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2010年9月

2010年9月26日 (日)

43.上越国境の181系とEF16 1976/08/16

 しばらく休んでいた過去ネタを久しぶりにご紹介します。白岡のEF57の次の目的地は上越国境。この頃の上越国境ですが、「とき」は181系が主力で一部183系の1000番台が進出中、「はくたか」は485系、「佐渡」は165系、客車列車はEF58、貨物列車はEF15で、機関車牽引列車には前補機にEF16が付くといったラインナップでした。上野から115系の長岡行夜行普通列車(長岡夜行)に乗り込み、越後中里を目指しました。天気が生憎の雨だったことと前日からの寝不足でイマイチ気合が入らなかったこともあって、まともな写真がありませんが、どうかご容赦ください。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 撮影地を探してウロウロしているといきなりEF16の単回が姿を現しました。あわててカメラを取り出し、とりあえずシャッターを押すことはできました。EF16は勾配線区向けにEF15を回生ブレーキ付きに改造した型式ですが、外観はEF15とほとんど変わりがありません。

【土樽~越後中里】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まずは本命のひとつである181系の「とき」をゲットしました。この区間は上下線が大きく離れており、こちらは上り線で元々からあった線路です。マークも文字だけ、サロもオリジナルの車両で、晩年に見られた凹凸編成になる前の美しい姿です。

【土樽~越後中里】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ボンネットの「はくたか」です。サロ2両にサシ付きの堂々とした12両編成でした。信越本線経由だった「白山」とは姉妹列車みたいな関係で、どちらも上野~金沢を結んでいました。

【土樽~越後中里】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 181系の「とき」をもう1枚。こちらの線路は下り線で、後から線増されたため、コンクリートの近代的な構造です。ボンネット前頭を引き締める赤のラインが凛々しく感じられ、結構好きなデザインでした。

【土樽~越後中里】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 もうひとつの本命だったEF16とEF15の重連貨物列車です。今この区間は後継のEF64-1000番台からEH200に変わったことを思うと隔世の感があります。現在は日中も貨物列車が運転されているので、機会があれば訪れてみたい場所のひとつです。

【土樽~越後中里】(電車運転士)





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2010年9月23日 (木)

徘 徊

8月頃から続く腕の痛みが、ようやく少しずつ回復に向かっています。普段の生活を営むことはできるものの気分的には重~い日々。

そうか、今更ながら気が付きました!我々鉄チャンにとって、諸症状の病を治すにはどんな栄養剤、薬、治療よりもやっぱり「鉄分」の補給が最も効果的である!?

ならばさっそく、と9月三連休の中日である19日、無理の祟らないように午前中のみ外出許可をいただき、早朝から鉄分を求めて名古屋市内へ徘徊に出かけてしまいました。


実はこの日、珍しく関西本線にて117系、しかも国鉄色S11編成による「亀山駅開業120周年記念号」が運転されます。手始めのターゲットはこれで決まり。しかし、わざわざ時間をかけて遠征するほどでもないか、と冷静に判断した結果、名古屋近辺で「関西線にS11編成走る」を説明できるような写真が撮れればよし、と妥協していざ出発。

まずは大垣→名古屋の送り込み回送を庄内川で待ち構えます。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


撮影後、先回りして「ま、どこでもいいか」と八田駅近くの建物にこっそりとお邪魔して ~決して怪しい者ではありません。ただの徘徊人です(→よけいに怪しい)~ 当該列車を狙いました。バックにタイミングよく近鉄電車が行き交ったので、これを用いて「関西線にS11編成が走った」と説明したところで、知らない人が見ると「いや、大阪のほうで写したんじゃない?」と言われるのもしゃく。ならば背景に写っている名駅界隈の高層ビル群を見れば納得でしょう。

「はなぶさ」に集まる仲間たち



この日のメインはあっけなく終わり、せっかくなので近鉄庄内川鉄橋に場所を移して、秋まで限定・難波/西大寺併結特急を狙います。通常の難波行きにそのまま西大寺行き2両を後部に増結しており、結果その編成はちょっと面白い「2+4+2」。裏カブリしてわかりにくい点はご容赦ください。先頭は12200系のときもあるのですが、この日は新型(形式わかりません)。

「はなぶさ」に集まる仲間たち



続いて、名鉄瀬戸線にて「招き猫まつり」HMを撮るため矢田まで移動。どの列車にHMが付けられるかは行ってみてのお楽しみです。1時間ほど待っていればそのうち来るだろう、と覚悟を決めて現場に着いたら10分で出会えてしまいました。拍子抜け・・・。


「はなぶさ」に集まる仲間たち



青空も見えているし、帰宅時間までかなりあるので瀬戸線で少し粘ろう、と矢田川右岸の川原に下りて、まだ撮影したことのないアングルを求めてカメラ片手にうろうろと徘徊 ~決して怪しいカメラマンではありません。ただの“鉄”です~。 ここは午前中順光とはいえ、早朝に来ないと面が潰れてしまいますが承知のうえで。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


ところで、6750系1次車(6751F+6752F)↑にもめぐり合えましたが、運が良いのでしょうか?


帰り際、少しだけ稲沢貨物線に寄り道して最後の鉄分補給。先日撮影したカン付きEF66-27が、運用どおりに流れていれば12時過ぎに稲沢へ下ってきます。しかし単機運用で、しかも逆光という悪条件だらけで待ち構える物好きは当然自分ひとりだけ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


予定通りやってきたカマを悪条件承知の上で撮影し、徘徊から無事戻ってまいりました。



半日かけて栄養補給に励みましたが、また気が重くなったら摂取しに出かけねば(なんだ、普段と何も変わらん)。 (出札掛・リハビリ中


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2010年9月20日 (月)

42.天竜浜名湖鉄道 マイナー鉄 2010/09/18

 3連休初日の9/18、浜名湖畔で会社有志の親睦会が開催されました。転んでもただでは起きないのが鉄根性、親睦会は昼食時のバーベキュー大会だったので、せっかく浜名湖まで出向くからには、その前後の時間を利用して天竜浜名湖鉄道でもと思い、早朝、自宅を出発しました。天竜浜名湖鉄道は注目されることが少ないマイナー路線なので、わざわざこれを目的に出向くことはまずありえません。こういった機会でもなければ訪れることはないと思い、マイナー鉄を実行してみました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 路線の西半分は浜名湖の北岸に沿って進んでいますが、浜名湖を入れて撮れるポイントは限られています。そのひとつがここです。釣り人や釣り船があればもう少し雰囲気が出ましたが、残念ながら、今日は無人の状態でした。

【三ケ日~都筑】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 車両の更新に資金を集中投入した関係からか、駅設備は国鉄時代の雰囲気が色濃く残っています。利用客は少ないながらも地元の足として利用されています。

【知波田】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 親睦会を途中で抜け出し、酔いが醒めていないヘロヘロの状態でしたが、二俣線時代から続く唯一のメジャーポイントへ登ってみました。浜名湖バックのこのポイントは25年振りくらいの訪問でしたが、木々の成長はほとんど影響がなく十分撮影可能でした。

【寸座~西気賀】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 さらに奥へ足を伸ばし、天竜川の鉄橋へ向かいました。ここも天竜浜名湖鉄道の中では定番ポイントで、第三セクターに転換した開業初日以来の訪問です。朝日を入れて上流側からシルエットで撮るのがベストのようですが、現地到着が夕方近くだったので、オーソドックスなアングルになってしまいました。

【西鹿島~二俣本町】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち

 夕方まで待ってシルエットを狙ってみました。背景の山が近いため、鉄橋からあまり離れられないのと夕焼けがイマイチだったため、中途半端な雰囲気になってしまいました。

【西鹿島~二俣本町】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 最後に天竜二俣に立ち寄りました。国鉄時代の駅名は遠江二俣で、機関区も置かれていました。奥の機関区だったところには今でも扇形庫と転車台が残り、国鉄時代と雰囲気はほとんど変わっていません。別の側線には20系客車と二俣線時代のキハ20が保存されており、ボランティアが定期的に手を入れているようです。

【天竜二俣】(電車運転士)

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2010年9月18日 (土)

虚弱体質

「腱鞘(けんしょう)炎ですね 腕にあまり負担をかけないように」


・・・・・・夏頃からなんとなく両腕に筋肉痛っぽいダルさを感じていました。撮り鉄を半日でもしようものなら、翌日になっても肘を中心に疲労感が残り、湿布薬を塗っても効果が現れず徐々に痛みが増してきて、とうとう先日「これはいかん」と地元の病院で診察した結果です。

普段の生活にはそれほど支障ないのですが、カメラを構えたままの姿勢を数分間維持するのが今まで以上に辛く、8月の終わりごろから特に右腕側にダメージを受けています。今までどおりの生活を続けてきたにもかかわらず、う~ん、原因は何でしょう。腕に負担がかかる作業・・・撮り鉄、パソコン、車の運転、最近多かった什器運び、ただ単に酷暑疲れ、年のせい、いやひょっとしたら、体力が落ちないようにと毎日のように行っていた朝・晩の腕立て伏せがここにきて裏目に出たのかも。

車の運転やカメラを持つときは、特に右腕に力を入れないよう気遣いしながら動いていますが、何よりもまずは“腕を使う”仕事をできるだけ抑えて安静を保つこと。


更に追い討ちをかけるように、(身内話で恐縮ですが)10月には家内がとある治療のため手術入院。幸い命に関わるものではなく、いたって健康なのでいくらか安気なのですが、「長野のDD16+旧客の撮影は断念だね 三連休は何所にも行かれず台無しだね」と苦笑しています。夫婦そろってボロボロですわー。



そうは言っても、せっかく過ごしやすい気候になり貴重な晴天の休日にもかかわらず、じっとしているのは体にかえって悪いのでは、とモヤモヤしていたところに突然こんなネタ↓が飛び込んできました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

“JR貨物広島公開”PRカン付きEF66-27の牽く赤坂石灰5783レ 2010/09/18


家の中でストレス溜めるのも良くないですから、これはこれでリハビリだ、と腕の痛さも気にせずについ気合が入ってしまいます。



そういえば、わが夫婦は間もなく「フルムーン夫婦グリーンパス」が適用される年齢に達することに気が付き、ちょっと驚き(というよりショック)。落ち着いたら、たまにはこんなきっぷで出かけてみようか。「人ごみはうっとおしいし、荷物持って歩きたくないし、きっぷ代は高いし、車じゃないとイヤだー」と家内に言われそう。少し治まった腱鞘炎がまた悪化するではないか~。(自分の年齢に自覚のない出札掛)


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2010年9月17日 (金)

【アーカイブス】名古屋港のC50

 ブログを始めた最初期に、お宝映像としてナゴヤ球場、もとい中日球場の横を走る東名古屋港線のC50の写真を載せさせていただいたが、その一連の写真が発掘されたのでお目にかけたい。

 これら撮影は、いずれも1971年の正月である。なぜ、正月かと言えば、この名古屋港線のC50は、早朝名古屋港まで貨物を牽いて運行し、夜に帰ってくる筋であったことから撮影できないのが、正月だけは7時頃に東名古屋港線を運行し、一旦単機で稲沢まで回送、そして午後にDD51と重連で名古屋港に戻るという、変則的なスジで運行されたためである。

  

 まずは、朝の名古屋港行き貨物から。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 まず、気づかれないと思うが、以前載せた写真とは実は微妙にアングルが異なっている。もうこの頃にはカメラを2台使って撮影しているのである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 次は名古屋港で入れ換え中の様子。中川橋が写っているので大体の場所はお分かりいただけると思うが、現在のシートレインランドの北あたりである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは同じ列車を北側を向いて撮影。ここに見られる跨線橋の北側を市電が専用軌道で渡っていた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは専用線からの貨物を引き出すところを、名四の北あたりで撮影している。

 ところで、名古屋港のC50をご記憶の方には、これら写真が不思議に思われるかもしれない。すなわち、名古屋港のC50は両側に入れ替え誘導者の便を図るため、前後にワフを付けて入れ替えをしていたので、このように機関車の頭が前に出ることはなかったからである。

 なぜ、このようにワフがつかない写真が撮れたのか。ひとつには、この後、単機で稲沢まで回送するので、最初からワフを外していた、もうひとつは撮影の便を図ってわざとワフを外して入れ換えをしてくれた、である。どうもこの二つともが該当しているのではないかと思う。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 それが証拠に、というわけではないが、C50のテンダの上からこんな写真も撮影している。中川運河にハシケが浮かび、遠くに中電の名古屋火力発電所の煙突が見られるこの光景は、今となっては蒸機以上に貴重な写真となっているかもしれない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この日は名古屋港で単機の発車を狙い、走行写真は翌日に庄内川まで撮影に行っている。ここを走るD51の写真は数多いだろうが、C50は極めて珍しいはずだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ネガを見ると、この後一回稲沢まで追いかけて形式を撮影し、午後の名古屋港行きを清洲で撮影している。今となっては、原色DD51すら珍しくなってしまった。


 最後におまけの写真を。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これはC50のテンダの上から撮影した中川橋を渡る1900形。堤防は高くて上れないので、こうしたアングルを撮影した人は居ないのではないか。これもこれまでにない、珍しいアングルの筈である。(駅長)

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2010年9月11日 (土)

刈谷でチョイ鉄


 いつまでも暑い日が続く。休みとあっても外に出る気はとんとしないが、仕事とあらばやむをえない。休日出勤で刈谷まで行くことになった。場所は、刈谷駅すぐの線路に隣接したビル。鉄のたしなみとして、カメラをバッグにしのばせて出勤である。

 仕事の場所から様子をうかがうと、駐車場の上から午後に撮れそうなことがわかった。タイミング良く午後に時間が取れたので、抜け出して撮影することにする。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 撮影場所は、刈谷駅東側の駐車場の上である。ここなら、下り列車がなんとか撮影できるし、うまくいけば名鉄との交差も撮影できるかもしれない。

 さて、どうかな、とカメラを構えていると、なんとラッキーなことに一発目で交差する写真が撮れてしまった。(^^) 刈谷で交換する列車でまた交差。(^^)時刻表を確認せずに来てしまったが、どうも滅茶苦茶ついているらしい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ほんの少しタイミングがずれたので、313系のあたまにビームがかかってしまったが、これはやむをえないか。

 どうもこれは美味しい写真が撮れそうだ、ということで、時間を延ばして狙うことにする。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 上の写真に見えるもうひとつの駐車場の屋上まで歩いていく。ここからは、刈谷駅が見渡せる。丁度、タイミング良く貨物が通過。

 しかし、この場所ではJRが見えている時間が短いので、残念ながらほんの数秒タイミングが合わず轟沈。再度、最初の駐車場の戻ったが、またしてもほんの数秒タイミングがずれたので、上のような交差した写真にはならなかった。(よって写真は省略する)

 この場所からは刈谷駅も見渡せる。午後故光線は悪いが、ここでもJRと名鉄の並びが狙える。ホテルからの鉄道ビューを売り物にしている駅南側のホテルより、こちらの方が写真としては撮りやすそうだ。
 なお、交差するタイミングは毎時38分の特別快速の時間が良く、その間の新快速ではややずれが大きそうだ。

 

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この交差地点の南側には刈谷交通公園があって、中央線で活躍したD51777と名古屋市電の1603が保存されている。列車待ち時間に訪れると良いだろう。実は、当初はここに行くのが目的であった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 珍しくJRで刈谷まで行ったので、帰りに思い立って武豊線経由で帰ることにした。先日お見せしたC11の撮影場所の確認である。どうやらC11をサイドから撮った写真は乙川らしいことがわかる。しかし、全線にわたって沿線には家が立ち並んでいるし、木も伸びていて、武豊線100年の蒸機が走ったときよりもはるかに条件が悪くなっている。まだ、電化ポールは立っていないが、今後、電化前の写真を記録に残そうと思っても、撮影場所には苦労することになりそうだ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 乗車列車は、東浦で衣浦臨海からの乗り入れ列車とすれ違った。東成岩からの貨物である。この貨物、土曜日でも動いているのですね。そのうち、撮影しに行かないと・・・。(駅長)

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41.紀勢本線 海鉄 2010/09/05

 先回の紀勢貨物はウヤだったため、リベンジを果たすべく9/5に再挑戦です。慣例に従って列車とカマ番の確認のため、深夜の四日市に立ち寄りました。ところが、この日もカマの姿は見えず、今回もウヤということになります。ダイヤ上は土休日を含む毎日運転ですが、8月以降ウヤが多く、9月に入っても不安定な運転状況が続いております(9/11はウテだったようです)。こんな調子では来春のダイヤ改正で廃止ということも心配しなければならず、早いうちに何とか撮影したいものです。紀勢貨物がウヤということが判明した以上、家に戻るか別の場所で鉄をするかの選択となるわけですが、天気もよさそうなので、海鉄に徹しようということになりました。紀勢本線の海鉄といえば、紀伊田原の海岸は外せないだろうということで、半分ヤケクソな感じで国道42号線で紀伊半島を一気に南下しました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 相賀付近に差し掛かったところ、朝一番の普通列車が撮れそうだったので、急いで鉄橋の俯瞰ポイントへ登りました。日の出前の赤く染まった海が印象的でした。

【相賀~尾鷲】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 相賀から紀伊田原まで一気に移動、まずは定番の俯瞰ポイント(分譲別荘地のヴィラ古座)へ。最後に訪れたのは25年近くも前のことなので、木々の成長によって海が見えなくなっていることが心配されましたが、何とか撮影可能でした。オーシャンブルーの105系が姿を見せましたが、センスのないJR西日本の各種塗色の中ではこの色だけは海を中心とした沿線風景にマッチしています。

【古座~紀伊田原】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 続いては「スーパーくろしお」です。広角気味に海岸を大きく取り込んでみました。やっぱり105系2両より381系6両の方が絵になります。

【古座~紀伊田原】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 同じポイントばかりでは芸がないので、海岸に降りてみました。もう少し回り込んで波をバランスよく入れたかったのですが、ちょうど満ち潮の時間帯にあたっていたため、あまり深入りすると戻れなくなると思い、ここで我慢しました。

【古座~紀伊田原】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 「くろしお」はパノラマグリーン車が連結されていないため、新宮方の先頭車もクハ381になります。再度俯瞰ポイントに戻り、今度は、列車を強調するため、縦アングルで狙ってみました。このポイントはこの列車を最後にして、新鹿方面へ向かいました。

【古座~紀伊田原】(電車運転士)

「はなぶさ」に集まる仲間たち

 昼過ぎに新鹿まで戻って来ました。上からの新鹿湾バックのポイントは木が成長して苦しいアングルになっていましたので、少し下に降りてこのポイントを見つけました。キハが2~3両分しか入りませんが、新鹿湾の美しいエメラルドグリーンがバックに映えます。

【波田須~新鹿】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 おなじみの新鹿湾バックの俯瞰ポイントです。ここはいつ行っても感動的な風景が広がっています。本当はここで帰りの貨物を撮りたかったのですが、ウヤではどうしようもありません。日が短くなると通過時間の頃には影になってしまいますので、できるだけ早く再挑戦したいです。画面の下の方では高速道路の工事が進められており、すでに橋脚が立っています。完成するとこのアングルも撮れなくなるかもしれません。

【新鹿~二木島】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 新鹿を後にして帰途につきましたが、もう一度相賀の鉄橋に寄り道しました。夕方のエロエロ光線を浴びてキハ48の2両編成が鉄橋を渡って行きます。少しずつ木が成長しており、行くたびに見渡せる範囲が狭くなっているような気がします。ここも帰りの貨物を撮ってみたいポイントです。

【尾鷲~相賀】(電車運転士)

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非・撮り鉄的話題

去る9月2~8日の7日間、名古屋市中区栄の地下街にある「ギャラリー チカシン」にて、NPO法人「名古屋レール・アーカイブス(以下NRA)」主催の収蔵資料展が催されました。この展示には当ブログ「はなぶさ」メンバーの数名の方も携わっておりまして、「これはぜひとも出かけねば」との思いで、9月4日(土)の朝、さっそく足を運んでみました。新聞や鉄道趣味誌などでの告知もあってか、通りすがりの方も含めて朝にもかかわらず訪れる方がちらほらとみえて、関心の高さがうかがえます。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


年に一度行われるNRAの資料展は今年で三回目を数えます。今回のテーマは「行楽と鉄道の風景」。



★すみません、ここから個人的趣味に入ります。


さて地元名鉄では、正月・春・夏・秋の各行楽シーズンともなれば、特殊な列車名の臨時特急を大増発して各地を結ぶ臨時ダイヤを設けていました。正月の豊川線、夏の河和線は特急が毎時3~4本/Hの大ラッシュ、春・秋の犬山線休日ダイヤはピーク時10分間隔で各地を結ぶ特急が走るほどの大賑わいを見せていたのも懐かしく思います。そして今回の展示物の中に見つけたのが、その特急時刻表パンフレット。


どことなく覚えがある懐かしい表紙・・・。


「さて今季はどこにどんな名称の特急が走るのか」と、名鉄特急全盛期を過ごした中学~高校時代は、季節毎に発行される時刻表を心待ちにしていたものです。実は、駅で見かけると必ずといって良いほど手にして収集していたのですが、結婚を期に新居へ引っ越したとき、果たしてどこに片付けてしまったのか、思い出せません。もしかしたらうっかり捨ててしまったのかも・・・。あ~あ、こうなると昔を懐かしむどころか後悔の念にさいなまれそう。

まだ、押入れの奥には古い時刻表やパンフレットなどが若干ありそうで、「じゃま!」と捨てられるくらいなら思い切ってNRA様に寄贈したほうが役に立ってくれそうです。ただし、手放したことにくれぐれも後悔しないように・・・。



諸先輩方は、もっと遡った時代を懐かしむことと存じますが、自分の場合は本格的に「鉄」に目覚めた昭和50年代初期以降の記憶しかはっきりしていないので偏った感想になってしまいましたことをお許しください。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


↑1979年秋季に運転された西尾~犬山線直通臨特は「スカイホリデー」号。岩倉にて正面ドカン。「吉田」って・・・誤りではないですが、見方を変えればイラストの鳥の名前のことですか(^_^;)。←コラコラ!!

(出札掛)



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2010年9月 7日 (火)

【アーカイブス】小海線夏合宿特訓(2号機)

 小海線夏合宿特訓の1回目が好評なので、調子に乗って続きをお目にかける。あまりすべてを見せると、学生村での勉強目的という目論見が全くの嘘っぱちであることが露見してしまうのでまずいのであるが・・・。


 まずは北から。これは乙女のカーブを行くC56貨物。この後ろには信越線が走っているが、当然、そちらは撮影していない。ここのカーブは、イン側から狙うと浅間山がバックにいれて狙える名所である。確か、次に訪れたときには、ここで「こうみ」を撮影しているので、いずれお目にかけることになるかもしれない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 続いては、機関区のあった中込である。なんと、この写真には3両のC56が写っている。中込の配置はC56 4両であるし、応援の125をいれても5両しかいないはずだ。当然、小淵沢側でも八ヶ岳高原号や貨物にC56を使っているはずなので、どうして3両も揃ったのか、よくわからない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この時は、庫の中にC12 66もいた。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 その次のコマには、候補機付きで中込を発車するC56の貨物が写っている。先回、お見せした松原湖の写真は、この後で撮影したものである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 当時は、小海線にも急行が走っていた。確か、長野発長野行きの循環急行であった。(列車名を思い出せないので、ご存じの方はコメントください)

 これは、小海駅での撮影であろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 先回、お見せした松原湖の俯瞰はかなり気に入ったと見えて、滞在中にもう1日、撮影に行っている。この時は後補機はない代わりに、貨物が随分長い。C56単機でもこれだけの貨物が牽けたのかと、ちょっと驚かされる。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 「八ヶ岳高原」と「こうみ」の機関車が同じというコメントがあったが、野辺山には転車台がないので、「八ヶ岳高原」運転の時には少なくとも小海まで機関車を回送して転向していたはずである。これは、野辺山に到着するC56単機。こうしてみると、先回に紹介した貨物は小諸方面行きか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ここまで来たら、ここの定番であるこの列車もお見せしないわけにはいかないだろう。この列車は帰りの新宿行き。八ヶ岳が見えないのは残念だけれど、やむをえないか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 学生村からの帰りには、やはり定番のこの場所でも撮影している。しかし、夏ということで、南アルプスは霞んでしまっている。うーん、これも残念。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ひとつだけ言い訳をすれば、学生村に行った夏には北海道ではC62のニセコが健在であった。おそらく、撮影に行くチャンスはこの時の夏休みだけであっただろうが、当時の名古屋の高校生にとっては北海道はあまりにも遠く、費用も負担できなかった。当時の写真の腕では、行ったとしてもロクな写真は撮れていないと思うが、蒸機ファンとしては、この列車を見ることができなかったことが生涯の悔いとなっている。

 蒸機最後の頃には、東京あたりから高校生はもちろんのこと、中学生すらも写真を撮りに渡道したという。その意味では、勉強をほっぽかって鉄活動に邁進したとはいえ、まだまだ健全(?)な高校生活を送っていたのかもしれない、と思う。(駅長)





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2010年9月 6日 (月)

【アーカイブス】小海線夏合宿特訓

 さて、きそ52号に乗ってどこに行ったかというと、小海線である。C56の牽く八ヶ岳高原号を撮りに行くのが目的だろうと思うであろうが、実はそうではない。なんと目的は勉強であった。

 この頃、夏休みの勉学に励む学生のために、涼しい高原で勉強部屋や食事を安価に提供する学生村というものがあった。多くはスキー場のある高原で、民宿の夏のアルバイトであったように記憶するが、それ以外にも信州の各地にあった。どういう経緯か記憶はないが、選んだのは小海線の八千穂という駅から数キロ離れた場所にあった学生村(農家の民宿)であった。

 まあ、勉強が目的なら、鉄道の沿線、しかも蒸機の走っている沿線に行くこと自体が根本的な間違いであることはいうまでもないが、一応、駅から離れた場所を選ぶことで鉄活動を牽制すると共に、学生村では一生懸命勉強に徹するので、行き帰りくらいには鉄を楽しもう、というのが当初の目論見であった。 


 しかし、その通り行かないのが、世の中の常である。


 小海線の蒸機牽引客車列車というと、小淵沢からの「八ヶ岳高原号」があまりにも有名であるが、夏のお盆時期には小諸側からも蒸気列車が走っていた。東京からの帰省列車で、確か「こうみ」と名前が付けられていたと思う。

 この「こうみ」が走っているから、お盆の時期に学生村に行ったわけではないだろうが、こんな美味しい列車が走っているのに見逃すのは勿体ない。

 ということで、着いた翌日、初日くらいは誰でも一生懸命勉強するはずであるが、それをほっぽりだして早速撮影に行ってしまっている。こうした意志の弱さは今に始まったわけではない。(^^;)


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 撮影場所は不明であるが、八千穂の小海寄りかとおもう。形式入りプレートのC56125は糸魚川のカマのはずだが、夏輸送のため、中込区に貸し出しされていたようだ。

 蒸機だけではなく、ちゃんとDCも撮影している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは八千穂駅かと思うが、違っているかもしれない。


 その後は2日ほどじっとしていたが、4日目には清里と野辺山まで撮影に行っている。ただ、これは一緒に学生村に行った友人と二人で行っているようなので、当初からの計画だったのだろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これはお馴染みの最高地点。残念ながら、八ヶ岳は見えない。どうしてもここで撮りたかったのか、山が見られないにもかかわらず、往復の八ヶ岳高原号もここで撮影している。ちょっと勿体なくも思うけれど、やむをえないかも。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これが当時の野辺山駅。何もない駅であったと記憶する。今にして思えば、駅前をもう少し撮っておけば良かった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 駅の標高を入れているところから見て、これは清里に到着する列車だろう。当時の清里もまったくのローカル駅で、ミニ原宿かとおもわせるような今の姿はまったく想像できない。

 

 小海線の乗車はもちろんこの時が初めてであるが、名古屋周辺の鉄道では見ることのできない雄大な風景には強く引かれた。しかも、この時は蒸機が現役で走っているのである。

 もうこうなると、結果はいうまでもない。勉強をほっぽりだして鉄に励むことになる(^^;) 


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは松原湖を走る後補機付きの貨物列車。他に撮影した日は補機がついていないので、この日は特別であったかもしれない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これは場所がよくわからないが、小海の前後であろうか。当時は、小海線でもこんな編成が走っていたのである。

 

 まあ、夏合宿で勉学に励むつもりが、結果的には小海線での鉄ちゃん特訓となってしまった。その後の結果は、いうまでもない。この後も、鉄が理由で人生を誤ることがなんどかあるが、その最初がこの小海線の夏合宿であった。(^^;)


 小海線には、蒸機のなくなる昭和47年にも何度か訪問している。その後、清里や野辺山には訪問の機会がなく、この地を訪れたのはそれから40年近くたった昨年のことであった。その変貌ぶりに驚くと共に、C56の走っていた時代を懐かしく思い出した。(駅長)

 

 




 

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40.長良川鉄道 清流鉄 2010/09/04

 先週の出札掛様の長良川詣でのブログに刺激され、鮎釣りシーズン真っただ中ということもあり、長良川鉄道の清流鉄に行ってきました。この日は家族運用の都合で午前中で撤収しなければなりませんでしたが、朝から気温はうなぎ昇り、異常な暑さに列車待ちの間は半分死にそうで、「こりゃーやってられんわ」って感じでした。家に帰ってからニュースを見たら郡上八幡の最高気温は39℃を越え、この日の全国トップを飾っていました。「これじゃあ確かに暑いはずだ」と妙に納得してしまいました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 以前に高速道路に沿って側道があるのを確認していましたので、八坂の鉄橋が俯瞰できるのではないかと思い、行ってみました。向こう側の国道の土手には桜並木があるので、春にもう一度挑戦してみたいと思います。

【八坂~みなみ子宝温泉】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 下に降りて、同じ鉄橋を上流側の道路橋から狙いました。出札掛様と同じポイントです。鮎釣り人がいたので、縦アングルでまとめてみました。

【八坂~みなみ子宝温泉】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 クルマを走らせながら
朝方順光で鮎釣り人のいるポイントを物色しました。あちこち探してみましたが、とりあえず、赤池の鉄橋に落ち着きました。画面の鮎釣りオヤジが結構動いたり体勢を変えたりするので、列車とのタイミングが合うかどうかハラハラ・ドキドキものでした。

【赤池~深戸】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 いいポイントなのか、いつ行っても鮎釣り人が多い自然園前方面へ移動しました。光線の関係で、本当は昼過ぎに行きたかったのですが、この日は午前中限定の鉄なので、仕方がありません。

【自然園前~山田】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 再度、赤池の鉄橋にポジションを決めて列車を待っていたところ、ラフティング軍団が次から次へと下ってきます。列車が来るまで続くのか微妙な感じでしたが、何とか撮れました。わかっていれば鉄塔が入らない反対側の岸で待っていたのですが、結果としては場所選択誤りになり、消化不良でした。

【赤池~深戸】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 時間的にもう1本撮れそうだったので、この場所へ移動しました。もう少し上流側は水しぶきがきれいでいい感じだったのですが、肝心の鮎釣り人がいません。仕方なくこのポジションとなりました。酷暑とは言いながら、天気もよかったので、午後も粘りたかったのですが、家族運用を乱すと翌日の鉄活動に支障をきたすということで、本日はこれでやむなく撤収しました。

【深戸~相生】(電車運転士)

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2010年9月 4日 (土)

「会社の事情」も、なんのその


★この記事を読む前に、8月15日付の「会社の事情によりまして」の、《その2》社員旅行 の項をご一読下さい。


8月28~29日は年に一度の社員旅行。今年は静岡県焼津の「松風閣」にて宿泊した後、“大井川鉄道のSLに乗って駅弁を食べよう”ツアーです。・・・くどいですが、自分はツアーの企画にはまったく携わっていませんので悪しからず。


さて、200名の大宴会で盛り上がった翌朝、空は富士山が顔を出すほどのピーカン天気。会社の仲間と朝食を共にした後、一足先にホテルを抜け出し、いよいよレンタカーで作戦開始!

さっそく金谷まで来ると、相変わらず富士山がくっきり見えていました。せっかくだからSLの前菜に、と富士山バックに大鉄とJRを俯瞰できる高台を目指すべく金谷駅の真上を通る道を走ったら、へぇ~、ここからだと真正面に山が拝められるのですね。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


下りローカルが間もなくやって来るので、今回はここでお気軽撮影をして本日のメインディッシュ、大井川第一鉄橋へと車を走らせました。

某HPで見つけた、午前のSL撮影にうってつけの鉄橋俯瞰場所へと向かいます。HPによると「“SLの見える丘”の背後にある上り坂を進むと木々が伐採されて視界が開け、眼下に鉄橋が見える」とあり、撮影ポイントには難なくたどり着くことが出来ましたが、木々が成長してきているせいで、もし三脚を並べるなら4名前後が限界でしょうか。幸いこの日は自分ひとりの独占、しかも車を横付けにでき、太陽は木々に隠れるので暑い日でもけっこう気軽に撮影できます。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


まず会社の仲間達が乗っている1001レを撮影。さすが7両は長いですが、わざと後部のデキを隠したほうがより長さを強調できそうな感じです。ん、列車から川原に向かって誰かが叫んでいる・・・ウチの社員じゃないだろうなー。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

その50分後、多客臨1003レ。3両のためデキの後押しはないものの、煙はスッカスカ・・・仕方ないか~。

この後、鉄橋のたもとに下りて、トラストトレインの連結された101レを待ち受けました。ここでサプライズ!鉄橋を渡りだしたカマをよーく見ると、おや?もしかしたらC56ではありませんか!!


「はなぶさ」に集まる仲間たち


しかもタイ仕様をまとったままで。あれ、たしかタイ仕様はこの一日前がラストランだったはず。公式にも発表されているのに、もしやこれは大鉄のイキな計らいなのでしょうか?それとも、予定していたカマが不調で差し替えられたのか・・・。いずれにせよ、思わぬ出来事に万々歳です。

「知られざる真実!C56タイ仕様のラストランは、本当は8月29日だった!!」などというスクープ記事がどこかで書かれていないか、いろいろ探ってみましたが今のところ目にしていません。“本当の真実”はごく一部の人しか知らないのです。へへっ。

本日のメインは無事終わり、興奮冷めやらぬ中、途中で適当に撮影しながらレンタカーを返却する浜松へと向かいます。まず大井川を下り、金谷~菊川の名撮影地・大カーブへ行ってみました。下り貨物の時間が近づいてきたので、かつて秀作を生み出したアウトカーブの俯瞰場所を探しましたが、木々が邪魔するし、民家、電線など障害物のせいでこの場所が精一杯でした。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


違うポイントなのか、それとも障害物のせいで、もう撮れないのか、どうも納得いかないまま、今度はJR-W500系引退で知名度がアップした新幹線のお立ち台へと向かいました。撮るからにはもちろん300系狙いです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


いざ撮影場所に着いてみると、何やら工事の足場が組まれています。日曜日のため休工日で無人なので、おかげで容易に堂々と土手を登ることが出来ましたが、もしかしたら「鉄」避け防護柵でも作るのでしょうか?


「はなぶさ」に集まる仲間たち


続いて、掛川まで来ると天浜鉄道がまもなく発車する時間。道中に見つけた鉄橋で撮影してみましたが、なんだかはっきりしませんね・・・。

浜松でレンタカーを返却して、JRで帰路につきます。途中、豊橋で名鉄に乗り換えるのですが、ここで30分ほどすると豊鉄「なぎさ号」がやって来る時間だったので(実は狙っていた)、乗り換えついでに撮影をすることに。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


太陽はすでに隠れてしまいましたが、それでも意地でISO1000、1/250、F6.7で、この日最後のカットを撮って締めくくりました。


二十数回の社員旅行をしてきたなかで、今回が最も充実した一日でした。当たり前ですが・・・。(出札掛)


★エピソード★とある社員が客車内で用を足し、出ようとしたらドアが開かなくなり、ケータイで仲間に助けを求め、外から開けてもらったようで・・・(^_^;)



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2010年9月 3日 (金)

39.東北本線 白岡の夏(2号車) 1976/08/15

 白岡の夏(1号車)から時間が経ってしまって申し訳ありません。1号車でははるばる姫路から3度目の遠征を試みたのにもかかわらず、まだまともなゴナナの走りは撮れていませんでした。その続きを2号車としてアップします。なお、以前にアップした画像の再掲もありますが、話の成り行き上、どうかお許しください。m(u_u)m


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 583系の「はつかり」です。ポジションを移動し、線路端から車両中心のアングルに変更しました。「はつかり」は485系も使用されていましたが、自分は、重量感がある583系の方が好ましく思いました。
【白岡~久喜】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 同じポジションで、確か一ノ関行だったと思いますが、客車列車を待ちました。今度こそゴナナを期待しましたが、またもやゴハチ。いったいゴナナはどこへ行ってしまったのでしょうか。この時ほどゴハチが恨めしく思ったことはありませんでした。(`(エ)´)ノ_彡

【白岡~久喜】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 線路の反対側に移動し、「やまばと」を待ちました。「はつかり」・「やまびこ」・「つばさ」には運用されていなかったボンネットがやって来ました。一方、「やまばと」・「ひばり」・「あいづ」にはボンネットが比較的多く運用に入っていました。いつの時代になってもボンネットは特急らしい風格が漂っています。

【白岡~久喜】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち
 再度、先ほどのポジションに移動し、下りの臨時急行を待ちました。「どうせ今度もゴハチやわ」と真夏の暑さのせいもあって半分ヤケクソになっていました。踏切が鳴ってしばらくするとカーブの向こうに茶色い塊が見えました。「今度こそゴナナやっ!」と思わず心の中でガッツポーズです。焦って早くシャッターを切りすぎないように注意しました。撮った直後は興奮のあまり気がつきませんでしたが、現像後のネガを見たらゴハチとの重連でした。キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!

【白岡~久喜】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 次の臨時急行はまたまたゴハチでしたが、ゴナナをゲットできた余裕からか、この時はストレスからかなり解放されていました。(*^o^*)

【白岡~久喜】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 翌日は上越国境に向かう予定でしたので、そろそろ撮影を切り上げる時間となりました。この日の締めくくりの列車は最後を飾るかのようにゴナナの牽引でした。その後、残念なことにゴナナを撮るチャンスには恵まれず、結局、ゴナナの走行写真はここにアップした2カットだけとなってしまいました。旧型電機の中では一番魅力的な機関車だっただけに、もう少しチャンスがほしかったというのが正直な思いです。(^-^)ノ~~
【白岡~久喜】(電車運転士)

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