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2011年11月 2日 (水)

【アーカイブス】30年前の近鉄養老・揖斐線

 現在は養老鉄道の路線になってしまったが、近鉄時代の養老・揖斐線(以下、養老線とする)は名古屋線や大阪線などで不要になった車両が改軌して使用され、まさに近鉄の飯田線といった雰囲気を漂わせる路線であった。とはいえ、さまざまなエピソードに彩られて全国的な人気を誇る旧型国電と比べ、私鉄ゆえの人気の偏りもあり、養老線は単なる近鉄のいちローカル線という位置づけで、ここで活躍する旧型車がファンの関心を呼ぶことはほとんど無かった、と思う。


 かくいう小生も、この頃、養老線をしっかり撮っていない。この理由のひとつが勉強不足で、当時、養老線を走っていた車両の由緒をほとんど調べておらず、関心を持っていなかったためである。もうひとつは、昭和46年頃に名古屋線などから旧伊勢電などの車両転属により大幅な車両の入れ換えが行われ、近鉄に合併された中小私鉄の小型車が一掃されており、その頃を知る身としては、面白くなくなった、と感じていたことがある。もっとも、昭和46年当時に養老線に撮影のため通っていたわけではなく、関西線の蒸機撮影の折りに桑名で撮影した程度で、たまたま多度まで乗車して撮影した写真は露出不足で使い物にならず、単に撮影しないための言い訳であろう。

 今にして思えば、桑名から大神宮まで、特急「神路」で高速運転を行った伊勢電デハニ231や、関西急行の緑の弾丸モハ1形、さらにはデハニ231を改造して南大阪線の有料特急かもしかに使われたモ5820形など、当時の養老線には由緒ある車両がゴロゴロしていた。それらをしっかり撮っていないのは、まさに不勉強のそしりを免れない。


 とはいえ、かろうじて若干の写真はある。たまたまこの頃は仕事の関係で彦根に住んでいたが、名古屋との往復の途中にある養老線は、時間つぶしにちょうど良い路線であったからだ。そうした機会に撮影した写真をご覧にいれたい。


 まずは、伊勢電の名車デハニ231形。昭和35年に機器をモ6440形に譲渡して、全車制御車となり、養老線で活躍後、1980年頃に廃車となった。撮影場所は、東大垣である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 制御車化されたデハニ231形に対し、電動車のまま残った伊勢電の車両が元デハニ220形であるモニ6220形である。この車両は、1979年に廃車となっているが、その最後の時期に撮影している。場所は、揖斐付近である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 南大阪線でかもしか号となったモ5820形は、かもしか塗装で養老線に転属になった時期をしっているだけに、しっかり撮りたかった車両であるが、残念ながら形式的な写真は撮影していない。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、美濃山崎付近で撮影した5820形。ここは容易に俯瞰撮影ができ、手前にみかんを入れて風景的な写真が撮影できたことから、この後も何度か撮影している。


 時季外れだが、桜の写真をもう2カット。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは最初の写真と同じ東大垣のク5300形。元関西急行モハ1で、名鉄モ800形と似通ったデザインの美しい電車である。昭和47年の養老線転属時に制御車になっている。この場所、今も撮影が可能なのだろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは形式不詳であるが、駒野で養老山地をバックにしての撮影。天気がもうひとつなのが辛い。


 あと、形式的な写真を2枚ほど。

 まずは湘南顔のモ5801形5805。当時、湘南顔の車両は2両あったと思う。元大阪鉄道の車両の更新改造車である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 こちらは広い幕板でHゴム支持の窓など、見るからに不細工な元大阪鉄道のモ5650形。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 もちろん、車両の履歴を覚えているわけでなく、ネットで調べながら、この原稿を書いた。ゆえに、間違いがあるかもしれないので、それはご指摘頂きたい。

 

 いま時、こんな電車が走っていたら喜んで撮りに行ってしまうが(乗客には迷惑だろうが)、当時は本当に関心が無かった。一度くらい、西大垣の車庫に撮影に行けば良かったのであるが、撮影しずらいこともあって行っていないのは、今も悔いが残る。(駅長)






 



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