪魔をして撮りにくい車両でした。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

大垣電車区台検試運転  クモヤ22118+クハ165-175+クエ9421+クモヤ90005  垂井・関ヶ原 1982年12月18日

大垣区では台検後の本線試運転も行われており、大垣・関ヶ原間を走る姿を見ることができました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

クモエ21800(←クモハ11231 1969年浜松工改)  春日井・神領電車区 1979年11月17日

名古屋に来て半年余りの頃、ようやく情報を入手できる態勢になって、ビックリしたのはこの列車?の存在でした。かなり記憶が薄れてきてはいますが、たしか週3日、春日井で車扱い貨物列車から解放された配給貨車(1~2両)を、電車区まで送り迎えするのがこの車の仕事でした。当然双頭連結器を備えていました。

「エ」なる電車の中で、もっとも走ったのはおそらくこの車でしょう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

春日井 1980年11月24日 

浜松工での改造時は21008という形式でしたが、中央西線電化を受け、1975年に長野工で一部低屋根化され、800番台となりました。

非パンタ側の妻面は開き戸となっていますが、パンタ側は貫通路が埋め込まれていました。


2回で終了するつもりでしたが、飯田線編を別にアップさせて頂きます。(検査掛)






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2012年8月 1日 (水)

生存報告

 お暑うございます。

こう暑くては、鉄ちゃんに行く気にもならず・・・・・って、暑くなくても同じようなことを言ってますね(^^;)・・・・・・このところ、記事も載せていないので、生きているのかとか、あるいはまた、遠島流刑になったのか、とご心配される向きもあるかもしれませんが、とりあえず国内で静かに息をしています。夏ばてで何もやる気にならない・・・・・だけですね。皆様も似たようなものか、とお察ししますが・・。


 出札掛さんが、暑中見舞いとして冬の北海道を載せられていますので、その延長線で涼しそうな写真を。

 

 特に意味はないけれど、もう少し萌えるよう、留萌本線のD61を。雪中行、爆煙の写真で、暑気払いをしてください。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、恵比島を通過する運炭列車の回送?。すでに羽幌線や留萌本線の採炭はほとんど終わっていたはずだけれど、昼間に1列車、運炭列車が残っていました。なにしろ、長い貨物列車でした。この写真では後補機が写っていませんが、D51の後補機がついています。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、逆の峠下から登ってくる貨物列車。この区間は、後にNHKの朝の連ドラ「すずらん」の収録で、C11が走った区間でもあります。この編成、前はD614、後部補機がD514という4番コンビです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 同様に、峠下からの登り勾配。望むべくもないですが、もう一度、こんな環境下で蒸機を撮ってみたいですね。


 暑さはこれからが本番。皆様もせいぜいお体にご自愛の程を。(駅長)

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「エ」なる電車・絵にならない電車(関西編)

P誌の9月号の特集は、私が1980年代前半に燃えた(今流なら「萌え~」でしょうか(^O^)/)事業用車両です。国鉄流で言えば、ヤ・エ・ルの世界ですが、年代も限らず、国私鉄、電車客車気動車の広範囲となれば、1冊で紹介できるものはほんの一部といったところでしょうか。

同誌の中でI氏も述べられているように、営業車両と異なる魅力と苦労があり、ほとんど走らないので走行中を捉えるのが難しいのと、所属区所にいても通常は厄介者なので、撮影可能の場所にいるとは限らないことでした。

それでも、今思えば執念を燃やして(そんな大袈裟なものか)追いかけた電車を関西編、中部編の2部構成でご紹介したいと思います。


まずは関西編。

電車の配給車の運転情報は友人から結構入手していたものの、さすがに救援車の情報は少なく、走っているところを捉えたものはありません。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


クエ28004(←クハ16417 1965年吹田工改) 1980年6月23日 淀川電車区

この頃はフジのネガカラーを使っており、褪色が激しいので少々見苦しいのはお許しください。

さすがの片町線もすでに新性能化が完了しており、51系や73系のオレンジバーミリオン色は見たことがありませんが、なぜか淀川区の事業用車はこの色に塗られており、奥に見える牽引車代用のクモハ32001ともどもこの色でした。

増設運転台側で、貫通路が元のプレス引き戸がそのまま使われており、テールライトも引掛け式が使われています。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

クエ28003(←クハ16814 1963年吹田工改) 1980年9月11日 宮原電車区

28004より2年早い改造ですが、もとクロハで窓配置も微妙に異なっています。この車は敷地外の道路からよく見える位置に置かれていました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

クエ9400(←鶴見臨港クハ262 1957年改) 1980年10月23日 高槻電車区

この車両も東海道線の車窓からよく見えていました。この車の特徴は何と言っても日本初の4扉車で、改造されてもその特徴がはっきりわかります。↓の9423と比べると、ノーシルノーヘッダーであることや、窓の上辺と雨樋までが広く、リベットレスと相まってスマートな感じがします。

1943年製で、登場後14年で救援車に改造されており、1984年に廃車になるまで救援車としての車歴のほうが長くなりました。

どう狙っても支線が入ってしまうのが残念でした。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

ちなみにバックから撮るとこんなカンジです。末期には旧社形の救援車は、片運車は形式クエ9400、両運車は形式クエ9420にまとめられています。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

クエ9423(←鶴見臨港モハ131 1960年大井工改) 1982年3月2日 日根野電車区
1941年鶴見臨港としては最後の電動車としての新製車ということです。テールライトは埋め込みに改造されていますが、シルヘッダーもあり、リベットもしっかり打たれて無骨な感じです。配置標記は天オトのままです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

クエ9424(←南武モハ156 1960年改) 1984年10月21日 吹田工場

廃車後、吹田工場に回送されたところです。他の列車の撮影で関西に行っていて、帰りがけに見つけ急いで途中下車しました。クエ9424+クエ9400+クエ28003で組まれたまま止まっていました。

頻繁に行っていたため、吹田工場入場構内係の人とすっかり顔見知りになり入れてもらえました。

この車は網干区の配置で、電車区が駅から遠く所在も確認できなかったため、現地へ行かなかったのですが、最後に撮ることができラッキーでした。


関西では残念ながら「エ」の走る姿を撮ることができませんでしたが、中部編ではご覧にいれたいと思います。(検査掛)

 


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