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2010年12月

2010年12月31日 (金)

祈って

今年も早くも大晦日を迎えました。この年になると一年はあっという間です。撮るものがない、とぼやきつつ、あっちも行きたい、こっちも行きたいと思いつつ、結局は行けずじまいに終りました。皆様は如何でしたでしょうか?

今年最後の一枚は、早々の復活を願ってアップさせて頂きます。これは今年4月、家族サービスで行ったときの1カットで、こんな年末を迎えようとは夢にも思いませんでした。蒸機とともにまた元気な姿を見せてほしいものです。

それでは皆様、良いお年をお迎え下さい。(検査掛)

「はなぶさ」に集まる仲間たち

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2010年12月30日 (木)

54.さようなら尾小屋鉄道 1977/03/17~19(1号車)

 早いもので2010年も間もなく終わろうとしていますが、いかがお過ごしでしょうか? メンバーの皆様には公私ともにお世話になり、誠にありがとうございました。2011年も引き続きよろしくお願いいたします。


 さて、連投になりますが、先日ご紹介した尾小屋鉄道の最終日の様子をアップしたいと思います。今回は最終日の2日前から現地に居座ることにし、3月16日の午後、自宅の姫路を出発しました。貧乏高校生の身ということで、当然のことながら小松までは鈍行乗り継ぎ、宿はすべて小松ステーションホテルという超エコノミーな行程となりました。


 3月17日早朝、小松ステーションホテルをチェックアウトし、1番列車で終点の尾小屋を目指す予定でしたが、1月に訪れた時には豪雪の影響で観音下止まりとなっていた状況は終点尾小屋の2駅手前の倉谷口まで伸びただけで、結局最終日になっても終点の尾小屋にはたどり着くことはできませんでした。そのくらいこの年の積雪は半端じゃなかったということを物語っています。終点尾小屋の独特の雰囲気をカメラに納められなかったのは不可抗力とはいえ非常に残念です。





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 暫定終点の倉谷口まで乗車、後は徒歩鉄で新小松方面へ向かい、適当な場所で撮影しながら1日潰そうということにしました。自分が乗ったキハ1が倉谷口から戻って来ました。観音下~倉谷口間にはトンネルがあり、撮影ポイントのひとつとなっていました。石造りのなかなかいい雰囲気のトンネルです。最終日3日前ということで、すでにお祭りモードになっており、全車両にさよならHMやモールの飾り付けが施されていました。


【観音下~倉谷口】1977/03/17(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 先ほどのトンネルの反対側は川沿いを走る区間です。3月も中旬過ぎというのにまだ残雪がしっかりと残っています。あいにくの小雨の中、キハ3がやって来ました。キハ3には特大のヘッドマークが取り付けられていました。


【観音下~倉谷口】1977/03/17(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 続いて波佐羅の大カーブへ移動、俯瞰気味に撮れるポジションで列車を待ちました。朝方に降っていた小雨も止み、太陽が顔を出してきました。キハ3が優雅に大カーブを進んでいきます。


【塩原~波佐羅】1977/03/17(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち



 同じポジションでもうひと列車撮ろうと待っていたら、いきなりDC122-キハ1-ホハフ-ホハフの客車列車が姿を現しました。ダイヤにはない列車で、多客のために急遽仕立てたものと思われます。予想外の収穫に満足して次のポジションに向かいました。


【塩原~波佐羅】1977/03/17(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち



 尾小屋のメジャーポイントのひとつ大杉谷口の鉄橋です。石積みの橋脚と薄っぺらい桁が軽便鉄道らしい雰囲気を醸し出しています。結構高さがあるので、高さを強調してみたいと思い、河原からのローアングルで狙ってみました。キハ3がゆっくりと渡って行きます。


【大杉谷口~金野町】1977/03/17(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 大杉谷口から遊園地前へ移動中のキハ1の車内です。超満員を覚悟していましたが、この列車に限ってかもしれませんが、意外に空いていました。軽便サイズのため、乗客の膝と膝がくっつきそうです。ロングシートの狭い車内でタバコを吸っている乗客(車内禁煙ではなかった)、車掌は次の駅まで客室で乗客と談笑、何とも長閑な風景です。


【キハ1車内】1977/03/17(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち



 大杉谷口から列車で移動したのが遊園地前。ここは大きな池のほとりを行く場所でした。駅名とは裏腹に遊園地らしきものはまったくなく、付近に民家もないためほとんど乗降のない駅でした。この池を利用した遊園地構想か何かがあって先行して駅を開設したといったことでもあったのではないでしょうか。ここまで単行で動いていたキハ3がホハフを1両ぶら下げてやって来ました。


【遊園地前~花坂】1977/03/17(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち



 夕方、新小松に戻り、しばらく時間を潰して暗くなるのを待ってバルブに挑戦しました。昼間は気がつきませんでしたが、電飾バージョンになっていました。これも想定外のことでうれしい誤算でした。これを撮影後、翌日の撮影に備えて小松ステーションホテルにチェックインしました。


【新小松】1977/03/17(電車運転士)




 翌3月18日の様子は後日2号車でアップしたいと思います。それではメンバーの皆様、よいお年をお迎えください。ありがとうございました。




 



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良いお年をお迎えください

 4月に「はなぶさ」ブログを開設以来、記事やコメントの書き込みをありがとうございました。いよいよ今年もあとわずかとなりました。良いお年をお迎えください。(駅長) 


「はなぶさ」に集まる仲間たち

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2010年12月26日 (日)

【アーカイブス】瀬戸線と名古屋市電のコラボ

 電車運転士さんから、路面電車の写真は周囲の風景が映り込んで、時代の流れを感じさせるから面白い、とのコメントをいただいたので、調子に乗って、次は珍しいコラボレーションをお目にかけるとしよう。

 そのコラボとは、瀬戸線との出会いである。

 名古屋市電では、専用線や貨物線を除くと平面交差は2箇所にあり、いずれも瀬戸線との交差であった。そのうちひとつが深田町(瀬戸線の清水)であり、もうひとつが徳川町と大曽根の間(瀬戸線は森下)である。瀬戸線だけ平面交差があったのは、実質的に軌道のような路線であったことが背景にあるのだろう。今回は、深田町(清水)の交差をお目にかける。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この位置がどこであるか、わかる人は少ないかもしれない。瀬戸線は高架になっているし、さらに道路の上には高速道路が走って風景が激変している。少し先に清水口への坂があるので、大体の位置関係がおわかりいただけるのではないか。

 瀬戸線の車両は、元愛電のク2300形か2320形である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これは反対側から見た平面交差。900形の特急が懐かしい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 当時、瀬戸線は各路線から集められた由緒(?)のある車両ばかりで、独特の雰囲気があった。この撮影をしたのは、それらの最後の時期で車両は整理されつつあったが、まだまだ面白かった。なかでも一番の好みであったのが、元三河鉄道のガソリンカーで、日車型流線型(びわこ号型ともいうらしい)のクハ2220形である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これと比べると、元知多鉄道の900形とか、愛電の2300形、2320形の特急の方はぐっとまとも(^^;)で、写欲の方はもうひとつわかなかった。今にして思えば、なんと贅沢な、ということになろう。対向の車両が電柱で串刺しとなっているのはお愛嬌である。

 ところで、この瀬戸線の特急には、パノラマカーと同じ、逆富士の方向板が取り付けられていた。小生の知人は、これを所有している。瀬戸線栄乗り入れの時のイベントで販売したのを購入したらしい。 12枚しかない筈なので、希少価値から言えば、パノラマカーより遙かに高いが、オークションに出したらいくらくらいの値が付くのだろうか?知られていないのが災いして、まともな値が付かないと予想するのだが・・・。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最後に車両は小さいが、尼ヶ坂付近の写真をお目にかける。撮影したときは、車両が小さくて失敗かと思ったが(もっと手前で大きな写真もある)、今にしてみれば周囲の風景もしっかり入って、これはこれで貴重に思えてくる。(駅長)


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2010年12月25日 (土)

【アーカイブス】栄の花電車

 タイや明治村の話題でアーカイブスの方がおろそかになってしまったが、引き続き1970年頃の名古屋周辺における鉄道の様子をご覧に入れたい。

 

 今回はお正月も近いので、華やかな花電車をご覧に入れるとしよう。


 名古屋市電や市バスでは、10月の名古屋祭りが近づくと、そのPRと祭りの盛り上げを図るため、花電車や花バスを運転した。確か、期間は5日間ほどであったと記憶する。

 花電車は、今も豊橋などで運行されているが、名古屋の花電車は専用の車体に全体を造花で装飾し、電球を取り付けたもので、華やかさは現在のものとは比較にならないほど見事であった。花電車は全部で6両がつくられ、3両ユニットで2行路で運行された。(1970年から4両、1971年から3両)特に広小路通りを走るときには6両のフル編成となり、見応えがあった。


 花電車は昼も素晴らしかったが、さらに見事であったのが、夜である。当時は今ほど夜のネオンが賑やかではなく、暗かったため、遠くからあたりを明るく照らしてやってくる電車の隊列は、それは印象に残った。

 この花電車の運行時刻は新聞にも掲載されていたので、夜の花電車を見るために沿線にくりだした人々も少なくなかった。


 この花電車の写真はあちこちで撮影しているが、その中からたまたま最近スキャンした栄のあたりの写真をお目にかける。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これは丸栄の前で折り返す花電車。後ろに三越は、当然、オリエンタル中村の時代である。誰だ?バスの方が面白い、という人は(^^;)

 続いて丸善の屋上から撮影した栄行きの花電車。当時、どのようなビルが並んでいたか、今と比較してみると面白いかもしれない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 今もそうだが、広小路通りは金融系のビルが多く、全体に白い建物が多かった。これが、石原裕次郎の「白い街、名古屋」という歌の元になったらしい。こんな歌があったことを知っている人も少ないだろうが・・・。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは丸栄前で折り返す際に、4両が勢揃いした姿。残念ながら、この年から花電車は4両となった。しかし、4両でも見事である。どうも撮影日は雨交じりだったようであたりが暗いが、それゆえ電飾が映えて良い写真となった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 なんとか夜も撮れないか、チャレンジしている。花電車自体は発光体であるので、TRI-Xなどをつかわずとも撮影は可能であるが、問題はレンズ。(あるいはフィルター?)ものの見事に、空に花電車のゴーストが浮いてしまっている。今ならもう少しうまく誤魔化して撮るのであるが、当時はそこまでの知識はなかった。

 根気よくフォトショップで修正すれば見られるようになるのだろうが、残念ながらそこまでの元気はない。(駅長)




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2010年12月24日 (金)

Merry Christmas 2010

イヴの夜中です(2010/12/24、しんしんと冷えた夜に投稿)

今年のイヴはどこでどのようにお過ごしですか?申し合わせたように寒波がここ地元の東海地方にも襲ってきそうです。雪景色になるとカメラ片手に出かけたくなる性分は、危険な行為と気付かずに暴走を引き起こしかねません。そのうち大けがすることになりますね~。己の体力、判断力を過信しないよう、気をつけねば。



昨今の鉄道ブームに便乗でしょうか、東海地方での今年のクリスマス企画列車ニ題を掲載します。



「はなぶさ」に集まる仲間たち

最近、何かと企画ネタに力が入っている長良川鉄道。今冬はクリスマストレインを企画しました。車両も「白いナガラ」型限定のようです。2010/12/19



「はなぶさ」に集まる仲間たち

名古屋市の地下鉄も名城・名港線にクリスマス列車を約一ヶ月間走らせました。HPには親切にも運転時刻が掲載されていたおかげで容易に撮影ができました。遠慮がちなHMに、少し残念。2010/11/27


さて、JR東海はじめ地元の民鉄は、というと三岐鉄道北勢線にサンタ列車が運転された程度で、ほかには特に何もなさそう。


せっかくなので懐かしの名鉄版サンタ列車2本を掲載します。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

左:ここまでハデな装飾をするとは・・・一宮発着の団臨。1998/12/20    

右:岐阜市内線から谷汲線まで直通したサンタトレインは、この年のみ(と思われる)。1995/12/23


どうぞ素敵なクリスマスを。(出札掛・連投失礼)



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2010年12月18日 (土)

こうのとりが飛来する前に(北近畿撮影行・前編)

   【目的】

   2011年春に大きく体系が変わる「北近畿ビッグXネットワーク」特急網の“今”を撮る

   【撮影目標】

   ・181系「かにカニはまかぜ」

   ・ネットワークを形成する各特急 「北近畿」「まいづる」「きのさき」「たんば」「はしだて」「文殊」「タンゴエクス

    プローラー」「タンゴディスカバリー」

   ・異端車クモハ183-200の本線走行シーン



JR西日本は、2011年3月のダイヤ改正で新型特急車287系を導入し、北近畿地方で活躍している国鉄型特急車両の一部を置き換えることになりました。同地方は、もはや「雷鳥」が風前の灯火というとき、国鉄型特急車両の賑わいを今でも存分に味わえる貴重なエリアです。改造、塗装変更、短編成化などにより、国鉄現役時代の貫禄ある面影はありませんが、今の時代に走ってくれているだけでも十分なこと。


播但線のキハ181系も兼ねたら充実したプランになるのでは、と北近畿方面の撮影行をかねてから企てていたところ、知らぬうちに181系は新車に置き換えられ、「はまかぜ」から引退して半ばあきらめかけていたら、代わりに臨特「かにカニはまかぜ」として復活、再びその勇姿を見られる機会が訪れました。が・・・某鉄道情報誌によると「かにカニ」も12月いっぱいで新型に置き換えられてしまうとのこと。これはいかん!思い立ったら吉日、急きょ福知山に向けて真夜中のスクランブル?発進を試みました。1年で最も日が短くなる時期にもかかわらず・・・。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

山峡の向こうから聞こえてくるタイフォン、やがて列車接近を告げる警報機の音、霧のため微妙に変わる露出の最終確認、シャッターを押す手に緊張感、そして霧の中から現れた3灯のライト・・・「はしだて」定通。晴れていれば山間の風景がバックになるのですが、たまにはこういう情景も悪くないものです。《綾部~山家 3062M》



「はなぶさ」に集まる仲間たち

撮影目標のひとつ、改造車クモハ183-200先頭の「まいづる」を朝の舞鶴線で狙いました。この車両が先頭に立つのは舞鶴線内でしか見られないので、限定モノということでこだわりました。《淵垣~綾部 3044M》



「はなぶさ」に集まる仲間たち

播但線和田山~竹田間は各所で編成写真が撮れる、はずが建設中の高速道路や線路端の雑草がジャマをして思うように撮れません。うろうろしていたら数名の同業者が待機しているところにたどり着き、時間もないので妥協。通過数分前に曇り!しょうがない、でも半逆光となって正面がつぶれるところだったのを考えれば、HMをつぶさずに撮影できたのでまあいいやぁ。《和田山~竹田 9051D》



「はなぶさ」に集まる仲間たち

有名お立ち台で記念撮影。やって来た「きのさき」はたったの4両。編成に合わせて撮影直前でズームアップしたら、ピントがずれてしまった。一度アングルを決めたら余計なことをするな、と反省。《上夜久野~梁瀬  5044M》



「はなぶさ」に集まる仲間たち

こちらも超有名地。列車を待つ間、小雨が降り出したが晴れていればモロ逆光の撮影地に4+3の長編成?で現れた「北近畿」。この名称は来春「こうのとり」に変わります。やはり来春名称が消える「雷鳥」の代わりですか??《下夜久野~上夜久野 3015M》


今回は強行突破の行程で、未踏の地での撮影であったため、無難にこなすべく有名撮影地を目指しましたが、時間をかけてじっくり探せば、いい場所が点在していそうです。


・・・あきもせず後編に続く。(出札掛)




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2010年12月17日 (金)

嗚呼!桑井川のC56-タイの鉄道補足

 今回の視察における次の目的地に行く前に、先日の集まりで関心が寄せられたタイの鉄道でのその他のシーンをご覧に入れよう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まずは、フォアランポンの駅で展示されていタイ国王室のお召し列車。詳細はわからないが3両編成で、周囲も綺麗に飾られ、特別に展示されていた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 続いては、フォアランポンの駅北ヤードに留置されている日本の寝台車。昨年は、ここに「さくら」のマークを付けた14系が停まっていたが、今年は中間車ばかりであった。現在、フォアランポンからは2本の列車で日本の寝台車が使われているが、今回は夕食でしっかり飲んでしまったことから、そのまま空港に向かったので、残念ながら動いている姿は見ることができなかった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 続いてカンチャナブリに展示(?)されている泰緬鉄道当時の工事車両。97式貨車を改造して、トラックの先輪として使っている。後ろの貨車も、97式貨車を台車に使っている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最後にバスファンのために、バンコクで開業したばかりのBRTを1枚。道路の中央を走る基幹バスであるが、ご覧のようにホームは高床で、バスもステップがなく、高床。しかも、島式と相対式のどちらのホームでも対応できるよう、両側に扉が付いている。いわば、LRTとバスの中間的なシステムであるが、最近の流行はこのバンコクのように、バスも停留場も高床としていることだ。こうした高床BRTは、インドネシアのジャカルタでさらに大規模なシステムがある。


そういえば、肝心な写真を忘れていた。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 メークロン線の検査時の様子がコレ。ジャッキアップしているのは、側線ではなく、レッキとした営業線である。一説には、定期的に日を決めて日中検査するという話もあり、たまたまこの日がそれにあたったのか、あるいは故障で修理をしているのかわからないが、珍しいシーンであることは間違いない。もっとも、本音を言えば、こんなシーンより走行写真が撮りたかったのであるが。(駅長)

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2010年12月16日 (木)

明治村再履修

 学生時代は出来が悪かったから(今も同じか)、再履修の思い出はいろいろあるが、この歳になっても再履修に悩まされる。泰国の蒸機や客車列車は昨年訪問時のできが悪かったからであるが、つい最近の撮影でも明治村の蒸機や京都市電が一度の訪問で満足行く成果が得られず、再履修を命じられてしまった。蒸機や京都市電が検査入院となるのは20日からであるが、最終日はさすがに混むことが予想されるので、その一週間前、12日に時間が取れたことから再度、明治村に向かうことにした。


 前回の明治村撮影で納得できなかったのは、菊の世酒造前の蒸機撮影場所が枯れ木の倒木があって立ち入り禁止となっていて撮影できなかったのと、その後に友人が訪れて、いくつかの撮影場所を教えていただいたからである。また、蒸機も前回は9号が動いていて、12号が撮影できなかったので、それを撮影することも目的であった。


 明治村の蒸機は、概ね南北に走っているので、午前中が光線が良いはずである。そこで、開場直後に入場し、まっ先に菊の世酒造前の蒸機撮影場所を訪れた。しかし、すでに光線は正面光で、しかも木立の影が出てまだら状態であった。反面、名古屋から東京行きの列車は完全逆光であるが、タイミング良くドレンを吐いてくれたので、良い感じの写真に仕上がった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この写真を見て、博物館の保存鉄道とは思えないだろう。お立ち台のロケーションの良さと係員の心配りを感じずにはおかない。しかし、この風景が見られるのもあと数日である。


 ちなみに、この場所は反対側の方がより雰囲気がよいが、残念ながら晴れるとまだらになってしまう。このため、撮影は明るい曇りか、午後に完全に影になってからの方が良さそうだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 もうひとつ、撮影場所として前回気がつかなかったのが、川崎銀行の展望台である。ここからは帝国ホテルを手前に鉄橋をわたる列車が撮影できるほか、望遠では鉄橋を渡る列車もアップで撮影できる。下から見上げると手前の柵が邪魔になるが、ここからはほぼ同高度であまり気にならない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 ところで、この日は海外の蒸機を中心に撮影している鉄仲間と一緒に訪れたのであるが、たまたまその友人の蒸機鉄の方々が偶然にも何人も来村されていた。菊の世酒造前の撮影ポイントは、それらの人々が集まり、かつての蒸機時代のお立ち台を偲ばせる雰囲気で、さまざまな話が飛び交い、実に楽しい一時であった。その様子は、ご一緒させていただいた「むかし鉄・いま鉄の日々」というブログでも紹介されている。

 http://plaza.rakuten.co.jp/mukashiimatetu/diary/


 今回、もうひとつ撮影したかったのが、12号機の形式写真である。友人の話では、東京駅で午後1時くらいに蒸機を転車台で回転させるときが、もっとも形式が綺麗に写せるという。そこでその時間にあわせて、東京駅の転車台を訪れることにした。低い冬の日差しに磨かれた黒い車体が浮かび上がる様は、あたかも明治という時代が100年の時を経て、現代に甦ったかのようで印象的な光景であった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 さて、明治村の京都市電と蒸機も、このブログを書いている時点で、稼働はあと3日となってしまった。今後は検査の結果次第とHPでも紹介されているが、一日も早く不具合を修理して、復活して欲しいと望まずにはいられない。(駅長)

 


 



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2010年12月15日 (水)

53.最後の非電化軽便 尾小屋鉄道(2号車)1977/01/15~16

 先日アップした尾小屋鉄道1号車の続きです。小松ステーションホテルでの快適な?眠りから覚めた後、新小松に向かいました。新小松は北陸本線の小松の裏手にあり、至近の距離にありました。前日は大杉谷口から先を中心に撮影しましたので、この日は起点の新小松に近い場所ということで、まずは始発列車で花坂に向かいました。





「はなぶさ」に集まる仲間たち







「はなぶさ」に集まる仲間たち





 下りの始発列車を花坂で降り、金平で交換して来る上り列車を待ちました。程なくしてやって来たのはキハ3、 花坂は林の中にある小さな軽便ムード満点の無人駅でしたが、あたりに集落らしきものは見当たらず、乗降は期待できませんでした。案の定、キハ3は乗客がいないのを確認すると停まらずにそのまま徐行で通過して行きました。


【花坂】1977/01/16(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち





 花坂から金平方面へ徒歩鉄を開始しました。下り列車の時間が迫って来たので、適当な場所でカメラを構えました。先程のキハ3が戻って来ました。高校1年の身分では貧乏鉄が当たり前でだったため、昼過ぎには鈍行乗り継ぎで姫路まで帰らなくてはならず、この列車を撮影後、次の上り列車で新小松まで戻りました。


【金野町~金平】1977/01/16(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち





 新小松に戻り、帰りの鈍行までに少し時間があったので、新小松にいた車両を適当に撮影しました。この2日間はキハ2と客車は運用に入っていませんでした。キハ2はデッキ付の好ましいスタイルでしたが、残念ながら走りを撮ることができませんでした。


【新小松】1977/01/16(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち





 前の写真の反対側には検修庫があり、キハ1とDC121・122の姿が見えました。駐車場の中に無理やり線路が敷いてあるって感じでトワイライトの雰囲気がプンプンです。キハ1の奥に木造の検修庫が見えます。横に停まっているブルーバードも懐かしいです。


【新小松】1977/01/16(電車運転士)




 ご紹介した2日間が尾小屋鉄道の初訪問となりましたが、すっかり魅力に取りつかれてしまいました。ただ、廃止の2か月前ということで、次の訪問は廃止の時となってしまいました。今更どうしようもありませんが、もう少し早く行っておくべきだったと後悔しています。雪景色だけではなく四季折々の風景もきっと素晴らしかったんだろうなと思います。なお、粟津駅に程近い「いしかわ子ども交流センター小松館」にはキハ1・DC121・ホハフ3・ホハフ8が大切に動態保存されており、運転日には往時を偲ぶことができます。詳しくは「いしかわ子ども交流センター」のホームページで確認することができます。

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2010年12月13日 (月)

52.富士山鉄(金谷付近)2010/12/04

 いささか鮮度落ちになりますが、先週末に会社の用事で大井川鉄道沿線に出かける機会がありました。車ではなく電車での移動となったため、大井川鉄道の沿線までは足を伸ばすことができず、金谷周辺でのお茶濁しとなってしまいました。ただ、雨上がりの晴天ということで、風はかなり冷たかったのですが、富士山が金谷付近からもくっきりと見えていました。かねてから目をつけておいた富士山俯瞰ポイントに向かいましたが、富士山はもちろんのこと大井川と島田の街並みを望む雄大な風景が広がっていました。




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 金谷駅前から国道を道なりに20分ほど登ったところが俯瞰ポイントです。手前に東海道本線、その後ろに大井川の流れと島田の街並み、さらに富士山が前山の後方に見えています。線路の見える範囲が短いため、残念ながら長編成の貨物列車は編成全体が入りません。光線はほぼ終日側面に陽が当たりますが、順光になるのは午後からです。


【島田~金谷】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 同じポジションから縦構図で撮ったものです。ある程度引き付けが効くので、縦構図の方が富士山を強調できます。3両の短い編成なら築堤上に収まります。ただ、電車は313・211といったステンレス車ばっかりで、面白みがまったくありません。やはり、貨物列車中心の狙いになってしまいます。


【島田~金谷】(電車運転士)




「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まったく同じポジションで大井川鉄道を掛け持ちすることも可能です。富士山の位置としては大井川鉄道の方がバランスがよくなりますが、線路左の高圧鉄塔が目障りです。この日は近鉄と南海が運用に入っていました。2両編成だと存在感が薄いので、編成が長くなる蒸気列車の送り込みが狙い目でしょうか…。


【金谷~新金谷】(電車運転士)

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2010年12月12日 (日)

嗚呼!桑井川のC56-メークロンリベンジ

 さて、タイ編の最後はメークロン線である。この路線は、市場の中を走る列車と言うことで、近年、観光地化して日本からのツアーの行き先にもなっている。

 メークロン線は、バンコクのウォンウェイヤイというところからディーゼルに乗って1時間のマハーチャイから川を渡るフェリーに乗り、離れ小島のバーンレムからメークロンまでの路線で、所要時間は約1時間である。この路線の終点メークロンの手前が市場になっており、列車が走らないときには線路上にテントを出して店となる。どうしてこんなことが可能かと言えば、ここを走る列車はわずか4往復しかないからだ。


 このメークロン線は、終点の市場以外にも、途中鄙びた風景が続き、魅力的な路線であることから、昨年も訪れた。しかし、こともあろうに、その日はディーゼル車が故障し、1日運休であった。この路線、驚くべき事に予備車がなく、加えて全線1閉塞(加えて言えば側線もない)で運転しているのである。今回の訪問は、そのリベンジである。


 さて、そのメークロンの市場であるが、こんな感じである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これが列車の来る時には、テントが畳まれて、車両が通るのであるから、すごい。このシーンは、テレビなどでも放送されたことがあるので、ご覧になった方もあるだろう。


 さて、前日、カンチャナブリに泊まって、メークロンを訪れたのは朝の9時であった。間に合うかどうか、危惧していた列車に間に合い、市場の中を抜けて前年に目星をつけておいた撮影ポイントに行く。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 構図は予定通りであるが、時間がなく、あせっていて、列車の来るときまでカメラを構えるおねえちゃんの存在に気がつかなかった。まあ、これはこれで良いかもしれないが・・・。


 2時間ちょっと時間をつぶして、メークロンの到着列車を狙う。こんどはカメラを構える人を外そうと、列車の直前に場所を変えたら、ちょっとタイミングが遅れてしまった。うまくいかないものである。(また、再履修が必要か?)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 たまには乗り鉄でもと思って、メークロンからバーンレムへの列車に乗る。後ろの運転台に入れて貰って市場を見ていると、列車の後から次々とテントを戻す様子が見られて実に面白い。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 バーンレム行きの列車は、塩田の中を走り、所々にある集落の所では生活道路の脇の併用軌道風となって、そこに駅がある。かつての能勢電はこんな感じであったのだろうかと思わせる。軌道状態は極めて悪く、所々、大きく揺れる。こうしたことから、一生懸命走っているにもかかわらず、次第次第に遅れが増していく。


 約1時間でバーンレムに到着。車両を動かしたので何事かと思ったら、車軸受けのカバーを外して、ネジを溶接しだした。どうも走行中に折れたらしい。(^^;) しかし、それを工場に入れるのでなく、駅で停車中に修理してしまうのだから、すごいことである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 昼の折り返し時間は1時間が取られているが、バーンレムに着いたときには30分延であった。しかし、溶接を伴うこの工事を、なんと30分でしてしまい、メークロンに向けて発車したのは5分延であった。いつもの作業であろうが、メークロン線恐るべしである。


 バーンレムの終点あたりも併用軌道風となっている。もう少しメークロンの方に行くと、もうちょっと雰囲気の良いところがあるが、残念ながらそこまで行く間に列車が来てしまった。次回には、ぜひそこも訪れてみたい。とはいえ、1日4往復はいかにも厳しい。もう少し多いと嬉しいのだけれど、現在の乗客数や運行形態では、これが限界である。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 さて、4回にわたってご紹介したタイのリベンジ鉄も今回でお終いである。とはいえ、タイは今回の海外鉄の目的地ではない。単にトランジットの待ち時間に寄っただけのことである。では、今回の目的地はどこだったのだろうか?

 そこには、タイを遙かにしのぐ強烈なカルチャーショックが待っていた。それは次回のお楽しみと言うことで・・・。(^^;) (駅長)




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2010年12月11日 (土)

名鉄 The,高速

昨今の鉄道ブームのあおりを受けてか、鉄道に関する記事、もしくは特集を組む書籍が多くなってきました。月・季刊誌、ムック本から新書、文庫本、男性専門誌、果ては経済産業関係の週刊誌にいたるまで。

まあ、あらゆる方面から「鉄道」が注目されるようになってきたのは良いことかと思いますが。


とある日、書店でふと目に付いたのが新潮社発行の「日本鉄道旅行歴史地図帳」なるものの東海版。あら、また新たな書籍が現れたな~、と中身をパラパラと眺めてみたら、巻末には東海地方で活躍した優等列車の歴史を並べた年表が記されてあります。が、やはり自然と目が行くのは地元の名鉄に関する年表で、そのうち列車種別欄に目をやると、そこにはちょっと懐かしい「高速」の文字。

高速は1977年から1990年までの13年間運転されていましたが、本線系を除いてはそれほど長く存在せず、1982年3月のダイヤ改正では大半が急行へと“格下げ”されてしまったようです。他の民鉄にも類を見ないこの種別名称は個人的には気に入っていましたので、「高速」に関するネタ的な写真はないかと、またまたヒマに任せて、過去の画像をひっくり返して本題に入ります。




「はなぶさ」に集まる仲間たち

豊川鉄橋で捉えたAL2両の高速。これをわざわざ狙ったわけではなく、飯田線の旧国ついでに撮影したものですが、どのような意図でこうした運転体系となったのか、よく覚えていません。定期列車として存在していたことは確かで、運転区間は短いかと思われるものの、本線を堂々AL2両とはユニークなこと。この列車の正体は??諸先輩方のフォローお願いします。(ボロボロ画像ご容赦ください)1982/12/19。




「はなぶさ」に集まる仲間たち


1981年正月ダイヤで現れた「知多半田」行き高速。基本はたしか常滑行きのところ、正月運用の関係で行先変更されたものと記憶しています。通常こんなのはありえない、とわざわざ狙って撮りに行きました。「半田」という略表記も懐かしい。1981年1月頃。




「はなぶさ」に集まる仲間たち


1984年3月の数日間のみ常滑線に一時的に復活した高速が、常滑競艇の臨時。停車駅の関係で、急行と案内すると誤乗される都合からか、高速として運行されたように記憶しています。このとき限りかと思ったら、1990年9月にも撮影した写真があるので、常滑線ではけっこう遅くまで臨時列車として残っていたようです。1984/03/02。




「はなぶさ」に集まる仲間たち


高速運用に就いた850形。たまたまやってきたのか、それとも狙って撮影したのか、ハイ、全く記憶がありません。画像状態はともあれ、“なまず”高速はこのカットしかないので自分にとっては記録的写真扱い、ということで。1980年夏。


ほかにも、某ムック本によると、正月ダイヤ期間中に豊川線内折り返し臨時高速が何度か運転されたそうです。そこまでマメに記録しているわけでもないので、あとは諸先輩方のライブラリーに委ねます。(出札掛)

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嗚呼!桑井川のC56-アルヒル桟道の再履修

 カンチャナブリの駅で、C56が停まっていないことから落胆して、呆然としてしまったことはすでに述べたが、実はカンチャナブリを訪れた目的は、もうひとつあった。泰緬鉄道最大の史跡であり、名所ともなっているアルヒルの桟道を走る列車の撮影である。 

 アルヒルの桟道とは、桑井川の崖っぷちに設けられた木製橋で、泰緬鉄道建設時の最大の難所のひとつであったという。切り立った断崖と川に挟まれたわずかな空間に設けられた木製橋はいかにも弱々しく、戦時下の工事を偲ばせる。それが、今もそのままに使用されているのである。


 昨年は、ここへ初めての訪問であり、まずはオーソドックスに線路脇から撮影した。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 この対岸は、リゾートホテルになっており、そこから撮影すれば、川を手前に崖っぷちを走る列車が撮影できそうである。こちら側から、そのホテルへの渡し船がありそうに思うのだが、船着き場はあるものの、なぜかそれらしい船の形跡はない。

 しかし、この時は、現地に赴任していた友人の自動車で訪れており、機動力があった。そこで、この橋のたもとにあるレストラン(観光地なので、ここには写っていないけれど、いろいろ揃っています)で対岸への行き方を聞いたところ、ちょっと大回りするが、橋があることがわかった。そこで、対岸に行って帰りの列車を撮影することにした。

 対岸のリゾートホテルは、管理はされているが、営業している気配がない。ただ、立ち入りは出来るので、中にもぐり込んで、撮影のポジションを探す。崖っぷちの木橋は2箇所あって、橋の西側のタムクラーセ駅を出たところと、橋の東側でタムカッセ駅(同じ駅名のようだが、読み方がなぜか違う)の手前のあたりの2箇所の撮影ポイントがある。鉄橋区間のちょうど真ん中くらいに川に張り出したテラスがあって、ここから撮影がしやすそうだが、ケーブルが邪魔で駄目であった。

 どっちで撮るか迷ったが、結局、編成がきれいに入る東側のタムカッセ側で撮影することにした。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 その写真はこのとおりであるが、何かもうひとつである。改めて現地の写真などを見ると、2箇所ある木橋の内、東側は支柱は木であるものの、鉄製のガーダーがあってやや頑丈そうな構造であるのに対し、西側はそのガーダーが無く、丸太で組んだ上にレールが取り付けてあり、より簡易な構造であることがわかった。

 

 違いがわかると、なにか面白くない。まあ、撮影時に気がつかないのはお粗末の至りであるが、帰国後では取り返しがつかない。その欲求不満を解消するには、再履修をするしかない。そこで、今年、カンチャナブリのC56とあわせて再履修をすることにしたわけである。


 ここで問題は、現地への足がないことだ。列車はわずか2往復で、移動には使えない。結局、自動車をチャーターして、撮影地に向かうことにした。

 カンチャナブリで自動車にピックアップして貰い、アルヒル桟道を目指す。道路はほぼ直線で2地点を結んでいるのに対し、鉄道は南側を大きく迂回しているので、時間がかかる。途中、2回ほど道を間違え、ひょっとしたら間に合わないかと思ったが、結局、30分以上、早く着いて、余裕で列車を迎えることが出来た。


 今回は昨年の反省から、タムクラーセ西側の鉄橋を行く列車を集中的に狙うことにした。まずはナムトク行き列車をサイドから。

 しかし、しかし、なぜか列車が通り過ぎるときだけ、雲が・・・・。やっぱりツキがないのを痛感する。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 続いては帰りの列車である。2時間弱の待ち時間があるので、一旦、タムクラーセ駅まで行って飲料を仕入れる。

 ナムトク行きの列車は1時間半ほど遅れており、前年は1時間ほどの遅れをナムトクの停車時間を短くして短縮してきたので、それを予期して早めに待機をしたが、結局、1時間半遅れのままであった。


 天気は晴れであるものの、時折雲が出て、太陽が隠れるので、やきもきする。タムクラーセを出発するときに、また太陽が雲に隠れてあわや、と思ったが、列車の速度が極めて遅いので、こんどは見事、順光で撮影が出来た。おまけに、ベストポジションのところでなぜか停車してくれたので、撮り放題である。(^_^)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 さて、この列車は観光目的で、きわめてゆっくり橋の上を走る。前年の撮影ポジションは、この写真のポジションから300mくらい東に行ったところである。ひょっとしたら、間に合わないか。全力ダッシュでは心臓に負担が大きそうなので、駄目元で早足で東のポジションに移動する。

 なんとか間に合った。(^_^)


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 あせったで、手前にホテルのリバーハウスが入ってしまったが、まあ、妥協できる構図である。

 長い鉄歴でも、歩いて列車を追い抜いて撮影したことは、1度しか記憶にない。確か、何かの拍子で急停車した列車を追い抜いての撮影であるが、今回はいくら遅いとはいえ、走行中の列車である。

 たぶん、2度の撮影は可能だろうと予想はしていたが、想定通り、2度撮影できると嬉しくなってくる。これで、C56が走っていてくれたら満点だったのだが・・・・。(駅長)



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2010年12月 9日 (木)

嗚呼!桑井川のC56-出足は好調だったのだが

 涙、涙の鉄ちゃんとなったタイの落胆鉄旅行、しかし、出足は極めて好調だったんですよねぇ。


 今回は、日程の都合などから就航早々の羽田からの国際線夜間フライトを利用。もちろん、新装なった羽田国際線ターミナルの見学も目的のひとつです。


 まずは、話題の江戸の町へ。

 ン?これって中部空港そっくりじゃん。え、もうお終い?こんなに短いの?立派なイベントステージはあるけれど、なんか話題ほどではないなぁ。

 羽田の国際線ターミナルも、規模からいえば、中部空港をひとまわり小さくしたくらいの感じ。まあ、運行本数を考えると、こんなものかいな。


 ただ、アクセスは素晴らしい。モノレールの改札を出ると、すぐに搭乗カウンター。地下の京急からはそれよりちょっと不便だけれど、それでも歩く距離は短い。品川における京急接続の便利さを考えると、名古屋はともかく、浜松あたりからは羽田の方が便利かな?ますます中部空港の利用者が減ってしまいそう。大丈夫かいな。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 チケットは当然、エコノミーだけれど、なぜか今回はラウンジも見学(^^;)。シャワーがついているのが嬉しい。ここでは食事も取れる。

 これを見越して、一旦自宅に戻ったものの、着替えをして羽田に直行。まずシャワーを浴びて、食事をとり、アルコールをしこたま飲むと、後は寝るだけの夜行便モード。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 しかし、第一の誤算が、ここで起きたんですね。


 搭乗口に行ったら、なぜか名前のコール。何かと思ってカウンターにいくと、座席を前の方にチェンジしてくれるとのこと。しまった、もうアルコールもしっかり飲んで、身体は夜行便モードとなっている。折角の機会なのに、これ以上、飲んで食べられるかしら(^^;)


 案の上、第4滑走路から飛び立つときはもうまったくの夢心地。さっそくの爆睡で飲み物のサービスも全く記憶になく、食事は到着前だったけれど、出発前に満腹になっているので、ほとんどのどを通らない。うーん、勿体ない。


 極めてラッキーなことではあるけれど、いかにも巡り合わせが悪い。たぶん、これで今回の運をすべて使い果たしてしまったんだろうなぁ。


 閑話休題、昨日、記した様に最大の目的であるカンチャナブリのC56が見られなかったので、こんなのを見てもあまり嬉しくないのであるが、ひょっとしたら面白いと思う方もあるかもしれないので、数点、アップしておこうか。


 まずは、バンコクの町中を走るBTSの新車。いままでの3連が4連となっている。まだ、試運転中で乗ることは出来なかった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 続いてはフォアランポン駅で見かけた展望車。タイ国鉄にも展望車があるなんて初めて知った。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 しかし、この客車、どこかで見たような懐かしさがある。さて、一体、どこで見たんだろう。もう1両、前に行ってみるか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 何か、妻面には丸い板が取り付けてあるし・・・。クーラーもなんとなく、どこかで見たような・・・。

 ここはどこ?私は誰、じゃない、この客車は一体何???(駅長)





 

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2010年12月 8日 (水)

嗚呼!桑井川のC56

 週末に休みを追加して、C56を見に行くことにした。北びわこ号のC56160ではなく、大井川のC56でもない。有火で残る、もう2両のC56のほうである。


 これら機関車は、11月下旬から12月上旬まで、イベントにあわせて毎日、走行する。昨年、友人に誘われ撮影に行ったところ、かつての小海線を偲ばせる雰囲気で、いたく感銘を受けた。しかし、ぶっつけ本番の撮影でもあり、写真の出来はもうひとつであった。そこで、今回はそのリベンジを目論み、装備も万全に整えて撮影に向かうことにした。休みの関係で、現地滞在2日という余裕無しの強行日程。加えてイベントの場所までは、少々、距離があることから、効率を考えて行きは夜行である。


 昨年は現地に赴任していた友人がチャーターしていた自動車で会場に向かったが、今年は列車で行くことにした。しかし、運行本数は1日わずか2本しかない。乗りたい列車は、7時45分トンブリ発ナムトク行257列車が乗車列車である。


 日本のC56撮影記と思って読まれた方、ご免なさい。これはタイのお話しです。(^^;)

目的地は、映画「戦場に架ける橋」の舞台となったカンチャナブリ。ここで開催されるクワイ川鉄橋まつりにあわせて走行するC56を狙うのが目的でした。 


 ここで問題は、空港に午前6時に着いて、7時45分発の列車に間に合うかどうか。現地に赴任していた友人に聞くと、その時間にはバンコク市内の渋滞が激しくなっているので、たぶん、間に合わないのではないかとこと。代行手段は考えていたので、間に合わなければ間に合わないで問題はないのだが、幸運にも空港への到着が30分早着となったおかげで、入国審査を早く通過でき、結果的に7時過ぎには出発駅のトンブリに到着。余裕でナムトク行き列車に乗車することが出来た。この幸運に、この先、予想もしないトラブルが待ち受け、奈落の底に突き落とされようとは、一体、誰が想像できようか。


 これがナムトク行き列車の始発駅であるトンブリ駅。チャオプラヤ川を渡ったところにあるバンコクのもうひとつのターミナルであるが、ご覧のように全くのローカル駅。ホームも2本(というレベルではないですが)で、切符売り場はあるものの、駅舎らしい建物すらない。レールもヘロヘロというか、カーブ部分でもレールは直線レールで、継ぎ目部分で角度を付けてつなげてある。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 こんなレールでも、不思議に列車は走る。軌条は10mレールなので、継ぎ目の音がせわしない。途中、列車交換で遅れたりしたが、なぜかそれ以外の区間でも遅れが増していく。3時間の所要時間に、4時間弱かかって1時間遅れでカンチャナブリに到着。右手の側線にC56が停まっているはずである。


 しかし、しかし、しかし・・・・。到着して我が目を疑った。C56がいないのである。

 昨年、C56が停まっていた側線は草に覆われている。さらにいえば、東側の空き地に建物か、コンクリートの支柱が建てられており、その足場がなんと側線の線路の真ん中に建てられている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 真ん中の線に停まっている怪しげな車両は、列車の来ない時間帯にクワイ川の鉄橋を往復する観光用のモーターカーと客車である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これが昨年のカンチャナブリのほぼ同位置。C56が佇んでいた側線は、草が生えて車両が運行された形跡もない。

 タイの鉄道を紹介する海外のHPをみれば、カンチャナブリのC56イベント運転は毎年行われているようで、それは昨年も確認している。それが、なぜ今年から運転されなくなったのか。


 装備も万全にして、3000マイルの距離を飛んで、少なからずお金をかけ、現地2日という強行日程でC56に会いに来たのに、C56はいない。C56はどこに行ってしまったか。あまりのショックに、しばらく放心状態となり、地面にうずくまって動けなくなってしまった。(駅長)


 

  

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2010年12月 6日 (月)

ケガの功名!?

よんどころない事情により12月4日夕、嫁の実家に行くことになりました。その理由からすると、カメラを持って行くのが憚られるものですが、このブログの会員なら、どのような状況においてもカメラは携行するのが普通ですよね。

幸い大事に至らず、現地において野放し状態になりました。5日は雲ひとつない快晴、かねてより念願だった北アルプスバックの長野電鉄2000系をゲットできました。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

1枚目は北須坂・小布施間の松川鉄橋を渡るD編成 2Bレ。日照の短い季節、山の陰になるのでは、と心配しましたが、通過(7:45頃)数分前に陰が抜けていき、ホットしました。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


2枚目は107レを松川鉄橋で撮って、夜間瀬川鉄橋へ戻り、107レの折返し302レの後追いを正面がちに。


来春には元JR253系に後を譲って引退する同系を思った構図で撮れて満足でした。

誰かさん さまさまです。

さて、11日には嫁を迎えに行かなくてはならないのですが、天候は?


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2010年12月 4日 (土)

伊吹のふもとで冬支度

美濃太田のラッセル車DE15が今年も東海道線で試運転、しかも11月27日からの3日間、すなわち土・日曜日にかかる日程で行われました。休日に撮影できるとはまことにありがたいことですが、これって偶然?

しかし諸々の事情により出かけられるのは28日(日)のみ。伊吹山が見えるかどうか、などと雲行きを伺うほど余裕もなく、いやむしろ与えられた気象条件を克服するのがプロのカメラマンである(誰が?)、ということで天気予報はどうであれ、晩秋の伊吹山麓に向けて車を走らせました。

ラッセル車は45km/hの制限がかかっているおかげで何度でも撮ることができました。駄作ですが成果の一部を披露します(順不同)。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


有名お立ち台はどこも満員御礼のパニック状態だろう、と人ごみを避けるように柏原ー近江長岡の清滝踏切付近からあえて半逆光で狙いました。電柱が目立ちますが、色づいた木々が少しはカバーしてくれたか・・・。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


ラッセルの試運転を撮影するのは初体験。往復とも何度でも追いついてしまうので、いろいろな撮り方を試すことが出来ます。ここは柏原から少し関ヶ原方向に進んだ掘割。陽が差していれば、どのような絵になったでしょうか・・・。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


関ヶ原ー柏原にて上り列車の後追い撮影です。単機ということもあって、これだけ引けば後追いでもそんなに違和感ないかと・・・。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


1本目の下り列車を追いかける途中、思い切って近江長岡西方の超有名な伊吹山バックのお立ち台に“侵入”しました。肝心の山は中腹までしか姿を現さなかったものの、順光で撮れるせいか、同業者が大集結しました。ここではその滑稽な様子をご覧いただきます。この横一列だけで50名は超えていました・・・。

これほど集結したのは、おそらく、ラッセルの通過後すぐにやって来る日曜朝のお楽しみ・8865レを掛け持ちするためでしょう。この日は一般機114号が充当され注目度が増したことも混雑度に拍車をかけたものと思われます。


【プラスα】

この日はたまたま「SL北びわこ」の運転日でした。実は上の写真を撮った後、ダッシュで移動して通過3分前に下のポイントに到着しました。モロ逆光だし背景も良くないせいか、当然同業者は少なめであるため余裕で足場を確保できました。米原を発車して鉄橋の勾配に差しかかるため煙をそこそこ吐いてくれたので、C56にしては上出来か・・・。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


ラッセル車の走行姿を撮影できる機会は本番・試運転ともめったになく、1日でこれほど集中して撮影したのはもちろん初めてのこと。場所によっては架線柱1スパンにすっぽりと収まってしまうDE15の長さにとまどったのと同時に、まさか東海道本線で某ローカル線のように追っかけ撮影をしてしまうとは思いもつきませんでした。

それにしても東海、北陸、関西など、方々からたくさん集まってきたものですね~。(出札掛)

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