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2011年10月

2011年10月31日 (月)

【アーカイブス】京都市電 最後の日

 電車運転士さんから、3度にわけて京都市電の写真が発表された。たまたま、この頃、仕事の関係で彦根に住んでいたので、京都市電の撮影には何度となく行っている。

 すでにこの頃には、望遠は原則85mmという現在と同じ撮り方をしているので、電車運転士さんとは、若干写真のイメージは異なっている。こうやって人の撮った写真を見てみると、それぞれの個性が伺えて面白いだけでなく、撮り方の示唆も与えてくれる。いまさら、「ああ、あの時にこうしたアングルでどうして撮らなかったのか」と悔やんでみてもしょうがないが、まあ、当時を振り返ってみて、思い出に浸るのも楽しい一時といえる。


 さて、折角の機会でもあるし、最後を控えて葬式鉄がいないのも寂しいとのコメントも寄せられているので、葬式鉄写真をお目にかけるとしよう。(^^;)


 まずは、最後の日の数日前に撮りに行った写真から1枚。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 場所は、もっとも京都らしい雰囲気を漂わせる祇園である。これはどこかのビルの屋上に登らせて貰って撮影している。このアングルからはあまり撮影されていないはずである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 さて、最終日には「さよなら京都市電」の看板が3両に付けられた、と記憶する。こうやって撮ると、あまり葬式鉄は気にならないが・・・・


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 電車運転士さんの撮られた東山七条はご覧の通り。カメラマンが鈴なりである。


 さて、この日は夕方仕事があり、一旦、職場に戻ってから最終電車を目的に出直している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 これは、さよなら式を終えて、京都駅を発車する直前の最終電車。あまりの人の多さに、花束を貰った運転士さんは出入り口から電車に乗れず、運転台横の窓から乗り込んでいる。


 さすがに、こんな写真はブログでしか公開できない。一般的に使うなら、この写真かな。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これだけ人の多さでは、この写真を撮るのが精一杯であった。まあ、この状況ではこの写真1枚あるだけでも良しとすべきなのだろう。(駅長)




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2011年10月30日 (日)

長良川鉄道に出かけた理由


長良川鉄道公式ブログによると、10月29日は「ナガラ10」が運行される予定とのこと。そういえばこの日は郡上八幡駅をスタートとするJR東海主催のさわやかウオーキングが開催されるため、長良川鉄道では臨時列車を仕立てたり定期列車を増結して、ほとんどの車両を総動員しての増強体制をとります。このためナガラ10も出番となるわけですね。長良川鉄道開業時から今なお現役でがんばっている車両が定期列車で運行している姿を一度はまともに撮影してみたいし、よ~し、行ってみるか!



ブログによると、ナガラ10は美濃太田駅6:26の下り始発に充当、ということは送り込みの関駅5:51発上り始発も当然同じ車両のはず。まずはこの上り列車の撮影を試みますが、運転時間帯は日の出直後のため太陽の光は望めません。そこで、露出を確保するべく空の明るさを少しでも拾えそうな場所を選ぼうと、太陽の昇る方角が比較的開けている富加付近に車を走らせました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

想定どおり、車体側面には明るくなった東の空が映り、辛うじて車両の存在を示してくれました。しかしアングルの都合で後追いを狙ったため、テールランプが点灯しているせいで、なんだか夕暮れ写真のイメージみたい?



「はなぶさ」に集まる仲間たち

ほぼ同じ場所で、美濃太田から30分後の折り返しを狙います。今度は太陽も顔を出し、朝日に輝くシーンを撮ることができました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

高速道で美並インターまで先回りし、長良川第3と第4橋梁に挟まれた赤池駅を目指しました。朝日を浴びて鉄橋を渡るシーンを想定していたところ、肝心の橋梁部は2箇所とも山の影で暗いまま。陽が当たっている場所を探し、やっとこさ撮影したのは第3橋梁を渡ったあとの赤池駅進入。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


「はなぶさ」に集まる仲間たち

山の影もかなり少なりました。今度こそ鉄橋を渡る写真を撮ろうと、“一粒で二度おいしい”撮影が出来る赤池俯瞰のお立ち台で三脚を立て、ナガラ10が戻ってくるまでしばらく粘ります。臨時列車も運転されたおかげで時間がつぶせました。(さすがに高速道は画像処理するわけにはいきませんね)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

3連の長編成列車も現れました。500形が300形にサンドイッチされた面白い編成は臨時快速。橋上で徐行運転をして車窓案内のサービスを行うのも臨時列車ならでは。



雲ひとつない上天気なのに、ヤボ用のためやむなく午前中で撤収することになりました。ナガラ10も午前中でいったん運用が終わるコースに就いていたので、撤収するにはちょうど踏ん切りがついたものの、若干心残りです。さて、このストレスを解消するべく再び長良川鉄道を訪れるきっかけをさっそく探ってみましょうか。(出札掛)





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121.古都の市電 日帰り散策 (3号車) 1978/5/28

 10月30日は家族運用もなくフリーの状態だったので、天気がよければ高山本線に走ったキハ48のオレンジツートンのイベント列車にでも参戦しようかと思っていましたが、あいにくの天候ということもあり、自宅でスキャン漬の1日となりました。2週間ほど前から少しお休みしていた京都市電、忘れ去られる前に3号車をアップしたいと思います。今回は最終号車ということで、最後に残った北側と北東側をご紹介します。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 白梅町から烏丸車庫方面に向かう途中の車内です。午後も遅い時間になるとどことなく気だるい雰囲気が車内に漂っています。乗客も思い思いの格好で目的地までの時間を過ごしています。

【1978.5.28 1925号車車内】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 陽もかなり傾き、夕方の斜光線に石畳がいい感じで光っていたので、千本北大路で下車しました。北側の路線はアップダウンが多く変化がありました。白梅町方面から市電が坂を登ってきました。

【1978.5.28 千本北大路】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 烏丸車庫の入口です。夕方近くということもあり、頻繁に入出庫の車両が出入りしていました。入口には出庫して行く車両、奥の方には出番を待つ車両が待機しています。活気のある光景を見ていると、4か月後に廃止になってしまうということが信じ難い感じでした。

【1978.5.28 烏丸車庫前】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 北東部分の一番のポイントが京福電鉄叡山線との平面交差でした。叡山線の本数がそんなに多くないこともあってうまく同じ画面に納まるか心配でしたが、うまい具合にデオ600がホームに停車中に市電が平面交差を横切って行きました。

【1978.5.28 叡電前】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 叡電前は鞍馬線と掛け持ちが可能でした。ちょうどうまい具合に古豪のデナ24がやって来ました。残念ながら運転席窓がHゴム化されていますが、窓の上部に大きなRが付いた優雅な雰囲気は十分に保たれています。嵐山線はすでにZパンタ化されていましたが、鞍馬線はまだポール集電のままでした。

【1978.5.28 元田中】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 再び祇園まで戻って来ました。これで外周路線を1周したことになります。やはり、祇園は著名な観光地が多いせいか乗降が多い電停でした。京都は今も昔も女性に人気があるようで、写真の降車客も圧倒的に女性の比率が多かったです。この日はこれを最後に阪急の河原町に向かい、阪急→山陽の乗り継ぎで帰宅しました。

【1978.5.28 祇園】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 十三で神戸線に乗り換えますが、3ドア改造前の2800系を撮りたくてホーム端で待ちました。本当は梅田発の列車の編成写真が撮りたかったのですが、思いっ切り被られてしまい撃沈でした。結局、この後追いの写真しか撮れませんでしたが、2800系の2枚看板は理屈抜きに格好イイです。

【1978.5,28 十三】(電車運転士)

「はなぶさ」に集まる仲間たち

 千里線の710系です。さすがにこの頃でも京都線と神戸線には旧型車の運用はなかったように思いますが、宝塚線や千里線には旧型車が残っていました。30年以上前とはいえ、大ターミナルの梅田にこのような旧型車両が出入りしていたとは信じ難いものがあります。

【1978.5.28 十三】(電車運転士)


 京都から日帰り圏内に住んでいたのにもかかわらず、初めての訪問が廃止の4か月前というのは今となっては何とももったいない感じがしています。日帰りの駆け足での訪問でしたが、こんなに絵になるポイントが点在していることを知った以上、何とか再訪を果たしたかったのですが、一応、受験を控えた高校3年生ということもあってこの時の訪問が最初で最後になってしまいました。この時でも地元の住民や観光客の足として利用されていましたので、何とか有効活用する方法はなかったものかと今でも感じている次第です。もし残っていれば、便利な移動手段と観光の目玉のひとつとして脚光を浴びていたのではないかと思うと残念でなりません。

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2011年10月29日 (土)

王滝森林鉄道乗車会

 木曽森林鉄道王滝線の車両を保存し、王滝村の松原スポーツ公園に復元軌道を敷設し、かつての森林鉄道の面影を復活させている王滝森林鉄道の会が王滝村の公民館まつりに協賛して今日(10/29)・明日(10/30)の2日間の13:30~15:30に乗車会を行うとの情報を得ましたので本日撮影に行ってきました。

  SAKAIのDLが小型B型客車を牽いて全長800mの復元軌道を6往復するだけですが、雲ひとつない秋晴れと素晴らしい紅葉に恵まれ至福のひと時を過ごしてきました。

 2往復目にはSAKAIのDLが不調となり、立山重工のDLが救援に来るなどトラブルもありましたが、何とか無事6往復を運転しました。

 ほとんどの乗客が地元の方で、乗車にもほとんど待ち時間なし。撮影のファンもちらほらというまったりと穏やかな雰囲気の中での乗車会でした。


 駅長さんや電車運転士さんのような素晴らしい写真は撮れませんが多少でも雰囲気が伝わればと思い何点かUPさせていただきます。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

センターハウス前を発車し紅葉の中を行く立山重工のDLと客車




「はなぶさ」に集まる仲間たち

山の紅葉をバックに行くSAKAIのDL



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 車庫前に勢ぞろいしたモーターカー(今回は走行せず)


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早稲田界隈と1978年の花電車

1973年の都電の記憶に、駅長様から早稲田の様子を尋ねるコメントを頂いたのですが、実は私自身も三ノ輪橋や町屋、熊野前といったところはなんとなく印象があるのですが、「ンー早稲田?」という感じなのです。それで少々探してみました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

これは先の1973年2月21日のネガの一番始めのコマで、学習院下から90°左折して面影橋へ向かうところだと思われます。駅長様の言われるような建物の間を縫うような雰囲気は感じられません。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

学習院下から目白通りをアンダーパスして鬼子母神社前へ登っていくところです。おそらくここで撮ったのは、バックに新宿副都心の高層ビルが入るためだったのではないかと思います。

すでに荒川線に代わっているところから、1976年の撮影と思われますが、このネガにははっきり記載されていません。

振り返って撮ったのが次のコマです。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

三ノ輪橋行が止まっているのが鬼子母神社前の電停でしょう。

唯一、早稲田の電停が写っているのが次のコマです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


長閑な風景ですねぇ。でもここの雰囲気はそれほど変わっていないのではないでしょうか。


さて、駅長様もアップされた1978年3月の荒川線新装開業の花電車パレードですが、私も撮影してました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

駅長様同様、パレードの先頭は6000形が務めていますが、DJ誌では新7000形が前後を固めています。日付が違うのでしょうか?ここの場所もわかりません。お分かりの方、コメントお願いします。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

駅長様の言われる通り、パレードする全景を撮るのは至難の業ですね。このとき、乙6000形は5両揃い踏みだったと思いますが、全ては撮っていないようです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

別のネガに飛鳥山を降りていく車列が写っていますが、先導する6000形の
番号が上の車とは異なっています。ということは上とは別な日なのでしょうか?

このときは交通規制がされていて無事撮れています。でも今回アップして気が付いたのですが、行き先が「早稲田」表示になっているのが笑えます。車道もガードレールで仕切られたのですね。


以上三部作の最後としては、まとまりのないものになってしまいましたが、ご覧いただきありがとうございました。(検査掛)













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2011年10月28日 (金)

120.鉄分補給(竹村のコスモス朝練) 2011/10/28

 このところ朝晩は冷え込むようになり、めっきり秋らしくなってきました。移動線高気圧圏内にすっぽりと覆われていたこの日、朝からバリ晴れ予報だったので、見頃になったであろうコスモスを求めて竹村に朝練に出かけました。竹村といえば初夏のハスが有名ですが、秋は線路近くにコスモス畑が出現します。毎年位置が変わりますので、今年はどうなっているのか期待と不安が入り混じっての朝練でした。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

【2011.10.28 竹村~土橋】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

【2011.10.28 竹村~土橋】(電車運転士)


 今年のコスモス畑の位置はご覧のとおり、竹村の少し土橋寄り(場内信号機付近)のアウトカーブ側に1か所だけでした。しかも1段高いところにあった関係で少し下がると足回りが隠れてしまうのと電柱もこちら側にあったことから、アングルには苦労しました。それでもこれだけ密度の高いコスモス畑はそうそうあるものではないので、よしとしたいと思います。

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2011年10月26日 (水)

【アーカイブス】近江鉄道のED31

 近江鉄道には、貨物用としてED14以外に5両のED31がいた。元伊那電気鉄道デキ1形で、飯田線から一部は西武鉄道を経て、近江鉄道にやってきた。元は6両あり、残る1両は外観は変わったが上信電気鉄道に現存している。

 この機関車の特徴は、戦車のような外観の凸型電機であることで、前面の小さな窓がそうした印象をより高めていた。

 ED14が多賀への鉱石列車やビール列車などの重量列車を担当したのにたいして、ED31は鳥居本にあった石油基地へのタンク車の輸送と八日市線の貨物であった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 特異な外観のED31。大正12年に芝浦製作所と石川島造船所で製造された、最初期の国産電機である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ED31の唯一かつ最高の撮影地が彦根城を望むこのアングル。角度を変えれば、琵琶湖も望まれた。国道8号から少し入った位置から撮影しているが、このアングルの写真は見た記憶がない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 貨物は鳥居本で切り離し、米原との間は緩急車だけを連結して往復した。今にして思えば、米原のホームには機回し線がなかったように記憶するが、どうやって折り返したのだろうか?


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 米原のヤード横を走るところ。この部分は、高架化によって路線変更をしているところかな?


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 八日市線の貨物はカラーで。実は、このカラー、コダクローム64で撮影しているが、撮影した昭和52年頃は発色が特に安定しなかった時期で、当初からかなり色が悪い。多少は修正したが、まだ、手を入れなければいけない感じである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 八日市線でもう1枚。貨物が無く、緩急車1両のみの連結である。(駅長)


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1972年11月11日の都電

都電は今が旬(都営交通100年)、調子こいて画面の粗さやピントの甘さを顧みず、アップさせて頂きます。

今回は、39年前東京でいうところの城東地区6路線が廃止されたその日、1972年11月11日にオリンパスペンで記録した、主に24系統(須田町―上野駅前―本所吾妻橋―福神橋)のサヨナラ運転の模様です。

この日は土曜日で、授業が終わってから撮影に向かったと思われ、しょっぱなからかなり陽が傾いたコマから始まっています。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

まずはこの日唯一撮った29系統(須田町―錦糸堀―葛西橋)、須田町の電停(のハズ)に停車中の花電車6000形。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

次に向かったのが上野駅前、24系統須田町行の花電車6214。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

ここも上野駅前と思われます。写真右手を国鉄がオーバークロスしています。超満員の乗客を乗せ、8054が浅草方面に向かいます。


「はなぶさ」に集まる仲間たち
なかなからしい場所では撮影してないないのですが、超有名なここだけはなんとかモノにしたかった浅草雷門前を行く6000形(おそらく6214)です。が車両全景は入れては撮れませんでした。

「はなぶさ」に集まる仲間たち
花電車の続行で、「都電長い間御苦労様でした」の幕を腰板部に付けた6000形が走っていました。バックの独特な建物は雷門旅館という高い柱が建っていました。(煙突?)
「はなぶさ」に集まる仲間たち
かなり日は暮れてきてバカチョンでは限界に近くなった頃、最後は柳島車庫の前で撮っています。道路のすぐ横の運河?には多くの丸太が浮かび、木場の雰囲気があって、撮影もしているのですが、手ブレしていてお見せできるようなシロモノではありません。歩道橋の向こうに車庫に留置中の都電の屋根が並んでいます。

もう1回、ノスタルジックツアーにお付き合い頂きたいと思います。(検査掛)

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2011年10月24日 (月)

119.快速「熊野古道伊勢路」+2089・2089列車 2011/10/23

 相変わらずネタに乏しいこの地方ですが、紀勢本線では鵜殿までのDD51の貨物列車のほか月イチのペースで臨時快速の「熊野古道伊勢路」がキハ40系の2両で運転されています。某情報誌を見ると、10月(22・23日)と11月(26・27日)の運転は美濃太田からオレンジツートンのキハ40を借り入れ、伊勢のオレンジツートンのキハ40とペアを組んでの運転という情報が掲載されていましたので、天気がよさそうな10月23日を狙って未明に自宅を出発、例によって四日市に立ち寄って2089列車の存在とカマ番を確認してから紀伊半島へクルマを走らせました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 2089列車と「熊野古道伊勢路」の前の予行演習ということで、相賀のお立ち台ポイントで時間をつぶすことにしました。この日の朝は湿度と気温の関係か川霧が発生、それが河口付近のの海面上を漂っていました。上りの「南紀」が幻想的な風景の中を走り去って行きました。

【2011.10.23 相賀~尾鷲】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 陽の短いこの時期、2089列車は山間の紀伊長島以北では光線状態がよくないと判断し、定番ポイントとは湾を挟んだ反対側の半島から順光で狙ってみることにしました。定番写真には半島の中腹に道路が写っており、地図にも道路の記載があるので、撮影可能ではないかと前々から気になっていました。実際に行ってみると、クルマはかろうじて通れるものの、途中から半端じゃないダートになり、猪は出るわ大きな鹿は出るわといったとんでもない道だった上、湾を大きく迂回するため予想以上に時間がかかり、このポイントに着いた時には相賀の通過時間、慌ててカメラを取り出し、ギリギリで間に合いました。次の予定があるためここで撮ったのは2089列車のみ、滞在時間はわずか5分で来た道を戻りました。

【2011.10.23 相賀~尾鷲】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 往路の「熊野古道伊勢路」は荷坂峠の名倉川橋梁俯瞰に決めていたため、相賀から紀伊長島まで国道42号線を北上します。このポイントは存在は知っていましたが、訪れるのは初めてでした。やっぱりオレンジツートンは俯瞰で列車が小さくなっても存在感があります。ただ、画面下の木の枝がだんだんと伸びているようなので、近い将来には消滅してしまうかもしれません。訪れる場合は早目の方がいいと思います。

【2011.10.23 梅ヶ谷~紀伊長島】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ズームすると同じ列車をまったく別ポイントから撮ったようにもう1回撮ることができます。ステンレスや白基調のJR東海ローカル色ではここまで存在感は出ません。やっぱりオレンジツートンは写真の写りがいいと感じます。

【2011.10.23 梅ヶ谷~紀伊長島】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 「熊野古道伊勢路」の車両は熊野市にそのまま留置ではなく、一旦新鹿へ逃げるため、熊野市~新鹿に回送が設定されています。うまくいけば4回撮影することが可能です。この日もそれを目論んで紀伊長島から新鹿まで一気にクルマを走らせます。時間的には多分大丈夫だろうと計算していたところ、9月の台風12号の災害復旧のため、矢ノ川峠が各所で工事中で片側交互通行がいくつかあったこと、新鹿へ降りる八丁峠が橋が流出して通行止めになっている関係で大泊経由に大きく迂回させられたことなど、予期せぬアクシデントがあって熊野市→新鹿の回送はポイントへダッシュ中に目の前を通り過ぎて行きました。仕方なく折り返しの回送まで待つ羽目になってしましました。なお、八丁峠が通行止めということで、新鹿湾バックの俯瞰ポイントは現在たどり着くことができません。やっぱり、後回しにせず、撮れる時に撮っておかなければということを実感しました。

【2011.10.23 新鹿~波田須】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 復路の「熊野古道伊勢路」は相賀のお立ち台ポイントで撮りたいと思い、新鹿から移動しました。これまでピーカンだった天気が午後になって陸地部分に雲が湧き出し怪しい雰囲気になってきました。30分くらい前まではしっかりと陽が差していたのですが、本命列車の通過時間には太陽は雲に覆われてしまいました。海上部分はいい天気で水平線もクッキリ見えていたのに残念です。

【2011.10.23 相賀~尾鷲】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 2088列車はこの時期は太陽が沈んで条件は厳しいだろうと思い、復路の「熊野古道伊勢路」を撮った後に撤収も考えましたが、せっかく来たんだからハズレでもいいからと相賀から再び新鹿へ戻りました。予想どおり太陽は山影に隠れた後で見事に撃沈でした。陽の短い時期の2088列車は熊野市以南でないと無理のようで、熊野市以南でどこか新規のポイントを捜す必要があると感じました。

【2011.10.23 新鹿~波田須】(電車運転士)


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1973年 都電の記憶

今月、都営交通は100周年を迎え、荒川線で7500形をカットした花電車が運行されているとのことで、駅長様も1978年荒川線新装記念の花電車の運行をアップされていました。

1973年、当時沿線の近くの高校に通っていながら、放課後、撮影に行こうなどとはつゆほども思わずおりましたが、それでもこの年2回、まだ系統番号で呼ばれていた同線を撮影に行っています。

当時荒川線は27系統(三ノ輪橋―熊野前―王子)と32系統(荒川車庫―王子―大塚―早稲田)の2系統に分かれていました。御存じの方も多いと思いますが、いずれも王子電軌という私鉄が出自で、そのほとんどが専用軌道となっています(それがゆえに現存しているわけですね)。

まずは1973年2月21日

「はなぶさ」に集まる仲間たち
このコマの前には、面影橋あたりが写っており、それから北上していったと思われます。この場所ははっきりしませんが、おそらく雑司ヶ谷あたりと思われます。アップダウンをこの頃もっともポピュラーな7000形が大塚方面に向かいます。

「はなぶさ」に集まる仲間たち
国鉄王子駅をアンダークロスして、もっとも都電らしい6000形が飛鳥山を登って行きます。全く交通量がないように見えますが・・・。

「はなぶさ」に集まる仲間たち
上のようなことはまれで、実際は都電1両を抜くのも結構至難の業でした。当時の都電の最新車両7500形が珍しく続行で飛鳥山を下り、荒川車庫に向います。

「はなぶさ」に集まる仲間たち
飛鳥山で車の渦に巻き込まれた6000形。32系統単独では、併用軌道はこの飛鳥山周辺だけでした。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

このあと、荒川車庫を覗いて、三ノ輪橋まで行ったようです。頭端式のホームに7000形が仲良く並んでいます。この日のネガはこのコマで終わっています。


次は同じ年の3月16日

「はなぶさ」に集まる仲間たち

最初のカットがこれで始まっています。この東池袋四丁目には大塚電車営業所日ノ出町派出所がありましたが、ご覧のようにすでにバスの車庫になっていました。

「はなぶさ」に集まる仲間たち
これは飛鳥山公園からのショットだと思いますが、今もこの角度で撮れるのでしょうか?

「はなぶさ」に集まる仲間たち
27系統の併用軌道部分ですが、道路が狭いにもかかわらず、線路は複線となっているため、西方向への車は都電の後をついて行くしかなさそうです。乗降も当然安全地帯などなく、車道から直接おこなっていました。ここは今どうなっているのでしょうか。

「はなぶさ」に集まる仲間たち
最後は、駅長様もアップされた町屋の電停です。店などは新しくなったでしょうが、今もそれほど雰囲気は変わっていないような気がします。
最後にまたまたオマケです。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

3月16日に、都電の撮影を一旦中断して、北十条に行ったようです。

目的はこれ、北モセの秘蔵っ子クエ9112です。当時はまだあちこちの電車区にこのような珍車が救援車として在籍してました。この車とは後に大船工場で再会しています。


都電は前年の1972年11月に大削減されて、以降この27、32系統が1978年に荒川線となっていまだに都民の足となっています。1972年はまだオリンパスペンしかなく、アップに耐えるようであればまたご覧に入れたいと思います。(検査掛)


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2011年10月23日 (日)

【アーカイブス】名古屋の70系

 今、1978年のネガをスキャンしているが、この年はいろいろ変化が大きかった年であることを再認識している。瀬戸線は栄町乗り入れに伴い、ガラリと車両が変わってしまったし、秋には飯田線から流電をはじめとする旧型国電が戦後生まれの80系に変わってしまった。くろしおのキハ80系も名古屋には姿を見せなくなった。また、北恵那鉄道や、全国的に見れば京都市電が無くなったのもこの年である。言い換えれば、旧式の鉄道がシステム的にガラリと変わるタイミングだったのかもしれない。


 昭和41年の電化以来、中央線で活躍してきた70系が廃車になったのもこの年であった。悲しいかな、中央線の70系など、あまりにも当たり前すぎてほとんど写真を撮っていない。廃止路線はともかく、こうした幹線路線での車両交代は、無くなると聞いてバタバタと撮影するだけで、普段からあまり写真を撮っていないことを悔やむことがいつものパターンである。

 中央線も72系が103系に変わるときには撮り逃がしてしまったが、70系についてはこれまでの教訓を生かして、かろうじて若干ながら撮影することができた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 金山を行く70系。いつも見慣れた角度であるが、意外にこの場所で撮影はしていない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは堀川を渡るところ。瀬戸線6600系の回送の際に写した写真である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 定番の庄内川鉄橋。この場所では、この後も何度も写している。

 ところで、この写真のネガに80系も写っているのであるが、これは中津川以北からの列車に使われていたのであろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この角度の写真は珍しいであろう。鶴舞~千種間で、100m道路をまたぎ越すところである。今、ここがどうなっているのか、ご存じの通り。結構、貴重なカットではないかと思う。


 中央線から70系が消えたのが、何時だったか調べてはいないが、その廃車回送を東海道線まで撮影に行っている。多分、情報通さんから時刻を教えて貰ったのだろう。また、当時は夜ばかり仕事をしていたので、昼間は自由な時間が取れたことも撮影に行けた理由であった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この時には、近江長岡の留置のための回送であったと記憶するが、ご存じの方があったらお教え頂きたい。関ヶ原までは営業運転でも入らなかったはずである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは柏原と近江長岡の間の有名地点。現在では、この手前あたりに道路が造られて、このアングルは撮影できなくなっている。

 今なら、こんな列車が走れば大騒ぎになってしまうだろうが、まわりには誰も居らず、1人で撮影したように記憶している。(駅長)





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2011年10月22日 (土)

【アーカイブス】近江鉄道のビール列車

 近江鉄道のED14の活躍の舞台としてよく知られているのがセメントの鉱石列車であるが、多賀線の貨物にはそれ以外にキリンビール多賀工場へのビール列車があった。このビール列車は、最大ワムの現車を20両まで牽引するという壮観な貨物列車で、確か2往復運転していた、と記憶する。この列車の写真をほとんど見たことはないが、おそらく平日にしか運転していなかったためだろう。


 この列車は彦根から多賀まで運転し、多賀からはディーゼル機関車で工場まで引き込んだ。まだ、そのシーンはスキャンしていないので、とりあえず、ED14のシーンのみご紹介する。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これが、現車20両のビール列車。なかなか壮観である。暑かったためか、残念なことに、貫通扉が開けられてしまっている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 冬季にもフル編成のビール列車が運転されるときがあった。雪晴れの最高の条件の中、ED14が映える。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 多賀線は、ほとんど一直線にレールが延びており、撮影地は限られていた。そのため、手前に木を入れて変化を付けた写真を数多く撮影しているが、結果として線路脇からの写真がほとんどない。この頃は、こうした撮り方が流行であった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 それゆえ、こうした流し撮りで変化を付けるときもあった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 多賀に並ぶ鉱石列車とビール列車。こんな光景を日常的に眺めていたので、国鉄の旧型電機にはもうひとつ興味がわかなかった。今にして思えば、残念である。(駅長)






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118.1970年代後半の山陽電鉄車両カタログ

 京都市電ネタを少しお休みして、今回は1970年代後半の頃の山陽電鉄の車両をご紹介したいと思います。山陽電鉄といえば阪神電鉄との相互直通運転により脚光を浴びましたが、どちらかというと地味なイメージがあります。戦後すぐから3000系登場までは戦後初のロマンスカーを登場や、ステンレス車やアルミ車の導入など、意欲的な積極策を打ち出していた時期もありました。メンバーの皆様方には馴染みがないので、あまり興味が持てないかもしれませんが、お付き合いいただければ幸いです。ちょうどこの頃は姫路在住で、山陽電鉄は割と身近な存在でしたが、ほとんど撮影対象には入っていませんでいた。それでも、3000系以前の旧型車の去就が噂されるようになってきたこともあり、ほとんど定点撮影ですが、ひととおり山陽電鉄の車両を記録しようと撮影に出掛けました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

●700型

 昭和22年、戦災による車両不足に対応するため、国鉄のモハ63を譲り受けたもので、20両を導入しました。当初は改軌しただけでほぼモハ63のまま800型として運用されていましたが、820型の新造にともない700型に改番されました。その後、前面を中心に山陽電鉄仕様に改造されましたが、側面にはモハ63の面影が残っています。一部の車両は機器を流用して2000系に準じた車体に載せ換えた2700型に更新されましたが、写真の709は2700型に更新されることなく廃車となりましたが、役目を終え、東二見の車庫で休車中の姿です。

【1977.7.31 東二見】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

●820型

 戦後の特急運転復活にともない、戦後初のロマンスカーとして昭和23~24年に12両が登場しました。当初はドア間転換クロスシート・前面非貫通でしたが、後継の2000系登場により、ロングシート化・前面貫通化・正面窓のHゴム化などが実施され、普通列車として活躍を続けていましたが、昭和48~56年にかけて全車廃車されました。

【1979.1.2 高砂】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

●850型

 820型の増備のために昭和25年に6両が製造されました。820型と同じくドア間転換クロスシート・前面非貫通で登場し、特急用として活躍しました。2000系の増備により格下げされ、820型と同様にロングシート化・前面貫通化・正面窓のHゴム化が行われましたが、850型は車掌台側の窓は原型のまま残されました。820型よりは少し長生きし、昭和56~58年にかけて全車廃車となりました。

【1978.4.16 亀山】(電車運転士)

「はなぶさ」に集まる仲間たち

●250型

 100型の車体載せ換え車として昭和26~29年に8両が製造されました。車体は850型に準じたものでしたが、特急使用は前提とされれていなかったため、当初からロングシートで登場しました。最終編成となる256=257は張り上げ屋根の車体で850型をスマートにした外観になり、Hゴム化も行われず、昭和55年の廃車まで原型をよく保っていました。

【1978.4.16 亀山】(電車運転士)

「はなぶさ」に集まる仲間たち

●270型
 250型に続いて100型の車体載せ換え車として昭和34~36年に20両が製造されました。270型は2000系に準じた車体に変更になり、ロングシートで仕様で当初から貫通ドアが設置されていました。昭和57~61年に全車が廃車されました。

【1978.4.16 亀山】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

●300型

 200型の車体載せ換え車として昭和37~43年に28両が製造されました。3ドアロングシート仕様でしたが、車体が15mと短かったため、旧型車では唯一4両を組む編成も存在しました。製造両数が多かったため、270型とともに旧型車ではポピュラーな存在で沿線でよくその姿を見ることができました。昭和56~61年にかけて事業用車に改造された1両を除いてすべて廃車となりました。

【1978.4.16 亀山】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

●2000系(鋼製車)

 神戸高速鉄道の開業後の輸送力増強を前提に昭和31年に第1編成が登場、山陽電鉄初の高性能車です。2000系は登場時期が当時の車両技術が百花繚乱の頃に重なったため、車体は鋼製のほかステンレス・アルミ、ドア数も2ドア・3ドアが存在し、非常にバラエティーに富んでいました。第1編成はロングシートで登場しましたが、特急として使用されていた820・850型の後継車両として昭和32~34年に製造された第2~5編成はドア間転換クロスシートとなっていました。その後、第2~4編成は3000系の4両化の際に3ドア・ロングシート化を行った上にサハ化改造が行われ3000系の中間に組み込まれ、最終的には平成3年まで使用されました。残った第1・5編成もロングシート化・正面窓のHゴム化(当初からHゴムだった第5編成を除く)が行われ、こちらは平成2年・昭和63年まで活躍を続けました。

【1978.4.16 亀山】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

●2000系(2ドア・ステンレス車)

 2000系の第6編成として昭和35年に登場しました。最大の特徴はステンレス車体を採用したことで、特急使用が前提だったため、ドア間転換クロスシートとなっていました。第5編成までの2000系は非貫通でしたが、第6編成からは貫通仕様となりました。その後、ロングシート化され、平成元年まで活躍を続けました。

【1977.7.31 東二見】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

●2000系(3ドア・アルミ車)

 日本初のオールアルミ車、山陽電鉄初の3ドア車として昭和37年に登場しました。2000系としては第7編成になります。3ドアで登場したため、当初からロングシートで、種別・行先表示器の設置以外は大きな改造は行われず、平成2年まで活躍を続けました。

【1978.4.16 亀山】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

●2000系(3ドア・ステンレス車)

 アルミ車体とステンレス車体のメリット・デメリットを比較するため、ステンレス車体となった以外は第7編成とまったく同じ仕様で、第7編成と同じ昭和37年に登場しました。アルミとステンレスの比較の結果はアルミの方に軍配が上がり、3000系の1次車にはアルミ車体が採用されました。こちらも種別・行先表示器の設置以外は大きな改造は実施されずに平成元年まで活躍を続けました。

【1978.4.16 亀山】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

●2300系

 700型の車体載せ換え更新車2700型2編成6両に3000系と同仕様の足回りに改造した車両で、昭和51~52年に登場しました。2000系廃車後は山陽電鉄最後の低運転台車となりましたが、平成9~10年に全車が3000系のサハに改造され、平成15~16年まで活躍を続けました。

【1978.4.16 亀山】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

●3000系(アルミ車)

 第1編成は昭和39年、第2編成は昭和40年、2000系の後に登場した新系列車両で、3ドア・ロングシート車ですが、山陽電鉄初の両開きドア・高運転台を採用し、5000系登場まで山陽電鉄の顔として活躍を続けました。2000系での比較の結果、3000系の第1・2編成はアルミ車体を採用しました。登場以来、50年近くが経過していますが、両編成ともまだまだ元気に活躍を続けています。現在は正面の赤帯が太くなってこの頃とは若干印象が変化しています。

【1979.1.2 高砂】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

●3000系(鋼製車)

 昭和42年に増備された第3編成からは一般的な鋼製車体となりました。この編成は2両目に2000系からの改造サハが組み込まれています。3000系はその後も昭和46年まで増備が続けられ、他系列からの改造編入車を除いた製造両数は70両になります。現在の主力は5000・5030系に代替わりしてしまいましたが、沿線ではまだまだその元気な姿を見ることができます。

【1978.4.16 亀山】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

●3050系

 3000系の増備の中で新造時から冷房を搭載する車両については3050系として昭和47年から増備が開始されました。冷房装置の搭載・パンタグラフが下枠交差式になったことなどが3000系との外観上の違いです。写真の編成1本のみ正面窓のHゴムの色が黒となっており、異彩を放っていました。3050系はマイナーチェンジを行いながら昭和60年までに57両が増備され、現在でも第一線での活躍が見られます。

【1978.4.16 亀山】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

●1型(6号車)

 東二見の車庫を見学させていただいた時に撮影した電動貨車です。大正2年に製造された兵庫電気軌道の13型を昭和12年に改造した車両で、平成2年まで生き長らえていました。

【1977.7.31 東二見】(電車運転士) 



 長々と山陽電鉄にお付き合いいただきましてありがとうございました。退屈された方も多かったことと思いますが、常連読者の方からのリクエストということもあり、ご了承いただければと思います。当時の現役車両はほとんど記録することができましたが、2700型(700型の車体載せ換え更新車)だけは巡り合わせが悪く、残念ながら画像をアップすることができませんでした。

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2011年10月21日 (金)

来年の春には、、

先日、JR東海の「あさぎり」用371系と新幹線300系の引退が相次いで明らかとなりました。



両者とも来年の3月には姿を消す運命に。ただし371系は団体専用車両として装いも新たに来秋には再デビュー(二番煎じのトレイン371??)。ということは、今まで滅多に姿を見せなかった名古屋地区にも団体臨時列車として時折顔を出すようになるかもしれないし、名鉄電車との競演も楽しみです。

そうは言っても今は静岡常駐のため、名鉄電車とのコラボはまだまだ希少かも、ということで、名古屋工場を出場した試運転との併走シーンをご覧いただきます。【2009年2月9日 熱田】

「はなぶさ」に集まる仲間たち



続いて、元祖「あさぎり」こと小田急SE車が引退する頃、御殿場線にその姿を追い求めに行ったときの出来事。小田急新松田駅の付近を歩いていると371系の試運転列車が偶然現れました。待避線で通過待ちの後、このまま小田原に向かうよう。

「はなぶさ」に集まる仲間たち



もしや、そのまま折り返して再びやって来るのでは、と後続列車に乗り、比較的開けた場所で撮影できる富水駅で下車、立ち位置を探しているうち早くも折り返してきた!結果、こんなアングルが精一杯でした。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

もうお気づきかもしれませんが、普段はここを「あさぎり」が走るルートではありません。よって、試運転ならではの記録写真となったことで、ひとまずお許しください。【1991年3月9日】



一方新幹線300系は山陽スジも含めて完全引退。食指が動かない方も多いと思いますが、初代「のぞみ」としての栄光をたたえ、1枚くらいは“イイ写真”を撮っておきたいものです。

9月のとある快晴日の午後、伊吹山のシルエットを背に夕日ギラリを撮ろうと、言わずと知れたお立ち台へ向かいました。徐々に陽が傾いてきて、やって来る列車ごとに微妙に異なる「ギラリ」を楽しみながら撮影しているうち、養老山脈の影が迫ってきました。もうそろそろお開きかと思いつつ、山の稜線に陽が落ちる間際に現れた300系にカメラを向けたら、想定外の超!ギラリ。わかっていればもっと絞り込んだのに、時すでに遅し。しかも先頭の顔に障害物。「リベンジだ!」と数分後に後続列車が現れるも、すでに太陽は山に隠れてしまいました。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

タイトル《光りすぎた「のぞみ」》 (→光と「ひかり」号を掛けたわけで・・・・・さらに実際は「のぞみ」ではなく「ひかり480号」だし・・・・・すみません) 【2009年9月20日 17:20】


近代的な車両達で面白みには欠けますが、例によって後悔の残らないよう、がんばってみましょう。(出札掛)


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2011年10月18日 (火)

【アーカイブス】東濃鉄道笠原線

 これまで名古屋地区を中心に鉄活動をやってきて、痛恨の極みであるのが東濃鉄道の路線を訪問しない内に廃止になってしまったことである。


 まだ、鉄の路に入る前ならいざ知らず、蒸機を目的に中央線を何度も行き来しているにもかかわらずである。何時でも撮れる、と思っている内に、笠原線は昭和46年に旅客営業が休止となり、駄知線は昭和47年の水害を契機に廃止になってしまった。


 こうしたなか、かろうじて撮影できたのが貨物営業を廃止直前の笠原線である。同線の貨物は昭和53年10月限りで廃止されており、撮影は廃止直前の10月にしているようだ。


 この一連の撮影の前に、中央線の多治見~土岐間の土岐川沿いの区間で、こんな写真も撮影している。この場所、写真を見たことがないが、今も撮影できるのだろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 さて、東濃鉄道に戻って、土岐川を渡る貨物列車。この鉄橋は、何かに活用された、という記憶があるが、ご存じの方、お教えください。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 続いて、新多治見駅?貨物ヤードの端の狭いところにあったような記憶がある。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 続いて、笠原行きの貨物。場所的には、土岐川の多治見側のように思えるが、違っているかもしれない。道路が写っているので、現在と比較することもできるかもしれない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは笠原にあった車両基地か。すでに、ディーゼル車や駅の跡は残っていなかったが、それらがある内に来たかった、と思わざるを得ない雰囲気であった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 それにしても、駄知線には何時でも行けたのに、行かなかったのは悔やまれてならない。(駅長)


 

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2011年10月17日 (月)

コンデジ1台 関西私鉄乗り歩き

 三柿野駅でデキが展示された土曜日と翌日の日曜日、所用により関西まで行っていました。三柿野への回送は時間的には撮れなくもなかったのですが、天候が悪かったので気持ちよく諦めました。すでに紹介されているように、デキ300形の単機だったようで、これなら心残りもありません。つい最近、多分、誰も撮っていないデキ600形重連単機の走りを撮ったばかりですしね(^^;)。


 さて、今回はあまり大きな荷物を持っていく(ましてやカメラバックは)ことは諸般の事情ではばかられたため、普段使っている一眼は置いて、最近導入したコンデジだけ持っていくことにしました。もっとも、コンデジといってもCCDはAPSサイズですので、画質には信頼がおけます。レンズは28mmと50mmだけ。それでどこまで満足行く写真が撮れるのか、テストです。


 土曜日は天候が悪いし、所用もあったので鉄はパス。でも、新大阪から快速に乗ったら、淀川鉄橋の上で583系のきたぐにと併走しました。9時30分頃です。3時間近くも遅れて、何があったんでしょうね。


 翌16日は、朝起きたらこれ以上はないという見事な晴天です。

 今回泊まったホテルは、ただ、駅から近いことだけが取り柄の東淀川駅横の安ホテル。駅から近いだけに東海道線の電車がよく見えます。しかし、最近のホテルはどこもそうですが、換気程度にすこしだけしか窓が開きません。


 しかし、その少しの隙間にコンデジならカメラのレンズを入れて撮影ができることに気がつきました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 そこから撮影したのがこの写真。ちょうど「はるか」が通過です。アングルの制約があるので、お見せできるような構図ではありませんが、とりあえずガラス面をパスして撮影は可能です。泊まるホテルによっては、威力を発揮できることがあるかもしれません。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 続いて、駅が大改装された大阪駅へ向かいます。

 まあ、屋根ばかりで何を撮ったかわからないような構図ですが、これでもかなり苦労した撮影です。すなわち、こうしたアングルで撮ろうとすると、透明アクリの2mほどの高さの壁があって、外は見られるのですが、撮影は不可能なのです。

 そこで、手を伸ばしてコンデジで壁越しにノーファインダーで撮影。一眼ではこうはいきません。広角ですが、単玉だけあって、気のせいか一眼のズームレンズより歪みが少ないようにも見えます。

 でも、この写真はあまり面白くないね。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 続いて阪神梅田から阪神に乗って神戸へ。どこか途中で降りて撮影を、と考え、住吉で降りたら、ちょうど山陽からの直通特急が来て、阪神の青胴車とすれ違いました。これくらいの撮影なら、コンデジで丁度良いですね。


 神戸高速経由で新開地へ行き、今度は神戸電鉄にン十年ぶりに乗車です。とりあえず鈴蘭台まで行って三田からの列車を撮影します。これも50mmで撮れば、コンデジかどうかわかりません。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この神戸電鉄、新開地を出ると六甲越えに挑むため、急勾配と急曲線が連続します。その先頭部はこんな感じ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 乗り鉄、ママ鉄、コ鉄入り乱れて、昨今の鉄道ブームの盛況さを伺わせる光景です。こんなシーンも、コンデジならさりげなく撮ることが出来ます。


 神戸電鉄で撮影後は、谷上から北神急行に初乗車。8分ほどで六甲の山を抜けるのは如何にも早いけれど、運賃も谷上から三宮まで520円は如何にも高いです。これでも兵庫県と神戸市から80円の補助が出ているらしいですが・・・。


 さて、最後は今回の目的地であった六甲中腹からの大俯瞰。

 この場所は通路となっているのですが、海側には人の背を越える金網の柵があり、通常では撮影できません。しかし、コンデジなら金網の網の間からレンズを出して、撮影が可能です。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

  ン、どこに電車が写っているんだ?

 よーく見てください。真ん中のあたりに321系が写っていないでしょうか。

 ちょっと、俯瞰しすぎたかな(^^;)


 もちろんどのような目的で撮影をするか、によりますが、コンデジもうまい使い方をすれば、一眼とは異なったポジションでの撮影が可能と言うことを改めて実感しました。CCDが大きければ、拡大してもビクともしません。もちろん、レンズの口径が小さくてそれなりに明るいカメラを選ぶ必要がありますが・・。

 

 今後は、カメラバックの片隅にコンデジを入れて撮影に行くことになりそうです。(駅長)


 






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117.古都の市電 日帰り散策 (2号車) 1978/5/28

 1号車ではおもに外周路線の南東部分をご紹介させていただきましたが、2号車では南側と西側部分の画像をアップしたいと思います。東側はどちらかというと狭い道路を肩身の狭い感じで走っているところが多かったようですが、南側・西側は広い道路を悠々と走る区間が多く、観光地も東側ほど集中していないこともあってか、比較的ノンビリとした雰囲気が漂っていました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 日中の市電の車内です。5月下旬ともなると気温も高くなり、何となく気だるさが感じられます。東側と違って観光客の姿は少なく、地元の方々の日常の足として利用されているといった感じがします。揺れに任せて吊皮が大きく左右に揺れていました。

【1978.5.28 1951号車車内】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 南側のハイライトは東寺の五重塔でした。高さがあるので結構離れたところからでも見ることができました。特徴ある建造物のため、手軽に最も京都市電らしいシーンをモノにすることができることから、智積院と並んで各種メディアにも数多く登場していました。九条大宮の電停から広角を使って撮ったら、いい感じで五重塔が入ってくれました。

【1978.5.28 九条大宮】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 東寺の境内に入り、後ろを振り向くと重厚で立派な門の屋根瓦が整然と並び、何のとなく荘厳な雰囲気が感じられましたので、門抜きの構図を試してみました。足回りも含めてもう少し市電がうまく写ってくれればよかったのですが、これが精一杯でした。

【1978.5.28 九条大宮~京阪国道口】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 東寺を後に五重塔の超定番ポイントを訪れました。広い道路上架かっている歩道橋から手軽に撮ることができたため、ここだけは同業者の姿が見られました。数ある市電の撮影ポイントの中でも最も京都らしさを感じることができる場所でした。

【1978.5.28 京阪国道口~羅生門前】



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 南側から西側へ移動し、嵐電との平面交差ポイントで下車しました。引きがあまりないので、市電と嵐電の両方を写し込むとなると意外と制約が合く、構図には苦労しました。いい感じで市電が信号待ちしてくれたので、「よっしゃ!」と思ったのもつかの間、シャッターを押す直前になって右折のコロナが乱入、腹立たしさが頂点に達しましたが、どうしようもありませんでした。

【1978.5.28 西大路三条】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 西側は石畳の軌道敷きが多く残っており、市電の雰囲気を盛り上げてくれていました。西側は観光地が少ない代わりに市電沿線には学校が多く立地しており、学生の利用が多かったようです。この日も日曜日にもかかわらず部活帰りなのか中学生の一団が市電を待っていました。

【1978.5.28 大将軍】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 西側のハイライトは大文字山をバックにできる区間でした。東側・南側と違って車の交通量もさほど多くないこともあってどことなく開放的でノンビリとした風景が続いていました。

【1978.5.28 白梅町~衣笠校前】(電車運転士)



3号車に続く…



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2011年10月15日 (土)

雨ニモ負ケズ


     天気が悪いのに、よく行くねぇ~。  ・・・言ってしまえば、それまでですが・・・


鉄道の日イベントの一環で、名鉄では10月15日に各務原線三柿野駅において電気機関車の展示会が催されました。当初はデキ300と600の2両を予定しており、これに伴うデキ重連が走ることを情報通の方からお聞きしていたものの、催行前夜に発表された名鉄のHPによると、デキ600の展示が取り止めになったという。よって展示される機関車はデキ300のみ・・・なーんだ、そうすると犬山からの送り込みは単機走行になるし、しかも雨天で面白み半減。いや、しかし、これで撮影を企てていた同業者が少しでも減ってくれれば、かえってまったりと撮影できるかもしれないし、そんな自分勝手の都合を付けて各務原線屈指(?)の撮影地へ赴いてみました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

にんじんカーブを見渡す高台から、1両でトコトコとやって来るデキ306号を撮影しました。同業者の人出はそれなりにあったものの、昨今のイベント列車と比べれば、まだまだ余裕。



「はなぶさ」に集まる仲間たち
戻りの単機は犬山橋にて。雨降りの夕方4時、さすがに暗いっ。この場所は立ち位置が限られるので、10名前後が限界でしょうか(脚立使用含む)。言うまでもなく満員でした。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

犬山線柏森駅では、日中に留置されている100系を使って運転室見学会が催されました。まさしく旬な話題の系統板が掲げられています。15日の時点でM1点灯の中日ドラゴンズ、この日の試合結果によると・・・監督胴上げは16日以降に持ち越しとなりました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

第三土曜日は名鉄主催のウォーキング「歩いて巡拝 知多四国」の行われる日。参加利用に最適な列車の一部には系統板が毎回掲げられます。その系統板掲出列車を写すべく6000系の運用を狙い貫通路タイプの初期車を期待するも、なかなか巡り合えません。それより、こんな撮影場所があったことを今さら発見しました。場所は犬山南方で、午後が順光です。犬山を発車したばかりでスピードが遅いので、落ち着いて狙えます。ちょっと背景がうっとおしい。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

キハ40系ツートンもついでにちゃっかりと。うろうろするのが面倒なので無難ににんじんカーブの近くにて。写真は3711D。ツ-トンは最後部なのでわざとサイドに逃げましたが、苦しい角度でした。



「はなぶさ」に集まる仲間たち



「はなぶさ」に集まる仲間たち

一方、長良川鉄道では鉄道趣味団体によるナガラ10形の貸切臨が関→北濃→美濃太田と走りました。ちょうど構内入替え中のシーンに出会えたので、関駅発車直後の画像と共に掲載します。HMの掲出は団体の性格上“お約束”。団体名がまともに表記されているものの、シンプルでまんざらでもないデザインかと。普段はなかなか走行シーンを見る事が出来ない車両ですが(実績を知らないだけ)、まだまだ現役です。


ほぼ雨降りの一日でしたが、それにしてもよく出かける気になるよね~。(もの好きな出札掛)


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2011年10月14日 (金)

116.古都の市電 日帰り散策 (1号車) 1978/5/28

 日本初の電気運転が始まった京都市電。最盛期には都大路に網の目のように路線を有していましたが、昭和36年の北野線の廃止を皮切りに次々と路線が廃止され、昭和53年9月30日限りで全廃が決まった頃には烏丸車庫前→百万遍→熊野神社前→祇園→東山七条→九条車庫前→九条大宮→西大路七条→円町→白梅町→千本北大路→烏丸書庫前といった外周路線と京都駅前→七条河原町→東山七条の枝線が残るのみとなっていました。運行系統は外周路線を1周する22系統と京都駅前→七条河原町→東山七条→祇園→熊野神社前→百万遍→烏丸車庫前を結ぶ6系統が残っていました。車両は2000型が伊予鉄道に譲渡されたばかりの頃で1800・1900型が京都市電最後の在籍車として活躍を続けていました。全廃まで残り4か月となった5月下旬、関西在住だったのにもかかわらず一度も訪れたことのなかった京都市電をあわてて日帰り散策した時の記録です。今回は3両編成でご紹介したいと思いますので、よろしくお願いいたします。




「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この日は自宅のあった姫路から京都までは山陽→阪急のルートを選択しました。当時は相次ぐ値上げにより国鉄運賃が私鉄運賃より高いといった状況になっていましたので、乗り換えのない新快速には乗らなかったものと思われます。阪急の河原町から少し東に歩くと祇園の電亭にたどり着きましたので、そこをスタート地点として市電散策を開始しました。外周路線の東側は道幅の狭い道路上を走っていたため、車の洪水の中を肩身の狭い思いをしながら走る市電の姿が随所で見られました。


【1978.5.28 祇園】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち

 市電の沿線には著名な神社・仏閣が点在していました。スタート地点の祇園は八坂神社、朱塗りの建造物が印象的で、参拝客の姿が途絶えることはありませんでした。2人連れの妙齢のお姉さま方も今ではきっと高齢者の仲間入りをされていることでしょう。


【1978.5.28 祇園】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 次の目的地に向かうため、祇園電亭から市電に乗車しました。全廃へのカウントダウンが始まっていた時期にもかかわらず、古都散策の足として機能しており、一般乗客に混じって多くの観光客にも利用され、まだまだ活気がありました。


【1978.5.28 祇園】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち

 運転席の真横に陣取れば、すれ違う市電の姿を次々と撮ることができました。巧みなノッチ・ブレーキ操作で市電を目的地まで進めて行く様子が手に取るようにわかります。


【1978.5.28 1811号車車内】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち

 重厚な造りが特徴の智積院をバックにできる東山七条です。京都市電の定番撮影地としてさまざまなメディアに紹介されたポイントです。6系統はここで外周路線と別れて京都駅前に向かいます。


【1978.5.28 東山七条】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち

 東山七条から西へ歩き、七条大橋まで来ました。市電は道路上から気軽に利用できるため、高齢者にも利用しやすい交通機関ということがわかります。何とも微笑ましい光景だったので、思わずシャッターを押してしまいました。 

【1978.5.28 七条大橋】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち

 全廃直前の京都市電には他社路線との平面交差が4か所あり、いずれも撮影名所となっていました。そのひとつが七条大橋の京阪電鉄との交差です。お互いにそれなりの本数があったので、両方の車両を入れることはそんなに苦労はしなかったように思います。相手の京阪電鉄も今では地下化され、大きく様変わりしてしまいました。


【1978.5.28 七条大橋】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち

 市電は観光客ばかりではなく、多くの一般市民にも手軽に乗れる交通手段として利用価値が高かったように思えます。「ばあちゃん、今日はどこまで行かはんのん? じいちゃんは一緒やないのん?」、「ちょっとそこまで買い物やねんけど、じいちゃんは邪魔やさかいに家に置いてきたわ…」といったようなやりとりが聞こえてきそうな光景です。

【1978.5.28 1850号車車内】(電車運転士)




2号車に続く


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2011年10月13日 (木)

【アーカイブス】30年前の撮影会

 1978年に廃止になった北恵那鉄道については、これまでも何回か掲載したが、その最後に行われた撮影会の時の写真が出てきたので、ご紹介したい。この撮影会は某エージェントの主催で、廃止前日の9月17日の日曜に行われている。貸し切りバスで現地を訪れ、電車を貸し切っての撮影であるが、30年前の撮影会とはここまでのんびり、かつ自由に出来たものかと時代の流れを驚くばかりである。


 あえてコメントを詳しく書かないので、写真で当時の撮影会の様子を偲んで頂きたい。とはいえ、ここまでの撮影会は当時でも無かったと思う。


 まずは、起点の中津町の駅での参加者。今では自由に構内を歩くことは考えられない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この撮影会の目玉は、廃止間近の北恵那鉄道の走行列車の写真が手軽に撮影できる、ということにあったと思う。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 まあ、こんな写真が誰でも撮影できたわけではあるが、カラーとモノクロのネガには、同じ場所での異なる写真が写っている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 撮影者のために、撮影地のすぐ近くで降りられるような配慮が行われたようだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 鉄橋のあった美濃下野でも、同じ列車を撮影している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち
「はなぶさ」に集まる仲間たち


 もっとも、北恵那鉄道の撮影地は、ほとんどが午前位置なので、撮影が午後になったこの時の撮影会では、あまり良い写真は撮れなかった。とはいえ、当時の撮影会がこのように行われた、というのは、ちょっと驚きである。もちろん、北恵那鉄道が昼間帯に列車が運行しないという特殊な条件であったことが理由なのだろうが。


 30年前が随分昔か、そうでないのかは人によって違うと思うが、こうした様子を見ると、やはり時代の隔たりを感じずにはいられない。もはや、30年前は古き良き時代といわざるを得ないのだろう。(駅長)

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2011年10月12日 (水)

【アーカイブス】30年前の銚子電鉄

 先回の集まりの際に、銚子電鉄に30年前に訪問した折りに、デキ3の牽く貨物列車を撮影したと話をしたら、大変、珍しがられた。最近、銚子電鉄を訪れたメンバーの方も居られるようなので、現在と30年前を比較して頂きたく、当時の様子をご紹介したい。


 この撮影は昭和53年5月である。多分、昨年1月に訪問するまで、この鉄道は訪れていないのではないだろうか。銚子は行きづらいので、疎遠な鉄道のひとつである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは仲ノ町のヤマサ醤油側線に停まるデキ3の牽く貨物列車。仲ノ町の駅が写っているので、大体の場所はお分かりいただけるだろう。昨年、訪れたときにはこの場所の記憶は全くなかった。今は、どうなっているのだろうか?


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 さて、これが仲ノ町を発車する貨物列車。と、いって本当の貨物か、単なる入れ換えなのか、この写真ではわかりづらいのが難点である。もっとも、運行していたのが仲ノ町と銚子の間なので、どこで撮影しても入れ換えとしか見えないだろうが・・。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 今にして思えば、銚子構内での貨物の引き渡しを撮っておけば面白かったと思うが、残念ながら、それは撮影していない。架線の状態から見れば、デキ3でこのホームに、一旦、つっこんでおいて、後部からDLが貨物を牽きだしたのだろう。

 で、貨物を引き渡したデキ3は、銚子電鉄のホームに移って待機する。そのまま、回送で戻しても良いように思うが、なにか理由があったのだろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 仲ノ町へは、このように定期列車の後ろにぶら下がって帰っていった。パンタが上がっていれば面白かったのであるが、残念ながら、パンタが下げられている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 同じネガには、デハ301+サ??+デハ201の3連の列車も写っている。東京までは、間違いなく大垣夜行で行っているので、銚子の到着は8時頃のはずだ。多分、朝の輸送力列車だったのだろう。

 もうこの段階では、デハ700形が入線していたので、電動車の数は足りており、回送にデキ3を使う様子は見ることができなかった。4月には、まだデキ3が使われていたようなので、訪問のタイミングが遅れたのかもしれない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 写真を見ると、この時は雨に降られたようであるが、それでも折角と言うことで、走行写真を撮影している。場所はこの頃一番人気のあった本銚子で、これはある鉄道雑誌にここのグラフが載ったことが理由かとおもう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最近は、人を入れた写真が人気があるようなので、本銚子駅の乗降シーンを。30年前の当時でも、風情のある駅であった。

 当時の銚子電鉄は、こちらにも詳しい。

 http://tsushima-keibendo.a.la9.jp/choushi/choushi1.html

(駅長)


 

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2011年10月11日 (火)

散策の一日【2011年10月9日】

ほとんど晴天に恵まれた10月の三連休。せめて丸一日ぐらいはどこかへ撮影に出かけたいが、とネタなどを模索していたら、中日の9日に名古屋市地下鉄の新車「N3000」が甲種輸送8860レで運ばれてくる予定。日中時の走行に加え、柏原では1時間のバカ停もあるようなので追いかけ可能。ただそれだけの理由で、伊吹山のふもとを目指して暁の国道21号を西に向かいました。夕方にはドクターイエローも上ってくるので、撮影可能であればそこまで粘るつもりで、いざ行動開始!



「はなぶさ」に集まる仲間たち

早朝のNHKラジオから聞こえてきたのが「新幹線米原-岐阜羽島間で保線用車両が脱線し、上り列車運転見合わせ」のニュース速報。このときは関ヶ原付近を運転していたので、まさかね、と左手に併走する新幹線の線路を眺めながら走っていたら偶然その現場らしきところが目に入ってきました。

脱線車両を取り囲む作業員の姿が見えます。早朝からご苦労さまです。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

柏原ー近江長岡で8860レを待つまでの間、適当に撮影しながら時間つぶし。ここは柏原西方の大カーブ内側。まだ稲刈り前なのか、黄金色に実った稲穂が残っていました。まるで近江長岡の有名お立ち台を思わせる構図?



「はなぶさ」に集まる仲間たち

ほんの少し木々が赤く色付いてきました。朝日を浴びて折りしもやって来た7090レはEF200試作機901号が牽引。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

山並みバックで順光バッチリのポジションで8860レを待ちます。が、山の上の高圧線が目障りでこれを避けようとするものの、どうしても構図に入ってしまうためポジションが定まらず、模索しているうちに8860レが現れてしまい、ズーミングで数カット撮れど結局高圧線は避けられず仕舞い。予習時間はしっかりあったのに根本的にこの場所が良くないことに気付かず・・・、よって柏原での1時間停車のうちに関ヶ原まで先回りして再履修し、どうにか合格。

そういえば柏原でお会いしたd51826様、お疲れ様でした。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

117系も風前の灯火。米原ー大垣の区間運転を狙います。来年は稲穂とのコラボを見られるでしょうか。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

以前、伊吹山をバックにコスモス畑を走る新幹線の写真を見たことを思い出し、それらしきところに車を走らせましたが、コスモスはさっぱり。代わりに、この付近でも黄金色のじゅうたんがところどころに残っており山の全容も見える場所を見つけました。高速で走り去る新幹線には、落ち着いた風景は似合わないかもしれませんが、せっかくなので撮れるうちに。

史跡?をわざと手前に配置しましたが、レンズや立ち位置を変えながら、たくさんのバリエーションで楽しめそうです。冠雪の頃が待ち遠しいですが、新幹線は撮影対象外ですか?



「はなぶさ」に集まる仲間たち

若宮八幡神社への参道となっている人道踏切にて。ここは今年の春頃?警報機付きに整備されたようです。画像は上り列車(空コキ、ご容赦下さい)ですが、踏切はSカーブの真ん中にあるため、踏切を渡り反対側を見れば、同じような構図で下り列車を撮影できます。オーソドックスですが、いちおう参考までに。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

関ヶ原の西方、新幹線との交差付近で上り列車を俯瞰。ただ、光線条件はあまり良くありません。辛うじて午後から側面に陽が当たる程度で、季節や時間帯によっては山の影が干渉しそう。墓地からの撮影となるため、お静か~に願います。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

最後の撮影に、「夕焼けの中を疾走するドクターイエロー」という想定をしていたところ、日が沈み始めた頃から太陽は雲の中。感度を上げて無理やりのショットとなりました。


気が付かないうちに、日が短くなりました。秋ですね。(出札掛)









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2011年10月10日 (月)

115.「日本海」と「トワイライトEXP」+三岐鉄道 2011/10/10

10月の3連休は天候にも恵まれ、メンバーの皆様方もそれぞれご活躍だったと思います。そういう自分はというとあらかじめ予定していたターゲットはなく、まったく白紙の状態でした。3連休初日の8日は右目の中に小さい虫が飛んでいるように見える飛蚊症が気になっていたので、眼科で診察を受けたところ網膜裂孔(網膜に破れがあり放置すると網膜剥離になる)と診断され、レーザーで破れた所の周囲を固めて網膜剥離を防ぐという治療を行いました。はじめは軽い気持ちで診察を受けたのですが、何だか大事になってしまいました。治療の際に瞳孔を広げた関係で、出掛けることはできずに家でジッとしている1日でした。2日目の9日はN3000の甲種輸送がありましたが、とりあえず木曽川でEF66に牽かれていく姿を見届けた後、東名古屋港へ移動して一連の流れを見てきました。3日目となった10日はまともにどこかへ出動したいと思い、来春のダイヤ改正で廃止かもしれないという不穏な噂が流れている「日本海」を撮りに新疋田方面へ向かいました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 7月に訪れた時の「日本海」は鳩原ループ俯瞰ポイントで狙いましたので、今回は正面ドッカンを狙って市橋跨線橋上のポイントで「日本海」を待ちました。通過直前までは陽が当たっていましたが、接近ブザーが鳴り始めた頃にはゲリラ雲が襲来、通過直後に雲が切れて陽が当たるという毎度お馴染パターンで撃沈となりました。

【2011・10.10 新疋田~敦賀】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 次の本命の「トワイライトEXP」は鳩原ループが俯瞰できる高圧鉄塔ポイントで狙うべくプチ登山となりました。「トワイライトEXP」まで適当に来る列車を撮って時間を潰していましたが、1回だけ上下列車が同一画面に納まりました。ただ、下り列車がステンレスの521系2両だったので存在感がまったくありません。

【2011.10.10 新疋田~敦賀】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 「トワイライトEXP」の通過時間が近づいてくるとゲリラ雲の怪しい動きが活発になり、マンダーラ状態が繰り返し出現、ヤキモキさせられる状況が続きました。下り線を跨ぐ鉄橋の手前までは機関車の位置に陽が当たってなかったのですが、「日本海」の時とは真逆でギリギリのタイミングで陽が当たってくれました。たまにはこういうことがあってもいいですよねぇ。

【2011.10.10 新疋田~敦賀】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 いつものパターンだとこの後ビラデスト俯瞰となりますが、この日は湿度が高いのと風がなかったこともあって全体的に霞がかかりクリアな視界が確保できそうになかったので、三岐鉄道に転戦しました。彼岸花は先週で終わってしまい、残骸しか残っていなかったので、思い切って逆光側に回り、ススキ狙いに挑戦してみました。もう少し穂が出ていればよかったのですが、ちょっと時期が早かったみたいです。

【2011.10.10 楚原~麻生田】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 三岐線は台風12号の集中豪雨により朝明川の鉄橋が大きく歪んでしまい、貨物列車が長期運休になっていることもあって彼岸花の時期はパスしてしまいました。電車しか来ないのはわかっていましたが、どんな感じか覗くだけ覗いてみようと行ってみましたが、蕎麦の花が満開となっていました。今年は線路の西側に植えられていました。とりあえず電車を1本撮って帰路に着きました。

【2011.10.10 三里~丹生川】(電車運転士)

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3連休 遠征鉄

 名市交N3000系の甲種や大井川鉄道のイベントなど、写欲をそそる被写体がいくつもあり、好天に恵まれた3連休、皆様方は如何に鉄活動に励まれましたでしょうか?

 さて、小生は東京で鉄仲間の集まりがあったことから、8~9日に泊まりで東京に行って来ました。しかし、集合時間は午後5時のため、それまでどうやって時間を潰すか、思案しました。そこで東京への寄り道として立ち寄ったのが大井川鉄道の重連SL。先々週の上越線から、なぜかSL、それも重連づいています。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 どこで撮影しようか迷いましたが、1日中、大井川で撮影するならともかく、東京に行くためには昼頃には金谷に戻らなくてはいけません。また、千頭行きの1001レは終点のあたりを除いて、ほとんど逆光となります。そこで重連の1001レは、少しでも光線の良さそうな福用で狙うことにします。お立ち台故、もう少し煙を吐くかと期待していましたが、完全燃焼で薄い煙を吐くだけで通過していきました。


 大井川鉄道は、この秋より列車本数が少なくなり、次に金谷に戻る列車は福用で101レと交換してしまいます。そこで、ひとつ手前の神尾まで歩いて戻り、101レを撮影することにします。神尾に行く途中、地蔵峠から千頭行きの電車を撮影。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 神尾の駅まで歩いて下り、本命の101レを狸を入れて撮影です。太陽が雲に隠れることを期待しましたが、残念ながらピーカンとなって完全逆光となってしまいました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 その後、普通列車ー新幹線ー普通列車ースーパーはこねと乗り継いで、その日は東京泊です。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 翌日は、午前中、仲間と一緒に行動し、フリーになった午後は前々から狙いたかった東京スカイツリーとのカットを撮影に荒川区役所前に向かいます。しかし、この時間帯の東京での天気はもうひとつで曇ってしまった上、ちょっとガスがかかってスカイツリーが霞んでしまっています。これはもう一度、出来れば夏の日の長いときに再履修の必要があります。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 天候ももうひとつだし、一緒にいた東京の友人が日比谷の鉄オタフェスティバルに行くというので、同行して日比谷公園へ。名鉄ブースでは、系統板を売っていましたが、パノラマ一般板の中部空港がなんと「70,000円」。イラスト系統板が「40,000円」。

 さすがに売れてはいないようでしたが・・・・・。


 新幹線で名古屋に戻り、大江に立ち寄って、N7000の回送風景をスナップ。東海道の甲種も撮影したかったですが、やむをえません。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 さて、3連休の3日目の10日、この日は9004レが運転されることを情報通さんから伺っており、少々疲れ気味ながら、頑張って早起きして、先回のリベンジに向かいます。

 さて、現場についてカメラの準備をしていたら、富士松方から見慣れぬものが・・・


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 なんとデキ600の重連回送です。早朝、N3000形を赤池まで送り込んだ機関車を戻したのでしょう。しかし、残念なことに天空は快晴ながら、東の方には雲があって朝焼けももうひとつです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 続いて9004レ。あかね雲が浮かんで雰囲気はいいのですが、残念なことに東側の雲がとれません。そのため、ヌケが悪くなってしまい、再履修はまたしても不合格です。来年に期待です。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 9004レの10分後にはこんな綺麗な朝焼けになりました。薄い雲が出ていたため、太陽に少しフィルターがかかって、ゴーストも出ず状態は満点です。この状態でしたら再履修の必要はなかったのですが・・・・なんとも9004レは難しいです。(駅長)


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2011年10月 7日 (金)

【アーカイブス】昇圧前後の瀬戸線-5

 さて、延々と続けてきた昇圧前後の瀬戸線シリーズも、今回が最後である。

 もう1回、と書いたことから、なにか雑誌に紹介されていないような隠し球のイベントでもあるのか、と思われた向きもあるかもしれないが、残念ながらそんなものはあるはずもない。

 

 今回は、栄乗り入れを控えてひっそりと消えた土居下駅を紹介したい。昭和51年2月に堀川へのお堀の区間が廃止され、かつての土居下と清水の間に土居下(仮?)駅が設けられ、昭和53年8月に栄に乗り入れるまで、2年半の間、名古屋方の終点となった。いまでは、そんな歴史も忘れ去られてしまっているだろうが、瀬戸線の歴史的な記録としてご紹介したい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 このプレハブの簡素な建物が土居下仮駅。ここから県庁前までバスが運行されていた。この駅舎は、左京山に移転したのではなかったかな?


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 簡素な設備のため、ホームは1本だけである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 栄町開業を控えて、駅の南では6600系による試運転が行われた。夜中にレールをつないで6600系2編成を送り込み、単線並列扱いで試運転が続けられた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは栄町に向かう列車。奥の方に、土居下に停車中の列車が見える。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 8月19日の最終日には、簡単なお別れ式が催されたようだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 土居下を発車する最終列車。(だと思う)

 深夜かと思うが、工事のために早めの列車を最終としたかもしれない。この後、徹夜で工事が行われ、栄町駅へのレールがつなげられた。


 もちろん翌日の栄町開業日にも写真を撮影に行っているが、これらは見る機会も多いだろうから、割愛したい。(駅長)






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2011年10月 6日 (木)

【アーカイブス】昇圧前後の瀬戸線-4

前回は昇圧を控えて1500V車両の輸送の状況をご紹介したが、その重責を担ったのが瀬戸電気鉄道デキ1形として製造されたデキ200形である。昭和2年に製造後は、瀬戸の陶磁器の輸送などに活躍した。

 今回は、デキ200形の牽く貨物列車を紹介したい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まずは大曽根で入れ換え中のデキ201と202。2往復だったと記憶する貨物には2両使用する必要がないので、1両は入れ換えに使われていたのだろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 停車するデキ201と入れ換え中のデキ202。右に伸びるのが、中央線との貨物をやりとりする引き上げ線である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 大曽根に到着する貨物列車。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 大曽根を出発して中央線をくぐる。大雨が降ると、この場所が水没して、よく不通になった。この場所は高架化に伴い、廃止されている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 毎度おなじみの印場を行く貨物列車。後ろに付いた木造のワフが可愛らしい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 東名高速横のアパートの上から、現在の印場駅方向を撮影する。このアパートは現在もあるが、屋上には登れなくなっていた。

 歴史ある瀬戸線の貨物列車も、1500V昇圧を控えて、2月15日限りで廃止された。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 大曽根を発車する最終列車。最後尾にパンタを降ろしたデキ202が連結されている。


 さて、瀬戸線デキ200形の歴史を調べるべく、Wikipediaを見たら、このように書かれていた。


>>1978年(昭和53年)1月末で瀬戸線の貨物輸送が廃止され、2月以降は同線1500V昇圧後の車両の運搬に使用された。運搬は大曽根駅からの国鉄中央本線への貨物引込み線を利用し、引渡しは国鉄線を牽引したディーゼル機関車

(DE10形)+(1500V車両4両)+デキ200(1両)という組成で行い、名鉄へ引渡し後はデキ200+(1500V車両4両)+デキ200という組成で車両留置場所(尾張瀬戸駅構内・喜多山分工場など)へ回送を行った。


 このブログをご覧の方は、間違いに気づかれるであろう。Wikipediaを参考にするときは、必ずしも検証されているわけではないので、ご注意の程を。

 なお、デキ201は南知多ビーチランドで保存後、解体。デキ202は瀬戸市民公園に保存されている。


 昇圧前後の瀬戸線のネタもそろそろ尽きてきたが、もう1回だけ記事を載せるので、おつき合い頂きたい。(駅長)

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2011年10月 5日 (水)

【アーカイブス】昇圧前後の瀬戸線-3

 引き続いて、1500V昇圧を控えて瀬戸線に導入された6600系と3780形の転入の様子をご覧頂こう。

 

 6600系も3780形も、国鉄線を経由して大曽根で瀬戸線に入り、デキ200形電気機関車で喜多山あるいは尾張瀬戸に回送され、整備が行われた。ネガの撮影日から見ると、1月21日に6600系の最初の編成が輸送され、次回は28日に行われている。6600系は6編成有り、多分、毎週同曜日に輸送されているから、3度目は2月4日だったのだろう。

 この回送を2度にわたって撮影に行っている。多分、情報通さんから情報を貰ったのか、当時のこと故、駅で教えて貰ったかもしれない。しかし、資料の保存が悪く、輸送関係の資料は手元にない(だろうと思う)。今にして思えば、何でも取っておいて、メモも残していないといけないことを痛感するが、後の祭りである。


 さて、6600系は日本車輌から2編成を組にして輸送された。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 なんと牽引機はゴハチである。これで稲沢(多分)まで行って、機関車を付け替えて中央線を運行する。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 こちらはDD13の牽引である。タイミング良く7000系と並んだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 大曽根で機関車を瀬戸線のデキ200に付け替える。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 大曽根の連絡線を降りてくる6600系。有効長の関係で、1度に降ろせるのは2両ずつである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 大曽根の構内で編成を組みなおす。瀬戸線内の輸送のために前後にデキ200形が付けられた。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 6600系の輸送は3度撮影している。いずれも矢田と守山の間である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ここはお馴染みの場所(^_^)。
 離れた横位置からも回送を撮影している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 6600系に続いて、3780形の輸送も行われた。こちらは10編成あったので、5回輸送しているはずである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 こちらも毎度お馴染みの場所である。まあ、当時の瀬戸線で撮りやすかったのは矢田川の鉄橋、印場、旭前ぐらいであったので、どうしても撮影場所は限定されてしまう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 6600系と同じ場所で撮影した写真もある。輸送された6600系は喜多山の側線に留め置かれた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 何か最近、4000系と6600系を同じような角度で撮ったような覚えが・・・(^^;)左側のモ700とク2320の編成は、このあと揖斐線に転属したはずである。(駅長)










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2011年10月 4日 (火)

【アーカイブス】昇圧前後の瀬戸線-2

 昭和53年に栄乗り入れを控えて行われた昇圧前の瀬戸線の様子に関心が高いようなので、続きを紹介しよう。

 まあ、こういう形で紹介するとしたら、900形とかの写真になるだろうが、そんなありふれたものは出さない。(^^;)

 まずは、昇圧前ではなく、昇圧後の写真をご覧にいれたい。昇圧前の写真はいろいろな機会に見ることがあるだろうが、おそらく昇圧直後の写真というのは、珍しいのではないかと思う。


 まずは1500V昇圧の祝賀電車から。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 左側の3780形はすでにないし、ピッカピカの新車だと思っていた6600形も余命が案じられる車齢になってきた。


 先回、使用停止となった600V車が尾張瀬戸に留置されている写真を紹介したが、それらはデキ375に牽引されて大曽根に向かい、国鉄線経由で本線や岐阜工場に輸送された。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは旭前と尾張旭の間での撮影。900形2両ということは、尾張瀬戸に留置中に編成が組み替えられたようだ。ク2300形は、尾張瀬戸で解体されたのだろうか?


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 3700形は本線で復帰したため、編成単位で輸送されている。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 今となってはさすがに当時の記憶に乏しいが、この2枚が続きのネガに写っているということは、同じ日に輸送されたのであろうか。ただし、国鉄線を輸送するところは記録していないようだ。


 今では高架線となってしまった清水や尼ヶ坂のあたりの光景を少し。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは土居下の仮駅。真ん中にバスがチラリと写っているが、このバスで大津町まで連絡していた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 当然であるが、600V時代そのままの尼ヶ坂。昇圧して電車が変わっても、まだまだ都会の中のローカル線の雰囲気を残していた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは尼ヶ坂と森下の間か。線路用地に身体を乗り出しているような感じもするが、当時は道路との境に柵もなかったので、どこまでが鉄道敷地でどこからが道路か不明確であった。いかにも線路がヘロヘロで弱々しいが、GHH(グーテ・ホフヌング・ヒュッテ)のレールが現役であるところも写っているので、この頃はまだ開業当時のレールも残っていたのかもしれない。(駅長)

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2011年10月 3日 (月)

114.再び樽見鉄道彼岸花鉄2011+α 2011/10/1~3

 9月後半の3連休、彼岸花が見頃と思い樽見鉄道を訪れましたが、猛暑の影響で開花が遅れ、タイミング的には少し早かったということで、翌週に再チャレンジしてきました。1週間経って彼岸花はちょうど満開を迎えており、絶好の被写体を提供してくれました。+αとして樽見鉄道以外にM社沿線の彼岸花ポイントもご紹介いたします。派手な赤が目立つ画面ばかりで目がチカチカしそうですが、お付き合いいただければ幸いです。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 10月1日は午前中は家族運用のため身動きがとれず、午後からの出動とならざるを得ませんでした。午前中はいい天気が続いていたため、期待を持って行きましたが、目的地へ進むにつれ雲が広がり、横屋~十九条の犀川土手は撃沈でした。気を取り直して木知原へ向かいましたが、相変わらず曇りの天気。畔道は前の週とは比較にならないくらいの彼岸花が咲いているのにテンションは下がりっぱなしでしたが、とりあえずカメラを構えました。木知原を出発直後、雲の切れ間から急に太陽が顔を出し、祈るような気持ちでファインダーを覗いていました。完全な晴れとはいかなかったまでも何とか許容の範囲に収めることがことができてホッと胸をなで下ろしました。

【2011.10.1 木知原~谷汲口】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 10月2日は午前中に所用があったため、あまり遠くに出掛けることはできず、朝連は広見線を訪れました。晴れの予報にもかかわらず一面に雲が広がり、今ひとつ情けない結果になってしまいました。


【2011.10.2 西可児~可児川】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち




「はなぶさ」に集まる仲間たち

 所用は昼前で終わる予定でしたので、天気も回復してきたことから、前日に撃沈した犀川の土手に向かうことを企んでいました。ところが、予想以上に用事が長引いてしまったため、速攻で現地に向かいましたが、撮影ポイントに着いたのは横屋15時14分発の下り列車にギリギリ間に合うといったタイミングでした。目の前には彼岸花が真っ赤な絨毯状態となった光景が広がっており、ほぼイメージどおりの写真を撮ることができました。


【2011.10.2 横屋~十九条】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち

 その後はワンパターンですが、木知原へ向かいました。前日は時間がなくて撮り損ねたポイントで上り列車を待つことにしましたが、列車は谷汲口16時50分発と陽が持つのか微妙なタイミングでした。多分大丈夫だろうという方に賭けましたが、結果はギリギリのアウト。数分前までは彼岸花が夕方の斜光線に映える美しい光景が広がっていましたが、何とも悔しい結果となりました。


【2011.10.2 木知原~谷汲口】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち




「はなぶさ」に集まる仲間たち
 

 10月3日はコスモスのロケハンがてら竹村を訪れました。今年は去年と違っていい位置にコスモス畑はなく、朝連のネタがひとつ減ってしまいましたが、有名なハスポイントの北西側にある彼岸花が去年よりもいい感じで咲いているのを発見、苦しいアングルですが何とかまとめることができました。

【2011.10.3 竹村~土橋】(電車運転士)


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2011年10月 2日 (日)

難易度が高い9004レ

 さきに電車運転士さんから「今シーズン最後の9005列車」の記事が掲載され、そろそろ「9004レがタイミング的には良いのでは」とコメントしたところ、さっそく2日に9004レが運転されることを情報通様からお教え頂き、ちょうど休みでもあることから、撮影に行って来ました。


 しかし、朝起きると、なんとなく雲が出ている感じ。どうしようか迷ったのですが、星らしきものも見えることから、文字通り運を天にまかせて出発です。夜明けというテーマで工臨を撮影しようとした場合、まだ明けやらぬ時に出発しなければならないわけですから、天候が読みづらいのが難点です。


 さて、名古屋高速を走る頃にはようやく夜が明けてきましたが、空は雲がおおわれています。ただ、東の方が明るく、雲も切れているようなので、それに期待して車を走らせます。

 2日の日の出時刻は6時少し前。9004レの豊明発車は6時4分ですから、タイミング的には丁度あうはずです。やはり東の方角には雲がびっしりですが、なんとか太陽の昇るところだけ雲が切れているのに、わずかな望みを託します。


 6時少し前、太陽が昇り始めます。ちょうどポールとポールの中間だけに、昇る位置は文句ありません。しかししかし・・・・列車が来る直前に雲に隠れてしまい、輝きが無くなってしまいました。いろいろな条件が恵まれていただけに、なんとも残念です。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 9004レと日の出のタイミングを見ると、もう1週間ほどチャンスがありそうですが、どうもその間の運転はなさそうです。ということで、日の出の工臨の撮影は来年に持ち越しとなってしまいました。いろいろな条件が揃わないと撮影できない列車だけに難易度が高いですが、それゆえ挑戦のしがいがある、というものでしょう。

 最後に情報をお教え頂いた情報通様に感謝すると共に、来年の成功を祈念したいと思います。(駅長)

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台風ドキュメンタリー 2題

       台風12号、15号の度重なる襲来に、被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。


上越線SL重連運転に日を合わせたかのように行われた「カシオペア」迂回運転には、群馬へ遠征の駅長様も遭遇され、偶然の産物に驚かれたことと思います。東北線が不通になると「カシオペア」は高崎・上越線を時おり迂回運転されますが、このイレギュラーな現象を今回は多くの人が記録されたのではないでしょうか。



◆2011年9月3日(土)

台風12号が東海地方に最も接近するとの予報が出されていた中、東京から所定で運転された下り「ムーンライトながら」は悪天候のため豊橋で抑止。やがて動き出したものの、今度は架線に飛来物が西岡崎付近で引掛かったため、再び岡崎で抑止。そのうち飛来物も無事除去され、結局名古屋を4時間50分遅れで発車、どうにか大垣まで走り抜きました。なお、抑止を受けた岡崎では名鉄線への振り替え輸送も手配されたようです。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

外の様子は台風の接近で風は強いものの、ときおり横殴りの雨が一瞬降る程度。この天気なら少しだけ外出しても大丈夫か、と木曽川まで足を運び、曇り空の下、当該列車を見届けました。長編成の国鉄色特急型電車をこの地で日中時に見たのは久しぶりのことでしたが、こんな悪天候時に同業者なんてだ~れもいるはずがなく、「撮影もほどほどに・・・」とおとがめを受けそうな気配。

そういえば、この数分前に高山線からの上り「ひだ」がほぼ定刻で走っていきました。東海道の定期列車がなかなか姿を見せない中、高山線はほぼ定時運行されていたようで、あらためて鉄道の頼もしさを感じました。




◆2007年7月15日(日)

この日は台風一過の晴天。ただ、朝まで各線で抑止がかかっていたため東海地方のダイヤは乱れがち。名鉄も車両運用は大幅に変わり、パノラマカー4+4の重連がなんと本線急行に充当されました。通常なら、パノラマカー重連編成は本宿で停泊し、翌日が休日ダイヤなら本来は岡崎で分割されて各々犬山線への普通列車に使われるところ、抑止の影響を受けて重連のまま代走されたものと思われます。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

特筆としては、パノラマ重連が豊橋まで久々に入線したことと、豊橋方先頭車において、意外とお目にかかれないパタパタ方向板の「快急」表示を見る事が出来たことでしょうか。このほか、豊川系統の急行運用にもP6が1編成代走されていました。ちょうどパノラマカーの去就が注目されていた頃でしたが異常時での出来事なので、あまり面白がるのもそこそこに・・・。【1500レ 7033F+7011F】



さまざまな状況下であろうとも鉄道輸送の使命を正確に安全に果たそうと、多くの方々が陰で努力されていることを決して忘れてはなりません。(出札掛)


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2011年10月 1日 (土)

【アーカイブス】都電の花電車

 今日から東京では、都営交通100年を記念して、都電で花電車が運転しているはずである。運行期間中に東京に行く機会はあるが、残念ながら運行日とは異なるので、撮影する機会はなさそうだ。


 都電の花電車といえば、今から32年前の1978年に荒川線の新装記念として運行されている。7000形の車体更新を行い、ホームを嵩上げして、近代化を図った。今から思えば、日本のLRTの第一歩がこの荒川線の近代化、であったといっても良い。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 これは町屋駅前か。アーチもつくられて、地元の期待が大きかったことが伺える。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 同じく町屋駅前。停留場は嵩上げされているが、まだスロープとはなっていない。この時、更新された7000形の一部が豊橋に来ているのはご存じの通りである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 当時、まだ残っていた6000形が装飾されて花電車として運行された。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この時の目玉が、6000形の車体を取り払い、装飾した花電車である。4両ほど製造されたかと思うが、車体上部を装飾した本格的な花電車である。写真のように装飾された6000形を先頭として、花電車を連ねてパレードが行われた。併用軌道が残っていた熊野前で撮影している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 とはいえ、パレードを写真で撮影しようと思うと大変である。信号で停められたりするのでパレードの電車が続行状態にならないし、またなったとしても、高いところから撮らないと1枚に入らない。


 今回の花電車は1両だけの運行なので、そうした心配をしないではすむだろうが、とはいえこの時のパレードを思い出すと、ちょっと寂しくも思う。とはいえ、昨今の環境下で、運行してくれるだけでもありがたいと思わずにはいられない。(駅長)


 


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【アーカイブス】瀬戸線600V車の最後

 高校生時代の電車運転士さんが遠征してビスタカーや近鉄内部・八王子線を撮影に来られた頃、駅長はどうしていたかといえば、その少し前の時期は、3月に昇圧されて旧型車が一掃された瀬戸線にご執心であった。


 この年、昭和53年の8月に瀬戸線は栄町への乗り入れを果たすが、それを控え、3月19日から架線電圧の1500Vへの昇圧が行われている。これによって、700形、900形、3700形などの600V車は姿を消して、一気に近代化が図られた。その最後の様子を記録するため、77年12月から翌年3月にかけて、数えてみたら20回近く瀬戸線の撮影に赴いている。それだけ当時の瀬戸線が魅力あったことは確かだが、時間もあった、要するに暇だったのだろう。(^^;)


 さて、折角だから、最後ということで、さよならの看板が付いた900形をご覧にいれたい。データを見ると、3月12日に尾張瀬戸でさよなら式を行っており、19日に昇圧しているので、約1週間の間、このさよなら看板が付いた列車が走ったようだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、大森・金城学園前と印場の間。霞ヶ丘の駅跡のあたりである。

 先日、6650形のお別れ運転の折りにこの場所を訪れたが、まだ、当時の雰囲気が残っていた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、現在の印場駅のあたりである。当時はこのあたりには水田が残っており、絶好の撮影地となっていた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 さらに瀬戸寄りに進んで、これは旭前と尾張旭の間である。印場と同様に、このあたりも水田が残っていたが、都市化が進み、当時の面影をうかがい知ることはできない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 尾張旭にちなんで、関連の写真を1枚。尾張旭城と瀬戸線のコラボである。

 現在は、瀬戸線の向こう側に検車場が出来ているのはご存じの通り。また、尾張旭城の後ろにも展望台が出来ており、もっと高い位置から瀬戸線を撮影することができる。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最後は、定番の矢田川鉄橋。ここだけは、いつまで経っても変わらない。(^^;)


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 昇圧によって不要となった600V車は、尾張瀬戸に集結した。その後、デキ375に牽引され、国鉄線を経て岐阜工場に運ばれ、北陸鉄道や福井鉄道向けの改造が行われることになる。

 こうした写真を撮影しているので、600Vの最終電車も乗りに行ってるのではないか、と思われるのだが、なぜかそれに関する夜の写真が1枚もない。夜ということで、写真を撮らなかったのだろうか?不思議である。(駅長)

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