2020年7月13日 (月)

束の間の晴れ間は無用?

「えっ、三重連??」
11日(土)、昼時に何気なく各方面の目撃情報を漁っていたら、西線8084レの書き込みに目を疑いました。「これは是が非でもモノにせねば」。しかしこの時、既に8084は中津川付近を走行中のはずで、好撮影地が点在する東農方面へはとても間に合いそうにありません。そこで思いついた候補地はキャパの広い矢田川か、編成をきれいに抜ける清州近辺。考えた結果、キャパの広さと“引き”の広さを考慮して矢田川に決めました。定番ポイントは、晴れたら好ましくない時間帯を迎えていますが、梅雨真っ只中の空模様では陽が射す様子もなく、今回だけは曇り空を味方につけて、いざ本番。

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「あっ、晴れた」。通過数分前にまさかの展開、雲の隙間から青空が見えてきました。本番直前に下り普通が通過したときは曇りかけたものの、再び太陽が顔を出してご覧のとおりとなりました。思ったほど側面はつぶれなかったので結果はOKでしたが、こんなときの晴れ間は痛しかゆしです。

すべてエンド揃いで次々位はムド扱い、いやそれよりも撮れただけヨシとしてご笑覧下さい。(出札掛)

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2020年7月12日 (日)

643.久しぶりに名古屋港線のレール輸送の様子うかがい 2020/7/11

 九州に続き、飛騨地方を中心に豪雨による甚大な被害が発生しています。身近なところでは愛知環状鉄道がのり面崩壊による線路内土砂流入により、7日の始発から8日の昼過ぎまで北野桝塚~三河豊田間で運転見合わせになるなど、今回の豪雨は想定外のことが多すぎます。これ以上被害が拡大しないことを祈るばかりです。

 

 ところで、DE10+キヤ97による名古屋港線のレール輸送、理由はわかりませんが、616日から運休が続き、このまま終わってしまうのではないかと心配していたところ、74日から運転が再開されました。時折雨がぱらつく生憎の天気でしたが、久しぶりに様子をうかがってきました。今回は入換風景が見たくて名古屋港での定点撮影となりました。

 

 

※撮影は711日の名古屋港線(電車運転士)

 

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 8660列車は単機でしたが運転がありました。名古屋港線は今や貴重となったタブレット閉そく式が現役です。到着後、タブレットの授受風景を見ることができます。

 

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キヤ97の留置場所には直接入線できないので、一旦手前に引き上げて折り返しキヤ97を迎えに行きます。

 

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4両一度に引き出してくるのかと思っていたらまずは2両が出てきました。

 

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手前の引上線でスイッチバックし、真ん中の線路に2両を据え付けます。

 

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残った2両を引き出すため、同じ作業が繰り返されます。

 

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残った2両を迎えに行きます。手前の引上線の有効長が短いので、2両ずつに分けた入換作業になるものと思われます。

 

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先に据え付けられた2両と同じ線路に転線し、連結作業が行われて4両となります。

 

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連結作業終了後、DE10は切り離され、右の線路を使って機回し作業が行われます。

 

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 機回しを終えたDE10が名古屋方向に連結され、連結作業終了後、名古屋方向の所定停止位置に引き上げ、8661列車の発車までしばらく待機となります。この一連の作業は30分ほどで終了です。

 

 その後は、駅長様・施設区長様が活動されているグループの企画展を拝見しに金山至近の会場に向かいました。会場では施設区長様にいろいろとご対応いただきました。施設区長様、ありがとうございました。

 

 

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2020年7月 8日 (水)

束の間の晴れ間の有効活用

梅雨前線がもたらした甚大な災害に各地で遭われました方々には、心からお見舞い申し上げます。年々肥大化する異常気象は地球温暖化が原因の一つでもありますが、ではその温暖化を推し進めているのはいったい何なのか・・・いろいろ考えさせられます。

梅雨真っ只中、この日は一日雨模様の予報。ならば家の用事を済ませて午後は昼寝と決め込んでいたのに、ふと空を見上げると薄陽が射している?? どんよりした曇り空や雨降りよりはマシ、と腰を上げてターゲットに定めたのは、出場したてでピカピカのドクターイエローT4編成による試運転です。撮影ポイントは、曇天なので気合いも入れず手軽にサクッと撮れて、かつ晴れると逆光となる場所を選びました。ここでドクター~を撮るには上下列車とも必ず逆光となります。たとえ晴れても、それを逆手にとって目の前に広がる稲を光らせる演出もありますが、今回は曇天を想定していたのでそんなつもりはなかったのに、まさかグリーンカーペットが輝く光景に恵まれるとは、天気のいたずらに憤慨、いや興奮しました。Dーライティングを強めに設定して空の白飛び対策を施して、あとはピカピカの車体がどこまで逆光に耐えうるか、いざ勝負!そして通過数分後、太陽は南から流れてきた雲に覆われました。

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陸田で稲沢貨物線を走る下り列車を順光で撮るには夏場の夕方がベストです。この日はまさに諸条件が重なりました。目撃情報によると、17時前に通過するスジの臨貨8091レが運転されているらしいです。ドクター~から8091レまでの間は約30分。移動とセッテイングを含めても時間は十分です。線路脇の雑草が成長してシャッターポイントは制約を受けますが、数打てば当たるだろうと挑んだ結果はこのとおり。雲が湧いて一度はあきらめていた太陽は再び姿を現して、撮影地周辺を照らしてくれました。8091レのおかげで陸田での理想的な順光写真が撮れましたが、それよりも注目すべき点は貨車のほうですか?


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終日雨予報だったはずなのに束の間とはいえ晴れ間を満喫できた日曜日の夕方の稲沢界隈でした。(出札掛)

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2020年7月 6日 (月)

642.1982年冬 北の大地で撮り鉄行脚 2号車 南部縦貫鉄道 1982/2/11

 首都圏をはじめとする一部地域では新型コロナウィルスの感染が続いている中、九州では活発化した梅雨前線による豪雨が各所に甚大な被害を発生させており、この先どうなってしまうのか、想像もできない状況が続いています。新型コロナウィルスの次は大災害と、神様はどこまで試練を与えれば気がすむのかなどと恨み言を言いたくなってしまう心境です。本当に悲しいです。お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたすとともに、被災された方々にはお見舞い申し上げます。被害状況から復旧にはかなりの時間がかかると予想されますが、1日も早く日常が戻ることをお祈りいたします。

 

 蒲原鉄道を後に、郡山から「八甲田」の乗客となってちょっと寄り道その2として向かった先は南部縦貫鉄道です。当時は、日本で唯一のレールバスが走る路線として注目されていましたが、1962(昭和37)年の開業当初から紆余曲折があり、1997(平成9)年55日限りで全線休止を余儀なくされました。その後、各方面で復活に向けての努力が行われましたが、現実は厳しく、残念ながら2002(平成14)年731日限りで正式廃止となってしまいました。

 

 

※撮影は1982(昭和57)年211日の南部縦貫鉄道(電車運転士)

 

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 この日の青森エリアは大雪に見舞われていたようで、その影響を受けた「八甲田」は大幅遅れ、目が覚めた時は下車駅の野辺地には程遠い地点でした。こんな状況では南部縦貫鉄道の撮影どころではないと判断し、そのまま青森まで乗車することにしました。浅虫まで来たころで、ダイヤが大幅乱れのため、ここで一旦足止めとなってしまいました。
【1982.2.11 浅虫】

 

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 何とか運転打ち切りは免れ、何とか青森までたどり着くことができました。雪の塊を押しのけての到着だったようで、ED75の前は吹き溜まりのような状況になっていました。前面と側面の着雪具合も浅虫停車中の時とは比べ物にならないくらいで、ここまでの激闘を物語っています。当時はどれだけ時間がかかっても終点までは運転するという鉄道魂みたいなものがありましたが、早々と白旗を挙げて計画運休を行ってしまう今の時代では考えられないです。
【1982.2.11 青森】

 

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 「くりこま1号」も「八甲田」と同じような状況での到着です。どのような状況でも輸送の完遂を責務と考える職員の方々の意識の高さが感じれられ、雪に負けない鉄道の力強さや信頼感を実感しました。
【1982.2.11 青森】

 

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  何号かはわかりませんが、「ゆうづる」だと思います。こちらも大幅遅れでの到着でした。DE10が連結され、車両基地への入換が開始されます。
【1982.2.11 青森】

 

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 しばらく青森で待機していましたが、大雪のために大乱れだったダイヤもある程度落ち着いてきたので、夕方の列車なら撮れそうだと思い、当初の目的だった南部縦貫鉄道に向かいました。西千曳にどうやってたどり着いたか記憶が定かではありませんが、おそらく東北本線の千曳から徒歩で向かったものと思われます。何とか夕方の下り列車に間に合いました。
【1982.2.11 西千曳】

 

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 次の上り列車は露出的にかなり厳しい状況だったので、走行写真は諦めて駅撮りとしました。奇跡的に乗車客があり、レールバスの前照灯とホーム軒下の裸電球と相まって、自分的にはお気に入りのシーンのひとつとなりました。
【1982.2.11 西千曳】

 

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 次も記憶が飛んでしまっており、徒歩で野辺地まで戻ったのか、千曳まで歩いて東北本線の列車で野辺地に向かったのか、思い出すことができません。いずれにしろ、最終列車に間に合って野辺地の夜間撮影を行っていました。当時の南部縦貫鉄道のダイヤは17往復、最終列車の野辺地の発車は1850分でした。1826分に上りの最終列車が野辺地に到着してしばらくは人の動きがありませんでしたが、発車間際になって数人の女子高生がレールバスの乗客となりました。陽の長い時季ならまだ明るい時間の1850分が最終列車の発車時刻とは…。乗客が極端にの少ないローカル鉄道とはいえ当時でも驚きでした。
【3枚とも 1982.2.11 野辺地】

●次の目的地 津軽鉄道

●移動行程 野辺地→青森STH→五所川原→津軽鉄道

 

 

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2020年7月 1日 (水)

ニューフェイス HC85

キハ85の後継車がデビューしてから早くも半年が経ち、試運転も盛んに行われています。そろそろ飛騨路や紀州路に馴染んでくるころですが、この意匠、どうも写欲が湧きません。ほかにも近頃の新造車を見るたびにそう思えてまうのは、それだけ自分が歳を取った証拠なのでしょうか、つい世代ギャップを感じずにいられません。まぁ、毛嫌いせずに世代交代の記録を残すことにしましょう。
そういえば今回の新車は正面に愛称表示がありません。よって試運転中のシーンを写真で表したくとも、単なる普通の走行写真ではキャプションで補足しないとわかりません。そこで試運転ならではのシーンを撮ろうと思いついたのは昼過ぎの白川口駅。


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まず、試レが下り1番に到着します。この時間帯になると正面から陽が当たるとは思ってもいませんでした。
  

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次に、後続の下り「ひだ11号」が運転停車。停止位置はご覧の通りで少し残念です。直後、後方から「ひだ10号」が進入して3本が並びました。「ひだ」は貫通、非貫通の両スタイルが揃い、まさに三者三様です。
 

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「ひだ10号」着後すぐに「ひだ11号」が発車します。信号機を抜けて顔を出した瞬間、バランスはよくないですが納得できるシーンを撮ることができました。この日はダイヤ上の順番通りに入線、出発する見事な定時運行。おかげで想定内のシャッターチャンスでした。どうやら試運転スジは幾つかのパターンが設けられているようです。名古屋を12時に発車するスジはこのパターンに入る可能性があります。お試しください。
 
3本並びを撮るために選んだこの場所、実はちょっと苦労しました。下り出発信号機と線路脇の雑草をかわすため立ち位置が制限されて、このポジションが精一杯。とりあえず課題はクリアしたので、早くHCに馴染むよう努力?したく思います。(出札掛)

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2020年6月27日 (土)

641.紫陽花の季節に旧三岐カラーと初対面 2020/6/21・27

 619日、緊急事態宣言に続いて県をまたぐ移動も解除されたことから、感染予防対策を実施しながら近場から徐々に鉄活動を再開しております。最近、自分的にちょっと気になっているのが三岐鉄道です。というのはクモハ101=クモハ102(元西武の401系)の2両が旧三岐鉄道カラー(ダークブルーとクリームのツートン)に塗り替えられたからです。三岐鉄道のリバイバルカラーは黄電・赤電に続いて3編成目となりました。旧三岐カラーは1977(昭和52)年まで使用されていたとのことでしたが、当時は名古屋在住ではなかったため、現物を見る機会はありませんでした。今回、初対面を果たそうと思い、久しぶりに三岐鉄道を訪れてみました。

 

※撮影は621日・27日の三岐鉄道三岐線・北勢線(電車運転士)

 


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 東藤原のセメント工場の定期修繕も終了し、紫陽花も見頃となっているだろうと思い、3710列車に合わせて紫陽花ポイントを訪ねてみました。とりあえず、赤電は運用に入っていました。電車の運用を確認しがてらしばらくここで撮影を続けました。
【3枚とも 2020.6.21 三岐鉄道三岐線】

 

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 赤電に続いて黄電も運用に入り、セメント貨物列車に加えて白ホキの貨物列車も運転でしたが、肝心の旧三岐カラーが来ません。自分が滞在中にその姿を見ることはできなかったので、お休みのようでした。この日の最大の目的が達成できないことがわかり、テンションダウンのまま撮影を続けました。
【2枚とも 2020.6.21 三岐鉄道三岐線】

 

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 旧三岐カラーが来ないとなれば、安心?して北勢線との掛け持ちができました。眼鏡橋近くの紫陽花ポイントは花の付きもよく、今シーズンは当たり年でした。
【2枚とも 2020.6.21 三岐鉄道北勢線】

 

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 早朝は曇り基調だった天気もいい具合に回復したので、青川の鉄橋にも立ち寄ってみました。毎度ワンパターンのアングルですが、前々日にそれなりの降水量があったため、水量が多く、流れに迫力がありました。
【2枚とも 2020.6.21 三岐鉄道三岐線】

 

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 知らないうちにか木が伐採され、周辺の土地が整備された状況が線路端から見えたため、とりあえず行ってみました。撮るには撮ることができましたが、もう少し高さがほしいところです。上空には夏雲が漂い、6月といいながら風景は夏そのものです。この日は夕方近くから家族運用が予定されていたため、502列車まで撮影して撤収するつもりでしたが、期待に反して運休、旧三岐カラーは来ないし、501列車は重連単機とちょっと消化不良の鉄活動でした。
【2枚とも 2020.6.21 三岐鉄道三岐線】

 

 旧三岐鉄道カラー、どうしても早いうちにリベンジしたくて27日に再訪問してきました。運用は公開されていないので、ギャンブル的要素が大きいのは承知の上での訪問となりました。

 

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 21日と同様、電車の運用確認を兼ねて紫陽花ポイントの3710列車からスタートしました。紫陽花はまだ見頃の状態を継続していました。
【2020.6.27 三岐鉄道三岐線】

 

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 早朝の電車は4運用ありますが、現地到着後に最初に見届けた2運用ははずれ、雲行きが怪しくなりかけた3運用目、旧三岐カラーが来てくれました。前面のステンレス保護化粧板の撤去・乗降ドアの塗装・行先表示版枠の取り付け・標識灯枠の赤色塗装・社章と車号の白色塗色・楕円形の社名銘板をシールで再現など、黄電と赤電同様、塗色だけではなく細部にまでこだわった点が随所に見られ、まったく違和感がありません。1970年代からそのまま活躍を続けてきたのではないかと錯覚してしまいそうです。
【2020.6.27 三岐鉄道三岐線】

 

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 昼前に保々の車両区に入区という運用でしたが、撮影チャンスは複数回あるということで、その後は旧三岐カラーの運用に合わせて沿線を行き来しました。晴れ基調の天気予報に反して終始薄曇りの状況でしたが、とりあえず主要ポイントで旧三岐カラーを撮影できたのはよかったです。ただ、遠景は現行カラーの方が写真写りがいいように感じました。次回はバリ晴れ下での撮影を敢行できればと思っています。
【5枚とも 2020.6.27 三岐鉄道三岐線】

 

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 当然ですが、旧三岐カラーの合間に貨物列車も撮影しています。日曜日と土曜日の各1日だけしか見ていないので何とも言えませんが、ダイヤ改正前の1503列車の設定がなくなった関係なのか、901列車の編成が短くなったり、501列車が重連単機やタキ1両だけだったりと白ホキの動きがダイヤ改正後は変わったように感じました。この日も午後から家族運用が待っていたため、3713列車を撮影後に三岐鉄道を後にしました。夜まで見届ければ白ホキの動きももう少し把握できたかもしれないという点は次回の宿題にしたいと思います。
【5枚とも 2020.6.27 三岐鉄道三岐線】

 

 

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2020年6月26日 (金)

宣言解除

緊急事態宣言が解かれて初めて迎えた日曜日。全国規模の移動は自粛要請の中、わが地元東海三県内なら移動も容認されたとはいえ油断はできませんが、今までの憂さを晴らそうと早朝から行動開始しました。
 

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ここは“二密”、もの凄いカメラマンの数に圧倒されました。自粛の反動なのか、相当なレアネタなのか、好天気に誘われたのか、ともあれ何事もなく撮ることはできました。大半は車に飛び乗って追いかけ組。おそらく舞木方面はドエライことになるだろうと思い、自分は現地に留まり撮影を続けて、この後のプランを練りました。 
 

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最近の白ホキは超短編成。見栄えは劣りますが、僅かな貨車を機関車が重連で牽くシーンはかつての某ローカル線貨物を思わせるようで画的には面白い被写体と思い、衣浦臨海の鉄橋に向かいました。この方角で全編成がフレームインするとは思いもしませんでしたが、背景と同化して少しわかり難いですね。緊急事態の影響なのでしょうか、早く元の編成長に戻ることを願っています。 
  

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次は名鉄線に転じて1700系を狙いました。次のターゲットまでの時間つぶしではありますが、入梅前の貴重な晴天なので撮れるときに撮ろうと思い立っただけのことで特筆事項はありません。  
  

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1週間前にチェックしたアプリによると、162レ名阪特急は前パンが先頭に立つスナック4連単独運用。HC85の試運転と時間的に近接するので天秤にかけた結果、スナックを選択したら残念な事に差し替えられていました。おや?とアプリで再確認したところ、いつの間にか「この列車に禁煙室はありません」の文字が消えている??後日になって、差し替えられた理由がなんとなく判明しました。しかたがないので、ちょうどやって来たあおなみ線のレゴラッピング編成でお茶を濁して、次の目的に向かいました。 
 

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庄内川右岸からドクターイエローを捉えました。望遠で狙ったので陽炎を拾い、画像はメラメラしていますが止むを得ません。緑地で遊ぶ親子連れが共演してくれました。 
 

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次のターゲットまでの時間つぶしに、再び1700系を追いました。国府宮ー奥田は開けている割に線路端の雑草が障害となって、意外とシャッターポイントが限られます。なんだかパッとしないですね。  
  

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名鉄1700系と近鉄12200系の共通キーワードは「絶滅寸前・大手私鉄特急・前パン車両」。165レ名阪特急も前パンが先頭に立つスナック運用のはず。今度は直前にアプリで確認したので間違いありません。外出自粛の影響による減車措置期間が終了して、再び少なくなったスナックカーの前パン先頭運用は徐々に貴重なシーンとなりつつあります。光線ヨシ!『名阪運用・スナック単独・前パン先頭・順光』の各条件が揃ったところで撮影することを目標としていたので、撮影ポイントはさておき、いちおう達成です。天気は良好ですが、疲れたので緊急事態解除後初の気合の入った?活動は以上でお開き。  
  

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帰り道の途中に富吉区を覗いたら、スナックカーが留置されていました。この数日前、名阪運用中のスナックカーが動物と接触して貫通扉の窓を破損、富吉区に緊急入区したようで、某SNSによるとこの編成が当該のようです。そのため、先述したとおり162レにあたる車両運用が急きょ差し替えられたのではと推測します。自分は未確認でしたが、当該は復刻塗装のNS51とか。逆光なので、わっかーせんがね。 
  
少しづつテツ活動も再開してストレス解消といきたいところですが、ネタ的臨時列車の運転や各種イベントはまだまだ自粛ムード。まぁ、あせらず、ゆっくりゆっくりと・・・。(出札掛)

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2020年6月14日 (日)

640.1982年冬 北の大地で撮り鉄行脚 1号車 蒲原鉄道 1982/2/10

 

 新型コロナウィルス関係、国の緊急事態宣言は解除されたものの、県をまたがる移動は都道府県によって対応が異なるようなので、もう少し、過去ネタでつなぎたいと思います。1982(昭和57)年の冬は、前年に続きワイド周遊券片手に北海道で撮り鉄行脚を敢行していました。ご紹介が長丁場になりますが、懲りずにお付き合いただけると幸いです。


 

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  この年は北海道には直行せず、道中、ちょっと寄り道してから北海道入りしました。最初の寄り道は新潟県の中部を走っていた蒲原鉄道です。前々年が初めての訪問でしたが、田舎電車そのものといった雰囲気に魅了されてしまい、再訪を誓った上での2回目の訪問となりました。

 

 ※撮影は1982(昭和57)年210日の蒲原鉄道(電車運転士)

 

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 蒲原鉄道へは米原から「きたぐに」に乗車、長岡で普通電車に乗り換え、加茂から蒲原鉄道入りしました。当時の「きたぐに」は10系寝台車と12系座席車の組み合わせでした。長岡はこの年11月開業予定の上越新幹線の工事が最終段階で、「きたぐに」の到着ホームは新幹線駅の高架下になっていました。
【1982.2.10 長岡】

 

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 最初に向かった先は行き違い可能駅の七谷です。前夜に降雪があったようで、ありがたいことに周囲の山々はクリスマスツリー状態になっていました。モハ61(←西武鉄道←武蔵野鉄道)と武骨な前面2枚窓のモハ41が顔を合わせました。
【1982.2.10 七谷】

 

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 あまりにも雰囲気がよかったので、次の列車まで七谷に留まりました。嬉しいことに雲の切れ間から一瞬日が差し、雪晴れの状況となりました。
【1982.2.10 七谷】

 

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 その後、徒歩で村松方面に移動しました。切通区間で電車を待っていたところ、全線開業時からの生え抜きのモハ12が来てくれました。前回は村松で留置中の姿しか撮れなかったので、どうしても走行写真が撮りたかった車両です。どんな構図にしろ、モハ12を撮ることができたのは大満足でした。
【1982.2.10 七谷~冬鳥越】

 

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 場所を少し移動して次の電車を待っていたところ、いきなりED1のラッセルが現れました。てっきり村松でお休み中と思い込んでいたので、想定外のできごとはモハ12と合わせて2重の喜びとなりました。
【1982.2.10 七谷~冬鳥越】

 

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 冬鳥越の目の前はスキー場になっており、最上部からの俯瞰に挑戦しました。さすがにスキー板を履かずにリフトに乗る勇気は持ち合わせていなかったので、奇異の視線を感じながらゲレンデの隅っこをえっちらおっちらと登りました。ゲレンデは地元小学生のスキー教室で賑わっていました。
【1982.2.10 冬鳥越】

 

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 ゲレンデの頂上からは七谷方向を望むことができました。同じポジションでまったく異なるシチュエーションを楽しむことができる美味しいポイントでした。苦労して登った甲斐がありました。
【1982.2.10 七谷~冬鳥越】

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 せっかくモハ12が動いているということで、車両メインのカットも押さえておきました。1930(昭和5)年生まれの当時でもレトロなスタイルは好ましく感じました。
【1982.2.10 冬鳥越~土倉】

 

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 撮影しながら村松方向へ移動を続けました。モハ12は途中で入庫することなく終日運用に入っていたみたいで、繰り返し撮影できたのはありがたかったです。
【1982.2.10 土倉~高松】

 

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 これまで小康状態を保っていた天気も夕方近くになって雪が激しく降り続く状況に変わり、視界がきかないこともありました。幸い電車通過時は小降りになってくれたので、何とか撮影できました。
【1982.2.10 高松~大蒲原】

 

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 降りしきる雪の中、降車客が足早に家路を急ぎます。高松はホーム上に簡素な待合小屋があるだけの簡素な造りで、いかにもローカル線の駅といった雰囲気が田舎電車にベストマッチでした。
【1982.2.10 高松】

 

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 明るいうちに何とか村松にたどり着くことができました。夕方のラッシュに備えてモハ81(←越後交通)=モハ31=モハ71(←西武鉄道←武蔵野鉄道)の3両編成がスタンバイしていました。モハ81は収容力が大きいため、朝夕のラッシュ時がおもな活躍舞台でした。
【1982.2.10 村松】

 

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 蒲原鉄道の撮影終了後は五泉から磐越西線の列車に乗車、郡山に向かいました。途中、野沢で長時間停車があったので、夜間撮影に勤しみました。もう少しSGの蒸気が上がってくれたらもっと夜汽車の雰囲気が出たと想像できますが、贅沢は言えないです。郡山からは「八甲田」の乗客となり、東北本線を北上しました。
【1982.2.10 野沢】

 

●次の目的地 南部縦貫鉄道

●移動行程 郡山→「八甲田」→青森→千曳→(徒歩)→南部縦貫鉄道(西千曳)

 

 

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2020年6月 6日 (土)

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SNS等で近鉄情報をのぞき見していると、3月のダイヤ変更以降、「ビスタカー重連」というワードをときおり目にするようになりました。近鉄系も情弱なので目撃情報だけを頼りに少し調べてみると、平日の大阪線でビスタ重連の定期運用が見られるようです。ただし7604レと1901レの名張ー大阪難波間に限られるので、平日の夕方にわざわざ足を運んで撮りに行くのもどうなんでしょう?東海地方の鉄チャンには縁がないネタだなぁ、と思っていたら、やはり平日で不定期ではありますが、どうやら名古屋線でもビスタ重連が走っているようです。ちょっと食指が動いたので調べてみると、名古屋行108レと難波行168レがそれに該当するようです。 
  

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108レは順光で比較的撮り易い列車です。ただ、編成をそれらしく撮影できる場所に向かいたくとも何かと時間の制約があって、こんな場所から失礼しました。名古屋着後は米野で分割されて、各々名伊特急に運用されます。  
   
1681名伊特急運用後は各々富吉まで回送され、再び重連に組成されて168レに入るため名古屋へ回送されます。次に狙ったのはこの送り込み回送。18時過ぎの富吉を、名古屋行「ひのとり」通過後に出区します。時間的に撮影は夏季に限られそうです。  
  

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さらに普通列車で追いかけて途中で降りて、168レを迎えます。空の機嫌が良かったのでギリギリで夕陽のエロ光線を浴びたシーンが撮れました。 
  

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せっかくなので、過去に撮った30000系ビスタ重連二態を振り返りました。ビスタEXに改装される前のイベントとして、1999年夏休み最後の週末にオリジナル編成のさよなら運転が重連で催されました。大型HMに副票付きの大サービス。その伊勢方先頭を飾るのはダブルデッカーに特徴のある最終増備編成V15です。この編成のみ、2階建車の屋根が出っ張った構造になっているのですね(←ネットからの受け売りで失礼)。ところでこの撮影場所はどこでしょう?(ヒント:名古屋市中村区)  
  

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2007年5月、某サイトでビスタ重連の情報をかぎつけて、長島まで撮影に来ました。GW期間における輸送力増強策の一環だったように記憶しています。多客期にしばしば登場していたEX重連は神出鬼没。近鉄通の方なら事前に情報を得て、もっと多くのシーンを捉えていることと思います。自分としてはこの1コマしかなく、貴重なカットとなりました。  
  
6月13日から「ひのとり」運用が第二次増備車により拡大されることに伴い、ビスタ重連運用も変更される可能性がありますが、一部の編成が姿を消すかもしれないスナック4両編成車をビスタEXで置き換えれば、8両組成列車において重連運用が増えるのではなかろうか、と勝手に妄想しています。(出札掛)

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2020年5月31日 (日)

上下の記録 (祝:名鉄布袋駅ほぼ完全高架化)

名鉄犬山線布袋駅付近鉄道高架化事業のうち、未完成だった下り線高架化工事がこのたび完了し、念願の完全立体交差がついに実現となりました。なにしろ我が地元のエリアでこれほどの大規模鉄道事業が行われることは後にも先にもない事なので、気が向くたびに現場に足を運んでは工事の進捗状況を記録してきました。そこで刻々と変化していくシーンをいざ記事にしようと思ったものの収拾がつかなくなりそうなので、一足先に上り線が高架化された2017年6月以降に写した「高架化による上下分離」に絡む画像を主に、高架化事業の記録の一つとしてここに載せたく思います。  
 

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高架化された上りホームと仮本屋改札口を結ぶコンコースが仮設されましたが、その途中に、今どき珍しい?ことに下り線を横切るための踏切が設けられました。背後には上下線ホームを結ぶ仮設跨線橋が見えます。分かり辛いですが、この跨線橋と上り旧(仮設)ホームを活用して高架ホームへ向かうルート(高架部に続く壁が見えます)も同時に設けられました。
  

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その跨線橋からのシーンです。ご覧のとおり、高架ホームへと導く必要箇所(左下は上り仮ホーム上屋)以外は撤去され、新たに下り線高架化工事が始まります。これを撮影した場所は上り仮ホームへの通路部ですが、やがて工事が進むにつれて下り仮ホームへの通路部を残して取り壊されました。したがってその後は、高架ホームへのコンコースは踏切ルートのみとなります。  
  

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下り線の工事が未着手のうちに撮っておこうと上り特急の通過シーンにカメラを構えたら、下り特急もほぼ同時に進入してきたので「えいやっ」とシャッターを押したらグッドタイミングでファインダー内に納まりました。上下線の分離具合を把握するにはもってこいのカットです(自画自賛)。  
 

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下り線の工事が着々と進行中です。地上ホームから上り列車が見られるのも今のうちと、今度は下からカメラを向けました。  
  

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下り回送列車が1番線で退避中、高架線に上り列車が到着。さながら2層建ての駅、という表現はオーバーか?よく見ると、上り1番線にも銀電が退避中です。 
  

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名古屋方向からの行き止まり線として敷設されていた下り留置線から上り本線への渡り線として上り仮線が活用されていました。国道155号踏切のすぐ南で下り本線と分岐します。この線路も役目を終えるので、できることならここを走るシーン(どうやら100系折り返し回送が設けられていたらしい)を撮りたかったのですが断念。せめて配線の様子だけでもとカメラを向けました。昼頃に来れば陽が渡り線を照らすのですが、手を抜きました。ご容赦下さい。 
  

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では、下り高架線初日のシーンです。まず岩倉方向から1番列車となる試運転1レが接近。この列車はホーム手前のシーサスを渡り、上り1番に進入します。分岐信号動作確認が目的でしょうか、よく見ると上り線進入用場内信号が注意点灯しています。 
  

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やはり分岐信号動作確認の目的で、江南方向から渡り線で下り1番に入線後、岩倉に向けて発車した上り試運転2レが来ました。作業員の方々が見守る中、砂埃を巻き上げながら無事通り過ぎました。撮影場所は高架線の南端切替え地点。 
 

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その数分後には下り2番手の試運転3レが通過、構内では下り本線を走行して“仕上げ”を行います。新線区間の走行もそうですが、100系の「試運転」幕にも興味がそそられます(個人的意見)。 
今後は留置線の高架化工事と駅構内の整備が始まります。現代風に生まれ変わる布袋駅周辺にカメラを向ける機会はまだまだ続きそうです。 
  
こうした景色の変化を記録するにあたり、できるだけ多くの“情報”をファインダーの中に収めることで後々の感動も大きくなることを感じました。きっと数十年後には、これらの画像を振り返りながら懐古趣味に興じていることでしょう。老後の楽しみですね(おぃ)・・・。(変なウィルスに負けず永遠に健康で・出札掛)

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