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2011年2月

2011年2月28日 (月)

68.関東地区 旧型電機めぐり(青梅線) 1977/4/3

 関東地区旧型電機めぐりの3日目は青梅線です。この頃はどうもED16に並々ならぬ思い入れがあったみたいで、前年に続き青梅線を訪れています。今から思えばもう少し別の場所にもネタ的に面白いものがたくさんあったはずなのにわざわざ青梅線再訪とは…。今さら時間は戻せないのでどうにもなりませんが、複雑な心境です。当時、ED16の貨物列車はかなりの本数が運転されていましたが、その後、牽引機はEF15→EF64と代わり、貨物輸送自体も徐々に縮小され、結局は廃止されてしまったことを思うと隔世の感があります。





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 奥多摩でのED16の3並びです。朝のラッシュ輸送が終わると順番にパンタグラフを上げて出発していきます。


【1977/4/3 奥多摩】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 奥多摩でED16の3並びを撮った後は定番の川井のカーブへ向かいました。ED16を待っていると101系の「おくたま」がやって来ました。「何だ101系か…」と思いましたが、看板が付いていたので、とりあえずシャッターを押しました。


【1977/4/3 川井~御嶽】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 続いてED16の貨物列車が姿を見せました。4月に入ってからの訪問でしたので、身延線の沿線では咲いていた桜の開花を期待しましたが、山間部ということもあってか青梅線沿線では残念ながらまだ蕾の状態でした。


【1977/4/3 川井~御嶽】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 先ほどのカーブの反対側を向くとこんな感じです。ED16の貨物列車が半ばピストン状態で運転されており、退屈することはありませんでした。


【1977/4/3 川井~御嶽】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 身延線での教訓を生かし、少しですが電車も撮影しています。中央線からの乗り入れ列車は101系でしたが、線内ローカルはぶどう色の72系4両編成がが主力でした。クモハ73は全金車体乗せ替え車が中心で面白みは今ひとつでした。


【1977/4/3 川井~御嶽】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 今度は縦位置でED16をアップ気味に撮ってみました。アップした画像以外にもいろいろな場所・アングルで撮影していますので、この日はまさにED16三昧といった1日でした。


【1977/4/3 川井~御嶽】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 クハ79には正面非Hゴム、三段窓といった旧63型の面影を色濃く残すものも生き残っていました。鉄橋をよく見ると前年に来たときにはなかった保線用通路と手すりが取り付けられています。これによって鉄橋を下から見上げるアングルはあきらめざるを得ませんでした。


【1977/4/3 二俣尾~軍畑】(電車運転士)


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2011年2月26日 (土)

名鉄6750系に敬意を表して

自分が社会人デビューした1986年の春、ほぼ時を同じくして名鉄6750系がデビューしました。だからと言って特に思い入れのある車両ではないのですが、社会人になってから年々時が経つのを早く感じるせいか、6750系の生涯は特に短く感じました。まだまだ現役で通用しそうに見えても、足回りのことを考えたら廃車になってしまうのも仕方ないでしょうねー。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

1986年3月、通っていた大学の卒業式と奇しくも同じ日に6750系が日車から出場しました。卒業式は午前中で終わるだろうから午後の甲種スジには間に合うはず、とカメラをカバンに忍ばせて式にマジメに参加後、笠寺に向かいました。この頃の笠寺(東名港)行き甲種は、いったん駅の北端に引き上げられ、そこに名古屋臨海のDLが迎えに来て入れ換えをしていました。《1986/03/20  9761レ》



「はなぶさ」に集まる仲間たち

尾張瀬戸で催された栄町乗り入れ10周年記念発車式に充てられた列車を撮りに出かけました。撮影後、あとで写真を見て一次車が充当されていたことに気が付きました。《1988/08/20  ??レ》



「はなぶさ」に集まる仲間たち

東大手ー森下間の高架完成による記念発車式が清水駅で催されました。記念列車に充当されたのは6755F。残念な事に、あいにくの大雨でした。《1990/09/30 5017レ》



「はなぶさ」に集まる仲間たち

これは駅長様からリクエストのあった「逆富士板」付きイベント列車こと、瀬戸線100周年記念列車。編成は6757F。尾張瀬戸で発車式を終えてきた列車を待ち構えました。助手席窓越しに花束が見えます。この日もあいにくのドンヨリ曇り空で、露出も上がらず投げやりムード。これだけを撮って早々に退散しました。《2005/04/02  1000レ》



「はなぶさ」に集まる仲間たち

この場所は喜多山と大森・金城学院前駅のほぼ中間です。AL車を狙っていたわけではなく、「招き猫祭り」PR板掲出編成を待っていたらたまたまやってきたので記念撮影。昼過ぎなので半順光ですがご容赦のほど。駅長様が記録しようとされている「高架工事前の区間を走るAL車」の1シーンとして当てはまるでしょうか?《2009/09/19  1281レ》



「はなぶさ」に集まる仲間たち

公式さよなら運転日、6756Fの晴れ姿を撮影するべく瀬戸線に向けて移動中、瀬戸に先着していた電車運転士様から「一次車が900レに入る」との情報。尾張旭検車区に足を運ぶと、この日の主役が本線脇の留置線で整備中でした。間もなく900レが接近、逆光承知でAL車同士の並びを写しました。この日は本線上で二列車が行き交うシーンを撮られた方も多かったのではないでしょうか。《2011/02/20  900レ》



「はなぶさ」に集まる仲間たち

一次車に「瀬戸のお雛めぐり」PR板を掲出するのは1月30日(日)からの日曜日限定。毎週見られるかと思っていたら、2月の日曜日は一次車の登板がなく、20日になりようやく2回目の披露。沿線のPR板なので6000系に掲出すればいいものを、わざわざ一次車に日曜日限定で取り付けるあたり、もしや希少価値を高めようとしているのでしょうか。いろいろと題材を提供してくれるので困っています。《2011/02/20  981レ》


2月22日には一次車に先駆けて6756Fが運用離脱。日常的に聞かれた重低音が聞けるのも残り少なくなりました。少年期から肌で感じてきたレトロものが、またひとつ姿を消していきます。

(え、デキがあるだろうって? 出札掛)


PS・ちょっと面白い新書を見つけました。鋭意熟読中。→ メディアファクトリー新書「新幹線を運転する」早田 森 著(検索サイト http://www.mediafactory.co.jp/cgi-bin/utils/search_item.cgi  でどうぞ)




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2011年2月23日 (水)

長電・葬式鉄

 昔はともかく、近年は車両や列車が無くなるからといっても、それほど出かけようと言う気にはならない。それは、それら列車や車両を現役時代にしっかり撮っている、ということも理由のひとつである。

 2000系が無くなるということで、先の3連休にここのメンバーの方々に長電の撮影に連れて行っていただいた。天候はもうひとつであったが、途中から薄日が差すほどに回復し、まずまずの撮影ができた。長電2000系は、これで卒業できるはずであった。


 しかし、電車運転士さんから、今回の成果と共に、昨年撮影に行かれた折りのカットがアップされた。なかでも目をひいたのが、上条~夜間瀬間の北信5岳をバックに撮影されたシーンである。残念ながら、天候がもうひとつで山には雲がかかっているが、それがなければすこぶる雄大な構図であることが想像された。

 これは、ぜひ、天気の良いときに撮ってみたい。19日の土曜日は、おそらくその条件を満たす好天であったろうが、残念ながら家族運用があり、遠出は敵わなかった。これは来年への宿題か・・・。しかし、この光景に映えるのは、2000系のリンゴカラーだろうなぁ。



 ところで、なぜかこの時に、何人かの鉄仲間が長電沿線に出没していたようで、よせばいいのに、現地の状況をメールで送ってきてくれた。「こんな晴天みたことがない」「山がくっきりと見える」・・・・・・うるうる。

 加えて、友人からこんな要望が寄せられた。「はなぶさを見たけれど、あの上条~夜間瀬の場所を4×5で撮りたい。場所を教えて欲しい」

 さっそく、電車運転士氏に連絡をとり、場所と使用レンズを教えて貰う。天気予報を見ると、火曜日は快晴の予報。幸いにして、火曜日にはほとんど予定が入っていないし、加えて先日の休日出勤の代休もある。さて、どうしよう。

 「我慢していると精神衛生上、良くないよ・・・・・」

 気がつくと、長野のホテルを予約し、名古屋発午後7時40分の最終のしなのに乗車していた。


 このシーンは、今年しか撮れない。葬式鉄、やむなしである。(^^;)


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 さて、これがその北信5岳を見渡すお立ち台である。信念が通じて、見事に晴れ渡ってくれた。土曜日の方がもう少しクリアだったらしいが、それは贅沢というもの。

 電車運転士さんから教えていただいた場所とは、ちょっと違っていたが、作例写真があったのでそれで大体の場所の見当がついた。足跡から見れば、すくなくとも最近、同業者が来た形跡がない。この素晴らしい景観がひとりじめ、いや実際には4×5と現地からメールで状況を連絡してくれたライカのおじさんの3人で行ったので、3人占めである。


 では、ここを通る電車を見てみよう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは夜間瀬を出たところ。後ろに妙高が見える。列車は6Aで2000系のりんご色は雪の中にでもくっきり浮かび上がる。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、5Aのゆけむり。11時30分頃なので光線はかなり厳しいが、ぎりぎり許容範囲か。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 黒姫と戸隠をバックに走る2000系。レンズは100mmくらいである。6Aの時間にはサイドに陽が回る。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 同位置での8Aゆけむり。ほぼ12時の撮影で、レンズは85mmである。山のバランスはこの方が良いが、電車がその分、小さくなる。好みの問題だろうが、レンズの選択が難しい。すでにこの時間にはサイドに陽が回っていない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 さらに、左を向き、上条~湯田中間を見ると、北アルプスの山並みが望まれる。こちら側もなかなか素晴らしい。


 改正前の運用で、午前8時台に湯田中~中野間を機織りしていたときが絶好の光線だったのだろうが、もはや無い物ねだりである。しかし、リンゴ色は雪に見事に映える。ちょっとレトロな感はしないでもないが、やはり風景にあった色、ということがいえるだろう。1000系のゆけむりも3000系に比べれば遙かに良いが、それでも2000系には負ける。2000系はまだしばらく動くだろうが、天候に恵まれて、もう一度、この光景を見ることができるだろうか?


 最後に、葬式鉄写真集。(^^;)


「はなぶさ」に集まる仲間たち


「はなぶさ」に集まる仲間たち

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 場所はご存じの通りである。

 

 今回は列車で行ったので、撮影のポイントが限られて、桜沢に行くことができなかった。天候が良かっただけに、これはちょっと心残りではある。他にも反省点はいくつかあったが、もうなんともならない。


 天候が絶対的に良いと確信を持てたことから、思い切って休みをとって行ってしまったが、結果はともかく、精神的にはかなり安らかになった。(^^;)

 ネットを調べると、同業者にも天候にあわせて同じような行動を取った人が少なからずいるようだ。これも、りんご色の2000系と素晴らしい景色がもたらす魔性の魅力のせいなのかもしれない。(駅長)






 






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2011年2月21日 (月)

【アーカイブ】1979年1月の御殿場線

瀬戸線からの吊掛けモーター繋がりというわけではありませんが、吊掛けモーター全盛?の1979年の御殿場線をアップします。

駅長様から、スキャンは時系列にやったほうが、とのご指導により記録がはっきりしている1979年1月からスキャンを始めました。その最初が御殿場線ということです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


えっ!これが御殿場線?と言われそうですが、間違いなく駿河小山です。写っているのは、前年、飯田線豊橋区の車両が80系300番台に置き換えられて余剰となった車両が、ここ駿河小山に疎開し、その一部を大船工場に回送するため、切り離しをするときのものです。(全電動車のパンタが上がっています。)手前からクモハ50000(クモハ42の3扉化車)+クハ47153(旧広窓流電サロハ66の改造車)+クモハ51027+クモハ51046+サハ75101+サハ48024+クモハ42009(アンダーラインが当日の回送車)


「はなぶさ」に集まる仲間たち


超有名撮影地、足柄・御殿場間を行く回送編成。1月10日、これだけみごとな冠雪を見せている富士山ですが、当日ここで撮ったのはこの1本のみ!(同行者の意志でこの列車を追っかけていくため)


「はなぶさ」に集まる仲間たち


御殿場駅まで戻ってSSE「あさぎり」と165系「ごてんば」の並びを撮っています。(せめてこの2本を上の場所で撮りたかった!)

当日は廃車回送を追っかけていったので、あろうことか頻繁に走っているはずの72系の走行写真は1枚も撮ってません。


というわけで?5日後の1月15日に再度御殿場線を訪れているのですが、天気も良さそうなのに、この日は富士山を絡めた写真が全くありません。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


10日はカラーが1枚もありませんが、15日は何故か両方撮っています。

まずは、駿河小山・足柄間のSSE 2712M。この場所で72系も撮っています。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


ここは谷峨・駿河小山間ですね。

637M クモハ73028+サハ78455(42系2扉車サハ48の改造車)+モハ72941+クハ79425

色再現が今一つですが、キチンと保存していないので仕方ありません。この頃はカラーネガで、特にこだわったわけはないと思いますが、コダックを主体に使っていました。


文中の同行者が、私を鉄道趣味に再び目覚めさせることになったわけですが、この後ドップリといわゆる旧型国電と非営業車両にはまりこんで行くことになります。(検査掛)

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2011年2月20日 (日)

【アーカイブス】やっぱり瀬戸線は吊り掛け天国時代が懐かしい

 今日は、瀬戸線6756編成のお別れ運転。まあ、なんともトホホなお別れ列車ですが、出撃された方、お疲れさまでした。とりあえず、1枚貼っておきます。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 帰りには、動いていた一次車に乗って帰ってきました。名鉄の吊り掛けに乗るのも、これが最後かな。


 さて、瀬戸線と言えば、やはり吊り掛け天国であった時代が懐かしく思い出されます。いわくありげな各社の由緒ある名車が営業を兼ねて保存運転(?)されていたのは、瀬戸線ならではの歴史として忘れられないことかと思います。そうした歴史も、いよいよこの夏くらいで切れてしまうのですね。


 で、懐かしい瀬戸線の旧型車。せっかくですからカラーでお見せしましょう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 まずは、元ガソリンカーで日車型流線型のク2220形。ちょっと頭が流れてしまっていますが、昭和45年の撮影と言うことで、お許しを。素材はフジカラーのネガ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 続いてク2101+モ754の編成。ク2100形は、トヨタの工場への輸送のため、モユニ2005の払い下げを受け、車体を鋼製に改造、モ3100形として竣工し、昭和41年に制御車化されて瀬戸線に来た車両の筈です。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 続いてモ704+ク2325。揖斐線でよく見られた編成ですが、これは瀬戸線時代である。矢田川の2点は昭和47年の撮影。いずれもコダックのネガ。

 その後の瀬戸線のカラーは、まだスキャンしていないので、またおいおいご覧にいれましょう。


 ところで今日、久々に瀬戸線を訪れたら、ある駅が大変貌しているのに気がつきました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 後ろにあった建物が無くなっている。これではよくわからないが、検車区のあたりも空き地となっています。どうやらこれは高架の工事が始まるためのようで、駅の横にはこんな看板がたてられていました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 こう考えると、吊り掛け車のさよなら運転も、将来は高架化される環状2号のあたりで撮った方が記録として良かったかな。まだ、チャンスはあるので、次回は喜多山のあたりで撮影してみましょうか。(駅長)


リクエスト:瀬戸線の逆富士の特急板をデザインしたイベント列車が走ったことがあると聞きましたが、撮られている方、いらっしゃいますでしょうか?

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緊急レポ・manaca(マナカ)と戦う

ちょうど地下鉄定期券が期限を向かえたことが事の発端でした。元はといえばmanacaに関する情報を事前にきちんと習得していなかった自分が悪いのですが・・・。

今回はmanacaを購入せざるを得なくなったことによるエピソードを記すことにいたします。もしこれからmanacaの購入を検討されている方は、私のような誤りや勘違いを起こさぬよう(→そんな奴いないって)お気をつけ下さい。交通事業所にお勤めの方や鉄仲間の方々から見れば、「今さら何を言っているの」と白い目で見られそうなことは覚悟のうえで。


自分の定期券は2011年2月10日現在、次の2枚を所持していました。

【名鉄】犬山線A駅~上小田井 2011/03/07まで有効

【地下鉄】上小田井~鶴舞線K駅 2011/02/18まで有効


【地下鉄定期券はmanacaのみ】

2月12日(土)、地下鉄定期を継続しようとK駅の定期券発行機に寄ったら「使用停止」の張り紙。駅員に尋ねると、「定期券の購入は11日からmanacaを使って下さい」。え、そうなの?つまり、地下鉄の定期券はmanacaのみしか発行しない、ということか?後で交通局のHPを見ると、確かにその旨の表記がありました。へぇ、知らなかった。いや、もっとうっかりしていたのは、地下鉄定期は18日(金)で期限が切れる、ということは、休み明けの21日(月)から有効の新規購入をすれば2日間トク?をしたはず。そうとは気付かず、地下鉄定期を継続してしまい、必然的にmanacaをK駅で購入するハメに。


【「たまルン」は名鉄manacaのみ】

ポイントサービス「たまルン」を利用するためには、発行元が㈱エムアイシー製のmanacaに限られる。名市交関連の交通事業者から購入したものはNG。地下鉄K駅で購入した自分のmanacaも当然NG。知ってはいたけど、なんだか融通利かない!!


【manaca定期券は入出場チェック機能は外されない~当たり前か】

定期券には入出場チェック機能が付いているが、名鉄/地下鉄2枚の定期券を所持している乗客が、地下鉄の駅で入場し、接続駅をそのまま通り越して名鉄の駅で出場(その逆も然り)すると、双方の定期券に入出場どちらかの記録が残らないことになるため、これによる改札機エラー反応を防ぐ手段として、名鉄/地下鉄接続駅(上小田井、赤池)を発着する定期券は両社とも入出場チェック機能を外してある。名鉄の場合は接続駅からの地下鉄定期券を所持していることが条件であり、それを確認した証として定期券発行時には「連」マークが印字される。

こんな印→「はなぶさ」に集まる仲間たち


よって、自分のような買い方で2枚の定期券を持つと入出場チェック不要の「特殊」な定期券が入手できるわけで、これが果たしてメリットがあるのかないのかは自分にもわかりません(笑)。








さて、12日夕方の帰宅時、勤務先のK駅からmanaca定期で入場し名鉄A駅で名鉄定期で下車。はい、この時点でmanaca定期券には出場記録がありません。次の出勤日、いつもどおり名鉄定期でA駅から入場し、地下鉄K駅でmanaca定期で出場しようとしたら、当然ハネられました。窓口で事情を説明して、機械を通さずに出場し、駅務室で12日の入場記録をクリアしていただく。やはりmanaca定期券は、磁気券のように入出場チェック機能を外すことは不可能なのでしょう(→よく考えたら当たり前なのだが)。したがって、manaca定期券と磁気定期券の組み合わせを持ち、接続駅を通り越して乗車する際は、行きも帰りも必ず有人窓口を通り、両方の定期を提示して入出場の証明をしなければならなくなるので、実にうっとおしい。


【入出場が同一駅となるときは注意】

たとえフリーパス的性格の定期券でも、manaca定期では、入場後の出場駅が同一であるときは、窓口で入場記録を消してもらわないと出場できない。もし、入場後に忘れ物に気付いていったん出場したいときなど、たいへん面倒である。ところで、従来の磁気定期券でも同様の事象が起こるのでしょうか。どなたかご教示ください。


【継続定期券の払い戻し】

いちいち窓口で説明して入出場するのは煩わしくてかなわないことに観念して、泣く泣く1枚の定期券に統一することを決心しました。名鉄定期の期限である3月7日に、manaca定期に名鉄区間を上乗せして買い直せばよいのですが、前述にあるように、手元のmanacaでは「たまルン」ポイントの登録ができないため、やがてこれも返却するつもりでいるので、この方法は却下。よって、名鉄定期を継続するときに地下鉄区間を上乗せする方法を選ぶことにしたのだが、それまでは地下鉄区間では普通乗車券でつなげるしかありません。

せっかく継続した地下鉄定期を解約するべく、16日夕方に駅務室にて2月19日からの継続分“だけ”を取り消したい旨を申し出ると、「払い戻しをすると2月18日までの分も一緒に取り消されてしまいますよ」。こういう制度になっているとは、manaca導入とは関係ないこととはいえ、初めて知ったのである。払い戻しは最終使用後の駅、つまり上小田井で申し出ればよいのか?と尋ねたら、「そこは名鉄の駅なので地下鉄定期取り扱いが出来ません。上小田井に最も近い取り扱い駅は庄内通なので、そこで払い戻しをして、済みませんが上小田井までは切符を買ってください」。ゆえに、払い戻し手数料500円と庄内通→上小田井200円の負担となりました。


↓日付にこだわり、こんなバカげた買い方をしていたのも遠い昔。自分の写真を持ち込んでオリジナル定期券(手数料500円)を作ったのも懐かしい思い出。ビデオ画質からの印刷のためか、写りは良くなかった。画像一部修正してあります。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


普段から高い割引率で乗車している立場上、あまり文句を言うこともできませんが、どうも腑に落ちないことばかり。なんだかmanacaに振り回された一週間でした。結局トクしたのか損したのか???


なお、もし文中で誤った解釈をしている箇所がありましたら、ご指摘いただければ幸いです。(長文ごめんなさい・出札掛)



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2011年2月19日 (土)

【アーカイブス】栄俯瞰撮影

 天候に恵まれた今日は、長電沿線は撮影者で混雑しているであろうが、残念ながら所用があり撮影はかなわなかった。

 ということで、スキャンデータによるアーカイブスの紹介に戻ることにする。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 今回は、名古屋市電の栄停留所を俯瞰した写真をお見せしたい。今は種々の理由からビルの屋上にあがるのは難しくなったが、この頃は部外者でも比較的簡単に屋上にあがることができた。また、百貨店の屋上は遊園地などで来店者に開放されており、そこからも撮影が出来た。


 これは、オリエンタル中村、そう、現在は三越になってしまったが、その上からの撮影である。昭和46年1月末の栄廃止が近い頃の撮影である。当然ながら、スカイルはないが、銀行や証券会社は当時とはことごとく名前が変わっていることがわかる。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 続いて、これは丸栄の屋上からであろう。こちら側では明治安田生命ビルがちょうど建築中のようだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 続いて、丸善の屋上から伏見方向を見た光景である。まだ、やまと生命ビルが堂々たる偉容を誇っている。


 こうやってみると、意外に当時とビルが変わっていないようなところもあるし、大きく変わってしまったところもある。ここに写っているビルは、それからでも40年が経過しているわけで、そろそろ老朽化という話が出てきても不思議ではない。昨今の経済情勢では一気に変わると言うことはないかもしれないが、このあたりも駅前のようにいずれ大きく変貌するときが来るのであろう。(駅長)

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2011年2月18日 (金)

67.「北びわこ」雪の蒸機鉄(C57)(2号車) 2011/2/13

 2/13は冬の「北びわこ」運転最終日、前の週に続きC57が登板予定で、積雪が期待できそうな天気予報だったので、前日、夜遅くに長野から帰宅したばかりで寝不足の状態でしたが、急遽、スクランブル発進となりました。出札掛様が「北びわこ」へ出撃されるとのことでしたので、便乗させていただきました。出札掛様、ありがとうございました。


 今度こそ今庄あたりで「日本海」をと思いましたが、情報では、木之本IC以北はチェーン規制がかかっており、大雪でドツボにはまっては元も子もないので、安全策をと考え、前週大幅遅れで撮れなかった「日本海」を近江塩津で迎え撃つことにしました。




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 定番の湖西線と北陸本線の交差部分のトンネル上で「日本海」を待ちました。現地到着時は風も弱く雪も止んでいましたが、急に強風が吹き荒れ、横殴りの雪とともに急激に視界が悪くなってしまいました。この日は前走りの貨物列車がやって来ましたが、先行きが心配されます。


【2011/2/13 近江塩津~新疋田】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 情報によると「日本海」はほぼ定時で運転とのことでした。通過数分前にそれまで降っていた雪も止み、陽が差してきました。「日本海」通過まで何とか持ちこたえてくれるよう祈るような気持ちで列車を待ちました。トンネルの接近ブザーが鳴り、日差しも何とか持ちそうな感じで前週のリベンジ達成かと思った瞬間、機関車はトワ釜、せっかくいい条件で撮れたのに消化不良となってしまいました。


【2011/2/13 近江塩津~新疋田】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 続いて、続行の「雷鳥」、3連休のためこの日も9両に増結されていました。こちらも雲の切れ間から晴れ間が覗き、いい条件で撮影することができました。この後、「北びわこ」を撮るために河毛へ移動しました。


【2011/2/13 近江塩津~新疋田】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 前週と同様、最も煙の期待できる河毛の発車を狙いました。煙を強調したかったため少し正面がちのポジションを取りました。発車直後に薄日が差してきて、これはいい感じと思っていたら列車がシャッターポイントに来た時には太陽は雲に隠れ、通過直後にまた晴れるといった毎度おなじみ悪いパターンにはまってしましました。煙は多少手前に流れましたが、C56を含めた3日間のうちでは一番まともだったと思います。駅長様がこの後ろのアウトカーブポジションにいらっしゃったそうですが、お互い猫の目露出に翻弄されたって感じですね。


【2011/2/13 河毛~高月】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 この日は3連休のため、臨時「雷鳥」が2往復運転されていました。このうち下りの87号が「北びわこ」1号と3号との間のちょうどいい時間に来るということで、少しだけ臨時「雷鳥」に浮気しました。あまり深入りしすぎて「北びわこ」3号に間に合わないといった状況にならないよう、マキノ~永原の定番俯瞰ポイントで列車を待ちました。考えることは皆同じで、「北びわこ」掛け持ちの同業者が20人くらい集まりました。背景の木々に着雪がなく、高圧鉄塔が目立ってしまいましたが、直前まで吹雪状態で視界が効かなかったことを思えば、よしとするしかないですねぇ。


【2011/2/13 マキノ~永原】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち




 臨時「雷鳥」撮影後、河毛へ戻りましたが、アウトカーブのお立ち台とともに激パになるこのポジションを覗いたところ、まだ余裕がありそうだったので、三脚の隙間に入れさせてもらいました。この冬最後の「北びわこ」なのと1号の煙の状態からサービス爆煙を大いに期待しましたが、何と、白煙での走行、煙が白い空と同化するわ、おまけにドレン攻撃にも見舞われて機関車の足回りは見えないわで、何ともトホホな結果に終わってしまいました。


【2011/2/13 河毛~高月】(電車運転士)


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2011年2月16日 (水)

66.惜別 長野電鉄2000系 2011/2/12

 駅長様・検査掛様に続いて、遅ればせながらご一緒させていただいた長野電鉄の2000系をアップします。この日はA編成(茶色)の定期運用最終日ということもあって沿線にはそれなりに同業者の姿が見られました。雪晴れを期待して名古屋を後にしましたが、園原ICから長野方面はずっとチェーン規制がかかっている状態で、残念ながら雪晴れとはならず、現地へ到着した時は雪が降ったり止んだりの天気でした。それでも、2000系の最後を記録できるチャンスが得られたというように気持ちに切り替え、シャッターを押してきました。







「はなぶさ」に集まる仲間たち



 この日の一発目は駅長様もアップされている信濃竹原での交換風景です。降りしきる雪の中、姿を現したのは茶色のA編成です。これで今日の「ゆけむり」の代走はA編成で決まりとなりました。駅長様とは少し立ち位置を変えて正面がちに狙ってみました。


【2011/2/12 信濃竹原】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 続いてもう一方の運用に入っているD編成(りんご色)をどこで撮ろうか迷いましたが、雪が止みそうになかったので、結局、定番の夜間瀬川鉄橋に落ち着きました。茶色の現役を知らない世代にとっては2000系といえばやっぱりこのりんご色に親しみを感じます。


【2011/2/12 信濃竹原~夜間瀬】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 天気がよければこの俯瞰ポイントに行くつもりでした。残念ながら天気が悪く今回はチャンスに恵まれませんでした。写真は昨年の2月のものですが、大パノラマが広がっているもののバックの山の見え方が微妙だったので、どうしてもリベンジしたかったのですが、叶わぬ夢となってしまいました。【2010/2/20 夜間瀬~上条】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち



 カメラを少し左に降ると完全サイドになりますが、車両がもう少し大きくなり、北アルプス?バックの構図が可能となります。こちらも山の見え方が微妙で、団扇であおいで雲を吹き飛ばしてやりたい心境でした。やっぱりりんご色は遠景にも映え、存在感があります。


【2010/2/20 夜間瀬~上条】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 りんご色の午前中の信州中野以遠の運用は終了し、「ゆけむり」との離合が撮れるということで、柳原に向かいました。こちらも検査掛様とは立ち位置を変えて正面がちのポジションから狙ってみました。運転士と車掌が手で軽くあいさつを交わしています。


【2011/2/12 柳原】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 「ゆけむり」代走の茶色は時間があまりなかったこともあって近くの村山橋へ移動しました。架け替え前の雰囲気とはガラッと変わってしまいましたが、編成写真を撮るにはおあつらえ向きのポジションです。


【2011/2/12 柳原~村山】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 雪も止んで薄日が差すまで天候が回復してきたので、高社山が見えるかもしれないとの淡い期待を持って夜間瀬川の鉄橋へ戻りました。結果はご覧のとおり山頂付近には雪雲がかかってしまい残念な結果となりました。


【2011/2/12 信濃竹原~夜間瀬】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 帰る道中に、マスコミ報道に廃止の記事が載った屋代線に寄り道をしました。これといったポイントが思い浮かばなかったので、とりあえず古い木造駅舎が残る信濃川田の交換風景でお茶を濁すことにしました。夕暮れ迫る風景の中、クジラ同士が行き交います。今回の屋代線はこのシーンだけでしたが、葬式鉄であふれる前に再訪したいと思います。


【2011/2/12 信濃川田】(電車運転士)


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2011年2月15日 (火)

【アーカイブス】最初のコダクローム

 最終的に何本使ったか、途中からカウントの仕方を変えたため、総本数はわからないが、1992年頃にフジのプロビアに切り替えるまで、15年程の間、35mmカラーはコダクロームで撮影していた。その最初の撮影は、1976年9月である。

 それまでのカラーは中版フィルムのエクタクロームを使っていたが、電車の撮影が中心となるとコマ数が嵩んで費用がかかるし、フィルムが大きいため、1/500をきっても動態ブレが目立つ。それが35mmに鞍替えした理由であったが、この頃にコダクローム64が発売されたのが、直接のきっかけであったかもしれない。それまでコダクロームはASA25のコダクロームⅡしかなく、高速シャッターが切りづらいのが難点であった。しかし、コダクローム64の発売によってASA感度が上がり、高速シャッターがきれるようになった。

ご存じのように、発色ではコダクロームⅡが伝説的ともなった素晴らしさであるのに対して、コダクローム64になってからは発色が不安定で, その後、さんざん苦労することになる。しかし、当時はそのような事は知るすべもなかった。今となってはコダクロームⅡを使うことが無かったのが悔やまれる。

 

 コダクローム最初の撮影は、金山橋駅であった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 よく見て貰うと、これがとんでもない写真であることがわかるだろうが、なぜか、この列車の反対側も、対向してやってくる列車もカラーでは写していない。多分、この頃はモノクロが中心であったので、モノクロで撮影しているのであろう。今にしてみれば残念である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この後は、国道19号の陸橋の上から撮影している。クリームツートンの流線が懐かしい。この場所が、いまどうなっているかはご存じの通りである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 すでにこの頃には塗装のスカーレット化がかなり進行していたが、とはいえ、まだクリームや緑の塗装も残っていた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この後は、日にちを変えて、岩倉と石仏の間で撮影したコマとなる。現在は宅地化が進んで様子は様変わりしているが、場所は岩倉と石仏のほぼ真ん中あたりで、当時は両側に田園が広がっていた。まだ5500系の座席指定特急が走っていたようだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 同じ場所で撮影した7301。テストで自動標板を付けていた時代である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最後に、緑一色のAL特急。831と805の800形4連である。鮮やかな特急は駄目だが、こういう列車を撮影すると、コダクロームは落ち着いた実によい発色をする。

 コダクロームで撮影した写真は、また、おいおい発表していきたい。(駅長)



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2011年2月14日 (月)

惜別 長野電鉄2000系

既に駅長様が速攻でアップされていますが、両親が長野出身で、自身も長野生まれ、しかもほぼ同い年の検査掛としても、思いを込めて12日のアップをさせていただきたいと思います。

まずは駅長様も撮られている桜沢の交換を線路を跨いだ側から。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


この日が定期運用の最終日ということで、当然といえば当然ですがA編成が代走運用に入りました。この頃は雪は小康状態でしたが、この後やや降りが激しくなってきました。

D編成の山ノ内はたおりを撮った後、駅長様のたっての希望で、「ゆけむり」を夜間瀬川で捉え、長野方面へ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


駅長様が「ゆけむり」とD編成の離合がある、ということで柳原へ。島式ホームでは鉄の姿もしかたなし・・・。

天気は回復する様子もなかったのですが、D編成の長野行を国道18号から俯瞰して、再び山ノ内方面に向います。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


山ノ内にたどり着くと、あれだけ降っていた雪もやんで、青空すら覗いてきました。今日は殆どカーブで撮ってきたので、順光になった上条手前の直線で七三でキメてみました。優美な昭和のスタイルが際立っています。

2000系A編成定期運用最後の1枚は当然ながら夜間瀬川で、山頂までは見えないけれど山ノ内の象徴、高社山をバックに名残を惜しみました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


せっかくなので、12Aレと信濃竹原交換でやってくる3500系307レをどうやって撮ろうか・・・と考えていたら、鉄の家族でしょうか、親子連れが鉄橋を見ていたので、断りもせずにパチリ。

この子達が今の私の歳になったとき、果たしてここには鉄道は残っているのか、残っていればどんな車が走っているのか、なんて思ってしまいました。


ありがとう・・・長野電鉄2000系!

(検査掛)


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2011年2月13日 (日)

65.関東地区 旧型電機めぐり(両毛線) 1977/4/2

 関東地区の旧型電機めぐりの2日目は両毛線のEF12です。大人気だったEF57の貨物版で、EF57と並んで戦前の電気機関車の集大成ともいえる優秀機でした。運用路線が両毛線・吾妻線といったマイナーな路線だったこともあって、注目されることも少なく、地味な存在でした。今回の撮影行は自分がまだ撮ったことのない車種を中心に撮りたいというのが大きな理由だったため、マイナー路線が続きますが、ご容赦ください。





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 両毛線の沿線は平坦な田園地帯が多く、変化の少ない風景が続きます。広々とした長閑な風景の中をEF12の貨物列車がノンビリと通り過ぎて行きます。両毛線は東北本線と上越線を短絡していたため、貨物列車のバイパス的性格を持っていたのか、思ったより編成が長く、最後部が切れそうだったので、あわててカメラ位置を調整したのを覚えています。いつもの悪い癖で風景を大きく取り込んでしまったため、EF12かどうかわからない写真になってしまいました。


【1977/4/2 思川~小山】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち



 同じ列車を流し撮りしてみました。シャッタースピードが速かったため、流し撮りかどうかよくわかりません。おまけに後部のデッキが微妙に切れてしまいました。まあ、これならEF12ってわかっていただけると思います。


【1977/4/2 思川~小山】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 身延線で電車を1枚も撮影できなかった反省から両毛線では電車も意識して撮ってみました。当時の両毛線の主力電車はスカ色の70系、80系はまだまだあちこちで現役でしたが、70系はそろそろ引退の声が聞こえ始める頃でした。ノーマルなクハ76先頭だろうと思っていたら先頭車はクハ77、サロ85に103系高運もどきの運転台をくっつけ、さらに3ドア化した車両で、これはこれで珍しい車両ですが、自分としては普通のクハ76先頭が撮りたかったので、複雑な心境です。


【1977/4/2 大平下~岩舟】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち



 今度は、とりあえずEF12とわかるようなポジションで狙ってみました。側面がやけに白くなっていますが、反逆光の反射ではなく「団結号」の消し方がいい加減なことから、白ペンキがベッタリと残ってしまっているためです。この頃は3月になると毎年のように組合の春闘が行われ、「団結号」があちこちで走っていましたが、一部では春休みに入っても元の状態に戻っていない車両も見られました。


【1977/4/2 大平下~岩舟】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち



 前の画像の列車は思川でバカ停するので、後続電車で追っかけました。車番は6号機でしたが、正面窓は非Hゴム、標識灯も引っ掛け式で原型に近い状態のカマだっただけに、「団結号」の亡霊みたいな状態は返す返すも残念です。


【1977/4/2 思川】(電車運転士)


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2011.2.13 SL北びわこ ほか

 昨日は1日長野で鉄をしてきたので、今日はおとなしくしている予定であったが、早く目が覚めてしまった。外を見ると、好天。幸いにも急ぎの予定はない。昨日の自動車の中で、昨今の鉄道情勢について話をして、気持ちがハイになっていることもあり、急遽、撮影に行くことにする。

 とりあえず、先週、電車運転士さんが撮影した北びわこ号を目指して、長浜にクルマを走らせた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 久しぶりの撮影なので、河毛駅に曲がる道を間違え、一本高月よりの道をまわってしまう。そのまま北陸道と北陸本線を越えると、道路沿いに並ぶ鉄クルマの列。高時川の築堤のお立ち台の近くに出てしまったようだ。

 戻って河毛駅の近くに行こうかとも思ったが、予定していた場所から俯瞰気味に撮ると、風で煙が流れる可能性がある。築堤を見上げる道路上にたくさんの同業者が一列になってカメラを構えているので、ここで撮ることにする。この場所はまだ撮ったことがないので、ちょうど良い。高時川のお立ち台も見に行ったが、脚立を使っても入る余地がないほどの撮影者が居るため、そこは諦めざるをえなかった。

 着いたときは薄曇りで、時折雪も舞う天気であり、光線状態は気にならないと思っていたが、なんと、発車の直前から雲が切れて、日が差してきてしまった。逆光の雪に蒸機の黒。これほどたちの悪いシチュエーションはない。一面の雪原なら雪の反射でなんとでもなるが、かち上げの構図では何ともならない。

 果たして、雪は飛び気味。なんとかフォトショップで修正するが、もうひとつの写真となってしまった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


  同じ場所で標準レンズ。手持ちでカメラを取り替えて撮影してる。

 こちらの方は雪原の面積が多い上、急に日が照ったことから露出を1/3段あけたままにしていたので、より雪が飛んでしまった。蒸機に陽がまったく当たっていないので、アンダーを気にしてあけ気味の露出にしたが、逆に雪原が白飛びしてしまった。こういう場合は、どうやらアンダー覚悟で撮った方が良いのかもしれない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 午後の列車も撮影しようかと思ったが、2時間待つのが面倒になったことと、伊吹山が綺麗に見えたので、帰りがけに定番の撮影地でしらさぎを撮ることにする。しかし、撮影地に着く頃には雲が流れてきて青空が隠れ、もうひとつの写真になってしまった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 もともと、今日は時間が出来たら瀬戸線の吊りかけさよなら運転の看板を撮りに行く予定をしていたので、帰りに瀬戸線に立ち寄る。手軽な庄内川の鉄橋に行こうかと思ったが、駐車場所を探すのに手間取り、鉄橋脇に着いたらちょうど目的の列車が行ったばかりであった。

 そこで、栄からの戻りを撮ろうと、森下の駅に。ホームに上がると、すぐに看板ではなく、シールが貼られた6656がやってきた。近くにいた同業者に聞くと、もう1編成は動いていないと言う。来週のさよなら本運転にも行くかもしれないので、今日のところはこれが撮れれば目的達成である。さらに1時間も待つ気はないので、本日の撮影はこれにて終了とした。出来は、光線に恵まれなかったこともあって、もうひとつかな?(駅長)

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2011年2月12日 (土)

2011.2.12 長野電鉄2000系 A編成 ラスト・ラン

 長野電鉄がスノーモンキーの導入に伴い、長年、主力車として使用してきた2000系が引退する。オリジナルの茶色に塗られたA編成が、この12日限りで運用を退くと言うことで、お誘いを受け、長野まで行って来た。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 まずは信濃竹原で湯田中行きの一番列車を撮影。雪の降る中、前照灯に雪が映えてなかなか良いムードである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 その戻りの長野行き特急を、2000系D編成と行き違う桜沢で撮影。2000系同士の交換は、撮影時間帯には1日1回、このチャンスだけである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 湯田中からの長野行きを夜間瀬と信濃竹原の間のカーブで撮影する。インカーブ側からは、障害物が無く撮りやすい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 悪天候という天気予報に荒天を覚悟して出かけたが、誰の心がけが良いのか、午後からは薄日も差してきた。上条の手前の連続Sカーブで、湯田中行きの特急を撮影する。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 その折り返しを夜間瀬の鉄橋で撮影。残念ながら、高社山はその全貌を表してくれなかったが、午前中は雪模様だったのに、ここまで回復してくれたことに感謝すべきだろう。運転手さん、どうもご苦労様でした。(駅長)


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2011年2月11日 (金)

【アーカイブス】181系「とき」 by出札掛

駅長様の上越線記事に刺激を受け、ふと181系「とき」との出会いを振り返ってみようと思いまして、昭和57年の夏、18きっぷを使って東京近郊を訪れたときに撮影したものをアップします。

東京行きの目的は、同年11月の上越新幹線開業に伴うダイヤ改正で姿を消す房総急行群、上越特急「とき」、ついでに大川支線のクモハ12や根府川などを軽~く撮影するだけでした。当時の撮影画像を振り返ると、もっぱら線路端での正面アップや編成写真が中心。それ以外は、下車して歩くのが面倒なので楽をするためホームでの撮影という軟弱な行動をしていたせいで、お見せできそうな写真はほとんどなく、なんともお恥ずかしい限り。電車運転士様のようなバイタリティがとてもうらやましく思います。

ただ、それぞれのコマを見ていると、二度と撮れない列車、車両がずら~りと現れてくるのを見て、つまらない画像とはいえ貴重なものになっているのは、いくらか慰めになります。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

上野駅入線を捉えました。このころは前照灯の点灯が義務付けられていなかったので、少し物足りなく感じるかもしれません。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

「はくたか」との並び。当時は特急同士の並び撮影がいくらでもできたのでしょうねー。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

オカボンあたりをうろつきながら撮影したときの一コマです。標準レンズで無理やり流し撮り、しかも後追いですが。


これほどの名列車を名撮影地でまともに撮っていなかったのは痛い話ですが、どうにか廃止前に自分の手でカメラに収めることができただけでも良しとしましょうか。(出札掛)


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2011年2月10日 (木)

【アーカイブス】上越線EF58

 先日、出札掛氏のリクエストに応じて蒲原鉄道の写真を紹介したが、そこを訪れた翌日には上越線を訪れている。最近は国鉄電機や特急をご覧にいれていないので、今回は久々に旧国鉄の車両を紹介したい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これは越後中里の鉄橋を走るEF1622+EF58120の臨時急行である。いわゆるお立ち台の名所であるが、残念なことにここは名古屋からは行きづらい場所なので、行ったのは1度しかない。当時は、遠出してまで国鉄の機関車を撮らなかったこともあるのだろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この時の目的は、この181系のときだったかもしれない。当時、昼間の数往復に残るだけだったと思うが、撮影しているのはこの列車だけのようだ。幸いなことに、本命の列車だけは晴れている。しかし、いつ見ても優美なスタイルである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 すでにこの時には、ほとんどのときは183系に置き換えられていた。当時は来るから撮った、という程度であるが、それでも今から見れば懐かしい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 光線は悪いが、反対側でも撮影している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この頃には、こんな荷物列車も走っていた。実は、この場所ではEF16+EF58の臨急を撮影するのが目的であったが、カラーはレリーズの調子がおかしかったようで、モノクロのみ撮影している。(駅長)

 

 

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2011年2月 9日 (水)

出勤前に瀬戸線に行って(?)きました

駅長様から情報を頂き、今日ならば出勤前に確認できるかな、というわけで、見てまいりました。

その情報というのは、名鉄のHPに2月9日から6750系に「さよならマーク」を付ける、というものでしたが、それが1月30日に出札掛様がアップされたものとは異なるものであるので、差し込み式のA1+A2編成はともかく、シールを貼ったA6編成はこんな短期間で貼り替えられるものなのか・・・?という疑問を持ったのです。

というわけで、駅頭に立って待っていると・・・。まずは早速A1+A2がやってきました。こちらはHPの告知通りに変わっていました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


その後ろは↓

ちょうどバトンタッチする4000系と並びました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


さらにしばらく待っていると、ほどなくA6編成もやってきましたが・・・。↓


「はなぶさ」に集まる仲間たち


やはりと言うべきか、出札掛様のアップされたマークのままでした。

私個人としては、違ったマークが撮れて良かったのですが、このあとA6編成のものは貼り替えられるのでしょうかねぇ。

それはさておき、同社のHPによると、掲出は平日のみとなっています。これは、両編成とも土休日は運転しなくても運用は廻る、ということなのでしょうか?

いろいろ疑問が残りますが、とりあえずご報告まで。(検査掛)

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2011年2月 7日 (月)

64.「北びわこ」雪の蒸気鉄(2号車) 2011/2/6

 先週の「北びわこ」は定番のC56でしたが、2/6・13はC57の登板ということで2週連続の湖東地区への出撃となりました。先週の寒波襲来とは打って変わって冬型の気圧配置も緩み、雪がどの程度残っているのか心配でしたが、気象庁のHPの積雪深情報を信じて夜明け前に自宅を後にしました。出発前にJR東のHPを確認したら長距離列車の運休はなしだったので、適当なところで「日本海」を撮影後、「北びわこ」に向かう予定を立てました。名神に入ると道路情報では敦賀IC~福井IC間が霧のため通行止めとのこと。「日本海」は湯尾のカーブあたりでとも考えていましたが、行ってもおそらく霧で何も見えないだろうと思い、近江塩津付近に予定を変更しました。




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 高速が通行止めになるくらいのひどい霧ということは北陸本線の列車にも影響が出るのではといやな予感が頭の中をよぎりました。「日本海」の通過時刻にトンネル内の接近ブザーが鳴ったので、今日は定時か!と思いきや姿を見せたのはEF81の貨物列車でした。近江塩津あたりも結構な霧が出ていましたが、何とか撮影できる状況でした。


【2011/2/6 近江塩津~新疋田】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 再び接近ブザーが鳴って今度こそ!と気合を入れていたらやって来たのは続行の「雷鳥」、傍にいた同業者の情報では75分遅れとのこと、「日本海」を撮影後に「北びわこ」に向かうと時間的に微妙な状況になったので、泣く泣く「日本海」はあきらめ撤収を決断、「北びわこ」を撮るべく河毛へ移動しました。冬期の「日本海」は運休が多いのと運転されても大幅遅れが出やすいということで、鬼門になっています。


【2011/2/6 近江塩津~新疋田】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 「北びわこ1号」は河毛~高月の定番アウトカーブを覗いてみましたが、先週以上の激パだったので、先週のC56と同じポイントでC57を待ちました。C57は爆煙が期待できるので、空を広めにとったアングルで待ちましたが、琵琶湖からの風の影響もあって思ったよりも煙が上に上がらず、もう一息といった感じでした。


【2011/2/6 河毛~高月】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 折り返しの回送も先週と同じポジションで待ちましたが、陽の当たり具合から線路の反対側で狙うことにしました。ロクゴPFが音もなく雪原を滑るように走り去って行きました。


【2011/2/6 虎姫~河毛】(電車運転士)





 この日の湖東地方は晴れていたものの霞みがひどく、俯瞰は難しいといった状況でしたので、1号の反対側の定番ポイントで待つことにしました。4シーズンぶりのC57登板ということで、多数の同業者が集結、通過30分前の状況ですが、100人くらいになっていたのではないでしょうか?




「はなぶさ」に集まる仲間たち



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 河毛を発車した「北びわこ3号」が全力ダッシュで向かってきました。煙はまあまあいい感じでしたが、予想どおり琵琶湖側からの風によって左方向に流され、1本目の電柱が目立つ格好になってしまいました。なかなかイメージどおりにいかないのが蒸機の難しさですが、来週、再挑戦するか悩ましいところです。


【2011/2/6 河毛~高月】(電車運転士)

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1979年3月の長電2000系

駅長様が蒲原鉄道に出かけられた1979年、翌月には就職のため東京を離れる私は、それでもあまり東京周辺の写真は撮らず、目覚めてしまった旧型国電を各地に追い始めていましたが、第二の故郷といえる長野にはこの年も行っており、地下化を控え東急から青ガエル→赤ガエルの導入が始まった長野電鉄を撮っていました。


まず1枚目は長野駅です。アングルから、勝手にホームを降りて撮っている様に見られるかもしれませんが、当時の駅は18m3両分の相対式ホームが終ると、すぐに踏切となっていてそこから撮影したものです。車両の後ろの大きな屋根は、善光寺を模した国鉄長野駅です。

2000系も非冷房で、台車もオリジナルのOK台車?です。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


2枚目は、志賀高原をバックに朝陽・村山間を走る2000系です。今は中間に附属中学前という駅が出来て、朝陽・附属中学前間となりましたが、このあたりの風景は今もさほど変わってはいません。冷房がないせいか軽快な感じがします。この頃の車両はカルダン駆動の普及もあって、電動車ですら30tそこそこですから、実際軽快な車です。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


さて、いよいよ定期運用からの撤退まで、2週間となりました。A編成は惜別のヘッドマークに代わったようですが、あまり影響はないと思います。

(検査掛)

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2011年2月 6日 (日)

【アーカイブス】雪の蒲原鉄道

 出札掛さんから蒲原鉄道の写真を見たいというリクエストがあった。新潟県の加茂と五泉の間を結んでいた蒲原鉄道は1985年をもってほとんどの区間を廃止し、残りの五泉~村松間も1999年に廃止になっている。米どころ新潟を走る路線として、日本の原風景と言って良い風情ある景色が多くのファンを集めた魅力的な路線であるが、名古屋からは行きづらく、全線営業している時には1979年に1度いっただけの筈である。

 この時は、飯山線や長野電鉄を撮影してから蒲原鉄道と新潟交通を回り、上越線で181系のときやEF58とEF16の臨時急行などを撮影している。はなぶさのメンバーの誰かと一緒だったかもしれない。


 さて、1度だけの訪問で、しかも新潟交通とのかけもちではあまりたいした写真は撮っていない。どちらから入ったか記憶がないが、まず七谷にいって行き違いを撮影しているので、加茂から入ったのだろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 続いて狭口の方に歩いて、川沿いの区間で2本撮影している。ここは蒲原鉄道の一番の撮影地であったと記憶する。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 次は、冬鳥越のあたりだろうか?雪が多くて、足周りが見えない。これ以上、線路に近づくと危ないので、ここで撮らざるをえなかったのだろう。鉄道写真としては落第である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 その電車の反対側である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ここで電車に乗って、村松に向かったようだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 村松では、雪に埋もれた電車を撮影している。モハ11形は昭和初期の面影を残すスタイルで動くところを撮りたかったが、この日はお休みであった。モハ12はワンマン化されていたので、村松と五泉の間だけの運行だったかもしれない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 蒲原鉄道は、この撮影の後も5年ほど走り続けていたが、残念ながらその後は行く機会が無かった。この頃、時間はあったと思うが、意外なほど遠出はしていない。特に新潟は地理的にも行きづらかったことも理由だろう。秋のハサ掛けの光景などを撮れなかったのは残念である。(駅長) 

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2011年2月 5日 (土)

63.関東地区旧型電機めぐり(身延線)1977/4/1

 尾小屋鉄道さよならの余韻も冷めやらぬ3月31日、今度は春休みを利用して関東地区の旧型電機めぐりに出掛けるべく自宅のあった姫路を出発、大垣からの東京夜行の乗客となりました。当時は国鉄の現役蒸機が引退したばかりで、ポストSLとしてデッキ付きの旧型電機に注目が集まっていました。ギリギリ現役蒸機に間に合わなかった世代としては、茶色のデッキ付きの旧型電機に魅力を感じ、以前にもEF57・ED16を中心に関東地区を訪れたことはありましたが、それ以外の型式はまだまともな写真が撮れていないということで、4日間の旧型電機行脚を行ってきました。しばらくシリーズものとしてお付き合いいただくことになると思いますが、どうかご了承ください。





「はなぶさ」に集まる仲間たち





 東京へ入る前に、まずはEF10の活躍舞台のひとつであった身延線へ立ち寄りました。未明の富士で電車を降り、寒い中、身延線の始発列車を待ちました。明るくなるのを待ってホームに上がると角型ボディの37号機の貨物列車が待機中でした。身延線のEF10は甲府機関区の所属でしたが、ステップの下のところが白く塗られているのが特徴でした。


【1977/4/1 富士】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち





 身延線といえば富士山バックが定番ですが、この日は晴れていたものの春霞でキレイに見えなかったのと富士川沿いを行く列車のイメージが強かったのか、中流域の甲斐大島付近まで一気に北上することにしました。列車で移動中に富士川近くを走る場所を見つけ、衝動的に途中下車、シルエット的なイメージを狙ってみましたが、手前の木々が邪魔して機関車1両分しか入りませんでした。遠くなのでわかりにくいと思いますが、姉妹機のEF53と同じボディを持つ初期型がやってきました。


【1977/4/1 十島~稲子】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 イメージどおりの成果が得られないまま本来の目的地である内船で下車、1/50000の地形図を頼りに富士川をはさんだ対岸の道を甲斐大島方面へと進みました。富士川を絡めたアングルをいろいろ探しましたが、満足のいくものは探し当てられず、貨物列車の時間も迫ってきたことから富士川を入れたアングルはあきらめて、半ばヤケクソ状態で背景の杉林を取り入れたアングルに変更しました。この列車も初期型のEF10でした。


【1977/4/1 内船~甲斐大島】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 これまで撮ったものは遠目ばかりのアングルだったため、線路端に近寄って機関車がよくわかるポジションを探すことにしました。早咲きの桜が咲いていたので、これを何とかしようと試みましたが、モノクロではイマイチ桜の存在感が出ませんでした。朝、富士で見かけた37号機が戻って来ました。


【1977/4/1 内船~甲斐大島】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 身延線で富士山バックをモノにしないわけにはいかないと思い、沼久保まで戻ってきましたが、あいにく雲が広がり、思いどおりにはなりませんでした。どこか代わりのポジションはないものかとウロウロしている間に突然、単回が現れました。37号機と同様の角型ボディですが、ヒサシ付きの34号機でした。


【1977/4/1 西富士宮~沼久保】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 陽もかなり傾き、そろそろ限界かという時間帯になり、この日最後のカットはどうしようかと悩みましたが、運用を確認すると初期型が来そうだったので、これを型式写真風に狙うことにしました。予想どおり、姿を見せたのは一桁ナンバーの9号機でした。EF10はEF53と同じボディの初期型をはじめ、丸型ボディ・角型ボディがあり、角型ボディにはヒサシのあるなしの違いもあるということで、旧型電機の中では最もバラエティが豊富でした。


【1977/4/1 沼久保】(電車運転士)





 ところで、すでにお気づきの方もお見えになるかと思いますが、クモハユニ44をはじめとした旧型国電が1枚もありません。この時はEF10しか眼中になく、移動も多かったため、結局、旧型国電を撮る機会を逃してしまいました。クモハユニ44は別として車両的には飯田線の方が興味をそそられたためこのような結果になってしまったのでしょう…。今から思えば何てアホなことをしてしまったんだろうと後悔しています。せめて1枚くらいは旧型国電の写真を撮っておくべきでした。実は、この時以来今日まで、立地が中途半端ということもあって身延線を再訪する機会には恵まれていません。車両は味気ないものになってしまいましたが、一度、富士山バックをモノにしてみたいです。


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【アーカイブス】続山口線のSL

またしてもの西武山口線の投稿です。しつこくなるのでどうかと思いますが、ハーフサイズがどれほど見るに耐えられるか、アップしてみました。

まずは正向を。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


やはり、かなり荒くなりますが、まぁなんとか雰囲気はわかっていただけるでしょうか。

次にバック運転。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


色的にはこれが一番まとも。

機関車の丸い窓の間に「謙信号」と描かれたプレートが掲げられています。上の写真のように、なぜか正向には何もなく機関車自体はきれいに撮れました。

客車は、丸瀬布の動態保存車は井笠時代の緑に窓周り黄色に戻されているようですが、西部時代はこんな色でした。

最後はユネスコ村駅を発車する元祖「おとぎ電車」です。駅に蒸気の運転、木造客車の立て看板が見られます。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


「東三河のとも」様からの情報で、すべてではないにしろこれら40年以上前に撮影した車両が現存していることに驚かされると共に、保存にかかわっている方々に深く感謝し、終りたいと思います。

以上、1972年11月19日、検査掛、高校1年の秋のことでした。

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淡い景色

1月29日(土)の夜、天気予報を見ていると、またせっかくの休日というのに雪が降る予報(喜)。う~ん、もう一度広見線にトライしてみようかと翌朝早く外を覗くと、う~っすら雪景色です。インターネットで犬山方面の雪雲予想を追ってみると、明け方までは降雪の気配はごく僅かでも午前中に若干期待できそうな雪雲の流れ。先日の大雪ほどではないにせよ、それでも真っ白に染まった雪景色を期待して一か八かと広見線目指して車を走らせました。


現地に着くと案の定、やっぱり淡~い雪の量で地肌が見えてしまうほど。さらに、早朝に起きた名古屋本線での人身事故による影響で、本線に直通する特急については広見線内でも朝から運休しているよう。だが7時過ぎには事故現場が復旧し、特急の運転も新可児8:39発の94レから再開されました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

写真は94レの送り込み回送です。この日は1700系が充当されました。

ところで1700系が先頭にやって来ると、なぜかラッキーと感じるのは自分だけではないと思うのですが、いかがでしょう。


しかしこれだけの雪では、やはり物足りない。どうしよう、あきらめて引き返そうかとしばらく思案していたら、天気予報的中!雪がサーっと降り出し、周りの風景を徐々に白く染めてゆきます。今ならそう簡単には溶けないだろうと判断し、木々の枝が着雪している間に、先日の大雪日に行きそびれた愛岐トンネル西方のバイパス俯瞰を訪れました。脚立必須。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

木の枝がもっと白く染まるには降り足りない雪の量ですが、この先も降り続くとは限らないので、今のうちにと何本か撮影。新緑~夏にかけても訪れてみたい場所。


その後は先日同様、定番の愛岐トンネル真正面お立ち台には見向きもせず、トンネル東方のプチ俯瞰場所へ移動。ここはお立ち台がモロに入るアングルですが、幸いこの日は同業者が一人もいなかったおかげで当然誰も写っていません。やはりこの程度の雪では誰も出動しないのかな?ご覧のとおり着雪量は今一歩で、なんだか中途半端でした。(さすがに前回の大雪日は、陣取っている同業者を朝のみ1名確認しました。)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

待機中、天候が一転して雪が止んだとたんに太陽がうっすらと現れてきたので、着雪が落ちてしまわないよう祈りながら、シャッターを切りました。でも、この写真を撮る10分前までは大雪で視界がきかない状態だったのですから~。


雲行きを見ると、もうこれ以上の雪は見込めそうになかったので、これにて撤収となりました。この判断は正解だったようで。

さて今度の広見線雪景色は来シーズンまでお預けでしょうか。(出札掛)


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2011年2月 4日 (金)

【アーカイブス】地下鉄開業

 しばらく尾小屋鉄道の写真が続いてしまったが、そろそろ名古屋周辺の鉄道に戻るとしよう。


 今回は、たぶん、ちょっと珍しい写真である(と思う)。なぜ、珍しいかといえば、地下であったり、本数が限られていて、撮影が難しかったからだ。

 今回、ご紹介するのは名古屋の地下鉄である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これは昭和46年3月29日の名港線金山~名古屋港間の開業祝賀列車。当時、地下鉄の祝賀行事は確か昼前に行い、昼頃から営業運転を開始。このように飾った祝賀列車が1往復する、というパターンであった、と記憶する。祝賀列車は、祝賀行事の招待客を乗せた列車と営業1番列車の2回運転されたはずだ。撮影できるのは、当然、営業1番列車である。もちろん地下であることから、撮影の条件は厳しい。ストロボを焚くわけには行かないが、幸いにして、というべきか、当時はそんな高級なモノは持ち合わせていなかった。手持ちでぶれないように撮るだけである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 続いて、同じ昭和46年12月20日の市役所~大曽根間開業時の祝賀列車である。

残念なことに、祝賀列車を撮影していても、飾りのない営業列車は1枚しか撮影していない。さて、今となっては、どちらが貴重だろうか?


 地下鉄開業祝賀列車は、昭和49年3月の新瑞橋開業でも撮影しているはずだが、これはまだスキャンできていない。

 で、次は、昭和52年3月18日の鶴舞線八事開業である。日付をみてお分かりの通り、尾小屋鉄道廃止の前日である。この撮影をしてから、多分夜行で尾小屋に向かったのだろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この頃にはストロボを手に入れているが、カラーでISO感度が低いことや腕の未熟さが有り、相当光量不足をおこしている。まあ、写っているだけ良いとすべきか。


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 なぜか、この時には開通祝賀で飾られた八事の入り口の写真も撮影している。多分、バスを入れたかったのだろうが、もう少し、自家用車が切れるのを待てば良かったのに・・・。


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 なぜか、モノクロはバスが綺麗に写っている。(^^;)


 さて、最後に場所当てクイズ。これはどこであろうか。


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 もちろん、名古屋にお住まいの方ならすぐに見当がつくだろうが、開業時(この写真は昭和46年撮影)の沿線はこんな荒れ地だった。残念なのは、この付近の写真が、この1枚しかないことである。昭和45年には藤が丘にも行っているし、撮るチャンスはあったはずだが・・・。まあ、こんなに変わるとは予想できなかったのだろう。こうやってみると、やはり鉄路の上を走るモノは、何でも良いから撮れるときに撮っておかないといけないということを痛感する。(駅長)

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2011年2月 3日 (木)

さようなら尾小屋鉄道 (終列車)

 飽きもせず、尾小屋鉄道である。電車運転士さんが紹介されたより、特別車の方が回数が多くなってしまった。それでも、これが最後である。最後にあたり、これまでお見せできなかったいくつかのカットをご紹介したい。

 まずは、最後の時は雪で運転していなかった尾小屋の終点で、1975年の夏の撮影である。この時は、尾小屋まで往復しただけで帰ってしまったので、走りは撮影していない。


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 続いて、最終日の頃の写真である。


 これは最終日か、あるいはその前の週かわからないが、電車運転士さんも撮影された吉竹のあたりで撮影している。最終日だとしたら、極めて近くで撮影していたことになる。


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 次は最終日のさよなら列車の行き違いである。この駅は西大野だろうか?先行したキハ3の列車とDLにキハ2などを連結した最終列車との行き違いをフラッシュ(ストロボではこれだけの光量はでない)を焚いて撮影している。このキハ2には電車運転士さんが乗っているはずである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ところで、最終日のキハ3には前後に大きな看板が付いていた写真と着いていない写真がある。ネガの整理が悪くて、13日に撮影した写真と混在しているのかもしれないが、途中で看板が外されたのであろうか?


 最後に、尾小屋と一緒の時期に撮影した北陸鉄道の小松線である。車両も含めて、この雰囲気は廃止まで変わらなかったはずだ。もちろん、この時には小松の駅でしか撮影していない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

  当時、すでに自動車で鉄をしていたので、尾小屋でも追いかけて撮影できたはずである。それをしていなかったのは、こうしたローカル線への関心が、まだそれほど高くはなかったからであろう。何度も繰り返すが、今となってはいかにも残念である。(駅長)


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2011年2月 1日 (火)

さようなら尾小屋鉄道 1977/03/13(特別車3号車)

またしても尾小屋鉄道である。もう飽きた、といわれる方もあるかと思うが、折角の機会なので当時を思い出しながら、もう少し続けさせていただきたい。


 さて、尾小屋鉄道の当時の様子を思い出すのに、地図や当時のダイヤがあればもっと思い出せるのに、という方も多いのではないか。よくしたもので、ちゃんと地図やダイヤを載せていただいているサイトもある。ご存じの方もおられるだろうが、津島軽便堂写真館さんである。

 木曽森やあやしげな工場ナローとあわせて、尾小屋鉄道の素晴らしい写真もアップされている。ぜひ、あわせてご覧頂きたい。http://tsushima-keibendo.a.la9.jp/


 こんな感涙モノのお宝映像も紹介されている。このシーンを見ていると、当時の様子が眼前に浮かんでくる方も多いだろう。やはり動く映像は素晴らしい。

http://www.youtube.com/watch?v=zwsDVsqrnY8


 さて、今回は廃止の1週間前に行われたバスツアーの折りに撮影した写真を紹介する。この時のツアーの詳細はまったく覚えていないが、ネガを見るとどうもかなり参加者に配慮して運行されたようだ。


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 まずはお馴染みの大杉谷口の鉄橋。以前、カラーでお見せしたのと同じ列車のはずである。よく見て貰うと、ちょっと違いがあるのがわかるだろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この場所は、かなり広範囲に線路が見渡せたようで、電車運転士さんの撮られた写真のさらに右に振るとこんな構図となる。これもなかなか良いアングルである。


 大杉谷口ではこんな写真も撮っている。同じような写真で恐縮であるが、この3枚の写真を撮るのにどれだけの時間、待ったのだろうか?キハ2は一旦、尾小屋方面に走っていった筈だが、どうやって戻って客車を付けてきたのかな?


「はなぶさ」に集まる仲間たち


「はなぶさ」に集まる仲間たち



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 さて、場所は一気に暫定の終点であった倉谷口に飛ぶ。バスツアーの乗客で、時ならぬ混雑である。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この写真にはキハ3とキハ2が写っているが、連結しているわけではないようだ。これもどうやって運転してきたのかわからない。

 さて、最後は終点の尾小屋駅である。ここもバスで行ったようだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 列車は来ないが、駅は紅白の幕で飾られ、入り口には廃止のお知らせとありがとうの看板が取り付けられていた。


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 構内は雪がなく、路盤が見えているが、これは除雪をしたのだろうか?(駅長)






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