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2011年3月

2011年3月31日 (木)

【アーカイブス】瀬戸線の桜

 いよいよ桜の季節、ということで、次は名古屋の桜をご覧にいれたい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 750形の単行と桜の組み合わせである。けして谷汲線ではない。名古屋の中心部、それも市役所のあたりである。 

 今となってはかなり忘れ去られたが、昭和53年に栄へ乗り入れる前の瀬戸線は、名古屋城のお堀の中を堀川まで走っていた。この撮影は、昭和47年4月で、当時、喜多山行きには750形の単行で運転が行われていた。このシーンを見て、名古屋市内とはとても思えないだろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは本町の駅あたりから大津町を見ている。堀川行きは数が少なく、昼間は40分間隔ではなかっただろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これはもう少し東側で大津町の近くである。階段があるので、当時は容易に線路まで降りることができたのだろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 そこで線路に降りて撮影している。車両は、大好きなガソリンカー改造の2220形である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 大津橋の下にあった大津町駅。残念ながら、駅舎は撮影していない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これが堀川の終点。堀川に突き当たるように路線があった。900形の急行車両が来ているのは、車両運用の都合による回送だったのだろうか。


 この堀川と大津町の間には、単線区間のガントレットがあるなど変化に富んでいるが、この時はガントレットは撮影していない。いよいよ廃止、という頃に撮影に行っているので、それら写真もいずれお見せする機会があるだろう。(スキャンがたどり着けば、である)(駅長)





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福井訪問

 電車運転士さんから、489系ボンネットのさよなら運転で福井周辺の写真を載せられている。たまたま所用があって、福井に行くことになった。できれば489系のさよなら運転と兼ねていきたかったのであるが、そうはうまくタイミングがあうわけではない。ということで、485系はない、419系もないと、面白い鉄ネタが無くなった福井に行った。


 JRのネタが無くなれば、行き先は福井鉄道となる。所用をすませて、北府と駅名が変わった旧西武生の工場へ。車庫の横に601が置かれていたが、方向幕がない。聞くと、部品を稼働車のために外したため、休車という。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 北府を訪れたのは、福鉄のオリジナル塗装になった602を見るためであったが、たまたま引き込み線の奥に抜群の光線状態で停まっていた。これはラッキー。早速、撮影させていただいた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 帰路に乗った電車は、200形の急行だった。駅をすっ飛ばす久しぶりの急行運転を体験し、赤十字前と名前が変わった旧福井新へ。200形の形式を撮ろうかと思ったら、反対側からもオリジナル塗装に塗られた200形がやってきた。かろうじてすれ違いが撮れたが、場所はもうひとつである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 乗ってきた200形を撮ろうと歩いている内に、足羽川に架かる幸橋まで来てしまった。ここはこの時間に順光側から撮ると足回りが若干隠れるため、半逆光を承知で東側から狙う。うまくクルマが切れたため、まずまずの写真となった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 食事をして、電車通りに戻ると、ちょうど200形の急行が停まっていた。もう少し、夕暮れの感じが出ていると文句ないのであるが、室内灯の明かりが良い雰囲気である。

 撮影したときには気がつかなかったが、かつての方向板を模した前面のマークには、急行の文字が取り付けられている。昔のパタパタではなく、マークはシールの筈なので、どうやって急行の標示をしているのだろうか?(上の写真では急行の文字がないのが確認できる)


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 489系のボンネットを撮りにいけなかった溜飲を、ちょっとだけ下げることができた、かな?


余談であるが、往復乗ったしらさぎでは、春休みというのに家族連れの姿を見ることがなかった。乗っているのはビジネスマンばかりで、乗車率は30%くらいであろうか。普段の乗車の状況を知らないので判断が付きかねるが、震災と原発危機の影響で皆が出控えていると思われる。ますます事態が深刻になりつつある。(駅長)






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2011年3月29日 (火)

74.489系ボンネットありがとう運転(2号車)+えちぜん・福井鉄道etc 2011/3/27

 前日の3/26に続き、復路の485系ボンネットのありがとう運転にも出動しました。往路は所用で涙を呑まれた出札掛様が3/27は出動予定ということをお聴きしまして、便乗させていただくことになりました。この日はボンネットのほかに京都の485系雷鳥編成を使用した琵琶湖を1周する臨時列車も運転されるとのことで、そちらも合わせて撮影プランに組み込むとともに、時間の都合によってはえちぜん鉄道・福井鉄道なども掛け持ちできないかという少々欲張った1日となりました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 本命のボンネットは撮影時間帯が午後の遅い時間となるため、お決まりどおり「日本海」からのスタートになりますが、新疋田~敦賀で狙おうということで木之本ICから国道8号線を北上しました。冬型の気圧配置が強まった関係で、前夜に予想以上の積雪があり、近江塩津のいつものポイントが見事な雪景色となっていたので、急遽、途中下車して「サンダーバード」を撮影することにしました。このままの状態が続けば「日本海」もこのポイントでとも思いましたが、2時間後には雪が溶けてしまうだろうと予想し、この「サンダーバード」1本のみで予定の場所に移動しました。

【2011/3/27 近江塩津~新疋田】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 「日本海」は出札掛様のご要望もあり、新疋田~敦賀の上下線が分かれたところの切り通し部分を跨線橋から撮影するポイントとしました。前の夜にそれなりの積雪があったため、3月下旬とは思えない光景が展開されていました。牽引機は久々のローピン釜、露出的に厳しい条件でしたので、トワ釜だったら真っ黒で撃沈かと思いましたがラッキーでした。ちなみに敦賀まではトワ釜の担当だったようです。

【2011/3/27 新疋田~敦賀】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この日のもうひとつのネタ列車、琵琶湖1周の485系は長浜着が12:40過ぎとかなりの時間があったので、それまでどこで時間をつぶそうか思案したところ、ダイヤを見ると東海道本線の8865列車に間に合いそうだったので、新疋田から近江長岡まで一気に南下しました。残念ながら8865列車の伊吹山は雲の中でしたが、5M「しらさぎ」の頃にはバリ晴れとはいかなかったもののここまで回復してくれました。

【2011/3/27 近江長岡~醒ヶ井】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 485系の琵琶湖1周列車は長浜手前の直線区間で狙うことにしました。「雷鳥」運用時とは逆編成で通常のクハ481が先頭です。2~3月に運転された「北びわこ」のHMに描かれていた女性3人をモチーフにしたステッカーが貼られていました。残念ながら大きな雲の周期に当たってしまいました。

【2011/3/27 長浜~虎姫】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 本命のボンネットはどこで撮ろうか試行錯誤の状態でしたが、結局、芦原温泉での長時間停車を利用して芦原温泉の前後の細呂木~芦原温泉~丸岡で2回撮影しようということになりました。芦原温泉~細呂木の定番ポイントは徹夜組もいたようで、すでに超激パ状態でした。ここでは2回目の丸岡~芦原温泉の画像をアップします。流れ行くゲリラ雲にやきもきさせられましたが、良好な光線状態の中、雷鳥バージョンのHMを掲げて颯爽と走り去って行きました。

【2011/3/27 丸岡~芦原温泉】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 背景となる雪山がきれいに見えていたのと陽もまだ持ちそうだったので、えちぜん鉄道(三国芦原線)にも寄り道しました。ボンネットのポイントからは10分程度と十分掛け持ちが可能です。元愛環車の単行がのんびりと通過して行きました。

【2011/3/27 下兵庫~大関】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 さらに、どうせ帰り道だからということで、福井鉄道にも触手を伸ばしました。休日なので200型は動いていないのではという懸念もありましたが、実際には2編成が運用に就いていました。リバイバル塗色はまだ撮ったことがなかったので、来てくれればラッキーかと思っていましたが、1発目でゲット、陽もかなり傾き厳しい露出条件でしたが、何とか撮影できてホッとしました。こうして、あちこち走り回って充実した(ドッと疲れが出た)1日が終わりました。

【2011/3/27 木田四ツ辻~公園口】(電車運転士)


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2011年3月28日 (月)

思 い

このたびの大震災で被害に遭われた大勢の皆様方には、心よりお見舞い申し上げます。


また、たいへん多くの尊い命が犠牲になりました。目の前で津波にさらわれた家族、友人、同僚・・・

無事たどりついた避難先で、じゅうぶんな治療や看病が行き届かず、病が悪化して病院や避難所で亡くなる方・・・

残されたご家族の心中いかばかりか・・・


追い討ちをかけるように、福島原発の影響で避難を余儀なくされ、今日まで築き上げてきた生活の糧を手放さざるを得ない方・・・



自分たちが住むこの地域、今度こそ、決して人ごとでは済まされない。

迫り来る東海大地震に備えての準備は万全か ~心構え、避難道具、緊急連絡、 etc.


でも・・・いざ自分が直面したとき、果たしてどのくらい冷静でいられるだろう。場合によっては相当の勇気、覚悟を強いられるかも。



「復興に向けて、前向きにがんばりましょう!」壮絶・・・全てを失い、心も体も本当に疲れ果てているのに・・・

それでも強い気持ちで発信される方がテレビに映し出されます。頭が下がる、ってもんじゃない。

もし被災したら、自分にはそんな勇気、努力、度胸があるだろうか?意気地を失っているかもしれない。




「はなぶさ」に集まる仲間たち


写真は、3月某日、きれいな夕焼けに誘われて犬山成田山北側の駐車場から撮影した名鉄電車です。

夕陽を浴びながら6500系が現れました。思い描いていたシーンにほぼ近いカットを撮ることができましたが、まだまだチャレンジ。



陽が沈み、やがてまた朝が訪れます。

明日がある・・・被災された皆様には、今日よりも明日、あさってと一歩ずつ復興が進み、一日でも早く元の生活が戻ってくることを祈っています。(出札掛)

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【アーカイブス】七尾線能登鹿島の桜

 今日もまた、原発の問題が明らかになった。多少は明るい方向に向かうかと期待をしているのであるが、なかなかそうはなってくれない。事故の現場で働く方々の苦悩はいかほどのものであろうか。

 こんなニュースばかり聞いていると、気が滅入ってしまう。桜の開花も宣言されたことであるし、ちょっと明るい写真を載せることで、気分転換を図りたい、と思う。


 さて、この場所、どこかわかる方はいるだろうか?


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 機関車はC11で、貨物を牽いている。海辺を走るC11の貨物となると、日南線と日高線が思い出されるが、もちろんそうではない。


 実はこの場所は、七尾線の能登鹿島である。七尾線といえば、C56の貨物。それがどうしてC11の貨物なのだろうか?


 七尾区のC11は、観光列車の「ふるさと列車」を牽いて、能登線に乗り入れていた。また、当時、能登線には不定期の貨物があり、それはDD16で牽いていた(筈である)。その貨物は、七尾を午後に出発していたが、この撮影した日にはたまたまDD16に変わってC11が牽いてきたのである。七尾線には数限りなく通ったが、C11の貨物を見たのはこの時だけである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、七尾線のヌシであるC56。朝は海側から陽があたるため、海をバックの撮影はできない。能登鹿島のホームの桜は、実に見事で、海を間近にしたロケーションも素晴らしく、桜のある駅の眺めとしては、日本でも筆頭格であろう。 


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最近になって知ったが、この能登鹿島駅、桜の名所として北陸では有名なお花見のスポットらしい。桜の時期となると露天が並んで、大変な賑わいになるという。

 しかし、この時は花見をしていたのは私ひとり。撮影者も誰もいなかったのではないか?今、機関車の牽く列車が残っていたら・・・・想像するのも恐ろしい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


もう1枚、C11と同じ角度で。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 蒸機だけではなく、ディーゼルも絵になる。さすがにこれだけの景観なので、ディーゼルも構えて狙ったが、今となってはよい記録となった。(駅長)
 


 

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2011年3月27日 (日)

【アーカイブス】六反をいく列車たち

 今日、27日は、489系や長電A編成のお別れ運転など、このご時世としては珍しく鉄イベントがたくさんあり、いずれも心が動いたが、結局は行かなかった。巨大地震と津波の被害もさることながら、やはり原発の危機が何かと気になり、落ち着かない。さまざまな影響があることは覚悟していたが、電動機のブラシが入手できず、電車の運行ができなくなるというニュースには驚いた。実際には、日立にあるこの工場でほぼ100%を製造しているとのことであるし、また、製造のための型があるので、それがないと、他の工場では生産ができないと言う。型をつくるには、最低でも6ヶ月はかかるとか。このままでは、走れない電車がどんどん増えてしまう。こんな予想もしない影響が、今後、どんどん出てくることだろう。

 いずれにしろ、一進一退をしている原発の状況がはやく安定して、放射能被害を拡大しないようにしてくれることを望まずにはいられない。


 そんなわけで、新作がないから、相変わらずアーカイブである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この写真は、名古屋駅の南、六反小学校のあたりである。奥から新幹線、中央線、東海道線、名鉄線が平行して走り、4複線となっている。この写真には、タイミング良く、新幹線0系、国鉄80系、名鉄5000系が1枚の写真に入った。いずれも日本の電車史にとって、重要な位置づけを占める車両である。

 しかし、このうち保存されているのは0系のみ。80系は3枚窓が大阪にあるが、やはり2枚窓の電車がどこかに保存されて欲しい。リニア・鉄道館にもないのは、画竜点睛を欠く思いである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 キハ8000系のこんな列車も撮影している。しかし、この写真を撮影した昭和47年には線内特急の運行はなかったと思うし、ましてや定期の北アルプスでもない。

 何の列車だったのだろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この場所で撮影したのは、いよいよ名古屋駅前から市電が無くなると言うことで、鉄道とのコラボを撮影しようと企てたからである。これは後ろにEF61の荷物と5000系が写っている。しかし、駅側はお互いに走行しているので、なかなかタイミングが合わない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 反対側を向くと電停があるので、チャンスが多くなる。しかし、撮影は午後にしているようで、光線がどこにもあたっていない。もう少し、早い時間に撮影に行っていれば良かったのであるが・・・。

 後ろには、グリーンを2両組み込んだ113系の長大な編成が走っている。当時は、こんな列車があったんですねぇ。どこの所属の車両なのでしょう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 この写真を見て思い出したが、六反の交差点の中日球場側は、線路沿いに戦後すぐを思わせるような家が並んでいた。ちょっと近づくのは遠慮した方が良いような場所だったかもしれない。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


上から見ていると、どんな場所かわかりづらいので、停留場から北を見た写真を載せておく。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 交差点の南側の建物の上からも撮影している。どうも、煙といっしょに高いところに登りたがるのは、この頃にその習慣がついたようだ。珍しくも7000系がすれ違っている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最後に同じ場所の総天然色写真。7000系で撮っておいた方がよかったかもしれないが、今となってはあるだけでも良しとすべきかな。(駅長)


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2011年3月26日 (土)

73.489系ボンネット ありがとう運転(1号車)+三岐鉄道 2011/3/26

 東日本大震災、発生から2週間余りが経ちました。被災された方々、原発事故で避難を余儀なくされた方々にお見舞いを申し上げますとともに、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。今回の巨大地震は日を追うごとに犠牲になられた方・行方不明の方が増え続け、その数は27,000人を越え、地震と津波による被害も想像を絶する状況が明らかになりました。。また、福島の原発から漏れた放射能の影響も長期化しそうですが、一刻も早く終息することを願う次第です。このような苦難を乗り越え、1日でも早く復興が始まり、被災や避難された方々が安心して生活できる環境が整うことを心よりお祈り申し上げます。


 幸い、自分たちが住む地域は地震の直接的な被害はありませんでしたが、いつ来てもおかしくないといわれている東海地震に備えて防災意識を高めていく必要があると痛感しました。被害に遭わなかった自分たちは何ができるのか考えてみましたが、まずは義援金に募金を行い、その後は節電や特定商品の買いだめをしないということに努めるよう心がけています。とりあえずできることはこれくらいのことかもしれませんが、引き続き、微力ながら復興に向けての何らかの応援ができればと思っています。地震の関係で被災地以外でもイベントなどの自粛が相次いでいます。過度なイベントは当然自粛しなければならないとは思いますが、すべてを止めてしまっては被災地以外の地域も元気がなくなり、経済も停滞して、最終的には今後の復興にも影響が出てくるような気がします。いろいろ考え方があって反対意見もあるかとは思いますが、無事だった自分たちは普通の生活を送り、普通にお金を使い、経済を循環させて日本の元気を少しでも縮小させないようにするのもひとつの小さな応援の方法かと考える今日この頃です。


 大震災後、しばらく休んでいた鉄活動を久しぶりに再開しました。最後の現役ボンネットとなった金沢の489系H01編成が3/26・27の両日のありがとうイベントに登板ということで、その雄姿を見届けようと北陸本線沿線に足を運びました。





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 まずは、お決まりパターンで「日本海」からスタートです。地震の影響で「カシオペア」・「北斗星」・「あけぼの」・「トワイライトエクスプレス」・「能登」といった北海道・東北・北陸方面の夜行列車の運休が続く中、「日本海」だけは黙々と運転されています。定番の近江塩津北方の北陸本線と湖西線の交差ポイントです。木之本ICから福井方面はまさかのチェーン規制、現地は強風が吹き荒れ、時折吹雪のような状態になるといった到底3月下旬とは思えない寒い天候でしたが、「日本海」の通過時は運よく陽が差してくれました。しかし、やって来たのは前回同様トワ釜、ローピン釜に出会える確率は本当に低くなってしまいました。


【2011/3/26 近江塩津~新疋田】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 今日の本命のボンネットはどこで狙おうか迷いましたが、ダンロップカーブは激パが予想されたため、鳩原ループ交差地点南方の直線区間に狙いを定めました。日中の北陸本線下り列車はどこで撮っても順光ポイントは思いつかなかったので、後の予定も考えて深追いはせず、逆光覚悟でHMドッカンポイントで待ちました。強風のため雲の流れが早く、猫の目露出状態でしたが、晴れれば逆光、曇れば真っ暗という苦しい条件の中、結果は晴れの逆光でした。往復で異なるオリジナルHM掲出という触れ込みでしたが、往路はスワンをベースとした「白鳥」バージョンでしたので、明日(3/27)はおそらく「雷鳥」バージョンの登場となりそうです。


【2011/3/26 新疋田~敦賀】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 ボンネットの現地通過時間は11:00過ぎだったため、その後の予定をどうするか迷いましたが、強風と寒さに加えて3/12のダイヤ改正後は目ぼしいネタ列車もないため、三岐鉄道沿線に転戦することにしました。このあたりには関ヶ原から30分程度でたどり着くことができるので、掛け持ちは十分可能でした。時計を見ると3連アーチ橋で北勢線の上り列車に間に合いそうだったので、橋を強調したポジションで列車を待ちました。


【2011/3/26 楚原~麻生田】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 続いて貨物列車を撮るために三岐線へ移動しました。下り列車は藤原岳をバックにできないので、三里~丹生川の田んぼの中でごまかそうかとも考えましたが、たまには目先を変えたいと思い、丹生川~伊勢治田の鉄橋に向かいました。川原に降りることができたので、これまでご紹介させていただいたものとは一風変わった真っサイド狙いのポイントです。


【2011/3/26 丹生川~伊勢治田】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 上りの貨物列車を藤原岳バックの定番ポイントで待ちました。線路部分には陽が当たっていましたが、肝心の藤原岳は見えたものの背後には季節外れの雪雲が押し寄せ、残念ながらベストの条件とはなりませんでした。


【2011/3/26 三里~丹生川】(電車運転士) 


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2011年3月23日 (水)

災い転じて福となす

 東日本巨大地震から2週間となる。今もなお、多くの方が行方不明のままであるし、避難された方への物資の配給もままならない。また、福島原発の危機的状況に対して、これも多くの方々が自分の命も省みず、沈静化を目指して活躍されている。

 まずもって、この度の被害を受けられた皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、困難な状況の中で、災害地や原発で不断の活躍をされている方々に敬意を表します。被災地の一刻も早い復興を心よりお祈り申し上げます。



 このような未曾有の国難といえる状況なので、ブログへの記事掲載も自粛してきた。まだ、原発など状況は予断を許さないし、水や農作物など、東京周辺への放射能の影響も表面化してきた。当面、自粛を継続すべきかと思ったが、反面、いつまでも気持ちが沈んだままでいると、いつまで経っても世の中が明るくなってこない。災害にあわなかった我々の役目は、できるところから元気を取り戻して、復興に寄与していくことではないだろうか。そんな願いをこめてブログを再開したいと思う。



 さて、今回の巨大地震で、改めて思ったのは、このような大災害で必要な情報をどのように伝達するか、である。今後、復旧の目途がたってくると、こうした点が大きくクローズアップされてくるのではないか。いずれにしても、今回の巨大地震における危機管理については、国においても企業においてもかなり問題があったことは否めない。



 人々の動揺をおさえるためには報道は抑制せざるをえないし、データ上だけ見れば放射能にしても、水についても、現時点では避難指示の場所を離れれば「安全」ということは事実かもしれない。とはいえ、目に見えない不安は残る。我々が「安心」するためには、具体的にどうすればよいのかを明示するのが、こうした危機に対しての国の役割ではないかと思う。もちろん、難しい点が多々あるのは承知しているが・・・。

 個人的には、今回の原発危機に対する海外の対応に関心を持った。過剰反応か、あるいはデータに基づいた対応か、残念ながらそこまではわからない。ただ、ひとつだけ言えることは、我々はここから逃げることができない、ということである。

 それはさておき、今回の被害は、自然災害としては関東大震災以来という。加えて、原発の問題もおこった。これは、これからのこの国のあり方に、大きな影響を与えるのではないだろうか。ひとつは、日本人というアイデンティティの再確認であり、また、過度の技術過信への反省ではないかと思う。誰もが漠然と感じてきたこの国や国民のあり方に警鐘を鳴らしたのが今回の震災であったのではないだろうか。

 と、長々と書いたが、おきてしまった災いは元に戻せない。この災いから得られた教訓をこれからのこの国のあり方にどのように活かしていくか、ということが肝心だろう。被災地の方にとってはそれどころではないという状況の中で、まだこの言葉は早いかもしれないが、「災い転じて福となす」とすることが、我々の責務ではないかと思う。

 この言葉で思い出すのは、伊勢湾台風で被害を受けた近鉄名古屋線を、復旧にあわせて一気に改軌したエピソードである。すでに事前の準備が完了していたことや、木曽、長良、揖斐の橋梁が無事であったことが背景にあるが、こうした災害にくじけず、前向きに捉えていくことは、大変であることは間違いないが、大切なことではないだろうか。

 ということで、「災い転じて福」となした長島付近の近鉄と、あわせて同じ頃の国鉄長島駅の写真をご覧にいれたい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まずは、当時のエースであったビスタカーⅡ世。A編成(B編成かもしれない)とC編成の6連である。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これは同じ場所のC編成×2本の特急。撮影場所は、旧線が関西線を乗り越していた築堤跡である。おそらく、蒸機の待ち時間に撮影したのであろう。

 当然、特急だけではなく、2200系や6300系の急行も走っていたはずであるが、残念ながら撮影していない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは木曽川鉄橋を渡る旧エースカー10400系。左右アンバランスの前面窓は、後の改造で失われてしまったが、この顔の方が印象深い。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは関西線の長島駅。稲沢のエースD512とキハ58系の急行がすれ違っている。近年は車窓から眺めるだけであるが、この頃はのどかな佇まいのローカル駅であった。(駅長)



 


 


 









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2011年3月12日 (土)

72.東日本大震災

 今回の東日本大震災につきましては、心よりお見舞い申し上げます。合わせて、もし、皆様のご家族・ご親戚・お知り合いの方々が被災地にいらっしゃったような場合は、心よりご無事をお祈り申し上げます。テレビ中継で巨大津波の実況中継を見ましたが、その威力・速さなど、自然の猛威の恐ろしさを目の当たりにしました。一瞬、映画か何かのワンシーンかと思うような映像で、これが実際に起こっているできごととは信じられない思いでした。仙石線の205系が津波にさらわれて脱線、連結面のところから「く」の字に曲がって流された状態で無残な姿を残していたという状況は本当にショックでした。1両が30~40tもある車体がいとも簡単に持ち上げられてしまうなんて信じられない思いでした。今日になって、被災地の深刻的な状況が明らかになるにつれ、その昔ワイド周遊券を持って訪れたところが壊滅的な被害を受けている状況には心が痛みました。自分が住んでいる地域は東海地震のエリアになっており、いつ巨大地震が起こっても不思議ではないといわれていますが、実際に今回のような地震が襲ってきたら一体どうなってしまうのか背筋が寒くなる思いです。いざという時に何をすればよいのか普段から頭に入れておくということの大切さを再認識させられました。時間はかかることと思いますが、被災地の1日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。(電車運転士)

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2011年3月 9日 (水)

【アーカイブス】越美北線のハチロク

 七尾線の現役とイベント運転の蒸機が紹介されたので、その勢いでこんどは越美北線の蒸機を紹介したい。

 越美北線の蒸機は、8620形が使用され、福井から越前大野まで2往復運転されていた。しかし、勾配を登る朝の大野行きは始発の前の運転であり、しかも2往復とも臨貨扱いで、なかなか行く機会は無かった。いよいよ蒸機が無くなる、ということで現地に滞在して3日(だったかな)にわたって狙ったのは、73年5月であった。 


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 越美北線は足羽川に沿って走る景色の良い路線であり、当然、狙いは足羽川を渡る鉄橋になる。このカーブした鉄橋は2回狙っているが、実は2回ともシャッターのタイミングが20mほど早い。この頃は2台か3台のカメラを使い、カラーはノーファインダーで撮影していたので、時折、こうしたミスがおきる。最高の条件だけに、残念である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この路線のハイライトは、計石と牛ヶ原の間にある峠越えである。勾配は計石側の方がきつくて煙を出すのであるが、風景は単調であった。これは、夜明け直後の一番列車で、5月とはいえ、早朝なので満足行く煙を出している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 牛ヶ原側は越前大野からの登りで、風景はこちらの方が良く、いろいろな角度から撮影できた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは上の写真の木立の中を走るところ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 同じ場所を土手に登って撮影している。25パーミルの登りでも、当時の煙はこれくらいであった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは5月末に運転されたさよなら列車。モールの看板が付いているので、目立たないように少し後ろから撮影している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ここのハチロクは、越前大野に転車台がないため、わざわざ勝原まで単機で回送して、方向を変えていた。皮肉なことに、この単行区間の方がはるかに景色が良かった。

 この時の撮影で不思議なのは、京福の勝山線の廃止区間、勝山~大野間のすぐ近くまで行って、しかも廃止が予定されているのに、この区間を全く撮影していないことである。この廃止区間にはトンネルや併用軌道風の区間があり、魅力的なはずなのだが、なぜか大野の駅を写したモノクロが1枚あるだけである。こんな単機を狙うのなら、そちらを撮影に行けば良かったのに、今考えても不思議である。

 当然、この時には大野に泊まっているはずで、それもあまり記憶がない。越前の小京都として人気が出ている越前大野であるが、当時は蒸機ばかりで、まちの佇まいにはまったく意識がなかったのだろうか。これも不思議である。(駅長)

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71.「冬の北陸ときめき号」(七尾線) 1989/2/11・12

 七尾線の現役C56をアップされた駅長様から、七尾線の復活蒸機のリクエストがありましたので、それにお応えしたいと思います。「冬の北陸ときめき号」として1988年はC56の単機、1989~1991はC57とC56の重連で運転されました。1年目のC56単機ではやはり物足りなさがあったため、2年目からのC57とC56の重連はC57が集煙装置を外しての運転ということと勾配区間がある穴水まで入るということもあって、沿線には多数の同業者が集結しました。その中でも最も爆煙が期待できる能登中島~西岸のお立ち台は激パを通り越してとんでもない状況になっていました。激パを敬遠して他の場所も考えましたが、やはりここに勝るポイントはなさそうだったので、2日間ともここでの撮影となりました。





「はなぶさ」に集まる仲間たち





 前日の最終の高速バスで金沢入り、金沢ステーションホテルを利用し、七尾線の1番列車で能登中島に向かいました。列車は多数の同業者で超満員、能登中島ではほとんどの同業者が下車、目指すポイントは皆同じということで、当然のことながら銀箱ダッシュとなりました。予想どおり車組の置きゲバが多数ありましたが、何とか潜り込むことに成功しました。現地に到着した時はうっすら雪化粧の状態でしたが、雨と気温の上昇でほとんと溶けてしまいました。本命の列車はもの凄い爆煙を吹き上げて勾配を登って来ました。重連を意識してオーソドックスな横位置で構えていましたが、煙の上部が切れてしまいました。期待以上の爆煙に全員満足だったようです。


【1989/2/11 能登中島~西岸】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち





 あの爆煙を見せつけられては2日目も当然お立ち台での撮影となりました。同業者のほとんどがそのまま置きゲバをしていったため、2日目のみの同業者はほとんど入り込む余地がなかったのではないでしょうか。前日と同じく金沢から1番列車で向かいましたが、前夜に雪が降ったおかげで現地到着時は木々にも着雪がある雪景色となってましたが、残念ながら気温の上昇とともに線路端以外はほとんど溶けてしまいました。前日の反省から重連よりも煙重視ということで縦構図で待つことにしました。通過時間が近づいてた頃には太陽が顔を出し、条件は整いました。直線の向こうにC57の姿が見えた時、期待以上の爆煙が上がっていました。反逆光に光る煙、無風状態でほぼ垂直に上がる煙、最高の場面が展開されました。自分は現役蒸気にギリギリ間に合わなかった世代ですが、現在までの蒸機撮影の中でこの時の煙が最も感動的でした。自分の中ではこれに勝る爆煙は未だかつて目にしたことがありません。


【1989/2/12 能登中島~西岸】(電車運転士)

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2011年3月 6日 (日)

【アーカイブス】七尾線のC56

 スキャナの調子が悪くて修理に出していたが、それが戻ってきたので、テストを兼ねてブローニー版のカラーをスキャンしてみた。たまたま、この季節に相応しい雪の蒸機のシーンがあったので、ご紹介したい。


 ご紹介する蒸機は、七尾線のC56である。この蒸機は、昭和49年4月まで七尾~輪島の間で1往復運行していた。たまたまこの頃、北陸に住んでいたので、フィールドとして何度も通うことになった。ちょっと方向を変えれば尾小屋鉄道とか、魅力的な小私鉄もあったが、やはり蒸機の魅力には勝てなかったようだ。


 雪の季節には、自動車で行くことは難しいので、当然、列車の利用である。確か、深夜のきたぐにで金沢に出て、そこから一番列車で七尾に向かったはずだ。こうした行程で、七尾でC56の発車に間に合い、さらに列車で追い抜いて撮影ができた。多分、今よりは列車が便利だったのではないか。


 今回、ご紹介するのは穴水から輪島にかけての能登半島の脊梁を越える勾配区間が中心である。この間には、33パーミルの勾配が連続し、C56が力闘する姿が見られた。しかし、交通は不便で、バスもあったか、極めて本数が少なかったと思う。そこで、苦肉の策として、タクシーを利用し、途中からヒッチハイクでクルマを捕まえて、適当なところまで乗せてもらったと記憶する。当時は、こうした方法で結構、クルマに乗せて貰えた良き時代であった。ちなみに、穴水と隣の能登三井との間は11kmの距離があり、以下の撮影は、そのほぼ中間地点のあたりである。 


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 さて、これが穴水からサミットのトンネルに向けての登り区間である。もう、サミットに近いところかと思うが、このあたり、あすなろの木が線路脇に植えられており、雪が降るとクリスマスツリーのようで良い風景となった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これはさらにサミットのトンネルに近いところであったと思うが、今となっては場所が判然としない。調べようにも、この区間の路線は廃止されて、地図から消えてしまっている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、もう少し穴水側。この高い鉄橋をわたって、C56は山に分け入っていった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、峠を越えた輪島側。能登三井の手前にある新保の集落のあたりである。ここには神社や藁屋根の家があり、いかにも日本の原風景といえる景色がひろがっていて、四季毎に何度となく訪れている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 穴水から七尾にかけての路線は、能登湾に沿って走っており、このため、随所で海を入れての撮影が可能であった。特に西岸から能登中島にかけては小さな峠越えがあり、力闘する姿が見られた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 帰りの166列車は能登中島で1時間少々停車しており、列車で余裕を持って追いつくことができた。能登中島は両側に向けて段丘に登る勾配があり、多くの場合、そこで撮影したが、この日は大変な豪雪で、駅の発車を狙っている。北陸とはいえ、能登半島は豪雪になることは少なく、これだけ一気に雪が降るのは珍しい。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 七尾線は、まさに日本のふるさとといっても良いような心暖まる風景が続いて、魅力的な路線であった。ここで学生時代に思う存分、蒸機が撮れたのは、鉄活動のひとつの頂点であったことは間違いない。七尾線の蒸機を一番撮っているのは、ひょっとして私かもしれない。

 しかし、当時の蒸機は1往復。駅間の距離もある。雪が降って寒かったことも間違いない。撮影は、かなり大変であったことだろう。

 今、もう一度、やるかと問われると・・・・・・さて、返答に困る。(駅長)


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70.伊吹山鉄(東海道本線) 2011/3/5

 3/5の土曜日は移動性高気圧に覆われて全国的にバリ晴れの1日でしたので、メンバーの皆様もそれぞれご活躍のことだったのではないでしょうか。出札掛様は近場で御岳山をさまざまな角度から狙われていましたが、自分はどこへ行こうか前日まで悩んでいました。6883列車の今季の運転が間もなく終了する中央西線か、119系狙いで飯田線北部かとも思いましたが、北陸・湖西線方面へ移動する際にはいつも素通りしてしまう関係で、一度もまともに撮ったことのなかった伊吹山を狙いに行くことにしました。





「はなぶさ」に集まる仲間たち





 早朝、現地に到着した時は雲が多く、天気予報はハズレかと思っていたら9:00頃から急速に天気が回復し、ご覧のようなバリ晴れ状態となりました。午前中の下り列車の定番ポイントでしばらく時間を潰しました。写真は1057列車列車です。土曜日といってもさすがは東海道本線、一部の列車に多少の遅れはありましたが、運休の貨物はほとんどなく、まったりと撮影することができました。こうして見ると幹線の長大貨物列車は見応えがあります。それにしても東海道筋はEF210が幅を利かせるようになりました。8割くらいがEF210で残りの2割がEF200・66といった感じでしょうか。


【2011/3/5 近江長岡~醒ヶ井】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち





 前の写真のポジションで後ろを振り向くとこんな感じで上り列車も掛け持ちできます。EF210ばかりではつまらないので、EF200の5070列車をアップしました。背景の高圧線がうるさいですが、振り向くだけで撮影OKなので、我慢の範囲としましょう。


【2011/3/5 近江長岡~醒ヶ井】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち





 昼過ぎには上り列車の定番ポイントに移動しました。傍にいた同業者から13:00前に通過する5088列車はEF66の0番代との情報をもらったので、自分もご相伴に預かりました。さすがに27号機というわけにはいきませんでしたが、最近、EF66の0番代は急速に数を減らしており、ダイヤ改正後は撮影できるチャンスはさらに減少しそうです。


【2011/3/5 柏原~近江長岡】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち





 もう少しこの場所で粘っていたら3216Fに117系の国鉄色編成がやって来ました。運用を調べて行ったわけではなかったので、「来てくれればいいかなぁ…」程度のかすかな期待は持っていましたが、撮影することができてラッキーでした。


【2011/3/5 柏原~近江長岡】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち





 もう少し柏原方面のアウトカーブをサイド気味に撮れるポイントに場所を移しました。ここでは8M「しらさぎ」をアップします。夕方、家族運用が予定されていたため、この日はここまでで撤収しました。次回は、来年になりますが、雪景色の頃にチャレンジしてみたいです。


【2011/3/5 柏原~近江長岡】(電車運転士)

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2011年3月 5日 (土)

秀峰“御岳”を撮る

毎年、冬から春にかけての季節限定テーマのひとつとしている木曽御岳の撮影。雲ひとつなく空気も澄んだ快晴ともなれば、はるかかなたから雪を抱いた美しい容姿を現してくれます。

休日前夜になると、翌日の天気予報を睨んで山が見える可能性があれば、家の用事が入らないように外出予告を発信して撮影行に備えます。ところがそうウマくいくはずもなく、朝起きて外を見て(*)、晴れているのに山が見えず、ガッカリしてまた床に入ることも多々ありますが。(*我が家は某集合住宅の4階にありまして、玄関のドアを開ければ右手に御岳を拝むことが出来ます。このとき、撮影決行か中止かをその場で判断するわけですねー。)


2011年3月5日(土)は見事な日本晴れ、もちろん御岳も丸見え!そうだ、久しぶりに各務原市の「うぬまの森」に登ってみようと、約5年ぶりに足を運びました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

木々の生長で視界がさえぎられていないか、と不安を抱きながらたどりついた展望台からの眺望は以前と変わらない絶景のままで一安心。しかも、ちょうど木曽川にかかる箇所の木の枝が伐採されています。これが偶然なのか、それとも展望台からの眺めを維持させるための策なのかはわかりませんが、何れにせよ、これで当分の間は大俯瞰を楽しめそうです。・・・ちょっとした運動にもなるし。

木曽御岳が見えるような天気の日は、その先の乗鞍岳、さらに奥の山々(名前わかりません)まで望むことができます。



「はなぶさ」に集まる仲間たち



「はなぶさ」に集まる仲間たち

高山線坂祝ー美濃太田間の直線は、まさに御岳に向かうかのごとくの方向に線路が延びています。ただ、障害物がいろいろとあって満足いくような構図はなかなか得られません。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

名鉄広見線の西可児ー可児川間は、御岳山をちょうどいい構図で撮影できるお立ち台でしたが、肝心の場所に農機具倉庫ができてしまい、これを避けようとするとアングルが限られてしまいます。おまけに線路際の雑草も障害となって撮影しにくい状況になっていました。


御岳を絡めた鉄道撮影地を求めて、テーマは永遠に続く・・・。(出札掛)


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2011年3月 4日 (金)

【アーカイブス】近鉄の軽便電車

 近鉄の四日市から出ている内部・八王子線は、今は三岐鉄道となってしまった北勢線とともに、762mmのナローの路線として知られている。現在でも小型の電車が走る魅力的な路線であるが、今から40年ほど前は電動車が客車を引っ張る運行形態で、終端駅では電動車を付け替えて運行していた。特に長閑な雰囲気だったのは八王子線で、特に西日野から伊勢八王子にかけては、いかにも田舎の街道といった風情の道路沿いに天白川に沿って走っていた。残念ながら、この風景は、昭和49年7月の集中豪雨で西日野以遠が休止となり、昭和51年に路線は西日野までに短縮され、過去のものとなってしまった。

 この八王子線には、昭和46年12月に2度訪れている。四日市の駅が高架化となるのが理由であったと思うが、きっかけは定かではない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これが高架化前の四日市駅。当時は湯ノ山線ホームの横に内部・八王子線のホームがあり、1435mmと762mmの電車が並ぶシーンが見られた。まるで大人と子供ほどの違いがある。ここで、電動車の付け替えを行っていた。興味のある方は、津島軽便堂写真館さんに詳しいので、ぜひご覧いただきたい。多くの写真も掲載されている。 http://tsushima-keibendo.a.la9.jp/


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 赤堀と日永の間で鹿化川を渡る鉄橋は、いまではコンクリートの立派な橋となっているが、当時は簡易なガーダー橋で、四日市方はSカーブで絶好の撮影ポイントとなっていた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 日永では列車交換が行われていた。どうやらこの頃はまだ通標が使われていたようである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 西日野からは、天白川の堤防上を走っていた。当時のホームは道路脇に簡易なホームがあり、路面電車のような雰囲気を漂わせていた。道路は1車線しかないが、それでも大型バスが乗り入れてきている。もう少し、左側を入れて撮ると面白い写真になっただろうが、残念だ。右上の山の上に建っているのは四日市南高校である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 天白川に沿った約1.5kmの区間は、桜並木があったり、水がせき止められて池のようになっているところがあったりと、変化に富んでいた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 沿線には酒蔵や古風な木造の建物が並び、風情ある雰囲気を醸し出していた。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 室山のあたりにはこんな立派な建物もあった。製糸工場かと思われるが、今となっては定かでない。

 もう少し残っていたら、レトロな沿線の雰囲気と合わせて人気が出たのではないかと思われるが、残念ながらファンが訪れる前に水害で電車が走らなくなってしまった。東濃鉄道は行くことができなかったが、この八王子線はかろうじて元気な姿をカメラに捉えることができた。(駅長)






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69.関東地区 旧型電機めぐり(西武鉄道) 1977/4/4

 関東地区旧型電機めぐりの最終日は国鉄路線からは少し離れて、西武鉄道をご紹介します。この頃の西武鉄道は秩父線のセメント輸送を中心とした貨物輸送が盛んで、私鉄最強・唯一のF型機E851をはじめ、さまざまな古典輸入電機も第一線で活躍を続けており、非常にバラエティーに富んでいました。この頃は国鉄型ばかりに目が行っていましたが、ある日、某鉄道雑誌を見ていたら西武鉄道の電機特集が載っており、これは面白そうだということで、当初の予定を変更して西武鉄道秩父線を目指しました。E851以外はすべて輸入電機ばかりで、中型機はE51・E61・E71の3型式、小型機はE41の1型式でした。E41は仲間が近江鉄道・近鉄などでも見られましたが、中型機は西武鉄道でしか現役の姿は見られなかったため、当然、ターゲットの中心は中型機になりました。






「はなぶさ」に集まる仲間たち



 中型機の3型式の中でも最も撮りたかったのが写真のE52です。鉄道省が東海道線電化用として大正12年にスイスのブラウン・ボベリ社から2両輸入したED12で、最終的には2両(E51・52)とも西武鉄道で余生を送っていました。E51は昭和51年に廃車されていましたが、E52はまだ現役でした。大きなヒサシ・屋根上の空気タンク・大きな動輪などスイス製電機の特徴がよく表れています。自分の中では最後のスイス製現役電機だったと記憶しています。中型機の運用は限定されておらず、姿を見るまでは何が来るかわからない状況でしたが、最初にE52を撮れたのはラッキーでしたが、定番ポイント以外にもどこかいいポジションがあるのではとウロウロしている間に時間が迫ってしまい、中途半端な構図になってしまいました。こんなことなら安全策をとって最初から定番ポイントに行けばよかったと後悔しています。


【1977/4/4 東吾野~吾野】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 正丸峠に挑むE851です。E851は昭和44年の秩父線開業に合わせて三菱でE851~854の4両が新製されました。私鉄最大級のパワーを持ち、唯一のF型機でした。基本仕様はEF65の機器とEF81の台車を組み合わせたものでしたが、丸窓を用いた側面の外観と赤とクリーム基調の塗色は国鉄のものとは大きく異なり、一度はブルトレの先頭に立たせてみたいと思った方も多かったのではないでしょうか。その後、順調に伸びるはずだった秩父線の貨物列車は思ったよりも輸送量が伸びずに廃止されてしまい用途不要となってしまいます。パワーが大きすぎるということもあって他社への譲渡もままならず、平成8年、最初で最後の客車(12系)牽引というさよなら運転で現役を引退しました。


【1977/4/4 東吾野~吾野】(電車運転士)




 


「はなぶさ」に集まる仲間たち



 その後、定番ポイントに移動し、次の中型電機の列車を待ちました。E61かE71のどちらが来るかわかりませんでしたが、やって来たのはE61でした。中型電機の運用は2運用しかなかったので、E71(鉄道省が東海道線電化用として大正11年に輸入、アメリカのウエスティング・ハウス社製、国鉄型式ED10、側面中央に乗降用ドアがあるのが特徴)はお預けとなりました。E61も鉄道省が東海道線電化用に大正12年に輸入したアメリカのゼネラル・エレクトリック社製で、国鉄型式はED11です。2両輸入されたうちの1両が西武鉄道で余生を送っており、もう1両は永らく浜松工場の入換機として使用された後、現在は、リニア・鉄道館の展示車両になっています。駅長様が撮られた近江鉄道のED14とそっくりの形態をしていますが、台車・連結器の取り付け方法などが異なっています。


【1977/4/4 東吾野~吾野】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 レッドアローも西武鉄道の看板車両として活躍していました。当時はまだまだ新しい車両でしたが、こちらも廃車が進み、譲渡先の富山地鉄でしかその姿を見ることができません。正面のHMが電照式に改造される前のオリジナルの姿です。


【1977/4/4 東吾野~吾野】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 輸入電機の最後はE44です。こちらは青梅鉄道が大正15年から昭和2年にかけて4両導入したイギリスのイングリッシュ・エレクトリック社製の小型電機で、いわゆるデッカー一族のうちの1両です。4両ともE41~44として西武鉄道で余生を送っていましたが、この頃は他社でも同系機の活躍を見ることができました。


【1977/4/4 東吾野~吾野】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 先ほどの列車の折り返し中の姿を吾野でじっくりと観察することができました。4両とも基本的には同じ形態ながらE41・42は1パンタ、E43・44は2パンタなど、それぞれ細部が異なっていました。


【1977/4/4 吾野】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 西武鉄道の貨物列車をひと通り撮影後、西武秩父→御花畑経由でまだ行ったことのなかった秩父鉄道に足を向けてみました。午後も遅い時間だったので、走行写真はあきらめ、秩父構内に留置されていた元阪和電鉄のED38(昭和5年製)を撮りに行っています。パンタが上がっていないのが残念ですが、腰高のスタイルと愛嬌のある顔つきが特徴です。夕方で露出的には厳しい条件でしたが、モノクロだったのと現像ソフトでの処理のおかげで何とか見える状態になりました。


【1977/4/4 秩父】(電車運転士)




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2011年3月 3日 (木)

【アーカイブス】ちょっとだけ瀬戸線

 出札掛氏からかつての瀬戸線を偲ばせる逆富士のマークを付けた記念電車の写真がアップされたので、逆富士の標板をつけて900形の優等列車が走っていた頃の瀬戸線の様子をご覧にいれたい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 1977年4月の瀬戸線である。さて、場所はどこであろうか。

 900形の種別は特急ではなく、急行になっている。これは、その直前に行われた座席指定以外の特急を高速としたダイヤ改正によって、特急の種別が使えなくなり、急行になったためである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 多分、手前の駅との駅間だろうが、ひょっとしたら違っているかもしれない。山の上に見えるのは金城学院大学のはずである。当時は、まだまだ長閑な風景があちこちに見られた。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

  さて、肝心のこの駅の駅名であるが、大森(現在の大森・金城学院前)である。現在では立派な駅舎になっているが、当時はホームの上屋もなく、いかにもローカル的な駅であった。確か、栄乗り入れを控えて駅が大改良されるということで、その最後の姿を撮りに行った記憶がある。都市鉄道として変貌した現在の瀬戸線からは想像すらできない30年以上前の春の一コマである。(駅長)

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2011年3月 2日 (水)

【アーカイブス】近江鉄道の電気機関車

 電車運転士さんが青梅線のED16をアップされているので、旧型電機つながりで近江鉄道の電気機関車を紹介したい。近江鉄道の電機については、以前、電車運転士さんがモノクロでアップされ、また、小生もED14の貨物を紹介したが、今回は多賀付近の様子とED14以外の機関車を紹介するとしよう。

 なお、これらの写真は、いずれも1977年5月から8月にかけての撮影である。フィルムはいずれもコダクローム64(KM)であるが、この頃のKMは如何にも色が悪く、くすんでいる。多少は色を修正したが、修正し切れていないものもあることをご了解いただきたい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まずは多賀に到着するビール列車である。ワム8000を連ねた長大な貨物列車で、20両ほどの貨車を牽引していた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 多賀に着いた貨物は、このDD45で工場に取り込まれる。このDD45の車庫は多賀にあるため、あまり目に触れる機会はなかったのではないか。この車両は、元福島臨海鉄道の所有で、キリンビールの工場輸送のため、近江鉄道が購入したはずである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 多賀線が別れる高宮駅。高宮の山側に貨物用の路線があり、ここでも行き違いができるようになっていた。

 この列車、ED142の牽引であるが、後ろに電車が連結されている。また、ED142の後部のパンタがなぜか無い。理由は不明であるが、ちょっと珍しい写真である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 彦根の構内は、元東武のED4001と元阪和のロコ1101が入れ換えに使用されていた。用途はセメント工場への貨車の押し込みかと思ったが、タンク車の入れ換えも行っていたようだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これはセメント工場への専用線が国道8号をまたぎ越すところ。今となっては周囲の風景は激変しているので、貴重な角度の1枚かもしれない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 蒙古の戦車とよばれたED31は、八日市線と彦根~鳥居本間の貨物で使用されていた。八日市線の貨物は比較的早く廃止されたので、小生もほとんど撮影していない。(駅長)

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旧型国電入出場三昧の32年前の今日 1979年3月1日

電車運転士様から出た、青梅線の72系繋がりでもありませんが、32年前の今日3月1日、こんな旧型国電入出場三昧の一日を送っていたのでご披露します。

まずは、当時の地元、通称 品鶴貨物線(そういえば今のこの線の名称を知りません)の多摩川鉄橋、大崎(蛇窪(信))・新鶴見(御幸(信))を行く、大井工場からの出場試運転、クモハ73515(南武線)+クモニ13006+クル29002 配6098丙レ


「はなぶさ」に集まる仲間たち


この後、沼津区車の大船工場出場を撮りに、大船に向いました。

今では、こんなところに立ち入れるはずもありませんが、当時は大船工場の入換掛の人と懇意になっており、許可を頂いて撮っていました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

ここは南方信号所と呼ばれていました。大船を出た横須賀線から分岐して、スイッチバックして写真左に伸びる線が大船工場への入出場線となります。
当時、沼津区は身延、御殿場両線を受け持っており、大体入出場は両方の車が併結されていました。

クモハ51852(身延)+サハ78400(御殿場)+クモヤ22202

姿カタチは変っていますが、いずれも2扉車の改造で、特にサハは登場時は旧32系横須賀線用車で、なにかしらいわくを感じます。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


この後、本日のメインを撮りに品川へ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


配給車を従えて品川に入線する、田町区所属の高速架線試験車です。

クモヤ93000+クモル24000+クル29001 配6691M

この後、大井工場に入場します。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


93000の車体側面(運転室窓下)に取り付けられていた、狭軌最高速度175km/hのエンブレムです。真鍮製ですが1枚ものなので、手彫りのようですね。吊掛け車のこの車が、未だに破られていない記録の保持車とはチョット意外な気がしますが、この後、そのようなチャレンジがされなかったのですかね。


当時は東京近郊の各電車区を巡回する配給電車が、2~3日周期で運転されていて、旧型国電の入出場はこれに併結される格好で行われておりました。


東京を去るまでもう1ヶ月足らずというのに、この日はこの3本の列車しか撮っていません。今思えば、ほかにいくらでも撮っておくべきものがありましたが、なんとももったいない日々を送っておりました。(検査掛)



「はなぶさ」に集まる仲間たち



同じフィルムでスキャンしたので、電車運転士様の取り逃がしたクモニ13(013)をアップさせて頂きます。有楽町のホームから北向きに撮った、京浜東北線北行を後追いしたもので、東京駅の新幹線ホームが見えています。有楽町ではこれしか撮っていないのですが、おそらく次のコマの間合いで行ったもの思います。東京駅の京浜東北・山手ホームの一番南に欠き取りで荷物ホームがあり、停まって荷役をしていたクモニ13をよく見かけました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

この日、2月21日の本命は、これだったようで、事故廃車は別として、101系の廃車回送は初めてだったように思います。(クモヤ145orクモルの改造種車だったかもしれませんが・・・)このときはまだ、山手貨物線にはATS-Sしか設置してないのか、車搬式のATSが詰まれています。場所は皆さんよくご存じの原宿です。

当たり前に走っていた、低運転台の103系は殆ど撮った覚えがなく、この時珍しくからめて撮ったので、アップさせて頂きました。


色合いはご容赦のほどを。(検査掛)





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