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2011年7月

2011年7月31日 (日)

1976年8月 撮り鉄休眠中の夏休み

学生生活の4年間(最後の1年は学外の研究施設で過ごしたので少々違いますが)、写真部に籍を置いていたので、撮り鉄はほとんど休眠中の時期でしたが、この年の夏合宿は、秋の学外展(テーマ「座敷童」)のため、磐越東線沿線で合宿することになり、どうせ東北に行くなら、ということで高校生の夏休みに蒸機を撮りに行って、すっかり魅せられた羽越本線の吹浦付近を再訪をすることにしたようです。

記憶では、2泊3日の行程だったと思いますが、撮り鉄に費やしたのは1日だけのようで、後2日は海水浴?していたのでしょうか。この頃は記録を採っておらず、一部を除き列車はわかりませんので、悪しからず(^_^;)。




「はなぶさ」に集まる仲間たち



まずは、寝台列車です。この頃はすでに「日本海」は特急で14系になっており、(どうしようもない写真はあります)、801レ「天の川」(もしくは「鳥海」)と思われます。いい撮影地と思うのですが、何を考えているのか、1か所1列車が原則なのか、この列車しか撮ってません。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


当然、ローカルは客車列車ですが、牽引機はこの線専用のED75 700番台ばかりだったように思います(EF81はロングラン列車のみだったようです)。お面が草にかかってしまっており、感が鈍っていますねぇ。






「はなぶさ」に集まる仲間たち


気動車列車はそれほど多くなかったと思いますが、4両編成2本を撮っていますが、そのうち7両が55系です。急行なのかこの編成の後ろ2両は400番台(旧キロ)のようです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


貨物も旅客と同じくらい走っていたように思います。積載されているコンテナが緑色ばかりできれいですね。機関車次位と最後部にはコキフが連結されていましたね。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


この場所は気に入ったようで、複数の列車を撮っています。サシが入っているところをみると上り「白鳥」かな?


高校生のときは小砂川駅で寝袋にくるまっていたのですが、このときは象潟の公営YHに泊まりました。夕食のときに別室に連れて行かれて、刺身をご馳走になり、「YHでは生ものは禁止なので、黙っていてね」と言われたのを思い出しました。


これはSAKURACOLORⅡですが、もう35年も前に撮ったわりには褪色がほとんどなく、1980年代に撮ったネガカラーがかなり変色していることを考えると、いい加減な管理をしているほうがいいのではないか、と思ってしまいます。

(検査掛)



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【アーカイブス】キハ90系補足+地下鉄マル秘写真

 出札掛さんから「最近の流れがアーカイブス」とのご発言があったが、必ずしもアーカイブの映像ばかり載せたいわけではない。新しい映像がない(撮りにいけない)ので、やむをえず、アーカイブの映像を載せているとご理解いただければ嬉しい。どんどん、新しい映像を載せて頂きたいところである。もっとも、昨今の不順な天気では、外に出る気も失せてしまうだろうが・・。


 ということで、またしてもアーカイブ画像である。

 今日の画像は、先日、ご紹介したキハ90系の続編+αである。


 ネガを探していたら、キハ90系のこんな画像も出てきた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 撮影は、昭和51年9月2日である。キハ90系は9月3日に最終運行が行われたとあるので、その前日のようだ。多分、最終日の3日は仕事で動けなかったのであろう。

 最終日の1日前といっても、普段と変わらぬ姿で運行されている。


 ところでこの栄生駅、パノラマの最後の時にホームの南端から名古屋駅の高層ビルをバックに撮影したが、昔はこんな角度では撮れなかったと記憶している。この90系の前のカットに、かつての栄生駅が写っていた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この写真を見て思い出した。そう、栄生の南側は直接階段になっていて、南側は撮れなかったのである。栄生駅が改良されたのは、8両化の時だったと思うが、さて何時だったか, もうひとつ記憶がない。

 さて、この写真の同じネガには、こんな写真も入っている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 地下鉄鶴舞線の車両搬入である。

 昔、地下鉄はどこから入れる、という漫才があったが、その解答?がこのカット。

 地下鉄鶴舞線は、最初、伏見と八事の間で開業したが、この間は仮開業に近く、赤池延長までの間、路線が地上に出ているところはなかった。そこでトンネルの一部を開口して車両を入れた、というわけ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 開口場所は、御器所と荒畑の間である。

 さすがに当時は何時、車両を入れる、などという情報があるわけではなく、たまたま通りがかったときに車両が停まっているのをみて、撮影に及んだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 こんなカットもある。現場に入れて貰って撮影しているのだ。今では、まず不可能だろうが、当時はおおらかであったのだろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 極め付きはこの写真。今もあるかどうかわからないが、鶴舞線用のディーゼル機関車である。地下に搬入した車両の移動に使用された。当然ながら、この写真も開口部から撮影している。


 まだ、新車と思っていた3000系の廃車が噂されるこの頃である。時代の流れは早い。(駅長)





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2011年7月30日 (土)

片上鉄道廃止から20年

このところのブログの流れに逆らわないようにと、アーカイブス的ネタを探してみたのですが、

「ロクなものがないねぇ・・・」

鉄道写真を撮り始めた頃(→30年ほど前ネ)は乗り鉄と撮り鉄で半々の活動をしていたせいか、あまり撮影にこだわっていなかったのがその理由でしょうか。


あっ、思いついた、岡山の片上鉄道!廃止されてから今年6月でちょうど20年を向かえました。営業最終日の1991/06/30、別れを惜しむべくお名残乗車をしてきたときに撮影した画像の一部をセレクトしてみました。やはりロクなものはないですが。

  *ファン注目の的であった片上鉄道の詳細は各サイトに委ねることにしましょう。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

JRを乗り継いで片上駅に着きました。ちょうどDDとキハが並んで展示会状態。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

キハが特別に3連で組成されました。柵原側先頭車は人気車キハ702です。キハ3連での運行は久々のことだそうで。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

前日は仕事だったため、最終日の朝に家を出て新幹線で駆けつけました。本来なら仕事を終えた足でその日のうちに現地入りして翌朝からフルに動くのが一般的な行動(か?)なのですが、そこまで積極的でなかったのが、ああ、情けない。

というわけであまり時間に余裕はなく、でもせめてお立ち台を1ケ所くらいはこなしておこうと備前塩田ー備前福田間の吉井川鉄橋を目指し、キハと客レの2本を撮影します。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

客レは向こう岸まで渡って撮りたかったのですが、徒歩鉄のため断念、やむを得ず橋上では後追いになりましたが、マイテのようなオープンデッキが見られたのでよしとしましょう。それにしても、地方鉄道でこのような車両を走らせていたことに興味を持ちますが、なぜなのでしょう?それが片上鉄道の魅力のひとつでもあるのですが。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

備前塩田に進入する片上行き客レを1カット。これに乗って和気まで戻ります。はたして乗れるのだろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

和気で下車し、停車中に移動して出発を撮影。あぁ~、カメラマンが横からあふれて・・・、今日ばかりは止むを得ません。


「はなぶさ」に集まる仲間たち



「はなぶさ」に集まる仲間たち

いよいよ最終列車を見送るときになりました。片上発の最終列車は、キハ702と303の2連。今まで手をつないでいた312は置いてきぼり・・・。業務上の都合?


「はなぶさ」に集まる仲間たち

最終列車を見送りJR赤穂線の列車を待つ間、構内をうろううろしていたら看板の付け替え作業が始まりました。国鉄からJRに移行されるときも、各所で同じような場面を目にしましたね~。


何かと興味を引くものが多かった片上鉄道は、今でも保存会のご尽力で往時を偲ぶことができます。お出かけあれ。


PS:記事の内容に、もし「違うんじゃないの」という箇所がありましたらフォローお願いします。(出札掛)







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2011年7月29日 (金)

【アーカイブス】瀬戸線土居下付近

 電車運転士さんが言われるように後世に残すほどの価値があるかどうかわからないが、手持ちのネガをスキャンしたので、続けて瀬戸線がお堀を走っていた頃の写真をお目にかけたい。

  今回は、お堀の終端部分である土居下のあたりである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

  まずは、かつての東大手駅のあたり、清水橋の下である。鉄道写真の鉄則から言えば、電車の後ろにこうした橋を入れるのは褒められたアングルではないが、それが場所を特定することになって、良い記録となっているのは皮肉なことである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


  これは土居下駅から見た清水橋方面。今にして思えば、反対のホームで撮影していたらTV塔が入っていたかと思うと、ちょっと残念である。これは、大曽根に行くため、列車待ちで撮影している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ちょっとわかりづらいが、土居下のホームから清水付近を走る列車を望んだカット。栄乗り入れに備えて、トンネルの出口のあたりはすでに道路になっていたようだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 土居下を通過する瀬戸行き準急。左側は、明和高校横の坂道である。このあたりは、まだ当時の面影が残っているのかな?


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 同じカーブをもう少し清水寄りに行ったあたり。こうやってみると、このカーブもサンチャインカーブに負けず劣らずの急カーブである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは同じ列車の反対側を見たところ。お堀区間が運休になった後には、ここに土居下仮駅ができて、バス連絡が行われた。

 土居下仮駅の写真も随分撮っているはずだが、まだスキャンをしていない。


なお、この頃の写真は、35mmのモノクロネガではイルフォードのFP4を使用している。フジに比べて、若干、階調が豊かかとも思うが、ちょっと思い入れが強いかな(^^;)(駅長)





 

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2011年7月28日 (木)

【アーカイブス】瀬戸線大津町駅

 過日、瀬戸線の写真をお見せしたとき、大津町の駅の写真がない、とぼやいていたが、一応、ちゃんと撮ってあったことがわかった。(^^;)

 このメンバーの中には、お堀を走っていた時代の瀬戸線を知らない方も多いだろうが、当時の様子を知って貰いたく、公開したい。かなり色々なアングルで撮っているので、ほぼ全貌がわかるのではないだろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは大津町を折り返す瀬戸行きの特急。撮影は昭和51年1月で、廃止の2ヶ月前である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 同じ場所から、駅舎を見るとこんな感じである。左側の石段は今も残っている。

 駅前には2階建ての売店もあったようだ。しかし、この段階で営業していたかどうかは記憶にない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 石段から改札を見る。残念ながら、この頃は広角レンズを持っていないので、アングルの制約を受けているが、それでも無いよりはマシである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 大津町で折り返す喜多山行き普通。ちなみに、この頃の運行は、瀬戸行の特急が3本/時、堀川~瀬戸間の準急(喜多山から普通)が40分毎、大津町~瀬戸間の準急が40分毎、大津町~喜多山間の普通が40分毎であった。要するに、堀川に行く列車は40分に1本、途中駅の本町、土居下、森下、矢田、瓢箪山などに停まる列車も40分に1本しかないことになる。特急や準急の停車駅はともかく、それ以外の普通の停車駅には忘れた頃にしか列車が来ず、まさに都会の中のローカル線であった。ゆえに、大津町~堀川間の撮影は、結構待ち時間が多くて、しんどいことになる。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 到着のホームの多くの部分は、大津橋の下にあった。手前のスロープは、構内踏切を経て瀬戸行きホームにつながっている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 大津町で行き違う2300形。今は、どこかに当時の様子を偲ぶところが残っているだろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最後に、本町にあった掘っ建て小屋風の切符売り場。これは津島軽便堂さんの写真にも出てこず、どこにあったのかもうひとつよくわからないが、駅に通じる小道の入り口にあったのだろうか。


 この時、細々とこうした写真を撮ったのは、今後は電車を撮影する、ということで35mmの1眼レフを調達し、使い始めたことが背景にある。おかげで、それまで2眼レフ2台とバケペンで撮影していた時に比べて、機動性が飛躍的に高まった。この直後には、このカメラを持って四国を訪れ、高松琴平電鉄や土佐電鉄などを撮影している。85mmのレンズも使い始めているようで、撮影のアングルは今とほとんどかわらず、かなり洗練されてきていることが読みとれる。

 また、この春に大学を卒業して名古屋に戻ることになっていたので、そうしたことがより詳しく記録させる動機になっていたのかもしれない。ただ、堀川までの廃止当日には九州に行っていたので、まだまだ行動は中途半端であった。(駅長)

 





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102.都市近郊のエアポケット 別府鉄道 (2号車) 1978/2/18

 前回、別府鉄道をご紹介させていただいたのが約1年前のことでした。その時の訪問から1年9か月後に別府鉄道に気ままな日帰り鉄に出掛けていました。この日は姫路から山陽電鉄を利用して別府港のすぐ近くに位置していた別府で下車し、別府鉄道に向かうルートを選択したようです。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 山陽電鉄の別府で下車後は、線路伝いに坂井まで歩きました。この日も野口線はキハ101が運用に入っていました。キハ101が片上鉄道から来てからは名物車両のキハ2の出番がほとんどなくなってしまいました。列車の到着を待っているといつもは徐行で通過して行くのに珍しく降車客がいました。

【1978.2.18 坂井】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 歩いて別府港に戻ると先程の列車が折り返すところで、数人の乗客が野口行の列車に乗り込んで行きます。別府港は構内の雰囲気もさることながら木造の小振りな駅舎も魅力的でした。

【1978.2.18 別府港】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 間もなく野口行の列車が出発します。腕木信号機が進行を現示すると駅長の出発指示合図を受けて発車して行きます。

【1978.2.18 別府港】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 機関区を覗いてみるとDB20とキハ2が休んでいました。DB20はこの後、土山線の列車を仕立てるために出庫し、入換を開始しました。

【1978.2.18 別府港】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 別府港で入換中のDB20です。操車係の誘導で手際よく列車を組成していきます。DB20の後に続くワム90000も懐かしいアイテムです。右奥に見えているオーバークロスが山陽電鉄で、別府の駅はこのすぐ左側にあり、別府港とは至近の距離でした。

【1978.2.18 別府港】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 別府港からは土山線の列車に乗って土山に向かいました。乗車したのはお決まりのハフ7ですが、木造ニス塗りの車内は昭和を通り越して大正レトロの雰囲気がプンプンしています。この日は珍しく同業者と思しき親子が乗っていたので、スナップさせてもらいました。おそらくこの男の子も今ではいいオッサンになっているんでしょうね。

【1978.2.18 ハフ7車内】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 乗車した列車は終点の土山で入換を行った後、別府港行の列車として出発を待ちます。貨車は1両ですがれっきとした混合列車です。この日はこのまま土山から山陽本線の列車で姫路の自宅まで帰りました。

【1978.2.18 土山】(電車運転士)

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2011年7月26日 (火)

【アーカイブス】特急「とき」

 昨今のゆる鉄ブームの中、ブルトレ、0系新幹線の後はこだま型電車が話題になるだろうと読んでいたが、今のところ、そうした動きはない。JR西日本に残る489系はまだ可動状態にあると思うのだが、3月以降、動いたという話は聞かない。夏にはなんらかの動きがあると読んでいたが、なんの発表もないところをみると、当分、なにもなさそうだ。489系はこのまま、ひっそりと廃車になってしまうのだろうか。そうだとしたら、この名車の功績を考えると、ちょっと寂しいものがある。もっとも、盛大なイベントとなってしまうと、今度はイベントそのものを敬遠してしまうことになるだろうから、どっちが良いともいえそうもない。


 などという話を書いたのは、今日、ご紹介するのが上越・信越線で走っていた特急「とき」の181系だからである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この撮影は、昭和50年3月。北海道に行く途中に長岡のあたりで降りて撮影している。この頃、国鉄の特急電車はほとんど撮影していないのであるが、なぜかこの時には新潟周辺の私鉄に寄らず、「とき」を撮影している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この時の「とき」の撮影は1往復だけのようだ。当時、すでに183系も入っているので、この当時に何往復が181系の運行だったかわからないが、1往復だけということは列車接続の合間に撮影したのであろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 行程もさることながら、恥ずかしいことに撮影場所も判然としない。この頃、撮影写真のメンテがあまり良くなく、ネガカバーに場所を記していないからである。ご存じの方がいたら、お教え頂きたい。

 これは新潟色の70系。カラシ色には強烈な印象があるが、多分、撮影したのはこの時だけのはずである。写真の雰囲気はよいが、モノクロでは、どのような色かわからないのが辛い。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 EF15の貨物も撮影している。駅からあまり離れていないにもかかわらず、一面の水田が広がっており、撮影には適した場所のようだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この「とき」の写真の次のネガには、こんな写真が写っている。当時の紅葉山、現在の新夕張を発車するD51である。どのようにして、このように高いところまで登ったのか、勿論記憶がないが、当時は元気が良かったことだけは確かである。


 では、この時は、どのように行動していたのだろうか。

 おそらく、急行「しらゆき」あたりで長岡に出て、「とき」撮影後、新潟付近から「白鳥」で青森に向かい、夜行便で青函をわたり、「おおぞら」で苫小牧から室蘭本線で追分経由紅葉山に向かったと思われる。しかし、この行程では紅葉山に着くのがかなり遅くなるので効率が悪そうだ。

 当時の撮影を記録した手帳が出てくれば行程がわかるのであるが、ネガと時刻表を見て、想像するだけでも楽しいかもしれない。(駅長)

 

 


 



 

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2011年7月25日 (月)

【アーカイブス】モ401がいた頃の揖斐線

 ここのメンバーの方々には、2005年に廃止となった揖斐・谷汲線に思い入れのある方も多いだろう。かくいう小生も、何度通ったか記憶にないほどであるが、その最初が何時だったのか、もうひとつはっきりしなかった。

 このほどネガのスキャンを進める中で揖斐線を最初に訪れた時のネガが発掘(^^;)され、1973(昭和48)年1月に訪問していることが判明した。その時の様子をご覧にいれたい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最初は黒野駅に並ぶ当時の揖斐線車両のラインナップである。左から連接車のモ400形、制御車のク2180形、元琴平参宮のモ180形、そして揖斐線の女王であるモ520形である。後に主力となるモ700形や750形がこの写真には1枚も写っていないのが時代を感じさせる。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まずは尻毛ですれ違うモ510形。後に、何度と無く撮影したシーンの最初である。モ510形どおしのすれ違いは、このずいぶん後まで見られたが、簡略化した直通色の塗装は昭和54年頃までなので、その意味では珍しいかもしれない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 次は尻毛の鉄橋を渡るモ760形。元瀬戸線の車両で、電車運転士さんの撮影された北恵那のモ560形と兄弟の車両である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 次は、元琴平参宮電鉄のモ180形。黒野の手前のカーブのあたりで撮影しているようだ。パンタと電柱の関係は、ご愛敬である。(^^;)


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 多分、同じ場所で撮影した黒野行き。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最後に、名物の連接車モ400形である。しかし、この時に撮影したのは、この1枚しかない。

 なぜ、この時に揖斐線に行ったのかと言えば、瀬戸線にモ3700形が入線し、そのあおりでモ700形や750形が揖斐線に転属して、このモ400形やモ180形を廃車にするという情報を聞いたからではなかったかと思う。あるいは、当時の鉄道ファンに載った記事にひかれたのかもしれない。

 しかし、最初の訪問ゆえ、特定の形式を追っかけるということまではしていなかったようだ。あるいは、名鉄車両に疎かった当時の知識から、どの車両を追っかけたらいいのか、わからなかったのかもしれない。それゆえ、モ400形が1枚しかないのだろう。1枚あるだけでも良しとすべきなのだろうが、今にして思えば、ちょっと残念な気もする。(駅長)

 

 







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2011年7月23日 (土)

101.落合川鉄橋と北恵那鉄道 1978/1/3

 以前にご紹介した尾小屋鉄道が廃止になってから、次のターゲットとして訪問したかったのが北恵那鉄道です。国鉄の中津川の裏手にあった中津町から付知峡の入口となる下付知まで典型的な日本の田舎風景を走る電化ローカル線でした。1978年当時でも合理化のためにすでに昼間の運行はバス代行になっており、列車が動くのは朝と夕方以降だけということで、撮り鉄にとっては手強い存在でした。正月の帰省でこちらにいる時に夕方の列車狙いなら日帰りでも何とかなりそうだということで、お屠蘇気分の冷めやらぬ1月3日に初めての北恵那鉄道訪問を試みました。せっかく中津川まで行くのなら、行き掛けの駄賃として、当時から撮影名所であった落合川の鉄橋でそろそろ引退の噂も出始めていた80系電車を撮ってからでもいけそうだったので、結局、中央西線と北恵那鉄道の掛け持ちとなりました。




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まずはロクヨンの貨物列車から…。今は1000番代に代わったものの全列車重連牽引となっていますが、当時は単機牽引が普通でした。落合川の鉄橋を行き交う車両の顔触れは世代交代が進みましたが、ありがたいことに周辺の雰囲気は今でも大きく変わっていません。


【1978年1月3日 落合川~坂下】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この日の本命にしていた80系電車です。湘南顔のクハ86が撮りたかったのですが、姿を見せたのは103系もどきの運転台取付け改造車のクハ85でした。何本かチャンスがあったのですが、この日に限っては先頭はすべてクハ85、1本くらいはクハ86が来てくれてもバチは当たらないはずなのに80系電車に関しては何とも運の悪い結果となってしまいました。


【1978年1月3日 落合川~坂下】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 381系の「しなの」が轟音とともに鉄橋を渡って行きます。当時はまだ9両のフル編成、HMも絵入りになる直前で文字マークでした。絵入りに慣れてしまった今では文字だけのシンプルなマークが新鮮に感じます。


【1978年1月3日 落合川~坂下】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 落合川は昼過ぎで撤収し、北恵那鉄道へと向かいました。夕方の1番列車まではたっぷりと時間があるので、中津町のスナップで時間をつぶしました。落合川の時は曇っていた天気も回復し、冬の柔らかな日差しを浴びて瀬戸電からやって来たモ563と564が車庫で静かに出番を待っていました。中津町のシチュエーションは本当にいい雰囲気で、退屈することはありませんでした。


【1978年1月3日 中津町】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 開業時から活躍している北恵那鉄道のヌシ的存在のデ2です。前面下部だけは鉄板で補強されていましたが、全体的には木造車の特徴がよく残っています。この当時でも木造車はすでに全国的にも絶滅危惧種的存在になっていました。

【1978年1月3日 中津町】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 モ565の車内です。白熱灯・座席の袖仕切り・天井の窪み・手ブレーキハンドルなど大正から昭和にかけてのレトロな雰囲気が満載です。おそらく、製造当初からほとんど手が加えられていないのではないでしょうか。

【1978年1月3日 中津町】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 少し引いて中津町の駅舎とデ2を絡めて撮ってみました。立派な木造駅舎がいい雰囲気を醸し出しています。バックは恵那山で、写真ではわかりにくいですが、うっすらと雪化粧しています。


【1978年1月3日 中津町】(電車運転士)  



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 昼間の長い休憩を終えた夕方の1番列車を撮るべく、定番の木曽川の鉄橋に向かいました。陽が落ちて鉄橋部分が陰ってしまったので、国道橋からのシルエットはあきらめ、止むなく河原からのアングルとなってしまいました。残照に車体を光らせて鉄橋をゆっくりと渡って行きます。陽の短いこの時期だと走りを撮れるのはこの1本だけ、次回は陽の長い夏場の再訪を誓って北恵那鉄道を後にしました。

【1978年1月3日 中津町~恵那峡口】(電車運転士)

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使う機会はあるのだろうか

 今回は、小生のカメラの話題である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ご覧のペンタ6×7が、今日、修理から上がってきた。メンバーの方はご存じのように、一時、このカメラをメインとして使っていたが、カラーは35mmのフジクロームが中心となり、また、モノクロを撮る機会もなく、カメラの重さにも段々たえられなくなったことから、この10年ほどはまったくといってよいほど出番が無かった。ある時、久々に使おうかとフィルムを購入して装填したら、なんと、接触不良でシャッターが切れず、修理が必要なことがわかった。


 さて、どうするか。このまま廃車待ちの2休車状態でいるのか、あるいは修理に出して再稼働させるか。その後、デジカメの購入により使う機会がますます減ったことから、カメラバックの中で静かに眠るだけの状態が続いていた。


 この度、修理に出す動機となったのは、ひとつはデジカメの発色の難しさである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 いずれも富士松~一ツ木間の工臨で、上は今年の7月16日、下は6月の撮影である。ものの見事に木の緑の発色や道床の色が違う。もう少し色を追い込む必要があるだろうが、見比べさえしなければ、どちらの写真でも違和感がない。

 なお、レンズは上はキヤノン70ー200のf4ズーム、下はコシナの85mm単玉である。確かに、被写体の色は天候や撮影時の色温度、さらにはレンズによって異なるのはわかるが、それにしてもここまで緑が違ってしまうと考えてしまう。


 特に車両の色などは、コロコロ変わってしまうと問題である。そのためには、色が明確なフィルムで撮影し、記録として留めておく必要があろう。

 また、良く指摘されるように、デジの発色とフィルムの発色は異なる。それぞれの利点はあるが、まだ、デジの発色はフィルムの発色の深みを十分に表現できていないのではないだろうか。


 もうひとつは、撮影の楽しさである。

 すぐ結果のわかるデジはそれはそれで良さがあるが、たまには三脚をたてて、じっくりとレリーズを押してみたい気にもなる。デジは確かに便利であるが、ちょっと味気ない気もしないでもない。


 そんなことを考えている内に、ペンタックスのカメラ部門がHOYAからリコーに売却されることが発表された。リコーは目立たないが誠実なメーカーなので、これを機に6×7の修理が出来なくなる、ということは無いと思われるが、すでに製造を中止している機種(ちなみに小生の6×7はその2世代くらい前なので、製造中止をしてからずいぶんになる)なので、いつまでも修理が可能とは考えられない。そこでレンズを久々に見てみると、カビなどはなく、まだまだ使用可能と思われた。問い合わせると修理は可能という。そこで、思い切ってオーバーホールを頼むことにした。それが終わって、今日、自宅に戻ってきたのである。


 まあ、ここまでは趣味ならではの思い入れもある話で良いとしよう。さて、戻ってきて修理代金を支払う段になって(すでに営業所がないので、東京まで送って修理代は着払いである)、ハタと気がついた。


 カメラは使えるようになったのは良いが


 このカメラで撮るものがない!

 

 ことに気がついたのである。


 このカメラにふさわしい被写体といえば、やはり蒸機、そして機関車牽引列車、ちょっと用途としては違っているかとも思うが、中版の利点を活かしての形式写真であろう。それらは、この付近では撮影する機会がない。


 また、体力的にもこのカメラと交換レンズ、さらに三脚を持っていくとなると歩きでは難しく、車を使うことになる。最近、三脚を持っての撮影などやったことがない。


 さて、このカメラを使う機会は、いったい何時、来るのだろうか。(駅長)



 



 

 

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2011年7月22日 (金)

安 近 短

 暑中お見舞い申し上げます


ちょいとした地元ネタが入ったので、7月の三連休は家の用事もあることだし、大人しく手短かなところで鉄活動を行うことといたしますか。遠征は少し涼しくなるまでお預け、かな?



「はなぶさ」に集まる仲間たち

三連休初日(16日)は、名鉄本線の工臨9004レを撮りに朝練でスタート。撮影地は富士松~一ツ木の築堤に初トライです。太陽は雲の中、天気予報どおりだが少し残念。編成はいつもどおりデキ400のPP重連。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

衣浦臨海白ホキ貨物を求めて、今回は武豊線内にて撮影を試みます。いろいろ障害物があるけれども、しょうがないからありのままを撮影することにしました。武豊線らしさを表現できていればいいのだが・・・。編成はいつもどおりKE65の重連。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

この日は中部国際空港駅で「ポケモン電車」発車式が催されました。記念列車は3705F編成(ビクティニ号と言うらしい)による10:52発の準急新可児行き。これに華を添えるように、発車直前に入線するミュースカイ20レもポケモン電車で運行されるらしく、たまたま名古屋市南区を移動中に当該列車が接近する時刻だったので覗いてみたら、おおっ、ポケモン編成の重連という手の入れようでした。所定は4両のみのスジなのに、わざわざ増結しての運行です。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

中央線貨物3088レが岡山色(広島更新?伯備線色?)のカマを先頭に上っている、という目撃情報。カマの組み合わせを強調したく、庄内川でサイドから狙います。暑くなってきたのでこの日はこれで撤収。

なんだか重連ネタが主になってしまった半日でした。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

翌17日に、119系の国鉄色(以下E4)が交検で大垣まで走ることは事前につかんでいたのですが、直前情報では4両編成で後部2両が当該編成らしい。「E4編成を金華山バックに撮影する」という、かなり限定されたテーマを構想から1年半、ようやく実現の運びとなりました。しかし、面潰れ・後追い・線路端のフェンスなど、撮影にふさわしくない条件が揃っていても、撮影テーマを克服するにはこのアングルが精一杯なので仕方ないか。

同日の朝は笠寺から甲種輸送がEF64原色で走りましたが、財源は「うぅ、マルタイかぁ~」。どうも写欲がわかないし、家の用事もあったのでパスした次第。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

連休最後の18日は、プチ電車旅で豊橋まで。目的はこれまた甲種輸送・小田急3000系。久々に訪れた豊川放水路には、えっ、早くもコスモスなの?台風接近で天候不良の割りには、薄日が差す明るさ。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

豊橋へ行くのなら「そよ風トレイン」を飯田線内で撮ろうと思っていたのだが、天気がよくないのでたまには駅ホーム撮りで妥協。こんなとき、普段はあまり写すことのない乗客の姿をあえて取り入れることを最近試みています。

「勝手に人の写真を撮るんじゃねーよ!」

みたいに、いちゃもん付けられると厄介なので気が引けるのですが、イベント列車だから大目に見て下さいな。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

豊鉄市内線で路面電車ウォッチング。あら、3201がこんな姿になっている。そういえば今春から1年間は「のんほいパーク号」のラッピング。沿線レジャー施設のPRに一役買っていることを思えばやむを得ないとしても、やっぱり旧塗装がいいですね。色合いは似ているけど。



丸一日自宅でじっとしているのが耐えられない三連休でした。(出札掛)





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2011年7月21日 (木)

中央西線、篠ノ井線電化直前

駅長様から再びキハ90系がアップされたのに触発されて、ついつい探してしまいました。出てきたのは、昭和48年3月、春休みに祖父の家に一週間ほど滞在したときのものです。

検査掛が一眼レフを手にしたのは、この年の正月のことなので、一眼を携えての遠出はこの時が初めてのことと思います。本来の目的は言うに及ばず蒸機の撮影ですが、駅長様の弁ではないですが、あまりにも出来が悪いなか、なぜかこの一枚は比較的まともに写っています。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


木曽福島・上松 昭和48年3月27日

テールライトが点いてるようなので、名古屋行きを後追いしたようです(運転士もいませんね)。まともに撮れているとはいえ、この形式の特徴である屋根上の放熱器や、乗降トビラの3枚折戸がわからないので、残念です。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


上松 昭和48年3月27日

上松まで戻ってきました。検査掛の乗る列車は下りの普通列車ですが、交換で入ってきた上りのDC急行を撮っています。撮るときはもっと引きつけて撮っているつもりなのでしょうが、全くタイミングがずれています。しかしそれゆえに当時、何曜日かはわかりませんが、いまではローカル駅になってしまった上松から結構乗客があった様子が窺えます。列車は下り向きの3両目、4両目にG車が入っていないこと、ほとんど非冷房車であることから「赤倉」ではないかと思います。検査掛いるホームには、乗る列車に積み込む荷物が置かれています。


同じネガには次のようなものも写っています。


「はなぶさ」に集まる仲間たち



「はなぶさ」に集まる仲間たち


長野 昭和48年3月29日

4月には篠ノ井線、7月には中央西線の電化を控え、回送されたEF64(60号機+69号機)です。両線の電化に合わせて篠ノ井機関区が新設されるのですが、まだ竣工しておらず、長野機関区横の旧長野工場(栗田分所)に留置されています。この頃はまだ明治時代からのレンガ造の建物が残っていました。ここは今、新幹線のホームになっています。

上の写真の右隅にEF62が見えますが、写真は撮っていないようです。

さらにもう1枚 EF64を。




「はなぶさ」に集まる仲間たち


篠ノ井線の4月電化開業を前に、すでに数本の列車はEF64の牽引になっていました。使われていたのは転属組で、写真の12号機にはまだツララ切が付いています。


再び中央西線に戻ります。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

大桑・須原 昭和48年3月26日

今でも西線の撮影スポット、伊奈川鉄橋を行く181系DC特急「しなの」です。

祖父の家に滞在中、もう一度別な日にここに行っているのですが、全く同じ構図で撮っています。ネガを探しましたが、ヘッドマークが分かるような写真を撮っていないのです。不思議です。

最後に1枚 蒸機の写真をアップさせて頂きます。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

贄川・日出塩 昭和48年3月26日
駅長様が90系カラーをアップされたかつての有名撮影地、奈良井川橋梁です。駅長様の写真ではケーブルはあまり目立ちませんが、こんなに邪魔だったのですね。


出来はともかく、スキャンしていると、ついついアップしたくなってしまいます。

(検査掛)
 



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2011年7月20日 (水)

【アーカイブス】キハ90系 ふたたび

 特急気動車キハ181系や急行用キハ65の試作車であったキハ90系の写真については、これまで2度にわたってお見せしたが、その後、スキャンを進める中で、新たな写真が発掘(^^;)されたので、お目にかけたい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これは、昭和44年11月に田立~坂下間で撮影したキハ90系。一眼レフを入手して最初の撮影であったかと思う。この時の写真は、ほとんどが使い物にならないが、なぜか2コマだけ、非常に綺麗な写真がある。その内の1枚である。8両編成なので、稼働車をフルにつかっていることになる。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、その翌年12月に同じ坂下~田立間で撮影した急行きそ。前の写真より1年後であるが、なぜかアングルがもうひとつである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 これは贄川~日出塩間の有名な鉄橋を渡るところ。電化直前の昭和48年5月の撮影である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 同じ時の写真をもう1枚。これは薮原~宮ノ越間で、たしか巴が渕とか名前が付いているあたりである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 ついで、高山線に移ってからのキハ90系。これは飛騨金山~焼石間のダムサイトを走るところで、後にキハ80系の有名ポイントとなった。以前お見せした写真は、この時に望遠で撮った写真である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 高山で並ぶキハ90系とキハ58系、そして名鉄の8000系。いまでは垂涎の的ともいえる光景が、ごく毎日のように繰り広げられていた。

 この頃、高山線はなんども乗っているはずだし、自動車で41号も走っている。しかし、高山線で撮影したキハ90系は、この2回だけである。いつもながら、なぜ、もう少し撮っておかなかったか、悔やまれてならない。

 なお、この写真はフジのネガでの撮影である。保存状態か、あるいは他の理由なのか、一部が変色しかかっている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 キハ90系の最後は、昭和51年9月3日であった。これは、その1週間前に鵜沼と坂祝の間で撮影している。

 キハ90系は、この時に運用から退くことが公表されていたと思うが、なぜかその頃撮影した写真は、この1枚だけである。これも今となっては不思議である。(駅長)


 




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2011年7月18日 (月)

100.夏の鳩原ループと奥琵琶湖 2011/7/17

 この3連休、前半2日間の16・17日はは天候に恵まれましたが、メンバーの皆さま方の鉄活動はいかがでしたでしょうか? 16・18日は家族運用のため、自由が効きませんでしたが、17日は鉄活動のお許しが出ました。紀勢本線の貨物も国鉄色が充当されそうな雰囲気でしたが、予報によると南の方は天気が悪そうだったので、3月末以来ごぶさたしていた北陸方面へと向かいました。




「はなぶさ」に集まる仲間たち

 北陸方面へ向かうとなると、やっぱりこの時期限定の「きたぐに」を狙ってしまいます。山の稜線の上に太陽は出ているのですが、早朝の伊吹山周辺だけはどうしても雲が湧くことが多いようで、露出的には少し厳しい条件でした。光は弱いながらも早朝の雰囲気は出たかなって感じです。


【2011年7月17日 坂田~田村】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この日の最大の目的は鳩原ループの俯瞰です。ずっと気にはなっていたポイントでしたが、訪れるチャンスを逃してばかりで、やっと願いがかないました。全景はこんな感じで、左上には写真ではカットすることが多い敦賀の街並みと敦賀湾が遠望できます。12連の「サンダーバード」がループを登ってきました。


【2011年7月17日 新疋田~敦賀】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 本命の「日本海」です。トワ釜だと保護色になって機関車が目立たなくなってしまいますが、ローピン釜でホッとしました。貨物列車を含めた他の列車はほぼ定時運転だったのに、「日本海」だけはなぜか約35分の遅れでした。大きな影響はなかったのでよかったのですが…。ここで3時間ほど過ごしましたが、クロスしている下り線の列車とのコラボはかないませんでした。

【2011年7月17日 新疋田~敦賀】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 「日本海」のポイントから少し立ち位置を移動すると、後追いになりますがループをぐるっと1周した同じ列車を撮影することができます。アップの画像は横構図ですが、縦構図でも十分いける感じです。


【2011年7月17日 新疋田~敦賀】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 同じポジションから下り列車も撮影可能です。列車の上にループ線から続く上りの線路が見えています。ダイヤが合えば横構図にして上下列車同時撮影も可能です。

【2011年7月17日 新疋田~敦賀】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


  上りの「トワイライト・エクスプレス」は山を下りてループ線の先の跨線橋上からの正面ドッカンポイントへ移動しました。ここでは3月末にアップした「日本海」と同じポイントです。その時は季節外れの雪景色でしたが、この日はバリ順光で撮影できました。「日本海」の時の光線状態が一番いいので、かなりの密度で同業者が集まったようです。


【2011年7月17日 新疋田~敦賀】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 午後からは湖西線のビラデスト俯瞰に移動しました。いつものポジションだと下り列車は後追い気味になってしまうので、もう少し奥の近江今津方面も見渡せるポジションで下りの貨物列車を待ちました。3連休の中日のため、貨物列車は運休が心配されましたが、幸いにも運休はありませんでした。


【2011年7月17日 近江今津~近江中庄】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 カメラを左に振ると竹生島を入れたアングルで撮ることができます。グリーンカーペット状の田んぼの中を「サンダーバード」が駆け抜けていきます。


【2011年7月17日 近江中庄~マキノ】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 夕方の上り貨物列車はいつも行くポイントに移動しました。陽が西に傾いて光線状態がよくなるにつれ、夏にしては琵琶湖もクリアな状態になってきました。白いコンテナが多かったのと牽引機が赤いEF510だったので、列車に存在感が出ました。俯瞰の場合は汚れたEF81よりもEF510の方が見栄えがします。この列車を最後に帰路に着きましたが、夜明けの「きたぐに」から始まった1日が終わりました。


【2011年7月17日 近江中庄~マキノ】(電車運転士)

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2011年7月16日 (土)

【アーカイブス】名古屋駅のEF58重連

 昭和50年当時の国鉄の風景を続けよう。今度は、ゴハチ重連である。本物のEF58である。(^^;)

 当時のゴハチと言えば、昭和50年3月の改正から荷35列車の東京~浜松(?)間で重連で運転され、在京のファンの人気を集めていた。この列車はかなり紹介される機会が多いが、同時期にもうひとつ知られざるゴハチ重連があった。中央西線から直通する季節臨の「急行ちくま」の名古屋~大阪間である。

 このゴハチ重連が、いつからいつまで運転されたか、記憶がない。多分、昭和50年前後から53年頃までではなかったかと思う。

 昭和50年の夏休みに、このゴハチ重連を名古屋駅で撮影している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ゴハチ重連も珍しいが、今となっては名古屋駅の駅ビルやさらには松坂屋の入っているターミナルホテルの建物もなくなってしまい、記録としても貴重な写真になってしまった。

 この列車を撮影に行ったのは、もちろんゴハチの重連と言うこともあるが、こんなアングルで撮影できるとわかったからである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 名古屋城をバックとした国鉄列車の撮影である。この頃はこうした写真はあまり撮影してないのに、どうしてこのアングルで撮影を思い立ったのか、まったく記憶がない。(^^;)加えて言えば、どうせならカラーで撮ればいいのに、モノクロである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 夕方のこの時間には、いろいろ興味深い列車があったようだ。これはEF61牽引の貨物。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 急行ちくまの前には、14系を使った客車の金星もあった。この列車は、その後も運転期間が長かったので、撮影している。

 さて、これら写真をどこで撮ったのであろうか。一枚だけ、その撮影場所が写っている写真があった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 どうやら、どこかのビルの屋上に登らせて貰った(登った?)ようだ。多分、今でもあるはずなので、探せば場所を確定できるかもしれない。

 このアングルで見れば、ノリタケの工場が写っている。これもまた、記録としては貴重かもしれない。(駅長)



 

 




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2011年7月15日 (金)

仕事の前の「一仕事」

最近、自宅から直行してユーザー先に向かう仕事が2日間ほどありまして、そのおかげで両日とも普段より1時間以上も家でゆっくりできるはずなのに、どうしても明るくなると目が覚めてしまう悲しい性。


妻曰く、「年とった証拠だわ~♪」。 ・・・認めたくない事実。


ならば、いつもどおりに朝早く起きたついで。普段の出勤時では撮影できない列車を時間の許す限り狙いに行ってみましょうか。


と言っても思いつくネタがないので、自宅から車で20分強の距離にあるJR東海道線木曽川のお立ち台で、先日自ら撮影の機会を放棄した117系国鉄色(以下S11)と、高山線長森近辺にてキハ40系列の国鉄色をターゲット。


【7月第一週の某日】

平日朝の東海道線は、名古屋7:44着の新快速岡崎行を皮切りに、117系の重連が20分間隔で4本上ります。このいずれかにS11が入る確率が高く、基本的には4日ローテで運用が組まれているようです。しかも3月改正後は、S11は豊橋方が先頭で固定されているので、朝の木曽川お立ち台ならほぼ順光で向かえることができます(何か意図的なものを感じる)。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

この日は、目撃情報と運用パターンから推測すると第3本目の2508FにS11が充当の可能性。結果はご覧のとおりでした。田圃が、徐々にきれいなグリーンに染まりつつあります。S11にこだわらずとも、117系をまとめて撮影できる貴重な時間帯です。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

117系の合間に、中央線からの平日限定直通快速/213系のブツ6も今のうちにと撮影。岐阜ですぐ折り返してくるので、撮影チャンスも増えます。


高山線のキハ国鉄色車運用は、前日からの流れによると、この日の朝は岐阜周辺での撮影は困難のよう。“出勤”の時間が近づいたので、朝イチの仕事先である岐阜県関市へ向かうべく、名鉄美濃町線の線路跡を見ながら走るコースを考え、同線琴塚駅付近から国道156号を北上します。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

途中、線路跡の敷地を覆いかぶせるように道路拡張工事が行われていました。完成後には美濃町線の面影が跡形もなく消えてしまうことになり、さびしい限りです。記録だけでも、と工事と線路跡の境目に立って撮影しました。場所は赤土坂駅ー新田駅間。

仕事後、岐阜市内に戻り二件目の業務をこなし、11時過ぎに終了。NHK近くのそば処「更科」にて名物“冷やしたぬき・W”を食し、大満足を得て帰社。


【7月第二週の某日】


「はなぶさ」に集まる仲間たち

前回撮影したS11は、運用どおりに流れるとこの日は117系唯一の新快速運用2306Fに充当の可能性。方向幕がわかるように、正面がちにポジションをとりました。結果は、ビンゴ!


「はなぶさ」に集まる仲間たち

夏の朝は強烈な日差しがコントラストを強めます。真っ白な車体は露出不足も何のその。雲が線路周辺の陽を遮ります。撮り方によっては、面白い表現ができそうな。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

高山線長森近辺に移動し、岐阜へ向かってくるキハ48の国鉄色ペア編成を待ちます。運用が順当なら4両編成の先頭側に連結されるはず。結果は運用どおりでしたが逆光になるのでサイド気味の撮影でゴマカしました。中途半端な曇り方ですね・・・。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

キハ40単コロ車も、運用どおりなら岐阜9時前に出発するミオ行き6連回送の中間に連結されているはず。しかし中間に入る車両がわかるように撮影するのって、どうしてもエンピツころがし写真になってしまいます。工夫が必要。それにしても長いっ(と感じるだけか)!これまたワイド気味に窮屈な画像。長森近辺では、どうも似たような写真ばかりになってしまうので、そろそろ“冒険”してみようかと思うこのごろです。


この日は岐阜市内のみで二件の仕事をこなし、11時には終わったので、店が混み出す前にと今回もそば処「更科」に足を運び、名物“冷やしたぬき・W”を食してご満悦~、任務終了。(仕事がヘタな出札掛)






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2011年7月14日 (木)

【アーカイブス】昭和50年の北陸線夜行列車

 このところ民鉄の写真が続いたので(まだ近鉄の続きが残っているが)、たまには国鉄列車の写真でも紹介するとしよう。今回紹介するのは、昭和50年夏に撮影した北陸線の夜行列車群で、撮影場所はいずれも富山と呉羽の間である。今から35年前の朝練(^^;)の成果である。

 

 北陸線の夜行列車といえば、489系の最後の運用となった「能登」や、同時に無くなったブルトレの「北陸」が思い浮かぶ。驚くことに、35年前の昭和50年当時も同じ名前で夜行列車が運行されていた。もちろん、当時は編成が大幅に異なっている。

 まずは敬意を表して特急の「北陸」から。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この頃の「北陸」は、牽引機はEF81であるが、客車は20系である。

 続いては、急行の「能登」。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 こちらも牽引機はEF81で、オロネ10にハネ5両、グリーン車1両をつなげた豪華編成である。先頭のマニは新聞輸送用だろうか?

 この頃は、福井行きの夜行「越前」もあった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 「能登」に比べると、寝台車の数が少なく、やや庶民的な編成である。信越線経由なので、編成に制約があったのかもしれない。こちらの牽引機はEF70である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これら夜行列車の通過後に、一番の普通列車がやってくる。当然ながらEF70の牽引であるが、少し前ならED70の牽引だったかもしれない。


 当時、撮影できた北陸線の夜行には東京方からばかりではなく、大阪からの列車もあった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 電車急行の「立山」である。当時は、こうした電車を使った夜行列車も数多く運行されていた。


 残念なことに、これら列車は撮影するチャンスがあったにもかかわらず、撮影したのはこの一度だけである。後に、ブルトレや機関車牽引列車を血眼になって追いかけるとは、この時には夢にも思わなかった。今にして思えば、この頃にもう少しこうした列車を撮っておけば良かったと思わずにはいられない。(駅長)







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2011年7月13日 (水)

【アーカイブス】北勢線 補足

 電車運転士さんから34年前の北勢線の写真が載せられたので、それに関連した写真を2点お目にかけたい。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

 まずは、電車運転士さんが撮られたのと同じ昭和52年に撮影した北勢線のカラー。場所は楚原~上笠田間の定番の場所である。

 この時には、三岐鉄道とあわせて撮影に行っているので、まだ、他のカラーもあると思うが、とりあえずスキャンしているのは一番良いと思われるこの写真だけである。

 残念ながら、藤原岳がもうひとつクリアでないし、右側の線路もすこし欠けてしまっている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 もうひとつは、北勢線名物200形連接車の電動車時代である。場所は、現在の西桑名駅のところで、当時はもう少し町中寄りに駅があった。

 残念なことに、この頃の北勢線は関西線のD51のついでに写したこの写真1枚だけである。旧西桑名の駅など、撮っていれば良かったのであるが、これもいつもながらの無い物ねだりである。(駅長)



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99.34年前の北勢線 1977/8/15

 ここ最近、三岐線と掛け持ちで北勢線を訪れる機会が多くなっていますが、時代は遡って34年前、近鉄時代の北勢線をご紹介したいと思います。高校2年生のこの時はお盆でこちらの地区に帰省している時でしたが、数少ないナローということでふらりと日帰り鉄に出かけたものと思われます。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 北勢線は初体験でしたので、ロケハンがてらとりあえず終点の阿下喜まで乗車、そこからポイントを探しながら西桑名方向に戻るといった行動をとりました。線路沿いに歩いていると次の下り列車が通過する時間となったので、とりあえずここで1本稼ぎました。小さな車体には不釣り合いな大きなパンタグラフを高々と上げて、車体を揺らしながらトレーラー1両を従えたモニが終点の阿下喜に向かうこう配を下ってきました。なお、ひとつ手前の六石は効率化のため、現在は廃止されています。

【1977年8月15日 六石~阿下喜】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 定番ポイントの鉄橋をトレーラー2両を従えたモニがノンビリと渡って行きます。ここの風景は今でもほとんど変わっていません。トレーラーには運転台がなかったため、モニが機関車のような役割をしており、それぞれの終点では毎回モニの機回しが行われていました。

【1977年8月15日 上笠田~麻生田】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 田園地帯を行く北勢線の列車です。モノクロなのでわかりにくいと思いますが、緑1色の中を走るナローの電車には心が癒されました。

【1977年8月15日 上笠田~麻生田】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 楚原~麻生田間にあった上笠田です。ナローらしい雰囲気の漂う駅でしたが、三岐鉄道になってから効率化のために廃止されてしまいました。当時は閉そく方式も自動化されていなかったので、運転取扱い駅では通票の授受風景が見られました。

【1977年8月15日 上笠田】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 国道421号線の陸橋付近のポイントです。長閑な光景が広がっています。後方に廃止となった上笠田が見えています。

【1977年8月15日 楚原~上笠田】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 上の写真とほぼ同じポジションの今です。先日アップした写真の再掲です。電柱がコンクリートになり、田んぼが区画整理され、線路端に農道ができていますが、ありがたいことに雰囲気は大きく変わっていません。

【2011年7月2日 楚原~麻生田】(電車運転士)

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2011年7月10日 (日)

98.梅雨明け鉄(紀勢本線) 2011/7/9

 7月8日、東海地方が梅雨明けしました。例年より13日も早い梅雨明けということで、これから暑さも本番に入り、鉄活動には苦難の季節がやって来ました。巷では梅雨明け10日といわれますが、梅雨が明けてから10日間くらいは天気が安定することの例えとして使われる言葉です。紀勢本線はGWに一度出掛けていますが、イマイチ消化不良の面もあったので、天気予報を信じて未明に自宅を出発しました。




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 紀伊長島から多岐行の上り1番列車は一般色のキハ40が運用に入るという情報があったので、手始めにこれを三瀬谷近くの宮川鉄橋で待ちました。右側に高圧鉄塔があるのでこれ以上カメラを右には振れませんでした。


【2011年7月9日 三瀬谷~滝原】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 2089列車は途中の四日市で機関車を確認したら赤更新の889号機でした。残念ながら国鉄色とはいきませんでしたが、ウヤになることを思えば贅沢は言えません。GWの時は曇ってしまったので、水鏡は時期的に無理としても、とりあえずリベンジ達成です。


【2011年7月9日 阿曽~伊勢柏崎】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 2089列車は大内山と紀伊長島で若干の停車時分があるので、紀伊長島から先は10分ほど先行できます。線路から離れたポイントに行かなければ追っかけが可能です。GWの時は相賀の海バックの俯瞰ポイントで狙いましたが、結果がイマイチだったので、お手軽な那智黒ストレートで2回目をゲットしました。築堤の草が刈られていなかったので、足回りが隠れてしまいましたが、夏草の雰囲気が出てるということでお許しください。


【2011年7月9日 三野瀬~船津】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 2089列車撮影後は新鹿海岸へ移動しました。本格的な海のレジャーシーズンには少し早かったようですが、それでも暑さが続いているせいか、家族連れが一足早い海のレジャーを楽しんでいました。夏休みに入ると砂浜にはビーチパラソルが林立し、波打ち際は海で遊ぶレジャー客の姿が大勢見られ、これぞ夏本番といった写真を撮ることができるはずです。それにしてもここのエメラルドグリーンの海はいつ来ても心が癒されます。


【2011年7月9日 新鹿~波田須】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 新鹿海岸の後はこれまでだと波田須の定番ポイントに向かうことになりますが、この日はまだ撮ったことがないということで、熊野川鉄橋までさらに南下しました。もう少し高い位置から俯瞰できるポイントはないものか探してみましたが、残念ながら見つけることはできませんでした。結局、定番の上流に架かる国道の橋の上からのポジションになってしまいました。


【2011年7月9日 鵜殿~新宮】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 2088列車はGWの時には直前に曇ってしまった新鹿湾の俯瞰ポイントで狙うことにしました。視界もクリアで海の色もバッチリとなかなかお目にかかれない条件が目の前に広がっていましたが、そこには唖然とする光景が…。何と高速道路工事のクレーンが見事に線路を串刺しにしています。右と左のクレーンは何とかクリアできそうですが、真ん中のクレーンだけはどうしようもありません。今さら場所を移動するわけにもいかず、仕方なくクレーンとクレーンの間を抜く縦位置で列車を待ちました。




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ほぼ時間どおりに2088列車が新鹿に進入して来ました。GWの時よりは霞も少なくかなりいい条件です。このアングルはクレーンの影響は受けません。撮影後、海の方を見ると予想外の光景が…。


【2011年7月9日 新鹿~波田須】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 線路を串刺しにしていた真ん中のクレーンがお辞儀をし始め線路の下の方へと動き始めています。あわててカメラポジションを横位置にして、ズーム倍率の変更、ピントの合わせ直しと時間との競争でした。準備が整った時はDD51はすでに高架橋の上、何とかギリギリセーフでシャッターを押すことができました。天候・海の色など絶好の条件だったので、ホッと胸をなで下ろしました。こちらもGWのリベンジほぼ達成です。


【2011年7月9日 二木島~新鹿】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 帰る途中、荷坂峠まで来たところ上りの普通列車が撮れそうだったので、ちょっと寄り道しました。サミットの近くに展望スペースがあり、そこから荷坂峠に挑む紀勢本線の列車を手軽に撮ることができます。18時10分頃の通過でしたが、山深いこのポジションは陽の長い時期でも陰ってしまい露出的には厳しい条件でしたが、現像ソフトのおかげで何とか見れる状態になりました。


【2011年7月9日 梅ヶ谷~紀伊長島】(電車運転士)

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【アーカイブス】昭和48年お正月の神宮前

 近鉄の写真に引き続いて、同じ昭和48年の正月に撮影した名鉄神宮前駅の写真をご覧にいれたい。 


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 近鉄のネガの片隅(^^;)に1枚だけ写っていた写真である。勿論、神宮前は名古屋本線と常滑線のホームが別れていた時代である。多分、この写真をスナップ的に写して、その後に駅前の歩道橋で、名古屋市電と初詣の風景の撮影に向かったのだろう。


 ところで、この写真でよくわからない点がある。それは豊橋行きの列車と黒板書きの八百津行き列車の種別板が使われていないのである。また、豊橋行きの列車は、逆富士で行き先を持っているはずであるが、なぜか行き先板が使われている。

 座席指定の列車かと思ったが、座席指定なら系統板の上に「座席指定」の文字が入るはずなので、そうではないようだ。普通列車なら表示はしないが、まさか、この正月の時期に両方とも普通列車と言うことはありえないだろう。


 さて、これはどのような列車なのだろうか。なお、種別板は光線の関係で文字が見えないのではなく、拡大してみても文字が写っていないので、未表示かと思われる。(駅長)


 

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2011年7月 9日 (土)

おいでんかな!長良川鉄道  ・・・企画列車を追って・・・

おいでんかな =「ぜひ、お越しください」の意(長良川鉄道HPより)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

各地の第三セクターがいろいろな企画を掲げて活性化を図ろうと健闘しております。岐阜県内の3路線も例に洩れず、食堂車の連結を始めた明知鉄道、「モレラ号」運転体験講習会を催す樽見鉄道、そして今年はやけに企画列車の運行に気合が入っている長良川鉄道(以下“長鉄”)。詳しくはHPをご参照ください。



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昨年からGWとお盆に限り運転を始めた「臨時快速」は、基本的に1形式1両のナガラ201号車を限定運用。鉄ちゃんの心をくすぐる演出なのか、他の理由があるのか、調べるのがメンドーなので詳しくは知りません。



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終点・北濃までの道中は険しい峠もなく、清らかな長良川に沿った車窓と併せて、長鉄沿線には豊富な自然と、郡上地区の観光資源。遠方からの観光客を引き入れるための呼び水はいくらでもあるのだ~。サイクリング列車が企画できるのも、恵まれた沿線環境のおかげ。

写真は2011/07/09のサイクリング列車(最後部は定期列車)。見事な3色編成の登場~。



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子供たちを対象としたイベントも忘れません。小さな子に楽しく鉄道に乗ってもらうには、うってつけの企画。大人の世界ではビール列車が相当するのかな(→7月に2本あり)。



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かつて長鉄デビューの頃は、下呂温泉への団体客を乗せた直通臨時列車を仕立てて高山線に乗り入れていました。まさに定期列車では味わえない団体列車ならではの設定でしたが、今でも企画すればけっこうウケるのではないかな、と考えてみたものの現実はそう甘くないか?いや、それよりも、すでに線路がJRと切り離されてしまったので直通運転はもはや不可能・・・。

写真は長鉄と80系の高山線上麻生駅での離合シーン、夢のような競演。(1987年2月)



様々な企画列車の運行をする事情の裏には、利用客の減少に歯止めがかからないため、少しでも多くの方に乗っていただいて深刻な事態から脱出したい一心という長鉄の切なる願いがこめられているのではないかと思います。いつも車で出掛けてタダで写真を撮らせていただいているお礼に、たまにはビール片手に「乗り鉄」する余裕も持ちたいものです。


PS:最新形式車両500形のうち、帯をまとったアズキ塗装車は2両。帯の色は、501号が水色(サイクリング列車の2両目)で、502号が青色(七夕列車の先頭車)というトリビア。→実は最近知ったのだ。 (出札掛)





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2011年7月 8日 (金)

【アーカイブス】続・緑の弾丸-昭和48年の近鉄旧型車(1)

 昭和45年に撮影した近鉄の旧型車は、まったくと言って良いほど関心を持っていただけなかったが、それにめげず、しつこくその続きをご覧にいれたい。

 さて、今回、ご紹介するのは、前回から3年後の昭和48年のお正月である。なぜか理由は忘れたが、この時に近鉄の旧型車を撮影に行っている。(1)としたのは、当然、(2)があるからである。

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 これは益生と伊勢朝日の間の朝明川鉄橋を渡る名古屋線の急行である。なんと、昭和25年に3両だけ製造された特急車モ6401形が名古屋方に2両も連結された豪華?編成である。


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 これは、その反対の桑名側。モ6331形は、6301形の戦後バージョンであるが、ゆるやかにカーブした前面など、その面影を留めている。パンタが架線柱にかかっているのはご愛敬である。(^^;)


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 続いて長島の弥富方での撮影。先頭のク6571形は、モ6421形特急車の制御車として昭和28年に製造されており、この編成は6421形中心としたかつての名古屋線特急車で組成されている。この日は養老山系が綺麗見えているので、望遠で撮れば良かったと思うが、残念ながら中版カメラで撮影しているので、当時は標準レンズしか持っていなかった。


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 これは、その反対側。モ2227形を3両も連結した大阪線の特急車編成である。長島では、その数年前に蒸機を撮影しているが、こうやって改めてみると近鉄を撮影するにも絶好の場所であった。

 しかし、これらの撮影はすべて中版カメラでおこなっており、ネガを見ると旧型車両だけ撮影している。35mmカメラを使って、これ以外の車両も撮影していれば、さらにいえばコダクロームⅡを使っていればもっと良かったのであるが、まあ、これはいつもながらの無いものねだり、というものだろう。ブローニー版のネガの状態は極めて良いので大伸ばしも可能であるが、いまさらそのような機会はないのが残念である。


 最後に朝明川で撮ったおまけ写真を1枚。もっとも関心を持たれるのがこの写真かもしれない。ただ、当時は国鉄気動車は撮影対象外(蒸機を待っているときに来たら撮る)であったので、キハ81はほとんど撮影していないのが残念である。(駅長)


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2011年7月 6日 (水)

【アーカイブス】お堀の電車時代の瀬戸線 4

 それでは、瀬戸線がお堀を走っていた頃の写真の最終回として、喜多山と尾張瀬戸の写真をご覧にいれよう。


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 まずは喜多山の検車区である。諸般の事情から、つい最近まで検車区の建物が残っていたこともあり、なんらかの思い出のある方も多いのではないだろうか。


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 検車区の横で撮影したク2191。後に御嵩・八百津線となった東美鉄道の車両である。


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 瀬戸市役所前をすぎて、尾張瀬戸に向かうモ900形の急行。天気が良かったようで、軒先に洗濯物が干してある。当時はこんなところに洗濯物を干していたが、ブレーキシューの影響はなかったのだろうか。


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 このカーブを曲がると尾張瀬戸の終点。陶磁器を運ぶためか、貨物側線が名古屋方に長く伸びていたようだ。


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 終点の尾張瀬戸は、特徴ある駅舎やホーム全面にかかる屋根など、小私鉄の終着駅らしい好ましい雰囲気が漂っていた。ここにも夜間泊まりの乗務員の布団が干してある。


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 尾張瀬戸に並ぶク2320形の急行とク2190形の普通。左側のホームからは、ホームの先端をまわって外に出た覚えがあるが、残念ながら、東側からホームを撮影していない。


 瀬戸線の600V車が無くなってから、すでに35年以上が経っている。鉄の猛者であるこのブログのメンバーの中にも、瀬戸線の600V時代を知らない人が半分近くを占めていることはちょっと意外であった。

 昇圧後に入線した車両の廃車が囁かれるこの頃である。 「せとでん」の時代は遠くなりにけり、なのだろうか。(駅長)






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2011年7月 4日 (月)

97.梅雨の中休み鉄2011 2011/7/2・3

 先週末、甲種のネタ列車が運転されたこともあって、ブログメンバーの皆様方は各方面でご活躍されているようで何よりです。今年は6月下旬頃から暑さが厳しくなり、30日には113系(年)振りに6月の名古屋の最高気温が更新されるなど、一体どうなっちゃってるのって感じです。炎天下でお目当ての列車をじっと待ったり、ある時は蚊や蜂をはじめとする昆虫類の襲撃を受けたり、またある時は足元に蛇などの爬虫類がいたりと、鉄活動には厳しい季節となりました。そんなことなら冷房の効いた部屋でじっくりと身体を休めていればいいものをやはり休日のなると鉄の虫が疼き出し、結局暑い中でもレールのあるところへ向かってしまう悲しい性はどうしようもありません。

 7月2・3日は曇り予報だったので、晴れれば逆光になってしまう竹村の蓮にでも行こうかと考えておりましたが、朝起きると予報に反して天気は回復傾向、急遽、予定をしばらくごぶさたしていた三岐鉄道沿線に変更しました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 まずは早朝の下り貨物列車を定番ポイントでゲットしました。稲が成長してグリーンカーペット状態になっているのを期待しましたが、どうやら今年の西側は麦が植えられていたみたいで、刈り取りの終わったこの時期は晩秋の田んぼのような状態になっていました。

【2011年7月2日 三里~丹生川】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この日は梅雨時にしては空気が乾いていたのか鈴鹿の山々が割とはっきりに見えていたので、朝明川の鉄橋へ向かいました。山頂付近の雲がもう少しきれいだったら夏らしい雰囲気がもっと出せたのにと感じました。

【2011年7月2日 保々~北勢中央公園口】(電車運転士)



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 毎度のことながら北勢線とも掛け持ちです。3連アーチ橋と並んで北勢線の定番鉄橋です。陽の長いこの時期は早朝限定ですが、東側からも良好な光線状態で撮影が可能です。

【2011年7月2日 楚原~麻生田】(電車運転士)



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 国道421号線の陸橋付近からの俯瞰ポイントです。ここも陽の長い時期の朝でないと順光にはなりません。昨年までは2・3年続けて麦畑となっておましたが、今年は稲が植えられて思惑どおりグリーンカーペット状態になっていました。

【2011年7月2日 楚原~麻生田】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 昼過ぎからは西側からが光線状態がよくなります。一面の田んぼの緑が爽やかな印象を与えてくれます。入道雲がいい感じで湧き上がってきたので、夏らしいカットが撮れるかと気合を入れて待ちましたが、刻々と形が変わる入道雲、列車通過直前に雲の形が崩れてしまいました。

【2011年7月2日 楚原~麻生田】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 7月2日の午後、青川鉄橋で貨物列車を撮ろうとロケハンしていたところ、鉄橋近くにいい感じの堰堤を発見しました。ただ、堰堤は線路の東側、午後は逆光になってしまうため、近日中のリベンジを誓いました。ということで、翌日、朝起きたら予報に反して天気はまずまず、先延ばしにするとチャンスを逃してしまいそうだったので、スクランブル発進となりました。光線のいい時間に上下の貨物列車のスジがあったので、運休にならないことを祈りつつ列車を待ちました。現地はプチ飯島~伊那本郷といった感じで、蒸し暑い中でしたが、一服の清涼感を感じることができました。

【2011年7月3日 丹生川~伊勢治田】(電車運転士)



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 ここは引きがないので広角が必要ですが、アングルを変えていろんな角度から撮ることができました。上りに続いて下りの貨物列車も姿を見せてくれて一発でリベンジ完了です。いつもは1回では決まることの方が少なく、脱力感を感じることの方が多いのですが、たまにはこういうことがあってもいいですよね。この後、家族運用が入っていたため、たまたま開館日だった丹生川の貨物鉄道博物館を少し覗いてから三岐鉄道を後にしました。

【2011年7月3日 丹生川~伊勢治田】(電車運転士)


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2011年7月 3日 (日)

JR東海213系甲種車両輸送を追って

日の長いこの季節、早朝に運転される列車を狙おう、とはこの稼業の常識ですが、タイトルの列車は全7回あり、今回が4回目?になると思いますが、天気予報を見ると晴れそうだったので、午後からは仕事なのも顧みず出かけました。想像通り、d51826na様も木曽川・岐阜間におられました。出札掛様もニアミスのようでしたが、気が付かず失礼しました。同所は出札掛様がアップされておりますので、その後追っかけていった場所をアップさせていただきます。


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600円おごって木曽川ICから関ヶ原ICまで高速を使い、柏原・近江長岡間の旧線?の築堤跡へ。以前来た時と違って雑草が鬱蒼と茂っており、登るのに一苦労しましたが、どうにか登りました。直前に117系8連の3202Fが上って行きました。さらに西へ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


伊吹山バックの定番撮影地は網などが張られ、かなり撮りにくい状況になっており、どうせ曇って伊吹も見えなかったので、別な場所へ行けばよかったのですが、迷っていたら時間が無くなり、失敗でした。

同業者から米原(操)でも撮れると聞いて、時間も余裕があることだし行ってみました。ちょっと撮りにくい位置でしたが、ちょうど近江鉄道車が来たので、一緒に撮ってみました。


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さらに彦根方面へと車を走らせ、ごみ処理場(東北部浄化センター)の南へ。このセンターの東海道線を挟んだ西側に公園があり、駐車場、公衆トイレも完備されていて、まさに撮影地にはいい場所です。 ここには20人ほどの同業者が集まっておりました。

この後、R306経由でいなべへ抜け、休止から復旧した三岐鉄道の貨物列車を3本撮って仕事に向いました。暑かったですねぇ、少々バテました。(検査掛)

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竹村の蓮 近況

 電車運転士さんが報告された竹村の蓮は、これまで撮りに行くタイミングがなかなかなかったのですが、今日、豊田に用をつくって撮影に行って来ました。

 電車で現地に到着したのは7時半頃。すでに花は開いており、これを目的にしたカメラマンも3グループほど来て、カメラを構えていました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 電車運転士さんの撮影された1週間前と比べると、花が少なく、ちょっと盛りを過ぎた感じです。今日は薄曇りを期待していったのですが、現地に着くとどんどん天気が良くなり、ちょっと影がきつくなってしまいました。晴れて文句を言ってはいけませんので、我慢して撮影です。


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 この場所は、後ろに鉄塔が2本有り、それをどう処理するか、がポイントです。ちょうど50mmでうまく抜くことが出来ますが、広角で蓮を強調するのも良いかもしれません。

 なお、時間が過ぎると、蓮の花を見に来る方が増えますので、人を入れたくない場合は早朝の方が良さそうです。


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 目的の場所まで、まだ少々時間あるため、上挙母で降りて、愛環鉄道を狙います。新豊田~三河豊田のシャトル便は、本来は平日しか運転しないのですが、ご存じの状況で休日も運転しているので、この機会に狙ってみました。


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 時間も10時を過ぎたので、目的の場所に。ここから愛環の電車が綺麗に撮れるのですね。こうしたことは行ってみないとわかりません。

 本来の目的であったスポッティングも20をカウントすることができ、ついでに図書館に寄って買うと高い海外の年鑑の最新版をコピーして帰ってきました。(^_^)

 実質、半日でしたが、久々に時間を有効に使うことができました。(駅長)

 




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2011年7月 2日 (土)

【アーカイブス】お堀の電車時代の瀬戸線 3

 40年前の瀬戸線にタイムスリップの旅を続けることにしよう。今回は、大曽根と矢田川である。


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 おお、調子に乗って、タイムマシンの設定を間違えて、80年前の戦前にタイムスリップをしてしまったようだ。


 と、いうのは勿論冗談であるが、そういっても不思議ではない雰囲気がこの写真にはある。少なくとも、この写真を撮影したのが昭和40年代後半とは思えないだろう。今は無き大曽根商店街のアーケードも昭和30年代の雰囲気がたっぷりで、この一角だけは時代の流れが止まったままのような感じを受けたものである。


 この写真の撮影は、昭和47年5月。704は、翌年の3700形の入線に伴い揖斐線に移っていった。


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 大曽根といえば、国鉄からの貨車を継走するデキ200がヌシであった。しかし、この写真は2両写っているけれど、2両使用だったのかな?さて、故障の時はどうしたのだろう。チラリと写っているワフ70がなんとも懐かしい。この車両こそ形式を撮らなければいけなかったのであるが、残念ながら撮影していない。


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 これは大曽根駅の南側。車両はお好みのク2220形である。


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 これは大曽根の北で、中央線をアンダークロスするところ。雨が降ると、ここに水が溜まって、よく不通になった。


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 本来は、矢田の鉄橋を撮っていないといけないのであるが、なぜかこの鉄橋は撮らずじまい。その後、昇圧の時にも撮っておらず、なぜか縁がなかった。

 これは、その先で矢田川鉄橋に架かる手前のカーブである。


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 最後に矢田川鉄橋の写真を1枚。このアングルで撮ると、40年前も今も、まったく変わっていないのではないかと思われる。しかし、流線型の車両は、サイドから撮ると特徴があって良いですねぇ。


 次は終点尾張瀬戸の様子をご紹介したい。(駅長)






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朝練と国鉄色

梅雨明けでもないのに、東海地方は早くも猛暑日の連続。ふ~暑い!どうなっとるんですか!


毎度のことですが、この暑さでは鉄活動も滞りがちになってしまいます。が、ネタ列車に釣られて早朝に出かけると、気温はそれほど高くなく、道路も空いているし、日中と比べてコントラストも良く、ついでに早朝限定列車も撮れるので、この時期の朝練は気合が入ります。ただ、思いがけないところに朝散歩の人々や農作業の車が現れるので、それをいかにかわすかが課題であります。



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7月2日(土)早朝は、さっそくのネタ到来。神領区の213系2本が小改造されるべく甲種輸送で近畿車輛に運ばれました。夏の早朝限定順光となる東海道線木曽川付近は6:30頃の通過。天気は予報に反してほぼ快晴。国鉄色をまとったPFが充当されたこともあり、早朝にもかかわらず同業者も多めでした。


天気が良さそうなので、この後高山線長森付近へと車を走らせました。うまくいけば某サイトの情報どおり国鉄色のキハ40系がやってくるはずです。高山線岐阜口の朝は比較的キハ40系の運用が多いので国鉄色を狙うには効率も良く、夏の朝練にも格好の的。



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この日は運良く(いや、情報どおり)キハ48と40の2両を目にすることができました。キハ48は国鉄色2両で1ユニットを組成していたのに、なぜか最近ユニットが解消され、それぞれが東海色の車両とペアを組んでいます。よって国鉄色に出会える確立が増えたことで撮影チャンスも増えたのはいいことですが、やっぱり国鉄色同士のほうが“自然”です。武豊線電化までは少なくとも現状維持されると思うので、そんなに一生懸命にならなくてもいいものを、「撮れるときに撮る」鉄則を忘れると後で痛い目にあいますよね?

時計を見るとまだam8:20。117系の快速運用5504Fまで粘ろうかと思っていたが、かなり気温が上昇してきたので次の機会にしよう、と帰宅しました。目撃情報によると当該列車は国鉄色S11編成が先頭だったとか・・・。あ~あ、さっそく痛い目に遭ってしまった。チャンスはまだあるさ、と慰め・・・・。


今月21日には参宮線全通100周年で、キハ40系の国鉄色車両が記念列車に充てられます。そして10月には高山本線全通77周年を向かえるのですが、JR東海様、何か企てているのでしょうか?(出札掛)



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2011年7月 1日 (金)

【アーカイブス】お堀の電車時代の瀬戸線 2

 それでは、お堀の電車時代の写真の続きとして、大津町~土居下間をご覧にいれよう。


 この区間には半径60mという急カーブがあり、サンチャインカーブと呼ばれていた。サンチャインとは3チェーン(66フィート、約60m)がなまったものという。この急カーブを曲がるところがお堀の電車のもうひとつの見せ場であった。

 しかし、今回、写真を見ていて、致命的な問題点があることに気がついた。それは大津町(前回も含めれば堀川も)の駅舎や構内の写真を1枚も撮っていないことである。これには2つの大きな理由がある。ひとつは、撮影の対象が車両中心で駅舎にはあまり興味がなかったこと、もうひとつはこれら駅の駅前や構内が狭く、広角レンズがないと撮りづらかったためである。

 とはいえ、ちゃんとそれらを撮っていらっしゃる方もいるので、今にして思えば単なる視野狭窄以外の何ものでもない。リンクを張って頂いている津島軽便堂写真館さんのHPには、小生が撮影していないそうした写真が載せられているので、関心をお持ちの方はぜひご覧頂きたい。


  http://tsushima-keibendo.a.la9.jp/


 さて、いまさら無い物ねだりをしてもしょうがないので、順番に写真をご覧にいれよう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まずは大津町を出て、サンチャインカーブにかかる3700系の特急である。3700系は、昭和48年8月に本線から移ってきて、ク2220形やモ700形などの旧型車を駆逐した。それら駆逐された車両の一部が今度は揖斐線に移って、モ180形やモ400形を廃車に追い込むのである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 さて、これがサンチャインカーブ。よくこんなところを電車が走っていた、といまさらながら思う。後ろの家並みは、栄乗り入れ後、しばらくして撤去された。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 このカーブの南側には、樅のような木があり、当時は手前に木を入れて撮影することが流行っていたことから、それを入れて撮影している。今にして思えば、ちょっとうるさくて、失敗だったかもしれない。この写真は昭和47年5月の撮影で、喜多山折り返しが750の単行だった時代である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 サンチャインカーブの北には、お堀の中のSカーブがあった。どうやってこの場所まで行ったか記憶がないが、そこでも撮影している。この頃の瀬戸線では、3700系がえらく立派に見えたものである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 現在の東大手駅のあたりで、清水橋の上から撮影している。後ろに見えるのが、旧土居下駅である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これは少し時代がさかのぼり、昭和47年5月の撮影である。気のせいか、周囲の風景もより田舎っぽく見える。これが昭和40年代後半に、日本3番目の大都市の市役所から徒歩3分の距離の場所で撮影した写真とは、ちょっと思えないだろう。こうやってみると、当時の瀬戸線は超一級の被写体であった。いつもながらのことであるが、もう少し押さえておけば・・・と改めて思ってしまう。

 次回は大曽根駅と矢田川のあたりをご紹介したい。(駅長)

 















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