« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »

2011年11月

2011年11月29日 (火)

【アーカイブス】豊田線開業の頃

 早いもので、豊田線が開業してから32年を超える月日が経っている。まだまだ、個人的には「新線」のイメージであるが、名古屋と豊田の動脈としてすっかり定着した今では、そのような気持ちを持って乗っている利用者はないだろう。沿線には、日進や三好ヶ丘に住宅が並び、利用者も増えているが、当初、目論んだ数字のどれくらいに達しているのだろうか?「この路線は、20年もすれば東急田園都市線のようになる」と聞かされていたが、まだまだ沿線には緑が多く、車窓を楽しませてくれるのは喜んで良いのかどうか。


 さて、豊田線の開業は、昭和54年7月29日であるが、それに先立ち、試運転は6月10日から始まっている。この日は、まずデキ400形が重連で錆落としとして運行され、続いて6010の2連が2往復、そして805+2313が何往復か走った。6000系と800形は、地下鉄用のATSが付いていないため、赤池の手前で折り返したが、このため一部区間は逆線で運転された。


 この時は、なぜかデキ400形の列車の撮影はしていない。情報が入らなかったのだろうか。最初に撮影したのは、赤池の手前で折り返す6000系である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 続いて、800形が運転された。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 愛知池を望むベストポイントである。こうして豊田線を走った縁で、この編成が鞍が池に保存されているのは、ご存じの通り。今なら、黒山の鉄ちゃんが訪れるに違いないが、この時はほとんど撮影者の姿はなく、まったり撮影した記憶がある。


 この日の写真はこれくらいにして、一気に7月29日の開業日に飛ぶ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは開業日の翌日の撮影かと思うが、愛知池をバックに走る祝賀電車。今は木が伸びてしまい、こうした写真は撮れないはずだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは黒笹のホームからの撮影。現在、このバックには三好ヶ丘の住宅地が広がっている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは黒笹と三好ヶ丘の間と思うが、違っていたらご指摘頂きたい。いずれにしろ、当時は山の中を走るローカル線の風情であった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 米野木で行き違う市交3000系と100系。駅舎の改築も含めて、このあたりは大きく変貌している。いずれの車両も、更新の噂が囁かれるこの頃である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 翌55年8月には、100系がローレル賞を受賞したことから記念列車が運転された。それを日進で撮影している。はるかに押草団地が写っているだけで、まわりには何もない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 線路脇から撮影すると、こんな感じである。いずれにしろ、このあたりは隔世の感がある。


 ところで不思議なのは、開業日の頃に全駅で降りたはずなのだが、駅舎の写真が無いのである。ネガが紛失しているというわけではないので、なぜか自分のカメラで撮影していないようだ。今にして思えば、そうした写真の方が貴重なのだが、車両ばかり狙って駅舎や人の入った写真をあまり撮影していないのは、当時のことゆえやむを得ないとしても、やはり残念である。(駅長)





|

126.うぬまの森 俯瞰鉄 リターン 2011/11/26

 11月も終わりに近づいた26日は移動性高気圧に覆われ、バリ晴れが確実な予報でした。この日は紀勢本線でキハ40のオレンジツートンの「熊野古道伊勢路」が運転されるため、本来ならそちらに参戦したかったのですが、午後から家族運用が控えていたこともあり、断念せざるを得ませんでした。それでも、せっかくの絶好の鉄日和を逃す手はないと思い、午前中だけになりましたが、近場鉄に出掛けました。高山本線の運用をチェックしていたらキハ48のオレンジツートンが早朝の美濃太田~岐阜間の4702D→3707Dに入ることがわかり、先々週に続いてうぬまの森の俯瞰鉄を試みました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 4702Dは坂祝が6時58分ですが、この時間ではまだ線路に陽が当たらないため、3707Dまでの時間は名鉄広見線の末端区間で時間を潰しました。晩秋の雰囲気が撮れないかと顔戸の鉄橋へ行ってみましたが、もうひとつだったので、逆光側からシルエットでごまかしてみました。手前の草には霜が降りていて朝日に輝いていましたが、写真にしてみたらちょっとわかりにくい感じでした。

【2011.11.26 顔戸~御嵩口】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 3707Dは鵜沼を8時21分発ですので、線路に陽は当たっているだろうとこの時間に合わせてうぬまの森の展望塔に向かいました。紅葉も2週間前に比べてかなり進んでおり、いい感じになっていました。雲ひとつない晴天の中、遠く乗鞍岳も望むことができました。

【2011.11.26 鵜沼~坂祝】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 以前に出札掛様がアップされていましたが、横構図にすると御岳を入れることができます。冠雪しているかどうか心配でしたが、期待どおりの状況でした。坂祝陸橋横の高圧鉄塔が赤白に塗られてしまい、結構目立つようになってしまいましたが、どうにもなりません。また、画面下の木が徐々に成長しており、近い将来には線路が見えなくなる可能性が高くなりそうです。訪問されるなら今のうちといった感じです。

【2011.11.26 鵜沼~坂祝】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 反対側を向くと濃尾平野が広がり、手前には新鵜沼の駅から犬山橋付近を遠望できます。ここは早朝のわずかな時間帯だけ列車の側面に陽が当たります。ちょうど5番線に6000系の6両が折り返し待ちのところに3500系の4両が犬山方面に向かって行きます。白基調の特急車や銀電では存在感が出ませんので、赤い車両が狙い目です。

【2011.11.26 新鵜沼】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 うぬまの森の散策コースの中にはもうひとつ撮影ポイントがあります。まんさくの道の終点にある展望デッキで、展望塔よりは低い位置になりますが、御岳と乗鞍岳が見えないときはこちらの方がいいかも知れません。

【2011.11.26 鵜沼~坂祝】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 うぬまの森の後、もう少し時間があったので、名鉄広見線の愛岐トンネル付近に寄り道しました。背景の山はいい感じで紅葉していましたが、この時期は太陽の位置が低いため、列車にはスポットライトの状態でしか陽が当たりませんでした。

【2011.11.26 善師野~西可児】(電車運転士)

|

2011年11月27日 (日)

飯田線119系も間もなく終焉?

 昨日の午前中、そろそろ置き換えが始まると噂されている飯田線の119系を撮影に東上~野田城の定番ポイントへ行ってきました。

雲の多い天気だったので日が射したり陰ったりでやきもきしましたが何とか綺麗に撮ることが出来ました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 そして今日、所用で豊橋駅に行くとカメラを構えているファンがちらほら。何か来るのかなと思ったら、なんと119系置き換え用の

213系2本(5003編成&5004編成)が回送されてきました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


  いよいよ来週あたりから置き換えが始まるのかと思っていたら、今日夜再び豊橋駅を通りかかったら、なんともう営業運転に

入っているのを確認しました。20:58豊橋発に5003編成、21:19発に5004編成が入っていました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 旧型国電を廃車に追いやった、憎き119系もいよいよあとわずかのようです。なかなか食指が動かないかもしれませんが、

撮影はお早めにどうぞ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 単行の車両はいつまで残るのだろう?あっさり2連に置き換えられてしますのかも?。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 しょうもない写真にお付き合いいただきありがとうございました。取り急ぎ速報です。(車掌長)

|

【アーカイブス】美しき?名鉄電車

 こんなタイトルを付けると、拒否反応を示す方もいらっしゃるだろうが(^^;)、これまで長年に亘り名鉄電車を撮影する中で、「あ!この電車はこんなに美しかったのか」と認識を新たにしたことがある。もちろん、パノラマカーや流線ではなく、ごく普通のAL車である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 撮影したのは、昭和54年2月のはだか祭りの日で、手前が3651、後ろが3652の編成である。モ3650形は、設計思想から言えば国鉄モハ52に対する合いの子モハ53のような位置づけで、流線3400形の思想を受け継ぎ、貫通型とした車両で、両運3600形の片運バージョンある。そうした経緯もあって、前面や側面の窓の上部にはRが付けられ、一段窓とその上部がノーヘッダーであることとあわせて優雅なスタイルとなった。しかし、登場時期が昭和15~16年と戦争にかかったため、戦前はその本領が発揮できなかった。


 3560形は戦後は複電圧に改造され、塗装もマルーンとサーモンピンクに変更され、支線区への直通特急に使われた。この頃が一番の全盛期で、この2色塗装がこの車両にも似合っていたと思う。しかし、スカーレットの塗色は必ずしも似合っていたとは思わない。せめて、上の写真をモノクロ化することで、緑だった時代のイメージを偲んでみたい。多少は、当方の意図もご理解いただけるのではないか、と思う。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この日には、もう1本、両運バージョンであった3600形を連結した編成も運転されていた。こちらは、運転台が高運化されているので、3650形ほどの編成美は失われているが、それでも一段窓が連なる姿は美しい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これら写真の撮影場所は、国府宮と島氏永の間である。

 この場所では、こんな編成も写している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは編成美といえるのかな?(^^;)(駅長)




 

|

2011年11月25日 (金)

運転休止中

11月23日、家族運用で特にこれという目的もなく明治村に出かけました。その際に昨年12月20日から運転休止中となっているSLと京都市電の様子を少しだけ覘いてきまそたので、撮影画像を添えてご報告します。




「はなぶさ」に集まる仲間たち

駐車場に直結するSL東京駅のホームには客車のみが留置されています。ホームに入ることはできません。掲示板には運休中である旨の張り紙がありました。そういえばSLは?どこかに留置?あっ、ターンテーブル奥の車庫内かも?そこは見てくるのを忘れました。




「はなぶさ」に集まる仲間たち

2両の京都市電は、SLと接続する名古屋駅に見学通路を挟んで留置されています。1号車側から2号車を眺めました。こちらは客車と違って車体のそばまで近付くことができますが、車内への立ち入りは禁止。




「はなぶさ」に集まる仲間たち

こちらは留置中の1号車。人気(ひとけ)の全くない京都市電は、あまりにも寂し過ぎます。車体には、やはり運休中の断り書きが張られています。




「はなぶさ」に集まる仲間たち

2号車はこんな感じで留置されています。立ち入り禁止の柵は設けられていないので、普通に停車しているだけのようにも見えます。なんだか、このまま展示物となってしまいそうな気配。




明治村のHPによると、運休の理由は「老朽化による経年劣化の進行状況を調査するため」とのことですが、間もなく1年が経とうというのに運転再会の兆しも見えません。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

どうか無事整備を終え、再び走る姿を見られることを切に望んでいます。(出札掛)


|

2011年11月23日 (水)

【アーカイブス】80系最終日の疑問

 これまで撮影した写真を時系列的に順次スキャンを進めているが、中にはどうしてこのような写真を撮影したのか、皆目思い出せない写真も少なからずある。

 それらについて、お知恵を拝借したく、写真の掲載とあわせてお伺いする次第である。


 まずは、昭和55年3月23日に撮影した80系のお別れ運転。ここのメンバーも、ほとんどの方が撮影しているのではないか?

 この頃、80系は神領の所属で、中央線中津川以北の普通列車に使われ、1日に2往復?が名古屋まで顔を出していたのではないかと思う。


 3月23日のさよなら運転は、名古屋と坂下の間で行われたようで、勝川、落合川、坂下、そして不明の場所で撮影している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 名古屋への回送は、勝川のカーブで撮影している。今は住宅がびっしり並んでいるこの場所も、当時は長閑な田園が広がっていた。この日は、ゲリラ雲が頻繁に押し寄せていたようで、この写真も曇って大幅な露出不足になってしまい、フォトショップでなんとか見られる程度まで修正している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この時は自動車で行ったのか、電車で行ったか記憶はないが、その後は落合川で撮影しているようだ。ここでもゲリラ雲にやられてマダラ模様である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 その後は、折り返しの坂下までおっかけて撮影している。ここでも曇りと晴れが交互に来ていたようで、曇ったカットも多い。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 さて、その後、中央線内で撮影していても良いはずだが、コダクロームでは次のコマが東海道線を走る80系となっている。


 この時は名古屋駅まで営業運転の後に、大垣まで回送したのであろうか?

 また、この撮影場所はどこだろう?稲沢操車場の北側かと思われるが・・・・。


 ところで久しぶりにコダクロームをスキャンしてみたが、露出不足で潰れた場合、修正がかなり難しいのがわかった。色も、当時のエクタクロームがかなり鮮やかな発色を残しているのに対して、如何にも悪い。まあ、これがコダクロームの「渋い色」と考えて使っていたのであるが、今見ると、かなり残念な発色である。

 また、粒状性も相当落ちていることがわかった。比較の対象としてはまずいかもしれないが、6×7のエクタクロームではほぼAPSサイズのデジカメくらいの感じであるし、最近まで使っていたフジクロームもまずまずの粒状性であるが、コダクロームではエッジの立ち上がりが悪いこともあって、ちょっと全般的に甘い感じである。


 もっとも、当時のエクタもかなり色が転ぶことがあったので、今にしてみてもどちらが正解だったか、よくわからないが・・・。


追記

 モノクロの写真が出てきたので(^^;)、追加したい。帰りの列車は釜戸で撮影し、さらに一宮の後、木曽川まで追っかけたようだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 木曽川では、逆光で撮影している。一宮停車中に、鎧戸を降ろしたためか、窓が抜けていないのが残念。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 今なら、間違いなく順光側に行くだろうなぁ。(駅長)




|

2011年11月20日 (日)

125.飯田線 紅葉鉄 2011/11/20

 今年も紅葉シーズンが佳境に入ってきましたが、ここ最近は平日はバリ晴れが続くのに土日になると天候がパッとしないパターンが繰り返されています。19日の土曜日は全国的に雨、20日の日曜日は当初は曇りまたは雨予報でしたが、直前になって晴れ予報に変わり、紅葉が終わってしまう前にどこかへ出動しなければと、20日の未明に自宅を出発しました。先々週は中央西線だったので、オレンジツートン目当てで高山線に行こうかと思いましたが、先週のさわやかウォーキング終了後、早々とオレンジツートン同士のユニットが解消されてしまい一気にトーンダウン、ここ最近飯田線がごぶさただったのを思い出し、伊那谷へと向かいました。4時00分に自宅を出た時はまだ雨が残っており、先行きが心配されましたが、とりあえず予報を信じてるしかありませんでした。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 早朝は山深い天竜峡以南の天竜川沿いは陽が当たらないため、とりあえず去年のGWに訪れた北部の中田切川俯瞰ポイントへ向かいました。現地到着時はドン曇りで「ダメだこりゃ」といった雰囲気でしたが、次第に雲が切れ、鉄橋に陽が当たる状況にまで回復しました。残念ながら中央アルプスは雲の中でした。

【2011.11.20 田切~伊那福岡】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 上の写真と同じポジションでカメラを左に振ると田切の築堤も望むことができます。手前は陽が当たって紅葉がいい感じに光ってくれましたが、後方の山は暗いまま、ベストなコンディションは来シーズンの宿題となってしまいました。

【2011.11.20 田切~伊那福岡】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 田切~伊那福岡の俯瞰ポイント撤収後は時間短縮のために松川ICから中央道を飯田山本ICまで利用し、平岡の定番ポイントまで移動しました。ここも次から次へとゲリラ雲が襲来して不安定な状態でしたが、「伊那路1号」は何とか満足のいく条件で撮ることができました。前日の雨で川の水が茶色に濁っていたのは残念でしたが…。

【2011.11.20 平岡~為栗】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 平岡の後は天竜峡を一望できるポイントがあるということで早速行ってみることにしました。実は、田切の後にここに立ち寄ったのですが、1本目の普通列車は川霧がひどくファインダーの中は真っ白で列車の音だけが無情に響く状態で撃沈、2本目の「伊那路2号」はゲリラ雲でこれまた撃沈だったので、再挑戦となりました。午後になって天候も安定し、紅葉も見頃を迎え、艶やかなシーンが展開されていました。

【2011.11.20 千代~天竜峡】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 カメラを横位置にして風景を大きく取り入れるとこんな感じになります。肝心の列車は鉄橋を渡ってカーブを回り込み、落石覆いからチラッと顔をのぞかせています。天竜川下りの船とのコラボを秘かに期待していましたが、微妙なタイミングで実現しませんでした。

【2011.11.20 千代~天竜峡】(電車運転士)

|

ちょっとだけ“米原”


新宮に取り残されたJR西日本の紀勢線用特急車両救出大作戦は、11月20日、今回で最後となる3本目の行程がトラブルもなく無事終了しました。今回のプロジェクトは鉄道ファンのみならずマスコミをも賑わすほど注目を浴びたようで、そのせいか関係各所は要所要所に監視員を配備するほどピリピリしたムードが漂い、普段の甲種輸送とは様相が異なる雰囲気がありました。


さて、先週撮影した283系の救出列車に引き続き今回は381系ということで、再びこの救出列車を記録するべく、またもや米原まで未明のドライブを遂行いたしました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

前回同様、米原手前の直線コースに陣取ります。当該列車9481レの推定通過時刻は6:40ころ。前回よりも日の出時刻がさらに遅くなり、露出が厳しくなったのに加えて曇天模様でますます暗い。米原で3時間も停車するので明るくなってから撮りに来ればいいのに、「どうせならJR東海管内を走行した事実を記録しておきたい」というこだわりがありまして、意地でも撮影してやるぞ!とISO1600、1/60、F4.8 の設定で苦し紛れのズーム流し。明るいレンズを使えば?と言われましても手元には・・・。



「はなぶさ」に集まる仲間たち
9481レが米原3時間停車の間、同日に運転されるSL「北びわこ」用のC56が送られてくるのを待ちます。某ブログのおかげでおおよそのスジをつかんでいたので、ゆっくりとポイント選び。編成は「北びわこ」回送担当のPFとC56の重単。紅葉が深まる山肌をバックにこれまた暗~い曇り空のもとで露出が上がらないうちに来てしまいました。スピードが遅いのがせめてもの救い。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

さて再び9481レの撮影です。実はここが本日のメイン。彦根北方にある、午前の下り列車向けに適したやや穴場的撮影地へ向かいます(検査掛様の記事内画像と同一場所)。晴れたら順光ポイントなのに、ところが相変わらず曇り空。さらに、前夜からの東海道線運行障害により遅延した長距離貨物の影響を受けて、現地通過は15分強の遅れ。しかしこの災いが功を奏して、うまい具合に太陽が顔を出してくれました。定通だったら曇り空の下・・・なかなかラッキー?

ここまで行動をたまたま共にしたd51826na様、連日の朝練ほんとうにお疲れ様でした。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

最後に、SL「北びわこ」へ向かおうと思い、その前に念のため掲示板のチェックをしたら、8865レがEF64の無動力回送を従えて走行中とのこと。煙の期待ができないC56「北びわこ」は次の機会にして、この際だから珍しさを優先して8865レに転戦。久々にロクヨン0番台を拝むことができました。



本日の撮影はここまで。粘れば午後の「北びわこ」やドクターイエローなども撮れるはずなのに、昨晩「昼までに帰るよ」と言い残してきてしまったのが運のつき。早く帰らないとそのうち外出禁止令が下される~~(笑)。(家庭内平和を望む出札掛)

|

2011年11月15日 (火)

124.姫路近郊のキハ10系郵便荷物気動車

 当時在住していた姫路は東西に幹線の山陽本線が走り、北に播但線、北西に姫新線が分岐し、近郊の加古川からは加古川線と高砂線が分岐するというロケーションとなっていました。宅配便が普及する前の非電化ローカル線の普通列車多くには郵便荷物気動車が連結され、編成のアクセントとなっていました。播但線はキハユニ26をはじめとする20系が中心でしたが、姫新線・加古川線の郵便荷物気動車は10番代系列が主力でした。これらの車両は地味な存在だったため、注目されることは少なかったように記憶していますが、その頃のネガに写っていたものをご紹介したいと思います。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 姫新線運用に入っていたキハユニ15です。キハユニ15は元々は電気式気動車のキハ44000(キハ09)で各種改造を経て最終的に郵便荷物気動車として生き残ったものです。オリジナルは湘南顔でしたが、写真の1だけは貫通顔に改造されていました。当時はそんな生い立ちを知る由もなく、バス窓とは違った雑型客車のような1段窓が珍しくてシャッターを押したものと思われます。

【1978.2.19 姫路第1機関区】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 姫新線を行くキユニ18です。キユニ18はキハ16から改造されたキハユニ18を再改造したもので、姫新線を担当していた岡山気動車区には3両配置されていました。写真の列車は7両編成で、ローカル線といえども朝夕のラッシュ時には長大編成の列車が運転されていました。ネガを見るとこの日はこの列車しか写っておらず、何かのついでではなく、わざわざ狙いに行ったものと思われますが、未だに理由を思い出すことはできません。
【1978.7.23 播磨高岡~余部】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 加古川線のキハユニ15です。加古川気動車区には3両(3・6・9)のキハユニ15が配置されていました。こちらは貫通顔に改造されることなく湘南顔を保っていましたので、キハ20・30・35といった一般型気動車ばかりだった加古川線ではマスコット的存在でした。当時でも国鉄の湘南顔気動車は珍しい存在になりつつありましたので、加古川線のキハユニ15は運用を調べてわざわざ狙いに行っています。3両のうち3は正面窓が小さく改造されて変顔になっていたので、あまり好みではありませんでした。3が来たらガッカリかなと思っていましたが、幸いにも普通顔の6が来てくれました。

【1978.7.16 厄神~市場】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 ポジションを移動し、別の列車を田園風景の中で撮影しました。梅雨明け直後の暑い1日でしたが、当然のことながらローカルの気動車列車には冷房はなく、客室窓は全開、荷物室のドアも開けっ放しの状態でした。この時以来、加古川線を訪れたことはありませんが、今では電化されて沿線開発も進み、このような長閑な風景は見られないのではないでしょうか。

【1978.7.16 厄神~市場】((電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち
 撮影を終えて加古川に戻って来ると中線にキユニ18 4を先頭にキハ35・20・25を連ねた列車が停車中でした。キユニ18は岡山気動車区の所属なので、加古川に姿を見せることはありませんが、おそらく高砂線の終点にあった高砂工場への入出場の関係の列車だと思われます。
【1978.7.16 加古川】(電車運転士)

|

【アーカイブス】近鉄ビスタカー3重連 さよなら運転

 13日に運行された紀勢線車両の回送の話題で盛り上がっているが、残念ながら、当方は不参加であった。特に理由はなく、なぜかもうひとつ気分が乗らなかっただけであるが、こうやって皆さん方の写真を見てしまうと、やはり行けば良かったか、と思ってしまう。


 そんなわけで新しい写真はないので、相変わらずアーカイブスネタである。

 

 近鉄のビスタカー3重連も、同じ角度の写真の連続で辟易とされた方も多いだろうか、ここまできたら、最後に運行されたさよなら運転の様子もご紹介しなければいけないだろう。


 ビスタカーの3重連の最後は、昭和54年7月(22日?)から8月5日にかけて名古屋線で行われたさよなら運転である。

 しかし、この運行期間中は、名鉄豊田線の開業があり、また、この頃、仕事が昼間中心に変わったことから、これまでのようにおいそれとは撮影に行けなくなった。このため、このさよなら運転は、初日に名古屋周辺で撮影したのと、最終日に伊勢市の近くで撮影しただけの2回だけの撮影であった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 7月22日の写真は、この頃良く撮影した戸田~伏屋間での撮影である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この場所で、富吉からの回送と鳥羽行きを撮影している。しかし、ご覧のように鳥羽行きは、後打ちである。さすがにこの頃のネガを見ていると、なぜこんな撮り方、というような不可思議な行動は見られなくなっているが、この時はなぜ後打ちをしたのだろうか?少し場所を変えれば、前から撮影できたのであるが。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 8月5日もちょっと不可解な行動である。朝の鳥羽行きは撮影せず、明星の入庫から撮影しているのである。

 ところで、この写真、回送でありながら、車内に乗客の姿が見られる。撮影会ということで、回送電車にファンを乗せたのであろうか?


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この時、明星では撮影会が行われていたのであろうか。検車区内で撮影している。

 この折り返し線は、手前がすっきりして形式写真にピッタリの場所である。タイミング良く、横をビスタカー3世が通過して、新旧ビスタカーの出会いが見られた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この列車の鳥羽への回送は、定番の宮川鉄橋で撮影している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 一方、名古屋行きの列車は櫛田川に移動して撮影したようだ。


 この日で最後となった新ビスタカー。若干の思い入れがあることも確かであるが、若干のレトロ感はあるものの、今見ても良いデザインであると思う。こうした特徴のある名車は、今後生まれるのだろうか。(駅長)


|

2011年11月14日 (月)

123.うぬまの森 俯瞰鉄 2011/11/13

 11月12・13日の2日間、さわやかウォーキングの臨時列車が岐阜~美濃太田で運転されました。この列車にキハ40・48のオレンジツートン車3両が充当されるとのことで、仕事の関係で13日だけでしたが、一応参戦してきました。どこで撮ろうか悩みましたが、以前に出札掛様が最近のうぬまの森の画像をアップされていたのを思い出し、オレンジツートンなら俯瞰しても存在感は失われないだろうと思い、何年か振りに登ってみることにしました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 岐阜への送り込み回送の美濃太田発は7時30分、これを展望台から狙おうと早朝の軽登山となりました。現地到着時は木曽川沿いに霧がかかり、視界が悪い状態だったので、一瞬下山しようかと迷いが生じましたが、もう少し時間が経てば多分大丈夫だろうと判断、そのまま列車を待つことにしました。ここも以前に比べて木がかなり成長したため、高山本線を望むポジションはピンポイントとなってしまいました。御岳山は雲の中だったのと右奥の陸橋の横にある高圧鉄塔が赤白塗りになって非常に目立つため、これをカットする縦構図で待ちました。線路への日当たりも心配されましたが、通過の15分くらい前にはOKとなり、ホッと胸をなでおろしました。やはり、オレンジツートンは俯瞰でも存在感があります。もう少し木々が色づいていたら最高でしたが、贅沢は言ってられません。岐阜からの折り返しは坂祝陸橋から順光でといきたかったところですが、午前中に家族運用があり、この列車を撮ったでけで撤収せざるを得ませんでした。何とももったいない話ですが、今後のことを考えると強引な行動はとれませんでした。

【2011.11.13 鵜沼~坂祝】(電車運転士) 

|

2011年11月13日 (日)

ツートン色に振り回されて


11月12、13の両日、高山線では過日の「高山線77周年記念号」に引き続き、またもや国鉄ツートン色の限定運用による「さわやかウオーキング号」が岐阜~美濃太田で両日とも回送を含め2往復運転されました。

今回は美濃太田所属の全ツートン車総出演の3両編成です。しかし運転区間が短いので「ここぞ」という撮影地も限られるため、有名お立ち台には否が応でも同業者が集結しそう。しかし冷静に考えれば、それほど血眼になって追わねばならない列車でもないし、2日間で8回までは撮影チャンスが保障されるはず。ならば失敗しても取り返しがつくかな、と考えてできるだけ同業者と競合する確率が低い場所を目指して2日間の撮影行に挑みました。時系列にてその一部を紹介します。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

成田山北口駐車場から撮影した12日の美濃太田行き。左手には名鉄の「にんじんカーブ」が見えますね。


  「おーい、列車が小さすぎるではないか!」


はい、百も承知です。実は、これだけ離れた距離からツートン色はどこまで映えるでしょうか、という試みをしてみたくて(そうなの?)。



「はなぶさ」に集まる仲間たち
午後は、木曽川の名勝・日本ライン付近を走る岐阜行きを狙います。線路が南西方向を向くので午後の撮影は側面に陽が当たるかが案じられましたが、ぎりぎり間に合いました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

岐阜からの回送を待つ間、この日のもう一つのイベント・「美濃太田駅90周年記念号」を太多線の名所で仕留めます。車両は何の変哲もないキハ85。ただ、モノクラスのみの5両という珍しい組成と、通常ではホームライナー以外にキハ85の太多線走行は見られないことで、数十名のカメラマンが集まりました。両端の先頭車はこの列車のために全検明けの車両を充当させたのでしょうか、白粉を塗ったように真っ白のピッカピカ。加えて貫通扉には特製HMも付けられました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

逆光承知で美濃太田回送を同駅の手前で待ちましたが、某情報誌の掲載時刻よりも30分遅くやって来ました。時変がかかったのでしょうか。おかげでうす雲の隙間からの夕日ギラリを撮れましたが、露出が上がらないため背景が目障りになってしまいました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

翌13日は、マスコミでも話題となったこの列車を撮りに早朝の米原まで。運転計画の件で、いろいろな噂が流れましたが某情報の予定通りに走りました。 現地でお会いしたd51826様、お疲れ様でした。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

トンボ返りで、再び高山線でツートン色を狙います。今度はうぬまの森から大俯瞰に挑戦。後追いになりますが、気にならない範囲かと思います。山肌が少し色付いてきましたがイマイチですね。ふと見ると、枝が下から伸びてきており、そのうち木曽川を隠してしまうのではないかと少し気になります。


  「これも列車が小さすぎるではないか!」


いや、ですから・・・。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

3両編成を強調するため、一度はえんぴつころがし写真を。名鉄にんじんカーブをサイドから見下ろす伊木の森
で捉えます。住宅地と電信柱が目障りですね。名鉄電車が共演すれば面白い写真になるのだが。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

上記列車の鵜沼バカ停を利用して追いかけます。しかし行き着いた先は、昨日と同じ美濃太田手前の大築堤(ここしか思いつかないので・・・)。夕陽を受けてギラリ写真のリベンジです。昨日よりも光が強いので、ギラリ車体にうまく露出を合わせれば背景の建物が少しはつぶせるだろうか、と目論んでいざ撮影・・・が、狙いすぎました。画像処理せねば。因みに時間は昨日と同じスジ。やはり計画的に時変されたのでしょうね。


さて、二日間にわたる鉄活動の反動で、しばらくは家でおとなしくしていなければ。(できるわけない・出札掛)




|

災害禍の車両回送2011そして1982

以前から噂になっていた新宮に取り残されたJR西日本の帰区回送の情報が、定例会の途中に友人からなんともストライクに入ってきました。

この情報の拡がりにはJR側もかなり過敏になっており、サイトもすぐ削除されました。しかしながら、時すでに遅し、この情報は鉄の間で瞬く間に伝わっておりました。


というわけで、11月10日の控車の送り込み、そして13日のオーシャンアロー283系および本日14日の381系の回送を撮影に行ってまいりましたので、ご報告します。


まずは11月10日の控車クモヤ145の送り込み回送から


「はなぶさ」に集まる仲間たち

9381レ 清州

編成はDD51 875+クモヤ145-1051+クモヤ145-1201+クモヤ145-1052

ホームや、稲沢寄りの踏切あたりには大勢の同業者がいましたが、なぜかここは私ともう一人のみ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

蟹江・永和

笹島の長時間停車の間に永和に先回り、川の向こう側の堤防には20人ほどいましたが、こちら側は3人のみ。ドン曇りなのでどこでも撮れます。気が付けばクモヤはパンタを外していました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

永和・白鳥(信)

6分停車の永和で抜いてもう一度。


続いて13日、オーシャンアロー283系の回送です。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

9481レ 柏原・近江長岡

米原操6:45着との情報で、この季節かなり厳しいと思いましたが、晴れとの予報なので、なんとか露出はあるのでは、とここで構えました。時変されたとの情報もありましたが、直前では困難であろうと思い、事前情報に賭けてみました。結果オーライでした。

米原操は謎のコンテナ列車にプロテクトされていたのでパスし、彦根近くの処理場横に直行しましたが、すでに三脚が林立しており、かろうじて脚立で場所を確保しました。予報では晴れ、だったのですが、どんどん曇ってきて↓の状況でした。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

9481レ 米原操・彦根


さらに本日14日も休みのため、せっかく情報を得たので、381系の回送を撮りに行ってきました。今日は米原操のプロテクトはありませんでした。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

9481レ 米原操・彦根

湖東地方は昨日より曇っていました。


さて、そーいえば前にもこのような列車を撮ったことがあるなぁ、と思い出したのが、1982年8月の台風10号での被災でした。

このときは、東海道線でも富士川橋梁が流される等国鉄にも甚大な被害が出ましたが、近畿では関西線の王寺が冠水し、多くの113系、101系が水没しました。このとき、国鉄当局が出した判断は、113系は修繕し、101系は関東の余剰車を充当し、廃車するというものでした。今回の回送と違うのは、このときは車両自体が罹災していたことです。

113系の4連のうち、たしか2本が名古屋工場に入場するため回送され、それを撮りに行っています。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

回9222レ 八田 1982年8月25日

この日は仕事があり、ここでしか撮っていません。このときは控車を介さずDD51と113系が直接連結されていますが、中間連結器を使用したのか、113系を自連にしたのか確認していません。

さらに情報を得て、吹田工場への入場も撮りに行っています。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

回9227レ 王寺 1982年9月8日

この頃の長閑さについてはこのブログでことあるごとに触れられていますが、ご覧のように平気で構内で撮影しています。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

回9227レ 河内堅上・三郷 1982年9月8日

この日は沿線で走行写真を撮ろうとしましたが、関西線については知識がなかったので、こんな角度で撮ってます。

先ほど述べたように、101系は廃車処分となっています。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

9892レ 放出 1982年10月13日

この日は午前中、川重から115系3000番台の出場試運転があり、101系の回送はここでしか撮っていません。たしか、近車で解体されたものと思います。

災害があると、当然鉄道も大きな被害を受け、当時の国鉄であれ、JRであれその復旧については苦悩されることは容易に想像できますが、その記録もまた必要なのではないでしょうか。(勝手な言い分で~す(-^□^-) 検査掛)









|

2011年11月10日 (木)

【アーカイブス】近鉄ビスタカー3重連 名古屋線編

 昭和53~54年に運行された近鉄ビスタカーの3重連を大阪線、山田線と紹介してきたが、ここまで来たら次は名古屋線となる。


 名古屋線での運行は、昭和53年春から開始され、昭和54年7月から8月にかけてさよなら運行が行われたが、この頃は瀬戸線の栄乗り入れや豊田線の開業などイベントが目白押しであり、それほどビスタカーの撮影に行けたわけではない。それでも、名古屋線の主立った場所で撮影しているので、それらを名古屋方から順番に紹介しよう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まずは戸田~近鉄蟹江間の田園地帯。現在は環状2号線の建設に伴い、高架化されている。知らないうちに、この写真を撮影したアパートも無くなっていた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 電車運転士さんも撮影されていたが、木曽川の鉄橋は撮りたくなる場所であった。ただ、名古屋行きよりも鳥羽行きの方がパンタが頭になって良かったかもしれない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 木曽川鉄橋を降りてくるところは、この頃好んで訪れた場所で、何度か撮影している。少々高台となっている足場は、かつて単線時代に関西線を越えていた築堤の跡である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 カーブを曲がってくる迫力ある写真を撮ろうと、揖斐川鉄橋の桑名側で撮影している。とはいえ、ここは結構撮りづらい場所であった記憶がある。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これはその桑名側の築堤。タイミング良く?ビスタカーの特急とすれ違ったため、一見すると4重連のように見える。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 益生の南の町屋川の鉄橋も、蒸機があったころからお馴染みの場所である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 富洲原の直線区間は、順光ですっきりした写真が撮れることから、好みの場所であった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 富洲原の富田よりの築堤も、編成写真に向いていることから、何度か訪れている。


 この後は、一気に中川の近くまで飛ぶ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 伊勢中川の手前、雲出川の鉄橋の手前で、この写真は堤防の上から撮影している。この頃は、鉛筆コロガシの写真が好きであったが、これはちょっとやりすぎだったかな?(駅長)










|

2011年11月 9日 (水)

【アーカイブス】近鉄ビスタカー3重連+α 山田・鳥羽線編

 先回ご紹介した大阪線のビスタカー3重連の評判が良いので、続いて山田・鳥羽線を行くビスタカー3重連と、同時期に撮影したビスタカーの写真をご覧にいれたい。


 まずは、素晴らしい3重連のカラーから。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 撮った本人が素晴らしい、と自画自賛していてもしょうがないが、どうみても素晴らしいからそう言う以外にない。

 場所はご存じの有名撮影地、宮川鉄橋で、ここを走るビスタの3重連の写真は定番中の定番というべきなのだろう。

 この写真が素晴らしいのは、3重連の特徴を活かしたアングルに加え、その発色にある。フィルムはエクタクロームであるが、天候に恵まれたことに加え、よほどエマルジョンが良かったのか、素晴らしくヌケの良い発色である。撮影は昭和53年7月なので今から33年前になるが、昨日撮影したと言っても信じて貰えるのではないか。もちろん、スキャンしただけで、ほとんど色の補正はしていない。

 加えて、この写真を見ると色の深みもデジタルよりあるように思われる。最高に状態の良いフィルムに、デジはまだ追いついていないのではないか、そう思われてならない。


 この時には、鳥羽高専だったかの建物に登らせて貰い、鳥羽手前の入り江を走るシーンも撮影している。20000系あおぞらと並んだ写真は以前お見せしたので、今度は帰りのモノクロをご覧にいれよう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 本来は、この構図で撮影することが狙いであった。


 さて、次の写真は一見同じような写真であるが、どこか違っている。さて、それは・・・。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

「はなぶさ」に集まる仲間たち

 撮影場所は、東松坂である。


 なぜ、こんな写真を撮影したか、といえば、この53年の秋は大阪線と名古屋線それぞれでビスタカーの3重連が運転され、その列車が東松坂付近ですれ違うと予想されたからである。

 とはいえ、ダイヤを見たわけではなく、時刻表からの推察であり、ぶっつけ本番であるから、よほどの幸運に恵まれないとそんなシーンが撮れるわけがない。結果としては、1分ほど鳥羽寄りですれ違い、すれ違いシーンは夢に終わった。

 さすがに、こんなリスクの高い写真をなんどもチャレンジする気にもならないので、撮影を試みたのはこの1度だけであった。ちなみに前パンが名古屋線、後パンが大阪線のはずである。


 さて、山田線の鉄橋といえば宮川があまりにも有名であるが、もうひとつ、長大な鉄橋として櫛田川がある。宮川鉄橋では夏にベストの写真が撮れたこともあり、この東松坂の後に櫛田川に撮影に向かっている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 宮川鉄橋と同じような写真が撮影できるが、この鉄橋は川を斜に渡っており、このため橋脚も線路にたいして直角ではないことから、架線中も線路に対して斜めになっている。そのため、なんとなくバランスが悪いのが難点である。


 さて、山田線にビスタの3連を撮りに行ったのは、この後のさよなら運転を含めて3度しかないようだ。景色から言えば名古屋線より良いのであるが、やはり気分的に遠かったのであろうか。

 とはいえ、新ビスタカーの登場した54年の正月には、その撮影を目的に山田線に行っている。この時は五十鈴川と朝熊のあたりで撮影している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 これは五十鈴川の伊勢寄りであるが、残念ながら、撮影時間中にはビスタカーが鳥羽寄りに付いた編成は来なかったようだ。


 さらに頑張って朝熊の山中まで行っている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 今にして思えば、この位置でビスタの3重連を撮れば良かったのであるが、そこまでは考えが回らなかったのであろうか。

 ちなみに、これら場所はこの後、訪れて撮影していない。(駅長)




 






 

|

2011年11月 8日 (火)

武蔵野を走る単行電車1973

最近あまり新作がないので、今回もアーカイブスです。

初めて一眼レフを所有して間もなく、この年の3月末で発展的解消?となる下河原線を訪れました。

あまりにもマイナーな路線なので、御存じない方のためにチョットご紹介しますと、中央線の国分寺から分岐し、かつて日本一長い駅名として有名だった東京競馬場前とを結ぶ旅客線と、途中から分岐して、下河原へ向かう貨物線とで構成されていました。旅客はこの1973年3月末で廃止、貨物は1976年まで運転されていたようです。

訪れた時は既に武蔵野線の開通が目前で、一部区間は武蔵野線に盛替えられた線路を走る格好になっていました。当時は今のように情報もなく、雑誌ももっぱら終焉を迎えつつある蒸機が中心だったと思いますが、そんな中、雑誌で知って行ってみたのでしょう。


まずは国分寺駅。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

専用ホームに停車中のクモハ40074。ホーム反対側に停まっている貨物が下河原線に入る列車のようです。早朝に出かけたようで、ド逆光です。

ホームに降りると、貨物の入換が始まりました。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

このDD13が下河原線貨物の牽引機のようです。残念ながら線内で撮った貨物列車の写真はありません。国鉄のホームの向こう側に西武鉄道の車両がちょこっと見えています。


ホームの時刻表です。首都圏でありながら30~40分ヘッドという閑散ぶりです。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


「はなぶさ」に集まる仲間たち

国分寺を出ると、しばらくは中央線と並走します。ネットで廃線跡を見ると、現在の西国分寺直前まで道床が確認できます。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

90度カーブを切って、北府中に向います。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

北府中は既に武蔵野線の駅として改装されていました。下河原線の列車が武蔵野線のホームを使用していたか記憶にありませんが、構内の一番東側を通り、しばらくは武蔵野線を走っていたようです。(画面右が南)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

南武線をオーバークロスし、しばらく東側に住宅、西側に畑の中を南下します。画面右端のポールが数本立っているあたりが、下河原と東京競馬場前への分岐です。電車は再び左に90度曲がって、東京競馬場前に到着します。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

東京競馬場前に到着です。ホームには上屋もありません。ホームの途切れたところを右に行くと、駅建屋があります。すぐ後ろを南武線が走っています。府中本町の駅は右手です。何故か肝心の「東京競馬場前」の駅名表は写っていません。

以上、半逆光ばかりの見づらい写真ばかりで申し訳ありません。すこしでも下河原線の雰囲気が伝われば幸いです。


後にも先にもここを訪れたのはこの一度きりで、今ここがどうなっているのか、改めて行ってみたい気がします。

余談ですが、ネットでこの線のことを検索したところ、分岐から先、下河原方面の廃線跡が公園として整備され、都電をアップしたときにチョット話題にした北王子貨物線?で使用していたEB10が保存されているようです。

(検査掛)









|

2011年11月 7日 (月)

【アーカイブス】近鉄ビスタカー3重連 大阪線編

 少し前に電車運転士さんから近鉄ビスタカー3重連の写真が公開されたが、このビスタカー3重連は小生も惹かれるものがあり、かなりの回数、撮影に行っている。

 このビスタカーの3重連は昭和53年の春シーズンを始めとして、昭和54年夏のさよなら運転までシーズン毎の休日に運転された、と記憶する。ただ、この運行は名古屋線が中心であった。

 ところが、昭和53年秋のシーズンだけは、大阪線と名古屋線の両方で運転された。大阪線での3重連の運行は、この時だけ、だったと記憶する。このため、櫛田のあたりではビスタカー3重連どうしのすれ違いも見られた。


 ビスタカーの3重連は、名古屋線での運転開始からかなりの回数撮影しているが、大阪線での運行開始により、使える休日のほとんどをこの撮影に費やしている。これは、当時、プレスで発売された写真集「参宮特急史」の影響が大きかったのかもしれない。結果として、その写真集に載っている写真をもとに、青山峠から大和八木までの撮影ポイントのほとんどで撮影したのではないだろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 大阪線最大の撮影地、といえば、榛原から長谷寺にかけて続く33‰の勾配区間であろう。かつて2200系の撮影で有名な場所であるが、どうしてもこの場所でビスタカーを撮りたいと思った。結果として、このアングルで2回撮影したはずである。さらに、調子に乗って、12月には新ビスタカー30000系の8連試運転まで撮影に行っている。この場所、今は撮影できるのだろうか?


 三本松の鉄橋も、好んで何回か撮影した。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ここは編成が綺麗にはいるので好きな場所である。ここも新ビスタカーになってからも撮影に行っている。この反対側に焼き肉屋があり、ビールを飲みながら列車を待ったこともある。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、ちょっと離れ過ぎかな(^^;)。


 こちらは三本松と赤目口の間の築堤。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この頃は雨でも出動しているようだ。さすがに若かっただけに元気である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 撮影場所は三本松と赤目口の間かと思われる。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 榛原と室生口大野の間。当時の近鉄の路線案内か何かの撮影地点である。但し、北側からのアングルなので、晴れた日には撮れない。モノクロで撮っていることもあるが、なぜか曇りか雨の写真ばかりである。この運転期間中、晴れたのは何回あったのだろうか?


 夜になっても、一杯飲むのではなく、三脚をかついで撮影しに行っている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 雨に煙る大和八木のホーム。特急マークは電照されているのかうっすらと闇夜に浮かび上がる。数あるビスタ3重連の中でも、最も好きな写真である。(駅長)




 


|

2011年11月 6日 (日)

富山で立山鉄

 所用があり、富山に行って来た。

 昼間は予定があって鉄をすることができないが、とはいえ、カメラはしっかり持っていっているので、すこしでも空いた時間を見つけて鉄に励むことになる。

 この時期、天候が良ければ立山連峰が見える可能性が高いが、今回はどうだろうか。


 高速バスで4日の昼に到着。天候は快晴であるが、残念ながら山には雲がかかっている。折角天気はよいが、時間的な余裕が無く、この日は新しい環状線を数枚スナップするだけで、終了。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 富山城をバックのこのアングル、旧国道8号上だけに、普段は車が入ってなかなか撮りづらいが、こういう1回しかチャンスがない時には、不思議に決まったのが撮れる。狙っているとなかなか撮れず、ワンチャンスの時に良いのが撮れるのは、どうして?


 さて、翌日起きてみると、天候は曇っているがとりあえず立山がシルエットで見える。シルエットの立山は写真にならないので、ゆっくり朝食をとって出発。それでも山が見えると、条件は悪くても撮りたくなるので、まずは地鉄ビル前に。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 現在、立山バックの定番撮影地である富山大橋が工事中なので、写真撮影には制約がある。後は、意外に立山を入れて撮れる場所がない。

 この地鉄ビル前のカーブは、バックの街路樹がうるさいが、左側にチラリと剣岳が入る。タイミング良く、唯一の旧塗装で、看板を外してオリジナルに近くなった7018がやってきた。

 続いて、環状線・セントラムと立山を狙うため、西町経由でグランドプラザ前に向かう。しかし、西町の交差点北側に、高層マンションがあるので、環状線の電車とはあまりうまく纏まらない。しかし、ここから西町の交差点を渡る電車を撮影すると、意外に立山と綺麗に纏まることがわかる。このアングルで狙うのは初めてである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ちょっと、オーストリア・インスブルックをイメージさせる写真になったと自負するけれども、如何だろうか。

 もっともこのアングル、換算300mmくらいで100mm以上離れた場所から撮影している。この間に、人はともかく、自動車が入ると駄目になってしまう。これは朝(といっても9時近いが)のため、自動車が少ないので、すっきりした写真になった。

 光線状態を考えると、本来は晴れた日の午後が望ましいが、その時間は自動車が多く、これだけ綺麗に人や自動車が切れることはなさそうだ。また、車両も最新の連接車で纏めたいところであるが、アングル的には車体長12mのボギー車の方がバランスが良い。


 5日の午後には時間が空くので、再度、チャレンジしようかと考えていたが、雨が降り出して、山も見えなくなったので、撮影はお終い。晴れた時のアングルは、次回の宿題にしたいが、さて、今度訪れた時に山が見えるだろうか。こればかりは運次第である。(駅長)


 




|

2011年11月 4日 (金)

122.木曽路 紅葉鉄 2011/11/3

 11月に入り、あちらこちらから紅葉の便りが聴こえてくる今日この頃です。この地方の平野部は大体11月下旬頃が見頃となりますが、某サイトで藪原付近の紅葉がそろそろ見頃という情報が掲載されていましたので、中央西線の北部に一足早い紅葉鉄に出動してきました。本来なら11月5日の土曜日が貨物列車の運休が少なく狙い目の日でしたが、生憎、家族運用で終日身動きがとれないこともあり、芳しくない天気予報を承知で国道19号線を北上しました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まずは定番パターンで6883列車を武並のアウトカーブで狙います。例年は11月中旬からの運転ですが、今年は10月下旬から運転が始まっています。また武並かと思われる方もいらっしゃるでしょうが、秋から冬にかけて恵那以南で陽が当たるのはここしかないので、スタートはどうしてもここになってしまいます。休日なので来るかどうか心配でしたが、同業者の姿が見えたので、多分大丈夫だろうという期待のもとに列車を待ちました。この日は牛乳パックのコンビでした。

【2011.11.3 武並~恵那】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 恵那での長時間停車を利用して先行します。6883列車は恵那のほかに須原・奈良井で長めに停車しますので、4回撮影が可能です。2回目は3088列車との絡みもあり、野尻~大桑で待ちました。ところが通過時間になっても列車の姿が見えません。しばらく待っていたら踏切が鳴ったので、スタンバイしていたら後続の「しなの」が来てしまいました。これは何かのトラブルに違いないとここでの撮影は諦め、藪原に向かいました。ちなみに3088は休日のため、所定どおり運休でした。藪原では定番の鳥居トンネル手前の俯瞰ポイントに向かいました。この付近は標高が800mに近いため、広葉樹のほかにカラマツの植生が見られ、いい感じで紅葉していましたが、天気は残念ながらドン曇りでした。6883列車はどうなったのか情報がわからなかったので、「しなの」でも撮れればと待っていたところ、6883列車が姿を見せてくれました。後で知ったことですが、この日は臨時電車が運転された関係で時刻変更があったみたいです。

【2011.11.3 藪原~奈良井】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 奈良井から先も6883列車を追っかけようかと思いましたが、天気も良くないのとこのバックの山の紅葉が綺麗だったので、追っかけは中止して後続の「しなの」を撮ることにしました。晴れれば逆光に光る紅葉が見られたはずでしたが、またひとつ宿題が増えてしまいました。

【2011.11.3 藪原~奈良井】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 3084列車は休日でしたが、運転される方に賭けて、順光となる須原~倉本のプチ俯瞰ポイントに向かうため、南に戻りました。木曽福島以南は紅葉の色付きが若干早かったようで、色合いはもう一息でした。肝心の3084列車は残念ながら運休、後続の「しなの」でお茶を濁す結果となりました。

【2011.11.3 須原~倉本】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 もう撮影可能時間帯に貨物列車は来ないので、再度、紅葉の綺麗な藪原方面に向かいました。藪原の少し南のこの場所も晴れれば紅葉が浮かび上がるはずでしたが、直前にゲリラ雲にやられて撃沈、午前中の早い時間までなら側面に陽が当たるので、6883列車はこっちで撮った方がよかったかなと少しだけ後悔です。

【2011.11.3 宮ノ越~藪原】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 3枚目の「しなの」の反対側を向くとこんな感じで撮れます。ちょうどセクションの位置にあたるため、多少電柱がうるさく感じられますが、紅葉はいい感じでした。この日は運休でしたが、貨物は3084列車が狙い目です。

【2011.11.3 藪原~奈良井】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 せっかくここまで遠征したので、ついでに贄川の定番鉄橋にも足を運んでみました。鳥居峠の塩尻側は厚い雲が垂れこめ、露出的にはかなり厳しかったですが、デジタルの画像処理のおかげで、何とか見れる状態にまでごまかすことができました。

【2011.11.3 贄川~日出塩】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 3枚目の「しなの」のポジションから少し立ち位置を変えて横構図で撮るとこんな感じになります。人によって好みはあると思いますが、近くの紅葉した木々が入るため、このアングルも捨てがたいと思いました。

【2011.11.3 藪原~奈良井】(電車運転士)



 木曽福島以北はちょうど紅葉が見頃で、貨物列車は6883列車だけでしたが、条件はよかったのにもかかわらず、スッキリと晴れなかったのが何とも悔やまれます。1日違いの今日は朝からバリ晴れ、どうも最近はこのパターンにやられっ放しです。おそらく次の週末(12・13日)はこのあたりの紅葉はピークを過ぎていると思われますので、来年以降の宿題がまたひとつ増えてしまいました。

|

2011年11月 3日 (木)

朝焼け VS ツートンカラー

2011/10/30(日)は、高山線にて周知のとおり国鉄ツートン色車2両編成による快速「高山線全通77周年記念号」が運転されました。記念号とはいっても、HMが掲出されたわけでもなく、式典が行われた様子もなく、ごく普通のローカル列車となんら変わらない装い。かえって「自然体のシーンが撮れて良かった」という声もありますが・・・。


美濃太田からの記念号送り込み回送の岐阜着は6:51。天気予報どおり、どうせ朝から曇り空なので、少しでも岐阜寄りのポイントで明かるさを稼ごうと考えて、長森駅東方の築堤お立ち台に向かうことにしました。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

某運用情報によると、回送の前走りである定期列車4700Cも、キハ40のツートン色が先頭に付く予定。まずはこの列車から撮影に挑んでみるものの、空は曇っているので感度を上げて適当にやっつけ仕事と割り切っていたら、通過数分前、奇跡的に雲の間から陽が差し込んできたので、急きょ立ち位置を変えて思い切って朝日に向けてシャッターを切りました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち



その15分後は本命列車。いったん雲の中に隠れた太陽が、これまた偶然にも通過数分前に再び顔を出しました。今度はサイド気味に定番角度。撮影者の中から、「陽が照ったせいで面がつぶれた~」との声が聞かれましたが、どうせHMも装着されていないことだし、天気予報に反して朝日を受けた貴重なシーンが撮れたのは幸運なことだな、と評価したいのですが。(・・・意見には個人差があります・・・)


「はなぶさ」に集まる仲間たち


お立ち台に着いた頃、東の空はうっすらと朝焼け雲になっていたので、ちょいとデフォルメしてやろうとホワイトバランスを「くもり」にして、朝焼けのイメージを強調しようと目論んだのに、突然の朝日が強烈過ぎて「オート」でも十分だったよう(アップ画像は現像ソフトでWBを調整してあります)。何れにせよ、これなら特にツートン色ではなくても良かったんじゃないの?というオチでした・・・。(出札掛)


|

2011年11月 2日 (水)

【アーカイブス】30年前の近鉄養老・揖斐線

 現在は養老鉄道の路線になってしまったが、近鉄時代の養老・揖斐線(以下、養老線とする)は名古屋線や大阪線などで不要になった車両が改軌して使用され、まさに近鉄の飯田線といった雰囲気を漂わせる路線であった。とはいえ、さまざまなエピソードに彩られて全国的な人気を誇る旧型国電と比べ、私鉄ゆえの人気の偏りもあり、養老線は単なる近鉄のいちローカル線という位置づけで、ここで活躍する旧型車がファンの関心を呼ぶことはほとんど無かった、と思う。


 かくいう小生も、この頃、養老線をしっかり撮っていない。この理由のひとつが勉強不足で、当時、養老線を走っていた車両の由緒をほとんど調べておらず、関心を持っていなかったためである。もうひとつは、昭和46年頃に名古屋線などから旧伊勢電などの車両転属により大幅な車両の入れ換えが行われ、近鉄に合併された中小私鉄の小型車が一掃されており、その頃を知る身としては、面白くなくなった、と感じていたことがある。もっとも、昭和46年当時に養老線に撮影のため通っていたわけではなく、関西線の蒸機撮影の折りに桑名で撮影した程度で、たまたま多度まで乗車して撮影した写真は露出不足で使い物にならず、単に撮影しないための言い訳であろう。

 今にして思えば、桑名から大神宮まで、特急「神路」で高速運転を行った伊勢電デハニ231や、関西急行の緑の弾丸モハ1形、さらにはデハニ231を改造して南大阪線の有料特急かもしかに使われたモ5820形など、当時の養老線には由緒ある車両がゴロゴロしていた。それらをしっかり撮っていないのは、まさに不勉強のそしりを免れない。


 とはいえ、かろうじて若干の写真はある。たまたまこの頃は仕事の関係で彦根に住んでいたが、名古屋との往復の途中にある養老線は、時間つぶしにちょうど良い路線であったからだ。そうした機会に撮影した写真をご覧にいれたい。


 まずは、伊勢電の名車デハニ231形。昭和35年に機器をモ6440形に譲渡して、全車制御車となり、養老線で活躍後、1980年頃に廃車となった。撮影場所は、東大垣である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 制御車化されたデハニ231形に対し、電動車のまま残った伊勢電の車両が元デハニ220形であるモニ6220形である。この車両は、1979年に廃車となっているが、その最後の時期に撮影している。場所は、揖斐付近である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 南大阪線でかもしか号となったモ5820形は、かもしか塗装で養老線に転属になった時期をしっているだけに、しっかり撮りたかった車両であるが、残念ながら形式的な写真は撮影していない。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、美濃山崎付近で撮影した5820形。ここは容易に俯瞰撮影ができ、手前にみかんを入れて風景的な写真が撮影できたことから、この後も何度か撮影している。


 時季外れだが、桜の写真をもう2カット。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは最初の写真と同じ東大垣のク5300形。元関西急行モハ1で、名鉄モ800形と似通ったデザインの美しい電車である。昭和47年の養老線転属時に制御車になっている。この場所、今も撮影が可能なのだろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは形式不詳であるが、駒野で養老山地をバックにしての撮影。天気がもうひとつなのが辛い。


 あと、形式的な写真を2枚ほど。

 まずは湘南顔のモ5801形5805。当時、湘南顔の車両は2両あったと思う。元大阪鉄道の車両の更新改造車である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 こちらは広い幕板でHゴム支持の窓など、見るからに不細工な元大阪鉄道のモ5650形。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 もちろん、車両の履歴を覚えているわけでなく、ネットで調べながら、この原稿を書いた。ゆえに、間違いがあるかもしれないので、それはご指摘頂きたい。

 

 いま時、こんな電車が走っていたら喜んで撮りに行ってしまうが(乗客には迷惑だろうが)、当時は本当に関心が無かった。一度くらい、西大垣の車庫に撮影に行けば良かったのであるが、撮影しずらいこともあって行っていないのは、今も悔いが残る。(駅長)






 



|

2011年11月 1日 (火)

「踊り子」運転開始30周年に寄せて

少々遡りますが、東京・伊豆急下田間に運転されている特急列車が、「あまぎ」に代わって、「踊り子」と命名されてから30年経ったのを記念して、185系にリバイバル塗装が施され、先月16日には記念列車が運転されました。

185系0番台の新造は、日車、川重、近車の3社だったと思いますが、その第1編成は日車で製造されており、その出場試運転に出かけていましたので、30周年に寄せて紹介させて頂きます。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


1981年1月29日 弁天・新居町 試9972M

この頃は、結構怖いもの知らずと言うべきか、アチコチでムチャなお願いを平気でしていたようで、この場所でも日車からの出場を何回か撮らせてもらっています。御存じリゾートマンションの屋上です。

この後、試運転の折返しとなる、掛川まで追いかけました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

1981年1月29日 掛川

種別表を回して、「あまぎ」が出てきました。そう、この時は「あまぎ」となるハズでした。ほかに「急行伊豆」「普通」などが出てきましたが、「踊り子」はありませんでした。しかし、なんていい時代だったのでしょうか。添乗の職員の方にチョット声をかければ、こんな風にホームを降りて撮らせてもらえました。写真右下にも見えるようにかなりのファンがこうして撮っていました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

1981年1月29日 新所原・二川 試9971M

折返しを撮りに戻りました。しかしこの編成、少しおかしくないですか?後の出場試運転を見てもそうなのですが、使用する編成毎ではなかったのです。本来、基本10両なのですが、サロが1両足りません。


この頃は関西も庭のようなもので、川重の出場も撮りに行っています。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

1981年3月26日 摂津富田 試9934M(新快速は3670M)

定期列車通過待ちをしている185系を、緩行線を新快速117系が抜いて行きます。

この2系列の並び、結構珍しいのではないでしょうか。

かたや特急用、かたや特殊事情はあるとはいえ普通列車用、車内設備は殆ど同じなのですが・・・。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

1981年8月23日 東京 809M

最後は、投入後、暫定的に急行用として153系に併結されて、「伊豆」に使われている様子です。15両もの長い編成なので、なかなかうまく撮れませんでした。後ろから撮っているので、修善寺乗入編成が185系でした。


なにはともあれ、何につけても30年というのはやはり隔世の感をつくづく感じました。(検査掛)

 



|

【アーカイブス】1972年の東京都電

 検査掛さんより、過去に撮影した東京都電のリクエストがあったので、紹介したい。


 これら写真は、大学に入り、はじめての夏休みに北海道に行く途中、上野で特急「みちのく」乗車までの待ち時間に撮影したものである。とはいえ、当時は路面電車よりも蒸機の方に熱が入っており、この年の秋に東京都電の市街地の区間が廃止になるとわかっていても、それほど熱心に撮影はしていない。また、東京の地理もよくわからず、結果として、錦糸町と上野の駅前で20枚ほどを撮影したにすぎない。


 そのような背景故、お見せできるほどのレベルの写真ではなく、お恥ずかしい次第である。それでも撮影以来、40年が経過すれば、それなりの価値もあるかもしれないので、ここに紹介したい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 分岐線があるところをみると、これは錦糸町の車庫の横あたりであろうか。道路が緑地で軌道と分離されているのは、今からみればちょっと驚きである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは錦糸町の車庫。7000形と3000形が写っている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 7000形は製造年代や改造によってさまざまなバリエーションがあるが、この車両は昭和40年改造されて、7500形に似た顔つきとなった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、都電最後の新造車である8000形。撮影場所は上野駅前か?


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 上野駅前は、高速道路の下を走っていたように記憶する。なにもこんな場所で撮影しなくても良いように思うが、他に撮影場所がなかったのかもしれない。(駅長)



|

« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »