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2011年6月

2011年6月29日 (水)

【アーカイブス】お堀の電車時代の瀬戸線 1

 このところ、アーカイブスの紹介も名古屋以外の場所が続いたので、久しぶりに名古屋の鉄道情景をご紹介したい。

 今回ご紹介するのは、皆さん、よくご存じのこの光景である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 名古屋城の外堀を走っていた頃の名鉄瀬戸線である。以前、桜の時期の写真をご紹介したが、今回はもう少し時代が下り、廃止直前の昭和51年正月の撮影である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは堀川駅。この段階では、貨物ホームはすでに駐車場になっていた。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、国道22号の新御園橋と本町橋の間である。前に750形の単行を撮影したのと同じ場所と思う。ネガを見返してみると、この頃には堀川まで700形や750形は入っておらず、いずれも900形の準急ばかりである。3700形が入線して、旧型車が一掃されたためだろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは本町橋のガントレットを抜ける尾張瀬戸行き準急。すでにこの時点で、白帯を無くしたスカーレット一色の塗装が出ていたようだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最後にもう1枚、本町橋とガントレットの写真を。こちらは、陸軍のマークといわれる星をデザインした欄干を入れて撮影している。ガントレットをクローズアップした最初のカットと、欄干を入れたこのカットのどちらがお好みだろうか。


 次回は、サンチャインカーブから土居下に至る区間をご紹介したい。(駅長)




 




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2011年6月28日 (火)

【アーカイブス】田村~米原間交直接続

 北陸本線の田村駅といえば、近年は長浜近郊のローカル駅という位置づけでしかないが、同線が交流電化されてしばらくの間は、直流電化であった米原駅との間でここで機関車を変えて接続を行っており、重要な運行上の拠点であった。米原との間は、かつてはE10やD50といった蒸気機関車、その後はDD50などのDLが使われ、試作機関車の最後の活躍の舞台ともなっていた。


 この米原の交直接続の機関車を撮影するために、最初に訪れたのは昭和43年9月であった。多分、ヨンサントウといわれるダイヤの改正で、蒸機が無くなる、という話を聞いて訪問したのだろう。どのような形で行ったのかわからないが、鉄道撮影を目的とした最初期の遠出であったことは間違いない。但し、この時に撮影したネガは行方不明である。もっとも、プログラムシャッターのハーフサイズカメラ、キャノン・デミでの撮影なので、完全に動態ブレしており、ネガが残っていても使い物にはならないであろう。


 次にここを訪れるのは、昭和48年の夏であった。北陸に行くついでに立ち寄ったのだろう。米原はしらさぎで何度も通っているが、実際にここで降りて撮影したのは2~3回しかない。DD50はともかく、田村までの客車列車を牽いているED70は、さほど珍しい機関車ではなく、あまり撮影する気がおきなかったのが原因だろう。今にして思えば、わずかな枚数であるが、ここの交直接続を良く撮ったと褒めるべきなのか、なぜ、もう少し撮影しなかったのか、と悔やむべきなのか、難しいところである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 さて、これが当時の田村駅のシーン。ホームの位置は変わっていないが、中線が撤去された今となっては、機関車が何両も停まっていて、随分賑やかな印象を受ける。

 通過するのは、ボンネットの雷鳥である。この少し後に湖西線が開業して、米原回りの雷鳥自体も過去のものとなってしまった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この頃、交直の境は田村の南にあったので、交流機関車はいずれも田村で交換した。田村まで客車を牽いてきたEF70が側線に逃げると・・・・


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 機関車がDE10に変わって米原に向かう。残念ながら、機関車はDD50ではない。当時の写真を見ると、米原で休車の姿が見られるが、夏の間は動いていないことが多かったのだろうか?


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 電車化されて間もない白鳥が通過していく。なぜかヘッドマークは紙貼りである。先頭車が1500番代のせいか?


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 続いては583系で運行されていたしらさぎ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この時は、ここから客車列車で敦賀に向かったようだ。どうやらEF70とED70の重連の牽引だったようである。今から見れば、垂涎の的のような列車であるが、当時はごく普通の存在で興味を引くほどの対象ではなかった。

 先に書いたように、ここのヌシであったDD50はこの時には撮影していないが、4ヶ月前に米原を訪れたときに撮影している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは米原を通過する北陸線への貨物。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 こちらは米原に到着する客車列車。いまでは米原駅の配線も大幅に変更されているので、こうしたカットも貴重な記録かもしれない。(駅長)





 




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2011年6月26日 (日)

【アーカイブス】列車で海水浴に行った頃

 先回、ロクイチ旧客のタイトルで、留萌本線の海水浴臨を紹介したが、スキャンをしていたら羽越線の海水浴臨の写真が見つかったので、ご紹介しよう。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 さて、この写真であるが、実は場所がさっぱりわからない。多分、羽越線の今川(元信号所)ではないかと思うのであるが、確証が持てない。撮影は73年8月で、北海道に行く途中に立ち寄っていることは間違いないのであるが、なぜここで降りたのか、さっぱり思い出せない。どうも、認知症の初期症状が発症しているのではないかと危惧される。

 

 ネガを見れば、前後のコマからある程度判別が付いて、思い出すきっかけとなるのであるが、この前のコマは越後交通、後のコマは日高本線の様似であり、脈絡がまったくない。この頃、35mmはカメラバックに入れていても、メモ的に使うだけで、ほとんど撮影しなかったので、余計前後関係がわかりにくくなっている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 それはさておき、わずか4両程度しか停まれないと思われる短いホームに、乗客が鈴なりになっている。羽越本線の今川のあたりなので、列車本数自体が少ないから、集中してしまうのであろう。それにしても、今から見れば、驚くほどの乗客の数である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 なぜか、この列車に限って列車名を撮影している。どうやら、長岡から笹川流れへの海水浴臨時急行らしい。急行、ということなので、当時の時刻表を調べれば、列車の時間などもわかると思われるが、まだ調べていない。しかし、長岡からなら羽越筋に行かずとも、鯨波に行った方が近いような気がするのだが・・。


 この頃、夏になると、結構、さまざまな海水浴臨が走っていたように記憶する。

 鯨波といえば、高崎あたりから海水浴臨があったはずだ。名古屋からでも、若狭の海に「エメラルド」などと名付けられた列車が走っていた。探せば、どこかに写真があるはずである。こうした海水浴臨、いつ頃まで走っていたのだろうか?(駅長)

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96.梅雨花鉄2011 2011/6/26

 今年はまだ6月というのに猛暑日を記録するなど、真夏のような日が続いています。今からこんな調子では節電が叫ばれている今年の夏はどうなっちゃうのか先が思いやられます。6月も終わりに近くになり、竹村の蓮花のことを思い出し、様子を見がてら現地を訪れてみました。さらに、紫陽花もいけるのではないかということで、竹村の後、蒲郡線へも転戦してみました。梅雨時の代表的な2種類の花の様子をご紹介します。





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 現地到着は6時ちょっと過ぎ、時間が早すぎて蓮の花はまだ閉じたままでした。6時半過ぎに開き始めて7時くらいには完全に開くはずですが、一抹の不安がよぎります。結果はご覧のとおり、時間を正確に測ったように6時半を過ぎたあたりから徐々に開花が始まり、7時頃には見事な淡いピンク色の花を咲かせました。どうやって時間を感じているのかはわかりませんが、何か神秘的な感じがしました。蓮の個々の花の寿命は3日間程度ということですが、蕾がたくさん出ており、後1週間くらいは幽玄な蓮の花が楽しめるものと思われます。


【2011年6月26日 竹村~土橋】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 縦位置だとこんな感じになります。ここの蓮は線路の西側にあるため、蓮が綺麗に開く朝方は完全逆光になってしまうので、曇か雨の方が雰囲気が出せるかもしれません。


【2011年6月26日 竹村~土橋】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 竹村で2時間ほど粘った後は紫陽花を求めて蒲郡線へ転戦しました。こどもの国には紫陽花が植えられていますが、以前から植えられていたぼんぼりタイプの紫陽花は寿命を迎えてしまったのか、額紫陽花が主力になってしまいました。


【2011年6月26日 こどもの国】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 こどもの国の紫陽花がハズレ気味だったため、沿線に紫陽花がないかロケハンしたところ畑の中に比較的大きな株を発見、ちょっと苦しいアングルになりましたが、何とかごまかすことができました。もう1週間遅早ければ花の色がもっと鮮やかだったんだろうなと思うと若干の悔いが残ります。


【2011年6月26日 こどもの国~東幡豆】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 さらに紫陽花を求めて沿線をウロウロしてみました。西幡豆の構内に割とボリュームのある額紫陽花がありました。アングル的に苦しい条件だったので、あれこれ試してみましたが、結局、少し離れて思い切って望遠で引っ張ってみました。これが精一杯って感じでしょうか…。メンバーの皆様でM社沿線のの紫陽花ポイントをご存知の方がお見えでしたらご教授いただければ幸いです。


【2011年6月26日 西幡豆】(電車運転士)

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C61復活記念 付属編成

遅くなりましたが、6月19日の報告をさせて頂きます。


同行のお二人に全て任せっきりの撮影行だったこともあり、今さら、という感じですが・・・。

まずは敷島・津久田間の俯瞰ですが、いかんせんポール、ビームがうるさく、立ち位置がかなり制約される場所だったので、3時間半の待ちは長かったですが、早く行って正解でした。というわけで、電車運転士様の5mほど後方の位置でのショットです。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


後ろについてくる旧客をすこしでも写したくこの位置にしたのですが、3両がやっとでした。駅長様のご指摘にもあったように、高崎支社内のポールにはカラフルな帯?が巻いてあり、それは何とか避けられました。

その後は、電車運転士様のおかげで、諏訪峡でもう1カット撮ることができました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


ここでも、川の流れを入れて、右上の道路の車をカットすることだけに集中して撮りましたが、カーブでポール間が短く、C61のテンダがかかってしまいました。この後、水上駅での撮影会に臨みましたが、どうやって撮っていいのかわからず仕舞でした。

撮影会の最中に、新潟色の115系2両が到着したので、数少ないこの区間の列車(折り返しの1741M)を撮るべく、二人と別れて徒歩で湯檜曽方面に向かったのですが、構内を出ると、橋、トンネル、橋、となっていて、下り列車を撮るところがなかなかなく、発車時刻ギリギリになんとか撮れそうな山腹を見つけて汗だくで登りました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


ケーブルがざっくり横切っていますが、その時は全くわかりませんでした。

手前の上り線は、この橋の左手にある踏切から撮れそうでした。この日はこの後183系の回送があったのですが、出札掛様からその時刻を聞いたのが、駅に戻ってからで、後の祭りとなりました。何度も経験済みなのですが、やはり他力本願ではいけませんねぇ。反省しきり・・・。


何はともあれ、電車運転士様、出札掛様ありがとうございました。再履修や新企画がありましたらよろしくお願いします。(検査係)


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2011年6月25日 (土)

C61 20復活記念 上越線SL撮影ツアー

電車運転士様からすでに報告がありましたとおり、6月18日の夜からC61+旧客編成を狙うべく夜行日帰りの強行撮影ツアーを挙行しました。詳しくは電車運転士様の記事に委ねることにしましょう。


今回は5地点でC61と対面することができました。


「敷島~津久田・上安城地区俯瞰 9735レ」

「はなぶさ」に集まる仲間たち

現地到着は7:30頃で、置きゲバもぼちぼち。SL通過まで3時間半の間、やぶ蚊との戦いが始まりました。通過15分ほど前から追っかけ組が次々と現れ、割と長閑だった撮影地が活気付きます。この場所ではツアー参加者3名とも少しずつ異なる立ち位置で撮影しました。比べてみてください。


「水上手前・諏訪峡大橋俯瞰 9735レ」

「はなぶさ」に集まる仲間たち

一発目を撮影後、高速道で先回りをし、無難で確実に足場を確保できそうな諏訪峡大橋にはSL通過20分ほど前に余裕で到着。下り列車最後の追っかけ場所&風光明媚の人気スポットだけに、けっこう賑わいます。


「水上駅構内・機回し作業」

「はなぶさ」に集まる仲間たち


「はなぶさ」に集まる仲間たち

続いて水上駅構内の転車台と整備線にてSL見学。整備後は上り列車に連結準備の14:30頃まで留置されます。黒の質感がお分かりいただけるでしょうか??


「水上発車 9736レ」

「はなぶさ」に集まる仲間たち

上り列車は下り勾配のため煙の期待は出来ない&動くのが面倒&発車直後で煙の期待、ということで、よく見るシーンの「水上発車」を狙います。


「榛名富士バック 9736レ」

「はなぶさ」に集まる仲間たち

水上で撮影後は行けるところまで追いかけてみよう、と高速道に乗ろうとしたら事故渋滞のせいで渋川20分停車の追い抜きも微妙。「渋川伊香保」インターにほど近い撮影地を目指すも、かなり際どい時間。インターを降りたものの撮影地を目指していてはSLに間に合いそうもなかったので、目的地直前の交差点で線路の見える方向に進路変更、見通しの利く場所に車を停め1分後に当該列車が現れました。1信号遅かったらアウト。どうにか山も見え、晴れると逆光になるため曇ってくれたのが幸い、と都合いい理由をつけておきましょう。


夕方の高速道は1,000円割引最終日だけに都心部方面行きは大渋滞。こちらは群馬から長野へ向かう逆方向なので渋滞の列を横目にスムーズな帰り道でした。とはいえ、名古屋からはさすがに遠いです。お試しください。(有能ナビゲーター:出札掛)




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2011年6月23日 (木)

95.復活C61に参戦(2号車) 2011/6/19

 先日、水上で折返し時の整備風景などのスナップをアップさせていただきましたが、今回はC61の走りをご紹介いたします。せっかく高崎付近まで来たということで、高崎線内で「あけぼの」を撮影後、上越線へ転戦しました。




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 「あけぼの」は神保原~新町の定番ポイントで狙いました。晴れれば正面に朝日が綺麗にあたりますが、この日は残念ながら曇り空に加えて霧も出ているといった厳しい条件でした。機関車も双頭連結器装備ではない一般仕様の1053号機でした。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 「あけぼの」撮影後は本命のC61に転戦です。これまで上越線の蒸機撮影は経験がなかったため、どこで撮ったらいいのか迷う状況でしたが、追っかけ前提で失敗してドツボにハマるよりは無理しない方がいいということで、各種撮影ガイドを頼りに近いところから攻めてみることにしました。まず、敷島~津久田でトンネルの上から俯瞰気味に撮れるポイントに立ち寄りましたが、まだ人数に余裕があったのとそれなりに撮れそうな感じだったので、下手に移動して場所探しに右往左往する状況は避けたかったということもあり、1本目はこのポジションで粘ることにしました。待つこと3時間半、汽笛の音もなく、いきなり小気味よいブラスト音が聞こえたと思ったら結構な速度で走り去って行きました。さすが急客機の走りと言ってしまえばそれまでですが、待った割にはあっけない結果に終わってしまったといった感じでした。

【2011年6月19日 敷島~津久田】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 カメラ2台対応でしたので、同じポジションからの横位置です。煙は少し薄いかなって感じでしたが、スカではなかったので、こんなものかと自分自身を納得させました。

【2011年6月19日 敷島~津久田】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 とりあえず、1本は撮れたということで、ダメ元でC61を追っかけました。結局大事をとって諏訪峡まで車を走らせました。定番の諏訪峡大橋上のポイントですが、十分余裕がありました。まあまあの煙を吐いてC61が姿を現しました。


【2011年6月19日 上牧~水上】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 前画像と同じポジションで足元を行くC61を縦位置でもゲット。ちょっと電線がうるさい感じですが、同じポジションで雰囲気の違う2カットを撮ることができました。


【2011年6月19日 上牧~水上】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 水上でのスナップ撮影後、上りのC61はどこで撮ろうかということになりましたが、下りに比べて煙を吐くポイントが極端に少なく、まだ場所的にも余裕がありそうだったので、軟弱は承知の上で水上の発車を狙いました。風で煙が右へ流されてしまい、微妙な感じになってしまいました。


【2011年6月19日 水上】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 同じポジションでの横位置カットです。右へ流れずにもう少し濃い煙が出てくれればよかったのですが、こればっかりは運を天に任せるほかはありませんでした。


【2011年6月19日 水上】(電車運転士)




 この後も行けるところまで行ってみようと追っかけを試みましたが、高速は事故渋滞で×だったので、一般道に変更しましたが、こちらも交通量が多くて各所で渋滞、結局、間に合ったのは八木原~渋川、しかも時間的に超ギリギリでした。撮影ポジションに向かってダッシュしている最中にC61が来てしまい、あわててシャッターを押しましたが、お見せできるようなカットは撮れませんでした。今回、初めて上越線の蒸機撮影に行きましたが、何となく全体の雰囲気がわかりましたので、次回はポイント選びと現地の移動がもう少し効率的にできると思います。その時は再度お付き合いいただければ幸いです。


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2011年6月21日 (火)

【アーカイブス】レアもの(^^&#59;) 知られざるロクイチ旧客

 電車運転士さんたちが、遠路はるばる上越線まで撮影に行かれたように、今、趣味界で最も話題を提供しているのがC61の復活であることは間違いないだろう。特にかつての蒸機の現役時代を知っている年輩のファンにとっては感涙ものはずである。かくいう小生もC6120は現地で見ているので、格別の思い入れがある。今回、都合により「はなぶさ」のメンバーの方々に同行しての撮影はかなわなかったが、機会を見つけてなるべく早く撮影に行きたいと思っている。


 そこで、今回はC61の旧客運転にちなんで、知られざるロクイチ旧客の写真を紹介したい。レアもの(^^;)などと刺激的なタイトルとしたのは、多分、このロクイチ旧客を撮影したファンは、ほとんどいないと思われるからだ。


 ところで、ロクイチ旧客と書けば、多くの読者の方は、EF5861の牽く旧型客車を想像されるであろう。しかし、ここでご紹介するのは、EF5861ではない。では、EF61やC61が旧客を牽く写真かと言えば、これらはけしてレアものとはいえない。


 少々、もったいぶってしまったが、今回ご紹介するのは、このロクイチ旧客である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 ロクイチ、といっても「C61」ではなく「D61」である。同じロクイチでも、「C」と「D」、あるいは「EF」がつくのとは随分イメージが違う。「C61」はハドソンとして、車両限界の最大限近いボイラーを装備してなかなか格好良いし、迫力もある。しかし、「D61」は外観を見る限り、ほとんどD51である。

 しかも、製造両数(改造数)はわずか6両で、活躍したのも北海道の中で最果てに近い羽幌線や留萌線といったローカル線である。数が少ないことから希少価値があるものの、それを除けば機関車自体が地味であり、人気も限られているのである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 キューロクの置き換えを図るため、昭和34年にD51から改造されたD61は、名古屋周辺で試運転を行った後、すぐに北海道に移され、前記路線で運用された。これら路線で牽いたのは、石炭列車である。こうしたことから、これら路線でD61が客車を牽く機会は、(多分)ほとんど無かったはずである。このため、D61の客車列車の写真は極めて珍しく、確かにほとんど写真を見たことがない。故にレアものなのである。

 長々と講釈を述べるのは、そうでもしないとこの写真のレアさが、わかっていただけないと思われるからである。(^^;)


 では、この(デ)ロクイチ客車は、なぜ運転されたのだろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは同じ日に、恵比島で撮影したDE15の牽くヘッドマーク付き旧客列車。今にして思えば、除雪用のDE15が客車を牽くこの写真もかなりレアものかもしれない。

 この列車には「かもめ」のマークが付いている。これでおわかりいただけるだろうか。

 そう、この列車は、北海道の短い夏にわずかな期間だけ運転される海水浴列車なのだ。このあたりでは、増毛に海水浴場があるはずなので、旭川とか深川あたりの人を増毛まで運ぶために運転されたのだろう。D61の牽く客車もおなじ海水浴臨である。

 しかし、これらの列車、客車の両数が如何にも長い。海水浴に鉄道で行った最後の頃だったのだろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最後に、D61旧客のカラーをご覧にいれたい。場所は留萌線の峠下から恵比島への登りで、撮影は昭和47年7月である。(駅長)

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2011年6月20日 (月)

94.復活C61に参戦(1号車) 2011/6/19

 6月から始まったC61の復活運転の話題がメディア上を賑わせてています。とくに、6月18・19・25・26日はHMなしの運転が予告されていましたので、検査掛様・出札掛様と一緒に夜行日帰りという強行軍でしたが、C61の復活運転に参戦するべく上越路を目指しました。名古屋から水上は直線距離にすれば東京とそんなに変わらないものの、車で行こうとすると中央道→長野道→上信越道→関越道とかなりの大回りを強いられることになり、往復で約950キロの道のりとなりました。検査掛様・出札掛様、大変お疲れさまでした。


 走行写真はお二人もアップされることと思いますので、今回は走行写真ではなく、折り返しの水上でのスナップをご紹介したいと思います。水上には駅の北側に転車台と石炭の燃えガラを処理するピットが設置されていますが、安全に見学できるスペースが用意されており、転車台での転向・機関車の整備・給水・石炭の掻き寄せ・燃えガラの処理などの蒸機特有の作業の一部始終を安全に見学できます。蒸機の整備は現代の車両と違って、多くの人の手間が必要で、水上での作業を見ているとなかなか興味あるシーンが展開されていましたので、その一部をご紹介したいと思います。





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 機関車は水上に到着するとすぐに客車から切り離され、入換を行って転車台に乗ります。作業員と機関士が転向作業前の打ち合わせを行っています。


【2011年6月19日 水上】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 転車台を回転させて機関車の向きを変えます。水上の転車台は上路式の比較的大型のものですが、さすがにハドソン機のC61が乗るとギリギリ一杯の大きさでした。


【2011年6月19日 水上】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 転車台で向きを変えた後は隣にあるピット線に移動します。入換信号機がないので、操車掛が旗で誘導します。正面をよく見ると6月の復活運転からナンバープレートの取り付け位置が微妙に上方に変更されています。これで、より現役当時の姿に近づいたのではないでしょうか。


【2011年6月19日 水上】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 ピット線に到着すると、点検ハンマーでの打音検査・各部への注油・灰落としなどの作業が行われます。地上係員と機関助士が入念に足回りの点検を行っています。


【2011年6月19日 水上】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 点検作業が終了すると、機関車を少しバックさせ、落とした石炭の燃えガラの後片付け作業が始まります。現役蒸気時代はどこの機関区でもこのようなシーンが見られたことと思います。大げさなようですが、21世紀になっても機関車をバックにこのような何となく心温まるシーンが撮れることに幸せを感じました。


【2011年6月19日 水上】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 作業が終わると、しばらくこの位置で待機します。まさに威風堂々といった感じがします。今回の復活C61を見て思ったことですが、塗装が単に黒ペンキを塗ったテカテカな感じではなく、艶消し風の磨き出しといった感じが出ていて、余分な色差しが行われいないことも相まって、とてもいい雰囲気が醸し出されていると思いました。


【2011年6月19日 水上】(電車運転士)


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復元なった阪堺モ161に乗る

 阪堺電軌といえば、LRT計画の中止や堺市内の路線存続など先行きが心配になる話題が多かったが、反面、近年は堺市内から天王寺への直通運転の復活や運賃の均一化をはじめとする利用促進策など、積極的な展開も見られるようになった。この結果、昨年度の乗車人員は若干増加したという。よろこばしいことである。

 そうした中、こんどは昭和3年製とわが国でもっとも古い現役稼働車輌であるモ161形を、昭和40年代の姿に復元する、というニュースが飛び込んできた。そのお披露目は、12日に開催された路面電車まつりであったが、19日に貸し切り運行と撮影会を行うということでお誘いを受け、早速、乗車してきた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これが、復元竣工なったモ161である。復元はかなり芸が細かく、塗装だけなく、金属部分は磨き出され、入り口には羽根車の南海の社紋も取り付けられている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これは反対側から見た構図。なかなかシックである。


 モ161形の緑塗装は見ていないが、緑一色の車体に扉部分を茶色とした塗色は記憶がある。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは昭和49年に撮影した同じ塗色のモ205形。当時はそれほどとは思わなかったが、今、改めてみてみると、実に落ち着いた良い塗色である。というより、今は奇をてらった受け狙いの塗色が多すぎるのであろう。

 こうした塗色をレトロ、といってしまえば確かにその通りであるが、時代を超えてこうした電車に似つかわしい塗色ともいえるのではないか。じっくり見てみると、如何にも美しい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 車内も素晴らしい。ニス塗りの部分は塗装をはがして、ニスが塗り直されており、モケットも変えられ、金属部分は磨き出されている。木製の床や壁と言えば、薄汚れて古い、という印象が強いが、それはあくまでメンテナンスがされていなかっただけで、こうやってきちんと整備すれば、木の持ち味が活かされて、落ち着いた空間になることが再認識できた。まるで、欧州の保存車を見ているようである。


 今回の貸し切り運転は途中乗降も可能で、撮影にも配慮されていることから、沿線で走行シーンも撮影した。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まずは新今宮駅のホームから、通天閣をバックに回送シーンを撮影する。電線がうるさいが、他に撮れる場所がないので、お許しをいただきたい


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 ついで、貸し切り電車を北天下茶屋の専用軌道区間で撮影して、ここから乗車。車庫での撮影会に向かった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 貸し切り車に併走して、なんとミゼットが登場。貸し切り電車を企画したグループのメンバーとのことだが、まさに「三丁目の夕日」の世界そのものである。残念なのは、電車に乗っていて、オート三輪とのコラボが撮れなかったことである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 撮影会の後は浜寺公園まで一往復乗車し、我孫子町で先行して住吉公園に向かう。住吉大社をバックにモ161の走りを狙うが、緑バックのアングルは緑の車体にはあまりふさわしくはなかったかもしれない。しかし、雰囲気はここが一番である。

 モ161は、原則、団体用であるが、正月輸送には車両の絶対数が足りないことから、運用にはいることも予想される。また、正月の阪堺詣でを繰り返すことになりそうだ。


 最後に、ここまで綺麗にモ161を整備して頂いた阪堺電軌の方々と、貸し切り運転を企画して頂いた幹事の方々に謝辞を申し上げたい。


 なお、車掌長氏の投稿で、写真が800ピクセルでも掲出可能であることがわかったので、今回は横のサイズを800ピクセルとしてみた。一番上の写真だけは700ピクセルである。随分、大きく感じるので、今後は800ピクセルを標準としたいが、いかがであろうか。(駅長)


 




 


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2011年6月17日 (金)

93.播但線のDD54(竹田界隈)

 6月10日アップ分で、生野峠を行くDD54をご紹介させていただきましたが、今回は峠を越えたさらにその先、竹田界隈で撮った写真をアップします。これでDD54ネタはおそらく最後になるだろうと思いますので、お付き合いいただければ幸いです。竹田界隈は田園風景が中心となりますが、日本海側の気候となりますので、冬には積雪もあり、雪景色の中を行くDD54を撮影することができました。積雪期に訪れたのは1回だけでしたが、その他、あるネタ列車があって9月にも足を運んでいます。




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 雪景色の中を快走する下り「はまかぜ」です。基本は6両ですが、カニシーズン真っ只中ということでこの日は9両に増結されていました。6両だと物足りなさを感じましたが、9両ともなると特急としての見栄えがします。


【1977年1月30日 青倉~竹田】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 ポジションを変え、上りの貨物列車を待ちました。竹田城址をバックにDD54の貨物列車がゆっくりとした速度でやって来ました。城址の頂上に登れば下り列車の俯瞰ができるのではということが頭の中をよぎりましたが、雪道ということとこのポジションから見た限りではかなりの体力が入りそうだったので、さすがに断念しました。


【1977年1月30日 青倉~竹田】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 下りの貨物列車は雪景色を広く入れたいと思い、適当な棚田を見つけてとりあえず登ってみることにしました。このポジションに到着した時は雪も止んでいて視界も良好でしたが、奥の方に怪しげな雪雲が現れ、ヤバい状況になりつつありましたが、何とか雪景色の中を行くDD54を撮ることができました。


【1977年1月30日 青倉~竹田】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 冒頭でご紹介したネタ列車がこれです。情報の入手経路は忘れてしまいましたが、生野に疎開留置されていたDD54の廃車回送です。ガセネタでないことを信じて現地に向かった記憶があります。この時は記録できただけで満足していましたが、後から思うとアングルを工夫してDD54の3重連風にまとめられたのではないかと少しだけ後悔がありました。


【1977年9月18日 青倉~竹田】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 廃車回送を撮影後は竹田に戻り、上り列車のタブレット授受シーンを狙うことにしました。客車の編成が長くDD54がホームから飛び出して停車するため、実際は停車ですが、通過授受のようなシーンとなりました。自分としては結構いいタイミングでシャッターを押すことができたと思っています。


【1977年9月18日 竹田】(電車運転士)


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2011年6月16日 (木)

【アーカイブス】駅撮りを馬鹿にするなかれ

 今月発売の鉄道雑誌の車輌紹介は、常磐線に投入される新しい特急車、E657系で埋め尽くされることだろう。常磐線なので、列車名は「ひたち」を付けられることになるのだろうか。

 そういえば、昔むかし、「ひたち」と名の付く列車を撮っていたことを思いだした。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 そう、はつかり仕業から降りたキハ81を転用した列車が、この「ひたち」と羽越線経由の「いなほ」であった。

 このシーンの次には、こんなカットが写っている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ボンネットの出会い、というと貴重なシーンに思えるが、考えてみたら、この頃の特急は82系をのぞけば、皆、ボンネットスタイルであった。

 とはいえ、キハ81と48X系の出会うのは上野だけなので、その意味では貴重なシーンといえる。


 こうした駅撮りは、ガキんちょファンの頃はよくやるが、段々、長じてくると、馬鹿にして撮らなくなってくる。しかし、こうしたシーンを見ると、駅でも馬鹿にせずに撮っておかなければあかんなぁ、と思わずにはいられない。


 さて、この時は、大学に入って初めて北海道に行く途中であった。このあと、贅沢にも「みちのく」に乗り、青函を深夜便で渡って、翌日は森のあたりでD52を撮影している。しかし、この間のネガには何も写っていない。乗った「みちのく」すら撮影していない。多分、この時はキハ81狙いでカメラを出して、ついでにその近くに停まっている特急を撮影しただけなのだろう。いつもの話で恐縮であるが、やはりどんな状況でも、撮れるものは撮っておかなければアカンなあ、と思う。


 この時の続きのネガには、こんな写真も写っている。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 寝台車といえば、当時でももうほとんど軽量客車になっていたが、これは戦前製のスハネ30である。撮影した駅はわからないが、多分、小樽~帯広(釧路かも)間の夜行普通(のちのからまつ)に連結していた客車であると思う。この客車をしっかり写していると言うことは、この頃でもかなり珍しかったのだろう。ベッドが狭く、かなり寝心地は悪かったと思うが、話の種に一度乗っておけば良かったと思う。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 もうひとつは、最北の稚内駅に停まるDD14。多分、DD14なんて機関車は、この時以外に撮っていないのではないか。稚内の駅も、今は貨物の姿はなく、ホームも1本だけで、すっかり雰囲気が変わっている、という。

 駅撮り、といえども、時間が経つと、貴重な写真になっている、という一例をご覧にいれた。(駅長)






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古き良き時代

初めてアップさせていただきます。うまくゆきましたらこれから少しづつ参加させていただきます。(車掌長)

「はなぶさ」に集まる仲間たち-懐かしのなまず


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2011年6月13日 (月)

【アーカイブス】部品即売会-北鉄能登線

 名鉄最後の部品即売会が、25日に犬山で開催されるという。7000系が無くなってしまえば、逆富士の行き先板は勿論のこと、方向板も無くなってしまうのだから、もう売るものが無くなってしまった、ということなのだろう。廃車の部品にしても、最近の車輌ではめぼしいものも少ないのではないか。

 さて、こうした鉄道部品の即売会は、今に始まったことではない。特に、廃線の時には、廃品の処分を兼ねて行われたことが多かったと思う。しかし、今ほど鉄道部品に対する関心は高くなかったので、あまり売れ行きは良くなかった、と記憶する。

 今回は、先にお見せした北陸鉄道能登線の廃止にあわせて行われた部品販売会を紹介する。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 まずは、走りの写真を1枚。これは35mmのネガからスキャンしているので、望遠レンズでの撮影である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 さて、廃止の当日、羽咋駅では鉄道用品の販売会が行われた。タブレットの機械も売りに出されているようだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 販売された部品は、この通り。パンチ、鞄、古切符、レール文鎮などがある。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この鉄道では、日露戦争でぶんどった、といわれるロシア製のレールが使われていた。ここのレールは、廃線後に明治村に持ってきたはずである。

 しかし、レールを輪切りにしても、ロシア製ということがわかるのかな?


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 売っていたものは、こんなもの。欲しいもの、ありますか?


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最後に走りをもう1枚。これも柴垣のあたりかと思う。能登線は、本当に景色の良い路線であった。(駅長)




 

 

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2011年6月12日 (日)

不健康

すでに駅長様、電車運転士様がレポされたとおり、ニ週連続で週末に名鉄工臨が運転されました。

出動は12日(日)。神宮前発9001レから撮ろうとすると自宅を朝4時過ぎに出なければ間に合わない。しかし普段の週末どおり、つい夜更かしをしてしまい3時間足らずの睡眠はちょっとしんどいです。ただ、日曜の早朝だけに名古屋市内の道路は信じられないくらいガラガラなので、運転のストレスもなく目的地には快適に到着。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


「はなぶさ」に集まる仲間たち

曇天ですが、夏至の時期だからこそ撮影可能となる区間で待ち構えました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

あまり天気も良くないので、無理に遠出をせず撤収。帰り道ついでにJR東海道線庄内川に寄り道をし、夏季限定の朝練対象白ホキ5580レを撮影。なんだか短いですね。日曜日はこんなものですか?



「はなぶさ」に集まる仲間たち

もう少し粘って、今度は流し撮りを試みようとスタンバイしていたら、ボックスシート仕様の211系がやってきました。サイドからの撮影は足回りが隠れてしまいます。逆方向に走る新幹線が被写体を引き立たせてくれました。


自宅に戻り、昼食後は猛烈な眠気が襲いかかり、2時間の大昼寝。夕方遅く目を覚ましてロクに何もせず、早くも夕食タイム。いかん、むちゃくちゃ不健康状態。やっぱりしんどいです。(出札掛:取り急ぎ報告まで)


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92.曇った日はデキ流し 2011/6/12

 今週末(6/11・12)は両日とも9004列車が運転されるという情報をいだたいておりましたので、絶好のチャンスとばかり、出動体制をとっていました。しかし、11日は雨のため出動はパス、12日も雨予報でしたが、とりあえず朝起きるだけ起きてみたら雨は何とか降らなそうだったので、とりあえず少しだけ参戦してきました。今シーズンもコンスタントにデキ工臨は運転されているものの、運転日になると天候が悪くなり、出動できるチャンスが少ないように思えます。駅長様のブログを拝見したところニアミスだったようで、大変失礼いたしました。




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 現地に到着したら天候は回復するはずもなく、しっかりとドン曇り、植えられた稲も伸びきって水鏡も無理という状況だったので、晴れた日はもったいなくて試す勇気のなかった流し撮りにダメもとで挑戦してみました。デキ工臨は速度が遅いので、線路から離れた位置で望遠で狙いましたが、シャッター位置が微妙に早すぎて車体で電柱を隠すことができなかったのと、もっと遅いシャッター速度で流し撮り効果を出すべきだったということで、次回の宿題ができてしまいました。


【2011年6月12日 富士松~豊明】(電車運転士)

 

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続けての工臨撮影

  先週のチキ回送で、今シーズン、もう一度くらい工臨を撮りたいな、と書いたら、また日曜日に行くと良いよ、という天の声が聞こえてきました。さて、問題は天気。天気予報は、ずーっと雨でほとんど諦めていたら、前日になぜか日曜の午前中は雨も降らなさそうな予報に変わっているではありませんか。これは行くしかない、と目覚ましをセットして、先週に続いて朝練です。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まずは、先週に続いて沢上の跨線橋に。先週ほどではないですが、数人の同業者がいます。手持ちで三脚の間から狙います。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 撮影後、すぐにクルマをスタートさせ、名古屋高速に乗ります。さて、どこで狙うか・・・天気は曇りだし・・・ということで、思いついたのが一ツ木の森バック。ここは晴れたときには影になってしまうので、撮れません。誰しも考えることは同じのようで、撮影地に着いたら、もう数人の同業者がカメラを構えていました。

 高速を走ってきたので、ここでは余裕で撮影です。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 さて、この後、どうするか。この工臨は新安城で5分ほど停まります。早朝であり、クルマも少ないので、駄目もとで追っかけてみることにしました。

 撮影は、定番の新安城~宇頭の跨線橋で狙うことにして、クルマを走らせると、無理をしなくても新安城で追い抜くことが出来ました。クルマを停めて、跨線橋に向かうと、もう向こうからやってきます。なんとか間に合いました。

 この時期、デジカメなら曇ったら曇ったなりの構図で撮影できるので、まだ探せば撮影場所はありそうです。でも、今度は晴れたときに撮りたいな。(駅長)






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2011年6月11日 (土)

撮影教室

数多く撮影された諸先輩方の若かりし頃の力作がアップされるたびに、自分の過去の写真は、どうしてこんなに面白くない画像なんだろう、と落胆ばかり。その原因のひとつが“日の丸写真”。


撮りたいものをファインダーのド真中に置いてシャッターを切る、という単純な撮り方でも、主題と副題がはっきりしていれば(もちろん例外もありますが)まだマシなのかもしれませんが、主題のみが画面の中央にド~ンと置かれただけの写真は、イマイチ面白みに欠けるまさに日の丸写真。

被写体のメインをファインダーの中心から少し外すことで効果的な表現が得られるわけですが、先日来の電車運転士様の画像を拝見して、すでに高校1年の頃からそのようなフレーミング法を取得されて実践しているのには、ただ感服するばかり。自分の場合は大学生になってもそうした撮影技法など思いつくはずがなく、日の丸写真のオンパレード。


そんな取り返しのつかない画像をいくつかピックアップしてみました。(すみません、実は、たまたまスキャンして見つけただけなのですが。)撮影はいずれも1983年2月末。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

懐かしの「くりでん」。単コロを正面がちに200mmで引っ張った日の丸写真。後方に見える茅葺屋根にもう少し目を向けていたら、もっと工夫した撮り方をしていたかも。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

これこそ、もっとカメラを上に向ければよかったものを、なぜ真中に機関車を置くのかな~?シャッターチャンスまでも外してしまい、中途半端な結果。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

地吹雪の中から現れた津軽線ローカルを、意味もなくこれまた正面がちに200mmでドカン。


某カメラ販社で定期的に開かれている写真教室の事務局にお勤めの方がいらっしゃいます。話をお聞きすると、ときどき屋外での撮影会(教室)で参加者を引率する業務がある、とのことですが、たまに鉄道写真もテーマに取り入れているらしく、そんなときは参加者と一緒になって“撮り鉄”し放題とか。まさしく仕事と趣味が両立できてうらやましい限りです。一度、お忍びで参加者に混じってしまいましょうか。何かを得ることが出来るかもしれません。(努力×2 出札掛)


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【アーカイブス】緑の弾丸-近鉄の旧型車

 このところ国鉄ものが続いたので、今回は地元の電車を取り上げたい。

 ご紹介するのは、近鉄の旧型車である。しかし、近鉄はあまり縁があるとはいえず、加えて優先度が蒸機や路面電車に比べて低かったことから、ほとんど撮影していない。しかし、今、改めて見てみると、意外に貴重なものが写っている。当時は、ありふれていてカメラを向けることは少なかったが、今にして思えば勿体ないことをしたと思う。まあ、いつもながらの話で、今更反省してもどうしようもないのであるが・・・。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 さて、最初にお見せするのは近鉄6301形である。昭和13年の関西急行電鉄(現在の近鉄の前身のひとつ)の名古屋延長に際して新造された17m級車輌で、その俊足と緑の塗装から「緑の弾丸」と称された。製造は日本車輌で、なんとなく名鉄の800形に似た印象がある。

 しかし、この写真、改めて見たら、何とすべて電動車である。後ろの形式は判然としないが、さて、どんな音を立てて走ったのであろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 続いて、伊勢電デハニ231形のなれの果て、養老線時代のクニ6480形である。昭和5年の日車の製造であるが、こうやって改めて見てみると、愛電のデハ3300形と名鉄のモ800形を足して2で割ったような外観である。名古屋の電車は、会社が変わっても日車の車体デザインの流れを受け継いでいるのだろう。

 ところで、この写真の撮影は昭和46年である。今回、調べてみるとこの頃に名古屋線から養老線に転属したようで、ちょうど転属した直後の撮影だったかもしれない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 近鉄の旧型車からもう1枚。6331形である。これは、戦後の復興に際して製造されたもので、運輸省規格型ではなく、戦前に製造された6311形の設計で製造されているはずである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 しかし、近鉄の旧型車といえば、参宮急行の2200形にとどめを刺す。名古屋線の改軌後は、伊勢方面の急行に使われていた。

 これは、多分、伊勢中川で撮影した2200形の出会い。右側は青山を越えて名張へ向かうローカルである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最後にとっておきの2200形のカラー。撮影は昭和48年に江戸橋である。2200形の急行といっても、先頭に2200新(2227以降)が入る場合も多かったので、こうした2200旧が先頭の写真はあまり撮れなかった。編成中、2200新が2両入って編成美が崩れているが、2200級ばかりの編成はまったくと言って良いほど見られなかったので、これでも良しとしなければならない。(駅長)






 

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2011年6月10日 (金)

91.播但線のDD54(生野峠)

 前回のDD54から少し間が空きましたが、今回は播但線のハイライトとなる生野峠をご紹介したいと思います。「またDD54か」とおっしゃらずに、どうかもう少しお付き合いいただければ幸いです。C57の峠越えで有名だった生野越えですが、C57が引退してからそんなに時間が経っていない時期ということもあってか、同業者の姿を見ることはほとんどなく、いつ行ってものんびり・まったりと撮影できました。さすがに、播但線のハイライト区間ということで、ポジションは豊富で、いろいろな角度からDD54の撮影を楽しむことができました。




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 初めて生野峠を訪れたのは高校1年生だった1976年の秋でした。まずは、有名な大カーブを行くキハ82系の「はまかぜ」です。現地に到着したときは川霧が立ち込め、見通しが効かない状態でしたが、「はまかぜ」通過の頃には何とか消えてくれたので助かりました。


【1976年11月3日 長谷~生野】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 最初のDD54はどこで撮ろうか場所を探していたところ、深山幽谷っぽい雰囲気のポジションがあったので、1本目はここで撮影することにしました。シャッターのタイミングがトンネル飛び出し直後の一発勝負ということで、他事に気を取られてシャッターチャンスを逃さないように、通過の数分前からファインダーをのぞきっぱなしの状態を維持しなければなりませんでした。集中してシャッターを押したつもりでしたが、タイミングが微妙に早く、機関車の後部が木にかかってしまいました。


【1976年11月3日 長谷~生野】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 朝のうちに上下の客車列車・下りの貨物列車が行った後は昼過ぎまでDD54の列車は来ないため、「但馬」やローカル気動車を撮りながら生野方面へと向かいました。途中、渓谷が美しいポジションがあったので、ここで上りの貨物列車を待ちました。せせらぎの音しか聞こえないのんびりとした時間が過ぎる中、秋の柔らかな日差しを浴びながら貨物列車がゆっくりと通り過ぎて行きました。


【1976年11月3日 長谷~生野】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 生野峠2回目の訪問は、翌年(1977年)のゴールデンウィークでした。この日は朝から快晴、絶好の鉄日和だったのに加えて、山肌の木々の新緑が目にしみるすがすがしい1日でした。朝の下り客車列車が峠を登って来ましたが、山深い雰囲気を強調するため、思い切って画面上方に山を入れたアングルで撮ってみました。


【1977年5月3日 長谷~生野】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 この日はゴールデンウィーク中の最繁忙期ということで、DD54+12系客車の臨時「但馬」が運転されていました。山の中腹に鉄橋を俯瞰できるポジションが見つかりました。DD54の赤、12系客車の青、木々の緑といった見事なコントラストが今でも印象に残っています。多少無理な投資をしてでも、このシーンだけはカラーで撮るべきだったと後悔しています。


【1977年5月3日 長谷~生野】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 同じ年の夏、長谷~生野だけではなく峠の助走区間となる寺前~長谷にもよさそうなポジションがありそうだったので、寺前から長谷方面に向かっていると山の中腹に木が伐採された直後の斜面が見えたので、登ってみることにしました。手前のハエタタキが目障りですが、暑さの中、別のポジションを探す元気もなく、ここで妥協してしまいました。


【1977年7月24日 寺前~長谷】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 DD54の引退の噂が聞かれるようになった初秋にも生野峠に足を運んでいます。播但線にもDD51が進出し始めた頃でした。大カーブの生野寄りのトンネル上から俯瞰ができないものかと挑戦してみましたが、思ったよりも木が邪魔して窮屈なアングルになってしまいそうだったので、結局、斜面に生えていた松の木によじ登って苦しい体勢で列車を待つはめになってしまいました。朝の下り客車列車を待ちましたが、山影から聴こえたエンジン音が何か変だと感じていたところ、姿を見せたのはDD51、DD54の引退へのカウントダウンが現実のものとなった瞬間でした。


【1977年10月10日 長谷~生野】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 次のDD54の列車だった下りの貨物列車を待っている間に来た8両のローカル列車です。単行や2両が当たり前の今なら、これだけでもネタ列車になりそうですが、当時はそんなに珍しくはない光景でした。ど真ん中にキニが入っていたり、6形式の気動車が入り乱れて組成され、一般型気動車の見本市みたいな編成だったので、思わずシャッターを押したものと記憶しています。


【1977年10月10日 長谷~生野】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 お目当ての下り貨物列車はどちらが来るか不安でいっぱいでしたが、幸いにもDD54の担当でした。周囲を山に囲まれた渓谷沿いをゆっくりとした足取りで峠越えに挑んでいます。この日を境にDD51の本格的な進出という辛い現実を受け入れざるを得ない状況になってしまいました。


【1977年10月10日 長谷~生野】(電車運転士)


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2011年6月 9日 (木)

【アーカイブス】高森線の混合列車

 南九州のDF50の写真を紹介したので、次は九州の中でも最もローカルムードにあふれた路線を紹介したい。現在は南阿蘇鉄道になっている高森線を走っていた混合列車である。混合列車とは、客車と貨物を連結して運行する列車のこと。蒸機の走るローカル線では、かつてはあちこちで見ることが出来たが、さすがに昭和40年代後半ともなると運行線区は限られていた。九州ではこの高森線が最後だったと思う。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 その高森線のハイライトであったのが、立野と長陽の間にある第1白川橋梁。水面からの高さは62mといわれ、高千穂線が開業するまでは、国鉄で最も高い鉄橋であった。高千穂線が第3セクター化の後、廃止となった後は、井川線の関の沢に続いて、わが国第2の高さの鉄橋のはずである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この白川第1橋梁は優雅なアーチ橋で、高さだけではなく、白川にかかるその姿も美しかった。建設にあたり、足場を駆けることが出来ず、両側から工事を進めるカンチレバー工法で建設されたわが国最初の鉄橋としても意義あるものらしい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 長陽を過ぎると、阿蘇のカルデラの南側を走る。これは終点の高森に近い場所であるが、阿蘇中岳の雄大なパノラマが広がる。真ん中からあがってる白い煙は、阿蘇の噴煙である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 上の写真とは、列車も場所も異なるが、すこしアングルを右に振ると、今度は根子岳の荒々しい山容を望むことができる。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 終点の高森では、機関車は切り離されて、駐泊所に入った。ここからも阿蘇の勇姿が望まれる。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは高森を発車する混合列車。後ろに根子岳が見える。こんなローカル線の駅でも、結構貨物があった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 撮影した昭和47年当時の高森線の列車本数は7往復。内、蒸機が5往復で2往復がディーゼルであった。当時から、こうしたローカル線の乗客は学生が主体であったが、今と比べると、いかにものんびりとした雰囲気が伺える。

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 このように高森線の景色は、数あるローカル線の中でも群を抜く素晴らしさであった。この風景は今も変わっていない、と思うが、この撮影以来、訪れたことはない。その後、高森線は南阿蘇鉄道になり、車輌は軽量気動車におきかわり、シーズンにはトロッコ列車も走っているようであるが、なかなか訪れるような動機付けがおきない。蒸機時代の印象が強すぎるためだろうか。(駅長)






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2011年6月 6日 (月)

【アーカイブス】日豊線 特急牽引のDF50 その2

 電車運転士さんが四国のDF50を載せられているのに乗じて、南九州は日豊線で特急牽引をしていたDF50の勇姿を再度、ご覧にいれたい。


 日豊線の宮崎電化以前、宮崎以南はD51が入線できず、客車は勿論、貨物も軽パシフィックのC55、C57が牽引し、蒸機ファンにとってはパシフィックの聖地とでもいうべき土地であった。それが最高潮に達したのが、昭和48年10月の改正で日南3号の宮崎~都城間の蒸機牽引である。翌49年4月までの7ヶ月間、どれほどの蒸機ファンを魅了したであろうか。


 そしてこの日南3号の露払いをつとめたのが、DF50牽引の富士である。また、日南3号は田野で大阪行きの彗星と行き違うという具合に、夕方の田野付近は写欲をかきたてられる列車が続々と通過するというゴールデン・タイムであった。


 この日南3号であるが、蒸機牽引期間中に10数回、撮影している。なぜ、こんなに撮影できたかと言えば、当時、大学紛争の名残で学校が封鎖され、休校になって授業がなかったからである。これは、まさに日南3号を撮影に行け、という天の啓示に思え、昭和48年の秋から冬にかけて九州に入り浸った。こうしたことから、自然にDF50の牽く富士や彗星の写真も増えていった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まずは有名な青井岳の鉄橋。駅から近くて絶好の撮影ポイントであったが、残念ながら撮影時点では、日南3号は陽が当たらなかったと思う。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 富士の前には、彗星が大阪に向けて青井岳を通過していった。少し前には、この青井岳で富士と彗星が行き違ったらしいが、残念ながら撮影時点では門石信号所に変わっていた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これは、門石信号場の手前の大カーブを回るところ。丘陵地帯を走る日豊線には俯瞰できる場所が数多くあった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは日南3号撮影のお立ち台のひとつである、清武と日向沓掛の間の低い築堤である。ここの写真はよく見る機会があるのではないか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 その築堤を内側から撮影したのが、このカット。ガチガチの順光で最高のカットのはずだが、なぜかこの角度では1日しか撮影していない。晴れていても、あえて半逆光で狙った日もあり、今にして思えば、もう1回くらい、このアングルで撮っておけば良かったと思う。(駅長)






 

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90.青い国 四国のDF50(2号車) 1977/8/9~10

 6月1日にアップした四国のDF50の続きです。この時の四国行脚は実質3日間のスケジュールでした。1日目は小歩危~大歩危が中心でしたが、2日目は斗賀野のホッパトレイン、3日目は穏やかな瀬戸内海沿いを行くDF50がターゲットとなりました。斗賀野のホッパトレインは斗賀野~多ノ郷に運転されていた石灰石輸送の列車です。斗賀野~吾桑には峠越えがあるため、必ずDF50の重連が先頭に立っていました。斗賀野から襟野々方向には専用線が伸びており、終点の石灰石の鉱山からセメント工場のある多ノ郷まで専用のホキ車によるピストン輸送が行われていました。瀬戸内海沿いのDF50は今でも定番撮影地となっている海岸寺~詫間で、次から次へとやって来る朝のDF50の通勤列車を撮影しました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 高松から乗った中村行の土讃夜行を早朝の多ノ郷で下車しました。吾桑方向を見ると峠につながる道路が上の方に見えたので、俯瞰ができないものか登ってみることにしました。思惑どおり、眼下には峠のトンネルに吸い込まれる線路が見え、遠くには斗賀野から先の専用線も見渡せました。しばらくすると石灰石を満載したホッパトレインがDF50の重連を先頭にゆっくりと築堤を登って来ました。

【1977年8月9日 斗賀野~吾桑】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 返しの列車は峠を降りて、線路端からトンネル飛び出しを狙いました。夏の強い日差しの中、ボン・ボン・ボンというズルツァー独特のエンジン音が聞こえ、夏草をかき分けるようにDF50が峠を下って行きました。斗賀野寄り先頭の65号機はズルツァー機関搭載のラストナンバー機です。

【1977年8月9日 斗賀野~吾桑】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 斗賀野まで戻ると上り「南風」の通過時間が近づいていたので、駅の襟野々寄りでゲットしました。四国の特急は運転区間が短いこともあって、キサシは連結されず、編成も6両が基本で、当時は他の地域の特急に比べて見劣りがしましたが、キハ181系の晩年は3両や4両が中心だったことを思うとこれでも十分見応えがあります。

【1977年8月9日 斗賀野】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 斗賀野から専用線の方に移動し、鉱山からやって来るホッパトレインを待ちました。手前の線路が土讃本線で、斗賀野から襟野々の中間地点くらいまで専用線が並行し、複線区間のような光景が見られました。多ノ郷寄りの先頭車は17号機で、四国生え抜きの機関車にもかかわらず、こちら側は四国特有の前面補強が施されていない異端児でした。

【1977年8月9日 土佐石灰工業専用線 大平山鉱山~斗賀野】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 先程の列車の斗賀野での発車待ち時間を利用して吾桑寄りに移動しました。腕木信号機がいい位置に建っていたので、これを絡めて撮影することにしました。斗賀野を発車したホッパトレインが峠に向かって猛然とダッシュしてきました。

【1977年8月9日 斗賀野~吾桑】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 再び専用線の方に戻り、急行「あしずり」を待ちました。小さいながらもヘッドマークが付いていると何の変哲もないキハ65の表情も引き締まって見えます。この頃はまだ線区別に色分けされたヘッドマークになる前で、極めてシンプルなデザインでした。

【1977年8月9日 襟野々~斗賀野】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 斗賀野のホッパトレインの翌日は瀬戸内海沿いのDF50を狙うべく、高松行の土讃夜行を多度津で降り、始発まで時間をつぶした後、海岸寺へ向かいました。朝の瀬戸内海は穏やかな表情を見せてくれていました。DF50の通勤通学列車が瀬戸内海を横目に高松を目指します。

【1977年8月10日 海岸寺~詫間】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 次の列車はポジションを少しずらして撮影しました。やって来る列車はDF50の客車列車ばかりといっても過言ではないほどで、今から思えば贅沢な時間が過ぎていました。

【1977年8月10日 海岸寺~詫間】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 最終日は午前中で四国を後にしなければならず、朝のDF50を撮影後、帰路につきました。高松で宇高連絡船に乗り換える合間に撮ったスナップです。8号機は量産車のトップナンバーで山陰からの転属組のため、前面補強も施されておらず、若番ということもあって、好ましい外観を維持していました。

【1977年8月10日 高松】(電車運転士)

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2011年6月 5日 (日)

消化不良


「2011年6月4日の早朝、名鉄本線豊明のほうに行きなさい」という神のお告げ。「いや、常滑線のほうに行きなさい。ただし大江以北で」という天の声。さらに「常滑線のほうが珍しいかもよ」と風の噂。ならば天の声に従うべく、夢遊病のごとく家をふら~りと出て、寝ぼけ眼で車のハンドルを握りしめ、気が付いたら朝5時過ぎに名鉄神宮前駅まで来ていました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

天の声が示す正体は、4月に舞木入場していたチキとデキ306が出場し、チキを常駐先の大江へ戻すための列車でした。舞木を前夜に出発し、神宮前で早朝までマルヨの後、金山でスイッチバックして常滑線に入ります。小手調べに神宮前を出たところで1ショット。ちょうど居合わせましたd51826na 様ほか5,6名と並んでの撮影。駅長様は金山の手前で陣取られ、そして電車運転士様は豊明方面に行かれたようですが、皆様早朝からご苦労さまでした。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

こんな時間なら道も空いているので、場所を変えて2ショット目を狙おうかと、常滑線豊田本町の近くに移動。晴れると時間的に建物の影が方々に現れる場所ですが、駅長様もご指摘のとおり、薄曇のおかげで影が出なかったのが幸いでした。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

ついでに、朝練向け貨物ネタを撮ろうと白ホキ5580レを向かえます。今年のダイヤ改正でカマはDD51の運用となったようですが、ここ最近はEF64の代走が続いています。何が来るかはお楽しみ、とファインダーを覗いたら、なんと希少な岡山色機が登場。しかし下り列車との素晴らしき見事な競演に「・・・・」。晴れたら側面がつぶれるので、曇ってくれたのが救いですが。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

電車運転士様が先日投稿された衣浦臨海の記事の余韻が残っているうちに、と白ホキを追いかけて衣浦臨海鉄道の碧南まで南下を決行。途中で武豊線のキハ75を今のうちに撮っておこう、と森岡の築堤に寄り道をしました。天気は薄曇ながらも、やや暗め。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

明石公園駐車場に車を置いて、衣浦臨海名物の白ホキ重連を待ちます。この場所は奥に見える歩道橋が目障りで、どうしてもかわし切れません。ならばその歩道橋で写せば済むことじゃないか、と後で気が付き「・・・・」。撮影後に立ち寄ってみると、縦位置でそれなりに収まる感じで、ますます後悔の念が強まり、再履修決定。しばらくして電車運転士様から連絡が入り、話を聞いてみると件の歩道橋で撮影をしていた、とのこと。あら、すみません、気が付きませんでした・・・(しかしよく見ると後ろ姿が写っている)。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

天気も晴れてきたことだし、そうだ、帰り道に名鉄河和線の名所、ツツジとサツキの撮影地・高横須賀~南加木屋を訪れてみようと車を走らせました。しかし着いてみると「・・・・」。予感はしていたものの、花はほとんど散り果て。6月だから無理もないか。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

せめて記念撮影だけでも、と30分ほどうろうろとして、ここもまた再履修を誓ってこの場を去りました。



名鉄デキの撮影は良しとしたものの、なんとなく消化不良の一日。「いつもうまくいくとは限らないよ」と仏様の教え。日々精進でございます。(出札掛)





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2011年6月 4日 (土)

89.朝の機関車鉄 2011/6/4

 早朝に運転される名鉄の工臨を撮影するにはもってこいの季節になりましたが、今年は例年に比べて梅雨入りが早く、5月末から6月の初旬にかけて頻繁に運転されたのにもかかわらず、運転日と天気が合わなくてストレスの連続でした。そんな中、6月4日は9001・9002列車(それもデキ300=チキ=デキ600のおいしい編成)と9005列車(デキ400=ホキ=デキ400のいつもの編成)の同時運転、天気も何とかなりそうだったので、駅長様と同様、朝練を実施してきました。。本当なら9001・9002列車狙いとしたかったのですが、こういう時に限って年に数回しかない夜業に当たってしまい、時間的に9001・9002列車は無理ということで、仕方なく9005列車の方に参戦してきました。その後は、前回の訪問で撮れなかった衣浦臨海のKE65重連貨物5570列車に転戦しました。





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 9005列車は運転区間が知立→豊明と短く、撮影ポイントが限られてしまいます。順光側は田んぼがあまりきれいな状態ではなかったので、4月の時には不気味な空模様で消化不良になってしまった逆光側に回りました。1年で陽が一番長いこの時期、5:40でも太陽が昇り切ってしまい綺麗な朝焼けとはなりませんでしたが、1枚だけ田植えが遅かった田んぼがあったので、逆光水鏡で何とか凌ぎました。


【2011年6月4日 富士松~豊明】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 9005列車撮影後、衣浦臨海へ向かいました。今回は下りの重連貨物5570狙いということで、高浜側にポジションを探しました。衣浦湾に架かる鉄橋ならという思いで現地に行ったところ、引きがほとんどなく、28mmでもアングル的に苦しい状況だったので、ここはあきらめざるを得ませんでした。その昔、駅長様が撮られたであろう高台は大きな工場が建っていて、一般人は入れない状態になっていました。車を少し南に走らせ、国道247号線沿いにある明石公園の歩道橋に移動しました。すぐ横を国道が走っているため、縦アングルの望遠引っ張り正面ドカンアングルですが、光線もまずまずで、それなりにまとめることができました。撮影後、碧南市へ移動しようと車を走らせていたら、出札掛様の姿をお見かけしましたので、どうやらニアミスしていたようです。貨物列車の時刻は5月18日アップ分をご参照いただければと思います。


【2011年6月4日 東浦~碧南市】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 碧南市に着きましたが、すでに転線入換は終わっており、先頭の機関車も機回しされて編成の東浦寄りに連結されていました。後方のセメントサイロのような設備を使って、積荷の炭酸カルシウムとフライアッシュの積替えなどが行われているようです。


【2011年6月4日 碧南市】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 後方の設備の全景を入れると、いかにも臨海鉄道っぽい雰囲気が感じられます。以前はさらに南の権現崎まで線路が伸びていましたが、現在は線路はめくられ、道路との交差部分の橋桁も撤去され、列車は走れない状態となっています。返しの上り貨物は家族運用の都合もあって断念、後ろ髪をひかれる思いで帰路につきました。


【2311年6月4日 碧南市】

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久々の工臨撮影

 情報通の方から、4月に舞木に入場したチキが出場すると聞き、早朝に眠い目をこすりながら、行ってきました。梅雨前のこの時期、こうした早朝の工事列車を撮影できる限られたチャンスなのですが、今年は梅雨入りが早く、なかなか天気や休みとのタイミングがうまくいきません。今回も心配したのですが、幸にも天気に恵まれ、珍しいチキの走りを写すことができました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 まずは、沢上の跨線橋へ。さすがに情報通の方が沢山いるようで、すでに良い場所は三脚で占領されています。やむをえず、その後ろから手持ちで撮影。後部のデキに信号がかかってしまいそうですが、まあ、許容範囲でしょう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 続いて、金山からの折り返しを少し南に下がったところで待ちます。珍しいデキ300の走りを撮影できました。

 この場所、完璧に晴れてしまうと影がうるさくなってしまうのですが、今日は薄い雲がかかった状態で、明るさはあるけれども影が出ない、というこの場所としては最高の条件でした。

 今シーズン、もう1度くらい、デキの走りを撮りたいものです。(駅長)



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2011年6月 1日 (水)

88.青い国 四国のDF50(1号車) 1977/8/7~8

 少し前に、駅長様が日豊本線で20系客車を牽引するDF50の雄姿をアップされていたので、場所を変えて、四国のDF50をご紹介したいと思います。高校2年の夏休みを利用して四国初上陸の計画を実行しました。この頃は予讃・土讃本線の幹線系は客貨ともDF50の独壇場で、末端区間にDE10が細々と活躍しているといった状況でした。当時は姫路に住んでいたこともあって、在来線と宇高連絡のを乗り継ぎで高松まで3時間もあればたどり着くことができ、そんなに遠くなかったことから、以降も何回か四国を訪れています。1号車では小歩危~大歩危で活躍するDF50をメインにご紹介します。





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 宇高連絡船の最終便で高松に降り立ちました。土讃本線の夜行快速に乗り継ぐまでに時間があったので、バルブ撮影で時間をつぶしていました。高松の構内にはいつ行ってもDF50が待機していることが多く、格好の被写体でした。マン機関搭載の500番代で正面窓が黒Hゴムということで、日豊本線からの転属組の1両だと思われます。


【1977年8月7日 高松】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 土讃本線の夜行快速を未明の阿波池田で降り、1番列車で小歩危へ向かいました。キハ65を先頭にした高松行の上り「土佐」が鉄橋を渡って行きます。吉野川に架かるこの鉄橋は全景を入れて下り列車を撮るのが定番ですが、吉野川の渓谷は入らないものの上り列車もそれなりに撮ることができました。


【1977年8月8日 小歩危~大歩危】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 土讃本線を代表する撮影地のひとつ、吉野川に架かる鉄橋を行く定番アングルです。四国に行ったなら必ず押さえておきたいポイントです。DF50の下り客車列車が鉄橋を渡って行きます。ここは今でも風景の変化が少なく、当時とほぼ同じ条件で撮れるのではないでしょうか。


【1977年8月8日 小歩危~大歩危】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 その後、国道を大歩危方面へと歩きました。歩きながら大歩危峡がバランスよく入りそうなポイントを探しましたが、トンネルや落石覆いが連続し、明り区間も木が邪魔してなかなかいいポイントが見つからず、結局、落石覆いからの顔出し写真しか撮れませんでした。


【1977年8月8日 小歩危~大歩危】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 大歩危が近くなってきたところで山の上の方を見上げると集落が見えたので、俯瞰ができないものかダメもとで登ってみました。このあたりはその昔、平家の落人が住みついた土地ということもあって、遥か山の上に集落と田畑が点在しており、「よくこんな所で生活ができるなぁ」とある意味感心してしまいました。車が通れるような道路も見当たらず、徒歩でしか麓と行き来できない厳しい条件のようでした。ここからの俯瞰は大歩危峡をうまく入れることができなかったため、割り切って山深い雰囲気を強調したアングルを選択しました。


【1977年8月8日 小歩危~大歩危】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 小歩危~大歩危での撮影を終え、前日と同じく土讃夜行に乗るため高松へ戻ることにしました。途中の阿波池田では徳島行の「よしの川」が発車を待っていました。四国の急行はシンプルで小振りながらも全列車にヘッドマークが掲出されており、当時はどこに行っても当たり前のように見ることができたキハ58系でも新鮮に思え、ついついシャッターを押してしまうことからフィルムの消費が多くなってしまいました。


【1977年8月8日 阿波池田】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 高松へはDF50の客車列車でノンビリと向かいました。列車行き違いのためにすぐには発車しないということで、跨線橋の上でカメラを構えていると、相手はDF50の貨物列車でした。DF50同士の行き違いはあちこちで見られたごく当たり前の光景でした。


【1977年8月8日 塩入】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 土讃夜行乗車までは前日と同じくバルブ撮影で時間をつぶしました。高松はDF50やいろんな気動車が頻繁に出入りするので、長い待ち時間でも退屈しませんでした。当時の四国の国鉄線は電化区間がなく、まさにディーゼル王国の様相を呈しており、中でも郵便・荷物気動車は種々雑多な改造車ばかりで、珍車のオンパレードでした。写真のキニ15は10系気動車の中間車だったキロハ18からの改造車で、取って付けたような連続3枚窓の顔つきがユニークで、いかにも改造車といった雰囲気を漂わせていました。


【1977年8月8日 高松】



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