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2011年8月

2011年8月31日 (水)

またまた長野電鉄2000系 屋代線ラストサマー

しつこいようですが、長野電鉄2000系です(またかよ~)。単独形式としてはこのブログで最も登場回数が多いと思いますが、「はなぶさに集まる仲間たち」世代としてはご理解いただけると思います。(^_^;)

かなり以前から、8月27日~28日に関東の某旅行社が軽井沢発着で鉄道ヲタクツアーを企画しており、その目玉が屋代での2000系としなの鉄道の169系(S52編成湘南色)との並び撮影、ということでした。おいしそうなイベントは28日に集中していたので、この日に照準を合わせ、今月2回目の長野電鉄訪問を計画したわけです。

ところがうれしいことに直前になって(2日前のことのようです)、来年4月1日付の屋代線の廃止による「松代駅ラストサマーイベント」なるものが27日に実施されることになり、2日間続けて2000系が屋代線を走破することになり、2000系ヅケの2日間になりました。


まずは8月27日から・・・。

金井山・大室間のトンネル出口の有名撮影地に行くとすでに数名の同業者が線路にへばりついていて、引いては撮れない状況、草が高くチョット不満の残る出だしとなりました。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

松代ラストサマーイベントのメインは2100系スノーモンキーの運転室公開で、公開時間はは12:10~13:50、当然この車両の回送があったのですが、全くその気がありませんでした。2000系の須坂発が13:11、松代で13:32~14:00の間、2100系と並ぶという演出があるので、松代駅に行ってみましたが、↑の状況でした。でも「急行・屋代」の表示がうれしいですね。

直前の告示にもかかわらず、結構家族連れでにぎわっており、あまり長居は無用でした。滞在していたのが10分にも満たなかったと思いますが、ひっきりなしにミュージックホーンがなっていました。

早々に松代駅を辞し、かの上杉謙信が陣取った妻女山へ。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

ここは某掲示板で、尼厳山、奇妙山をバックに神社の駐車場付近から、というキーワードを頼りに探した場所です。かなり望遠ですが、リンゴ色に助けられいい雰囲気です。シャッターチャンスがかなり限られるのですが、雪景色も狙ってみたい場所です。

30分も待たずに折り返してくるので復路をどうしようかと思っていたのですが、往路神社に登って来る途中、振り返ってみたら撮れそうだったので、ここで待ち構えました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

さらにカメラを振ると

「はなぶさ」に集まる仲間たち

眼下に広がる不思議な畑は松代名産の長芋畑だそうです。(この事実は同行者に当日教えてもらいました。)もう少し手前でカメラを上に振ると↓のようになり、冬の天気のいい日には北アルプスが望めそうで、そのときまた2000系が走ってくれることを祈るのみです。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


翌28日は団臨がらみで須坂・屋代間を2000系が2往復します。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

前日、今一つだった金井山・大室間のトンネル出口で、屋代に向かう回送を狙おうと早めに同居人の実家を出ましたが、この日のツアーはかなり周知されていたため、現地到着時にはやはり10人程度の同業者が線路際に連なっていました。幸い一人の好事者が草刈りに励んでくれて、1両分は下まわりが出るくらいになりました。光線状態は殆ど真横からとなり、トンネルには陽が当らないのですが、屋代線とはっきり分かる場所なので、良しとします。


この後、追っかけてこの日のツアーの目玉という屋代駅での169系との並びを横から撮らせてもらいました。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

撮影会の行われる逆側のサイドですが、こちらのほうが順光となります。撮影会側でキチンと面位置に並べられると2000系に169系が被さってしまうので、入換中に撮らなければなりませんでしたが、かなりゆっくりしたスピードで入ってきたので落ち着いて撮れました。

某旅行社のツアー客は50人くらいだったでしょうか、撮影会側ではヘッドマークの取替ショーが展開されましたが、圧巻はおそらくツアー客が持ち込んだとみられる中央東線の「アルプス」をはじめとするパタパタ板の実物でした。

下り須坂行の2000系団体列車を撮影するために移動します。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

線路と同じ高さのところは草が高く、なかなか撮れるところがありません。↑ここも某

掲示板によく出ている大室駅(ホームが見えています)東側にある「まきばの湯」駐車場からのショットです。ここも天気が良ければ北アルプスが臨めそうそうです。ただ、当日も20人くらいの同業者がいましたが、画面下に一本ケーブルがあり、結構立ち位置が限られます。

ツアーはこの後、須坂の撮影会へ向かいます。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

ここでも¥を支払っているので、撮影会はツアー客のみ(当たり前の話)ですが駅の外(駐輪場)からでもこのようには撮れました。

この後、団臨の復路を撮りに屋代線に戻りました。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

↑でも述べたように、沿線は開けた場所でも雑草が高く、なかなか撮影地がみつかりませんでした。ここは松代・金井山間ですが、脚立に乗って撮っています。特にいい場所というわけではありませんが、飯綱山(山頂は雲の中)がバックに入るので、まぁ良しとしましょう。


松代ラストサマーイベントは終わりましたが、長野電鉄サマの英断で、引退時期が半年伸びた2000系、これからもオータム、ウィンターそしてスプリングまで屋代線だけでなく、山ノ内線にも入線してほしいものです。その時は「はなぶさ」ツアーよろしくお願いします。

ご覧いただきありがとうございました。(検査掛)




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2011年8月29日 (月)

108.高山本線 国鉄色キハ48鉄 2011/8/28

 7月下旬から8月下旬にかけて、天候不順・家族運用・休日出勤が続き、1か月ほど鉄活動が休眠状態となっていました。出札掛様が高山本線の国鉄色キハ40・48を積極的に撮影されているのを拝見して、自分も少しは見習わなけらばと思い、国鉄色キハ40・48をターゲットに、久しぶりに鉄活動を実践してきました。この日の国鉄色キハ48×2の運用は、高山→4702C→岐阜→3707D→美濃太田→4715C→下呂→4716C→美濃太田→748D→岐阜→4729D→美濃太田→754D→岐阜→4733D→高山といった高山本線南部の運用で、風光明媚な美濃太田~下呂間では撮影可能時間帯に3本の撮影が可能でした。残念ながら、この日の国鉄色キハ40の運用はなかったみたいです。早朝、目が覚めた時は土砂降りだったのに加えて、前夜には飛騨金山付近でゲリラ豪雨があった関係で、高山本線も一時運転抑止になるなど、波乱含みの感じでしたが、朝方には雨が止み、その後は天候が回復するという天気予報を信じて自宅を後にしました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 まずは高山からの4702Cを飛水峡の定番ポイントで待ちました。高山からの上り1番列車となる4702Cの現地通過は6時20分、雨はまだ降り続いており、露出的には非常に厳しい状態でしたが、デジタル技術のおかげでここまで持ち直すことができました。予定どおり、国鉄色のキハ48コンビが通過して行きましたが、前夜の集中豪雨の影響で飛騨川は茶色の濁流と化していました。出札掛様が8月18日にアップされた画像と比べていただくと水量の多さがおわかりいただけると思います。

【2011.8.28 上麻生~白川口】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 4702Cは美濃太田で9分の停車時間があるため、この間に車で先行します。天気予報どおり、天候も回復してきたので、日本ラインを望むポジションで4702D(美濃太田から列番変更)を待ちました。ここでも木曽川は茶色の濁流状態、この状態では今日の日本ライン下りは中止でしょうね。

【2011.8.28 鵜沼~坂祝】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 岐阜からの折り返し3707Dは定番の坂祝跨線橋で狙いました。サイド気味の定番ポイントは予想以上に木が伸びており、少々うるさい感じだったので、少し進んでアウトカーブ側から望遠で引っ張ってみました。やっぱり国鉄色は緑に映えて写真写りはバッチリです。

【2011.8.28 鵜沼~坂祝】


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 美濃太田からの4715Cを撮るべく、41号線を北上します。どこか目新しいポイントはないものかと下油井の少し手前で41号線から離れ、白川口方向に飛騨川沿いに進んでみました。途中に「野原城址」という看板があり、車を降りて小道をすすむと鉄橋を見下ろせるポイントを見つけることができました。
【2011.8.28 白川口~下油井】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 4715Cは下油井で10分ほど停車しますので、追い抜くことができます。飛騨金山~焼石間の洞門上か焼石~下呂間の第5鉄橋か迷いましたが、増水して川原に降りることはできないだろうと思い、洞門上にポジションを決めました。時間的にギリギリのタイミングだったため、車を降りてからはダッシュで何とか間に合いました。通過直前まではいい条件だったのですが、ゲリラ雲の襲来を受け、背後が陰ってしまいました。

【2011.8.28 飛騨金山~焼石】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 下呂からの折り返し4716Cまでには時間があったため、第5鉄橋へ様子を見に行ってみました。増水はしていたものの河原に降りることができそうだったのと濁りも消えていたので、「ひだ」を撮影することにしました。こんなことなら4715Cはこっちで撮ればよかったと少しだけ後悔です。増水の関係で激流となった雰囲気を感じ取っていただけましたでしょうか…。

【2011.8.28 焼石~下呂】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 焼石~下呂間走行中に山の斜面に俯瞰できそうな伐採地が見えたので、下呂からの4716Cは一か八かの賭けを試みてみました。電線が入ってしまうのでこれ以上カメラを下に向けることができませんでしたが、ほぼイメージどおりに撮ることができました。

【2011.8.28 焼石~下呂】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 さらに上方には高圧鉄塔が見えたため、そこを目指す点検道を探して何とかたどり着くことができました。もう少しカメラを上に向けたかったのですが、上には別系統の高圧電線が走っており、このアングルが限界でした。この日は国鉄色のキハ48はもう撮れませんが、せっかく登ったので「ひだ」やローカル列車を適当に撮影して下山しました。次は紅葉の時期にチャレンジしてみたいと思います。

【2011.8.28 焼石~下呂】(電車運転士)

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2011年8月26日 (金)

“スカイプロムナード”に上った日

8月17日の駅長様の俯瞰記事に刺激を受けて、過去ネタになりますが、今回は3年前の10月に訪れた名古屋随一の高さを誇る名駅の超高層ビル“ミッドランドスクエア”にある展望フロア『スカイプロムナード』からの俯瞰写真をご披露します。秋になれば空気が澄んで見通しがよくなる季節を向え、すばらしい眺望に期待が持てます。

ブログをご覧の皆様で、「一度は訪れてみようか」と思われている方のために、今後の参考にでもなれば幸いです。なお入場料金700円をご用意ください。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

新幹線500系が徐々に東海道から姿を消していく頃、ということで、狙ってみました。レンズは約60mm相当。光線状態が悪く車体色も映えないので、特徴ある先頭車で辛うじて判断できそう。被写体は小さいですが、編成の長さに助けられました。バックには笹島の再開発地区が見えます。写真は3年前の画像ですが現在は建設ラッシュ。あと数年も経てば大きな変貌を遂げていることでしょう。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

光線状態が悪い時間帯を承知で訪れたのは、実はこれをターゲットにしていたから。ちょうど中央線コンテナ81レと行き交います。ピン甘ご了承ください。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

名古屋車両区から出区の「ひだ」、入区するキヤ、近鉄名古屋駅の地下トンネルに侵入する「伊勢志摩ライナー」、引込み線を超低速で移動中の「ビスタカー」、それらの手前を横切る新幹線。あおなみ線が走っていればほぼパーフェクト。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

ちょっとムリして、新幹線の線路を追って300mm相当で東名港の方角を望みました。線路の先には港区六番町交差点名物?のトラス橋も見えます。300系を待ってシャッターを切りました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

一方、名鉄線に目をやると、ちょっと見慣れないシーン。下り線には、手前から画面奥に小さく見える山王駅まで列車が数珠つなぎ状態。言うまでもなく、これは“正常ではない”状態なので、あまり多くを語ることは差し控えておきます。本来ならパノラマカーの来る時間だったのですが、当然×。

展望フロアからの線路は南~南西の方角しか眺めることが出来ないため、光線状態は決して良いとは言えません。また、窓ガラスへの背後シーンの写りこみも、場所によってはやや注意が必要です。鉄道写真に限ってみれば、果たして入場料を払ってまで訪れる価値があるかどうかは、貴方次第。でも、悪くはないと思いますよ~。(出札掛)





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2011年8月24日 (水)

【アーカイブス】三河海線の貨物

 これまでン十年の鉄活動を行ってきた中で、悔いを残していることは数限りなくあるが、そのひとつに三河海線の各駅から出ていた貨物側線を探訪しなかったことがある。貨物列車が無くなっていれば、これはやむをえないが、まだ貨物が現役の時に三河海線を訪れていて、怪しい側線があったことを確認しているので、なんとも悔いが残る。近年、廃止となった路線を地図上にプロットした書物が多く発刊されているが、それらを見ていると、なぜ、当時にそうした気持ちにならなかったのか、残念でならない。

 そんなわけであるから、三河海線の貨物も1度しか撮影に行っていない。三河海線の貨物は昭和52年5月に無くなっているので、その廃止直前に撮影に行ったようだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まずは碧南~吉良吉田間廃止の時に最大の撮影地となった矢作川の鉄橋である。この角度だと、三河一色行きの貨物だろうか?それにしても、これほどの長い貨物を牽いているとは、今にして思えば驚きである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この列車の帰りを追っかけているようである。これは新須磨と新川町間の新川の鉄橋。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは海線随一の撮影地である北新川~三河高浜間の高浜川の鉄橋。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは三河高浜と吉浜の間。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 吉浜でデキ400の牽く貨物と行き違っているようだ。まさしく三河線が貨物王国だった頃の片鱗が伺うことができる。


 今、見ると、これら貨物は結構魅力的な被写体なので、一度しか撮影に行かなかったことが残念ではある。まだこの頃は名鉄各線に貨物が残っていたので、あえて行くほどの必要性を感じなかったのだろう。今も残っていれば、朝練の必要もなく、朝、ゆっくりできる??


 ところで、この時にブローニー版のカラーも撮影していたはずだが、それを最近見ていないことに気がついた。さて、どこにしまい込んだのか。こうやってスキャンしていると、確か撮影したはず・・・・という写真が、どこを探しても出てこないことが往々にある。ネガでは見た記憶があるので、探しても出てこない、というのはなんとも落ち着かない。当時、撮影しなかったというよりも、ネガを探して出てこないことのほうが、もっと問題であることは言うまでもない(駅長)


 



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2011年8月21日 (日)

【アーカイブス】2万カウントを数えたスキャン写真

 時間を見つけて行っているフィルムのスキャンが今日、2万カウントを数えた。この数字は、現在使用しているブローニー版対応のフィルムスキャナの数字で、実際にはその前に35mm版用のスキャナでスキャンした写真もあるし、また、現在のスキャナで失敗して削ってしまったものや重複したデータもあるので、正確なカット数はわからない。もっとも、以前に35mm版のフィルムスキャナでスキャンしていた頃は、結構小さなサイズでスキャンしていたので、ネットはともかく、印刷には使い物にならないのではないか。そのため、実際に使える写真は2万カットを下回ろう。


 これらのほとんどは、1976年くらいまでに撮影した撮影写真である。しかし、35mmとカラーを優先してスキャンをしているので、当時、ブローニーのモノクロで撮影した蒸機や地方私鉄の半分ほどは、まだデジタル化の途中である。そこまで完全に終了するには、あと数千カットをこなさないといけないだろう。2万カットは最初の到達目標で、ここまでスキャンすれば主要な写真はデジタル化できると考えていたが、まだまだ道半ば、というか、ようやく2合目くらいに達したくらいの感じである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 まずは、自画自賛(^^;)で、祝賀の花火を。昭和58年7月に岐阜市内線の伊奈波通での撮影である。


 さて、2万カットがどれくらいの容量かといえば、約1.4テラバイトになる。保存用として2テラバイトの外付けHDDを使っているが、その中に6×7のポジから35mmモノクロまで、ざっと7年分くらいの写真(まだ全部ではないけれど・・)が入ってしまうのだから、考えてみれば凄いことである。

 1.4テラバイトで2万カット、ということは1枚あたり約70MBでスキャンしていることになる。圧縮せずに写真1枚あたり70MBというのは、データ量としてはけして小さくはない。ちなみに70MBといえばフロッピー(古いか)70枚分であり、CD-Rに保存しても10枚でいっぱいになってしまう。それが、手のひらほどのハードディスクに、CD-R、2000枚分ものデータが入って、まだまだ余裕があるのだから、驚いてしまう。

 心配はこのHDDが故障で、データが読み出せなくなったらこれまでの努力が無駄になってしまうことだ。このため、バックアップだけはしっかりとっておくようにしている。


 さて、せっかく2万カットを越えたので、その中から名カットではなくて、迷カットをご覧にいれたい。もっとも迷カットにあまり深い意味はなく、単にマウントした(ということは一応は見られる写真?)ブローニーのポジカラーで、最近スキャンしただけの写真である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まずは、昭和53年に撮影した近鉄ビスタカーとあおぞら号のすれ違いシーン。2階建て車両の走行中のすれ違いシーンとして一見、タイミングの良いカットであるが、実はなんとも勿体ないカットなのである。なぜかといえば、あおぞらに隠れているビスタカーはACBの9両編成、すなわちビスタカーの3重連なのだ。

 この写真は、確か鳥羽高専だったかの校舎の上に登らせて貰って撮影している。後ろの工場がうるさいが、手前に入り江が入り、もう少し右でシャッターを切って撮影後に工場をカットしてトリミングすれば、まずまずの構図になったはずである。

 しかし、この位置ではトリミングが難しい。多分、あおぞらがあと5秒ほど遅れて走っていてくれたら、絶好のタイミングのであるが、なんとも難しいところですれ違ってくれたものである。ただ、この逆であったらビスタがまったく影になってしまったので、偶然性を感謝すべきカットなのかもしれない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 次は、三河線の貨物列車。このアングルは、枝下と三河御船の間で、国道の背後の山の上に登って撮影している。三河線と矢作川が綺麗にはいるのは、枝下と広瀬の間の鉄橋が著名であるが、こんなアングルもあったと今になってお見せする次第。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは以前お見せしたかもしれないが、蒲郡線と三河湾が綺麗に入るカット。愛知こどもの国の業務用搬入路のあたりから撮影している。後ろはうさぎ島。現在は、木が伸びてこの場所では撮影できないはずである。しかし、もう少し待てば左側の先頭部が木の陰から外れるので、ちょっとシャッターのタイミングが早いのが残念だ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 最後に、昭和52年9月に撮影した近鉄北勢線から1枚。MT編成現役の頃に行ったのはこの1回だけで、後は270形が入ってから(あるいは入る直前)である。この頃は、岐阜と瀬戸線に一生懸命で、北勢線はもちろんのこと、国鉄すら、まったくといって良いほど撮っていない。国鉄を撮り出すのは、ブルトレがブームになり始めた昭和53年頃からで、飯田線の旧国を含めてこの2年ほどのブランクが結構大きい。

 これが、昭和55年頃以降になると、国鉄沿線の線路脇に立つ回数の方が多くなるのであるから、ポリシー無く、ブームに乗じて撮影していることがなんともお恥ずかしい。(駅長)
 




 



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2011年8月20日 (土)

107.早春の飯田線(3号車) 1978/3/24~26

 今回の飯田線訪問の最終日の3日目は風景中心から編成写真・車両中心ということで、南部の豊橋口で1日を過ごしました。豊橋口は列車本数もそれなりにあり、この時はまだ流電も健在だったことと、クモハ42・43・53といった2扉・狭窓・前パン車に会える確率も高いとの目論みがありました。車両中心のため同じようなアングルが多くなりますが、どうかお許しください。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 豊橋から1番列車で編成写真を撮るにはおあつらえ向きのポイントへ向かいました。豊橋口の朝ラッシュ時には旧国ばかりの6両編成の列車もあり、見応えがありました。クモハ52003を先頭にした6両編成です。2両目に80系のサハ87が入っているため、編成美はバラバラでしたが、各車両を寄せ集めた朝の豊橋口の列車を象徴するような編成でした。

【1978.3.26 江島~東上】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 クハ47009が先頭の4両編成です。前日渡らずの鉄橋でも見かけた編成です。お目当てのクモハ53(合の子)とクモハ43が中間でお見合い状態となっており、何ともストレスがたまる思いがしました。

【1978.3.26 江島~東上】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 流電の列車をもう1本待ちました。今度の編成は先ほどとは打って変わって、クモハ52001=サハ48021=サハ48024=クモハ52002と狭窓がきれいに揃った編成です。朝日に輝く狭窓編成の美しさに思わず見とれてしまいました。

【1978.3.26 江島~東上】(電車運転士)

「はなぶさ」に集まる仲間たち

 通過して行く列車をチェックしたところ、クモハ53とクモハ42が辰野方に連結されて豊橋へ向かって行ったので、折り返しを狙うべく、下り列車のポイントへ移動しました。その前にやって来たのが165系の急行「伊那」です。旧国の合間にやって来る「伊那」は珍しくも何ともない存在でしたが、とりあえずシャッターだけは押していたようです。

【1978.3.26 江島~東上】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 流電がらみの編成は3本ありましたが、クモハ52004が先頭の下り列車です。これで流電編成は3本とも撮ることができました。張上げ屋根が残る広窓の003・004(005は普通屋根に改造されていた)は旧国の最高傑作としての風格を伝えていました。

【1978.3.26 江島~東上】(電車運転士)

「はなぶさ」に集まる仲間たち

 お目当てのクモハ53000です。こちらも前日の渡らずの鉄橋で撮った車両です。運転台側の窓がHゴムになっていますが、贅沢は言えません。最高の光線状態で撮りたかった車両をゲットできて大満足でした。

【1978.3.26 江島~東上】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 両運転台のクモハ42です。パンタ側ではないのが残念です。クモハ42は貫通ホロが付いていたので精悍な顔つきが好きでしたが、クハユニ56付き3両編成の中間に入ることが多いなど、パンタ側が先頭に出ることが極端に少なく、いつもがっかりさせられていました。
【1978.3.26 江島~東上】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち
 お目当ての車両もある程度撮れたし、同じ場所にずっと粘っていても芸がないと思い、大カーブ俯瞰ポイントへ移動しました。クモニ83100番代先頭の4両編成です。クハユニ56の後の中間にクモハ42が連結されています。 

【1978.3.26 東上~野田城】(電車運転士)

「はなぶさ」に集まる仲間たち

 EF10を期待して午後の貨物列車を待っていると、期待どおりEF10が短い貨物列車の先頭に立っていました。前日と同じ31号機でしたが、飯田線に最後まで残ったEF10だったと記憶しています(違っていたら申し訳ありません)。この列車を撮影後、3日間の飯田線詣でを終わり帰路に着きました。金銭的に新幹線に乗れる余裕もなく、自宅のある姫路までは当然在来線の普通乗り継ぎでしたが、結構きつかったような記憶があります。

【1978.3.26 東上~野田城】(電車運転士)

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2011年8月18日 (木)

追 跡

海ミオのキハ40系国鉄色ツートン編成は、地の利を生かして比較的いつでも撮影できることから、どこかへ出かける際の“寄り道”アイテムとして、あくまでもサブ的な撮影対象としています。が、今回は些細なきっかけで、たまにはこの編成を本命に追いかけてみようと早朝の太多線~高山線に挑むことにしました。

キハ48のツートン2両編成は、8運用で組まれる「キハ48ワンマン対応車運用」に充当されます。このうち太多線に入るのは意外にも唯一、朝の606D~605Dの1往復のみ、しかも平日限定。

で、去る8月13日に撮影した同編成の運用順をたどってみると、15日(月)は太多線コースが含まれる運用日にあたるようで、おっ、平日朝の限定ネタ到来!会社もタイミングよく盆休みなので堂々と撮影に出撃できます。些細なきっかけとは、たったこれだけのこと。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

太多線と言えばやはり随一の見せ場、木曽川を渡るシーンを押さえておきたいです。606D~605Dは4両、うちワンマン車は多治見方に連結されるので、上り列車では先頭に立つ当該編成を順光で捉えることができます。「朝方は曇」の天気予報に反して、そこそこ陽が差してくれました。美濃川合発車直後の606Dを左岸から。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

木曽川と飛騨川の合流地点の岸辺から605Dをサイド狙い。霧が晴れてバックの山が姿を現しました。ほんの少し薄雲がかかれど、気にならない程度です。微妙なシンメトリー?


太多線をこなした後の運用は、美濃太田からすぐ折り返して高山線に入り下呂まで1往復(1713C~1712C)します。この際だから、追っかけ撮影を試みようと高山線にも久しぶりに足を伸ばすことにしました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

605D撮影後すぐに車で移動開始。後の追いかけ時間に少しでも余裕を持たせるため飛水峡は通過して白川口の数キロ手前まで先行し、1713Cの一発目を迎えます。脚立使用。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

白川口の11分停車を利用して追いかけ開始。手堅く定番の第一飛騨川橋梁でニ発目。後追いになるのはご辛抱。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

カメラを片付け慌しく車を発進、すぐにタンクローリーの真後ろについてしまったためノロノロ運転ながらも鷲原信号所で運転停車中に追いつきました。車を停めて、信号所北方の鉄橋を逆光でとりあえず「撮っただけ」の三発目。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

下油井の6分停車をどこまで先行できるか、金山町内の道路事情がカギとなります。このときは金山を過ぎてどうにか5分ほど先行できたので、四発目も冒険心を捨てて無理せず手堅くこなそうと、下原ダムで車を停め、ここで同業者数名と待ち構えます。逆光気味のため露出に迷いましたが、それなりの仕上がりに。迷うときはブラケティング機能が役に立ちます。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

下呂から折り返しの1712Cを撮影するべく新規開拓地を探します。金山町手前で国道から脇道に入り、川辺を走る線路が見えたので、試しにここで待機。やがて風が吹いて波が立ち、川面が光ってしまいました。結果はこんなものか・・・。知らないうちに天気は曇り空に。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

めげずに追いかけトライ開始。白川口12分停車のうちに先回りして、定番お立ち台の飛水峡まで南下します。さすが有名どころ、数名の同業者がすでにスタンバイ中。現地に着いたら、仕事上のお得意先で知り合ったI市在住のT様とばったり。自分の車のすぐ後ろを走っていたようで、やはり考えることは同じのようですね。あいさつもそこそこで失礼しました。撮影後、次のポイント選びにそそくさと移動。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

ターゲットは、美濃太田から1時間強で折り返し高山行き1717Cとなって再び北上してきます。雲行きが怪しくなってきたので、無理に移動せずに結局飛水峡で待機。どよ~んと暗い曇り空も、列車接近直前に空が明るくなってきました。この列車は、追いかけようにも各駅の停車時間が少ないスジなので、一発のみの勝負。ツートン編成の撮影はここで終了し、ナガラ201号の臨時快速を目的に長良川鉄道へ移動しました。結果は・・・・・、以上です。


もともとタラコ色しか存在しなかった意匠の車両にツートン塗装を施したために賛否両論の意見がありますが(キユニ28はさておき)、ともあれこのツートン色、四季おりおりに彩られた風景には東海カラーの白塗装よりもはるかに良く似合います。稲が実り、山が色づき、やがて雪に覆われるこれからの季節、高山線通いが増えそうな気配です。(出札掛)







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2011年8月17日 (水)

【アーカイブス】煙と何とかは高いところに登りたがる

 と、いうわけではないだろうが、高いところから撮ることが好きである。

 ちょっと高いところから俯瞰するのは、特に編成写真では効果的で編成が綺麗に見えるし、蒸機では煙が映えるので絶好のアングルとなる。

 しかし、あまり登りすぎると、今度は車両の大きさが小さくなってしまうので、あまり好ましくはない。しかし、町中でこうした高い位置から写真を撮ると、さまざまな情報が入り、歴史的な記録となって、今見てみるとなかなか面白い。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

 まずは0系新幹線とD51。少なくとも新幹線が狙いではなく、東臨港線からのD51を狙うのが目的であったのだろうが、笹島の貨物駅も入って良い記録写真となった。稲沢貨物線の蒸機は新幹線のすぐ横を走っていたので、コラボの写真は比較的撮りやすかったはずであるが、両方が入っている写真はほとんどない。おそらく、新幹線の本数が少なくて、なかなか並ばなかったのだろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは昭和50年にあるビルの上から撮影させて貰った富山駅。富山地鉄の駅は大改造されているし、駅裏の駐車場だった場所には高層ビルが建って、富山ライトレールが開業している。2軸貨車を連ねた富山地鉄のデキや旧型客車など、魅力的なものがいろいろと写っている。すべてが懐かしい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 どこから撮影したか忘れたが、こんな写真も撮影している。昭和60年頃で総合駅の工事に入った頃であろうが、今から見ると貴重な角度であるはずだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 こちらは廃止となった駅の方。ここでは編成写真の撮影でいろいろとお世話になりました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 調子に乗って、ついにはこんな角度まで撮影している。こんな良き時代もあったと、懐かしがらせてくれる一コマである。(駅長)




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長野の休日 国鉄色に誘われて

特にお盆休みは頂けない会社なので、14、15日の公休はゆっくり体を休めたいところでしたが、「土産」の運び屋として、長野に行くことになりました。15日はこのあたりでは熊野と対極にある諏訪の花火大会の日、復路の渋滞を考えると躊躇されましたが、某誌を見ると、関連で国鉄色の臨時が2本撮れるとわかり、ガゼン行く気マンマンになりました。

まずは14日、長野電鉄のHPで、2000系の運転日だったので、午前中はこちらへ。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

村山・日野 6Aレ

2000系の運転区間がほとんど長野・須坂間のため、あまり撮影場所がありません。天気はいいのですが、山はこんな状況で、夏空を強調する以外なさそうでした。その期待の空も、なかなか入道雲はきれいに出ません。

村山橋を行く2100系スノーモンキーですが、まだ信州になじんでいないカンジですね。オマケに「モンハン特急」とやらで、車体にペタペタ貼ってあって、ガッカリです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


朝陽・附属中学前 210レ

早々に場所を移動、長野・須坂間で開けた場所といえばここくらいですね。

幸い向日葵が咲いていたので、ラシクなく入れて撮ってみました。しかしセンスがないですね。向日葵の位置を変えて・・・


「はなぶさ」に集まる仲間たち


同上 8Aレ

1000系もペタペタ車が来て、ジリジリ夏の日差しが当たる中少々食傷気味。

午後は本命を撮影するため、篠ノ井線に移動します。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

明科・西条 回9639M
沿線はほとんど草が刈ってなく、ここも撮影地はかなり限られます。移動の途中でひと雨降って光線を気にする必要がなくなったので、ひとまずここへ。普通は下で撮るのでしょうが、上がれそうだったのでチョット登ってみました。

出場間もないきれいなスカ色の115系6連が時刻どおりやってきました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

坂北・聖高原 回96XXM

単線のローカル線ゆえの坂北の退避を利用して北に移動しました。ところが待てど暮らせど(チョット大げさ)115系が来ません。先ほど降った雨が善光寺平で発達したようで、ピカピカ光っていました。ここでは再び日差しが戻り、だんだん山の陰が迫ってきます。もう線路も陰に呑み込まれるか、いったタイミングで来たのは、逆方向からの予期せぬものでした。

この大宮センター所属の183系6連は、某誌では13日に「あずさ71号」で新宿から松本まで運転され、14日は松本17:20発の「あずさ80号」で新宿に向うハズで、何らかの理由で長野まで回送されていたようです。ただ、ここでこんな時間に走っていたらとても松本17:20発には間に合いませんね。1本得しました。この列車と交換で、本命が来ましたが、すでに陰のなかでした。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

同上 回9639M


翌15日、会員の皆さんのように早朝から頑張る気になれば、前日新宿から夜っぴて甲斐路、信濃路を回送して来るであろう大宮センターの183系6連を再び篠ノ井線で捉えられるでしょうが、その根性もなく、ヨメの実家を10:30頃出発、天気は14日同様晴れてはいるものの山ははっきりしないし、途中、中野の市内で渋滞にもあって、結局手近な所へ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

豊野・牟礼 345M

トップライトで露出が難しいし、新幹線の高架橋が横切り、景色に変化が・・・。

一旦戻り、折返しを撮りに北に進路をとります。時間的に制約もあり、黒姫以南となりますが、黒姫発が15:03なので、正面に日を当てるのはムリ、それでもなんとか南北に走っているところ、ということで、古間の北に決めました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


古間・黒姫 348M

篠ノ井線同様、ローカル線の宿命か、草が伸びていて線路が見えるところを探すのに一苦労です。

このあと、長野ですぐ折り返して351Mで来るのですが、前日同様雲行きが怪しくなり、豊野近辺でお茶を濁して帰路につきました。

理由と出来はどうあれ、とりあえず目的は果たして満足のいく休日でした。

(検査掛)

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2011年8月15日 (月)

【アーカイブス】甲子園球場の横を走っていた電車

 夏の甲子園、真っ盛りである。

 もっとも、このブログの読者なら、甲子園の結果よりも、出場校の観客を乗せて運行される臨時列車の方に関心があるかもしれない。

 この舞台である甲子園球場への鉄道といえば、阪神電車が思い浮かぶだろう。しかし、その球場を脇を路面電車が走っていたことをご存じの方がどれほどいるだろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 阪神の国道線・甲子園線である。

 この路線は、大阪と神戸を結ぶ阪神国道(国道2号)に敷設された路面電車で、さらに上甲子園から別れて浜甲子園までの支線と、さらに出自は異なるが大阪の起点である野田から天六までの路線を運行していた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 甲子園の停留場は、阪神本線の高架下に専用軌道で設けられていた。この甲子園線は、郊外型の住宅地として開発された甲子園の足として建設されたフィーダー路線であった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 こちらは、国道線の方で、多分、武庫大橋を渡るところである。電車は70形で、窓が大きいところから金魚鉢の愛称がつけられた戦前の傑作車両である。

 しかし、阪神間を2時間近くもかかって走る路面電車は、さすがにこの時代では時代遅れで、誰も乗る人がなくなり、最後はなんと48分間隔という運転区間のところもあった。こうして昭和49年にまず上甲子園と東神戸の間が廃止となり、翌50年5月に全線が廃止となった。

 これに対し、上甲子園線と北大阪線は利用者も多かったが、車庫の関係で同時に廃止となったようだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、多分上甲子園ではないかとおもうが、国道上の停留場は安全島もなく、道路上にペイントで乗降場が印されているだけであった。さすがに、これでは危なくて誰も利用する気にならなかっただろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 一方、北大阪線は、阪神の野田から、よく写真で紹介される中津の阪急との併走区間を経て、下町の天六を結んでいた。路線は裏通りのような道に敷かれており、ずーっとセンターポールが並んでいたと記憶する。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最終日には、30形を装飾したさようなら電車が運転された。これは、起点であった野田に並ぶ30形と70形。

 国道線には、廃止日とその前日の2日間訪れて写真を撮影したが、あまりゆかりのない土地故、今、ネガを見ても具体的な場所がよくわからないのが残念である。(駅長)







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2011年8月14日 (日)

【アーカイブス】6001大江回着

 築港支線の名電築港といえば、昨今は電車の墓場、という印象の方が強いが、一方、日本車輌で製造された新製車両が名古屋臨海鉄道経由で名鉄線に最初の一歩を印す場所でもある。

 さきに検査掛さんから、6000系5次車の回着風景が紹介されたが、それより前の6000系が最初に登場したときの様子をご覧にいれたい。撮影は昭和51年11月22日で、通勤車にもかかわらず、某賞を目的に、この後、各地で試乗会などがお祭りのように開催されることになる。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 まずは名古屋臨港鉄道のND55の牽引で、平面交差をわたって名電築港に到着する。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 迎えるのは、デキ302。このあと、東名古屋港まで引き上げる。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 6000系が東名古屋港に向かうと、まもなく名古屋臨海鉄道のタキが平面交差をわたってやってきた。東名古屋港に行くわけではないので、名電築港で機関車を付け替えて東港へ戻ったのだろうか?この頃は、かつての名残でこうした運行も行われていたかもしれないが、関心がなかったのかまったく記憶がない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この時は、東名古屋港の本駅には行かず、大江に戻って撮影したようだ。機関車はデキ600形に替わっている。北側には貯木場が広がっているが、いつ頃まで貯木場だったのだろうか、記憶がない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 大江に到着する6000系。東名古屋港で編成は組み替えて、両端が先頭車になっている。大江駅は大改良される前で、東濃の3790系が留置線に停まっている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 いつの間にかデキ302が回送されてきたようで、再び先頭についている。当時はこの編成で新川まで回送して、整備を行ったはずである。期待の新車がはじめて来た、ということで関係者の観客が多い。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これはおまけの写真で、この撮影の6年ほど前の加福町の市電との平面交差。さすがに、貨物や甲種との交差は撮影していない。まさか、このあと頻繁にこの付近に来ることになるとは、この時にはまったく思わなかったことだろう。

 このあたり、今はあまり目立つものがない場所、という印象であるが、この頃は後ろに工場が写っている。当時の方が賑やかだったのだろうか?(駅長)














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106.早春の飯田線(2号車) 1978/3/24~26

 7月中旬から会社の仕事・家族運用・猛暑により、鉄活動が停滞していることもあって、今回も過去ネタアップになりました。先回の北部に続き、今回は渓谷のイメージがある中部をご紹介いたします。一口に中部といっても範囲が広くなりますが、この時は有名な渡らずの鉄橋に行きたくて、1日ノンビリとした時間を過ごしました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 鉄橋の下流側にある道路橋からの定番アングルの反対側も撮ることができました。吊り橋(今でもあるのでしょうか?)がアクセントになってくれました。やって来たのはクモハ54先頭の一般的な編成でした。

【1978.3.25 城西~向市場】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち
 お馴染の定番アングルも押さえておきました。本来は水窪側の左岸を短いトンネルで直線で進む計画で、トンネルも貫通していましたが、台風の襲来で地表が大きく崩れ、中央構造線に近い地質のため、山全体が川の方向に少しずつ動いていることもあって、トンネルでの敷設はあきらめ、鉄橋で大きく迂回する工法が採用されました。鉄橋が大きく迂回しているのは大規模な崩落が発生した時に鉄橋に被害が及ばないようにとのことです。鉄橋を渡っているのはクハユニ56先頭の3両編成です。辰野から長駆豊橋を目指します。 

【1978.3.25 城西~向市場】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 鉄橋を上から見下ろせるポジションはないものかと付近を捜しましたが、満足のいくポジションは探しきれませんでした。クモユニ81改造のクモニ83の100番代が先頭で鉄橋を渡って来ました。両端が湘南顔のユニークな車両でしたが、外観の変化はスカ色になったことと〒マークが消されたくらいで、違和感はありませんでした。

【1978.3.25 城西~向市場】(電車運転士)

「はなぶさ」に集まる仲間たち

 定番アングルばかりではつまらないので、川原に降りての撮影も行いました。飯田線でも列車本数の少ない区間でしたが、貨物列車の設定もありました。南部にもED62が進出してきていました。

【1978.3.25 城西~向市場】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 クモハ54とクハ47の2両編成です。この時の訪問の目的のひとつに2扉・狭窓・前パンのクモハ42・43・53を撮りたいというのがありましたが、前日も含めて編成中間に入っているのは見かけましたが、まだ巡り会うことができていません。一体、どこへ行ってしまったのでしょうか…。
【1978.3.25 城西~向市場】(電車運転士)

「はなぶさ」に集まる仲間たち

 2扉・狭窓の車両が視界に飛び込んできました。クモハ43か53と思いきや、パンタがありません。クモハ42・43系の制御車であるクハ58にトイレ取り付け改造を行いクハ47に編入したクハ47の100番代でした。
【1978.3.25 城西~向市場】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 再び鉄橋の向こうに2扉・狭窓の車両が見えたので、今度こそと思ったら先頭はオリジナルのクハ47、その後に合の子のクモハ53008、クモハ42が続く豪華編成でしたが、何とも消化不良な感じです。オリジナルのクハ47もこれはこれで貴重な車両ですが、やっぱり先頭にパンタが出ていないと満足がいきませんでした。

【1978.3.25 城西~向市場】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 午後になり、鉄橋を下から見上げてカーブを強調するアングルで待ちました。今日はダメかと弱気になっていたところにクモハ53000が現われてくれました。やっと念願の2扉・狭窓・前パンの車両をゲットすることができました。夢中でシャッターを押したのは言うまでもありません。標準タイプのクモハ53はクモハ43の出力アップ改造車で、外観はほとんど変わっていません。

【1978.3.25 城西~向市場】(電車運転士)

「はなぶさ」に集まる仲間たち

 とりあえずお目当てのひとつクモハ53をゲットできたので、ひと安心して上りの貨物列車を待ちました。姿を見せたのはEF10=ED62=ワフといった模型のような編成でした。この頃はすでにEF10は風前の灯で、運用に入っているかどうかも不安でしたが、元気な姿を見ることができてラッキーでした。

【1978.3.25 城西~向市場】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 わたらずの鉄橋での撮影をひと通り終え、中部天竜に立ち寄りました。ここには国鉄最後の木造電車サエ9320が健在でした。伊那電鉄のサハユニフ100型のなれの果てで、木造電車の特徴がよく残っていました。外観はかなりくたびれた感じで、おそらく何年も動いたことがなかったと思われますが、立派に車籍を有していました。

【1978,3,25 中部天竜】(電車運転士)

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2011年8月13日 (土)

平成23年夏 盆休み



「はなぶさ」に集まる仲間たち

    残暑お見舞い申し上げます








勤務先が8月13日~16日の盆休みに入りました。僅か4連休とはいえ、通常の土・日連休に比べるとやはり気分的に開放感を抱きます。そのせいか、本来なら「暑い!」ので鉄活動は自粛して体力充電期間に充てようかと思っていても、天気予報につられて外に出てしまいます。


かと言って、車での長距離移動は大渋滞にハマるし、鉄道など交通機関も大混雑なので近場で適当にと思っても、通常期と同じターゲットではつまらないので、盆休み限定ネタを模索していたら(無理やりこじつけますが)、今年も長良川鉄道で奇しくも盆休みと同じ期間に臨時快速が運転されるとのこと。同社ブログによると、おなじみ1形式1両の「ナガラ201」が限定運用されるので、またまたこの車両を追って運転初日の13日(しかし暑いから午前中だけ)、美濃の国に足を伸ばしました。








「はなぶさ」に集まる仲間たち

どうせ朝早く起きるなら、最近のマイブーム・高山線キハ40系国鉄ツートン色も掛け持ち撮影できないかと、前日までの目撃情報と運用ローテーションから推測します。本番は画像のとおり見事「読み」が的中し、4711C列車を鵜沼~各務原でゲット。夏季限定順光立ち位置より。








「はなぶさ」に集まる仲間たち

上の列車から15分後、犬山城をバックにツートン先頭の4704Dがやってきました。坂祝ではツートンの離合が撮れたかもしれません→ただしモロ逆光。線路の北側から側面に朝日が当たる時期もそろそろ終わりに近づいてきたようです。








「はなぶさ」に集まる仲間たち

昨夏と同じ、八坂~みなみ子宝温泉間にある「第二長良川橋梁」にやってきました。岩場の上に釣り人の姿を確認。縦構図でシャッターを切りました。透き通った清流が印象的です。








「はなぶさ」に集まる仲間たち

さて本日のメインです。電車運転士様が以前当ブログで紹介された鉄橋俯瞰ポジションにトライしました。当該列車は観光列車的要素も兼ねて企画されているため、今回は鉄橋上などの絶景箇所で徐行運転を行うのでシャッターチャンスをじっくりと狙うことができます。








「はなぶさ」に集まる仲間たち

帰り道の途中、下り列車が接近する時間が近づいてきたので撮影場所を探します。少し色づき始めた稲穂を見つけたので、あえて逆光で強調してみましたが、いかん、車体の色がモロにつぶれてしまいました。修正修正。しかも増結していますが・・・どうなんでしょ。








「はなぶさ」に集まる仲間たち

ついでに久々に名鉄の旧美濃駅へも立ち寄りました。残念なことに593号が補修中。理由は、3月に駅舎の隣にあった民家の火災により一部を延焼したためのようです(旧美濃駅保存会のHP参照)。





皆様、夏バテしないよう、お体に気を付けてください。(夏ヤセしたい出札掛)













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【アーカイブス】昭和50年 須磨~塩屋

 電車運転士さんと検査掛さんから、新快速の写真を見せて頂いた。お二人が撮影された山陽線の須磨と塩屋の間には、昭和50年2月に撮影に行っている。目的は、新幹線の博多延長で廃止される山陽線の夜行列車群の撮影である。


 この頃には、当然、153系の新快速も運転している。基本的には、来る列車は拒まず撮影する、というのが当時も今も撮影ポリシーのはずであるが、珍しくなっていた72系の普通列車は撮影しているものの、新快速はあまりに本数が多く、当たり前すぎてまったく撮影していない。当然ながら、同時に走っていた103系も撮影していない。もう少しすると、こうした車両にも目を向けるようになるので、その後、関西を訪れたときに新快速を撮影しているかもしれないが、いずれにしろそれが目的ではないので記憶にない。いつもながらの後悔である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これがこの時の本命であるEF58牽引のブルトレ。何本か本数があったはずだが、ヘッドマークのつかない列車があったり、かぶられたり、シャッターチャンスをしくじっていたり(^^;)して、良い写真はあまりない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ブルトレは緊張してしまうためか、こうした夜行急行の方が余裕を持って撮影しているので、綺麗に撮れているものが多い。編成から見ると、C57が牽いた日豊線都城行きの日南か?


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この時代なので、キハ80系の「かもめ」も運転している。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 EH10と72系の競争。何時の時代かな?


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 72系の全金車。詳しくはわからないので、ご存じの方、ご説明をお願いしたい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 こちらは何枚も撮っているのに、新快速は写していない。相当時間、カメラを構えていたはずである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 検査掛さんは、「雷鳥」とのツーショットであるが、こちはら「しおじ」である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 大阪駅に進入する新快速、を狙っているわけではなく、急行「屋久島」の邪魔をする憎き新快速である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この時のネガには、走り始めたばかり(?)の奈良行き快速が写っている。環状線の森ノ宮かどこかの駅のはずだ。たまたま撮影した1枚であるが、もちろん113系の奈良行き快速の唯一の写真であることは間違いない。こうしたカットが、後に意外に貴重になったりするから皮肉なものである。(駅長)





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2011年8月12日 (金)

117系登場の頃(153系新快速)

電車運転士様が153系新快速をアップされたのに触発され、駅長様いわく「かなりの電車おたく」(自分でいうのもどうかと思いますが・・・)が撮ったものをアップさせていただきます。

検査掛にとって、この117系という形式は、まさに明治維新的(なんという例え!?)な存在で、このような車が作られたのはチョットしたカルチャーショックでした。というのも当時の国鉄にあっては113系や103系が大量生産されており、名鉄のような私鉄ならともかく、特別な料金をとらない転換クロスシート車を新製するなど考えられなかったのです。(当時から頭がカタかったといえばそれまでですが(^_^;))

名古屋に移住して1年、関西の近さをかなり意識しだした頃で、この後頻繁に行くようになります。

時は1980年3月24日、この日の足跡を順番に追っていきたいと思います。私としては少々長くなりますが、お付き合いのほどお願いいたします。(デキの悪さも目をつぶってください)

おそらく、まずは吹田工場出場試運転を途中で、ということで、茨木で一旦下車、得意の駅撮りです。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


第1便 試6780M(クモヤ90007モハ102-?モハ103-?サハ103-?サハ103-?クモヤ90008)です。言わずもがな青は阪和色、オレンジは環状線色です。

次の2便は茨木通過のため、本線を走ります。


「はなぶさ」に集まる仲間たち
第2便 試6782M(クモヤ22117クモニ83019) 

ここで注目なのは、後ろから迫ってくる新快速です。今なら絶対シャッターを押すでしょうが、パスしています。やはり15分ヘッドで走っているので、あえて撮らなかったのでしょうか?

ここから大阪を越えて、山陽本線を目指しました。しかし、なぜか神戸で再び一旦下車。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

3654M(クハ117-1他)

ピッカピカの第1編成ですが、これを知っていたとも考えにくく、乗換の途中、たまたま来たとしか思えません。

そして本命の須磨・塩屋間へ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

試6772M(クモル145-4+クル144-4+クモル145-3+クル144-3)
おそらく、これが本命だったと思われます。しかしながら、117系が入ってくれば、当然置き換えられる153系新快速を撮らないわけもなく・・・

「はなぶさ」に集まる仲間たち

同じ堤防の上から3662M京都行

場所を変え


「はなぶさ」に集まる仲間たち

3673M

かなり苦しいアングルですが、私としては珍しく海を入れようと必死に考えたようです。そして偶然かどうか117系も

「はなぶさ」に集まる仲間たち

3682M

須磨浦公園にどれくらい滞在したか不明ですが、この後帰路ついています。

ただし、尼崎で一旦降りて


「はなぶさ」に集まる仲間たち

回6761M 

網干区への回送ですが、配給車クモル24022+クモル24021に午前中に茨木で撮った東京方3両を併結した編成と思われます。

その後、大阪に戻って日暮れまで時間をつぶしたようです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

4033Mと924M

露出もかなり厳しくなって、なんとなく撮ったショットと思います。この頃の大阪駅で日常的に見られた光景でしょうが、駅自体大改装された今となっては、シャッターを押しておいてよかった産物かもしれません。

3月24日はこうして終わりましたが、最後にオマケの1枚。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

回9103M 近江長岡・醒ヶ井間

その後、4月22日に日本車両から出場し、掛川までの公式試運転ののち、宮原区に回送される117系12連(第9、第10編成)です。


長々お付き合いいただきありがとうございました。(検査掛)








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2011年8月 8日 (月)

105.153系 新快速

 メンバー以外の常連の閲覧者の方から個人的に153系の新快速をアップしてほしいとのリクエストがあったので、ご紹介させていただきます。153系の新快速は山陽新幹線の延伸にともない余剰となった153系を転用して運転されていたものです。ちょうどその頃は姫路在住で、神戸・大阪・京都方面に鉄活動をしに行く時はよく利用していました。基本の運転形態はデータイムに京都~姫路間と草津~西明石間がそれぞれ30分ヘッドで京都~西明石間は15分ヘッドの高頻度運転が行われており、競合私鉄が多い関西ならではの列車でした。昭和54年に117系に置き換えられましたが、当時はあまりに日常過ぎたのと他に撮りたい列車がたくさんあったため、意識して撮った回数がほとんどんなく、他の列車写真のついでに撮ったものばかりで、記録に残っている枚数は思ったより少ないのが現状でした。いつものパターンですが、もう少し真面目に撮っておけばと後悔しています。愛知県在住の方々にはあまり馴染みがないかもしれませんが、お付き合いいただければ幸いです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 鉄道写真を撮り始めた頃は、やはり、駅撮り鉄が多く、たびたび姫路駅へ足を運んでしました。キハ80系の「はまかぜ」が播但線方面へ発車して行くとちょうどタイミングよく153系の新快速が入線して来ました。今は姫路駅も高架となり、その風景は大きく変貌してしまいました。

【1976.12.19 姫路】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 姫路の神戸寄りに架かる市川の鉄橋です。ここは自転車でよく放課後鉄に出かけていました。上り列車の定番ポイントですが、下り列車もそれなりに撮ることができました。先頭はホロ枠が付いているので、クハ153ではなくクハ165です。
【1978.7.7 御着~姫路】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この日は上り列車を順光で撮りたくて、放課後鉄の足を少し伸ばして御着より東まで遠征しています。この列車の先頭もクハ165です。クハ153は低運車の方が優しい感じがして個人的には好きでしたが、新快速塗色に限っては高運車の方がバランスがよかったように思います。

【1978.10.21 曽根~御着】(電車運転士)

「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この時は117系への置き換えが発表されており、初めて153系の新快速を目当てに須磨海岸へ出掛けています。先頭は低運のクハ153です。正面と側面の帯幅があまり変わらないため、のっぺりとした印象を受けました。

【1979.1.15 須磨~塩屋】(電車運転士)

「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この列車の先頭はホロ枠がないので、クハ153の高運車です。このポイントは新快速は上下とも15分間隔でやって来るため、効率よく撮影できました。新快速の編成は4M2Tの6両が基本でした。

【1979.1.15 須磨~塩屋】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 高校卒を業して、多治見に引っ越してから初めて姫路へ出向く用事がありましたが、その前に「ちくま」を利用して早朝の塚本に寄り道しています。ここでは「あかつき・彗星」といったEF58牽引のブルトレを本命としながら、20系客車の「だいせん」・485系の雷鳥・「ゆのくに」などのHM付きの北陸方面の急行・福知山線のローカル客車列車などを撮影していました。その合間に新快速車両を使用した快速がやって来ました。新快速はデータイムの運転が基本だったため、朝と夜のラッシュ時間帯は2編成を連結した12両で快速運用に入っていました。HMは新快速の板をひっくり返して横3本線の状態となっています。

【1979.4.21 塚本】(電車運転士)

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2011年8月 7日 (日)

【アーカイブス】「冬の北陸ときめき号」 撮影は?

 3月に電車運転士さんが掲示された「冬の北陸ときめき号」の写真が発掘できた。

C57+C56の重連は3度運転されたと思うが、確か1度しか行っていないはずである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この頃は、ネガで撮影しているのであるが、スキャンしただけでは随分発色が悪い。いろいろ調整してこのあたりまで追い込めたが、まだ発色はもうひとつ、という感じである。全般的に赤かぶりが激しく、ホワイトのバランスが崩れている。


 さて、この撮影が何時だったのかわからない。ネガの整理が悪くて、悲しいことに撮影データが書き込まれていないのである。

 天候等の条件に恵まれているので、てっきりもっとも条件の良かった1989年の撮影かと思っていたが、電車運転士さんの写真と見比べると、微妙に雪の状態が違うようだ。

 この時は電車運転士さんとお会いして、撮影場所を譲って頂いたように記憶する。

さて、何年の「ときめき号」だったのだろうか?(駅長)

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【アーカイブス】北恵那鉄道(その2)

 先日記したように、北恵那鉄道には昭和48年の訪問である程度満足したためか、次に訪れるのは昭和53年の廃止直前である。この時には、6月に泊まりがけで撮影し、9月の廃止にあわせて行われたバスツアーなどで3度訪れている。これだけ景色の良い路線なので、もう少し訪れていても良さそうなものであるが、運行が朝晩だけというのが大きなネックであったようだ。また、この頃はある程度撮影してしまうと、それで満足してしまっていたのかもしれない。




 では、6月の撮影から。この時は付知で宿泊して、夕方の列車と朝の列車を撮影している。





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 まずは下付知の夕暮れ。もう少し暗くなってからの方が雰囲気は良いかもしれないが、廻りにまったく明かりがないので、電車がつぶれてしまうだろうから、このあたりが限界ではないだろうか。




 この時は、早朝に中津町に到着し、まずは木曽川鉄橋から撮影を開始している。





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 


 続いて、車を下付知の方に走らせ、定番の栗本~美濃下野の付知川沿いの区間に。この区間は景色はよいが、どこで撮っても同じような構図となってしまうのが残念である。





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 


 次に列車を追いかけ、山之田川と恵那峡口の間で撮影する。随分険しい山の中のように見えるが、国道からの撮影である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち





 これにて、午前中の部はお終い。午後の列車まで時間を潰さないと行けないが、ここで何をしていたか、については次回のご紹介としたい。




 午後の部は、客車をつけて2連となる午後1番の列車を付知まで追いかけている。





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 


 まずは上苗木と並松の間で撮影する。このあたりは撮影しやすかったようで、写真を見ることの多い場所である。





「はなぶさ」に集まる仲間たち


 


 その電車を追っかけて再度、撮影しているが、これはもう下付知に近いところである。この間、撮影していないのは、国道から近いところで午後に適した場所がなかったからと記憶する。時期的にはもう1本、次の列車も撮れそうに思うが、なぜか撮影していない。




 ところで、この頃にはこんな山奥にビジネスホテルなどというものはないので、駅近くの商人宿に宿泊している。いろりを囲むようにして板敷きの広間があり、そこで食事をしたように記憶する。こうした宿に泊まったのは、この後には記憶がない。




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 


 さて、翌日も素晴らしい晴天である。まずは田瀬と美濃下野の間の鉄橋で始発を狙ったようだ。





「はなぶさ」に集まる仲間たち




  続いて、客車を付けた列車を定番の付知川の川沿い区間で撮影する。





「はなぶさ」に集まる仲間たち




 同じ列車を追いかけて、もう一度撮影しているが、場所が判然としない。栗本と美濃福岡の間かと思われるが、先の撮影をしてから追いついたのだろうか?ポジの順番では、そうなっているのであるが・・・。それならば、もう少し追っかければ中津町の手前で追いつきそうなものだが、その記録はない。




 この日は、後続の列車を昨日と同じ山之田川の俯瞰で撮影して、お終い。加子母を抜けて、高山線の焼石に転戦した。加子母の道路が整備される前で、集落沿いに細い街道が延々と続いていたことを記憶する。鉄道が廃止され、バス化されたということは、下付知までの道路はかなり整備されていたのだろうが、それでも狭い場所は残っていたのかもしれない。


 付知など、電車が無くなったら来る機会は無いだろうと思ったら、その後中央高速道路から加子母を通って下呂に抜ける街道が整備されたため、高山線を撮影の折りに何度となく通ることになってしまった。しかし、この時は舞台峠の道も狭く、もう2度とこの道は通らない、と思ったものである.





 およそ30年ぶりに北恵那鉄道の写真を引っ張り出して眺めてみた。この時の記憶はやや曖昧で、同時に撮影したモノクロ写真と見比べて、ようやく行程が判明した次第である。


 改めて思い出してみると、沿線は川沿いの風景は見るべきところが多いが、それ以外は引きが少なく、また草が線路を隠して意外に撮りづらかったようだ。それゆえ、撮影場所が限られ、再度の訪問を躊躇したかもしれない。美濃福岡の駅など、なかなか雰囲気が良かったようなので、走りばかりでなく、駅の雰囲気を入れた写真を撮影すればまた良かったのかもしれないが、当時はそうした写真をあまり積極的に撮らなかったのが残念である。


 それにしても、この一連の北恵那鉄道のポジは、エクタクロームであるが色が実に良く残っている。天候も良かったことは確かだが、よほどエマルジョンが良かったのだろう。保存状態は他のポジと変わらないので、ポジの発色は腕やレンズの発色以上にフィルムのエマルジョンによるところがかなり大きかったのかもしれない。(駅長)


















 







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2011年8月 6日 (土)

名鉄犬山線工臨9003列車を攻略せよ!

春から秋の期間限定ネタ、名鉄犬山線を早朝に走る工臨9003列車。

運転時間帯が早朝であることと運転日のほとんどが平日のため、撮影に挑むには必然的に“出勤前の朝練”となります。よって、できるだけ近場で撮影を済ませようと考えると、自宅から車でせいぜい15分前後でアプローチできる石仏~柏森間で撮影することになるのですが、

「えっ、その日は仕事先に直行すればもっと自由に動けるんじゃないの?」

ところがそう簡単に都合よくいかないのが世の常。

というわけで、限られたエリアでいかにバリエーション多く撮影できるか、さあ、腕の見せ所!とはいえ、これまたそう簡単にウマくいかないもので。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

工臨撮影にあまり慣れていないから、と弁明しますが・・・。立ち位置を完全に誤った悪い例です。この辺りで撮影した9003レの画像が、最近の「ナントカの一枚」にアップされていましたね。 《石仏ー布袋 2008/09/10》



「はなぶさ」に集まる仲間たち

上の場所と反対側からの撮影。ギリギリ水鏡状態でした。曇天限定アングル。 《石仏ー布袋 2009/06/10》



「はなぶさ」に集まる仲間たち

江南以北は線路が北東方向に走るため朝日をまともに浴びます。撮影は9月10日。日の出から30分ほど経っています。この辺りで撮影するには限界の時期でしょうか。《江南ー柏森 2009/09/10》


「はなぶさ」に集まる仲間たち

布袋の北方でアウトカーブから狙います。この周辺はやがて高架工事が始まると様子が一変してしまうので、今のうちのアングルです。晴れてしまうと線路東側の樹木や民家の影が面にカブる確率が高くなるので、あえて曇天時に狙いました。《布袋ー江南 2011/07/22》


「はなぶさ」に集まる仲間たち

最後に、駅長様、電車運転士様も画像アップされた直近の運転列車を。これは3つ目の画像の立ち位置より1スパン後方からの撮影。正面から差し込む陽のおかげで乗務員の表情をとらえることができました。《江南ー柏森  2011/08/04》



「はなぶさ」に集まる仲間たち

引きつけて50mm相当のカット。背後にある民家の影が迫っています。次回の運転時は側面にかかるかも。《江南ー柏森  2011/08/04》


PS:追加記事

「はなぶさ」に集まる仲間たち

犬山常駐のデキ306が舞木入場中にピンチヒッターで大江の305が先頭に立ちました。外観は変わらないが305登板を強調するためアウトカーブで正面がちに狙いました。編成が短いのは想定していたものの、やっぱり短かった・・・。ほかのアングルにすればよかった。《江南ー柏森  2011/04/28》


まだ朝練が苦手だった頃は、空が曇っていると露出も足りないので撮影をあきらめて再び床に入っていましたが、最近は前向きに、ポジティブに、プラス思考で「せっかく起きたのだから」と、よほどの雨ザーザーでない限りは曇天にもめげすにいざ出陣。もちろんデジカメの恩恵も忘れてはなりません。(かなり早起きに慣れた出札掛)



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2011年8月 4日 (木)

南知多ビーチランドOPEN そこには・・・ 

1980年南知多ビーチランドがOPENしました。この頃には、すっかり撮り鉄に戻っていたのですが、専らその対象は、吊り掛け電車と、「眠れなくなっちゃう」新車の搬入(甲種車両輸送や自力回送)や工場入出場、試運転といったものでした。

そんな中、名鉄6000系5次車の日本車両からの回着がある、との情報により東名古屋港に出かけました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


東名古屋港 1980年3月26日

まだ私鉄でも貨物輸送は当たり前に行われており、東名古屋港(本駅)の構内も貨車で賑わっておりました。今では名古屋臨海のDLしか入ってこなくなった東名古屋港ですが、当時は名鉄のELが港の直前まで入っていました。

デキ401+デキ376+6000系8両+デキ402


ところが、この南側の道路でなにやらクレーンが唸っていたので、6000系を見送ってから覗いてみると・・・


「はなぶさ」に集まる仲間たち

ナント!ピカピカのAL車2両がまさに仮台車に載せられていたところでした。1両はク2501、そしてもう1両は、

「はなぶさ」に集まる仲間たち


「なまず」ことモ852!

パンタグラフが緊締されると前にトラックが据えられました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


こうして2両の輸送準備が完了しました。他にもトラックがいるのですが・・・。

さてこの2両はどこへ行くのか?


この結果を知ったのは、後日見学に訪れたビーチランドでした。(^o^;)


「はなぶさ」に集まる仲間たち


1980年5月3日 南知多ビーチランド

電車は4両運ばれていました。東名古屋港で見た車両の相棒(ク2352、モ3501)も。

3両が川の字に並べられ、ク2501がその後ろに直角に置かれて、デッキで渡されていました。「パノラマビュッフェ」として再利用されることになったようです。

さらに別角度から全体を見ると


「はなぶさ」に集まる仲間たち


右側に見えるELは瀬戸線600V時に使用されていたデキ201で、ここに来る前は新川に置かれていたと思います。


これらの車両は、いったいいつまでここに置かれていたのでしょうか?車両から海まで50mもなかったと思いますので、アッという間に潮風に腐食されたのでしょうね。


最後に帰りに知多奥田から富貴まで乗ったのはAL車6両のローカルで、方向板はビーチランド開業の絵入りでした。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

1980年5月3日 富貴

現役を退いて何らかの形で保存される車両も結構ありますが、その行く末はなかなか厳しいものがあります。

リニア鉄道館に運良く選ばれた車両がある一方、美濃太田に残された車の処分が気になります。(検査掛)

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104.鉄分補給(久しぶりの朝練) 2011/8/4

 7月中旬から8月上旬にかけての時期は本来なら梅雨が明後の安定した晴れが続くはずですが、今年はどうも天候が不順で、早朝に晴れる日がほとんどなく、せっかく情報通の方から名鉄工臨の情報をいただいていたのに、しばらく朝練はお休みの状態が続いていました。そんな中、今日(8/4)は久しぶりに早朝から晴れが期待できそうだったので、久しぶりに朝練をこなしてきました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 うまい具合に犬山線の9003列車の運転日でしたので、さっそく、自転車で上小田井~西春のストレート区間へ向かいました。日の出直後の宿命なのか、やはり低い位置に薄雲がかかっており、光線が弱くなっていますが、このところ続いていた曇りに比べればよしとするしかありませんでした。

【2011.8.4 上小田井~西春】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 自宅には戻らずにそのまま出勤ということで、豊明付近へ転戦しました。富士松寄りの田んぼの稲の朝露がキラキラと光っていたので、あえて逆光側にポジションをとりました。画像サイズが小さいので朝露があまり目立ちませんが、パソコンの壁紙くらいの大きさにまでなればもっとハッキリわかるようになるはずです。

【2011.8.4 富士松~豊明】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 今日も珍客は所定運用に入っていました。ここは朝から午前中にかけては光線がバッチリなのですが、後ろの高圧鉄塔がどうしても邪魔になります。少しでも目立たなくするため、できるだけ線路に近づいてギリギリまで引っ張ってみました。

【2011.8.4 富士松~豊明】(電車運転士)



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最近の朝練から

 このところ、天候不順や暑さから鉄活動は朝練ばかりである。改めて撮影データを見たら、この付近では桜の季節以降、撮影は工臨ばかりであった。その成果(?)をご覧にいれたい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 運転日も多くて撮りやすい矢作橋行きの工臨。しかし、豊明と矢作橋の間では、撮影ポイントは限られ、どうしても新安城と宇頭の間の陸橋に行くことが多くなってしまう。そろそろ他の場所を考えないといけない。

 この場所で撮影して、天候が良ければ他の場所への転戦を考えているのだが、なぜか工臨が運転される日に限って天候がもうひとつで、いつも直帰となってしまうのが残念である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 そのようなわけで、金山から運行される日に、桜で狙ってみた。ちょっとバックがうるさいが、緑バックでまずまずの写真になったと思うが、如何だろうか?


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 犬山線の工臨は、運転日が限られて撮影しづらいし、場所も限られる。これは、上小田井~西春間での撮影。8月ともなると、この場所ではそろそろ限界である。

 運行日の情報を教えて頂いた情報通さんに感謝である。(駅長)

 



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2011年8月 3日 (水)

無くなってしまったもの 2題

 時代の流れとか、災害といってしまえばそれまでだけれど、ちょっと気になるものが続けて二つもなくなったことに気がついた。このメンバーにも関係が深いものだけに、ご紹介したい。

 まずは、昭和区の檀渓通にあったプロラボのHカラー。デジカメに変えてからほとんど行く機会が無くなっていたが(最後に行ったのは2009年12月だった)、先日、久しぶりに近くを通ったら、建物が壊され、マンションが建築中なのに気がついた。ネットで検索しても、ヒットしない。もう、事業を完全にやめてしまったのだろうか。

 

 かつては写真に関係ある会社に営業を行ったりして手広く商売をしていて、当方も随分お世話になったが、デジタル化の流れに抗しきれなかったようだ。近年では、従業員の数も少なくなっており、仕事が減っているのが傍目にも感じられた。ただ、プロ用の現像や引き伸ばしの需要はそれなりにあるので、規模を縮小して事業を継続すると思っていたのだが、それも難しかったらしい。

 プロ用の現像所では、フジ系のCエイトとか、伏見のHUカラーなどもあったが、なぜかこのHカラーの発色が一番鮮やかで好きだった。また、引き伸ばしも無理を聞いてくれて、納得のいく出来上がりで信頼していた。

 さて、この現像所がなくなると、フィルムの現像や引き伸ばしで困ることになる。せっかくペンタ6×7をオーバーホールしたのに、また、使いづらくなってしまった。


 もうひとつは、先の新潟・会津豪雨での只見線などの被害である。

 どうやら、只見線では鉄橋が3つ崩落したほか、道床が流されて、会津坂下より先は運休となっているらしい。また、磐越西線も運休しているという。

 磐越西線はもちろんのこと、只見線も定期的にC11が走り、景色の良さとあわせて、時間ができたらじっくりと狙ってみたいと思っている中での今回の災害である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは第六只見川橋梁であるが、ここもダムの放水で鉄橋が流されてしまったようだ。

 蒸機運行のために復旧を、というのは本末転倒といわれかねないが、折角定着しているイベントだけに、JR東日本と地元には、ぜひとも前向きに対応して頂くことを望みたい。(駅長)

PS/この写真を修整していて、スキャンデータにニュートンリングが出ているのに気がついた。ガラスのフィルムホルダーは、扱いが難しい。良い方法はないのだろうか。


 

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2011年8月 2日 (火)

103.早春の飯田線(1号車) 1978/3/24~26

 出札掛様がおっしゃられているように夏本番ともいえるこの時期、天候不順が続き、鉄活動が停滞気味になっています。3月の大震災以来、いろんな面で日本自体が何か歯車が狂っちゃっているような気がしてなりません。そんなわけで、今回も過去ネタでいかざるを得ませんが、よろしくお願いいたします。

 今回のネタは早春の飯田線です。高校2年生の春休み、3年生になると一応受験生になり、鉄活動を自粛するからという都合のいい理由をつけて親を説得し、3日間の飯田線詣でを計画しました。この頃の飯田線はまだ80系も入線しておらず、まさに旧型国電天国の様相を見せていました。人気のクモハ52も最後の活躍をしていましたが、こちらは2年前の正月にひと通り撮影していることから、こちらは最終日の1日だけの撮影として、今回は風景重視ということで、1日目は中央アルプスが美しい北部、2日目は渓谷美が堪能できる中部、3日目は車両中心の南部と順番に南下するいうスケジュールに基づき、3両編成の行程でご紹介したいと思います。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 中央アルプスバックのポイントといえば、真っ先に思いつくのが田切~伊那福岡の定番ポイントです。辰野から1番列車で現地に向かいましたが、朝から雲ひとつない絶好の撮影日和で、中央アルプスもくっきりとその姿を見せてくれました。おなじみの築堤上を行くのはクモハ54=クハ68=クハ47=クモハ54の4両編成です。飯田線では一般的によく見られた編成です。ありがたいことにこのポイントは今でもほとんど変化がなく、当時とほぼ同じ条件で撮影できます。

【1978.3.24 田切~伊那福岡】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 貨物列車もまだそれなりに設定されていました。北部はすでにED62への置き換えが終了していました。ED61の軽軸重改造車ですが、小振りな車体が飯田線の風景にマッチしていました。

【1978.3.24 田切~伊那福岡】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 築堤を少しアングルを変えたポジションに移動しました。先頭は2次流電用のサロハ66に運転台取り付け改造を行ったクハ47の150番代です。残念ながら狭窓・2扉・前パンのクモハ53(クモハ43の出力アップ改造車)は2両目の編成中間に入ってしまっています。その後にクモハ54とクハ68のオリジナル車が続いています。

【1978.3.24 田切~伊那福岡】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 クハユニ56が先頭の3両編成の列車です。その後にクモハ50(クモハ43を出力アップ改造したクモハ53の3扉改造車)とクモハ54が続いています。郵便・荷物車が付いていた関係か、クハユニ付きの3両編成は豊橋~辰野のロングラン運用に使用されることが多かったように思います。飯田線全線にわたって見ることができる編成のため、ネガに写っている比率は比較的多くなっています。

【1978.3.24 田切~伊那福岡】 (電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 場所を移動し、中田切川の河原から鉄橋をメインに撮影しました。残雪の中央アルプスと川のせせらぎが早春の雰囲気を盛り上げています。ED62が乗っているスパンは、現在、木が伸びてしまって撮ることができません。右の長いスパン部分しか見渡せなくなっているため、アングルが制約されてしまいました。

【1978.3.24 田切~伊那福岡】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 ほぼ同じアングルで旧型国電も撮っています。ここは条件がそろうと第1級の撮影地になります。クモハ54の後に続くのはクロハ68を3扉改造したクハ68です。中扉の左右で窓配置が異なっているのはその名残です。

【1978.3.24 田切~伊那福岡】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 同じポジションばかりではつまらないので、思い切って線路端に行ってみました。中央アルプスはいい感じで画面に入りましたが、左側の電柱が目障りでした。電柱を嫌って前後のポジションも確認しましたが、中央アルプスのバランスがしっくりいかなかったため、電柱はあきらめました。クモハ54=クモハ42=クハユニ56の3両編成が通過して行きました。

【1978.3.24 田切~伊那福岡】(電車運転士)


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2011年8月 1日 (月)

【アーカイブス】北恵那鉄道(1)

 先日、電車運転士さんから北恵那鉄道の写真が載せられたが、同鉄道には小生も何度か訪問している。付知川に沿う風景はなかなか素晴らしいものがあるものの、ネックは運行が朝夕に限られていることで、このためなかなか訪れるきっかけがなく、結果として訪問回数は限られ、廃線直前にバタバタと訪れただけとなってしまった。もうひとつは、最初に本格的に訪れた時にそれなりの写真が撮れたため、それで満足してしまったこともある。

 その本格的に訪れた時とは、昭和48年8月である。中版カメラを3台抱えての初めての撮影であった。この前日には只見線を訪れているので、どのような経路かわからないが、長野に出て、夜行の「きそ」を中津川で降りて訪問したと考えられる。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この時には、美濃福岡~栗本間の付知川沿いの区間を訪れている。この区間は、延々と付知川に沿って走り、ご覧の通りの素晴らしい風景である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 同じような写真であるが、ちょっと場所を変えて撮影している。荒々しい岩肌が印象的である。とはいえ、撮影すると角度が同じようになってしまうので、あまり変化がないようにも見える。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 超有名撮影地の木曽川鉄橋でも撮影している。よく見ると、付随車を付けて座席も埋まっているようなので、それなりの乗客はあったようだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 最後に中津町の車庫。すでにこの段階では、電動車はモ560形ばかりで変化に乏しかったのが悔やまれる。

 また、昭和53年頃の写真が発掘できれば、ご紹介したい。(駅長)


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