« 2012年6月 | トップページ | 2012年8月 »

2012年7月

2012年7月30日 (月)

暑中見舞い

今年もまた、気温が連日35度を超える本格的な酷暑がやってまいりした。暑さを避けるため朝練に出かけようとしても家を出た時点で気温はすでに30度近くまで達しており、アー暑いっ、朝から汗だくでハラがたつ!

たとえ青空が見えていても、特別に“その日限りの”珍しい列車でも走らなければ家の中で大人しくスキャン作業に勤しんでいたほうがましかなぁ、と無難な選択をしてしまいます。

そんなわけで、せめて気分だけでも涼しくなれないものかと、最近スキャンしたリバーサルの中から一コマ、日本一寒い地方を走る国鉄地北線小利別駅(撮影当時)の画像をお届けします。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


極寒の地の利を活かし、その寒さを演出しようとつららで覆われた駅舎を仕立てあげました。さながら鍾乳洞(笑)。撮影は1986年2月14日。バレンタインデーでしたが、自分には関係ないねっ!


みなさま、夏バテせぬようどうぞお大事に(出札掛)

|

2012年7月28日 (土)

高原に行ってきました(^O^)/

毎年のことといえ、梅雨明け直後は暑くなりますねぇ。

同居人がマイカーの車検に合わせて(7月22日~23日)どこかに行こうと言い出し、どうせなら涼しいところへ、ということで野辺山近辺に出かけることになりました。


久しぶりに18きっぷを持って、大曽根6:24発の中央線の客となりました。

313系3000番台が飯田線用に転出したおかげで、塩尻までは転換クロスです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

塩尻でJR東日本に乗換です。長野県内の電化区間の普通列車は殆どが115系ですが、長野総合車両センターに211系が相当数量運び込まれており、E127系が篠ノ井線で試験的に営業運転されるなど、そろそろ置換えも迫っているものと思われます。

久しぶりに諏訪湖を車窓から眺め、小淵沢からは110系DCで11:52に野辺山に到着、昼食後はサイクリングです。σ(^_^;)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

こちらから言うまでもなく、JR最高地点に行くことになりました。

さすがは標高1300メートル超、靄に包まれれているせいもあり、長袖でも寒いくらいでした。

22日は日曜日で、小淵沢・野辺山間に「八ヶ岳高原列車」4往復が運転されており、それほど待たずに5号がやってきました。当然200系が使われているものと思っていましたが、110系でした。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


その後、最高地点にほど近いSLランドに行きました。

台湾製糖で使用されていたナローの機関車が2両のオープン客車を人が歩くくらいのスピードで走っていました。実際、ボイラーは使われていない様で、キャブの後ろに縦型ボイラーを載せて、不格好な覆いで囲っていたので、あまり目立たないように正面から狙ってみました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

井笠の7号機も置かれていましたが、雨ざらしの状態で、せめて屋根くらいは欲しいものです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

SLランドの後は、千ヶ滝など観光して、15時ころ野辺山駅前に戻りました。

駅前には、当然の様にC56が保存されていますが、96号機です。小海線にも応援には来たことはあるでしょうが、私の感覚では上諏訪区所属で、県内各線を渡り歩いていたカマ、という感じです。

この日は清里で泊まります。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

清里駅前にもC56が保存されています。こちらは永く中込区にあって、小海線の顔だった149号機です。他の場所に保存されていたのを、清里駅の整備を機にこの地に移されたものです。


翌日は午前中は清泉寮周辺で遊び、清里12:02発で、小淵沢に向かいます。平日なのでこれを逃すと2時間後となります。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

森の中から姿を見せたのは200系でした。

特徴であるハイブリットは一方的な下りのため、全くわかりませんでした。(x_x;)


本来なら来た道を帰るところですが、同伴者が「今回は乗ったことがない路線を乗ってみる」とのたまいまして、身延線を乗り通すことになり、小淵沢から甲府に向かいます。

長坂、日野春、新府とようやく青空になった甲斐路を下り、甲府で降りると富士行の直通まで1時間以上待つので、石和温泉まで足湯に浸かりに行きました。

これが大いなる判断ミス、このあと6時間弱、ロングシートに揺られるハメになりました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

鰍沢口での313系の3並びです。「富士川10号」を退避するため、18分停車です。


列車を使った旅からしばらく遠ざかっていたためか、だいぶカンが鈍ってしまっていました。列車に乗る以上は、時刻表は最新のものを携帯する、そんな常識も忘れていました。反省(^_^;)(検査掛)




|

2012年7月24日 (火)

170.1979年夏 四国鉄道行脚(5号車 琴電編)1979/8/28

 1979年夏の四国鉄道行脚、これまではDF50を中心とした国鉄ばかり取り上げてきましたが、そろそろ別ジャンルをご紹介しないとひんしゅくをかいそうな雰囲気になってきたので、ちょっとだけ民鉄巡りもしていました。四国の民鉄といえばまず思い浮かぶのは琴電、こちらにも敬意を表し、1日かけて目ぼしい車両とポイントをゲットしました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まず向かった先は車庫と工場のある仏生山です。ここはいつ行っても生まれも育ちも違う個性的な面々がたむろしていました。今回は以前にご紹介させていただいた車両は割愛して、それ以外の車両を追加紹介というかたちでご覧いただければと思います。780型は山形交通三山線のモハ111で、同線の廃止にともない、1975(昭和50)年に琴電に譲渡されました。山形時代は正面2枚窓でしたが、琴電に来てから貫通化改造を受けました。

【1979.8.28 仏生山】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 950型は1966(昭和41)年、国鉄から購入したオハ31の台枠を流用して車体を新製した車両で、種車の台枠形状の関係から、車体両端部分が微妙に絞られているのが特徴でした。

【1979.8.28 仏生山】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 70型は東濃鉄道駄知線のモハ101で、水害による同線の廃止後、1975(昭和50)年に琴電に譲渡されました。電気機関車の製造が中心だった東芝で新製された最初で最後の旅客車で、全長14mちょっとといった路面電車並みの小振りな車体が特徴でした。

【1979.8.28 瓦町】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 10000型は琴平線の急行運転用として1952(昭和27)年に新製された車両で、しばらくは琴電の看板電車としての地位を保っていました。吊り掛け車ながらメカニズム的に優れていたのは日本初のワンハンドル制御を採用したことで、当時としては画期的なものでしたが、複雑なシステムが災いし、1980(昭和55)年には一般的なHL制御に改造されてしまいました。この頃でも均整のとれたスタイルは琴電の中でもピカイチの存在でした。

【1979.8.28 瓦町】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 瓦町で電車ウォッチングをしていたら、先回の訪問で撮影できなかった1000型が長尾線の運用に入っているのを確認できたため、走行写真を撮るため、ロケハンを兼ねて長尾線の乗客となりました。1000型は琴平電鉄が開業の際に3000・5000型とともに1926(大正15)年に製造した車両で、この3型式は同時期に製造されたものの製造メーカーの違いなのか少しずつ外観が異なっています。自分としては、ノーヘッダー車体で窓の上隅にRが付いている1000型のスタイルが好みでした。120が僚友の300・500とともに動態保存されているのは嬉しい限りです。

【1979.8.28 公文明~長尾】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 撮影ポイントを捜しながら瓦町方向に歩きました。途中の駅で電車待ちをしているおばさんの姿が見えたので、スナップ風にまとめてみました。木造の上屋にベンチ、ローカルらしい好ましい風景でした。

【1979.8.28 井戸】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 さらに足を進めると親子連れが電車を待っていました。幼稚園くらいの子供が興味深そうに時刻表を指差して父親に何か聴いているようでした。

【1979.8.28 白山】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 讃岐富士をバックに長尾線の電車を撮れそうな高台があったので、登ってみました。住宅が点在し、背景的にはあまりスッキリした場所ではありませんでしたが、これが精一杯のアングルでした。

【1979.8.28 学園通り~白山】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 長尾線の後は志度線に転戦しました。交換電車を待っていたら920型がやって来ました。920型は1929(昭和3)年に製造された
山陽電鉄の100型で、昭和初期の小型電車の雰囲気がよく出ていました。

【1979.8.28 八栗】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 5月にも訪れた海バックの俯瞰ポイントに再挑戦していました。琴電の撮影間合いに「むろと」が手前の線路を高速で駆け抜けて行きました。

【1979.8.28 八栗口~志度】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 夕方になって志度から高松方面に戻って、沖松島の鉄橋に足を運びました。川岸沿いに漁船が多数係留されており、いい感じだったのでしばらく粘ってみました。琴電オリジナル車の2両がゆっくりと鉄橋を渡って行きます。

【1979.8.28 沖松島~春日川】(電車運転士)


|

2012年7月22日 (日)

貨物列車三昧

【1】名鉄工臨

情報通の方から、22日(日)に名鉄本線にて知立→豊明9005レと折り返し豊明→矢作橋9004レ2本のホキ工臨が走るとの情報が入りました。豊明あたりにいれば短時間に2本撮影できるということになるので、日曜日でもあるし、朝練修行に出かけてみましょう。しかし家を出る前から天気は霧雨模様。現地に着いてやや小康状態になっても撮影条件の悪いこと!同業者も数える程度しか集まらないのはうなづけます。まあいいや、やっつけ仕事だ、と割り切って9005レを豊明駅手前で待ち受けます。

AM5:35、同列車は予定どおり姿を現しました。しかし撮影ポイント直前でスピードダウンして、ああ~、止まる止まる止まる・・・・場内信号「停止」で、目の前で止まりました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


ダイヤ上では、反対方向からやって来る豊明始発の512レと交換して同駅に入線することになるはずなのに、当該列車は発車時刻を5分以上過ぎても現れません。そのため当の9005レは発車することが出来ず、おかげで撮影し放題となりました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


512レの発車が遅れた影響で、結局走り出したのは10分後。その間、アングルを少しずつ変えながらシャッターを押しまくります。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


天候が良くなかった代償に、予期せぬハプニングのおかげでコマ数を稼ぐことができました。

「これって貨物列車というより事業用列車でしょ?」ま、それはさておいて・・・。



【2】白ホキ5580レ

早起きついでに、名鉄工臨の撮影後は東海道線に転戦して衣浦臨海への白ホキを狙います。久しぶりに大府ー共和の複々線用地区間にやって来ました。昔は団臨などを撮影するときに時々足を運びましたが、防護フェンスや線路沿いの障害物が増えて昔のように自由なアングルが選べなくなりました。もっとも、以前のような撮影対象列車が少なくなったので、とくに支障はないのですが。

3月改正から上り5580レはDD51の運用になりました。機関車運用サイトを見るとこの日は原色機が入るはず。そして本番、予定通り原色機の牽く5580レが霧雨の中から現れました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち



【3】衣浦のKE

さらに移動して、今度は衣浦臨海KE重連の白ホキを電化工事たけなわの武豊線内で撮ることにしました。尾張森岡の北方では林の間を抜けてくるシーンを撮影できます。しかしこの日はすでに先客が陣取っておりアングルが制約され、後方のうっとおしい建物の処理ができず、リベンジです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち



【4】復活ゼロロク

ミーハー的ネタなのであまり記事にするほどではありませんが、ちょうど帰り道に東海道を上ってくるスジに入っていたので、少しだけ寄り道して庄内川に向かいました。復活間もないEF66-52号が広島からの5060レを担います。EF210の運用を代走している事もとりあえず特筆。そういえば、かつては東海道ブルトレを牽引していた名誉あるカマだったのですね。


「はなぶさ」に集まる仲間たち



【5】特大貨物

一旦自宅に戻り、某情報誌に記載されたとおりに「シキ」が東海道を予定通り下っているか、目撃サイトをチェックします。こうなると、エサに飢えたなんとかのような気持ちになってしまいますが、めったにお目にかからない車両なので見物に出かけました。稲沢駅北方にて貨物線と東海道下り本線が合流する地点で写そうとするものの、線路沿いの雑草が足回りを隠してしまうので、苦し紛れに決めた撮影地がここ。しまった、特徴的な足回りが見えるような撮影をしたかったのに、思ったよりも見え辛くなって誤算でした。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


天気が芳しくない一日でしたが猛暑で汗ダクになるよりましですね。(出札掛)

|

スキャンのテクニック

 昨日、東京まで出向いてプロカメラマンの諸河氏の講演を聞いてきた。写真展「電車道」に展示されている写真も興味深かったが、どうしても聞きたかったのは「国鉄時代」誌にも紹介されていたスキャンのテクニックである。


 写真展や講演の詳細はここでは記さないが、そのポイントはデジタルカメラで複写することに加え、処理をRGBでしていく、ということではないかと思う。


 モノクロのスキャンは、グレースケールで行うのがよいのか、あるいはカラーとしてデータをスキャンして、後でモノクロに戻すのがよいのか、これは以前にもここで記したことがあるが、なかなか大きな悩みである。もちろん、カラーとして処理した方がデータ的には多いので良いことはわかるが、HDDの容量や処理のしやすさ、を考えるとグレースケールの方がはるかに楽だ。しかし、やはりRGB処理が良い、と聞くとどうしても比較してみたくなる。そこで、スキャン方法によってどれくらい違うのか、再度、試してみることにした。


 元の写真はこれである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 このうち2箇所を等倍に拡大して処理をして、その一部を切り取ってみた。結構、写りの良いネガなので、4000dpiでスキャンし、等倍に拡大してもビクともしない。

 

 まずは、グレーモードでスキャンしたデータである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 次にカラーモードでスキャンし、最後にモノクロにしたデータである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 極力、同じようなトーンに揃えたつもりだが、それでもトーンカーブのいじり方によって微妙な差が出てしまう。気のせいかRGBで処理した方がトーンが出ているようにも思うが、どうだろう。


 電車ではなく、色が飛びそうな花の部分も拡大してみた。まずはグレースケール。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 続いて、RGBモードである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これも気のせいだろうが、こちらの方がトーンが豊富のような感じがする。


 RGBで処理すると、データが多いことに加え、フォトショップにしても処理の方法が多いことが利点としてあげられよう。しかし、階調を整えるには、数倍の時間を要するし、処理をしないとそのままでは見られない。


 さて、どうするか。これまでスキャンしたデータはともかくとして、今後、スキャンするデータは変更することも可能である。もっとも、この程度の差なら無視して、数を処理するという考え方もある。ちょっと悩ましい。(駅長)


【追記】アップしてみて再度ながめていると、トーンの差はスキャンの仕方によるものか、あるいはトーンカーブでの調整に起因するのか、よくわからなくなった。そこで、グレースケールの写真のトーンカーブを少々さわり、若干硬調気味な写真を軟調にしてみた。

 さて、違いはどうだろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最初、グレースケールの方がやや硬調でトーンが飛んでいるかとも思ったが、少しトーンカーブで調整するとあまり差はなくなったようにも思える。 

 もっとも、ノートパソコンでご覧になっていると、多分、ほとんど違いはわからないのではないか、と思う。同じような写真を並べてご容赦を。
 


 

|

2012年7月21日 (土)

169.1979年夏 四国鉄道行脚(4号車 高松駅スナップ編)1979/8/27

 大歩危での撮影の後は私用があって一旦四国を離れ、関西方面へ2日ほど出向いていました。四国に再上陸したのが8月27日の午前中でした。宇高連絡船から高松駅に降り立ったところ、天気は生憎の土砂降り状態、天気がよければ琴電でもと思っていましたが、ずぶ濡れになってまで写真を撮る気力もなく、屋根のある高松駅でスナップ中心の軟弱鉄に予定を変更しました。今では駅周辺の再開発が実施され、昔の面影はほとんどなくなってしまったんでしょうね…。この頃は櫛型ホームが並び、終着駅らしい風情を味わうことができました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 改札口の近くにあった讃岐うどんのスタンドで腹ごしらえした後、5番線に中村行の「南風」が停車中でした。やっぱり、特急車両がいると周囲の雰囲気が華やぎます。

【1979.8.27 高松】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 お孫さんとおばあちゃんでしょうか? 大きな荷物とリュックの中には夏休みの思い出がいっぱい詰まっているんでしょうね。

【1979.8.27 高松】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 一番南にある0番線に徳島行の「阿波」が停車中です。高徳本線の高松~徳島間はビジネス利用が結構あり、3両が基本の短い編成でしたが、「むろと」と合わせた高頻度運転が特徴でした。

【1979.8.27 高松】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 先ほどの「南風」と入れ違いに高知からの「土佐」が5番線に到着しました。土讃・予讃本線の急行は急勾配区間があるため、必ずキハ65が編成中に組み込まれていました。外観的にはユニット窓と折り戸が特徴でしたが、キハ181系と同型の500馬力エンジンを搭載し、とくに発車時のターボを効かせたパワフルなエンジン音が大好きで、好んでキハ65に乗車していました。鉄以外の人間にとっては単なる騒音にしか聴こえなかったでしょうが…。

【1979.8.27 高松】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 宇高連絡船の乗り換え跨線橋で6番線に到着する宇和島からの「うわじま」を待ちました。基本編成5両のところ夏休みの多客対応のために7両に増結されていました。

【1979.8.27 高松】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 場所をホームに移してみると先ほどの「うわじま」からドッと乗客が吐き出されて来ました。利用の目的は帰省・旅行・仕事とさまざまでしょうが、それぞれの想いを胸に秘めながら足早に宇高連絡船乗り場または改札出口へと向かって行きます。連絡船が接続している終着駅ならではの光景が見られました。

【1979.8.27 高松】(電車運転士)

|

2012年7月19日 (木)

【アーカイブス】記憶にない写真

 古いネガをスキャンしていて、往々にあるのが数コマ、撮った記憶がない写真が写っていることである。もちろん、撮影する時には意識をしてシャッターを押しているはずなので、単に撮影したことを忘れているだけであるが、今になってみるとそうした写真が意外に貴重なものだったりする。例えば、蒸気機関車を撮影に行った時のDCやDL、ゴハチを撮影に行った時の国電などが、それにあたるだろう。


 今回、ご紹介するのは昭和51年に撮影した西鉄電車で、場所は本線と甘木線が分かれる宮の陣と西鉄福岡駅である。西鉄を訪れたのは、以前紹介した甘木線の流線型車両200形を撮影するためで、宮の陣に降りたのも、ここで本線にはいる200形を撮影するためであった。
 200形が目的でも、とりあえず来た電車は撮影する。まずは西鉄を代表する特急の2000系。確か、この頃は登場して2年ほど経った頃だったかと思う。1988年に3扉化されて急行用に転用され、一昨年、最後の編成が廃車となった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 その2000系特急の運転開始で特急仕業から外れた1000系。湘南窓の好ましいスタイルの電車であった。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 西鉄の前身である九州鉄道時代に新製された小型車の100形。車体長は15m強である。ちょうどこの時期に廃車が進められおり、小型電車が好きなこともあって、3年後に九州を訪れた時、時間をとって再度撮影した記憶がある。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

この後、西鉄福岡(天神)駅に移動したようだ。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この頃の西鉄福岡駅は5線5ホームの時代で、後にホーム延長により3線となり、さらに1990年代中頃に駅そのものの南側への移転している。この写真は単なるスナップではあるけれど、この頃の駅の写真は今では珍しい記録となっているはずだ。 こうやってみると、やはり線路際にいる時には、来る列車は拒まず撮っておかないといけないなぁ、と思わずにはいられない。


 とはいいながらも、ネガを見るとその前日には理解不可能な行動をしているのである。 その前日に写しているのは、なぜかこれだけ。(あとは駅舎と記念写真)


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この次のネガには、長崎駅での夜行普通「ながさき」が写っている。その翌日は甘木線に行っているので、「ながさき」で博多に出て甘木に向かったことは間違いないだろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 もちろん、この日に日本最西端の駅を見に行ったことは理解できるのだが、なぜか不思議なことにそこに至る、あるいはその帰りの国鉄車両を1枚も写していないのである。天気が悪ければ、乗りつぶしで乗り歩くのも不思議ではないが、ネガを見ても少なくとも雨は降っていない。同行者がいて、どこか観光に行ったのではないか、と思われる向きもあろうが、この時は九州内の夜行を使って移動しており、それも難しい。当時、国鉄はあまり一生懸命撮影していないので、それほど写っていなくても不思議ではないが、それにしても1枚も写していないと言うのはちょっと考えられない


 学生時代とはいえ、貴重な1日を使って何をやっていたのか、まったく記憶がない。その前後のハードなスケジュールを考えると、不思議である。(駅長)

|

2012年7月16日 (月)

七里霧中『中山七里は霧の中』

さえない天気の三連休。でも一日くらいは何処かへ撮影に出かけたいなぁ、と目的地選び。「どうせ曇天だよね」と開き直って、晴れなくても絵になる撮影地を探した結果、高山本線飛騨金山ー焼石の中山七里(下原ダム)を目指すことにしました。

時々この地で撮影した“列車が霧の上!を走っている”作品を見かけます。気象条件がうまく揃えば、川面に霧が立ち込めて幻想的な印象をかもしだしてくれるので、今回はその「霧」のある風景に的を絞り、曇天を味方につけて、さあイッテミヨー♪


朝のうちは晴れても陽が当たらないし、かえって少々天気が悪いほうが今回の目的には適しているのに加え、この日はちょうど早朝にキハ40系列の国鉄ツートン車も2本やって来るので、霧とのコラボに期待したいところです。しかし自然が相手だけに、そうそう簡単にはいきませんね。

朝一の列車から撮影すべく、現地には朝5時前に到着しました。なんと、川面どころかあたり一面霧が濃すぎて視界不良。霧が発生してくれるのを確かに祈ってはいたものの、こんなにいらない!



「はなぶさ」に集まる仲間たち

それでも時々霧の帯が途切れて線路が見え隠れします。視界が目まぐるしく変わるのでアングルに悩んでいるうちに、上り一番列車が定時に現れました。どうにか霧の隙間に列車を置くことが出来ました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


この10分後、反対方向からツートン車を従えた下り一番列車が来ました。う~ん、ほとんど霧の中。画像は補正してどうにか見える程度。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

続いて上り特急ひだ2号を待ちますが、20分以上経っても一向に来ません。おかしい。ケータイでJR運行情報を覗いたら「大雨のため6:55から下呂ー飛騨小坂で運転見合わせ」。万事休すか?いや、しかし下呂以南は定時で運行されているのでは、と次に来るであろう下り普通列車に向けてカメラをセットしました。川霧の勢いも一段落し、ちょうど鉄橋の高さから下を覆い尽くしています。オー、今ならいい感じ。そして霧が湧き出す直前、絶妙のタイミングで被写体が現れました。抑止の影響などなかったかのようにほぼ定時通過でしたが本日は下呂止まり。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

下呂以北の抑止も9時前には解除され、霧もだいぶおとなしくなってきたので、今度は真横からの定番アングル。霧の中に水鏡を映し出しながら、霧に浮かぶ鉄橋を普通列車が渡ります。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

川上で発生した霧が川面を這うようにゆっくりと流れてきます。なかなか幻想的。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

陽も高くなり、時折日差しも出るくらいの安定した天気になってきました。それでも気象条件によっては遠慮がちに霧が発生します。ちょうどそのタイミングでひだ5号接近。抑止の影響を受けてか、やや遅れながら通過しました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

曇りの写真ばかりではどうかと思うので、晴れ間の覗いたカットも載せておきましょう。



撮影・2012/07/16(月) (出札掛)




|

【海外鉄】ポーランド・ビトムの2軸単車

 筆者の興味の対象が小型電車にあることは、これまでのこのブログの書き込みでもおわかりいただいているだろうが、中でも好んで撮影しているのが2軸単車である。これまでも、ここでポルトガルのリスボン、ポルト、ドイツのベルリン、ドレスデンなどを紹介してきた。現在、世界で残っている2軸単車としては、保存、観光用を除けば、あと旧東欧圏に数箇所、確認されている。今回は、その中から、ポーランドに残る2軸単車を紹介したい。


 ご紹介するビトムとは、ポーランドの南、シレジア炭田に位置するかつての工業都市である。カトーヴィーチェの衛星都市であるとともに、あのアウシュビッツや歴史都市クラクフからもほど近い距離にある。

 このあたり、かつては欧州最大の炭鉱地帯として、網の目のように鉄道路線が伸び、また、住民の足として都市間を結ぶインタアーバン路線網が整備された。それは、シレジアのインタアーバンと呼ばれ、アメリカのそれやベルギーのヴィシナルと呼ばれる地方軌道に匹敵する路線網を有していた。今もその名残が残り、軌道線の延長は200km近くに達している。


 2軸単車が活躍しているのは、ビトム市内の短距離路線38系統である。距離はわずか1.3kmほどで、20分間隔の電車の待ち時間に歩いていけば、終点まで着いてしまう。当局も廃止を考えていたらしいが、ほぼ中間と終点に大きな墓地があり、そこへの足として残してほしい、との要望が強く、残されたという。ポーランドは、全国民の98%がカトリックの信者で、信仰心は厚い。墓をみると、どの墓も綺麗に花が供えられて、日常的に墓参が行われていることが伺える。距離は短いものの、こうした需要が大きいのだろう。


 前置きが長くなった。早速写真をご覧頂こう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これが、ビトムの2軸単車である。古めかしいデザインであるが、ドイツの戦時設計車KSW形のコピーでN型と呼ばれている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 車内はこんな感じで、木製の椅子が古めかしい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 なぜ、ここで2軸単車が残ったか、といえば、距離が短いことに比べて、路線の両端に折り返しのためのループが無く、両運転台の車両が必要なためである。このシレジア・インターアーバンの主力車両は、ポーランドのPCCクローン車105Nであるが、片運転台車である。ただ、ここには6両、路線工事に備えて両運転台で製造された111Nがあるはずで、これを持ってくれば代替できると思われるが、その気配はない。


 このため、ここではN型の954と1118の2両がもう10年以上にわたって専属で使われている。2軸単車故、何時車両が置き換えられるのか心配であったが、路線を見て、なんとなく納得した。事業者側でも、この車両の歴史的価値を認めているようで(さすがにそのあたりはドイツの隣国である)、整備をしながら使い続けるようである。ブレーキは相変わらずハンドブレーキだけのようだが、急停止できるよう台車にはレールブレーキが取り付けられている。その他にも、2000年頃に改造が行われているようだ。


 ちなみに、現在、東欧圏で現役の2軸単車は、ほとんどが旧東ドイツ製のゴータカーである。KSW車はその2世代前の車両にあたり、現役で動いているのは、もちろんここだけである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これがビトム側の起点を出発したところ。既存の路面電車の停留所からは、やや離れた位置にあり、外来者にはちょっとわかりづらい。

 線路はご覧のようなヘロヘロ状態で、当然、乗り心地はわるい。ベルリンやドレスデンの2軸単車が、最新のLRTと変わらない?乗り心地であるのに対して、対照的である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 途中には3箇所の停留所があるが、単区間の路線にもかかわらず、結構利用者はある。後ろの緑の場所が墓地の場所である。なお、路線はほぼ一直線でカーブもなく、変化には乏しい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これが終点。教会の前で線路が行き止まりとなっており、単車が折り返していく。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 2軸単車を強調しようと、サイドからも狙ってみた。扉は当然、手動扉なので、このように開けっ放しでも運転してしまう。閉まっている方が良いのか、開けっ放しで運転している方がローカルらしくて良いのか、悩ましい。


 ビトムの2軸単車は、ちょっと行くのが大変な上(ワルシャワから3時間半、ウィーンから7時間、ドレスデンから8時間かかる。しかも、定時で運行してくれれば、である)、情報も乏しく、日本から訪れた人は限られているのではないか、と思う。結論から言えば、乗車・撮影にはまったく問題が無く、しかもシレジア・インタアーバンを含めて趣味的には魅力的な場所である。この写真を参考に、続いて訪れる方が現れることを望みたい。(駅長)


|

2012年7月15日 (日)

【アーカイブス】1976年の島原鉄道

 3連休であるが、梅雨のまっただ中で天候ももうひとつとあって、自宅の用を済ませながらスキャンを進めている。ちょうど、いまは1976年の九州のあたりをスキャンしている。その中から、今回は島原鉄道をご覧にいれるとしよう。


 島原鉄道は、島原半島の海岸線に沿って路線を延ばしており、雲仙普賢岳の噴火などで島原以南は打撃をうけ、現在は島原までの運行となっている。今の島原鉄道からは信じられないが、当時は国鉄の急行型気動車と同型車を保有し、急行に連結して博多や長崎まで乗り入れを行っていた。なかにはエアサスを装備した、国鉄よりもデラックスな車輛すらあった。

 島原鉄道の景色は島原以南の方が圧倒的に良く、海辺を走るDCの姿が撮影できた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これは終点の加津佐と臨時乗降場のあった白浜海水浴場の間くらいで、車窓には天草灘の眺めが広がっていた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この頃は、貨物列車も運行しており、D37形DLが貨車と古い気動車を改装した荷物車を牽引していた。もう少し前だと、確かC12が活躍していたはずだが、それを撮れなかったのは残念である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これが多分、白浜海水浴場であろう。長距離路線故、線内では急行運転も行われていた。

 島原鉄道の国鉄型DCには、急行用のキハ26,55、普通用のキハ20などがあり、いずれも前面に識別用の三本のヒゲが入れられていた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは有明海に沿った龍石のあたり。このあたりも海沿いに走って景色が良く、島原外港以南が廃止の折りには撮影名所となったのではないだろうか。うしろに連結しているのは荷物車で、こうした編成はこの鉄道でよく見られた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 キハ4500形という湘南窓のディーゼルもいた。国鉄キハ17の島鉄版という。この形式だけ、当時としては珍しい車体広告が窓下に入れられていたが、残念ながら動く姿は撮影できなかった。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この頃は、すでに経営も大部苦しくなっており、国鉄で廃車になったキハ17を購入して、そのままの塗装で使用していた。多分、キハ17が入った直後に訪問しているはずである。


 島原鉄道を訪問したのは、この時が最初で最後に近く、あとは20年ほど前に家族旅行で九州を訪れた時にフェリーで島原にわたり、南島原の車庫を訪れ、その後長崎まで乗っただけである。都合、2度の訪問であるが、この時も雨に降られた記憶がある。あまり天候には縁のない鉄道のようだ。

 

 もう、すっかりご無沙汰であるが、その後、普賢岳の噴火があったり、島原外港以南の廃止で車両も含めてすっかり様子が変わっているのだろう。近年は、軽量気動車が走る非電化私鉄はあまり関心がなく、ほとんど行くことがないが、何かの機会にもう1度くらい訪れることがあるかもしれない。(駅長)

|

168.1979年夏 四国鉄道行脚(3号車 大歩危峡編)1979/8/24

 四国3日目はこれも過去に何回かご紹介させていただいた大歩危峡です。毎度のパターンで土讃本線の夜行列車を未明の阿波池田で降り、下りの始発列車で小歩危へ向かいました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 小歩危から歩いて大歩危方面に向かうと、ちょうどいいタイミングで上りの貨物列車を定番の鉄橋で撮ることができます。ケーブルがちょっと目障りですが、時間的にこのポジションになってしまうので、目を瞑るしかありません。後ろには当時は当たり前だった2軸貨車が連なっています。

【1979.8.24 小歩危~大歩危】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 来る列車を適当に撮影しながら国道を大歩危方面に歩きました。国道から遥か上方に集落が見えたので、大歩危峡と土讃本線を俯瞰したいと思い、5万分の1の地形図を頼りに汗をかきかき登ってみました。とりあえず、線路と川は見えましたが、川の入り方が中途半端でしたが、ここまで登ってしまった以上、場所を移動する元気もなく、DF50の貨物列車を待ちました。この区間の土讃本線が急峻な地形に敷設されたというのがお解りいただけると思います。

【1979.8.24 小歩危~大歩危】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 次にやって来る「南風」は川をカットして山深さを強調してみました。地図を見ると他にも俯瞰できそうな雰囲気の場所がありましたが、もう一度地獄のような登山を味わうのは無理だったのと、どうしても夕方には高松に戻らなければならなかったことから、これを撮って山を降りました。

【1979.8.24 小歩危~大歩危】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 高松に戻る途中、阿波池田で撮った「よしの川」です。運転本数も多かったこともあって、阿波池田に立ち寄ると必ずと言っていいほど目にすることができる列車でした。ホームの駅弁屋さんが大きなポットでお茶を売っており、小さな入れ物と同じ値段(30円くらいだったか…?)で水筒に満タンにしてくれたのを覚えています。

【1979.8.24 阿波池田】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 高松へはいい時間の急行がなかったこともあって、多度津までDF50の客車列車にノンビリ揺られながらの旅になりました。途中の塩入で「南風」と行違いでしたが、珍しく2両目にキハ181が代用で入っていました。

【1979.8.24 塩入】(電車運転士)

|

2012年7月11日 (水)

【海外鉄】ヨーロッパの鉄道のお勉強

 あまり反応の良くない海外ネタである。国内の新ネタがないので、最近の鉄活動の報告としては、どうしても海外ネタとなってしまう。最近は、国内はよほどではないと自分から行こう、という気がおこらないので、メンバーの方からのお誘いを切にお待ちしているのだが・・・。(^^;)


 それはさておき、タイトルにあえて「お勉強」としたのは、欧州の鉄道の動きの最新ネタだからである。最近の欧州の鉄道の動きは、非常に早く、かつダイナミックで、日本の鉄道の常識からは考えられない動きが具体化している。こうした動きの一端を紹介しよう。


 多くの方々が欧州の鉄道に持つイメージというのは、こうしたものではないか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これは、オーストリアのウィーン西駅に到着するレイル・ジェット。オーストリアを代表する列車である。

 同じ場所に、こんな列車もやってくる。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 そう、ドイツの鉄道を代表する特急車両、ICEである。 
 このように欧州の鉄道は、国を超えて列車が運行していることが大きな特徴である。先ほどのレイル・ジェットも、国境を越えてハンガリーのブダペストやドイツのフランクフルトまで運行している。

 ここまでは、誰もが知っている欧州の鉄道であろう。しかし、最近になってこんな列車も走り始めている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 昨年、冬ダイヤから運転を始めたこの列車、ウェストバーンとしてザルツブルクとウィーンの間を運行している。

 この列車の何が珍しいかと言えば、オーストリア鉄道の切符で乗車できないことである。


 先のレイルジェットにしても、ICEにしても、国鉄を民営化した会社が運行しており、運行方法や乗車方法は昔からの伝統を受け継いでいる。これに対して、ウエストバーンは、車両を自前で持ち、オーストリア連邦鉄道の線路を借りて運行している。日本で言うなら、JR貨物のような第二種鉄道事業者にあたるが、問題は第一種鉄道事業者であるオーストリア連邦鉄道の列車と同じ路線を運行していること。JR東や東海の路線で、JR貨物が旅客列車を運転する、と考えるとわかりやすいかもしれない。よってJR東や東海の切符では乗車できないのである。


 なぜ、そんな事が許されるかというと、1991年のEU指令91/440号によって域内鉄道の上下分離とオープンアクセスが義務づけられたことである。これによって、誰もが鉄道線で自由に列車を運行できるようになった。

 こうした動きは、貨物で先行した。これは、同じオーストリアのリンツで撮影した貨物列車であるが、実にさまざまな会社の機関車により運転されている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、今は社名が変わってしまったが、DB系の貨物会社RAILIONの列車。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 こちらは、イタリアのFSが過半を出資するドイツ、オーストリアの貨物列車会社TXLOGISTIKの列車。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 反対からは、また違った会社の列車がやってくる。もう、こうなるとわけがわからない。もちろん、単に機関車の色が異なるだけでなく、運行する会社が違っているのである。日通会社、西濃運輸会社、名鉄運輸会社の貨物列車が同じ線路上を走っているのである。

 このように貨物会社が乱立すると、機関車の需要が増してくる。こうしたことから、機関車のリースがひとつのビジネスとなっており、例えば三井物産などは、その大手の筈である。


 貨物に続いて、旅客の分野でも新しく設立された会社が旅客列車の運行を行うようになった。その象徴が、今年春からイタリアのミラノ-ローマ-ナポリ間で運転を始めたItaloで、たとえて言うなら東海道新幹線に、名鉄や東急など民鉄が会社をつくって高速列車を運転するようなものである。


 既存の幹線でも、既存の鉄道会社とは異なる会社による列車の新設が見られる。これら列車の特徴は、運賃の安さである。そう、昨今、航空分野で格安航空(LCC)が話題を集めているが、これは列車版のLCCなのである。知る限りでは、ウェストバーン以外に、ドイツのベルリン(ロストック)-ライプチヒ間で運行しているインターコネックス、チェコのプラハとオストラバの間で運行しているレギオジェットがある。このうち、このウエストバーンとレギオジェットは、ほぼ1~2時間間隔の頻発運転である。LCC鉄道に競争を挑まれたレガシー鉄道の心境はいかほどであろうか?


 こうした列車は、これまでのレガシー鉄道の切符では乗ることが出来ない。逆に、駅の切符売り場では、切符を売っていない。では、どうやって乗るかと言えば、インターネットで切符を買ったり、車内で車掌から切符を買うのである。一般的に欧州の鉄道は、事前に切符を買わずに乗ると不正乗車扱いとなるので、鉄道乗車方法の大変革といえる。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これはウエストバーンの車掌さん。1編成6両に4人が乗務している。コーヒーを入れているのは、喫茶軽食のデリバリーも仕事のため。レガシー鉄道ではファーストだけのサービスである座席へのデリバリーが、普通車でも受けられるのが、この列車の差別化といえるのだろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、2階建ての車内。車両は、スイスのスタットラー製で、座席は普通車でありながらゆったりしている。


 今後も、欧州の鉄道では、こうしたLCC鉄道の動きが加速するのだろうか。

乗客は定着するのか、あるいは全体のパイを増やすことになるのか、共倒れになるのか。それにしても、けして余裕があるとはいえないダイヤ上で、こうした列車の設定を許す一種事業者の懐の深さ?には驚くものがある。しかも、ウィーン発の列車では、既存のドイツ方面の特急の数分前を走っているのである。


 こうした鉄道のLCCの出現は、わが国では想像すらできない鉄道改革といえるが、これを日本ではあり得ない話、と切り捨てるのか、非常に面白い、と関心を持つのか、あなたはどちらだろう?(駅長)

|

2012年7月 9日 (月)

赤ガエル・黄ガエル・白ガエル

昨日アオガエル復活をアップしましたので、二番煎じでかつて長野県内の私鉄3社に譲渡され、一時期県内を席捲した東急5000系の足跡をご紹介しましょう。


まずは赤ガエル(長野電鉄)

東急車の地方鉄道への大量譲渡の先鞭をつけたもので、McTc×10+McTMc×3の29両(+部品供給車M2両)が赤ガエルとなりました。「はなぶさ」に集まる仲間たち

都住・桜沢 1982-11-2


「はなぶさ」に集まる仲間たち

モハ2603+サハ2653+モハ2613 桜沢・延徳 1995-8-14

2600系(3連)最後の1本の末期で、もうあまり手入れもされていないような状況でした。1991年頃一部塗装変更があり、屋根部の赤色が正面まで廻されました。

長野電鉄では、1998年までに営団3000系に置き換えられ全廃されました。


次は黄ガエル(上田交通)

上田交通には、1986年10月の1500V昇圧に伴い、デハ5001を含むMcTc4本と日本初のステンレスカー5200系McTc1本の10両(+部品供給車M2両)が入線しました。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

モハ5001+クハ5051とモハ5201+クハ5251 下之郷(電車区) 1986-9-29

昇圧に伴って車両基地も下之郷に新設されました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

モハ5252+モハ5002+クハ5052 城下 1986-7-31

習熟運転は終電後電圧を切替えて夜間に実施されていましたが、1986年の夏に訪れた時には、昼間にこんな列車が走っていました。一体どのような理由で走らせていたのか、駅間にいるときには来なかったのでまともな写真はありません。どなたか理由をご存知の方、ご教授ください。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

モハ5004+クハ5054 下之郷・中塩田 1990-1-24

昇圧後は行くこともなかったのですが、家庭の事情で近隣まで行くことになり、その時に撮った5000系の唯一の走行写真です。昇圧後わずか3年半ですが、ベースの車体色がクリームから薄緑に変わっていました。

上田交通の5000系は1993年には7200系に置き換えられ、その後も丸窓改造の2編成を除いて 1000系が入線して置き換わりました。これも東急コーポレーションのなせるワザかな?


最後は白ガエル(松本電鉄)

上田交通と相前後して1986年にMcTc3本とMcMc1本が入線しました。McMcはのちに両運車に改造されましたが、1両で走ったことはなかったようです。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

モハ3001+クハ3002とすでに運用から外れたモハ5003+クハ5004 新村 2000-4-1

「はなぶさ」に集まる仲間たち

モハ5005+クハ5006 渚・信濃荒井 2000-4-1

この時点ですでに旧京王3000系が入線しており、5000系としては最後の現役車両となっていました。この後この編成が保管され、今回復元されたものです。

松本電鉄の5000系はこの2000年に置換えらえました。


アオガエル東急5000系誕生から62年、すでに信州からは保存車2編成を除いて廃車解体されていますが、せっかく里帰りした5001があのザマだし、上田で保管されている5202ともども大切にしてもらいたいものです。(検査掛) 







  

|

2012年7月 8日 (日)

167.梅雨の中休み鉄(三岐鉄道)2012.7.8

 6月に入ってからの週末は梅雨空が続いていたのと、仕事上のトラブルの疲れがなかなか回復しないこともあって、竹村の蓮の朝連以外、新規の鉄活動がごぶさたとなっていました。7月8日の日曜日は梅雨の中休みで朝から天気がよかったこともあって、三岐鉄道に足を運んでみました。




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 不覚にも朝寝坊してしまった関係で、現地到着は9時を回ってしまい、どこで撮ろうか沿線をロケハンしていたところ、築堤の上に咲く紫陽花を発見、何とかならないものかとアングルを試行錯誤してみました。構図的にはちょっと苦しい感じでしたが、これが精一杯でした。


【2012.7.8 伊勢治田~東藤原】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 昨年も訪れた青川の鉄橋です。今年も堰堤の水しぶきが清涼感を感じさせてくれましたが、昨年の9月の集中豪雨の影響からか、水の流れが変わってしまったのと、前日に降った雨の影響で水量が多かった関係で、昨年とは微妙にアングルが変わっています。


【2012.7.8 丹生川~伊勢治田】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 お決まりのパターンで北勢線との掛け持ちもやってみました。この付近、例年は麦畑になることが多いのですが、今年は田んぼになっており、爽やかなグリーンカーペットが一面に広がっていました。


【2012.7.8 楚原~麻生田】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 国道の陸橋付近からプチ俯瞰してみました。ここの広々とした風景は四季折々に楽しむことができ、北勢線に行くと必ず立ち寄ってしまいます。


【2012.7.8 楚原~麻生田】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 北勢線の後は青川の鉄橋に戻り、撮影を続けました。下流側にも堰堤があり、昨年は撮れなかったポジションで鉄橋を渡る列車を狙ってみました。列車は遠くなりますが、まとまりはこちらのポジションの方がいいかもしれません。


【2012.7.8 丹生川~伊勢治田】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 水の流れを強調してみたくて同じポジションから望遠で狙ってみました。貨物列車を待ちましたが、残念ながら運休だったので、電車で我慢しました。3両編成だと鉄橋からはみ出してしまうので、2両編成でラッキーでした。


【2012.7.8 丹生川~伊勢治田】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 同じ場所ばかりで撮っていても芸がないので、三里~丹生川の定番ポジションへ移動しました。ここも今年は麦畑ではなく田んぼになっており、グリーンカーペット状態になっていました。


【2012.7.8 三里~丹生川】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 幸いなことに陸橋の反対側もグリーンカーペットでした。麦畑だとこの時期は刈り取りが終わった後で、冬枯れの田んぼのようになってしまうので、絵にならないのですが、今年は作付けの巡り合わせがよかったようです。


【2012.7.8 三里~丹生川】(電車運転士)



|

アオガエル復活

本日の中日新聞日曜版にアルピコ交通の話題が載っていましたが、その新村車庫で6月24日に、2000年に廃車となった旧東京急行5000系の復元撮影会が行われ、家族運用に乗じて行ってきました。


この復元作業は、同社社員や周辺の大学生を主体とした「古い電車で新しい語らいの会」というボランティアの手によるものだそうです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

きれいにお色直しされたモハ5005+クハ5006(デハ5055+デハ5048) 新村  2012-6-24


ヘッドライト等細かいところはいたしかたありませんが、検査標記は東急時代に戻すなど、かなり気配りが行き届いています。





「はなぶさ」に集まる仲間たち
東急時代、クハは5150という形式で、デハが55両製造されたのに比べ、わずか5両に留まり、まっさきの譲渡先となった長野電鉄に行ったため、パンタのない5006号は存在しませんが、種別板、行先表示板等も再現され、東急時代を彷彿とします。


「はなぶさ」に集まる仲間たち
当日はED30 1もパンタを上げて展示されていました。2005年に除籍されており、外板はボロボロの状態ですが、いずれかの会の方々の善意により、整備されることを祈ります。


東急沿線に住んでいたため、5000系はまさに同世代で、物心ついたころはまさに東横線の花形で、あまりに日常なため、ほとんど撮影していません。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

多摩川園前・新丸子 1977-3

もっと前のネガを探せばひょっとしたらあるかもしれませんが、今のところ私の撮った唯一の東横線の5000系です。デハ5000+デハ5100+サハ5350+デハ5100+サハ5350+デハ5000の6両貫通編成ですが、下線のデハはパンタが撤去され、サハ代用のようです。


最後に松本電鉄に敬意を表し、今は大宮の住人となった旧甲武鉄道デ963のハフ1をアップさせて頂きます。


「はなぶさ」に集まる仲間たち
新村 2007-2-25

(検査掛)


|

2012年7月 7日 (土)

166.1979年夏 四国鉄道行脚(2号車 スイッチバックの坪尻編)1979.8.23

 四国行脚の2日目はスイッチバックで有名な坪尻を訪れました。ここは3月の受験のついで鉄の時にも立ち寄りましたが、この時は冬枯れの状態で、雰囲気がいまひとつだったため、深緑で木々の元気が溢れている夏の時期に再訪となりました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 前日の夜に乗った高松行の夜行普通列車を深夜の阿波池田で降り、始発列車まで時間を潰しました。坪尻に向かうために乗車した上り一番の普通列車です。DF50の次位には特急「つばめ」の3等車にも使用されたスハフ43が連結されていました。ズラリと並んだ狭窓と回転クロスシート(この頃は向かい合わせに固定されていた)が特徴でした。

【1979.8.23 阿波池田】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 上り列車は先にホームのある線に入線、客扱い後に引上げ線へバック、そこから再スタートして峠に向けてダッシュして行きます。このため、乗って来た列車を余裕を持って撮ることができます。

【1979.8.23 坪尻】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 坪尻は深い谷底にあり、周囲に人家はまったくありません。今でいうと秘境駅の仲間に入るのでしょうが、列車が来る時間になるとどこからともなく乗客が集まって来ました。

【1979.8.23 坪尻】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 駅でひと通り撮影した後は、山道を登って国道からの定番俯瞰アングルで行き交う列車を狙いました。DF50の貨物列車がシーサスクロッシングを渡って坪尻を通過して行きました。通過列車はスイッチバックすることなく通過できる配線になっています。

【1979.8.23 坪尻】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 続いて「南風」が通過して行きました。四国の特急は短いといっても6両編成で運転されており、2~4両が当たり前となった今に比べれば貫録がありました。キハ180の屋根上の放熱器がよくわかります。

【1979.8.23 坪尻】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 夕方近くに多度津まで戻りました。架線のない広々とした構内が多度津の特徴でした。ここにはいつも数両のDF50がたむろしていました。

【1979.8.23 多度津】(電車運転士)

|

2012年7月 6日 (金)

ロクヨンセンゲンショクダブル

  『EF64-1000番台の国鉄色重連走る!』


今日まで名列車、名場面を幾つも目撃してきたはなぶさメンバーの皆様には、「こんな事を記事にするほどのものか?」とお叱りを受ける内容かもしれませんが、今の時代、とにかくネタになってしまうんです。どうかご容赦ください。


6月末近い某日、機関車運用状況を示す某サイトや目撃情報を見てみると、EF64の原色重連が中央線に現れた、とのこと。さらに、「エンド揃い」らしいですが??ああ、機関車の向きが同じってことネ。

まあ確率から言えばそこそこレアかもしれませんが、今さら騒ぎ立てるほどでもないかなと思っていた矢先、とある事情通の方から「30日土曜日の81レに充当されるかも」との連絡が入りました。撮りに行くべきか迷いましたが、ちょうどこの日は土曜出勤、これを無駄な一日で終わらせたくなかったので←意味不明? やっぱり出かけてしまいました。

原色重連ならオーソドックスな編成写真でも十分なのに、エンドが揃っているのならその証拠写真となるように思い切ってサイドから狙える場所を名古屋周辺で思案、真横から狙えてそこそこ引きがあるところ・・・ということで、矢田川の鉄橋にGO!



「はなぶさ」に集まる仲間たち

現地には通過30分前に到着。万が一、更新色カマに差し替えられても非オーソドックスな写真なら少しは気もまぎれるだろう、とスタンバイしたところ、事情通の方から「81レは予測どおり原色ダブル」の目撃情報が入りました。よし、確定!

1スパン内に2両のカマが収まるのはすでに承知。ここにちょうど重連を置いて空に抜くことができれば面白い絵が作れたところ、残念なことに2両目の右1/3の足回りが背後の森と被ってイマイチな結果でした。線路に対して垂直角の立ち位置を探ると、ポジションの都合からどうしても線路から遠ざかってしまうし、逆にもっと線路に近付けば森を隠せる代わりに後追い気味の角度になってしまうので、今回はこの辺りが妥協点としてベスポジ探しは次回の課題となりました。もしかしたら左岸からのアプローチがいけなかったのかな~。

ふと思ったのは、単機牽引の春日井・多治見貨物をこの位置から狙えば、逆光気味になることを活かしてカマのみを綺麗にシルエットに抜くことが出来ないだろうか?ふむ、冬至の頃に再訪問してみることにしましょうか。

なお、この原色ペア、稲沢に戻ってきたら早くも解消されました。よく見るとJRマークの大きさが違うんですね。


さてさて、はなぶさメンバーの皆様には、『EF64-1000番台の国鉄色重連』と聞いて思い出すのはこれでしょうか。↓


「はなぶさ」に集まる仲間たち

JR東・西・東海各地から集結するシュプール号は壮観でした。撮影は1997年3月。編成もロケーションも文句ないのに、もっとマジメに撮っていればよかった・・・ハイ、また反省。(出札掛)

|

2012年7月 4日 (水)

【アーカイブス】国鉄特急勢揃い

 なぜかインターネットの調子が悪い。最初は問題なくつながるのに、途中できれてしまうことがある。多分、そのうちに問題なく直るのだろうが、理由がわからないのはなんとも辛いものがある。


 それはさておき、この写真をご覧頂こう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ものの見事に特急が頭を並べて勢揃いしている。撮影会かと思われるだろうが、そんな悠長なものではない。


 この写真を撮影したのは、昭和50年11月27日の富山である。ご記憶の方もあるかもしれないが、8日間にわたり、国鉄全線の列車をとめた、あのスト権ストの最中の写真である。スト権ストについてはここでは説明しないが、このストによって国鉄が無くても国民生活に影響しないことが判明し、翌年の50%運賃値上げとの相乗効果で国鉄離れが一気に進んだことは間違いない。


 さて、ストによって列車が運転せず、国鉄用地内に自由に?入り込めたので、撮影に行っている。残念なのは、35mmのモノクロで撮影しているだけで、カラーや中版では撮影していないことだ。こんなチャンスは滅多にないだけに、今から考えれば、貴重な機会を逃したことになる。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 少々、アングルを変えて。ボンネット2編成と非貫通3編成が並んでいる。まさに、国鉄特急全盛期の最後であった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 今では希少価値のDD14も、冬の出番を控えて留置されていた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ところが、その1連の写真の中に運行している富山港線の写真があった。何故かわからず調べてみたら、スト権ストの最中、北陸地区は鉄労が多かったことから、ローカル列車の一部は運行していたらしい。

 当時、富山港線はあまり意識がなく、ほとんど撮影していないので、皮肉なことにこの写真は貴重なカットとなっている。(駅長)



|

2012年7月 3日 (火)

165.1979年夏 四国鉄道行脚(1号車 斗賀野のホッパトレイン編)1979.8.22

 大学1年生となって初めて迎える夏休み、車販のバイトで稼いだ僅かな資金を元手にどこへ行こうか思案することとなりましたが、この年の鉄研の夏合宿は何と四国、3月の入試のついで鉄、5月のGWと立て続けに訪問する機会があったのにもかかわらず、8月の下旬にも訪れることになり、内心は四国ばっかりじゃなく他の地域に行きたかったと思っていましたが、1年生の意見が通るわけもなく、無視して合宿に参加しないという勇気もなく、結局、四国ワイド周遊券を握りしめて宇高連絡船の乗客となっていました。1979年の夏は予讃・土讃本線を中心にDF50は変わらぬ活躍を続けていましたし、志度線以外の琴電と土佐電鉄にも魅力を感じ、夜行列車を有効に活用しながら四国島内をぐるぐると巡っていました。また四国ネタかと思われても仕方がありませんが、懲りずにお付き合いいただきますようお願いいたします。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 四国入りして最初に向かったのが斗賀野のホッパトレインでした。2年前の夏に続いての訪問でしたが、変わらぬ姿でDF50の重連が石灰石輸送に活躍していました。高松からの夜行列車で早朝の斗賀野に降り立ちましたが、生憎の雨模様、テンションは上がらない状態でしたが、須崎方の場内信号機付近で腕木信号機と絡めてとりあえず1本稼ぎました。

【1979.8.22 斗賀野】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 先ほどの列車は斗賀野で停車時間があったため、歩いて先回りして鉱山に向かう列車を専用線で狙ってみました。田園地帯を行くホッパトレインはとても石灰石の鉱山に向かう雰囲気は感じられませんでした。

【1979.8.22 斗賀野専用線】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 朝のうちは小雨状態だった雨脚もその後土砂降り状態となり、とても写真を撮っている状態ではなくなってしまいました。仕方なく列車で次の吾桑まで移動し、しばらく雨宿りすることにしました。吾桑は付近に民家は見当たらず、山間の小駅といった趣でしたが、運転取扱いを行っていた関係で駅員が常駐し、タブレットの授受が行われていました。しばらくはスナップ的な写真を中心に時間を潰していました。

【1979.8.22 吾桑】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 スナップ写真はさらに続きます。現在では、この手のローカル線は駅は無人化、列車はワンマン化されていることが多く、残念ながら列車の運行を人が支えているといったシーンはほとんど見られなくなってしまいました。当時は駅のスナップでも絵になるシーンをモノにすることができました。

【1979.8.22 吾桑】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 雨も上がり、天候はある程度回復してきましたが、今さら移動するのも面倒くさくなって、もう少し吾桑で軟弱鉄を決め込みました。優等列車や貨物列車は吾桑を通過するので、タブレットの通過授受シーンが見られました。

【1979.8.22 吾桑】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 昼過ぎには高知まで戻って来ました。高松行の急行「あしずり」の入線シーンです。旅支度を整えた乗客が列車を待っています。「南風」・「しおかぜ」といった特急も走るには走っていましたが、本数は少なく、四国島内の都市間輸送は小振りなヘッドマークを掲げた急行がまだまだ主役の座を保っていました。

【1979.8.22 高知】(電車運転士)

|

« 2012年6月 | トップページ | 2012年8月 »