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2012年2月

2012年2月28日 (火)

【アーカイブス】富山地鉄立山線 冬の国体臨時列車

 富山地鉄の立山線は、急流の常願寺川に沿って立山山麓を登り詰める山岳路線である。立山黒部アルペンルートの富山側のゲートウェイとして知られるが、当時は沿線にいくつもの小規模なスキー場があって、冬にはスキー客の輸送を行っていた。

 昭和51年2月、富山県大山町の粟巣野スキー場を中心に冬の国体であるおおやま国体が開催された。この国体の関係者や観客輸送で、冬の立山線には珍しい4連が走ると聞いて、これを撮影に行っている。立山線の撮影地といえば、千垣と有峰口の橋梁が名高いが、なぜかこの時にはここでは撮影せず、本宮と粟巣野間のもっとも急峻な崖っぷちの区間で撮影している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 こんな崖っぷちを走っていた。今から考えれば、よく線路脇まで登ったものである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ほぼ同じ場所から。やってきたのは、名鉄3800形を譲受し、固定クロスシートに改造した14710形である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 臨時の標板を掲げているところから、おそらくこれが目的の列車だったのだろう。14720系と14780形の4連である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この位置から反対を見れば、雄大な立山連山が見られる・・・はずであるが、この時は天候がもうひとつで、山もあまり見えない。

 車両は14780形と14750形の3連で、カルダンと吊り掛けの協調運転である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、この時に撮影したご乗用(で良かったかな)自動車。皇太子時代の現天皇と皇后がご乗用になっているはずである。

 2枚上の臨時は、ひょっとしたら、皇太子のご乗用電車かな、とも思われるが、ネットで調べても確証を得られていない。まあ、ご乗用電車とすれば、こんな近接撮影は難しいと思われるので、多分、違っているであろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは立山直前の鉄橋。4連はここで撮っても十分なアングルが得られると思うのだが、なぜかより険しいところに撮影に行っている。当時は粟巣野行きの列車が設定されているので、ひょっとしたら臨時列車は粟巣野で折り返していたのかもしれない。車両は、急行用の14750形である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 山の中ばかりでなく、平野部に降りてきても撮影している。これは立山線の下段付近であるが、残念ながら山は見えない。晴れた時にこのあたりで立山を入れて撮影した写真はなく、なぜ、撮らなかったのか、今も悔いが残っている。車両は、富山電気鉄道や黒部鉄道からの引継車3連である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これは、本線まで降りてきて、越中荏原のあたり。このあたりから見る立山は美しく、絵になった。とはいえ、モノクロでは撮影しているものの、なぜかカラーではほとんどない。笹津線や射水線に注力していたためであるが、それにしても残念である。(駅長)





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2012年2月25日 (土)

【アーカイブス】床屋さんがいた頃の琴電(1976年1月)

 電車運転士さんから、琴電とDF50の記事が載せられている。ちょうど、当方も琴電の写真をスキャンしたので、コラボでそれらをご覧にいれたい。電車運転士さんは昭和55年の撮影であるが、当方はその4年前、昭和51年1月の撮影である。


 なぜ、この時に琴電を撮影に行ったかといえば、その前年12月に本線を走る蒸機が無くなり、違う対象に目が向き始めたこと、貫通扉の形から床屋さんといわれた元阪神の30形が京急の230形導入に伴って廃車になる、との情報を入手したことによる。蒸機がないことから、これまで四国は訪れておらず、初訪問であった。この時は、路面電車と私鉄が目的で、当時残っていた夜行の普通や早朝の急行を利用して、宿に泊まらず、高松と松山、高知を行ったり来たりして撮影した。


 この頃、大阪と四国の間は宇高連絡船を介してのルートが中心で、時間がかかることから夜行も活躍していた。こうしたことから、高松には午前0時頃や4時頃に列車が集中して発着しており、それら列車を使えば、島内は極めて便利に効率よく移動ができた。また、早朝に高松に到着できるので、朝のラッシュ時の撮影も容易にできた。


 この時は、2日にわたって琴電を撮影している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これが狙いとした元阪神30形の4連である。当時、30形は長尾線で活躍していたが、ほとんどが2連で、4連は1往復(あるいは片道?)だけだったと記憶する。すべて両運電動車であったと思うが、パンタは2連にひとつしかあがっていない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 もうひとつ撮りたかったのが、元木造国電を鋼体化した6000形で、ダブルルーフの屋根を残していた。この撮影の少し前に琴平線から長尾線に移り、この頃でもラッシュに1往復の運転だけで、すぐに廃車になるかと思ったが、今回調べてみると、昭和58年に廃車になったとあるので、意外に遅くまで活躍していたようだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この頃は、こうしたカットも撮影していた。最近は・・・・? デジは逆光に弱いしね。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 元阪神車の制御車は、50形であった。特徴ある貫通路は、両開きであったと思う。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この頃は、まだモノクロ主体であるが、ちゃんとカラーでも撮影しているので、それを1枚。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 朝のラッシュが一段落した頃の平木駅。元京浜の10形、阪神の30形、車体新造の60形など、雑多な車両が活躍していた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この時には、志度線も訪問しているが、いずれも潟元のあたりで撮影しただけで、海の見えるところには行っていない。

 この頃には、線路に沿って松林と未舗装の道が併走していて、なかなか良い雰囲気であった。その後、何年かして訪れたら、鉄橋がコンクリートに変わり、松林も無くなって大きく雰囲気が変わっていて、驚いた覚えがある。


 それにしても、この時に、今、レトロ車として売り出している100形や300形は1枚も写っていない。おそらく、この時はまだ琴平線で活躍していたのであろうが、なぜかそれらは撮影に行っていない。雑多な車両が活躍していた長尾、志度線に比べて魅力が乏しいとおもったのであろうが、今にしてみれば、なんとも勿体ない話である。(駅長)


 



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142.琴電と讃岐のDF50 1979/5/5・6

 多治見に移り住んでから最初のゴールデンウィーク、関西在住の鉄仲間から琴電を中心とした撮影行のお誘いを受け、高知での入試から2か月しか経っていませんでしたが、またまたの四国入りとなりました。これまでの四国入りはどちらかというとDF50をメインとした国鉄線ばかりに目が向いており、琴電の撮影はこの時が初めてとなりました。この頃の琴電は喫茶店のニックネームを持つ30型(元阪神881型)はすでに現役を引退していましたが、まだまだ旧型車の天下で、個性あふれる魅力的な車両たちが讃岐路を闊歩していました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 琴電は高松から琴平線・長尾線・志度線と3方向に路線を持っていましたが、琴平線は名鉄から移籍したHL車が中心で車両的につまらない、長尾線は車両的には面白くても風景がいまひとつということで、両方を満足できる志度線へ向かいました。志度線には入り江をかすめて走る区間があり、この近辺をメインの撮影地としてしばらく時間を過ごしました。写っているのは90型(1921(大正10)年製の元京浜電鉄デ41型)の93です。1959(昭和34)年に琴電が車体を購入して鋼体化を行いました。もともとは正面は丸妻の5枚窓という形態でしたが、鋼体化と同時に貫通化が実施され、写真のような顔つきになりました。貫通ドア上部の屋根の曲線が神社の本殿のような感じになっており、これが大きな特徴でした。この時の訪問から約1年後の1980(昭和55)年までに全車が廃車となりました。

【1979.5.5 房前~原】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 少し歩いたところにに船溜まりを見つけたので、漁村らしい雰囲気を狙ってみました。船を入れ過ぎたのと光線が悪くて側面に陽が当たっていないこともあって、思ったより電車が目立ってくれませんでした。

【1979.5.5 房前~原】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 線路は房前ノ鼻で海沿いを走ります。ここは今でも志度線随一のポイントですが、防風板が設置されてしまった関係で、アングルに制約を受けるようになってしまいました。

【1979.5.5 塩屋~房前】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 房前ノ鼻から志度方面を見ると、高徳本線を挟んだ向こう側の山の中腹に俯瞰できそうな伐採地が見えたので、登ってみました。予想どおり、静かな入り江をバックに琴電の線路と高徳本線を望むことができました。

【1979.5.5 房前~原】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 志度線を後にして車庫と工場のある仏生山へ向かいました。ここにはいろいろな車両たちが休んでいましたが、撮りたかったうちのひとつだった12000型(1927・28(昭和2・3)年製の元富士身延鉄道モハ100・クハユニ300型)がいい位置に停まっていました。往年の琴平線急行「りつりん号」にも使用された名車ですが、1981(昭和56)年に廃車となりました。

【1979.5.5 仏生山】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 琴電のオリジナル車のひとつ5000型500です。琴平線の前身だった琴平電鉄が1928(昭和3)年に3両新造しました。琴電オリジナル車の付番方法は一風変わっていて、5000型はトップナンバーが500、続いて510・520という番号になっています。楕円形の大きなナンバープレートが独特の雰囲気を醸し出しています。写真の500はアイボリーと茶色のツートンカラーに塗り直されて動態保存されています。

【1979.5.5 仏生山】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 宿は琴平線岡本駅近くのユースホステルで、翌日は琴平へ出て、多度津に寄り道してから海岸寺の海沿い区間でDF50を撮影、その後、再び志度線へというスケジュールを予定していました。客車列車を多度津で降り、いつもの跨線橋でやって来る列車を撮影していました。写真は「土佐」ですが、増結車両には珍しくキハ55が使用されていました。急行のHMはデザインが変更され、以前のものと比べて多少垢抜けたかなって感じです。土讃本線系統の「あしずり」・「土佐」は赤、予讃本線と徳島本線系統の「うわじま」・「いよ」・「よしの川」は青、高徳本線系統の「むろと」・「阿波」は緑とベースの色が区別されていました。

【1979.5.6 多度津】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 琴平から多度津まで乗車した列車の牽引機は運のいいことにDF50のトップナンバーでした。多度津で長時間停車するため、余裕を持って跨線橋で撮影することができました。1~7号機は量産試作車のため、屋根が微妙に深く、正面窓の上下寸法が若干大きいといった特徴がありました。

【1979.5.6 多度津】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 多度津の後は海岸寺の海沿い区間に移動しました。海側からの定番アングルは以前に撮っていたので、山側から少しでも大きく瀬戸内海を入れたいと思い探したポイントです。雑草をかき分け何とか足場を確保しましたが、苦しい体勢で待ち続けるのはちょっとしんどかったです。

【1979.5.6 海岸寺~詫間】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 午後からは前日に続いて再び志度線へ移動しました。今回は風景的写真ではなくて編成写真を中心に撮りたいと思い、春日川の鉄橋にポジションを決めました。まずは20型(1925(大正14)年製の近鉄南大阪線の前身大阪鉄道のデロ20型)の22です。20型は琴電に21~24の4両在籍していましたが、22・24は側面窓上に飾り窓の跡が、23は車内がニス塗りのままで各所に当時の装飾が残っていました。現在は23が500と同様アイボリーと茶色のツートンカラーに塗り直されて動態保存されています。

【1979.5.6 春日川~潟元】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 1930~36(昭和5~11)年にかけて製造された元京急230型の30型33です。1977~80(昭和52~55)年に14両が琴電へ譲渡されました。塗色以外はほとんど京急時代のままで、金魚鉢的な上下に大きい窓は琴電に来ても健在でした。琴電での活躍は平成まで続き、最終的には2007(平成19)年まで現役でした。

【1979.5.6 春日川~潟元】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 最後は5000型と同じく琴電オリジナルの3000型345です。3000型は琴平電鉄が1926(大正15)年に1000型とともに開業に際して5両を新造しました。300型はトップナンバーから順番に300・315・325・335・345と付番されており、写真の345はラストナンバーになります。現在は300が動態保存車として残されていますが、こちらは茶色一色となっています。

【1979.5.6 春日川~潟元】(電車運転士)

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ビミョー

2月19日(日)早朝、気象庁HPを見ると、我が家から西の方角(米原方面)は曇がちの予報、対して東の方角(木曽路)は晴れるらしい。

よし、飯田線で中央アルプスと119系青電編成撮影か?ところでこの日の青電は何処、と前日の流れから推測すると、残念、南部中心の運用となりそう。それなら臨急「駒ヶ根トレイン」はどうだ、373系?側面ベタベタラッピング?せめて117系なら・・・どうもイマイチ写欲が沸きません。車のエンジン修理をしたばかりなので大事をとって遠距離は避けたいし、午後から雲が出てきそうな予報、で、中央線恵那の界隈で御岳と中央アルプス見物となりました。


しかし、出かけるにも日曜日では日中の中央線貨物は絶望的、だが景色は良いし・・・ビミョー。ま、風景重視と割り切りましょう。あわよくば3088レが運転されて、前回の失敗作(→ http://ameblo.jp/b1hanabusa/day-20120114.html  )のリベンジができないだろうか、淡い期待、しかしやっぱりウヤでした。

ただ、数日前の悪天候でより多く雪をかぶった御岳山が見られたので、写した甲斐はあったけど。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


「はなぶさ」に集まる仲間たち

そういえば電車運転士様も、違う角度から御岳見物をされていたようで。



明知鉄道の岩村付近から中央アルプスが見えるポイントがあるという。以前どこかで見た写真を思い出しながら、どれどれ、目星をつけた小山の斜面に登ってみると・・・ん、こんなアングルだったっけ?なんだかビミョーに違う。

登る場所を間違えたか?しかし探し直す時間がありません。まあいいや、山が見えているから、と走ってくる列車をファインダー越しに覗くと“元祖”アケチ型が先頭に3両連結のスペシャル編成。これは団体?沿線のイベント?少しだけ得した気分。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


再び中央線恵那に戻り、前から気になっていた中央アルプス正面ドカン!を狙います。

わかっていたとはいえ、やはり紅白の電波塔がビミョー、いや、うっとおしい。

ついPCで加工・消去してしまいたくなりますね。しかし手元にある国土地理院の1/25000地図をみてみると、この位置にはしっかりと「電波塔」マークが記載。こういう場合、実在するものを消去して「ハイ、どうぞ」というわけにはいかないのでしょうか?

「はなぶさ」に集まる仲間たち


帰り道の途中に立ち寄って撮影した文字だらけのヘッドマーク、う~ん、ビミョー。沿線イベントPRのためとはいえ、HMにはもっとシンプルで分かりやすいデザインを求めたくなりませんか?(まぁまぁ、地元を走る第三セクターだから大目に)。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


結論、ビミョ~に消化不良。ま、いいか、写真コンテストに応募するわけでもないし、再履修すれば済むことですよ。(→その中途半端な姿勢が後で泣くことになるのだ!出札掛)



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2012年2月24日 (金)

【アーカイブス】笹津線デキ6502を追う


 津島軽便堂さんの最新の記事は、富山地鉄の笹津線である。


 http://tsushima-keibendo.a.la9.jp/toyama/sasadu.html


  察するに、全線乗車の折りに途中で降りて撮影をされたようであるが、天候に恵まれ、立山と素晴らしい写真を撮影されている。この時期、これだけ綺麗に立山が見えることはほとんど無く、遠来の方が、ここまでの写真を撮ることは極めて難しい。相当の幸運に恵まれたようで、羨ましい限りである。

 これだけ山が見えれば、富山にいれば間違いなく撮影に出かけている。そのため接近遭遇をした可能性があるが、残念ながらその撮影日には北海道で蒸機を撮影中であった。

 せっかく笹津線をご紹介頂いているので、その関連で、これまでご覧になったことの無いだろうと思われる写真をご覧にいれよう。それは津島軽便堂さんの記事にも1枚写っている笹津のヌシ、電気機関車のデキ6502の本線走行である。


 機械室が二つに分かれ、その間に通路がある独特の形態のこの機関車は、川崎造船の最初期の電気機関車で、この笹津から山ひとつ隔てた庄川沿いの小牧の発電所で資材輸送に活躍していた。全部で3両あり、専用線が廃止された後はいずれも富山地鉄に譲渡され、その1両が笹津線で活躍した。廃線直前の用途は、笹津駅から敷島紡績の工場までの貨車輸送で、1往復が運転されていた。


 この貨物輸送は、昭和50年3月31日の最終日の前日である3月30日まで行われ、翌31日に南富山まで30024レ(何というインフレ)という列車で単機で回送されている。このデキ6502が本線を走ることは、極めて珍しい。(もっとも、笹津で貨物を牽引しているシーンもあまり撮られていないだろうが・・・)

 

 これは、その記録である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、3月30日の最終貨物。敷島紡績から笹津へ貨車2両を輸送した。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 翌31日。最終日の笹津駅。装飾された電車が笹津駅に停まっている。この頃は、線路にも入りたい放題である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 大沢野町八木山の南では、山裾を走る。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 大沢野町八木山に停車中。木製の上屋がいかにもローカル線らしい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 大沢野町北口と大久保町の間。この3本の木が畦に植えられた場所は、遠近感がついて絵になったので、なんども撮影している。天候が良ければ、立山がバックにはいるのであるが、この日は雨模様で山は見えない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 大久保町停車中に追い越して、伊豆の宮と上野の間にある熊野川鉄橋で撮影する。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最後は上野で、装飾電車との行き違いを撮影。もうこれ以上は南富山まで追っかけなかったようだ。


 笹津線は、富山平野を富山から真南に走っていて、平坦な区間が多かったが、それでも鉄橋有り、山間を走る区間有りで、結構変化に富んでいた。それに加え、立山連峰の景観。山が綺麗に見えた時は、日本のローカル線の中でも5本、いや3本の指に間違いなく入るであろう素晴らしいロケーションの路線であった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まあ、こんな感じである。


 最後にとっておきの画像を。


 デキ6502は、月に一度、検査のため、南富山に回送された。その回送は電車に併結して行われ、デキ+電車という、ローカル鉄道ファンには垂涎の的のシーンが見られたのである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 とはいえ、インターネットなど無い当時はこんな情報は流れるわけもなく、撮影した方はゴクゴク限られるであろう。


 こんなシーンをしょっちゅう見ていたので、他のローカル私鉄のデキ+電車の編成にはもうひとつ不感症であった。そのため、津島軽便堂さんのように熱心に撮影していないのが、今となっては相当な心残りとなっている。(駅長)




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2012年2月20日 (月)

141.御岳遠望スポットin名鉄広見線 2012/2/19

 先週末(2月18・19日)は太平洋側を中心に穏やかな天気に恵まれ、メンバーの皆様方の中にも遠征を試みられた方もいらっしゃったんじゃないでしょうか? そういう自分はどうだったかというと、家族運用とその他の事情により、遠征することは許されるはずもなく、悶々とした時間を過ごしていましたweep。それでも19日になると我慢も限界に達し、近場で半日だけという条件で外出のお許しが出て、御岳も見えていたscissorsことから、皆様お馴染の広見線の御岳定番ポイントを覗いてきました。目新しいアングルではありませんが、お付き合いいただければ幸いです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち
 土休日の広見線の特急は朝2000系1本、2200系が2本ありますが、日照時間が短いこの時期は3本目の2200系しか列車に陽が当たりません。数年前に鎮座した農機具小屋が目立ちますが、こればっかりはどうすることもできませんsad

【2012.2.19 西可児~可児川】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 農機具小屋をクリアしようとすると今度は建設会社の看板が思いっ切り画面に入ってしまい、痛し痒しの状況になってしまいます。どちらを優先するか迷ってしまいますannoy

【2012.2.19 西可児~可児川】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 農機具小屋と建設会社の看板を何とかクリアしたいと思って一段上のポイントに移動し、縦構図で切り取ってみました。300mm相当からさらにトリミングしていますので、400mm相当クラスのレンズが必要になりますが、ちょっと窮屈な感じになってしまいましたpout

【2012.2.19 西可児~可児川】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 下りのSR車は何が行くか見ていたら5600系が新可児方面へ向かって行ったので、折り返しは線路端で狙ってみました。珍客のうち1380系はある程度意識していましたが、5600系はこの時見かけるまで存在を忘れていました。順光でバッチリゲットかと思いましたが、ケーブルの影が落ちていましたdown

【2012.2.19 西可児~可児川】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 同じポイントに粘っていても芸がないと思い、このまま帰ろうか、どこかもう1か所くらい回ろうか思案していたところ、御嵩城址公園の展望台の存在を思いつき、久しぶりに登ってみました。遠くの雪山を期待しましたが、イメージにはちょっと遠い感じでした。ここもご多分に洩れず周囲の木々が成長し、脚立が必要となっていましたsweat01

【2012.2.19 御嵩口~御嵩】(電車運転士)

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2012年2月19日 (日)

119系アラカルト

3月のJRダイヤ改正まで余すところ1か月を切りました。JRに限らず、この春消えて行く車両、路線も数多くあり、メンバーの皆様もアクティブに東奔西走されているようですが、私はと言いますと相変わらず縮こまっております。

そんなわけで新作もない有様なので、今まで撮ってきた119系アラカルトをご紹介します。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

クモユニ147-2+クモハ119-7+クハ118-5+クモハ119-30+クハ118-22 飯田線1224M 下地・平井(信)1984年12月20日

旧性能車からの置換えにより、郵便荷物輸送用に101系の部品を再利用してクモユニ147形が5両製造されましたが、意外と飯田線での活躍期間は短く、私の撮影リストの中では2回しか撮っていません。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

クモハ119-1+クモハ119-107+クハ118-1+クモハ119-31+クハ118-23 飯田線629M 船町・下地 1988年2月25日

飯田線の合理化を推し進めるため、1988年3月改正で、クモハ119 9両を両運化することになりました。2月には早期改造車が出場してきましたが、ほんの一時期、改造車をもとの編成位置に戻す措置が採られ、旧クモハ119-2のクモハ119-107が、クモハ119-1とクハ118-1に挟まれるという珍編成が組まれました。運用表を見たとき、本当にこんな編成になるのか、疑心暗鬼で行きましたが、実際に見て驚きました。運用表では改正までに3本ほどこのような編成が組まれることになっていましたが、実際に見たのはこの編成のみで、3月11日に行ったら、両運車を豊橋方に組込む形で解消されていました。いわゆる「食パン」タイプなので、あまり目立たないのが残念です。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

クモハ119-23+クハ118-15 東海道線153M 由比・興津 1989年1月16日

1986年11月改正で、東海道線静岡地区のフリークェンシーを図るため、「するがシャトル」と銘打って、専用に8編成が整備されました。一時期、御殿場線に入ったり、朝のラッシュ時、4編成連結して8両で走ったこともあるようですが、残念ながら見ることはありませんでした。もともと駅間の長い線区を走ることを想定して製造されていないため、ダイヤ上のネックとなり、早々に89年3月改正で飯田線へ戻りました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


「はなぶさ」に集まる仲間たち

クモハ119-101+クモハ119-22+クハ118-14+クモハ119-31+クハ118-23 飯田線421M 江島・東上 1989年5月27日

今回のハイライトです。メンバー数人とご一緒しました。89年3月の改正で再び全車が飯田線に戻りましたが、原色、SS色とともにJR東海色が登場し、唯一3運用併結となる421Mでは、このような3色混結を見ることができました。とはいうものの、これを撮るためにどれだけ豊橋運輸区に通ったことか・・・。後で気づいたことですが、クモハ119-31+クハ118-23はJR色で唯一非冷房で出場した車両でした。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

クモハ119-27+クハ118-19 飯田線626M 三河東郷・大海 1990年5月20日

この編成はご覧のとおり集中型クーラーを載せているので、SSに使用されたうちの1本ですが、飯田線に戻る前にJR東海色になりました。しかし、試験塗装ということで、211系用のテープが使われたものです。いつ標準色になったのかはわかりません。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

クモハ119-5109+クモハ119-5107 飯田線523M 三河東郷・大海 2012年1月8日

一気に22年後、この間トロッコ関連では飯田線を訪れてはいてもあまり119系にカメラを向けることがなくなっていました。最近はcMccMc編成が見られるのは朝 最後に長山へ1往復する定期運用のみでしたが、この正月は豊川稲荷初詣の多客を見込んでか、単車に増結する形で昼間も運転されました。(土休日のみ)


文頭でも書きましたが、定期列車で119系が見られるのも1か月を切りました。あと1回行けますかどうか(^_^;)(検査掛)






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2012年2月18日 (土)

あぁ、布袋駅(サクラ&鉄塔編)

今年に入って本格化してきた名鉄犬山線布袋駅周辺の立体交差工事。昨年末までは仮線用地の路盤整備と下り線用仮ホーム(現在同様退避線と、留置線も確保されるよう)の整備などが進められてきました。

この区間は自分の通勤経路にあたるので毎日のように工事の進捗状況が観察できます。そうした中、駅南方で線路上を横切る高圧線の移設工事が目に留まりました。高圧線が名鉄線をオーバークロスする辺りではそれほど高度がなく、このままでは高架化に支障をきたすため、背の高い鉄塔を設けて高圧線を移し替える工事が昨秋に行われました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

画像は付け替え中の高圧線と新旧の鉄塔です。撮影の一週間後、旧鉄塔は僅か数日間で取り壊されました。もっとも骨組みだけなので撤去も簡単ではあるようですが。

このようなところにまで立体交差に伴う関連工事が及んでくるとは、意外と気が付きませんでした。


また、駅構内北側には桜の木が数本残っていましたが、去る2月14日(→たぶん)ついに切り取られてしまいました。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


「はなぶさ」に集まる仲間たち



小規模ながらも満開になると車窓を楽しませてくれた布袋駅の桜は昨春で見納め。昨年4月、“最後の春”を記録しておこうと好天日を選んで出勤中に途中下車し、お名残撮影をいたしました。ただ、列車と組み合わせるには若干まとめにくいのが難点です。

「はなぶさ」に集まる仲間たち



「はなぶさ」に集まる仲間たち



「はなぶさ」に集まる仲間たち

駅とサクラのコラボがまたひとつ姿を消してしまいました。立体交差で安全性が高まり便利になる代償に、草木や土の香りがこうして徐々に失われていくのは仕方ないこととはいえ残念です。(出札掛)

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【旅話-8】いよいよ滞在最後の日

 さて、8回にわたり連載した訪欧の旅日記もようやく最終日までたどり着いた。これまで、旅行記を書こうと思って書き始めても、最後まで行ったことはほとんどない。途中で同じ事の繰り返しに、アホらしくなってやめてしまうからである。それに対して、今回はともかく最後までたどり着いた。これは読者がいる(と勝手に思っている)ということを意識しているからだろう。最後まで、ご高覧頂いた方(があれば)に感謝したい。


21日(土) ミュンヘン 10:47-ICE588-アウグスブルク 11:22

       アウグスブルク 14:07-ICE1607-ミュンヘン 14:41

       ミュンヘンHBF 16:20頃-S1-ミュンヘン空港 17:00頃

       MUC 19:55-NH208-NRT 15:40

22日(日) NRT 16:55-NH337-NGO 18:00 


 さて、いよいよ滞在最後の日である。いやでも今日の夕方には帰らねばならない。


 これくらいの時間を現地で過ごしていると、時差ボケも解消して、ぐっすりと寝られるようになる。今日は、ようやく7時間くらい寝ることができて快適である。ちなみに、到着直後は時差のせいで4時間くらいしか寝られない、というか4時間くらいで起きてしまう。これまでの経験から、時差ボケには慣れっこになって、4時間寝られれば翌日の行動に支障がないことがわかっているので、最近ではそれを逆用して、短い睡眠時間での予定を平気で組んだりするようになった。

まあ、これが何時まで続けられるかが問題であるが・・・(^^;)。


 そんなわけで午前6時半には、もう目が覚めて、臨戦態勢である。しかし、この日は土曜日なのでホテルの朝食は8時からである。部屋で寝ているのは勿体ないので、デジカメの高感度を活かして、ブルーモメントの夜明けのシーンを撮影する。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 前日に降った雪が軌道に残って、雰囲気がよい。狙いとしていた新しいバリオ・トラムが撮れて満足である。


 撮影後、荷物をまとめ、今回の旅行ではじめてゆっくり朝食を食べる。チェックアウト後、トランジットモールになっているミュンヘンの中心部で撮ろうと、19系統に乗って州立歌劇場の前で降りる。やはり、ミュンヘンは定番のここで1枚は撮らないと落ち着かない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 やんでいた雪が、また激しく降ってくる。中央駅まで路面電車を撮りながら、歩いて戻る。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 雪が降って、なかなか良いムードである。

 しかし、ドイツの鉄ちゃんは、こうしたシーンをほとんど撮影しない。いや、撮影しているのかもしれないが、雑誌で見たことがない。冬でも、雪晴れのシーンばかりである。故に、ドイツの鉄道誌は雲ひとつ無い青空の下、きれいな写真が並んでいて、「やや、これは素晴らしい」ということになってしまうのだが、実際には冬は天候が悪くて、なかなか雑誌に載っているような綺麗な写真は撮れない。雪の中で撮影しない、というのは、ドイツの鉄ちゃんの撮影流儀かもしれないが、四季の情感を写し込もうとする我々から見れば、不思議にも思える。まあ、風景写真主体の彼らに言わせれば、超望遠で車両のみクローズアップした写真が羅列されている某国の鉄道書を見たら、なんともセンスがない、と嘆くかもしれない。


 閑話休題、ミュンヘンでの撮影を適当に切り上げ、適当なICEで30分ほど離れたアウグスブルクに向かう。以前、ここを訪れたのは5軸連接車が現役の頃だったので、車両が随分、入れ替わっているはずである。


 停留場で1日券を買って、隣のケーニヒス広場に向かう。ここは5方向から線路が集まる交通のターミナルである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 4本の列車が集まって、これはグッドタイミング、と思ってズームを最大の広角にしたら、なんとフードの付け方が悪かったようで、影が入ってしまった。まだまだ未熟である。


 しかし、10年ほど前に訪れた時には、車両はマンの5軸車を中心に、エスリンゲンのGT4、マンのシュタットバーンのM形が主力車両で、低床車としてミュンヘンと同じアドトランツのGT6Mが入ったばかりであった。しかし、今回、訪れたらそれら車両はまったく見られない。シーメンスのコンビーノとボンバルディアのシティランナーばかりである。わずか10年ほどで車両ががらりと変わってしまったのである。


 次の撮影のため市役所前広場に向かおうと、3系統の電車に乗る。前に来ているので、わかっているつもりでいたが、乗ってしばらくして乗り間違えたことに気がつく。うろ覚えはよくない。やはり確認第1である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この広場では、前回来た時には露店が並んで横から撮影できなかったので、そのリベンジで横から狙う。しかし、天気が悪い上に、建物が大きく、車体長43mの電車を真横から撮るとまったく浮き上がってこない。これは失敗である。


 もう少し、違う場所で撮影しようかと思ったが、天気も悪く、雪で足下も悪いし、ミュンヘンでももう一箇所行きたいところがあるので、早めに撮影を切り上げ、2時のICEでミュンヘンに戻る。ICE3の編成だったので、先頭の展望室に行く。誰もいないことを良いことに、濡れた靴下を脱いで、持っていた携帯カイロで乾かす。昔、蒸機を撮影に行っていた頃、北海道のDCでそんなことをやっていたことを思い出した。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 時速200km(多分?)の眺望を独り占めして、ミュンヘンに戻る。次なる目的は、最近開業した23系統。ここは、ミュンヘンの路線網から外れ、欧州では珍しい地下鉄のフィーダー路線という位置づけなのでぜひとも見てみたい。


 中央駅の地下から地下鉄に乗り、オーデンス広場で乗換え、ミュンヘナーフライハイトへ。地上に出ると屋根付きのバス乗り場があり、その一部が23系統の乗り場となっている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この23系統は、一時路線縮小が進められていたミュンヘン市電で2009年12月に開業した39年ぶりの新線で、シュヴァービング地区や手前の新興住宅地を結ぶ3.1kmの路線である。一部は貨物線の跡地を転用しているようで、途中までの区間は道路真ん中の併用軌道であるが、そこからは専用軌道になる。

 路線を乗り終えたが、天気はますます悪く、写真撮影には絶望的に暗くなってくる。それでもまだ、どこかで撮影しようと地下鉄で都心に戻る。


 ところで、このミュンヘナーフライハイトの駅はこんな感じ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 怪しい照明に、天井は鏡張りである。どこか、違うところをイメージした方もいるのではないか?以前、ボーフムのLRTの写真をお見せしたが、ドイツではよくこうした照明を使いたがる。


 地下鉄を降りて、路面電車を撮影するが、もう撮影限界をきっている。飛行機は午後8時の出発なので、5時頃に空港行きの列車に乗ればよい。しかし、撮影できなければここに居る必要もないので、早めに空港に行くことにする。


 帰りの成田便は、座席が空いていたので硬座から上級硬座に変えてもらう。この席に座ることができる可能性があったのも、ミュンヘン便を選んだ理由であった。軟座への等級変更とは異なり、食事は硬座のままであるが、リクライニングの角度が大きいので随分楽になる。


 いつものことであるが、帰りの飛行機は翌日からのことを思うと、憂鬱な気分になってくる。こればかりは、何度、海外に行っても一緒である。ドイツ国籍の飛行機で帰れば、名古屋に午前中に着くので、多少は気分転換することができるが、日本国籍の飛行機は最終日に丸一日使える反面、自宅に帰るのは夜になるので、さすがにしんどい。今回も翌日から仕事なので尚更である。

 この解決策は、とにもかくにも寝るだけである。早く、空港に着いた分、ラウンジでアルコールや軽食をしっかり食べていて、酔って寝る寸前になっているので、あとはどれだけ飛行機の中で気持ちよく寝られるか、が課題である。理想は、成田到着前の食事の時間まで、寝ていられることであるが・・・。(完)



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2012年2月15日 (水)

【旅話-7】ミュンヘンからの日帰り鉄

(ご注意)以下の文章は海外物であることに加え、個人の備忘録的色彩が強く、かなり長めとなっておりますので、興味のない方はご覧にならないことをお薦めしますm(_ _)m


 一筆書き切符を使った北陸と関東遠征で、期待されていない欧州の旅話の間隔が空いてしまった。もうこれで終わったと安堵されている方もあるかもしれないが、まだ2日分が残っている。しつこく続けていくことにする。

20日(金)  ミュンヘン 4:37-ICE1514-ナウムブルク 9:29

        ナウムブルク 12:00頃-ハレ・メルセブルク 12:20頃

        ナウムブルク 16:00-ICE1209-ミュンヘン 20:46

 ミュンヘンを起点に、オーストリア(すこしだけ)、スイス、スペイン、フランスを5日間でまわった今回の旅も、ミュンヘンに戻り、残すところ2日となった。さて、本日はミュンヘンに連泊し、しかもオペラの上演がないため夜の予定もないという、筆者の通常の行程から考えると、珍しくも余裕ある日である。しかも、どこに行くかも決めていない。

 とはいえ、行きたい候補地はいくつかあった。

 まずは、イタリアのボルツアーノにあるリットナー鉄道である。ここは木造電車が現役で動いているのであるが、事前にメールで確認したところ、運行は午前中だけであるという。ミュンヘンからでは、運行時間に間に合わないため、ここは計画段階でボツとなった。


 天気が良ければ、行こうと思っていたのが、雪山をバックに撮影できるオーストリアのインスブルックにあるステュバイタル鉄道である。しかし、天気予報を見ると雪の予報で、ここもやめざるを得なかった。


 残ったのが、ベルリンの近くにあるナウムブルクである。ここは古典電車が保存運転されていて、前々から一度、行きたかった。このナウムブルクのすぐ北には、ハレがある。町中から延々と南に延びる5系統は、途中に単線区間があるようで、ここもそそられる。それよりも名前が良い。「ハレ」、すなわち「晴れ」である。天気予報も北の方が良さそうだ。これで行き先が決まった。


 しかし、ハレまではミュンヘンからは遠い。ベルリンの近くなので、日本でいえば、博多から静岡に行くくらいのイメージである。しかし、そこはドイツ鉄道。首都ベルリンとミュンヘンを結ぶICEが早朝から運転している。ナウムブルクの到着は、9時半。夏ならば非効率だが、この時期、撮影できるのは8時半くらいからなので、それほど効率的にも悪くない。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 ミュンヘン始発のICEは、午前4時37分発である。昨晩は12時頃に帰ってきているため、4時起きはつらいが、効率よく回るためには、そんな弱音は言っておられない。寝足りない分は、列車の中で寝ればよい。ホテルに早朝出発であることを告げると、朝食としてランチボックスをつくってくれる。パンと飲み物、ヨーグルト、果物くらいであるが、その心配りが嬉しい。

 さて、フランスでは早朝でもパリ行きのTGVが満員であることを紹介したが、同条件のドイツのICEはどうだろうか。結論から言えば、ガラガラであった。フランスのTGVは結構満員で、予約を取ることが難しいことも少なくないが、ドイツのICEは多くの場合、予約なしでも座ることができる。フランスの方がドイツよりも多くの乗客を乗せているのではないか、と思える。TGVの路線拡張が進むのも、こうした背景があるのだろうか。

 旧東独の蒸機の聖地、ザールフェルトを経て、ナウムブルクに9時半到着。反対側のホームに、フランクフルトからのICが停まっている。

「はなぶさ」に集まる仲間たち



 ナウムブルクは、ベルリン-ハレーミュンヘン系統のICEとベルリン-ライプチヒ-フランクフルト系統のICがホームをはさんで接続する乗換駅である。しかし、ここの島式ホームは1面しかない。この1面のホームでベルリン方面と、ミュンヘン、フランクフルト方面の接続が行われる。加えて、左側のICEが停まっている路線は、フランクフルト方面への本線である。ダイヤが乱れた時には、どのように対処するのだろう。

 さて、ナウムブルクは旧東独の小都市である。掘り割りに囲まれた旧市街は中世の面影を留めていて、駅構内にもそれらの写真が飾られているが、世界遺産とかには指定されていない。もちろん、日本には知られていない。ドイツでの観光地としての位置づけを知りたいところである。

 ナウムブルクの人口はわずか3万人で、こんな小さな都市でも路面電車が走っている。というか、一旦廃止されたが、数年前に観光用として運行が復活し、とりあえず2012年末までは運行が継続されることになっている。車両は旧東ドイツの標準車であった2軸単車のゴータカーである。運行時間は終日であるので、動態保存ではなく、駅と町の中心を結ぶ立派な交通機関なのだが、運行は30分間隔なので、観光地としての魅力を高めるためのアトラクションと考えた方が良さそうだ。

 駅前に出ると、小さなレストランと売店があるくらいで、目立つ建物はない寂しい駅前である。ちょうど電車が出たばかりなので、全線2.5kmと短いことから、歩いて町中に向かうことにした。


 駅前を出ると、線路は道路の片側を走り、イェーガー広場のあたりで裏道に入る。ここは旧市街地の外縁部にあたるが、道路は石畳で、バックには煉瓦造りの集合住宅が入り、なかなか雰囲気がよい。これで、トラバントが現れれば、まさに30年前の東ドイツそのものである。
 

「はなぶさ」に集まる仲間たち



 中世の面影を残すマリエン門の向かいには、車庫があり、ゴータカーが停まっている。本当は、その前身であるLOWAカー、ET54が撮影したいのであるが、運用中の車両を含めてゴータカーを3両見かけたので、どうやらイベント時しか運行していないようだ


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 マリエン門から先は、広い道路の端の並木の中を走る。左側に堀があり、その奥にナウムブルクの町が広がっている。


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 この先は面白くないので、絵になりそうなマリエン門に戻って、石畳の道路を強調して撮影する。ちょうど親子連れが通りかかって、良い絵となった。


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 もう1本撮影し、やってきた電車に乗って駅に戻る。11時26分発のICに乗ってハレに向かおうとしたが、乗り遅れ、次の地域間急行に乗ることにした。これが幸いした。というのは、この列車はナウムブルクとハレの間の各駅に停車するので、行きたかったハレの路面電車5系統の単線区間のあるメルセブルクで降りることができることがわかったからだ。


 さて、そのメルスブルク。ハレ郊外の小都市で、ここも旧東独の面影を残している。ハレの5系統は、ここメルスブルクを経てさらに南のバート・ドューレンベルクに至る路線で、20kmはあろうかという長大な路線である。メルスブルクの町中では、狭い街路の部分を単線で運行している。そのような路線なので、運行本数は多くなく、30分間隔である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 その単線区間で撮影する。ここも石畳が残って、風情がある。

 しかし、この肝心な時に、カメラがトラブルをおこしてしまう。上の写真であるが、何と前ピンになってピントが甘い。こうした現象は、置きピンをして撮影しても、まれ(1000回に1回くらい)におこる。ズームレンズの問題で、ピントは合っていても、前玉と後玉の微妙な位置関係で甘くなることが原因らしいとわかっていはいるのだが、対応のしようもない。困ったことである。おまけに、天候も悪化して、小雨も降りだした。


 これが本数の多いところなら、次の電車で撮影すればよいのであるが、このあたりは30分に1本しかこない。すでに時刻は1時半ちかくなっており、ここで時間を潰すとハレの町中で撮影できないので、泣く泣く諦める。ハレに向かう電車に乗って前を見ていると、このメルスブルクのあたりはかなり昔の雰囲気を留めており、また訪れてじっくり撮影したい気持ちをおこさせる。


 30分ほどでハレの町中に到着する。目的地は、中心にあるマルクト広場である。ここにはハレゆかりのヘンデルの像や教会の高い尖塔が何本もたち、さまざまなアングルから撮影が楽しめる。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これまで訪れてきたミュンヘンやチューリヒ、さらにはスペインの都市と比べ、緯度が北にあるためか、この写真を撮影した2時半でももう夕方の気配である。午後4時のミュンヘン行きに乗ることにして、駅に戻る。乗ってきた5系統側の駅舎がかなりこじんまりとしていて、大きな町なのに不思議に感じていたら、本駅舎は何本も並んだホームの向こう側にあった。ここハレの駅舎は、分岐した路線の真ん中にあることを、ミュンヘン行きの列車に乗ってから気がついた。路面電車の本駅舎側の停留場も訪れずじまいで、恥ずかしい限りである。これは何時か再履修をしなければならないだろう。


 来た道を4時間半かけてミュンヘンに戻る。駅で買ったソーセージにビールで熟睡である。

 ミュンヘンは、雪で真っ白となっていた。ドイツでの夕食も今日が最後であることから、少しは良いものを食べようと、雪の中を初日に訪れたAugustiner Kellerに向かう。ジビエ(野生の鹿肉)を食べたいと思ったが、メニューに見つけることはできず、子豚の丸焼き、ソーセージ、あひるなど、ドイツ名物を盛り合わせた観光客向けのプレートを頼む。18.9ユーロであるが、ボリュームもあり、結構美味しい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ビールで酔っぱらったので、雪で滑らないように注意しながらホテルに戻る。ゆっくり荷物を整理して、帰国に備えることにする。(駅長)
 

 

 

 
 
















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140.塚本駅の定点撮影 1979/4/21

 引っ越し後の多治見での生活もひと段落した4月中旬、3月まで住んでいた姫路に出向く用事ができました。日帰りの予定でしたので、鉄活動をする余裕はないと思っていましたが、せっかく行くんだからということでふと思いついたのが塚本のホーム、ここなら朝に上って来る関西ブルトレをはじめ、北陸・山陰方面への系統などいろいろな列車が撮れるはずという目算でさっそく行動に移しました。多治見から未明の発車となる「ちくま」に乗り、終着の大阪まで乗車、緩行線に乗り換え、早朝の塚本駅ホームに立つことができました。先回の中央西線に続きカタログ的な写真の再現になってしまいますが、どうかお許しください。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この時から半年ほど前に20系客車に置き換えられた夜行の「だいせん」です。廃止時はエーデル車両のキハ65の2両編成と寂しい状況でしたが、20系客車10両に荷物車2両という堂々とした編成で貫録十分でした。窓上の白帯も省略される前で、編成美もしっかりと維持されていました。

【1979.4.21 塚本】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 EF58が先頭に立つブルトレですが、HMがないので「あかつき」か「彗星」どっちだったか記憶がありません。ブルトレは何本か撮ることができましたが、Hゴムのゴハチが続いたので、やきもきしていましたが、とりあえず1本原型小窓のゴハチ来てくれてひと安心でした。

【1979.4.21 塚本】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ブルトレの合間を縫ってやって来た福知山線の客車列車です。いくら福知山線の近代化が遅れているとはいえ、朝ラッシュのピーク時間帯に大阪のど真ん中までこんな列車が悠長に走っていたとは…。

【1979.4.21 塚本】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 北陸線系統の優等列車は宮原から回送されて来るので、東海道線の列車と合わせて撮影することができました。「立山」の回送列車ですが、小振りながらも律儀にHMが掲出されており、グリーン車組み込みの10両編成と相まって急行列車らしい風格を漂わせていました。

【1979.4.21 塚本】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 関西ブルトレのしんがりを務める「あかつき7号」です。牽引のゴハチはこの頃の広島工場出場車によく見られた一体ヒサシ+PS22パンタという不細工顔、おまけに内側線を並走して来た153系の快速(先頭のクハ153もシールドビーム改造の不細工顔)に被られ、見事撃沈でした。この写真を撮った直後はかなり落胆した記憶がありますが、今、この写真を見るとゴハチと153系のデットヒートというように見れないこともなく、これはこれでよかったんだと無理やり納得させています。

【1979.4.21 塚本】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 後追いですが、大阪に到着した「比叡」の回送だと思います。走行区間が名古屋~大阪と新幹線と完全に被っていましたが、岐阜・大垣・彦根など新幹線の恩恵を受けられない駅からの需要が結構あったように記憶しています。

【1979.4.21 塚本】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ブルトレの撮影がひと段落したので、ホームの大阪方に移動しました。以前に153系の新快速をご紹介させていただきましたが、カラーで撮ったのはこの時が初めてでした。ブルーライナーの愛称のとおり、ブルーのラインが格好よく決まっていました。

【1979.4.21 塚本】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 大阪に到着した優等列車は宮原へ回送で入区するため、同様に撮ることができました。「雷鳥」編成はボンネット車はまだ文字マークのまま、サロ2両とサシが入った12両で、幹線の特急らしい堂々とした姿を維持していました。

【1979.4.21 塚本】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 大阪発着の北陸線系統の急行は「立山」と「ゆのくに」がありました。「立山」は富山、「ゆのくに」は金沢が始終着でした。編成は共通で運用されていました。

【1979.4.29 塚本】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最後は福知山線系統の特急「まつかぜ」です。キハ181系が進出前だったので、キハ80系で運転されていました。亜幹線の特急ということで編成も6両と短く、「雷鳥」に比べると見劣りしてしまうのは仕方がないといったところでしょうか。

【1979.4.21 塚本】(電車運転士)

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2012年2月14日 (火)

またまた小田急ネタ

 さて、先の万葉線除雪車の記事で、東京に行く用があると書いておきながら、なぜ高岡に行ったのか。

 その理由のひとつは、コレである。


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 行き先は東京、と書いたが、実は目的地は水戸であった。東京から水戸までは、特急を使うと片道4000円弱かかる。これに新幹線代の2万円が加わる。東京を越えると、結構、値段が増す。


 そこで一計を案じ、一筆書き切符をつくることにした。ルートは見てお分かりの通りである。しかも、金曜夜だけ、夜行の「能登」が運行している。これに乗れば、宿代と新幹線代が浮き、往復新幹線で行くのとさほど変わらなくなる。ついでに「能登」のお別れ乗車もできる。まあ、あまりお別れ乗車という意識はないけれど・・・。


 しかし、豪雪の中、「能登」が無事に運行してくれるだろうか。久々に時刻表を繰って調べてみると、朝一番の「はくたか」で行っても十分間に合うことがわかった。結果的に、「能登」は運休したが、これは想定内である。

 また、富山では万葉線がらみでまったく想定外のことがおきて、北陸経由にしたメリットが発揮できるのであるが、これは個人的なことなので、ここで書くのは控えたい。


 それはともかく、次は水戸での用が終わった翌日の12日をどうするかが問題である。地元の方からは水浜線の跡を案内してくれるという申し出があったし、また、ひたちなか海浜鉄道や真岡鉄道、BRTになった鉾田線廃線跡めぐり等、いろいろ選択肢があったが、天候と緊急性を考え、もっともミーハー的な小田急の撮影をすることにした。


 と、いうことで翌日、8時半には無事に谷峨のホームに立っていた。目的は、この撮影である。


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 山間故、陽が差すかどうかの心配があったが、これは12月に来た時、確認しておいた。また、ファンが多く、場所の確保ができるかどうかも心配であったが、これは意外に少なくて、なんとか撮影できた。しかし、架線柱の影だけは、完全に想定外であった。曇った日か、もう少し日が高い時に行くべきであったが、今となっては撮れただけで満足すべきなのだろう。


 ところで、この日は雲ひとつ無い快晴である。富士も綺麗に見える。当初は、この後、小田急の渋沢に行こうかと思っていたが、なんとなく御殿場線にも未練があった。

 ところが谷峨でばったり知人にあった。聞くとクルマできていて、御殿場のお立ち台に向かうという。便乗をお願いしたら、快く許して貰えたので、あさぎり4号を狙いに御殿場に向かう。

 もっとも、御殿場のお立ち台は、12月に来て理想的な写真を撮影している。そこで今回は線路脇で、縦位置で狙うことにした。雲が少しわいて心配であったが、なんとか列車の通過時には雲が切れて、満足いく写真が撮影できた。12月の時ほどではないが、それでも列車通過時には人が集まってきて、最終的には100人くらいがいたのではないか。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 なお、コメント欄にも書いたが、線路脇で行われていた工事は終了し、カラーコーンや重機などの邪魔物はなくなっている。一方、線路脇には砂利を貯めるためのコンクリートの囲いが出来ていて、少々目障りであるが、これは目をつむるしかない。


 ここまでは至極順調であったが、しかし、そうそう、すべてがうまくいくわけではない。


 続く371系のあさぎり3号を狙おうと岩波~裾野間に行くが、気流の関係か、ここまで来ると頂上が雲に隠れてしまう。もう少し、御殿場方で撮れる場所は無いかと探しに行くが、場所を勘違いして、結局は岩波~裾野間に戻らざるを得なかった。列車通過の2分前にからくも現場に到着し、撮影する。残念ながら、富士は頂上が雲に隠れてしまっている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 岳南鉄道に行くという知人と別れ、今度は小田急を撮るため、小田原に戻る。サイドから撮影が可能な富水~栢山間で撮影しようと思うが、なんと西側に高い柵が作られて、足回りが隠れてしまう。撮影地ガイドには写っていないので、まだ最近、造られたものだろう。


 やむをえず、線路脇から狙うが、今度は撮影が可能な小田原行きのHiSEが、見事に急行にかぶられてしまった。どうも、ツキが完全に落ちてしまったようである。なんとか、RSEの撮影はできたが、微妙にシャッターチャンスが早い。もう少し遅いと架線柱の影が入るので、ホンのちょっと早押ししてしまったようだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 さて、頑張って、日没ギリギリであるが新宿に行ったHiSEとLSEが戻ってくるまで待とうかと思ったが、先のRSEが通過した直後に海老名で起きた人身事故で小田急全線が不通になってしまった。その後、海老名以西は折り返し運転で運転が再開されたが、ロマンスカーは全面運休。これは、もうきれいさっぱり諦めて帰れということなのだろう。


 ということで、なんとも不完全燃焼の小田急撮影行になってしまった。なんとなくこういう中途半端な撮影は落ち着かない。やはり、再履修が必要かなぁ。(駅長)

 
 

 


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2012年2月12日 (日)

ようやく国内初鉄ちゃん

 このタイトルを見て、ようやくダラダラと続いている欧州の話が終わったのか、と喜ばれる方もいるだろう。でも、あと2回ほど続くのである。ご了解のほどを。(^^;)


 さて、ようやく国内でカメラを構えることができた。たまたま、今週末に東京方面へ行く用があったので、そのついでに鉄ちゃんに及んだわけであるが、さて、何を撮るかが問題である。


 いまさら「日本海」や「きたぐに」ではないと思うが、でも、無くなるとなると撮ってはおきたい。しかし、このところの豪雪で運転が休止してしまっている。小田急の特急車ももう一度撮りたいが、これはせっかく東京に行くので、これは時間を見つけて撮影できそうだ。


 ところで、今年無くなるもので、どうしても動いているところが撮りたいものがひとつあった。それは、ここ30年くらいの願望であったが、なかなか動くことがない難易度超A級の被写体で、容易に撮影できるわけではなかった。それ以上に、その車両が動くと言うことは大変な状態であるわけで、撮影に行くことそのものが難しかったり、仮に行くことができても、今度は帰ってくることが出来るかどうかが危ぶまれるという、難行苦行の鉄ちゃんになることが想像された。行っても空振りになる可能性もあり、そのリスクを考えると、容易に決行は出来なかった。


 前置きが長くなった。


 では、もったいぶって(^^;)、写真をご覧にいれよう。これである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 思わず、お!っと声をあげられた方もいるのではないだろうか。


 そう、万葉線に残る除雪車、いまは移動機械になっているが、元射水線で活躍したデ5022である。

 残した目的が目的だけに、容易に出動しない。しかも、移動機械扱いなので、線路閉鎖をしてからでないと運転できないはずで、動くのは深夜である。少なくとも、フィルムカメラでは撮影できない。


 しかし、デジカメを使うことで、撮影に関しての問題点はクリアできるようになった。ちなみにこの写真、ISO6400、1/250でF2.8である。もっとも、ズームを使うと明るさを確保できないので、レンズは単玉である。


 今冬は、まれにみる豪雪で、この車両が動くであろうことが予想された。しかし、撮影のためには、降雪の具合を予想して、動きそうな日にスクランブルをかけないといけない。スクランブルをかけるにしても、平日にはなかなか急に休めない。そこで、チャンスを狙っていたが、たまたまいくつかの条件に恵まれ、撮影行となった。名古屋からは最終の「しらさぎ」に乗車、高岡駅前に宿をとって出動した。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 もっとも、動くかどうかは、これはかなり運に左右される。


 運行条件は、積雪15㎝以上ということで、一晩にこれだけ降ることは、北陸といえどもなかなかない。この時も、「しらさぎ」で行く途中は雪が降っておらず、小松のあたりでは黒い道床が見えるほどで、これは駄目ではないかと半ば諦めた。


 結果としては、この電車を2晩(朝か)撮影したが、一勝一敗で1日は運転していない。では、その日が雪が降らなかったかというと、前日の夕方は「はくたか」が軒並み運休になったというひどい状況で、たまたま高岡のあたりは雪が少なかったものの、北信越のどこかでは雪が降り積もっているのである。ゆえに天気予報だけでは、動くかどうかの判断ができないのが悩ましい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 とはいえ、今年になって、新しい除雪車を導入するため、除雪車としてはお役ご免になることが新聞で報道されたことから、今年度は、若干、基準をゆるやかにして運転をしているという。また、例年以上の豪雪もあって、運行回数は多くなっているようだ。


 この日は、午前4時40分頃、高岡駅前に到着。すぐに米島口に折り返していった。たまたま、駅前にタクシー乗り場があり、この時間でも運転手が待機していたことから、タクシーで本丸会館まで追跡し、数回撮影した。ようやく長年の念願がかなったわけである。


 ところで、この写真だけを見せたのでは当ブログらしさがない。そこで、スペシャル映像を。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まずは、射水線で活躍していた時のデ5010形。豪雪で、前にスノープラウを付けている。


 そして、もう1枚は同線の除雪用で活躍していたボ2。もと富岩鉄道(現富山港線)の名車である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 今回、久しぶりに豪雪の北陸を訪れ、北国の鉄路における雪との戦いの厳しさを痛切に感じ入った。おそらく、今、この時も鉄路を確保するため、果てしのない戦いが続けられていることだろう。それら鉄道員の方々に敬意を表したい。(駅長)






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2012年2月11日 (土)

小田急ロマンスカー甲種輸送にまつわるエピソード

sweat02おや、最近小田急ネタが続くではないの?とお感じでしょうが、たまたまの偶然です、ハイ。


2月11日は、日本車両でATS改造工事を施した小田急7000形LSE第三編成が新塗装のままで出場し、晴天下の飯田線を原色のDE10に牽かれて、大勢のファンの前を通り過ぎて行った、と書きたかったのですが、出かける前にネットをいろいろ覗いていたら、某情報誌に掲載されている時刻より3時間も繰り上がったスジに変更されている!ことに気がついたものの時すでに遅し・・・今から家を出ても到底間に合わない、というわけでLSE甲種の実況レポが次々と報告されるツイッター画面を指をくわえて眺めるだけの一日となりましたweep。 (2/12注釈:どうやら某情報誌のミスプリントの可能性もあり、ハマった方々も多数?)


気が治まらないので、こんなときは今まで写した小田急ロマンスカーの甲種輸送写真~と言っても2列車のみ~を載せることでこの失態は帳消し、と勝手に納得する、きょうこのごろ。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


「はなぶさ」に集まる仲間たち

3100形NSEが車体更新を施すため日本車両へ甲種輸送中のシーンを、豊橋で撮影しました。名鉄パノラマカーとは豊橋駅構内で顔を合わせているかもしれませんが、同時に一つの画面に収めることはできませんでした。橋上駅化される前の豊橋駅構内は、貨物取扱ホームもあり懐かしく感じます。 1985/2/27 9971レ



「はなぶさ」に集まる仲間たち

この列車は、東日本大震災の2日後に運転された50000形VSEのATS改造工事後の甲種です。実はこの時、撮影に出かけても良いものどうか、複雑な気分に陥りました。震災後、日ごとに事の重大さが明らかになるにつれ徐々に「お祭り騒ぎ」的イベントの自粛ムードが高まっていく中、呑気にカメラ片手に趣味を楽しむようなことをしてひんしゅくを買わないか、ましてや列車そのものが運転されないことも十分あり得るわけで・・・。しばらく続いた自分との葛藤・・・、それでも自分の周りは比較的日常どおりの生活が営まれており、JR線も静岡西部までは正常に動いているようだし、万が一列車が運休となっても十分納得できること、と意を決して豊橋行快速に飛び乗りました。

本来なら飯田線船町で下車して豊川鉄橋まで足を伸ばしたかったのに、家を出るタイミングがズレてしまい飯田線の接続がうまくいかず、結局豊橋ー船町間で撮影する羽目になりました。現地では、カメラをバッグから出して構えようとする“勇気”もなく、「撮り鉄」をしているところをひた隠すばかりで、当該列車のウヤも覚悟をしていたそんな中、予定通りにVSEの甲種は現れました。現場の各関係者の並々ならぬご努力には本当に頭が下がる思いです。目的を達することはできましたが、それでもなんだか罪悪感でいっぱいの一日でした。 2011/3/13 9772レ


新塗装のままで出場したLSEの甲種姿、やっぱり見たかったなぁ。(→おいおい一週間前に営業運転の姿を撮影したでしょうにsign02・出札掛)

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2012年2月10日 (金)

139.1979~80年頃の中央西線名古屋口

 1979(昭和54)年4月から多治見での新しい生活がスタートし、この時から中央西線が新たなホームグラウンドとなりました。関西に比べて路線・車両のバリエーションは少なくなりましたが、物珍しさも手伝って沿線にちょこちょこと撮影に出掛けていました。地元出身のメンバーの皆様方には珍しくも何ともないシーンばかりかもしれませんが、関西から引っ越してきた自分にとっては中央西線を行き来する列車は結構新鮮に映りました。最近まで目にすることができた車両もありますが、30年余り前の雰囲気を感じていただければ幸いです。




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 中央西線の最優等列車の「しなの」です。この頃は381系が振り子機能を生かし、登場時と変わらない9両フル編成でかっ飛んでいました。多治見~土岐市にあるこの付近のポイントは自宅から自転車でアクセスすることが可能で、障害物も少なくスッキリとした編成写真を撮ることができました。

【1979.4.29 多治見~土岐市】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 お馴染みEF64の貨物列車です。現在は1000番代が重連でタキとコキを牽引していますが、この頃は一般貨物列車も設定されており、単機牽引もありました、写真の2号機は割と最近までJR東海に在籍し、ロンチキの先頭に立っていたのは記憶に新しいところです。板谷峠経験組の証として正面窓周りにつらら除けのプロテクター取り付けボルトが残っています。

【1979.4.29 多治見~土岐市】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 今では考えられませんが、中央西線にも荷物列車が1往復設定されていました。存在が地味すぎて注目されることはほとんどなかったと思います。下りの撮影は時間的に厳しいものがありましたが、上りは午後の遅い時間の通過だったため、時間帯が近かった下りの貨物列車と掛け持ちが可能でした。確か所定では単機牽引だったと思いますが、重連になることが多かったと記憶しています。

【1979.9.5 多治見~土岐市】(電車運転士)





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 この頃になると巷では80系がそろそろ危ないという噂が飛び交うようになり、それに触発されて80系を意識して撮るようになりました。80系は中津川以北の運用が主体でしたが、1往復だけ名古屋までの乗り入れ運用があり、これ狙いで結構な頻度で沿線に繰り出していました。朝の名古屋行は遅掛けの朝連にはもってこいの列車で、この日は古虎渓のトンネル飛び出しを狙ってみました。


【1979.10.10 古虎渓】(電車運転士)





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 行楽シーズンには大垣電車区の159系が臨時快速「木曽路」として中央西線までアルバイトに来ていました。ちょうど修学旅行色から湘南色への塗り替えが進行中で、なかなか修学旅行色がそろった編成にはお目にかかることができませんでした。この日、往路の編成を見たら名古屋方の5両が修学旅行色で揃った編成だったので、もう1台のカメラにネガカラーを入れ、往路をゲットしました。


【1979.10.10 多治見~土岐市】(電車運転士)




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 朝、名古屋まで来た80系は折り返し神領電車区まで回送され、夕方の出番まで待機します。写真では長閑な雰囲気が漂っていますが、現在このポイント周辺は田んぼだった所には住宅が立ち並び、線路の上には名二環が覆いかぶさり、風景は大きく変貌してしまいました。


【1980.3.16 新守山~勝川】(電車運転士)










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 皆様よくご存じの県営住宅からの俯瞰ポイントです。ここは今でもほぼ同様のアングルで撮ることが可能です。中央西線の103系はスカイブルーで新製配置はなく、首都圏からの玉突き転属によるお古ばかりでした。写真の103系は10両編成ですが、すべて非冷房車、通学に千種~多治見を利用していましたが、夏は極力非冷房車ばかりの103系には乗らないようにしていました。


【1980.3.16 大曽根~新守山】(電車運転士)





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 定光寺のすぐ高蔵寺寄りは短いトンネルが連続しており、トンネル抜きの構図が可能でした。80系を撮ったついでか何かの時に立ち寄ったのかもしれません。当時は望遠は135mmしか持っていなかったため、かなりトリミングをしています。


【1980.3.17 高蔵寺~定光寺】(電車運転士)




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 中央西線には「赤倉」・「のりくら」の間合いと美濃太田機関区からの回送を兼ねて朝・夕・夜にキハ58系の普通列車も運転されていました。武豊線にも同様の列車がったと思いますが、グリーン車が解放扱いだったため、時間が合う時は好んで乗車していました。


【1980.3.17 定光寺】(電車運転士)





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 以前に駅長様もアップされていましたが、この年の春休み中に実施された80系のさよなら運転です。結局、ホームグラウンドとなっていたこのポイントを選びました。いつもどおり自転車でアクセスしましたが、同業者の姿は見えず、まったりと撮影できました。さよまら列車は御岳山をモチーフにしたHMを掲げて最後の力走を披露していました。これにより、中央西線名古屋口の新性能化が完了しました。


【1980.3.23 多治見~土岐市】(電車運転士)





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 80系のさよなら運転の当日の朝は、神領電車区も覗いていました。「金星」の581系と出区前の80系が並んでいました。「金星」は朝、名古屋に到着後、神領電車区まで回送され、間合いで「しらさぎ」に運用されていましたが、この頃になると「しらさぎ」の間合い運用はなくなっており、夜の出番までずっと昼寝状態でした。


【1980.3.23 神領電車区】(電車運転士)





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 国鉄バスがノンビリと並んで待っているこの駅はどこかおわかりでしょうか? 高蔵寺の南口(ニュータウンの反対側)です。当時の駅舎は木造、トイレも汲み取り式と今の状況からは想像もできない光景です。中央西線の名古屋口では最も変化が大きかった駅ではないでしょうか…。


【1980.4.24 高蔵寺】(電車運転士)




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 春日井にEF64の重連貨物列車が到着しました。駅の雰囲気は今とそんなに変わっていないように思います。春日井は今でもワムハチによる王子製紙関係の貨物取り扱いがありますが、この頃は一般貨物も取り扱っていたようです。これから始める入換の打ち合わせでしょうか、機関士と操車掛が何やら言葉を交わしています。


【1980.4.24 春日井】(電車運転士)





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 鶴舞の上りホームです。朝から午前中にかけての下り列車の編成写真を撮るにはもってこいのポイントでした。今でも撮れないことはありませんが、名古屋高速が上空を占拠しており、風景は一変してしまいました。おそらく、事前に情報を仕入れてスロ81系のお座敷客車(ナコ座)を撮りに行ったものだと思われます。残念ながらグリーン帯はすでに消された後でした。


【1980.6 鶴舞】(電車運転士)





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 お座敷列車のついでに撮った113系です。中央西線名古屋口では最もスタンダードな車両でした。ちょうど冷房付きシートピッチ拡大車の2000番代が新製配置された直後でしたが、首都圏から転配された非冷房の0番代がまだまだ幅を利かせていました。


【1980.6 鶴舞】(電車運転士)





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 鉄研の行事で神領電車区を見学させていただく機会があり、その時に撮ったものです。列車内から眺めるばかりだったスカイブルーのクモハ40800とヒラメ顔のクモエ21800を撮ることができました。両方とも本線上を走行しているところは見たことはありませんが、クモエは救援車という性格上、常にパンタを上げて定位置のこの場所に待機していました。


【1980.7 神領電車区】(電車運転士)

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2012年2月 8日 (水)

【旅話ー6】こんどはドイツのICEが・・・

(ご注意)以下の文章は海外物であることに加え、個人の備忘録的色彩が強く、かなり長めとなっておりますので、興味のない方はご覧にならないことをお薦めしますm(_ _)m






1月19日(木)  パリ東 7:06-ICE9551-ザールブリュッケン 8:56


          ザールブリュッケン 10:57-TGV9553-マンハイム 12:15


          マンハイム 12:30-ICE595-ウルム 14:08


          ウルム 15:09-ICE517-ミュンヘン 16:27


          ミュンヘン州立歌劇場「ドン・カルロ」 18:00~22:30





                        ↓ 変更





          パリ東 7:06-ICE9551-マンハイム 11:15


          マンハイム 11:32-ICE515-ウルム 13:09


          ウルム 14:56-EC219-ミュンヘン 16:11




「はなぶさ」に集まる仲間たち



 今日は、パリからドイツのミュンヘンまで移動の日である。昨日ほどではないが、この日の移動距離も800kmを超えるはずだ。


 


 パリからミュンヘンへは、ストラスブール経由のルートの方が早いが、単に移動するだけでは1日無駄になってしまうので、途中でザールブリュッケンに寄るため、フランクフルト行きに乗ることにする。ここで問題になったのが、パリ~フランクフルトの列車には、ユーレイルパスが使えないこいうことである。包括運賃の制度がないことが理由と言うが、運行の自由を認める欧州全体としてのオープンアクセス政策で利便性が高まった反面、水戸黄門の印籠であったユーレイルパスが日ごとに使いづらくなっていくことを感じる。




 ところが、よくしたもので、自由化政策で運賃が弾力化されたことから、早割のような制度が出来て、事前に購入するならザールブリュッケンまで2等で3000円ちょっとで乗車券、特急券込みの乗車券が買えるという。おそらく、ユーレールパスで指定券を購入しても1000円はかかるはずだ。それから考えれば、追加で2000円程度の出費ならまったく問題ではない。しかし、どの列車にもこうした制度があると考えるとすると、予定が決まっているなら早割で購入した方がユーレイルパスを使うより安くなるわけで、ますますユーレイルパスの優位性が無くなることになる。




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 余裕を持ってホテルを出たので、フランクフルト行きの列車が発車するパリ東(エスト)駅に着いても30分以上、余裕がある。そこでホームに人が少ないのを良いことに、地下鉄を撮影することにする。ここは5号線と7号線がホームをはさんで接続していることに加え、線路をまたぐ跨線橋があり、しかもホームがカーブしているので撮りやすい。前から一度撮りたいと思っていた目的をようやく達する。





 ホームに上がると、ドイツの高速列車ICEとフランスの高速列車TGVが並んでいる。犬猿の仲と揶揄されるドイツとフランスの高速車両が並ぶのは、2007年にTGV東ヨーロッパ線が開業してからのことである。




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 パリ滞在、わずか13時間で、もう離れなければいけない。パリは何度来たかわからないが、凱旋門もエッフェル塔も遠くから眺めただけで、近くまで行ったことは一度もない。今回も、行くことが出来なかった。もっとも行く気があるかどうかと尋ねられると、返答に困るが。





 これまでの列車はユーレイルパスなので1等に乗車しているが、今日は早割切符を使ってるので2等である。とはいえ、さすがドイツの車輛だけあって快適性は高く、不満は感じない。乗車してみると、意外に席があいている。一部予約が入っているが、それもフランス側の停車駅、フォルバッハまでである。昨年GWにランスまで乗った時に予約が入らず、TGV東ヨーロッパ線は好評との話を裏付けたが、フランスの国内と国際列車は様子が違うのかもしれない。そう思えば、運行本数が4往復から一向に増えないのも納得がいく。




 定時でパリ東駅を発車したICEであるが、近郊線から別れて高速線にはいるあたりで足取りがおかしくなり、ついには停まってしまった。昨日に続いてダイヤの乱れである。これまでTGVには何度となく乗っているが、ほとんど遅れたことがない。2日続けて遅れるとは、なんとも運が悪い。




 結局、30分ほど遅れて高速新線に入り、走り始める。セキュリティが何とかかんとかと、車内放送が入る。それにしても、今日の遅れは昨日よりもっとまずい。ザールブリュッケンは、新しく開業した北の路線を見に行くのが目的であるが、2時間はそのためのギリギリの時間で、15分遅れると予定の列車に乗れないのである。


 ザールブリュッケンに到着した時は、遅れはさらに増えて40分になっていた。これでは、もう目的地まで行くことが出来ない。おまけに雨も降って暗いので、気持ちよく?諦めて、マンハイムまで行ってしまい、その分、ウルムで時間を取ることにする。ザールブリュッケンは、ドイツ側からはなかなか行きづらいので、それが心残りであるが・・・。





 ザールブリュッケンを出てからも、また駅間で停車し、遅れは1時間に増した。すると案内放送が流れ、特急料金の払い戻しの案内をするとともに、ビュッフェでは飲み物を無料にすると言う。さっそく、ビュッフェまで行ったのはいうまでもない。





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 マンハイムでは乗換時間が15分ほどある。ホームで待つのも面白くないので、駅前に出て、路面電車をスナップする。車体長30mの連接車を2本つないだ編成と、2編成しかない車体長42mの1040形が撮影できる。これはラッキーである。マンハイムの駅も、ファサードだけ残して大改良され、中は綺麗なエキナカ商店街となっていた。





 売店でソーセージと缶ビールを購入して、昼食にする。ドイツまで来ると、缶ビールの500mlが2ユーロ弱で買えるので、随分安く感じる。久しぶりにカーブが続くゲッピンゲンの山越えの車窓を楽しみ、1時間半ほどでウルム。ここの路面電車は、訪れるのが初めてである。





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 ウルムの路面電車は、5kmほどと路線が短かったが、東部の住宅地に路線を延長すると共に、車両も広島電鉄で走っているのと同型のシーメンス製コンビーノに取り替えた。当初は駅付近で撮るだけの予定であったが、2時間の時間があるので、延長区間を終点まで乗ることにする。





 天気は悪いが、雨は降っておらず、折角来たので走りも撮りたい。ウルムといえば、ヨーロッパ随一の高さを誇る大聖堂が町のシンボルである。ぜひ、それと一緒に撮りたいと思い、場所を探す。町中では大聖堂と一緒に撮れる場所が見つからなかったが、かつての終点のひとつ手前の停留所でなんとか撮れそうなことがわかる。





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 これでウルムに来た目的は達成である。ホームに戻ると、予定の列車の1本前のインスブルック行きユーロシティが来たので、それに乗る。乗り心地だけから言えば、ICEより古い客車の方が落ち着いて、ゆっくりできる。がら空きのコンパートメントを1人で独占して、久々の客車の乗り心地を楽しんだ。





 スペイン、フランスを駆け足で回り、3日ぶりにミュンヘンに帰ってきた。ホテルで預けておいた荷物を受け取り、服を変えて、路面電車で州立歌劇場に向かう。オペラのチケットがあれば、路面電車は無料である。





 今日のオペラは、ヴェルディの「ドン・カルロ」。5幕の長いオペラで3時間半もかかり、始まりが6時で終了は10時半である。さて、今日も早起き。最後まで緊張感を持って聴くことが出来るかどうかが懸念材料。


 ロドリーゴのキーチェンがキャンセルしたのは痛いが、カウフマン、パーペ、ハルテロスと最強の布陣で、素晴らしい音楽が続いていく。演出も奇をてらっておらず、違和感もない。本質論ではないが、宗教裁判の場面で火刑に処される異端信仰者が素裸で、良くできた人形かと思っていたら、火がついて動いたのでホンモノの人間ということがわかって驚いた。まあ、別にオペラで裸が出てくることは珍しくない。ロバート・カーセンの最近の演出は、すぐに女性を脱がせて下着姿にさせるし、オリビエ・ピイは必ず?どぎついシーンを入れてくれる。こうしたシーンを双眼鏡で覗いていれば、変態呼ばわりされるであろうが、芸術なので大丈夫である。誤解して貰うと困るが、もちろん、そうした演出を見るのが目的でオペラを見に行っているわけではない。(^^;)




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 なんとか、5幕のエリザベッタのアリアまで集中力を保つことが出来、個人的にはベルディの最高傑作ではないかと思われるこのオペラを満喫する。まあ、このメンバーなら間違いなく、最高の演奏が期待できるわけだし、それを目的にはるばる欧州まで来た(鉄道はその余録である、と言ったら言い過ぎか、な)わけだから、演奏が素晴らしくなくては困ってしまう。もちろん、地元の観客も大興奮で、延々とカーテンコールが続く。カーテンコールは、なぜか撮影会状態。カメラを持っていて良かった。(^_^)





 終了後は、劇場向かいのシュパーテンハウスで遅い夕食である。ドイツまで来ると、英語のメニューもあって何とか中身がわかる。久々にまともな食事をして、路面電車でホテルに戻る。12時近いのに、ちゃんと運行している。


 風呂に入り、ゆっくり就寝、といきたいところだが、とてもそんなのんびりしている余裕はなさそうだ。さて、何時に起床しようか。(駅長)











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【旅話-5】TGV-痛恨の50分遅れ

(ご注意)以下の文章は海外物であることに加え、個人の備忘録的色彩が強く、かなり長めとなっておりますので、興味のない方はご覧にならないことをお薦めしますm(_ _)m





1月18日(水) 





 ボルドー 5:00TGV8406-パリ(モンパルナス) 8:33


 パリ(モンパルナス)8:55TGV8909-アンジェ 10:27


 アンジェ 13:27(13:50)TGV8823-ナント 14:07(15:02)


 ナント 16:00TGV8848-パリ(モンパルナス) 18:12


 パリ・オペラ座 「マノン」 19:3022:30


  (  )内は実乗車時間





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 朝4時20分。目覚ましで目が覚める。こんな早く起きざるをえなかったのは、ボルドー発5時のTGVに乗るためである。6ユーロだったかの朝食(値段相応でクロワッサンとコーヒーのコンチネンタルである)を急いで食べて、駅に向かう。




 今日の目的地は、アンジェとナントである。アンジェに行くには途中のトゥールで乗り換えるのが距離的に近いが、本数が少ないうえに、時間がかかる。結果として、遠回りでも一旦パリまで行くのが最も早い移動方法となる。TGVの高速路線網が完成してから、フランスではますますこの傾向が強くなった。




 このTGV8406は、ボルドーから30分ほどの所で停まる以外は、パリまでノンストップである。こんな朝早くから誰が乗るのか、と思っていたら、なんと1等はほとんどの席が埋まっている。TGVがビジネス列車として、確固たる位置づけを確保していることがわかる。




 モンパルナス駅で追加の朝食を買い、再びTGVで今乗ってきた高速新線を経由してアンジェへ。天気予報は雨で、先が思いやられたが、途中で薄日が差してきた。これは大丈夫かな、と思っていたら、アンジェに着いたら小雨が降っている。やはりツキがない。

 


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 


 アンジェを訪れたのは、昨年6月に開業したLRTに乗るためである。実は、昨年GWにフランスの新設LRTを片っ端から視察した時に、あわよくば試運転を撮れないかと思い、ここを訪れている。この時は車両こそ撮れなかったものの、駅から3停留所を歩いて中心部のRalliementまで行っている。そんなわけで、大体の町のイメージはわかっており、すんなりと撮影に入っていける。




 TGVのホームと交差するようにLRTの乗降所があり、乗換は極めて便利である。すぐに白をベースにレインボーカラーのストライブを入れた低床車がやってくる。フランスのLRTの標準車であるアルストムのシタディスである。このアンジェならではの特徴として、APSという架線集電方式を用い、市の中心部と、終点に近い衛星都市のアヴリイエの中心部で架線レス運行を行っている。まずは、アヴリイエの架線レス区間を見に行くことにする。




 Sarthe川をわたり、大学の構内にある急勾配を昇り、30分ほどでアヴリイエの中心部に着く。ここは町の中心を貫通する目抜き通りに軌道を敷いており、自動車も電車と同じ走行路を走る。このため、電車が停留場に停まっている時には後ろで待っていなければいけない。

 


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 


 実は、これは本来の路面電車の乗降方法である。日本は道路上に設けられた安全地帯で乗り降りするが、そうしている国は米国系に多いがものの、欧州では少ない。例えば、ドイツでは停留所の後ろに信号を付けてクルマを止め、路上から乗り降りさせている。日本でも道路交通法上では停留場の無い電停で路面電車の乗客が乗降中は、後ろで停まって待たなければいけないのである。





 時間がないので、30分ほど撮影しただけで都心に戻る。雑誌等でよく紹介されている橋脚が半円形でシンボルとなっているSarthe川の橋で撮影した後、Ralliementに向かう。この広場は、元々地下駐車場とバスの乗り場があったものを、LRTの建設にあわせて全面的に歩行者ゾーンとしたもので、それ自体も大変素晴らしいが、驚かされるのは次の停留所のMoliereの間で、道路が狭いことから線路が単線で敷かれているのである。ちょうど出発前に友人から送ってもらったフランスの鉄道誌の表紙に、この単線区間を挟んで対峙するLRTの写真が載っており、ぜひとも同じ写真を撮ってやろうという魂胆である。





 雨は相変わらず小降りで降っていてレンズも濡れるが、晴れたら単線区間は完全に陰ってしまうだろうから、どちらが良いかの判断は難しい。せめて、雨さえ降ってくれなければ最高なのであるが。それにしても、こんな狭い道に路面電車を通すとは・・・・どうしても路面電車を敷くのだという、行政当局の強い意志を感ぜずにはいられない。







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 結局、1時間ほどをここでの撮影に費やす。停留所には次の電車の時刻が表示されるのを良いことに、ギリギリまでねばる。次の目的地であるナントに行くため1327分のTGVに乗るべく、広場で乗ったのは1316分であった。概ね、こうした行動で大丈夫であるが、まれに読み違って転けることがあるから怖い。(^^;)





 5分ほどで駅に到着するが、列車の表示が何かおかしい。12時台の時刻を表示している。ホームに停まっていたのは、1240分と40分前に出ていなければいけない筈のTGVである。どうやらダイヤが乱れているらしい。


 パリからのTGVは5分ほど遅れて到着したが、それからが良くない。なぜか出発が抑止され、20分延発する。さらに、工事の影響か、途中の駅で停まってしまい、動かなくなってしまった。




 これは大変にまずい。ナントに行く目的は、昨年6月に運行を開始した路面電車型車両が鉄道線を走るトラムトレインに乗ることで、Vertouに行く目的の列車は1446分の発車なのである。さらに、この日はパリでオペラの予定が入っているので、16時の列車も遅れてもらっては困る。余裕時間は、いずれも30分ほどあり、通常なら大丈夫の筈であったが・・・。




「はなぶさ」に集まる仲間たち

 


 結果として、ナントの到着は15時過ぎとなり、目的の列車に乗り遅れてしまった。おまけに雨も強くなってきた。踏んだり蹴ったりとはまさにこのことである。結局、1517分に戻ってくる列車を撮っただけで、駅前の市電を撮りに行く気力もなくなってしまった。ナント到着数十分で、何と、もう戻らなければいけない。結局、駅から一歩も出ることができなかった。




 せめて車内で食事をしようと、サンドイッチとビールを買おうと思うが、どこにもビールが売っていない。昨年5月に来た時に、やはりビールを探して売っていなかったことを思い出した。前回も雨に降られたし、どうもナントは鬼門である。ちなみに値段は、サンドイッチが4.6e、ジュースが2.9e、パンが1.3eである。それでも16時発のTGVは遅れもなく運行して、定時でパリに着いた。結局、この日は朝からTGV1300kmほど乗ったことになる。これだけ乗れば、ユーレイルパスも割安に感じる。





昨年、パリに来た時に買って財布に残っていた回数券(カルネ)を使って、バスチーユにある安ホテルに投宿する。ここからは、今日のオペラの会場であるバスチーユオペラ座まで、徒歩で2分である。このあたりには安いホテルが結構ある。このホテルも75eである。もっとも外国人はあまり泊まらないのか、フロントでウェイクアップコールといってもまったく通じない。30年くらい前なら、英語の通じないフロントも結構多かったが、最近では珍しい。とはいえ、ここはリヨン駅までも1駅と近く、北や東駅も5号線の地下鉄で乗換無しでいけるので、大変便利である。部屋はそこそこで、シャワールームには石けんもないが、何と言っても安いので、これからパリの常宿としても良いかもしれない。





 この日のオペラは、マスネの「マノン」。今、一番入れ込んでいる歌手が歌い、今回の旅行のハイライトになるはずであったが、もうひとつ曲に没入できなかったのは、あまり聴かないフランスオペラのためか、歌手の調子が悪かったのか、はたまた早朝から動きすぎて疲れて精神が集中できなかったのか。いずれにしろ、もう少し余裕を持った行動をしなければ、と思うのであるが、なかなかそれが出来ないのは情けない。








 この日も満足なものは食べていない。オペラがはねて、せめてパリくらいではまともなものを食べようかと思い、レストランを覗くが、メニューはフランス語だけである。結局、「SUKIYAKI」とかかれたチェーン店の寿司屋に入る。安っぽいにぎり寿司が11.5e、それに缶ビールが5eである。いずれも税込みで1e=100円で換算すれば、高くはない。





 本来は、ここで妥協してはいけないのであるが、パリでは何度となく食事で予想とは違ったものが来て、痛い目に遭っている。まあ、とりあえず体力を維持するため、お腹をこわさないように栄養をとった、として自らを納得させるしかないだろう。




 1人寂しく眠り、パリの夜は更けていく。明日は7時にパリ東駅発の列車に乗るので、5時半には起きなくてはいけない。早起きの日が続く。(駅長)









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2012年2月 7日 (火)

【旅話-4】スペインの飯田線に乗る

ご注意)以下の文章は海外物であることに加え、個人の備忘録的色彩が強く、かなり長めとなっておりますので、興味のない方はご覧にならないことをお薦めしますm(_ _)m





1月17日  ビルバオ 7:30-バス-ビトリア 8:45


        ビトリア 12:50-バス-ビルバオ 13:40


        ビルバオ 15:00-エウスコトレン-アンダイエ 18:21


       アンダイエ 18:58-ボルドー21:34




「はなぶさ」に集まる仲間たち

 


 今日は、ビトリアの路面電車を撮影してから宿泊地のフランス・ボルドーに向かう。出来れば、前回、高速バスから見て飯田線みたいな景色でそそられたエウスコ・トレンに乗りたいが、3時間半もかかるので、時間がなければビトリアから国鉄でそのままボルドーまで行くのも選択肢となる。何時でも予定の変更が可能なように、荷物は最小限である。





 ビトリアは、現地語ではガスディスという(らしい)。バスク地方の政治の中心で、交通の要衝として発展した。このため、ビルバオとの間にはバスが30分間隔で走っており、所要時間も1時間ちょっとなので、本数の少ない国鉄列車(しかも、ビルバオとビトリアの間には直通はない)を選んで行程を組むよりも、融通性がある。9時頃という日の出の時間を勘案して、7時半のバスを選ぶ。まだ、真っ暗である。バスターミナルでビトリア行きのバスを探し、切符を買って乗車。5.8eだった。





 バスターミナルからすぐに高速に入り、45分ほど走ると高速を降りて、インターモーダルというバス停に停まる。結構、乗客が降りるが、ビトリアまでの所要時間は1時間15分ほどかかることになっている。どこの町かと思っていたら、すぐに路面電車の路線と交差し、すでにビトリアに来ていることが判明。その名前(異なった輸送機関の組み合わせ)の通り、ここで路面電車と接続していたのだ。おそらくパーク&ライドの駐車場もあるのだろう。


 その後、バスは町の南にある大学をぐるりと回り、また北に戻って中心部から少し離れたところにあるバスターミナルに向かう。市内だけで30分近く走るので、帰りはインターモーダルから乗ることが出来れば効率が良さそうだ。


 


 バスターミナルは、路面電車の路線から離れているので、無事、停留所にたどりつけるか不安であったが、適当にカンで歩いていったら、そこが起点のAngulemaであった。さっそく来た電車に乗車。2路線あるなかの、Ibaiondo行きである。車体の外観はビルバオと同じであるが、5車体で車体長がながく、しかも全低床式である。また、運賃収受にはICカードが常用されている。


 Angulemaから1区間は、狭い町中のトランジットモール、最初の停留所を過ぎると、大きな教会がある。写真を撮るには、ここが狙い目のようだ。さらに広い道路の端を走り、インターモーダルの手前で分岐。あと、Ibaiondoまでは両側に団地が続く。路面電車は、こうした団地と都心部の輸送手段として整備したようである。

 


「はなぶさ」に集まる仲間たち




 今日は、少し東側に雲が残っているものの、昨日とは一転して晴天である。晴れるのは有り難いが、そうすると影の心配をしなければけない。曇っている内に、最大のポイントである教会をバックに撮影しようと都心部まで戻るが、いざ、撮影をしようとした時に晴れてきて、影が目立つようになってしまった。やむを得ず、陽があたっていそうなインターモーダルまで戻る。ここは広い道路の真ん中のグリーンベルトの中を電車が走っている。ちょうど、100m道路の中を電車が走っている感じである。





「はなぶさ」に集まる仲間たち


 


 この付近で1時間ほど撮影する。高速バスの時間を確かめようかとバス停まで行ってみたが、なんら時刻の表示はなかった。海外にはこうしたバス停が多いが、特にスペインの路線バスはよくわからない。


 そろそろ教会のところで電車に陽があたっている頃かと教会のところまで戻る。光線の状態などをにらんでいろいろな角度から撮影している内に、もう帰りの高速バスの時間が迫ってきてしまう。




「はなぶさ」に集まる仲間たち




  間に合うかどうかわからないが、とりあえずインターモーダルまで戻って、高速バスに間に合えばビルバオに戻ってエウスコトレンに乗車、間に合わなければ14時55分のRENFE(国鉄)の列車でアンダイエに向かうこととする。こういう余裕を持った行動をする時は、大抵、ギリギリの時間でも予定していた列車やバスに間に合うもので、その通り、数分の待ち時間でビルバオ行きの高速バスがやってくる。ロスタイム、ゼロで極めて効率がよい。





 ビルバオに戻り、少し雲が出たもののまずまずの天気なので、昨日、撮影したところの撮り直しをする。余裕をみて、14時40分頃にエウスコトレンの起点、アチュリに到着する。











「はなぶさ」に集まる仲間たち

 


 このエウスコトレンの路線は、かつてのフランスへの幹線で、かつてはプルマン編成の豪華列車も運転されたという。ユニークなのはフランス側の1区間、アンダイエとイルンの間は民鉄でありながら、国境を超えてフランスに乗り入れていることである。バスク地域を走る鉄道だけに、昔から国境を超えた交流があるのだろうか。また、途中には山越えの区間もあって、景色も良さそうだ。


http://www.euskotren.es/es/viaja/horarios/tren



 ビルバオを出ると、郊外の住宅地を結んで各駅に停まりながら走る。都市間連絡の路線でだんだん家が減ってくると思っていたら、30分ほど乗ったゲルニカ(ピカソの絵でお馴染みの場所である)への支線が分岐するLemoaのあたりでは何と地下化の工事を行っていた。





 また、時刻表を見ると、中間のErmuaとEibarの間に区間列車が走っている。どのような場所かと思っていたら、猫の額ほどの狭い谷底に中層のアパートが所狭しと建ち並んでいる。Ermuaのあたりはオメガループの路線となり、さらに谷の奥に入り込んでいる。調べてみるとサッカーのチームもあるような拠点の都市である。昔の鉱山町なのであろうか。





 Eibarを過ぎると、一転、川沿いの区間となる。以前、高速バスから見たのは、このあたりのようだ。制限30km/hの急カーブが連続し、川沿いに下っていく。このあたりは雨が多いせいか、スペインのイメージとは異なり山には木が多く、風景も日本と似ている。まさにスペイン版飯田線である。





 少し川の幅が広がったと思ったら、車窓に海が広がった。Zumaiaのあたりのようだ。この先、遠くに海を見ながら、トンネルが続く。「今は山中、今は浜」。このあたりは、伊豆急の雰囲気である。何か、スペインの鉄道に乗っている気がしない。乗り鉄の方には絶対にお薦めの路線である。





 リゾート地のドノスティアで、アンダイエ行きに乗り換える。今度は昨年2月に運用を開始したばかりの新車900形で、BIDAIDEの愛称が付けられている。




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 30分ほど乗って、スペインとフランスの国境にある小さな川を渡ると終点のアンダイエである。国際列車が走っているとは思えない、ホームが一本だけの何の変哲もないローカル線の終端駅である。駅舎は近年の建て替えかと思うが、シェンゲン条約が締結される前は、どのようにパスポートコントロールをやっていたのだろうか。




 無事、定時でアンダイエについて、ちょっとホッとする。本来は、ここアンダイエからパリ行きの夜行に乗るつもりであった。しかし、直前に行われたダイヤ改正で、夜行は週に3往復に減り、しかもペルピニャン経由となって大幅に時刻も変更となった。経路や時刻の変更は問題ないにしても、この日は走っていない日である。そこでボルドーまで行って、始発のTGVでパリに向かうことにした。1時間ほど当初の予定から遅れるが、所期の目的は達することが出来る。しかし、エウスコトレインが遅れてこの列車に乗り遅れたら、もう、今日中にボルドーに着く列車はない。大幅に予定の変更を迫られるので、遅れや乗り間違いは致命的だったのである。 ボルドー行きはスペインとの国際連絡として位置づけられている列車であるが、車両は近郊線用のディーゼルで、乗客もヒトケタしか乗っていない。結構、ゆっくり走っているように思ったが、235kmを2時間半ほどで走ってボルドーに着く。アンダイエ駅の売店で買ったサンドイッチにビールの夕食を車内で食べる。アチュリで何も食べ物を買うことが出来なかったので、これが本日初の食事であるが、不思議に空腹感がない。





 ここで泊まったのが、駅前にあるEtapというチェーン店のホテル。朝4時からの朝食付き、料金前払い(56e)、テンキー方式のルームキー、ツインとダブルが選択できるベッドなど、まさに日本のB&Bといった感じのホテルで、ついに欧州にもこうしたホテルが出来たのか、と感慨を新たにする。鉄ちゃんには、もってこいのホテルである。





 ここボルドーにも路面電車があり、2004年に訪ねただけでその後をフォローしていないが、翌朝の出発が早いので、この日は静かに休むことにした。(駅長)









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2012年2月 6日 (月)

伊豆急クモハ103の撮影に行ったけれど・・・・。2012/2/4

 昨秋、復活なった伊豆急クモハ103が団体臨時で走るとのことで私も2月4日の土曜日に伊豆方面に出かけてきました。 素晴らしい成果を上げられた出札掛さんと同じ日に伊豆方面に出かけていたわけですが、当方は散々な目に・・・。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まずは電車運転士さんからご教示いただきました伊豆稲取の温泉街の先の海岸に降り手前に海を入れて1枚。運良く5次車のアルファ・リゾート21が来ました。


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本日の目的クモハ103は単行なのでどうやって撮ろうかと思い、電車運転士さんにお聞きしたところ「海が切れない範囲で引っ張って撮ったらどうか?」とのアドバイスをいただいたのですが、ついつい順光側のどアップの位置に行ってしまい何の変哲のない写真になってしまいました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

その後から来る伊豆急旧塗装になったリゾート21のドルフィン号をあと追いながら何とか綺麗にキャッチ。

 この後、クモハ103の戻りを順光で海を入れて取ろうと伊豆北川に向かいました。


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伊豆北川の定番撮影地に到着し、まず踊り子108号をキャッチ。

 次はいよいよクモハ103の戻りということで同業者4人と待つものの定刻を過ぎても現れず、伊豆高原到着時刻になっても現れず・・・。どうなっちゃったの???

 するとちょっと下のポジションにいた同業者が列車無線の傍受していたらクモハ103が河津で動かなくなったらしいとの情報をくれました。故障の影響で伊豆急全線が止まってしまったようで、救援列車がクモハ103を引き上げて伊豆高原まで来ないと上り列車も来ないらしいとのこと。

 移動の手段もなので仕方なくここで待ちぼうけ。そのうち山の影がだんだん線路に掛ってきて、海を入れての撮影はアウトに。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 結局、クモハ103は定刻1時間半遅れで8000型に牽引され帰ってきました。これはこれで貴重なシーンですが…。

 この後、全線で運転も再開されたのですが、あとのスケジュールがガタガタになり予定していた沼津でのあさぎり撮影を断念。


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 伊豆箱根1100型の大場~三島二日市間での撮影も日暮れぎりぎりになりなんともしまらない写真となってしまいました。


 同じ快晴の2月4日の成果報告ですが、出札掛さんとは雲泥の差になってしまいました。お粗末!(車掌長)


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【旅話-3】雨のビルバオ-2

 ようやく問題が解明できたので、その勢いで続きをアップします。


 しかし、天気が悪いのは如何ともしがたい。傘が必要な雨の降り方ではないが、レンズは濡れるし暗くなる。午後3時には見切りをつけて、サン・マメスのバスターミナル近くに予約してあったホテルにチェックインをする。

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 とはいえ、ここで視察をやめては如何にも勿体ない。荷物を減らして、次の目的であるネルビオン川河口にある世界遺産のビスカヤ橋を見に行くことにする。船の運航を妨げないよう、両側に鉄塔を建て、それを結ぶゴンドラを吊り下げて人や車を運ぶ運搬橋で、1893年に建設された。2006年に世界遺産に指定されてから注目を集めるようになったが、前回の訪問はその前であったため、この橋のことを知らず、訪れていなかった。(知っていても時間の関係で無理だっただろうが)今回は、その再履修である。ビスカヤ橋のあるゲチョの町までは地下鉄が運行している。ノーマン・フォスターの設計であるこの地下鉄もデザインに優れており、世界で最も美しい地下鉄と評されている。


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LRTの建設計画があるレイオアで下車して調査した後、ビスカヤ橋のあるロス・アレナスで降りる。町中を5分ほど歩くと、川沿いにビスカヤ橋の鉄塔がそびえ立つのが見える。餘部鉄橋ほどの高さがある橋は、エッフェル塔をしのばせる古風な造りとあいまって、なかなか見応えがある。せっかく来たので、対岸のポルトゥガレテに渡ってみる。運賃は、昼間で0.35e(約35円)(深夜は1.2e)である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 ポルトゥガレテには、スペインの近郊電車であるセルカニアスの駅があるので、帰りはここからそれに乗って帰ることにする。運行は30分間隔で、しばらく待つと中心駅であるアバンド行きがやってくる。この車窓も今回の目的のひとつである。先にビルバオは製鉄業の中心地と書いたが、その現状を見るためである。


 車窓を見ていると、廃墟となった工場やその跡地が目に付く。スペースワールドこそ無いが、ビルバオ一帯は北九州市とよく似ており、ポルトゥガレテはさしずめ若松市で、ビスカヤ橋は若戸大橋と考えればそれほど違っていない。15分ほどで長距離列車の発車するアバンド駅。前回、来た時にこの駅の場所がよくわからなかったが、降りてみて納得。駅ビルがあるわけではなく、商業ビルのような外観の建物の2階にコンコースとホームがあるのである。東急の渋谷駅をイメージしてもらうとわかりやすい。これで、前回訪問時に見逃していた所をすべてみたことになり、ようやく長年の宿題を解きおえた気分である。


 もう周囲も暗くなってきたので、地下鉄でホテルに戻り、荷物を置いて今度は食事と町の見物である。路面電車に乗って、名物のピンチョスを食べようとカスコ・ビエホに戻り、迷路のような旧市街を歩き回る。しかし、「地球の歩き方」に乗っているレストランは、地図がおおざっぱすぎて、場所がよくわからない。適当な店に入って、ビールと共に注文。海鮮類などを載せたピンチョスが1個1.8ユーロで、3軒ほどハシゴをしていろいろなピンチョスを楽しむ。欧州に来ても、夜はオペラか移動の時間に費やしているので、こうしてゆっくり町歩きを楽しむ機会はなかなかない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 2軒目で食べたピンチョス(右)とスペイン風サンドイッチ。これにビールをつけて600円くらいである。

 明日はバスでビトリアを往復する。(駅長)



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【旅話-2】雨のビルバオ

m(_ _)m

(ご注意)以下の文章は海外物であることに加え、個人の備忘録的色彩が強く、かなり長めとなっておりますので、興味のない方はご覧にならないことをお薦めします。



 旅行記も1回だけのせて、随分時間が空いてしまった。記事のアップの仕方がまずかったのが理由である。しかし、その理由もようやくわかり、アップすることが出来た。もう海外物を読まなくて(読まされなくて)すみそうだ、と安堵された方もいるかもしれないが、そう言わずにおつき合い頂きたい。 

116日  MUC 9:10LH1824BIL 11:25

      ビルバオ空港11:30TAXIDERIO11:40

      DERIO 12:09EUSKOTRENCASCO VIEJO 12:28

         SAN MAMES 15:40METRO BILBAOLEIOALOS 

ARENAS16:15

      PORTUGALETE 17:03CERCANIASBILBAO ABANDO

         17:20

 今日は、午前の飛行機でスペインのビルバオに移動する予定である。ところで、ビルバオってどこ?ガイドブックにも出ていなけれど・・・。位置的には、フランス国境に近いスペインの上の方なんですが・・。

 むかーし、地理の時間にスペインを代表する工業地帯として、ビルバオの名前は習っていないかなぁ。世界的な製鉄業の中心地だったんですけどね。


 ここに行く目的は、ひとつには欧州にはめずらしく、何本もの民鉄路線とLRTがあり、2003年に訪問したとき、事前の勉強不足とわずか半日という時間の短さがたたって十分に見ることができなかったこと。もうひとつには、そこから60kmくらい南にあるヴィトリア(ガスティス)に2008年にLRTが開業したので、それに乗ることである。

 今日も天気は快晴である。これは良くない。実に良くない。欧州で冬に天気がよいのは珍しいと聞く。それが二日も続いたら、後はどんな天気になるのか。想像するだけでも恐ろしい。それが、二日とも撮影日ならともかく、移動が中心の日なのである。しかも、西に移動し、その目的地であるビルバオの天気は、予報では雨となっているである。なんとか予報が外れていて欲しい。まさに祈るような気持ちでタラップを登った。

 上空から見ていると、ドイツは雲ひとつない快晴である。フランスも快晴。しかし、スペインが近くなると雲が出ている。高度を下げると雲の中・・・・全然、地上が見えない。空港に降りるとシトシト雨。周りは夕方のように暗い。あちゃー、やられた。スペインまで来て雨に降られるとは・・・。(調べてみると、このあたりはスペインでも雨の多いとこらしいです。それにしても・・・)

 さて、まずの目的は、ビルバオの旧市街カスコ・ビエホ(CASCO VIEJO)からトンネルを抜けて空港の南側を走るエウスコトレン(バスク鉄道)のTxoriherri線の乗車である。この路線、カスコ・ビエホのあたりでは、滅茶苦茶な急カーブで180度線路の向きを変えていることが地図から読みとれ、何としてもその状況の把握をしたい路線であった。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 地図を見ると、途中駅のデリオは空港から近そうなので、タクシーで向かう。


 このエウスコトレン、電車が主体であることから、駅の造りも簡素で、まさに日本の私鉄そのものである。イメージとして、単線時代の小牧線の春日井から上飯田に向かうような感じだ。手持ちの路線図にないSONDICAという駅が出来て、そこでスイッチバックする運転に変わっているので、どんなところかと思ったら、案の定、スペインお約束の住宅バブルによる新興住宅地であった。

 長いトンネルを抜けると、眼下にネルビオン川沿いに広がるビルバオの町が一気に開ける。トンネルの出たところは山の中腹で、かなりの勾配で町の中心に向けて下っていく。車輪をキーキー言わせてトンネルを抜けるとカスコ・ビエホ。トンネルの間にホームやポイントがあり、まるで飯田線の大嵐である。

「はなぶさ」に集まる仲間たち



 外に出ると見覚えのある光景が広がっていて、路面電車が走っているのが見える。前回、訪れた路面電車路線からわずか200mほどだ。これほど近いのに、この駅の調査に訪れなかったのは事前の勉強不足、そのものである。


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 ビルバオの名を世界的に高めたのは、1997年に建築家のフランク・ゲーリーが設計したグッゲンハイム美術館で、その特異な形態は写真等でご覧になったこともあろう。ビルバオでは、世界の著名建築家を使い、デザインを活かしたまちづくりを行った。国鉄の操車場や造船所の跡地を再開発したビルバオの都市開発は、都市計画の教科書には必ず載るほどの成功をおさめた。その再開発地への足となっているのが路面電車である。デザインという名の博覧会を開催しながら、その後、なんらまちづくりにデザインが活かされているとはいえない日本のある都市とは大きな違いを感ずる。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 前回、ビルバオを訪れた時はグッゲンハイム美術館までの区間運転であった。そのため、今回は以前と比較できる写真を撮影すると共に、新しく開業したアバンドイバラ地区を中心に視察する。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 グッゲンハイム美術館をバックに、新旧の比較写真が撮影できれば、今回の所期の目的は達成である。(この写真は翌日の撮影)


 はからずも続く。(駅長)




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138.飯田線119系最後の冬 2012/2/5

  このところ寒波の影響で厳しい寒さが続き、天気が安定しない日々が続いておりましたが、先週末(2月4・5日)は寒さも和らぎ、太平洋側は絶好の鉄日和になりました。とくに2月4日は天気予報と天気図を見ると終日富士山が姿を現すのは確実で、出札掛様が緊急出動されたように自分も出動したくてうずうずしておりましたが、よりによって秋にレーザー手術をした網膜裂孔の定期検診と家族運用が重なってしまい、せっかく終日富士山が見えているのに現地へ向かうこともできずに悶々とした時間を過ごしていました。そんな中、とある筋から飯田線の119系E4編成(スカイブルーに白帯のリバイバル色)が2月5日は絶好の撮影時間帯に飯田線北部の2両単独運用に入るという情報をいただき、中央アルプスも見えそうな天気予報だったので、富士山の代替としては物足りなさを感じながらも2月5日の未明に伊那谷へと車を走らせました。高速代を節約するために南木曽から昼神経由で飯田まで国道256号線で山越えをしましたが、南木曽から昼神までは夜中に新雪が積もって圧雪・アイスバーン状態で、冬タイヤに交換はしていたものの通常の速度で走ることはできず、時間的にやばいかなと思いましたが、何とか予定の時間に現地へ着くことができました。冬の山道は思わぬところで積雪や路面凍結があるので、多少の出費を覚悟しても高速を使うべきだったかなと少し反省です。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 1本目のE4編成の運用は早朝の1502Mでしたので、高遠原~七久保の定番ポイントへ向かいました。中央アルプスが朝陽に赤く染まっていい感じになっていましたが、七久保発車が6時56分と早すぎ、この時期では列車に陽は当たってくれませんでした。この日は朝の冷え込みが厳しく、現地の気温は-9℃、しばらく寒さとの我慢比べが続きました。

【2012.2.5 高遠原~七久保】(電車運転士)



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 23分後の1504Mは何とか列車にも陽が当たってくれました。霞みもほとんどなく、中央アルプスの稜線も青空にくっきりと浮かび上がり、何となく荘厳な雰囲気が感じられました。

【2012.2.5 高遠原~七久保】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 次は田切~伊那福岡の中田切川の鉄橋俯瞰ポイントです。もう少しカメラを右に振りたいところですが、木が生い茂っているため、このアングルが限界でした。車両は119系ではなく、1501Mの213系ですが、自分は飯田線の213系は初お目見えでしたので、アップさせていただきました。以前にご紹介させていただいた時は横構図でしたので、今回は中央アルプスを強調したいこともあって縦構図にしてみました。

【2012.2.5 田切~伊那福岡】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 119系の1503Mはせせらぎを入れてみたくて川原に降りてみました。中央アルプスは小さくなってしまいますが、雪化粧しているため、存在感は失われていないように思います。濡れている石の表面はまだ凍っており、滑って転んで川にはまらないように注意したつもりですが、右足が川にはまってしまい、身を切るような冷たい水の洗礼を浴びてしまいました。

【2012.2.5 田切~伊那福岡】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 1502Mで天竜峡まで行ったE4編成は237Mで戻って来ます。この日の本命列車となりますが、振り返ってみるとE4編成のまともな走行写真は撮ったことがなかったので、定番ではありますが、七久保~伊那本郷のポイントで狙うことにしました。今回は中央アルプスを強調するために少し下がった位置にポジションをとりました。七久保の発車は10時27分、風景・光線とも絶好の条件だったため、20人くらいの同業者が集結していました。

【2012.2.5 七久保~伊那本郷】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 E4編成の237Mを撮影後、怪しい薄雲が広がったと思っていたら、あっという間に空を覆い尽くし、昼過ぎには条件が悪くなってしまったので、中央アルプスに関係のない天竜峡俯瞰ポイントに移動しました。昨年の紅葉シーズンにも訪れた場所で、その時は先客がいたため、もう少し左側のポイントから狙いましたが、天竜川と鉄橋のバランスはこちらの方がよさそうです。519Mが冬枯れの風景の中を走って行きますが、やっぱりここは紅葉か新緑の頃がベストですね。

【2012.2.5 千代~天竜峡】(電車運転士)

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2012年2月 5日 (日)

日本晴れの下で日本一の山を

2月4日(土)未明、突発的に出かけてしまいました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

前夜の天気予報によると御殿場の降水確率は0%。ご覧のとおり見事に晴れ渡りました。

残念な事に、1月28日にアップした拙作の記事に自分でコメントしたとおり、線路左手奥では1月中旬から農地改良?工事が始まりました。立ち位置が線路から離れるにつれて、カラーコーンの並びやトラック、重機がアングルに入ってくるので、これらをできるだけ目立たせないように正面がちにポジションを取りました。本当なら駅長様の撮影された立ち位置がベスポジでしょうが・・・でも冠雪の量は勝りました!?



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あさぎり2号通過15分前の様子です。お召かSLでも走るかのような大賑わい!早朝5時過ぎに現地入りしましたが、この時点では置きゲバと脚立15件ほどでした。



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「富士山トレイン117」を、どうせなら列車名にあやかり富士山とのコラボで狙いたい、が、岩波のお立ち台はどうせ満員であろうと思案しながら移動中、たまたま同業者数名が道沿いでスタンバイしている姿が目に入りました。

車体側面には富士山が描かれているので、面白いコラボになりました。こうした装飾には賛否両論ありますが、もともとイベント用編成なので「お祭り」ということで大目に見ましょう。

写真は富士岡~南御殿場にて。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

某ブログで目にした山北~東山北の富士山バック俯瞰にトライしました。地図を頼りに適当に登ってみると、ブログの画像より少し北寄りの位置にたどり着いたようですが、こちらのほうがバランスよく収まるように思われます。カーブの奥でシャッターを切れば順光写真になりますが、編成後方(ダブルデッカーより後方)は木の陰に隠れます。この場所、途中までは車で登っていけるのでそれほど苦になりません。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

午後からは小田急線屈指の撮影地、新松田~渋沢でロマンスカー等の撮影に挑みます。うっすらと冠雪した丹沢山地が目にとまりました。

実は、偶然にも後部には、残り1編成となった今春引退の5000形が連結されているのですが(わからん!)、振り向いて後追い撮影をしたくてもこの場所からは不可能でした。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

某ゴルフ場へ向かう道からの俯瞰です。小田急の俯瞰撮影地としていくつかのブログで発表されている場所ですが、この日は独占でした。昼までは、画像に見えるあぜ道や堤防道から順光で編成写真を撮影できるため、同業者が写り込む恐れがあります。しかしそれほど気にならないかもね。

写真は、今春で引退し富士急行に譲渡される?RSE「あさぎり3号」、300mm相当。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

カメラを少し右に振れば、こんな場面が眺められます。やはり今春で姿を消すHiSEを捉えました。山の向こうには秦野の街並み。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

お立ち台からは、こんな見晴らしです(120mm相当)。雪をかぶった大山が眺められます。これをファインダーに入れると画面左端の中ほどに木の枝が写り込んでしまうだけでなく、列車がかなり小さくなるため、少しは存在感を出せるよう白い車両が来るのを待ちました。

この日は、小田急線内での急病人や信号故障などの影響で午後からダイヤが乱れ、ロマンスカー等も定時に現れずにやきもきしましたが、上下列車とも姿が見えてから撮影ポイントにかかるまで一呼吸あるので、お目当ての列車がいつ来ても焦らずにスタンバイできます。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

夕方になり、秦野の築堤アウトカーブへ移動しようとするも、車の交通量が多く時間が読めないため、諦めて新松田周辺でお茶を濁しました。

ダイヤは相変わらず乱れており、おかげでターゲットの列車を見逃してしまうなど判断力も鈍り、気分的にも体力的にも疲れてきました。逆光に輝くシーンが撮れそうな場所を見つけたので、比較的定時で来るであろう、と上り「あさぎり6号」狙いに集中。窮屈なアングルですが、どうにか夕日を受けたダブルデッカーまでフレームに入ってくれました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

ピーカン天気の締めくくりに、最後のカットはシルエット富士にしようと新松田東方の富士山バック定番お立ち台に移りました。折りしもやって来たのは、残照を受けて新宿に向かう新塗装のLSE。公式にもあるとおり、LSEの新塗装は今春で見納めとなり旧塗装オンリーに。個人的には旧塗装が好みなので嬉しいものの、まさかこんな展開になろうとは。


丸一日晴天の下で撮影を堪能できた代償に、車のエンジンの調子が悪くなり、部品交換を伴う修理となりました。(世の中そう甘くはない:出札掛)






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