903.1983年冬 北の大地で撮り鉄行脚 12号車 興浜南線・渚滑線 1983/2/20
最近の週末、家族運用・中途半端な天気・梅雨明けもしていないのに37℃を超える急な暑さなどが重なって、まともな鉄活動ができない状況が続いているため、北海道での撮り鉄行脚を続けます。
今回は興浜南線と渚滑線です。興浜暗線は興浜北線と並んで流氷が望める路線で、それなりの知名度がありましたが、渚滑線は一瞬どこを走っている???といった超マイナー路線でした。興浜暗線は名寄本線の興部からオホーツク海沿いを北上し、雄武に至る19.9㌔のローカル線でした。北見枝幸まで開通していた興浜北線と結ぶオホーツク縦貫鉄道構想があり、実際に路盤工事も進んだところもありましたが、過疎とモータリゼーションの影響で、構想は実現することなく、1985(昭和60)年7月14日限りで廃止されました。渚滑線は名寄本線の渚滑から内陸部を東進し、北見滝ノ上に至る34.3㌔のローカル線でした。終点の北見滝ノ上付近には芝桜で有名な滝上公園がありますが、シーズンに渚滑線で訪れる観光客はほとんどなかったのではないでしょうか。渚滑線も他の地方交通線と同様、人口減少とモータリゼーションによる利用者減により、1985(昭和60)年3月31日限りでバス転換されました。
※撮影は1983(昭和58)年2月20日の興浜南線・渚滑線(電車運転士)

「大雪5号」を遠軽で降り、名寄本線の1番列車で興部へ、興浜南線に乗り換えて沢木に向かいました。沢木の丘からの俯瞰撮影を試みましたが、流氷は接岸していたものの、雪がそれなりに降り続いており、遠景はほとんど視界が効かない状態で、列車がどこを走っているのかよくわからない結果に終わりました。
【1983.2.20 興部~沢木】

雪は止む気配がなかったので、俯瞰撮影は諦めて1枚目の写真の左上にうっすらと写っている鉄橋に移動しました。バックの流氷のオホーツク海はほとんどわからず、せっかくの興浜南線なのに普通に鉄橋を渡るキハ40の走行写真になってしまいました。
【1983.2.20 興部~沢木】

雪の降り方は多少改善されたものの、雪雲に覆われた空はそのままで、オホーツク海は雪原状態になっており、流氷があるのかどうかよくわからない感じでした。ポイントを探しながら沢木から栄丘方面に歩いてみましたが、これといったポイントを見つけることができず、時間切れの幹事になってしまい、納得のいく結果にはなりませんでした。何か今回の興浜南線は消化不良を引きずったまま現地を後にすることになりました。この後、昼過ぎまで列車がないので、バスで渚滑線の始発駅となる渚滑に移動しました。
【1983.2.20 沢木~栄丘】


渚滑に着いてバスの時間を調べたところ、午後1番の列車の前に滝の上行のバスがあったので、バス代が別途必要になりますが、1本でも列車を稼ぎたいと思い、乗り込んで渚滑線沿線に向かいました。当時でも北見滝ノ上付近の芝桜以外は渚滑線の写真を見かけることはなかったので、1/5000の地図を頼りに目星をつけた中渚滑で下車し、撮影ポイントを探しました。自分の勝手な渚滑線のイメージは、酪農地帯を走るので、牧場の象徴であるサイロを入れてみればよいのではないかと思い、小高い丘に登ってみました。サイロはあるにはあったのですが、雪がちらついて遠景が霞んでしまい、思い描いていたイメージとはちょっと違う感じがしました。
【2枚とも 1983.2.20 中渚滑~上渚滑】

古風な木造の牛舎と石積のサイロがあったので、これを題材にしようと思い、列車を待ちました。牛が出ているのを期待しましたが、こんな天気ではそれもかなわず、おまけに線路から離れていたため、列車がかなり小さくなってしまい、主題がよくわからない結果になってしまいました。
【1983.2.20 中渚滑~上渚滑】

中途半端な気持ちを引きずりつつもひととおりの撮影を終え、乗りつぶしを兼ねて中渚滑から写真に写っている夕方の北見滝ノ上行の列車に乗り込みました。この日は終点の北見滝ノ上から紋別に向かい、紋別流氷の宿YHに泊まる予定にしており、久しぶりにまともな夕食と暖かい布団にありつくことができました。
【1983.2.20 中渚滑】
●次の目的地 名寄本線
●移動行程 中渚滑→北見滝ノ上→紋別→紋別流氷の宿YH→紋別→名寄本線(沙留)













































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