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2012年3月

2012年3月31日 (土)

ながでんファイナル

間もなく引退する電車が間もなく廃止される線区を走行し国鉄リバイバル塗装車と肩を並べる、という“一石三鳥”の企画が長野電鉄では時折り催されていました。

そのうち撮りに行けたらなー、と漠然と構えていたところ、電車運転士様の発案で3月25日に実現する運びとなりました。現地情報に精通されている検査掛様もご同行され、たいへん心強く感じます。時折小雪が舞ったり晴れ間がのぞいたりの不安定な天気でしたが、屋代線&2000系のお名残撮影をひととおり楽しむことが出来ました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

松代駅で、さっそく一番電車から撮影を開始します。須坂からの回送電車が1番ホームに着き、折り返し須坂行初電になります。この回送を追うように屋代行初電が到着し、上下列車が並びます。駅舎から最も離れている1番ホームを発着する定期列車の撮影は、初電と終電のみ(と思われる)の限定シーンであることに加え、帯あり・なし両編成を同時に収められたことで、それなりの収穫。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

信濃川田の構内には、最近になって小布施駅から移設された静態保存の車両たちが並べられています。これらの車両の行く末はどうなるのでしょうか。

天気が良ければバックに北アルプス連峰が望められるアングルらしいですが、残念なことにさっぱり・・・。 リベンジですね。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

竹原~夜間瀬の鉄橋で2000系を写します。過去にも何度か足を運んでいる定番撮影地ですが、雪模様の高社山を見たのはこれが初めてだったので、それを強調できるアングルに立ちました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

検査掛様の記事にも以前にあった屋代線屈指の俯瞰ポイントである妻女山展望台付近から、松代の町をバックに屋代へ向かう2000系を捉えます。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

屋代駅では、2000系としなの鉄道の国鉄塗装169系を並べての撮影会。検査掛様の記事にある南側からの撮影画像に対し、ここでは当日の“正調”マークを付けた北側からの様子をご覧いただきます。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

再度、信濃川田付近で須坂へ戻る2000系を撮影します。ここも知る人ぞ知る北アルプスバックのポイントですが、ず~っと曇り天気で山は全く見えず、どのような光景が展開されるのか想像すらできません。したがってこれもリベンジですね。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

こちらも以前検査掛様が記事にされた場所、妻女山展望台付近から西の方角の撮影です。当日の定期列車は午後から多客対応のため3連編成が充てられました。

ここからも本来なら北アルプスが望められるようですが、やはり再履修ですね。叶わぬ夢となりました。まあ、屋代線が走っていた場所の記録として残しておきましょう。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

趣のある駅舎内には地元の小学生たちのお別れメッセージなどが飾られていました。信濃川田駅にて



惜別 2012/03/31  長野電鉄屋代線 そして2000系(出札掛)







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2012年3月30日 (金)

146.初夏の同和鉱業片上鉄道を訪ねる 1979/6/9



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 同和鉱業片上鉄道は赤穂線の備前片上に近い片上から山陽本線の和気を経由、吉井川の流れに沿って鉱山のある柵原までを結ぶ33.8キロの路線で、柵原鉱山で産出される硫化鉄鉱を港のある片上まで輸送するのがおもな目的でした。吉井川に沿う風光明媚な沿線風景に加えて、元国鉄のキハ04・07などの気動車をはじめDD13タイプの機関車が牽引する鉱石列車・客車列車・混合列車など、撮り鉄には非常に魅力的な鉄道でした。当時住んでいた姫路から接続駅の和気までは1時間程度で行ける距離にあり、日帰り鉄をするにはもってこいの条件でしたが、なぜか姫路在住の時には一度も訪問しておらず、引っ越したばかりの多治見からわざわざ出向いています。今から思うと何てもったいないことをしてしまったんだろうと理解に苦しむ行動でした。最盛期には鉱石列車が頻繁に運転され、活況を呈していましたが、1987(昭和62)年の10月31日限りで収入の多くを占めていた鉱石輸送がトラックに切り替えられた後は、経営は悪化の一途をたどり、命脈尽きるかたちで1991(平成3)年6月30日限りで全線廃止となりました。




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 和気から柵原方面に向かう列車内の光景です。この頃は沿線の輸送手段のひとつとして十分に機能しており、地元住民にも利用もそれなりにあったようで、こんな微笑ましい光景が当たり前のように繰り返されていました。このように、ロングシートを寝台代わりのように使用することを自分の中ではC寝台と呼んでいました。

【1979.6.9 キハ311車内】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 交換のため上り列車を待っていたら霧の向こうから客車列車が姿を見せました。通学対応の輸送力列車として朝と夕方に運転されており、片上鉄道の名物のひとつとなっていました。客車は国鉄の譲り受けではなくホハフ2000というオープンデッキが特徴の自社発注車で、塗色がブルーに白帯と14・24系寝台車に似ているため、片上のブルートレインと呼ばれていました。


【1979.6.9 備前塩田】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ロケハンしがてら乗車した列車は美作飯岡(「みまさかゆうか」で「いいおか」ではありません)で下車し、次の吉ヶ原で交換して来る列車を待っていたらキハ300・700・310の3両編成が来ました。片上鉄道に所属するすべての型式の気動車で組成されていました。先頭のキハ300型は元国鉄キハ04、2両目のキハ700型はキハ07、最後部のキハ310型はキハ04タイプの自社発注車です。キハ300・700型は前照灯が腰部2灯に改造され、正面窓がアルミサッシ化されていますが、種車の雰囲気を十分に残しています。キハ310型は正面2枚窓・張り上げ屋根などによりキハ04タイプながらも独特の外観となっていました。右側に写っているとんがり屋根タイプの駅舎は片上鉄道の駅舎の共通設計のようで、美作飯岡以外の駅でも見ることができました。


【1979.6.9 美作飯岡】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち

 美作飯岡から少し戻って、列車の中から目星をつけておいた鉄橋で列車を待ちました。キハ310型の単行が鉄橋を渡って来ましたが、朝霧がまだ残っていた関係で霞が強く、残念ながら綺麗なシルエットにはなりませんでした。


【1979.6.9 周匝(すさい)~美作飯岡】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち

 美作飯岡から次の目的地の備前矢田に向かいました。列車を降りると車掌と駅長が帳票のやり取りをしていましたので、カメラを向けてみました。主要駅には駅員が常駐し、乗客や乗務員とコミュニケーションを交わす場面も多く見られ、数多くの温かみを感じるシーンに触れることができました。


【1979.6.9 備前矢田】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この頃はまだトム・トラを連ねた長編成の鉱石列車が健在でした。この鉄道の建設目的を象徴するような列車で、1日に数本の設定があったように記憶しています。山深い雰囲気を強調したかったため、列車が小さくなってしまいました。鉱石列車だけは線路端で編成写真を撮るべきだったかなと少しだけ悔いが残りました。


【1979.6.9 河本~備前矢田】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち

 河本~備前矢田には短いトンネルが連続するポイントがあり、片上鉄道の定番撮影地のひとつとなっていました。本当はもっと引き付けたかったのですが、当時は望遠は135mmしか所有しておらず、これが精一杯の構図でした。


【1979.6.9 河本~備前矢田】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち

 少し戻った苦木~杖谷で列車を待ちました。キハ310・700型の2両編成が午後の斜光線を受けて山間を進んで行きます。


【1979.6.9 苦木~杖谷】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 和気を境に沿線風景は一変します。南部の清水~中山には小さな峠越えがあり、長編成の鉱石列車には後補機が付いていました。機関車牽引列車は鉱石列車と客車列車のほか、混合列車や混合列車に気動車をぶら下げた列車も運転されており、興味は尽きませんでした。


【1979.6.9 清水~中山】(電車運転士)




 1991(平成3)年に惜しまれつつも廃止された片上鉄道ですが、吉ヶ原付近に開園した柵原ふれあい鉱山公園に12両の車両が保存されており、そのうちの9両(DD13-551・キハ303・キハ312・キハ702・ホハフ2003・ホハフ2004・ホハフ3002・トラ814・ワム1807)は動態での保存となっています。公園内には展示運転線があり、毎月第1日曜日に展示運転が実施されているのに加えて、旧吉ヶ原駅も改修を受けて展示運転線の駅舎として使用されています。自分はまだ訪れるチャンスに恵まれていませんが、往時を偲ぶには十分な施設のようです。        


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2012年3月29日 (木)

4年前の3月29日のパノラマカー

また懲りずにパノラマカーの写真です。


今年は寒くて、今日現在(3/29)桜はまだ全然咲いていませんが、4年前の3月29日は、桜が満開に近い状況でした。

4年前の2008(平成20)年3月29日は土曜日で桜も咲いて天気も良く、パノラマカーの写真を撮りに出掛けました。

その頃、パノラマカーは6×7本と、4×6本の66両が残っていましたが、その翌日の3月30日から6×4本が運用を外れると聞いて慌てて撮りに出掛けたわけです。

その3ヶ月後の6月末には、6両編成の残り3と、4×3本が運用から外れ順次廃車となり、それ以降残ったパノラマカーは4×3本だけになりました。

結局、その更に6ヶ月後の2008(平成20)年12月26日にパノラマカー定期運行ラストランが行なわれましたので、いつでも乗れるパノラマカーはこの年が最後になったわけです。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

↑【須ヶ口2008(H20).3.29】この写真は須ヶ口を7:30に出発する岐阜行き普通電車です。7001F6両編成で、一番手前は7002号です。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

↑【笠松2008(H20).3.29】須ヶ口で上の写真を撮ったあと、次の急行で追いかけ、7001Fを国府宮で追い越し、笠松へ10分くらい先着して上と同じ列車を撮りました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

↑【笠松2008(H20).3.29】次の写真は、同じ列車が通り過ぎたところを後追いで撮りました。従って一番手前が7001号です。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

↑【笠松~木曽川堤2008(H20).3.29】最後の写真は木曽川鉄橋です。

前の3枚の写真の7001F岐阜行き普通電車は、岐阜に8:27に到着したあと、折返し須ヶ口まで回送されました。その回送列車を、綺麗に整備された木曽川沿いで待ちました。このあたりは昼頃には花見客で賑わうのでしょうが、さすがに9時前は閑散としていました。

なお、この7001Fは、このすぐあとに中間車2両を抜き取り4両編成になり、この年の10月頃まで現役で活躍しました。その後7001号の原形復元工事をして2008(H20).11.9に一度限りのPhoenix復活運転をしたあと、7001-7002号は舞木に保存されました。(工場長)

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2012年3月27日 (火)

長野電鉄 屋代線廃止に向けて リバイバル急行「志賀」

3月25日、メンバー3名で31日で廃止となる、長野電鉄屋代線に行ってまいりました。

この屋代線廃止に呼応するように、しなの鉄道がリバイバル 急行「志賀」を3月中旬から31日まで屋代・軽井沢間に2往復運転しています。

急行「志賀」は、遡ること1962年3月1日、旧国鉄車両(キハ57系2両)が定期列車として湯田中まで1日2往復、上野から直通乗り入れをしたことが始まりです。母の実家が長野電鉄沿線ということもあり、母の帰省のたびによく利用しました。この乗り入れはその後、信越本線長野電化により、1963年10月1日、165系により電車化され、さらに1969年10月1日、いわゆる「ヨンサントウ」で、横軽間の協調運転開始により、専用車両の169系に置き換わりました。しかしながら、社会的なニーズの変化により、1982年11月14日を以って廃止となりました。

長々と急行「志賀」の説明をしましたが、廃止直前(この頃から全く進歩がない?)の11月1~2日、撮影に行きました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


1982年11月1日 湯田中

まだ、相対式のホームで、駅舎も両方とも使用していました。この日は天気が悪く、リバーサルでの走行写真は無理でしたので、駅撮りをしています。毎日のありきたりのシーンでしたが、廃止を2週間後に控えたこの頃でも、殆どカメラを向ける人を見ることはありませんでした。記録によると、この写真の4308M「志賀2号」の編成は、クモハ169-3+モハ168-3+クハ169-19です。30年後の今、注目を浴びているしなの鉄道S52編成のクハは、このクハ169-19です。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


1982年11月2日  都住・桜沢  4301M

翌日はよく晴れたようで、沿線に出掛けたようです。桜沢の俯瞰は黒姫、妙高がバックとなる場所が今では定番ですが、そのようなことはつゆ知らず、この頃長野電鉄ののポケット時刻表の表紙に使われた写真を頼りに、その定番よりやや小布施側の山に登って撮っています。桜沢の駅には交換待ちの2500系の姿が見られますが、広角にするとその先に高社山が見えます。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

1982年11月2日  信濃竹原・夜間瀬  4308M
折返しは定番撮影地に行っています。


さて、それから早くも30年近くが経ち・・・

「はなぶさ」に集まる仲間たち

2012年3月25日  屋代

たとえヘッドライトがシールドビームに、全面強化の鉄板が貼られていてもこの顔合わせは特別な感慨があります。電車急行のヘッドマークは、線区によって取り付けられていた期間はマチマチですが、信越線の急行が着けていたのは意外と短い期間だったと思います。ハーフサイズのバカチョンで撮った写真はありますが、一眼ではありません。

この後、「信州」(一時名称統合で湯田中乗入れもこの名前でした)、「妙高」「とがくし」「高原」と次々と取り換えられ、撮りまくったのは言うまでもありません。

この後一旦屋代線に2000系を撮りに戻ったのち・・・。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

2012年3月25日  千曲・屋代 9659Mリバイバル急行「志賀3号」


間もなく長野電鉄屋代線が廃止されます。急行「志賀」の名前もこれが最後となることでしょう。長野電鉄自社発注の最後の車両2000系も消えて行きますが、しなの鉄道の169系にはまだまだ頑張ってもらいたいものです。(検査掛)

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2012年3月26日 (月)

香港・路面電車の変容

 すでに謎解きの形で紹介しているので、今さらではあるが、知人と香港に行って来た。


 当初は、もう少しアカデミックな形での訪問になる予定であったが、残念ながら当方はうまく時間の調整が付かず、鉄三昧の旅となってしまった。結果として、早朝から夜10時過ぎまで香港と中国の鉄道を乗り回し、また、鉄旅行には珍しく食にもこだわって、本来の目的こそ達することができなかったものの、充実した旅となった。


 かつてはハワイと共に海外旅行の定番地であった香港だが、近年は円高などでブランド品買い出しの妙味が薄れたことや、旅行先の多様化などで、旅行会社の広告などでも見かける機会が減ったように思える。とはいえ、鉄道好きにとっては人口600万人を数える香港にはさまざまな鉄道が走っているし、加えて英国からの返還以降は広州などとの直通列車も増えており、手軽に海外の鉄道を楽しめる外国のひとつであることは変わりない。

 

 今回は、その香港のシンボルのひとつともいえる2階建て路面電車の最新状況について、ご紹介したい。


 鉄道好きでなくても、香港のイメージはまさにこんなシーンに象徴されよう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 狭い土地に林立する高層ビル。そしてかつでの宗主国であるイギリスの伝統を受け継ぐ二階建ての路面電車。いかにも魅力的な光景である。


 香港の路面電車は、香港島の北側、東側の筲箕灣(サウゲイワン)と西側の堅尼地域(ケネディタウン)の間13.5kmを東西に走り、ほぼ真ん中あたりに跑馬地(ハッピーバレイ)へのループ状の支線がある。

 車両は、写真のような2階建て電車ばかりで、もっとも混雑するところは75秒間隔の運転というから、すぐに写真のような団子運転となってしまう。背の異常に高い2階建て電車が、何両も連なってくる眺めは壮観である。


 ところで、この2階建て車両、いつ頃の製造と思われるだろうか?実はこの写真に大きなヒントがあるのだが、おわかりになるだろうか?


 その回答はあとでするとして、まずは、香港市電のイメージを覆す新車を紹介しよう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この近代的な外観の車両が、2000年に新造された通称ミレニアム新車である。

 168~171が製造され、171は冷房化が行われた。しかし、前面窓が固定化されたため換気が悪く、現在は169,170の2両しか運転されていない。


 この最初の新造車である168は、前回、10年以上前に香港を訪問した時、車庫で撮影している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この車両が増殖すると思われたが、結果的には4両で打ちきりとなってしまった。

 今回、この168の変わり果てた(^^;)姿を撮影できた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 なんと、前面を大改装し、通常の2階建てと同じスタイルとなってしまったのである。(車内は、異なっている)なぜ、こうしたスタイルとなったのか。そこに香港市電の秘密が隠されている。(ちと大げさか)


 さて、先ほどの設問の回答であるが、香港の一般的な2階建て車両は、1930年代から1964年にかけ、1~166(一部欠番あり)が製造されている。当初の車体は、鋼製でこのような感じであった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これら車体は、1986年から90年にかけて、鉄骨アルミニウム張りの車体に更新改造される。それが現在の車両である。ちなみに、かつての車体の様子を留めるこの120は未更新のように記される時が多いが、実際には旧来の姿のままで更新されているらしい。


 それはさておき、暑い香港で、しかも併行して走るバスにどんどん新しい車両が入り、さらには地下鉄も開業する中で、非冷房のクラシックな車体は、観光的にはともかく、いかにも時代遅れである。そこで、起死回生をはかったのが先のミレニアム新車であった。しかし、車両を冷房化するには変電所の能力が不足しており、結果として、なんら対策が講じられず10年が経過した。


 こうした中、2009年にフランスのヴェオリアが経営に参画することになり、同年、久々の新製車両が登場したのである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これがその新車。

 ン??どこが新製?全然、変わってないジャン。


 もっとも細かいところは、車内を含めて、いくつか変わっているらしい。例えば、方向幕のLED化とか、窓ガラスのサイズ変更とか・・・もっとも大きな変更点は駆動方式のVVVF化らしいが、外観からはわからない。この新車は、現在、171~175までの5両が動いているようだ。


 ヴェオリアが経営権を握った新会社では、既存の車両をこの新車にあわせて改装する方針を打ち出している。今回、たまたまその第一号と思われる「1」の姿を捉えることも出来た。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この「1」の更新は、まだネットを含めてどこにも紹介されていないので、ホットニュースである。おそらく、登場したばかりなのだろう。それゆえ、車体の色も緑で、広告が付けられていない。

 おそらく、今後、既存車両も順にこのように更新されると思われる。しかし、冷房が載るわけではなく、外観もほとんど変化がないので、傍目には車両が変わったとはほとんど気づかれないのではないか。好意的に解釈すれば、香港市電の伝統を今後も伝えていくという方針が明確に打ち出されたことになる。


 さて、駅長が香港をはじめて訪れたのは1980年8月であった。この時には、ほぼ全線を歩きながら撮影している。中でも驚いたのが、市場の中を走ると言っても過言ではない北角の景観である。


 ここはいかにも香港らしい名所として、現在でもよく紹介されるが、当時は今よりももっと雑然としていて、アジアンパワーを強烈に感じさせてくれた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この30年後の姿が、コレ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 大分、すっきりしてしまったが、それでも強烈なアジアンパワーは衰えを知らない。


 デジカメの機能を活かして、夜にも撮影した。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 さすがに高感度の撮影が可能なデジカメでは、これまで難しかったこうしたシーンの撮影も可能である。香港らしい夜景をデジカメで撮ることも、今回訪問した目的のひとつである。


 香港の夜の名物といえば、道路に飛び出したネオンサインに尽きる。一時に比べたら随分数が減ったように思うが、銅鑼灣(コーズウエィベイ)のあたりにはまだまだ残っており、路面電車との撮影も可能である。ここもブルーモーメントになりそうな夕方の時間を狙って撮影に訪れた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 結果としては、ほのかに空に明かりが残る以前にネオンが強烈に輝いてしまい、ブルーモーメントのシーンの撮影は敵わなかった。とはいえ、ネオンのまたたく下を走る電車は、暗くなっても十分撮影ができる。

 いつまでもこうしたシーンを撮影していたいところであるが、そうしていると今度は食事の時間が無くなってしまう。やりたいことがいっぱいあって、なんとも時間が足りない香港の旅となってしまった。(駅長)

 

 

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2012年3月25日 (日)

いまさらの119系ファイナル号

 お別れマーク、いや、最近はありがとうマークというのかわからないが、それをこの3月末で無くなる119系に取り付け、119系ファイナル号として、ダイヤ改正以降の土日に豊橋~豊川間で運転を行っている。

 

 最近はこうしたお別れ運転への関心が薄れてきているし(その割には、2度も300系に行ったと揶揄されそうであるが)、葬式鉄が多いイベントに行く気も無くなっている。しかし、119系の旧塗色は、復活後、まともに撮影していない。そこで、たまたま今日、三河の方に行く用があったので、午後の列車だけ撮影することにした。


 ファイナル号は、豊川に午前中に着いて、帰りは午後15時28分の発車である。その間、どこに停まっているか調べず、とりあえず豊川に着いたのは14時半頃であった。もちろん、該当列車が豊川に留置してあるとは思えなかったが、不思議なのは駅にファンの姿がまったく見えず、それらしき案内も無かったことである。

 ちょっと心配になって、駅の係員氏に運転の可否と、到着時刻を尋ねた。親切にお教え頂き、新城方から15時17分に着くことがわかった。時刻表を見ると、19分に豊橋行きの普通があるので、到着を撮って、それに乗り、牛久保あたりで走りを撮影しようかと思う。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 駅前の喫茶店で時間を潰し、発車の10分前にホームに行くと、何時集まったのか、多くの同業者がカメラを構えている。新城あたりに留置していたのを撮りに行っていたかとも思う。



 とりあえず、ホームの端に場所を確保して、到着を狙う。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 残念ながら、方向幕は回送であった。

 急いで、豊橋行きの普通に乗って、牛久保へ。駅の手前では何人かがカメラを構えていたが、なんとか場所を確保して、ファイナル号を撮影する。普段の心がけがわるいのか、通過時には曇ってしまった


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 続く普通で豊橋まで追うが、その列車と行き違ってファイナル号は入庫してしまい、213系とのコラボは撮れずじまいであった。


 119系の旧色は結構長い間走っていたので、一度くらい、沿線でしっかり撮っておけば良かったと思うが、元々があまり好きな車ではないので、そこまでの意欲がわかなかった。

 今回の撮影も手抜きも良いところであるが、まあ、看板付きが形式風に撮れたので、良しとすべきなのだろう。


 ここまで来たので、豊鉄のなのはな号も狙いたかったが、真冬並みの寒さに待つのが面倒になり、結局、豊橋から名鉄で直帰してしまった。(駅長)

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2012年3月24日 (土)

種明かし

 それでは、銀座と銀河鉄道ターミナルの種明かしをしよう。


 まずは銀座で、これは香港の新界地区にあるLRTの停留場のひとつである。前に載せた写真は、2009年から登場したオーストラリア製の新車で、あまりなじみはないが、以下の写真ならご覧になった方も多いのではないか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この銀座の停留場は、1990年代になって開発された天水囲と呼ばれる巨大なニュータウンの一角にある。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 Wikiによれば、停留場名は「嘉湖銀座」と言う東京をモデルにしたショッピングモールに由来し、英文名に日本語でそのままGinzaと名付けたという。また、実見していないが、このあたりには有楽町とか名付けられたビルもあるらしい。開業は2003年である。

 1990年代に香港を訪れた時には、ようやくこのあたりの開発が始まった頃であった。それがわずか10年ちょっとで高層マンションが何十も建てられているのだから、香港のパワーはあきれるほどすごい。


 なお、この新界地区は香港の大陸側に位置し、中国の深センも近い。新界のLRTを見るために、2003年に開業した西鉄線からは深センの高層ビル街が間近に見えるが、ここも超高層ビルが林立して、圧倒される眺めである。深センこそ1980年頃には何もなかった寒村であったが、香港との貿易拠点として急速に発展している。現在の人口は1450万人(T_T)とのことで、なんと香港の倍である(都市人口か都市圏人口かは不明)。都市内交通機関として、地下鉄の建設も急速に進んでいる。


 中国では、例の事故により建設ペースが落ちているものの、国内の交通網整備として新幹線の建設が進んでいる。昨年12月26日には、事故後初の路線として、広州南とこの深センの間、102kmが開業した。今回は、この新幹線に乗ることも香港訪問の目的であった。


 新幹線には広州から乗ることにして、香港広州の直通列車で広州に向かった。その広州の新幹線ターミナルが、銀河鉄道ターミナルと揶揄した広州南駅である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この広州南は、武漢との間を結ぶ武広旅客専用線の開業に合わせて2010年1月に開業し、現在は昨年12月に開業した深センとの間の広深港高速鉄道と広珠城際軌道交通のターミナルとなっており、さらに将来は南広線と貴広線のふたつの路線も開業するようだ。相対式2面と島式13面もあるホームは、おそらく線別にわけて使用しているのであろうと思われる。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 現在の運行本数は、深センには20分間隔で、武漢方面にも1時間に2~3本くらいが運転されているようだ。ホームに何もいないように見えたのは、ホームが長いため、武漢への列車は反対側に停まっていて見えなかったのかもしれない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これが、昨年12月に開業したばかりの深セン北駅。広州からは、途中1駅に停車して、35分ほどで到着した。こちらも壮大な建築物で、2路線の地下鉄が乗り入れている。広州と深センの間は20分間隔で列車が走っているため、中国には珍しく直近の列車の指定券が買えるが、乗ってみると満席である。

  広州も約1300万の人口があるので、深センとの間には相当な流動があるのだろう。新幹線が出来る前は、どうやってこの流動を処理していたのだろうか。


 ちなみに、この深セン北から香港への路線建設も進められており、2015年に開業するという。その時には、香港発北京行きの新幹線も運転されることになるのではないか。


 昨年の事故以来、というか、その前からもあまり評判の良くない中国新幹線であり、安全面についても、依然、昨年7月とは変わっていないといわれる。しかし、今回、ちょっと見直すような出来事があった。


 それは広州南駅に到着する列車での乗務員交代のシーンである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 交代する乗務員は直立不動で挙手して列車を迎え、きびきびした動作は見ていて爽やかであった。この事象だけから判断するのは危険であるが、昔の満鉄の流れを受け継ぐ鉄道員魂が今も生き残っているのか、との思いも頭をかすめた。しかし、粗製濫造といわれる鉄道員にそこまでの伝統を受け継がせるような教育を行うことは極めて難しいと思われるので、多分、飛行機のやり方をそのまま採り入れただけなのかとも思う。


 今回、香港、中国南部を訪れ、感じたのは人口の多さとそのパワーである。ヨーロッパでは、文化性の高さに驚くものの、勢いとかパワーを感じることはあまりない。これに対して、アジアの諸都市は煮えたぎるようなパワーをまざまざと感じる。

 こうした地域と競い、優位性を確保していくためには、今後、わが国はどうすればいいのか。課題は多そうである。(駅長)


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2012年3月23日 (金)

ささやかな喜び

撮影行に出かけると、希少価値的ネタ列車が突然現れて運良くカメラに収められたときもあれば、撮影の準備ができずに眺めるだけで終わってしまうなど、こうした想定外の出会いに一喜一憂した経験をお持ちの方も多いのではないかと思います。



最近、1986年2月に出かけたときの北海道鉄のリバーサルをスキャンしていたら、訪れた先でたまたま知り得たネタ列車情報に「一喜」したときの画像が見つかったので、当時のエピソードを披露します。


カネはないけど時間はたっぷりある学生時代の長~い春休み、家からストレートに北海道へ向かうのはもったいないので、上野から乗車した急行「八甲田」を未明の北上駅で下車し、始発の北上線で錦秋湖の名撮影地を目指すことにしました。

早朝の陸中大石駅(あえて当時の駅名を記します)に降り立ち、外が明るくなるまで待合室で暇つぶしに駅務室を覗いてみると(←怪しい行為?)、連絡板に何やら臨時列車運転のチョーク書きが見えました。それによると、自分の乗ってきた列車を追うように正体不明の列車が近付いて来るようです。「試9227」と書かれている列車番号から、客車であることは間違いないようだが試運転とは??とにかく撮影するために駅近くの鉄橋まで移動し、列車が来る方向にカメラを向けてスタンバイ。そしてその正体は・・・ ↓あ、なるほどねー。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


当時DD51重連運用で注目を浴びていた函館本線の客車急行「ニセコ」は、減車に伴い重連解消の噂がささやかれるようになりました。今のうちに重連編成を撮影しておこうと思い、有名撮影地以外にも撮れるところはないのかと、なぜか蘭島で下車して線路沿いに歩いてみるもののやはり無謀な考えであったことに屈し、天候も良くないので駅に戻って跨線橋から軟弱鉄を行うことにしました。

待合室でぼ~っとしているのも手持無沙汰なので、駅員さんにとんでもないお願い。

「すみません、臨時列車の情報を知りたいので、○○報見せてもらえませんか?」

すんなりと快くお借りすることができ、目を皿のようにしてネタ探しをしていたら駅員さん曰く、「きょうのニセコにマークが付くよ」  ええっ、!?

やがて接近時刻。カーブの向こうからDD重連の先頭にHMを従えた102レが見えました。どうせなら、もっとましな場所で撮ればいいのに、ねぇ。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


HMの装着は、まさに予想外のニュースでした。話によると、ほかにも客車急行「天北」、「宗谷」にも期日、区間限定でHMが付けられるよう。「天北」は日程が合わず撮影できませんでしたが、「宗谷」は士別駅付近の高架橋から雪晴れの中を進むシーンをゲットできました。いろいろ教えていただいた蘭島駅の駅員様、感謝しています。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


当時は希少価値列車との偶然の出合いにささやかな喜びを感じたものです。特に泊りがけで遠征したときはなおさらのこと。ところが、今や情報化社会であるが故、あらゆる手段でネタが容易に入手できるようになると、「撮影出来て当たり前/知らないほうが悪いのだ」、そんな風潮が浸透してしまいそうで、実に嘆かわしいことです。機密保持等が強化され、徐々に情報が得られ難くなる傾向にありますが、情報のやり取り以前に、いつの時代でもやはり基本は人と人との付き合い・信頼であると信じてやみません。(出札掛)

PS・北海道客車急行のHMについて後で調べてみると、R○E○が絡んだ企画だったようですね。



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2012年3月22日 (木)

145.明知鉄道 半日鉄 2012/3/20

 3月17日に行われたJRグループのダイヤ改正も無事に移行したようですが、今回の改正でも数々の列車や車両が過去帳入りし、記憶の彼方へ飛び立っていきました。そんな中、普段と変わらない姿で黙々と営業を続けている鉄道もあります。この日は彼岸ということで午後からは亡き母親のお寺と墓参りの予定がありましたが、午前中なら時間がとれそうだったので、半日鉄ではありますが、久しぶりに明知鉄道を訪れてみました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 現地入りは7時30分頃となりました。朝は結構冷え込んだのか、霜が降りており、3月下旬というものの真冬のような光景が広がっていました。

【2012.3.20 野志~明知】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 休日の朝でしたが、お出掛けにはちょうどいい時間ということで乗車客の姿も見え、ローカル線らしい雰囲気を撮ることができました。駅周辺には桜が植えられており、4月中旬の桜の時期が楽しみです。

【2012.3.20 阿木】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 中央アルプスもその姿を見せてくれました。ちょっと前に出札掛様がアップされたのと同じポイントです。以前はもう少し右に横構図でバッチリ撮れるポイントがありましたが、雑木が成長して撮れなくなっていました。

【2012.3.20 岩村~花白温泉】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 いつものお決まりパターンではつまらないと思い、新規ポイントを開拓してみました。目星をつけた場所を車でウロウロしていたら阿木の進入を俯瞰できるポイントを見つけることができました。桜・新緑・紅葉の時期に再訪してみたいと思えるポイントです。

【2012.3.20 阿木】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 日本一の農村景観に選ばれた富田地区を俯瞰できるポイントです。こちらも今回新規に見つけたものです。田んぼに水が張られる田植えの時期に訪れたいポイントです。ここは午後になると側面に陽が当たります。

【2012.3.20 阿木~飯羽間】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 上りの「大正ロマン」号を撮って明知鉄道を後にする予定でしたが、光線状態がいい場所が限られているため、時間の制限もあり、明知を出たところの築堤で狙ってみることにしました。2両編成を予定して築堤下から広角で見上げるアングルで待ちましたが、食堂車の予約がなかったのかやって来たのは単行、ちょっと間延びした感じになってしまいました。

【2012.3.20 野志~明知】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 お寺が定光寺のため、墓参りまでの間に時間がとれそうだったので、ちょっと山を下りて81列車を撮って来ました。高蔵寺付近では光線状態がよくないため、割り切って機関車ドッカンアングルで待ちました。運よく国鉄色が先頭でやって来ました。

【2012.3.20 高蔵寺~定光寺】(電車運転士)

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2012年3月21日 (水)

3月21日のパノラマカー

今日は3月21日でした(もう過ぎましたが)。


最近の写真はありませんので、5年前2007(H19)年3月21日の写真を掲載します。

その年の3月21日は、パソコンで調べると、今年と同じ水曜日でしたが、春分の日で休日でした。

天気の良い休日でしたのでハイキングにでかけました。

友人と神宮前で10時頃に待ち合わせましたので、チョット早めに行ってパノラマカーの写真を撮りました。

「はなぶさ」に集まる仲間たち-7011F 金山

まず、金山の近くで撮りました。

写真をよく見ると7011Fのようです。7011Fは白帯を巻いて最後まで残りましたが、この写真は白帯が復活する前です。

写真のデータを見ると9:30頃でした。当時の写真を見ると、このあと30分弱の間にパノラマカーが4本走っていましたので、この頃(まだ5年間ですが)は、まだたくさんのパノラマカーが走っていたんですね!


「はなぶさ」に集まる仲間たち


10時頃に、金山から電車に乗り神宮前に向かいました。乗った電車はパノラマカーで、反対からもパノラマカーがやってきました。この電車を神宮前で降りて撮ったのが次の写真です。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


常滑・河和線と犬山線系統にパノラマカーはよく使われていました。

このあと友人といっしょに、本線の急行で美合に向かいました。

名鉄沿線ハイキングで、美合から旧東海道の松並木を通り本宿まで歩くコースで、コース途中で舞木検査場にも入れると書いてありましたので参加しました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


美合~藤川にある旧東海道の踏切です。この付近は松並木が残っていて良い感じです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


ハイキングの途中、舞木検査場で撮った写真です。美合から歩き始めたのがタイムリミットギリギリの11時少し前でした(ほぼ最終のハイキング客)ので、すいていました。

舞木に保存してあるパノラマカーの写真がありません。何故無いかよく考えれば、まだこの頃パノラマカーは現役で走っていて、7001-7002号が舞木に保存されるのは1年半以上先でした。

5517号と8803号(いずれも先頭部分のみ)と、写真には写っていませんが3401号は保存されていました。


つぎの写真は2009(H21)年3月21日です。上の写真からちょうど2年後、今から3年前です。

パノラマカーは、その前年の2008(H20).12.26に定期運行ラストランを行い、定期列車からは離脱し、臨時列車用に7011Fが1本だけ残っていました。

その7011Fを使って2009(H21)年3月21日に団体貸切列車が舞木検査場に入りました。

舞木では、綺麗に保存された7001-7002号の撮影会が行われました。

「はなぶさ」に集まる仲間たち



「はなぶさ」に集まる仲間たち


7001-7002号が綺麗に保存されていました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

その団体貸切列車(白帯の7011F)の帰りが舞木検査場の前を通過しました。

最後まで現役で残ったパノラマカーです。  2009(H21).3.21

7011Fも、この写真を撮った半年後に廃車解体されていますので、あらためて月日の経つ早さを感じています (工場長)

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銀河鉄道ターミナル?

 銀座はどこか、という回答はもう少し先にするとして、日本の鉄道の感覚では想像することすら出来ない白日夢の世界をもう少し紹介しよう。

 前回が「鉄腕アトム」なら、今度は「銀河鉄道999」の世界である。


 その銀河鉄道の列車の発車時間が近づいた。ホームへのエスカレータを降りると、宇宙行きの銀河鉄道の列車が待っている。まさにそんな感じである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 銀河鉄道の駅のコンコースは、こんな感じ。ともかく広い。馬鹿でかい。出入り口は遙か彼方で、霞んでいる。これが、駅である。まさに、宇宙行きの列車にふさわしい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この駅の番線は、なんと28番まである。ホームには、999号が停まって・・・・いない。14本もホームがあるのに、列車が停まっているのは、このホームだけ。どうして?


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 いよいよ発車。最高速度は300km/h。さすがに早い。これで勢い余って追突してくれなければいいのだが。


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  わずか30分少々でもう終着駅。ここも、馬鹿でかい駅で、ホームは20番線くらいまである。しかし、使っているのは1本だけ。こんなに要るの?


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 とはいえ、列車本数が少ないわけではない。昨年12月に開業したばかりのこの路線、なんと列車は20分間隔で運転しており、それらはいずれも満席である。大都市間を結んで、相当な需要のある路線といえる。その割に、ホームは如何にも寂しい。


 これらターミナルは、いずれも町中ではなく、町の中心から10km以上離れた位置にある。それゆえ、広大な駅も建設できるのであるが、発想的には宇宙へのターミナル、じゃない、空港を意識しているのだろう。どこをどうみても鉄道駅の造りではない。ちなみに乗車した駅は、世界最大のターミナルと標榜している、という。


 とはいえ、何本もあるホームは、本当にこれだけ必要か、なんとも疑わしい。将来計画を見ても、ある程度の規模が必要なことはわかるが、ここまでの設備を造る必要があるのかどうか。単に国威発揚のためと思われてならない。


 幸いにも、両駅とも地下鉄が接続しているので、中心部からかなり離れているにもかかわらず、アクセス自体は悪くはない。しかし、あまりにも大味な構内の造りは、ホームまでの歩行距離が長く、極めて使いずらい。また、切符売り場等の配置も悪く(伝統を受け継いでいるとも言えるが・・)、乗車までに延々と歩き回ることになった。


 写真で見ると、SFの世界のような壮大な造りに圧倒されるが、実際に使ってみるとさまざまな問題点に気づかされる銀河鉄道のターミナル、じゃない某国某市の駅であった。コンパクトにまとまって、アクセスに便利な某国某市の鉄道が懐かしい。余っているホームの1本でも持って帰りたいところである。(駅長)

 


 

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2012年3月20日 (火)

豊鉄渥美線なのはな号と市内線穂の国・豊橋ハーフマラソン応援号

 JRのダイヤ改正と共にいろいろなシーンが消えて行きましたが、今年に入ってからはついついJRにばかりに気を取られていて地元の記録をおろそかにしていたのに気が付き、今月いっぱいで運行を終了する豊橋鉄道渥美線のなのはな号と今週末に行われる「穂の国・豊橋ハーフマラソン」の応援号となった市内線の3203号を撮影に行ってきました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


まず1本目はいつもの柳生橋~小池間にて撮影。ただ、背景に昨年はなかった倉庫が建てられてしまってイマイチ。


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2本目はちょっと足を延ばして杉山~やぐま台で撮影。現地に着いた時には誰も居ず気楽に撮影できると思っていたのですが、やはりなのはな号通過10分前ごろには数人が集まってきました。


 「はなぶさ」に集まる仲間たち


なのはな号1本目と2本目の撮影の合間に市内線の札木の北で穂の国・豊橋ハーフマラソンの応援号の3203号を撮影。この装飾での運転は3/10~3/25で、その後は市電の日PR電車として側面の文字とヘッドマークを取り替えて3/27~4/15に運転されるようです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 なのはな号撮影の帰途、柳生橋駅を通りがかると、3月4日で使用を終了した旧駅舎は既に撤去され、すっかり更地となっていました。ホーム沿いにスロープを作る工事が進んでいましたので、近々柳生橋駅もバリアフリー対応の駅に生まれ変わるようです。取り急ぎご報告まで。(車掌長)

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ちょっと銀座まで

 ダイヤ改正の話題が巷を賑わしていますが、そんな中、友人のお誘いを受けて、ちょっくら銀座まで行って来ました。もちろん、300系の乗りおさめ、なんかじゃありません。


 まずは、銀座に着いて、駅名板をスナップ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 あれ、駅名板は確かに銀座なんだけど、銀座では地上に鉄道が走っていたかしら???


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 改めて周りを見ると、なんかえらい高い建物が多いんですな。銀座って、こんな高層ビルがあったっけ。

 どこかで見たような・・・・と思ったら、手塚治虫の鉄腕アトムに出てくるような町って、こんな感じじゃなかったっけ。ということは、これは現代ではない?

 いや、鉄腕アトムの誕生日は2003年なので、今の時代でもおかしくないか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 おお、電車がやってきた。随分、可愛らしい電車だなぁ。これが、今、流行のライトレールというやつか。

 駅名看板は確かに銀座だけれど、こんな電車走っていないし・・・・。一体、どこに紛れ込んでしまったのだろう。


 そういえば、銀座に行くなら新幹線だが、今日は新幹線を使わなかったぞ。


 やはり、タイムマシンで未来の銀座に来たのかな?一時、銀座に路面電車を敷くとかいう計画が新聞で流れたけれど、ひょっとしてそれが実現したのか・・・。未来の銀座は、自動車ではなく、縦横無尽に敷かれたLRTで移動するようになっているのかな?


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ちょっと高いところに登って、周りを見てみると・・・凄い(T_T)。高層ビルばかり。一体何本のビルがあるだろう。さすが、銀座。さすが未来の東京??

 

 その割には、ビルのデザインが画一的だし、ちと安っぽくも見える。


 うーん、ここはどこ?あるいは白日夢?(駅長)




 



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2012年3月19日 (月)

さよなら ハワム80000

各地で様々なものが消えて行く3月、なかなか行くことができず、悶々たる日々を過ごしておりましたが、午後出勤の15日に、春日井貨物にHMが付く、との情報を出札掛様、電車運転士様から頂き、行ってまいりました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

3088レを矢田川で撮って、そのまま670レを待とうかとも思ったのですが、1時間半ほどあるので、春日井を覗きに行きました。

現地に行くまでは、HMを付けたまま本線を走るものと思ってたのですが、すでにいたファンと入換掛が話をしているのを聞くともなしに聞いていたら、横槍が入って駅だけの装着になった、とのことで、春日井まで来た?甲斐がありました。

まず、コンテナ4両を引き出して中線に据え付けます。このときはホームからでも撮れますが・・・。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

肝心のワムは、出信を越えたところで止まってしまうので、ズームを思いっきり広角に引っ張らないと入りませんでした。

据え付けられたのが出発10分程前で、ここに長居し過ぎてこの後走行は間に合いませんでした。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

というわけで、とりあえず清州まで追っかけてみました。

12分停車するここでは、言うまでもなく撮影会状態でした。ただ12分停車というものの、その間に貨物だけでも下り1本、上り3本、さらに旅客線も4本の列車が走るので撮影可能時間はかなり限られたものでした。いつHMを外すのかな、と思っていたら付けたまま稲沢に向かいました。

こんなものにHM?と、いぶかる向きもあるかと思いますが、現場の方々の思いが籠っているのだな、という気になりました。

一部事業用で残るかもしれませんが、子供の頃、貨車を有蓋車、無蓋車と教わったものが、これでまた死語が一つ増えたか、という感じです。

情報を頂いたお二方に感謝いたします。(検査掛)


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2012年3月18日 (日)

さようなら100系新幹線

「はなぶさ」に集まる仲間たち の新参者「工場長」です。

メンバーから素晴らしい300系新幹線の写真がいろいろ発表されていますが、私は「新幹線は鉄道趣味の対象外」という時代に青春時代を過ごしましたので、新幹線の写真はほとんどありません。

300系の写真は、家族で四国旅行へ行くときに名古屋を通過する「名古屋飛ばし」の「のぞみ号」の前で子供と一緒記念撮影をした写真が残っていました。

日付を見たら1993(H8)年8月でした。その次の名古屋に停まる「のぞみ号」で岡山まで乗ったのが、最初の300系&のぞみ号乗車記念でした。

その頃は、鉄道写真から遠ざかっていた時代でしたので、折角四国まで行きながら鉄道の写真はほとんどありません。

その次に四国へ行ったのが、2007(H19)年8月で、このときも家族旅行でしたが、少し自由時間をもらって、広島電鉄や伊予鉄道の路面電車を撮り、マイントピア別子を訪ねて別子銅山の鉱山鉄道跡を偲んできました。

その帰りに、バスで「しまなみ海道」を通り福山へ出て、福山から新幹線に乗りました。

福山駅で撮った夕方の100系の写真です。

手前の新大阪行きが雷の影響で遅れていて、両側のホームに100系が並びました。

両方とも黄緑色の帯を巻いていました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち-福山駅の






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ラストステージ


某日曜日は休日出勤となりまして、その振替休日をいつにしようかと考えたところ、どうせなら何かがありそうなダイヤ改正の直前日・3月16日を選択しました。普段の平日に堂々と休みを取れるのはめったにない機会です。もちろん家でじっとしているのは勿体ないので、さて何処に出かけようかとプランを企て、今まで一度も目にしたことがない岳南鉄道の貨物輸送を中心に、その近辺で“この日限りで見納めとなるネタ”をターゲットに出かけることにしました。


平日に休みを取れる嬉しさのあまり(←オーバー)プチ贅沢をしようと、名古屋ー静岡は往復新幹線(こだま号自由席)を利用し、少しでも現地で時間を稼げるようホテルで前泊する1泊2日の行程を組みました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

吉原駅構内で仕業を待つED402には、既にさよならマークが前後に付けられています。某ブログによると前日には装着されていたようで、もはや通常期の姿を撮ることは不可能となりましたが、わざわざ貨物最終日に出向くのだからこれは想定の範囲内。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

上の画像とほぼ同じ位置から、今や大注目の「あさぎり」用371系を撮るべく、今回は東海道線内アルバイト運用「ホームライナー」にカメラを向けました。こちらは特別な装飾もなく、普段通りの姿です。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

岳南鉄道の列車に乗りながら機関車と貨車の動きに目を向けます。岳南原田駅の側線にはコキ2両、比奈駅北西方の製紙工場側線にはワム6両、南西方の工場側線には6両のワムとコキ1両、、比奈駅の南側線には5両のワムが各々留置されており、これらが本日中に吉原まで運ばれるものと思われます。比奈構内にはED501が待機しており、「気まぐれ機関車乗車体験」向けにひと仕事していましたが、やがて北西方の側線からワムを引き出し始めました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

作業員の巧みな技によるコキやワムの突放も見ることが出来ました。JRでは見かけなくなったこの作業も今日まで健在でしたが、いよいよ見納めとなるのでしょうか。




「はなぶさ」に集まる仲間たち
構内が貨車で賑うのも今日で最後。貨物取扱最終日なのでワムが集う風景は期待していなかっただけに、意外でした。まもなく、ED501が構内に残っていた17両すべてのワムを入換作業で組成し、704レに備えます。

この時、時刻は11時前。構内作業も一段落したようだし、ちょうど新幹線300系のラストランに間に合うぞ、と富士山バックの超有名撮影地を目指してみることにしました。(そういえば、岳南富士岡方の側線にワム2両が取り残されたままとなっていますが、用途があるのでしょうか?)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

早朝は姿を見せていた富士山は朝8時ころから雲の中に隠れてしまいましたが、10時過ぎには再び姿を現してきました。件の撮影地への最寄駅は岳南富士岡か須津ですが、地図を覗くと比奈駅からでも少し距離が延びる程度。須津方面の列車までは時間があるので、天気も良いことだし、よし!比奈から歩いてしまえ、と20分強のウオーキングと洒落込みました。現地到着は11:25頃。周辺には十数名のギャラリーがスタンバイしていますが、撮影場所が広いので思い思いの場所に陣取っています。

そして11:36、空はやや霞んだものの、ラストランの300系は有終の美を飾ることが出来ました。強いて言えばシャッターチャンスがほんの僅か早すぎたようで。また、もう少し時間に余裕があれば立ち位置を再考できたかもしれませんね。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

300系を見送った後は岳南富士岡まで歩き、構内に留置中の機関車を撮影後、電車で再び比奈まで戻ります。貨物取扱廃止に伴い翌日から無人となる比奈駅では、切符類を記念に買い求める人たちの列ができています。窓口業務の職員さんたちに敬意を表して、自分も便乗してグッズや入場券を購入しました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

昨夜から吉原に留置されていたED402が単703レで到着し、いよいよワムの岳南ラストランを向かえます。午前中に組成された17両のワムを連ね、704レが吉原に向けて出発。富士山は雲で見え隠れする不安定状態で、おまけにジャトコ前のお立ち台は光線も良くないうえに激パ必至だろうと思い、比奈で見送ることにしました。広くなった構内が貨物廃止の現実を感じさせます。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

704レで運ばれたワムは吉原から3461レで継走されます。普段からワム編成で注目を浴びる3461レは、この日は吉原まで単機(by某ブログ)で到着し、未明から吉原下り線構内に留置されていたワムと、岳南からのワムを連結してラストランを飾るように見応えのある総勢30両強に組成されました。

この列車を撮影すべく、比奈から吉原に戻る車中から吉原構内に停車中の機関車を見ると、あれ、HMが付けられている?吉原駅下車後、機関車が見える位置まで急いで走って撮影しましたが、慌てて撮った画像である故、雑な点はご容赦ください。

肝心のHMをよく見ると、前日の春日井貨物670レで付けられたものと同じデザインのようです。もしやこの日のためにわざわざHMを稲沢から運んできたのかもしれないですね。ただ、この機関車はHMステーを備えていないため、HMは針金らしきもので運転席窓下の手すりから吊り下げた状態で、おまけにオレンジ色の会社からHM装着の許可が下りなかったためか停車中のみの掲出となり、職員が記念撮影後、速やかに取り外されました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

そして岳南鉄道の貨物最終列車を務めるのは、比奈16時過ぎに発つ708レです。編成は、最後まで比奈の側線に留置されていたコキ3両。どこで撮影しようかと移動中の列車から車窓を眺めていたら、吉原の場内信号手前で数名のカメラマンが構えている姿が目に留まりました。ただし晴れるとド逆光になるポイントですが、曇り空の天気に躊躇することなく、上述の3461レ撮影後この場所に向かい、岳南貨物のラストランを見送りました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

岳南の貨物廃止と同時に吉原駅構内の貨車入換作業も姿を消します。708レを撮影してから吉原駅東方に移動して岳南から送られてきたコキの入換風景を撮影、と思ったら構内で切り離されてしまいました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

岳南関連の撮影を終え、最後のターゲットは沼津で小田急20000系(RSE)の「あさぎり」です。もはや露出も上がらないのでホームで地味に見送ることにしました。沼津で見る新宿行あさぎりも、小田急としてのRSEの活躍もこの日が最後です。

出発間際、折しも東海道下り普通列車と肩を並べました。“小田急の電車が沼津まで乗り入れていた”という記録を残すため、そのラストシ-ンを掲げます。件の列車は特別なセレモニーもなく、フツーに発車していきました。



いろいろなラストステージを追い求め、慌ただしい一日が終わりました。今回は鉄道による移動手段であったため、久々に歩き周りました?いえ、健康増進のためのウオーキングと思えば辛くもないですね!(長文お許しください・出札掛)






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2012年3月15日 (木)

3.11 不謹慎鉄

 3月11日は、あの東日本大震災から1年を迎えた日。被害に遭われ亡くなられた方々のご冥福を祈ると共に、一刻も早い復興を目指して決意を新たにすべき日なのでしょうが、なんとなくやるせいない気持ちになって、気が滅入ってしまうのも事実。日本を明るくするには、まず個々人の気持ちを明るくすると共に、内需を拡大して経済を活性化させるべきだ、などという勝手な理屈をつけて、当日に鉄に行くことにしました。(単に時間が出来たので鉄に行っただけですが(^^;)・・・・・)


 とはいえ、今さら日本海ではないし、飯田の119系お別れ運転もあえて行くほどのことではない。ましてや新幹線300系の定期運転は論外、というわけで、目をつけたのが大井川鉄道の春のSLフェスティバル。新金谷の転車台の完成を機に、昨年より始められたSLフェスティバルですが、この日は金谷行きのかわね路がSL重連になることに加え、普段は縁の下の力持ちであるELが客車を牽くとのこと。笹間渡の第1大井川橋梁を金谷に向かう上り列車での蒸機の前向き運転や、EL牽引の客車は前々から一度撮りたいと思っていたところでもあり、目覚ましを早朝にかけて、列車で大井川鉄道を目指しました。


 ところが、現地について、新金谷で停車中のSLを見て唖然。先頭にいかにもイベント用といった風情のマークが付いているではありませんか。昨年、秋のフェスティバルで撮影した重連は、定例の「かわね路」のマークだったので、それほど気にならなかったのですが、イベント用の看板は蒸機が安っぽく見えてしまうので、なんともいただけません。


 よほどここでやめて帰ろうか、と思ったけれど、そこはサイドから狙うことで誤魔化すことにして気を取り直し、塩郷~下泉間へ。まずはかわね路13号を大井川を入れてサイドから狙います。この日は、通常運転するかわね路11号がなく、1時間遅い13号の運転でしたが、それだけに太陽が反対側にまわってしまい、完璧にサイドが潰れてしまいました。フォトショップで修正したけれど、ちょっと苦しいかな。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 続くかわね路1号は、サイドに陽があたるので、これは順光側で狙わざるを得ません。しかし、わかっていることとはいえ、看板が・・・・(>_<)

 やっぱり、蒸機本来の良さを狙うなら、イベントのない時にゆっくり撮りに行くべきですね。反省その1です。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これまでの大井川鉄道では、この後はおまけのようなものでしたが、今日はここまでがおまけで、これからが本番。目的としていた大井川第1橋梁に向かうため、抜里で降ります。順光でEL牽引の客車と重連のかわね路2号を撮影できるだけに、場所が確保できるか心配でしたが、まだまだ余裕で一安心。


 しかし、しかし・・・やはりこの日に鉄をするのは不謹慎ということなのでしょうか。その報いなのか、この後、予想もしないアクシデントに見舞われます。


 まずは、列車の通過する20分ほど前に鉄橋の橋脚の向こうに車が駐車してしまい、なんとも目障りでしょうがありません。しかし、これはまだ許せる。


 許せないのは、EL牽引の客車通過時に、三脚を抱えた同業者が現れ、ものの見事に画面に入ってしまったことです。同業者でなければ画面に入ってもまったく問題はないし、同業者でも列車に気がついて、邪魔にならないように急いで避けてくれれば許せるのですが、この御仁、SLだけしか頭にないのか、河原にカメラの放列が敷かれているにもかかわらず、この列車の接近を確認しても避けるわけではなく、悠然と鉄橋の下を歩き続け、一番のタイミングでものの見事に画面に入ってしまいました。


 さすがに川の対岸からでは罵声をあびせても届くわけではなく、なすすべもなく見守るしかなかったのですが、なんとも不愉快な気持ちになってしまいました。SLやイベント列車の撮影では、こうしたトラブルがありがちですが、最近はほとんどSLやイベント列車の撮影をしていないので、こうした心ない同業者の行動で不愉快な気持ちになるのは久しぶりです。しかし、より近くの河原でカメラを構えていた人たちはなんら気にならなかったのでしょうか?不思議です。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 続いて、本命のかわね路2号。看板無しで来てくれた上、サービスで煙を出してくれたのはよいけれど、相変わらず車は動かず、風で煙が巻いてしまって、出来映えはもうひとつ。一番、煙の状態が良かったのがこのカットだけれど・・・・まあ、これ以上望むのは贅沢、かな。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 結局、この日一番は、金谷に戻る列車を抜里駅ホームの端に咲いていた紅梅と一緒に撮影したカットでした。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 やっぱり、この日は屁理屈をつけて鉄活動に励むのはやや不謹慎であったかもしれません。おとなしく地震の被害に合われた方々に追悼の意をあらわすべき1日だったようです。猛反省です。(駅長)

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2012年3月12日 (月)

144.愛知県植樹祭お召 1979/5/26・27・28

 3月11日は東日本大震災からちょうど1年にあたり、各地で追悼の行事が行われました。お亡くなりになった方のご冥福と行方不明になっている方の発見、さらには被災地の1日も早い復興を願わずにはいられません。その中で、政府主催の追悼式が国立劇場で行われ、天皇陛下がさまざまな思いを述べられていたのが印象的でした。直接被害がなかった地域に住む私たちは小さなことでも何らかのかたちで支援にかかわっていくことと普通の生活が維持できていることへの感謝の気持ちを忘れないようにしたいと思います。


 1979(昭和54)年の5月下旬は多少なりとも鉄活動をかじっている者にとって、一大イベントともいえるできごとがありました。この年の植樹祭は愛知県下で開催され、恒例のお召が飯田線南部・東海道本線の三河地区・岡多線で2日間に渡って運転されました。この頃はまだ5月の植樹祭と10月の国体の時にはお召の運転が結構ありましたが、身近な所での運転というチャンスは滅多にあることではなく、メンバーの皆様方も何らかのかたちで参戦されたことと思います。東海道本線はEF5861の牽引の定番パターンでしたが、飯田線はED62が初めてその重責を担い、岡多線でもお召が運転されるということが特筆されました。加えて、本運転前後には、回送とはいえEF5861と60のゴールデンコンビが1号編成をプッシュプルするという前代未聞の豪華編成が本線上を走行するなど、今では考えられない運転形態が実施され、大きな話題となりました。話の成り行き上、一部再掲となる写真もありますが、ご了承いただければ幸いです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 1日目となる5月26日に飯田線で運転されたED62のお召です。1号編成の飯田線入線、ED62のお召列車牽引は初めてのことだったこともあり、かなりの数の同業者が飯田線沿線に集結していました。この列車が初めて見た実物のお召でしたが、思ったよりゆっくりとした速度で目の前を通過して行きました。当日の朝、多治見からの1番列車で現地へ向かいましたが、時間が遅かったこともあってすでにカメラの放列状態でした。何とか列の前にしゃがませてもらってポジションを確保することができました。お召の場所取りは3日くらい前からというのが常態化している昨今の状況を見ると何ともノンビリした感じでした。

【1979.5.26 江島~東上】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 飯田線のお召は豊橋~三河槇原を1往復した後、牽引機をEF5861に付け替えて蒲郡(でしたっけ?)に向かうというダイヤでした。復路も飯田線で撮ってしまうとEF5861のお召が撮れないので、復路のお召は捨てて豊川放水路至近のポジションに陣取りました。待っている途中に復路のお召列車を見送りましたが、今から思うと何とも贅沢な選択でした。EF5861のお召は幹線の東海道本線を走るということもあってか、カーッというモーター音を響かせながら飯田線内とは違った結構なスピードで眼前を通り過ぎて行きました。やはり、EF5861のお召は一味違った貫録が漂っているといった印象を受けました。

【1979.5.26 豊橋~西小坂井】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち
 お召本番終了後は翌日の運転に備えて名古屋まで回送されましたが、刈谷で長時間の退避があったため、電車利用でも追い掛けることができました。名鉄のホームや跨線橋の上から自由に撮影ができ、プチ撮影会状態となっていました。
【1979.5.26 刈谷】(電車運転士)

「はなぶさ」に集まる仲間たち
 名古屋へ先回りして回送の到着をを待ちました。静かな入線で、停止位置指示合図を出している係員の位置にピタリと停止しました。
【1979.5.26 名古屋】(電車運転士)

「はなぶさ」に集まる仲間たち
 間近に見た御料車です。反対側のホームは規制もなく自由に1号編成の各車両を撮ることができました。今だったら当然規制がかかり、ホームから自由に撮ることなんてありえないことでしょうね。完璧な整備を施された御料車からは威厳のようなものが感じられました。
【1979.5.26 名古屋】(電車運転士)

「はなぶさ」に集まる仲間たち
 1号編成の各車両を撮り終え、ふと神戸方にある駐機線の方を見ると何やら茶色い塊が2つ見えました。もしかしたらということで現場へ向かってみるとEF5861と60が肩を並べていました。目の前に現れた夢のような光景を前に、夢中でシャッターを押したのは言うまでもありません。さぞかし激パだったのではと思いきや、自分とこの日行動を共にした関西の鉄仲間以外にはほとんど同業者の姿は見えず、ある意味お召の本運転よりも貴重な記録となりました。
【1979.5.26 名古屋】(電車運転士)

「はなぶさ」に集まる仲間たち
 EF5861と60の並びをひととおり撮影後、機関車の傍らまで近寄ってみました。両機とも翌日の仕業に備えた整備を受けていました。何人かの係員の方が真剣な眼差しで機関車を磨いており、少しだけですが裏方さんの苦労を垣間見ることができました。ナンバーをよく見ると61は磨き出し、60は白色でペイントと所属区によって微妙に整備の仕方が違うんだなということを感じました。
【1979.5.26】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち
 翌5月27日も関西の鉄仲間と共にお召撮影に向かいました。途中の共和で「さくら」の退避があった関係で撮れたものです。この頃はすでにPFの牽引に代わっていましたが、やっぱり、Pの時代を知っている自分にとっては何か安っぽくなったかなという少し物足りない印象を受けました。
【1979.5.27 共和】(電車運転士)

「はなぶさ」に集まる仲間たち
 お召2日目の目玉は早朝に名古屋から運転されたEF5861と60のプッシュプル回送とお召の岡多線入線でした。早朝の回送は列車利用では届かなかったため、諦めざるを得ませんでした。本運転は今だったら迷わず岡多線に向かっていたのでしょうが、当時は撮影ポイントがよくわからなかったこともあって、幸田~岡崎間の田んぼの中にポジションを決めました。しばらくすると突然EF5860の単機回送が現れ、岡崎方面へ走り去って行きました。
【1979.5.27 幸田~岡崎】(電車運転士)

「はなぶさ」に集まる仲間たち
 いよいよこの日のお召本番を迎えました。待っている最中に警備の警察官からカメラバックの中身までチェックされ、緊張した場面もありましたが、比較的リラックスムードが漂う中での撮影となりました。EF5861の場合、どちらかの日の丸がポールに巻きついてしまうことが多いのですが、この時はラッキーなことに両側とも綺麗に開いてくれました。
【1979.5.27 幸田~岡崎】(電車運転士)

「はなぶさ」に集まる仲間たち
 撮影を終え、岡崎に戻ると岡多線の本運転の間、予備機のEF5860が日の丸を掲出して待機していました。どうしても本運転の61の方に目が行ってしまいがちで、60が正装して待機している姿を目にする機会はそんなに多くなかったと思います。岡多線の本運転と北野桝塚~岡崎間のプッシュプル回送は撮れませんでしたが、これはこれでよかったのかなと思いました。待機している間、機関車の横で直立不動の姿勢を続けている機関士の姿が印象的でした。お召が新豊田に到着した後は、すぐに正装を解かれ、1号編成の推進回送を北野桝塚まで迎えに行くため、岡崎を後にしたようです。
【1979.5.27 岡崎】(電車運転士)

「はなぶさ」に集まる仲間たち
 本運転の終了後は前日と同様、1号編成が名古屋まで回送されました。定番の矢作川橋梁で待ちましたが、各地に分散していた同業者が一気に集中し、さすがにこの時は激パに近い状況になりました。こうしてお召三昧の2日間が終わりました。
【1979.5.27 岡崎~安城】(電車運転士)

「はなぶさ」に集まる仲間たち
 2日間にわたるお召の余韻がまだ冷めやらぬ5月28日の朝、1号編成が東京まで回送されました。今では金山総合駅の構内となっている場所ですが、ここでこの列車を待っていたのは自分を含めて2・3人程度と今では信じられない状況でした。列車は予定より20分くらいの遅れで東京へ向かって行きました。
【1979.5.28 熱田~名古屋】(電車運転士)


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2012年3月11日 (日)

【活動報告】西濃方面でネタ列車 etc.

ダイヤ改正を一週間後に控え、各地では今改正で姿を消す列車を追い求める葬式鉄や、鉄道事業者主催のイベントなどが目につくようになってきました。鉄チャン一同、行動が活発になる時期ですね。


3月10日、飯田線北部で運行される119系さよなら運転に使用される“青電”ことE4編成が早朝に豊橋から回送されるので、新城周辺に出かけようかと最新の天気予報を見ると、あらら、前日の予報よりもあまり良くない模様。せっかくの名撮影地も雨天では魅力が半減するし、ガソリンも著しく高騰しているし、3月後半は豊橋口でもさよなら運転が行われるので、今回は飯田線をあきらめて、天気が回復する岐阜西濃地方にネタ列車を求めて半日だけ足を運びました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

いつもはあまり興味を示さない貨車ネタですが(貨車ファンの方、すみません)、今改正でワムハチがすべて引退という歴史的な出来事とあらば、一コマでも多く撮っておこう、と先週同様再び6170レに目を向けました。普段、自分が撮影できる機会は土曜日しかないワムハチ編成6170レは、17日の改正で姿を消すため今回が最後の撮影となりそうです。

太陽は雲の中、ということで曇天限定アングルで迎えました。今回も長い連なりですね。カマは何の変哲もないロクロクの100番、なんて贅沢言っている場合ではありません。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

場所を大垣付近に変えて、6170レに続いて来る東京地下鉄16000系の甲種輸送8862レを狙います、が時間になっても来る気配がありません。まさか遅れてくるとは思いもせず、そのせいで目の前で対向列車に被られてしまったので、辛うじての後追い撮影。大垣を約+15分の通過でした。あまりお見せできない半端なカットですが、貫通路に掲げられたローレル賞受賞マークに敬意を表して画像アップすることにご理解ください。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

懲りもせず新幹線300系“LAST RUN”列車の撮影に挑戦します。場所は伊吹山バックお立ち台で有名な垂井町クリーンセンター付近。雲が徐々に途切れて薄日が差してきたものの、半逆光の白っぽい空に加えて白い被写体とは、なんて平坦な画像でしょうか。このカットの直後にシャッター速度を落として真横で流し撮りにトライしましたが、あえてお見せしません。理由は聞かないで~。sweat01



「はなぶさ」に集まる仲間たち

さすが200km/h超の速度。遠くにヘッドライトが見えた、と思ったらあっという間に撮影ポイントに達するので、通過時刻が近付くと気が抜けません。しかし万が一撮影に失敗しても、時間を置くことなく次の列車が現れるのですぐに再履修できるし、被写体も普段は700かN700のみになるのでネタ的列車もなく平等に扱えるし、その点は在来線と違ってストレスが溜まりません。反面、苦労する点もいくつかありますが。

先述の“LAST RUN”列車撮影後しばらくしたら、今まで雲に隠れていた伊吹山が姿を現しました。せっかくだから上り“LAST RUN”列車までの時間つぶしを兼ねて山バックを撮ってみることにしましたが、定番のお立ち台は履修済みなので、少し違う角度からの撮影を試みます。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

ロクヨン1000番台が愛知区に来てから早や2年近く経ちます。牛乳パックの“標準”色に紛れて国鉄色や広島色のレア釜が注目され、重連運用を含めてそれなりに楽しませてくれますが、どうやらレア釜以外の列車にはあまりカメラを向けていません(反省)。

時間つぶしのついでに、ロクヨン赤坂ホキ8785レを揖斐川の定番お立ち台で迎えました。一般の立ち位置よりも低い所から見上げれば、ごく“標準的”な編成でも少しはインパクトがあるでしょうか。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

いつの時代でも、小さな子供たちにとって新幹線は憧れの的です。それを示すかのように、ここ岐阜羽島の上りホームには最後の300系を見届けようと先頭車付近には多くの親子連れが集まりました。手を振って見送る子供たちに応えて(いや、注意喚起かな?)電笛一声、東京に向けて走り出します。

写真は、岐阜羽島を上り“LAST RUN”列車の45分前に発つ300系定期「こだま650」。いよいよ定期運用離脱です。  *個人情報保護のため、画像を若干修正してあります



「はなぶさ」に集まる仲間たち

ホーム撮りは軟弱!と揶揄されそうですが、在来線と違って新幹線は別枠。なにしろ一部箇所を除いて線路間には架線柱はおろか、どこで撮っても大抵障害になるケ-ブル類もないので、走行区間ではほぼ不可能な、すっきり編成写真を確実に仕留められます。定番お立ち台のようにひしめき合うこともありませんが、この時ばかりは、ホーム先端では入り込む余地がすでになかったようでした。

上り“LAST RUN”列車を岐阜羽島にて順光で撮影するため下りホームに立ちましたが、撮影者は5~10mおきに構えているほどの盛況ぶり。それでも罵声が上がることなく無事撮影できました。誰もが黄色線内に立ってマナーを守っており、やはり在来線と違って新幹線は別格であります。やればできるのだ!


以上、それほど強い刺激のなかった2012/03/10の活動報告でした。(出札掛)






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2012年3月10日 (土)

続 LAST RUN  300

 よせばいいのに、今日もLAST RUN300系に参戦。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 かといって、遠くに行くのは面倒・・・・市内でどこかないかな、と思って思いついたのが六番町の陸橋。


 高速道路の工事で桁が入ってしまったりするのが難点だけれど、網越しではなく、車体が綺麗に撮れる数少ない場所のひとつ。例によってギリギリに到着したため、すでに良い場所は占拠されていたので、ちょっとビームがはいってしまうが難点だけれど、まあ妥協の範囲かな。


 この場所、高速の工事さえなければ、右側に名古屋駅の高層ビルが入るので結構良いのだけれど、若干、撮影に来るのが遅すぎたかな。500系の時に撮るべきでした。


 しかし、次々やってくる新幹線を見ていると、段々顔つきが悪くなるような感じがして、あまり美男子とは言えない300系でも、まだ電車らしいと、最後になってちょっと評価してしまったのであります。(駅長)


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2012年3月 8日 (木)

【アーカイブス】西鉄甘木線の200形

 これまでお見せした写真から、筆者の好みが路面電車を始めとする小型電車にあることは概ねお察し頂いているだろうが、中でも最も牽かれるのが小型車の単行を連ねてパンタを幾つもあげているシーンである。そうした小型電車の魅力には富山地鉄の射水線や笹津線で開眼し、後に揖斐線にモ510形を(いやになるほど)追うことになるが、同様の路線でもうひとつ忘れられないのが、西鉄甘木線の200形であった。


 西鉄200形は、昭和12年に西鉄(当時は九州鉄道)大牟田線の普通列車用として製造され、加速性能を高めるため、当時の気動車の設計を活かして軽量車体として製造されている。こうしたことから、卵形の前面形状や5枚窓など、キハ07を彷彿とさせる外観が特徴である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この200形の活躍の舞台は甘木線で、本線の花畑から西鉄久留米を経て宮の陣で分かれ、甘木の間で使用された。モ200形が電動車で、中間にサ250形や気動車改造のサ60形をはさみ、2~4連で運行された。4連の場合は、電動車は3両で組成され、パンタを3つあげた姿は魅力的であった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 甘木線をはじめて訪問したのは、昭和51年3月である。モ200形は昭和の最後まで残っていたようなので、何回か訪問していても良さそうに思うが、本格的な撮影にはこのあと1度訪れただけである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この時の撮影は、終点の甘木と馬田の間で行っている。この間は周囲が開けている上、鉄橋やカーブがあって撮りやすかったようだ。また、直ぐ横を甘木線(現甘木鉄道)が走っていたので、その列車や、線路敷きからも撮影できたように記憶する。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この撮影に行ったのは、蒸機が無くなり、次の対象として路面電車や地方私鉄を本格的に撮り始めた時期であった。この時に九州の路面電車や鹿児島交通、島原鉄道などの地方私鉄をほとんど訪れている。それまで、九州には何度も訪れていたが、いずれも蒸機がメインで、こうした対象には時間を割く余裕が無かった。

 以後、某氏に感化されて国鉄を本格的に撮影し始める昭和54年頃まで、名鉄を始めとする地方私鉄や路面電車が本格的なターゲットとなった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 今、こうやってみると、キハ07形などの軽量気動車と電車の合いの子(禁止用語かな?)のような形で、揖斐線のモ510形にも似ている。結構魅力的な外観かと思うが、最後まであまり人気は出なかったようだ。もう少し残っていれば、モ510形のような売れっ子になったかもしれない。

 200形のカット数はそれほどないが、それぞれがこの車両の魅力を伝える結構、纏まった構図となっているので、気に入っている。もっとも、これは腕と言うより、素材が良いからなのだろうが・・・・。(駅長)


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2012年3月 4日 (日)

LAST RUN  300・・・・じゃなくて、新幹線の撮影方法

 電車運転士さんが書かれているように、新幹線の名車は0系、バブルの象徴というと言葉は悪いけど、設備では新幹線の頂点に立つ100系、そしてデザインの極致としての500系というのが一般的なところで、300系は速度の面ではインパクトはあったものの、軽量化もあって、造りからはやはり安っぽい車両という印象が強いです。当初の構想ではのぞみで活躍する時期は短く、早い段階で「こだま」専用車両になるとか聞いていましたが、結局は「のぞみ」での活躍が最後まで続きました。


 少なくとも純粋な?鉄道ファンにとって人気はあまり高いとは思われない300系ですが、なぜかその最後が派手に宣伝されています。博物館のPRもあるかと思うのですが、これまでのオレンジ会社では考えられないような「さよなら」・・・いや、最近では「ありがとう」キャンペーンが繰り広げられています。


 この「ありがとう」という言葉、なぜか最近のさよなら運転で流行っているのですが、なにが「ありがとう」か、正直、よくわかりません。個人的には、「さよなら」という気持ちはあるものの「ありがとう」という気持ちは、あまり鉄道車両には感じません。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 それなら、ありがとうキャンペーンに踊らされなくても良いのではないか、という声も聞こえてきそうですが、そこはまあ、普段と違う列車が走ると、何となく気になってしまうわけで・・・・悲しい性ですねぇ・・・・ポリシーがないのか、と揶揄されそうですが、そこは大目に見てください。(^^;)


 と、いうことで、300系のありがとう運転に行ってしまいました。ヨモスエダネエ。


 さて、どこで撮るか・・・・名古屋駅では多分、いろいろな制約が入って難しいと思われるし、かといって、遠くまで遠征して撮影する気力もない。電車運転士さんのアドバイスやン十年前の撮影の記憶から、笠寺駅南の陸橋ならなんとか撮れるのではないか、と期待して、通過の5分前に撮影ポジションに。(力が入っていないのがこれでもわかる)


 行ってみて、まあ、当然なのでしょうが、細かい網があって、とてもではないが抜けそうもない。横から網の邪魔のないところで撮れるのではないか、と淡い期待もあったのですが、とてもではなく無理な話。さすがに対策が万全です。


 やむにやまれず、まあ、何とか写っていればいいや、とズームを最大にして、網にピッタリと寄せると・・・こんな撮影、初めてしたのですが、意外や意外、網がぼけてしまって、絵が抜けるのですねぇ。(T_T)


 網が灰色なのが幸いして、変な色も付いておらず、ウェブ上で見る限り、なんとか見ることができます。細かいことを言えば問題もあるかもしれませんが、記録としてなら何とか合格点の絵になってしまいました。


 知らなかったなぁ・・・・・徹底的にぼかせば細かい網を通しても撮影できるなんて。鉄道写真撮影ン十年目にしての開眼(^^;)です。

 ちなみに、この場所には10人弱の同業者がいたのですが、なぜか皆、線路の真上で撮っていて、このアングルは1人だけ。ゆっくり撮ることができました。


 と、いうことで、新幹線の撮影方法に目覚めてしまった300系のありがとう運転でした。だけど、これからジャンジャン撮りたいとは、けして思わないよねぇ。(駅長)

 

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惜別豊鉄渥美線柳生橋駅

今日、豊橋鉄道渥美線の柳生橋駅の脇を通ったところ、現駅舎の使用が本日終電をもって終了し、明日(3月5日)始発より新豊橋駅寄りに設けられた臨時出札口での営業となる旨の表示が出されており、事務室内では引っ越しの準備が行われていました。

乗車券も自販機発行の物だけになるようで、従来発行されていたJR線連絡乗車券や硬券入場券も発行されなくなるようです。
「はなぶさ」に集まる仲間たち

 旧駅舎も近日中には解体となるようで、また一つ味のある駅舎が消えて行くことになりました。(車掌長)

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LAST RUN  300

3月3日(土)、新幹線300系ラストランの車体装飾編成を撮影するにあたり、さて、どこで狙いましょうか?“さよならマーク”が見えるアングルで、さらに障害物を避けて撮ろうとするとお立ち台はおのずと限られてくるので、そんな場所は激パ必至。ビルの上や山に登るなど俯瞰気味のポジションをとれば、せっかくのマークが小さくなってゴミのように写ってしまうし、名古屋駅なんて、ただでさえ人がわんさかと集まる上にホーム柵や諸々の制約で普通に撮れるはずもなく、対象外。


まあ、まったりといきましょう、とその前にウォーミングアップ。まず、間もなく姿を消すワムハチ貨物6170レを稲沢で狙います。偶然にもはなぶさメンバーの d51826na 様と席を共にしました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

遥か雪山をバックに、この日は見応えのある長~い編成。こんなボリュームを見てしまうと、電車運転士様の書かれた岳南の記事と類似しますが、本当になくなってしまうのか実感がわきません。



さて、本番の300系は、以前ドクターイエローを撮影した(http://ameblo.jp/b1hanabusa/entry-10607583117.html  )某大型SC立体駐車場の屋上に陣取ることにしました。ただしここからの撮影は線路まで距離があるため、正面がちのアングルなど絶対不可能。せめて側面のさよならマークだけでもキャッチできないか、非常にきわどいところです。

えーい、こうなったら望遠で先頭車をクローズアップして、ついでに流してしまえ~。

連写すれば1カットくらいはまともに写っているだろう、と挑戦してこの結果↓。
「はなぶさ」に集まる仲間たち

数撃ちゃ当たる、というわけにはいかないですね、未熟さ露呈。



実を言うと、300系装飾編成は運転初日の2月17日(金)、ちゃっかりと撮っていたのです。

この数日前、三河安城駅から車で5分のところにあるお得意様へ、とある用事であいさつに伺おうとアポを取りました。

ご担当様から、「17日の午後で如何でしょうか?」

これに応え、「はい、わかりました。では13時過ぎに伺います」

受話器を下ろした後、ふと300系のラストランを思い出して装飾編成の運転計画を確認したところ、おや、もしかしたら三河安城で撮れるのでは、と目論みました。

さっそく考えたタイムスケジュールによると、お得意様へは13時過ぎに到着し、15~20分もあれば打ち合わせは終わるだろうから、その後は車で約5分移動して駅前駐車場に車を入れて、入場券でホームに立てば推定13:50過ぎに通過する当該列車にちょうど間に合う、と計算。

当日は計画どおりに行動できたものの、とりあえず撮っただけの1カット。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

ホームや架線柱が目障りですが、目をつぶってください。ホーム上は10名ほどのギャラリーで比較的まったりでした。

たとえ後日のチャンスにミスを犯してもいいように、このように“撮れるときに撮って”保険を掛けることは大切ですね。


装飾編成を撮る機会はまだ残されているので、あと1カットくらいはまともな画像を押さえておきたく、冒険的撮影は自粛せねばなりません。そして、来たる本当の LUST RUN を迎える日はどうしましょうか?えっ、その日は平日?いやいや実は・・・。(練習あるのみ・出札掛)


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2012年3月 3日 (土)

143.思わず行ってしまった富士山鉄 2012/3/1

 3月17日に実施されるJRグループのダイヤ改正もカウントダウンの段階になり、メンバーの皆様方もそれぞれのターゲットをゲットすべくご活躍のことと思います。そんな中、以前のブログで駅長様と出札掛様が御殿場線・岳南鉄道・小田急などの様子をご紹介されていましたが、自分もスケジュールと天気予報を照らし合わせて出動のチャンスをうかがっていたものの、なかなかチャンスの巡り合わせがうまくいかず、悶々とした日々を過ごしていました。毎日の天気予報を見ていると3月1日は気圧の谷の狭間にあって静岡県東部は何とか晴れそうだったので、平日ではありましたが、急遽、段取りをつけて衝動的に出掛けることにしました。平日なので車は使うことができず、列車利用の徒歩鉄となりますので、名古屋から始発の新幹線に乗るべく5時00分過ぎに自宅を出発しました。名古屋駅に着いてから携帯で6時00分現在の富士山ライブカメラを確認すると富士・御殿場ともいい感じで富士山が見えていました。ここで富士山が見えないことが確認されたら出動は中止する予定でしたが、迷うことなく決行と決め、キップを買って6時20分発「ひかり500号」の乗客となりました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 静岡で東海道本線に乗り換え、岳南鉄道の接続駅の吉原で下車しました。駅でこの日の貨物列車の運行状況を確認したら703列車と704列車の1往復が運転とのことで、とりあえず運休はないことがわかりホッと胸をなで下ろしました。写真の8000系は7000系と同じく京王の元3000系の改造車ですが、こちらは2両固定で顔が緑色となっています。朝ラッシュのみの運用のため、遠方からの徒歩鉄ではなかなか撮ることができません。この列車の運用が終わると入庫してしまうので、何とか撮りたいと思い、ジャトコ前方面へダッシュしました。さすがに定番ポイントには間に合いそうになかったので、東海道本線を跨ぐ陸橋で妥協せざるを得ませんでした。反逆光の上、ロケーションもイマイチですが、どうしようもありませんでした。

【2012.3.1 吉原~ジャトコ前】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 多少薄雲が出ていたものの、予想どおり富士山は見事な姿を見せてくれました。703列車は吉原を11時14分の発車のため、それまでは電車と富士山の組み合わせを撮って時間を潰すことにしました。7000系も8000系と同じく元京王3000系の改造車ですが、こちらはオレンジ顔の両運転台車です。定番の踏切横には同業者がいなかったので、少し前に出てセクションの引止柱をクリアしてみました。

【2012.3.1 吉原~ジャトコ前】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 同じアングルばかり撮っていても仕方がないので、ジャトコ前方面に歩いてみたら縦構図で富士山ドッカンのポイントがありました。高圧電線が富士山に掛かってしまいますが、ここ以外には富士山ポイントが見つからなかったので、あきらめるしかありませんでした。

【2012.3.1 吉原~ジャトコ前】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 703列車は予定どおりやって来ました。期待どおり、茶色一色のED402とワム80000の長い編成で岳南鉄道らしい貨物列車を撮ることができてひと安心です。704列車までは2時間ほど時間があるので、入換風景とED501を撮影するため、比奈へ向かいました。

【2012.3.1 吉原~ジャトコ前】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 比奈に着いた時にはED402は入換作業を終えて休憩中でした。普段と変わらないこの風景を見ていると2週間後には貨物扱いが廃止となるのは信じ難い状況ですが、平日にもかかわらずホームには同業者がそれなりにいて撮影会状態となっていたので、やっぱりカウントダウンなんだということを実感しました。

【2012.3.1 比奈】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 反対側(吉原方)に回ってみると、何と、こんな時期からすでに貨物列車さよならのHMが取付けられていました。ということは704列車はHM付きとなってしまいます。早くても1週間前くらいからの取付けかと予想していましたが、普段着の姿を撮りたかった自分としては複雑な心境です。

【2012.3.1 比奈】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 古典機のED501は元気に入換作業に従事していました。入換作業がおもな仕事とはいえ、車齢80年を越えてもまだまだバリバリの現役です。この後、くっついている1両のコキは今では珍しくなった突放入換でED402の江尾方に連結されました。704列車を撮影するためにジャトコ前へ戻ろうと電車に乗り込みましたが、コキ1両以外に他の貨車が連結されそうな雰囲気が感じられなかったので、ひょっとしたら704列車はコキ1両だけだったりして…という一抹の不安がよぎりました。

【2012.3.1 比奈】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 踏切横の定番ポイントはすでに何人かの同業者がスタンバイしていたため、朝7000系を撮った前方のポジションは確保できませんでした。富士山のバランスはこちらの方がいいとはいうものの、自分としてはどうしても引止柱が気になるので前へ出たかったのですが、あきらめるしかありませんでした。加えて、午前中は好条件で見えていた富士山ですが、704列車の30分くらい前から急速に雲が広がって富士山にコントラストがなくなってしまい、一気にテンションダウンとなってしまいました。悪いことは重なるもので、HMが付いたED402に続く貨車は嫌な予感が的中してコキ1両のみ、何とも間の抜けた写真になってしまいました。単機や運休にならなかっただけマシかと自分を納得させるしかありませんでした。

【2012.3.1 吉原~ジャトコ前】


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 富士山の条件も悪くなる一方だったので、704列車撮影後はとっとと帰るか、御殿場線へ行くか、伊豆箱根へ行くか迷いましたが、条件は悪くても富士山はまだ見えているし、せっかくここまで来たんだし、371系の「あさぎり」は撮ったことがないし、伊豆箱根は別のチャンスを作ればいいしということで、結局、御殿場線へ向かうことにしました。ボンヤリ車窓から富士山を眺めながら御殿場まで来ると予想外の雪景色が広がっていました。ここで初めて前日に関東・甲信越地方で結構な積雪があったことを思い出しました。御殿場に着くと試運転の60000系がホームで発車待ちをしていました。駅で時間を確認したら発車は20分くらい後とのこと。これは何としても定番ポイントでゲットしたいと思いましたが、通常30分近くかかるところを20分で猛ダッシュしなければなりません。田んぼが開けたあたりまで来たときにはすでに警報機が鳴り出していたので、間に合うかどうかギリギリのタイミングでしたが、間一髪セーフでした。3月17日以降はこの組み合わせが日常の風景となります。肝心の富士山は曇っていたのと冠雪が多すぎたために立体感がなくなっていました。

【2012.3.1 足柄~御殿場】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 本命の371系「あさぎり6号」の15分くらい前になると裾野付近に急に雲が出始め、最悪パターンも覚悟しなければならない状況になってきました。ヤキモキしながら列車を待っていると直前になって薄日が差してきました。条件はかなりいい方向に向かいつつありましたので、「あさぎり」通過まで何とかこの条件を維持してほしいと祈るばかりでした。完璧な赤富士とまではいきませんでしたが、バックの空もそれなりに赤くなり、夕暮れの雰囲気は感じられるかなと、この条件にしては満足のいく結果となりました。

【2012.3.1 足柄~御殿場】(電車運転士)


 こうして、長くて体力的にもしんどかった1日が終わりました。帰路は新幹線代を節約するため、御殿場から在来線を乗継いで名古屋まで来ましたが、一応覚悟は決めていたものの、豊橋まで延々と続く3時間半の211・313系のロングシート攻勢にはハッキリ言って辟易しました。静岡・浜松あたりでは新幹線の誘惑に負けそうになりましたが…。久し振りに在来線乗継ぎ挑戦してみましたが、「忍」の一文字に尽きると実感しました。

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2012年3月 2日 (金)

【アーカイブス】庄内交通湯野浜線

 今年初めに津島軽便堂さんのHPで庄内交通湯野浜線が紹介されている。


 この路線には、駅長も廃止直前の昭和50年3月25日に訪問している。その前日には石北本線にいたようなので、青函を夜行便でわたって帰りに訪れたようだ。廃止を一週間後に控えた時期なので、いまなら多くの同業者が訪れるであろうが、現地で同業者にあった記憶はない。当時は、蒸機のファンは多かったが、それ以外の鉄道に目を向けるファンは少なく、地方私鉄となるとさらに少なかった。もっとも、現在でも廃止になると聞いたからといって、おいそれとは行ける場所ではないが・・・。


 この日は、午前中から夕方頃まで庄内交通で過ごしているようで、何本も走行写真を撮影している。

 まずは、9列車に湯野浜まで乗ったようだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これが、津島軽便堂さんが撮り逃したという湯野浜駅のカット。残念ながら、駅舎は撮影していない。デハ101は東急から来た車両である。


 その後は、定番の場所で撮影している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 せっかくの名場面なので、ここは数少ない総天然色写真でご覧にいれよう。

 その後は、七窪を経て善宝寺まで歩いたようで、山中のシーンが続く。 


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 如何にも田舎電車然とした元京王帝都のモハ7+8の編成も撮影できた。

 もうひとつ山の中を走るシーンから。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 標準で撮影しているので、電車が小さい。もう少し編成を入れて撮れば良かったのだが・・。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この写真は、津島軽便堂さんのHPにも同じ写真が出てくる。

 どこから撮影したか、まったく記憶がないが、同じカットであるところをみると、道路から撮影したのかもしれない。


 その後は、善宝寺の前後で撮っている。ここにも津島軽便堂さんと同じようなアングルの写真があるが、残念なのは貨車を牽引した混合列車が見られなかったこと。おそらく、廃止直前とあって貨物扱いは終わっていたのだろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 鶴岡駅まで戻り、停車中の車両も撮影している。このモハ1は、庄内交通のオリジナルの車両で同形車は3両あったが、残念ながら訪問した日には動いていなかったようだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 起点の鶴岡に停まるデ101。国鉄の列車は、編成から見ると「きたぐに」ではないだろうか。残念ながら、こちらの方は一カットも撮影していない。EF81+荷物+スロ+12系では、撮影するほどの写欲がおきなかったからであろう。

 今にしてみれば、なんとも贅沢な話であるが・・・・。


 この年の(も、というべきかもしれない)3月31日は廃止ラッシュで、同じ時に越後交通の長岡線や栃尾線、富山地鉄の笹津線が廃止となっている。ネガを見ると、この翌日からは、笹津線の撮影が続いている。周遊券の有効期限を考えると、どうやらこの月はほとんど撮影三昧であったようだ。


 よく金が続いたと関心するが、確かこの時は大阪行きの「きたぐに」で富山に帰ったものの、駅を降りた段階で財布の中に1000円札はすでになく、深夜に自宅まで2kmほどの道を歩いて帰った記憶がある。(駅長)

 


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