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2010年8月

2010年8月29日 (日)

38.伊勢志摩スカイライン俯瞰 2010/08/28

 今回は、最近ネタをご紹介します。しばらく紀勢貨物を撮りに行っていないのを思い出し、天気予報とにらめっこしながら、8/28なら家族運用の都合もつきそうなので、未明に自宅を出発しました。深夜の四日市でバカ停があるので、国鉄色か赤更新か機関車を確認しがてら立ち寄ったところ、機関車と貨車の姿が見えません。ということは、今日の紀勢貨物はウヤということになります。天気はよさそうなので、貨物のウヤを承知で尾鷲か新鹿あたりまで一気に走ろうかとも思いましたが、イマイチ気が乗りませんでした。このまま帰ろうかどうしようか思案してたところ、以前に雑誌などで見たことがあった伊勢志摩スカイラインからの俯瞰を思い出し、こんな時くらいしか訪れるチャンスもないだろうということで行ってみることにしました。通行料1,220円をどう感じるかは個人の判断があると思いますが、天気がよくて伊勢湾がキレイに見えた時の風景は素晴らしいものがあります。何回も通うポイントではないとは思いますが、一度は行っておいてもムダではないかもしれません。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 伊勢志摩スカイラインの俯瞰ポイントは2か所あります。頂上付近の朝熊山の展望台とそこから少し鳥羽方面に下った駐車スペース付近です。まずは朝熊山の展望台からの眺めです。空気が澄んでいる時は伊勢湾をはじめ知多半島・三河湾・渥美半島を遠望することができます。光線は午後から夕方にかけてが順光になります。さて、列車はどこにいるのかおわかりでしょうか? 右下の方に参宮線の有名撮影ポイントの海中の築堤を行く白いキハ11の単行列車が写っています。以前はDD51の団臨や国鉄色キハの集約臨などが頻繁に入線し、格好のターゲットになっていましたが、現在は短編成のキハ75・11ばっかりで(朝にキハ40系の3両が1運用あるが光線がよくない)、絵にならないというのが正直なところです。国鉄色の長編成が入線していたころに一度行っておくべきでした。

【池の浦シーサイド~鳥羽】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 同じポジションからの縦アングルです。キハ75の快速「みえ」です。ステンレス車体のため列車が風景に溶け込んでしまいがちですが、ある程度望遠で引っ張れるため、どこを走っているのかが何とかわかります。

【池の浦シーサイド~鳥羽】(電車運転士)

「はなぶさ」に集まる仲間たち

 同じ展望台の反対側からは伊勢平野と伊勢湾を遠望することができ、同じ列車を池の浦側と余裕を持って掛け持ちできます。こちらの光線は午前中がベストです。キハ75の4両編成が下方の鉄橋上を進んでいます。ギラリとまではいきませんでしたが、偶然、太陽の光が車体に反射してくれたので助かりました。
【五十鈴ヶ丘~二見浦】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち
 池の浦側のポジションでカメラを少し右に振ると近鉄も掛け持ちできます。車両のバラエティーは豊富ですが、やっぱりブルーとオレンジの一般特急車両が好ましく思われました。 

【池の浦~鳥羽】(電車運転士)

「はなぶさ」に集まる仲間たち

 朝熊山の展望台から鳥羽方面へ少し下った駐車スペース付近のポジションです。こちらの方が下方に写っている海中の築堤がよく目立ちます。ここも光線は午後から夕方にかけてが適しています。キハ11の単行列車が築堤上を走っていますが、やっぱり列車の存在感があまりありません。まず実現の可能性はないと思いますが、やっぱり長編成の国鉄色を撮ってみたいです。
【池の浦シーサイド~鳥羽】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 同じポジションでの縦アングルです。夕方の斜光線のため、思ったよりオレンジの帯が目立ってくれました。そういえば、画面左の船溜まり側には高い鉄除けフェンスが設置されてしまい、線路際からの撮影は困難になりましたが、俯瞰ならほとんど気になりません。

【池の浦シーサイド~鳥羽】(電車運転士)

「はなぶさ」に集まる仲間たち

 カメラを少し右に振ると、築堤上を行く列車も狙うことができます。バックの島の雰囲気はこちらの方がいい感じです。

【池の浦シーサイド~鳥羽】(電車運転士)

「はなぶさ」に集まる仲間たち


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 このポジションも近鉄との掛け持ちが可能です。朝熊山の展望台に比べてサイド気味になるため、列車はこちらの方が目立ちます。遠すぎて架線柱がよく確認できないので、顔を架線柱に引っ掛けないように注意が必要です。参宮線は午後からの方が光線は良好ですが、近鉄は午前中が適しています。やっぱり、長編成の一般特急車両が一番よく目立ちます。
【池の浦~鳥羽】(電車運転士)

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2010年8月28日 (土)

白い“ナガラ”


アーカイブスシリーズ続いていますが、急きょ現代劇に戻ります(・・。)ゞ


夢の世界であったカラー写真の自家現像~編集がデジカメの恩恵を受けていとも簡単、安価に(パソコンの力によるところがほとんどですが)行うことができるようになったのは、まったくもってありがたいことです。フィルムの良さも確かにあるのですが、それはさておき自分の思い通りになんとでもなってしまうのは、裏を返すと、つい気の緩みからシャッターを押すまでの緊張感、判断力が徐々に乏しくなっていってしまうのではないだろうか、という不安がよぎります(→年齢のこともあるし)。この便利さに甘んずることなく、できるだけ最小限の編集で画像をきちんと仕上げられるよう感性を磨くと共に緊張感や判断力を持ち続けたく思います。ボケ防止にもなる??


さて、今年の盆休み最後の悪あがきとして、8月16日は「よし、先日ゲットした長良川鉄道ナガラ201限定の臨時快速をもう一度狙おう」、しかし酷暑には耐え切れないので午前中で引き上げるつもりで美濃路へと足を伸ばしました。

これを決めた背景は、長良川鉄道の車体色へのこだわりです。ご存知のとおり車両のほとんどが、カラー写真泣かせで悪評高き、あのあずき塗装。せっかく風光明媚な沿線なのに、この車体色のせいでどうも足が遠のいてしまいます。似たような傾向に養老鉄道、JR-Wの高岡色など(ほかに、どこかあった?)ありますが、どれも共通して「どうしてこうも色が沈んでしまうのか」と嘆いてしまうほど良い結果が得られません(いっそ、茶カマやSLのように黒くなってしまえ~)。たとえ車体が映えない結果となったとしても画像処理を施すことでそれっぽく表現できるのかもしれませんが、やはり納得いきません。たまに手を加えずともGOODな出来にもなるので、本当にこの塗装はたちが悪い&まだまだ自分は経験不足。


先述の臨時快速は「ナガラ201」で運用されます。長良川鉄道でも2両しかない“白い”車体(→あぁ、これって開業時の塗装に準じたものか)のうちの1両を使用しての限定運用であるため、あずき色のストレスを確実に回避できることから、しかもこの夏限定のメニュー、ということでわざわざ挑んだ次第であります。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


まず富加駅近くに車を進めると、本命の201号の前走りとなる下り白鳥行きに間に合ったので、撮影開始。やってきたのはなんと偶然にも、もうひとつの“白い”車両・503号(最新鋭の車両ですが、今後の増備車もこうなるのかな)。撮影後、北上して本日の目的地・半在駅(→あえてこう表現します)近くの鉄橋へと車を進めます。あれ、知らないうちに先ほど撮影した503号を抜いていたようで「これはラッキー」と、鉄橋に並行する道路橋に三脚を立て、白い車体ならどうにか保ってくれるだろう、とあえて逆光アングルで撮影。本当は、ほかの場所を探している余裕がなかったので・・・。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


撮影後、橋の順光側に移動。本命の201号は後追いとなるため車両アップを避けてフレーミング。顔には陽が当たりませんが、側面さえわかれば“白い”車両を証明できるので(イラストだらけですが)自己満足ということで。ただ、バックの民家の屋根と同化してしまったのは白色であったことが逆効果だったようです。いや、シャッターチャンスの問題?


「はなぶさ」に集まる仲間たち


15分後、途中駅で交換した上り列車が来ました。今度は間違いなくあずき塗装車なので写り栄えが気になりましたが、ヘッドライトと意外な明るさに助けられました。念のためISOを1/3上げたのですが(→後で、どうとでもなるのに)誤差の範疇ですね・・・。これもシャッターのタイミングが・・・?

次の列車は数時間後。場所移動にはちょうど良いですが、やっぱり暑いので予定通り?撤収して帰宅となりました。


長良川鉄道は自宅からちょっと走れば出会うことができます。あずき塗装は確かに手強いですが、それを逆手に取って効果のある撮影が出来たらどんなにうれしいことだろう、と今後の課題として精進であります。(出札掛)


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2010年8月27日 (金)

【アーカイブス】呉線のD51

 電車運転士氏が高校生の頃に東北本線まで遠征して、狙っていたEF57に振られた話を書かれているが、同様の悔しい思いは同年代の頃に駅長も経験している。当時、遠征して撮影に行ったのは蒸機ということで、その悔しい思い出は、大型蒸機最後の牙城といわれた呉線である。このところ蒸機が続くがご勘弁いただきたい。


 さて、その悔しい思いをした写真とは、この写真である。 


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 なんだ、D51かと思う無かれ。この後ろには、実は寝台車が延々と連なっている。そう、この列車はC59、C62が最後の活躍をしていた呉線で、その引退興業ということで、ヘッドマークを付けて運転していた東京からの寝台急行「安芸」なのである。ヘッドマーク付きのC62を狙いにはるばる名古屋から行ったのに、なんとその列車をD51が牽いてきたのだ。

 多分、今ならこんな正面がちの狙い方をしないだろうが、この時はヘッドマークを目立たそうとでも思ったのだろうか、機関車中心に撮影している。そのため、後ろの客車は寝台車ということがさっぱりわからない。その結果、まったく、落第点の写真となってしまった。

 しかし、多くのファンが撮影に来ている看板列車をC62ではなく、わざわざD51に牽引させるとは、糸崎機関区も少々配慮に乏しいと愚痴を言いたくなる。


 当時、呉線内では、往復の安芸とも撮影時間帯に走っているので、帰りも撮影している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 こんどはD51で来ることがわかっているためか、編成中心として撮影しているのは良いが、足回りが草に隠れてしまっている。その前の列車の写真は、望遠でもう少し先の草のないあたりで狙っているのであるが、これは編成をいれようとしたからか、標準での撮影であり、それゆえ足回りが隠れてしまったのだろう。そこまで、わからなかったのは、未熟という他はない。

 まあ、見方を変えればD51の牽く食堂車付きの全車寝台編成などは、これはこれで希少価値で面白いかもしれない。とはいえ、やはりC62の牽く急行編成を撮りたかった。

 

 この時の撮影は1泊2日で行っており、高校生になって、初めての一人での撮影旅であった。どうしてもヘッドマーク付きの列車を正面がちに撮りたかったのか、翌日もリベンジで同じ場所に安芸を狙いに行っている。場所は、安登と安浦の間で、この間に呉線で最急の16.7パーミルの勾配があった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 翌日は、予定通りC62が牽いてきた。しかも、機関車が17号。後に東山公園に保存された機関車である。

 もうほんの少し、シャッターを遅らせて切ってポールを隠すことができれば満点であるが、まあ、それは贅沢というものだろう。この写真は、ボイラーの架線注意までしっかりピンが来ていて、当時としてはしっかり撮れている写真である。とはいえ、やはり縦位置で狙うにしても、編成がわかるように撮るべきであった。


 最後に、おまけで急行音戸を牽くC59。C59は最後まで動いているのは3両だけで、この旅行ではあまり撮影する機会はなかったが、寝台付きの急行音戸を牽く姿はかつての急客機の貫禄十分であった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 こういう写真を見ていると、蒸機は良いな、と思えてしまう。とはいえ、この所、蒸機ばかりお見せしているので、そろそろ違うものに方向転換しようかと思う。(駅長)

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2010年8月25日 (水)

【アーカイブス】蒸機時代の武豊線(2号機)

 前回の武豊線の写真で、C11272に回転火粉止(その様子からクルクルパーと呼ばれた)が付いているのかというコメントが寄せられた。他の写真を見ると、より近接で撮影した写真があったのでお目にかけたい。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、東浦と亀崎の間と思われる。ご覧のように回転火粉止は付けられていない。ただ、この一週間前に稲沢で撮影した同機の写真には付けられているので、何かの都合で外されたのだろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、武豊で入れ換え中の同機。サイドのナンバープレートが運転台の下に取り付けられていた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 同機のもうひとつの特徴は、蒸気溜が角形の戦時型であることだ。

 ところで、武豊線のC11は、稲沢(その前は名古屋)から東海道線を単機で回送された。これは夕方に帰るところであるが、さて場所はどこだろうか。

 実は大府と共和の間である(多分)。徒歩で行っているので、駅間の途中までは歩かず、おそらくどちらかの駅の近くで撮影しているのだろう。当時はこのあたりでも田園が広がり、工場地帯となった現在からは想像すらできない。

 勿体ないのは、ここで東海道線の列車を1枚も撮影していないことで(EH10で横位置はある)、電車の写真を撮っておけば、C11よりも貴重な写真となっていたかもしれない。もっとも、当時は東海道線でも30分に1本くらいしか電車がなかったので、そのために待って撮るなどということはできなかったのだろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


  おまけの画像を少し。これは亀崎に到着するキハ35。このあたりは、今、どうなっているのだろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これは大府に向かう列車で、場所は亀崎と東浦の間である。結構、長い編成を牽いている。左側には、衣浦大橋があるはずである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 さよなら運転は6月30日に行われ、C11265が使用された。これはホーム1本だけの東成岩駅。側線があったためか、こんな小駅でも入れ替えのための停車時間があった。

 この時は、大府行が正向となるよう、普段とカマの向きを入れ換えて運転した。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 この日は、しつこく稲沢への回送も撮影している。場所はいうまでもないであろう。

 武豊線のC11は、平坦線を走っていることから、蒸機としての見所が乏しく、蒸機廃止の直前に数回撮影しただけであった。

 その後、1986年に武豊線開業100周年で再び武豊線に蒸機が走っている。このさよなら運転から16年後であった。この間、随分時間が過ぎたと思ったが、その復活運転からさらに四半世紀が過ぎようとしている。(駅長)

 



 

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37.東北本線 白岡の夏(1号車) 1976/08/15

 福知山線のDD54に続いて、過去ネタになりますが、高校1年生だった1976年8月当時の東北本線をアップしたいと思います。この頃はどういうわけか、EF57のパンタがせり出した勇壮な姿に憧れ、いつか自分のカメラに収めたいという思いが非常に強かったような記憶があります。このとき以前にも2回ほどゴナナを求めて白岡を訪れましたが、2回ともやってきたのはすべてゴハチで、見事に撃沈状態でした。それならば、3度目の正直は、お盆の帰省なら多数の臨客が運転されるので、ゴナナが運用される確率も高くなるだろうということで、真夏の暑い日でしたが、上野から初電となる普通列車に乗り込み、白岡に降り立った後、撮影地へ向かいました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 早朝、上野を目指す「あけぼの」です。この頃はまだ20系が運用されており、ロクゴPFが先頭に立っていました。

【白岡~久喜】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 早朝、上野を出た長距離普通列車(確か郡山行?)です。朝もやの中から茶色い機関車が見えた瞬間、ゴナナだ!と喜び勇んだのですが、ファインダーのなかに飛び込んできたのは1号機、これはこれで貴重なのですが、ゴナナは前パンしかあり得ないと思い込んでいた自分にとっては嬉しさ半分、ガッカリ半分の複雑な心境でした。よく見ると次位にゴハチぶら下がっています。

【白岡~久喜】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 EF15の貨物列車です。当時は、東京近郊にはEF15がゴロゴロいましたので、ごく当たり前の光景でした。とりあえず、シャッターだけは押したといった感じです。

【白岡~久喜】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 485系の「つばさ」です。確か、この前の年にここを訪れたときはキハ181系だったような記憶がありますので、電車に置き換えられてからそんなに時間が経っていない頃だと思います。サロ・サシ込みの12両編成は長距離特急列車の貫録十分です。

【白岡~久喜】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ゴナナを期待して上りの普通列車を待ちました。カーブの先から見えたのは青い車体、ゴハチ+旧客の列車はそんなに珍しいものではなかったので、パスしようかという思いが一瞬頭の中をよぎりましたが、今となってはシャッターを押しておいてよかったと思います。

【白岡~久喜】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 続いて14系の臨時特急(列車名は???)を待ちました。特急ということで「ゴナナは期待薄かなぁ」と半分あきらめていましたが、予想どおり、ゴハチが現れ、3度目の正直でもゴナナはダメかという不安がだんだんと高まってきました。

【白岡~久喜】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 583系の「ひばり」です。こちらは「つばさ」よりもさらに1両長い13両編成、もちろんサロ・サシが編成内に入っています。「はくつる」か「ゆうづる」の間合いで「ひばり」に運用されていたものと思われます。

【白岡~久喜】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 客車が14系なので、おそらく臨時「つばさ」だと思います。牽引機は、早朝の「あけぼの」に充当されていた1011号機でした。

【白岡~久喜】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 455系の急行です。編成が6両と短いので、長距離急行ではなく、水戸線を経由して来る「つくばね」あたりでしょうか。

【白岡~久喜】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ポピュラーな485系「ひばり」です。ボンネットがよかったのですが、非貫通の300番台でした。上野~仙台を結んでいた「ひばり」は運転本数も多く、次から次へとやって来るといった感じでした。

【白岡~久喜】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 突然現れたゴナナの単機回送です。予想外のことで、あわててシャッターを押しました。とりあえず、正統派のゴナナを撮ることはできましたが、単機の後追いでは満足できません。早朝から粘っていたのにもかかわらず、まともなゴナナの写真は1枚もゲットできていません。今日も撃沈かという悪い結果が頭をよぎります…。

【白岡~久喜】(電車運転士)



 というようなわけで、この後も、この付近にさらに粘ることになりましたが、結果は後日、2号車でアップしたいと思います。































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2010年8月24日 (火)

【アーカイブス】関西線のなにげない風景

 武豊線の撮影地については、まだ不明の写真が何枚もあるが、それは次の機会として、1970年頃の関西線笹島周辺の様子をご覧に入れよう。

 これら写真は、1970年秋に撮影している。名古屋機関区の上をまたぐ平野橋から客車区と笹島駅、笹島構内、そして八田駅を写した写真である。蒸機が写っているものの、取り立てて珍しいシーンとはいえない・・・・しかし、今となっては、大変懐かしい光景である。懐かしいのは、こうした場所に何度も行っていることに加えて、これらアングルの写真を近年、見る機会がほとんど無いからではないか。笹島構内は別として、他のシーンは機関車が小さいなどで、あまり撮影されていないからということもあるのだろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 名古屋の鉄道ファンにとって、笹島のこのシーンは思い出がある方が多いはずである。近鉄の米野駅から近く、本数も多くて、D51の発車を撮影するにはもっとも手軽な場所であった。この写真は秋の夕暮れ、それゆえ線路が光って印象的な写真になっている(と思っている)

 惜しむらくは、もう1年ちょっと前だったら、手前のDD51がC57だったことだ。しかし、こればかりは何ともならない。D51のシーンを撮れただけでも良しとすべきだろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この場所から反対を見ると、このシーンとなる。これは、貨物線を降りてくるD51を撮影したつもりであるが、結果として当時の客車区の様子を伝える写真となってしまった。手前の雑型は関西線の普通用であろうか、もう一本奥には木曽か阿蘇かわからないが、寝台車が写っている。今にして思えば、すべてが貴重であるが、当時はごく当たり前の風景であった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 同じ列車で、少し右を向けば笹島貨物駅が写る。今とは隔世の感がある光景である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 最後に高架駅となってしまった八田駅。D51だけでなく、DCも写し込んでいるので雰囲気が出た。


 ところで、フジのフィルムはビネガーシンドロームが問題となっているが、これら写真のうち、上の笹島はイルフォードのHP4、下の八田はコニパンSSで写している。

今更にして思うと、もうこの時にイルフォード(しかも100フィート缶からの切り出しである!)を使っているのは我ながら驚いてしまう。また、時にはコニパンも使っていたようだ。

 しかし、コニパンの画像はコントラストが低く、また、粒子も粗いのであまり良い状態ではない。イルフォードは、それなりの階調を残すが、トライXやフジのSSと比べてどうかというと、それほどの違いは感じられない。それよりも、同じフジのSSを使っていても、抜けが良く、階調の豊富なネガがある反面、コントラストが低く、粒子の粗い写真もある。これはエマルジョンによるのではなく、多分、写真屋の現像に起因するのが大きいのではないか、とも思う。


 当時は、これがわからず、ネガによっては引き伸ばしても眠い写真や粒子の荒れた写真となって、随分苦労した。いや、もう、この頃には現像を自分でおこなうようになっているので、そうした問題点はある程度、わかっていたのかもしれない。イルフォードを使い始めたのも、少しでも良い階調を得ようとしたのだろう。

 ただ、自分で現像をおこなうようになっての失敗は数限りない。当時は、また撮れば良いとおもっていたが、やはりそれなりの貴重な写真もあるので、今にして思えば残念である。(駅長)


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2010年8月23日 (月)

【アーカイブス】蒸機時代の武豊線・・・しかし、大問題が・・・

 今日、お目にかけるのは蒸機時代の武豊線の写真である。武豊線の蒸機は、1970年6月30日を最後にDLに置き換えられており、その2ヶ月ほど前の間に撮影している。

 しかし、これら写真をスキャンしていて、大問題があることが判明した。それは、撮影地がまったくわからないのである。

 「そうか、ついに駅長も認知症か」と、思われる方もあるかもしれない。多分にその気はあるが、あらためて考えると、武豊線には最近、ほとんど乗ったことがないのである。おそらく、この撮影をした時以降に乗車した機会は、多分1~2度あっただけではないか。

 では、1986年に開業100周年で蒸機が走ったときには撮りに行っていないのか?という方もおられよう。実は、この頃撮影したのは亀崎より南側で、開業100年の蒸機運転の時には、築堤があって周りが開けていた亀崎以北でばかり撮影していたのである。しかも、撮影にはクルマを使っている。そのようなわけで、今回の撮影場所が判然としないのである。

 近年の好みや雑誌の購読傾向から、欧州の鉄道における走行写真はかなりの所まで場所を確定する自信があるが、それが5千マイルどころかわずか15マイルほどの距離の鉄道の場所がわからないのは、これまた大きな問題ではないか。(^^;)

 まあ、そのうち、機会があれば武豊まで往復して場所を確認するとして(さて、何時になることやら)、撮影地がわかる方にはぜひ場所をお教えいただきたいと思う。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これはわかる。半田の発車である。当時、武豊線の蒸機は武豊側を向いていた。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これは亀崎に停車中の大府行き。このレールで組んだ跨線橋は、結構、由緒があるものと聞いた覚えがあるが、どうなのだろうか?


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは乙川を発車する武豊行きかと思われる。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 蒸機ばかりで馴染みがないといわれないように、DCもあげておく。これは乙川と半田の間ではないだろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 こうした写真になると、お手上げである。撮影順から考えると、乙川の手前かと思うがどうなのだろう。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 なかなか良い雰囲気の場所であるが、これもよくわからない。乙川か東成岩のどちらかのはずである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 これは、ネガに東成岩と書いてあるので、多分、東成岩なのだろう。しかし、当時の貨物は長かったとあらためて思わずにはいられない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 ところで、この一連のネガの中に、なぜかこんな写真がある。しっかりピントがあっているところをみると、狙って撮っているのだろう。犬釘が目的かと思うが、よくわからない。理由がわかる方は、ぜひお教えいただきたい。といっても、「エキスポこだま」ほどの価値のある写真ではないだろうが。(駅長)

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2010年8月22日 (日)

今が旬!豊橋

 どこかの月刊誌の特集のようですが・・・(^^;)

 昨日は鉄仲間の集まりがあって豊橋へ。今、豊橋に行くとなれば、当然、コレに乗車です。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 仕出しの弁当の業者が変わったとかで、随分、美味しくなりました。早くも次のおでん車も予約(^^;)

 ただ、行くだけでは勿体ないので、ちょっと早起きをして飯田線へ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 もう、本当に久しぶりに東上~野田城のこの場所に行きました。これも10数年ぶり?同業者も自動車3台がいました。なぜか、この列車が去ってから新たに自動車2台。119系も先が見えてきたからかな?

 いつも自動車で行っていたので、歩いていく道を間違えてしまいました。ここは徒歩で行くと行きづらいのですね。

 なんか、日記風ですね(^^;)。ネタの夏枯れでしょうか。(駅長)

 

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2010年8月21日 (土)

【アーカイブス】中在家信号所・・・小生・出札掛の場合

駅長様の中在家信号所俯瞰アングルに見覚えがあったので、昔の画像データをひっくり返してみたら、1985年1月2日、加太訪問のついでに同信号所まで立ち寄って写真をいくつか撮っていました。世間は正月休みで浮かれ気分の最中、大学生当時の自分はカネも彼女もあるわけなく、バイトのオフ日のヒマつぶしに父親の車を拝借してなぜか加太へと思い立ったのですが、どうしてそこを選んだのか、よく覚えていません。この年の春には名古屋~京都を結ぶ急行「平安」が廃止されることもあって、もしかしたらそれが狙いだったのかもしれません?また、当時の信号所はすでに無人化されていたので、以前は立ち入り禁止箇所であったことなど気にも留めず、かなり構内をうろついていました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


信号所を見渡せる場所を見つけたので、そこから配線がわかるような撮り方をしましたが、ちょっと中途半端でした(駅長様の写真とほぼ同じ場所でしょうか)。ネガの保管状態もこれまた中途半端であったため、ややホコリが目に付きますが、ご了承下さい。

そして、おそらくこの列車が「平安」かと思われます。調べてみるとこのころは「かすが」を併結していたようで、キハ58系で統一されたこれだけの長編成から推測してみたのですが・・・、さらに当日は特に臨時列車もなかったので・・・すみません、記憶がありませんので誤りでしたらお許しください。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


サミットを越え、信号所に進入する亀山行き普通列車です。この混合編成が気動車っぽくてたまらないです(統一編成が好きな方、ごめんなさい)。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


引込み線で退避中の下り荷物列車をとらえました。撮影後、かなり長いこと経って気が付いたのですが、カマを見ると、なんとあの「1043」ではありませんか!塗装の合理化を受けて側面の白帯が省略され、何かと注目された懐かしいカマです。撮影中はおろか、たとえカラーで撮影していても全く気づかなかったであろう己の鈍感さには何も言えません


加太を越える列車も、今やキハ120ばかりとなっては行く気が失せてしまいます。かと言って特別な列車が走るときを狙っていくと同業者だらけになるでしょうし、次にこの地を訪れるときはいつのことになるのでしょう・・・。(出札掛)

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2010年8月19日 (木)

【アーカイブス】どちらが貴重?関西線中在家信号所

 もう、このあたりは何十年(オーバーか)も通ったことがないので、現状がどうなっているか不明であるが、スイッチバックで有名だった関西線の中在家信号所である。撮影は1970年5月5日で、中在家信号所に停車する列車(DCはすべて停車していたのではないか?)で降ろしてもらい、この付近で撮影している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 こうした信号所を俯瞰するアングルは、最近、ほとんど見たことがないので、ちょっと貴重かもしれない。それは、この直後くらいに構内が立ち入り禁止になったことから、撮影している方が限定されているからではないだろうか。少なくとも、昭和47年に訪れたときには、信号所に近づくことができなかった。

 この列車は荷41列車で、型式番号入りのD51211が牽引している。

 この構図は大築堤とは異なり、長大な貨物列車を撮影するにはやや不向きで、同時に撮影した貨物は残念ながら補機が切れているものが多い。逆に単機で牽引してくる客車は迫力があった


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これは多分回送かと思われるが、中間にグリーン車が入った編成。D51牽引でグリーン車付きの編成の写真は、あまり多くないだろう。

 ところで、この頃の関西線は急行はキハ55か58、普通はキハ35が中心であった。基本的には、来る列車に対してはシャッターを押しているので、こんな写真も撮影している。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 さて、今にしてみれば、どちらの写真が貴重なのだろうか?(駅長)



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2010年8月16日 (月)

36.福知山線のDD54 1976/07

 先週に引き続き過去ネタをご紹介します。今回は国鉄ネタで、福知山線のDD54です。DD54はC57やD51の置き換え用として伯備線・山陰本線・福知山線・播但線を中心に運用されていましたが、致命的なトラブルが多く、活躍期間はそう長くはありませんでした。結果的には、先に誕生したDD51に追い出されるかたちで短い天命を全うしました。最後の活躍線区は播但線でしたが、晩年には福知山線にも運用されていました。そんな中、そろそろ福知山線からも撤退かというウワサを耳にし、夏の暑い日でしたが、姫路から日帰り鉄を試みました。早朝にはDF50の運用も残っていましたが、残念ながら姫路からでは届かず、大阪に向かう列車の車中ですれ違ってしまい、記録することはできませんでした。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 福知山線に乗り換えのため、大阪駅に着くと福知山線からのDD54の客車列車が到着しました。他のホームは大阪環状線や東海道本線の電車が忙しく行き交う中、長編成の客車列車が堂々と大阪駅に乗り入れて来る光景は異次元の空間で、福知山線のホームだけは別の世界が展開されていました。

【大阪】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 DD54牽引の客車列車で大阪を後にし、この日の目的地である武田尾で下車しました。ここで交換するDD51の客車列車が駅に進入してきました。こんなローカルな駅でも日曜日のためか、大阪方面へ遊びに行く乗客がホームで列車を待っており、活気にあふれています。この頃の福知山線は大阪近郊でも腕木信号機が現役の単線非電化のローカル線で、近代化からはまったく取り残され、大阪近郊を走っていながら存在感の薄い路線でした。

【武田尾】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 生瀬から武田尾にかけては武庫川の渓谷沿いに線路が敷かれ、どことなく保津峡に雰囲気がよく似ていました。まずはDD54の客車列車からスタートです。渓谷美が美しかったこの区間は電化工事とともに別線に付け替えられ、残念ながら往時を偲ぶことはできません。

【生瀬~武田尾】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 もう少し生瀬寄りに移動し、次のDD54の列車を待ちました。その前にやって来た気動車の普通列車です。キハ26・55・17で組成され、当時のローカル列車の典型的な姿です。ネガを見てみると不思議なことに運転されていたはずのキハ80・58系の長距離優等列車が写っていません。特急・急行はいつでも撮れるといった意識があったのか、DD54しか眼中になかったのかは記憶がありませんが、何とももったいないことをしたものです。

【生瀬~武田尾】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 続いて、DD54の貨物列車を待ちました。日曜日なのでウヤが心配されましたが、予定どおり姿を見せてくれました。豪快なエンジン音を渓谷に響かせながらゆっくりと走り去って行きました。

【生瀬~武田尾】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 さらに場所を移動し、DD54の客車列車を追加ゲットのはずが、やって来たのはDD51。まだ大丈夫かと思っていましたが、すでに一部の列車に進出していたようで、置き換え間近を実感させられました。

【生瀬~武田尾】(電車運転士)


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違いのわかるスキャン

 このメンバーの多くは、日夜、手持ちの古い写真のスキャンに取り組んでおられると思うが、一旦、設定を決めてスキャンをすると、数が多くなればなるほど、後からの修正は困難になるだけに、フィルムサイズ等、スキャン時の設定が良いかどうかを気にしておられる方も多いだろう。小生も、いろいろ本で読んだり、ネットで調べたりして、まあ、これで大丈夫だろう、という設定でスキャンしているが、あるサイトを見ていて、これまでのスキャン方法で良いのだろうか、という疑念が生じてきた。


 そのサイトとは、ここである。結構、参考になる点が多いので、一読をお薦めしたい。


 http://filmscan-print-s.com (うまく開かなければ、「フィルムスキャン&プリントのS」で検索してください)



 民生用のNIKON 9000EDでスキャンして商売になるとは驚いたが(ブローニーフィルムのたわみをどう処理しているのだろうか)、その中で気になったのは、モノクロフィルムを16bitモノクロでスキャンするのではなく、48bitのカラーネガでスキャンして、フォトショップでモノクロに戻すというスキャン方法である。16bitモノクロで処理すると、フィルムのトーンが十分反映されないので、カラーネガとしてスキャンすれば、データ量が3倍となって、トーンジャンプがなくなる、というのである。


 モノクロネガを、カラーでスキャンすれば調子が豊かになる、というのは他のサイトでも読んだことがあり、確かに効果がありそうに思える。しかし、スキャン時間は延びるし、データ量も3倍となる。本当にそれだけの効果があるかどうかが、判断の材料となる。


 で、早速、モノクロとカラーネガの設定でスキャンをしてみた。写真は、1970年3月に撮影した明知線のC12であるが、たまたま手元にあったネガというだけで、深い理由はない。


 まずはモノクロ設定である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 続いてカラーネガの設定である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 違いがお分かりいただけるだろうか。(^^;)


 少なくとも、72dpiでは全く違いはないし、拙宅のモニターで拡大して見ても、違いは見あたらない。

 しかし、大きく引き伸ばしをする場合に、トーンが豊かである方が良いのは当然である。将来?を考えるのなら、より可能性のある方法でスキャンをしておきたい、と思う。

 

 どちらが良いのか、もう少し情報を収集する必要があるが、有益な情報があれば、ぜひともご教示いただければと思う。(駅長)


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2010年8月15日 (日)

「会社の事情によりまして」~二題

《その1》盆休み

勤務先の今年の盆休みは8月13~16日の4日間。日数的には毎年こんなものですが、特別な仕事も入らずにきちんと休めるのは「なんてありがいことでしょう」と、会社やユーザー様に感謝するこのごろです・・・。


さて、例によって貴重な連休中に何かネタはないかと模索した結果、連休初日と最終日はJRが平日ダイヤであることに着目し、先日見事に取り逃がした平日朝限定ネタのひとつ、岐阜発美濃太田行きキハ40系6連回送のリベンジを果たすべくターゲットを定めました。

ところで、この連休とちょうど時を同じくして長良川鉄道では臨時快速「せせらぎおくみの」が運転されます。実は今年のGWも同様の列車が運転され、車両は1形式1両のナガラ200形201号にHM付きで限定運用された・・・はずですが、5月4日に出かけたときは、当該車は関駅の留置線にHMを付けたままで留められており、当の快速は一般車が普段の格好で代走していました。不具合でも生じたのでしょうか、残念ながら201号の走行写真ならず、こちらも「いつかはリベンジ」となったのです。

そして今回、長良川鉄道のHPを見ると201号をイメージしたようなイラストを描いた臨時快速運転案内のページが掲載されており、もしや再び201号登板の予感?どうせならキハ40回送と掛け持ちで狙ってやろうと欲張って、連休初日の8月13日、双方の列車をダブらずに撮影できそうな美濃太田近辺に向かいました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


「はなぶさ」に集まる仲間たち


風景写真を求めるには物足りない地ですが、キハ40系は2+1+1+2の楽しい編成(所定か?)、そして長良川の快速も予想どおり201号が充当され、ようやく2つのリベンジを果たすことができました。


続いて14日は、名鉄犬山線でデキ600単機が早朝9008レのスジで走る、という風の噂が聞こえてきました。ちょうど連休中にこのスジで、しかも珍しく単機で走るとあらば、これを撮らない手はない、と眠たい目をこすりながら曇天おかまいなく布袋~石仏に向かいました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


曇りのため撮影場所の自由度はありましたが、線路際は草ボーボーのためアングルが限られてしまい、ちょっと誤算でした。結果、中途半端な写真になり、単機の撮り方にはまだまだ一考を要することを痛感した次第です。


《その2》社員旅行

勤務先の会社では毎年8月の最終土、日曜日、全社員の慰安旅行が催されます。東海三県、北陸三県、長野のグループ会社総勢200名強の社員がバス7台で宿泊地に集結します。いまだに昭和時代のレジャースタイルを踏襲しており、旅行会社にしてみればおいしい団体かもしれませんが、こちらはせっかくの休日を潰されて大変苦痛であります。昨年は、ちょうどパノラマカーさよなら運転と日程が重なってしまい、日曜日の行程だけでもキャンセルして名古屋に戻ってこようかと企んだのですが、宿泊先からは距離がありすぎるため、やむなくパノラマカーをあきらめて大粒の涙を飲んだのでした。因みに昨年の宿泊先は宇奈月温泉で、なんと日曜日は黒部峡谷のトロッコ列車(ほぼ1編成貸切状態)で欅平1往復、という「乗り鉄」を堪能できたのがせめてもの慰めでした。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


そして今年は、またまたなんと“大井川鉄道のSLに乗って駅弁を食べよう”というまさに鉄好みの内容が企画されたのですが(あくまでも自分はツアーの計画には一切関与していません)、ツアー当日となる8月29日はトラストトレインが走ることに加え、SLは3本運転のフル体制。こうとなったら皆と一緒にSLに乗っている場合ではありません。今度こそ日曜日の行程をキャンセルし、早速レンタカーを予約して「SL撮り鉄+α」を決行することにしたのであります。さて、どんな結末となることでしょうか?


PS:C56のタイ仕様は、タイミング悪いことに自分の行く直前日(28日)をもってラストランを向かえます。駅長様は一足先に大井川に行かれ無事撮影されましたが、自分は残念ながら本線上で活躍する姿を見られないため、せめて新金谷で入場中の様子だけでも覗くことができれば、と淡い期待をしていますが。(→その気になれば、今からでもまだ間に合うのですが、腰が重くて上がらない・・・ 出札掛 ) 

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2010年8月14日 (土)

タイ仕様のC56

 皆様、お盆の休日をいかがお過ごしでしょうか?

 

 さて、お盆で休みとなっても、撮るものがないのが名古屋の鉄ちゃん。つい、数年前までのイベントに忙殺されたのが嘘のように、なーーんにも撮りたいものがありません。おそらく、今、日本で一番かわいそうな鉄ちゃんがいるのが名古屋なのでしょう。


 とはいえ、じっとしているのもしゃくだし・・・・ということで、いろいろ情報を集めた結果、ちょっと食指が動いたのが大井川鉄道。8月一杯で、タイ仕様のC56が日本仕様に戻されるとのこと。前々から、一度見ておきたかったので、これに決定。ちょうど蒸機が3往復走るので、これは美味しいということで、久々の大井川詣でとなりました。


 ところで、大井川鉄道なんて、何時行って以来なのでしょう?少なくとも、C10が入線してからは記憶がない、ということはもう20年ぶりくらい?電車もすっかり変わっているようで、それはそれで楽しみであります。


 タイ仕様のC56は、朝10時発の列車に入るとのことで、早起きして新名古屋駅へ。列車の行き先を見ると、通過の文字が。ひょっとしたら、と、カメラを構えると、なんとデキ601が単機でやってくるではありませんか。(@_@)


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最近、犬山線からの工臨がどれくらいの頻度で運転されているか、わかりませんが、行きがけの駄賃としては、大きすぎる獲物です。相変わらず、駅長のツキツキは続いているようです。

 後でライトのゴーストを消さないと。(^_^;)


 さて、タイ仕様のC56ですが、こんな感じです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 光線もまわって、なかなか良い形式写真でしょ。(^^)

 あれ、大井川のC56って、C5644のプレートが付いていなかった?場所も千頭?

架線もないし・・・。

 なんか、後ろにあやしげな貨車も写っていますな。(^_^;)


 では、もうひとつ、夜に盛大に行われたタイ仕様のC56を使ったイベントを・・・。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 C5615に旭日旗とタイの国旗をつけて走らせたんですね。場所は、大井川の何番目の鉄橋でしょうか(^^;)

 

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 イベント仕様となったC56は、こんな感じです。旭日旗とタイの国旗をつけて・・・・


 うーん、なんかおかしい?やっぱり。しかし、こんなC56、大井川以外にどこにいるんでしょうか。(^^)


 信じた人、ごめんなさい。


 これらの写真は、実は大井川ではなく、タイのカンチャナブリです。この鉄橋は、映画「戦場に架ける橋」の舞台となった元泰緬鉄道のクワイ川の鉄橋で、毎年、12月にここでクワイ川鉄橋週間というイベントが行われ、その時にC56が実際に走るんですね。このために、現在、タイにはC56が可動状態で2両、残っているのです。


 昨年、そのイベントを見てきたため、タイ仕様のうちに大井川鉄道のC56を見ておかねば、というわけです


 さて、金谷へは、浜松からはホームライナーに乗って、菊川で乗り換え。この時間ですと、タイミングよく静岡行きのホームライナーに乗れるので、ちょっと苦痛だった浜松~金谷の移動がずいぶん楽になりました。

 ところで、悩ましいのは肝心の列車をどこで撮るか。天気はもう一つだし、ということで、雨が降っても良いように、温泉のある笹間戸へ行くことに。ここなら、天気が悪くなれば、容易に温泉に待避できるので一安心です。


 しかし、大井川鉄道も電車が変わりましたねぇ。今も吊りかけ車が動いているかと思ったら、もうそんなものは微塵もない。ということで、動いているのは近鉄の16000系と京阪の3000系ばかりでありました。まずは、練習がてら16000系を撮影。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 画面には早くも秋の気配が・・・。(^^;) トンボさん、本番では入らないでね。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 まずは、C5644の急行南アルプスの撮影。案の上、後ろにデキがついているので、まさにデキのプッシュプル状態で、煙は完全にスカ。まあ、しょうがないかなあ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 次は、1時間後の臨時急行。これには補機がないだろうと期待していたら、予定通り補機なしで、煙も盛大に・・・・あ、こんどは鉄橋上で煙がまいてしまった。うーん、うまくいかないものです。


 場所を変えるのも面倒になり、結局、かわね路もほとんど同じ場所で。長い編成だけれど、これも後ろにデキが付いているので、煙無し。ちょっと欲求不満。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 帰りはすべてバック運転だし、天気ももうひとつなので、笹間渡の温泉に入り、帰ることにしましょう。


 もう少し、近ければ大井川も良いけれど、ちょっと気分的に遠いですね。

 

 まあ、バンコクからカンチャナブリへ行くよりは便利がよいし、贅沢を言ってはいけないか。(駅長)

 


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2010年8月13日 (金)

35.都市近郊のエアポケット 別府鉄道 1976/05

 メンバーの皆様はお盆休みはいかがお過ごしでしょうか? 北陸方面は485系の臨時「雷鳥」が運転されることもあり、出撃の方もいらっしゃるかもしれませんねぇ。

 最近、過去ネタが滞り気味だったので、約1か月ぶりにアップしてみます。今回は国鉄ネタではなく、超ローカル私鉄だった別府鉄道をご紹介します。別府鉄道は兵庫県加古川市の東南にあった別府港を逆三角形の頂点として、山陽本線の土山までの土山線(4.1キロ)と高砂線の野口までの野口線(4.3キロ)の2路線を持っていました。別府港にある多木化学という肥料製造会社の製品を土山線で運ぶ貨物輸送が主体で、野口線は旅客営業のみ、土山線は貨物列車に客車1両をぶら下げた混合列車スタイルで旅客営業を行っていました。旅客営業はおまけといった感じで、とてもまともに機能しているとは思えませんでした。別府港のすぐ近くに山陽電鉄の別府駅があり、神戸・姫路方面は、ほぼ100%山陽電鉄利用でした。というわけで、神戸と姫路の中間付近にありながら存在意義が薄く、ここだけは時代から取り残され、いつ廃線になってもおかしくないといった感じでした。この頃、自分は姫路在住でしたので、自宅から1時間以内で行ける別府鉄道は、超ローカルな雰囲気を手軽に味わうのには格好の路線でした。学校が休みの日には、よく日帰り鉄を楽しんでいました。こんな不思議な鉄道でしたが、廃止は意外と遅く、1984年の1月末まで営業を続けていました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 高砂線に乗換えるため、加古川の5番線に向かうと湘南顔のキハユニ15が停車中で、小荷物の積込み作業が行われていました。宅配便が普及する前は全国どこでも見られた光景でした。

【加古川】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 加古川から高砂線に乗り、ひと駅目の野口が野口線との接続駅でした。なぜ、こんなローカルな無人駅が接続駅なのか、理解に苦しみました。この日の野口線の運用は、前後にバケットのついたキハ2。さすがに、この頃でもバケットタイプの機械式気動車は珍しい存在でした。

【野口】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 高砂線の列車が到着し、一応、接続をとってそれぞれの列車が発車して行きます。1日に数回、このような光景が展開されていましたが、ほとんど乗換える人の姿を見たことがないというのが実情でした。

【野口】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 野口で先程の列車を見送った後、別府港方面に向けて徒歩鉄を開始しました。中間付近の坂井の周囲だけは比較的開けており、野口線で唯一まともな走りを撮れるポイントでした。当然のことながら、誰もいない坂井にキハ2がゆっくりと到着しました。

【坂井】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 別府鉄道のマスコット的な存在だったハフ7。旅客用というよりは車掌車・荷物車代用というのがおもな役割でした。土山線は野口線以上に乗客は少なく、鉄以外の一般乗客はほとんど見かけませんでした。乗るといつも車掌と自分の2人きりということがほとんどでした。単車・ダブルルーフ・オープンデッキのスタイルはこの頃でも絶滅危惧種扱いでした。

【別府港】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 もう1両のバケットタイプの気動車、キハ3。こちらは予備車的な存在で、動いているところをあまり見たことがありません。別府港の機関区内で休んでいることが多かったです。キハ2は正面3枚窓でしたが、キハ3は2枚窓で、遠くからでもすぐに見分けがつきました。

【別府港】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 別府港の機関区で一休みするDB20。2軸のDLで全長は短かったですが、造りがしっかりしていたため、スイッチャーとは違って、小振りながらも機関車らしく見えました。ここの機関区は手造り町工場みたいな雰囲気がぷんぷんで、このまま模型化したいと思ったモデラーも結構いたのではないでしょうか?

【別府港】(電車運転士)



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 別府港から少し土山よりに歩いた野口線との合流地点付近には腕木信号機が鎮座しており、いいアクセントとなっていました。土山線の混合列車が土山から別府港に戻って来ました。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


 夕方からはキハ101に車両が差し替わりました。1976年当時の2年前の1974年に片上鉄道からやって来ました。キハ101入線後はこちらが野口線の主役となり、キハ2の出番がめっきり減ってしまいました。別府港の構内は思ったより広々としており、常に数両の貨車が留置されていました。この日は日曜日だったので、当然乗客はゼロだろうと思っていたら、発車間際になって2人の乗客が現れたのは予想外でした。

【別府港】(電車運転士)



















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2010年8月12日 (木)

【アーカイブス】ロクイチ西下す

先日、駅長様がゴハチ三態の画像を載せられていました。このトップ画像:ロクイチは、名古屋以西において捕らえているわけですが、関ヶ原越えをするロクイチの撮影チャンスはどのくらいあったのでしょうか。同機が東海道を西下していくことに絞って振り返ってみると、小生の最もインパクトに残るのは1984年12月の中旬、サロン東京を連日牽引して西に向けて何往復もしたことでしょうか。この頃は国鉄民営化を前にジョイフルトレイン(→死語)が流行り出し、ロクイチはもはや客寄せパンダ・イベント御用達のカマとなり、ロイヤルエンジンとしての重みが消えつつあるような気配でしたが、このときは純粋な大口団臨の運用。当時の“鉄”メモをめくってみると、1984/12/10の9101レから始まり、13日の9106レまで連日4日間も東京~大阪(京都かも)を日帰りでほぼ同じスジで往復していたようです。たしか「冬の京の旅」?のような団体名で、サロン東京にロクイチを登板させるところをみると、このツアーにかなり力を入れていたことを感じさせます。

いずれも平日でしたが、そこは融通の利く大学生、4往復8本のうち4本を撮影していました。でも当時は自動車の免許も取得しておらず、小遣いも大して持っていないし、したがって定期券もしくは自転車で移動できる範囲内での撮影となります。駅長様の作品を見て、やはりカネをかけてでも西のほうへ遠征すべきだった、と例によって後悔しきり・・・。



「はなぶさ」に集まる仲間たち


これは第二日目・12月11日の8101レを木曽川にて撮影したときのもの。自宅から自転車で30分強の距離。晴天ならモロ逆光アングル。思えば当時はマンションも線路際の柵もなく、スッキリした編成写真が撮れました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


こちらは第四日目・現在の尾頭橋駅付近を行く12月13日の9106レです。夕方で露出がないため、軽く流しました。「あ~、そこって立入禁・・・。」


もう二度とロクイチの勇姿を見ることはできませんが、地元名古屋に居ながらで、このようなスペシャル編成を目の当たりにして記録できたことを貴重に思います。(この団臨に関して記述内容に違いがありましたらご指摘ください。 出札掛)

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2010年8月11日 (水)

【海外鉄】ミラノの敵をサンフランシスコで討つ

 などという大層なタイトルにしてしまったが、単にミラノとサンフランシスコで同じ車両を撮ったというだけの話である。


 今年、GWにミラノに行ったが、撮影できる時間の大部分をインタアーバンの路線にあてたため、市内線で動いているこの車両を撮影する機会はほとんど無かった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 このいかにもレトロな車両は、車体構造からピーターウィットカーと呼ばれるボギー車で、1920年代の製造である。ミラノでは、今も市内線の主力車として運行されており、それほど待たなくても、どこでも撮影できる。

 しかし、今回は上記の理由で撮影できた本数は限られていた。

 

 ところが、夏にサンフランシスコに行くと、この車両にバッタリ遭遇した。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、この車両のレトロ的な価値と、余剰車両が売りに出ていることがあって、観光路線として路面電車を整備しているサンフランシスコが大量に購入して、運行しているためである。この路線はF系統とよばれ、ホモの巣窟であるカストロからメーンストリートであるマーケットストリートを走り、ケーブルカーの終点であるフィッシャーマンズワーフまで運行している。基本はアメリカの路面電車の標準車であるPCC車であるが、その補完としてミラノの車両が運行されているのである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これはミラノ中央駅前を走るピーターウィットカー。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 こちらは、サンフランシスコのフェリーターミナルビルの前を走るピーターウィット。どちらの雰囲気がお好みであろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これはミラノの中央駅横のターミナルに停車中のピーターウィット。深夜12時近い時間の撮影である。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これはサンフランシスコのメーンストリートであるマーケットストリートを走るところ。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最後に、これはカストロのターミナルを出発するピーターウィット。後ろの山はツゥインピークで、この下をLRTは長大なトンネルで抜けている。後ろに掲げられている大きな旗は、ホモ(あるいは同性愛)のシンボルの旗らしい。


 これら写真を羅列したのは深い意味はないけれど、世界の鉄道ではこうした色々な試みが行われているということの片鱗を感じていただければ嬉しく思う。(駅長)


 


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2010年8月10日 (火)

34.三岐の貨物列車 2010/08/08

ブログメンバーの皆様方におかれましては、それぞれ夏の鉄活動にご活躍のことと思います。今年の夏は異常な暑さが続いており、鉄活動中の熱中症にはお互い気をつけたいものです。熱中症で意識がなくなり、路端に転がっていたなんてことになったらシャレになりませんから…。

 最近は、遠征するチャンスもなく、不完全燃焼状態が続いていますが、8/8の日曜日は子供と子供の友人達が長島温泉へ遊びに行くということで、その送り迎えを命ぜられましたが、アッシーのご褒美として帰りの迎えに行くまでの間、鉄活動OKの許可が出ました。どこへ行こうか考えた末、近くを走る三岐鉄道の貨物列車をターゲットとしました。ご存知のこととは思いますが、三岐鉄道の貨物列車は全列車がデッキ付きのED45の重連です。型式は同じでもそれぞれ生い立ちが異なるため、個体差があり、よく見ると微妙に外観が違っています。東藤原の工場の休業日以外は、土曜・休日でもウヤが少なく、平日鉄が難しい者にとっては非常に助かります。この日も、日曜日にもかかわらずウヤは上下各1本ずつだけで、効率的に撮影することができました。ただ、台風4号の影響からか雲の多い1日で、夕方には土砂降りの夕立の急襲を受けるなど、夏らしい天気とはいきませんでした。





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 子供たちを長島温泉に送り届けた後、速攻で三岐鉄道沿線に向かいました。ダイヤを確認すると午前中の501レに間に合いそうだったので、保々の手前の直線区間でポジションを決めました。フライアッシュの貨物はほとんどウヤがないので、安心して狙うことができる列車ですが、貨車の両数が少ないのが残念です。501レは保々で30分以上の停車時間がありますので、保々以遠でもう1回撮影することができます。


【山城~保々】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 501レを再度狙うため、三里~丹生川の陸橋へ車を走らせました。501レと丹生川交換ですぐにやって来る3714レです。この陸橋は上下列車ともそれなりに撮れるポイントで、三岐鉄道の定番ポイントのひとつです。陸橋の上は4方向の撮影が可能で、どの時間帯に行ってもいい光線状態のポジションが確保できます。


【三里~丹生川】(電車運転士)







「はなぶさ」に集まる仲間たち

 三岐鉄道には撮影に適する比較的長い鉄橋が3か所(保々~北勢中央公園口・大安~三里・丹生川~伊勢治田)ありますが、一番まとめやすいのが大安~三里の鉄橋です。上下列車とも撮影可能で、光線は午前中は上り列車、午後は下り列車が適しています。写真は午後の3716レで、貨物列車は編成後部が木々に隠れてしまいますが、重連の機関車はキレイに撮ることができます。

【大安~三里】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この日は朝からずっと曇りがちで、晴れの天気はあきらめていましたが、15;00を過ぎると急に雲が切れ出し、夏の日差しが戻ってきました。夏雲がいい感じで空に漂う中、3718レが姿を見せました。もう少し雲が大きいとさらによかったのですが、あきらめていた太陽が顔を出してくれたということでよしとしましょうか…。


【三里~丹生川】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 急激に回復した天候は意外と長持ちし、17:00頃に写真の場所を通過する3717レもかろうじて晴れの状態で撮影することができました。ところが、この直後、急に空が真っ黒になり、激しい夕立の洗礼を浴びることになりました。


【三里~丹生川】(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち

 3717レは伊勢治田で20分ほどの停車時間がああるため、伊勢治田~東藤原でもう1回撮れる場所はないかと土砂降りの中、ポイントを探しましたが、引きのある場所がなかったので、踏切から正面がちのアングルでごまかすしかありませんでした。幸い、夕立も思ったより短時間で止み、列車通過の時には薄日が差してくれました。


【伊勢治田~東藤原】(電車運転士)





 三岐鉄道の貨物列車は、地味ですが結構楽しめました。沿線風景も四季折々にいろんな表情を見せてくれます。昨年は三里~丹生川の田んぼの中にかなりの数の彼岸花が咲き誇っていましたので、次回は彼岸花の時期に訪れてみたいと思っています。(電車運転士)





「はなぶさ」に集まる仲間たち


 天気が悪かったので、イマイチでしたが、昨年の彼岸花はこんな感じでした。今年は何とかいい条件で撮影したいです。

【三里~丹生川】(電車運転士)








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2010年8月 9日 (月)

デジカメ描写力の疑問

 先週は、所用で2度、豊田市へ行く機会があった。折角の機会なので、豊田市に勤務する友人と豊田の飲み屋で一杯やることにしたが、仕事自体は4時頃に終わるため、6時頃まで時間つぶしをする必要が生じた。もちろん時間つぶしに合流時間まで鉄をすることにしたが、さて、どこで撮るか。暑いので、あまり歩くのはいやだし・・・ということで、先日、電車運転士氏が写真をアップされた平戸橋に行くことにした。

 

 今回は、それほど真剣に撮るつもりはなかったので、カメラも標準ズームレンズ1本だけつけて鞄に入れて持っていったが、現地に行ってサイド気味から撮ろうとして、こうした角度は所有する標準ズームが一番苦手な構図であることを思い出した。


 撮影したのは、こんな写真である。残念ながら、入道雲は出ていない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 この大きさでは判別しずらいが、小生の所有する標準ズームでは、こうした構図では全体的にピンが甘くなる上、周辺の解像力も低下する傾向がある。ピンの甘くなるのは、AFでは被写体が平板なため、ピンが出しづらいためと思われるが、その対策として、今回はAFを完全に解除して、MFによるフォーカスエイドで何点も測り、その中間点にピントを置いて撮影した。気のせいもあるかとおもうが、この方法で多少はピンの精度が上がったように思う。しかし、周辺部の甘さは相変わらずで、像の流れがある。これはズームレンズの性格上、やむをえないかもしれない。

 それ以上にショックだったのは、画像にフレアが出て描写が甘くなっていることである。特に前後の名鉄マークや車号を見ると、色がにじんでカチッと描写されていない。なお、回折現象の影響をおさえるため、絞りはf8以下で撮影している。


 では、これが所有するレンズの特性、かというと、どうもそうばかりとはいえないようだ。例えば、この写真のように正面がちの撮影をすると、同じレンズとは思えないほど、実に素晴らしい描写をする。もちろん、フレアなどみじんも感じさせない。上の写真のMのマークと、下の方向幕のローマ字部分と大きさはほぼ同じだろうが、描写力は全くと言って良いほど異なる。 


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これがいかなる理由によるものだろうか?レンズの解像力とか光学性能という点から見れば、どちらも同じ描写をしてもおかしくないと思うのだが、なぜ、近接撮影と平板な遠景と描写力がこうも異なるのか?被写体まで距離があることから、空気層のゆがみ?がデジの高度な解像力になんらかの影響を及ぼしているのか?デジカメを持って初期ならともかく、もうかなりの数の撮影をして、癖をつかんでいるはずなので、技術的な問題はないと考えても良いだろう。

 先日、ある知人と話していたら、こうした傾向は、やはりあるという、それも、駅長よりもより高い標準ズームとより高いカメラ(勿論、フルサイズ)で撮影しても、同様の症状がでるとのこと。

 さあ、これは何が原因なのだろう。皆目見当がつかない。

 ただ、ズームレンズではなく、単玉で撮影すると、平板な風景におけるこうした問題点はかなりクリアできるように思える。となると、こうした現象はズームレンズ固有の問題点なのだろうか?

 皆さんのお持ちのレンズは、こうした撮影時にどんな傾向なのでしょうか?(駅長)

 


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2010年8月 8日 (日)

続・続・シルエット考

 昨日は失念していたが、どこかで朝日をマトモにいれた写真を撮影したものの、白飛びで使えない写真があったことを思い出した。データを探ってみたら、この写真であった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 場所は、アメリカのフェニックス(わからない人は地図をごらんください)である。

 これは泊まったホテルの駐車場からであるが、こうした俯瞰が撮れる場所は、海外では極めて珍しく、しかも線路が東西に走っていることから、運良く日の出も撮れた。(位置関係からは夕陽が綺麗であろうが、その時間にはホテルにいなかったので撮影できていない)

 ご覧のように、太陽の周りは完全に白飛びしているし、レンズのゴーストも出ている。ただ、雰囲気自体は良いので、太陽の部分をカットすれば、なんとか見られるようになる。


 ところで、早速、出札掛氏からコメントを頂いたが、当然、ここは7000系が走っていたので、その撮影もしている。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これもなかなか良いカットである。

 このあとも、ここには夕景を撮りに行った。これは3400系であるが、ちょっとタイミングがずれたのと、堤防の上から撮っているので、ちょっとイメージ的には落ちるような感じもするが、好きずきかもしれない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 もう、こうした写真を撮るのはむつかしいかなぁ。(駅長)

 

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2010年8月 7日 (土)

続・シルエット考

 出札掛氏から、デジカメでのシルエット撮影の興味深い結果が寄せられている。

 よく考えたら、こうした太陽をマトモにいれたシルエットは、デジカメを買ってからまだ撮影していないことに気がついた。要するに、日の出はともかく、日没の時間まで、撮影することがほとんどないからである。もっとも、海外では日没の時間まで撮影しているが、残念ながらシルエットを撮るような機会は全くと言って良いほどない。


 シルエットはともかく、太陽をいれた撮影はしている。例えば・・・


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 豊明と富士松の間でデジでこんな写真を撮っているが、雲で太陽が隠れているためか、ほとんど白飛びは気にならない。とはいえ、


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これは撮影時期からもわかるように、デジではなく、フィルム撮影である。この時は全くの快晴で(雲が出ていたら、リスクが大きくて撮影に行けない)、太陽の光が結構きつかった。幸いに、使用したレンズが逆光に強いので、ゴーストは出ていないが、これだけ太陽をいれたとしたら、デジでは耐えられるだろうか。勿論、調整は可能だろうけれど、ズームレンズは逆光には弱いことまで考慮すると、なかなか条件は厳しくなるようにも思う。

 もっとも、こうした写真は、まだデジでほとんど撮影していないので、何ともいえない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 シルエットに戻るが、パノラマカーは特徴ある外観に加えて、先頭部が客室で抜けるため、まさにこうした撮影に相応しい車両であった。こだま型(もう無いに等しいが)のような流線型の車両なら、あかね色の空に浮き立たせれば、インパクトのある写真になろう。その意味では、長電とか小田急のHiSEなどはもっとも食指が動くが、問題はシルエットを撮る場所があるか、である。

 個人的にシルエットで撮りたいと考えているのが、名鉄の朝の工臨である。デキ600が頭についた時で、太陽が昇る時期に富士松の築堤あたりで撮ってみたいと考えている。ただ、6時の日の出の頃に、どの位置から太陽が昇るのかも確認していないし、第一、工臨がうまく走ってくれないとなんともならない。一発でうまくいくとは考えられないので、数回のチャンスが必要と考えると、これは至難の業である。でも、今、名鉄では最も撮りたいシルエットである。


 いずれにしろ、先頭部に特徴のある流線型の車両は、シルエットに向く。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 個人的に気に入っているシルエットは、昭和55年2月に西尾線で撮影した850形の写真である。雲、車両、日没の場所など、理想的にあうことはほとんどない。こうした写真を撮るには、修練と運の両方が必要であり、その後はなかなかここまでの写真は撮れていない。

 また、どこかでこうした写真を撮れないかと思う。(駅長)


 

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シルエット考

写真は2009/02/01、布袋に留置中のパノラマカーが機能保全運転を終え、再び布袋に戻ってくる直前を狙ったものです。初めは線路際で列車写真のアングルで構えていたのですが、澄んだ空がいい感じだったので、ふと笠松や富士松近辺の築堤で撮られた数々のパノラマシルエットの写真を思い出し、ダメもとでシルエットに挑戦しようと試みました。急な思い付きってよくないですね。結果、やっぱりダメもとでした・・・。望遠で狙うほど「引き」に余裕はない場所だし、地平線は見えていないため車体が半分隠れてしまい、、露出もまだまだ明かるめ〔ISO320 1/1000 F8 WB=晴天日陰〕で、太陽周りがかなり残ってしまいました(いくらか補正したのですが・・・)。ふむ、露出は白とび表示を見ながら思い切り絞ってもいいものだな、とシルエット撮影時における「モニターの白とび表示モードの重要性」を今になって感じています。

電車運転士様のシルエット「窓抜き」技法など思いつくはずもなく、イメージは「後光を放つパノラマカー(なんじゃそれ)」で、運転台から太陽を飛び出させようとしたつもりなのに、シャッターチャンスを誤ったどころかフロントアイまでつぶれてしまい、リベンジ果たせずこれっきりとなりました。ただ、回送列車のおかげで客室の窓周りがきれいに抜けたのがせめてもの救いです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


ところでパノラマカー引退後、シルエットで立体感を出せる名鉄の現役車両って、例えばパノラマスーパー?5300/5700系列?デキ?なんだかピンときません。やはりさすがパノラマカー、シルエットでもしっかり存在感を表すほど偉大な名車であったことを改めて感じます。名鉄がダメならこの際JRで機関車にトライしてみようか・・・色づく秋が待ち遠しいです。(駄作陳謝・・・出札掛)

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2010年8月 5日 (木)

【アーカイブス】東海道のEF58に少しだけこだわってみる(1980.81年版)

 出札掛氏が「東海道線のELに少しだけこだわってみる」と最近の機関車牽引列車の写真を載せられている。EF66の原色機とか、確かに今となっては貴重かと思うが、原色機ばかり見慣れているものにとっては、どうも今更、という感じでなかなか腰があがらない。

 ということで、ちょっとこだわって、東海道線の関ヶ原山麓を走るEF58の写真をご覧に入れることにした。


 まずは定番のアングルを行くネタ列車から。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 1980年6月の撮影とある。確か、このブログのメンバーの一人とご一緒したように記憶している。この日は土曜日で、朝ブルトレを撮影したのち、一旦某所に行って、午後の8106レを撮りにここまで戻ったのではないだろうか?当時は、元気だったのである。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 これは翌年1981年6月の撮影である。場所はご存じであろう。夏の田植えの時期には北側から陽が当たるので、大好きなアングルであった。

 機関車は浜松のEF5860である。この機関車には巡り合わせが悪く、まともに撮影できたのは、東海道のお召しを除くと、この時だけではなかっただろうか。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 これは、上のロクイチと同じ日に撮影したキハ47の新製回送である。場所は、近江長岡と醒ヶ井の間のはずであるが、どこなのかもうひとつ場所が判然としない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 最後に、この当時はごく当たり前で、全くネタ列車ではなかったEF58牽引の荷物列車。前に金星でお見せしたのと同じ場所で、新幹線をまたぎ越すあたりでの撮影である。ここは、みずほから正面に陽があたるので撮りやすく、何度も通った懐かしい場所である。


 このあたりを行く機関車の写真は、少なからずあるので、また機会を見て、ご覧に入れたい。(駅長)

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33.シルエット作例

 出札掛様の福井(後編)の記事の中で、シルエットの撮影方法と画像処理について、話題が出ていましたので、これに関連して、参考になるかどうかはわかりませんが、自分がやっている方法をご紹介したいと思います。あくまで、個人的な感覚ですので、これが正解ということではありません。正直言って、未だに試行錯誤しているというのが実情です。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 まずは、何も画像処理をしていない元データです。日の出直後の時間帯で、太陽の窓抜きを狙ってみました。太陽の中心部は別として、周囲が白飛びしないようにかなり絞り込んでいます。何回か試し撮りを行い、カメラのモニターで露出を確認しました。空の色は、実際は明るいところはもっと赤みがあり、暗いところはもっと青がピュアな感じでした。色合いやコントラストは、後の現像処理で何とでもなると思い、この時は、太陽の中心部以外は白飛びさせないことだけを考えてシャッターを押しました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 続いて、現像処理後の画像です。レベル補正で、シャドー部は完全に黒く潰すために暗くし、空の部分は明るく調整しています。自分的には、コントラストがついてシルエットがよりハッキリしたと思っています。窓抜きの太陽は、この作品のポイントと考え、より強調するためにここだけピンポイントでさらに明るくしています。空の色合いは、レベル補正のRGBをそれぞれ調整し、肉眼で見たイメージに近づけてみました。

 結果はいかがなもんでしょうか。自分としては、こんな感じでシルエット画像の処理をしています。メンバーの皆様方のご感想やこんな方法もあるなどということをご教授いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。m(u_u)m

【2008/03/06 富士松~豊明】(電車運転士)


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2010年8月 3日 (火)

【アーカイブス】私の撮ったD512

 このところ、海外物やネタ列車の写真が相次いだので、久しぶりに正当派(^^;)の写真を載せることにしたい。今回は、昭和45年頃に撮影した関西線のD512である。この機関車については、ちょうど発売中の「蒸機の時代」40号にも、写真が何枚も載っている。

「はなぶさ」に集まる仲間たち  このD512は、数あるD51の中の2号機であるだけに、稲沢機関区のエースと言ってもよい機関車であった。それゆえ、最後のお別れ列車にも使用され、さらには交通科学館で保存されるという栄誉を受けることになるのは、当然ともいえる。

 

 C57は満足に撮影することができなかったが、この頃になるとカメラの腕もあがって、それなりの写真が撮れるようになっていた。こうしたことから、蒸機を求めて関西線に何度も通うことになった。


 とはいえ、今のように運用がわかっているわけではないので、どの機関車が撮影できるかは運次第である。しかし、D512は、結構調子の良いカマであったのか、何度も撮影することができのは幸運であったかもしれない。

「はなぶさ」に集まる仲間たち

 まずは、関西線の永和を発車(通過?)する貨物である。当時は周りには田圃が広がっているだけで、何もない駅であった。標準レンズで、ちょっとローアングルから撮ったこの写真は、当時のお気に入りであった。この写真なら、「蒸機の時代」あたりに載せても恥ずかしくないかもしれない。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 続いては、笹島の発車である。困ったことに、完全に本線の中に入って写真を撮っている。当時としても、これは褒められた撮り方ではないが、排除されていないので、現場の係員の了解の元に撮影しているのであろう。当時は、まだまだ鷹揚な時代であった。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 続いては、稲沢貨物線を走行するシーンである。場所的には清洲の前後であろうか。稲沢線は、景色はともかく、笹島までの列車も含めて本数が多いので、とりあえず撮影するには良い路線であった。しかし、残念なことに、一杯走っていたであろう電気機関車や電車はほとんど撮影していない。考えれば考えるほど、勿体ない話である


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 稲沢貨物線の運行の特徴は、バック牽引の列車が多かったことだ。笹島行きもそうであったかどうかは記憶にないが、少なくとも名古屋港や西名古屋港に行く列車は逆向き牽引であったと思う。
 列車の絶対的な本数が少なかったので、運行上の問題はなかったと思うが、D51がバック運転でゆっくりと貨物を牽引していくのは、ちょっとユーモラスな光景であった。

 これは清洲と枇杷島の間で、おそらく城北線が別れるあたりであろう。もう少し、列車だけでなく、風景もいれて撮っておけば良かったかもしれない。(駅長)




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2010年8月 2日 (月)

やっぱりレアもの キタ──ヽ('∀')ノ──!!

 このところ、カメラを構えるとネタ列車が来たり、レアものが来たりと、ツキツキ鉄の駅長。今度は、レアもののこない民鉄でもレアものが来て、神通力がまだ衰えていないことを実証してしまいました。


 で、今回のレアものは、コレ!

「はなぶさ」に集まる仲間たち

 

 ン?これのどこがレア???


 えー、説明しますと(^^;)、これを撮影したのは北総鉄道の印西牧ノ原でありまして、写っている列車は、この7月17日から運転を始めた成田スカイアクセスのアクセス特急です。

 本来は、京成運用のこの列車には、新しくアクセス特急用に新造された3050系が使われている(らしい)のですが、7月31日から本来は使われていない3000系が運用に入っている(ネコマガジンHPより)とのことで、偶然、それをキャッチできた次第。どうです、レアでしょう。

 

 「高速シャッターでLEDが切れているので、どこ行きかわからないじゃないか」

「撮るなら成田湯川で撮らないと、意味ないじゃないか」

 はい、ごもっともです。m(_ _)m これだけ見ていても、珍しくもなんともないですね。


 なぜこんな所に出没したかと言えば、たまたま上野に行く用があったからです。上野に行くなら、当然、話題の新型スカイライナーで行こう!!!

 と、いうことで成田経由で上野に向かったのでした。(何かおかしい?)


 まずは撮影と言うことで、DJ誌を見て、駅から近くて良さそうな小室で下車。

ところが、何か様子がおかしい。なんとなく、作例の場所と違っているようだし、大体、駅のすぐ北を走る道路を渡る方法がない!

 それでも、しばらく見ていると、クルマの途切れる時間があるので、エイヤ!と片側2車線の道路を渡りました。(このあたりのニュータウンは、完全に自動車対応のまちづくりがされているのですね。東京でも、郊外は自動車前提のまちづくりを実感)

 そこで、新型スカイライナーを撮影。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


 無理して行ったのは良いけれど、後ろに道路が入って、あまりアングル的にも良くありません。その後、DJ誌を見直してみたら、白井~小室間で場所はあっているものの、下車駅は白井であることが判明(T_T)。どうも、立ち読みをするときに、暑さで勘違いしたようです(暑さだけのせいか?)

 さらに撮影時には雲がわいて、見事にまだら模様に。(>_<) 加えて、たまにあるのですが、AFが甘くてもうひとつピンが来ていません。こうしたこと、ないですか?


 結局、駅に戻るのに時間がかかって、予定の列車に乗り遅れ、成田湯川での撮影タイムがなくなってしまって、乗車列車を追い越す新型スカイライナーを撮影したのみになってしまいました。鉄ちゃんには、ここの通過線を走る新型スカイライナーが一番好まれているようです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 しっかし、時速160km/hは速いですなぁ。行きに1/1000で撮った写真は、見事に動態ブレがありました。これだけの高速ですと、1/1600は欲しいところ。


 ちなみに、この成田湯川駅。成田線と交差するように駅が設けられています。すぐ近くが下総松崎なので、EF58の成田臨が残っているなら、撮影地への至近駅として活用できたでしょうが、臨時列車の走らない昨今では、活用の価値無しか。


 では、一旦、成田空港に戻って、いよいよ新型スカイライナーに乗車です。空港第2ビルを出ると、少し前に発車したJRの231系を一気に追い抜きます。さすが、速い!


「はなぶさ」に集まる仲間たち


 JRと別れるとまもなく成田湯川で、右手に印旛沼が見ると、すぐに印旛日本医大。ここからは最高速度130km/hで、160km/hを体感すると、わずか30km/hでもずいぶん遅く感じます。

 さらに京成高砂からほとんど徐行運転状態となるので、ちょっと勿体ない感じがするのですが、それでも日暮里~空港第2ビル間36分は、なかなか頑張っている感じがします。でも、運賃・料金は2400円か。某社と比べると同じくらいの乗車時間で高いなぁ。

 まあ、いずれいやでも乗らざるをえない日が来るでしょうから、この時期にあえて乗りに行く必要もなかったような気がしますが・・・・。まあ、いいか。(駅長)


 

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東海道EL貨物に少しだけこだわってみる

日曜日の朝・・・何の予定もなく、天気も晴れて、8865レに一般型のEF65が就きそうなときは、軽装姿でぶら~りと木曽川まで同列車を狙いに出かけます。8月1日は118番。更新色のため人気がないのか、他の撮影地に赴いたのか、それともどこかにネタがあったのか、とにかく同業者はほんの一握りでした。おかげでまったりと撮影。あら、次位にオマケつき。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


撮影後、ほかの同業者は撤収し、残ったのは自分だけ。この20分後、EF210のトップナンバーが上ってくるようなので場所を変えて線路際で待ち構えました。ここで上り列車撮影をするときは、あぜ道の障害(車や人)を避けるためか線路際アングルを選ぶ者を多く見かけます。混雑したところでの撮影は好ましくないのでいつも遠慮しているのですが、今回は自分ひとり。名撮影地を独占して、ぜいたくな気分に浸れて撮影するのもいいものです。本当ならもう1スパン前に出て撮影するところですが、ややバルサン状態であったためこの場所になってしまいました。

それにしてもこんなピーカンで誰もいないのは、やはりみんなどこかに出向いているからなのでしょうか(いや、単に暑いから、じゃないの?)。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

帰宅してネットをチェックしていると、何やら怪しげな機材輸送列車が西下してくるらしいです。午後はゆっくり昼寝と決め付けていたのですが、昼食もそこそこに外出許可を頂いて稲沢界隈に車を向けました。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


さすがに注目度が高いせいか、ところどころに同業者の姿。もしかしてみんなこれを狙いに東のほうへ行っていたのでしょうか?18きっぷを使って何度も追っかけが出来そうですが。天気は残念ながら午後から曇りました。

「はなぶさ」に集まる仲間たち


機材輸送列車が稲沢に着く頃、上り貨物線にはEF66ー27番が到着しているはず。20分ほど後に出発するので撮影地を選ぶ余裕はあったのですが、曇天だし面倒なので同機の特長が表せるよう正面ドカンで済ませました。

道中、愛知機関区にはEF210ー901や広島色のEF64-67(→あれ、いつ戻ってきたの?)を見かけました。留置中のカマは、どうも写欲がわきません。

この日は旧あずさ色の183系も西下してくるはずですが過去に何度か見ているのでパス、ここで打ち止めして帰宅しました。


「はなぶさ」に集まる仲間たち


番外:機材輸送列車を狙う前、ちょっと道草してこんなもの↑も狙ってきました。アピタ稲沢の屋上駐車場から。晴れればモロ逆光なので、曇天限定アングルですが。あ、先頭のハナに障害物・・・。


気が付けば東海道の貨物列車に踊らされた一日でした。たまにはいいか。(出札掛)

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2010年8月 1日 (日)

32.鉄分補給(入道雲)2010/07/25

 このところ、とにかく暑い日が続きます。連日36℃とか37℃と聞くとウンザリしてしまいます。夏の鉄活動の大敵は暑さ、夏バテ気味で遠征する元気もなく、近場でお茶を濁しました。真夏を象徴する風景のひとつが「入道雲」です。午後から夕方にかけて山沿いにモクモクと雲が湧き上がってくる風景は見ているとワクワクしてきます。ところが、入道雲鉄をやろうとすると簡単そうですが、これが結構な曲者です。まず、絵になるような大きな入道雲がいい位置に湧かない、分刻みで雲のかたちがどんどん変わっていくので、列車とのタイミングが合わないなど、今シーズンも何回か挑戦しましたが、なかなかイメージどおりのシーンが撮れずに結構難儀しています。今回は、比較的大きな入道雲が湧くことが多い豊田方面へ足を運びました。この日も37℃越えの日でしたが、とにかく死にそうなくらい暑かったです。


「はなぶさ」に集まる仲間たち

まずは、ほとんど撮り鉄の姿を見掛けない愛環です。名鉄豊田線との交差部分ですが、残念ながら豊田線の電車とのコラボは実現しませんでした。入道雲は理想的な感じだったのですが、もう少し左に湧き上がってほしかったです。

【新豊田~愛環梅坪】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

上の写真を撮影後、すぐに雲のかたちが崩れてしまったので、三河線の定番ポイントへ移動しました。この日は、おいでんまつりの花火大会のため、運用変更が行われており、午後からオール4両編成となっていました。電車通過の5分くらい前までは理想的な雲のかたちでしたが、真ん中あたりが崩れてしまいました。なかなか思いどおりにはいきませんが、この程度の崩れなら我慢の範囲と自分に言い聞かせて、酷暑の現地を後にしました。

【越戸~平戸橋】(電車運転士)


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