2021年2月28日 (日)

ギラリ!8075レ

 ようやく愛知県の緊急事態宣言が解除された。緊急事態宣言中は不急不要の外出自粛が求められ、感染リスクを考えると外出への制約となった。鉄活動は不急不要の外出になるのか、悩ましいところだが、家の中に閉じこもっていては不健康だし、屋外での適度な散歩は推奨されている。そこで天気の良い日に午後の散歩かたがた、関西線の異形式重連、8075列車を狙いに行くことにした。

 8075列車は、関西線八田駅を16時30分に発車して四日市に向かう。日没時間の早い12月では関西線内の走行写真の撮影は絶望的だが、1月になると日没時間も遅くなり、沿線での撮影も可能になる。もっとも早く順光で撮影可能になった庄内川の手前の蟹江踏切は、若い鉄道ファンで大変な密状態となったようだが、さすがにそんなところに仲間入りして感染リスクを高めるつもりはない。日の低いこの時期ならではの撮影、それは低い太陽光にDD51のメカニック?な車体を輝かせるギラリの撮影である。

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 まずは白鳥信号場の正面ギラリ。1月末期のごく限られた条件の日にだけ見られるナンバープレートや正面の点検扉を輝かせたDD51の印象的なシーンである。弊ブログの出札掛さんの記事で魅せられ、なんとか今年撮影したいと狙っていた。出札掛さんの写真に比べると、やや物足りない面はあるものの、まずは及第点の写真となった。

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 ここで反対側を向くと、白鳥信号場の場内信号を入れてDD51とDF200の側面ギラリとなる。個人的には、8075レの異形式重連を最も印象的に見せるのは、この白鳥の側面ギラリではないか、と思う。

 しかし、この側面ギラリ、結構、難度が高い。まずは天候。冬のこの時期、冬型の気圧配置となると鈴鹿山脈に雲がわいて、太陽を隠してしまう。そうした中、日没寸前の16時47分まで太陽が隠れずにいることは奇跡、というとオーバーだけれど、かなり確率は低くなる。数年前はDD51重連の8072レで鈴鹿の雲になんども煮え湯を飲まされたが、それからみると、今年の8075レは冬型が崩れる日が多く、撮影できる確率が高かった。

 もうひとつはギラリの光かた。極めて微妙で、毎日、光かたが違うし、カメラの高さでも異なる。晴れれば良いかというと、雲間から漏れる光でも印象的に光ったりする。貨車をどこまで入れるかも、問題だ。

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 雰囲気は良いけど、ちょっと側面の光かたが弱いかな?

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 この時は、太陽光が直接あたらず、雲間から漏れてきた光に車体が輝いたわけだが、この雰囲気も悪くはない。こうした角度で狙う人はあまりいないので、密状態にもならず、ありがたい。逆に正面ギラリにこだわりすぎて、正面から編成写真を撮っていないのが難点だが、まあ、以前、撮っているから良しとしよう。

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 白鳥の正面ギラリと共に今年の宿題だったのが、日光川の手前で夕陽に輝く名古屋駅の高層ビル街をバックにしたDD51の正面ギラリ。こちらはタイミングに恵まれて、一発でうまくいった。

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 角度的に正面ギラリにはならないけれど、弥富発車もなかなか良い雰囲気である。

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 ここも発車を振り向いて撮ると、側面ギラリとなる。ただ、直線だけに、白鳥と比べるとやや単調なギラリではある。

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 ちなみに撮影名所の蟹江踏切では、定番位置を外れると、こんな印象的なシーンも撮影できた。凸+箱形の重連なので、シルエットも変化がある。

 DD51が定期運用を外れるまで、あと2週間。まだ、夕暮れシーンで狙いたいところがいくつもあるけれど、さて、天候に恵まれて撮影できるかなぁ。(駅長)

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670.1982年冬 北の大地で撮り鉄行脚 12号車 釧網本線(北浜) 1982/2/22

 前夜の札幌で関西在住の鉄仲間と合流、網走まで「大雪5号」に乗車しました。合流した鉄仲間とはこの後3日間行動を共にしました。乗り換えの網走から向かった先は北浜界隈、オホーツク海の冬の風物詩となっている流氷が目的でした。

 

撮影は1982(昭和57)年222日の釧網本線(北浜界隈)(電車運転士)

 

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 「大雪5号」は女満別で上り普通列車と行き違いのため、しばらく停車しました。その合間に停車中の姿を撮影しました。床下から漏れている暖房用の蒸気がいい雰囲気です。荷物車・郵便車の後ろに10系寝台車が2両続いているので、急行編成ということが何とかわかります。
【1982.2.22 女満別】

 

 

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 北浜到着後、海岸に出て流氷を手前に配した構図で撮影を開始しました。写真ではしっかりと接岸しているように見えますが、流氷本体は遥か沖合に去ってしまい、写っているのは海岸べりに残っている残骸です。
【1982.2.22 北浜】

 

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 オホーツク海をバックに入れたいと思い、海岸段丘の上に登ってみました。ご覧のとおり、流氷本体の姿はなく、寂しい状況でした。加えて、腕が悪かったために国道の路肩表示のポールを列車の前面に引っ掛けてしまい、何とも消化不良の結果に終わってしまいました。
【2枚とも 1982.2.22 藻琴~北浜】

 

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 DE10の重連となる午後の釧路行の客車列車です。前年は機関車の次位に数両のタンク車がくっついた混合列車でしたが、混合列車は廃止されたのか、一般的な客車列車が来ました。
【1982.2.22 北浜~浜小清水】

 

 

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 午後の網走行の貨物列車はちょっとした高台に向かい、俯瞰気味に撮影してみました。やって来たのはDE10=ヨ=ワムのローカルチックな編成でした。流氷がしっかりと接岸していればもう少し絵になったと思いますが、沖合には流氷の残骸が浮かんでいるだけでした。
【1982.2.22 北浜~浜小清水】

 

 

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 貨物列車は北浜で停車時間があったため、徒歩でも発車シーンに間に合いました。入換は行われなかったようで、そのままの編成でした。光線的にはとてもいい感じだったので、流氷があるのは海岸沿いだけというのが残念です。
【1982.2.22 北浜】

 

 

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 夕方近くになってもう一度海岸沿いにスタンバイし、適当に来る列車を撮影しました。少ない流氷をできるだけ多く見せるためにごまかすことのできるのはこのポジションしかありませんでした。
【2枚とも 1982.2.22 北浜】

 

 翌日の行程の都合もあり、この日はるべしべYHに宿泊予定でした。撮影終了後、列車を乗り継いで留辺蘂に着いたのは2040分頃、YHには遅い時間のチェックインとなってしまい、ひんしゅくを買ったのは言うまでもありません。撮り鉄の行動は宿泊者の最後に到着して速攻で爆睡、夜のミーティングにも参加せず、翌朝は誰よりも早く(しかも暗いうちに)に出発するのがパターンで、YHではあまり歓迎されない存在でした。

 

●次の目的地 池北線

 

●移動行程 北浜→網走→留辺蘂→(るべしべYH)→留辺蘂→北見→池北線

 

 

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2021年2月26日 (金)

山陰線京都口電化と113系800番台

山陰線の京都口の電化は京都・園部間が1990年3月と、今から約30年前、意外と遅いものでした。さらに福知山から南へ、園部から北へ進捗し、最終的に園部・綾部間が1996年3月に電化されて現在の京都・城崎間が電化完成となりました。


そんな山陰線京都口を訪れたのは、1984年6月保津峡を訪れて以来約11年振り、1995年7月のことでした。
友人から、山陰線京都口のローカルにあちこちからの借入車が来ている、との情報をもらい資材担当さんの車に便乗させて頂きました。

1995年7月9日 千代川・八木

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朝の通勤輸送を撮るべく、資材担当さんに案内して頂いたのがこの場所。到着直後は霧が立ち込めて、見通しも利かない状況でしたが、ようやく8連が抜けるくらい晴れてきたときに姿を現したのが広島区の瀬戸内色先頭の編成。

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京都・園部間のローカルには113系の4連が基本に使われ、朝夕の通勤通学時には2本連結した8連となっていました。ほとんどは東海道線221系投入により押し出された5000番台、7000番台でしたが、福知山線から転用された800番台も1本使われていました。

 

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更には岡山区の湘南色115系1000番台も入っていました。

 
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先に記しましたように、この時はまだ園部・綾部間が未電化で、長距離を走る優等列車は気動車で、京都発着の特急は「あさしお」に統一されており、181系が使われていました。

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同様に特急を補完する急行「丹後」には58系がごく当たり前に使用されていました。


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奈良区(関西線)からの借入車113系0番台も使われていました。
この列車を撮影後、この日は117系の入った奈良線に移動しました。


再び山陰線京都口を訪れたのは1年後、1996年5月3日です。撮影場所は代わり映えしない千代川・八木です。

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たった一年ですが、山陰線京都口の列車はかなり変化していました。
まず、ローカルですが、通勤通学時の8連の運用が半減し、福知山よりには北部用ワンマン化改造のクモハ113+クモハ112が連結された6連の運用が多くみられるようになりました。
2枚並べましたが、前2両の上下の違いがお判りになりますか?上は800番台(803)、下は300番台(305)です。800番台はもともと福知山線電化用に用意された車両で、冷房も後に搭載された車内積のWAU202、通風器もグロベンのまま。300番台は今回の園部・綾部間電化によって新製時にAU75を搭載して登場した中間ユニットMM’に廃車車両の運転台を取り付けたもので、ワンマン運転を考慮して、運転台直後の客用扉を移設しており、もとの戸袋窓と新設した細い戸袋窓が並んでいます。


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借入していた奈良区の関西線快速色の113系と、岡山区の115系は返却されていましたが、広島区の115系はまだ残っており、当日は山陰線唯一の113系800番台4連とコンビを組んでいました。最後尾のクハ115-651は元モハ114-69という変わり種。

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もっとも変わったのが優等列車で、KTRからの乗入れ車以外は全て電車化され、特急に統一されました。いずれも485系から改造された183系となり、塗色も新しいJR西日本特急色というべきこの色となりました。
急行から名称を受け継いだ「たんば」は京都~福知山間の列車でしたが、2011年運転区間延長に伴い「きのさき」に統合されて消滅しました。


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現在では山陰線ローカルの標準形式となっている221系も、この頃は目玉車両で、休日に運転される「ホリデー快速」として入線していました。
当時は新鋭だった221系も、現在は大部分が東海道からは撤退し、スマートだった前面も更新によって関西線の8両固定編成以外は転落防止が取り付けられて、ブサイクなものになってしまいました。


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1990年4月から運転が始まった「タンゴエクスプローラー」。1992年には第2編成も登場してGWには山陰線京都口には3往復姿を見せていました。形式のKTRは当時の社名「北近畿タンゴ鉄道」からつけられたものです。独特の先頭形状とフルハイデッカーという斬新な車両でしたが、1999年10月にはKTR8000系と交代して福知山線経由に変更となりました。しかし
、バリアフリーとなっていないこともあって、2013年には運用から外れてしまいました。予備車として1編成は使える状態で残っているようですが、撮影機会は殆ど無きに等しくなりました。




その後しばらくは山陰線を訪れることはありませんでしたが、11年後、2007年7月24日に馬堀の駅にだけ行っています。
なぜこのタイミングでここに行ったのか全く覚えていません。
そもそも撮影の開始が16:30を過ぎており、近郊で他の所用があったのかとも思いますが、思い出せません。

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夕方のラッシュ帯が始まるころで、6連も動き出していました。
山陰線はまだ113系がローカルの主役でした。JR西日本では1998年から113系の体質改善を行い、実施した車両はこの塗色になりました。先頭の5300番台(5304)が40N工事車、後方の4連が雨樋等の改造を未施工の30N工事車です。




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0番台改造の800番台McM’cも3編成が生き残り、高速化改造(+5000番)も受け、まだ京都口にも姿を見せていました。
5800番台は2010年度に全廃車となりました。


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特急車は485系改造183系800(700)番台ですが、福知山運転所所属ということで、福知山線用とプールで運用されるようになったため、山陰線にも国鉄色が登場しています。最後尾は初期のサハ481改造のため、冷房装置がAU12のクハ183-752です。


山陰線京都口にはこの後も特急車両の381系化、その後の287系化の直前等折節に出掛けていますが、それについてはまた機会があればご披露したいと思います。(検査掛)

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2021年2月25日 (木)

板付きスナック

タイトル注:新種のお菓子ではありません


近鉄特急の代表格として長く君臨してきたスナックカーこと12000/12200系。ただ、あまりにも多勢であったことと、ビスタカー、アーバンライナーなどの看板列車が目立ち過ぎて、普段の注目度はそれほど高くなかったのではと思います。また、他社の大手私鉄有料特急車と比べると奇をてらわない正統なデザインの電車顔であるが故に刺激が少ない車両のためか、自分が若かりし頃は近鉄沿線に繰り出してもスナックカーにはあまりカメラを向けることがありませんでした。しかし、さかのぼること30年以上前、イベント列車やジョイフルトレイン等のブームを迎えると近鉄も趣向を凝らしたイベント列車が運転されるようになり、時にはスナックカーを使用した列車も登場して何らかのヘッドマークが掲出されると、ネタ列車を追いかけていた当時の自分にとってはまさに格好の被写体となり、この時ばかりはスナックカーも撮影対象となったのでした。 
  

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鳥羽水族館にラッコがやって来て一躍ブームとなったころに名古屋から運転された臨時特急 「スーパーラッコ」号。写真は復路の列車、と思います。ちなみに団臨でも別の時期に「ラッコ」号が運転されているので、それと区別して特急であることからこの名称が記されたのではと推測します。1984年4月22日撮影  
 

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1985年は有名人が同乗して目的地に向かう団臨が続けて運転されました。これは新沼謙治が同乗して伊勢に向かった「旅の章」号。1985年4月12日撮影 
  

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八汐亜矢子(→誰?)と湯の山温泉で唄うカラオケツアー「八汐」号。近鉄特急湯の山温泉直通20周年を記念して催されました。1985年7月21日撮影 
  

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さらに3日後は、相撲取り北尾と賢島まで向かう団臨「北尾」号が運転されました。1985年7月24日撮影  
  

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「大和路ライナー」です。列車名から推測するに、おそらく奈良まで往復運転されたはずですが、たぶん臨特?団臨?もう忘れました。写真は名古屋着の復路列車です。1986年ころ撮影(撮影時期もわからない) 
  

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続いて「シルクロード特急」。文字どおり、奈良県の博覧会「シルクロード博」への観光客輸送として運転された臨時直通特急?団臨?と思われます。1988年5月8日撮影 
  

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ナゴヤ球場での近鉄バッファローズ公式試合の観客輸送として運転された、その名も臨特「バッファローズ」号。たしか急行でも設定されていたような。1989年5月14日撮影 
 

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大阪で開催された「花博」観光客向けに運転された臨特「花博」号です。名阪特急を補完するような役割でしょうか。上本町行という点がミソです。1990年6月24日撮影 
  

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さよなら運転が催されていたことは、画像を見てもはっきり思い出せません。伊勢方は12000、名古屋方は18400系です。2000年8月20日撮影・759レ 
 

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御在所ロープウェイ50周年を記念して企画された名古屋~湯の山温泉直通特急の復刻版です。2008年夏の週末に往復運転されましたが、湯の山行を撮れば記録性が高まったのに、そこまで気が回りませんでした。2008年7月20日撮影 
 

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湯の山直通企画が好評だったのか、その翌年からは「サマーライナー」号として同様の列車が運転されました。2009年7月25日撮影 
 

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奈良県で催された「平城遷都1300年祭」に向けて、名古屋から臨時直通特急大和西大寺行きが運行されました。ただし列車は名古屋8:30発名阪特急に増結される形となり、その結果2+4+2という珍しい組成に。行先表示は白幕とした代わりに2つの行先を記した行先票が助手席窓の内側に貼られていますが、逆光で余計に分かりにくいですね。がんばって編集しました・笑。2010年5月8日撮影・158レ 
 
確実に捉えるため駅撮りが比較的多かったようですが、始発駅ならではのシーンも得られたのでこれもアリかな、と思います。名古屋地区のスナックカー臨時列車の記録としてご笑覧下さい。(出札掛)。

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2021年2月16日 (火)

追憶の12200系

 さる12日に、近鉄12200系の定期運用が終了した。昭和42年に誕生した12000系を元に昭和44年から製造され、両形式あわせて188両に達して、ひと頃は近鉄特急を代表する車両として親しまれてきた。この系列をスナックカーと呼ぶことがあるが、これは一部編成の大阪寄りにスナックコーナーが設けられていた名残。しかし、スナックコーナーは昭和40年代に営業を休止して車販準備コーナーとなり、後にはそのコーナーが撤去され、座席化を経て、扉が前位置に変更されている。

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 たまたま、横位置で撮影していた2種のスナックカー。前のスナックコーナーに窓のない車両が12000系、窓のある車両が12200系である。

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 確認はしていないが、スナックコーナーが営業していたのは、名阪ノンストップだけらしい。名阪ノンストップといえば、後のアーバンライナー、現在のひのとりの前身であるが、写真を撮影したころは乗客が少なく、12000系か12200系が2両で走っていた。民鉄がストを行ったとき、近鉄は同調せず、申し訳程度に乗客がほとんどいないノンストップ特急のみ運休してお茶を濁していたのを思い出す。

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 今回、おそらく撮影以来、はじめて12200系の写真を見直していて、名阪ノンストップには、原則としてスナックコーナーのある車両が使われていることに気がついた。昭和50年代には車販準備室になっていたはずだが、近鉄の看板列車だけにそれなりのサービスが継続されていたのだろう。この写真では小さくてよくわからないが、前の12200と後ろの12200はスナックコーナー部分の塗装が違っていて、前はスナックコーナーを撤去して座席化している車両かと思われる。

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 上3枚は名阪特急だけれど、近鉄特急というと、やはり伊勢方面の特急の印象が強い。鳥羽付近では、海沿いを走るが、意外にそのシーンを撮れる場所は少ない。この角度の写真はあまり出ていないと思われるけれど、それもそのはず、普段ではなかなか撮れない場所からの撮影で、頼んで撮影させていただいた。

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 あまり記憶は無いけれど、頑張って鳥羽線内でも撮影しているようだ。いまも、この場所、撮れるのかな?

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 2階建て電車、ビスタカーと連結したときもあった。回送の板が運転室にあるので、明星からの回送だろう。

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 山田線の撮影名所といえば、やはり宮川鉄橋。最近は撮影したこと無いけれど、今も同じように撮れるのだろうな。この場所で10連を撮りたかったけれど、それは機会がなかった。残念です。

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 電車運転士さんも撮影されているけれど、伊勢中川と桃園の間も撮りやすい場所だった。と、いっても、何度も行っているわけでは無いけれど・・・。それにしても、鉛筆転がしといわれる横位置の写真が多いなぁ。(笑 もっと、線路脇で撮れば良いのに・・・。

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 名古屋に近づき、員弁川の鉄橋でも撮影している。そういえば、この場所、最近見ないけれど、今も撮れるのかな?関西線が複線化され、鉄橋の位置が変わって、この場所まで入れなくなっているかもしれない。

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 最後に、長島付近の12200系。この頃、線路脇には何も無かったのですねぇ。  

 ところでここまでご覧になってお気づきかと思うけれど、ここに載せた12200系は、いずれも1995年まで存在したという正面の特急マークが羽根つきの旧タイプである。なぜ、そうした古い写真かといえば、昭和脳の筆者(笑)にとっての12200系の印象は、貫通扉に行き先の方向幕が取り付けられた姿では無く、羽根つき特急マークの姿のままだからである。(駅長)

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2021年2月15日 (月)

669.12200系 惜別アルバム

 近鉄の12200系、212日を最後に定期運用が終了しました。近鉄特急の顔として長年君臨し、全盛期を知っている世代としては何とも寂しい限りです。加えて、近鉄特急のシンボルカラーであったオレンジと濃紺のカラーが消滅ということになり、ひとつの時代が終わった感じがしています。そう遠くない将来、12200系の引退が来るだろうと思い、10年くらい前からちょっと意識しながら撮影を続けてきました。ただ、12200系がメインの鉄活動はほとんどなく、他の被写体のついでということが多かったため、会心の1枚というものはなく、似たような写真の羅列となってしまいました。12200系の引退に際し、惜別の意味も込めて、撮りためてきたものをご紹介いたします。一部再掲のものもありますがどうかお許しください。

 

撮影は2009年~2020年の近鉄名古屋線・大阪線・山田線(電車運転士)

 

《桃園》

田園地帯が広がり、編成写真・風景写真とも撮影しやすいポイントです。


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2009.9.5 桃園~伊勢中川】

 

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2009.9.5 桃園~伊勢中川】

 

 

《伊勢石橋・青山町・伊賀神戸》

名古屋線ばかりでなく、大阪線でも撮ってみたいと思い、青山峠の前後にちょっと足を伸ばしました。

 

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2009.9.5 大三~伊勢石橋】

 

 

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2012.11.18 青山町~伊賀上津】

 

 

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2012.11.18 伊賀神戸~青山町】


《米野》

上の写真はあおなみ線でC56160が運転された際、マスターのご厚意により、某高層ビルの最上階にある喫茶店から撮影することができたものです。この時は一部のメンバーの皆様方とご一緒させていただきました。下の写真は名駅の高層ビル群がバックになる最近出現したポイントです。

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2013.2.17 近鉄名古屋~米野】

 

 

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2020.9.17 近鉄名古屋~米野】


《黄金》

名古屋駅から至近で、ちょっとした隙間時間を埋めるにはちょうどいいポイントです。

 

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2015.7.26 米野~黄金】

 

 

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2017.6.20 米野~黄金】

 

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2018.6.5 米野~黄金】

 

《八田》

八田もお手軽かつ効率的に上下列車を撮影できるポイントです。8両を望遠で引っ張ると8個のパンタグラフが立ち上がり勇壮

な姿が強調されます。

 

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2017.2.11 近鉄八田】

 

 

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2018.2.19 近鉄八田】

 

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2018.2.19 近鉄八田】

 

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2019.2.13 近鉄八田】


《戸田》

目先を変えてこれまで撮ったことのないポイント探しみたいな感じで行ってみましたが、雰囲気がもうひとつだったので、通うことはなかったです。

 

 

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2017.2.10 戸田~近鉄蟹江】

 

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2017.2.11 戸田~近鉄蟹江】

 

 

《富吉》

午後から下り列車が順光で撮れますが、引きがないので構図が窮屈になるのと顔にケーブルの影が落ちるのが玉に瑕です。

 

 

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2017.2.8 近鉄蟹江~富吉】

 

《佐古木》

徒歩鉄でも8072列車・8075列車をはじめとする関西本線の貨物列車と掛け持ちできるので、重宝したポイントです。

 

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2016.9.3 富吉~佐古木】

 

 

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2017.2.11佐古木~近鉄弥富】


《霞ヶ浦》

近鉄名古屋線の中で数少ない開けたポイントで、終日良好な光線で撮影できます。何回かこにゅうどうレンタサイクルで訪れ、四日市エリアの貨物列車と掛け持ちしました。

 

 

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2017.3.18 近鉄富田~霞ヶ浦】

 

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2017.6.16 近鉄富田~霞ヶ浦】

 

《塩浜》

塩浜線と並行しているので、12200系の列車に合わせて塩浜線・四日市臨港線の撮影の合間に頻繁に立ち寄りました。国鉄色のDD51との顔合わせも懐かしいシーンです。

 

 

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2016.1.16海山道~塩浜】

 

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2016.12.15海山道】

 

 

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2017.6.16海山道~塩浜】

 

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2020.2.21 海山道~塩浜】

 

《宮川》

オレンジツートンのキハ4048の末期の頃に立ち寄っています。現地に立ったタイミングが光線のいい時間帯ではなかったのが心残りです。

 

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2016.1.31 小俣~宮川】

 

 

《朝熊山展望台》

参宮線の海中築堤を行くオレンジツートンのキハ48を俯瞰したくて伊勢志摩スカイラインの朝熊山展望台に足を運びました。カメラを振るだけで近鉄線も撮ることができました。12200系は遠景でも存在感がありました。

 

 

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2016.2.7 池の浦~鳥羽】

 

 

 

 12200系は後年、特急表示と行先表示が一体化され、顔つきが大きく変わりました。円形の特急表示に羽根が付いて、行先表示とノンストップ表示が下部の左右に配置されていたのがオリジナルの姿です。オリジナル顔の写真を探してみましたが、当時は両数も多く、近鉄特急の113系みたいな位置づけで、あまりにも日常過ぎたため、思いのほかシャッターを押していません。10100系をはじめとする他の特急車両はそれなりに撮っていたのですが…、自分でも意外でした。10100系や2250系のついでに撮ったものばかりで、気合の入った写真ではありませんが、ご笑覧いただければ幸いです。

 

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1987.4.30 近鉄弥富~近鉄長島】

 

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1978.8.10 鶴橋】

 

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1979.2.19 伊勢中川~伊勢中原】

 

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1979.7.1 伏屋~戸田】(住民
の方に許可を得て撮影)


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1979.7.9 桃園~伊勢中川】

 

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1982.12 近鉄四日市】

 


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1983.1 京都】

 

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2021年2月13日 (土)

引退 名鉄前パン車

名鉄1700系最後の編成1702Fが10日朝の定期運用をもってついに離脱しました。名鉄の車両としては貴重な存在である前パン姿は、戦国時代のちょんまげ武将の兜を彷彿とさせ、疾走する姿には力強さや勇ましさを感じました(←ちょっとホメ過ぎですか?でも、趣のある昭和時代の車両の顔には適いませんが)。
前パン姿を強調するにはオーソドックスに編成写真もアリですが、もう一歩踏み込めないものかと試行錯誤するものの、たいして創造力もない己の能力に限界を感じました。
  

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やはり無難なのは定番の正面ドカンですね。これ、串パンって言うの? 
  

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シルエットで表現する手もありましたが、運用、天候、自己都合などいろいろ制約もあって、そのようなシーンはほとんど撮っていません。すでに後の祭りですが、「もっと早く気が付けよ」と自分に言いたいです(涙)。 
   
これでしばらくは名鉄沿線のお立ち台も静けさを取り戻すことと思います。ところで最近、東海地方でも某所での撮り鉄のマナーについてSNS上で騒がれています。お立ち台が満員なら空気を読んで「勇気ある撤退」も必要ですね。1701+1702Fの廃回も近々走るかと思われますが、緊急事態発出中でもありますし、節度ある行動を心掛けたいものです。(出札掛)

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2021年1月31日 (日)

Series1700 on Hiromi Line -Vol.6-

緊急事態を受けて遠征自粛を余儀なくされ、ならば日常の生活圏内でレア度の高い被写体に目を向けようと撮り始めたのが、名鉄1700系の広見線走行シーンです。休日ダイヤ限定という点はサラリーマンの我が身には都合良くても入線する確率は当然低いです。前夜から早朝にかけての目撃情報をチェックして広見線運用が確実となれば、そそくさと沿線に赴き、軽~く撮ってハイ終わり。そんなことを繰り返して間もなく季節が一巡しようとしていますが、季節的に雪景色のシーンを引退前に撮りたいと願うも、なかなか条件が揃いません。そこで今回は願掛けの意味を込めて、過去に撮った雪景色の画像を載せることにしました。1600系時代に広見線で定期運用されていた頃までさかのぼりますが、ご了承ください。 
 
◆雪景色の前世時代編 

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前夜から降り続いた雪は広見線沿線を白銀の世界に変えました。ちょうど休日と重なった朝、雪が溶けださないうちにカメラに収めようと、機材を準備していざ出発。雪の重みで木の枝があちこちでしなだれているのが見えます。列車は新可児への送り込み回送。撮影時間は朝8時前と思われますが、雪雲に覆われて周囲は薄暗かったことを覚えています。  
   

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新可児から折り返してくる頃には、いつの間にか雲が消えて、雪晴れの絶景に1600系を迎えることが出来ました。【2003年12月撮影】 
  

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初詣ダイヤ限定の臨特です。たしか3+3の豊川稲荷発鵜沼・可児行臨特が午後に設定されていたように記憶しています。この日は前夜の雪が午後になっても残っていたのでスクランブル発進し、どうせ撮るならと1600系にターゲットを絞ったようですが記憶はあいまいです。【2002年1月撮影】  
  

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雪景色ではありませんが、雪の御岳ということで載せました(苦)。1700系となってからは方転しない限り絶対に撮れない前パン車の御岳バックです。【2004年1月撮影】  
  

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ちょうど10年前の画像です。このときも前夜から雪が降り、うっすら積もった翌朝はやはり休日と重なったのでチャンス!溶けださないうちに広見線を撮りに行こうと朝の善師野に向かいました。この頃は1700系にこだわっていたわけでもなく、来れば儲けもの、と待っていたら本当に来ました。列車は94レの送り込み回送です。ブラックフェイスを雪景色に撮ったのは、この日のみでした。【2011年1月撮影】 
  
1700系も引退まで秒読み段階に入りました。1月31日(日)は普通751レ~特急84レの運用に入りましたが、もはや雪景色の広見線入線は叶わぬ夢となりそうな。(出札掛)

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2021年1月24日 (日)

近鉄12200系特急運用 最終章

2月13日からの「ひのとり」名阪甲特急フル運用開始に伴い、その前日をもって12200系がついに特急運用から姿を消すもようです。ただし公式発表ではなく、あくまでもアプリによるチェックから推測したものですので、その点、ご了承下さい。 
  

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公式によると、緊急事態宣言の影響を受けて1月30日から特急列車が大幅減便されます。12200系については引退のカウントダウンが始まろうとしていた矢先だったので、運用にどの程度影響を及ぼすのだろうかとアプリで最新情報をチェックしたら、あれれ、つい数日前にチェックした時よりも「1号車喫煙室なし」列車が多少増えている(←あくまでも休日ダイヤの場合です)。運用計画が変更されたのでしょうか、おかげで最終日までまだまだ多くのシーンを目にすることができそうです。残された数週間、DD51の記録も兼ねて西の方角へ向かいたいものですが、緊急事態宣言の最中では悩ましいところです。そんなわけでここでは、おそらく名古屋線では二度と撮れないであろうシーンの一つとして、休日ダイヤの11月某日、一時的に名阪運用の大阪方に連結された前パン先頭のシーンを載せて、12200系への惜別としたく思います。  
  
12200系を目指して出かける際はアプリで最新情報をチェックすることをお勧めします。自分も直前の変更でハマってしまったことがあります。(出札掛)

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2021年1月23日 (土)

668.1982年冬 北の大地で撮り鉄行脚 11号車 函館本線(張碓海岸)・札幌市電 1982/2/21

 前日の夜、美幌から乗車した「大雪6号」は終着札幌までの乗車だったので、寝過ごす心配がなく、安心して爆睡できました。この日の撮影スケジュールは函館本線の張碓海岸の俯瞰と札幌市電を予定していました。

 

※撮影は1982(昭和57)年221日の函館本線(張碓海岸)・札幌市電(電車運転士)

 

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 恵比須島がアクセントとなる張碓の俯瞰ポイントは駅からたどり着こうとすると結構大変ですが、すぐ近くに路線バスの西春香バス停があり、ここからだとすぐにアクセスできました。この路線バスは高鉄バスの札樽線で、周遊券で乗れるほか、幹線路線のため、日中でも30分間隔の運転とフリークエンシーも高く、とても重宝しました。札幌635分の始発のバスに乗り現地到着は730分頃、ちょうど朝ラッシュの時間帯に当たっていたため、ED76DD51の長編成の客車列車のほか、711系電車もやって来ました。
【3枚とも1982.2.21 張碓~銭函】

 

 

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 ここでのメインディッシュは900分頃に通過するキハ82系の「北海1号」です。函館を夜明け前の450分に発車して、終着札幌までのラストスパート区間です。冬の季節にしては石狩湾の穏表情は波も低く穏やかでした。この後、札幌市電撮影のため、国鉄バスで札幌に戻りました。
【2枚とも 1982.2.21 張碓~銭函】

 

 札幌に到着後、早速、札幌市電に向かいました。今は西4丁目とすすきの間の線路がつながって環状運転を行っていますが、当時は西4丁目~すすきの間での「C」の字運転でした。この日は西4丁目から反時計回りに撮影を開始しました。


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【1982.2.21 交通局前】


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1982.2.21 西線9条旭山公園通】

 

 

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1982.2.21 西線11条】

 

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1982.2.21 西線14条】

 

 

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1982.2.21 ロープウェイ入口】

 

 

 当時の札幌市電は生い立ちによって型式が分けられていましたが、車体は前面が曲面ガラス1枚窓のヨーロピアンスタイルが標準でした。

 

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 札幌市電の電車事業所です。積雪も少なく晴れて穏やかな日だったので、ササラ電車の出番はなさそうです。右端のA830型はすでに休車扱いとなっており、動くことはありませんでした。仲間の一部が名鉄に譲渡され、870型として美濃町線の廃線まで岐阜の地で活躍していたのは記憶の新しいところです。左端の700型は路面ディーゼルカーを電車化した車両です。
【1982.2.21 電車事業所】

 

 

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1982.2.21 西線16条~ロープウェイ入口】

 

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1982.2.21 石山通】

 

 親子電車の親だったM101です。窓下の2つ目ライトが外観上の特徴で、遠目にもすぐにわかりました。この時から39年経った今でも現役で活躍しているのはうれしい限りです。

 

 路線の西半分の撮影を終え、午後になって東半分のエリアに足を踏み入れました。夕方になって終点すすきのの一歩手前の創成学校前までたどり着きました。

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1982.2.21 電車事業所前】

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1982.2.21 教育大学前】

 

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1982.2.21 創成学校前】

 

 

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 創成学校前は札幌市電の夜間撮影に適したポイントで、北海道随一の繁華街「すすきの」のネオンが背景になります。札幌からの夜行列車乗車までの時間つぶしによく立ち寄りました。
【1982.2.21 創成学校前】

 

 

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 オリジナルカラーの711系です。側面に方向幕が装備されているので、室蘭電化の際に増備された100番台です。札幌では夜行列車の並び位置を確保した後、待ち時間の間にちょくちょく夜間撮影を行っていました。この日の宿は「大雪5号」、これに乗車して道東方面に向かいました。
【1982.2.21 札幌】

 

●次の目的地 釧網本線(オホーツク海沿い区間)

 

●移動行程 札幌→「大雪5号」→網走→北浜

 

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