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2012年1月

2012年1月29日 (日)

137.豊橋鉄道「おでんしゃ」 2012/1/27

 毎年、職場で「おでんしゃ」の貸切運転を行っていますが、今年も1月27日に乗る機会がありました。貸切料金は93,000円で30人で頭割りすると1人当たり3,000円ちょっと、おでんを肴に酒を飲みながら電車に揺られる約1時間30分の行程です。鉄オタでなくても結構楽しめる企画だと思います。当然、酒を飲んでそのまま帰ってくるのはもったいないので、カメラを忍ばせ、市内線のプチ夜間撮影鉄をやってきました。デジカメの恩恵で、手持ちで割と手軽に夜間撮影ができるようになったのはありがたいことです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 「おでんしゃ」は運動公園前で折り返しますが、ここでトイレ休憩を兼ねるため、20分くらい停車します。この間に停車中の「おでんしゃ」を撮ることができます。通り過ぎる車のライトを光源にすれば正面にも光が当たります。

【2012.1.27 運動公園前】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 「おでんしゃ」でしこたま飲んだため、いい加減酔っぱらっていましたが、気を確かに持って駅前の交差点で「おでんしゃ」の回送を流し撮りしてみました。電球でイルミネーションされているため、夜の街の雰囲気にもしっかり馴染んでくれます。

【2012.1.27 駅前~新川】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 ペデストリアンデッキの上から駅前電亭に停車中の電車を撮ってみました。ここは屋根があるので、正面がちにしか撮ることができませんが、明るさがあるので助かります。

【2012.1.27 駅前】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 同じペデストリアンデッキ上ですが、今度は新川方面を向いて撮ってみました。豊橋駅前のメインストリートなので、街の中心部らしい雰囲気が感じられます。動体ブレを防ぐため、電車が信号で停まった時がチャンスです。

【2012.1.27 駅前~新川】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 「ヤマサちくわ号」となっている元都電の7000型です。市内線の車両はホットラム・800型・「おでんしゃ」」になっている3200型以外はすべて広告電車になっています。おそらく、7000・780型は豊橋へ来てから一度もクリームに赤帯のオリジナル色にはなったことがないんじゃないでしょうか? 違っていたらゴメンナサイ。

【2012.1.27 駅前~新川】(電車運転士)

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2012年1月28日 (土)

たまには“小田原急行”

最近、個人的に注目しているのが、今春3月のダイヤ改正でJR371系を含め4車種もの車両が一度に姿を消す小田急電鉄です。なかには第二の職場が用意されている車両もあり、すべてが丸ごとなくなるわけではないのだが、できるだけ第一線で活躍しているうちに目に焼き付けておきたいものです。

しかし、小田急を含め大手私鉄の撮影等ともなると、わざわざ出かけるような事もなく、やはり何かのついでがなければなかなか足が向きません(私鉄ファンの皆様すみません)。そんなことだから、毎度のこと「あ~、撮っておけばよかった」と後悔してばかり。また今回も同じ目に合うのかな、と自分の撮影した小田急を回想してみましたが~~。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

自分たちの世代では、小田急といえばNSEこと3100形です。曲線美あふれるフォルムには、地元で見慣れた名鉄パノラマカーとは違った魅力を感じます。前面の愛称板はデビュー当初からアクリル板式でしたが、後年の車体更新時に電動幕式となりました。更新前のNSEをとらえた画像は、何気なく撮影したこの1カットのみ。この日は18きっぷで大井川SL撮影後のついでに立ち寄ったため夕方近い時間となり、撮影もそこそこにして切り上げました。 1985/12/25 富水



「はなぶさ」に集まる仲間たち

同じときに撮影したLSE車7000形です。この10年後、車体更新時にHiSE車に準じた塗装となりましたが、その後1編成のみは再び元の塗装に戻されています。近年ATS改造工事を施していることから、まだまだ活躍し続けることが期待できそうですが、まさか後輩のHiSE車が一足先に引退してしまうとは誰が想像したでしょうか。 1985/12/25 富水



「はなぶさ」に集まる仲間たち

年末年始の「北海道鉄」から帰宅途中、ついでに立ち寄った新宿駅南方の踏切にてHiSE車を撮影しました。この時ここで撮影したのは、なぜかこの1カットのみです。デビューして間もない頃だったので、おそらく珍しさにつられて途中下車したのでしょう。 1988/1/4 新宿



「はなぶさ」に集まる仲間たち

日本車両で落成したRSE車の甲種輸送を豊川橋梁で撮影しました。RSEとの出会いはこれっきりで、営業運転中の現役写真など持っているはずがありません(→決して小田急を軽視したわけではありません・小田急ファン様)。もしや検査掛様もどこかに赴かれていたのでしょうか? 1990/12/19 船町



「はなぶさ」に集まる仲間たち

RSE車と同時期に新造された1編成のみのJR371系は、しばらく名古屋地区でも試運転や展示会が行われました。名古屋駅では懐かしのボンネット「しらさぎ」と顔を合わせる場面も。 1991/2/3 名古屋



「はなぶさ」に集まる仲間たち

終焉迫ったSE車こと3000形の最後の雄姿を、このときばかりは二日間費やして“わざわざ”撮りに行きました。さよなら運転期間のため、スペシャルマークが装着されています。二日ともに天気はそれほど良くならず、富士山なんてとんでもない。というわけで、松田の短絡線にて撮影したカットを載せます。SE車は正面ドカンよりも7:3写真のほうがカッコ良く見えますが、いかがでしょう。 1991/3/9 松田



「はなぶさ」に集まる仲間たち

勤務先の全社員旅行で箱根温泉に出かけた際に、大宴会中の旅館を少しだけ抜け出して夜の小田原駅に繰り出しました。あてもなくホームにて小田急の撮影をしていたところ、5000系列の5555号車の編成に出会うことが出来ました。この編成(5255F)は最後まで残った5000形ラスト2編成のうちのひとつで、1月8日をもって運用離脱。駅撮りではロクなアングルが得られませんが、シャッターを切っておいてよかった、かな・・・。小田急通勤電車の顔として長い間活躍してきた5000形も、いよいよ終焉です。 2008/8/23 小田原


JRネタが少しずつなくなりつつある昨今、たまには視点を変えて大手私鉄にも目を向けると、意外なお宝に出会えそう。(出札掛)






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2012年1月27日 (金)

【旅話-1】冬の欧州で天気快晴・・・しかし・・・

【ご注意】以下の文章は海外物であることに加え、個人の備忘録的色彩が強く、かなり長めとなっておりますので、興味のない方はご覧にならないことをお薦めします。m (_ _)m



1月14日  NGO 8:20-NH338-NRT 9:25
       NRT 12:50-NH207-MUC 17:05
       ミュンヘン空港駅-S8-ミュンヘン中央駅
1月15日  ミュンヘン中央駅 7:17-EC196-ザンクト・ガレン 10:41
       ザンクト・ガレン 11:48-ICN1524-チューリヒ中央駅 12:53
       チューリヒ中央駅 13:30頃-Sバーン-シュタデルホーヘン 13:33頃
       シュタデルホーヘン 17:30頃-Sバーン-チューリヒ中央駅 17:33頃

       チューリヒ中央駅 18:16-EC197-ミュンヘン中央駅 22:45


 1月にヨーロッパに行って来た。ヨーロッパには何度となく行っているが、冬の時期は初めてである。この時期のヨーロッパは、寒いのはともかく、日照時間が短い上に、天候が悪くて昼でも夕方のような暗さという。写真を撮影するのに、こんな不適切な時期はない。多少、航空運賃が安くても、割にあわないと思っていた。


 こんな時期に欧州に行くことになったのは、ひとえに原発事故が理由である。


 鉄道と並ぶ筆者のもうひとつの趣味は、オペラである。これまでも、撮影に併せてスケジュールを組んで、海外のオペラハウスを訪ねてきた。その数は、両手の指ではもはや足りない。その筆者が楽しみにしていたのが、2011年の来日公演であったが、聴きたかった歌手たちの何人かが、原発事故を理由に来日を中止してしまったのである。欧州では、チェルノブイリ事故以来、原発事故には敏感になっており、来日中止はやむをえないとは思うものの、今が旬の歌手たちの妙技を聴くために少なからぬ金額のチケットを買って1年前から楽しみにしていただけに、多いに落胆したのはいうまでもない。中でも期待度満点だったのが、メトロポリタン・オペラ(米)のヴェルディ「ドン・カルロ」。もう、これ以上、何を期待する、というメンバーの豪華さだけに配役の変更は残念でならなかった。鉄道的に言うならば、C6120、D51498、C571、C57180、EF5861のそろい踏みと考えて貰っても、当たらずとも遠からず、である。


 しかし、来日を中止した歌手が出演し、まったく遜色がないメンバーによる公演が1月にミュンヘンで行われることがわかった。さらに情報を収集するなかで、同時期にチューリヒとパリで、これまた見逃せない公演があることに気が付いた。行程をうまく組めば、1週間で3つのオペラ、それも世界的に話題の公演を見ることができる。


 もう、これは行くしかない。コマッタコトダ(^^;)
 それがわかったときに、なんとか休みをとるべく、根回しを開始していたのであった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 海外に行っても、基本的には天井桟敷である。そこしかいけない。(^^;)


 こんな調子では、なかなか本題に行かないので、話は一気にミュンヘンに飛ぶ。着いた日は、ミュンヘンのバイエルン州立歌劇場の合唱として活躍されているKさんと10年振りにお会いして、駅から5分ほどのビアホール、Augustiner Kellerに行って、楽しい会食をする。メニューを選んで頂き、本日のランチということで、鹿肉(ジビエである!)をメインとした料理にビールで乾杯である。話も弾んで美味しかったこと。
 

 その翌日は、チューリヒ歌劇場でオペラをみるため、チューリヒまで日帰りで往復する。国境を越えて日帰りでスイスに行くなどとは大事のように思われるかもしれないが、ミュンヘンとチューリヒの間は列車で4時間ほど。感覚的には、名古屋と富山の間を往復するようなものである。通常、オペラの公演は夜に行われるが、この日は日曜で午後2時から5時までの公演であったし、ユーレイルパスがあればどこでも行けるので、こうした荒唐無稽の行程も容易にできてしまう。


 ミュンヘンとチューリヒを結ぶルートは、以前に一度乗っているし、確か検査掛さんも乗られたことがあったはずだが、クック時刻表の国際連絡のページでは経路を簡略化しているため、列車によって2つのルートがあることは知らなかった。メミンゲンとオーストリア国境に近い南側のケンプテンを経由するルートで、4往復あるユーロシティ(国際列車)の内、朝のチューリヒ行きと夜のミュンヘン行きが南側のケンプテン経由のルートで走る。


 朝7時17分、チューリヒ行きのユーロシティEC196はミュンヘン発車。あたりはまだ真っ暗であるが、7時半も過ぎるとようやく明るくなってくる。天気は良さそうだ。
8時半頃、陽が昇って雪原を赤く染める。南側にはオーストリア国境の山々であろうか、快晴の青空の下、パノラマのように山と湖水が広がり、実に美しい。昨夜、雪が降ったのだろうか。木の枝先には樹氷のように雪が着いて、それが朝日にキラキラと反射して、雪の精が降りてきたかのようだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 いやー、冬のヨーロッパも実に良いものだ。と、この時は掛け値なしに思ったものだが、その後、これが如何に甘い考えであったかを思い知ることになる。


 このままチューリヒまで行っても良いのであるが、少々、早いことからスイスに入った直後のザンクト・ガレンで下車する。ここから出ているアッペンツェル鉄道を見るためである。現在のアッペンツェル鉄道は、この付近の近郊鉄道を合併して2006年に誕生したようであるが、ザンクト・ガレンの駅前からはアッペンツェルに行く旧アッペンツェル鉄道線とトローゲンに行く旧トローゲン鉄道線が出ている。興味があるのは、旧トローゲナー鉄道線の方で、新式の低床車輌が入ったことからLRTに分類している洋書もあるので、LRTなのかどうか、それを自分の目で確認することが目的である。


 ザンクト・ガレンを降りると駅前にバスターミナルがあり、そこを貫くように単線の線路が伸びている。線路に沿って歩くと、右手にアッペンツェル線とトローゲン線の駅舎とホームがある。専用の駅舎とホームがあるし、運行は30分間隔で、どうやらLRTというよりも鉄道に近い運行形態のようだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 所期の目的は果たしたので、列車を撮影しようと思うが、これがうまくいかない。太陽の位置が低く、しかも快晴のため、影がきつくて、どうやっても影が入ったり、コントラストがついてしまうのである。この時期、障害物のないところで列車写真を撮るなら最高の条件なのだろうが、都市内で路面電車を撮影しようと思うとかなり場所を選ばなければならない、ということがわかる。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これは旧トローゲン鉄道線の低床車。


 ザンクト・ガレンからチューリヒまでは、スイス国鉄のインターシティで約1時間。列車はきれいに整備されているし、各列車に食堂車もついていて、快適である。
 チューリヒについて、駅前のバーンホフ通りを見ると、うまい具合に陽が当たっている。寸暇の時間を惜しんで市電を撮影する。ご存じのようにスイスはユーロを導入していない。何かあるといけないので、2000円を両替して、水を買う。構内売店のミネラルウォーターが、なんと4.3スイスフラン(約350円)。スイスの物価は高いと聞いていたが、目が飛び出そうな値段である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ところで、わざわざチューリヒまで聴きに行ったオペラは、ロッシーニの「オリー伯爵」。ロッシーニといえば、「セビリアの理髪師」ばかりが有名(というか、日本の教育のせいでイタリア系はドイツ系に比べて格下に見られているし、ロッシーニも早書きで粗製濫造・・・事実そうではあるけれど・・・に思われているが、聴けば聴くほどその良さがわかる)であり、かなりのクラシック通でも多分、この曲をしらず、かくいう私も見るのは初めてであったが、これが実に面白くて、音楽も楽しく、聴いていてウキウキしてくる。好色のオリー伯爵が、男性が戦場にいって女性ばかりの侯爵夫人邸に夜這いに行くが、小姓に邪魔されて思いが遂げられない、という単純な話であるが、歌手と演出、さらに劇場が良ければ、まさに熟成したワインを飲むかのような(飲んで味がわかるかどうか、不明だが)、至福の一時である。


 関心のある方は、こちらを見てね。印象は同じです。

 http://satoshiopera.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-7993.html


 オペラは午後5時に終了。オペラハウスの前は、郊外から市内線に乗り入れてくるフォルヒバーンのシュタデルホーヘンのターミナルとなっているし、少し北に歩けば市電路線が重なるベルビューのターミナルもある。もう陽は沈んで、西側にほのかに明かりが残るだけであるが、さすがにデジカメを使えば撮影が可能である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 フォルヒバーンの車輌は、スイス・スタットラーの製造の低床車で、全長は60mくらいになるだろう。こんなのが市内を走るのだから、呆れてしまう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 今回はユーレイルパスがあるので、路面電車に乗らず、シュタデルホーヘンからSバーン(国鉄近郊線)で中央駅に。まだ、乗車の列車まで時間があるので、再度、バーンホフ通りで撮影。まさにデジカメ様々である。フィルムカメラなら、撮影できずに欲求不満になってしまうだろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 スイスフランの処分を兼ねて、駅売店で夕食を購入する。500mlのカンビールが6.6スイスフラン(約550円)、定番のソーセージが6.9スイスフラン(約600円)で、昼に両替した2000円がなくなってしまった。後に、乗車したユーロシティの食堂車に行ったが、そこでのビールは6スイスフラン(4.7ユーロ、約500円)だったので、駅売りのビールが食堂車よりも高かったことになる。

 1等車でオペラの余韻を味わいながら、ぐっすり休んで、22時45分、ミュンヘン着。明日は、飛行機でスペインのビルバオに移動である。(ちなみに103形の写真は、この時に撮影しました)(駅長)



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2012年1月25日 (水)

ようやく今年の初撮り

 記事の掲載が滞ってしまった。


 いま、はやりのインフルエンザで寝込んでいるのではないか、と心配して、誰かが安否確認のメールでもくれればいいのであるが、そんなメールは一つも来ずに、宣伝のメールばかりである。


 また、どこかに海外逃亡?と思っている方もいるかもしれないが、この時期、欧米は日が短くて効率が悪い。では、どうしていたのか。

 実は、やっぱり海外逃亡であった。マタ、イッチャッタノネ(^_^;)

行き先は、欧州である。但し、主たる目的は鉄道ではない。「風が吹けば・・・」の例えではないが、行くきっかけとなったのは原発事故が理由である。

こんな時期に欧州へ何しに?とか聞かれると説明しなければいけないが、いちいち説明するのも面倒なので、備忘録を旅行記風に記してそれに変えようかとも思う。とはいえ、今回は乗り鉄が中心であるし(といって、もちろん撮り鉄もしているが)、それ以前に海外モノはあまり人気がない。また、今回の旅行の趣旨から鉄道以外のネタも少なからず含まれるため、読んで面白くない、との感想を持たれるかもしれない。

まあ、そのような形でも良ければ、本ブログで今回の旅行記(あくまで個人的な備忘録だが)を記してみることにしたい。

ちなみに今年の初撮りがこの写真。ミュンヘン中央駅で見かけたドイツ国鉄の名機、103形電機である。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


アムステルダム行きの夜行列車City Night Lineの客車を操車場から牽いて入線してきていたシーン。残念ながら、発見したらすぐに列車が発車してしまったため、撮影できたのはこの1枚だけである。


車号からみると、ミュンヘンの保存機である。聞くところによると、単に保存されているだけでなく、このように入れ換えに使われたり、まれには波動用として定期列車を牽くこともあるようだ。ゴハチ最期の頃の122とか157、あるいは89といったイメージだろうか。


以前、本ブログで紹介した103-184-8はピッカピカであったが、本機は適度に汚れていて、いかにも現役時代そのままといった感じである。客車こそ、最近のドイツ鉄道色となっているが(それゆえ、最近撮影した写真であることがわかる)、103形が停まっている姿は、まさに時間が10年もさかのぼったような感慨を受けた。しかし、いかにも堂々としていて、良い雰囲気である。

こんなのが最初に撮れると言うことは、今年は良い年になる、のかな。(^^)(駅長)



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2012年1月23日 (月)

136.新宮電化直後のDF50 1979/3/26・27

 無事に(?)受験シーズンも終わり、様々な呪縛から解放され、四国から帰った後はノンビリした日々を過ごすか、さらに鉄活動するかと考えていたところ、父親の転勤が決まり、姫路から多治見へ引っ越すことになり、それどころではなくなってしまいました。結果、姫路在住は中学・高校の6年間でしたが、この間に鉄の醍醐味を覚えてしまい、麻薬中毒のように線路端に出没するのが当たり前といった人生の大きな転機を迎えることとなりました。とくに印象に残っているのが播但線のDD54、自宅近くで身近に接することができたこともあって、高校3年間のライフワークのように撮り貯めることができました。

 引っ越しもひと段落し、後は次の学校の入学式を待つばかりでしたが、たまたま見かけた某雑誌に紀勢本線の荷坂峠の撮影ガイドが掲載されており、「これはどうしても行ってみたい!」という衝動に駆られ、入学式までには1週間ほど余裕があったので、「2日くらいなら大丈夫だろう」という思いから、まだ少し残っていた荷物整理は放置プレイにして名古屋から夜行の「紀州」に乗り込みました。

 このところ、DF50ネタが続いており、「またか!」と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、箱型ディーゼル機関車としてインパクトの強かったDD54が引退直後ということもあって、当時は箱型ディーゼル機関車に執着があったのかもしれないということで、どうかお許しください。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 7か月前の夏と同じパターンで夜行「紀州」を新宮で下車、まずは「紀伊」狙いで王子ヶ浜の俯瞰ポイントに向かいました。新宮~紀伊勝浦は電化区間となっていましたが、区間が短いことからDF50がそのまま紀伊勝浦まで入線していました。今回は少しサイドにまわって風景を大きく入れてみました。DF50の次位にはスハネフの代用でスハフが連結されていました。

【1979.3.26 新宮~三輪崎】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 「紀伊」1本だけではもったいないので、もう少し粘っていたら客車の鈍行列車がやって来ました。EF58が牽引するのを目の当たりにして、電化されたんだということを実感しました。原板をルーペで拡大して見たらブタ鼻に改造された大窓機の66号機のようです。ちなみに、貨物列車はEF15が担当していました。

【1979.3.26 新宮~三輪崎】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 新宮で発車待ちの381系「くろしお」です。中央西線と同じサロ組み込みの9両編成でしたが、こちらは「くろしお」用に新製されたため、先頭車はすべて非貫通の100番代でした。半年前まではディーゼル王国の様相を呈していた紀勢本線ですが、この光景でさらにダメを押された感じがしました。ただし、「きのくに」は近い将来に特急格上げが画策されていたのか急行型電車の配属がなく、そのまま気動車での運転が継続されていました。





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 王子ヶ浜を撤収後、少しだけ長距離移動して行ってみたかった相賀の鉄橋を訪れました。ここは今でも熊野灘を望むお立ち台として健在ですが、当時は木が成長してなかったので、広々としたアングルが可能でした。午後のワムハチの貨物列車を待っていたらラッキーなことにDF50の重連でした。このブログを書いていて気づいたことですが、この時は鉄製の橋桁だったものが今はコンクリート製のものに架け替えられています。DF50の重厚なジョイント音の後にワフとワムの単調なジョイント音が周囲に響いていました。


【1979.3.26 相賀~尾鷲】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 相賀鉄橋での撮影を終え、尾鷲に戻りました。DF50の普通列車を待たせてキハ80系の「南紀」が名古屋に向けて豪快に発車して行きます。当時の紀勢本線東部の両雄の対面でした。


【1979.3.26 尾鷲】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 夜の亀山で時間を潰し、夜行の「紀州」で紀伊長島に向かって上りの始発列車を待ちました。今回のメインの目的だった荷坂峠に挑戦するためでしたが、紀伊長島からでは上り坂がきつそうだったので、一旦、列車で梅ヶ谷まで移動してから峠を下る計画を進めました。国道42号線の荷坂トンネルを迂回するように小径があり、その途中に遥か熊野灘と紀伊長島の街を望むことができるポイントがありました。今回の撮影行で一番行ってみたかったポイントでした。DF50が必死に喘ぎながら歩くような足取りで峠を登って来ました。


【1979.3.27 梅ヶ谷~紀伊長島】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 前の画像のポイントからそのまま小径を下ると紀伊長島の手前、今でいうと国道42号線から熊野灘レクリェーション都市公園への道が分岐するあたり(道の駅のある交差点)に降りることができました。その途中で後ろを振り返ると山の中腹に紀勢本線の鉄橋が見えました。何か天空に架かる橋のような雰囲気が気に入り、ここでDF50の貨物列車を待ちました。


【1979.3.27 梅ヶ谷~紀伊長島】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 予想より早く下界へ降りることができたので、予定に入れていなかった名倉川の鉄橋までもうひと頑張りしてみました。この頃は鉄橋の斜面は両側とも植林がされたばかりで、俯瞰からかぶりつきまで自由にアングルを選ぶことができました。これから荷坂峠に挑むDF50の客車列車です。なお、30年以上経った今では当時の幼木はしっかりと成長し、残念ながらこのようなアングルでは撮ることができません。

【1979.3.27 梅ヶ谷~紀伊長島】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 前の画像と同じポジションから鉄橋の向こうを見るとこんなアングルも撮ることができました。立ち位置を変えずにまったく違うアングルで撮ることができたので、何か得した気分になりました。たまには違う車両ということで、キハ80系の「南紀」をアップします。シャッターを切るタイミングをミスって保線小屋を隠し損ねたのはご愛嬌として大目に見てやってください。


【1979.3,27 梅ヶ谷~紀伊長島】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 最後は鉄橋かぶりつきアングルです。こちらは峠を下る紀伊長島方面への下り列車です。トンネルを抜けて鉄橋を渡る轟音とともにDF50の客車列車が目の前を通過して行きました。


【1979.3.27 梅ヶ谷~紀伊長島】(電車運転士)




 これまで、数回にわたって紀勢本線のDF50をご紹介させていただきましたが、少し前に駅長様がさよなら運転の様子をアップされていたとおり、この時からおよそ1年後に紀勢本線からDF50は姿を消してしまいました。さよなら運転は東北方面へ長期の撮影行に行っていたということもあって参戦できませんでした。その後しばらく、紀勢本線からは足が遠のいてしまいましたが、DD51の貨物列車が注目を浴びるようになってから紀勢本線詣でが復活しました。今は行き交う車両は様変わりしてしまいましたが、風光明媚な景色はまだまだ健在ですし、貴重となったDD51の貨物列車も継続して運転されているので、紀勢本線詣ではこれからも続くことになりそうです。


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2012年1月21日 (土)

金山総合駅前夜と初日

駅長様の名鉄金山橋駅の記事に刺激を受けて、懐かしさを抱きながら自分も少しだけ参戦。


JR・名鉄・名古屋市地下鉄の三社が集結する金山総合駅。それぞれの駅の所在地を調べると、JR・名古屋市地下鉄は中区の住所になっているのに対し、名鉄だけは熱田区に入っています。もともと名鉄は「金山橋」の時代から熱田区だったので、その事が関与しているのか、たまたま本屋が区画に入ったのか、それとも別の理由があるのか、詳しいいきさつは知りません。なんだか金山総合駅にまつわるトリビアネタになりそうですね。えっ、とっくに知ってる?


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高校生の頃までは名鉄電車の駅撮りに足繁く通い、やがて通学・通勤で毎日のように利用することになった金山橋駅は、長い間お世話になった、いろいろな思い入れのある駅でした。


【金山橋駅最終日 1989/07/08】


「はなぶさ」に集まる仲間たち

会社からの帰宅時(←通勤ルートです)に、下りホームを岐阜方から撮影しました。すでにホーム屋根の一部は撤去されています。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

駅構内には惜別プレートが飾られました。乗降客の姿が写らないタイミングでシャッターを切りましたが、写っていたほうが良かったのかも。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

金山橋を発車する最後の列車は、上り最終の準急鳴海行き。画像を見る限り、列車は何の変哲もなく普段どおりなのでキャプションを付けないとわかりませんが、画像全体を見ていただければ最終日の雰囲気を感じ取っていただけるかもしれません。

最終列車のあとも改札口付近では何人かが残っていました。自分も最後の姿を目に焼き付けようと構内をうろうろと眺めていたとき、駅長さんが駅務室から出てきて我々に向かって御礼のあいさつをされました。今でも強く印象に残っています。こちらも拍手で応えました。



【金山総合駅初日 1989/07/09】


「はなぶさ」に集まる仲間たち

日付が変わり、いよいよ金山総合駅のスタートです。記念式典や駅構内を一通り見学しようと、意気込んで新生金山駅へさっそく足を運びました。

まずJR東海では、総合駅化に伴い新設された東海道本線のホームにて出発式が催されました。記念列車に充当されたのは、総合駅開業に合わせて新造された311系による新快速蒲郡行き1122M。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

続いて、名鉄では下りホームで発車式が催されました。ミスナゴヤが華を添えます。記念列車は1010F使用の新岐阜行特急103レ。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

再び名鉄では、金山駅オープン記念ツアーの団体客が乗車する列車の発車式も催されました。充てられた列車は「北アルプス」、懐かしいキハ8000系が記念HMを掲げてお出ましです。駅長が右手を高々と上げて発車合図。~電車運転士様、このときはお世話になりました~



「はなぶさ」に集まる仲間たち

蒲郡から折り返してくる記念列車(1129M)を待ちました。律儀に記念HMまで用意され、JRさまも気合が入っています。当時は新鮮味のあった311系の新快速も、今では貴重。


あれから二十数年が経ち、金山総合駅周辺は大きな発展を遂げてきました。それでも旧金山橋駅周辺は今でも昔の名残をとどめているところがあります。時にはぶらりと立ち寄ってノスタルジックになるのも一興ですね。(出札掛)



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飯田線119系1504M~1506M~534M

生来の怠け者の私ですので、この季節、いつも以上に出不精になるので、新作はありませんが、年明け気持ちを奮い立たせて飯田線の奥三河に行ってきました。今週末の日曜日、E4編成がタイトルの運用に入るようなので、直近の撮影地の現状をご紹介したいと思います。出かけたのは8日です。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


まずは渡らずの橋、城西・向市場間です。川を渡る道路橋を越えてすぐ、山に登る道(途中まで舗装されています)があります。木々の間から200mm目いっぱいでこのように抜けますが、今の季節、日が当たるのは橋だけで後ろが真っ暗になってしまいます。道路橋からも撮れますが、ケーブルが気になります。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


中部天竜で特急に抜かれるため、小一時間停車し、列車番号も1506Mから534M に変わるので抜いて次の場所に移動します。夏来たときは線路沿いに木が鬱蒼と生えていて撮れなかった三河槇原の北側ですが、今は葉が落ちて撮れるようになりました。しかしここも川は陰の中です。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


534Mは結構スジが立っているので追っかけは難しいですが、それでも大海の大回りのお蔭でもう一回三河東郷・大海間で撮れます。このブログで初投稿した八束穂跨線橋からのショットです。ここでは200mmから35mm位まで連続して撮れます。


さて、今年に入ってのものではありませんが、昨年11月末に天竜峡の前後で撮ったタイトルの列車もアップさせて頂きます。

名古屋からなら、城西の鉄橋に行くより1時間近く早く行けます。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


まずはお手軽に1504Mが天竜峡進入するところです。バックの山に雪が積もればそれなりになるのでは?


「はなぶさ」に集まる仲間たち


天竜峡から1号線を泰阜村方面に向かい、赤い橋を渡ったら右へ細い道を入ったところからの俯瞰です。駅から5分ほどで行けますので、タイトルの運用以外でも天竜峡で5分停車するダイヤなら↑を撮ってから抜いて撮れます。谷が狭いので、どうしても手前が陰になりますが、もっと引くと後ろに遠く中央アルプスの山も入ります。


以上皆様の参考になれば幸いです。(検査掛)

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2012年1月18日 (水)

135.青い国四国のDF50(3号車…受験のついで鉄) 1979/3/3~6

 昨年6月に四国のDF50の2号車をアップさせていただいてからかなり間が開いてしまいましたが、今回は3号車をアップさせていただきます。「また四国のDF50か、もう飽きちゃった」とのお声も聞こえてきそうですが、ちょっとした事情があって目的地が四国となってしまいましたので、ご了承いただければ幸いです。

 高校3年の3月上旬ともなれば本命の国公立の受験となり、受験シーズンも最終戦に差し掛かります。自分の年代は共通1次(現在のセンター試験の前身)1期生で、2次試験はそれぞれ学校独自の試験を受験することになっており、大幅な入試制度改革初年度ということから各校にも戸惑いがあったようで、2次試験は5教科みっちり受けなければならないところもあれば小論文だけでOKというところもありました。共通1次の点数と学校のランクを見比べながら最終的な志望校を決めるわけですが、自分としては2次試験が少しでも楽になればというのと試験終了後は鉄活動をという自分にとって都合のいい考えのもとに志望校を選んでいました。候補としては東北方面・四国方面・山陰方面などを考えましたが、滞在日程・撮りたい車両・夜行列車での移動のし易さ・周遊券の有効活用度などを考慮した結果、四国内の某学校を受験することになりました。

 ここまで来ると受験に行くのか鉄をしに行くのか、どっちかわからないと言われてしまいそうですが、私立は国公立がダメだった場合にはそこに行けばいいかといった学校には合格していたので、切羽詰まった状況にはなっていなかったということもあったかもしれません。何はともあれ、早速購入した四国ワイド周遊券を片手に、前日の朝、意気揚々と自宅を出発しました。受験しに行くのに周遊券持参なんて…と思われるかもしれませんが、最後の受験が終わったのだから、後は羽を伸ばして堂々と鉄したっていいじゃないと考えるのは自分だけでしょうか…。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 今回の目的地は高知でした。朝、姫路の自宅を出発後は宇野までは列車に揺られ、宇高連絡船に乗り、高松からは急行「あしずり」で夕方近くに高知入りしました。宿ははりまや橋からほど近い旅館だったので、はりまや橋で土佐電鉄をちょっとだけ鉄してから宿に入りました。今ならシティホテルの個室で翌日の試験に備えて最後の確認と休養をといったメニューが当たり前でしょうが、自分の場合は同じ学校を受ける受験生との相部屋という環境的にはあまりよろしくない状況でした。

【1979.3.3 はりまや橋】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち

 受験当日の前の夜、相部屋となった連中と意気投合(何の話題で盛り上がったのかはよく覚えていません…)し、深夜まで話し込んでしまい、最終確認・休養どころか結構ヤバイ状況で試験当日の朝をを迎えました。試験終了後はそのまま鉄に向かうつもりだったので、試験会場へ銀箱を持ち込んだら、試験官に試験終了まで預からせてもらうといったような注意を受けてしまいました。小論文だけなので、昼前には試験は終了し、速攻で土佐電鉄に向かいました。写真は高知駅前ですが、フェニックスの並木が南国らしい情緒を醸し出しています。


【1979.3.4 高知駅前】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 受験の呪縛から解放され、思う存分鉄をやってやろうと向かった先は坪尻でした。この駅は谷底に位置するスイッチバック駅で、周囲に民家は見当たらず、秘境駅的な雰囲気が漂っていました。日の短い3月では昼なお暗い山峡の駅にはなかなか陽が差してくれません。DF50の上り客車列車がSGの蒸気を吹き上げながら引き上げ線から峠に向けてダッシュして行きました。


【1979.3.5 坪尻】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 ひと通り駅撮りを終えた後は遥か上方の国道からの俯瞰撮影に切り替えました。駅から獣道みたいな細い山道を登り続けてたどり着いたのがこのポイントです。キハ181系の「南風」が山峡の駅を通過して行きます。


【1979.3.5 坪尻】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち

 少し右に場所を移動してDF50の貨物列車を待ちました。ホームは左奥の線路にあるだけなので、優等列車と貨物列車はシーサスクロッシングを渡って通過して行きますが、ローカル列車は上下ともスイッチバックとなります。こんな駅でも列車の到着時刻が近づくと、どこからともなく乗客が集まり、列車が到着すると降車客があるといった何とも不思議な光景が見られました。


【1979.3.5 坪尻】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 坪尻駅俯瞰ポイントのから後ろを振り向くと箸蔵方面から登って来る列車を捉えることができました。「あしずり」がフルパワーでゆっくりと勾配を登って来ました。


【1979.3.5 坪尻~箸蔵】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 1/50000の地形図を見ると谷を挟んだ反対側の集落から撮れるポイントがありそうだったので、かなりの大周りを強いられそうでしたが、とりあえず向かってみました。絶景とまではいきませんでしたが、讃岐山脈を越えるために険しい地形に建設された線路を垣間見ることができました。「土佐」がエンジン音を山間にこだまさせながらゆっくりとした足取りで峠を登って行きました。


【1978.3.5 坪尻~箸蔵】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 翌日はやはり大歩危峡に足が向いてしまいました。鉄橋の定番アングルは前回訪問した時に押さえたということで、ちょっと違ったアングルで撮れないかと思い、無理やり川岸近くに降りて鉄橋を見上げてみました。近くで見上げると結構な高さを実感することができました。


【1979.3.6 小歩危~大歩危】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 その後、大歩危方面へ歩き、大歩危峡と列車を先回よりももっといい感じで絡めることができるポイントはないものかと探しましたが、うまく見つけることができず、結局こんな感じで妥協せざるを得ませんでした。せっかくリベンジしようと思ったのに消化不良になってしまいました。もっと時間があれば別の展開になっていたかもしれませんが、どうしてもこの日のうちに姫路まで帰らなければならなかったため、今回の撮影行はこのカットで終了となりました。


【1979.3.6 小歩危~大歩危】(電車運転士)




 因みに、試験結果はどうだったかというと、後日「クジラツレタ」の合否結果の電報を受け取りましたが、四国の学校に通うことはありませんでした。このブログを書いている最中に、あれから30年以上経った現在、この時、四国の学校に入学していたら今とはまったく違った人生になっていたんだろうないうことを久しぶりに思い出してしまいました。








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2012年1月14日 (土)

厄!?

昨年4月に当ブログで発表しましたが、中央線美濃坂本ー恵那では木曽御岳山をバックに撮れるポイントがあります。この場所を発見したときは山が霞んでいたため( http://ameblo.jp/b1hanabusa/entry-10869797800.html   )クリアな画像が得られませんでした。1月8日(日)の木曽路は晴れの予報。ブログでの公約どおり再履修を受けてまいりました。

現地の状況が変わっていないか案じられましたが心配ご無用、前回同様に足場も確保でき、天気予報どおり快晴、今度ははっきりと山の姿が見えていました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

写真は4704Mです。この10分ほど後に3088レ貨物が来る予定ですが、この日は日曜日なのでウヤかもね、とあてにしていなかったら、あっ、運よくやって来た~!!シャッターON!  そうしたら・・・・・



「はなぶさ」に集まる仲間たち

・・・え、うそ?アングルがズレた!?  モニターを見た瞬間、大落胆・・・。

「いったい何やっとんじゃ~?」


このときは三脚に並行プレート装着して左手はリバーサル用フィルムカメラのレリーズに、右手は直にデジカメのシャッターボタンに触れていました。思いつく原因・・・シャッター押下時に興奮しすぎて余計な力が加わった&三脚ネジの締め具合を確かめたら若干ゆるかった&直前にPLフィルターをいじってしまった&ファインダーをきちんと覗かずシャッターを切った&試し切りをしていればアングルのズレに気付いたはずetc・・・。直前の4704Mまでは難なく撮れていただけに、ショックが隠しきれません。帰り道の車のハンドルがなんと重たいことか。

でも、でも、リバーサルはきっと失敗せずに撮れている、と信じています(しかしフィルムは、まだカメラの中)。それにしても新年早々縁起でもないです。このヘタレ画像を公開して、皆さんにあざ笑っていただくことで厄払いになればいいのですが。

以上、ノートリミングで公表しました。


皆様からの大失敗エピソード、お待ちしております(おいおい)。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

来たる2月4日(土)は稲沢市国府宮神社の「はだか祭」です。この画像を載せて一足先に厄除け祈願。

たまにはブレイクネタ・出札掛)




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2012年1月13日 (金)

【アーカイブス】在りし日の金山橋駅

 先回、ご紹介した西臨港線の名市交6000系回送は、同年7月から開催されたデザイン博覧会直前の撮影であった。この博覧会にあわせて金山総合駅が完成し、名古屋の交通の流れが大きく変わったことが思い出されるが、改めて考えてみれば、もうそれから20年以上の歳月が流れたことになる。


 この西臨港線を写したポジには、金山総合駅開業にあわせて役割を終えた金山橋駅の姿が写っている。まだ、記憶に新しい方も多いかと思うが、金山橋駅の最後の様子をご紹介したい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 金山橋駅の駅名標。この頃は、筆文字ではなかったのだろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 前にもご覧にいれたかもしれないが、金山橋駅の外観である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 高蔵橋から望んだ金山橋駅。後ろに現在の金山総合駅がチラリと見える。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 出札窓口付近。ストロボがうまく同調していなかったようで、フォトショップで大分修正している。(^^;)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 改札から道路への坂道沿いだけでなく、改札の中にも商店があった。


 こうやって改めて見てみると、「ああ、あそこはこうだった」とか、「あそこで××した」とか、いろいろな思い出が甦ってくることだろう。


 あえて詳しくコメントしないが、今から見ると、本当に隔世の感が強く感じられる。(駅長)


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134.山陽本線 姫路界隈 普段着姿の列車たち

 中学・高校時代は姫路在住だったということで、これまで、播但線のDD54・近郊ローカル線の気動車・山陽電鉄・別府鉄道などをご紹介させていただきました。そんな中、メインの山陽本線はあまりに身近で当たり前すぎてカメラを向ける機会はあまり多くありませんでした。それでも、回数はあまり多くありませんでしたが、当時の愛車だったチャリンコを駆使して山陽本線に登校前の朝練や放課後鉄に出掛けたこともありました。ネタ的にはあまりおもしろくないかもしれませんが、普段着姿の列車にお付き合いいただければ幸いです。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 放課後鉄の定番、市川の鉄橋です。この頃(中学3年)、初めて一眼レフ(PENTAX SPⅡ)を買ってもらったこともあって、播但線を中心に頻繁に放課後鉄に勤しんでいました。これといったお目当ての列車はありませんでしたが、来る列車を適当に撮影していると轟音とともにマンモスEH10の長大貨物列車が鉄橋を渡って行きました。

【1975.12 御着~姫路】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 休日にはちょっと足を延ばして赤穂線まで遠征したこともありました。そろそろ引退の噂が流れ始めた80系を狙いに行ったものと思われます。赤穂線といえば海辺の雰囲気をイメージされる方も多いと思いますが、海辺を走る区間はほんのわずかで、ほとんど内陸部を走っています。そんな中、鄙びた漁村の雰囲気が伝わるポイントを見つけ、80系をゲットしました。

【1978.3.5 寒河~日生】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 EF58のブルトレです。手柄山の麓の山陽本線沿いに市営グランドがあり、そこで行われた姉妹校との体育大会か何かの学校行事の前に朝練を行ったものだと思います。昭和50(1975)年3月改正以降の関西発着のブルトレは合理化のためにHMが省略されてしまい、インパクトに欠けていました。この時は小雨模様の天気で条件がよくありませんでした。「あかつき」・「彗星」を合わせると結構な本数が走っていたのにもかかわらず、いい条件の時にはほとんど撮影していません。この点は大いに後悔しています。

【1978.6.30 姫路~英賀保】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 EF61の貨物列車です。名古屋近辺では朝と夕方の荷物列車で撮影することができたと記憶していますが、西の方では貨物列車の先頭にも立っていました。両数が少ない関係でどちらかというとレアな存在だったため、運用を調べて意識的に狙いに行きました。

【1978.7.7 御着~姫路】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この頃の姫路以西のローカル列車は80系が主力でした。ブルトレ・寝台電車の撮影の合間に狙ったものです。駅間が長いため、吊り掛け車の高速走行を堪能することができました。

【1978.10.9 姫路~英賀保】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ブルトレに交じって581・583系の寝台電車も活躍していました。写真は「彗星」ですが、この頃は「彗星」のほか「明星」・「なは」を受け持っていたと思います。本来の用途に使用された長大編成は貫録と迫力がありました。

【1978.10.9 姫路~英賀保】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 同じポイントに飽きたので、少し西に移動し、夢前川の鉄橋に向かいました。写真は「明星」ですが、サシ・サロ組み込みの12両編成です。この頃が西の581・583系が最も輝きを放っていた時期だったのですが、結果的にはブルトレよりも先に寝台特急からは引退し、その後、まさかの近郊型車両への改造という流転の人生を歩むことになりました。

【1978.10.9 英賀保~網干】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 80系を撮るため、同じ鉄橋の反対側に移動しました。しばらく待っていると予定外の配給臨?がEF58牽引でやって来ました。オハフ33を控車に20・26系気動車が後に続いています。

【1978.10.9 英賀保~網干】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 以前のブログでご紹介した153系の「新快速」を撮りに行った時に撮ったEH10です。黒に黄色帯の塗色から「クマン蜂」のあだ名を付けられ、貨物機らしいどっしりとした風貌は嫌いではありませんでした。姫路界隈では割と頻繁にその姿を見ることができました。

【1978.10.21 曽根~御着】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 須磨海岸を行く113系の普通列車です。これも153系の「新快速」を撮りに少し遠征したついでに撮ったものです。付属編成付きの12両で、基本編成にはまだグリーン車が組み込まれていました。東京と違って関西のグリーン車は利用率が悪く、早々と編成から外されてしまいました。

【1979.1.15 塩屋~須磨】



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ごく当たり前に走っていたEF58の荷物列車です。浜松区のゴハチは正面窓がHゴム支持の機関車ばかりであまり魅力を感じませんでしたが、とりあえずシャッターは押したみたいです。番号をよく見ると「157号機」、最後はJR東海に在籍し、つい最近まで現役だったのは記憶に新しいところです。今は茶色に塗り替えられて「リニア・鉄道館」で展示されています。この時は将来このような顛末になるとは想像もできませんでした。

【1979.1.15 須磨~塩屋】(電車運転士)

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2012年1月 9日 (月)

【アーカイブス】続・蒸機が走るってホント??あおなみ線に地下鉄が走った日

 あおなみ線が西名古屋港線だったころに走っていた写真を整理するなかで、運行期日を失念していた名古屋市6000系の甲種の日をたずねたところ、出札掛さんから1989年7月とのご返事をいただいた。早速調べてみると、それが写っているポジが確認できたので、とりあえずスキャンをしてみることにした。

 小生が撮りに行ったのは、7月1日であった。この写真を見ると、今では考えられないが、雨の中を撮影している。これはどうしたことか。

 改めて思い出してみると、この甲種の行われた1989年は名古屋で大きなイベントがあった年で、ちょうどこの頃、仕事に狩り出され、休みも取りづらい日々が続いていた。(たまにはそんな時もあった)

 そこで、、時間が取れた時に天候に構わず出動したのであろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 まずは、先回もご紹介した中島の先で地平に移るところ。よくよく見てみると、前に掲載した写真と比べ、南方貨物線の高架橋が一部撤去されているようだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 その反対側。土古の踏切が写っている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 西名古屋港に到着した6000系。この後は、陸送されたようだ。


 西臨港線の甲種は、撮影した7月1日以外にも、何回か行われているようだ。しかし、この頃はお仕事に忙しく、それらを何回も撮影に行くほどの余裕は無かった。


 まあ、臨港線を走る列車はあまり写欲のわく被写体ではないし、他にも面白そうな列車があったので、時間があったとしても行ったかどうかは不明であるが、こうやって今になって路線が注目されるようになると、もう少し行っておけば良かった、といつもながらに思ってしまうのである。(駅長)

 


 


 

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133.狂騒曲「日本海」+α 2012/1/8

 年末から正月にかけては家族運用やその他諸々の理由で、結局、鉄活動は休眠状態となり、正月休み中は昼から呑んでも文句を言われないのをいいことに酒浸りの毎日が続いていました。今年は正月明けにすぐに成人の日関連の3連休があり、このあたりで今年の鉄始めを行わないとストレスも最高潮に達してしまうとの不安から、1日くらいは鉄したいなぁと漠然と考えていました。そんな中、ふと思いついたのが3月改正で定期運行が終了する「日本海」です。長距離列車の運行情報を確認すると運休にはなっていないとの情報だったので、改正間近になると沿線撮影地は激パになるだろうという予想から、静かなうちに、それも雪景色を撮りたいと思い、急遽、北陸路に車を走らせました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この日の「日本海」の撮影地に決めたのが定番の湯尾カーブです。福井県嶺南地方の天気予報では前日夜はsnowマーク、これまでの積雪も今庄で50cmに近い状態でした。ポイントとなるバックの杉林も着雪状態でまずまずの条件が整っていました。EF81の貨物列車が通過して行きます。up

【2012.1.8 湯尾~南条】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 傍らにスタンバイしていた同業者の会話に耳をそばだてていると「日本海」は秋田県内の大雪の影響で3時間程度の遅れとのこと。7時30分頃の現地通過は10時過ぎになりそうです。「日本海」まではやって来る列車を適当に撮影して時間を潰していました。9時過ぎになった頃から晴れ間が姿を見せ始め、条件はさらによくなってきましたが、気温が上がると杉林の着雪が溶けてしまうので、何とか持ちこたえてほしいと祈ることとなりました。最高の条件の中をサンダーバードがかっ飛んで行きました。happy01

【2012.1.8 湯尾~南条】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

「はなぶさ」に集まる仲間たち

 3時間近く遅れてやっとのこと「日本海」が姿を見せました。案の定、杉林の着雪はほとんど溶けてしまいましたが、最高の光線状態で記録することができました。happy01scissors


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 「日本海」通過1時間くらい前の湯尾カーブの状況です。切れている右側にもさらに三脚の列が続いており、すでに激パの様相を呈しています。ざっと数えただけでも50人以上、まさに狂騒曲「日本海」葬式鉄バージョンといった感じです。改正2か月前でこの状況ですから、日を追うごとにヒートアップして行くのは間違いないと思われます。通過する列車内の乗客から冷たい視線が注がれていました。sadsign01


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 敦賀でのカマ替えの時間を利用して先回りします。立ち位置限定の撮影地は直前では入り込めないと思い、多人数でも対応可能なマキノ~永原の定番撮影地へ向かいました。雪が少ないためか予想に反して同業者の数は10人程度、通過10分前でも余裕で場所を確保することができました。到着した時はどんよりとした曇り空でしたが、「日本海」通過の時だけラッキーなことに薄日が差してくれました。happy01

【2012.1.8 マキノ~永原】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 「日本海」の後を追う「トワイライト・EXP」は約1時間遅れでした。望遠で引っ張ってみましたが、深緑はやはりバックの暗い風景に溶け込んでしまいます。冬場はバックの木に雪が付いていないとダメみたいですねぇ。なお、このポイントですが、築堤下にイノシシ除けのフェンスが建てられてしまい、以前に比べてアングルに制限を受けるようになってしまいました。weep

【2012.1.8 マキノ~永原】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 下りの「トワイライト・EXP」は鳩原ループ俯瞰ポイントに登りました。このあたりは前夜の積雪がなかったため、雪がまだら模様になっており、あまり綺麗な状態ではなかったのと列車が風景に中に埋没してしまい結果はイマイチでした。weep

【2012.1.8 新疋田~敦賀】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 到着時はは曇り空だったのが次第に雲が切れ、敦賀湾がいい感じになってきたので、下り列車の後追いになりますが、こんなアングルも試してみました。定番アングルは以前にご紹介させていただきましたので、今回は割愛ということでお許しください。sweat02

【2012.1.8 新疋田~敦賀】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 その後、天気が急速に回復し、琵琶湖対岸の伊吹山が見えそうな雰囲気になってきたので、ビラデスト俯瞰に向かうことにしました。ところが、ビラデストは冬季は休村、道路も除雪がされておらず通行止めとなっていました。あわてて線路近くの開けたポイントに移動しましたが、高さが稼げないため、こんなアングルになってしまいました。これじゃあ伊吹山か普通の雪山かわからないですよねぇ。wobbly

【2012.1.8 近江中庄~マキノ】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 夕方に下り貨物列車のスジがあるので、3連休のため運休が心配されましたが、とりあえず待つことにしました。日没近くになって夕方の残照がいい感じになってきました。この場面は何とかモノにしたいと思いましたが、条件は刻々と変化します。何とか来てほしいと祈る気持ちでいたところ、運よくEF510を先頭にした列車が通り過ぎて行きました。happy01good

【2012.1.8 近江中庄~マキノ】(電車運転士)


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2012年1月 8日 (日)

【アーカイブス】蒸機が走るってホント??あおなみ線が西臨港線だった頃

 天候に恵まれたこの3連休、鉄活動にお励みでしょうか?

 正月はなにかと家族運用があって鉄活動はしずらいでしょうが、この3連休は比較的自由に動ける、という方も多いでしょう。かくいう私は、毎日少しずつの所用があり、なかなか鉄活動に励めない状態が続いています。


 それはさておき、正月明けの某新聞にあおなみ線でSL試運転の記事が掲載されました。


http://mainichi.jp/chubu/shakai_sports/news/20120105ddq041040010000c.html


 あおなみ線のSL運行は、同線の赤字解消を目的に、昨年夏頃にK市長が記者会見の席で行ったのが始まりだと思いますが、どうせ出来もしないことをいつものようにラッパを吹いてる、と懐疑的な見方をした方も多かったしょうね。かくいう私もそのひとり。(^^;)

 とはいえ、市長が言い出したら、とりあえずは検討しなければいけない、ということで関係部局ではまじめに検討したのでしょう。それが、この記事になったのでしょうか。


 正式発表ではなく、しかも地元最大の新聞が追っかけ記事を書いていないので、まだ具体性はかなり疑問です。しかし、火のないところに煙は立たないので、何らかの形で試運転が行われる可能性はあるかもしれません。もっとも「高架の強度が不足している」(そんな高架って強度弱いの?)ということで、運行区間は名古屋貨物ターミナル横の中島(当然、機回しはできないので、名古屋貨物ターミナル折り返しという意味かな)までとのこと。

 当然、この区間は高架ばかりですし、走れば走ったで、撮影場所が極めて限定されることから、撮影にはかなり困難が伴いそうです。


 さて、蒸機が走る、ということで、あおなみ線が国鉄時代、西臨港線といっていた頃の写真を探してみました。客車が定期運行していない貨物線とあって、あまり撮影意欲がわかず、写真がほとんどないのが残念なところです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 まずは、以前お見せしたことがある小本で関西線から別れるあたり。残念ながら、蒸機の写真はこの1枚だけです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 DL化後のものとしては、現在のいなえい駅あたりで1度撮影しています。ここに名古屋市電との平面交差があったので、そこで撮影していた時にちょうど来た列車を撮影したのでしょう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 同じネガには、少し離れた位置からの写真も写っています。普段、列車がほとんど走らない貨物線なので、一旦停車して、踏切が作動しているのを確認してから運行していたのかもしれません。


 つぎに出てくるのは、民営化のドタバタのときに、将来の旅客線化を踏まえた実績づくり?のため西名古屋港まで走ったかたつむり号。DD51がプッシュプルで、12計客車を牽引して、1986年10月10日から12日まで3日運転されました。この列車は、ここのメンバーでも撮られた方が多いでしょう。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、中島の先で地平に移るあたりか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 多分、同じ陸橋から土古の方を向いた写真。後ろの住宅群は、土古の市営住宅かな?


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは荒子川を渡るあたりか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 場所が不明ですが、上記荒子川のあたりかもしれません。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 西名古屋港に到着するかたつむり号。いまはあおなみ線の車両基地となっています。


 西名古屋港線では、あと1度、名古屋市交通局の車両を甲種回送したのを西名古屋港まで撮りに行った記憶がありますが、まだネガを発掘していません。運行日をご存じの方、お教えください。(駅長)





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2012年1月 7日 (土)

撮り納め・撮り初め

【平成23年 大晦日】

さあ、慌ただしい一日の始まり。夜のささやかな酒盛りや三が日の正月料理、その合間につまむ軽食などを備えるべく、家内に付き合って午前中から食品スーパーを数件はしご。父親の墓参りを済ませ、車のガソリン補充をした後に洗車場を数件回れど何処も車の列ができており、考えていることは皆同じ、と洗車をあっさりとあきらめて帰宅。部屋の中を片付けてから遅めの昼食を軽くとり、コタツに入ってようやく一服し、あとは夜を待つばかりのみ。ふと西の空を見ると雲のない穏やかな空で、もしかしたらきれいな夕焼けになりそう。コタツの中の家内を見ると、程よい心地よさに目もうつろ。チャンス!家の用事も一段落したことだし、「夕日の写真を撮って来るね」、スクランブル発進。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

名鉄広見線の善師野付近で、一度撮ってみたいと思っていた画像です。陽が傾き、バックの山も線路端の田畑も影となり、広見線を走る車両だけが夕日に照らされます。残念なのは、バックに残ってしまった通信塔の像。これは隠すことが出来ませんでした。立ち位置やシャッターの切り位置、ズーム倍率、夕日の入射角度や撮影時間などを考慮すると、まだまだ何度もトライする必要があります。まずはチャレンジ第一弾。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

そろそろ撤収と引き上げ始めた帰り道、予想通り、みごとな夕日が飛び込んできました。まともに夕日に向けてのカメラアングルは度胸がいりますが、まずは撮ってみることに。ホワイトバランスは「晴れ」。いつもなら「曇り」に設定してY2フィルターもどきにするところですが、「晴れ」モードでもここまで夕焼けの色が出たのは意外です。

というわけで、平成23年最後の夕日と撮り納めでした。



【平成24年 元旦】

「紅白」を見て新年のカウントダウン。おめでとうございます。さっそく平成24年最初のブログアップを試みようとしたら、「アクセス集中のためつながりにくくなっています」。無理もないか~。結局アップできたのは午前1時過ぎ。自宅から徒歩5分の地元の神社に初詣をして風呂につかり、深夜番組を見て午前3時就寝、3時間だけの睡眠で6時起床。早起きの理由は城北線「初日の出号」撮影のため。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

朝日(→つまり初日の出ですね)を浴びて尾張星の宮に進入する城北線勝川行き。この列車は勝川から臨時「初日の出号」で運行された枇杷島行きが定期列車として折り返してきたものです。そのせいか、車内は初日の出を拝もうと始発の勝川方向からそのまま乗り続けてきた乗客ばかりで立ち席も出るほどの乗車率。おそらく城北線が1年のうちで最も混雑する列車ではないのでしょうか(失礼な)。でも、大勢の乗客がいるのは嬉しいものです。「初日の出号」の運行がすっかり定着している証しとして、この混雑ぶりをお伝えしておきます。

2編成ある車両には、何れも前後に日章旗が掲げられ、特製HMも施されました。「初日の出号」を含め、朝はこの装いで運行されましたが、どの列車まで装飾されていたのか、詳細求む。因みにこの装飾、毎年行われているようです。駅長様の撮影されたSL+日章旗にはかないませんが。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

天気予報は「曇り」のはずが、7時15分頃、雲間から太陽が顔を出してきました。画像は、尾張星の宮駅ホームから初日の出を拝む方々→乗客にあらず。

というわけで、平成24年の初日の出と撮り初めでした。


今度の年末年始は少し長い休みになりそう。いつまでも趣味を続けられるよう、心身ともに健康な日々を過ごしていきたく思います。(出札掛)



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2012年1月 5日 (木)

【アーカイブス】蒸機お召しのカラー

 新潟植樹祭におけるC571お召しの記事で、電車運転士さんから一度、蒸機お召しを見てみたかったとのコメントをいただいた。


 小生が見ることができた蒸機お召しは、この新潟植樹祭と同年秋の鹿児島国体、翌年春の宮崎植樹祭の3回で、撮影したのは新潟植樹祭が2回、鹿児島国体が2回、宮崎植樹祭が4回(列車自体は3回しか撮れないはずだが、なぜか4回)の計8回である。しかし、天候に恵まれたのは鹿児島国体の2回だけで、新潟植樹祭はご覧頂いたように2日とも雨と曇り、宮崎植樹祭も同様に雨と曇りで天候には恵まれなかった。加えてこの時は興奮のあまり、カメラの裏蓋開放という大チョンボをやって1回は記録そのものも無くしている。


 こんなわけで、カラーで撮影できたお召しは、鹿児島国体の2カットしかない。もっとも、宮崎植樹祭ではカラーで撮影も不可能ではない天候であったが、この頃、メインはモノクロで、カラーは気分が向いた時しか撮影しなかった。そんなわけで、カラーのカットは限られるが、鹿児島国体のお召しはまずまずの色で記録が残っている。


 電車運転士さんのコメントにもあるように、蒸機お召しには(蒸機でなくてもだが)、なんともいえない風格がある。それはカラーで見ると、ひときわ引き立つ。お正月ということで、カラーで蒸機お召しの写真をご覧頂くとしよう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 この時のお召しは、記録をたどると10月24日に指宿枕崎線、翌25日に日豊線で走り、いずれもC56重連の牽引であった。この他にも鹿児島本線で走っているが、これは電機の牽引である。


 ネガを見ると、この時は、前日、筑豊本線と田川線で撮影し、夜行で鹿児島入りをしているようだ。しかし、当初聞いていたのとは時間が違っていて、回送を撮ることができなかったことに加え、人気の宮ヶ浜では線路際にすでに場所がなく、海に突きだした堤防の上から撮影しなければいけなかった。確かにもう少し手前で撮りたいところであるが、風景がよいので、これはこれで満足できる写真となった。


 ちなみに、こんな時期は学校も授業があるはずで、それをサボって撮影にいったと思われるかもしれない。しかし、この頃、全国の大学では学園紛争に明け暮れており、タイミング良く通っていた大学も無期限スト中であった。これ幸いと撮影に行ったのは間違いないが、おそらく、スト中でなくても撮影には行っていただろう。(^^;)


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 さて、翌25日のお召しは鹿児島から加治木までの運転であった。この列車を重富で撮影している。


 この時の記録を見ると、朝の肥薩線客車(もちろん蒸機牽引)を日当山で撮影しているので、吉松あたりに宿泊したのかもしれない。いずれにしろ、このように綺麗な編成写真を撮れる場所なら、今なら数日前から(あるいは一ヶ月前から場所の予約をして?)場所取り状態であるだろうが、当時は朝、別の場所で撮影してから十分、間に合ったのである。もっともこの場所は最も人が集まる場所ではなかったと思うが(この時の一番人気は帖佐の鉄橋であった)、それでも2時間くらい前に行けば十分に場所が確保できた。蒸機ブームの中で走ったお召しとはいえ、今から比べると遙かにのんびりしていたのである。


 それから思えば、先日の山陰線の狂乱状態は・・・・蒸機牽引とはいえ、まだまだ、のんびり撮影できた頃のお召し列車の記録である。(駅長)


 

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2012年1月 3日 (火)

【アーカイブス】現役時代のC56160

 JR西日本の動態保存機、C571の現役時代を紹介したので、続いて各地のイベントでひっぱりだことなっているもう1両の動態保存機、C56160の現役時代を紹介しよう。


 C56の最終製造機である160号は、長年、上諏訪区にあって、周辺駅の入れ換えに使用されていたと記憶する。しかし、なぜか梅小路入りする直前、七尾区に移動して、七尾線七尾~輪島間の貨物に使用された。初めて七尾線を訪れたのは、廃止直前の北陸鉄道能登線とあわせて昭和47年6月のことであったが、この時、動いていたのが七尾区のヌシである123,124でなく、160であった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 七尾線の貨物は、何カ所かで長時間停車するため、列車での追い抜きが可能である。まずは、温泉のある和倉で撮影する。入れ換え主体で運行されていたためか、煙室扉はゼブラ模様に塗られていて興ざめである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 DCと交換して、和倉を発車する。腕木式の信号ならいざ知らず、なぜ色灯式の信号機を入れて撮ったのかよくわからない。本来なら、信号機の前で撮るべきなのだろうが。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 DCで追い抜いて、穴水で輪島行きの貨物を撮影する。能登線とわかれるあたりであるが、今は両線とも廃線となってしまった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 輪島に向かう貨物列車。この先、能登半島の脊梁である峠に向けて33‰の勾配が続く。鉄道としては厳しい峠道であることが、この写真からもお分かりいただけるだろう。峠にかけての区間は、あまり引きが無く、撮りづらかったが、それでも随分撮影している。それらについては、いずれお見せする機会もあろう。


 この時は、廃止直前の能登線が第1の目的だったためか、撮影は片道だけでお終い。故に、七尾線で撮影したC56160はこれがすべてである。今にして思えば、保存機故、もう少し撮影しておけば良かったと思うが、七尾線でのC56160の写真はほとんど見る機会がないだけに、これだけでも貴重な記録といえるかもしれない。(駅長)

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2012年1月 2日 (月)

132.さようなら北恵那鉄道 1978/9/15

 2012年を迎えて正月3が日も終わりましたが、はいかがお過ごしだったでしょうか? 新しい年が皆様にとりまして平和で幸せの多い年になりますようお祈りいたします。12月から年末年始にかけて、諸般の事情で家族運用が佳境に入り、土日は自由に出歩くことができず、鉄活動が中断しております。ということで、今回も過去ネタになりますが、ご了承ください。今回は、過去2回ほどご紹介させていただいた北恵那鉄道の最終日直前の様子をお伝えしたいと思います。最終日は1978(昭和53)年の9月18日でしたが、約1か月前が最後の訪問のつもりでしたが、その後、どうしてももう1回チャンスがほしくなり、廃止3日前の9月15日なら何とかなりそうということで、学校から帰宅後、半ば衝動的に荷物をまとめ、9月14日の夜、当時の鉄仲間と結託して、大阪から長野行の「ちくま」の乗客となりました。「受験を控えた高校3年の身で何を考えとんじゃ!」と親にボロクソ言われながらもジッと耐えて自宅を後にしたのを覚えています。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 「ちくま」を未明の中津川で降り、裏手にある中津町へ向かいました。始発が動くまでには時間があったので、バルブ撮影で時間を潰していましたが、構内はほとんど明りがなく、結局このポジションしかまともな写真は撮れませんでした。

【1978.9.15 中津町】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 夜が明けて、何とか写真が撮れる状態になってきました。構内はまだ人の動きだす気配はなく、シンと静まりかえっています。デ2が夏に来たときとは違った場所に停まっていました。

【1978.9.15 中津町】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 始発が動き出す前に夏に撮った中津町からほど近い俯瞰ポイントに向かいました。少しでも車両を大きくしたいと思い、望遠縦構図で狙ってみました。

【1978.9.15 中津町~恵那峡口】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 今回は友人から広角レンズを借用しての撮影行だったので、これを試すチャンス到来とばかりに早速カメラに装着してみました。先回は標準レンズでの構図だったので、多少窮屈な感じがありましたが、自分としては広角で風景の広がりを重視した今回の方が満足いく結果だと思っています。先回失敗したシャッター位置を教訓にしたおかげで、車両を架線柱に引っ掛けずにシャッターを押すことができました。

【2枚とも 1978.9.15 中津町~恵那峡口】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 先回同様、河原に降りてみると水しぶきが逆光に輝いてシルエットを撮ってくださいとばかりの条件が整っていました。2両だと列車の存在感が中途半端になってしまいますが、単行だったのでホッと胸をなで下ろしました。この列車はさよならの装飾が施されていましたが、シルエットにしたおかげで装飾が消えてくれました。

【1978.9.15 中津町~恵那峡口】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 同じポイントばかりウロウロしていても芸がないと思い、恵那峡口方面へ徒歩移動しました。恵那峡口を過ぎてしばらく行くと高い鉄橋があったので、ここで朝の最後の列車を狙いました。クハがくっついた編成がゆっくりと鉄橋を渡って行きました。

【1978.9.15 恵那峡口~山之田川】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 廃止直前の多客対応のため、列車の設定がなかった昼間帯にも臨時電車が運転されていました。山之田川から路線バスに乗って北恵那鉄道のハイライトのひとつの付知川沿いの区間を目指しました。多くのお名残り乗車の乗客を乗せた電車が清流を横目に見ながら通り過ぎて行きました。

【1978.9.15 栗本~美濃下野】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 川沿いの次は線路端に寄って正面から狙ってみました。廃線が決まり、ほとんど保守の手が入っていないのか、線路は草ボウボウの状態で軌道状態もよくなく、速度はゆっくりなのにもかかわらず車体を大きく揺らしながら近づいてきます。曲線部分も直線レールを継ぎ目のところで無理やり曲げたんじゃないかと錯覚するくらいで、こんな状態で脱線しなかったのが不思議に思えました。

【1978.9.15 栗本~美濃下野】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 川沿いで撮っている時に上を見上げると木々か切れていそうな場所があったので、一か八か登ってみることにしました。5万分の1の地形図を頼りに何とかたどり着いたのがこのポイントです。かろうじて木々の間から眼下に付知川の流れと線路を望むことができました。

【1978.9.15 栗本~美濃下野】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 山を下りて美濃福岡まで戻りました。この駅は列車交換が可能な駅で、構内はそれなりの広さがありましたが、列車が通る線路以外は草ボウボウを通り越して凄まじい状況になっていました。満員の乗客を乗せた臨時列車が駅を発車して行きました。この日のうちに姫路の自宅に戻るにはこの列車が限界でした。これが北恵那鉄道最後のカットになりました。

【1978.9.15 美濃福岡】(電車運転士)


 北恵那鉄道は沿線風景・駅施設・車両など、どれをとっても超一流のローカル線で、写真の題材に事欠かない路線でした。訪れたのが廃線に近い時期になってしまったため、じっくりと腰を据えて撮ることができませんでした。もう少し早く路線の存在とロケーションのよさに気づいていればよかったと今でも悔しい思いでいっぱいです。

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2012年1月 1日 (日)

あけましておめでとうございます-C571お召し列車

 新年を迎え、皆様のご健勝とご多幸を祈念します。

 本年は、憂いなく鉄活動に励める、明るい年になって欲しいですね。


 さて、新年らしく、初記事は旗がついた列車の写真で。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 C571といえば、山口線の印象が強いですが、現役時代の晩年は新津区にあって羽越線を中心に運行されていました。

 鉄道100年で梅小路に蒸気機関車館が開設され、C571はその保存機に選ばれて、昭和47年秋に梅小路入りをしたのはご存じの通りですが、その最期の晴れ姿となったのが、新潟植樹祭で5月20日と22日に新津~村上間に運行されたお召し列車の牽引でした。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 しかし、この時は2日の運転日とも最悪の天候でした。特に20日は結構激しい雨が降っていました。加えて、走行区間は平坦線で、しかも初見の場所とあっては満足できる写真が撮れるわけがありません。これは20日のお召しで、水原のあたりで撮影しています。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 お召しの本番は緊張して、写真の出来はもうひとつでしたが、リラックスして撮る回送の方が良い写真が撮れるのは、いつものこと。これは22日の村上への回送列車。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは22日のお召し。場所の選択がもうひとつで、編成が小さくなってしまいました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 機関車の流し撮りとなっていますが、それを意図して撮影したのではないところが辛いところ。(^^;)

 とはいえ、一応、止まっていますから、写真としてはまずまずの出来となりました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 新津機関区では、お召し到着後に撮影会が催されました。今では考えられないですね。この日も風が強かったようで、国旗がかなりはためいています。


 最期にカラー写真を1枚。この天気では走行中のカラーは難しく、機関区での形式(風)写真だけとなりました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 今年も、鉄道を通してさまざまな出会いが楽しめればと思っています。なにとぞ宜しくお願いいたします。(駅長)




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ゆく年くる年


新年を迎え 皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます


「はなぶさ」に集まる仲間たち

憂いごとが多すぎた2011年、もうこれっきりにしてほしいものです。ともあれ、旧年中はありがとうございました。


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社会人となって初めての年末を迎えた1987年12月末日、貴重な長期連休を満喫するため、当時は独り者で女っ気もない私めは周遊券を片手に北の大地で鉄活動に勤しんでいました。特に予定もない大晦日は如何しようか、と考えあぐねた結果、せっかくなので年越し限定運転の初詣列車に乗って北海道神宮へ初詣に行こうと思いつき、JRとともに「ゆく年くる年」を過ごすことにしました。


1987年大晦日の北海道神宮への初詣客輸送では、小樽、岩見沢、千歳の三方向(だと思うが自信がない)から札幌に向けて初詣列車が運転されました。使用される車両はすべてジョイフルトレイン、しかも全車自由席の普通列車という大盤振る舞いです。そして各列車ほぼ近接した時刻に札幌を着発するため、ジョイフルトレイン3編成が札幌駅のホームで一堂に会するシーンが見られました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

苦しいアングルですが、3列車の並びを収められました。左から「トマムサホロエクスプレス」、「アルファコンチネンタルエクスプレス(当時)」、「フラノエクスプレス」の順。札幌駅は、まだ地上ホームの頃。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

少なくとも三が日は正月飾りの珍しいヘッドマークが各編成の先頭に掲げられました。【以上1988年元旦撮影】


そして、3年後に再訪した1990年大晦日の初詣列車では新たに「ニセコエクスプレス」と「クリスタルエクスプレス」が加わり、札沼線の石狩当別方面も増え、4方向5列車のジョイフルトレイン揃い踏みとなりました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

1番線側から撮影した5列車並び。「ニセコ~」の陰になってほとんど見えないですが、「フラノ~」が、ほんの少しだけ顔を出しています(→先頭車展望室のごく一部)。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

上の並びを「フラノ~」停車ホームから撮影した初詣列車群。驚いたことに、「ニセコ~」のHMには電飾が施されてました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

HMをよく見ると、前回の装飾よりパワーアップしているような。因みに右が「クリスタル~」。【以上1991年元旦撮影】




「はなぶさ」に集まる仲間たち
ジョイフルトレイン本来の仕業の一コマを。多客臨スキー列車としてニセコに向けて塩谷付近を走行中の「ニセコ~」。【1991.1.5撮影】


当時のスキーブームとジョイフルトレインブームが生み出した、なんとも贅沢な現象でした。ところで、どの編成がどの区間を走行したのか、興味のある方は各自でお調べください(→自分が覚えていないだけ)。


本年もよろしくお願い申し上げます(出札掛)





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